ウズベキスタン一人旅
2017年7月28日〜8月5日
昨年のラオスに続き、旅先としてはマイナーと思われる国。
初上陸の中央アジアという地域。
カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなど「スタン」系の国に囲まれている。
30代の旅も残り僅か、まだ「攻め」の姿勢を持っていたい
目次
7/28・ソウル経由タシケント
7/29・タシケント
7/30・タシケント〜サマルカンド
7/31・サマルカンド
8/1・サマルカンド〜ブハラ
8/2・ブハラ
8/3・再びタシケント
8/4・タシケントから帰路
8/5・ソウル
準備
きっかけは何年か前に書店で見た世界遺産を紹介するような本だった。
青空と青色が映えるモスクの写真が表紙になっていた。
どこだろうと思って見ると「サマルカンド」とのことだった。
どこかで聞いたことのある地名…そこで思い出した「ファイナルファンタジー10」。
そのゲームの核となる都市の名前が「ザナルカンド」だった。
ネットで調べると「サマルカンド」をモデルにしているという情報もあった。
そんな経緯があり、「いつか行きたい場所」として私の中にストックされていた。
2015年にギリシャへ行き、その旅のメインテーマはメテオラだった。
メテオラ→メテオ、メテオとはファイナルファンタジーに出てくる魔法の名前。
ファイナルファンタジー繋がりで翌年の2016年はサマルカンドかなと思った。
ただ2016年はファイナルファンタジーよりもインパクトの強い村上春樹の新作紀行文としてラオスが割って入ってきた。
押し出される形でサマルカンドは2017年になった。
サマルカンドの名前が独り歩きしたが、サマルカンドがある国はウズベキスタン。
サッカーのワールドカップアジア予選やアジアカップなどでたまに日本と対戦する国、くらいの知識しかない。
地球の歩き方もウズベキスタン単独では存在せず、中央アジアとして一括りにされている。
その中央アジアという地域もよく分からない。
旅行サイトを見てもアジアに分類されていたりヨーロッパに分類されていたりバラバラ。
なお、外務省のサイトではヨーロッパに分類されていた。
人に話すときも「中国の西、ロシアの南でカザフスタンやトルクメニスタン、タジキスタンなどのスタン系の国が集まっているあたりの真ん中ら辺」という曖昧な説明しか出来ない。
30代も終盤を迎え、敢えてそんな未知の国へ行くのも一興。
航空券を取得するまではいつも通りだが、出発までに次の段階がある。
目指すウズベキスタンはビザが必要な国。
これまでにもビザが必要な国へは多々行ったが、ネット申請や現地申請で良い国が多かった。
今回のウズベキスタンは事前に日本の大使館で取るのがベストとの情報だった。
旅の始まりはビザの取得から、というわけで2008年のインド一人旅以来の自ら大使館へ出向いてのビザ取得。
最寄り駅は泉岳寺だったが、泉岳寺までのアクセスが面倒だったのと、地図を見ると品川駅から徒歩20分程だったので徒歩を選択。
やはり私の旅は徒歩、20分は充分に圏内だ。
大使館は「え?こんな普通の住宅街に?」というくらい普通にあった。
案内があるわけでもなく、スマホの地図が無いと見落とすくらい普通の場所。
仰々しい建物でもなく、国旗が出ていないと分からないくらい。
ただ警官は1名だけ暇そうに立っていたあたりが辛うじて大使館の面目を保っていたと言えそう。
ビザの申請は大使館の入口ではなく、同じ建物の脇にある領事館。
先客はおらず、窓口にいたのは日本人のオジサン。
他の申請者の物だろう、パスポートが沢山置いてある。
事前にネットで印刷しておいた申請書と証明写真、パスポートの原本とコピー、ビザ発行手数料2500円の振り込み明細書を渡す。
8日後を指定され、その日以降に受け取りに来てくださいとのこと。
「引換券とか無いんですか?」「何もいらないです、手ぶらで良いです」とのこと。
あまりにも無防備すぎる気がしたが、そう言うんだからそうなんだろう。
そしてビザの受領。
やはり誰もいない領事館、窓口にいるのは申請の時と同じオジサン。
「ビザの受領に来たんですが…」「お名前は?」と本人確認は名前の自己申告だけだった。
まぁ無事にビザ取得できたから良いか。
なお、2017年6月現在、ビザの申請は平日10:30〜12:00、受領は平日16:00〜17:00という限られた時間のみ。
旅行代理店に代理申請を依頼することもできるらしいが、自力でやるなら最低でも2日は平日の休みが必要になる。
こうした非日常な体験から早くも旅が始まっている感覚が良い。
さて、実際の旅はどうなることやら。
目指すウズベキスタンへはウズベキスタン航空の直行便もあったが、今回は値段と時間帯を考えて韓国ソウルを経由する大韓航空を利用。
ウズベキスタンへ行く飛行機は韓国系の航空会社が充実している。
大韓航空の他にアシアナ航空もウズベキスタン便が発着していた。
何故かと思って調べてみたら第二次大戦時に中央アジアへの強制移住など色々と歴史があるらしい。
そうした縁からか、ソウルには中央アジア人街もあるとか。
閑話休題、飛行機は朝の早い時間に羽田を出発し、帰国は夜の遅い時間に羽田到着という理想的な便を選ぶことが出来た。
バスは早朝5時20分発、車内でウトウトしている6時30分過ぎに空港到着。
到着早々に大韓航空のカウンターへ行くがまだ開いていない。
チェックインせずに空港を散策するのも落ち着かないので待っていると6時45分頃にカウンターが開いてすぐに手続き。
前日のネットチェックインでソウルまでは座席指定が出来たが、タシケントまでは出来なかった。
カウンターで発券してもらえたのもソウルまでで、続きはソウルの空港のカウンターで、とのことだった。
今回の航空券で唯一とも言える欠点が往路のソウルで空港移動が発生すること。
羽田空港からソウルの金浦空港へ行き、そこから仁川空港へ移動する必要がある。
これまでだと乗り継ぎがあっても日本で目的地までの航空券を発券してもらえたものだが、空港が変わる弊害なのか。
早々に手続きを済ませ、搭乗まで2時間弱の待ち。
いつものことながら空港へは早く着きすぎるが、その待ち時間もまた一興。
朝が早すぎたこともあってビールを飲む気にはならず、朝食はコンビニで買ったサンドイッチと野菜ジュース。
小銭を持っていなかったし、お釣りの小銭がいらなかったので少額だけどカード精算。
羽田空港は近くて良いが、国際線ターミナルは時間を潰せる場所が少ない。
朝も早いので店も開いていない所が多いし若干手持ち無沙汰。
飛行機は8時45分の定刻通りに搭乗開始し、これも定刻通りの9時15分に出発。
国際線でここまで定刻通りに動くのって珍しい。
日本航空と大韓航空のコードシェア便、どちらも日韓を代表する航空会社だからだろうか。
離陸は9時40分、機内アナウンスによると飛行予定時刻は1時間46分。
私の席はエコノミーシートでは前から2列目の窓側。
仁川空港への移動のために早く降りられる前方の席を確保していた。
隣は恐らく韓国人の若い女性、通路側は日本人の同年代っぽい女性という1人客だけの列になった。
前方の席なので機内サービスも早めに来る。
食事は朝食の模様、ドリンクにビールはあるのか…
機内サービスの到着が早すぎるとそれが分かりにくい。
隣が共に女性だしそもそも朝飯だし…いきなり朝からビールだと非常識に見られるかなーと小心者っぷりを発揮してコーラを注文してしまった。
すると隣の韓国人女性がビールを頼んだ。
あったのか…しくじった、しかもアンタ飲むんかい。
変な遠慮をする必要なかったな。
2時間弱のフライトだと映画を見る時間も無く、適当に機内音楽を流しておく。
ソウル着陸は11時28分、予定では11時30分にソウルの金浦空港着なので予定通り。
ウズベキスタンの首都タシケントへ向かう飛行機は仁川空港から15時45分発予定。
約4時間強、事前にネットで調べた限りだと4時間あれば移動は大丈夫なはず。
時間は余裕だが、何が起こるか分からないのが海外。
トランジットとはいえ空港間移動で韓国に入国することになるので飛行機を降りて入国審査へ。
入国カードの韓国滞在先を未記入にしていたら管理官に「泊まるホテル、書く」と日本語で言われた。
若干カタコトで言われたのでこちらも何故か若干カタコトで返す「インチョン、トランジット」と言うと納得してもらい、すぐに入国審査完了。
税関も何事もなく通り抜け、2003年以来の韓国入国。
まずは移動のために現地通貨が必要、ということで目に付いた銀行で両替。
韓国の空港ならボラれる確率はかなり低いだろう。
3,000円を両替したら2万7,750ウォン(以後1円≒0.108ウォンで計算)。
ココでも窓口の人に「サンゼンエンで良いですか?」と日本語で言われ、最初は英語で何か言われたのかと思って咄嗟に反応できなかった。
以前に来た時は1円が10ウォンの感覚だったけれどちょっと円安か、あるいは空港両替だからか。
ひとまず現地通貨は手にしたので次は仁川空港への移動。
すぐ近くにインフォメーションセンターがあったので初めてこの旅でまともに英語を使って仁川空港への行き方を尋ねる。
外へ出た所にバス停があり、7番のバス停から仁川空港へ行けることを教えてもらう。
実際にバス停へ行ってみるとひっきりなしにバスが来る。
近くに係員みたいな人がいるのでバスが来る度に行き先を確認。
街へ行くバスや別の場所へ行くバスをやり過ごし、仁川空港へ行くバスが到着。
料金は5,000ウォン(≒541円)、まぁ安い…のか。
12時丁度くらいにバスは発車し、金浦空港の国内線ターミナルを経由して仁川空港へ。
バスの車内アナウンスは日本語もあり、約40分で仁川空港に無事到着。
この旅で最初の関門と思っていた空港間の移動が無事に済んだ。
仁川空港に入り、大韓航空のチェックインカウンターへ行くと長蛇の列。
セルフチェックインカウンターへ行ってみるが、どうも機械が受け付けてくれない。
日本で事前にネットチェックインを試みた時も羽田→ソウルは出来てもソウル→タシケントは出来なかった。
そこで思い出したのは羽田でチェックインした際の係員の言葉。
「ウズベキスタンのビザはダブルチェックが必要なので少々お待ちください」と別の係員を呼びに行っていた。
もしかしたらウズベキスタンの航空券は人の目を介さないと発券できないのかもしれない。
仕方なく長蛇の列に並びチェックイン。
座席の指定をした覚えはなかったがどうやら座席は既に指定されていたらしく「お客様の席はご自身で指定されたのでは?」とここでも日本語で言われた。
ネットでのチェックインは巧くいかなかったはずだが、まぁ窓側の席だったので文句は言うまい。
それにしても韓国に来たのに空港にいる殆どの職員がしっかり日本語を話す。
案内板やアナウンスも日本語があるし、半分とまでは行かないが1/3くらいは日本と言っても良さそう…と言うと変な誤解を招く可能性があるのでやめておく。
チェックインと発券をすませたところで出発まで2時間30分ほど。
何か食事でも、と思って空港のレストラン街みたいな所へ行くとどこも大混雑。
1人では入り辛そうな所ばかりだったのでコンビニ的な物を探す。
すると売店があり、缶ビール2,000ウォン(≒216円)とスナック菓子1,500ウォン(≒162円)。
まぁこれで良いかとこの旅初めてのビールは以前に韓国を訪れた際にも飲んだ銘柄のCASS。
適度に腹も埋まったところで韓国を出国。
この日の韓国入国は僅か2時間程だった。
出国後の仁川空港は成田や羽田よりも立派。
日本の空港が悪いとは言わないが、今回の仁川空港や最近行ったシンガポールと比べるとスケールダウン感は否めないかな。
タシケント行きの搭乗開始は15時15分のはずだが案の定遅れる。
搭乗開始は15時35分過ぎ、出発予定時刻は15時45分だが全く守られない。
これこそが国際線の時間感覚だよな、という感じ。
機内はほぼ満席で日本人と認識できたのはパスポートを持っていた1人だけだが、そもそも大韓航空なので極東アジア系の顔が多くて判断が出来ない。
私の隣はモンゴル系(と勝手に判断)の中央アジア顔。
機内食を「スペシャルミール」で「ムスリムメニュー」を頼んでいたのでそっち系の人だろう。
飛行機が動き出したのは16時10分、離陸は16時25分。
機内アナウンスによると飛行予定時刻は6時間45分とのこと。
韓国語、英語のアナウンスに続いてロシア語になったのが羽田−ソウル便との違い(羽田−ソウル便は韓国語、英語、日本語)。
ロシア語なんて分からないが、最後のスパシーバ(ありがとう)だけは聞き取ることが出来た。
旧ソ連の一部だったウズベキスタンではロシア語も日常的に使われているという。
予想外だったのが羽田−ソウル便よりもソウル−タシケント便の機内設備が充実していたこと。
前者にはなかったUSB充電タブが後者には付いていた。
日韓便の方が充実していそうな気がするのは日本人の驕った見方だろうか。
機内食は夕食にあたるので遠慮なくビールを注文できる。
ただ大韓航空のCAが私を見て韓国語で話しかけてきてさっぱり分からん。
あの機内にいたら韓国人に間違えられるか。
「Sorry, English please.」と伝える。
それにしても同じアジアの隣国の言葉よりも英語の方が通じるというのも不思議。
移動の機内は時間があるので映画でも…と思い選んだのがデスノート最新作。
数年前に漫画原作の前後編の映画をTVで見て面白かった。
そのオリジナル続編ということで見てみたが期待外れも甚だしかった。
見ていない人のためにネタバレは避けるが、ことごとく「イヤイヤ、ねーよ」と突っ込み満載のシーンだらけ。
前作にあった頭脳戦のような要素は殆ど感じられなかった。
最終盤は少し「ほぉ…」と思う場面もあったが、途中から早く終わらないかなとばかり思っていた。
コレ、ヒットしたのかな…
残りの時間は例によって音楽を垂れ流しで殆ど寝ていた。
思えば海外旅行初日の移動って殆どが待ち時間だな。
日本時間およびソウル時間23時15分、現地時間19時15分にウズベキスタンの首都タシケントに到着。
約6時間50分、ほぼ定刻通りということか。
日韓との時差はマイナス4時間、今後は現地時間で表記。
旧ソ連にあたるウズベキスタン、首都の空港にしては寂れている。
空港内に軍人っぽいのがチラホラ。
空港をはじめとした公共交通機関などは撮影禁止と事前に知っていたので自粛。
特に問題なく入国審査と税関を済ませて入国。
初めて訪れる国で最初にするべきことはその国の通貨を手に入れること。
しかし空港にある両替所には誰もいない。
既に現地時間で19時過ぎ、早くも店じまいだろうか。
ウズベキスタンでは公式レートの両替と闇レートの両替とが存在し、闇の方が遙かにレートが良いという事前情報。
闇レートだと公式の1.5〜2倍くらいの金額で両替できるらしい。
さすがに地球の歩き方には「闇レートで両替は違法なのでダメ」と書いてあるが、ネットを見ると「誰もが闇レートで両替しているし、警官も見て見ぬふりをする」との情報も。
両替はとりあえず後にしてまずはホテルへ向かってしまうことにする。
ホテルに両替所があることは確認済みだったので、ホテルの公式レートで最低限の両替をしてから闇両替について考えようと思った。
ホテルへ向かう交通手段はタクシー。
空港で客待ちしているタクシーであれば現地通貨ではなくてドルの支払いで大丈夫との情報だった。
空港の建物内は殆ど人がおらず(恐らく用がない人は入れないようになっている)、空港の外へ出た途端に群がってきた客引きのタクシー運転手。
この辺りは発展途上アジア感がある。
2,3人が私を取り囲み、「どこのホテルだ、どこへ行く」的なことを英語で言ってくる。
「ウズベキスタンホテル」と言うと「OK、5ドルだ」と言ってくる。
なお、旅の直前に日本で両替した際に1ドルが114円弱だったので以降は1ドル≒114円で計算。
5ドル(≒570円)なら思っていたより遥かに安いけれど、最初の言い値が5ドルならもっと下がるだろう。
試しに「3ドル(≒342円)」と言うとOKと、おいおいアッサリ下げすぎだろ。
すると他にも運転手っぽいのが群がってきて5,6人が「俺んとこ来い」「俺んとこ来い」としきりに私を連れて行こうとする。
あ、なんかヤバい…と思いつつもこの状況ならもっと落とせるかもと「2ドル(≒228円)」と言っても皆がOKOKと言う。
久々なこの感じ、いっそ1ドル(≒114円)でも行けるのでは?と言ってみても全員がOKOKと。
ここまで来ると逆に不安になってくる、全員が1ドル(≒114円)で良いなんてことがあるのか?
客引き同士でもアイツは正規のドライバーじゃない、俺はこの許可証を持っていると何か見せてきたり、アイツはデンジャーだとかお互いがお互いを貶し合っている。
ココまで選択肢が多いと逆に誰もが怪しく見えてしまう。
そんな中で最終的な決め手にしたのはドライバーの容姿。
もしも言い値で行ってくれない場合やトラブった場合に大丈夫そうな相手にしておく。
若くてガタいの良い兄ちゃんはパスし、ひ弱そうなオッチャンにする。
車もまともそうだったので最後に「Only 1doller OK?」と確認して乗り込む。
念のために今回の旅から初めて登場したiPhoneで地図を起動して現在地とホテルのある方角を表示しておき、常に確認できるようにしておく。
予想外だったのは運転手のオッチャンの他にもう1人オッチャンが助手席に乗ったこと。
あれ、どういう状況?何故2人??
まぁ幸いにしてコワモテではなかったのでまだ私にも余裕がある。
あとは時間が20時に近かったものの、外がまだ明るかったのも救い。
これが完全に陽が落ちて真っ暗だったらもっと不安だっただろう。
車は走り出し、どうやらホテルへ向かってくれている模様。
そして走り出して助手席のオッチャンが何者なのかが分かった。
英語で話しかけてきて「Exchange?」と闇両替を勧めてきた。
どうやら助手席の彼はタクシー運転手と結託した闇両替商だったらしい。
公式レートは1ドル4,000スム(ウズベキスタンの通貨はスム)のところ、1ドル5,000スムで両替する、と言ってきた。
いずれにせよ旅をする上では両替はしないといけないと思っていたし、それが闇両替だったので渡りに船。
この日の公式レートが1ドル約4,000スムだったことは直前にネットで確認済みだった。
だからそこは間違いではない、そのまま両替しても公式よりは良いレートだろう。
だが、最初の言い値で両替する気にはならない。
態度を決めかねた感じで渋っていると100ドル両替するなら1ドル6,000スムにすると言う。
予想通り上げてきた。
到着初日で闇レートの相場も分からないので両替しても20ドルくらいが妥当かなと思う。
「20ドルで1ドル6,000スムならOKだ」と言ってみる。
するとこれから1週間旅をするのに20ドルなんて少なすぎるだの、街中での両替はポリスが見ているから危険だの、色々と言ってくる。
そして100ドル両替するなら1ドル6,500にすると言ってきた。
少し心が揺れたものの、初の闇両替で一気に100ドルはリスキー。
アレコレと交渉の末、50ドルを1ドル6,000スムで両替することで決着した。
どちらにせよ両替はする必要があったし、確かにタクシーの中での両替なら安全でもある。
事前にネットで調べて知ってはいたが、ウズベキスタンの通貨スムは5,000スム札がメインとして使われる。
1ドル6,000スムを50ドル分なので30万スム、5,000スム札が60枚。
お札をカウントして間違いが無いことを確認し、30万スムの札束をゲットした。
そうこうしているうちに車はちゃんとホテルに近付く。
運転手は「彼はビジネスでそこまでしてくれた、タクシーもビジネスなので3ドルだ」と言う。
さすがにそれは話が違う「イヤイヤ、最初に1ドルと言っただろ」的なことを言うと「You are not SAMURAI」と謎の切り返しをしてくる。
なんかカチンと来たが、非公式レート的に成功かどうかはともかく、少なくとも公式レートの1.5倍で闇両替が出来たうえにタクシー代が1ドル114円ってのはなんか申し訳ないなとも思った。
なので精算時に2ドル渡してあげると物凄く喜んで「オーマイフレンド!サンキュー!!」と握手まで求めてくる。
Thank youは日本語でなんて言うんだ?と聞かれたので「ありがとう」と教えてあげると「アリガトアリガト」としきりに言われてタクシーを降りた。
たかが1ドルの追加でその喜びよう、こちらもなんだか嬉しくなった。
無事にホテルにも着いたし、この旅も良いものになりそうな予感。
念のためにホテルの両替所でレートを確認すると公式レートの1ドル4,000スム強だった。
その1.5倍の6,000スムで両替出来たので初日にしては上出来だろう。
ホテルにチェックインした頃には周囲もしっかり暗くなっていた。
暗くなったので散策はやめて、ホテルの最上階にあるレストランへ。
ホテルなので会計はクレジットカードでも出来るが、カード会計にすると現地通貨が公式レートで換算されるから非公式両替の現金払いの方がお得だというネット情報。
一般的に海外旅行ではカード会計の方が両替手数料やレートの関係で有利と言われているが、ことウズベキスタンに関しては闇両替した現金が最も得とのことだ。
これまでにない現金主義の旅になりそうだ。
メニューを見てもよく分からなかったのでメインコースに記載されていたレストラン名が冠された料理と、メニューには無かったがビールを注文。
メイン料理は3種類の肉っぽい料理とライスが乗って2万スム(≒380円)、ビールは後で伝票を見たら1万2,000スム(≒228円)を2本。
最初の晩餐
サービス料も含まれて合計5万2,800スム(≒1,003円)。
旅前に両替した際に1ドルが約114円、タクシーでの闇両替で1ドルが6,000スム。
以後の計算は114円が6,000スム、1円あたり0.019スムで記載する。
ちゃんとしたレストランのちゃんとした食事なので恐らく高いんだろうが、ビール2杯とメイン料理と考えると妥当か。
古い大きなホテルだったがWi-Fiが繋がるのはロビーだけだった。
つまり部屋ではネットに繋げない。
最初はデメリットに思えたけれど、部屋では余計なことをせずに寝るだけと考えたら利点でもあるかも。
本格的な行動は翌日、移動と時差で物理的にも心理的にも長い1日の終了。
ウズベキスタンの実質初日。
ウトウトと2度寝を繰り返してアラームも無しに7時前に起床。
7時30分過ぎに朝食、お馴染みのビュッフェ。
会場はホテルのレストランではなく、宴会場みたいな所。
結婚式の披露宴会場のようなテーブルが無駄に大きくて1人だと持て余す。
時間的な問題なのかお客も少なくて10人いないレベル。
そこそこしっかり種類もあったのでしっかり食べる。
朝飯はお金の心配もいらないし、最も遠慮せずに食べられる食事になる。
部屋に戻り、この日の行動開始に備えて必要なものをショルダーバッグに詰める。
パスポートや現金類は全て持参するが、ホテルバウチャーや充電用コンセントなどのチョットしたレベルの貴重品は部屋の金庫へ。
金庫を開けてびっくり、中に5,000スム札2枚…約190円が入っていた。
前にこの部屋を使った人が忘れていったんだろう。
財布と一緒だったり、場所が日本ならともかく、海外のホテルで金庫の中にお金が裸で入っていて、その金額が200円弱ならまぁ貰っちゃっても良いでしょう。
ただ貰うのも後ろめたいのでその5,000スム札はそのままホテルの枕銭として置いておく。
9時前に行動開始。
この日の最初の予定はタシケント駅に行って翌日のサマルカンド行きの列車を予約すること。
地図を見る限り歩いて行けそうな距離だったので徒歩。
朝から陽射しが強くて暑い中を歩く。
首都の主要通りということもあり、しっかり車道も歩道も整備されている。
歩き始めて30分ほどで到着したタシケント駅。
タシケント駅
鉄道の駅と切符売り場は隣接する別の建物のようで、切符売り場の方へ。
中に入るのにも警察に簡単な荷物チェックをされた。
建物に入ると中央にインフォメーションがあり、壁際には係員がいる窓口が並んでいる。
まずはインフォメーションでサマルカンド行きの翌朝の列車を聞いてみるとエクスプレスはフルだと言われた。
前日に買えば余裕だろうと思っていたがまさかの満席。
ただ、タシケント→サマルカンド間は他にも列車が走っているらしく、9時発で12時過ぎにサマルカンドに到着する列車ならある、みたいなことを言われた。
良かった、それで良いと伝えると3か6か7の窓口で買うように言われた。
なんだか2度手間だ、また1から切符の説明をしないといけないのか。
窓口に並び改めて英語で「明日9時のサマルカンド行き」と伝えると労せず発券してくれた。
料金はエコノミーで4万9,000スム(≒931円)。
3時間強の移動でこの値段なら安い方か。
午前中早々にこの日の目的を果たすことが出来た。
次は身体馴らしで地下鉄に乗って旧市街へ行くことに。
タシケント駅から地下鉄に乗ることが出来る。
地下鉄はまず地下へ降りる階段に警官がいて簡単な荷物チェックをされる。
そこから地下へ行き、料金は一律1,200スム(≒23円)とこちらは明らかに安い。
切符代わりのプラスチックコインを貰って改札を通る前にもう1度警官による荷物チェックがある。
それほど熱心にチェックするわけではないが、バッグを開けさせられて中を覗かれる。
チェックを終えると改札があり、切符替わりのプラスチックコインを入れると古びた自動改札が開く。
切符はその改札で使うだけなので失くす心配がなく、初乗り料金でどこまで行っても良い。
ウズベキスタンでは地下鉄の構内や駅、空港などの公共交通機関は撮影禁止ということで写真は我慢。
地下鉄の雰囲気は殺風景ながら天井が高く広々として、ロシアのそれに似ていた。
地下鉄で目指すのは旧市街のチョルスーバザールというタシケントで最も有名な市場。
最寄り駅はチョルスー駅でタシケント駅からは乗り換えなしで行ける。
ただ地下鉄のアナウンスや表記が分かりにくく、駅名と止まった駅の数を地球の歩き方と照らし合わせてチョルスー駅で下車。
駅を降りると既にいわゆる旧市街の雑然さや熱気が伝わる。
人と露店がゴチャゴチャになっている雰囲気。
チョルスーバザールで扱っているメインは食材らしい。
スパイス、野菜、果物、ナッツやらが広い場所に所狭しと並ぶ。
スパイスゾーンでは鼻を刺激するスパイスが多く、どれもむき出しで山盛りになって売られているので微粒子が宙を舞っているようでくしゃみをこらえるのに必死だった。
バザールの中心部にはドームのような建物がある。
ドームの中は主に肉や漬け物を扱う店が多く、肉はこれでもかと生肉が沢山。
様々な店で肉のあらゆる部位があった気がする。
あれだけ色々な食材がある市場の中で魚介類が全くなかった(と思う)のはやはり海の無い内陸国だからか。
昨年も海の無いラオスへの旅だったが、ラオスには長大なメコン川があったので魚介類も充実していた。
ここまで肉だらけの市場も珍しいかも。
肉々しい
地球の歩き方にはチョルスーバザールは撮影禁止と書いてあったが、外のバザールでカメラを出しても何も言われず。
ドームの中はチョット不安だったので人の少ない2階に上がってそこから数枚撮ってみたが何も言われず。
まぁ堂々とは撮らなかったけれど、公共交通機関に比べれば規制は緩いだろう。
バザール内の熱気や人の群れはまさにアジアの市場を感じさせる迫力だった。
バザールを出てからはクカルダシュ・メドレセという旧市街の中心にある神学校へ。
神学校をメドレセと言うらしく、イスラム圏の宗教的な教育機関のようなものだとか。
ネットで調べるとメドレセよりもマドラサという言葉の方がヒットするが、地球の歩き方ではメドレセという表記だった。
今では教育機関としての役目ではなく観光地化され、入場料を払えば中へ入ることが出来るものの、特に何が見たいわけでもないので外観で充分。
さらに歩いてタシケントで最もそれっぽい観光施設が集まっているであろう一帯へ。
バラク・ハン・メドレセ、ハズラティ・イマーム・モスク、カファリ・シャーン廟と地球の歩き方に3つ連続で紹介されている所。
広場を中心にそれらが建っており、中央アジアやサマルカンドをイメージするような青を基調とした綺麗な丸屋根の建物群。
この写真を撮って「サマルカンドです」と言っても通用しそうなレベル。
観光客もそんなにおらず、長閑な感じがして良かった。
↓巧く表示されなかったらココをクリック。
天気が快晴で炎天下を歩いたので実に暑い。
広場前に食堂が2軒ほどあって客引きしていたのでビールがあるか聞いてみる。
「ビール、ビア」と何度言っても通じず、地球の歩き方の写真を見せるとようやく理解してもらえたが、どちらの店にもビールは無いとのこと。
首都の観光地前にある食堂なのに…。
それならば良いやとチョルスーバザール付近まで再び歩き、地球の歩き方に載っている店へ行くことにする。
歩いている途中でスーパーがあったので水500mlを購入。
ちなみにそれまではホテルのサービスで部屋にあったミネラルウォーターを持参して飲んでいた。
950スム(≒18円)の水と1,000スム(≒19円)の水があり、どうしても安い方を選んでしまう貧乏性。
だが5,000スム札を出して返ってきたお釣りは4,000スム。
50スム(≒1円)のお釣りなどは切り捨てなんだろう。
ならば次からは1,000スムの水を買おうと思ったやっぱり貧乏性。
それにしても水は安いな。
店を探している途中でビールがあっても良さそうな雰囲気の店があったので聞いてみるがやはり無い。
更に地球の歩き方に載っている店を見つけたが、時間が悪かったのか開いていないと言われた。
ビールは無いわ、店は開いていないわ、なんだかこの日は「飯運」が無い。
不幸中の幸いは朝飯をビュッフェでしっかり食べていたので飢えはあまり感じなかったこと。
ただこう暑いのでビールは飲みたい。
旧市街はビールがありそうな店が見当たらなさそうだったので新市街へ行く。
地球の歩き方を見て地下鉄駅から近そうな店をピックアップ。
再び地下鉄に乗り、いくつか乗り換えをして目的の駅へ。
地下鉄は3路線が走っていて、それぞれ乗り換えの駅があるのだが、路線毎に乗換駅の名前が違っていて戸惑った。
例えば日本ならJRでも小田急でも京王でも新宿駅は新宿駅だが、タシケントは同じ駅でも路線によって名前が違う。
方やミング・オリク、方やアイベックとかわけわからん。
ただもしかしたらJRでも小田急でも京王でも同じ「新宿」を使っている日本の方が特殊なのかもしれない。
そんな地下鉄を乗りこなして地球の歩き方に載っている店を目指す。
ただこの店が見つからずなんか連戦連敗。
そういえば水を買ったスーパーにもビールは無かったし、試しに入ってみた別のスーパーにも無かった。
昨夜はレストランでビールが飲めたから油断していたが、ココはイスラムの国だった。
イスラムの洗礼を浴びた気分。
タシケントは首都ではあるが、観光都市というわけでもないから分かり易くビールを扱っている所が目立たないのかもしれない。
暑い中を歩き回ってだいぶ疲れたので一旦ホテルへ戻ることにする。
ホテルにあるレストランではビールが飲めることは分かっているが、それは最後の手段。
あと分かっているのは新市街に欧風バーとして地球の歩き方に載っている店があること。
そこへ行くのが無難だろうと思う。
時間的にも中途半端だったのでこの日は早めの夕食でやむなしかなと思った。
ホテルへ戻り、ついでにロビーでネットに繋いで4トラベルでタシケントのレストランの口コミを見てみるが数が少なすぎて参考にならなかった。
一旦部屋に戻ってみると私がホテルを出たときのままだった。
部屋をDo not disturbにした覚えはなかったがそんな状態。
まぁ別に良いか、枕銭を得したと考えよう。
暑かったのでシャワーを浴びて素っ裸になって部屋で旅記を書いていたら部屋のチャイムが鳴った。
慌てて服を着てドアと鍵は閉めたままYes?と聞くと部屋の掃除をする担当みたいなオバちゃんが「ソーリー、クリーンルーム」と。
時間は16時近く、この時間から!?
「ノープロブレム、ノットニード」と言うと、「じゃぁタオルだけ」みたいなことを言ってタオルだけ交換していった。
特に不快では無かったが、旧社会主義国の杜撰さみたいなものが感じられた。
疲労も回復してきたので改めて外出。
今度こそビールを飲みに行こう。
これまで行っていなかった新市街の中心から南の方へ。
そちらに地球の歩き方に載っていたバーがある。
地図を見るとそう遠くない気がしたが、実際に歩くとかなりの距離があった。
これまでの地図と縮尺が違い、近いように見えて遠かったのが原因。
ちゃんとスマホの地図で計測してから歩き出すべきだった。
長距離を歩く準備をしておらず水もホテルに置いてきてしまったので途中のスーパーで水を追加購入。
950スム(≒18円)と980スム(≒19円)の水があったので先程の教訓から高い方を購入。
ペットボトルを開けた瞬間、プシュッという音。
まさか…と思って飲むと炭酸水、海外あるある。
あまり気にしていなかったが海外だとミネラルウォーターだと思っても炭酸水(ガス入り)がある。
今回初めて炭酸水に当たった。
しかしパッケージを見ても現地語だから炭酸水なのかどうかの判別が出来ない。
ウィスキーで割ることは多々あるが生の炭酸水を飲むなんていつ以来かも思い出せない。
ただ暑くて喉が渇いていたので充分に美味い。
さらに歩き歩き、結局1時間以上歩いた気がする。
ようやく到着したのが英国風バーと紹介されていた店。
18時30分近くという早い時間だからか客はゼロ。
店員に「ローカルドラフトビアー」を注文、ようやく生ビールにありつけた。
メニューを見ると料理はどれも軒並み高くて3万スム(≒570円)以上がざら。
生ビールも1万8,500スム(≒352円)とこちらの値段にしては高い。
昨夜のホテルのレストランが良心的値段だったことが分かると同時にココは明らかに観光客向けの店だということも分かった。
そんな中、ツマミに良さそうなチーズピースなるものが7,500スム(≒143円)と安かったので注文。
結局チーズだけをツマミに500ml×2杯を飲んで店を出る。
サービス料込みで5万3,400スム(≒1,015円)。
ちゃんと晩飯を食べたわけでは無いが、中途半端にチーズを食べたので改めて晩飯を食べるのも微妙な感じになり、それよりは疲れてさっさと休みたくなった。
結局この日の食事は朝食しかまともに食べられていない。
行きよりも帰りの方が短く感じるのはいつものこと。
帰りは1駅だけながら地下鉄を使った、それくらい疲れていた。
ホテルに戻ってバーで飲もうかと思ったが客も店員もいなかったのでやめておく。
なんとも締まらない1日。
翌日はサマルカンド、観光都市だけにもっと違う結果を期待したい。
朝、アラーム無しで6時30分頃には起床。
列車の出発が9時なので朝飯は早めに、7時の開始とほぼ同時に行く。
前日とほぼ変わらないメニューをいただく。
前日もそうだったがお腹が若干の下り気味。
危なそうな食事をした覚えはないのだが…
8時にホテルをチェックアウト。
チェックアウト時にシティータックスと称して4ドル(≒456円)を請求された。
最初はシティータクシーに聞こえ、空港や駅へ行くタクシーを4ドルで手配するぞと言っているのかと思った。
なのでこちらは「Not need」と返してしまい、向こうも「No you need city tax」と何度か言われて理解した。
ホテルを出た目の前にある地下鉄駅からタシケント駅へ。
駅は2つしか離れていないのだが、乗り換えがあったりタイミングが悪かったりで結局30分ほどかかり、時間的には歩くのと変わらない。
ただ疲労や暑さを考えたら地下鉄の方が楽で良い。
何かトラブルが発生した時にどうしようもない点では歩いた方が無難ではあるが。
地球の歩き方には列車に乗るのもセキュリティチェックやパスポート提示が必要で時間かかるから30分前には駅に着いておいた方が良いという記載があった。
駅に着いたのは出発の20分前、チョット焦るがまぁ大丈夫だろう。
駅の建物に入る際にチケットとパスポートと簡単な荷物チェック。
さらに駅構内へ入る際に荷物のX線チェック。
確かにチェックはされたが空港などに比べるとそれほどでもない。
混雑も無かったのですぐに入ることが出来た。
駅の入口すぐのところにある窓口で切符のチェックをし、プラットフォーム6と教えてくれる。
行ってみると既に列車は停まっている。
いつもなら駅や列車の写真を撮るところだが、ウズベキスタンでは駅構内や鉄道の写真を撮るのは禁止されているらしいので自粛(駅舎の写真は大丈夫だった)。
隠し撮りは出来そうだったが今はまだ無用のトラブルは避けよう。
近くの人に切符を見せて車両を教えてもらう。
言われた列車に乗り込み指定された席へ。
既に先客が座っていて焦るが、話しかけるとどうやら向こうが間違っていたらしい。
殆どが観光客に見える車内は7割程度の入り。
私の席は通路側だったので景色が楽しみにくい。
そして出発前の列車内は空調が効いておらず異常に蒸し暑い。
列車は9時出発予定のはずが8時55分に動き出した。
切符を買った際に5分前に駅に着いているようにと言われてはいたが、まさか定刻を待たずに発車するとは。
出発してもしばらく蒸し暑かったが、少し走ると空調が動き出したのか外気が入るからか、ようやくましになった。
乗る前に散々チェックされたからか、検札のようなものは来なかった。
代わりと言っては何だが、物売りはアレコレいっぱい来る。
途中で数ヶ所の駅に停まっているようだったが、私の車両は観光客しかいないからか乗客に動きは無し。
事前の予定では12時15分にサマルカンドに到着する予定だが、ウズベキスタンの列車がどこまで定刻通りに動くのかが不透明。
そろそろ到着かもしれないと12時をすぎたあたりでiPhoneの地図モードをオンにしてGPSで現在位置測定。
サマルカンドに近付いていることが確認できた。
結局12時20分にサマルカンド到着、車内アナウンスなどは無かった模様。
降りた時にはこれからこの列車に乗る明らかな観光客もいたのでサマルカンドが終点ではないのだろう。
想像していたよりも立派なサマルカンド駅。
サマルカンド駅
駅舎を出るとタクシードライバーがここぞとばかりに声をかけてくる。
またこのタイミングで闇両替が出来たら理想か。
ただ、折角駅にいるので街へ出る前に次の目的地ブハラへのチケットを買っておきたい。
駅員にチケットオフィスの場所を聞くと駅舎の中だという。
入ってみるとそこそこの人だかり。
考えることは皆同じで今の列車を降りた観光客がそのままいるようだ。
観光客は概ねブハラ行きを買っている模様。
ついでにここでブハラからタシケントの夜行列車も買えるのなら買っておきたかった。
iPhoneのメモに1.8.2017、SAMARQAND→BUXORO(ブハラ)と2.8.2017、BUXORO→TOSHKENTと書いて順番を待つ。
ただ、英語がお互いに完璧ではない係員と観光客。
さらに列車のチケット購入時には1人ずつパスポート情報も入力する必要があるので時間がかかる。
時々、現地人なのか横から係員に何やら声かけて中断したりと色々イライラさせられる。
現地で交通手段を確保する上での弊害はこういうところだな。
いよいよ私の番、iPhoneのメモを見せてまずはブハラ行きを購入しようとする。
すると2日後のブハラ行きはエコノミーの席がもう無いとのこと。
次のクラスの値段を聞くとなんと14万スム(≒2,660円)。
高っ!?タシケントからサマルカンドまでの3倍近くするではないか。
ただ時間を聞くと昼過ぎにサマルカンドを出て15時頃にブハラに着く理想的な時間。
他にもブハラ行きの列車はあるのだろうが、英語での交渉が面倒なのでそれで良いやと購入。
高いとはいえ駅舎で買う切符でボッタクリは考えにくいし、確実に旅程を遂行する方を選択。
おかげで残金が殆どなくなり、タシケントまでの夜行列車の切符を買うどころではなくなった。
ブハラ→タシケントはまたブハラで購入もやむなしか。
ただ、タシケント→サマルカンドも第1希望の列車は満席だったし、サマルカンド→ブハラもエコノミー席は満席。
この流れだとブハラ→タシケントの夜行列車での移動も怪しいかもしれない。
いざとなったらブハラにもう1泊して飛行機でタシケントへ向かうことも考えないといけないかも。
こうした臨機応変こそ旅の醍醐味の1つではあるが疲れるな。
まぁ少なくとも次の街までの足は確保できた。
あとはこの日、サマルカンドの街へ向かえば良いだけになった。
ところが列車が到着してから40分以上経ったからか、到着時には沢山いたタクシーの客引きが誰もいない。
サマルカンド駅から街の中心部までは6km程で歩くには少々厳しい。
さて困った、どうしよう。
なにより先程購入した切符で予想以上の出費をしたため、現地通貨が殆どなくなってしまった。
タクシーを捕まえてドルで行ってもらう交渉をするか。
決めかねているとバスが停まっており、そのバスが地球の歩き方によると旧市街へ行くバスに見える。
乗っている人に地図を見せて「シティーセンター?」と聞くとYesとのことなので乗り込む。
こうした絶妙なタイミングで街へ行くバスが見つかるあたり、「旅運」みたいなものを感じる瞬間。
バスの料金は900スム(≒17円)、さすがにそれくらいの持ち合わせはある。
見ているとどうやら降りるときに運転手に支払うシステムらしい。
iPhone地図で現在地を常に確認しつつ、旧市街に近付いていることを確認。
バスに乗って地図を見ながら、よしそこはまっすぐ行ってくれとか、ここで左折とか右折と思っていた方にばかり行ってくれる。
本当にこういうときはGPS地図の偉大さを知る。
もうこれ無しで旅は出来ないんじゃないかとすら思う。
逆に昔はよく地球の歩き方の地図だけで目的地に辿り着けていたなと我ながら感心する。
そしてここまで来たらホテルまで歩くのも余裕だろうという所で降りる。
ホテルまで10分弱の場所だった。
時刻は14時前、まずはホテルにチェックイン。
部屋の清潔さや広さ、バスタブ付きなどを考えるとタシケントのホテルより上。
荷解きをしてこれからの行動を考える。
まずは両替をしないと何も出来ない。
ホテルのフロントに行き、この辺りで両替が出来る場所があるかを聞く。
タシケントのホテルには両替所がついていたが、今回のホテルには無し。
フロントの男性は「バザールで両替が出来るからタクシーを呼んでやる」と言う。
ただ恐らく今の私はタクシーに乗るためのお金すら怪しい。
「ノーマネー、ノータクシー」と言うとフロントの人が何やら調べて1ドル7,000スムで両替してやる、と。
まさかのホテルのフロントでの闇両替、しかもタシケントよりも1,000スム高いレート。
ネットの情報によると地方都市の方が良いレートで両替できるということだったがその通りなのかもしれない。
ただ、バザールの方が恐らくレートが良いはずなので、少しの行動で困らないであろう10ドルだけ両替してもらう。
10ドルで7万スム、ホテルマンの持っている現金から直接の両替。
恐らくタシケントにあったお堅いしっかりしたホテルでは出来ない、小規模のホテルだからこそ出来る対応だろう。
お金を手に入れて外出。
まずはホテルのすぐ近くにあるアミール・ティムール(通称グリ・アミール)廟へ。
スケールが大きい
ウズベキスタンの英雄ティムール一族の墓がある所。
タシケントでもモスクやメドレセなどを見たが、それらよりもかなり大きい。
スケールの大きさがサマルカンドたる由縁か。
この日は外観だけにとどめておき、次はサマルカンドの中心部に当たるレギスタン広場へ。
歩いているとEXCHANGE?と声をかけてくる男がいたので1ドルいくらかを聞くと8,000スムと言う。
公的レートの約2倍、結構なレートだ。
とりあえずそれは参考値とさせてもらうことにしてレギスタン広場へ歩く。
歩いて10分ほど、前日のタシケントに比べれば十分に徒歩圏内。
レギスタン広場はサマルカンド旧市街の中心部にあたり、サマルカンドを代表する場所。
メドレセの建物が印象的で、その大きさにも目を見張る。
サマルカンド観光は翌日をメインに考えていたのでココも外観だけ。
そこからビビハニム・モスクという中央アジア最大級のモスクの外観を経てシヨブ・バザールへ。
両替するならココと言われた場所。
このバザールは月曜が休みらしいので両替のチャンスはこの日だけかもしれない。
こちらはタシケントのチョルスーバザールに比べるとスケールは小さいが感じる匂いや雰囲気は同じ。
しかし両替と声をかけてくるような輩がいない。
バザールの入口付近にある商店街みたいな所へ行くとようやく出てきた。
最初に声をかけてきた男の言い値は1ドル7,800。
レギスタン広場へ行く途中で声をかけてきた男の言い値は8,000だった。
チョットふっかけてみようかと1ドル1万と言ってみたがさすがにダメ。
それならイイやと他にも声をかけてきた男に話をしても1ドル8,000とのこと。
何人かに話を聞いたが最高でも1ドル8,200スムだった。
もう少しウロウロしてみるかと思うも、他に声をかけてくる人がいない。
歩き疲れたので一旦休憩して今後のことを考える。
翌日はバザールが休みだと考えると、両替屋もいないかもしれない。
この日のうちに両替をしておかないと晩飯の金さえ心許ない。
公式レートの倍の8,000スムで良しとするのが無難だろう。
商店街へ行くと声をかけてきた男がまだいたので50ドルを8,000スムのレートで両替。
本当は8,200スムを提示した男に会いたかったが、探すのも交渉するのも面倒になっていた。
初日が6,000スムだったことと比べればこれでも充分な成果でしょう。
以後の計算は1ドル≒114円が8,000スム、1円あたり0.014スムで記載する。
同じ価値
前日からの移動の疲れが出てきたようなので、一旦ホテルへ戻って休むことに。
途中にスーパーがあったので寄ってみるとビール発見。
いずれのビールも瓶で500mlだった。
どうやら缶ビールはない文化のようだ。
地球の歩き方に書いてあった、サルバストというタシケントのビールと初日のウズベキスタンホテルで飲んだパルサーというサマルカンドのビールを購入。
サルバストは3,500スム(≒50円)、パルサーはGOLDという銘柄を買ったからか9,000スム(≒128円)と高額(…といっても大したことないか)。
ちなみに初日に飲んだビールはパルサーで銘柄はSILVERだった。
あとは水1.5リットルを2,000スム(≒29円)で購入。
サマルカンドには2日滞在予定なのでこの水を補充しながらやりくりしていく。
1.5リットルの水と1リットル分の瓶ビールは重く、スーパーの袋が破れそうだったので持参していた袋を使って二重にする。
相変わらず暑い中を歩いてホテルへ戻ると体調不良かと思うような超絶疲労。
これはちゃんと休んだ方が良いと思い、横になってしばしウトウト。
これから旅のメインだというのに体調崩してなんかいられない。
多分疲労だろうと思う、前日に殆ど何も食べずに歩き回ったのがダメだった気がする。
18時30分頃に起きるとまぁまぁ回復してお腹も空いてきた。
お金も充分にあるのでようやくまともに食べられそうだ。
地球の歩き方を見てホテルから徒歩15分ほどの所にある店へ行ってみる。
店内に入ると同時にアルコールが見えてヨシヨシ、ビールを飲みたいと思うくらいには回復したということだ。
ビールはパルサーのSILVERが1万スム(≒143円)。
料理は店員がオススメと言い、地球の歩き方にも名物料理として書かれていたラグマンという野菜煮込みうどんのようなもの。
もう1つはとディムラマという肉と野菜の煮物。
どちらも野菜たっぷりのアッサリとした味付けで体調不良かもしれない身体に優しい。
家庭料理のよう
ラグマン1万4,000スム(≒200円)、ディムラマ1万8,000スム(≒257円)と値段も高くない。
ビールは2本飲めたし、体調が回復しつつあることを実感。
サービス料15%込みで5万9,800スム(≒852円)。
完全に外国人向けと思われる店でビール2杯に料理2品でこの値段だから安い方だろう。
ただもしこれが公式レートでの両替なら料金は倍になる。
初日の両替レートだったら1.5倍。
いかに闇両替で良いレートを掴むかで旅のコストが格段に変わるな。
しっかり飲み食いしたところで時刻は20時前でもまだ微妙に明るいサマルカンドの夜。
この日はおとなしくしておこうとホテルの周りにある公園と夜のアミール・ティムール廟だけを見て部屋に戻る。
疲れと程よい酔いが回ってさっさと休みたかったが、翌日以降のためにしておかないといけないことがあった。
それは洗濯、幸いにしてバスタブがあるのでやり易かった。
そのために旅でのTシャツやパンツは乾きやすいスポーツタイプでドライ素材の物を持ってきている。
その流れで私も風呂に入り、湯船に浸かりつつゆっくり。
風呂上がりにビールと思ったが、体調が万全とはいえないことと、どうもお腹がキュルキュル鳴るので自粛。
そんなにお腹に悪そうなものを食べた記憶は無いんだがな。
就寝中、お腹がキュルキュル鳴って3,4回はトイレに行ったがその度に水下痢。
起きてはトイレへ行ってを繰り返して7時頃にちゃんと起床。
やはりイマイチな腹、起きてからも数回トイレへ。
ウズベキスタンではトイレに紙を流せない。
これだけ何度も下痢をするのでトイレ後はシャワーで手動ウォシュレットをするようにした。
そうしないと毎回ゴワゴワしたトイレットペーパーで拭いてなんかいられないし、それをゴミ箱に捨てるとなると臭いや衛生面も気になる。
それにしてもこんなにも下痢するなんていつぞやかの急性胃腸炎の時以来な気がする。
不幸中の幸いは急性胃腸炎の時のように熱が出ているわけでは無さそうなこと。
ただ原因がイマイチ分からない。
昨夜の晩飯か?
晩飯時の2本(1リットル)のビールか?
ただビール1リットルは初日の夜にも飲んだし、銘柄も同じビールだった。
昨夜の晩飯も生野菜などはなくて煮込んだ野菜だったし。
でもそもそもを考えると到着翌日の朝から若干下り気味ではあった。
じわじわと身体を蝕んでいたものがココに来て表面化したのだろうか。
謎は残りつつも8時頃に朝飯はビュッフェ。
タシケントのホテルより劣るのはホテルの規模を考えるとやむなしか。
食欲はなんとかあったのでそう多くはないが食べておく。
食後もやはりトイレ、これは不便だ…イヤ、便はいっぱい出るのだが。
この日の行動予定はサマルカンドの主要観光地巡りだが、この腹の状態で大丈夫だろうかと少々不安。
地球の歩き方の地図を見ていたら「列車チケット売場」と書かれた場所があったのでまずはそこへ行ってみる。
外へ出て歩き出し、お腹に違和感はあるもののちゃんと行動できそうなことに一安心。
地図に「列車チケット売り場」と書いていないとそれとは分からないような建物に入ると受付がある。
「ブハラタシケントチケット?」と聞くと3番窓口へと言われた。
…って窓口はそこしか開いていないようだったが。
窓口の作りが駅にあったのと同じよう。
いわゆるJRのみどりの窓口が街の中にあるみたいなものか。
先客が2人しかおらず、前日の駅みたいに人が沢山いて延々待たされることがなくて良い。
ココで買えるなら最初からココで良かったな。
前日の窓口と同じようにiPhoneのメモ帳に2.8.2017、BUXORO→TOSHKENTと書いて窓口に見せる。
タシケントからサマルカンドへは第1希望の列車が無く、サマルカンドからブハラへは高い席しか空いておらず希望の列車から微妙にずれている今回の旅。
最後になるであろう今回の移動は果たして大丈夫か。
すると22時40分発の列車があるという、まさに狙っていた夜行列車だ。
エコノミーとビジネスがあるといい、値段を聞くと1〜2万スムくらいの違いしかない。
歩き方には1等寝台、2等寝台、開放寝台と3つのカテゴリーが書いてあった。
恐らくエコノミーは開放寝台というものか、よく分からないがフェリーの雑魚寝状態のような気がするのでビジネスを選択。
それでも料金は12万8,000スム(≒1,824円)と安い。
翌日のサマルカンドからブハラへ行く列車(14万スム)よりも安い。
短い距離なのに寝台車よりも高いって翌日はどんな高級席なんだろう、まぁあまり期待はしないけど。
ともかくこれで旅の足は全て予定通りに確保できて良かった。
あとは体調(というかお腹)を寝台車に乗るまでに回復させておかないと。
これで残りは観光に専念できる、というわけで歩いてレギスタン広場へ。
見ると広場中央に舞台のようなものがあり、多くの人がダンスをしている。
夏場になると広場がライトアップされてステージを楽しめる、みたいなことが地球の歩き方に書いてあったのでそれのリハーサルのように見えた。
リハーサル中だとしたら観光客が中に入ることが出来るのかイマイチ判別できなかったのでレギスタン広場は後で来ることにする。
レギスタン広場から歩行者天国のような通りを歩くとビビハニム・モスクに着く。
中央アジア最大級のモスクだが、外観だけで良いかなと思えたので中には入らずスルー。
そのまま暫く歩くとシャーヒ・ズィンダ廟群という所に行ける。
廟群という名の通り、ティムールゆかりの人々の墓が集まっており、サマルカンド有数の聖地とされている。
入場料は1万スム(≒143円)、「死者の通り」という名前や特徴的な建物がいくつも並んでいる辺り、まさにFFの世界観っぽい。
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それぞれの建物(廟)の中には棺が納められており、お花やお金が供えられていたり色々。
スケールは違えどインドのタージマハルが沢山あるみたいなイメージか。
サマルカンドブルーと評される青色が最も映える場所に思えた。
別のアングルから
廟群の敷地の外には現代風の普通のお墓もいくつかあり、ここら一帯が霊園のようになっているのだろう。
ココに来るまでに結構歩いていたので早くもお疲れ。
やはり初日からの疲れを引きずっている気がする。
所々で休憩しつつ一通り見て回る。
日向はかなり暑いが、日陰だと風が心地良い。
なお、街の電光掲示板に出ていた温度表示は37度となっていた。
日本だと猛暑日にあたるが、そこまで暑さを感じないのはやはり湿度の影響だろう。
歩き回って疲れたので近くの売店でスプライトを購入。
ウズベキスタンでは気楽にビールを買えないし、そもそも公共の場での飲酒は禁止されているとか。
まぁそれ以前に体調(というか腹調)を考えてビールは避けていたかもしれない。
前日に現地ブランドっぽい紅茶飲料を飲んだ時は500mlペットボトルで1,500スム(≒21円)だった。
海外ブランドのスプライトは同じ500mlペットボトルで2,500スム(≒36円)…とはいえ安いか。
前日もそうだったのが、売店の冷蔵庫に入っていてもキンキンに冷えているわけではない。
温いというわけでもないのだが、もう少し冷えていてほしい。
小休止を終えてレギスタン広場へ。
今度こそは中に入るが、入場料は7ドル(≒798円)とこちらの価格にしては高い。
勿論外国人用の観光客料金なのだろう。
サマルカンドを代表する観光地ということはウズベキスタンを代表する観光地、その価格設定も仕方ないか。
広場を囲むように建つ巨大な3つの建物はいずれもメドレセ(神学校)の跡地。
その中はいずれも土産物屋になっており、歩いているだけで日本語や韓国語(多分)で声をかけられる。
一部の建物は2階に上れるらしく、客引きが1ドルと言ったり10ドルと言ったり値段バラバラ。
まぁ登ってまで見るようなところは無さそうに思えたので別にイイや。
こうした観光地に来ると思うことだが、中に入ると意外とどこも同じように見える。
3つのメドレセも外観はそれぞれに特徴はあるが、中庭に入ると大差が無い。
細かい所の違いは勿論あるのだろうが、地球の歩き方になんらかの解説が書かれていないとそこまで意識して見られない。
まぁミーハー観光客なんてそんなもんか。
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基本的にどこにいても炎天下なので大した行動をしていなくても疲れる。
時間的に13時過ぎだったので昼飯の時間ながら食欲が無い。
これもお腹の調子の影響だろうと思うと食事よりも休憩の方が大事だと判断し、一旦ホテルへ戻って小休止することに。
前日よりはましな状態だが、14時前にホテルへ戻るなりベッドで仮眠。
やはりというか脚がかなり疲れている。
ただ、普段から一応は鍛えているからここまで行動できているのかなとも思う。
一方でこれまでの旅よりは行動力が落ちているのも確かで、これは年齢による劣化なのか、ただの体調不良の影響なのか。
一時的なもの、後者であってほしい。
そこそこ昼寝をしたら体調もそれなりに回復。
外の暑さも落ち着いてきているであろう18時過ぎに外出。
目的はサマルカンドのビールが生で飲めるという店。
そのビールはパルサーという銘柄で、これまでのレストランでビールを注文して出てきたのは全てパルサーだった。
店は新市街の外れにあるが、この旅ではまだ新市街へは行っていなかったので敢えて歩いて行く。
新市街のメインストリートを初めて歩いたが、思ったより活気がある。
勿論というか遺跡系は何もなさそうだったがホテルやアルコールを扱っていそうな商店もある。
途中で闇両替屋にも声をかけられたし、観光客も多いのだろう。
歩いて30分弱で目指していた店に到着。
サマルカンドのサッカースタジアムのすぐ近く、周辺は半分地元民向け半分観光客向けのような食堂(レストランとは呼び難い)が並ぶ。
そんな中、私が行きたかった店のすぐ隣にはパルサーの社屋と工場みたいな建物が併設されていた。
ビール会社の門にはウズベキスタンの旗とチェコの旗が描かれていた。
チェコのビール会社が資本なのか、業務提携でもしているのか。
チェコと言えば思い出補正もあるが、私の旅歴の中で最もビールが美味しかった国。
その国のビールならば外れはあるまい。
今回の店はいわばビール会社の直営的な所なのだろうか。
店に入り、注文は?と聞かれたのでメニューは?と聞くと「Come」と言われる。
店の奥の冷蔵ケース前に案内されると、串に刺さった生肉や野菜が沢山並んでいて好きなものを選べ、と。
ラムと思われる肉、ジャガイモ、トマトと3種の串を注文、あとは勿論ビール。
串焼きとはいえ日本の焼き鳥の巨大版みたいなもので、1串でもそれなりの量。
トマト串などは1串に小振りながらトマト1玉が4つも刺さっている。
串焼きと生ビール
完全に居酒屋メニューながらビールも料理も美味しい。
外のテラス席で食べていたので野良猫が1匹懐いてきてしきりに食べ物をねだる。
ジーッとこっちを見て鳴いたりするのでラム肉の切れ端をあげたら食べた。
でも猫にラムって食べ合わせとして大丈夫なんだろうか…気にしても仕方ないが。
ニャンかくれ
2杯目のビールを行きたい気分ではあったが、翌日は列車での移動があることを考えるとお腹の調子をこれ以上崩すわけにはいかない。
惜しかったが1杯だけにしておきお会計。
メニューがない店で値段が心配だったが、ビールと付け合わせのナッツ、串焼き3本と付け合わせのパン、恐らくサービス料も含めて4万スム(≒570円)と格安。
これほど安かったのなら体調万全で来たかった。
店を出る頃には日が暮れてきていたのでそのままレギスタン広場の夜間ライトアップを見に行くことに。
今夜がサマルカンド最後の夜なので少し無理をしてでも見ておきたい。
20時30分過ぎの時間でも観光客はいっぱいいたがライトアップは思ったよりも普通。
ただ強い照明で照らしているだけで特段目新しいことはない。
もっと建物やサマルカンドブルーの色彩を取り入れた幻想的な光景になっているかと思った。
まぁ普通か
暗くなっても特に治安が悪くなるような雰囲気は無くホテルに戻る。
風呂に入って前日に買っておいたビールでも…と思うが入浴直前にやはりお腹がキュルキュル鳴り出してやはり下痢。
日本では勿論のこと、旅中でも夜に大が出ることなんてこれまで殆どなかったのに今回はオンパレード。
それがしかも下痢だから困ったもの、ここのところ固形の大が出ていない。
余ったビールはブハラまで、下手したらタシケントまで持って行くことになるかもしれない。
寝ていても落ち着かないお腹は就寝中でも容赦なく鳴る。
前夜よりは少ない2,3回のトイレ起床で済んだものの、相変わらずの水下痢。
本当にコレはいったい何なんだ。
症状が和らいでいると思うのは気持ちの問題かもしれないが良い方向と捉えておこう。
前日より少し遅く8時頃に朝食会場へ行ったら意外と混んでいた。
7時台の方が空いているようだ。
ブハラに向かう列車は昼過ぎの発車なので午前中はホテルでゆっくりする予定。
ホテルのすぐ近くにあるので敢えて前日までは外観だけで済ませていたアミール・ティムール(グリ・アミール)廟へ行ってみる。
9時の開館とほぼ同時に入る、入場料は1万9,000スム(≒271円)。
前日に行ったシャーヒ・ズィンダ廟群が1万スム(≒143円)だったことを考えるとレギスタン広場の7ドル(≒798円)は法外だな。
シャーヒ・ズィンダ廟群がティムールに所縁のある人々の墓所なのに対し、アミール・ティムール(グリ・アミール)廟はティムール本人の墓所。
ティムールやその子供や孫などの棺を模した石碑が納められている。
実際にはその石碑の下に墓室があって骨もそこにあるとか。
最も有名なティムールの碑が黒褐色で目立っていたが、それよりも大きかったのがティムールの教師とされる人の墓石。
その辺りの力関係はよく分からないな。
石碑が並んだ部屋の豪華さは目を見張るが、まぁ所詮は墓。
入場料を払っているのでそれなりに粘ろうと思ってもそこまで見所もなく撤収。
まぁこんなもので良いでしょう。
ホテルに戻ってお腹が怪しく、トイレへ行くとやはり下痢。
多少無理をしてでも出しておかないとこれから長時間移動になったら暫くは自由にできない可能性が高い。
なんだか念のために小便をしておく感覚で大便をしている。
まぁ出てくるものが液体なので小便のような…イヤ、失礼。
10時50分すぎにホテルをチェックアウト。
ネットで予約したホテルだったが、料金は現地払いで朝食付き1泊49ドル(≒5,586円)。
クレジットカードで払えるか聞いてみたら「ネットワークメカニカルプロブレム」で現金払いとのこと。
たまに海外でメカニカルプロブレムって聞くけれど本当かね。
手続きが面倒だったり手数料を払いたくないからそう言っているような気はするが素直にドルの現金払い。
ついでにタクシーで駅まで行く場合の相場を聞いてみる。
ホテルで呼ぶなら1万スム(≒143円)だが、流しのタクシーを捕まえたら5,000スム(≒71円)くらいだとのこと。
そういう正直な情報は助かる。
時間に余裕はあったので流しのタクシーを捕まえるよと言うとホテルマンが気を利かせて紙に現地語で「VOKZAL」(駅)、「5,000cym」(スム)と書いてくれた。
コレを見せたら分かるだろう、と。
礼を言ってホテルを出るとちょうどホテル前にタクシーが待機している。
ホテルマンが「聞いてみるよ」とドライバーに交渉しに行ってくれた。
ただそのドライバーは1万スムを提示したらしいのでお断り。
ホテルから1分程歩くとで大通りに出るのでそこでタクシーを止めて「駅5,000スム」の紙を見せるとアッサリOK。
ウズベキスタンのタクシーは相乗りが当たり前らしく、途中で現地人を2人乗せつつその2人とも途中で降りた。
それぞれ短距離ながら2,000スムと3,000スムを払っていたので、駅まで5,000スムも法外では無さそう。
11時20分頃にサマルカンド駅に到着。
ブハラ行きの列車の出発予定時刻まで1時間以上ある。
もう少しタクシーを捕まえるのに苦労するかと思ったが予想以上に早く済んだ。
時間ギリギリで冷や冷やするよりも余裕を持っていた方が精神的にも良い。
駅の周りは特に見るべきところも無さそうだったし、何よりバックパックを背負っているし天気が良くて暑いのでさっさと駅内へ入る。
タシケント駅と同じように駅入り口と駅舎でのダブルチェックを経て駅の待合所へ。
駅構内はまぁまぁ涼しくて良い。
列車の発車予定時刻は12時29分。
12時20分過ぎに駅舎内がザワザワし、駅員が何か言っている。
明らかに観光客らしいのがホームに向かったので私も続く。
駅員に「toブハラ?」と確認するとYesと言われたのでホームへ。
しかし待っていても列車は来ない。
一前日のタシケント→サマルカンドの列車も遅れたからまぁそんなもんなんだろう。
列車が到着したのは15分遅れの12時45分頃。
駅員に車両を確認して乗り込む。
エコノミーではないのでどんな席かと思ったら個室だった。
それは良かったのだが、2席で1つの個室。
2〜3人は座れそうなソファ席が向かい合っている、その片方が私の席。
誰も来なければ良いが…と思ったらオジサンが前の席に。
持ち物と佇まいから恐らく旅行者ではなく現地人。
ウズベキスタンでは英語があまり一般的ではなく、現地語以外だとロシア語が主。
話しかけられら面倒だなーと思っていたが、黙って座っているだけのよう。
列車が出発したのは予定時刻から20分強遅れの12時53分頃。
途中の駅で停まったりしているようだが私の車両は個室だからか変化はなし。
少しすると前のオッチャンがいなくなり、1人快適になった。
しかし少しすると何かの制服を着た別のオッチャンが「お、ココ空いているな」という感じで平然と席に座った。
うーん、個室のドアを閉めておけば良かったか。
それにしても先程のオッチャンといい、今回のオッチャンといい、どうも個室のチケットを持っているようには見えない。
検札にも来ないから私個人としてはどうしようもない。
別に話しかけてくるわけでもないし、いることによって害はないんだがどうにも落ち着かん。
ただ、そのオッチャンが平然と横になって足を伸ばして寝たので、それやって良いんだなということが分かり私もそれに倣う。
ちゃんと横になって寝られるって良い。
明晩の寝台車はこれより快適だろうか。
チケットに記載された到着予定時刻は14時54分だが、出発が20分以上遅れている。
乗っている列車の終点が恐らくブハラなので心配ないだろうが、いつごろ着くのか分からないのは精神衛生上良くない。
というわけで所々iPhoneの地図を使って現在地を確認。
恐らくiPhoneが現地の電波を拾って位置確認しているのだろう。
タブレットPCで現在地確認するよりも遙かに速いスピードで場所を特定する。
iPhoneのモバイル通信はOFFにしているから大丈夫だと思うが、帰国したら余計な請求が来ていないかは確認した方が良さそうだ。
日本でも携帯の電波を拾いつつも待ち受けだけの状態なら料金は発生しないから大丈夫だと思うが。
ブハラに到着したのは約25分遅れの15時20分。
元々の遅れの時間を考えたら悪くないか。
「ブハラ」とは読めない
到着したのはブハラ駅なのだが、ブハラ駅があるのはブハラではなくカガンという町。
ここからブハラの旧市街まで15kmほどあるため、バスかタクシーを使う必要がある。
翌日は夜に再びブハラ駅に来る必要があるため、バスよりもタクシーだろうと思っていた。
なのでこの日もタクシーを使って所要時間のシミュレートをしておこうと思った。
駅舎を出ると予想通り大量に話しかけてくるタクシードライバー。
サマルカンド到着時は次の切符を買っている間にいなくなってしまったが、もう次の切符は持っているので大丈夫。
何人かいるうちの1人と話し、ブハラまでいくらかと聞くと10ドル(≒1,140円)と言う。
イヤイヤイヤ、地球の歩き方には交渉次第だが1万5,000スム(≒214円)から2万スム(≒285円)と書いてある。
10ドルって言ったら8万スム、さすがにボッタクリにも程がある。
わざと大きく呆れた表情を見せ、「ガイドブックを見たらアバウト2万スムと書いてある、3ドル(≒342円)でどうだ」と言ってみる。
すると5万スムまで言い値が下がった。
一気に下げすぎだろう、とはいえそれでも明らかに高い。
他にタクシードライバーはいるので別にアンタじゃなくても良いんだ、的な素振りを見せると4万まで下がる。
もう少し粘って3万5千と言うところを、3万スム(≒428円)まで下げさせて交渉成立。
地球の歩き方の相場より高いし、実際に現地の相場よりは高いんだろうがまぁ良いや。
タクシーはしっかりした綺麗な車でエアコンも付いている。
これまでウズベキスタンで乗ったタクシーの中では1番まとも。
まぁボッタクるだけのことはあるか。
15時35分に駅を出て、ホテルに着いたのが15時50分。
駅とホテル間は約20分あれば大丈夫と判断できるか。
とはいえ明晩は暗くなってからの移動なので少し早めに行動しておいた方が良さそうだ。
ホテルはメドレセを改装して作ったという所で独特な雰囲気。
部屋は広いとはいえないが、シングルを1人で使うには充分。
冷蔵庫もバスタブも付いて35ドル(≒3,990円)なので安いと思う。
荷物を置いて街歩きに出かける。
まずはブハラの旧市街中心部に当たるラビハウズなる場所へ。
小さな池のような場所で、そこを中心に飲食店やメドレセや観光客向けの土産物屋などが並ぶ。
地球の歩き方には「オアシスの池」と書いてあったが、池は濁っていてあまり綺麗とは言えなかった。
暑いし喉が渇いていたので売店で500mlペットボトルのリプトン紅茶3,000スム(≒43円)を購入して池の周囲にあるベンチで休憩。
やたらと甘い紅茶だったが、その甘みが染みて美味しい。
腹がイマイチなのでビールよりもコッチの方がお腹に優しい。
そもそもウズベキスタンは公共の場所での飲酒は禁じられているらしいので、ビールがあっても飲めなかったと思うが。
休憩を終えて適当に旧市街をブラブラ。
少し歩いて思ったのは意外に狭いということ。
ブハラ旧市街
タシケント、サマルカンド、ブハラと街の規模がだんだん小さくなってくる。
この日の僅か1時間程度で旧市街の1/3くらいはなんとなく歩いた気がする。
途中で翌日のことを考えて行動範囲を狭めたくらい。
歩いている途中、先程買った紅茶を飲んだら現地のホームレスのような汚い身なりのオッチャンに話しかけられた。
英語ではなかったので何を言っているのか分からなかったが、ジェスチャーで飲み物を分けてくれと言っているのが分かった。
夕方でもクソ暑いし、そりゃ喉も渇くよな。
残り少なかった紅茶、大した量でもなかったのでそのまま全部あげた。
正直オッチャンに分けてあげて戻ってきたのをまた飲みたいとも思えなかったし。
すると「サンキュー、ヤポネー」(日本か日本人という意味)と言われた。
なんかホームレスにお金を上げるよりも実質的なものをあげた方がこちらの気分も良い。
街をブラブラし、タキと呼ばれるチョットした土産物屋街では闇両替商からも声をかけられた。
タシケントに戻る列車のチケットも買ったし、もう大きな買い物の予定はない。
あとは残りの食費と土産物代などの残金を計算しつつ必要な額は翌日のうちにブハラで両替をした方が良さそうだ。
今回は闇両替という特殊な事情なのでウズベキスタンのスムを残しても逆両替は難しいだろうし、無くなったからといってクレジットカードで精算をしても公式レートになるからかなり損をする。
最後の両替は精査が必要だ。
この日は殆ど歩いていないせいか、結構歩いてもあまり疲れない。
おまけに腹の調子もそう悪くない。
地球の歩き方に載っていた、ブハラの地ビールを飲むことができるというレストランへ。
18時前という食事時には早い時間だからか先客は無し。
お腹の調子を考えて恐る恐る生ビールを飲んでみたが大丈夫、美味しい。
異常が無さそうだったのでメインの鶏肉と野菜の煮込み料理みたいなのと一緒に2杯目も注文。
煮込み肉野菜と生ビール
しっかり飲み食いできたからまぁ安心かもしれない。
ただ、まだ大をしていないので油断は禁物。
会計は4万5,000スム(≒641円)、前日よりは高いがビール2杯飲んだしな。
ここまでのレストランで察することが出来たのはビール2杯とまともなメイン料理を注文すると大体が5〜6万スム(≒713〜855円)あれば大丈夫と言うこと。
幸か不幸かお腹がイマイチなおかげでビールを沢山飲めないからこそ計算が出来てしまう。
食事を終えてもまだ19時前で充分明るい。
ただあまり街を歩いてしまうと明日やることがなくなってしまいそう。
これまでも歩いたラビハウズ付近をなんとなくウロウロしてからホテルへ戻る。
部屋の冷蔵庫にはサマルカンドで買ったもののお腹のせいで開けられなかったビールが1本入っている。
この日の調子なら飲んでも大丈夫な気はしたが、まだウズベキスタンに来てから1日3本のビールは飲んでいない。
改めて思うと私の旅では異常とも言える少なさ。
ただ少しお腹の調子が良くなってきたからと言って調子に乗って飲まない方が良いだろうと自粛。
この状態を維持したまま翌日を迎えたい。
調子は悪くないと思ったのだが、相変わらず夜中に起きてトイレに行かざるをえない。
回数は2,3回と落ち着いてきてはいるものの、出てくる内容は変わらない。
これはもうこの旅ではコイツと付き合っていくしかなさそうだ。
ここまで何を食べても回復しないというのはもはや根本的に水がダメなんじゃないかと思う。
勿論水は必ずミネラルウォーターを飲んでいる。
それ以外に毎日摂取している物はビールしかない。
水とビールがダメなんだとしたら最早どうしようもない。
お腹の不調はありつつも行動は出来ていることを良しと考えるべきだろう。
起床は7時頃、朝食は前日にフロントで時間を聞かれて8時頃と言ってあった。
8時に電話がかかってきて「朝食の用意が出来た」とのこと。
中庭のオープンテラスのような所に席が設けられている。
私の席は東洋人の男性と相席、雰囲気が日本人っぽかったので「日本の方ですか?」と聞いたらビンゴ。
恐らくは年下だろう、どんなルートで旅してます?的な無難な会話を少々。
久しぶりに日本語を話した。
朝食はビュッフェではなかったものの用意された量が多く、半分も食べられなかった。
この日は列車の出発が夜遅いのでゆっくり行動する。
チェックアウトは12時なのでそれまで部屋でダラダラ。
この時点での残金を計算すると約11万スム(≒1,568円)。
残日数と食費飲料費交通費を概算すると1日約10万スム(≒1,425円)くらいあれば大丈夫だろう。
20ドルを両替するとサマルカンドで両替したレートで16万スム(≒2,280円)になる。
そのくらいの両替で良いだろう。
昼前のチェックアウト時に荷物を預かってもらう。
ついでに21時過ぎにブハラ駅までタクシーで行きたいがその時間のタクシーの有無と、値段の相場を聞いてみる。
タクシーはいつでも走っており、相場は1万5,000スム(≒214円)ほどとのこと。
地球の歩き方に載っていた1万5,000〜2万スムというのは正しかったか。
そして予想通り、来たときのドライバーは相当ボッていたことが分かる。
そう考えると駅に行くときは2万スムくらいまで出しても良いと思える。
この日の行動開始はラビハウズを経由し、前日には敢えて行かなかった旧市街の北側へ。
ここにカラーン・ミナレットというブハラの観光地として象徴的な塔が建っている。
↓巧く表示されなかったらココをクリック。
約46メートルあり、ブハラで最も高いらしい。
確かにそれだけが飛び抜けて高く見える。
以前は登ることが出来たらしいが、今ではダメらしい。
観光収入を考えたら登らせた方が良いはずなのにそれをしないのはメンテナンスの方が面倒だと考えているのか、宗教的な理由か。
別のアングルから
ブハラを代表する観光地もアッサリと来てしまった。
そこからブハラの王族の居城だったアルク城まで歩く。
中にはあまり興味が無かったので外観だけ。
アルク城の次はその近くにあるボラハウズ・モスクという所へ。
観光地であると同時に現役のモスクとしても機能しているため入場無料。
中に入ってみるとだだっ広い部屋で数人の信者が祈りを捧げていた。
思えば今年はイスラム教のウズベキスタン、昨年は仏教のラオス、一昨年はキリスト教のギリシャ。
図らずも3年で世界3大宗教の国を順に回っていたことになる。
モスクの中は広くて涼しかったので隅っこで涼ませてもらった。
そこからデフコン・バザールというブハラを代表する市場へ。
タシケントやサマルカンドのバザールと変わらない雰囲気ながら街外れにあるためか観光客は殆どいないように見えた。
バザールの近くにはチャシュマ・アイユブ、イスマイール・サーマーニ廟といった建物が存在。
いずれも地球の歩き方に載っていたので外観だけ眺めておく。
これで街の北西にある主要な観光地は全て踏破。
相変わらずの日差しと暑さなので所々で日陰のベンチに座って休憩を挟みつつ行動したが意外に早く終わってしまった。
これまでの旅のようにガンガン歩くほどに万全な体調とは言えないので休んでは移動を繰り返す。
こうして休んでは移動ってなんか登山のようだ。
そんな中で最適な休憩スポットを思いついた。
旧市街の中心部にある高級ホテル、アジアホテル。
当初はそこに泊まりたかったのだが、いくつか見た宿泊予約サイトではいずれもヒットせずに予約できなかった。
初日に泊まったウズベキスタンホテルもそうだったが、ある程度の規模のホテルだとロビーに誰がいても気に留められない。
仮に注意されてもバーを使うとかなんとか言えば良いだろう。
そんなわけで少し緊張しつつもホテルへ。
入口ではドアマンがドアを開けてくれる。
中に入るとロビーには小汚い格好の観光客もいるし、中華系の品のない(…失礼)観光客もいるので幸い私も目立たない(…と思う)。
しっかりクーラーが快適に効いている中、ソファでクールダウン。
旅記などを書きながら汗が引くのを待ち、このままロビーで仮眠しちゃいたいくらいだったがさすがに自粛。
地球の歩き方を見るとホテルの屋上にバーがあるという。
少しはホテルに貢献しようと思ってバーへ行くことにする。
ところがフロントで聞いてみると夜にならないと開かないらしい。
バーへ行くために来た客を装っていたので仕方なくそのままホテルを出る。
小休止を終え、やるべきことは両替くらい。
土産物屋がある辺りを歩いていると声をかけてくる。
話を聞くと100ドルなら1ドル9,000スムと言われるが、20ドルだと8,000スムに下がる。
試しに他の場所へ行って聞いても20ドルだと8,000スムというのが一致したレートのよう。
サマルカンドと同じレートだけれど少額だから仕方ない。
何人かいた両替商のうち、最も愛想の良かった青年に両替してもらう。
とりあえずもうこの旅でお金に困ることはないだろう。
しかし100ドルという制約付きながら1ドル9,000スムのレートは初めて聞いた。
ネットを見ると首都から離れるほど外貨が手に入りにくいので両替レートが良くなるという。
つまりこの国を旅する上では地方都市から段々首都へ近づいた方が両替面では有利だということ。
ただ、首都から始めないと物価感覚とか掴みにくそうだし、後々で「最初にもっと両替しておけば良かった」なんて思うこともありそうだから一長一短か。
休憩のために水を購入、500mlで1,000スム(≒14円)。
この旅では2回連続で炭酸水を引き当ててしまった経緯があるので店員にノンガスはどれかを聞いてから購入。
炭酸水も悪くないのだが、温くなったら不味くて飲めたもんじゃないのと、あまりお腹に刺激を与えない方が良いだろうという判断。
ラビハウズ周辺では結婚式なのか正装した花婿とウェディングドレスの花嫁の姿を3組ばかり見かけた。
いずれもこの街の中心部であるナディール・ディヴァンベギ・メドレセの前で写真を撮ってフッジャ・ナスレッディン像の前で写真を撮る(地球の歩き方を見て名称を書いてみたが全く覚えられん)。
そしてその周囲の観光客もついでに写真撮って、みたいなのを見ていて明治神宮で挙式するカップルみたいなもんかなと思った。
晩飯は19時になって地球の歩き方に載っていた店へ。
店内には何度か街歩き中に見た日本人カップル(夫婦?)がいた。
ブハラは街が狭いからか、この国に来てから最も多くの日本人を見た。
といっても朝食で同席した男性、日本人カップル、学生風男子、学生風女子だけ。
全て個人旅行風で年輩や団体旅行は皆無、やはりマイナーな中央アジア。
団体客で見かけたのは中華系だけだった。
レストランではプロフという現地のチャーハン的なものと、ペリメニという現地の水餃子的なものを注文。
当然ビールも注文し、普段なら2本行くシチュエーションだが今後の行動を考えて自粛。
この後は夜行列車に乗ることを考えるとあまりお腹に刺激を与えない方が良いだろう。
水餃子とチャーハン
料金はプロフとビールが1万スム、水餃子7,000スムにサービス料込みで3万スム(≒428円)と格安。
ただ、これは闇両替レートだからこそ。
正式な両替レートだとこの倍と考えると日本とそう変わらない、まぁ若干安いくらい。
つくづく正式な両替レートってのはなんなんだろうと思わせる。
お上の定めたレートが市場原理と一致していないというあたりが旧社会主義国の名残りか。
ゆっくり飯を食べて20時頃。
次第に外は暗くなり、ライトアップされているラビハウズ周辺をあてもなく歩く。
ホテルアジアのバーへ行きたい気もしたが、やはりお腹の調子を考えて自粛。
なんか今回の旅は自粛ばかりだな…
20時45分頃にホテルに戻り、バックパックを受け取ってブハラ駅に向けて出発。
ホテル前の通りでタクシーを止め、サマルカンドのホテルで書いてもらった駅を意味する現地語(ロシア語?)のメモを見せる。
元々は5,000スムと書いてあった紙に1を加えて1万5,000スムにしておいた。
相場は1万5,000スム(≒214円)らしいのでこれで大丈夫か。
ただ、1台目のドライバーは紙を見せて英語で説明しても理解されず、諦めて行ってもらう。
2台目のドライバーは「OK、乗れ」みたいな感じだったので乗り込む。
しかし走り出したものの英語がちゃんと分からないらしく、どうも伝わっているように思えない。
何かを聞いてくるが英語ではないのでこちらも何を言っているのか分からない。
というか英語分からないなら乗せるなよ…
するとドライバーがどこかに電話をし、その電話を渡してくる。
電話に出ると女性の声が英語で「Where do you want to go?」と。
つまりは英語による通訳だ。
「ブハラ」「トレインステーション」「レイルウェイステーション」と繰り返すと理解した模様。
電話をドライバーに渡すとドライバーも理解したようだったが、それなら1万8,000スム(≒257円)だという。
正直もっと吹っ掛けられるかと思っていたので拍子抜け。
「OKノープロブレム」と言って走ってもらう。
ただ、ドライバーは道がよく分かっていないのか、iPhoneに表示させた地図を見せてようやく納得した模様。
英語どころか道も分からなかったのか…若い兄ちゃんドライバーに若干の不安が。
さらに途中で謎のオッチャンを乗せる。
この国ではタクシーの相乗りは当たり前のことなのでその点はまぁ良い。
ただドライバーと客が現地語で何やら話ながら街灯も無い真っ暗な道に入っていくので内心かなり冷や冷やした。
金を持っていそうな旅行者を乗せたから良からぬことを相談しているのではないかという考えが頭をよぎった。
結果的には同乗者の目的地がその暗がりの先にあっただけで何事も無かった。
ただ街で声をかけてくる観光客向けのタクシードライバーはボッタクる可能性こそあるものの、英語は通じるしそれなりに安全な気がする。
流しのドライバーの方が安いんだろうが、今回のように英語が通じなかったり、夜だと顔も見えにくいから不安になることもある。
夜のタクシーはそれなりに安全策を採った方が良いという1つの教訓になった。
そして21時20分過ぎ、無事にブハラ駅に到着。
料金は2万スム(≒285円)払ってお釣りはいらないと言った。
英語も道もよく分からないながらちゃんと駅まで到着できたことに対するチップ。
素直に喜んでもらえて良かった。
駅の敷地内への入り口と駅舎への入り口でのダブルチェックを経て駅舎に入る。
出発予定時刻は22時40分で現在時刻は21時30分だったのでだいぶ余裕はある。
この日は風呂もシャワーも浴びられないのでフェイシャルペーパーで顔や手足などを拭く。
ここまでの旅記を書いている途中でアナウンスがあり、客がワラワラと動き始める。
え、まだ出発まで1時間あるけど。
駅員に「タシケント?」と聞くとそうだという。
どうやら停まっている列車の準備ができたらしい。
かなり長い列車の9号車が私の車両で、車内に入ると物凄く蒸し暑い。
エアコンが効いておらず、蒸し風呂のよう。
タシケントからサマルカンドも、サマルカンドからブハラでも似たような感じの暑さだった。
走り出せば空調も効いてくるのだろうが、停まっているので空気も停滞している。
そういえば朝食の席で同席した男性も夜行列車が凄く暑かった、と言っていたっけ。
水を1リットル持ってきておいて良かった。
個室内で向かい合うように2段ベッドが2つで計4席。
私のベッドは上段だったので上がってみるとさらに蒸し暑く、何もしていなくても汗が噴き出す。
寝床はこんな感じ
出発まで30分以上もこんな所にいられないと思い、一旦ホームに降りる。
夜なので外気は涼しいのが救い。
それでもいつ動き出すか分からないので不安に駆られて22時30分すぎには戻る。
2段ベッドの下は西洋系のカップルだった。
「Where are you from?」と聞かれたのでJapanと答え、「Are you?」と聞いてみると「I’m from here」と言われ、「?」と思ったら「Not foreigner」とのこと。
つまりウズベキスタン人ということだが、見た目は完全に西洋人だった。
様々な人種が入り混じる中央アジアらしい。
ちなみにその会話の中でウズベキスタン人の彼が「Are you テロリスト?」と聞いてきて、え?何を言っているんだ、冗談か?と一瞬考えた後で「Are you ツーリスト?」と聞かれたのだと分かった。
英語のリスニングって難しい。
列車は予定通り22時40分に動き出す。
動き出すと空気も循環し、僅かにエアコンも効いているのか多少はマシになる。
でも多少は…のレベル。
出発して30分ほどで早くも1本目の水が無くなりそう。
この調子でタシケントまで持つか、水を売りに来たら買うレベルだけど深夜に売りに来るのかも分からない。
そしてこの日は最低でも2リットル以上の水分を摂取しているが、午前中にホテルをチェックアウトしてから1度もトイレに行っていない。
下痢も含めて、こちらも持ってくれるだろうか。
寝台は上段だったので窓の景色もよく見られず、ただ寝ているしかない。
清潔さはそれなり、一応は綺麗なシーツも渡されたので必要充分。
なにより1泊移動付きで2,000円未満だから贅沢は言うまい。
途中で検札が来て乗車券を回収された。
ウズベキスタンでは出国時に旅の全行程の滞在証明が必要で、列車泊の場合は乗車券が証明代わりになるという情報を得ていた。
乗車券を返してほしいとお願いしたら、タシケントで返すとのことだった。
到着時まで預かっておくというのは途中下車を避けるためだろうか。
列車は所々の駅で停車しているらしく、その度にエアコンが切れるようで暑くなる。
しかし動き出してエアコンが稼働すると天井から冷気が出ているようで慌ててシーツをお腹に巻いておく。
1度だけお腹がかなりキュルキュル鳴ったが、下痢止めを服んで凌いだ。
元気なら車内探索にでも行っただろうが、2段ベッドの上から降りてまで行く気力もなく。
落ち着いてくるとそんなに水を欲することもなくただひたすら寝ていられた。
そんな感じで夜行列車の夜が更けていく。
朝6時過ぎにそろそろ近付いているっぽい雰囲気で起床。
アラームを設定したわけでもないのにタイミング良く起床できるのは我ながら大したもの。
予定では6時34分着で実際の到着は6時30分とほぼ時間通り。
幸いにしてトイレに悩まされることなく…というかトイレに行かずに一晩を過ごせた。
降りるときは列車内の係員から乗車券を返してもらう。
朝の到着だから良かったが、夜の到着なら慌てて忘れそうだな。
これが無いと出国時にトラブる可能性がある。
数日ぶりに戻ってきたタシケント、この街は地下鉄で移動できるのが良い。
1度経験しているので乗車は慣れたもの、朝は早いがホテルへ行ってみる。
旅の最終日は毎度恒例となっている高級ホテルの宿泊。
今回もこの都市では5つ星に値する1万円強のインターナショナルホテルタシケント。
近くヒルトン系列になるらしい、と地球の歩き方に書いてあった。
地下鉄のボドムゾル駅を出ると目の前にある立派なホテル。
敷地内に入るだけで警官に荷物チェックをされた。
ホテル内も当然立派、昨夜の夜行列車とのギャップが激しい。
チェックインの手続きをしようとすると、これまでに泊まっていたホテルの滞在証明を見せてほしいと言われた。
そんなことはこれまでのホテルで言われたことがなかった。
やはりしっかりとしたホテルなんだろう。
ただ、しっかりとしすぎていて難点だったのはチェックインが14時からで、アーリーチェックインにするなら60ドル(≒6,840円)かかると言われたこと。
前回のラオス、前々回のギリシャではいずれも早朝着の高級ホテルでも融通を利かせてくれたものだが。
まぁこれまでのが例外で、今回の対応が本来あるべき姿なのは分かっているが、この辺の杓子定規さが旧社会主義国の…というのは偏見だろうか。
60ドルはさすがにこれまでに泊まったホテルにもう1泊できる値段なので、14時に改めて来ることにしてバックパックだけ預ける。
チェックインは出来ないまでもロビーのトイレは利用できる。
ここでブハラから20時間近く行っていなかったトイレへ。
高級ホテルのトイレなので清潔さは充分。
夜行列車をトイレ無しで乗り切ったので僅かな期待はあったが、やはり回復はしておらず相変わらずの水下痢。
体調的にはマシになってきていると思うのだが、こればかりは治らんな。
時間は7時過ぎ、この時間に街に出てもあまり行動できない。
夜行列車の疲労もあったので空調も効いて快適なホテルのロビーでしばし休憩。
前日に寄ったホテルと違って今回は正式な宿泊者なので気兼ねせずにいられる。
とはいえチェックインの14時まで何時間もいるわけにもいかない。
しばし休んだ後で新市街の中心に行ってみるかとティムール広場まで地下鉄で移動。
特に何を見るということもなかったが、辺り一帯が公園なので日陰で休憩とかで良いかなと思った。
丁度良い感じに日陰のベンチがあったのでそこで休憩。
日向は暑くても乾燥しているので日陰だと涼しくて良い。
近くの売店でスプライト500ml3,500スム(≒50円)を購入。
サマルカンドやブハラと比べると500スムほど高いのは首都価格か。
しばし歩いて独立広場なる公園あたりを散策。
タシケントは公園に大きな噴水や水場が数多く存在し、涼しさを作り出している気がする。
その後はチョルスーバザール近くにあるスーパーへ。
日程的に帰国時のお土産について考えないといけない…というか残り日数での目的はそれくらい。
私の旅でのお土産は基本的に職場へのバラマキ用にしか買わない。
必然的に個包装のお菓子があればそれが第1候補。
初日のタシケントではバザール散策時にお菓子の盛り合わせみたいなものが売っているのを見たのでそれで良いかなと思っていた。
ただ、スーパーなどに同様の品があればそっちの方が買い易いだろう。
チョルスーバザールの近くにある店はスーパーというよりも複数の商店が集まったような商店街とスーパーを合わせたような雰囲気。
お菓子を専門に扱う店もいくつかあり、複数の個包装のチョコやキャンディなどが大量にある。
雰囲気からするとグラムで売っているようだ。
買い方がイマイチ分からないけれど、いざとなったらココで買えば良いという保険になる。
荷物になるので実際の購入は翌日で良いだろう。
街歩きの最中、常に暑いので水を購入して飲む。
いつもならビールなのだが、お国柄やお腹の調子もあってここまで水やジュースを飲む旅も珍しい。
下痢が止まらない一因として水分の採りすぎというのがあるかもしれないと思ったが、こう暑かったら水分を採らない方が危険だとも思う。
脱水症状よりは下痢の方がマシだろう。
この日の昼飯は以前から決めていた場所。
地球の歩き方に「中央アジアプロフセンター」として紹介されている所。
今回泊まるホテルの最寄り駅から歩いて行けるため、そこで食べてチェックインしようと思っていた。
15時までしか開いていないらしいので昼飯でしか利用できない。
翌日はホテルの朝食ビュッフェで満腹になるだろうから、夜行列車明けで朝飯を食べていないこの日が最適だった。
東京タワーよりも高いというタシケントのテレビ塔を横目に見て到着した「中央アジアプロフセンター」。
地球の歩き方に「地元の人に大人気」と書いてある店。
地球の歩き方ではたまにこういう紹介文を見るが、行ってみたら閑散なんてことが多々ある。
しかしココは別で、中に入ってみると大きなホールのようなフロアに大量の椅子とテーブルが並び客でひしめいている。
店員も忙しなく動き回り、どこに座れば良いか聞くのも憚られるくらい忙しそう。
ようやく気付いてくれた店員の1人が空いているテーブルに案内してくれ「プロフ?」と聞いてくる。
続いて「コーク?」と聞かれたので「ティー」と答える。
コーラよりはお腹に優しそうなお茶にしておいた。
チョット待っただけで到着するプロフ。
プロフとは前日にブハラでも食べたチャーハン的なもの。
レストランのメニューでプロフという文字を見て思ったが、コレって要はピラフが訛ったものなのかな。
前日のプロフとどちらが美味しいかと思ったが正直どっちも似たようなもの。
身も蓋もない言い方をすればウズベキスタン風チャーハンなのでそこまで劇的に変わるものでもないだろう。
どちらも普通に美味しくいただけた。
一方、ドリンクとして注文したお茶が美味しい。
ポットに入って熱いのだが、沢山飲んでもお腹に悪くなさそうで気兼ねなく飲める。
ただ、暑い中で熱いお茶を飲むのでだいぶ暑い。
プロフの量も多く、万全でない状態のお腹には少々苦しかった。
お会計はテーブルに置かれた伝票を持って入口のレジで払うシステム。
人がやたらと出入りしていて払わずに出てもバレなさそうな雰囲気だった。
勿論ちゃんとお会計して1万5,200スム(≒217円)と安い。
ビールも無く、現地人向けの店で食べたらこんなものか。
前日の両替は20ドルもいらなかったかもしれない。
お会計を済ませて外へ出ると巨大な鍋でプロフを作る様子が見られた。
複数の鍋でガーッと作ってサッササッサと皿に盛ってどんどん提供している。
まさにプロの技、という感じだった。
大量生産中
チェックインの14時が近付いてきたのでホテルへ。
今度こそちゃんとチェックイン、部屋は想像通りちゃんとした部屋。
フロントに掲げられた案内にはスタンダードルームで200ドル(≒22,800円)以上の値がついていた。
エクスペディアで1万3千円弱だったことを考えると正規の値段はボッタクリ過ぎな気もする。
広さも空調も文句なし、部屋の窓からTV塔や公園なども綺麗に見えて景色も良し。
冷蔵庫もあるしサービスのミネラルウォーターも500mlが2本用意されている。
全て完璧に思えた部屋の唯一の欠点はバスタブがなかったこと。
海外だと高級ホテルでもこういうパターンがある。
ただシャワーでも充分、前夜は風呂に入っていないので早速シャワーを浴びる。
水量も勢いも温度調整も問題なし。
なお、シャワー前に大をしてみたけれどこちらは残念な結果だった。
旅の終盤だからと高級ホテルだからといって変わらない体調。
シャワー浴び終えた後は部屋でゆっくりしつつ仮眠。
特にすることがないけれど18時過ぎにとりあえずホテルを出る。
暑さが少しは和らいできた時間帯、地下鉄で新市街中心部の方へ。
目的はスーパーがあったら入ってみてお土産になりそうなお菓子がないか探すこと。
スーパーはいくつかあるのだが、小さな店ばかりで土産になるようなお菓子の類はない。
あるいはあっても明らかに外国産でウズベキスタン産とは思えない。
地球の歩き方に「タシケントを代表する百貨店」と紹介されていたウニヴェルマーグという所で惜しい商品はあったが微妙に違う。
残る手段はこの日の午前中に行ったチョルスーバザールか、その近くのスーパーかの2択。
お土産は最終日に購入で良しとしよう。
とういか翌日はお土産を買うことくらいしかやることがない。
結果的にタシケントが実質3日は多かったということになる。
ただ到着翌日の1日は身体慣らしや旅の足確保などに必要。
この日は夜行列車を使ったので朝から行動出来て1日空く。
翌日の飛行機は夜の出発なのでやはり1日ほど空く。
夜行が到着したその日にタシケントを離れるプランも可能ではあったが慌ただしいし、夜行列車の切符が買えないなど突発トラブルに対応できない可能性もある。
そう考えるとこのスケジュールにならざるを得なかった。
もう1度ウズベキスタンを訪れることがあったらもっと巧く日程が組めるだろう。
旅というのはそういうものだろう。
色々と歩き回っても全くお腹が空かず、どちらかというとキュルキュル鳴り出す始末。
まだ昼のプロフが充分に溜まっている。
晩飯を食べる気分と調子では無かったので、ツマミでも買ってホテルの部屋でビールを飲みながらダラダラする、というのが1番贅沢なんじゃないかと思えてきた。
トイレも気にしなくて良いしホテルの環境も存分に使える。
そんなわけでホテルの最寄り駅に戻り、ホテル前の通りにあるミニマーケットでツマミを購入。
現地の謎ブランドのお菓子を買って外すのも嫌だったので無難にポテトチップスのRAYSを選ぶ。
これなら大体どの国にもあるし、味も外さない。
コーラなどの外国産ジュースのペットボトル500mlが3,500スム(≒50円)ほど。
ポテトチップスなら5,000スム(≒71円)くらいかなと思って5,000スム札を出したが、店員が電卓で示した金額は14,500(≒207円)って高っ!
昼飯のプロフ(とお茶)とほぼ同じ料金って。
もしかしたら完全なる輸入物だったのかもしれない。
コーラなどの外国産ジュースはライセンスを獲得して自国で作っているからそこまで高くないのかもしれない。
或いは単にボッタクられただけか。
まぁ金は余りそうなくらいなので文句は言わず…というか言えずに購入。
ホテルの部屋に戻る前にロビーでネットに接続。
帰国便のネットチェックインと座席指定をしておく。
朝からこのホテルではWi-Fiを繋ぐために何度かロビーで休憩しているが、いつ来ても殆ど客がいない。
タシケントでは最高級に分類されるホテル、高くて敬遠されているのだろうか。
それともたまたまタイミングが合わないだけか。
部屋に戻ってシャワーを浴びた後はビールとポテトチップ。
ビールはサマルカンドで買ったものを飲む機会を逸してここまで持ってきてしまった。
相変わらずの下痢状態ではあるものの、美味しくいただけているのがせめてもの救い。
途中から覚悟はしていたが、タシケント最後の夜でも最終日まで水下痢は回復せず。
でもまぁ夜2回ほどと数は落ち着きを見せている。
朝食はビュッフェだが、利用客も種類も少なかった。
客は全部で2〜3人、客が少ないから種類も少ないのか。
ただ味はどれもしっかりしていたし、ジュースやコーヒーもレベルが高かった。
同じタイミングでいた客は全部一人客で、日本人ビジネスマンみたいなのもいた。
こういう所に泊まるのはビジネス客が主か。
ゆっくり食事をしてこの後の計画を練る。
出発の飛行機は遅い時間なのでこの日も時間はある。
とはいえすることがあまりないのでギリギリまでホテルで過ごす。
私の部屋は6階で、部屋の窓からはTV塔などが綺麗に眺められる。
景色も高級
上の階はもっと景色が良いのかなと思いエレベーターで1番上の9階まで興味本位で上がってみたが、降りた途端に蒸し暑い。
恐らく客を入れていないから空調も切っていたのだろうと思う。
何度かロビーを行き来しているときにも思ったが、この規模のホテルにしては明らかに客が少ない。
近々ヒルトン系列になるというが、こんな状態でやっていけるのかと他人事ながら心配になった。
チェックアウト時間の12時ギリギリにホテルを出る。
その時にもロビーやカウンターに客はいなかった。
荷物を預けて最初に向かったのは地下鉄で2駅の場所にある庶民の台所として紹介されていたアライバザールという場所。
地下鉄で2駅だといつもなら歩くところだが、この後は機内泊でシャワーも浴びられないので極力省エネで行動したい。
バザールの内容はこれまでに行ったいくつかの所と大差はない。
ただバザールとは別に割と大きめのスーパーがある。
入ってみると個包装のお菓子が袋に詰められて沢山売っている。
まさにバラマキ土産でこういうのを探していた!という感じの品。
それがウズベキスタン産なのかは分からなかったが、パッケージの包装紙に買いてあったURLには.uzの文字。
職場へのバラマキ土産はそれっぽければ受け取る側が勝手に解釈してくれる。
チョコレートっぽいモノやよく分からないモノなど3種類くらいを適当にカゴに放り込んで大人買い。
会計は8万スム(≒1,140円)でお釣りがきたので約10ドル弱といったところか。
前年のラオスでの出国間際の空港での土産物購入といい、この辺は不思議に持っているな。
スーパーだから明朗会計というのも良い(ちゃんとバーコードを通して値段管理してある店だった)。
ホテルから地下鉄で2駅の所だったので荷物をまとめるために敢えてもう1度ホテルに戻る。
チェックアウトの際に預けておいたバックパックをもう1度出してもらい、買ったお菓子を詰める。
幸いにも全てバックパック内に収まり、改めて預かってもらう。
土産は買ったのであと必要なのは空港までのタクシー代と、この日の最後の食事代くらい。
荷物を預けたついでにホテルから空港までタクシーを呼んだらいくらかを聞いてみた。
コンシェルジュによると4万スム(≒570円)とのこと。
地球の歩き方に記載されている相場では空港から街まで1万5千(≒214円)〜2万(≒285円)。
さすがにホテルで呼ぶと高い、しかも高級ホテルだから余計に高いような気もする。
試しに「流しのタクシーだったら幾らくらい?」と聞いてみると、「流しは止めた方が良い」というようなことを色々と言われた。
安全確実にするためにはホテルが呼ぶタクシーが1番だろう。
ブハラのタクシーで感じた一抹の不安も流しのタクシーだったからという要素が大きかった。
幸いにしてお金も余っているのでタクシーを呼んで貰うことにした。
19時頃にホテルを出るのでそのタイミングに合わせて呼んでおいてくれるという。
高級ホテルでチャーターしたタクシーに乗って空港なんてセレブのような状況。
タクシー代の4万スムを別にすると残金はちょうど4〜5万スム(≒570〜712円)ほど。
1食を控えめに採ると丁度良いくらいだろう。
お土産を買った時点でこの日の目的はほぼ達している。
あとはロスタイムのようなもの、旅の参考資料としてタシケントの両替レートを知っておこうと思った。
タシケントでは到着日のタクシー内両替しかしていなかったので街の相場を知らない。
地下鉄でチョルスーへ行き、最も両替商がいるというチョルスーバザール周辺へ。
話しかけてきた両替商に1ドルいくらかを尋ねる。
最初の言い値は7,500スム、思ったよりも良い。
ふーん、という感じで離れると100ドルなら8,000だと言う。
つまりサマルカンドの50ドル、ブハラの20ドルと変わらないレート(ブハラでは100ドルなら9,000だったが)。
都心と地方都市の格差はそれほどでもない気がした。
ただ、そうなると初日のタクシー運転手と一緒にいたヤツにはイイようにやられたなと思う。
最初は5,000から始まって6,000まで交渉で引き上げてそこそこ成功したつもりだったがまだまだ全然だった。
当時はそれでも良いと思っていたし、公的レートと比べれば良いことは確かだが。
今後の旅で最初の闇両替は慎重にという教訓になったけれど、闇両替をする機会はそうそう無いかな、無いと良いな。
この日の目的は果たしてあとはブラブラ歩く。
出来るだけ日陰を歩くがどうしても避けられないところも出てくる。
省エネで行動しようと思っていたが結局汗だくになっている。
歩いている最中にお腹が苦しくなってきてトイレに行きたくなった。
こんな時に気軽に入ることが出来るのはそこそこの規模のホテル。
近くにあったのが地球の歩き方に載っているホテル。
入ってみてトイレを借りられるか聞く。
ココに泊まっているのか?と聞かれたので正直にノー、と。
それでもトイレを貸してくれたのでありがたい。
相変わらずのモノが出たおかげで腹痛からは解放されたが、シャワーが無いのでトイレットペーパーで入念に拭く必要がある。
ウズベキスタンでは基本的にトイレットペーパーは流せないため、便器脇のゴミ箱に捨てる。
宿泊客でもないのに大量に紙を使ってしまって申し訳ない。
ホテルマンにお礼を言ってホテルを出る。
この時点でタシケントの街はそれなりに見て回ったのでこれ以上派手に行動はせず、公園内の日陰などで涼を取りつつ休憩。
どこかでジュースでも飲んで水分補給を…と考えて思いついたのが初日に泊まったホテル。
ロビーに売店があったし、あそこなら2日間利用したので勝手も知っている。
それっぽい顔をしてロビーにいても追い出されることはないだろう。
そうと決めたらホテルを目指す。
クーラーも効いたロビー、トイレもあるし最初からここで休憩すれば良かった。
休憩のために購入したファンタオレンジは街の売店だと3,000〜3,500スムだが、ホテルだと4,000スム(≒57円)だった。
ホテル価格ってのは国に限らず存在するのか、まぁ10数円の違いだが。
宿泊している時はロビーでWi-Fiが繋がったのだが、今回は繋がらなくなっていた。
頻繁にパスワードを変更しているのだろうか。
さすがにもう宿泊していないのにフロントでWi-Fiパスワードを聞くほどの図々しさは持てなかった。
休憩を終え、最後の晩餐に向かったのは地球の歩き方に載っていた店。
最終日に泊まったホテルがある新市街の幹線道路沿いにある。
周辺には複数件の飲食店が並んでいて雰囲気的にビールも出しそうだった。
初日からこの辺りに来ていたら労せずビールにもありつけたか。
早い時間だったので客はゼロ。
当然外国人観光客向けのレストランで、メニューを見たら思ったよりも高かったので慎重な計算が必要。
野菜雑炊とも言うべきこの国の名物料理マスタヴァがあり、スープに分類されるからか1万4,000スム(≒200円)と値段も手頃。
それと一応…イヤ、勿論ビールも注文し、1杯1万2,000スム(≒171円)。
料理と比べるとビールの値段が高いのはやはり嗜好品だからだろうか。
なお、この国のビールは500mlで出てくるため日本と比べると安いことは安い。
いつもの旅なら最低でも2杯飲むのだが、やはりお腹が不安なので1杯に留めておく。
これが無ければもっと旅も食事も楽しめたと思うのが惜しい。
マスタヴァという料理は具沢山の野菜雑炊という感じ。
お腹がアレなので丁度良い料理ではあるが、最後の晩餐が野菜雑炊ってのも寂しい。
最後の晩餐
会計はサービス料等を併せて3万1,200スム(≒445円)。
これでタクシー代を除くと残金は2万スム(≒285円)弱と、まぁ巧く調整できた気がする。
両替は初日の50ドル、サマルカンドの10ドルと50ドル、ブハラの20ドルで合計130ドル(≒1万4,820円)。
ホテル代が別とは言え、1週間滞在して交通費も含めて使った現金がこの値段はかなり安いのではなかろうか。
体調が万全なら酒量や食費としてもう少しかかったと思うし、もう少しかけたかったのが本音。
いよいよウズベキスタンも最終盤、ホテルに戻ってまずはトイレへ。
ここから先は綺麗なトイレは望めない、最後にホテルのトイレへ行っておく。
今回の旅で予想外に取得してしまったスキルが出せるときに大を出すこと。
最後の最後まで水状のモノが出る。
コイツともこの国を出たらおさらばできると良いのだが。
時刻はちょうど19時、ホテルマンに聞くとタクシーは待機しているという。
ホテルの入口に待機している相場の倍の料金のタクシー。
ちゃんとした車で、初老っぽいオッチャンがドライバー。
空港のターミナルは国際線か国内線かを聞かれただけで無駄口をきかないのが良い。
ホテルから20分ほどで空港に到着。
事前情報で空港内ではドルかユーロしか使えないとのことだったので、余った細かい紙幣は全部チップとして差し上げる。
ただ綺麗なお札は記念にとっておく。
これまでの旅記でも書いているが、その国のお金を残しておくのはまたこの国へ来られるようにするための願掛け。
空港に着いたら旅も落ち着くかと思ったが予想外だったのは空港に着いてからも大変だったこと。
まず空港の建物に入るまでに外でのセキュリティチェックがあり、これが行列。
さすがに国際線の空港だからチェックが厳重で、駅や地下鉄のようにサッと見て終わりにはならない。
チェックする場所が2箇所だけらしく、列もなかなか進まない。
ようやく空港内に入ることが出来ても大韓航空のチケット発券でまた行列。
そして最も長かった列が出国審査と思われる行列。
しかしよく見ていると出国審査ではなく、入国時に申告した所持金や所持品と出国時のチェックらしい。
ウズベキスタンでは入国時に所持金と高級な所持品を申告書に記載する必要がある。
ちなみに私の場合、高級な所持品としてデジカメとiPhoneとタブPCを申告しておいた。
入国審査時にその書類にスタンプを貰い、出国時には同様の申告書を書き、入国時に書いた書類と併せて提出する必要がある。
それで所持金や所持品が不自然に増減していたりすると取り調べを受けるとか(実際に所持金や所持品をチェックされることは稀らしい)。
誰もがその遅々として進まない行列にイライラしているよう。
私の前は中国人か韓国人のようで、何でそんなに時間がかかっているのか分からない。
数十分待たされてようやく私の番が回ってくる。
こちらも待たされてだいぶ不機嫌になっていたところ係員が「韓国ですか?」と聞いてきた。
韓国じゃねーよ「ノー、ジャパン」と答えたが、アレ?日本語?
不思議に思ったら係員が言い直して「観光ですか?」と。
まさかの日本語に対応できず「オー、イエスイエス観光、ニホンゴOK?」と中途半端な返答になった。
話すとその係員はウズベキスタンの大学で日本語を勉強して日本に留学した経験もあるという。
まさかこんな所で日本語を耳にするとは思わなかった。
「日本人、英語喋れる、大丈夫。中国人、英語もロシア語も喋れない。難しいですね。」と苦笑い。
どうやら行列に時間がかかっていた理由を暗に説明してくれたようだ。
日本語が流暢だったので「日本語上手ですね」というと「イヤイヤ、まだまだですよ」ってその謙遜が既に日本的。
「ウズベキスタンはどこへ行きましたか」
「今度はヒヴァも行ってください」(ヒヴァは行きたい場所だったが、日程と距離から断念していた場所)
「日本は京都が好きです」
…みたいな話を日本語でしているといつの間にかチェック終了。
ともすれば事務的になりがちな出国のチェックを終始フレンドリーに終えることが出来た。
なお、チェックされたのは所持金と所持品リストだけではなく、各都市の滞在証明も確認された。
日本贔屓の係員だったし、多少は書類に不備があっても見逃してくれそうな気はした。
行列に待たされてイライラしたが、あの列で良かったと思えた。
しかしそれで終わりではなく、今度は出国審査でやはり待たされる。
こちらは特に質問もなく淡々と終え、パスポートに出国印を押される。
そしてようやく最後にセキュリティチェック。
ここまで来ると待つことにも慣れてくる。
しかし散々色々とチェックしたくせに液体物の持ち込みには無関心のようで、捨てる覚悟で持っていた水500mlのペットボトルに対して何も言われなかった。
日焼け止めや歯磨き粉などの液体物を入れたジップバッグも本来は外に出しておくべきなのだが、それも何も言われず。
締めるところと緩いところの区別がよく分からない。
空港入口、航空会社カウンター、出国前審査、出国審査、セキュリティチェック…結局5度も列に並び、全てを終えた頃には空港到着から1時間以上が経っていた。
早めに行動しておいたから良かったが、旧社会主義国や発展途上国はこの辺を見越しておかないと厄介だ。
予想外の時間を取られたので搭乗開始まで30分ほど。
セキュリティチェックで少々乱れた荷物などをまとめ、その後はフェイシャルペーパーで顔、身体、足、サンダルを拭いて最低限の身だしなみを整える。
残りの時間は大して広くもない空港の出国エリア散策でもしようと思ったが、案内板を見ると乗る便が既に搭乗開始になっている。
行ってみると確かにもう並んでおり、ビジネスクラスから乗り始めている。
搭乗口まで行き、既に搭乗が始まっている状況で敢えて空港散策をしようとは思わない。
結局、そのまま機内へ。
当たり前ながら韓国系と見られる客が多い機内はほぼ満席。
往路便と同じく席にUSBプラグがあって充電出来るのが良い。
機内エンターテイメントは往路と全く同じラインナップで面白味がない。
21時20分発の予定だったが動き出したのは21時29分、飛行予定時間は5時間30分とのこと。
21時45分離陸、まずはソウルへ。
お腹の調子が不安だったが、機内食ではちゃんとビールも飲めた。
違和感は若干あれどキュルキュル痛むことはなく何とかもちそう。
後は寝て朝になったらソウルのはずだ。
ひたすら機内エンターテイメントの音楽を垂れ流して寝ていただけの機内。
外は既に明るくウズベキスタン時間で3時24分、ソウル時間だと7時24分に着陸。
実質の飛行時間は5時間40分ほどか。
ウズベキスタンへ向かった時と同じ仁川空港に到着。
飛行機を降り、入国審査をする前にトイレ。
ウズベキスタンを出国したら一気に回復…なんてことがあるわけもなく、やはり下痢。
またしても、まだしても。
トイレでロスした時間があり、入国審査の列は後ろの方。
朝が早いから係員が少ないのか結構な列になっている。
税関申告書は機内で配られた用紙がハングルのみの表記で何を書けば良いのかサッパリ分からない。
往路の便では日本語表記の税関申告書を貰えたのに。
列に並んでいる途中にiPhoneでネットに繋げたので、記入例を検索してなんとか埋められた。
入国審査ではトランジットの搭乗券を見せろと言われただけで他は特に無し。
税関では苦労して書いた申告用紙をただ回収するだけで書いてある内容を一切見ていなかったような気がする。
1週間ぶりの韓国入国完了。
街へ出る前にまずはバックパックをどうにかしたい。
到着ホールのインフォメーションで聞くと出発ホールのゲートAの近くに荷物預け場所があるという。
バックパックはMサイズ扱いで24時間預かり8,000ウォン(≒865円)。
クレジットカードで支払い、身軽になったところで街までの行くことに。
交通手段としては事前に調べたところAREXという列車が速いし楽という情報。
ソウル駅と仁川空港を結ぶ直行列車が8,000ウォンと乗車券のデポジット500ウォンで合計8,500ウォン(≒919円)。
列車は指定席で新幹線や日本の有料特急と同じレベルの快適で清潔な車内、アナウンスは日本語も流れていた。
予定通り40数分でソウル駅に到着。
ソウル駅ってこんなに立派だったっけ…ってそもそも私はソウル駅へ来たことあったっけ。
早くもまたお腹が怪しくなったので駅のトイレへ。
ウズベキスタンと違い、ソウルなら駅のトイレもそれなりに清潔で安心。
ここでも液体を放出し、これでまた暫くはもつだろう。
駅構内から外へ出てその大都会ぶりに驚く。
ソウルってこんなに大都会だったっけ。
ソウルへ来たのは2000年に友人と訪れた旅行と2003年の社員旅行以来。
実に14年ぶり3度目の来訪、そして意外にも1人で訪れるのは初めて。
大都会ぶりに驚くと同時に蒸し暑さにも驚いた。
ウズベキスタンも暑かったが、湿度はあまり無かった。
ところがソウルの暑さはいかにも日本的な蒸し蒸しする暑さ。
まずは気候から日本に近付いていることを実感した。
ソウル駅から中心部の明洞までは歩ける距離だったので歩き始めるが、やはり飛行機移動の疲れと蒸し暑さで一気に体力を削られる。
途中に新世界デパートというのがあったのでそこに避難。
クーラーがガンガン効いており、ソファに座って休めるスペースもある。
ウズベキスタンだとこういうスポットはホテルくらいしか思いつかない。
ウズベキスタンではデパートのような店こそあれど、休憩できるスペースは殆ど無かった気がする。
しばし休憩してから明洞へ。
学生時代に友人と訪れた際のホテルが明洞の駅前だった。
10年以上ぶりに訪れた明洞は記憶にあるイメージとそう変わっていない。
今回の旅で行きたかったのが全州中央会館という石焼きビビンパ発祥の店。
事前にネットで「ソウル 一人飯」で検索して出てきた所。
明洞の通りから1つ奥に入ったところにある店ながら有名店なのだろう、日本語の看板も出ていた。
昼飯時には少し早い11時過ぎに店内に入ると先客は2組6名。
オバサン4人組と若い姉ちゃん2人組、話し声が聞こえるといずれも明らかに日本人。
その後で入ってきた家族連れ3人、若者カップル2組、オバサン2人組も全て日本人。
私がいた時間帯の店内は日本人しかいなかった。
30分ほど滞在しただけで1週間のウズベキスタン滞在に匹敵する数の日本人を見た。
メニューにも当然日本語があり、店員も日本語を話す。
石焼きビビンパ1万ウォン(≒1,081円)と、お腹は不安だったが暑かったのでビール4,000ウォン(≒432円)も注文。
まずはすぐに出てきたビールが美味い。
お腹の調子がイマイチでも暑い中歩いてきて飲むビールの美味さは変わらない。
そしてビビンパと一緒に各種キムチや海苔やスープも出てくる。
そうだった、ソウルではこうしてオツマミ的に必ずキムチその他が出てくるんだった。
ビビンパは見た通りかつ予想通りの美味しさ。
これはまぁ外さないわな。
コレを食べに来た
ご飯モノながら辛いのでキムチと共にビールも進む。
いつもなら2本目に行くところだがお腹を考えて自粛。
ビビンパとビールを完食完飲し、改めて明洞の街をブラブラする。
以前に訪れた際には明洞の地下鉄駅前にあったこのホテルに泊まったなー、とか。
明洞駅の地下街はこんな雰囲気だったなー、とか。
初日に何か食ったデパートのようなビルは健在だが上階のフードコートはなくなっているなー、とか。
こんな所にユニクロが出来ているなー、とか。
思い出すのは2003年の社員旅行の記憶よりも前の2000年に友人と訪れた旅行の記憶。
当時を思い出しつつ、お互いに定年退職したら当時を振り返る旅なんかしてみたいなと思った。
そして明洞中心部をブラブラ歩いて驚くのは日本語の多さ。
飲食店の店頭には殆ど日本語表記がされている。
10数年前に来た時も日本語が多かったことに驚いた記憶はあるが、ここまでではなかった気がする。
地下鉄の公式案内板や駅内の看板にもカタカナ記載があるし、駅の券売機でも日本語の案内が選べる。
往路でも思ったが語弊がありつつも半分くらいは日本と思っても良い気がした。
普段日本では意識していないが、逆に韓国人が日本に来ても同じような感覚を持つのだろうか。
飯は無事に食べられたが、暑さも手伝って少し動いただけで疲労がドっと来る。
あまり動く気になれず、先程と同じく新世界デパートの休憩ソファで座っていたらビールの酔いもあって居眠り。
休憩して体力も少し回復したところで南大門市場へ。
ここも前回と前々回に訪れた場所で、こんな感じだったなーと思い出す。
ウズベキスタンのバザールとはまた違うアジア的熱気が感じられる。
ウズベキスタンでは香辛料や野菜や果物などの「生」の臭いを感じるが、ソウルでは屋台などで何かを「調理」した臭いを感じることが多い。
前者の方がワイルド、後者の方が食欲をそそられる。
人の多さはどちらの市場も変わらないが、ソウルの方が圧倒的に観光客が多い。
そのまま市場の開始位置にある崇禮門(崇礼門)まで行く。
韓国の国宝第1号ながら2008年に放火で消失し、2013年に復元された門。
意外にも敷地内には入場無料で入ることが出来たが、門の中や上に登ることは出来なかった。
この門のある場所から南大門市場が始まるのでこれは南大門なのだと思っていたが、南大門は通称で実際は崇禮門というらしい。
そんな南大門市場と明洞周辺という1大観光地を一通りブラブラ歩く。
途中でやはりまたお腹が怪しくなり、途中で立ち寄ったデパートのトイレで放出。
そんな状態ながらソウルに来たもう1つの目的。
事前にネットで「ソウル 一人飯」を検索した際にビビンパと共にそそられたのがレバ刺し。
日本では様々な問題で食べられなくなったが、ソウルでは食べられるという。
オススメの場所もネットで探してあったので行ってみた。
地下鉄に乗り、1,350+デポジット500で1,850ウォン(≒200円)払って最寄り駅へ。
駅を降りてすぐに到着した広蔵市場は生肉系を扱う店が多く、南大門市場よりローカルさが増す。
飲食店も多く、店頭の看板に日本語で「レバ刺し」と書いてある店も。
ネットに載っていた店もあったが、実際に市場内で生肉の生々しい臭いを嗅ぐとお腹の調子がイマイチなのが顕著に。
この1週間でのお腹の不調と全身の疲労、明らかに身体の抵抗力は落ちているだろう。
そこにトドメとして韓国とはいえ外国で生レバーを突っ込むのはどうにも気が引けた。
断腸の思い…というか本当に文字通り腸がおかしな調子なので諦めた。
そんな思いで諦めた要因の1つは今回10数年ぶりに訪れて思ったソウルの近さと行動のし易さ。
今後の旅でもソウル経由にすればココへはまた来られるだろう。
レバ刺しはその時までに取っておこう。
これは勇気ある撤退だ。
帰国の飛行機まで時間はあるが、街をブラブラする体力と気力があまり無かった。
再び地下鉄に乗りソウル駅へ。
ソウル駅では韓国系航空会社利用の場合、駅で出国審査が出来るという。
韓国のナショナルフラッグシップである大韓航空は勿論対象なので駅での出国審査を実施。
まずは駅構内にある大韓航空のカウンターで手続きをする。
その際に機内預け荷物もその場で預けられるが、私は機内預け荷物が無いのでスムーズに手続き終了。
手続きを済ませた搭乗券を持って出国審査カウンターへ。
先客が誰もいないのですぐに出国審査が完了。
特に何事もなく、待つこともなくスムーズに完了、これは便利。
後は往路と同じ直通列車を使って空港へ。
空港に預けていた荷物を受け取って空港の出国審査へ。
駅で出国審査を済ませている人は普通の人とは違う入口が用意されている。
そこから直接セキュリティチェック(それも専用レーンなので空いている)に進むことが出来る。
最後に改めて出国審査の窓口のような所は通る必要があったものの人は少ないのでアッサリ終了し出国完了。
早いし便利、次回も機会があればぜひ利用したい。
出国審査後の仁川空港で行きたかったのがシャワー室。
事前にネットで調べたところによると仁川空港ではトランジット客のために無料のシャワーがあるとか。
2年前のシンガポールでは有料だったシャワー室が無料。
そのために搭乗の3時間前から来たと言っても過言ではない。
空港内案内板で無料シャワーの場所を見つけて行ってみる。
約20分待ちとのことだったがノープロブレム。
搭乗券を見せると順番待ちの番号札を貰える。
待ち時間に何人かの客が来たが、係の人が言うにはトランジット客のためのシャワーなので、仁川空港から出発する人は有料とのこと。
確かに私も搭乗券の提示を求められたが、搭乗券を見るとトランジットかどうかって分かるのか?
20分ほど待って番号を呼ばれ、タオルとドライヤーを渡される。
入ったシャワー室はシンガポールで有料だったそれと遜色ない。
前の客が使用した状態なのでシャワー室が濡れているのはまぁご愛敬。
個人的に助かったのはトイレも付いていたこと。
この旅では出せるときに出しておく習慣が身に着いてしまった。
まずは出すモノを出してからシャワーを浴びる。
ボディソープもシャンプーも揃ったシャワー室、前日のタシケントからの汚れを全部洗い流し、かなりサッパリできた。
それにしても空港の設備といい、サービスといい、日本語の通じる具合といい、中心部までのアクセスのし易さといい、かなりソウルは良い。
今後、ソウル経由便の優先順位が上がるかもしれない。
シャワーを終え、休憩スペースのソファでゆっくりする。
ビールでもいきたいところではあったが、何せお腹が…。
お腹を除くと帰路の最後の不安は飛行機の到着時間。
羽田到着予定が22時50分、地元へ向かう最終バスが23時30分。
2年前にギリシャからカタールを経由しての帰路で22時45分到着予定だったのが30分以上遅れてその日のうちに帰ることが出来なかった。
今回はソウルから羽田なのでそこまで大幅に遅れるリスクはないことを願いつつ機内へ。
その機内は1人1台のモニターも無ければイヤホンジャックすらない古い機体。
私の隣には誰も座らず、全体の客入りも5〜6割といったほど。
ソウル−羽田ってドル箱路線じゃないのか?と思って気が付いた。
羽田到着予定が22時50分だから空いているのだろう。
もう少し早い時間ならもっと混んでいた気がする。
そして混雑しない時間帯だからこそ機内エンターテイメントも無い古い機体なのだろう。
飛行機は韓国時間の21時過ぎに離陸。
隣席に誰もいなくて空いているのは良かったが、機内エンターテイメントが無いのは退屈このうえない。
機内食とビールの他にはすることも無い。
時間的に到着が近付いているはずだが1人1台モニターが無いのでフライトマップも見られない。
到着予定の22時50分が近付いてもまだ着陸せず空にいるので次第に不安になってくる。
そして着陸したのは22時55分すぎ、この時点で最終バスまで35分って大丈夫か…
着陸してからもゆっくりゆっくりターミナルに向かうので次第に不安がイライラに変わってくる。
オイオイ、早くしてくれよ…
搭乗口に着いて機内から出られたのは23時10分、最終バスまで20分。
こんなこともあろうかと座席指定では出来る限り前方の席を取っておいたものの移動や入国手続きの時間などを考えて20分って結構ギリギリなのでは。
大韓航空なのでソウルの仁川空港では出入口に近い搭乗口だったが、ココは日本の羽田空港。
日本の航空会社ならともかく、大韓航空だからか出入口からは距離がある端っこの搭乗口。
思ったよりも入国審査の場所まで距離があった。
飛行機を降りてからは早足で歩く、まだ走るほどではないか…
入国審査場の前には健康相談所がある。
お腹の調子を考えると寄っておきたかったが今はそれどころではない、さっさと入国審査へ。
夜も遅い時間だからか自動化ゲートを使うまでもなく客は誰もいなかった。
この時間に到着する飛行機はあまり無いのだろうし、今の飛行機では私が最も早いはず。
入国審査を終え、そのまま税関へ。
こんな時に機内預け荷物が無いのは大きなメリットだ。
税関でも止められることなく無事に通過。
時間は23時20分、飛行機を降りてから10分で入国完了。
これはなかなかの記録ではないだろうか。
バス会社のカウンターへ行き、最終バスの乗車券を入手。
外へ出ると蒸し暑い、ソウルでも味わったこれが日本の暑さ。
最後は少し焦ったものの、何とか無事に終えることが出来た。
ただお腹だけは無事とは言えない旅だったが。
〆
初めての中央アジア。
とはいえ旅の内容はこれまでと大差ない。
中央アジアという地域よりも旧社会主義国といった体制の方が目立った気がする。
空港内や駅では写真を撮ったらダメだとか、所々で警察の荷物チェックがあったり。
最も戸惑ったのは通貨感覚というか両替。
本文中にも書いたが国が定めている正規のレートよりも闇で流通しているレートの方が倍かそれ以上。
普段の旅ならクレジットカードを活用するのだが、この国ではクレジットカードを使うと正規のレートで計算されて請求される。
それよりは闇両替で獲得した現金を使った方が遥かに得になる。
正確にいうと得になるのではなく、正規レートを使った方が損をするといったところか。
私も今回の旅では全て闇両替をした現金を利用した。
ただ両替のために毎回交渉が必要なのと、何よりも闇両替は違法なので運が悪いと警察に捕まることもあるらしい。
闇両替は日常茶飯事なので警察も見て見ぬふりをしてよほどのことがない限り捕まることはないという情報だったがそれでも不安なものは不安。
その辺りがこれまでの旅では無かった側面。
もう1つ今回の旅での初めてはiPhoneを持参したこと。
これによりタブPCとの2台体制になった。
iPhoneだと現地の電波を拾ってくれるのでGPSでの位置特定が速い。
モバイル通信をOFFにしておけば電波を拾っても通信費は発生しないし、タブPCと同じようにWi-Fi接続で使うことも出来る。
ポケットから出してサッと使えるので地図の確認も楽。
これまでだとショルダーバッグからタブPCを出し、さらにGPSでの位置特定に時間もかかっていた。
それがiPhoneだと実にスムーズに行えた。
画面が小さいのでタブPCよりも電池の持ちが良いのも利点。
一方で旅記を書く時は大きめの画面の方が圧倒的に書き易く、こちらに関してはタブPCに軍配。
今後の旅でも巧く棲み分けして使える気がする。
どちらかに機器トラブルが発生してもお互いに代替できるのも大きい。
しかしそれらよりも何よりもこの旅での最も大きな出来事は全工程で悩まされた腹痛と下痢。
これまで様々な国へ行き、たまにお腹を下すこともあったが一時的なものばかりだった。
それが今回は到着翌日こそ大丈夫だったが、1日行動したその翌日からは連日だった。
ただの下痢なら良いのだが、腹痛を伴うのが辛かった。
寝ていてもそのせいで起きてはトイレへ行き、その度にお尻を拭いていられないので後半はシャワーを簡易ウォシュレットとして使っていた。
毎晩トイレのために起きることを余儀なくされた。
10数年前に急性胃腸炎に罹った時と似たようなお腹の調子だったのでかなり不安になった。
毎日違うものを食べていたのに必ず下痢になった。
水は勿論ミネラルウォーターを飲んだし、途中からは念のために歯磨きをするのにもミネラルウォーターを使った。
毎日必ず口にしたものは水とビールしかない。
文字通り水が合わなかったのだろうか。
万が一ビールが合わなかったのだとしたらそれはショックだ。
これまでの旅で常に一緒だった親友に裏切られたような気分。
ただ悪いのはお腹だけでそれ以外はなんともない。
食欲もそれなりにあったし、ビールを飲んでも美味しく感じられる。
腹痛と下痢のせいで行動範囲や時間が狭まったのは確かだが、ならばそれが原因で行きたかった場所に行けなかったのかというとそうではない。
事前に予定していた場所へは全て行けたし、行動中の天気も常に快晴で申し分なかった。
強いて挙げるならレバ刺しが食べられなかったのは惜しいが、これは旅のおまけみたいなものと捉えていたので別に良いだろう。
敢えてリベンジの旅をするほどのことはない。
それ以前にリベンジしてまたお腹を壊す方が恐い。
まぁ長く旅を続けていたらこういうこともあるだろう。
むしろこれまでにインドを始めとしたもっと怪しい国へ行きつつ、殆ど何事も無かった方が特殊だったのだろう。
教訓として次の旅では空のスプレーボトルを持参して簡易ウォシュレットとして使えるようにしようと思った。
また新たな旅の収穫を得て次を目指す。
旅の費用
航空券
往復航空券(大韓航空、羽田〜ソウル金浦、ソウル仁川〜タシケント、タシケント〜ソウル仁川〜羽田)
70,000円
航空券関連諸税(空港使用料・現地税・サーチャージ・手数料)
17,970円
往復航空券代合計
87,970円
ホテル
タシケント2泊(Uzbekistan Hotel)
10,894円(1泊5,447円)
サマルカンド2泊(Malika Prime Hotel)
98ドル≒11,172円(1泊49ドル≒5,586円)
ブハラ1泊(Amulet Hotel)
35ドル≒3,990円
タシケント1泊(International Hotel Tashkent)
12,818円
宿泊代合計
38,874円
現地両替
タシケント50ドル(≒5,700円)
サマルカンド60ドル(≒6,840円)
ブハラ20ドル(≒2,280円)
合計130ドル(≒14,820円)
韓国ソウル3,000円
現地両替合計
17,820円
その他
ホテル市税4ドル(≒456円)
タクシー2ドル(≒228円)
サマルカンドレギスタン広場7ドル(≒798円)
韓国クレジットカード使用
(空港内売店、空港列車往復、荷物預け、ビビンパ)
3万5,000ウィン≒3,518円
その他合計
5,000円
総合計
149,664円
昨年に続いて10万円台、しかも15万円未満。
本文中にも書いた通り、体調が万全ならもう少しかかったと思う。
そして予算をまとめていて思い出したのが今回は海外旅行保険に入らなかったこと。
クレジットカードに付帯されている保険で良いだろうと判断した。