仙台社会人一人旅
執筆後記
当時の自分を振り返るために、辛かった日々を思い出すが、忘れないために書いていた。
たった1年ではあったけれど初めての社会人・1人暮し、多くのことを経験した。
あの会社は異常だったと思う。
スタッフのことを第一に考える、店は人が成長する場、人のために汗を流す、自分の想いをスタッフに伝える…
言っていることは素晴らしい、それは素直に感じられた。
だけど、それをやるためにそこまでしなければならないか…
自分の生活を犠牲にして…というか生活そのものイコール仕事。
そしてそれが苦ではない、人が成長する場があるそれが自分の喜び、だから働くのは苦ではない。
ピッタリとそれにはまればそれは素晴らしいことだと思う。
だがそれにはまれなかった人には凄く居辛い雰囲気があった。
横の意識も妙に強い。
直営店で新たに店がオープンすると必ず応援ファックスを送るように依頼が来る。
新規オープンの店に宛てた応援のファックスを自分の店のスタッフにも書いてもらうのだ。
(そこで笑い話が1つ。新店のファックス番号は本部からのメールで知らされるのだが、そのファックス番号が間違って知らされたことがあって、一般家庭に続々と新店オープンおめでとうのファックスが全国100を越える数の店舗から届いたことがあった。その一般家庭はさぞ迷惑だったろう。)
ニューヨークであの同時多発テロが起こった時。
その時もニューヨーク店に応援のファックスを送るように指示された。
ニューヨーク店があったことなど知らないスタッフにもそのメッセージを書いてもらうよう依頼された。
それだけならまだしも、長期入院した社員がいるとその社員に宛てて励ましの寄せ書きをする。
その社員の顔なんか知らないのに、だ。
早く復職出来るように頑張って下さい…と見ず知らずの人に宛てて書くのだ。
何か違うような気がする。
そんな素晴らしい会社のはずが、私の周りだけでも自律神経失調症で4人が退職や休職に追い込まれた。
仕事に対するプレッシャーが大きすぎるのだ。
1つの店に基本的に社員は1人、仕事は必然的に多くなる。
本社や先輩社員から「休みは週1、労働時間は営業中ずっと」と言われている訳ではない。
しかしそれをしないとやっていけないような状況。
周りも皆それをやっているので、それが当然と言うような会社の雰囲気があった。
全社員の平均勤続年数が2年に満たないのも頷ける。
会社のこうした異常性、いくら説明しても分かりにくい部分があるだろう。
端から見れば素晴らしい会社に見えるのだ。
TV番組で時々会社の特集を目にする事がある。
新卒の社員に店長を任せて、その姿を追う番組が殆ど。
それを見る限りだと、"新入社員に大きなチャンスを与えて人を育てる会社"という綺麗なイメージが出来る。
しかし実際にその裏では休みが無く、超時間労働があり、給料は全く変わらないという現実がある。
タイムカードが会社に存在しないのでいくら働いても給料は変わらない。
ちなみに給料は私が店長になってからも上がらなかった。
3月に副店長に降格した際に何故か初めて上がった。
しかし給料は上がったが、新卒1年目は会社が全額負担してくれる社宅家賃が2年目以降は40%を自己負担しなければならない。
その40%の自己負担分と、上がった給料の額は同じ、つまり実質は全く上がっていない。
それでも会社の考えにどっぷりと共感している人はそれを苦に感じていないようである。
逆に私みたいに違うんじゃないの…と思う人は、いるだけで辛くなってくるのだ。
あの会社を辞めて正解だったと胸を張って言える。
しかしあの会社に入って失敗だったとは思わない。
今も繋がりのある人は殆ど居ないが、多くの人との出会いがあった。
上に立つものとしての厳しさを目の当たりにした。
肉体的・精神的にも追い詰められていく状況の中で1年以上も働くことが出来た。
街を歩いていても「俺より働いているヤツはそうはいないだろう(同じ会社の人間は除く)」と密かに自負していた。
最後に出勤日数と休日日数の合計を出してみた。
出勤366日、休日47日、出勤日を休日で割ると7.78。
1年1ヶ月の平均で1週間に1日のペースですら休めていなかったことになる。
その休日ですら、会議の帰りだったり店に行ったりしたので本当の休日になるともっと少なくなるだろう。
ちょっとやそっとでは私は潰れないという大きな自信。
それらのことは今後の人生の大いなる糧になっていくだろう。
まぁそうでも思っていないとやりきれないな。
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