2000年5月7日更新
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ひとり言のページ  (2000年3月)



このページでは書きたいことを日々書いていきます。
 

3月29日(水)
私の新しい仕事は外資系企業を対象とした法人営業です。赴任以来毎日私が担当する企業に挨拶訪問をしています。外資系企業はお台場、竹芝といったウォーターフロントや麻布、代官山、赤坂といったしゃれた場所にオフィスを構えているため、そこに訪問するのはちょっとした観光気分で楽しいです。また企業毎に雰囲気が全然違うので、自分の会社と比較してみて感心したり驚いたりと、いろいろ考えさせられることがあります。何より、英語力がプレミアムを持つ特殊技能ではなく、英語力をしごく当たり前の前提条件となっている世界がかくも一般的となっていることに非常に驚きました。自分の会社を基準に物事を考えると判断を誤る、と強く思いました。ともかく、今のところ春の日の中をあちこち出かけることはとても楽しいです。

私が所属する営業部は、私が依然配属されていた個人保険の営業部門とは違ってとても人権が尊重されている感じです。ナンセンスな数字至上主義というものもなさそうです。その分私の目にはこの法人営業部はとても紳士的な雰囲気に溢れているように映ります。居心地は良いです。
 

3月27日(月)
今日から新しい部署での仕事が始まりました。約10年振りの丸の内勤務です。本社と私の新所属が、今までの事務センターとは全然違う雰囲気であるため、私はちょっと緊張しました。でも、大量の事務を混乱の中で処理してきた経験と知識は必ず新しい営業の仕事でも活きると信じて頑張っていきたいです。
 

3月24日(金)
私の会社では新年度を4月1日ではなく、一週間早い3月27日からとしています。したがってこの日が私の現職場の最終日でした。とはいっても仕事のキリがつかなかったので最後までバタバタしてしまい、異動する実感はとうとう湧かずじまいでした。これまで他人が離任の挨拶をするのを幾度も聞いてきましたが、いざ自分がそれをするというのは何だか変な感じがしました。ともかく来週からは新年度。私も再び営業現場に出動します。どんな生活が待っているのか不安ですが、精一杯頑張ってみようと思っています。
 

3月17、18日(金・土)
連日の送別会イベントの一つに、私が所属する部の旅行があり、この期間に房総の安房鴨川まで行ってきました。ホテルの温泉でゆっくりくつろぎ、翌日はゴルフでヒイヒイ言ってきました。楽しかったけど本当に毎日のイベント続きで疲れました。
 

3月13〜16日(月〜木)
この期間、私は新職務の法人営業に関する研修を受けました。会社の研修所に泊まり込みだったのですが、研修所の個室が普通のビジネスホテルよりも全然快適なので格好の骨休みができました。なんと言っても夕方で研修が終わればその後は全くフリーですし、朝は通勤が無いので8時まで寝ていられますから。永遠に研修が続いて欲しいと思ったのは私だけではありますまい。
 

3月8日(水)
私が担当している仕事の一つに、貸付額が60兆円に達する政府系某住宅金融機関の団体信用生命保険のシステム開発を生保サイドから携わるというものがあったのですが、この日はその仕事に関して私が出席する最後の会合が開かれました。システムの本格稼動を5月に控えるところまで漕ぎ着け、開発の初期段階から関わってきた私は感慨無量なものがありました。会合の後盛大な送別会があり、一緒に頑張ってきた方々との別れを惜しみました。二日酔いでちょっと辛かったのですが、でも楽しい会でした。
 

3月7日(火)
3月は送別会のシーズン。特に今年は私自身が異動なので文字通り飲み会が連日のようにある状態です。となると飲みすぎて二日酔いに苦しむこともあるわけで、今日のように終電を逃して家に帰れないことだってあるわけですよ。この日は池袋までたどり着いたところでジ・エンド。ホテルにご宿泊と相成りました。疲れました…。
 

3月4、5日(土、日)
これまでの激務に対する骨休めと転勤前の休暇ということで、週末を利用して飛騨高山に行ってきました。高山は私が名古屋にいた頃から馴染みのあるところなのですが、社会人になってからもしばしば訪れています。だから最近は殊更観光はせず、小京都の雰囲気の中で本当にゆっくりくつろぎに行くという感じです。朝市の場所や有名な格子戸の古い町並みに程近い「山貴(やまき)」というところを定宿としています。ここはとても上質なもてなしと最高の料理にも関わらず1人一泊10,000円少々という良心的な宿です。サービス料すらとらないのです。飛騨地方を訪れる際には絶対にお勧めできる宿です(電話番号0577-33-8554)。

旅と言えば食べ物。高山にはいろいろおいしいものがあります。五平餅はここが本家。他では味わえないような絶品が町のあちこちで食べられます。みたらし団子もここが本家。私は名古屋のものがおいしいと思いますが、ここのはまったく甘くなく、しょうゆせんべいのような味わいです。最近は五平餅に駆逐されてしまった感があり、あまり見かけません。あとはほうば味噌。香ばしく焼いてご飯と一緒に食べるともう何杯でもいけてしまいます。これはおいしい。高山ラーメンも忘れてはいけません。うどんのお汁のような和風仕立てのラーメンで、ちょっと珍しい味わいです。しかも小売しているものは汁が粉末ではなくストレート。これにはメーカーのこだわりを感じます。最近のとって付けたようなご当地ラーメンブームとは異なり、高山ラーメンはみやげ物屋だけでは無く地元のスーパーでもいろんな種類が手に入り、完全に生活の一部となっているのがわかります。

高山は雪国なので今回は電車を使いました。そのため道中は渋滞や運転疲れも無く、本当に心身をリフレッシュすることができ、良い旅立だったと思います。
 

3月1日(水)
月イチの戦争映画ウンチクシリーズ。今月は「キリングフィールド」。舞台は1975年4月のプノンペン。

カンボジアは当初ベトナム戦争に巻き込まれることも無く、シアヌーク国王の元で中立を保っていましたが、アメリカの工作によるクーデターによってヘンサムリン政権が樹立されると、アメリカの対共産主義封じ込め政策の一環としてクメール・ルージュとの内戦を激化させていきました。この映画は、ポルポトのクメール・ルージュが中国亡命から帰国したシアヌークと組んでヘンサムリン政権を打倒した内戦の末期とその後のポルポトによる恐怖政治の様子を、アメリカ人とカンボジア人のジャーナリストの視点から描いています。

ベトナム戦争を描いた作品はたくさんありますが、首都陥落と戦争の終わりをドキュメンタリーのように描写しているものは恐らくこの作品だけだと思います。戦争活劇としての娯楽性を一切排除して無政府状態下で起きる混乱と残虐行為の極限状況を人間の視線の動きにも似たカメラワークで描いています。規制が大きいと思われる都市での撮影にもかかわらず大勢のエキストラを動員した陥落寸前の首都の様子は非常にリアルで、実写のニュース映画と比べても遜色無いものです。また、アメリカがカンボジア防衛をあきらめ、ヘリコプターを動員して現地人を押しのけて大使館から一斉に撤収していくシーンは一つの時代の終わりを象徴するようなショッキングなシーンとなっています。

その後の強制労働キャンプでの生活とそこでの知識階級の粛清、また原野が死体で覆われる場面は、国民の1/3が死亡したという暗黒の時代の貴重な記録であると言えます。

この映画で残念なのは、白人のエキストラが人手不足であったのか、数人のエキストラがいろんなシーンで登場していることです。もう少しうまくやってほしかったと思います。また、アメリカ人ジャーナリストを演じた俳優が何らかの賞(主演男優賞?)をもらったと記憶していますが、カンボジア人ジャーナリスト役の俳優のほうがその資格があると思います(確か彼は助演男優賞?)。当時もそういう批判があったと記憶しています。そもそも祖国を戦争に巻き込んだのはアメリカであるのに、そのアメリカのジャーナリストに対して、忠犬のように尽くすカンボジア人ジャーナリストの姿は少し奇異に映ります。そうしたキャスティングから、アメリカ人がアジア人をどういうランクで見ているのかが窺い知れる、と言ったら言い過ぎでしょうか。

この映画は大ヒットしたと言うわけではありませんが、比較的知られた作品なのでご覧になった方も多いと思いますが、繰り返しの鑑賞に堪える濃い内容を持っています。
お勧めです。
 


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