新日本のリング上での全日本プロレス
2000年10月9日 新日本プロレス東京ドーム大会観戦記

 

プロレスファンの誰もが1度は夢見たであろう構図。全日本プロレスと新日本プロレスの対抗戦。アントニオ猪木が創った新日本プロレス、ジャイアント馬場が創った全日本プロレス。プロレス界の2大メジャー団体と呼ばれ、常に比較され続けてきた。その対抗戦が遂に行なわれた。全日本プロレスの選手大量離脱というきっかけを経て…。

2000年10月9日、新日本プロレス東京ドーム大会メインイベントのリングに上がったのは全日本プロレス川田利明と新日本プロレス佐々木健介。両団体のトップ同士の対決だ。試合は意地の張り合い、投げ技は殆どなく、パンチ、チョップ、張り手、キック、ラリアートの打撃戦。やられたらやり返す、お互いに1歩も引かない打撃戦だった。試合を観ていて思った、全日本っぽいと。全日本の四天王プロレスと言われた三沢、川田、小橋、田上らの試合展開を彷彿とさせる内容だった。試合前、川田はインタビューでこう言っていた「新日本のリングを全日本の色に染めてみせます。」と。まさにその言葉通りになったように思えた。新日本のリング上で行なわれていたのは全日本のプロレスだった。

全日本のプロレス。それは簡単に説明できるほど単純ではないが、強いて言うなれば受けのプロレスである。お互いに相手の技を受けるだけ受けて勝つ。鶴田や天龍の世代が形成し、四天王(三沢、川田、小橋、田上)で完成されたスタイルと言える。プロレスにしかない受けの醍醐味をフルに活かしたプロレスである。

結果は川田のカウンターでのジャンピングハイキックが側頭部にヒット。倒れこんだままフォールして3カウント。3カウント後もしばらく起きあがれない両雄。全日本プロレスの三冠戦(タイトルマッチ)の試合後によく見られた光景だ。川田は敵地新日本のリングで全日本の試合をやって勝った。それと同時に全てNOAH(三沢を始めとする全日本の主力選手が大量離脱して設立した団体)へ移ってしまったかと思われた全日本のスタイルというものが確実に川田の中にも残っていて、新日本のリング上で新日本の選手を相手に全日本のスタイルで闘い、勝ったということが大きい。そしてそれが当時の全日本プロレスを観てきた私にとって何よりも嬉しかった。

(2000/10/14)

 

 

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