四国一周+α一人旅

1999年12月21日〜26日

 

22日/23日/24日/25日/26日/参考資料

 

1000年代最後の一人旅となった。
四国一周
東京から船で高知へ上陸。
高知行きの船は東京から奇数日に出航している。
運良く学校が終わるのが20日。
21日東京発の乗船券を予約することが出来た。
東京〜高知まで2等で10,600円。安いものである。

 

1999年12月21日 火曜日

東京湾フェリー埠頭から出発、しかし場所がどこにあるのか分からない。

フェリー会社に電話して聞くとゆりかもめに乗って有明かその1つ前で下りると良いという。

有明の方がタクシーを捕まえ易いから有明の方が良いですよ、とのことだった。

出航が19時50分のため昼まで家でゆっくりすることが出来た。

新橋からゆりかもめに乗った。

夜のお台場をゆりかもめに乗って眺めた。

有明につく頃には乗っているお客さんも殆どいなくなった。

それにしても夜の有明は寂しかった。

殆ど人がいない、駅の灯りだけが寂しく灯っているという感じ。

海風が吹いて肌寒かったし。

すぐ近くのお台場ではおそらく沢山の人で賑わっているのだろう。

それに比べると有明の寂しさが妙に心地よかった。

しかし、しかしである。

フェリー会社に問い合わせたときは有明の方がタクシーを捕まえやすいと言っていたが…

前述の通り有明駅はかなり閑散としている。

タクシー乗り場はあるのだがタクシーなど来る気配がない。

これは困った、駅前の広域地図を見てフェリー埠頭方面へ歩いて行くことにした。

少し歩くとタクシー発見、無事にフェリー埠頭まで行くことが出来た。

フェリー埠頭のターミナルビル内もあまりお客さんがいなく閑散としていた。

カウンターで予約番号と引き換えに乗船券を購入。

2等だから大広間にザコ寝かと思ったら乗船券に席番号が書いてある。

どうやら席(?)場所(?)が決まっているらしい。

乗船まで待合室で待ったが人も少なくどうやらお客はあまり乗っていないようだ。

待合室でおにぎりとお茶だけの粗末な晩飯を食った。

さて、乗船。予想通りお客は少ない。

大広間でざこ寝かと思われた2等券だったが少し違っていた。

約30畳程の部屋に布団がズラーっと並んでいる。

明確な仕切りはなく、壁に番号が書いてある。

その番号が席番号である。

だから自分の場所は決まっている、早い者勝ちの大広間でざこ寝よりは良いのかもしれない。

私のほかにお客は全部で6人だけ。

かなり広々と部屋を使うことが出来た。

もし布団が全部埋まっていたらかなり窮屈な感じがしただろう。

出航前に早々と眠ってしまった。

 

 

1999年12月22日 水曜日

乗船中は殆ど眠っていた。

夜が明けて目がさめて甲板に出てみた。

海が綺麗で遠くに陸も見えたがなにしろ風が強くとても寒い。

とても寒いが潮の香りが心地よかった。

船内では夏目漱石の「坊ちゃん」を読んだ。

今回の旅ではウォークマンも何も持っていっていない。

唯一の暇つぶしに使えるのが「坊ちゃん」なのだ。

松山にも行く予定だから、予習として(?)読んでいくのだ。

「坊ちゃん」はつまらなくなかったがここまで人気のある理由はよく分からないな。

船内にはレストランもあったのだが高いので船内ではスナック菓子しか食べなかった。

 

16時頃に高知港に到着。

途中の船上で桂浜も見え、龍馬像の頭だけをかすかに拝むことが出来た。

高知港で下船してから徒歩で高知駅へ向かって歩いた。

港から高知駅までは思ったよりも距離があった。

市街地に観光名所であるはりまや橋があった。

なんだか無理矢理に作ったという感が否めなかった。

とりあえずJRの駅に行って地図を見る。

駅の近くにカプセルホテルがあるのを確認してから商店街を歩いた。

なにせフェリー内ではろくな物を食べていなかったので腹が減っていた。

旅行本にも載っていて、高知出身の祖母が薦めてくれた「司」という土佐料理店へ。

支店案内を見てみると私の地元にも支店があるではないか、知らなかった。

かつおたたき和定食1,800円を注文。

時間も早かったこともあって店内は空いていた。

でもチョット上等な感じの店内。料理屋って感じの店だった。

鰹のたたき、天ぷら、茶碗蒸、味噌汁、ご飯、漬物がついて1,800円。

外観と値段の割には安く、美味しかった。

生ビール(500円)も飲んだが、飲み終わるとお茶を出してくれたのが嬉しかった。

食後、カプセルホテルへ。1泊サウナ付きで3,900円。

風呂も数種類あって、中もそこそこ綺麗でまぁ良かった。

高知に着いたのが夕方だったから観光は出来ずに終わった。

とりあえず明朝から観光の開始だ。

 

 

1999年12月23日 木曜日

カプセルホテルの目覚ましで7時過ぎに起床。

たまたま付けたTVの占いでうお座が本日の運勢でトップだった。

別に占いなど信じちゃいないが、トップだとやはり嬉しいものである。

まずは朝の商店街を歩いた。目的地は坂本龍馬生誕の地。

大きな道沿いに建っているという。

高知城を眺めながら歩く。

しばらく歩くと、あったあった。

ビルの間にひっそりとという感じで結構大きめの碑が建っていた。

あまりにも街の中にポツリという感じで感慨深さは残念ながらそんなになかった。

目の前には電話ボックスがあり、龍馬の胴像が乗っていた。

次なる目的地は桂浜、今回の旅における最大のテーマである龍馬像である。

バスに乗って桂浜へ。

30分ほどバスに揺られて桂浜へ到着。

目指すは当然龍馬像。

たしかにそこに龍馬はいた。台座の上で海を見据えていた。

あぁ、これかー。思っていたよりも大きくはなかった。

しかしやはり感慨深いものはあった。

坂本龍馬像
あまりにも有名な竜馬像

時刻が10時過ぎで観光客が殆どいなかったのも良かった。

少々感慨にふけり桂浜の砂浜を歩いた。

天気は快晴で海が素晴らしく綺麗。

まだ午前中ということもあって太陽が完全に昇りきっていない。

太陽の光を海が反射しておりなす微妙な光景が素晴らしかった。

これだけで今回の四国一周旅行の価値があったと思えるほどの光景だった。

桂浜
桂浜
桂浜

龍馬像から歩いて少し行った所に龍馬記念館なるものがある。

龍馬の一生を追い、手紙等が公開されている。

館内は綺麗でとくに龍馬の資料館は見応えがあった。

龍馬クイズなどもあったが、上級編でも「竜馬がゆく」を読んでいれば簡単なものだった。

高知駅へ戻るバスが来るまで時間があったので龍馬像にあるベンチで休んでいた。

野良猫が数匹たわむれていてホノボノとした感じが良かった。

しかし時刻が12時をまわると状況が一変した。

なんと団体観光客が一気に3,4組ほど来たのである。

そうか、世間は祝日だったのだ。風情(?)が台無しである。

逃げるようにしてその場を去ったよ。

 

高知駅へ戻り、昼飯。

表に龍馬のイラストが掲げられていたラーメン屋でラーメンを食った。

別に龍馬とはなんの関係もなかったが…

さて、次の目的地は愛媛・松山。

高知の四万十川も見たいと思ったのだが、電車で行くと交通の便が悪そう。

次に四国に来るときは車で来て見ることにした。

高知から松山までバスが出ていたのでそれで行くことにした。

四国Vゾーン(高知・松山・高松)を結ぶ周遊券(学割5,310円)が売っていたのでそれを購入。

その周遊券で高知-松山間のバスにも乗れるのだ。

14時発のバスに乗って松山へ向かった。

バスで松山まではおよそ3時間。

途中で山道を通り、そこには雪が積もっていた。

今期の初雪を四国で見ることになるとは思わなかった。

17時過ぎに松山駅に到着。

JR松山駅と松山市駅というのがあって、JR松山駅で降りた。

しかし松山市駅の方がアーケード商店街などもあって発展した感じ。

松山市駅のすぐ前にカプセルホテルがあったので寝床は決まった。

サウナ代500円込みで3,100円。

前日のカプセルホテルよりは汚い。

宿を決めたら次は晩飯。

商店街を歩いて定食屋に入った。

ヒレカツ定食(945円)を食った。

瀬戸内海が近いからカキが美味いかと思ったが当たるとまずいのでやめておいた。

愛媛での目的は道後温泉。

旅行本を見ると朝の6時30分から営業しているという。

朝の道後温泉っていうのもいいなと思い、翌朝早く行く事にして就寝。

 

 

1999年12月24日 金曜日

朝の6時には起床。

昨夜買っておいたコンビニおにぎりを食って出発。

外はまだ暗い、日が昇っていないのだ。

カプセルホテルのすぐ前に松山市駅そして路面電車の駅がある。

路面電車で道後温泉まで行けるのだ。

料金は一律170円。始発から2本目、6時50分発の電車で道後温泉に向かった。

乗っている客は私を含めて3人だけ。

20分ほどかな(?)で終点の道後温泉に到着。

道後温泉本館へ続くアーケード土産物屋街。

当然全てシャッターが下りて閉まっている。

アーケードを抜けたらすぐに道後温泉本館だった。

なんだか周りと明らかに建物の質が違っていて少し不自然な感じがした。

入浴料は四つのランクに分かれていた。

280円,620円,980円,1260円

入浴のみは280円。タオル付きで620円。

浴衣とタオルとお茶とセンベイが付いて980円。

浴衣とタオルとお茶と団子が付いて1,260円。(記憶が定かではないが…多分)

それぞれ入る湯も違うらしい。

私は悩んだ挙句に980円のに入ることにした。

道後温泉本館内はなるほど趣のある館内。

私の入った霊の湯。

言われた通りに階段を上がって行くと係のオバさんがいた。

浴衣とタオルを貰い、浴衣に着替えてお風呂へ向かってくださいとのこと。

広い畳敷きの部屋で浴衣に着替えて浴場へ向かうのだが、はて…?困った。

浴衣ってパンツをはいて着るものなのだろうか??

坊ちゃん先生が聞いたら「最近の輩は浴衣の着方も知らんのか!!」ってなりそうだ。

1度はパンツをはかずに浴衣を着たが明らかに変だと思いパンツをはいて浴場へ向かった。

浴場で浴衣とパンツを脱いでロッカーに入れて入浴。

惜しい!時間が7時30分過ぎだったからまだ客はいないだろうと思っていたのに…

先客が一人だけいた。おじさんが1人で入っていた。

しかし、霊の湯は狭かった。洗い場は3つしかない。

風呂も5,6人くらいしか入れないのではないか?

お湯は熱かった、なかなかの熱さだった。

とりあえずわざとゆっくり時間をかけて洗っておじさんが出るのを待つことにした。

道後温泉の湯ではしなければならないことがあるのだ。

そして目論見通りおじさんが先に出た。

脱衣所も出ただろうなと頃合を見計らってから泳いだ(笑)

坊ちゃんよろしく道後温泉で泳いだ。

しかし平泳ぎで1カキもすれば反対側についてしまう。

坊ちゃんが泳いだのは霊の湯じゃないのかな?

結局は最初のおじさん以外に客は来なかった。

風呂を上がって広間へ行くとおばちゃんがお茶とセンベイを持ってきてくれた。

広間には先ほどのおじさんと私だけ。

おじさんはすぐに奥さんらしき人と一緒に行ってしまった。

結局広間で一人になってしまった。

対するおばちゃん係員は3人。

とりあえず浴衣のままお茶とセンベイを頂く。

あぐらをかいて座るとパンツ丸見えだ。

やはりパンツをはいて浴衣を着て正解だったようだ。

ん?浴衣を着たら正座なのかな??うーん、謎だ。

趣のある館内で1人朝風呂上がりに浴衣でお茶をすすりセンベイを食す。

なかなか良いぞ。

しかし、寒い。朝は冷えるし畳敷きの部屋で他のお客さんもいない。

浴衣の下はパンツ一丁だからそりゃ寒い。

一杯のお茶を飲み干すとご親切に急須を持ってきてくれてごゆっくりどうぞ、と来た。

寒かったのでそろそろ行こうかと思っていたのだが…

折角だからもう少しだけゆっくりお茶を飲んで着替えた。

道後温泉本館に坊ちゃんの間なる所もがあって見学無料なので見ていった。

小さな部屋に登場人物のモデルとされる人の写真が飾ってあった。

こんなもんかなって所で道後温泉本館を出た。

路面電車に乗ってJR松山駅へ。

時刻が9時前だったのもあってか路面電車には地元のサラリーマンが多く乗ってきた。

松山から徳島へ向かうことにする。

距離的には香川・高松に向かった方が早い。

しかし高松というと最も四国内で発展している「四国の玄関口」というイメージがある。

だから高松には最後に行くことにしてこの日は徳島を目指すことにしたのだ。

徳島方面へ行く電車が出るまで多少の時間があったので駅内のうどん・ソバ屋へ入った。

どうやらうどんが主体らしい店で周りも皆うどんを注文する中で私は敢えてソバを頼んだ。

「天ぷらソバ」である、松山で天ぷらソバを食いたかったのだ。

さすがに4杯は食べられなかったが(笑)

坊ちゃんを読んでいない人にはなんのことだか分からないか。

松山から徳島へは乗換えをしていかなければならない。

松山→多度津→阿波池田→徳島という風に乗り換えて行った。

途中で鈍行にも乗る。

鈍行に乗ると地元の人が乗ってくる。

高校生で今風の若者でも関西系の方言で話しているのはなんだか微笑ましい。

そういえば松山で「〜ぞなもし」っていう方言が聞けなかった、残念。

 

徳島についたのは15時頃。

駅前をぶらつくとビジネスホテルが見えた。

外観はしっかりしていて1泊4952円と大きな垂れ幕。

そういえばこの日はクリスマスイブ。

こんな日くらいはビジネスホテルにするかってことで宿はビジネスホテルに決めた。

中途半端な値段だが税込で5,200円になるのだ。

徳島では何をしよう…と商店街を歩いていると目の前に阿波踊り会館なる建物が。

その後ろは眉山という山が。

旅行本にも書いてあった徳島市内を見下ろす山。

阿波踊り会館から山頂までロープウェイが出ているというので登ることにした。

ロープウェイには他の客はいなくて一人でロープウェイに乗って山頂へ。

1人でのロープウェイはかなり気分が良い。

「眼下に広がっていく景色は全て私のため」ってな感じで。

山頂からは淡路島(と思われる島)も遠くに望むことが出来た。

夕方も近くて観光客もあまりいなくてなかなか良かった。

しかしロープウェイの帰りが…

なんと若者カップルと一緒になってしまった。

妙に気まずい…たいして広くもないロープウェイ内。

奇妙な沈黙の時間が流れた、まったくもって息が詰まりそうだった。

この旅で1番辛い時間だった(笑)。

徳島での昼(夕?)飯はラーメン。

友人から徳島ラーメンなるものの存在を教えてもらっていたのだ。

新横浜のラーメン博物館にも出展したことのある店へ行ってみた。

場所がわからなかったので電話帳で確認して行った。

なるほど店内には有名人のサインがいっぱい。

まぁ可もなし不可もなしってな味。

でも普通のラーメンとは違ったね、ラーメン屋ではなく「中華そば屋」だったし。

 

せっかくのクリスマスイブなので酒屋で小さなワインとビールと酎ハイを買ってホテルに戻った。

商店街のクリスマスイルミネーションはどこもあまり変わらないような感じがした。

デパート前では少年合唱団みたいなのがクリスマスソングを歌っていた。

嫌でもクリスマス気分になってしまう。

でもクリスマスってなんとなく一抹の寂しさも感じられる。

その妙な雰囲気は結構好きなのだが。

ホテルではユニットバスでパンツと靴下とTシャツを洗濯した。

一晩中干しておけば自然と乾く。

カプセルホテルだと自主洗濯ができないからな。

ビジネスホテルのユニットバスで自分で洗濯すれば無料だし。

夜は1人で酒飲んで寝た。 

 

 

1999年12月25日 土曜日

今回泊まったビジネスホテルは新しいタイプのビジネスホテル。

一応フロントはあるのだがチェックインは自動チェックイン機械で行なう。

お金を入れるとテレホンカード大のカードが出てくる。

それに部屋番号と部屋の暗証番号が書いてある。

部屋のドアは暗証番号ロック式なのだ。

そして暗証番号はチェックアウト後には変更されるという方式。

ルームサービスもなくて全て自販機コーナーで済ませてしまうという。

だからチェックアウト時の精算をしなくて済む。

つまりチェックアウト時の混雑が緩和される。

完全な省エネビジネスホテルだ。

この日は8時30分頃に起床。前日や前々日に比べると遅い時間。

久しぶりに飲んだ(?)酒のせいか、それともまともなベッドで寝たせいか。

朝飯はコンビニで買っておいたお茶とおにぎり、そればっかりだな。

この日は四国の最終目的地である高松へ。

徳島駅から鈍行に乗って高松へ。

鈍行だと色々な駅で時間調整と称して長々と停車する。

特急の通過待ちやら何やらでよく止まる。

9時30分頃に徳島駅を出て12時頃に高松駅に到着。

問題は高松の後に何処へ行こうかということである。

できれば京都にいる祖父母の所へ寄って帰りたい。

高松から関西方面へ行くバスでも…と思ったら神戸・三宮行きのバスが出ていた。

神戸へ行くのなら徳島から明石海峡大橋を通って行くのだろう。

最後に徳島に行っていた方が効率が良かったわけだ。

しかし今更そんなことを言っても仕方がない。

神戸行きのバスのキップを購入。

偶然にも翌日が神戸ルミナリエの最終日。

せっかくだからそれも見ていくことにした。

神戸ルミナリエとは阪神大震災の犠牲者へ鎮魂・追悼の意を表して行なわれるイベント。

被害の大きかった三宮で光のイルミネーションで商店街を彩るというもの。

阪神大震災の起こった年の年末に第1回目が行なわれ今年('99)で5回目。

京都から地元へ帰るための夜行バスのキップも買うことが出来た。

今後の目的地は決まった、とりあえずは一安心だ。

高松のテーマは勿論「讃岐うどん」だ。

商店街を歩いて最初に目に付いたうどん屋に入った。

注文したのは釜揚げうどん、うー美味かった。

桶にお湯とうどんが入っていて、ざるうどんのようにツユにつけて食す。

そのツユの生姜とネギが美味かった。

また、讃岐うどんの独特のコシ。

スルスルスルと喉の奥に入っていく感じ。いくらでも食えそうな感じがした。

難しいことはよくわからんがとにかく美味かった。

高松はアーケード商店街が以上に長くて曲がりくねったりしている。

適当に歩いていたらカプセルホテルを発見。

やはり高松でもカプセルホテルか。

なんだかんだ言ってもやはり1番安上がり。

3,500円、下手なビジネスホテルよりは数倍良いだろう。

荷物をカプセルホテル内のロッカーに預けて街をぶらぶら。

晩飯も当然讃岐うどん。

次に入ったうどん屋はセルフサービスうどん屋。

天ぷら、タマゴ、とろろ、わかめ、てんかす、油揚げなどうどんの具から

おにぎり、いなり寿司、おひたし、つけものまでが色々と並んでいる。

自分で好きなものを取って精算、というシステム。

そしてうどんがまた安い。

かけうどんで180円、学食並の値段だ。

まさに早い・安い・美味い。

立ち喰い並の早さ、学食並の値段、うどん屋の美味さ。

高松の讃岐うどんは正解だったね。

うーん、なんだかうどんばっかりだな。

でもやはり高松ではうどんに尽きるわ。

 

 

1999年12月26日 日曜日

神戸行きバスの出発時刻は12時30分。

朝は8時ごろに起きて時間的余裕もあったので朝風呂に入った。

これがなかなか気持ちの良いものだった。

カプセルホテルのチェックアウトぎりぎり時刻までゆっくり風呂入った。

風呂入ってサウナ入って…っていう感じ。

11時ごろにカプセルを出て朝飯(?)は当然うどん。

昨日の昼からこの日の朝まで3食うどんを食ったことになる。

うどんを食ってからもまだバスまでに時間があったので高松駅の近くの玉藻公園に行ってみた。

150円で園内散策。

まぁめぼしいものは特になかったが観光客も殆どいなくて静かな公園内はまぁ良かった。

高台に上って海が見えたし。

バスは高松駅から新神戸駅行き。

私はルミナリエを見たかったので途中の三宮で下車。

バスは徳島辺りを経由して明石海峡大橋を通って神戸へと向かっていたはずである。

バス内では殆ど眠っていたのでよく分からん。

お客も10人もいなかくてバス内は広々としていたし。

12時30分に高松を出て15時30分頃に三宮に着いた。

四国のどの街と比べてもやはり都会。

一気に都会に出てきたなという感じがした。

三宮というと阪神大震災で高架線路が倒れていたあのシーンが思い出される。

しかし震災の爪あとらしきところはとりあえず見られなかった。

もう5年近くなっているからな。

それにして三宮は凄い人だった。

やはりみなお目当てはルミナリエだろうか、この日が最終日だし。

ルミナリエは17時30分から点灯開始だという。

それまでは神戸・三宮のアーケード商店街をブラブラと歩いていた。

17時に近くなってルミナリエ会場を探そうと思ったらすぐに見つかった。

車が通行禁止になっていて大きな人ごみが見えた。

とりあえずこの人ごみがルミナリエだろう、と思って紛れ込んだ。

すると途中で全く人ごみが動かなくなった。

脚立の上から警備の人がスピーカーで喋っている。

「ルミナリエは17時30分から点灯開始です。それまでこの人の波は動きません。

点灯した後も前の人が動き出すまでは絶対に歩き出さないで下さい。

1番先頭の方は12時過ぎから既に並んでいます。」

その言葉が聞こえたとたんにあちこちから大きな感嘆の声とため息。

オイオイ、よくやるなぁといった感じの。

動きもしない人ごみの中、人ごみでも気温は低く結構寒い中ただ待つ。

やがて17時30分、そろそろだろうという人ごみの期待感。

そのとき、人ごみ行列の前方で大きな歓声と拍手とフラッシュの光。

どうやら点灯したらしい、しかし私がいる辺りからは全く見えない。

それでも大衆心理、みんな必死に背伸びをして見ようとしています。

どうせ動き出せば見えるようになるのによーと思いつつ私も背伸び(笑)

でも見えません。わずかにあれかな?というものがみえた程度。

17時30分に点灯したはずなのに10分経っても行列は動く気配がない。

20分経ってようやく動き出した。

小ちゃい子を肩車したお父さんが多数。

しかし人間の心理とは不思議なものです。

本当にあと少しもすれば見えるのに1秒でも先に見ようと皆背伸びしています。

ようやくチャンと見えました、ルミナリエ。

なるほどなるほど、これは行列に並んで待った甲斐があった。

大きなアーチ上のイルミネーションがズラーっと商店街上に並んでいる。

並んで出来たそのサマが綺麗。

アーチ1つはたいしたことないように見えるがそれがいくつも連なって見えるのが壮観。

商店街全部がそのアーチで連なっている。

商店街は完全な一方通行で逆戻りしないで下さいとスピーカーで呼びかけている。

行列の真中よりも端っこの方が進みが早い。

何故だろう?その謎が解けた。

みんな真中で記念撮影をする為に立ち止まっているのだ。

だから詰まる詰まる。

歩いていていきなり前の奴が止まったと思ったら記念撮影。

商店街のコンビニではアイディア商品。

飛び出す絵本とかで使った青と赤のフィルムを貼った紙製のメガネを売っていた。

「ルミナリエを10倍楽しく見る方法」と称して。

商店街を抜けると公園みたいなところに大きな光のオブジェ。

ここがメイン会場か、とにかく凄い人。

たしかに綺麗なイルミネーションだったがあの人ごみは何とかしてほしい。

点灯時間を決めないで暗くなったらずっと付けておけばいいのに。

でもコストがかかるんだろうな、かなりの数の電球だろうから。

とにかくあそこまでの人ごみは久しぶりだった。

1回見たからもうイイやって思わせるほどの。

そんなわけでルミナリエ会場を脱出して三宮駅へ。

一般道路にも係員がいて交通整理までしている。

車も大渋滞だ。

とにかく三宮はどこも混んでいるという感じだった。

忘れないように、ルミナリエの目的は阪神大震災被災者の鎮魂ね…

 

三宮から京都にいる祖父母の家へ。

四国一周の一人旅は神戸のルミナリエ見物というおまけを付けて無事終了。

 

 

1999年12月27日 月曜日

京都の祖父母宅でゆっくりしてこの日の夜行バスで帰宅。

22時40分、京都駅発の夜行バス。

バス内は満席。

かなり蒸し暑く、なかなか眠れずにイライラした。

外の景色を眺めようにも私の席は真中。

夜間高速バスの席は3列。窓側2つに真中の席だけ。

カーテンが全部閉まっていて外を見ることすら出来ない。

暗くて本すら読めない、まぁ読めたとしても坊ちゃんは読んじゃったし…

この時ばかりはウォークマンを持ってきていればと思った。

 

 

1999年12月28日 火曜日

そんな中でもいつの間にか眠っているから不思議。

陽も昇りきらぬうちに到着。

1週間ぶりの帰宅、そんなに感慨深いものでもないが…

とにかく馴染んだ布団で睡眠。

そして現実に戻ってくる、と。

 

 

 

まとめ

今回は念願だった四国へ行って龍馬にも会えた。

神戸のルミナリエというお釣りも出たし。

1番の収穫は龍馬もあるけれど桂浜の海の光景かな。

食では讃岐うどん。

鰹のたたきも良かったが、庶民的だという点で讃岐うどんに軍配が上がるな。

感じたのは四国といえども東京と殆ど変わらぬ寒さだったということ。

まさか今期の初雪を四国で見ることになるとは思わなかったし。

1000年代最後の一人旅、なかなか良かった。

でも四国でまだ行ってない所がいくつか。

その筆頭が四万十川。

四国一周は車でもう1度やりたいと思った。

はて、いつのことになるやら…

 

 

参考資料

今回の旅行の大まかな費用その他です

交通費

東京〜高知(フェリー)

10,600円

 

高知〜松山(バス),松山〜徳島(電車)

周遊券(学割)5,310円

松山〜徳島(電車)

周遊券圏外料金(佃〜阿波池田)1,410円

 

徳島〜高松(電車)

1,410円

 

高松〜神戸(バス)

約3,500円

 

自宅〜東京港(細かいので割愛)

合計約2,000円

神戸〜京都〜地元(細かいので割愛)

合計約10,000円

 

高知市内バス

往復約1,200円

松山市内路面電車

往復340円

 

交通費総合計

約35,770円

 

宿泊料金

高知(カプセルホテル)

3,900円

松山(カプセルホテル)

3,100円

徳島(ビジネスホテル)

5,200円

高松(カプセルホテル)

3,500円

 

宿泊費総合計

15,700円

 

観光施設入場料等

高知・坂本龍馬記念館

350円

松山・道後温泉本館

980円

徳島・眉山ロープウェイ往復

1,000円

高松・玉藻公園

150円

 

観光施設入場料等総合計

2,480円

 

食費

21日

コンビニおにぎり,その他雑費

約1,000円

22日

鰹たたき和定食,フェリー内スナック,その他雑費

約2,500円

23日

ラーメン,ヒレカツ定食,その他雑費

約2,000円

24日

徳島ラーメン,酒類,コンビニおにぎり,その他雑費

約2,000円

25日

讃岐うどん,コンビニおにぎり,その他雑費

約1,500円

26日

讃岐うどん,その他雑費

約1,000円

食費はおおよその目安。

途中でジュース飲んだりしているので定かではない。

しかし大体こんなもんだと思う。

 

食費等総合計

約10,000円

 

他雑費(土産・土産送料等)

3,000

四国一周旅行総資金

約66,950円

 

 

出発時初期装備

身に付けていたもの

Tシャツ,裏毛トレーナー,フリースのジャンパー

トランクス,ジーパン,靴下,靴

リュック,財布,携帯電話,腕時計

 

荷物(リュックの中身)

パンツ2枚,靴下2足,Tシャツ1枚,トレーナー1枚,ジャージ1足,ニット帽1つ,手袋

四国ガイドブック2冊,小説・坊ちゃん,旅日記用紙,筆記用具,ポケットティッシュ,ビニール袋

 

所持金額

約80,000円

その他学割

 

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