我思ふ…
我も思ふぞ!!という方は掲示板までどうぞ、異論反論同論討論大募集。
BACK NUMBER (第1回〜第60回)
第九十二回テーマ 震災対応 (11/04/02土)
未曾有の大災害に見舞われた東北関東大震災。
地震や津波の影響もそうだが、原発の事故が事態を更に深刻にした。
震災が起きるまでは外務大臣の辞任や、自身の外国人献金問題など崩壊寸前だった管内閣。
今回の震災により、そうしたゴタゴタは全て流されて与野党揃って災害対応に当たっている。
現状はこれで良いし、これしか無いだろう。
しかしこの震災対応が少し落ち着いてくると必ず挙がると思われるのが震災対応における内閣や与党の動き。
それがいかにダメだったのかを結果論でここぞとばかりに糾弾するだろう。
早くもネットや中吊り広告で見た週刊誌の見出しなどではその論調が見られた。
殆ど誰もが初めて経験する大災害に遭って完璧な対応など出来るはずが無い。
結果論として良くなかった点は多々出てくるだろう。
当然議論はすべきだが、それを内閣攻撃の材料にするのは間違っている。
自民党なら出来たのか、みんなの党なら、共産党ならなんて誰にも分からない。
アレが悪かったコレが悪かっただけ言い合って、災害の教訓がおざなりにされるような事態だけは起こすべきではない。
第九十一回テーマ オリンピック開催地 (09/11/23月)
2016年夏のオリンピック開催地がブラジルのリオデジャネイロに決定。
東京もかなり大々的に誘致活動をし、注目されていたが落選。
他にシカゴやマドリードのような先進国を代表する主要都市も落選。
東京落選の一因とされている国民の無関心。
最終選考に残った都市の中で東京が最も五輪に対する国民の関心度が低かったとか。
一方、ブラジルのリオは国民の8割を越える支持があったとか。
やはり五輪は歓迎される都市でやった方が良い。
さらに先進国ではなく、これから伸びていく都市で開催した方がその国(都市)のためだとも思う。
五輪が来ることによってその国(都市)は世界中の人を迎える準備をする。
最近の例では北京オリンピック開催にあたり、北京では列に割り込まない・路上にゴミを捨てないなど住民の意識改革を施したとか。
文献でしか知らないが、1964年東京五輪のときも「世界の人に見られて恥ずかしくない街を」と都市整備が行われたとか。
ソウルでは行き過ぎて文化の1つである狗肉を食べさせる店が街から追いやられるというようなこともあったらしいが。
形はどうあれ、国を挙げて世界中の人を受け入れる態勢を整える。
世界から注目され、国民もまた改めて自国を意識する。
発展途上国が1つ上のステップへ進むために、このうえない手段のような気がする。
近代五輪が始まって100年以上経ち、既に一通りの先進国では五輪を開催してきただろう。
これからは先進国よりも発展途上国でこそ五輪を開催するべきではないかと思う。
なんて思ったが次の開催地ロンドンて…
第九十回テーマ いつか来た道 (09/3/29日)
初めての場所へ行く時。
同じ道を通っても帰り道の方が行きの道よりも短く感じる。
有名な話だが、初めての場所へ行く時は脳が道順や景色など様々な情報をインプットしてフル回転している。
しかし帰り道は既に情報がインプットされているので脳があまり働かない。
故に帰り道の方が短く感じられるという。
人生に置き換えても同じことが言えるのではと思う。
ハタチになる時に何人もの人生の先輩に言われた「ハタチ越えたら1年が早いよ」と。
それもそのはず、ハタチへ向かうまでは完全なる行きの道。
見るもの、体験すること、出会う人全てが新鮮であらゆる情報を脳がインプットしようとしている。
ハタチを越えて社会へ出て数年も経ってくると次第に似たような道を歩いていることに気がつく。
あぁこういう状況どっかであったな、あぁこういうタイプの人っているよな等々。
以前に歩いた道だと脳があまり働く必要が無い。
帰り道の論理と同じで時間の流れも短く感じる。
年齢が上がるにつれて歩いた道も増えていく。
起こる状況に対してこれまでの型にはめて脳が簡単に処理する。
となると必然的に1年もアッという間に過ぎ去ってしまう。
30を越えたらますます顕著になっていきそう。
新鮮な情報を脳にインプットさせるために、人生を短く感じさせないために。
これまでの道ではなく、今まで歩いたことが無い道を。
第八十九回テーマ 派遣切り (09/1/11日)
金融危機に端を発したか、世間ではやたらと派遣社員の削減で騒がれている。
派遣先で急に切られて働くところも住む場所も無くなった人達がTVで取り上げられて抗議の声を上げている。
正社員じゃないから切り捨てるのか、住む場所も奪うのか、非人道的だ云々。
でも派遣社員ってそういうものなのでは?
そういう条件で雇われているのではないの?
派遣だからという理由で時間に縛られなかったり責任が無かったりということもあっただろう。
そうしたメリットがあるからこそデメリットもある。
正社員じゃないから切るのは当たり前だろうし、寮に入っていたのなら出るのも当たり前。
あたかも切る側の会社が全面的に悪いみたいな風潮がよく分からない。
言い方は悪いが使い捨てって分かってて派遣社員やってるのでは。
それも分かってなくて将来への貯えもせずにやっていたのなら自業自得。
中には事情により派遣を選ばざるをえなかった人もいるのかもしれないが、全部が全部そうだとはとても思えない。
派遣というぬるま湯につかっていた人達が急に現実を突きつけられて騒いでいるだけに思える。
第八十八回テーマ 小室哲哉逮捕 (08/11/23日)
ホームページ10周年を迎える節目の更新でこんなテーマは書きたくなかった。
しかしこのページを構成する要素の1つにTMがある以上は避けて通れないテーマ。
以前からネット上では諸々の噂があったがまさか本当に逮捕までされるとは思わなかった。
そしてTVや新聞でのあれだけの大騒ぎを見てこんなに大物だったのかと驚きもした。
全盛期には何百億と稼いだであろう人物が、5億円の詐欺で逮捕。
5億は大金だが、「なんでそんなチャチな金額で」と思えてしまうほど全盛期が凄すぎた。
あーぁ、何やってんだかというのが正直な感想。
聖人君子など求めちゃいないが、こんな形での逮捕は残念な限り。
プライベートと曲の良し悪しは関係ないと思いつつも、自分の曲を餌に詐欺を働いたとなると言語道断。
ただ今回の件があったからと言って彼の創った音楽が好きだったという事実は今後も変わらない。
今はそれだけが自分にとっての真実。
第八十七回テーマ 不払い残業代 (08/02/11月)
日本マクドナルドの店長が不払の残業代の支払いを求めての訴訟。
マクドナルドは店長は「管理職」だとして残業代の支払いを拒否。
裁判所はマクドナルド側に残業代の支払いを命じる判決。
マクドナルド側は控訴して今後の裁判が待たれる。
しかしこれを受けてセブンイレブンでは店長に残業代を支給することにしたとか。
他の大手小売店の店長に対しても残業代支払有無が話題になっている。
店長という「管理職」だが、労働法で定める「管理監督者」と認めるかが争点だとか。
6年位前にこのニュースがあれば私の前職の環境も少しは改善されていただろうか。
私も前職を辞したときにそうした行動を起こそうかと考えたことがあった。
ネットで労働問題の相談をしているところに問い合わせてみたり掲示板に書き込んでみたり。
ただ私の前職にはタイムカードが無く、目に見える証拠が無い。
その気になれば従業員の証言や店舗のセキュリティシステム設定時間などを証拠に争うことも出来るらしい。
しかし当然裁判になるし、そのための労力や手段や費用を考えると当時の私には縁遠い話だった。
そこまで必死になって訴訟起こして前の職場と喧嘩するよりも次の仕事を探す方が良いと判断した。
多分そういう理由で行動を起こしていない人は多数いるだろう。
今回のマクドナルドの店長は現職でこれをやってのけた。
似たような働き方を強いられている小売店の店長からしてみれば大英断だっただろう。
ただ未払いの残業代を支払うことになると企業の体力も持つのかどうか。
今も小売店で働いている私の友人から聞いた話。
労働監督署の査察が入ってタイムカードに記載が無かった何ヶ月過分の未払い残業代が一気に入ったことがあるという。
しかし労働監督署の査察が入る企業は「未払い残業代を払っても経営が揺るがない」企業だという噂も。
会社自体が潰れてしまっては元も子もない。
理想と現実。
第八十五回テーマ 美しい国、日本 (07/02/04日)
先日、日本の某有名映画監督が作った新作映画のアメリカでの試写会の様子が流れていた。
その映画は日本の裁判制度を描いた内容。
アメリカの会場では監督が意図したのとは別の部分で大きな笑いが起きたらしい。
上映後の監督のインタビュー。
「世界から見ると笑われてしまうようなことを日本の裁判ではやっている」というような発言をしていた。
だけどそれがその国の文化ってものなのではないか?
例えばアメリカだって煙草吸いすぎて肺がんになったのは煙草会社のせいだ!
ハンバーガー食いすぎて太ったのはファストフードのせいだ!
なんていう馬鹿馬鹿しい裁判が行われている。
イギリスでは裁判官や弁護士が法廷で中世の貴族のようなカツラをかぶっている。
何世紀も前から続いているイギリスの伝統らしいが、子供の頃にTVで見て笑ったのを覚えている。
先の映画監督の発言のように、何でもかんでも自国を卑下する日本の風潮が嫌だ。
少しでも愛国心や日の丸、君が代と言ったら過敏に反応する風潮しかり。
世界でいかに日本人が笑われているか、みたいなジョーク本が最近売れているらしい。
その本に収録されているかは知らないが、有名なジョークを1つ。
「日本のことを褒めたら怒られました。」
「あなたは何人ですか?」
「中国人です。」
「日本のことを褒めたら怒られました。」
「あなたは何人ですか?」
「韓国人です。」
「日本のことを褒めたら怒られました。」
「あなたは何人ですか?」
「日本人です。」
安倍首相、美しい国は遠そうです。
第八十四回テーマ ライブドアショック (06/02/05日)
ライブドアの何とか法違反によって株式市場が大混乱。
社長だった堀江氏も逮捕され、世間は大騒ぎ。
企業を目指す若者の目標だったり、政治家が担いだり、マスコミが時代の寵児ともてはやしたり。
それらが一転してマスコミは一気に堀江叩きを始めた。
大きなハシゴを用意して高い所に登らせて、登ったらハシゴを外すみたいなやり方だ。
法律違反は良くないだろうが、それほど大事でもないような気もする。
マネーゲームなるもので儲けてきた輩とそのオコボレに預かってきた輩が損をしただけ。
結局スケールの大きなギャンブル、全ては自己責任。
堀江氏を擁護する気はないが、彼だけを叩くのは筋違いだ。
第八十三回テーマ 郵政民営化総選挙 (05/09/04日)
参議院で郵政民営化法案が否決され、衆院解散総選挙へ。
参議院の決議の行方がここまで注目されることは近年無かっただろう。
不要論が囁かれ続ける参議院だが、ここでようやく日の目を見ることになったか。
ただ参院で否決されたから衆院解散…というのはいまいちよく分からない面も。
総選挙を行っても参議院議員は変わらないのだから同じことの繰り返しのような気もする。
これでもし自民が総選挙で勝って参院で郵政民営化が可決されたら…
「総選挙で国民の総意が分かったので今回は賛成に投じた。」
…というような言い訳が罷り通るのだろうな。
となると結局は参院不要論…ということになりそうだ。
そこに至った経緯はともかく、久しぶりに話題性もあり分かり易い選挙になりそうだ。
ただ、いつぞやかの都知事選が都市博をやるか否かだけで行われたのを思い出した。
今回も似たようなことになりそうだ。
第八十二回テーマ 福知山線脱線事故 (05/05/15日)
死者100人を越える大惨事。
報道では90秒の遅れを取り戻すためにスピードを出しすぎたための事故だったとの見方が強い。
それで世間的には「90秒の遅れのために…」「人命軽視」「ダイア偏向主義」などという論調が目立った。
人命軽視…はともかく、「90秒の遅れのために」という部分では我々には何も言えないような気がする。
朝の時間帯に電車が90秒遅れたら文句を言い出す人は大勢いるだろう。
(例えに出すべきではないだろうがそれこそ今回亡くなった100人以上の比ではないような気がする。)
全てJR西の責任にされている感があるが、そうした状況を作り出したのは世間なのでは?
世間がそれを求めるからそうなっていった。
市場原理そのままではないか。
それにしてもあの事故があってから急に電車が堂々と遅れだした
…と感じるのは気のせいだよな。
第八十一回テーマ 26歳 (05/03/21月)
2005年3月12日をもって26歳になった。
それによって特段変化があったわけではない。
しかし自分の中で26は1つの節目だと思っている部分がある。
何ゆえに26が1つの節目か。
数年前に読んだ沢木耕太郎の「深夜特急」。
香港からロンドンまで、約1年をかけての旅の記録だ。
私も旅好きの端くれとして非常に興味深く読んだ。
作者がこの旅を実行したのが26〜27歳にかけてのことだった。
そんなこともあって私も何となく26〜27という年齢に少しこだわっていた。
しかし現実問題として何も行動を起こせないでいるし何をして良いのかも判らない。
作者のように旅をしてみたいが、してどうするの?という思いがある。
仕事は順調、ほんの少しではあるが責任ある立場にも立たされている。
このまま続けていくことへの抵抗も無いし今の状態なら続けられるだろう。
ただ、それで良いのか?という問いは自分の中に持っている。
このままそれなりの仕事をそれなりにこなしてそれなりの日々を過ごしていく。
何かあるんじゃないか、何か。
そう思いながら考えながらも気が付けば27なんだろうな…。
第八十回テーマ PCに捧ぐ (04/11/23火)
ホームページ6周年。
今週には先日購入した最新PCが家に届く。
つまり現在のPCで更新するのはこれが最期ということになる。
1999年から5年間以上、お世話になったPC。
私が初めて自分の働いた金で購入したPC。
ホームページが6周年だからこのページは殆どが今のPCで作られたことになる。
現在のTMページに至っては全てがココから生まれた。
これだけ使って1度も壊れたことが無い。
今だって充分現役で動いている。
よく頑張ってくれた。
しかしこれで廃棄するわけでは無い。
これからもまだ働いてもらうつもりだし、その場所もある。
世間一般から見れば化石・骨董と揶揄されるスペックだろうが、まだまだ老け込むには早い。
これからもヨロシク。
本項の節目でもある80回は君に捧げる。
第七十九回テーマ プロ野球スト (04/09/20月)
オリックスと近鉄の合併に端を発したプロ野球史上初のストライキ。
話題作りだけでストなんかやらないんだろ、と思っていたら本当にやったのには感心した。
…と思ったらストは土日だけで祝日や平日は試合する?
なんか中途半端だな。
イマイチよく判らない今回の騒動。
経営難で球団が運営できなくなるならそれは仕方のないことだろう。
で新規参入したい球団があるなら入れてやってもいいじゃないか、と。
ちょうどライブドアと楽天が同時に名乗りをあげているんだからいっそのことその2つとも合併しては?
オリックスと近鉄が合併、楽天とライブドアが合併してパリーグに新球団。
そしてヤフーBBスタジアムで試合した日にゃもう…インターネット万歳。
アレ、何の話だっけ?
第七十八回テーマ ロード・オブ・ザ・リング (04/03/21日)
先日その第3部がアカデミー賞を総なめにした超大作映画。
以前TVでその第1部をやっていたので、どんなモノかなとビデオに録って見た。
ゲームの世界そのまんま…という感じだった。
これはドラゴンクエストか、ファイナルファンタジーか…というような。
平和な村から始まり、魔物が襲来し、仲間が増え、旅をし、仲間が死に、目的地を目指す…
批判とかではなく、あんなシンプルなストーリーの映画がよくヒットしたなぁという感じだ。
そしてここからは批判。
何が気に入らないかというと最初から3部作を予定した作品だということ。
映画なんだから1回でスパッと完結させてほしい。
1の評判が良かったから2を作るというのならまだ許せる。
しかし最初から3部作、ということは全部見なければ完結しない。
3つ合わせて作った1つの作品より、全力で作った1本の作品の方が良い。
100の力を注いだ超大作を33,33,33と3つに分けるより、100の力を注いだ1つの大作を見たい。
スターウォーズ(近年新たに作られた方)やハリー・ポッター、マトリックスもどうもそのやり方が好きになれない。
第七十七回テーマ 高橋尚子落選 (04/03/21日)
日本中が注目したアテネ五輪女子マラソンの出場選手選考。
シドニー金メダリストの高橋尚子が選ばれなかったことに対して世間が盛り上っている。
選考レースで有力候補選手の中で最も悪い成績では選ばれなかったのも仕方ないだろう。
客観的に見ても選ばれる可能性は低かったにも関わらず世間のこの騒ぎよう。
マスコミとしては絵やネタになる高橋尚子が選ばれずにさぞ残念だったろう。
どこを見てもコメンテーターと称する輩は日本陸連の選考基準の曖昧さを批判している。
確かにそれはあるのかもしれないけど、コメントがそればかりであまりにもうるさすぎる。
高橋が出られないという鬱憤を違う方向に持って行っている気がしてならない。
出場枠3人+補欠1人、の補欠にすら入れなかった現実。
陸連の選考基準の曖昧さ以前に、監督も言っていたが本人の単純な力不足だろう。
第七十六回テーマ 水泳競技 (03/07/06日)
先日行なわれた世界水泳で日本勢が大活躍。
水泳だけにそれに水を差すわけではないが、どうも水泳競技には思うところがある。
泳法ではどう考えてもクロールが1番速い。
何故わざわざスピードの劣る平泳ぎやバタフライ、背泳ぎなどが競技として存在するのか。
平泳ぎのフォームが美しい?バタフライのダイナミックな泳法がカッコイイ?
でも競っているのは泳ぎのスピードだ、競泳はスキーのジャンプのように美術点は存在しない。
それならば単純に最も泳ぎの速いクロールだけで1番を決めれば良いではないか。
どうもその辺りが釈然としない。
水泳やっている人、ゴメンナサイ。
第七十五回テーマ 電車内での携帯電話 (03/07/06日)
「携帯電話のご使用は周りのお客様のご迷惑になりますのでご遠慮下さい。」
電車に乗ると何度も聞かされるこのアナウンス。
果たしてこれを守っている人がいるのだろうか。
携帯電話を持っている人の殆どが電車内でも電話がかかってきたら出るだろう。
病院や航空機内では機器に異常をきたす恐れがあるので携帯の電源を切れというのは分かる。
飲食店などはその場の雰囲気を売るという側面もあると思うので携帯の使用を控えさせるのは頷ける。
しかし、国民の半分以上が携帯電話を持っている現代。
それを誰もが利用する公共交通機関の電車内で禁止させるのは限界だろう。
もう携帯電話の電車内使用を解禁してしまえばよい。
携帯の話し声や着信音が迷惑という人も居るだろうが、そうした"迷惑"を言い出したらキリがない。
携帯でなくても大声で話す若者や酔っ払い、ヘッドホンステレオの音漏れ、それらの"迷惑"全て禁止するのか?
携帯から出る電磁波が心臓のペースメーカ等に異常をきたす、という声もある。
それならば例えば車掌の目の届く1番後ろの車両だけは携帯電話完全使用禁止車両にすれば良い。
ペースメーカーを付けている人を差別しているとの声も聞こえてきそうだが、全く意味をなしていない現在の状態よりはマシなのではないか。
最早そういう世の中になっていると思うのだが…
第七十四回テーマ 名前連呼の選挙戦 (03/05/04日)
先日行なわれた統一地方選挙の後半戦。
私が通勤している職場の最寄駅では区議会議員選挙と、
衆院補選が行われることもあって選挙戦が実に騒々しかった。
朝、地下鉄の駅から地上に上がる階段の途中で聞こえてくる選挙演説、イヤ演説とはおこがましい、名前の連呼のみだ。
「区議会議員候補の浜口哲(仮名)、浜口哲です。皆様の声を区政に届けます浜口哲、浜口哲です。どうぞ宜しくお願い致します浜口哲、浜口哲です。」
何を言うにしても必ずその語尾に名前を2度連呼する。
政策なんざ聞こえたもんじゃない、ウルサイし煩わしい…
階段を登ると選挙の応援員の兄ちゃんが、
「おはようございます、浜口哲です。おはようございます、浜口哲です。」頭を下げながら挨拶。
オイオイ、お前は浜口哲じゃないだろう。
私がそこの選挙権を持っていたら絶対に浜口哲には入れないだろうという意味で名前を覚えた。
それほど毎朝名前を連呼していたのだ。
ようやく選挙が終わった月曜日の朝、これで静かになるなと思っていたのにまた聞こえてきた。
「おはようございます、浜口哲です。皆様のおかげでこの度の区議会議員選挙、第2位で当選させていただきました浜口哲です。」
ウンザリだ…。
第七十三回テーマ 戦争はんたーい (03/04/13日)
開戦から3週間あまり、一段落した感もあるイラク戦争。
TVをつけると声高に戦争反対を叫ぶ人々。
それを見ていて1990年にリリースされたある1曲を思い出した。
どっかのボーズが原発はいらねーってよ
どうやらそれが新しい流行りなんだな
明日はいったい何が流行るんだろう
何だか戦争反対も一種の流行りみたいになっているような感じだ。
とりあえずピース!戦争はんたーい、そう言っときゃいいんだろ。
某新聞のTV番組批評欄でライターが、TVに出てとりあえず戦争反対を唱えるコメンテーターを批判していた。
彼らは戦争反対を唱えていればとりあえずそれで番組に出て稼げるのだ…みたいなことを書いていた。
だけどそれを書いているライターのあんたも彼らを批判して稼いでるわけだ。
どっちもどっち…あっ、コレもか(稼いじゃいないけど)。
第七十ニ回テーマ リミッター設置 (03/02/23日)
トラックなどの大型車の高速道路での法定速度は80km。
大型車に90km以上出せなくする為のリミッター設置を義務付ける法律が施行されることになるらしい。
(危機回避の場合を想定して法定速度の80kmではなく90kmのリミッターらしい)
それによって渋滞が多くなる。
運転手が時間に間に合わせる為に休憩を取らずに運転して事故が増える。
などの声が上がり、一部では反対の動きもみられる。
その一方で、交通事故を起こす大型車の多くが法定速度を越えて走っていること。
また速度を規制することによって排気ガスを抑えることが出来ること。
等という点などから、法律施行に至ったらしい。
それ自体は歓迎すべきことだと思うのだが、何故に大型車だけなのだろうという疑問が湧いた。
現在の日本ではどこの高速道路も一般乗用車の法定速度は100kmである。
法的にはどんな車であれ公道では100km以上で走ってはいけないことになっているのだ。
それならば全ての車に100kmチョイのリミッターを付けさせれば良いではないか。
車のCMなどを見ると"○●エンジン搭載"や"走りを楽しむための云々"などの宣伝文句を使っている。
でも日本の法定速度は100km、本来はそれ以上出してはいけないのだ。
それなのに何故簡単にそれ以上を出せる車がポンポン発売されているのか。
その辺り、メーカーを規制する方が先のような気がする。
居酒屋に大きな駐車場がある、中学や高校の目の前に酒やタバコの自販機があるのと似たようなものだろう。
でも全車に100kmチョイのリミッターがついたら遅くてイライラしそうだな。
第七十一回テーマ 携帯電話の必要性 (02/11/28木)
先日友人と飲んでいた席で友人の携帯電話に仕事の電話がかかってきていた。
私が前職で働いていた時も休みでも容赦なく携帯に仕事の電話はかかってきていた。
今やなくてはならない物になっている携帯電話。
それでは今から10数年前、ここまで爆発的に携帯電話が普及していなかった頃はどうしていたのだろう。
自宅に電話をかけて繋がらなければそれで諦めるしかない。
しかしそれで良かったはずだ、繋がらないなら仕方ないで済んだはずだ。
思うに携帯電話を使ってまで連絡をしなければならない火急の用など世の中にそうはないだろう。
あるいは大した用でもないのに、携帯電話があるから連絡をとってしまうということもあるだろう。
先日の飲みの席で私の友人にかかってきた電話も翌日の出勤時間の確認だった。
私が在職中にかかってくる電話も今どうしても伝えなければならない事由などは殆どなかった。
携帯電話があることによって些細なことでも連絡を取らなければいけないような世の中。
何か問題が起こっても自ら解決しようとせずに、携帯で連絡をとって指示を仰ぐ。
携帯電話の急速な普及が自分で考えること、解決しようとすることを無くさせてはいないだろうか。
第七十回テーマ 24年ぶりの帰国 (02/10/17木)
北朝鮮に拉致されていた被害者5人が24年ぶりに日本に一時帰国ではあるが帰ってきた。
本人や家族らの嬉しそうな表情を見ていると他人事ながら良かったなと思う。
それでもテレビを見る度に嫌になることが1つ。
報道があまりにもいき過ぎている。
"24年ぶりに故郷に…"と大々的にどこのテレビ局でも報じている。
帰国した5人の実家の中にまでもテレビカメラが入り、"家族水入らず"などを取材している。
散々そうしたシーンを放送しておいて「ゆっくりと過ごして欲しいですね」などとコメントする連中。
オイオイ、お前らがいたらゆっくり過ごせないだろ…
1〜2週間あまり滞在するらしいが、"○●さん、今日の1日"なんてことを毎日に渡って放送するなよ。
そうしたものを見たいと思う視聴者の問題もあるのかもしれないが、あまりにもいき過ぎている。
今回の場合は特に問題が問題なだけに余計にそっとしておいてやれば良いのにと思う。
第六十九回テーマ 日朝首脳会談の結果を受け (02/9/18水)
「拉致事件の進展がなければ国交正常化交渉の再開はありえない。」
そう言って小泉首相は日本を発った、そして歴史的な日朝首脳会談。
北朝鮮から拉致事件被害者全員の安否とそれに対する謝罪があった。
8人死亡、5人(4人?)生存、1人不明。
これが拉致事件被害者家族が長年知りたがっていた"真実"。
時として真実を知らない方が幸せなこともあると思うが、今回のそれはどうだったのだろう。
残酷な結果が明るみに出て何故国交正常化交渉再開を決断したのか。
小泉首相には当然大きな反発が予想される。
しかし死因等に不透明な部分があるとはいえ、拉致事件被害者全員の安否は示された。
さらに納得の行く形ではないにしろ相手は謝罪までもしている。
これを拉致事件の進展と言わずして何と言おう。
あの場であれ以上何が出来たのだろうか。
正常化"交渉"の再開なのだ、あのまま首相が席を立っていたら交渉の場すら今後なくなってしまう。
今後のことはその交渉の中で進めて行くと判断する以外に選択肢はなかっただろう。
重要なのは今後の交渉の行方だ。
最後に、責任逃れとも取れる金正日の謝罪発言に皮肉を込めて…
「軍部の一部が妄動主義、英雄主義に走ってこうなった。責任ある人は処罰された。遺憾なことを率直にお詫びしたい。軍部が自発的にやったことで過去の遺物としたい。」
そっくりそのまま返したら向こうはどういう反応をするのだろう。
第六十八回テーマ 就職と無職 (02/8/27火)
暑い日の朝、家にいても暇なので特に用はなかったのだが街へ出かけた。
Tシャツ短パンでもかなり暑いなかチャリをこぐ。
スーツを着込んで暑そうに歩いている同年代と思われる若者とすれ違った。
ふと思う、就職というのはああいうモノなのか…。
大学時代のアルバイト先だった店の前を通った。
開店前の店先では私がアルバイトを始めた当初からいる社員が1人で開店準備をしていた。
Yシャツにネクタイという暑そうな格好で、私がバイトを始めた5年半前と変わらず開店準備をしていた。
その姿を見て妙に切なくなり、そこそこ仲が良かった社員だったが声をかけられなかった。
また思う、就職というのはああいうモノなのか…。
暑さがピークになる前に家に帰り、クーラーを効かせた部屋で読書と昼寝。
無職とはこういうモノか…。
舐めた、甘えた、都合の良い考えなのは百も承知、それでも思ってしまった。
どちらも何か違う。
第六十七回テーマ ワールドカップ (02/7/1月)
全世界の注目度ではオリンピックをも越えると言われるサッカーの祭典、ワールドカップ。
5月31日から6月30日までの1ヶ月間、まさに世間はサッカー1色だったという感じだ。
自国開催ということもあるが、その盛り上がりはやはりオリンピック以上だったように思う。
オリンピックで日本人が金メダルを取っても誰かが道頓堀に飛び込んだというのは聞かないし…
巨人が優勝しても渋谷や新宿で大騒ぎにはならないし(阪神が優勝したら大阪は凄そうだが)…
ここまでの大盛況はやはりワールドカップだからこそではないか。
競技人口世界一と言われるサッカーで、誰もが一応のルールを知っている。
個人競技ではなく、団体競技。
五輪は個人競技の側面が強いがワールドカップは完全な団体競技。
1人のスーパースターがいてもチームプレーなしでは勝てない。
皆で力を合わせる、この"皆"という部分にサポーターも心理的に加わることにより応援に力が入る。
サッカーのレベルだけを見るのなら、欧州のクラブチームの試合が世界最高峰のレベルを誇ると言われる。
単純にサッカーを楽しむのならワールドカップよりも遙にレベルの高いプレーを見せてくれるだろう。
ワールドカップは国対国で争われる。
ワールドカップがここまでの盛り上がりを見せるのは国対国というのが最も大きな要素だ。
そこには国民の期待を背負うということや国の威信にかけて戦うというプレーのレベル以上の何かがある。
未曾有の経済危機にさらされているアルゼンチン、
アルゼンチンの選手は自分たちが頑張る事で国民を元気付けたいという思いがあったという(残念な結果になってしまったが…)。
某ホームページでワールドカップは高校野球に似た部分があると書いてあったが、なるほど頷けた。
プレーのレベルはプロに劣るが、学校や地元の期待を背負って闘う彼らにプレー以上の何かを見出し、感動を覚える。
そこが特別サッカーを好きではない一般大衆をも惹きつける部分ではないだろうか。
この1ヶ月の日本はサッカー人気というよりは、ワールドカップブームといった方が正解だろう。
自国開催ではない4年後のドイツ大会、果たしてどうなることやら。
そして今後日本でワールドカップが開催される日が来るかどうか。
第六十六回テーマ ワールドカップで韓国を応援したくなかった理由 (02/7/1月)
21世紀初、初のアジアでの開催、初の2カ国共催となった2002FIFAワールドカップKoreaJpan。
日本が初出場した前回フランス大会で日本は3戦3敗という成績。
それが今回大会で日本は4戦2勝1敗1分、予選グループ首位突破で決勝トーナメント進出。
決勝トーナメント初戦で惜敗するも素晴らしい成績を収めてくれた。
しかしそれ以上に素晴らしい成績を収めたのが韓国だ。
過去5回もワールドカップに出場しながら引き分けこそあれ、1勝もできていなかった韓国。
その韓国が予選を首位で突破し、決勝トーナメントでもイタリア・スペインを破って見事ベスト4まで勝ち進んだ。
予選でポルトガル、決勝トーナメントでイタリア・スペインと欧州の強豪を破っての快進撃。
アジア勢としては初のベスト4進出の快挙を成し遂げた。
日本のマスコミはしきりに共催のパートナーである韓国を応援するように煽っているように思えた。
ところが私はどうしても素直に韓国を応援する気にはなれなかった。
別に韓国が嫌いなわけではない、韓国でぼったくられたことを根に持っているわけではない(笑)。
日本単独開催の予定だった2002年のワールドカップを、
FIFA副会長の韓国人がFIFA内部での強力な政治力を背景に強引に日韓共催にした。
大会の名称もKoreaJapanと韓国を先に明記。
しかもそれが日本では「日韓共催」と印字・報道されているのが気に入らないらしく、
KoreaJapanだから韓日共催だとまで口を出す。
そこまで強引に開催権を半分奪っておきながら韓国戦以外の試合のチケットは殆ど余っていた。
日本では全ての試合のチケットが前売り段階で完売していたのにも関わらず、だ。
そんな日韓共催のワールドカップで素直に韓国を応援するコトは出来なかった。
マスコミが韓国のそういう負の部分をあまり報道せず、単純に日韓友好を謳っているのも気に入らなかった。
別に韓国チームが悪いわけでも一般大多数の韓国人が悪いわけではないとは判っているのだが…。
勿論、日本が早々と敗退した決勝トーナメントで勝ち上がり大盛り上がりを見せる韓国に対して羨ましく、なんだか素直に応援できないというのもある。
韓国の試合でかなり韓国に有利なように見える誤審が目立ったので何か勘ぐってしまい素直に応援できないというのもある。
色々な要素が絡み合ってどうにも韓国を応援する気にはなれなかった。
これが例えばヨーロッパのどこかで開催のワールドカップなら少しは違ったかもしれない。
日韓共催でなければ少しは違ったかもしれない。
第六十五回テーマ テレビの中の戦争 (01/10/10水)
世界を揺るがしたアメリカでの同時多発テロ事件。
報復としてアメリカを中心とした軍が、首謀者の引渡しに応じなかったアフガニスタンに対して空爆を行なった。
"アメリカ、アフガニスタンに対して空爆を開始"
このニュースは速報として流れて、「現在のアフガニスタンの模様」といった映像が流れた。
闇夜にいくつかの閃光が飛び交う。
そういえば湾岸戦争の時も「戦争が始まった」という映像は似たようなものだった。
学校の授業などで見た戦争の映像は第1,2次世界大戦や太平洋戦争、ベトナム戦争が記憶に残っている。
あれらの戦争の映像は歴史の中のものであるのにリアリティがあった。
それは実際に兵士の姿が、生身の人間の姿が映っていたからだと思う。
生身の人間が銃を撃っている映像、ボロボロになっている映像。
ところが今現実に行なわれている戦争の映像を見ても殆どリアリティがない。
暗い中で何か光っているなという程度の映像だ。
あの閃光の下で起こっている事態は映像を通して伝わってこないのだ。
今テレビを見ている子供達は戦争に対して「夜空がピカピカ光っている」程度の印象しか持たないのだろうか。
だとしたらそれは凄く恐いことではないだろうか。
TV局はアメリカ同時テロ事件で飛行機が貿易センタービルに突っ込む瞬間の映像を流すのを自粛した。
子供への心的悪影響を懸念してのことらしい。
今回の戦争での映像もそういう理由で放送が自粛されてしまうのだろうか。
無責任な言い方かもしれないが、多少はリアリティ溢れる「これが戦争だ」という映像を流しても良いと思う。
夜空が光っているあの下ではこういうことが行なわれているのだということを知らしめる為にも。
子供にとって悪影響なのかもしれないが、本当の戦争を知らない事の方がよほど悪影響に思う。
そういう自分も「本当の戦争」なんて知っちゃいないんだけど…。
第六十四回テーマ やっぱ変だよ、選挙 (01/8/2木)
小泉旋風なる風が吹いた7月29日の参議院議員選挙。
私が大学を卒業して時事ネタにあまり触れる機会がなくなったらにわかに政治が面白そうでやがる。
今回は選挙の結果よりも選挙戦について書きたい。
ちょうど選挙戦の真っ最中に仙台駅前に行く機会があった。
仕事の一環で大きな通りに面した所にずっと立っていた。
もう何度も何度も選挙の街宣車が通る。
「●□▼でございます、ありがとうございます。」
「▲×○はやります、ご期待下さい。」
「日本を変えるのは○◆!頑張ります○◆!やります○◆!」
騒々しいこと極まりない、大声でマイクで名前を連呼して回ることが選挙戦なのだろうか。
あんなもん街宣車ではなく害宣車だ。
例えば街頭で立って演説をするというのならまだ許せる。
ただ車で走りまわるのは騒音を撒き散らしているとしか思えない。
自分から考えてみるとマイナスイメージの何者でもないのだが…
その時に害宣車で名前を連呼していたヤツらにだけは絶対に投票すまいと思ったし。
韓国かどこかで市民団体が選挙で落選させたい候補の選挙をやっていたというニュースを見た。
あれ、日本でもやってくれないかな。
害宣車で走りまわる奴らや、知名度だけのタレント議員に投票してやりたい。
でもそれだと一票だけじゃ足りないな。
第六十三回テーマ これが全てか… (01/7/16月)
新入社員として社会に出て3ヶ月強。
仕事にも慣れ、仕事をしていてそれなりの楽しみもある。
だけど何かが違う。
よし、仕事頑張るぞ、と思えない。
勿論そう思うときもあるが、その気持ちを持続させるのが難しい。
仕事内容に対してはこれといってイヤな所があるわけではない。
例えば大学生時代に今の仕事をアルバイトでやっていたら楽しかっただろう。
でもそれは恐らくアルバイトだから楽しいのだと思う。
大学生の自分がいて、アルバイトをしている自分がいる。
だからこそ楽しいのだと思う。
もしも大学時代にやっていたアルバイト先に就職しても今と同じことを感じていただろう。
学生の自分がいるからアルバイトが楽しかった。
アルバイトをしている自分がいるから学校が楽しかった。
巧い相乗効果になっていたのではないかと思う。
でも今は仕事だけ。
親元を離れ、友人もいない地で1人暮し。
することといったら仕事だけ、朝から晩まで仕事だけ。
休みは週に1日だけ、自分の時間が殆どない。
休日は1週間分の疲れを取るのと次の休みまでの体力温存だけに費やされる。
今の自分は仕事だけだ、やりたいことはどこへ行った?
これが仕事か、これが会社か、これが社会か、これが全てか…
第六十ニ回テーマ 卒論がはかどらなかった理由 (00/12/19火)
ようやく提出することができた卒業論文。
しかしどうにもはかどらなかった、なかなかやる気が起きなかった。
それは何故なのかを自分なりに考えてみた。
そこで辿りついた1つの仮説。
卒業論文、これを書き上げてしまうと大学生活の終わりが殆ど見えてしまう。
卒論を提出して通ったら卒業しなければならない。
学生生活の終わり、それは非常に寂しい。
卒論を書いているときがもっとも大学生らしいのかもしれない。
大学生をもっとも実感できる瞬間なのかもしれない。
終えてしまえばそれまで、残りの学生生活は残業みたいなものだ。
もっと学生でいたいと思う気持ちが卒論の進行を妨げていたのかもしれない。
第六十一回テーマ アメリカ大統領選挙 (00/12/03日)
選挙前から接戦が報じられ事実これまでにない接戦となった米大統領選挙。
11月7日の投票日から1ヶ月近くが経つというのに未だ決着しない。
何やらフロリダ州の一部の開票作業がどうだとか、投票用紙がどうだとか…。
驚いたのが大統領選挙の投票率。
投票日翌日くらいの新聞に掲載されていた。
非公式の集計ながら投票率は50%強しかないという。
端から見ていると、各候補者の言動に大騒ぎしてさぞかし大変な盛り上がりのように見える。
しかし国民の50%弱は投票していないのだ。
現在のアメリカは好景気だから大統領が誰でも良いという楽観論だろうか。
しかしその数字を見ると日本の総選挙の投票率なんか良い方だ。
ゴア氏はフロリダの一部での再集計作業がないままでは民主主義がダメになる、みたいなことを言っている。
しかし民主主義というのなら、国民の半数弱は既にどうでも良いと思っている。
投票にすら行っていないのだから。
さて、結果はどうなりますか。