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「ヨーロッパ、鉄道の旅」のページ  (9月21日)


 
9月21日(火)
チューリヒ→ミラノ

スイス入国
朝8時、バーゼルに到着しました。初めて見るSBB(スイス連邦鉄道)の車両が止まっており、国が替わったことを実感しました。ただし、バーゼルには30分以上停車しましたが入国審査は特になく、風景的にも国境がどこだったのか等というものは全く解りませんでした。家並みが少しドイツとは違う風景に出会っただけです。
バーゼル出発後、ベルン経由でチューリヒまで行きました。風景は山がちになり、集落や工場などが延々と続いている様は日本ととてもよく似ており、集落を外れると草原と森しかないドイツとは明らかに異なる風景でした。家の屋根の色がドイツではレンガ色が多かったのに対してスイスではこげ茶色が多くなるのが目を引きました。
バーゼル出発後、朝食が運ばれてきました。ICNがレストランでバイキングだったのに対してCNLは機内食のような食事が個室に運ばれてきました。美味でした。

チューリヒ
9時34分にチューリヒに到着。天気が良いせいか、街がきらめいているように見えました。きれいな川とチューリヒ湖など水も豊かで中世の町並みが現代に程よく調和しており、ドイツの大都市に散見される退廃的なムードが全然感じられませんでした。車のマナーが非常に良く、横断歩道付近に歩行者を見つけるや否や、一斉に停車してくれるのには驚きました。ブランドショップ等もよく揃っており買物にも便利な街だと思いました。非常に短い滞在でしたがそんなことを感じました。

ミラノへ
13時06分、チューリヒからイタリア国鉄の特急「チザルピーノ」に乗りいよいよドイツ語圏を出てミラノに向かって出発しました。乗車するとそこにはイタリアの世界が待っていました。車内放送は当然イタリア語で、食堂車のテーブルセット等もドイツのICEのビジネスライクさとは打って変わり色使いの良いテーブルクロスにワインセットなどがあらかじめセットされており、高級レストランにでも来たような感じでした。
このチザルピーノは最高速度200キロのふりこ式列車でカーブでも速力を維持できるのがウリですが、走行区間が山間部のためそれほどスピードが出せないため、他のIC(インターシティー)等よりも速いという印象はありませんでした。停車駅が少ない分ミラノへは早く着くという感じです。
いくつかの美しい湖を見ながら列車は疾走し、文化を隔てる深い山間いを過ぎるとやがて駅名がイタリア語に変わりスイスのイタリア語圏に入りました。スイス側のルガノとイタリア側のコモでスイスの国境警備隊が麻薬犬とともに乗車してきて、車内をくまなく巡回しました。そして時々乗客にパスポート提示を求めていました。私たちはフリーパスでしたが私の近くに居た中東系の乗客は何度もパスポートを提示させられて、しつこく国籍や旅行目的を聞かれていました。なんだか人種的偏見のようなものを感じてしまいました。ドイツからスイスに入った時とは雲泥の差の越境手続でした。とはいえ、こちらも全く形式的だったんですけどね。あんな程度なら何も取り締まれないのだから何もやらなければよいのに。

ミラノの騒音にめまい
16時40分ミラノ中央駅着。場内放送がイタリア語でガナリたてる駅構内を、荷物をひったくられないようにしっかり抱えて恐る恐る歩いていきました。ここでは文字も会話も何にも分かりません。それでも自力で進んでいかねばなりません。ものすごい不安に襲われました。浮浪者に見つめられながら切符を買い地下鉄で3駅移動し大聖堂方面近くのホテルに逃げ込むようにチェックインしました。とにかく歩道が狭く、通行人が多く、車やバイクが歩行者を押しのけてけたたましく行き交い、排気ガスの匂いに満ち溢れたそれはまるで東南アジアのようで、ドイツ語圏の緑豊かな街で過ごした私たちは感覚的にノックアウトされてしまいました。特にチューリヒとの格差に驚きました。そのせいか、ドイツ語圏では疎ましく思えた日本人観光客にも、ここミラノでは同胞意識と安堵感から何回か話し掛けて情報交換をしたりしました。
夜、現地人しか来ないようなイタリアンレストランに行き、本場の料理を楽しみました。店員がいいかげんで、頼んだのとは違う料理が出てきたのには閉口しましたが、でも味は良かったです。会計するのに食事だけで7万リラ、ホテル代になると30万リラもの札束を切らなければならないのには金銭感覚が狂いました。あまりの高額表示のため、リラをコインで受取ることはほとんどありませんでした。

追伸
ミラノのホテルのテレビに日本語チャンネルが映り、久々に日本の情報に接しました。この時台湾大地震と日本を襲う台風と最新のプロ野球情報について知りました。家庭平和のためにも巨人には頑張って欲しいとその時思いました。
 
 

 

 


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