「のんびりと甲州街道」実施報告書
2002年3月23日に京都三条大橋に到着した東海道歩き。
その1か月後の2002年4月27日に今度は京都三条大橋から始めて、約半年後の11月4日、東京日本橋に到着した中山道。
その後、しばらくは近所を歩いていたが、年が明けた2003年の1月2日、正月休みのなまった身体にかつを入れようと、今度は手軽だろうと思って始めた甲州街道歩き旅。お江戸日本橋から、幼少時代に住んでいた高井戸近辺を通り、甲府、さらに終点下諏訪を目指す。
下諏訪は中山道でも通過した宿場で、甲州街道との分岐点も記憶にある。甲州街道は全長は200km強だというから東海道や中山道の半分以下だ。ただし、東海道や中山道に比べると意外に手軽なガイド本も少なく、いくつか調べると、やはり峠や山道もあるが、手軽だろうという気持で始めたのは事実だ。1日30kmの中山道ペースなら7回位で終わるだろうと踏んでいたが実際は交通機関が不便なところも多く、時間的な制約がそこそこきいてくる。好きなだけ歩いて好きなときに電車で帰るという訳にいかないのだ。
はっきり言って甲州街道を歴史的に保存し観光資源で活用しようという地域は極めて少なかった。江戸時代にも参勤交代で甲州街道を使ったのは3藩程度というからそもそも利用頻度は少なかったのだろう。事実、ウォーカーとの出会いも少なかった。小仏近辺では高尾山の周辺ハイカーも多かったし、中央線には山へ行く人達もたくさん乗っていたが、街道における街道ウォーカーとの出会い、すれ違いはほとんど無かったかな。そんな中、最難関、笹子峠の道迷いの際の自転車による峠越えの方との出会いは印象的だった。それぞれ反対方向を目指していたのに互いに第三の方向へ道を間違えた。私は、行き止まりまで行かずに、その自転車の人に行き止まりをを教えてもらい救われた。笹子峠は先達が滑落により遭難、4日目に救出されたというレポートを読んでいたので慎重に進み、うまく越えたと思った後の気の緩みか、そこで道に迷った。しかし、碓氷峠と同様、人に出会い(碓氷峠は私が行き止まりから引き返すときに出会った)救われた。笹子は残雪も多く、日本橋スタート直後の気楽さとは少し異なる感じを持った。
富士山や鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳、甲府盆地など景色はとても楽しめるものであったし、中央線から見える、相模湖、藤野の「ラブレター」などもだいぶ見慣れた景色になった。今回も「体力」、「気力」、「お金」、「時間」、「その他事情」は何とか持ちこたえた。
ということで、写真を中心に、一部ビデオクリップ、そして歩行ルート(地図)を組み合わせた「のんびりと甲州街道」報告を終了といたします。
いろいろおつきあいいただいた方々、この「行動」を静かに見守ってくれた家族にあらためて感謝です。
2003年5月11日 やまちゃん |