ロシア一人旅
2011年8月27日〜9月4日

欧州解禁
海外旅行先を検討していて出てきたこの言葉。
近年はアジアばかり行ってきたが、そろそろ欧州も良いのではないか。
初の欧州旅行から10年。
欧州解禁に相応しい節目の年だ。

 

準備

前回インドネシア旅記の最後に「ヨーロッパはまだいい」と書いておきながら今回の旅先はヨーロッパ。

候補地を検討したときにこれは!と思う国がアジアには無かった。

本当は今年で発見100周年というペルーのマチュピチュへ行きたかったのだが、良いチケットは既に無くなっていた。

そしたら残ったのがヨーロッパ。

幾つかの候補地の中ではロシアのハードルが高そうだったので今回はロシアを選択。

ハードルが高い国は若くてバイタリティがあるうちに行っておこうという算段。

大変そうに思えたのはビザの取得。

主要国は観光目的ならビザ不要、という所が多い。

仮にビザが必要な国でも空港で簡単に取得できたり、事前に大使館(分室)で申請すれば良いものが殆どだった。

しかしロシアは違う。

ビザの取得のためには旅の工程と泊まるホテルの証明書が無いといけない。

事前にこういう旅程でここに泊まりますという証明が必要なのだ。

その日の行動で泊まる宿を決めて…といった自由旅行が出来ない。

架空の申請を出すことでそういう旅をする方法もあるらしいが、初のロシアなので安全確実に遂行する方を選びたい。

ネットの情報を総合評価すると無難に旅行代理店を通してビザを取得した方が良さそうだった。

ビザ取得からが旅の始まりとして全部自力でやることも考えたが、代理店に依頼することで時間と手間と確実さを買うことにした。

こうしたビザ取得の面倒さは旧社会主義国家の名残だろうか。

訪問予定都市は首都モスクワと古都サンクトペテルブルグの2つ。

取得した航空券はJAL。

こちらは旅行代理店を通さずJALのホームページから正規割引航空券を直接購入した。

2都市を訪問できる航空券でモスクワまでは直行だし値段やスケジュールも最適だった。

このご時勢だし日本の航空会社を使用したいとも思った。

航空券は取ったので残るはホテル。

これはビザ取得と併せて旅行代理店に依頼することにした。

ロシア方面に強い旅行代理店をネットで調べて幾つかに問い合わせて見積もりを取ってもらう。

最近ロシアは好景気らしく、主要都市部のホテルの値段はどこも上昇しているとのこと。

ネットで調べてみても通常の3つ星のホテルでも1万円超が当たり前(冬場は値下がりするらしいが)。

モスクワに3泊、サンクトペテルブルグに4泊の旅程でビザ取得と併せると10万円近くになる。

航空券とも併せると出発前から早くも私の旅史上最高額に迫る勢い。

これは是が非でも成功させないといけない。

 

 

2011年8月27日 土曜日

前夜が職場の年に1度の夏祭りのようなイベントでビールや日本酒がタダで飲み放題(諸々つまみも食べ放題)。

翌早朝には出発だからと思いながらビールも日本酒も4,5杯くらい飲んじゃっただろうか。

案の定やや二日酔いの状態でAM4時頃に起床。

家を出るのは5時30分過ぎの予定だったので早すぎる起床だが、2度寝したら確実に起きられないだろう。

前夜はシャワーも浴びずに寝たので我ながら酒臭い。

シャワーを浴びてさっぱりしてから最後の荷造り。

夏の旅行とはいえ目指す地は東京より遥か北に位置する場所。

長袖シャツを何枚か用意すると荷物が嵩張るが現地で寒い思いをするよりは良いか。

地元を5時50分に出発するバスに乗って成田へ。

幸い空いていた車内ではいつものように殆ど眠って過ごす。

バスは予定よりも早く、7時40分には成田第2ターミナル着。

搭乗するJALのカウンターはかなりの行列。

並ぶのうんざりするなーと思っていると「荷物を預けない方はこちらへどうぞ」と係員が言っている。

バックパックと小型のショルダーバックだけなので毎回荷物は全て機内へ持ち込んでいる。

「このくらいなら大丈夫ですよね?」と念のために確認してから行列を離れる。

案内されたのは自動チェックイン機。

パスポートをスキャンさせて便名を入れるだけでその画面上から席も選べて発券も出来る。

技術の進歩は素晴らしいと思う反面、国際線に乗るっていうのに対人会話がないと少し寂しい気も。

何はともあれ出発まで3時間ほどを残して出国審査以外の手続きが終了。

まずは朝飯、ということで第2ターミナルで出発前によく行くたこ焼き屋へ。

すると朝早いからまだ開いていない。

少しターミナル内をウロウロするもコストパフォーマンスを考えたらマックが最も良いという結論に。

万国共通ということで出発前のマック率も高い。

朝食後、逸る気持ちをじらすように成田空港内を無駄にウロウロ。

やがていつものたこ焼き屋がオープンしたのでいつものビールとたこ焼きセット。

やや二日酔いの状態ながらやはり旅の始まりにビールは欠かせない。

出国審査を終えて何も買うつもりは無いがDUTY FREEを冷やかす。

昨年の値上げ前は1カートン2,000円だったが煙草が今回は2,800円になっていた。

値上げ分って税金じゃなかったんだっけ?

DUTY FREEだから関係ないのかと思っていた。

職場の人に煙草買ってきてと言われていたが、ココでカートンを買うと旅中ずっと持ち続けないといけない。

申し訳ないが現地で帰国間際に買うであろうロシア煙草で我慢してもらおう。

出発20分ほど前になって搭乗。

機内は8,9割の入りで予想以上に混んでいる。

中高年くらいの人が目に付き、どうやら添乗員同行のツアーらしい。

添乗員らしき人が「私は○●番の席に座っているので何かあったら声をおかけください」と言って回っていた。

旅行の添乗員って一時期興味あったけれど、全工程が仕事と思うとチョットやってられない気がする。

モスクワまでの飛行時間は9時間30分ほどを予定とのこと。

機内ではいつものように地球の歩き方を読んで予習したり、機内設備で音楽聴いたりもするが半分くらいは寝ている。

機内サービスのビールがアサヒ・キリン・ヱビス・サントリーと4銘柄選べた、さすがはJALだ。

約9時間30分のフライトで機内食が2回、オツマミとドリンクが1回だった。

西へ西へ飛んでいたためか、窓の外が暗くなることは1度も無かった気がした。

日本時間の10:50発・11:20離陸で20:50頃着陸。

モスクワのドモジェドヴォ国際空港に現地時間15時50分に到着。

日本とモスクワの時差はサマータイムで−5時間(通常で−6時間)。

日本が12時ならモスクワは7時。

ロシアの入国審査は長い、と聞いていたがそんなことは無く特に何を聞かれるでもなく完了。

ただパスポートの写真はハッキリ見ているらしく、コッチを向いて目を合わせろみたいなジェスチャーをされた。

税関はやたら並んでいたが単に渋滞しているだけで全くノーチェックだった。

ビザを取るまでの面倒な手続きを考えると意外なほどアッサリと入国手続きが終わった。

入国してまずしなければならないのは両替。

ロシアでは日本円よりも米ドルかユーロ、との事前情報だったので円高ドル安もあってドルを基本通貨として持ってきた。

空港内でドルのレートが1番良さそうな窓口へ行ってドルを両替。

50ドルが1,300ルーブル強(ルーブルの以降の表記はP…ロシア語ではPをLやRのような発音で読む)。

日本で1ドル80円弱で両替したので、4,000円弱で1,300P強として1Pは約3円弱。

以降は1P≒3円のレートで表記する。

お金を手に入れたら後は街へ出るのみ。

最も安価な移動手段はバス+地下鉄だったが、空港と地下鉄駅を結ぶ直通列車アエロエキスプレスが分かり易くて確実そう。

前回のインドネシア旅行の経験から初めての街では暗くなる前にホテルに着いていたい。

時間が16時30分過ぎだったので、少しお金はかかっても確実な方を選ぶことにしてアエロエキスプレスの券を購入。

地下鉄の1回乗車券とセットになった券が350P(≒1,050円)だった。

空港から直結したアエロエキスプレス駅のホームがロシア上陸後で初めての外の空気。

思ったほど涼しくなく、到着した電車内はエアコンが効いていないのか蒸し暑いくらい。

定刻の17時に発車した電車は閑散とした客の入り。

時間通り40分でパヴェレツ駅(モスクワのターミナル駅の1つ)に到着した。

パヴェレツ駅からは地下鉄を乗り継いでホテルまで行かなければならない。

モスクワの地下鉄は10以上もの路線が張り巡らされていて、ホテルの最寄り駅までは乗り換えも必要。

ココからが本当の旅の始まりと言っても過言ではない。

幸いにして地下鉄の路線は案内図で色分けがされているので辛うじて分かる。

しかし書いてある文字はロシア語だけで英語が無い。

パッと見はアルファベットっぽいところもあるロシア語だが、読み方が違うので戸惑う。

何度も地球の歩き方を開いて茶色いラインの5号線に乗ってクールスカヤ駅へ行くんだと確認をする。

パヴェレツ駅(地下鉄の駅名はパヴェレツカヤ駅)からかなり長いエスカレーターを下って地下鉄のホームへ。

事前の下調べでモスクワの地下鉄はだいぶ深い所に作られているとは知っていたが本当に深い。

噂によると戦争が起きたときに要人が避難するシェルターも兼ねているとか…本当かね。

しかし言われてみれば確かに降り立った地下は妙に頑丈そうに出来ていた。

ホームで駅員みたいな人に路線図を見せて「クールスカヤ?」と駅名を連呼して乗るべき列車を教えてもらう。

無事に地下鉄に乗ることは出来たが、正しい方向の地下鉄に乗ったのかどうか分からない。

もっともモスクワの地下鉄は改札を出なければ何度乗り換えても料金は変わらない。

間違った方向に行ったとしても逆方向の電車に乗り換えれば良いと考えると少し気も楽になる。

幸い地球の歩き方と次に止まった駅名を照らし合わせると正しい方向に来ていることが分かった。

そう思ったのも束の間、パヴェレツカヤ駅から2駅で目指すクールスカヤ駅に到着。

クールスカヤ駅では乗換えをして今度は紺色のラインの3号線に乗ってパルチザンスカヤ駅を目指さなければ。

3つの路線が交わるクールスカヤ駅では降りる人も多く、人の波に流されていたらいつの間にか3号線の乗り場に来ていた。

ホームの表示で目指すパルチザンスカヤ駅の名前があることを確認して地下鉄に乗る。

4個目で降りるんだ、と指折り数えてパルチザンスカヤ駅に到着するのを待つ。

車内のドアの上には駅名の表示もあり、次の駅をランプの点滅で教えてくれる。

車内放送でも駅名を言ってくれるがいかんせんネイティブのロシア語なので地球の歩き方に書いてあるカタカナとは微妙に違う。

まぁでも自分で指折り数えつつ駅名の表示確認もして車内放送に耳も傾けていればほぼ間違いは無い。

残る問題はパルチザンスカヤ駅を出てホテルまで辿り着けるのかということ。

今回のホテルはパルチザンスカヤ駅を出てすぐ、ということだったので不覚にもホテル周囲の地図を全く調べてこなかった。

地球の歩き方にも物凄く大雑把にしか掲載されていない。

おまけにずっと地下鉄で移動しているので周囲がどんな状況かも分からない。

一抹の不安を残したままパルチザンスカヤ駅に到着。

1つしか出口が無さそうだったのでそこから外に出てみる。

さて、ホテルは…と周囲を見回すとあった。

呆気なさ過ぎるくらいアッサリと見つかった。

イズマイロヴォホテルという巨大なホテルの集合体だと地球の歩き方に書いてあったが確かに巨大なホテルの集合体だった。

駅を出て見回したら嫌でも目に付く巨大な建物がホテルだった。

イズマイロヴォホテルのガンマ・アルファ・ベータ・ヴェガといくつか棟がある中のヴェガ棟が今回のホテル。

モスクワ中心部からは外れているし代理店のリストの中でも下から数えた方が早いホテルだったので殆ど期待していなかった。

しかし予想に反して普通のちゃんとしたホテルだった。

エレベーター前には守衛がいたし、泊まるフロアではカードキーが無いとエレベーターホールから客室へ行けない作りになっていた。

部屋もそれなりに綺麗でバスタブもあり及第点。

イヴマイロヴォ→イズマイロボ、逆読みにするとボロイマズイ。

そうネットで揶揄されているのを見たときはどんな所かと思ったが予想以上に良かった。

ランクが低いホテルとはいえ日本円で1泊1万円以上したわけだから当たり前だったのかもしれないが、期待が低かった分だけ反動で良く思えた。

ホテルで一息つくと時間は19時前。

外は未だ明るかったのでホテルの周囲を散策することに。

ホテルの周りにはホテル以外の大きな建物はあまり無いが、少し離れた所にお城のような建造物が見える。

同じ方向に商店街のようなものも見えたのでそちらへ歩いていってみる。

後で調べたところによるとヴェルニサージュというお土産物を売る1大商店街だった。

19時を過ぎていたので開いている店は少なかったが、活気のあるときに来たら面白そうな雰囲気ではあった。

お城のような建物は鐘の博物館なる観光スポットだったらしい。

いずれにせよこの日は時間も時間だったので周囲の散策は程々にする。

この日4食目な気がする晩飯を食べることにしてレストランを物色。

これまでの諸アジアでは西洋人(白人)が客として入っている店なら観光客として入って問題ないだろうと判断が出来た。

しかしロシアに来ると当たり前だが客も白人だらけなので、観光客でも大丈夫なのか現地人の店なのか判断がし辛い。

現地人の店でも良いのだが、メニューに英語が無いと何が何だか見当がつかないだろう。

とはいえ駅前にドーンと巨大ホテル群があるくらいだからどの店に入っても英語でなんとかなるだろうとは思った。

店の前でケバブを焼いて良い匂いを漂わせていたログハウス風のレストランに入ってみた。

幸い英語のメニューもあり、店頭で美味しそうだったケバブと勿論ビールを注文。

メニューを見て思ったのは意外と高いぞ、ということ。

観光客向けの店だろうから高いのは当たり前だが、諸アジアの観光客向けの店とはレベルの違う高さ。

ケバブと付け合せのパン(焼きたてカリカリで美味かった)にビールで約600P(≒1,800円)。

ビールを1杯しか飲んでいないと考えると普通に日本の外食と同レベルかそれ以上。

諸アジアならもう数品+ビール2,3杯は飲める値段だ。

やはり旧社会主義国とはいえヨーロッパ、諸アジアとは格が違う。

食事を終えると時刻は21時頃でようやく暗くなってきた。

そういえば7月にトルコのイスタンブールへ行ったときも21時頃でようやく暗くなったような気がする。

夏のヨーロッパはどこもこんなものなんだろうか。

ホテルに戻りがてら近くの売店(24時間営業っぽい)で缶ビールを購入。

こちらは500mlで50P(≒150円)とそんなに高くない…どころか安い。

ウォッカの国ではビールなんて酒じゃないってことかな?

ホテルに戻って風呂上りにビールを1杯やってようやく本当に落ち着けた気がする。

時差の関係もあって長かった1日が終了。

 

 

2011年8月28日 日曜日

モスクワ観光の初日。

今回のホテルでは朝食付きプランにすると追加で1,000円以上かかったので朝食は無し。

1,000円もあれば外で普通に食事できるし、普段でも休日は朝飯抜きが多いので特に問題ない。

ホテルを出てまずはモスクワの中心部である赤の広場とクレムリンを目指す。

朝の9時過ぎで良い天気だがTシャツ1枚で日陰にいると少し肌寒い。

ホテル最寄りのパルチザンスカヤ駅からモスクワ中心部までは地下鉄(28P≒84円)で1本。

時刻表など無さそうだったがモスクワの地下鉄はすぐに来る。

15分ほどで赤の広場に近いらしいプローシャチ・レヴォリューツィ駅に到着。

前日同様に長いエスカレーターを上って外に出るとどこだココは?

赤の広場周辺は地下鉄も複数路線が入り混じっていてそれぞれに駅名が違ったりするので自分がどの出口から出たのか分からない。

しかしチョット歩いただけで土産物の露店が並んでおり、城壁みたいなのが続いている。

恐らくはこれがクレムリンだろう。

中に入れそうな所を探すと金属探知機のゲートがある。

観光客っぽい連中が特にチケットも持たずに入っていくので行ってみる。

ゲートをくぐった先が世界遺産でもある赤の広場だった。

赤の広場
青空に映える赤の広場、右の城壁内がクレムリン

随分アッサリと着いてしまった。

旧社会主義国の中心が「赤」の広場とは出来すぎたネーミングだなと思っていた。

しかし調べると現代ロシア語では「赤」と訳されるが、古代スラブ語(…って何だ?)では「美しい」と訳されるらしい。

なので本来は「美しい広場」という意味だったそうだ。

でも赤の広場の方が分かり易い。

外国人ガイドの英語が耳に入ってきたときも「Red square.」と言っていた。

その赤の広場、本来は天安門広場のようにだだっ広い所のはずが、何か催し物が行われるらしい。

中央にステージと客席が設けられ、大きな砂場のグラウンド?が作られてそこでは馬に乗った軍人が訓練のようなことをしている。

ステージでは数人の軍人がマイクチェックや整列など何かのリハーサルをやっている模様。

何が起きている(起こる)のかはよく分からないが、広場に障害物があるのは少し残念だった。

そういえば1999年に中国・北京へ行ったときの天安門広場も工事中だった。

どうも旧社会主義国の広場には縁が無いのかな。

赤の広場の一角にはワシリー聖堂(ポクロフスキー聖堂とも呼ぶ)が建っている。

ロシアと言えば誰もがイメージしそうなカラフルなタマネギ状の丸屋根がポンポン建っている聖堂である。

ワシリー聖堂
これぞロシアという教会

地球の歩き方を読んで知ったのだが、あまりにも美しい聖堂だったために設計した技師は皇帝に目玉をくりぬかれたらしい。

2度とこのような美しい聖堂を設計することが出来ないように…って皇帝酷すぎる。

赤の広場のもう1つの有名観光スポットはレーニン廟。

本物のレーニンの遺体が特殊加工処理をされて展示されているという。

興味はあったが、入るためには行列が出来ていて更にはカメラや荷物の持ち込みが出来ないという。

写真撮影不可なら撮らなければ良いだけだが、持込不可となるとどこかに預けなければいけない。

正直そこまでして行列にも並んでレーニンの遺体を見なくても良いな、ということでパスした。

というよりもカメラや荷物を預ける不安が大きかったといった方が正解か。

早くもモスクワの目的の1つである赤の広場を達成してしまった。

次はクレムリンの予定だが、無料で入れる赤の広場と違ってクレムリンは入場料がかかる。

前日に両替したルーブルは交通費と食費で殆ど消えてしまった。

この日の食費や観光費に充てるためにも両替をしなければならない。

クレムリンへ行く前に両替をして食事も済ませようと思った。

赤の広場はモスクワの中心なのでココを中心にモスクワは栄えている。

観光客が集まりそうな所へ行けば両替所もあるだろうと地球の歩き方の地図を見ながら歩き出す。

ボリショイ劇場を経てカメルゲルスキー横丁とかいう通りに入ると飲食店多数。

見たところ観光客風な人も多く、ココに来れば食事には困らなさそうだ。

飯を食うにも何をするにも金が無いと始まらない、少し歩くと両替屋があった。

1ドル(≒80円)が28.8P(≒86円)と空港よりだいぶ良いレートで、前日と同じように50ドル両替する。

正確には1Pが3円弱という現状だが、計算が面倒なので本文では以後も1P≒3円の表記で統一する。

金も入ったので飯を食べることにする。

歩き方に載っていたロシア料理のチェーン店とやらに入ると予想通りメニューに英語表記もあって安心。

分かり易いからココでロシアの有名どころを食べてしまおうということでボルシチとピロシキを注文。

ボルシチはビーツ(赤カブの一種とか?)を使った赤いスープ。

名前は聞いたことあったけれど、見るのも飲むのも初めて。

意外に甘みがある具沢山のスープ。

あまりこれまで飲んだことが無い味だった。

不味くはないけどまぁ1度味わっておけば良いかな、というレベル。

冬場ならまた違った感想を抱いたかも知れないけれど。

ちなみにボルシチは世界3大スープの1つだという。

他の2つはブイヤベースとトムヤムクン(一説によるとフカヒレスープ)だとか。

トムヤムクンはタイで飲んでいるので残るはブイヤベースと念のためにフカヒレスープか。

調べたらブイヤベースの本場はフランスのマルセイユらしい。

フカヒレスープの本場は中国だろうから、いつかまた中国とフランスに行くことがあれば飲んでおきたい。

しかし一般的にフカヒレスープは高級品なイメージがある。

それ以外のスープはいずれも生活に根ざしたスープのような気がする。

そう考えると世界3大スープはやはりボルシチとブイヤベースとトムヤムクンで良いのではないかと思う。

いずれにせよ世界3大の制覇は簡単にはいかなさそうだ。

スープに続いて食べたピロシキは肉やマッシュルームや野菜など様々な具の中から選べる。

結果から言うと普通の惣菜パン、という感じで特筆すべきところは無く。

ロシアに来たらボルシチ・ピロシキはノルマみたいなものだと思っていたので早めに消化できて良かった。

ブランチも済んだところで、クレムリンへ行く。

入場料は350P(≒1,050円)、武器庫やダイアモンド庫などの別展示は追加料金が倍以上かかるのでそちらはパス。

クレムリン内部に大きな荷物は持ち込み不可で、何人かは係員に止められていた。

荷物預け所があるが、海外旅行でそこに預けるのはどうも不安。

私はこういう時のための小型ショルダーバックだったので止められることなく無事に入場。

入るときには金属探知機も通らされる。

クレムリンはモスクワ観光の中心だが、大統領府もあって現在も政治の中心として機能している。

そんなこともあるので警備も厳重なのだろう。

地球の歩き方によると大統領がいるときには大統領府に大統領旗が掲げられるとか。

大統領の存在をそんな大々的にアピールしてテロとか大丈夫なのかとヒトゴトながら不安になった。

クレムリンはロシア政府やモスクワの中心といった風に訳されることが多いが、ロシア語で城塞の意味らしい。

確かに城壁に囲まれた中に複数の教会や宮殿と共に政府の施設も建っている。

世界一大きいらしいけれど1度も鳴らされたことが無いまま壊れている鐘楼。

世界一大きかったらしいけれど1度も発射されたことが無い大砲。

ネタみたいなそれらも敷地内で野ざらしになって公開されている。

クレムリン
左が大鐘、右が大砲

メインとなるのは幾つもある聖堂。

それぞれ中に入ることが出来て、いずれも中の装飾やイコンが充実している。

クレムリンの中のそれらを回っているだけでもそれなりに時間が過ごせる。

高いのもあって券を買わなかった武器庫は入るための行列が出来ていて、行かなくて正解だった。

次にどこへ行こうか検討していて近くの救世主ハリストス(キリスト)大聖堂が入場も無料らしいので行ってみる。

クレムリンを出てモスクワ河沿いの道を歩いているとタンカのような物を持った清掃員みたいな2人が歩いている。

何気なく彼らが歩いていく方向を見ると人が仰向けに倒れている。

そしてその周りにはハエがたかっていて…ってエッ!?

慌てて目をそらしたが一瞬で焼きついてしまった。

どう考えてもお亡くなりになられている中年の男性だった。

外傷や腐敗は無さそうだったが、口を半開きにして微動だにせずハエがたかっている時点で決定的。

これまでインドやネパールで火葬を見たことはあったが。

でもそれはあくまでも火葬場で火葬を見るというテーマがあってのことで、路上で生の死体を見るのは初めて。

それもロシアの首都モスクワの中心部クレムリンの目と鼻の先の路上で。

赤の広場でレーニンの遺体を見る代わりに、まさか本物の死体を見てしまうとは。

早くもこの旅で1番の衝撃を味わった気がした。

気を取り直して到着した救世主ハリストス(キリスト)大聖堂。

ロシア正教のモスクワにおける中心的な役割を担っている教会で正教会としては世界一の大きさを誇るとか。

ソ連時代の宗教弾圧によって爆破されたが、近年再建された。

再建後の完成が2000年というのでかなり最近の建造物で中も広くて綺麗。

今の時代にもこういう建物を作るんだなーと新鮮だった。

クレムリン内の聖堂は軒並み観光地だったのに対して、こちらは入場も無料でロシア正教の施設として中で祈りを捧げている人も多数。

真面目に祈りを捧げている人がいるとこちらも厳粛な気持ちになる。

救世主ハリストス大聖堂の次はトレチャコフ美術館へ。

モスクワの2大美術館といえばトレチャコフ美術館とプーシキン美術館だという。

トレチャコフが主に国内美術で、プーシキンが西洋美術を扱っている。

プーシキン美術館は本館と別館に分けられていて入場料も別々だったので2つも行く気にはならなかった。

サンクト・ペテルブルクでも美術館へは行く予定なのでモスクワでは1つでイイやとトレチャコフ美術館にしておく。

入場料は350P(≒1,050円)、地球の歩き方を片手に紹介されているルート通りに見ていく。

誰もが知っている有名画は無かったが、ドストエフスキー・プーシキン・ゴーゴリの肖像画は見たことがあった。

1つでも知っている絵があると来た甲斐があったかなと思える。

ロシア旅行が決まってからロシア文学を読んだ成果の1つが表れた気がする。

地球の歩き方には館内撮影禁止となっていたが、撮っている人は多数。

係員が近くにいて何も言っていなかったので問題なかったのかも。

美術館は気楽に気長に時間を過ごせて良いが、美術品を保つためもあるのだろうが若干肌寒かった。

モスクワでは朝と美術館内は少し冷えたが、それ以外は好天もあってTシャツ1枚ですごせる陽気だった。

美術館を出てモスクワ1の繁華街とも言われるアルバート通りまで歩く。

通りが全て歩行者天国でパフォーマーや似顔絵を描く人なんかもいっぱいいて賑わっている。

通りの雰囲気はイスタンブール新市街のメインストリートであるイスティクラール通りを思い出した。

どこの街でもメインストリートの賑わいは歩いているだけで楽しくなる雰囲気がある。

飲食店も沢山あって、どの店にも観光客のような人がいる。

晩飯はこの中から適当に、と通りに面したテラス席を出している店に入る。

幸い英語のメニューもあったが、メニューの内容を見る限り逆にロシア感はゼロ。

まぁ無事にビールと食事にありつければ何を食べても満足だ。

食事を終えて19時30分を過ぎてもやっぱり明るいモスクワ。

とはいえこの日の行動としては一通り終了したのでホテルへ戻ることに。

暗くなってからのモスクワ中心部にも興味はあったが、ホテルが少し郊外なので遠慮してしまう。

前日同様にホテル近くの売店でビールを買って戻る。

1日歩き回り+風呂上りビールでスムーズな就寝。

 

 

2011年8月29日 月曜日

モスクワ観光2日目。

中心部の主要観光地は前日に済ませていたのでこの日は近郊へ行くのがメイン。

その前に両替をしないといけない。

前日両替した50ドル(≒4,000円)が2度の食事と観光でほぼ無くなった。

前々日も50ドルを両替したし、1日50ドルのペースって多いよな。

まぁ観光地を巡って観光客も入れる所でビールも含めた外食をしていればそれが普通かもしれない。

でもでもこれまでアジア諸国を旅してきた感覚からするとやはり高い。

旧社会主義の国とはいえヨーロッパ、その片鱗を感じさせる…のかな?

この日はまず街の中心部で両替をしてから近郊の世界遺産などへ行こうと画策。

前日も行ったアルバート通りに両替屋がいっぱいあったので、真っ先にそこを目指す。

午前中9時30分過ぎのアルバート通りは昨夜の賑わいが嘘のように閑散としている。

朝の開店前の商店街のような雰囲気…って朝の開店前の商店街なんだけど。

そんな中でも両替商はいくつか開いていてその中で最もレートの良い数字を掲げていた店に入る。

前日と前々日で共に50ドルずつ使っていたので、今後のことも考えて一気に100ドルを両替する。

するとアレ?店頭に掲げているレートより安くないか?

英語で文句を言うとコミッションがどうのこうの言っている、手数料か。

これまで空港含めて2度の両替で手数料は無かったので油断していた。

それとも朝だったからなのかもしれない。

それならイイよ!と言おうかとも思ったが、他の両替商へ行くのも面倒だった。

日本円にしたら百円程度の手数料なので妥協。

それでも海外に来るとその百円程度でもかなり損した気がするのは通貨感覚が身についていないからだろうか。

いずれにせよ100ドル分ものルーブルを手に入れたので、気は大きくなる。

とりあえず一通り何でも飲み食いできる程の金を手にしながらこの日のブランチは決めていた店がある。

それは万国共通のマクドナルド。

モスクワ中心部のプーシキン広場のすぐ近くにロシア第1号のマクドナルドがあるという。

旧社会主義国の中心地で資本主義社会の象徴のようなマックを食べる。

それもロシア第1号店というまさに旧社会主義の敗北を認めるような所で食べる、というのをやってみたかっただけの突発企画。

敢えて徒歩でモスクワを歩きたかったのでアルバート通りからサドーヴァヤ環状道路を経てトゥベルスカヤ通りへ。

サドーヴァヤ環状道路では外務省ビルや文化人アパートなるモスクワを代表するスターリンクラシックという建造物が立つ。

スターリンクラシックとはニューヨークの摩天楼に嫉妬したスターリンが負けないものを作れ!と命じて作らせたという建造物。

NYのエンパイヤなどを模したような尖塔が特徴的な建物。

このスターリンクラシック様式の建物はモスクワに全部で7つ(8つという説も)あるという。

確かにいずれも立派な建物。

でもNYに負けないように!と模倣させている時点で旧社会主義の崩壊が見えていたのでは…なんて偉そうに思ってみる。

そんなこんなでサドーヴァヤ環状道路沿いを歩いていると両替商がいっぱいある。

さっきよりも良いレートを掲げている所も多数、少し早まったかもしれない。

結局、モスクワとサンクト・ペテルブルクの両都市で最もレートが良かったのはサドーヴァヤ環状道路沿いの両替屋だった。

サドーヴァヤ環状道路とトゥベルスカヤ通りが交じわる一角にはチャイコフスキー記念コンサートホールがある。

恥ずかしながら今回の旅に際してロシアについて少し勉強するまでチャイコフスキーがロシア人だってことすら知らなかった。

旅をすることで一般常識も少しずつ身についていくのかもしれない。

トゥベルスカヤ通りを南下してプーシキン広場へ。

ドストエフスキーがその除幕式で演説をしたのが有名だというプーシキン像が立つ。

緑が綺麗な公園で爽やかな好天も相まって雰囲気も良し。

プーシキン広場
トゥベルスカヤ通りを見渡すプーシキンの視界には多数の資本主義社会の看板が…

その公園の一角が噂のロシアのマクドナルド1号店。

入店すると広々としているがマックはマック、雰囲気はそう変わらない。

ロシア語のメニューは分からないのでレジで英語表記のあるメニューを貰う。

クォーターパウンダーみたいなチーズバーガーとポテト、ドリンクはアメリカの象徴?コカコーラ。

合計で177P(≒531円)、値段も味も日本と大差ない。

終わってみればホテルの朝食以外ではこの旅で唯一アルコールを飲まなかった食事だった。

ポテトとドリンクは「small」と言って注文したつもりだったがドリンクがやたらにでかい。

店内では飲みきれずに持ったまま街歩き再開。

折角なのでトゥベルスカヤ通りを歩き切ろうとさらに南下。

やたら立派な建物だったモスクワ市庁舎を経て、前日も通ったカメルゲルスキー横丁とも交差。

あぁココに出るのかと新鮮な感覚を味わって辿り着く先は赤の広場、やはりモスクワの中心はココになる。

赤の広場
前日とは違う角度の赤の広場、背後は国立歴史博物館

前日には行かなかった赤の広場に隣接しているグム百貨店へ入ってみる。

ロシアの老舗デパートでなかなか立派な建物。

店内は吹き抜けの通路が2つほどあり、様々な店が入っている。

中に入っている店舗や雰囲気も旧社会主義の雰囲気など微塵も感じさせない…って何が旧社会主義の雰囲気なのかは分からんが。

一通り冷やかした後は地下鉄に乗ってスポルチーヴナヤなる駅へ。

そこから世界遺産のノヴォデヴィッチ修道院へ行けるという。

しかし地下鉄の駅を出てみたら愕然、周囲は普通の住宅街で店も何も無い。

世界遺産へ行こうとしているのだから案内や人の波があるかと思ったがそれも無い閑散具合。

どっちへ向かえばよいのかも分からないような状態に戸惑う。

すると遠方に見えたのがスターリンクラシック様式の建物。

地球の歩き方と照らし合わせるとそれはスターリンクラシック最大の建造物モスクワ大学。

それで方角が分かり、目指すノヴォデヴィッチ修道院の方向に見当がつけられた。

コッチだろうなと歩き出すとそれっぽい建物が見えてきた。

大型バスが何台も止まっているのを見て確信する。

入場料は250P(≒750円)に加えてカメラ持込料100p(≒300円)も取られた。

地下鉄駅を降りてからの閑散具合を見て予想はしていたが、中に入ってもあまりいない観光客。

コレって世界遺産だよな…って私も特に何の想いも無く世界遺産なら行ってみるか程度で来ちゃっているのだが…。

ノヴォデヴィッチ修道院はロシア正教の女子修道院として有名らしい世界遺産。

敷地内に教会などが点在しているあたりはクレムリンの小型版のような趣もある。

入場券に含まれる所には一通り入っておく。

メインとなるスモレンスク大聖堂内部の壁画はクレムリンの教会内に負けず劣らず見事。

観光客も数人しかいなくて大聖堂内に1人きりなんて時間もあってだいぶ堪能できた。

逆にそれ以外の建物や展示はおまけのような感じがした。

カメラ持込料を取られているので写真を撮らないと損だなと貧乏根性でなんかやたらに撮影してしまった。

でも入場時にカメラ持込券を見せることもなかったし、カメラのチェックをされることも無かった。

敢えて別料金を払う必要はあったのか?と思った。

修道院の敷地内に隣接してあるのがノヴォデヴィッチ墓地。

こちらは入場無料で文字通りの墓地で墓だらけ。

有名人の墓も多々あるらしい。

政治家ではフルシチョフやエリツィン、文学者ではゴーゴリ、チェーホフ、ツルゲーネフなどの墓もあるという。

入口に墓地の地図と共に墓の位置も記してあるが、ロシア語なのでよく分からない。

墓の数も多すぎて結局分かったのは地球の歩き方に墓の写真ごと載っていたロシア元大統領のエリツィンだけ。

ゴーゴリやチェーホフなんかも見たかったが、墓が多すぎてどこにあるのかサッパリ分からない。

世界的にはマイナーでもロシア国内ではメジャーな人が沢山いるのだろう。

胸像があったり、顔が彫ってあったり、(軍人なのだろう)飛行機があったり色々と凝ったつくりの墓が多々。

日本で言うと青山霊園みたいなものなのかな?

ノヴォデヴィッチ修道院&墓地の後は雀が丘なる展望台へ。

スポルチーヴナヤ駅から地下鉄で1駅だが、距離もありそうな高台だったので躊躇せずに地下鉄を使う。

1駅でも何駅でも料金が一緒だとこういうときは少し損をした気になるな。

1駅で着いたヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅は橋の上に建てられている駅で、地下鉄の駅だが地下ではない。

駅を出るとすぐに登山道入口みたいになっている。

ロープウェイで上に行けるらしいが、月曜日は運休との情報だった。

徒歩でも大した距離では無いという地球の歩き方を信じて、登山道と思われる方へ登り始める。

富士山…もとい宝永山に登った翌週にモスクワのよく分からん丘を1人で登ることになるとは。

方向を示す看板はあるが、ロシア語しか書かれていないので正しいのかが分からない。

人がまばらだったのと、木々に囲まれていて周囲が見えないので不安になる。

それでもとりあえず上に向かって登山道を進めばなんとかなるだろうと登る。

時間にしたら15分ほどだったがやけに長く感じた。

木々に囲まれたところが終わって平坦なアスファルトに出ると土産物屋の列が見えてきた。

土産物屋イコール観光地、無事に雀が丘展望台に到着。

登山道の閑散が嘘のように観光客が大勢。

大型の観光バスが沢山止まっていたので、ノヴォデヴィッチ修道院と同じく多くの人はバスで来る所のようだ。

晴天で綺麗にモスクワの街並みを見渡せる。

展望台から振り向くとそこにはスターリンクラシック建築で最大というモスクワ大学がある。

ロシアの東大
ロシア最高学府

日本で言う東大にあたるモスクワ大学。

一説によるとモスクワ大学にだけはコネを使っても入れないとか。

じゃぁ他の大学はコネで入れるのかと一笑に付す…ことも出来ないのかな、日本も。

ともかく折角なのでモスクワ大学の間近まで行ってみる。

雀が丘には観光客が沢山いたが、こちらは観光客も学生も殆どいない。

月曜午後の大学ってこんなもんなのか?

一眼レフのカメラで写真を1人で撮っている明らかな観光客が果敢にも正面から建物へ入って行った。

どさくさに紛れて私も入ってみたが、正面入口すぐの所に係員がいて止められていた。

結局中には入ることは出来ずに退散。

展望台にあったレストランに入ってビールを補給。

明らかな観光地で明らかに観光客向けと思われる店だったのにメニューに英語表記が無い。

念のために持って行った旅の指差し会話帳でビールを指差して注文。

最終的に旅の指差し会話帳を使ったのはこの機会だけだった(それ以外は英語だけで凌げた)。

ビールは1杯200P(≒600円)と見事な観光地価格だった。

下山の方が気は楽で簡単に駅まで戻ってこられた。

地下鉄に乗ってモスクワ中心部に戻る。

地球の歩き方を眺めながら地下鉄に乗っていたら前に立っていた現地人っぽい兄ちゃんが「ニホンジン?」と話しかけてきた。

2,3言のカタコト日本語会話でちょうど私の降りる駅に着いたので何者かは分からないまま。

たまたま乗り合わせた地下鉄だし、観光地特有の騙そうとする輩ではないような気はした。

そういう輩なら一緒に降りそうだし。

後にも先にもロシアで唯一日本語を話したシーンだった。

赤の広場近くの地下鉄駅で降り、地球の歩き方で「街歩きにオススメ」と書いてあったニキーツカヤ通りを歩く。

しかし正直それほどインパクトのある通りでは無かった。

やはり前日も行った歩行者天国のアルバート通りが街歩きには最適。

晩飯も前日同様にアルバート通りの店の中から良さそうな所へ適当に入る。

なんちゃらケバブとビールで480P(≒1,440円)。

晩飯後でも時間は19時頃、この時間でも充分に明るいのはここ2日でよく分かっていた。

このままホテルに戻るのも勿体ないので少し通りをブラブラしてから同じ通りにあるハードロックカフェへ入った。

ロシアの欠片も無い店でビールとフレンチフライで330P(≒990円)。

旧社会主義国の中心都市モスクワでマックに始まりハードロックカフェで終わる資本主義社会の象徴のような1日ってのも悪くないかな。

21時前にホテルの最寄り駅に戻ってきていつもの店でビールを買って部屋に戻る。

いつものように風呂上りにビール飲みつつ現地のTVチャンネルをザッピング。

すると世界陸上を流しているチャンネルがあり、表彰式のシーンで室伏っぽい人が映る。

アレ?と思ってみてみるとまさに室伏、そして表彰台の1番上に立ったじゃないか。

おまけに国旗掲揚と君が代まで放送した。

ロシアの番組(しかも恐らくダイジェスト番組)で日本人の優勝の表彰式が国歌まで流れるのは意外だった。

ロシアの選手が3位だったからな気もするけれど、そこは目をつぶろう。

遠くロシアの地で不意に聞く君が代は日本で聞くものとは違った感慨があった。

 

 

2011年8月30日 火曜日

昼過ぎの飛行機でサンクト・ペテルブルクへ行く。

飛行機の時間は14時なので午前中はゆっくり出来るも、観光をするほどの余裕は無い。

そういえば泊まったホテルのすぐ近くにあった土産物市のヴェルニサージュ。

ロシア到着初日で時間も遅くて閉店近くて閑散とした所しか見られなかった。

賑わっている所を見たかった気もするが、賑わう時間帯はモスクワ中心部にいるし、ホテルに戻ってくる頃には遅い時間になっている。

ホテルの近くにあるのに行く機会が無かったのも妙な感じだ。

そういえば一応東京都に住んでいながら私は未だに東京タワーにも浅草にも行ったことがない。

近場にあれば意外と行く機会が無いってのは日本でも海外でも同じことなのか…って多分違うな。

ホテルでゆっくりして余裕を持って空港に向かう。

サンクト・ペテルブルクへ向かう国内線もモスクワ到着時と同じドモジェドヴォ空港。

要はモスクワ到着時のルートの逆を行って空港に向かえば良いだけ。

初日は苦労して地下鉄を乗り継いでホテル最寄り駅まで辿り着いた気がした。

だが、モスクワ滞在2日だけで精神的余裕も出来たのか難なく地下鉄の乗り換えもこなして地下鉄のパヴェレツカヤ駅に到着。

地下鉄駅から地上へ出て一瞬迷うも、周囲を見渡すと明らかにターミナル駅っぽい壮大な建物が見える。

行ってみると案の定そこがパヴェルツ駅。

ココまで来たら空港までは直通電車のアエロエキスプレス320P(≒960円)に乗るだけ。

モスクワ到着時は若干の緊張を持って乗っていた電車も3日も経てば余裕で乗ることができる。

地下鉄の慣れといい、こうした何気ない瞬間に旅のレベルアップを感じる。

45分で空港へ着き、空港に入るためにセキュリティチェックを受ける。

まずはサンクト・ペテルブルク行きの飛行機のチェックイン。

今回の航空券は全て日本からJALのチケットを手配した。

但しモスクワからサンクト・ペテルブルクの移動はロシアのアエロフロート航空となっている。

とりあえずアエロフロートのカウンターでチェックインを済ませてあとは自由時間。

3日前のモスクワ到着時には早く市街へ出ないと…と慌てていたが、今回は時間の余裕もある。

東欧圏内で最大の規模を誇るドモジェドヴォ国際空港は確かに広くて大きい。

どこかで食事しようとぶらつくも、国際空港のような無国籍な所だとどこへ行っても同じだろう。

最初に目に付いて空席もありそうだったイタリア料理系のファストフードのような店に入る。

ビュッフェのような形式で100グラム79P(≒237円)っぽい値段表記。

あまり深く考えず、朝食抜きの空腹もあったのでピザやらパスタやらを取ってビールも頼む。

そして会計は600P(≒1,800円)って日本のイタリアンランチ並みの値段になってしまった。

取り放題を甘く考えていたのと空港料金ってのもあったのだろう。

この時点でロシア通貨の残金がおよそ250P(≒750円)、サンクト・ペテルブルクに到着したら早速両替をしないといけなさそうだ。

空港に入るときにセキュリティチェックは受けていたが、飛行機の搭乗口へ行く際には更にチェックを受ける。

靴も脱がされて金属探知機も全身をぐるっと検知されるハイテクっぽい機械内を通らされた。

空港内のセキュリティチェックとしてはニューヨークよりも上だった気がする。

サンクト・ペテルブルクへ向かう飛行機までは空港バスに乗って向かう。

そして搭乗する飛行機を目にしたら予想以上の小型機。

さすがにプロペラ機ではないものの、羽が機体の上に付いている。

え?ロシアの首都モスクワからロシア最大の観光都市のサンクト・ペテルブルクへ向かう飛行機だよね?

物心ついてから海外でこんな心細い飛行機に乗るのは初めてだった。

機内は100人も乗れないような狭苦しい状況ながらほぼ満席。

余裕で全席見渡せる状況の中、東洋人は私だけのようだった。

離陸後すぐにソフトドリンクのサービス、そしてそれが終わるとまたすぐにチョコバーとソフトドリンクのサービス。

なんだろう、飛行機ってのは乗ったら何か提供しないといけない決まりなのだろうか。

たまに気流の悪い所を飛んでいるのだろうか異常に揺れるシーンが多々。

国際線の飛行機ならそれほど気にしない揺れでも、乗る前に見た頼りない飛行機を思うと不安になる。

そんな状況ながら無事にサンクト・ペテルブルクのプールコヴォ空港に到着。

着陸時に客の一部から安堵と思われる拍手が起きる。

以前に椎名誠の旅エッセーで外国の不安定な飛行機に乗って着陸と同時に安堵の拍手が起きるシーンを読んだことがあった。

まさか自分がその瞬間に出くわすとは思わなかった。

14時40分にモスクワを出発して16時頃にサンクト・ペテルブルクに到着。

およそ1時間20分のフライト、東京から北海道へ行くくらいの時間か。

サンクト・ペテルブルクはモスクワに首都がおかれる前のロシアの首都でロシア1の観光都市。

歴史的に見るとモスクワよりも首都としての歴史は長い。

日本にたとえると東京…モスクワ、京都…サンクト・ペテルブルクのようなもの。

時代を経てサンクト・ペテルブルク〜ペトログラード〜レニングラード〜サンクト・ペテルブルクと名前が変遷した都市でもある。

この街を興したピョートル大帝が自身の守護天使のペテロにちなんで聖ペトロの町でSt.Petersburgだとか。

日本だとペテルブル「グ」とペテルブル「ク」というどちらの表記もある。

英語表記ではSt.Petersburgなので「グ」が正解な気もするが、現地の発音だと「ク」だという。

というわけで当文章内ではサンクト・ペテルブルクの表記で統一する。

さらにいちいちサンクト・ペテルブルクとフルで書くのも長いので以降はペテルブルクと表記する。
(サンクトと略している文章も多く見かけるが、意味を考えるとサンクトと略すのには違和感がある)

飛行機を降りるとだいぶ肌寒い。

モスクワよりもフィンランドの方が距離的に近いペテルブルク、だいぶ北に来た印象だ。

空港を出るとほぼ同時にバスが止まった。

どうやらそのバスが地下鉄の駅まで行く39番バスだったので早速乗り込む。

おかげで全く空港内を散策する時間が無かった。

バスが走り出すと乗務員が料金を回収に来る、21P(≒63円)。

20分ほど乗っていると大荷物を持った人がぞろぞろと降りる準備を始めた。

車内アナウンスなど無いのでココがドコなのか分からない。

地下鉄のモスコフスカヤ駅で降りるべきなのは分かっていたので乗客に確認するとモスコフスカヤ駅だった。

バスを降りると地下鉄入口の目の前。

地下鉄の料金はモスクワより3P(≒9円)安い25P(≒75円)。

モスクワと同様に深い地下鉄のエスカレーターを進む。

モスクワの地下鉄との1番大きな違いは路線図に英語表記があったこと。

さすがはロシア1の観光都市だ。

モスコフスカヤ駅から1度乗換えをして20分ほどでホテル最寄りのドストエフスカヤ駅に到着。

ホテルはこの駅から徒歩1分とのことだったが…と探すとアッサリ発見。

ペテルブルクでのホテルはドストエフスキーホテル。

最寄の駅名もドストエフスキーに由来するであろうドストエフスカヤ。

ドストエフスキーが晩年をすごし、現在は博物館になっている建物が近くにあるからだろうか。

とはいえホテル自体は特にドストエフスキーを感じさせるものは無い普通のホテル。

普通とはいえ1泊1万円を優に越えるホテルなのでそれなりの部屋。

チェックインと荷解きをしてから到着初日の散策へ。

時間は18時前で外は肌寒かったので長袖を着用。

ホテルの外にあった電光掲示板の温度計は18℃となっていた。

モスクワでは不要だった長袖が必要な気温だ。

ペテルブルクのメインストリートであるネフスキー大通りまで歩いて5分ほど。

人も車も多いネフスキー大通りはまさにメインストリートと呼ぶに相応しい。

両替屋もいくつかあったのでその中から1番レートが良かったところ(1ドル≒28.85P)で50ドルを両替。

到着初日だったのでとりあえず目的も無く、ただネフスキー大通りを街の中心部(西側)へ向けて歩く。

途中で小雨がぱらついたのでドム・クニーギなる大きな本屋に避難。

入口すぐの所にある台に平積みされている本の中に村上春樹の「1Q84」を見つけた(しかも山が減っていた)。

そこだけでなくネフスキー大通りの別の本屋の前では「1Q84」の大きな宣伝用看板が掲げられていた。

まさか日本人観光客への宣伝用に現地語の本を平積みにすることも無いだろうし、看板を店頭に出すこともないだろう。

ロシアで村上春樹が人気だとは聞いたことあったが、ここまでだとは思わなかった。

前日のTVでたまたま見た室伏といい、不意に現れる「日本」に日本人としてのアイデンティティをくすぐられる。

ちなみに単行本の値段は345P(≒1,035円)、日本より安いが紙質は安っぽかった。

あの独特の文体をどう訳しているのか気になるところではあるが、ロシア語版はおろか英語版ですら読みきれる気がしない。

そんな国際的な村上春樹作品をどこの国の人よりも早く、翻訳を介さない混じりっけなしの状態で読めるのは我々日本人の特権だなと感慨深くなった。

露西亜の1Q84
平積みが減っているのが嬉しい 名も無き書店

PHOTO 1

PHOTO 2

晩飯は何を食べようかとウロウロしていてロシアンなんちゃらと掲げている店にENGLISH MENUと書いてあったので入る。

入ってみたらクレープのファストフードのような店(後で知ったがテレモークという有名チェーンだった)。

レジで注文してから店内で食べるのだが、英語のメニューを貰ってしばし検討。

晩飯にクレープってのもなんだなと思ったが店に入ったしメニューも見ているしココで良いやと思う。

幸いにしてお菓子感覚のクレープ以外におかず感覚のクレープもあったしビールもあった。

そんなわけでサーモンクレープとサラダとビールを注文。

これまでの食事と比べて安い283P(≒849円)で済んだのはさすがにファストフードの値段。

でも相対的に考えると安いが、絶対的に考えるとそう安くも無い。

甘みのあるクレープ生地にサーモンも美味しかったけれど、別々に食べた方が良かった気も。

ペテルブルク初日なので散策はその辺にしてホテルに戻る。

ホテルと同じ建物内(…とはいえ入口は違うので一旦外に出なければならない)に24時間営業と思われるスーパーがあった。

例によってビールを購入して部屋に戻る。

ココでは4泊するのでシャツとパンツをシャワーブースで洗濯(バスタブは無かった)。

ランドリーサービスもあったのだがお金がかかるので敬遠。

1万円を越えるホテルに泊まっているのにこの辺はケチな根性が出てしまう。

 

 

2011年8月31日 水曜日

ペテルブルクのホテルは朝食付き。

ビュッフェ形式の朝食だとアレもコレもと取ってしまい、食べ過ぎの傾向。

この日の行動を開始するかとホテルの部屋から外を見ると雨が降っている。

オイオイ雨かよ、話が違うぜペテルブルク。

とはいえ雨だからといってホテルに引きこもるわけにもいかない。

雨でも問題なく観光できるのは美術館。

翌日にエルミタージュ美術館と共に行く予定だったロシア美術館へ行くことにした。

長袖シャツの上にウィンドブレーカーも着てホテルを出る。

幸い小雨だったが、折角持ってきたので折り畳み傘も使用。

長袖を着ていても肌寒く、足はサンダルだったが翌日からは靴下を履こうと思わせるほど。

ネフスキー大通りを歩いて街の中心部の芸術広場にあるロシア美術館。

モスクワのトレチャコフ美術館と並ぶロシア美術の代表的な美術館。

入場料350P(≒1,050円)で中へ。

ミハイロフ宮殿という建物だったロシア美術館は建物や内装からして既に美術品。

コレ!という万人が知っているような作品は無さそうだったので、地球の歩き方に載っている順路通りに見て回る。

ここ数日の旅の疲労の蓄積もあるのだろう、広大な美術館内を少し歩くだけで疲れてくる。

つどつど休みながら全部屋見学を目標にウロウロ。

ロシア美術で有名なイコンは正直どれも大差ないような気がしてしまった。

その他にも知っている絵は1つも無かったが、ロシア絵画は巨大でダイナミックなものが多いように感じた。

美術鑑賞はその時間に比例して旅日記に書くことは少ない気がする。

こういう絵を見てこう感じた…みたいなことが書ければ良いのだろうが残念ながら私にそこまでの芸術眼も筆力も無いので。

結果、2時間半くらい館内を見て回って外に出る。

入ったところとは違う出口から出ると目の前に「血の上の救世主教会」があった。

ペテルブルクの代表的な教会でモスクワのワシリー聖堂と同じような丸屋根が特徴的。

典型的ロシア教会比較

ペテルブルク

モスクワ

血の上 赤の上

血の上の救世主教会

赤の広場の上のワシリー聖堂

それにしても「血の上」とはなんともおどろおどろしい名前。

皇帝のアレクサンドル2世が暗殺された場所の上に建設されたから「血の上の救世主教会」というらしい。

正式名称は「スパースナ・クラヴィー」というらしいが、地球の歩き方にも現地の観光地図にも「血の上〜」の名称が使われていた。

仮にこれが日本なら不謹慎だ!で改名を余儀なくされる気がした。

その血の上の教会自体は定休日だったが、周囲に観光客は多数。

こうした教会の内部はモスクワで行ったので敢えて高い入場料を払ってまで中に入らなくても良いかなと思っていたので丁度良い。

14時頃になってようやく朝食のビュッフェが抜けてお腹も空いてきた。

地球の歩き方に「かつては名だたる文豪たちも通った店が前身」「ペテルブルクで最も有名なレストラン」と紹介されていた文学喫茶(リテラトゥールノエ・カフェ)へ。

そこまで大々的に紹介されていたのでどんな店かと思ったがいつの間にか通り過ぎていてエルミタージュ美術館に来てしまった。

アレ?ネフスキー大通り沿いにあるはずなのにネフスキー大通りが終わってしまった。

改めて地図を見て場所を把握して行くとあった…先ほどは普通に気付かずに通り過ぎてしまったらしい。

「しばしばツアーで貸し切りになるなど人気も高い」と書かれていたので構えていたが、昼飯時を外れているからか店内の客はまばら。

本当にこれが「ペテルブルクで最も有名なレストラン」なのか?

店名もあっていたし、メニューにはプーシキンをはじめとして文豪の肖像がデザインされていたから店に間違いはないだろう。

メニューには英語表記があったので無事に注文できた。

ビールとチキン料理みたいなので360P(≒1,080円)とロシアの外食基準に照らし合わせてもそれほど高くない。

食後は名だたる文豪が通ったという店で物思いに耽りながら旅記を書く。

とりあえずその店で何でも良いからモノを書くというのをやってみたかった。

これで私も形だけは文豪…か?

少し遅い昼食を終えて、翌日に訪れる予定のエルミタージュ美術館を下見しておくことに。

エルミタージュ美術館は毎月第一木曜日が入場無料だということが事前の下調べで分かっていた。

翌日がその第一木曜日、偶然にもペテルブルクにいる日と被ったのでどうせなら入場無料の日に行こうと思っていた。

ロシア美術館と同様にエルミタージュも宮殿をそのまま美術館にしたもので立派な外観。

皇帝が冬の間を過ごす宮殿として建てられたため、冬宮と呼ばれるのが入口もある本館。

入口まで行ってみて料金表を見てみると確かに毎月第一木曜日は入場無料というようなことが英語で書いてある。

通常の入場料は400P(≒1,200円)なので、無料はそれなりに大きい。

それにも関わらずに今日行っている人は情報不足なのか明日にはペテルブルクを離れる人なのか。

いずれにせよ私が入るのは翌日なので、エルミタージュの建物の周りを歩く。

エルミタージュの裏は道路1本を隔てて大ネヴァ河になっている。

河のすぐ近くに宮殿を建てたりなんかして、河が氾濫したら大変だろうに。

さらにブラブラと歩いて次に辿り着いたのはイサク聖堂。

世界でも最大級の聖堂でペテルブルクの主要観光スポットの1つ。

このイサク聖堂の展望台からはペテルブルクの街が望めるらしいが、天気がいまひとつだったので今回はパス。

さらに歩を進めてユスポフ宮殿へ。

ココはラスプーチンが暗殺された場所として有名。

名前は聞いたことあったけれど何者なのかは知らなかったラスプーチン。

今回ロシアを旅するにあたって少し勉強した中でその人物の一端を俄か知識で身につけた。

特に暗殺された時のエピソードが強烈。

毒を盛ったが効かずに銃で撃ってから殴る蹴るを繰り返した後に凍った川に投げ入れた。(確かに宮殿前には運河が流れている)

そして数日後に検死してみると死因は溺死だったとか。

さらに死後ラスプーチンのチ○コが切り取られてホルマリン漬けにされて公開されているとか。

ネットで調べたら画像や情報は出てくるが、現在どこにあるのかはいまいち分からなかった。

そもそもそれ(ラスプーチンのチ○コ)自体が本物でないという説も根強い(…ってそりゃそうか)。

是非とも見たいものでも無いが、死してなお怪しげな伝説を残すラスプーチン。

その暗殺現場となった地下室も公開されているらしいが1日1回限定人数しか入れないとか。

正直それ以外についてはあまり興味がなかったのでユスポフ宮殿も外から眺めただけで通り過ぎる。

まだまだ歩いてマリインスキー劇場に到着。

地球の歩き方に「サンクトペテルブルクを訪れる観光客で、マリインスキー劇場に興味のない人はいないといっても過言ではない。」とまで書かれていた。

え?興味どころかその存在自体を地球の歩き方で読むまで知らなかったんですが…

ロシアが誇るオペラ・バレエの殿堂らしいが、どうも私は音楽方面の芸術には疎い(どっち方面の芸術なら疎くないかと聞かれても困るが)。

チャイコフスキーがロシア人だったということすらモスクワで彼の名を冠した建物がいっぱいあってようやく知ったレベル。

そんなわけでマリインスキー劇場も「地球の歩き方にそこまで書いてあるのならとりあえず見ておこう」という程度。

ココもまた外観だけで通り過ぎてしまう。

そんな感じでロシア美術館を出てからはペテルブルクの主要スポットを徒歩で回りながら、結局どこへも入らないままだった。

晩飯は地球の歩き方に載っていた店を探したが地図をもとに探しても無い。

探していた店では無かったが観光客でも大丈夫そうな飲食店はあったのでとりあえず入る。

ロシアに来て未だ口にしていないロシア名物をここで消化することに。

まずは何よりもウォッカ。

強い酒、ということで身構えてモスクワではなんとなく敬遠していた。

ペテルブルクまで来たからには旅の半分の工程は消化したのでウォッカを解禁することに。

そしてもう1つはビーフストロガノフ(ストロガノフさんが作ったからビーフストロガノフらしい)。

どちらのメニューも店にあったので注文。

ウォッカだけでは強すぎて困るのでチェイサーは勿論ビール。

ショットグラスに入って出てきたウォッカ(50ml)をまずは景気づけに飲む。

お、甘みがあるぞ…と思ったのも束の間、強いアルコール特有のカーッとなる熱い感覚が襲ってくる。

うわー、キター!と思って飲み込むと熱いものが食道を経て胃に到達するのが感じられる。

少し落ち着いたところでビールを注入して中和。

それでも胃の中はカッカした状態で熱い。

冬場にロシア人がひたすらウォッカを飲んでいる(偏見かもしれんが)というのが頷ける。

ビーフストロガノフは大皿の上に載ったポテトが容器代わりになっていて、中にビーフシチューのようなものが入っている。

皿の周囲にはサワークリーム(最初はマヨネーズかと思った)で模様付けまでされていてとても上品な食べ物に見える。

ロシア詰め合わせ
ロシアの晩餐

食べ方が分からず、器のポテトにナイフを入れたらビーフストロガノフが溢れ出して上品さが台無しに。

正しい食べ方は分からなかったが、ビーフストロガノフも器のポテトも味は良好。

溢れ出したビーフストロガノフは付け合せのパンで掬いつつ平らげる。

美味しかったが難点があるとしたらウォッカ。

ウォッカをチビチビやりながら食べたため、胃の中には常にウォッカが熱の膜を張っていた。

何を食べても最終的にはウォッカの残り香(?)に吸収されてしまう感じだった。

お会計はウォッカ50ml90P(≒270円)、ビール500ml85P(≒255円)、ビーフストロガノフ219P(≒657円)で394P(≒1,182円)。

ウォッカも体験できたしビーフストロガノフは美味しかったし値段も高くない。

飛び込みで入った店としては当たりだ。

レストランを出てウォッカで火照った身体を冷ましつつネフスキー大通りを歩く。

ロシアは美人が多いという話を聞いていたので意識して見たが確かにそうかもしれない。

北欧系や東欧系のような白人金髪女性が沢山。

確かに美人なのだがマイナスポイントが1つ。

女性でも結構な確率でタバコを吸いながら街を歩いている(当然ポイ捨ても)。

諸アジアへ行ったときは車のクラクションが頻繁に鳴るうるささで発展途上国の民度が測れると思っていた。

ロシアはその点では問題なかったが、繁華街での歩き煙草の多さは男女共に気になった。

先進国の民度を測る1つの指標として繁華街での歩き煙草を挙げても良いかもしれないと思った。

もう1つロシア女性の特徴として(偏見かもしれないが)年齢が上がるにつれて横へも大きくなる比率が高く感じた。

街で見かけたハトやカラスも日本のそれよりふっくらしていた印象がある。

長く厳しい冬を乗り切るためにはそうならざるを得ないのかもしれない。

不思議と男はそうでも無かった気はするが、そもそも男はあんまりちゃんと見てなかったわ。

ロシア女性に対して失礼な書きっぷりがあったらこの場を借りてお詫び申し上げます。

ホテルへ戻ってこの日の洗濯をしようと思って気がついた。

残日数を計算するともう洗濯をしなくても大丈夫だった。

楽になると同時に旅の終わりが垣間見えて少し寂しくなった。

 

 

2011年9月1日 木曜日

旅のときはいつも歩き回っているせいか寝つきも寝覚めも良い。

この日は午前中から昼過ぎにかけてエルミタージュ美術館を散策予定なので朝飯はしっかり食べておく。

その点でビュッフェ形式の朝食は好きなだけ食べられて良い。

肌寒かった前日の反省を踏まえて靴下も履いて長袖シャツも着る。

これで今回の旅のために持参した全ての装備を着用したことになる。

モスクワでは長袖なんかいらねーやと思ったのが、ペテルブルクに来てその必要性を実感した。

10時前にホテルを出てエルミタージュ美術館まで徒歩。

歩くと30分くらいかかるが、異国の街を歩くのはそれも含めて全て旅の一環なので殆ど苦にならない。

エルミタージュの冬宮
建物内装展示品全てが芸術

開館の10:30より少し前にエルミタージュに着いたが開館を待つ数十人の列が出来ている。

列に並んでいる間「今日は無料入場日だけどカメラを持っている人は200P(≒600円)必要です」みたいなアナウンスが英語で流れる。

入場料とカメラ持ち込み料は別物らしい。

開館時間になって順次入場が始まる。

無料でもチケットは発行するらしく、チケット売り場の混雑のためか規制入場。

結局15分ほど待ってようやく入ることが出来た。

カメラを持っていたので200P(≒600円)払ってカメラ持ち込み券を購入。

入口では金属探知機を通ったが特にカメラを持っているかどうかのチェックはされなかった。

最初からカメラ持ち込み券を提示していたからなのかもしれない。

入場前やチケット窓口は混雑していたものの広大な美術館の中に入ると人も分散して混雑を感じない。

先にも述べたが元々は皇帝の宮殿だったエルミタージュ美術館。

入ってすぐに登場する大使の階段からして既に美術品として圧巻のスケール。

そこからは例によって地球の歩き方に載っている順路通りに各部屋を渡り歩く。

特に有名なのが全世界に10数枚しか現存していないというレオナルド・ダ・ヴィンチの絵。

その内の2つがこのエルミタージュ美術館にある。

ダ・ヴィンチの間としてその2つは同じ部屋に展示されている。

「リッタの聖母」と「ベヌアの聖母」という2枚。

さすがにエルミタージュの看板作品となる絵だけに観光客も多い。

NYのメトロポリタン美術館でフェルメールを見たときにも感じたが、絵画を生で見て初めて実感できることの1つが絵のサイズ。

ダ・ヴィンチの2つの絵は生で見るとどちらも意外に小さかった。

そして生で見て分かることのもう1つがそれの展示方法。

超有名かつ貴重な名画のはずが部屋の窓に極めて近いところに展示されていた。

角度によっては太陽光が差し込むんじゃないかと不安になるくらい窓際だった。

意外に窓際
2枚の絵だけのためのダ・ヴィンチの部屋

数学者としても名を馳せたダ・ヴィンチだから綿密な計算の元に巧妙に太陽光を避けるようになっているのだろうと深読みしておく。

それにしてもダ・ヴィンチの絵が10数枚しか現存していないと知ったのは今回エルミタージュに行く際に少し勉強したから。

その内の数枚がルーブル美術館とヴァチカン美術館にあるという。

10年前にどちらの美術館へも行ったのに前者は「モナ・リザ」、後者はミケランジェロの「最後の審判」と「創世記」くらいしか知らなかった。

見ていたのかもしれないが意識して見ていなかった当時の自分の勉強不足が悔やまれる。

次回への教訓にしよう。

ダ・ヴィンチの間を経て順々に部屋を回る。

ラファエロ・カラヴァッジオ(ミケランジェロ)・レンブラント・ゴヤ・モネ・マネ・ルノワール・ゴッホ・ゴーギャン等々…

有名な画家の絵がこれでもか!と出てくる。

不思議だったのはマティスの「ダンス」。

これと同じものをNYのMoMAでも見た気がするが2枚あるということか?

基本的に年代毎に展示されていた絵画ゾーンの〆はピカソ、いつ見てもこの人は多彩だ。

前日に行ったロシア美術館がロシア国内画を中心としていたのと対称的にエルミタージュは西洋絵画が中心。

旧社会主義国で最も有名な美術館の中心となるのが西洋美術というのも皮肉な気がする。

数々の有名画家の絵があり、ダ・ヴィンチなどの超有名人になると1人1部屋が割り当てられている。

そして先述の通り、有名絵画でも窓際にあることが多くて見ているこちらがヒヤヒヤする展示方法も。

そんな有名画家の部屋ではタイミングが悪いと団体ツアー客が雪崩れ込んでくる。

旗(或いはそのようなもの)を持ってガイドが先導するツアーは和洋問わず世界共通なんだなと実感。

そんなツアー観光客の中で最も勢いを感じたのが中国人観光客。

中高年男女がまさに嵐のようにダーッと来てダーッといなくなる。

高度経済成長期の日本人観光客ってこんな感じだったのかもしれないなーと連想させる。

一方でその日本人観光客のツアーは見かけずに個人客っぽいのをチラホラ見かけるだけ。

これが国の勢いの差なのかなと少し寂しくなった。

絵画ゾーンを終えると日本文化を紹介する一画もあり、鎧兜刀や掛け軸などが展示されている。

そこに白人観光客がいるだけでこちらもなんだか嬉しくなってしまう。

アチコチ見て回ったエルミタージュ内で一息つこうと美術館内のインターネットカフェへ。

休憩がてら旅の密かな目的だったツイッターでツイートしようと思った。

20分20P(≒60円)と意外に安い利用料に加えてビール130P(≒390円)も注文。

IDとパスワードが書かれた紙片を貰って設置してあるパソコンからログイン。

まずは自分のホームページへのアドレスを打ち込むと日本語は文字化けしていたがちゃんと表示された。

海外で自分のホームページを見られるというだけでチョットした感動を味わえる。

しかしツイッターに入ろうとすると日本では見たことの無い認証キー入力画面が出てくる。

感覚でキーを入力してみるも何かが誤っているらしくて巧く入れない。

出てくる表示がロシア語なので何が間違っているのかもよく分からない。

そんな堂々巡りで時間だけが過ぎていきタイムオーバー。

世界的観光地であるエルミタージュだからセキュリティが厳しかったのだろうか。

なんにせよ旅の密かな目的の1つだったロシアからツイートが出来なくて残念だった。

小休止を終えて美術館内の散策を再開。

ギリシア彫刻などのエリアはだいぶ閑散としている。

絵画ゾーンの賑わいと比べると雲泥の差で、一般的には美術≒絵画なのかなと思えてしまう。

そろそろ出ようかと思ったエルミタージュ美術館内でデジカメのバッテリーが切れて、約700枚収容のメモリーカードも切れた。

それぞれ予備を持ってきていたので事なきを得たが、旅でどちらも切れるのは初めての経験だった。

そんなこんなでエルミタージュ美術館を構成する冬宮・旧エルミ・新エルミ・小エルミを一通り見た。

地球の歩き方によると展示室を全部歩くと20km以上にも及ぶとか?

何はともあれ開館直後から昼過ぎまでエルミタージュ内を歩き回った。

同じような部屋がいっぱいあって迷路のようだった。

時間が進むにつれて目に見えて観光客が増えてきた。

無料開放日だからなのか、普段からこうなのかは定かではないが、開館直後から行って正解だった。

エルミタージュ美術館を出たのは15時頃、結果的に4時間以上滞在していた。

美術館内にいるときは空気も違うし時間の流れも違って別世界にいる感覚だった。

久しぶりに外に出た気がして向かったのは前日に行きそびれていたデカブリスト広場。

ココで有名なのはプーシキンの詩「青銅の騎士」に出てくる青銅の騎士像。

プーシキンの詩「青銅の騎士」はロシア語を学ぶ人ならば目を通す教科書的な詩だとか。

モスクワでも中心部にプーシキン像があったし、ペテルブルクでも芸術広場にはプーシキン像が立っている。

日本での知名度はそれほどでもないであろうプーシキンだが(私も今回の旅を計画する前まで知らなかった)、ロシアでの人気度は抜群らしい。

馬に乗ったピョートル大帝(ペテルブルクを拓いた皇帝)の像が雄大に立つ。

…と時を同じくして雲行きが怪しくなり雨が降ってくる。

幸い本降りになることは無かったが、折り畳み傘を使う程度には降った。

どうもペテルブルクでは天気がパッとしない。

雨宿りも兼ねて昼飯は地球の歩き方に載っていた19世紀風な内装のレストラン。

昼飯時を外れていたので空いていた店内で禁煙席を指定したら周りに誰も客がいなかった。

ちゃんとしたレストランの雰囲気で予想通りメニューに載った値段もちゃんとしている。

メインコースと銘打たれたところに載っていた無難な値段の野菜カツみたいなものを注文。

料理を注文したらウェルカムドリンクみたいな感じでウォッカが出てきたのはさすがロシアか。

ちゃんとしたレストランのちゃんとしたお会計は530P(≒1,590円)。

ウォッカとビールでほろ酔いになって店を出る。

改めてネフスキー通りを歩くと目に入った「INTERNET」の文字。

どうやらインターネットカフェらしい。

ペテルブルクで初めて見かけたネットカフェだ。

ビールとウォッカの酔いも手伝って先ほどのエルミタージュのリベンジとばかり中に入る。

ネットカフェの料金は30分40P(≒120円)で観光地のエルミタージュ美術館の中の方が安かったのは意外。

先程と同様にツイッターに行ってみるが、同じ認証画面が出て相変わらず先に進めない。

エルミタージュのセキュリティが厳しかったのかと思ったがそうではなく、どうもツイッターのセキュリティらしい。

しかし日本でこんな認証画面出たこと無い、ロシア独自の仕様なのか。

相変わらずロシア語で書いてあるのでどうして良いか分からない、このままじゃエルミタージュの二の舞だ。

意を決して近くにいた若者に話しかけてみる「Can you help me?」

現地人だったのかどうかは分からないが幸い英語が伝わったようで認証コードを入力してくれる。

認証コードはアルファベットで表示されているのだがロシア語風のアルファベットでどうも私が入力していたのは微妙に間違っていたらしい。

若者が何度か入力してくれた結果、見覚えのある画面に切り替わった。

これぞ私のツイッターのタイムライン!ようやくログインすることが出来た。

助けてくれた若者にお礼を言って改めてPCの画面を見る。

漢字が巧く表示されず全て文字化けしているが、雰囲気は伝わる。

日本語入力は出来ないので英語でツイート。

以前は海外から自分のHPの掲示板に書き込むのが旅の足跡だった。

しかし悲しいかな掲示板だと見ている人は殆どいないかもしれない。

一方でツイッターなら少なくとも自分のフォロワーの目には留まる。

旅の隠れた目的の1つだった海外からのツイートを果たすことが出来た。

St.Petersburg Now!

苦労して出来たツイートだけに感慨もひとしお。

日本では当たり前に出来ることが海外では難しくなる。

そんなことを味わえるのも旅の醍醐味だ!なんてツイッターが出来たくらいで偉そうに悟ってみる。

不思議なもので物事が巧く回り始めたのか小雨気味だった天気も良くなってきた。

雨上がりの太陽がもたらしてくれたのは虹。

まさかペテルブルクで虹が見られるとは思わなかった。

建物はウラジーミル聖堂
ペテルブルクにかかる虹

街歩きを経てホテルに戻って小休止。

ホテルの近くにはドストエフスキーが晩年をすごしたアパートがある。

現在は博物館になっているそのアパートへ行ってみたが既に閉まっていた。

ロシア旅行前にロシア文学の有名作家の作品は一通り目を通そうと思った。

ドストエフスキー・トルストイ・ツルゲーネフ・チェーホフ・ゴーゴリ・プーシキン。

そんな中でも「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」など最も高尚なイメージがあったドストエフスキー。

しかしそれらの有名作品は大長編ばかり。

妥協して文庫1冊で収まっていた処女作「貧しき人々」を読んだが、いまいち面白さが分からなかった。

主役の小役人の必死さを笑う小説なのか、哀れみを持って読む小説なのか。

無神経な感じさえする娘に立腹するべきなのか、慎ましやかな暮らしに同情すべきなのか。

そもそもなんで真向かいに住んでいるのに文通しているのだろうとか色々よく分からなかった。

そんなドストエフスキー体験だったので別に博物館の中には入らず、外観だけで良いかなという気持ちだった。

ペテルブルクに来てからは外観だけで満足することが多くなった気がする。

晩飯は前日同様に地球の歩き方に載っている店を探してみたが、前日と違う店にもかかわらず見つからず。

最新の地球の歩き方なのに2軒も既に存在しない店が載っているとは。

ペテルブルクの外食産業も淘汰が激しいということか。

仕方ないので適当に街を歩きつつ晩飯を食べられそうな店を探す。

昼飯を夕方近くという中途半端な時間に食べていたのでそれほど腹が減っているわけでもない。

街を歩いていると目に付いたファストフード店の看板。

モスクワでもよく見たクローシュカ・カルトーシュカというジャガイモ料理のファストフード店。

入口を見るとENGLISH MENUとも書いてあったのでココで良いやと入る。

ファストフード店なのでカウンターで英語メニューを貰ってチーズジャガイモ、イモスープとビールを注文する。

ペテルブルク到着初日の店でもそうだったが、ファストフードでもビールが置いてあるのは良い。

料理はふかしイモを容器に敷き詰めてチーズがトッピングしてあるものとイモのトロミが効いたスープ。

特にチーズイモは美味でビールとも良く合う。

所詮はファストフード…と思っていたが、こういうジャンクフードが美味いのは万国共通っぽい。

料金もビール含めて239P(≒717円)とか、毎食これでも良いくらいだ。

日本で言うと北海道=ジャガイモのイメージだし、寒い所はジャガイモなのかな。

晩飯を食べて外に出ると21時すぎ。

それでも空は薄ぼんやりと明るい。

ペテルブルクの晩夏の夜は長すぎる。

 

 

2011年9月2日 金曜日

丸1日行動できる実質最終日。

旅先で目が覚めると真っ先にすることが窓の外を見ること。

幸いにして雨は降っていないものの、快晴とは言えない天気。

好天だったら近郊にあるペテルゴーフという世界遺産の庭園と宮殿に行こうと思っていた。

しかし曇天だと100%は楽しめなさそうな気がしたので今回はパス。

旅で行けなかった所を残しておくのは次回来るための動機になる。

たとえ2度と来ることがなくても、何かは残しておきたいと思う。

そんなわけでペテルゴーフはやめにして、ペテルブルク発祥の地とも言われる街の北側のペトログラードへ行くことに。

その後の行動は様子見しつつ気分で決めれば良いかなと思う。

朝食のためにホテル内のレストランに行くと前日までと比べてやたら混んでいる。

どうやら団体が泊まったようで中年以上の白人層がやたらに多い。

そんな状況の中でレストランに1人で朝食は寂しい感じもするが、そもそも異国に1人でいる時点でその辺の感情は希薄になっている。

外国人だらけの状況は日本でファミレスに1人でいるよりも落ち着ける。

周囲が何を話しているのかサッパリ分からないし、1人だから何?と開き直れる。

マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるみたいな…って違うかな。

いずれにせよいつも通り朝飯を食べてこの日の行動開始。

ここ数日はネフスキー大通りを歩くところから1日が始まっていたが、この日は最初から地下鉄に乗る。

思えばペテルブルクに着いた日以来の地下鉄乗車。

ペテルブルクの方がモスクワに比べて街の中心部にホテルなども密集していて観光に適している気がした。

モスクワでも中心部(クレムリン周辺)にホテルはあるが高すぎて手が出せない。

ペテルブルクがロシア1の観光都市である所以もその辺なのだろうか。

なんにせよ地下鉄に乗ってペテルブルク北側のペトログラード側へ。

ピョートル大帝がこの場所にペトロパヴロフスク要塞を建設したのがペテルブルクの街の発祥だとか。

そのペトロパヴロフスク要塞に入るのは無料だったので要塞の広場内をウロウロする。

様々な施設が点在しているが、それほど興味をそそられるものも無く。

それでも最も有名な建物であるペトロパヴロフスク聖堂にはピョートル大帝をはじめとした歴代皇帝が眠る棺があって必見らしい。

地球の歩き方に書いてあったその情報を信じて200P(≒600円)で中に入ると確かに棺が並んでいる。

誰が誰やら分からないが、有名な棺の前にはガイド付きツアー観光客集団がいるので有名人なんだなと見当がつく。

地球の歩き方の説明文と共に読んで有名どころだけは押さえておく。

意外だったのはペテルブルクを拓いたピョートル大帝の棺でもその他大勢の皇帝と一緒に並べられていたこと。

そんな中で帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世だけが別室にあった。

ロシア帝国を終わらせた(終わらせられた)ニコライ2世の方が特別扱いなのか?というのは不思議に感じた。

そしてそのニコライ2世がこの地に埋葬されたのが1998年だと知ってさらに驚いた。

革命軍によって殺されてから数十年経ってようやくこの地に歴代皇帝と共に埋葬されたとか。

1998年なんてほんのつい最近という気がする。

ロシア革命なんて大昔の歴史だと思っていたが、意外に近くに感じられた事実だった。

聖堂を出て、一通りペトロパヴロフスク要塞内を散策したらネヴァ河沿いを歩いてヴァシリエフスキー島へ。

そこのストリェールカなる岬からはエルミタージュやペトログラードが見渡せる。

ストリェールカ岬はチョットした広場になっていて景色が良いからか結婚式を挙げた(?)カップルとその仲間たちがワイワイ。

写真を撮ったりシャンパン開けて乾杯とか賑やかにやっている光景が数箇所で繰り広げられていた。

結婚式のような華やかな雰囲気は日本もロシアもそう変わらない。

微笑ましく感じると共に1人の寂しさも感じてしまい気を取り直す。

これからどこ行こうかと地球の歩き方を眺めているとマンモスの標本が展示されている動物学博物館が近くにあるので行ってみる。

意外に安かった200P(≒600円)の入館料のせいか館内はボロっちくて薄暗い。

入るとすぐにドカーンと巨大な魚類の骨格が現れる。

なんだか分からないが地球の歩き方には「絶滅したステラ海牛の骨格標本がある」と書いてあったのでそれだろうか。

展示されている動物の剥製の数は物凄く、展示ケースが所狭しと並べられている。

なんでも動物、鳥類、魚類、昆虫などあわせると3万点以上が展示されているとか。

しかし観光客は殆どいなくて閑散とした館内を進むうちに登場した本命のマンモス。

あまりにも呆気なく登場してえ?コレ??本物???というような感じ。

愛知万博でマンモスが展示されたときは大人気で大行列だったと思うがこちらはとても閑散としている。

ロシアではマンモスなんて珍しくもなんとも無いということだろうか。

マンモスの標本は体毛もハッキリ残っているがどことなく作り物っぽい胡散臭さが。

しかし作り物にしては細部が精巧で、本物にしては作りが雑でなんとも評価しがたい。

後ろに見えるのはマンモスのミイラ
ほんまもんすか?

周囲には骨格や牙などが惜しげもなく展示されている。

骨格や牙などはニスでも塗ってあるのかテカテカして木片のような感じ。

それ以外にも子マンモスが干からびてミイラ化した標本など大小様々なマンモスが展示。

あまりにも普通に展示されていたマンモスだが、その量と質は他の展示と比べると際立っていた。

折角入場料を払っているのだから一通り全ての展示は見ようと館内を歩く。

苦手な昆虫ゾーンにも入ったが、身の毛がよだつ展示ばかり。

アレは食事前に見るもんじゃなかったわ。

博物館を出てエルミタージュ美術館のある繁華街側へ戻る。

昼飯は地球の歩き方に載っていたロシア料理のファストフードという店へ。

これまで2回空振りしてきた地球の歩き方掲載の店だが、今回はちゃんと存在していた。

カツレツ(キエフ風カツとやらで中にバターが入っている)とサラダにビールもつけて300P(≒900円)。

3日連続ファストフードだが、ロシアの食事はそれでも充分な気がする。

食後はすぐ近くにあるペテルブルクの有名観光地でもあるカザン聖堂へ。

モスクワの救世主ハリストス(キリスト)大聖堂と同じで観光地だけでなく教会としても現役で機能していて入場は無料。

聖堂内は入場無料とは思えぬ立派な建物。

ちょうど堂内で結婚式があるらしく、神父や結婚する2人やその関係者などが厳粛な雰囲気で登場。

バルコニーで唄われる賛美歌が広い堂内に綺麗に響く。

日本の結婚式もだいたいがキリスト教風に行われる。

しかしその中にキリスト教徒がどれだけいるのかと問われれば疑問が残るところ。

言い方は悪いが「なんちゃって」キリスト教式の結婚式が殆どだろう。

しかし今、目の前で展開されているこれこそが正真正銘のキリスト教の結婚式なんだろなと思った。

それにしても正式な教会とはいえペテルブルクの有名観光地で観光客も大勢いる中での挙式。

事実、居合わせた観光客風の人々は無遠慮に写真を撮っては係員にたしなめられていた。

日本で言うと明治神宮で挙式するようなイメージだろうか。

キリスト教だろうか神道だろうが対象とする神様が違うだけでやっていることは基本的に同じか。

カザン聖堂を出て次にどこへ行こうかと考えたが特にコレといったところが浮かばない。

ペテルブルクの有名観光地では血の上の救世主教会やイサク聖堂などに入ることが出来る。

それらの外観を愉しむことはしたが中に入ることは無かった。

旅の序盤だったモスクワではクレムリン内の聖堂や救世主教会、ノヴォデヴィッチ聖堂などに入った。

いくつかの教会に入るうちに入った瞬間こそオォ!と感じるものの、持続する感動が無くなっていく。

建築や美術に興味がある人なら個々の違いを見つけて感動するのかもしれないが私はただのミーハー観光客。

旅の後半になるにつれてどこに入っても似たようなものだろうなと思うようになった。

どこも数百Pの入場料を取られるし、そこまでして敢えて入る必要性を感じなくなってしまった。

あまりにも沢山の観光地を回るというのも考え物かもしれない。

そんなわけでなんとなく街歩きをしつつ、夕方に近くなってきたので一旦ホテルに戻る。

夏の時期は暗くなるまでが長いペテルブルク。

これまでは朝からあちこち歩いていたので暗くなる21時過ぎだと疲れてホテルに戻っていることが多かった。

最終日なので夜のエルミタージュやネフスキー大通りを歩いてみたいと思っていた。

そんなわけでホテルの部屋でビールを飲みながら小休止しつつデジカメ画像でロシアの復習。

今回の旅では初めてデジカメのメモリーカードを使い切って2枚目を使用することになった。

デジカメを買ったときに予備のカードも買っておいたのが初めて役に立った。

19時過ぎになってこの旅で最後の散策になるであろう外出の準備。

残ったお金を確認し、翌日の飛行機に乗るまでいくら必要になるか試算する。

結果、40ドル(≒3,200円)を1,150P(≒3,400円)ほどに両替。

終わってみればロシアでの両替は全てドルで行った。

日本円の両替を掲げている所はペテルブルクで2軒見たくらい。

ドルとユーロの両替が主流で、当時の日本円レートに直すと若干だがユーロのレートの方が有利だった。

最後の両替を済ませ、最後の晩飯は何にしようかと思案しながらネフスキー大通りを歩く。

チョット良さそうなレストランの入口にあるメニューを眺めたら3桁台後半の価格がザラで手が出なさそう。

とはいえファストフードだと味気無いし、よく分からない所へ入って外してしまうのも嫌だ。

地球の歩き方に載っている店で興味があったところは行ってしまった。

歩きながら考えた挙句、モスクワ観光の初日に行ったロシア料理のチェーン店に入ることにした。

英語メニューもあるだろうしモスクワで行ったことがあるので値段や味も外れが無いことは分かっている。

外れが無いという点でチェーン店に勝るものは無しか。

メニューを見るとキャンペーンメニューみたいな感じで日本の寿司っぽい料理が取り上げられていた。

ロシアでは日本食が人気らしく、モスクワでもペテルブルクでも日本料理店(主に寿司)を出す店は結構な率で見かけた。

いずれもロシア版の日本料理らしく少し興味はあったが食べる機会は無いままだった。

最終日にロシア料理のレストランで寿司を食べるのも悪くないなと思い、1品が100P(≒300円)と安かったので1つ注文してみる。

メニューの写真を見て内容が想像できたサーモンっぽい巻き寿司。

その他にメインとなる肉料理、ロシア最後の夜だし定番のウォッカ、そして勿論ビール。

飲み物に次いで登場した寿司。

一緒についてきた割り箸とキッコーマン醤油が地味に嬉しい。

日本の巻き寿司だとご飯を海苔で巻くが、こちらはご飯をサーモンで巻いている。

そしてご飯の中に海苔っぽい黒いものと謎の白い物体が巻かれている。

最後の晩餐
露寿司

ワサビと醤油をつけて食べてみると謎の白い物体はクリームチーズ。

脂の乗ったサーモンにサッパリしたクリームチーズは予想以上にあう。

米は酢飯ではなく、ワサビにコクが少し足りない気がしたが総じて美味しかった。

サーモン&クリームチーズ寿司は日本で出しても大丈夫そうだ。

私の隣の席に座っていた現地人?も寿司を箸で食べていた。

ロシア版日本食とはいえ寿司が異国で受け入れられているのは嬉しい限りだ。

続けて出てきた肉と野菜の鉄板焼きのような料理もそのまま箸で食べたかったが、異国だとマナーに反するのかもしれない。

フォークを使って食べたが、箸の方がよほど食べ易い。

掬う以外のことなら大体可能な箸ってのは便利な道具だ。

最後の晩餐の会計は635P(≒1,905円)、チョットした贅沢か。

21時20分過ぎにレストランを出て次第に暗くなってきたネフスキー大通りをエルミタージュ美術館へ向けて歩く。

夜になるとライトアップされるのかなと思ってエルミタージュに到着したが暗い。

ライトアップとかそういうのは無いのかと引き返したその時、広場前にチラホラいた観光客から小さな歓声。

振り向くとまさに丁度ライトアップされた瞬間だった。

どうやら21時30分を境に一斉に電気が点いたようだ。

引き返しかけたギリギリでのライトアップは曇天が続いたペテルブルクからのお詫びの印にも思えた。

ライトアップエルミタージュ
ペテルブルク最後の輝き

 

 

2011年9月3日 土曜日

帰国の途に着く飛行機はペテルブルクを14時に発つ。

空港では何を食べられるか分からないので、ビュッフェの朝食をしっかり食べておく。

しかしさすがに4日連続で同じようなビュッフェだと飽きもくる。

荷造りを済ませて帰国準備を整える。

10時過ぎにホテルをチェックアウトし、外へ出ると雨が降ってきた。

ここ数年の海外旅行は雨でダメになった経験が殆ど無い。

この旅でもペテルブルクで降られることはあったが、1日中降り続いたりそれで観光が途絶えることは無かった。

今回も最終日の帰国時に降るというのは悪くない傾向だ。

飛行機が無事に飛んでさえくれればいくら降られてももう構わない。

ペテルブルクに着いたときと逆のルートを辿り、地下鉄に乗って空港行きのバスが出ているモスコフスカヤ駅へ。

到着時はバスを降りて地下鉄乗り場を探せば良かったが、今回は地下鉄を降りてバス乗り場を探さなければならない。

一抹の不安を持って地下鉄を降りて改札を出ると案内板に「Bus to Airport」の表示が。

さすが世界的観光都市、表示に従って行くだけで無事にバス乗り場に到着。

ペテルブルクのプールコヴォ空港は国際線と国内線でターミナルが分かれている。

バスもそれぞれの行き先が違うので正しい方に乗らないといけない。

到着していたバスは表示によると国際線ターミナル行きだったのでやり過ごす。

次に来たバスが国内線ターミナル行きっぽかったので乗り込む。

念のために乗客に「ターミナル1?ドメスティック?」と聞くとどうやら大丈夫そう。

21P(≒63円)払ってバスに揺られる。

そういえば観光地や飲食店の値段の割に公共交通機関の値段はだいぶ安い。

その辺りはまだ途上国を感じさせる気がする。

出発の2時間半前という安全な時間帯に空港に到着。

モスクワでもそうだったがペテルブルクでも空港に入るまでのセキュリティチェックがある。

さらにペテルブルクではチェックインカウンターもだいぶ並んでいてなんだかんだと時間がかかる。

海外ではこうした不測の事態を考えても早めの行動をしておくにこしたことはない。

まずはモスクワ行きまでの手続きを済ませ、あとは空港内で時間を潰すだけ。

モスクワの国際空港に比べると古びて地味なペテルブルクの国内線の空港は冷やかせそうな店も殆ど無い。

こんなときに時間を潰す方法は飲むことくらいしか知らない。

空港内の売店でビールを買うも100P(≒300円)と市場価格の倍。

そんなこんなで時間を潰し、行きと同じ心許ない小型機でモスクワへ向かう。

さっさと機内に入ってウトウトしていたら14時発の飛行機が10分前には動き出した。

客が全員乗ったからなのかもしれないが、飛行機で定刻前に出発は珍しい。

行きよりも揺れが少ない安定した飛行で1時間30分後にはモスクワ到着。

無事にココまで来たら残された工程はあと僅か。

JALのカウンターで成田行きのチケットを発券。

帰国便まで2時間ほどなので街へ出るわけにもいかず空港内に留まる。

ただこの空港も数日前にある程度は散策した所。

目新しいところといえば出国手続きを済ませた後の所くらいなので早々に出国手続きへ。

ところがこの出国手続きが大行列。

大勢の人がひしめき合っていて後ろの方は列がどうなっているのかすら分からない。

とりあえず空いていそうな列に並んで順番を待つも列がグチャグチャなので割り込まれたり割り込んでいたり。

窓口によってやたら時間がかかったり、そうでなかったりの差が激しい。

入国なら怪しいヤツを国に入れないために頑張るという点で分かるが、出国ならチャッチャとやってしまえば良いのに。

例えばテロリストだとしたらどこから出国したかというのも国際的な問題になるということなのだろうか。

そんな出国審査を何事も無く終えた後は再度のセキュリティチェックを受けて晴れて自由の身に。

免税店などがある所はどこも混雑。

出国審査を終えたら気軽に時間が潰せる所があるかなと思ったが混みあっていてどこも慌しい。

おまけに空港値段でどこも高い。

結局は売店で缶ビールとポテチを買ってベンチで食べるという寂しい結果に。

出発時間が近付いて成田行きの待合室に行くと当たり前だが日本人だらけ。

モスクワでもペテルブルクでも殆ど日本人は見なかったのに、ロシアのどこにこんなに日本人がいたのだろうと不思議になる。

17時過ぎに成田行きのJAL機内に入るともはやそこは日本。

3人掛けの窓側席に座ったが隣席は空いていて通路側の席には中年女性。

往路でも思ったが、中高年のツアー客が多いようで若者は殆ど見ないロシア旅行だった。

あれ?もしかして私も若者じゃないのかも…

出発を前の機内アナウンスで日本に台風が接近中で所々荒れるかもしれないとの情報。

事前にそうした情報を日本語で伝えてくれるだけで安心感がある。

現地時間の18:25頃に離陸して帰国の途に。

帰りの機内は現地の予習をする必要も無ければ高揚感に胸が躍ることも無い。

結果的に酒を飲むくらいしかすることが無い。

機内食と共にビールを飲みつつ、おかわりもして食後にはウィスキーまで貰う。

日本人のフライトアテンダントはタダ酒のおかわりを頼む酔っ払いにも笑顔で対応してくれて心地良い。

ようやく安心して酔える状況の中、窓の外の雲の上の日没などを眺めながら就寝。

 

 

2011年9月4日 日曜日

時差が進行中の機内では何時に起きたのか把握も出来ない。

そんな状況ながら窓の外は雲海からの夜明けが美しい。

台風が来ているから航路が荒れるかもとの情報だったが一切そんなことは無かった。

モスクワ〜ペテルブルク間の国内線の方がよっぽど揺れて恐かった。

無事に帰国できそうな今となっては台風でウラジオストク辺りで途中降機しても良かったのになんてことを考える。

モスクワ時間3:30、日本時間8:30頃に無事帰国。

機内預け荷物が一切無い利点は入国審査を済ませて即座に税関検査に行けること。

人も少ないのでスムーズ、アッという間に帰国手続き終了。

台風一過なのかそれほど暑くは無いがムシムシするのは相変わらずの日本。

毎度のことだが、無事に帰ってきた安堵感と共に旅が終わってしまった失望感を味わう。

そういえば帰国したら総理大臣が代わっていた。

旅前は前原か海江田かなんて話だったのに、野田っていつの間に出てきたんだ?

旅中に起きた日本の変化という点ではこれまでの旅で1番の出来事だろう。

私の旅中に日本は変わったのか?

私の旅中に私は変わったのか?

 

 

10年ぶりのヨーロッパ圏への旅となった。

旧社会主義国の名残なのか行くまでの手続き(ビザ取得)が面倒だった。

しかしいざ入国してしまうと面倒ごとも無かった。

1度だけペテルブルクの街中で警官に止められてパスポートを提示させられたことがあったくらい。

旧社会主義国の片鱗を感じさせるようなことは何1つ無かった気がする。

もっとも中国でもベトナムでもそんなものは感じなかったし、何が旧社会主義国の片鱗なのかなんて分からないが。

10年前のヨーロッパ周遊旅行のときに訪れたポーランドとチェコでは物価が他の西側諸国より安いというのは感じた。

しかしロシアでは特に物価の安さを感じることも無く、どちらかというと物価の高さを感じた。

ホテルや外食をする分には総じて日本とそう変わらない。

明確に安いと感じられたのは公共交通機関での移動くらいか。

アジアと比べるのは酷だが、アジアの旅に馴染んでしまうと高い。

今後はヨーロッパ圏への旅が増えるだろうからある程度は覚悟しておかないといけないな。

 

 

旅の費用

往復航空券(日本航空・アエロフロート、成田−モスクワ−サンクト・ペテルブルク)
90,000円

航空券関連諸税(空港使用税・保安料・保険料・サーチャージ)
40,820円

モスクワホテル代(イズマイロヴォ・ヴェガホテル3泊4日、日本の代理店経由)
32,400円

サンクト・ペテルブルクホテル代(ドストエフスキーホテル4泊5日、日本の代理店経由)
54,400円

現地両替(全てドルからルーブルへ)
390ドル(≒31,200円)

ビザ取得代行費(日本の代理店経由)
5,250円

代理店手数料
4,200円

海外旅行保険
2,850円


合計261,120円

ある程度の予想はしていたがこれまでの旅の最高額を更新。

過去最高だった10年前の欧州周遊よりも高くなった要因は航空券とホテル代だろう。

いずれにせよ10年ぶりに最高額を更新したことで、次回以降は気が楽になったかな。

 

 

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