トルコ一人旅
2007年7月19日〜26日

久しぶりの海外。
久しぶりの一人旅。
社会人になって初めての海外一人旅。
ヨーロッパとアジアの狭間へ…

 

準備

何も予定が無かった今年のゴールデンウィークに思い立った海外旅行。

海外一人旅は最初の海外旅行だった1998年の香港以来9年ぶり。

目的地はトルコ・イスタンブール。

前々から行きたかったアジアとヨーロッパの中間地点であるイスタンブール・ボスフォラス海峡。

仕事が落ち着く7月後半に夏休みと有休を使って1週間ぐらい休んでやろうと思った。

思い立ったが何とやらで、ゴールデンウィーク中にネットでイスタンブール行きの航空券を探していた。

主な航空券の選択肢が安い順番に

1.中国系航空会社
2.シンガポール航空
3.エミレーツ航空(UAE)
4.アエロフロート(ロシア)
5.トルコ航空

どんなに安くても中国系はチョット…と思っていたのでシンガポール航空が最良の選択肢。

私にとって未開の地となるモスクワを経由するアエロフロートや、イスタンブールまで直行するトルコ航空も捨てがたかったが、値段も考えるとシンガポール航空に落ち着いた。

世界一の設備を誇るというシンガポールのチャンギ空港を乗り継ぎに利用できるのも良かったし、空き時間でシンガポールの街へも出られそうなのも評価点。

2ヶ月以上も先の航空券だから余裕だろうと思っていたのだが甘かった。

ネットで問い合わせた各旅行代理店、私が希望する日程ではシンガポール航空便はどこも満席キャンセル待ちの状態。

そして大概が代替案としてアエロフロートを薦めてくる。

アエロフロートの方が安ければそれでも良かったが妥協して高い航空会社を選ぶというのも変な話だ。

もしもキャンセルが出なかったら行けなくなる、という一抹の不安を抱えたまま強気にシンガポール航空のキャンセル待ちを選択。

そして片っ端からキャンセル待ちをかけた2,3日後には航空券が確保された。

あまりにも早すぎる確定で拍子抜け。

本当に満席だったのかよ、と疑いたくもなったがどこの旅行代理店でもキャンセル待ち状態だったわけだからあながち嘘でもないのだろう。

航空券の代金は9万強なのだが、悪名高いサーチャージ(超過燃料費)が3万円弱。

昨今の原油値上がりによって航空券代に加えてサーチャージを取ることになったという。

どこの格安航空券でもツアーでも額面の金額とは別に徴収される(しかも万単位)。

同じ路線でも旅行代理店によってサーチャージの代金が違うのもたちが悪い。

額面では1000円安い航空券を買ったと思ってもサーチャージ含めた総額だったら結局高くなっていたりすることもある。

旅行代理店にはサーチャージも含めた総額料金で金額を提示して欲しいものだ。

前回自力で海外旅行へ行った時(2002年タイ)はアメリカの9.11のあとで航空保険料なる追加料金が発生した。

そして今回はこのサーチャージ。

何だか海外へ行くたびに航空券とは別の追加料金が発生している。

この調子だと数年後には航空券よりも追加料金の方が高くなるなんてコトになりかねない。

いずれにせよその他税金や空港使用料も含めて13万弱を早々にインターネット経由で振込み。

まずは行って帰ってくる足は確保された。

ホテルと航空券が確保されたフリーツアーも選択肢としてあったが、安いツアーの額面の料金は殆どが「2名1室利用」の料金。

1人で参加すると1人参加料金として数万円上積みされてしまう。

それならば航空券を確保してホテルも自分で選んで取った方が良い。

何よりそっちの方が旅らしい。

現役社会人として自力で海外旅行をするのは意外にも今回が初めて。

社員旅行でも海外へは行ったがそれはあくまでも社員旅行。

日程も短いし(実質行動できるのは1日)、周りにも気を遣いつつ行動しなければいけない。

前職を辞めてからタイ旅行もしたがそれは現役社会人ではなくNEETとしての海外旅行だった。

学生時代と大きく違うのは時間は無いが金はある、という点。

短い日程の中で効率よく旅をするために事前に色々と調べている。

ただ、あまり事前に予定を立てすぎると予定の消化が優先になってしまいそうな気がする。

結局ツアーと変わらなかった、みたいなのは嫌なのでおおまかな予定だけ立てて後は現地で、という風に考えている。

漠然と考えていた当初の予定ではイスタンブールにだけ滞在するつもりだった。

しかし各方面のトルコ情報を見ていると自然が作り出した大奇岩地帯や地下都市などがあるカッパドキア地方が面白そう。

一般的なトルコツアーに申し込むと確実にコースに入っている有名観光地。

折角だから行ってみたかったが、カッパドキア地方はイスタンブールからかなり距離がある。

バスで12時間近くかかり、そのままだと行って帰ってくるだけでも2日かかってしまう。

それならばと利用することにしたのが飛行機。

飛行機だとカッパドキア地方の空の玄関口であるカイセリ空港まで90分ほどで到着する。

料金はバスの3倍近くするが、「時間は無いけど金はある」に相応しい選択肢。

時間を金で買う、というのはこういうことを言うのだろう。

トルコでの滞在は5泊6日。

初日は飛行機が朝に到着するから1日に充てられるが、最終日は空港へ行って終わりだから実質行動できるのは5日間。

その5日のうち2日をカッパドキアに充てて残りはイスタンブールにする予定。

カッパドキアへは確実に行きたいのでイスタンブールからの航空券を手配した。

トルコ航空の国内線をインターネットで予約。

英語だらけの入力フォーム、分からない文章は翻訳サイトにかけて解読。

内容が分からないサイトにクレジットカード番号を入力するのは若干抵抗があったが、それをしないことには決済が完了しない。

クレジットカード番号を入力してオール英語のサイトでの決済が完了、自分の中でのレベルが1つ上がった感じだ。

Eチケット番号がすぐに発行されてメールで送られてきた。

これで航空券を買ったことになってしまうのだから大したものだ。

他にもイスタンブールでの初日と最終日のホテル、カッパドキア地方のギョレメでのホテルをインターネットから予約。

ホテルは現地で探す手もあり、イスタンブールでの中日にはそれをするつもりだが、ホテル探しに手間を取られるよりはこちらから予約していった方が無難。

インターネットで色々なサイトから様々なホテルの情報を見て選んで決めるのも楽しい。

最終日のホテルは贅沢をして日本円で2万円強もする高級ホテル。

本当ならアガサ・クリスティがイスタンブールでの定宿とし、オリエント急行殺人事件を執筆したという部屋が公開されているペラ・パラスという老舗ホテルに泊まりたかった。

しかしこのホテルは老舗なだけに老朽化が激しく、現在は1年間休業して改築工事中だとか。

行く前から早くも2度目のトルコ旅行の理由が出来た。

カッパドキア地方のギョレメでのホテルは岩窟住居を元に作った洞窟ホテル。

老舗の洞窟ホテルだったが思ったより高くなかったので(その地方の相場から行くと高いが)そこを予約。

現役社会人として迎える今回の旅では使うべき所ではしっかりお金を使おうと思っている。

既に20万円近くを消費している、これまで過去最高の出費だったヨーロッパ旅行(25万円)に迫りそうな勢い。

恐らく旅が終わって行動を見返してみればツアーに参加した方が安上がりだった、という結果になりそうな気がする。

ただ、自分で旅程や泊まるホテルを選び計画を練って…というの一連の流れが楽しい。

それらを楽しいと思えるか面倒と思えるかで選ぶ旅のスタイルも変わってくるのだろう。

早くも旅は始まっているのだ。

そして一番楽しいのは恐らくアレコレと計画を練っている「今」だろう。

唯一にして最大の気がかりは政情の問題。

大統領選挙の結果と総選挙の行方を巡って都市部ではしばし大規模なデモや爆破テロが起こっているという。

そしてちょうど私がトルコ滞在中に現地で総選挙が行われるという。

何やら一筋縄では行かなそうな雰囲気。

でも新聞の広告などを見ても普通に総選挙の日程と被ったツアーなんかも宣伝されている。

現地の情報をネットで見ても観光客は相変わらず大勢いるらしい。

普通に観光する分には大丈夫だと信じたい。

 

2007年7月19日 木曜日

飛行機の出発が11:30。

普段仕事へ行くよりも早く起床して、成田空港までの最も安い移動手段である日暮里から京成線で成田空港へ。

今回利用するシンガポール航空は出発の48時間前からインターネットチェックインを受け付けている。

これまでは当日空港の窓口へ行かないとできなかったチェックインが自宅で席指定も含めて出来る。

事前にこれを実施しておいたおかげで当日空港での作業は搭乗券を発券してもらうだけ。

実にスムーズにことが運んだ。

出発の2時間前に空港着がデフォルトだったような気がするが、このシステムのおかげで今後はそんなに急ぐ必要も無いだろう。

あまり混雑していなくて9:50には成田空港に着いて、10:00には出国審査。

最近飛行機内への持ち込み制限が厳しくなっているが、ひっかかりそうなものは持ち込まないようにしていたので荷物チェックもスムーズ。

荷物はそれほど大きくないバックパック1つ。

荷物預けにすると引取りに時間がかかるし紛失などの予期せぬトラブルが起こる可能性もある。

荷物は機内に持ち込めるサイズと物で、というのが私の旅の基本。

11:10シンガポール航空搭乗、11:30出発、12:00離陸。

事前に席指定をしておいたので前方窓側の席を確保。

前から2列目の席だったので、入ってすぐに席。

シンガポールでは数時間しか空き時間がないので到着したらすぐに外へ出られるように入口に近い席を確保した。

しかし予期せぬ出来事が。

1列目の3席に座ったのが西洋人4人家族。

おまけに子供が小学生くらいの娘と赤ちゃん。

出発する前から悪い予感を通り越して大失敗。

出発すると赤ん坊は案の定泣き喚く。

小学生の娘はテンション上がって席で激しく身体を揺するし、父母はトイレだ赤ん坊の世話だ何だチョイチョイ席を替わる。

その度に後ろの席の私にも振動が伝わるし何より落ち着かない。

さすがのインターネットチェックインでも周りの席にどんなヤツが座るかまでは分からないか。

今回の教訓は一番前の席にはベビーベッドを取り付けることが出来るので、赤ちゃん連れの家族が座ることがあるのを知ったこと。

離陸してから少し経って真ん中の通路側の一番前の席に赤ちゃん連れ家族が移動してきた。

恐らく客室乗務員が気を利かせて席を変更したのだろう。

前の赤ちゃんと横の赤ちゃんが競うようにして泣き出した時間帯があり、かなりストレスが溜まった。

仕方ないと分かってはいるけど止められないイライラ。

今後は前に近い席は避けた方が良さそうだ。

客室乗務員に言えば恐らく席を替えてもらうことも出来ただろう。

だけど何でコッチが選んで取った席を替えなきゃいけないんだ、という意地。

それに加えて英語でそれらの交渉をしなければいけないというプレッシャー。

日本人乗務員もいたが、呼んでもらって文句を言うのも何だか負けた感がして嫌だ。

結局我慢することを選んだ自分は負け犬、イヤイヤ大人の対応。

同様に隣に凄いデブが座った時にも違った意味でのストレスを感じそう。

今後はインターネットチェックインでその辺も分かるようにして貰えれば尚良い。

年齢、性別、身長、体重、国籍くらいは入力項目にしてしまっても良いのではないだろうか。

ココは子連れ家族が座るとか、ココはデブが座るとかその辺も分かればそこを避けて席を確保するのに。

是非とも各航空会社にはシステムの変更を検討してもらいたい。

そうこうしているうちに飛行機はシンガポールに到着。

日本時間18:00、シンガポール時間17:00、飛行時間はおよそ6時間。

シンガポール・チャンギ空港に降り立ち、まずはインフォメーションで街に出て良いか聞くとOKと言う。

今日入国して今日出国、数時間しかシンガポールに滞在しない私は入国カードにどう書くのか迷った。

滞在地や滞在日数などを書く欄があるのだ。

よく分からないから「Waiting Transit」と書いてイミグレーションに提出。

こういう質問をされたらこう返そう、などと色々頭の中でシミュレーション。

するとろくに入国カードも見ず、何の質問も無しに入国審査完了、チョロイもんだ。

シンガポールでのテーマは事前に決めていた2つ。
・前回(2002年9月)シンガポールへ来た時に見られなかった元祖マーライオンを見る
・シンガポールスリング発祥の地でシンガポールスリングを飲む

いずれも街の中心部なので数時間の滞在で充分に実行できる。

しかし時間を無駄にはしたくなかったので多少レートは悪かっただろうがシンガポールドルは日本で両替していった。

日本の銀行で1シンガポールドル(以降の表記はS$)≒87円。

前回(2002年9月)の旅歴書を振り返ると1S$が約71円となっている。

凄まじい円安。

空港から市街までの交通費とシンガポールスリング込みの飲食代等々で40S$(≒3480円)を持参。

シンガポールでの移動手段はMRT(地下鉄〜鉄道)。

まずはマーライオンがいるその名の通りマーライオンパークを目指す。

17:55(シンガポール時)、MRTに乗車してマーライオンパーク近くのラッフルズ・プレイス駅へ。

外に出た時のムワッとした暑さが東南アジアに来たことを実感させる。

街へ出てハッと気がついた、地図持ってない…。

空港で観光マップ貰ってくるつもりだったが街へ出ることで頭が一杯ですっかり忘れていた。

駅にある街の地図を眺めてマーライオンのおおよその位置を把握。

こっちの方だろうと見当をつけて歩き出す。

近くにいるはずなのになかなか見つからないマーライオン。

現地レストランの脇で休憩していた従業員に道を聞くと幸いすぐ近くだったことが判明。

18:30、到着したマーライオンパーク。

周りにはそんなに人がいなかったのにマーライオンの近くにだけは観光客がワラワラ。

その殆どが中華系観光客でアチコチから「イーアルサン」と写真を撮る掛け声が聞こえてきた。

世界3大がっかり名所の1つとして名高いマーライオン。

どれだけがっかりさせてくれるものかと期待して行ったら意外と普通で全然がっかりしないことが逆にがっかり。

雄大に水を海に向かって吐き出すデカマーライオンの後ろで小便小僧のようにチョロチョロと水を出すチビマーライオン。

振り返れば…
大小マーライオン

シンガポールに公式に存在するマーライオンは全部で5体らしい。

ただ主力のマーライオンは元祖マーライオンと前回見たセントーサ島の巨大マーライオン。

残りのマーライオンは機会があれば…

18時を過ぎているとはいえまだまだ暑いシンガポール。

海沿いにあるマーライオンパークは海風とデカマーライオンの口から吐き出される水飛沫がなかなか心地良かった。

日本人は殆どいなくて、修学旅行と思われる揃いの制服着た女子高生の集団を見たくらい。

修学旅行でシンガポールとは豪勢な。

マーライオンを終えると次に目指すは修学旅行では行けないであろうシンガポールスリング発祥のバーへ。

有名なカクテル・シンガポールスリング。

シンガポールの超高級老舗ホテル「ラッフルズホテル」にある「ロングバー」のバーテンダーが発案したと言う。

試しにラッフルズホテルの1泊宿泊料金を検索してみたら最安でも7万円近くした。

そんな超高級ホテルにあるバー、果たしてジーパンにTシャツで入れるのだろうかという一抹の不安。

マーライオンパークから歩いて15分ほどで街の中心部にあるラッフルズホテルへ。

ドーンと巨大な建物というわけではなく、老舗ホテルらしく広大な敷地で落ち着いた趣のある建物。

ただ肝心のロングバーの入口がよくわからない。

ホテルにありがちなショッピングモールも併設されているのでますます分かり辛い。

ホテル外周を1周してみたがよく分からなかったのでこれも経験と思い果敢にも超高級老舗ホテルの正面入口より突入。

ガードマンやドアボーイなどもいたが明らかにバックパッカー然とした私に誰も何も声をかけない。

ホテルに入り、近くにいた係りの人にロングバーの場所を聞く。

すると日本語の館内案内パンフレットをくれた。

さすがに高級ホテル、しっかりした対応だった。

19:20いざ、ロングバーへ。

超高級ホテルのバー、意気込んでいったら拍子抜けもいいところ。

短パンTシャツの西洋人多数。

人の出入りも激しくて店内入っても席へ案内すらされない。

勝手にカウンターの空いている席に座る。

店内の床には名物のピーナッツの殻がアチコチに落ちていて滑り易い。

ロングバーではカウンターや机に大量のピーナッツがサービスで置いてある。

それらを食べたら殻は床に捨てるのが習慣になっているらしい。

高級ホテルのバーでピーナッツの殻を床に捨てる。

道端にゴミを捨てるだけで罰金となるシンガポールへのアンチテーゼか?

席に座るとバーテンダーが「Singapore Sling?」と。

「Yes」と答えると数秒で出てきた。

高級飲料
定番中の定番

鮮やかなピンク色のシンガポールスリング。

暑い中を歩き回ったので喉も渇いていた。

ストローで1口。
第1印象ヌルイ…
第2印象アマイ…

氷が入っているのだが、生産が追いついていないのだろう冷えないままで出てきた。

おまけに実に甘く、余計に喉が渇きそう。

殆ど酒という感じがせず、チェリージュースを飲んでいるようだった。

徐々に氷を溶かして冷たくさせつつゆっくりと味わう。

ピーナッツを食べ、殻を床に落としながら周りを観察。

カウンター席の隅に座っていたのでカウンター内部の様子がよくわかる。

目の前でピッチャーにシンガポールスリングの原液と思われるものが自動でドバドバ注がれていく。

その原液を空きグラスへ次々と注ぎ、その上からまた違う液体を加える。

最後にパインとチェリーをピンで刺してグラスのふちに飾って完成。

ピッチャーが空になったらまた原液注入…という作業を延々繰り返していた。

客の大半がこれを注文するらしくガンガン作っている。

今回ここへ来るにあたり読んだ村上龍の小説「ラッフルズホテル」。

その小説の中でシンガポールスリングをして…

「カウンターの上でまるでたこ焼きを作るように作られていた」

…なるくだりがあったが、まさにその通りだった。

量産型
大量生産中

店内も観光客だらけでバーなのに小さい子供連れた家族なんかもいた。

ここは老舗超高級ホテルのバーなんだよな…

日本で言えばオークラか帝国か、と言うような…

超高級ホテルのバーたる雰囲気を唯一感じさせてくれたのは会計。

シンガポールスリング20S$(≒1740円)+サービス料2S$(≒174円)+税1.55S$(≒135円)=23.55S$(≒2,049円)

ぬるいシンガポールスリング1杯で2,000円。

マーライオンなんかより遥かにガッカリだ。

20:00前、ロングバーを出ると辺りは暗くなっていた。

飛行機の時間は23時30分、2時間前に空港着と考えても時間に余裕がある。

ライトアップされたマーライオンを眺めることも頭をよぎったが止めた。

シンガポールでのテーマは達したし、ライトアップされたマーライオン像も容易に想像がついた。

今回のメインはあくまでもトルコ。

確実にトルコへ向かうためにも念には念を入れて早めに空港へ戻ることにした。

再びMRTに乗り空港を目指す。

MRT内の光景は日本と殆ど変わらない。

居眠りする人、携帯電話いじっている人、音楽聴いている人、新聞や本を読んでいる人、いちゃつくカップル。

あれだけ禁止禁止うるさいシンガポールだが、携帯電話の車内通話は禁止していないらしく、アチコチで喋っている人を見た。

ラッフルズホテルに近いシティホールという駅から空港まで30分ほど。

路線図もMRT内のアナウンスも英語なので分かり易い。

21:00前、シンガポール・チャンギ空港に再び到着。

搭乗開始の22:30まで空港内をブラブラ。

空港内のフードコートでなんちゃらヌードル(6.52S$≒567円)と缶ビール(6.62S$≒575円)。

さすがに空港内だから物価は高いがシンガポールスリングに比べればだいぶマシだ。

シンガポールのチャンギ空港は色々な設備が充実。

無料の映画館やマッサージ機、インターネットコーナー。

有料だがジムやシャワーやホテルなどもある。

無料だったので足マッサージ機を使ってみる。

誰が足を突っ込んだのか分からない機械に足を入れてスイッチオン。

モモと足をゴリゴリ揉まれる感じ、気持ちイイというより妙な違和感が。

痛くすぐったいような妙な感覚を味わうこと数分。

マッサージを終えて歩いてみてビックリした。

足が軽い軽い、スキップしたくなるような足の軽さ。

調子に乗ってもう1つ足専用のマッサージ機もあったので今度はそちらにもチャレンジ。

マッサージ中の違和感はそのままだったがやはり終えて歩くと全然違う。

半日飛行機乗って殆ど座りっぱなし。

その後はシンガポールの街を殆ど歩きっぱなし。

そりゃ足も疲れるか。

22:30搭乗開始、明らかに成田−シンガポールよりも多国籍になった。

機内は前より混んでいたが、子供が近くにいない席だったので良し。

シンガポール時間23:35に出発し、離陸後1時間ほどで機内食が出てきた。

凄い時間に食べさせるな。

勿論ビールと共に完食。

今回の航空券、直前まで成田−シンガポール−イスタンブールだとばかり思っていた。

しかし送られてきた情報を見ると成田−シンガポール−ドバイ−イスタンブールとなっている。

旅行会社に問い合わせてみると「給油や機内清掃などの関係上ドバイへ寄航する」と。

便名や席などに変更は無く、ドバイ入国も無いので特段航空券上にそうした記載は無かったとのこと。

そんなの事前に聞いてなかったし、HP上の情報にも一切そんなことは書いてなかった。

一回離着陸を伴うだけでずっと寝ているわけにもいかないし相当なストレスになる。

旅行代理店にはクレームのメールを入れたけれども「話が違う!じゃぁ行かない!!」とは言えないこちらの弱さ。

やはり安い航空券には安いなりの理由がある。

結局渋々従うしかないわけでのドバイ寄航。

シンガポール時間6:20、ドバイ時間2:20、飛行時間はおよそ6時間30分。

ドバイでは深夜2:20、こんな時間に外へ出て行ってもすることなんて何も無い。

客室乗務員に聞いてみると機内で待っていても良いと言う。

何人か機内に残っている人もいたが殆どの人は荷物を持って降りていった。

機内では現地空港スタッフが慌しく機内清掃や毛布やマクラを次々と替えていく。

することなくても外に出た方が気晴らしになったな。

ドバイ時間4:10、今度こそイスタンブールに向けて出発。

こちらも出発して1時間ほどでまたまた機内食。

今回のは朝食扱いらしく、エッグorチャイニーズヌードルの選択肢しかない軽いもの。

さすがにビールは出なかったか。

ちなみに機内サービスのビールだが、成田−シンガポールではアサヒビール(日本)かタイガービール(シンガポール)。

シンガポール−ドバイではタイガービール(シンガポール)かフォスタービール(何故かオーストラリア)。

ドバイのビールってのにも興味あったんだけどな。

朝食中に空が次第に明るくなり始める。

シンガポール、ドバイと時計の針を戻してばかりなので何日の夜明けなのだかよく分からない状態。

長い飛行機を終えてようやくイスタンブールのアタトゥルク国際空港に着陸。

ドバイ時間8:25、トルコ時間7:25、飛行時間はおよそ4時間10分。

しかし長かった。

誰だ、飛んでイスタンブールなんて言ったのは。

私の場合は「飛んで、飛んで、飛んでようやくイスタンブール」だった。

日本時間と比べてシンガポールで-1時間。

シンガポールと比べてドバイで-4時間。

ドバイと比べてトルコで-1時間。

最終的に日本とトルコの時差は-6時間(トルコはサマータイムが導入されているので冬場なら-7時間)。

寄る国ごとに時計の針を戻していくというのは時間が溜まっていくようで何だか得した気分。

もっとも帰国する時にそのツケを払わされるのは分かっているのだが。

以降は全てトルコ時間(日本時間-6時間)にて表記

 

 

2007年7月20日 金曜日

長い機内を経てようやくイスタンブールに到着。

トルコ時間の朝7:30すぎに着いたので空港内も空いている。

イミグレーションの列に並んでいると「アレ?」と日本語で声をかけられる。

見るとシンガポールのチャンギ空港で少しだけ話をした同年代くらいと思われる日本人女性。

私が2度目の足マッサージ機でボーっとしていると隣の足マッサージ機に座った人。

何やら使い方が分からなかったらしく「これってどうやってやるんですか?」と日本語で話しかけられた。

どうも何も足を入れてスイッチを押しただけなのだが、と教えてあげるもどうにも動かない。

どうやら機械自体が壊れていたらしく、私と同じように操作しても動かなかった。

「向こう側にモモと足のマッサージ機もありましたよ」

と教えてあげると

「ありがとうございます。じゃあそっちへ行ってみます」

と言って巨大な荷物を台車に載せて行ってしまった。

私が足マッサージを終えて先程のマッサージ機の前を通るとその女性がいて

「これイイですねー、ありがとうございましたー」と。

相当な荷物を持っていたのでシンガポールで大量の買い物をした日本人女性だろうなーというくらいにしか思っていなかった。

2度と会うことも無いと思っていたので全然気にも留めていなかった。

お互い「トルコだったんですねー」と会話が始まる。

話をしているうちに私の最初の認識「シンガポールで大量の買い物をした日本人女性」が全くの誤解だったことに気付く。

なんでも、これからイスタンブールの日本料理屋で1年くらい働く予定だとか。

おまけにその前はベルギーで1年くらい働いていたとか。

今回も実家の青森から夜行バスで成田へ着き、そのままシンガポール〜ドバイ〜イスタンブールだと言う。

トルコも観光で2,3回来ていて私なんかよりも遥かに旅慣れた人だった。

御見それしました。

入国審査はすぐに終了。

彼女は預けた荷物が出てくるのを待つという。

こちらも予定は無かったので喋りながらお付き合い。

出てきた荷物は私の腰くらいまである巨大なスーツケース。

1年間イスタンブールで働くつもりで来たのならそりゃ大荷物になるわな。

荷物を受け取って税関を通過。

税関では声すらかけられずに完全スルーだった。

税関を経ていよいよそこはイスタンブール。

まずは空港の銀行でイスタンブールの中心までの交通費として1,000円分だけ両替。

1,000円が手数料込みで9.8トルコリラ(Yeni Turk Lirasiということで表記は以降YTL)。

面倒なので1YTL≒100円で計算。

最新版の地球の歩き方を見ると2006年12月時点で1YTL≒82円となっている。

1年も経たずに高騰しすぎだろう。

ちょうど世界的に円安の時期で1ユーロが170円を越え、1ドルも120円を越えている。

悪い時期に来てしまったものだ。

私はこれから街へ出る予定。

彼女の方は働く予定の日本料理屋へ直接行くことになっているらしい。

大荷物を持っての行動はしたくないので店が開くまで空港で時間を潰して待つと言う。

こっちは予定など無かったし、大荷物も大変そうだったので一緒に待っても良かったのだが、彼女の方が恐縮していた。

気を遣わせるのもなんだし、話を聞く限りでは私以上にタフな人なので問題無いだろう。

翌日に乗る予定の国内線ターミナルやイスタンブールでの電車の乗り方など基本情報をアレコレ教えてもらう。

街へ向かうメトロの入口近くまで案内してもらって彼女とはお別れ。

シンガポールの時点ではまさかイスタンブールで再会するとは思ってもいなかった。

まさに旅の一期一会。

何だか今回の旅は良くなりそうな気配だ。

さて、いよいよここから本格的な一人旅の始まり。

メトロに乗って終着駅のアクサライを目指す。

窓口で「Aksaray」と告げてお金を払うのだが、メトロの料金は行き先がどこであれ一律1.3YTL(≒130円)。

お金を払うとジェトンと呼ばれるコインを1枚渡されてそれを自動改札機に投入して改札を通る仕組み。

最初のうちはトルコリラの通貨とジェトンの区別がつきにくい。

終着駅のアクサライへ着き、いざ外へ。

強烈な陽射しでかなり暑く、海も近いので湿気もある。

アクサライからトラムヴァイなる路面電車に乗り換えると観光名所が並ぶイスタンブール旧市街へ行ける。

しかし地図を見るとアクサライから歩いても旧市街の中心地であるスルタンアフメットへは行けそう。

その途中に有名なグランバザールもあるのでアクサライからは歩いていくことにした。

思えば私の旅は基本的に徒歩がメインだった。

大きな道沿いを歩いていけば良いだけなので迷うことも無かった。

最初に感じた強烈な陽射しはその後も強くなるばかり。

考えてみれば午前中の早い時間に強烈な陽射しなのだからこれからどんどん強くなるわけだ。

途中の売店でミネラルウォーター500ml、0.5YTL(≒50円)を購入。

15分〜20分ほど歩いた頃に店が増えてきたなと思ったらグランバザールの入口だった。

何だかアッサリ到着してしまった印象。

中近東一と言われる大規模商店街のグランバザール。

アーケード街の中に様々な店がひしめく。

時間としては10時くらいだったので観光客もあまりいなくて活気は無い。

開店したばっかりという店が多いらしく、店頭でチャイ(紅茶)を飲んでいる店員(と思われる)がいっぱい。

噂には聞いていたが本当に皆チャイを飲んでいる。

グランバザールに隣接している古本屋街なども少々冷やかしつつ軽く散策。

少ない観光客なので冷やかしもなんとなくし辛い。

適当にフラフラしつつグランバザールを出た。

しかし出た所がどこなのかがサッパリ分からなくなった。

グランバザールは広くて入口が東西南北アチコチにある。

迷路のように入り組んだバザール内でとりあえず外へ出ては見たものの現在地が把握できない。

アクサライの駅から最初に歩いてきた大通りを直進すればスルタンアフメット地区に着く。

だから来た道を戻って最初の大通りに出れば確実にスルタンアフメットへは辿り付ける。

しかし来た道を戻るのも味気ない。

ベンチに座って地図と睨めっこし、何となくコッチがスルタンアフメット地区だろうなと思われる方向へ向かって歩き出した。

少し歩いていると標識に「Sultanahmet」の文字が。

やはり間違っていなかった。

大通りへ出て驚愕。

目の前にでっかい建物が。

これはガイドブックで見た…アヤソフィアか!?

ということはすぐ近くには…あった、ブルーモスク!

ブルーモスクは尖塔(ミナレット)が6本あるのが特徴なのですぐに分かる。

イスタンブール旧市街の大観光スポット。

スルタンアフメットジャーミー(通称ブルーモスク)とアヤソフィア大聖堂。

近くにあるとは事前の知識で知っていたがこんなにも近くに2大観光地があるとは。

京都で言えば金閣寺と清水寺がすぐ近くにあるようなものか?(宗教的・歴史的に認識誤りならゴメンナサイ)。

心の準備も無いままにアッサリと目の前に現れるとは思っていなかったのでしばし呆然。

ブルーモスクとアヤソフィアの周りは公園のような広場になっている。

青い空と公園の噴水や自然が実に良く映えて美しい。

ギリシア正教からイスラム教へ
アヤソフィア

午前中の着いたばかりにして早くも2大モスクへと到達してしまった。

時間はまだ10時30分頃、ホテルのチェックインまで余裕がある。

2大モスクの場所が分かったのでここを基点に旧市街を歩いてみることに。

アクサライから続く大通りを海と思われる方向へ向かって歩き始めた。

旧市街のもう1つの大観光地であるトプカピ宮殿がそちらにあるからだ。

歩き出したら現地人と思われる若者に「メルハバー」と声をかけられた。

「メルハバ」がトルコ語の「こんにちは」だということは分かっていた。

しかし咄嗟のことだったのと、照れもあって英語で「Hello」と返してしまった。

すると「Do you know メルハバ?It's turkish hello」と。

何やら親しげに英語で話しかけてきた。

どこから来たんだ?いつ来たんだ?どのくらい滞在するんだ?などと質問攻勢。

日本から来たと言うとその若者はイスタンブール大学の学生で、3ヵ月後に交換留学で高田馬場へ行くという。

高田馬場とは随分マニアックな地名を知っている。

そこにある大学といえば某有名私立大学が思い浮かぶ。

歩きながらそうした会話を英語で交わす。

最初は調子に乗って色々話していたが途中で気がついた。

"コイツ、どこまで付いてくる気だ?"

こちらはスルタンアフメットから海へ向かって歩き始めた時に話しかけられ、そのまま歩きながら会話を続けていた。

"これって注意しろとされているボッタクリガイドや旅行代理店の客引きじゃないか?"

"イヤイヤ、ボッタクリガイドや客引きの類ならまだ良い、睡眠薬強盗という線もあるぞ?"

歩きながらも英語で会話が続く。

英語は流暢だが、3ヵ月後には交換留学で日本へ行くというのに全く日本語を喋らない。

明日からカッパドキアへ行くというと向こうではツアーを付けた方が絶対安上がりだとしきりにツアーを薦める。

パムッカレ(トルコの有名観光地)には行かないのか?綺麗な写真がいっぱいあると携帯で写真を見せようとする。

疑い始めたらキリがない、しかし表面上はフレンドリーを装いながらも別れるタイミングを探っていた。

平行して歩きながらずっと喋っているのでこちらから切り出した。

「どこまで行くんだ?」

すると少し行くとガラタ橋があるからそこまで行こう、と。

ガラタ橋はイスタンブールの旧市街と新市街を結ぶ橋。

いずれは行くことになるのでガラタ橋で別れを切り出すことにしようと決意。

スィルケジ地区、エミノニュ桟橋を経てガラタ橋へ。

エミノニュ桟橋からはアジア側やボスフォラス海峡(アジアとヨーロッパの間の海峡)クルーズ船などが出ている。

ガラタ橋から眺める景色は壮観。

橋に立って正面がアジア側、左が新市街、右が旧市街とイスタンブールが見渡せる。

橋の欄干で釣りをしている大勢の現地人に交じって休憩。

その間にも若者は何やら色々と喋って教えてくれる。

向こうがアジアサイド、あっちが新市街であれに見えるのがガラタ塔、こっちが旧市街で云々…

こちらも事前準備で殆ど知っていた知識だったので適当に相槌を打って合わせる。

頭の中ではどうやって後腐れなく別れられるかだけに集中していた。

「あの海沿いに見える建物がトプカピ宮殿だ、これからあそこを案内するよ」と言われた。

ココだ!と思った。

英語でどう伝えたのかは覚えていないが以下のようなニュアンスのことを伝えた。

「ありがとう、でももう充分です。今朝イスタンブールに着いたばかりで疲れているのでホテルで休みたい。」

すると向こうは、やや非難めいた調子で

「どうしてそんなことを言うんだ。オレをその辺のガイドと思わないでくれ。ただ日本語の勉強をしたかっただけなんだ。」

その割には全く日本語を話さなかったなと思いつつ、自分からその辺のガイドと言うところも怪しく感じる。

「申し訳ないけれど、疲れているので1人にしてくれないか。貴方の親切にはとても感謝している。」と伝える。

すると

「オレのことが信用できないのか。身分証明書だってある、イスタンブール大学の学生証だ」と学生証を見せてくる。

学生証を見せられてもそれが本物かどうかの区別が私に出来るわけがない。

おまけに敢えて学生証を見せること自体なんだか怪しく感じてしまった。

それを英語で言うことはしなかったが、後はひたすらSorryを繰り返した。

すると向こうも

「分かった。じゃぁオレも帰るからスルタンアフメットまで一緒に戻ろう。スルタンアフメットで別れてオレは帰る、君はホテルへ」と言う。

だがこの気まずい雰囲気のまま一緒に戻るのは気が引けた。

スルタンアフメットまで行く間に何が起こるか分からないし、ホテルまで案内するなんてことにもなりかねない。

ココは動いたらダメだと思った。

「イヤ、私はココで休んでから行くので1人で戻ってくれて構わない」と伝える。

向こうは「じゃぁオレも待っている」私は「イヤイヤそれには及ばない」…

そこから先は無言の根競べ。

私は彼とは目を合わせずにひたすらガラタ橋から海峡を行く船を眺めていた。

周りには現地人釣り人が沢山いるので身の危険は感じなかった。

数分して「分かったよ」という感じで彼が去っていった。

その背中に向けて「Sorry,thank you」と矛盾した2語を投げかけた。

ネットやガイドブックにある事前の情報から彼が十中八九は私の想像通りのヤツだろうという自信はあった。

仮にそうしたヤツだったにせよ、別れ際の寂しげな視線には心が痛んだ。

最初の時点でそんなにフレンドリーにしなければココまで来て、こんな思いはしなくて済んだはずだった。

空港で巧く日本人女性と仲良くなったので、その勢いを引きずったまま来てしまった。

ここは外国、トルコのイスタンブール。

改めて気を引き締めなおした瞬間だった。

不測の事態ではあったが、結果的に良かったこともいくつか。

何よりも英語での会話が普通に出来たということ。

普段は公私共に英会話とは無縁の生活をしている。

相手が観光客慣れしていたとはいえブランクのあった私の英語で普通にコミュニケーションが取れた。

自分の英語が腐っていない、という自信に繋がった。

さらに今回の旅でいずれ行くつもりだった地区に簡単に来ることができた。

スィルケジ、エミノニュ、ガラタ橋。

スィルケジはオリエント急行の終着駅のある所。

エミノニュからはボスフォラス海峡を行く船が多く通っている。

ガラタ橋は旧市街と新市街を海を越えて繋ぐ要の橋。

最初にヤツから声をかけられなければここへ来るのはもっと後になっていたはずだった。

橋の上からハッキリとヤツが視界から消えたのを確認して行動開始。

時間は11:00を回ったところ。

ホテルのチェックインは13:00。

これからブラブラとスルタンアフメット地区へ戻り、昼飯を食べればちょうど良いくらいの時間になりそう。

気を取り直して再び一人旅のスタートだ。

思えばトルコリラは最初に空港で両替して交通費に使ったので残りが8YTL(≒800円)

これだと軽食は食えても貴重なエネルギー源であるビールが摂取できない。

午前中なのにかなり暑くて大汗をかいている。

ビールを飲むためにもまずは両替をしなければいけない。

スィルケジ駅周辺に両替商を発見したので覗いてみる。

1YTL≒100円、空港と殆ど変わらないレート。

空港と街の両替商なら大抵どの国でも両替商の方がレートが良いのは通説だと思っていたが。

近くに銀行もあり、空港と両替商が同じなら銀行も同じだろうと考えた。

それなら無難に銀行にしておくかと思って銀行へ。

入口近くにいた係員に「Exchange Ok?」と尋ねると番号札を渡してくれた。

この辺のシステムは日本と変わらないらしい。

数分待たされることになったがクーラーの効いた銀行内だったので快適。

そこで10,000円を両替すると101.60YTL。

先程の両替商よりは若干レートが良かったがそれでも1YTL≒100円の域を出ない。

やはり1YTL≒100円と考えて間違い無さそうだ。

現地通貨を手にすると気が大きくなる。

これで何でも飲み食い出来るぞ、と。

ヤツに連れられた道を通るのは味気なかったので別の道からスルタンアフメット地区へ戻る。

大方の方角は理解していたので迷うことはない。

ただイスタンブールは坂が多い街で基本的に海に向かって下り坂となっている。

海から離れるように歩くと必然的に坂を上ることを強いられる。

おまけにイスタンブールの街はデコボコした石畳が多いので非常に歩き辛い。

キャスター付きの荷物を持っていたらかなり苦労しそうな道ばかり。

私はバックパックだったのでその苦労はなかったが、暑いのですぐに汗ダクになってしまう。

そうこうしているうちにアヤソフィアが見えてきてスルタンアフメット地区に戻ってきた。

歩いていると現地人と思われる若者が笑顔で「メルハバー」と。

最初にあったヤツと同じ目をしていた(ように感じた)、前回の轍は踏まない。

「めるはばー」と返すと「Where are you from?」と返された。

「Japan.Bye.」と苦笑いして手を振りその場を去る。

背中に「Wait wait」と声をかけてきたが完全無視。

付け入る隙を与えない、かつ嫌な思いもさせない間合いだった。

そして歩くと…最初に声をかけてきたヤツがいた。

仲間と思われるヤツと明らかに観光客を物色している目で道行く人を見ている。

私と目が合うとバツが悪そうに目をそらした。

オイオイあんた家に帰るって言ってなかったか?

私の自信が確信に変わった(どこかで聞いたセリフだな…)。

敢えてすぐ横を通り過ぎるとそいつの仲間が小声で「ワルイニホンジン」と私に向かって言った。

何だとコノヤロー…何か言ってやろうかと思ったが無用のトラブルは避けたい。

体格は私の方が良かったが向こうは2人だし他にも近くに仲間がいるかもしれない。

敢えて無視した私はヘタレ、イヤイヤ大人の対応。

いずれにせよガラタ橋で別れの際に感じた心の痛みを綺麗サッパリ忘れさせてくれる出来事だった。

気を取り直して昼食。

イスタンブールへ行ったらここで飯を食おうと決めていた唯一の場所。

スルタンアフメットの路面電車の駅前通りにあるプディングショップという店。

その名の通りプリンが名物の店らしいのだが私が来た理由はそれではない。

沢木耕太郎の「深夜特急」で著者がトルコを訪れた際にここへ来ているのだ。

当時(1970年代)はバックパッカーが集まり情報交換をする伝説的な店だったらしい。

現在その面影を残すのは壁に貼られた古い写真や新聞記事だけ。

それなりに小奇麗な店で、店の前では呼び込みの店員も立っていた。

店内に入るとガラスのショーケースの向こうに沢山の料理が並んでいて英語で説明をしてくれる。

ラム肉と野菜が合わさったようなヤツを2品ほど注文して勿論ビールも。

暑い中を歩いていたのでビールが実に美味しい。

料理はパンと共に出てきた。

1品じゃ足りないかなと思って2品頼んだのだがパンも合わせれば1品で充分な量だった。

ただ、ドバイからイスタンブールへ向かう飛行機内での軽食以来の食事。

腹も減っていたのでいずれの料理も完食。

ビールは控えめにして2杯でやめておいた。

そして食べ終わる頃にはプリンを食べ忘れていたことに気がついた。

プディングショップは店名の由来ともなっているプリンが有名。

しかしメインっぽい料理2品にビール2杯を飲んだ後でプリンを食べる食欲は無かった。

肉野菜料理2品とビール2杯、つけ合わせのパンで料金は30YTL(≒3,000円)ってチョット高くないか?

そういえばメニューが無かったので何がいくらなのか分からなかった。

しっかりメニュー見せてもらって確認しておけば良かった。

腹も膨れて燃料も補給したところでホテルを目指すことにする。

イスタンブールの旧市街スルタンアフメット地区は安宿からペンションタイプまで様々なホテルがあるエリア。

私が泊まる予定のホテルもスルタンアフメット地区のホテル。

日本からネットで予約していった所だ。

例によって石畳の坂道を下っていく。

似たような通りや建物があるのでいまいちピンと来ない。

裏通りっぽい所では有名なトルコ絨毯が大量に日干しされている。

歩いていると突然どこかから大音量でアザーン(イスラム教の礼拝を告げる呼び声)が聞こえてきた。

スピーカーから問答無用!という感じでかなりの大音量。

しかしアザーンが流れたからといって特に周囲で何か動きがあるわけではなかった。

人は普通に歩いているし車も普通に通っていた。

車は殆ど通らないペンションタイプの小さなホテルが並んだ一角に泊まるホテルがあった。

それほど大きくないホテル。

日本からネットで予約していって39ユーロ(≒6,747円・1ユーロ173円計算)。

フロントに掲げてあった正規料金だとシングル90ユーロ(≒15,570円)だからだいぶ割引。

部屋はシングルベッドにテーブル、TV、冷蔵庫。

風呂はバスタブもあったのでそれなりの部屋。

但し正規料金の90ユーロだと高い。

39ユーロで妥当といったところだ。

ネットで色々なホテル予約のサイトを見たが、その殆どが割引を行っていた。

正規料金など単なる飾りに過ぎないのだろう。

部屋に戻ってエアコンを付けてまずは身体を冷やして落ち着ける。

時間は14:00頃なので充分に観光する時間がある。

しばし休憩した後に荷物の整理をして、貴重品以外の不要なものは全て部屋に置いていく。

身軽になったところで改めての観光へ出発。

先程は外観しか見なかったブルーモスクとアヤソフィアへ向かった。

ホテルから5分程度歩くとすぐに辿りつく2大モスク。

まずは入場無料のブルーモスクへ。

ブルーモスクは通称で、本来はスルタンアフメット・ジャーミーと言う。

スルタンアフメットはこの地区の名前にもなっており、文字通りイスタンブール旧市街を代表する観光施設である。

観光施設ではあるのだが一方で現役のモスクでもある(逆か…)。

ゆえに入場は無料で、礼拝の時間には観光客も入れないとか。

何故に通称「ブルー」モスクなのかというと、建物内のタイルが青を主体とした色使いだかららしい。

入口は現地人用と外国人用とで別れている。

現地人は正面入口と思われる所から入れるが、外国人は別の入口から入る。

女性は否応無しに水色のスカーフを渡されて頭から被せられる。

男性も短パンの人はスカーフを渡されて腰に巻かされる。

それ同じスカーフ使ってないか…

私は短パンでは無かったのでそのまま靴を脱いで入場。

外から見ると複雑そうに見えたモスクだが中はシンプルそのもの。

ドーンとだだっ広い吹き抜けの内部で天井は遥か彼方。

基本的に薄暗いのでブルーのタイルよりもステンドグラスのブルーが印象的だった。

ブルーなモスク
ブルーモスク内部

石造りの建物なので外の炎天下が嘘のように内部はヒンヤリとしていて気持ち良い。

基本的には観光客だらけだが、最前列まで行ってひざまずいて祈りを捧げている人も。

ブルーモスクを出て次に目指すはアヤソフィア。

ギリシャ正教の総本山の教会だったが、オスマントルコの時代にイスラム教のモスクに変えられた。

その辺りの歴史には疎い私だが、大観光地ということで入場。

入場料は10YTL(≒1,000円)

ブルーモスクにはいなかった現地人観光ガイドがアチコチに立っていて観光客に声をかけている。

さすがに一人旅の私には声をかけてこなかった。

内部に入っていきなり失望。

館内の中心に大きな足場が一番高い天井まで組まれていて何かの工事をしている。

真ん中にどーんとそびえたっているのが工事の足場というのは拍子抜けだ。

ブルーモスクとは違い、こちらの方が明らかに観光地化している。

逆に言うと見所も多い。

石畳のスロープを登り上の階へ移動することも出来たし、壁にはキリスト教系の様々なモザイク画も見られた。
(オスマン時代は塗りつぶされていたのが後世発見された)

モザイク画を見ても「あぁ、ガイドブックに載っていたのと同じだ」としか思えない貧弱な私の美術観。

観光地としては偶像崇拝を禁止しているイスラム教よりも分かり易いものを遺しているキリスト教の方が歓迎か?

アヤソフィアを出ると次はトプカピ宮殿。

現地での表記は「Topkapi」となっているので「トプカピ」が正しいと思うのだが、日本では「トプカプ」とされているのが殆ど。

ためしにgoogleで「トプカプ宮殿」と検索したら144,000件、「トプカピ宮殿」だと784件とケタが違う。

ココは敢えてマイノリティに属することにして以後の表記はトプカピ宮殿で統一。

歩いて5分ほどでトプカピ宮殿。

イメージとしては中国の故宮みたいなものだろうか。

オスマン時代に皇帝が居城としていた広大な敷地と建物で現在は観光地として当時の宝物を公開している。

入場料は10YTL(≒1,000円)

宮殿内は相当に広くてアチコチの部屋に入れてそれぞれに様々な展示品がある。

皇帝ってのはとことん煌びやかなものが好きなんだなーと思われる展示物多数。

宝剣やら鎧やら兜やら玉座やらアクセサリーやら光物ばかり。

皇帝は特にエメラルドとダイヤがお好きなようだった。

「オレ凄いだろ」という皇帝の声が聞こえてきそうなコレクション群。

朝から殆ど歩き回ってばかりだったので疲労も相当溜まってきた。

おまけにトプカピ宮殿は広いし中庭では容赦なく太陽の洗礼を浴びてさらに体力が消耗される。

後半はただ流れ作業的にアチコチ見て回った形となった。

イスタンブール旧市街にはもう1つの有名観光地として地下宮殿がある。

しかしトプカピ宮殿でも歩き回り、地下宮殿まで行く元気は残っていなかった。

トルコ初日でもあることだしホテルへ戻って休むことにした。

ホテルへ戻る前に燃料補給、ということで「BEER 4YTL(≒400円)」と看板を出していたオープンテラスの店に入る。

4YTLのビールはグラスだったので、ジョッキの6YTL(≒600円)を頼む。

トルコのビールは殆どがEFESという銘柄。

一部の外国ビールに見られるような癖はなくて実に飲み易い。

ビールを飲むと腹も減ってきた。

18時過ぎと晩飯にはやや早い時間のような気もしたが、ついでに料理も注文。

今度はちゃんとメニューを見て値段と英語表記を眺めながら注文。

ヨーグルトソースがかかったイスケンデル・ケバブ11YTL(≒1,100円)を注文。

ヨーグルトの酸味がラム肉と合わさってなかなか美味。

なんでも「ヨーグルト」という言葉はトルコ語から来ているとか。

ビール2杯にメインディッシュ、お通しっぽいパンがついて26YTL(≒2600円)。

普通のレストランでちゃんと飯食べてビールを2杯も飲むと3,000円近く行くのは普通らしい。

そう考えると最初に昼飯を食べた所の値段30YTL(≒3000円)も妥当だったということか。

観光地の入場料も10YTL(≒1,000円)だったし、物価は決して安くない。

19時過ぎにホテルへ戻るが外はまだ充分に明るい。

ホテルへ戻ってバスタブで洗濯。

日本〜シンガポール〜ドバイ〜今までずっと同じTシャツを着ていたわけで…。

洗ったTシャツとパンツはエアコンの吹き出し口の下に干しておく。

風呂も日本を出発する前夜に入って以来。

シンガポールもトルコも暑くて汗だくになっていたのに、よくもまぁこの状態で行動していたものだと我ながら呆れる。

シャワーを浴びて身体中が熱いことに改めて気付く。

だいぶ陽に焼けたようで顔が常に火照っている。

ぬるいシャワーじゃないと身体が痛い。

イスタンブールは20時でも東京の夕方くらい。

サマータイムで1時間ずらしてこれだから、夏場はだいぶ陽が長い。

21時になってようやく辺りが闇に包まれ始める。

ブルーモスクは夜になるとライトアップされるらしいのだが、見に行く元気は勿論無く。

ちゃんとしたベッドで眠るのも日本以来。

2日分の疲れを抱えてすぐに眠りに落ちる。

 

 

2007年7月21日 土曜日

ベッドがエアコン直下にあり、洗ったTシャツをエアコンで乾かしていた。

案の定眠っていると寒くなってエアコンを切る。

すると今度は暑くなるのでエアコンを入れる。

そしたらやっぱり寒くて…を繰り返して朝。

それでも疲れた身体には充分な睡眠がとれたらしく、寝覚めは悪くない。

外を見ると前日同様にとても良い天気。

ホテルでの朝食はよくあるパターンのビュッフェ形式。

ホテルで食べる朝食のパンやハム、チーズ、卵などはどれも美味しく感じられる。

この日の予定はトルコ航空の国内線でカッパドキアへ向かうこと。

飛行機は13時過ぎ発なので午前中はやや時間がある。

さてどうしようかと考えていて前日に行かなかった地下宮殿へ行くことを思い立った。

9時すぎ、荷物をまとめてホテルをチェックアウト。

アヤソフィアのすぐ前にある地下宮殿への入口。

地下宮殿はローマ帝国時代に貯水池として作られたものだと言われているが、未だに正式な成り立ちは分かっていないとか。

入場料は10YTL(≒1,000円)。

地下へと続く階段を下りる。

宮殿というだけあって石造りの柱が均一に並び、貯水池らしく今でも全面に水が張っていて魚も泳いでいる。

大量の石柱の間を縫うように、池の上に観光用の道が出来ている。

時折天井から水滴が落ちてきて、床も濡れているので滑りやすい。

鍾乳洞のようにジメッとした雰囲気だが、地下かつ石造りの内部なので肌寒いくらいの涼しさ。

9時からオープンだったらしく館内は数人の西洋人と日本人団体ツアー客がいるくらいで空いている。

薄暗い中、オレンジ色のライトが柱を照らす。

ロールプレイングゲームに出てきそうな雰囲気。

地下宮殿という存在自体が見所ではあるのだが、それ以外の見所は宮殿の奥にあるメデューサの頭。

メデューサの頭が2つ横たえられていて、そこから柱が天井まで伸びている。

宮殿内の魔除けのためと思われているらしいが、宮殿の成り立ち同様に正式には解明されていない。

人も少なかったし涼しくて気持ち良かったのでゆっくりしていきたかったが、休憩する所が宮殿内のカフェしかない。

10YTL(≒1,000円)取るにしてはやや物足りない。

それほどの長居は無用かと思い、地下宮殿をあとにした。

外に出た途端に襲ってくる強烈な暑さ。

まだ時間はあったが、短時間で行く所も思いつかなかったので早々に空港を目指すことに。

スルタンアフメット駅からトラムヴァイという路面電車に乗る。

この旅で初めての路面電車だったが、乗り方はメトロと同じ。

窓口でジェトンと呼ばれるコインを買い、それを自動改札機に入れる。

料金もメトロと同じで一律1.3YTL(≒130円)。

空港へ向かうために、路面電車の終点であるゼイティンブルヌ駅へ。

そこからメトロに乗り換えて空港へ。

イスタンブールへ着いた初日はメトロでアクサライまで行った。

しかしメトロのアクサライ駅から路面電車のアクサライ駅までは歩いて5分くらい時間がかかる。

ゼイティンブルヌ駅ならばメトロと路面電車の駅が隣接しているのでこちらの方が近くて便利だった。

このルートは帰国する時にも使えるな。

空港は前日とは違う国内線ターミナルへ。

空港へ入るだけで飛行機に乗るのと同レベルの荷物検査を受けさせられた。

飛行機は6月に日本からネットで事前に予約しておいたトルコ航空の国内線。

カード決済で129YTLだが、明細を見るとレートが1YTL≒92円で計算されていた(11,869円)。

6月の方がレートが日本円有利だったわけだ。

前日のホテルのインターネットでネットチェックインを済ませていたのでこちらもチェックインはスムーズ。

カッパドキア地方の空の玄関口であるカイセリ空港までの国内線はほぼ満席。

日本人乗客は私だけのように見えた。

13時30分すぎに離陸し、天気が良いのと国内線で高度が低いのか地上が綺麗に見渡せた。

機内食はサンドイッチが出ただけでビールの選択肢は無かった、残念。

1時間くらい飛ぶとやたら飛行機が揺れだして高度もかなり下がっている。

オイオイ大丈夫かよ…と思ったら着陸だった。

周りに何も無かったので空港とは思わなかった。

所要時間1時間、早い。

カイセリ空港は見るからに地方空港という感じで飛行機のタラップから直接地面に下りた。

空港からカッパドキア地方のギョレメという村まではシャトルバスをネットで予約していた。

ギョレメはカッパドキア地方のほぼ中心に位置する村で奇岩が多く、洞窟ホテルなども多数ある観光地。

空港の建物を出たところで私の名前を紙に書いて持った人が待っていた。

話しかけると、他にも客が来るから少し待っていてくれ、と言う。

少し待つと大荷物を抱えた人が次々と出てくる。

私は機内で預ける荷物が無かったから早く出てこられたらしい。

カイセリ空港の出口を眺めていたが、やはり日本人らしい客はいなかった。

トルコでは有数の観光地であるカッパドキアの空の玄関口とは思えないくらいに閑散とした田舎空港だった。

どうやら全員が揃ったらしく、旅行代理店の兄ちゃんに連れられてバス(ミニバン)に乗る。

同乗者は西洋人若者カップル、西洋人中年夫婦、現地人っぽいスーツ来た男性。

少しくらい自己紹介みたいな会話があるものかと思っていたが何も無くバスは出発。

カッパドキアに近づいていると実感させるのは窓から見えてくる有名な奇岩。

尖った岩やキノコ岩、不思議と窓のような穴も開いている。

15時頃に出発したバスは1時間ほどでギョレメに到着。

ギョレメでのホテルは日本から予約した老舗の洞窟ホテル。

岩山をくり抜いて住居として使っていたものを改造して作ったホテル。

ギョレメではこの洞窟ホテルがいたるところにあり、安宿から高級ホテルまで洞窟ホテルだらけ。

ネットで洞窟ホテルを検索していたらギョレメのアタマンホテルという老舗洞窟ホテルが8,800円だった。

ギョレメのホテル相場からすると高いが、イスタンブール初日のホテルでも39ユーロ(≒6,747円)。

決して高すぎる金額では無いし晩飯も込みの値段、それで老舗洞窟ホテルに泊まれるのなら満足だった。

バスはホテルの前まで連れて行ってくれて15YTL(≒1,500円)。

老舗だけあって建物自体には古さを感じさせるホテル。

ホテルの中も岩肌が剥き出しになっているところが多々あり、それらもまた一興。

案内された部屋はベッドルームとは別にリビングルームもある大きな部屋。

ベッドはダブルベッドだし、風呂にもちゃんとバスタブがある。

これで2食付8,800円は決して高くないと早くも満足。

時間は16時過ぎで外はまだ充分に明るい。

荷物で不要なものは整理して部屋においておき、町…ではない村へ出る。

まずはカッパドキアからイスタンブールへ戻る手段を確保しておかねばいけない。

行きは飛行機を予約しておいたが、帰りは夜行バスでイスタンブールへ戻ろうと思っていた。

トルコはバスの交通網が発達していて、長距離バスの旅が主流だという。

ギョレメの中心部にはバス会社の簡易オフィスが並んでいるところがある。

事前にネットで調べておいたバス会社へ行き、「Tomorrow night bus to Istanbul」と聞くと空席アリ。

夏の観光シーズンなのでもしかしたら取れないかもしれないという一抹の不安を抱いていたが杞憂だったようだ。

イスタンブールまで35YTL(≒3,500円)、飛行機に比べれば格段に安い。

チケットを発券してもらい支払い…になってトルコリラが殆ど無いことに気がついた。

前日に合計で約110YTL(≒11,000円)を両替しておいた。

しかし食事、約30YTL(≒3,000円)×2=60YTL(≒6,000円)

観光施設の入場料、10YTL(≒1,000円)×3(アヤソフィア・トプカピ・地下宮殿)=30YTL(≒3,000円)

イスタンブールでの交通費、1.3YTL×3=3.9YTL(≒390円)

カイセリ空港からギョレメまでのバス、15YTL(≒1,500円)

綺麗にお金が無くなる計算だった。

クレジットカードで払えるか聞いてみると「Turkish cash only」だと言う。

仕方ないので少し待っていてもらい両替をすることに。

ギョレメに着いたばかりなので両替の出来る場所が分からない。

ツーリストインフォメーションへ行くと銀行の場所を教えてくれたのでそこへ向かう。

銀行を見つけて入ろうとするとどうにも人の気配が無く、ドアも開かない。

あ、今日は土曜日だった。

途方にくれていると目に入ったのが銀行のATM。

見るとVISAカードのマークもついている。

クレジットカードでキャッシングという手があった。

試しにカードを入れてみると言語選択画面が出てきた。

さすがに日本語は無かったので英語を選択。

暗証番号を入れるとどうやら引き出せそう。

希望の光が見えてきた。

引き出せる通貨もドル、ユーロ、トルコリラと豊富。

とりあえず50YTL(≒5,000円)あればバス代には事足りるので引き出してみた。

最後に暗証番号を入力すると…なにも起こらない。

2回同じことをやってみても結果は同じ。

希望の光が消えていく。

もう1枚持っていた別のクレジットカードで再チャレンジ。

同じ手順で50YTL(≒5,000円)引き出しボタンを押すと明らかにATM内で動きがあった音がした。

そして出てきた50YTL(≒5,000円)札。

やった!引き出せた!!

ただATMから金を引き出せただけなのにこの感動。

こんなの海外で切羽詰ってないと味わえない。

それにしてもクレジットカードを2種類持ってきておいて助かった。

1枚が使えなくてももう1枚でなんとか凌ぐことが出来た。
(帰国後に確認すると使えなかったのは暗証番号が間違っていたかららしい、普段キャッシングなんてしないから暗証番号を誤って覚えていた)

無事に引き出せたお金でチケットを購入。

これでイスタンブールへの帰路を確保できた。

この日の目的を達したところでまだ時間は17時前。

近くにギョレメ一帯を展望できるギョレメ・パノラマなるヴューポイントがあるらしいのでそこへ行ってみることに。

地球の歩き方の地図とインフォメーションにあった地図を照らし合わせて場所を確認。

地図を眺めていると「May I help you?」と声をかけられた。

イスタンブールでの出来事から現地人不信になりかけていた私だったが声をかけてきたのはインフォメーションから出てきたオジサン。

素直に好意に甘えることにして、地図と英語で行く方向を教えてもらった。

近くの売店でミネラルウォーター1.5リットル1YTL(≒100円)を購入して出発。

ホテルから村の中心部へ来るだけで直射日光をだいぶ浴びて水を欲していた。

500mlなんて悠長なことを言ってられなく、一気に大ボトルを購入した。

向かう所は景色の良い所なので坂道を登っていかなければいけない。

イスタンブールでもそうだったがギョレメでも日差しが強烈。

おまけに高い建物など無いので遮るものが無く陽射しを直接浴びる。

ミネラルウォーターが実に美味しい。

ギョレメの中心部から10分ほど坂を上ると脇にそれる道があり、そちらへ行ってみると絶景。

看板も無く、車道でも無く、家も人も何も無い。

これが地球の歩き方に載っていたギョレメ・パノラマなのかは分からないがもうそれで良いと思わせる景色。

むしろ下手に観光地化されていなくて誰も人がいないこっちの方が良いくらい。

ギョレパノ
顔が赤いのは酔っているからではなく

空気は乾燥しているので日陰に行くと意外なほどに涼しい。

日陰で休みながら絶景を眺める。

これで冷たいビールがあれば最高なのだが…。

すぐ近くに岩山がくりぬかれていて中に入れる場所があった。

明らかに人工的にくりぬかれた岩山だが、特に誰の所有物というのでもなさそう。

辺りの岩山を見渡しても窓のようにポッカリ空洞があったり、入口がある岩がゴロゴロしている。

あんな高いところにどうやって?などというのも多数。

これらは昔の人が作ったのが放置された結果なのか、それとも現在も何かに使っているのか。

私が入ってみた岩山の中は2重構造になっていて、天井に穴があってそこから更に上に行けた。

こんなものが道端に転がっているのだから凄い。

ちなみに中にはビールの空き瓶やタバコの吸殻。

どうやら考えることは皆同じらしい。

しばし休憩した後に今日の行動は終了にする。

ギョレメの中心部まで戻り、近くの売店で缶ビール500mlを2本(計5.5YTL≒550円)購入してホテルへ。

洞窟ホテルは岩造りなだけにひんやりしていて良いのだが、さすがに炎天下を歩いて帰ってきた後だとあまり効果はない。

窓を開けて気が付いたのが網戸のようなものが存在しないこと。

明るいうちはまぁ良いとして、暗くなってから窓を開けるのはかなり躊躇う。

部屋の中が明るいと虫が入ってきそう。

しかも特殊な気候の奇岩地帯、見たことも無いような虫が入ってきたらどう対処して良いか分からない。

そこで初めて部屋にエアコンが無いことにも気が付いた。

洞窟ホテルはその構造上、あまり多くの電化製品を使えないようになっているとか。

唯一の欠点がそれだったか。

20:00過ぎ、ようやく少し暗くなってきた頃にホテルのレストランへ。

行ってみると先客が2組で、おまけにどちらも日本人カップル。

これまでギョレメでは日本人を見なかったのにこんな所で1度に2組に遭遇してしまうとは。

考えてみれば日本の大手旅行代理店のホームページで予約したのだから日本人がいることは容易に想像できた。

先述のようにこのホテルは老舗で高級の部類に入るホテル。

私のようにバックパッカー然とした一人旅者が泊まるホテルとは違う雰囲気。

周りが西洋人なら「それが何か?」と思えるが、周りに日本人しかいないと何故かやや肩身が狭くなる。

って何で卑屈にならなきゃいけないんだ!?

席に着くとウェイターがドリンクメニューを持ってくる。

予想はしていたが当然ドリンクは別料金。

カッパドキア地方はワインの産地としても有名なのでワインを飲むつもりで来た。

1人でフルボトルを飲めるか不安だったが、メニューを見るとハーフボトルもあった。

値段的にもハーフボトルの方が安い、部屋に戻れば売店で買っておいたビールもある。

「CAPPADOCIA LOCAL WINE 350ml」の赤を注文。

料金は米ドル表示で15ドルだった。

料理はコースでパン、オニオンスープ、パスタ、メイン料理、デザートと順番に出てきた。

ただ、実際に料理が出てくる時は次に何が出てくるのかが分からない。

必然的にワインを飲むペース配分もよく分からない。

メイン料理はその形状からギュヴェチという壷焼き料理だったと思われる。

ただそれがメイン料理だと分かったのはそれを食べ終わったら全ての食器を下げられたから。

アレ、これで終わりだったのかと少し物足りない感じ。

ワインも残っていたのでせめてパンくらいは残しておいた欲しかった。

全体的に量が少なかったが味は満足。

イスタンブールでの経験から外食をすると酒も含めて30YTL(≒3,000円)くらい無くなるのが常だった。

そう考えると飲み物が別料金とはいえ、宿泊代に晩飯込みと考えれば充分だった。

唯一の欠点はハエが多いということ。

クーラーが無いので外に繋がる窓やドアが開きっぱなし。

小さいのから大きいのまで常に2,3匹が飛び交っている。

最初はいちいち追い払っていたが、気にしていたら飯が食えないくらい。

ハエが多いことで有名なオーストラリアのジョークを思い出した。

オーストラリアに来たばかりの奴は、ハエのたかったミルクを飲めない。
1か月住んだ奴は、たかったハエを手で払ってミルクを飲む。
3か月住んだ奴は、ハエのたかってないミルクは飲まない。

食後、酔い醒ましにテラスへ出てみると昼間の暑さが嘘のように爽やか。

空気が乾燥しているから蒸し暑さが全く無い。

星も月も綺麗によく見えた。

辺りを埋め尽くす奇岩風景といい、早くもカッパドキアは来て良かったなーと。

部屋に戻ってビールを1本、風呂上りにもう1本飲んで就寝。

ダブルベッドに1人は贅沢だ。

えっ?寂しいって?

 

 

2007年7月22日 日曜日

起床は7時過ぎ、外はやはり快晴。

TVを付けてチャンネルを回しているとNHKのニュースをやっていた。

この日は7月22日の日曜日。

トルコで総選挙が実施される日だった。

NHKのニュースでもトルコ総選挙を取り上げていて、どこかで大規模な集会をやっている様子を中継していた。

政教分離だの軍の政治介入だなんだで政情不安になっているなかでの総選挙。

今回の旅の不安要素の1つではあったのだが現在までは何事もなく来ている。

このまま何事も無く過ぎれば良いが。

ニュース画面の下に英語でテロップが流れている。

ふと目に入った「decisive goal」の文字。

ん?ゴール?これはアジアカップの結果では!?

チョット待て、もう1回見せろ…。

暫くチャンネルを合わせていたらまた流れたその文字ニュース。

アジアカップ準々決勝の日本−オーストラリアは4-3でYuji Nakazawa decisive goalと。

これは雰囲気からして4-3で日本が勝利したっぽいがdecisiveの意味が分からない。

海外では無用の長物と化し、バッグの奥底にしまってあった携帯電話を取り出す。

携帯電話の辞書機能がこんなところで役立つとは。

「decisive」…決定的な、きっぱりした

決まりだ!まさにdecisive。

中澤の決勝ゴールでオーストラリアに勝ったということだろう。

今回の海外旅行で心残りだったのがサッカーのアジアカップを見られないこと。

ましてや準々決勝は昨年のW杯でやられたオーストラリアが相手。

これは是非観たい試合だったのだが、断腸の思いでトルコへ旅立った。

旅立った国が前々回のW杯でやられたトルコ相手というのも何かの因縁か(そんなわきゃ無い)。

いずれにせよ非常に気分良く朝を迎えられた。

朝食を取るためにレストランへ行くと昨夜もいた日本人カップルと、ツアー客と思われる中年日本人男性3人組。

どうもこのホテルでは日本人ばかり見る。

9:30、ホテルをチェックアウト。

チェックアウトの際に隣の部屋のドアが開いていたので軽く覗いてみた。

すると部屋はツインのベッドルームがあるだけだった。

私の部屋のようにリビングルームが付いているようには見えなかった。

何も1人旅のバックパッカーに豪華な部屋を割り当てなくても良かろうに、良かったけど。

チェックアウトの際に昨夜のワイン代を請求された。

35ドル。

ん?!絶対違う。

「NoNoNoNo」とNoを連呼。

15ドルのローカルワインしか飲んでいないぞと抗議。

フロントの男はどこかへ電話をして何かを確認している。

やがて35ドルを消して15ドルにした。

米ドルはトラベラーズチェック(欧州旅行時に作った余り)しか持っていなかった。

おまけにトルコリラは昨日バスのチケットを買ったことで殆ど無くなっていた。

クレジットカードか米ドルTCか日本円しか持っていないと言うとじゃぁ日本円で良いと言う。

15米ドル=20YTL=2,000円だと言う。

1米ドルが120円越えていたはずなのでまぁそんなものだろうということで2,000円払ってチェックアウト。

思えば結構高いワインだったんだな。

普通の赤ワインだと言う感想しか持てなかった。

ホテルを出て徒歩5分ほどでギョレメの中心部へ。

中心部のオトガル(バスターミナル)からイスタンブール行きのバスが出る。

夜行バスが出る20時までたっぷり時間がある。

オトガルでは荷物を預かってくれると聞いていたので乗車予定のバス会社のオフィスへ行って荷物を預ける。

預かってくれると言ってもカウンターの片隅に置いておくだけ。

仮に無くなっても大丈夫な着替え一式をまとめてビニール袋に入れたものだけを置いてきた。

それでも荷物の殆どは着替えなのでだいぶ身軽になって本日の行動開始。

まずはお金を調達しないといけない。

昨日も世話になったATMへ行き、今度は一気に100YTL(≒10,000円)を卸す。

金が手に入るとあとは進むのみ。

最初に目指すのはギョレメ野外博物館。

岩山をくりぬいて作った岩窟教会が数多く点在する観光ポイント。

ギョレメの中心部から歩いて向かう。

レンタルスクーターやレンタル自転車もあったが徒歩を選択。

坂が多いので自転車は疲れる。

スクーターは気持ち良さそうだったが日本でも乗ったことがない上に右側通行。

やはり無難に歩くことになる。

午前中から相変わらずの強烈な陽射しのなか、野外博物館へ向かう1本道を歩く。

車も殆ど通らず、歩いているのもバックパッカーや現地人が僅かにいるだけ。

広大な大地はどこか北海道を思わせる。

ただ奇岩があるか無いかの違いか。

20〜30分ほど歩くと土産物屋や飲食店が軒を連ねる所に到着。

だいたいどこでも観光地には土産物屋がつきものだ。

入場料10YTL(≒1,000円)を払って中に入る。

ギョレメ中心部からここまでに歩いている人は殆どいなかったのに中は団体客が多数。

そういえば駐車場に大型バスが何台も止まっていた。

日本人団体ツアー客もいたがその殆どが中年以上と思われるグループだった。

集合写真を撮るのを撮る
西洋人も集合写真撮るのね

ギョレメ野外博物館はキリスト教徒がイスラムの迫害から逃れるために岩を掘って作った教会が数多く公開されている。

野外博物館自体の敷地も広く、広範囲にわたって歩かなければいけない。

おまけに坂も多くて実に疲れる。

既に30分近く炎天下を歩いてきたので少し歩いただけで早くも疲労。

日陰で休憩しつつ体力回復。

ツアーでない利点は好きなときに好きなだけ休めるところだな。

つくづく思ったのが人間は本当に暑いと水しか欲しなくなるということ。

常日頃から喉が渇いたらビール!と思っていたが今回ばかりは水。

ビールと水が並んでいても水を取っただろうというくらい水が美味しい。

ある程度体力が回復したら観光再開。

岩窟教会内部には様々なフレスコ画がある。

目鼻立ちがクッキリした絵が多く、見方によっては子供が描いたような絵にも見える。

所々キリストらの顔が剥げているのが多かったのは後世の人(イスラム教徒?)が敢えてやったものだろうか。

岩窟教会の中にああして書かれたからこそ価値のある物なのだろう。

他の所で見たらなんともないような代物でも、状況下によっては芸術になる。

辺り一帯の奇岩は野外博物館まで来なくてもギョレメ近郊にいくらでも転がっている。

岩をくり抜いた跡も私が前日に何の気になしに入った所からも分かるようにそれほど珍しいものではない。

やはり岩窟教会やそこにあるフレスコ画がメインの所だろう。

一通り観光した後に売店で新しい水1.5リットル1YTL(≒100円)を購入してギョレメ中心部へ戻る。

次に目指すところはカイマクル地下都市。

これまで見てきたのが岩山をくり抜いて作った住居や教会だった。

次に行くところは地下を何層にも掘り進んで作った地下都市。

ギョレメからはバスを乗り継いで行く所だ。

インフォメーションでバスの時間を聞くと12:00発だという。

20分くらい時間があったのでオトガル(バスターミナル)近くにあったカフェに入りビールを1杯(4.5YTL≒450円)。

人間本当に暑い時は水!だったが落ち着くとやはりビールが最高に美味い。

燃料源
トルコの定番ビール「EFES」

バスは定刻の12:00にネヴシェヒルというカッパドキアの中心都市に向けて出発。

バスの中には車掌の役割を果たしているオジサンがいて、バス代金1.5YTL(≒150円)を払う。

ネヴシェヒルに向かうバスからでも広大な大地や奇岩がアチコチ。

所々停車しつつ町に近づく。

ネヴシェヒルはカッパドキアの中心都市なのでギョレメに比べると格段に発達している。

オトガル(バスターミナル)に到着し、車掌のオジサンに「どこへ行く?」と聞かれ「カイマクル」と答える。

そしたらバスの中で待て、と言われて車内で待つ。

バスの中を見ると私以外でただ1人残された若い男性が乗っている。

なんとなく目が合ったのでほぼ同じタイミングで「日本の方ですか?」と。

向こうは地球の歩き方を持っていたので間違いないとは思ったが一応礼儀として聞いた。

話すと彼はギョレメとネヴシェヒルの間にあるウチヒサルという所へ行きたかったらしい。

しかしバスが止まらずにここまで来てしまったと言う。

私はこれからカイマクル地下都市へ行く予定だと言うと、折角だからということで一緒に行くことになった。

バスの中で待っていると1台のバスが来た。

運転手に「カイマクル?」と確認すると「Yes」と言うので乗り込む。

ネヴシェヒルからカイマクルは思った以上に遠く、郊外の道をひたすら走る。

バスの中で彼と色々話しをする。

会社を辞めて次の仕事までの空白期間で旅をしていると言う。

モスクワ経由のアエロフロート航空でイスタンブールから入ってチェコのプラハから出るプラン。

トルコを出た後でチェコまでバスをメインに各国を旅するらしい。

ギョレメでは1泊10YTL(≒1,000円)の安宿ドミトリーに泊まっている筋金入りのバックパッカー。

少し話をしただけでこりゃ敵わないなーという旅歴の持ち主だった。

チュニジアやアルジェリア行って4ヶ国語辞典のフランス語で何とか乗り切ったなんて私にはとても出来ない経験。

私も見た目はバックパッカーなのだがホテルはしっかりした所に泊まっている。

飯もちゃんとレストランで食べるししっかり酒も飲む。

彼のような本物のバックパッカーに会ったときには何だか萎縮してしまう。

「どこに泊まってるんですか?」と聞かれて「日本から予約していった所なんですけどね」という時に感じてしまう劣等感。

自虐的に「いやぁ、自分は似非バックパッカーなんで」と。

まぁでもこうした旅のスタイルがあっても良いではないか。

今回の旅ではしっかり贅沢をしつつもバックパッカーがテーマなんだし(そうだったのか?)

バスは20分程で町へ入ってきた。

バスが停車して運転手が「Underground City」と教えてくれたので降りる。

町は町なのだが人も車もあまり無く、ちゃんと帰りのバスが通ってくれるのかやや不安になる。

多分コッチだろうと見当をつけて歩いていくと土産物屋っぽいのが連なっている。

町の通りにはあまり人がいないのに土産物屋はしっかり並んでいる。

観光地と言うのはどこも一緒だ。

カイマクル地下都市。

その成り立ちには謎の部分が多いらしいが迫害を恐れたキリスト教徒が住んでいたという説が有力だとか。

入場券を売る窓口脇には現地人のガイドがいて「英語で案内してやる」というのを丁重にお断り。

入場料10YTL(≒1,000円)払っていざ、地下都市へ。

入口に向かう階段を下りた瞬間に空気が一気に冷えた。

そして中はヒンヤリを通り越して涼しいくらい。

地下都市というよりも見事な洞窟。

鍾乳洞などは自然が作り出したものだが、こちらは完全に人の手によって作られたものというのが凄い。

観光できる範囲には電気が通っていたが、基本的に中は薄暗い。

人が1人通るのがやっとのような細い道(勿論すれ違えない)や屈まないと通れないような道が多数。

そうした細い道が坂になっていてさらに下層へ行ったり。

モンスターが現れそう
ダンジョン

本当に映画の世界かゲームの世界かというような地下都市内部。

スターウォーズかインディージョーンズかロードオフザリングかドラゴンクエストかファイナルファンタジーか…というような光景。

奥へ行けばホビット族でもいるんじゃないかと。

地下都市が身体の大きい西洋人を仮想敵として考えていたのならそれは成功かもしれない。

あの通路は身体の大きな人間はよほど苦労しないと通れなさそうだった。

順路らしき矢印が方々に取り付けられてはいるが、その気になればいくらでも迷うことができそう。

年間に何人か行方不明になっていても全く不思議じゃない。

細い路地を通ったときに脇道から縦に伸びている空洞を見つけた。

その空洞に頭を入れて上を見ても下を見ても完全な暗闇。

上下共にこの穴はどこまで続いているのかと背筋が寒くなった。

地下都市のフロアはどこも似ているので気が付くと同じところをグルグル回ったりしていた。

我々が行った時は人もあまりいなかったが、あれだけ狭い地下都市を大人数ツアーで回れるのだろうか。

気が付くと順路を2周くらいしていたのでそろそろ良いかと外へ出る。

相変わらず外は暑い。

そりゃ涼しい地下に都市も作りたくなるわなってくらいの暑さ。

カイマクルでの目的は地下都市だけだったので最初にバスを降ろされたところへ戻る。

バス停留所と思われる所の前に一軒の飲食店。

現地人がピザを食べている。

店員に聞くと次のバスまで20分ほど時間があると言うのでそこで昼飯を食うことに。

2人でピザ2枚とお通しで出てきたサラダ、コーラ2本で10YTL(≒1,000円)。

初めていかにも大衆食堂といったところでの食事なだけに安い値段だろう。

ところがピザは注文を受けてから焼いているらしくてなかなか出てこない。

出てきたピザは熱々パリパリで美味かったのだが、食べている間にバスが行ってしまった。

結局もう30分ほど待って次のバスに乗った。

同行の彼とはだいぶ打ち解けてバスの中での話題はサッカーに。

彼「ところで日本の情報って入ってます?サッカーアジアカップの結果とかって。」

私「あぁ、それなら今朝見ましたよ。でも、言っちゃっていいんですか?」

一応バスの中に他に日本人がいないことを確認して尋ねる。

彼「あ、チョット待ってください。(しばしの間)お願いします。」

私「朝ホテルで見た字幕ニュースだけの情報なんですけど…(しばしの間)勝ったようです。」

彼「本当ですか?!そりゃどこかでインターネットで結果見ないと」

というような会話。

お互いサッカー好きだったので話題はいつしか前回2004年アジアカップまで遡っていた。

バスは無事にネヴシェヒルに到着。

ここからギョレメまではバスで1本だ。

まっすぐギョレメに戻っても夜行バスまではだいぶ時間がある。

すると彼が「ウチヒサルへ行ってみませんか?」と。

当初彼が行こうと思っていた所だったのだが、バスが止まらずに結局いけなかった所。

こっちも時間は余っていたので一緒にウチヒサルへ行くことにした。

ネヴシェヒルからギョレメへ向かう途中にあるウチヒサルという村。

カッパドキア地方で最も高いところにあるという村で、巨大な一枚岩の城壁が展望台になっている。

ネヴシェヒルからギョレメ行きのバスに乗る。

車掌役のオジサンに「ウチヒサル」と告げると「OKOK」と。

バスはしばらく走ってオジサンが「ウチヒサル」と言う。

あれ?想像していたウチヒサルと違うんだが…半信半疑ながらバスを降りる。

ウチヒサルは高台にある巨大な一枚岩の城壁が遠くからでも目立つのですぐ分かる。

しかしその一枚岩が見えない。

多分もっと先だろう、という認識が一致してバスが行った道を徒歩で歩く。

しばらく車道沿いに歩いていると見えてきた、ウチヒサルの一枚岩。

やはり先程のバスはだいぶ前で降ろされたようだ。

ウチヒサル
城壁と言うより岩壁、頂上まで行ける

ウチヒサルは村の名前だから降ろされた辺りがウチヒサル村だったのか?

歩いてようやくウチヒサルのふもとまで来ると例によって土産物屋が沢山並んでいる。

しかしここはまだふもと、これから更に高い所にある城壁の岩まで登らないといけない。

山道と言うのではないが険しい坂道を登る。

イスタンブールといいカッパドキアといい、トルコってのはやたらと観光地に坂が多い国だ。

おまけに太陽はもはや陽射しと言うより肌に突き刺さる陽刺しというくらい強烈。

こんなに険しい坂道だと言うのに頂上に近づくと小型のペンションが多数。

ガイドブックによるとギョレメよりも観光地化していない素朴な村だからだとか。

もっとも車でも登ってこられる道だったので、泊まりに来るような連中は車で登っているのだろう。

猛暑と疲労や途中で道に迷ったりしながら30分ほどかけてどうにか頂上へ到着。

城壁は登れるようになっていたので3YTL(≒300円)払ってさらに登る。

カッパドキア地方の最も高い所にあるという最も高い城壁の頂上。

この日は地下都市から最も高い所までよく動いたものだ。

前日に見たギョレメ・パノラマよりも遥かに眺めが良い。

四方八方どこを見渡しても遮るものの無い絶景。

散々我々を苦しめた快晴の天気もここへ来ると素晴らしい。

頂上は風も吹いて気持ち良いが、下はゴツゴツした岩。

おまけに柵なんて無いのでその気になって足を踏み外したら一気に下までゴロゴロ。

基本的に外国はこういう所は全て自己責任なんだろうなーと思える。

例えばこれが日本で、誰かが転落する事故が起こったとする。

すると「柵を作ってなく安全対策が充分とはいえない施設の管理に問題がある」なんて大騒ぎになることだろう。

しばし頂上で涼んだ後に下山。

下るだけだし道は分かっているし、行きに比べて随分と早く下山。

ふもとの売店が集まっている車道脇でバスが通るのを待つ。

地球の歩き方によるとバスは17時頃が最終だと言う。

日曜日は1時間に1本しか走っていないらしいが、先程のカイマクルでは30分後に来た。

30分くらい待っていれば来るだろうと待っていた。

普通のバス以外にも観光客を満載したツアーバスや、同じような小型バスが通るので非常に分かりづらい。

バスが来たと思って止まるように合図をしても全然違うバスだったりする。

結局40分くらい待ってようやく目的のバスが来た。

実際に乗ってしまうとギョレメまでは坂を少し上り下りして5分ほどで到着。

ギョレメからネヴシェヒルへ20分かけて行っても、ウチヒサルからギョレメへ5分で着いてもバスの値段は同じ1.5YTL(≒150円)。

結果的には歩けない距離でも無かった。

17時過ぎにギョレメに到着、夜行バスは20時だ。

必然的にどこかで1杯やってきますか、という話になる。

彼はホテルの洗濯物を取り込んでくるというので約1時間後に待ち合わせ。

その間に私は近くにあった公園で休憩。

水道があったので日焼けして真っ赤になった顔と腕を洗う。

日陰で旅日記などを書きつつ、待ち合わせの時間になった。

安宿を回る彼は今後のことを考えるとあまり無駄遣いはできないということで近くの商店で缶ビールとスナックを購入。

広場みたいな公園みたいな所のベンチとテーブルで簡易宴会。

これまでに訪れた国の話やサッカーの話題。

トルコの総選挙が今日だという話題から日本の参院選から政治の話題まで幅広く。

彼によると日本が各国にODAをばら撒いてくれているおかげでだいぶ旅がし易いと。

だいたいどの発展途上国へ行っても日本人なら殆どすぐにビザを発給してくれるという。

彼の話を聞いていて行きたくなったのはネパールとカンボジア。

ネパールは物価の安さと自然。

エベレストビールというベタなネーミングのビールにも曳かれた。

カンボジアのアンコールワットは以前から興味があったが話を聞いてより行きたくなった。

やはり物価が安いところが良い。

夕方に公園で周囲を眺めながら飲んでいたがギョレメは長閑な感じで良い。

彼も言っていたが「もう少し物価が安ければバックパッカーのたまり場になりそうな村だ」と。

確かにもう少し物価が安ければ言うことなしだった。

19時30分を過ぎそろそろオトガル(バスターミナル)に向かうことにする。

ほぼ半日共に行動した彼ともココでお別れ。

お互い握手をし「良い旅を。縁があったらイスタンブールで会いましょう。」と。

一緒に行動したおかげでネヴシェヒルから結構遠く離れたカイマクルでも不安にならずに済んだし、当初は行く予定になかったウチヒサルへも行くことができた。

初日に会った女性以来、良い出会いになった。

あれだけ色々と会話したのに結局お互いの名前は聞かず言わず仕舞い。

まさに一期一会。

オトガル(バスターミナル)へ向かうとバックパッカーが集まっている。

やたらと韓国人が目に付く。

さっきまで一緒だった彼は台湾人が多いと言っていた。

確かにこの旅でここまでを通して日本人よりも韓国人か中国(台湾?)人の方が多く見かける。

大きなバスが到着する度に係員が行き先を大声で告げる。

2,3のバスをやりすごした後にイスタンブール行きのバスが到着。

日本にある大型長距離バスと変わらぬ綺麗な外観・内装。

乗ったは良いが指定席のチケットに記載された私の席番号が無い。

車掌役の人に聞くと「どこでも良いから空いている所に座れ」と。

そんなんで良いのか…。

ほぼ満席でバスは発車。

20:00発のチケットだったがバスが出たのは20:20すぎだった。

車内にいる日本人はどう見ても私だけ、日本人どころか東洋人もいなさそう。

オトガルではあんなに東洋人がいっぱいいたのに。

バスは20分ほど走ると大きなターミナルに到着。

すると「Istanbul change bus」と車掌が連呼する。

どうやら乗り換えらしいので降りる。

5分ほど待つと同じバスが来て「Isutanbul」と書かれている。

念のために車掌にチケットを見せて確認するとそのバスで良いと言う。

ようやくイスタンブール行きのバスに乗ることができた。

今回はちゃんとチケットに記載された席があったので所定の席に。

私の席は一番後ろだった。

チケットを買った人が前から順番に席を割り当てられると考えると私が買ったのは最後のほうだったということになる。

そして車内は満席。

つまり私は結構ギリギリでチケットを買えたのかもしれない。

バスでは車掌が水やコーヒー、紅茶、コーラのサービスをしてくれる。

軽食(小さなオカシ)も出て、その辺のサービスは日本より良い。

後はバスにトイレさえ付ければ完璧なような気がする。

日本の長距離バスにはトイレが付いているのだから技術的には充分可能だと思うのだが。

朝から歩きっぱなしの疲れもあってすぐに寝る。

幸いにして一番後ろの席なので遠慮することなくリクライニングを倒すことが出来る。

ふと目が覚めるとバスがサービスエリアに入ったところだった。

時計を見ると23:40、もう深夜と呼べる時間帯。

続々と降りていく乗客。

折角だからトイレにでも行っておくかと思って気が付いた。

朝、ホテルを出てから1回もトイレに行ってない…。

朝から歩き通しで休憩のたびに水はガバガバ飲み、1リットルは飲んでいるはず。

ビールも500mlを2本飲んでいるし、昼飯時にはコーラ350mlも飲んでいる。

合計すると2リットル以上は水分を摂取しているのに全くトイレに行っていなかったし行きたくもならなかった。

これは摂取した水分が殆ど吸収され、尿ではなく汗で外へ出たということか。

改めて行動を振り返ってみてもトイレへ行った記憶は無い。

我ながら驚いた。

今回にしてもそれほど尿意があるわけではなく、トイレがあるなら行っておくか程度の尿意。

置き引きが恐いので荷物は全て持ってトイレへ。

入口で0.5YTL(≒50円)払って小用。

同じ値段払うんなら無理にでも大すれば良かったかもと貧乏根性が頭をよぎった。

小用後にバスの様子を見て他の客が全然戻っていないことを確認してからサービスエリアを少し散策。

土産物屋や売店、食事エリアやその場で焼いているなんだらケバブ。

深夜0時近いのに大型バスが沢山止まって結構な人で賑わっていた。

ドライブインの光景は日本のそれと殆ど変わらなかった。

遅れて置いて行かれるよりも早く乗っていた方が良いと判断して早々にバスへ戻る。

出発前には車掌が一応全席に客がいるかを確認していた。

割としっかりしているらしい。

出発すると後はただただ眠っていた。

バスの座席の寝心地など気にならないほど疲れていたのだろう、すぐに就寝。

途中でどこかのサービスエリアに止まった気配もあったがそこでもずっと眠っていた。

 

 

2007年7月23日 月曜日

ぼんやりと目が覚めた

どうやら夜が明けているらしい。

どこかへの到着を告げる車掌の声、既にイスタンブールでアジア側のオトガル(バスターミナル)らしい。

次第に目が覚めてきてバスは大きな橋を通る。

これはボスフォラス海峡を渡っているのだと気が付いた。

橋の脇にはルメール・ヒサーリが見えた。

今回の旅に出る前に読んだ一冊の本。

塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」

その中で主人公のオスマントルコのスルタン、メフメット2世が僅か4ヶ月で建てたという要塞。

そこからボスフォラス海峡を渡る敵船を砲撃したと言う。

期せずしてこんな形で見ることが出来るとは思わなかった。

朝早かったからか渋滞も無かったようで、バスは終点のヨーロッパサイドのオトガル(バスターミナル)に到着。

さすがにイスタンブールのオトガルは巨大で色々なバス会社のオフィスやバスが所狭しと並んでいる。

道中を殆ど寝ていたので案外アッという間だった。

これなら夜行バスを乗り継いでトルコを旅する人の気持ちも分かる。

だけど何日も続けたらさすがに疲れそうだ。

時間は7:30、ギョレメからの乗車時間はおよそ11時間。

時間的にもイスタンブールに着いた初日と同じ。

ただ違うのはもう私はイスタンブールでの行動については熟知していると言うこと(チョット言い過ぎか…)。

オトガルからメトロと路面電車を乗り継いでエミノニュ桟橋へ。

エミノニュからは各方面へ向けた船が出ている。

今日の目的はボスフォラス海峡クルーズ。

アジアとヨーロッパの狭間・ボスフォラス海峡を黒海に向けて途中途中の港に寄港しながら行く船があるのだ。

時間を調べると最初の船は10:35発。

まだ時間に余裕がある。

すぐ近くにあるのがエジプシャンバザール。

その昔、エジプトなどからの貢物が多く集められたからのネーミングだとか。

香辛料を売る店が多かったらしく、現在も独特な匂いが漂うバザール内。

開店直後の9:00すぎだったのでそれほど観光客もいない。

どこかバザール全体の目がまだ覚めていないような状況。

何だかこの辺りの行動パターンまでイスタンブール初日と同じだ。

初日は早朝に着いて開いたばかりのグランバザールへ。

今回も早朝に着いて開いたばかりのエジプシャンバザールへ。

グランバザールほど広くないエジプシャンバザールは歩くだけならすぐに終わってしまう。

方々の店を冷やかしつつ時間が過ぎるのを待つ。

10:00頃にエミノニュ桟橋へ行き、ボスフォラス海峡クルーズ船の切符を購入。

往復で12.5YTL(≒1,250円)。

10:00すぎくらいに船が到着。

待ち構えていた観光客がどっと乗り込む。

何かのガイドブックで進行方向の左側最後列に座ると船上から新市街が綺麗に見えると書いてあったような気がした。

そのアドバイスを思い出し、3層あった船の一番上へ行き、左側最後列の席を確保。

次々と乗り込んでくる人々。

地元民も利用するような船らしいのだが、殆どが観光客に見える。

10:35に船が発進。

旧市街をどんどん離れていく。

そして確かに左側に座ると新市街の海沿いの建築物が実によく眺められる。

ドルマバプチェ宮殿やチュラーンパレス、他にも何やら立派そうな建物が多数。

ただ、そうした有名な建物が見えると最初に座った席などお構い無しに観光客がどんどん押し寄せてくる。

押し寄せてきてはデジカメで写真を撮る。

アッチでもコッチでも競うように写真を撮り続けるので落ち着かない。

そこまで必死にならなくても・・・というような。

ボスフォラス大橋をくぐり、朝にバスの中から見たルメール・ヒサーリも通過。

この辺りまで来るともうそれほど見所が無くなってくる。

次第に船は落ち着き、航海が続く。

新市街側の港にとまり、アジア側の港にとまり…とジグザグに航海を繰り返して北上する船。

ボスフォラス海峡は頻繁に船が通っていて大型タンカーなどもいた。

1時間40分ほどかけて終点となる港に到着。

このまま戻ろうかと思っていたらとりあえず全員降ろされるらしい。

そして戻りの船は15:00発だと言う。

これは予想外の出来事だった。

現在の時間は12:00を回ったところ。

約3時間もこの港町にいなければいけない。

しかも15:00発ということはイスタンブール市街に戻れるのは16:30すぎということになる。

今夜はホテルすら予約していないのだ。

これは大きな時間のロスになる。

だが来てしまったものは仕方なく、とりあえずはこの港町で時間を潰すしかない。

港の周りには飲食店が乱立していて少し歩くだけで「ウチで飯を食っていけ」と客引きが付きまとう。

とりあえず港を離れて何か無いか探してみようと歩き出した。

だが少し歩いただけで例の強烈な陽射しにやられる。

ずーっと蓄積した陽射しによる日焼けがピークを迎えつつあった。

太陽にあたるだけで腕がヒリヒリ痛み、あまり行動したくなくなった。

それに加えて町の周りにもめぼしいものは特に無さそうだった。

ただの長閑な町…というより村といった感じ。

殆どボスフォラスクルーズの終着地として、帰りの船を待つ観光客の飲食代で賄っている村なのではないかと。

だからこそ帰りの船までの間に時間が空いているのではないかと邪推もしたくなる。

太陽にあたるのが嫌になってきたので声をかけてきた客引きのレストランへ。

屋根つきの2階の席に案内されて勿論ビール。

どうやらシーフードの店だったらしく、この旅で初めての魚介類を注文。

英語のメニューだったが恐らく魚の種類などが書かれた単語を見てもよく分からない。

ウェイターの言葉に適当にフンフン頷いていたら料理が出てきた。

必ず出てくるお通しのパン、サラダ、イカと貝のフライ、焼き魚はマス(?)。

イカフライと貝のフライは日本のてんぷらのような衣が付いている。

タルタルソースのようなソースにつけて食べるのだが、ヨーグルト入りなのかサワークリームのようにさっぱりしていて実に美味かった。

焼き魚も日本で食べる塩焼きの魚と全く同じで驚いた。

その焼き魚をナイフとフォークで骨を取り除いて食べるのは一苦労。

心から箸と醤油が欲しくなった私はまぎれもない日本人だ。

食事前
BEFORE

食事後
AFTER

料理を食べ終わっても外へ出たくはなかった。

店内は空いていたので当分居座ってこれまでの旅日記の執筆など。

30分くらい前には乗船できるだろうと思い14:30には復路の船に乗り込む。

帰りの船での席は正直どこでも良くなっていた。

船が発進しても船内は全体的にどことなく気だるい雰囲気が漂う。

往路で感じたパワーが全く感じられない。

やはり皆も疲れているのだろう。

力尽きたようにベンチに横になって寝ている人も多数いた。

そういう私も復路はその半分以上を寝ていた。

夜行バスで朝一イスタンブールに着いたその足でボスフォラスクルーズ、そりゃ疲れるわ。

16:40すぎにエミノニュ桟橋に戻ってきた。

往復3時間以上の船旅と、何も無い港町で3時間の待ち時間。

予想以上に多くの時間をボスフォラスクルーズに取られてしまった。

まずは早急に今夜のホテルを決めなければいけない。

大学時代の欧州旅行ではホテルへ飛び込んで料金を聞いて部屋を見せてもらって…

といった一連のコミュニケーションが楽しかった。

今回もそれを楽しもうと思ったのが1点。

全て日本から予約して行ったのでは面白くないので冒険的な部分を残したかったのが1点。

もし夜行バスが取れなかったらこの日にイスタンブールに戻ってこられなかったかもしれないというのが1点。

それらの諸事情が合わさって今夜の宿は予約していなかった。

だけど疲れ果てている現在はコミュニケーションを楽しむ余裕なんて無かった。

とくかく無難なホテルへ行ってさっさと落ち着きたかった。

ホテルが多かったのはスルタンアフメット地区だというのは初日に分かっていたのでとにかくそちらへ。

目ぼしい所は地球の歩き方を見てなんとなく決めていた。

分かり易い所へ、楽な所へと気持ちが動いていた。

路面電車のスルタンアフメット駅前。

地球の歩き方に中級宿として紹介されていたホテルに飛び込んでみる。

米ドルのトラベラーズチェック払いが出来ると書いてあったのだ。

今回の旅に出るために荷物整理をしていたら6年前の欧州旅行時に作ったドルのトラベラーズチェックが出てきた。

その額は60ドルだったのでそれなりの金額。

機会があれば今回の旅で使ってしまおうと思っていた。

なのでホテル代が60ドル以下なら即決してしまうつもりだった。

フロントで英語による会話。

「予約をしていないのだが今日泊まることができるか?」「OKだ」

「米ドルで1泊いくらだ?」「55ドルだ」

「トラベラーズチェックでも大丈夫か?」「OKだ」

「OK,please.」

即決である。

55ドル(≒6,710円、1ドル122円計算)なら充分に許容範囲だった。

案外アッサリと決まったのでホッとした。

鍵を貰って4階の部屋へ。

部屋に入って窓の外を見て感激した。

ブルーモスクが綺麗に見える。

その向こうには海(マルマラ海)まで見渡せる。

飛び込んだ宿でこんなに良い部屋を割り当てられるとは思っていなかった。

凄く得した気分で疲れも回復。

やはり落ち着ける場所を得ると精神的にも楽になる。

時間は17:00過ぎ、日暮れが遅いイスタンブールではまだまだ行動できる時間帯。

この日にやらなければならかったことがもう1つ。

帰国まで48時間を切ったので帰りの飛行機のインターネットチェックインが出来る時間になったのだ。

ホテルから歩いて数秒の所にインターネットカフェの看板があった。

建物に入るとエレベータがあり、現地人の若者が乗っていた。

狭いエレベーターだったのでやりすごして階段で行こうかと思ったが若者が手招きするので一緒に乗った。

インターネットカフェのある2Fを押す。

すると若者が片言の日本語で「ニホンジン デスカ?」と。

片言の日本語に対して咄嗟に日本語が出てこなくて「YES」と答える。

するとその若者は嬉しそうに「私は 明日 日本へ 行きます エミレーツ航空」と。

あれ?どこかで聞いたような展開だと思い始める。

2Fに着くとインターネットカフェの入口があり、その若者もついてきた。

結構混んでいた店内。

何台か端末は空いていたので店員に「Japanese Language?」と聞いてみると何やら現地語でゴニョゴニョ言った。

すると若者が「日本語 空いてない」と通訳してくれた。

どうしようかと店内で逡巡しているとまた若者が話しかけてくる。

「私の 姉は 日本で 有名な 鑑定士 です」と。

この一言でグレーが黒に変わった。

イスタンブール初日で話しかけてきたヤツが言ったセリフを思い出した。

「My cousin is famous expert in Japan」と。

Expertってのは何だと聞くと「カンテイシ」と日本語で言った。

宝石やトルコ石の鑑定士らしい。

まさかイスタンブールでたまたま話しかけてきた現地人が2人とも
・近く日本に行く予定がある
・親戚が日本で有名な鑑定士

こんな偶然が重なるわけがない。

コイツも何らかの下心があって近づいてきたヤツだと断定した。

すると若者が「他の インターネットカフェ に 案内します」と言われた。

ココでついていったら初日の二の舞になる。

決断は早かった、「No problem English ok.」と言ってさっさと空いている席に座った。

一応ソイツにはThank youと一声かけておいた。

ソイツは少し入口付近に立ってウロウロしていたがやがていなくなった。

やはりインターネットカフェの客では無かったのだ。

それにしてもたまたまエレベーターに乗り合わせたヤツにまで声をかけられるとは。

イスタンブールってのはどこまで信用ならないんだ。

英語でも大丈夫だと言って端末に向かってはみたものの検索してもシンガポール航空のサイトがなかなかヒットしない。

少し経つと店員が日本語端末が空いたぞと教えてくれたのでそちらに移る。

やはり日本語だと勝手が分かっているのでやり易い。

日本語表示は出来たが日本語入力は出来なかった。

自分のサイトへ行って「シンガポール航空」をコピー&ペースト。

シンガポール航空のサイトにアクセス。

今回は選択できる空席が後部座席しかなかった。

前方の座席は往路の航程で懲りている。

どうせ後ろならと最後列の席を選択し、無事にインターネットチェックインが完了。

ネットチェックインだけで出るのは味気なかったのでアジアカップのサイトを見る。

アジアカップ準々決勝でオーストラリア相手に4-3で勝利というのはPK戦の結果だったことを知る。

4-3とは壮絶な打ち合いの試合だと期待していたのだが違ったようだ。

そのまま動画投稿サイトを見ると高原の見事な同点ゴールを見ることが出来た。

あのフェイントからのシュートはワールドクラスだ。

泊まるホテルも決まり、怪しげな現地人を追い払い、インターネットチェックインも済ませ、サッカーの結果を知る。

1時間ほど前には泊まるホテルすら決まっていなかったとは思えないほど今は全てが巧くいっている。

かなり良い気分でインターネットカフェを後にした。

アヤソフィア、ブルーモスク界隈を散歩して商店で500ml缶ビール2本(1本2YTL≒200円)を買ってホテルへ戻る。

バスタブでTシャツとパンツを洗濯してエアコンの下に干し、買ってきたビールを飲んで一息つく。

晩飯は外へ行って食べても良かったが、疲れていたので飯を食べる所を探すのも面倒くさくなっていた。

ホテルにはレストランがあり、値段付きのメニューが廊下に貼ってあったが料理もビールも普通の値段。

それならば無難に安全にホテルのレストランで良いだろう。

日が暮れかけた頃にホテルのレストランへ。

最上階だったのでライトアップされたブルーモスクが綺麗に見える。

ブラックモスク
ライトアップされたブルーモスク

おまけに客が1人しかいなかったので殆ど貸し切り状態。

アダナ・ケバブなるピリ辛のケバブ料理を注文。

ビールと共に流し込む。

レストランにはTVがあり、見るからに政治討論番組のようなものをやっている。

前日にはトルコ総選挙があった。

現地人が持っている新聞にも「誰々勝利」みたいな記事が踊っていた。

政治討論番組みたいなのはどこの国でも似たようなものなんだな。

唯一いた客は水タバコをブクブクやりながらそのTVを見ていた。

後ろでは店員が水タバコをブクブクやっている。

ビールのお代わりを頼んでいるうちにその店員と英語で少し喋る。

どこから来たんだ、日本か、日本語でサンキューは何て言うんだ、そうか、ありがとうごじゃいますか…

トルコ語のサンキューはティッシュケレデリムだ、そうだ、上手な発音じゃないか…

みたいな会話。

何か妙に仲良くなって「水タバコを吸うか?」と勧めてくる。

タバコを吸わないからイイよと断るとタバコとは違うんだと説明してくれる。

煙を肺に入れずに口の中で味を楽しむんだと教えてくれる。

タバコで言うところのいわゆるフカスってやつだな。

しきりに勧めるので断り続けるのも悪いので吸ってみる。

硬いストローのような管を吸い込む、その管の先に水が溜まっている。

スーッ…ん、全然ブクブクならないぞ、ンーッと強く吸うとようやくブクブク鳴り出した。

りんごの香りがする煙が口の中に充満し、普段タバコを吸わない私は思わずムォホッとなり大量の煙が口から溢れ出す。

しかしりんごの甘い香りが口中に広がり、なるほど悪くない。

興味本位で禁煙パイプを吸った時がこんな感じだったような気がする。

もっと吸って良いぞとしきりに勧めてくる。

2回目は最初から力強く吸い込むと現地人が吸っているようにブクブクブクブクと。

そしてプハーッ、2回目はむせることも無かった。

悪くは無いのだが慣れていないせいか、吸うのに疲れる。

かなり力を入れて吸い込まないとブクブクならないのだ。

他にも色々な味があるぞとメニューを見せてくれる。

様々なフルーツやシナモンやミントなどのメニューが並んでいて、どれも10YTL(≒1,000円)。

味がなくなるまで楽しめるらしく、数十分〜ものによっては1時間以上持つと言うから驚きだ。

街角の喫茶店などでもメニューとして出しているらしい。

だが私は同じ10YTLならビールを2杯飲むのを選択するだろう。

お試しの水タバコも飲食代金に含まれていたらどうしようかと思ったが心配は杞憂だった。

16YTL(≒1,600円)、ビール2杯飲んでこの値段だから安い。

おまけに店員の好意で水タバコも吸わせてくれた。

20YTL(≒2,000円)払ってお釣りは全部置いてきた。

こういう時こそチップを払うべきなんだなと思った。

これまでチップ文化がある国へ行っても「まぁ礼儀なんだろ」という気持ちでしか払ってなかった。

心地良いサービスを受けたらチップを払う。

全ての旅を通して初めて心からチップを払おうと思って払った瞬間だった。

心地良く酔いが回っていたので一旦外へ出る。

暗くなってもブルーモスク・アヤソフィア周りの公園は観光客が多い。

どちらもライトアップされて昼間とは違う表情を見せている。

さすがにこの時間にボッタクリガイドの類はいないのか誰も声をかけてこない。

22時過ぎだというのにアザーンが流れる。

翌日は新市街へ泊まるので、旧市街の夜はこれが最後だった。

 

 

2007年7月24日 火曜日

翌日は昼の飛行機なので行動が出来るのはこの日が実質最終日。

相変わらずの良い天気。

結局雨の降りそうな気配は1日も無かった。

トルコは雨なんか降らないんじゃないかと思えてしまうほど毎日が快晴。

この日の予定はイスタンブールのアジアサイドと新市街へ行くこと。

途中で何度も通っていたが、そういえば行っていなかった鉄道のスィルケジ駅へ。

ヨーロッパ側から来るオリエント急行の終着駅。

列車がいる時間ではなかったので広々とした駅構内はだいぶ閑散としていた。

昨日も行ったエミノニュ桟橋まで行き、そこからアジア側のカドゥキョイへ行く船に乗る。

こちらはボスフォラスクルーズ船のような観光船ではなく、庶民の足として使われている船で値段も1.3YTL(≒130円)と安い。

アジア側へ向かう船中からは旧市街の3大観光地・トプカピ宮殿・アヤソフィア・ブルーモスクが綺麗に並んで見えた。

海から見ると旧市街の岸には城壁が並んでいるのが分かる。

イスタン旧市街
左から奥に微かに見えるのがブルーモスク、アヤソフィア、トプカピ宮殿

アジア側へは20分ほどの航海で到着。

ボスフォラスクルーズで待ち時間も含めて半日近く取られるよりも、船旅ならこれで充分だったような気がした。

アジア側で見たかったのはアジアの鉄道の終着駅であるハイダルパシャ駅くらい。

イスタンブールはアジアとヨーロッパの狭間なので、どちらの玄関口も見ておきたかった。

船からも見えたハイダルパシャ駅、こちらもスィルケジ駅と同様に大きな建物と広い構内、そして閑散としている。

これでとりあえずヨーロッパ・アジア両方の鉄道の終着駅を見た。

しかし結局ただそれだけ。

駅に来て列車に乗らずただ駅とホームを眺めるだけというのも味気ないものだ。

イスタンブールのアジア側には有名な観光地はあまり無い。

とりあえずアジア側に来た目的はヨーロッパとアジアの狭間であるイスタンブールを経験したかったからだけ。

アジア側に来ただけで目的は達したことになる。

とりあえずメインストリートと思われる所をブラブラ歩く。

特に予定も無いので、なんとなく時間つぶしに歩いていた。

昼前になり、船でヨーロッパ側のエミノニュへ戻る。

エミノニュ桟橋で有名なサバサンドイッチ3YTL(≒300円)を食べる。

焼いたサバにキャベツ・玉葱・トマト・青唐辛子をサンドしてある。

焼き魚のサンドイッチはどんなものかと思ったが全く違和感は無く美味しかった。

ただ難点は背骨などの骨もそのままサンドしてあること。

気をつけて食べないと骨が刺さる。

飯を食い終えて次にして最後の目的地はイスタンブール新市街。

ガラタ橋を渡り、徒歩で新市街へ。

旧市街と対をなす新市街は高い建物が多い。

とりあえずは観光地のガラタ塔に登って街を見渡すことに。

ガラタ塔は高い所に立っているのでそこまで行くのに坂を上る。

旧市街でもそうだったが、本当にイスタンブールは坂が多い街だ。

かなりの急坂を登り、ガラタ塔に到着。

ガラタ橋からガラタ塔を見ると結構高く見えるのだが、実際に目にすると思ったよりも小さい。

本当にこれがガラタ塔なのか?と疑ってしまったほど。

入場料は10YTL(≒1,000円)。

トルコの観光地の入場料は殆どが10YTL(≒1,000円)、これって高くないか。

エレベーターで上まで行き、最後は螺旋階段を登って塔の上へ。

塔の外周に沿って360度全体を見渡せる展望台。

下から見ると思ったよりも小さく見えたガラタ塔だが、登ってみるとだいぶ高く感じる。

そもそも高いところに立っているから見た目よりも高く感じるのだろう。

展望台となっている所はかなり狭く、人がすれ違うのがやっとなくらい。

人が少なくて良かったが、ツアーの大人数が来たら大渋滞を起こしそうな狭さ。

高いところから見ると旧市街にはモスクの尖塔がたくさん立っているのが分かる。

今回の旅ではイスタンブールの街を陸から海から高い所からと色々な角度から眺めた。

イメージとして旧市街は歴史的建造物が多数、新市街は最新の都心、アジア側は普通の街という印象だ。

ガラタ塔を降りて今夜のホテルを目指す。

塔の上から泊まるホテルが見えたのでそちらの方向へ見当をつけて歩き出す。

少し行くと前を歩いていたオッサンが何かを落とした。

オッサンが振り向いたので「落としたよ」と指差してあげた。

オッサンは「Oh thank you」と言い、君は良い人だ、どこから来たんだ?と。

何やら靴磨きの仕事をしているオッサンで、靴磨き用セットのようなものを持っていてその道具が落ちたらしい。

お礼に靴を磨いてやる、と言うが私はスニーカーだから不要だと言う。

しかし「No problem」だと半ば強引に足を台に乗せられてブラシでゴシゴシやりだした。

あぁ、やられたな…これは金払わなきゃいけないんだろうな。

靴を磨きながらオッサンは身の上話を始める。

「私はアンカラにいるのだが、小さい息子が病気でイスタンブールの病院に入院していて金がいるんだ」

あまりにも話が出来すぎていて嘘くささ満載。

それでも靴を磨かれてしまっているので幾らかは払わなきゃいけないだろう。

明らかに適当にゴシゴシとやっただけで終了。

礼儀として1YTL(≒100円)コインを渡す。

すると「No! paper money!」などと言い出す。

勝手にしかも適当にやっておきながら紙幣を寄越せとは横柄な。

「Nonono! Only One Lira!!」、こちらも負けじと強く言うと相手も「Ok ok」と引き下がった。

気分の悪さを引きずって歩き出すと別の男が

「アンタ、騙されたな。アイツには息子なんていないよ。」

「そうか、それは良かった。病気の息子はいなかったんだ。」

…なんてどこかで見たCM的展開を期待していたが、勿論そんなことは無く。

それにしても気分悪い。

今から考えると最初に落し物をしたのも狙いだったのではないかと思えてくる。

まぁ1YTL(≒100円)で済んだわけだし安い授業料だったと思えば良いか。

全くイスタンブールでは油断も隙もありゃしない。

しばし歩いて新市街の中心地であるタクシム広場に到着。

そのタクシム広場の目の前に今夜のホテルがある。

日本から予約して2万円強かかったマルマラホテルという高級ホテル。

入口では回転ドアが回り、中に入ると金属探知機をくぐらされる(音が鳴っても呼び止められなかったが)。

フロントも豪華で当たり前だがこの旅で最高グレードのホテル。

チェックインをして鍵を貰う、カードキーだったのもこの旅で初めてだ。

ルームナンバーを見るとどうやら19階。

エレベーターに乗って驚いた、19階は客室では最上階だ。

部屋に入ると大きな窓から見える新市街の景色が素晴らしい。

部屋は勿論だが洗面所もバスルームも広い。

初めてちゃんと湯船に浸かれそうなバスルームだ。

日本から予約した際に色々なサイトを見て同じホテルでも一番安い所で予約した。

それなのにこんなに良い部屋を割り当てられるとは思っても見なかった。

ギョレメでのホテルも良かったし、飛び込みのホテルも悪くない、今回の旅でホテルは大当たりだった。

しばしホテルの豪華さを満喫して休憩。

時間は15時過ぎ、まだ行動を止めるには早い時間。

とりあえず新市街のメインストリート、イスティクラール通りを歩くことにする。

多くの人が行き交い、小さな路面電車が走るイスティクラール通り。

アジア的雑然さが漂う活気ではなく、欧州的上品さが漂う活気。

マクドナルドが例の赤地に黄色のロゴではなく、街に溶け込む色になっている。

恐らくはそういう規制がされているのだろう。

イスティクラール通りを南下すると世界最短という地下鉄・テュネルの駅があった。

19世紀に地下鉄の試作品として作られ、ヨーロッパで2番目に古いとか。

0.99YTL(≒99円)払って乗車。

車体自体もかなり古く、作った古臭さではなく本物の古さを感じさせる。

世界最短の地下鉄だから殆ど観光客向けなのかと思ったらそうでもなさそうで、現地人も多く乗っている。

単線だったが出発すると中で一箇所だけ複線になっていてそこで対向車とすれ違う。

短い区間でまさか対向車とすれ違うとは思っていなかったので驚き。

同じようなタイミングで発車しなければ巧いタイミングですれ違えないだろう。

実は結構しっかり時間管理されている地下鉄なのではなかろうか。

本当にアッという間に終点に到着し、降りた所はガラタ橋の近く。

さてどうしようかと考え、改めてグランバザールへ行こうと思い立った。

グランバザールはトルコに着いた初日の午前中にしか行かなかった。

夕方の時間帯のグランバザールへ行ってみることにした。

路面電車に乗って再び旧市街を経てグランバザールへ。

もっと賑わっているものかと思ったが案外そうでもなかった。

初日の午前中よりは混雑していたが、人がひしめくような熱気とまではいかず。

ただグランバザールの中で迷うのは初日と同じで自分がどこにいるのか分からなくなる。

素直に戻るのが嫌なので適当に歩いて外へ出る。

グランバザールの建物周辺も様々な商店が並んでいる。

どちらかというとグランバザールの中よりも外の方が人が多くて活気があった。

路面電車で新市街へ戻り、晩飯は新市街のイスティクラール通りへ。

そういえば初日に空港で会った女性が新市街の日本料理屋で働くと言っていた。

シンガポールの空港で会って、イスタンブールの空港で会った人。

これまでの旅で同じ日本人とたまたま2度会うことはあった。

しかし2回まではあっても、3回会うことは無かった。

最近読んだ小説のフレーズに「2度目までは偶然かもしれないけれど3度目ともなると…」というのがあった。

その3度目を僅かでも期待しつつイスティクラール通りを歩いたが、イスティクラール通りだけで大勢の人。

おまけに新市街はイスティクラール通りだけではなく相当広い。

当然3度目があるはずもなく。

そもそも日本人自体が殆どいなかった。

晩飯は「TURKISH PUB」という看板とセットメニューの値段が表に出ていた店に入る。

店内は日本のスポーツバーみたいな感じで、大画面TVでスポーツ中継をしている。

どの辺りが「TURKISH PUB」なのかは分からなかったが、サッカーをやっていたのでそれを眺めつつシシケバブとビール。

店内では現地の若者グループがワイワイやっている。

日本だとウルセーなと思うところだが、外国なので連中が何を喋っているのか分からない。

なんというかBGMの1つのようでウルサイ感じがしない。

ビール2杯とセットメニュー(シシケバブ+サラダ+パン)で31YTL(≒3,100円)。

わざわざ店員が「It's not including chip.」と言ってきた。

そんなこと自分で言うもんじゃないだろ…

40YTL(≒4,000円)払って釣りのうちコイン分の4YTL(≒400円)を置いてくる。

やっぱこのチップシステムってのは好きになれん。

外へ出て目に付いた店の店頭でトルコアイスを売っている。

そういえば食べてなかったことを思い出して買ってみる。

ミックスにするか?と問われたのでYESと答える。

5YTL(≒500円)払ってお釣りが来るものだとばかり思っていたらちょうどだと言う。

アイス1つ5YTL(≒500円)って高くないか?

ボッタクラレ感は否めなかったがまぁイイや。

レモン・チョコ・バニラ味が3段重ねになったトルコアイス。

思ったより伸びないけど、食べるとだいぶ粘つく。

まぁ1回食べれば充分だな。

アイス食べながらイスティクラール通りを歩いていると後ろから軽くぶつかられた。

「Oh sorry」と現地人(?)の若い男性。

すると「今何時?」と聞いてくるので腕時計を見せてやる。

そのまま英語で「どこから来たんだ?」と話しかけられる。

勝手に身の上話を始め、地方から出張でイスタンブールに来ていて近くのホテルに泊まっていると言う。

やれやれ、コイツもか。

次は「近く日本に行く予定がある」もしくは「親戚が日本で有名な鑑定士」だろ…

すると「その辺でビールでも飲んで行かないか?」と。

コレ、睡眠薬強盗の典型的なパターン。

そのビールに睡眠薬を入れられ、眠った隙に身ぐるみ剥がされる。

「明日の朝が早いんで」的なことを言うと案外素直に引き下がった。

ぶつかって時間聞いて飲みに誘うなんて古いナンパの手口かと。

それにしても本当にイスタンブールで話しかけてくるヤツはろくなのがいない。

初日で免疫が出来ていて良かったと思う。

一人旅ならではの危険を思い出させてくれた。

ある程度まで順調に旅が推移した後に誘われていたら気が緩んでついていったかもしれない。

ホテルへ戻って最後の夜の宴会。

缶ビールを飲みながらデジカメでこれまでの旅を振り返る。

物価が思ったよりも高かったのを除けばほぼ完璧に旅を遂行できた。

良いホテルで綺麗な夜景も付いてくる。

寝るのも勿体無いが、しっかり眠らないのも勿体無い変な葛藤。

 

 

2007年7月25日 水曜日

朝、高級ホテルでの朝食。

これまでのホテルと同様にビュッフェ形式の朝食だが、そこは高級ホテル。

入口でルームナンバーを言わないと中に入れない。

中に入るとウェイターが席まで案内してくれる。

当然料理の量も質もだいぶ違う。

食事中もウェイターがウロウロしているので慣れないこっちは落ち着かない。

フランスパンの食べ方1つにも気を遣う。

パンは一口大に千切って食べるのは知っていたが、フランスパンは固いから千切るとパン屑がボロボロこぼれる。

果たしてこの食べ方で正しいのだろうか…

これまで中級ホテルのビュッフェだったら気にならなかったことが気になりだす。

折角良い朝食を食べているので1回だけでは勿体無い。

席を立ってお代わりを取りに行く時でも自分の机が気になる。

ウェイターが全部片付けてしまったら戻る場所がなくなってしまう。

1人の場合、途中で席を立ってもまだ帰ったわけじゃないよというのをアピールするにはどうすれば良いのだろう。

次に高級ホテルに泊まる時までには調べておこう。

慣れないことはいちいち緊張する。

やはり私には中級ホテルくらいのビュッフェが適しているようだ。

ホテルの部屋に戻って「アッ」っと。

ルームキープをした痕跡が。

貴重品はセーフティボックスに入れていたし高級ホテルなので物を盗られている心配は殆ど無かった。

それでも部屋にはTシャツを干していたり、脱いだものが放置してあって綺麗とはいえない状態。

そんな状態のままルームキープをさせてしまうとは。

部屋のドアに「入らないでください」の札をかけておくのを忘れていた。

これまでのホテルでは殆ど意識していなかったのだが、ここは高級ホテルだった。

つくづく高級ホテル慣れしていないのを露呈してしまう。

最後の荷物整理をしてホテルをチェックアウト。

最終日もやはり綺麗に晴れて暑い。

タクシム広場から地下鉄に乗り路面電車の駅へ。

路面電車は新市街からガラタ橋を経てアヤソフィアもブルーモスクもグランバザールも主要な観光地を全て通過。

初日からのルートの逆を行くことで戻っていることを実感。

空港に着き、インターネットチェックインを済ませているのでチケットを発券してもらって終了。

残金を見ると6YTL(≒600円)程。

朝食はしっかり食べてきたので腹は減っていない。

ビールでも飲もうかと思ったが、缶ビールがありそうな売店が見当たらず簡易バーみたいな所ばかり。

缶ビールならいざしらず、簡易バーで飲んだら恐らく6YTLだとピッタリか足りないくらい。

いつも海外へ行った後には現地通貨を幾らか残しておくのが私の旅の流儀。

またいつかこの国に来るぞという思いを込めて6YTLは取っておくことにした。

13:00すぎに飛行機に乗り込む。

今回は一番後ろの席。

前の方では早くもガキが超音波泣き声を発している。

後ろの席にして正解だったようだ。

トルコ時間13:30に出発、トルコ時間もこれで終わりか。

機内食1度、ビール飲んでダラダラしてドバイ着。

トルコ時間17:45、ドバイ時間18:45、飛行時間は4時間程。

今回はドバイで降りようと思い、念のために客室乗務員に確認。

すると出発の40分前には戻ってきてくださいとのこと。

出発はドバイ時間で20:00、つまり19:20には戻ってこいということ。

20分くらいしか時間無い。

それでも新興の金持ち国家の空港だけでも味わおうと降りる。

トランジットパスなる紙を貰い、降りるときに金属探知機チェックを受ける。

なかなか立派な空港で大きなスーパーマーケットが空港内にある。

他にも探索したい気持ちはあったが、何せ時間が20分しかない。

取り残されたらどうしようもないので、結局店を少し冷やかしただけで終了。

インフォメーションで出発便の搭乗口を聞いたのがドバイでの唯一のコミュニケーションだった。

まぁこの国にはいつかちゃんと…来るかな?

ドバイ時間19:30だと日本並みにしっかり暗い。

トルコの19:30なんていったらまだ充分に明るかった。

トルコって時差の設定なんかおかしくないか?

再び飛行機に乗って変わったことがある。

機内アナウンスに日本語と中国語が追加されていた。

段々と近づいていることを実感させられる。

ドバイ時間20:00発。

機内食後に客室乗務員にシンガポールスリングを注文。

プラスチックのコップで出てきた安っぽいシンガポールスリング。

氷が入っていて冷たく、しっかりアルコールの味もする。

ややアルコールが強すぎる感もあったが充分美味しい。

とてもラッフルズのと同じ飲み物だとは思えない。

ラッフルズのはジュースっぽかったが、シンガポール航空内のはしっかりお酒。

ラッフルズで2,000円近く払わなくても無料のシンガポールスリングで充分だ。

タイガー&スリング
無料のシンガポールスリングとタイガービール

機内で日付が変わる。

 

 

2007年7月26日 木曜日

菓子パンと紅茶の軽食が出て少し経ってからシンガポールに到着。

ドバイ時間3:35、シンガポール時間7:35、飛行時間は7時間ほど。

シンガポールへ着くともう日本との時差は1時間だけ。

ドバイ、シンガポールと徐々に時計の針を進めて日本時間に近づいていくのは何だか寂しい。

出発まで約3時間の待ち時間。

さすがにその時間では街に出る気にもならない。

無料のインターネットスペースが空いていたので気になっていたアジアカップの結果を見る。

準決勝でサウジアラビア相手に2-3で敗退。

私の旅の終わりと同時に日本代表も負けてしまうとは。

人生とは旅であり…ってサッカーの誰かが言ってたな、関係ないけど。

オーストラリア戦は殆ど結果しか知らないが、そこで勝って一息ついた感じなんだろうなというのは想像できた。

サッカーにはありがちなパターン。

2002年W杯でも予選突破してそこで一息、決勝トーナメント初戦敗退みたいな。

あぁ、そういえばあの時の相手はトルコだったな。

ただでさえ帰るだけで疲れる旅路を更に疲れさせてくれたニュースだった。

往路で味を占めた足マッサージ機で時間を潰して搭乗開始を待つ。

そして最後の日本行きシンガポール航空機に乗り込む。

もう周りも明らかに東アジア系の人ばかり。

今回の旅で合計6回目のシンガポール航空。

もうフライト前の安全設備紹介ビデオなんか見飽きてしまった。

シンガポール時間10:00すぎに出発。

機内食でアサヒビールが出てくる。

帰ってきたな。

シンガポール時間16:40、日本時間17:40、何事も無く帰国、飛行時間は6時間ほど。

行きに関しては「これから行くぞ!」とテンションが上がっている。

だから3度の飛行機もそれほど苦にならない。

だが帰りに関してはただ帰るだけ。

面白くも何とも無く、疲労が蓄積されるばかり。

次から航空券を買うときはしっかりと経由地と乗り継ぎ回数も確認しておこう。

入国審査、税関共にノーチェック。

地元へのバスがちょうど良い時間にあったのでそれで帰る事にする。

外に出るとムワッと蒸し暑い。

気温はトルコの方が上っぽいが、不快指数は日本の方が高そう。

バスを待っていると西洋人のオジサンに話しかけられる。

どうやら柏に行きたいらしく、柏行きのバスはここで良いのかを聞いてきた。

3台目のバスが柏行きだったのでそう教えてあげる。

少ししたら「I want to go twilight so ホニャララ」と言う。

ん?トワイライトへ行きたい?何を言ってるんだこのオジサンは。

聞きなおすとトワイライトではなくトワイレット、つまりトイレに行きたいから荷物を見ていてくれと言う。

何だそういうことか。

勿論OKしてあげたけど、オジサンちょっと無防備すぎやしないかい。

自分がトルコでは現地人に騙されかけたシーンがいっぱいあったからこそ日本の旅行者には親切にしてあげようと思った。

オジサンが戻ってきて私のバスが先に来た。

「Have a nice stay in Japan.」

柏に行こうという人が観光をするとは考えにくかったのでHave a nice tripではなくstayにしてみた。

今回の旅で私が使った最後の英語になった。

 

 

総評

社会人として初めての海外一人旅。

殆ど文句のつけようが無いくらい良かった、楽しかった。

短期間で突っ走りすぎてだいぶ疲れはしたけれどそれもまた一興。

現地人に騙されかけるシーンも含めて忘れかけていた一人旅の醍醐味を存分に味わえた。

イスタンブールではヨーロッパ側に殆どの観光名所がある。

しかしトルコ自体はその国の大半がアジア側。

主要な世界遺産もイスタンブールを除いてはアジア側にあり、首都のアンカラもアジア側だ。

殆どがアジアという国なのに、最大の都市イスタンブールではヨーロッパ側が栄えている。

さらにEUに加盟しようともしている。

アジアなのかヨーロッパなのかよく分からない国だった。

ただ、雰囲気としてはヨーロッパに近いような気がした。

距離的に近いからだろうが、白人観光客もいっぱいいた。

予想外だったのは日本人観光客がそれほどいなかったこと。

東洋系だと思うと韓国人か中国人(台湾?)が主だった。

逆に日本人で目立ったのは中高年の団体ツアー。

いわゆるバックパッカー的な日本人は数えるほどしかいなかったような気がする。

世界的に円安の時期に行ってしまったために物価は総じて日本と変わらず。

レストランでちゃんと食事をすると日本よりも高いんじゃないかと思えてしまうくらいだった。

ギョレメでクレジットカードのキャッシングで現地通貨を引き落とした。

帰国してからクレカのキャッシング明細を見ると利息手数料込みでも100YTL=9830円。

両替商や銀行よりも良いレート。

クレジットカードを使った方がレートが良いことが多いという話を聞いていたが、それを実感した。

今後の旅のあり方を考えさせられる。

また行きたいかと問われればYESと答える。

イスタンブールもカッパドキアも全て回ったとは思えないし、他にも名所・旧跡は多い。

事前に色々と調べていったからか他にも行きたい所が出てきた。

次は駆け足ではなく、バスを乗り継いで地に足をつけて各地を回りたいものだ。

 

旅の費用

往復航空券(シンガポール航空30日FIX、成田−シンガポール−ドバイ−イスタンブール)
92,000円

諸税(空港使用税+航空保険料+現地税)
7,740円

超過燃料費(サーチャージ)
27,900円

トルコ航空国内線(イスタンブール−カイセリ片道)
129YTL…クレジットカード決済日本円11,869円

シンガポール通貨両替
40S$(≒3,480円)…日本の銀行で両替

ホテル
イスタンブール初日…39ユーロ(≒6,747円)、日本からネット予約・現地清算
ギョレメ…8,800円、日本からネット予約・清算
イスタンブール中日…55米ドル(≒6,710円)、現地飛び込み清算
イスタンブール最終日…21,310円、日本からネット予約・清算

トルコ通貨両替
現金両替、合計23,000円
クレジットカードキャッシング、合計150YTL=14,747円

海外旅行保険 2,650円

合計226,953円

 

 

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