ニューヨーク旅行
2010年2月26日〜3月3日

私の旅歴に無い世界一の超大国。
旅をしたことは無いが、在住したことがある。
20年以上前、親の仕事の関係で幼少の一時期を過ごした。
僅かに記憶に残る地へ、いつか再訪してみたかった。

 

序章

20代最後の旅で慌しくインドへ。

30代最初の旅は落ち着いてネパールへ。

旅歴が一区切りついた気がして、次に行く地を模索していた。

そこで思いついたのがアメリカ本土。

アメリカ本土は私にとって特別な地。

あまり記憶には残っていないが幼少期には在住していた地。

特別な場所だけにこれまで旅の候補としても挙げていなかった。

いつかは行こうと思っていたアメリカ本土。

30を越えた今、今こそがその時かも知れない。

いつものように一人旅を画策していて思った、両親と一緒に行けないだろうか。

そういえば以前に両親がいつかは昔住んでいた所を再訪したいと話していた。

考えてみればアメリカに対する思い入れは私なんかより遥かにあるはずだ。

職場で親孝行として両親と一緒に旅行した、という人の話を聞いていたのもきっかけの1つ。

今回の旅行には両親を誘ってみることにした。

両親も誘うのだから弟にも声をかけてみた。

繁忙な日々を送っているらしい弟が一緒に行けるとは思っていなかった。

しかし休みを調整してなんとか行けるようにするという。

思いがけないところから家族旅行の様相を呈してきた。

定年を迎えて隠居している父はともかく、母と弟は現役社会人。

全員揃って同じ時期にまとまった休みが取れたのも旅行を後押ししている。

何年振りかも分からない家族旅行。

もしかしたら最初で最後になるかもしれない海外家族旅行。

そしてその舞台が我々家族の歴史に重要な1ページを刻んでいるアメリカへの旅行。

20数年前は両親に連れられて来たアメリカへ…今度は私が連れて行こう。

さぁ、舞台は整った。

ニューヨークへ行きたいかぁー!

 

準備

家族全員がニューヨークへ行けることが分かったので旅のプランを検討する。

私が一人旅をするとき、これをパッケージツアーで組めれば安上がりになるだろうなと常々思っていた。

宣伝等で見かけるパッケージツアーの料金は2人1組の場合の1人分の料金が載っている。

あれに1人で参加すると1人追加料金とやらで数万円も上乗せされて結局お得にならない。

2人1組ならパッケージツアーを使えばお得に行けることが多い。

そこでこれまでの私の一人旅では検討対象にすら入らなかったパッケージツアーからまずは探してみる。

とはいえ旗持ったガイドさんについていくようなガチガチなパッケージツアーは好きではない。

よって、航空券とホテルだけのフリーツアー(スケルトンツアーとも呼ぶ)を探してみた。

今回は両親と兄弟で休める日程が変わってくる。

バリバリ現役世代の私と弟は1週間休むのは厳しいので4日の休みと土日を組み合わせた6日間。

隠居の父とそれなりに休みが取れる母は8日間まで休めるという。

両親は可能な限り長く現地にいたいというので家族全員が同じプランというわけにはいかない。

そこで滞在期間は違うが航空券とホテルは一緒になるようなツアーを探してみる。

ところが安いツアーだとホテルや航空券が確約されていない場合が多い。

代理店に問い合わせると可能な限り同じになるようにはするが、別ツアーになるので保証は出来ないとか。

それなら航空券とホテルを別途個人手配にした方が選択範囲も広がって良い。

ツアーは早々に見切りをつけて航空券とホテルを予約という従来のスタイルで行くことにした。

まずは航空券を探す。

ニューヨーク便は本数が多いのだろう、ネパールやインドへ行くよりも遥かに安い金額で直行便が沢山ある。

その中でも最安値だったのはコンチネンタル航空。

しかしコンチネンタル航空には苦い思い出がある。

数年前にグアムへ行った社員旅行がコンチネンタル・ミクロネシア航空。

その機内ではアルコールが有料でビール1本5ドルを取られた。

同じコンチネンタル系列だから今回もそうなのかとネットで調べたら案の定アルコール類の提供は有料とのことだった。

海外へ向かう飛行機内での数少ない楽しみの1つが非日常空間で飲むビール。

それが有料になってしまうというのは大きな痛手。

出来れば他の航空会社をと思って探してみるが最安の航空券は殆どコンチネンタル航空。

他の航空会社を指定するとそれだけで1万円以上もの開きがある。

さすがに12時間程度のフライトの機内で1万円分ものビールを飲むことは無いだろう。

機内でのビールは有料で我慢することにして航空券を購入。

調べてみるとアメリカ系の航空会社は他にも機内アルコールは有料の所がある。

アルコールを飲まない人には無駄なサービスではあるし、コスト削減と考えれば仕方ないことなのか。

航空券を購入すると次はホテル。

基本的に旅行中のホテルは殆ど寝るためだけに使うことが多い。

しかし今回は記念となる家族旅行でもあるし、それなりに良いホテルにしようと思っていた。

1人旅だと部屋代を全額払う必要があるが、2人1部屋だと1人の負担額は半分になる。

いつもより大胆な値段設定にしてネットで検索。

さすがにニューヨーク、さすがにマンハッタン。

ホテルの量も多いし、各種旅行サイトに掲載されているホテルへの口コミ評価も多い。

様々な口コミ評価を見ていて思うのは完璧なホテルなんて存在しないということ。

どんなに高評価が多くても1人がネガティブな評価を書いているとそれが際立ってしまう。

ネガティブな意見に左右されていたら決められなくなってしまう。

極力そうした意見が少ないホテルをピックアップして候補を絞る。

そしてホテルの予約サイトを色々回って値段を比較。

すると期間限定ながら有名な高級ホテルチェーンで連泊をすると宿泊料金が大幅割引になるキャンペーンをやっていた。

有名な高級ホテルチェーンなのでそれでも価格は高いが、通常料金や同等クラスのホテルと比べれば安くなる。

最終的に決断したのはやはり記念となる家族旅行だし、という思い。

これまで私が泊まったホテルの中では最もランクが高いであろうホテルへの連泊を決意した。

航空券とホテルが決まったら最後に残ったのが以前住んでいた地への旅行手配。

旅行手配とはいえ行く場所は観光地でもなんでもない住宅地。

そこへ行く足さえあれば後は我々家族にしか分からない記憶のスポットが沢山あるだろう。

20数年前に住んでいたのはニューヨークの隣州であるニュージャージー。

車で数十分程度の距離だが、安全確実に行くために現地で車を1台チャーターすることにした。

世界有数の大都市だけあってネットで調べるといくつもの旅行代理店で車のチャーターをやっている。

観光地を回るわけではないので、詳細を見積もりしてもらって対応の良かった現地代理店にお願いすることにした。

航空券とホテルと現地ツアー、最低限の準備が整った。

これまでに無い海外旅行、これまでに無い家族旅行。

家族にとっても私にとっても節目となる旅行になりそうだ。

 

以下、ニューヨークの表記はNY。

 

2010年2月26日 金曜日

飛行機は17:45発予定なのでゆっくりと旅支度が出来る。

最近行った海外は暑い所ばかり。

今回は久しぶりに寒い時期に寒い所へ行くことになる。

しかもNYの緯度は青森と同じというので、より寒い所へ行くことになる。

寒い所へ行くと衣類の量が多くなるので必然的に荷物がかさばる。

衣類圧縮袋をフル活用してどうにかいつものバックパック1つに収める。

ドルは現地より日本で両替した方が良いとの情報だったので地元の銀行で済ませておく。

1ドル92.20円は最近では割と良いレートな気がする(以降、1ドル≒92円で計算)。

昼の12時過ぎに地元から成田へ向かうバス停で家族と合流。

両親も弟もハードスーツケース、私だけバックパック。

同じ国に行くとは思えない荷物の差。

バスで2時間ほどかけて成田空港に到着。

事前にネットでチェックインはしておいたので、発券と機内預け荷物の手続きをして準備完了。

両親は何かあったときのためにと携帯電話を海外で使えるようにdocomoの窓口で手続きをしていた。

弟の携帯電話はデフォルトで海外で使えるものらしい。

海外で使えるように携帯の設定をアレコレしている両親と弟。

私の携帯電話は5年前に発売されたモデル、当然海外では使えない。

海外に行ってまで携帯使わなくてもなー、と海外で使えない携帯を持つ者の僻みの視線。

成田空港内のレストランでビールを飲みつつ時間を潰して搭乗開始を待つ。

これから出発という高揚感の中で飲むビールは最高に美味しい。

17時過ぎに搭乗開始。

ネットチェックインは父にお願いしておいたのだが、その時点でかなりの席が埋まっていたらしい。

家族4人が一列になることは出来ず、3人+1人という配置に。

3人は3人がけの席に横一列になれるが、1人はその後ろの3人がけの真ん中の席だという。

それならば旅慣れていると自負する私が1人で席に座ることに。

3人がけの真ん中の席なのでサイドがどちらかいないだけで良い席に早変わり、と淡い期待。

しかし席に向かうと両隣には既に巨大な白人と黒人が。

体格的にも席の配置的にも肩身が狭い。

適当な席が空いたら場所変わろうかとも思ったが機内はほぼ満席。

まぁそれでも大概の飛行機の席には慣れているつもりだと自負する私。

トルコへ行くときはギャーギャー泣き喚く赤ちゃんの間近の席だったこともあるし。

インドへ行くときは隣にデブのインド人が座って窮屈だったこともあるし。

これくらいの席なら許容範囲内だ。

ほぼ定刻(17:45)に出発した飛行機、これから12時間ほどのフライト。

両親によると20数年前は燃料給油のためにアラスカを経由していたという。

技術の進歩か、NYへも直行で行けるようになったようだ。

機内は1人1台のTVモニター付きで映画や音楽も充実していて設備は良い。

これでアルコールが無料だったら文句は無いのだが、先述の通りコンチネンタル航空は有料。

最初のドリンクサービスで父がワインを飲むからどうだ?というのでありがたく頂く。

1人用の小さいボトルに入った赤ワイン(5ドル≒460円)。

ボトルが瓶ではなくペットボトルだったのはハイジャック防止だろうか。

と、思ったら機内食のナイフとフォークは金属製だった…よく分からんな。

機内食以外ではTVモニターで映画を見るか音楽を聴くか。

映画は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を眺める。

若かりし頃に好きで良く見た映画だったし、この映画が公開された年(1985年)はまさに私がアメリカにいた年。

これから20数年ぶりにアメリカの地を訪れる前に見るに相応しい映画だと思った。

20年以上経っても色褪せない映画。

タイムスリップモノならではの細かな伏線が色々と張られていることに改めて感心する。

他にもこれぞアメリカ、ともいうべきマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」も眺める。

マイケル・ジャクソンに対しての思い入れは殆ど無かったが、これ見るとなるほどカッコイイなと思えてしまうミーハーな自分。

機内食は2回と軽食・スナックが1回、12時間ほどのフライトでニューアーク国際空港に到着。

日本時間2月27日(土)6:10、NY時間2月26日(金)16:10。

日本とNYの時差は冬だと−14時間(サマータイムを導入しているので夏だと−13時間)。

日本を18時前に出発した飛行機が12時間飛び続けて同じ日の16時すぎにNYに到着する時差の不思議。

同時多発テロ以来、世界一厳しいとも言われているアメリカの入国審査。

家族別々に入国審査の列に並んでいたが、税関申告書は家族で1枚とのことで全員一緒に入国審査。

2手10指全ての指紋を登録し、デジカメで顔写真も撮られる。

入国審査でそこまでされるのは初めてだったけど、それだけで何を質問もされることも無かった。

典型的観光客に見えるであろう家族4人が揃っていたから危険性無しと判断されたのだろうか。

税関でも2,3質問されたのを適当に相槌打って終了。

拍子抜けするくらいすんなりとアメリカに入国できてしまった。

無事に入国したところでニューアーク国際空港からマンハッタンのミッドタウンへの足を確保しなければいけない。

外は曇っていて前日まで降っていたらしい雪がそれなりに積もっている。

4人で荷物も多いし素直にタクシーを使った方が良いと思った。

しかしタクシーだと荷物1つにつき何ドルかの追加料金を取られるらしく父が難色。

私はそれでも安全確実にタクシーが良い気がしたが、家族旅行なので家長である父の方針に従うことに。

最も安くマンハッタンに行く手段である電車を使うことにして空港の駅を探す。

旅慣れ度合いでは私も負ける気はしなかったが、ことアメリカに関しては父の経験が勝るだろう。

こういう場合に司令塔が2人いると混乱を招くと判断。

敢えて私はあまり調べずに素直に父に丸投げでお任せした。

所々で空港の係員に話を聞きながらマンハッタンへ向かうNJトランジットという電車の駅へ。
(ニューアーク国際空港はNYではなく隣のニュージャージー州にある)

無料のエアトレインを経由してNJトランジットに乗り、NYのペンシルバニア駅へ向かう。

NJトランジットに乗って30分ほどでペンシルバニア駅(NY-PENステーション)に到着。

泊まるホテルはNYの中心地マンハッタンの中心地ミッドタウンの中心地タイムズスクエアにある。

ペンシルバニア駅からはタイムズスクエアの駅までは地下鉄で1駅。

歩けない距離ではないが、大荷物を持っているので1駅だけど地下鉄を使うことにした。

駅は前日まで降っていたという雪のせいもあってジメジメしているし汚くて暗い。

最初に外国に着いて空港以外の場所に辿り着いたときに味わう一種の緊張感はNYでも変わらない。

僅かに残っている記憶では落書きだらけだった気がしたNYの地下鉄だが普通の電車になっていた。

初乗り2.25ドル(≒207円)、NYの地下鉄は一律料金なので1駅だけで降りるのは勿体無い感じ。

地下鉄を降りて地上に出ると圧倒的な量のネオンサインが視界に飛び込んでくる。

いきなりNYに来たー!!というのを見せ付けられてしばし呆然。

泊まるホテルは大晦日のカウントダウンで有名なタイムズスクエアの目の前にあるらしい。

父が歩いている人にタイムズスクエアはどこかと聞いたらタイムズスクエアはココだと言われたらしい。

考えてみれば地下鉄のタイムズスクエア駅の出入口でタイムズスクエアはどこですかと聞くのも妙な話だ。

こっちだろうと見当をつけて歩き出すとすぐにお馴染みのタイムズスクエアに出た。

当たり前だがタイムズスクエアはココだったわけだ。

四方八方がネオンの洪水、まさにこれがNYという光景。

世界一有名な交差点
雪の残るタイムズスクエア

泊まるホテルはタイムズスクエアのど真ん中。

本当にど真ん中というロケーションで、どのネットの口コミ情報にも立地は抜群と書かれていたのに納得。

NY屈指の大型ホテルではあるが歴史もそれなりにあるらしく、建物や部屋はピカピカというわけではなかった。

それでもこれまで私が泊まったホテルの中ではかなり上位にランクするホテル。

今回は特別な家族旅行でもあるわけだし、それなりのホテルにしておいて正解。

ホテルに荷物を置いて身軽になったところで晩飯を食べに出かけることに。

家族で行動する際には20数年前の記憶とはいえ最もNYに詳しい父に決定権がある。

というわけで父がアメリカ在住時代に時々行っていたと言うグランドセントラル駅のオイスターバーへ。

タイムズスクエアからグランドセントラル駅を目指して歩く。
(父曰く、グランドセントラル駅が日本で言う東京駅で、ペンシルバニア駅が新宿駅みたいなものだとか)

青森と同じ緯度だというNYはやはり寒く、前日までの雪が結構残っている。

だいぶ水分を含んだ雪で下手に足を突っ込むとずぶずぶ沈んでいく不快な雪。

ブライアントパークに出るとNYの象徴の1つであるエンパイアステートビルがライトアップされて見える。

さらにクライスラービルも見え、有名な5番街を渡ったりとまさに自分は今NYに来ていることを実感。

グランドセントラル駅構内にあるオイスターバーはどのガイドブックにも載っているような老舗レストラン。

生牡蠣と牡蠣フライ、茹でた丸々1匹のロブスターと白ワインで乾杯。

NYに着いて最初の食事が大量の生牡蠣というのは少し怖さもあったが白ワインが消毒してくれるだろう。

生牡蠣は日本のものより大きく歯応えがよく濃厚な味わい。

牡蠣によって○●産というのがあるらしく、メニューも産地によって味や値段も違うとか。

とはいえ我々にアメリカの産地が分かるわけもないので適当にミックスされたものを頼む。

確かに物によって大きさや形が違うが、食ってしまえばどれも美味しい生牡蠣。

ホースラディッシュを付けるのがアメリカ(NY?)流のようで、日本ではなかなかこうして食べられないとは父の談。

スター達
ロブ&オイ

ロブスターは丸々1匹を分解して食らう。

巨大なザリガニ、海老と蟹の中間のようなロブスター。

これもアメリカ(NY?)ではバターを溶かしたようなソースをつけて食べる。

これを初めて食べたときは醤油が欲しくてたまらなかったとはやはり父の談。

確かに酢醤油が欲しくなる味だったが、濃厚なバターソースもなかなかいける。

頭部の甲羅の裏についている海老味噌?蟹味噌?を食べたときは白ワインではなく日本酒が飲みたくなった。

やはり私も日本人のようだ。

食事を終えてホテルへ戻りがてらタイムズスクエア周辺をぶらぶら歩く。

現地時間23時を回っていても人が大勢いて活気がある。

タイムズスクエア周辺にはいわゆるブロードウェイミュージカルの主要劇場が点々としている。

1つの劇場では役者の出待ちなのだろう、楽屋口のようなところに大勢の人だかり。

全員カメラを持って通りに溢れんばかりの人の輪が出来ていた。

ブロードウェイのミュージカルは演目によって専用の劇場が設けられている。

例えば有名な「オペラ座の怪人」はマジェスティック劇場という所で上演される。

マジェスティック劇場では毎日「オペラ座の怪人」が上演されている。

映画だと上映期間が決まっていて、長くても1年も続かないだろう。

しかしブロードウェイのミュージカルは何年にも渡って上演している。

「オペラ座の怪人」にいたっては初演が1988年だとか。

20年以上もよくも毎日続けて客足が落ちないものだと感心してしまう。

それだけ世界中から観客が集まっているのだろう。

ホテルへ戻る前に24時間営業のスーパーで缶ビール500ml・2ドル(≒184円)を購入。

購入の際に店員に年齢を証明できるものを出せと言われたのでパスポートを見せる。

NYは21歳未満の飲酒は禁じられているがまさか2週間後には31になる私が21歳未満に見えたのだろうか。

西洋人からしてみれば東洋人の年齢は分からないものなのだろう。

時を越えた長い1日の終わりはホテルの部屋で飲むビール。

こればかりは普段の私の一人旅と変わらない1日の終わり。

 

 

2010年2月27日 土曜日

寝つきの悪さや寝起きの悪さなどの時差ボケもなく正常に起床。

この日の予定は旅のメインテーマでもある、昔住んでいたニュージャージー州へ行くこと。

車を1台チャーターして、我々家族の我々家族による我々家族のためだけのノスタルジーツアーだ。

車は9時にホテルまで迎えに来てくれることになっていた。

8時に朝食のために外へ出る。

朝のタイムズスクエアは人通りこそ少ないもののネオンの光は相変わらず。

ホテルすぐ近くのデリ(サンドイッチやドリンクなどを売っているファストフードみたいなもの)へ入る。

チキンやチーズが挟まった惣菜パンのようなものを注文。

見た目はそうでもなかったが食べてみると中身がぎっしり詰まっている。

アメリカ人仕様のサイズなのだろう、日本人なら2人1つで充分な量だった。

予定していた9時にチャーター車が到着。

最初は国際免許を取ってレンタカーを使って安上がりで自由に行動しようという案もあった。

しかし世界的な大都市で左ハンドル右車線で初めての道を運転するなんてとてもじゃないけど無理。

安全確実無難にノスタルジーツアーを成功させるためにプロを雇うことにした。

ドライバーは現地在住20年という日本人の方。

今回のツアーを企画するにあたっていくつか車をチャーターできる現地代理店を探した。

値段的には今回お願いしたところより安い提示の代理店もあったが、メールでのやり取りがいまいち信頼できなかった。

レスポンスが遅かったり、こちらの質問に対して全てを回答していなかったり。

そんな中で今回選んだところはレスポンスも質問への回答も早く的確だった。

今回の旅行のハイライトとなるノスタルジーツアーなので信頼できそうなところを選んだ。

時間通りに待ち合わせに現れたし、話した感じも気さくな人だったので正解。

我々家族が目指すはNYではなく隣州のニュージャージー。

マンハッタンから車で40分ほどの場所にあるという。

車でマンハッタンを北上して橋を渡ってニュージャージー州へ。

ニュージャージー州の住宅街に近づくと明らかに積もっている雪の量が増えた。

事前に父が現地在住の元上司と連絡を取り合った際に、ニュージャージーは稀に見る大雪に見舞われているとの情報だったという。

昔の我が家に近づくと両親は記憶が蘇ってくるらしく次第にテンションが上がってくる。

そして辿り着いた元我が家。

壁面はペンキを塗り直したのだろう色は変わっていたが、明らかに今でも人が住んでいる様子。

記憶の中にあった昔の我が家がそこにあった。

予想はしていたが記憶の中のそれよりだいぶ小さい。

家の前の通りの道幅も狭く、向かいの家はプール付きの豪邸だった印象があるのに今見るとそうでもない。

学生時代の東北一人旅で2〜3歳の頃に住んでいた岩手県花巻市の家を見に行ったことがあった。

その時も実物を見てこんなに小さかったのかと驚いた記憶がある。

今回も同じようにその驚きを味わった。

それでも周りの家や通りなどは記憶にあるものと基本的に同じ。

20数年も経っていたら通りも家も何もかも変わっているかも、と想像していたが全然そんなことは無かった。

父曰く、アメリカの家は100年くらい平気で住み続けられるよう頑丈に作られているとか。

既に20数年前に我々が住んでいた時点で築何十年だったとかいう話も。

もう訪れることは無いかもしれないが、これから20数年後にも変わらずそこにあってほしいと思った。

記憶の地
左が旧我が家

土曜日の午前中で通りは結構な雪が積もっている状態。

そんな状態のなか、完全なる住宅地で完全なる東洋人がウロウロキョロキョロして写真を撮っている。

端から見たらかなりの不審者だったのではなかろうか。

幸いにして通りを歩いている人はいなかった。

通りの裏から裏庭を眺めて名残惜しいが元我が家を離れる。

次に向かったのは私が幼稚園・小学校と通っていたところ。

元我が家からすぐ近くでアッという間に着いた。

歩いて通学をしていたような記憶もあったがこんなに近かったとは。

元我が家ほど記憶には残っていなかったが、確かにこんな校舎と校庭の配置だったような気がする。

学校では何か催しをやっているらしく、何人かの現地人がいた。

何だこの東洋人は?と奇異の目で見られるけどお構いなし。

日付は日本時間のようだ
旧学び舎

その後、米在住時代によく行ったというスーパーやショッピングモールなどを回り一通りのツアーが終了。

私にとっては僅かな記憶を掘り起こしつつぼんやりとしたノスタルジーツアー。

しかし両親にとってはそんなレベルではないノスタルジーツアーになったことだろう。

13時にマンハッタンのホテルに戻ってきた。

当初予定していた往復4時間という時間ぴったり(延長することも出来たが当然料金がかかる)。

内容も回りたいところは回れたし、両親も喜んでくれたようなので良かった。

これで今回のNY旅行のハイライトとしていた目的は無事に達成できた。

後は家族それぞれNYを楽しんでください、と基本的に自由行動。

自由行動前にさっきまでの運転手さんがおすすめしてくれたホテル近くのレストランで昼飯。

思えば運転手さんに色々とNYの現地事情を教えてもらった気がする。

関西出身の気さくな人で色々な話をしてくれて興味深かった。

旅の最初にこうして現地事情を教えてくれる人と会っておいて良かった。

最終日にそうした情報を知っても、活かす場面が殆ど無かっただろう。

現地ツアーを頼むときは旅の初日にしておいた方が良いということを実感した。

レストランではハンバーガーとビールを注文すると年齢が確認できるものの提示を求められた。

前日にスーパーでビールを買ったときにもそうだったが、西洋人にしてみれば本当に東洋人の年齢は分からないものらしい。

注文したハンバーガーはファストフードのようなものではなく、プレートに載ってナイフとフォークで食べるようなもの。

肉厚ででかく、付け合せのポテトやオニオンリングも大きく量が多い。

朝食も完全に消化しきれていない状況だったのでハンバーガー1つを食べるのに一苦労。

母が頼んだチーズケーキとホットコーヒーもキングサイズ。

ホットコーヒーなんかスープボウルにでも入っているかのような大きさだった。

当たり前だけど何もかもがアメリカンサイズ、こんなもんばっか食べてたらそりゃでかくもなるか。

朝飯も昼飯もかなりの食料を腹に詰め込んだ。

昼食後は単独行動ということでアメリカ自然史博物館へ行ってみることに。

地図を見るとタイムズスクエアからセントラルパークの西側を北上すれば到着する。

それなりに距離はあったが、現地を肌で感じるには歩くのが一番。

未だ雪の残るマンハッタンを歩いてセントラルパークへ。

セントラルパークは文字通りマンハッタンの中央に位置する巨大な公園。

よくこんな大都会にこんな大きな公園が作れたものだと感心。

セントラルパーク西側の通り沿いを歩くと見えてくるのがダコタハウス。

マンハッタンの高級マンションでジョン・レノンが住んでいて玄関前で射殺されたことでも有名。

ダコタハウスからすぐのセントラルパーク内にはストロベリー・フィールズと名づけられた場所がある。

オノ・ヨーコによってデザインされたモザイク画があり、IMAGINEの文字が刻まれている。

正直フィールズというには狭すぎる気がしたが、花が綺麗に並べられていて観光客が集まっていた。

FOREVER
ストロベリー・フィールズと奥に見える建物がダコタハウス

ストロベリー・フィールズを越えてさらに北上して歩く。

歩きながら異常に眠たくなってくる。

電車の中で立ったまま眠りそうなことはあるけれど、歩きながらも眠くてフラフラしたのは初めての経験。

今まで何度も旅をしてきたが、時差ボケというのを経験したことは無かった。

今回は日付変更線を越えて14時間もの時差。

なるほどこれが時差ボケかと納得するくらい今までに味わったことの無い種類の眠気。

時差ボケの眠気と戦いながら歩いて到着したアメリカ自然史博物館(American Museum of Natural History)。

今回の旅行の数日前に慌ててDVDを借りて見た映画「ナイト・ミュージアム」の舞台となった博物館。
(ガイドブックにココに行くなら見て行くのをオススメしていた)

入場券はNYの主要観光地の入場券がセットになった「CityPass」79ドル(≒7,268円)を購入。

CityPassはコレ1つあればNY一見さん観光客の分かり易い観光スポットは抑えられる。

全て回ればそれぞれの場所で入場料を払うよりも半額近く安くなるという逸品。

翌日以降もこのCityPassを元に観光するつもりだ。

自然史博物館は恐竜の骨格や動物の剥製や模型、各国(地域)の歴史や文化なども展示されている。

最初は子供騙しかと思ったが、動物などかなりリアルに作られていて映画さながらに動き出しそう。

宇宙を紹介するプラネタリウムのような所は天井全てがスクリーンになった巨大映画館のよう。

最初は映画顔負けの迫力だったが中盤から時差ボケに負けてしまいその殆どを眠って過ごしてしまう。

他にも館内に森が再現されていたり巨大なシロナガスクジラの模型があったり見所は沢山。

しかし少し歩くだけで時差ボケが襲ってきて、ベンチで休み休みウトウトしつつ館内を回る。

そうこうしているうちに館内に響く「Last 10 minutes.」の声。

え?もうそんな時間?

どうやら17:45をもって閉館だという。

慌ててアチコチ歩き回ってアレコレ眺めたが結局広大なフロアーを全て回りきることなく終わってしまった。

半分くらいは時差ボケで潰してしまった気がして惜しい。

もっとしっかり見て回ったら面白そうだと思える内容だったので、それはまた次の機会に。

夜、母と弟はブロードウェイのミュージカルを観に行くという。

それなら父と2人で晩飯を食うことにするが、朝昼の食事が未だに腹に溜まっている。

少し腹をすかせるために夜のマンハッタンを歩く。

ロックフェラーセンターやパトリック教会、ブライアントパークなどNYミッドタウン定番観光地を歩く。

出発前に予習で地図を見ても頭に入らなかった所が、実際に歩くとすぐに頭に入る。

これも百聞は一見にしかずと言うのかな。

多少歩いて時間を潰したとはいえ、結局それほど空腹でもない。

父と相談した結果、レストランではなくバーで軽くつまみながらビールでも飲もうという話に。

適当なバーに入ると、店内は程よく空いていて騒々しくも無くて良い。

NYに来て初めて生ビールを飲む(レストランで出てくるのは瓶ビールだった)。

それほど腹は減っていないのでシュリンプカクテルやムール貝の盛り合わせなどを肴にする。

父と2人で外で飲むのは恐らく初めて。

アメリカ在住時代の話や私の旅話などで気が付けばアッという間に2時間以上が過ぎていた。

20数年前の記憶に思いを馳せつつ、当時の子供が今や30歳になって父と一緒にNYのバーで飲む。

ブロードウェイのミュージカルには出来ないが、渋いアメリカ映画のワンシーンには出来そうな夜だった。

 

 

2010年2月28日 日曜日

朝は前日のノスタルジーツアーで行ったスーパーで買い物をしたパンやチーズをホテルの部屋で食べる。

前日もそうだったが、家族4人揃っての朝食というのも考えてみれば久しぶり。

この日は完全に全員自由行動。

私は前日に買ったCityPassにある観光地の中から美術館巡りをすることにした。

まずは世界3大美術館の1つとも言われるメトロポリタン美術館へ行くことに。
(世界3大美術館の3大は諸説あるので一概にメトロポリタンが入るとは限らないらしいが…)

場所は前日に行ったアメリカ自然史博物館のセントラルパークを挟んだ反対側のあたり。

前日同様に歩いても行ける距離だったが、1日の疲労を考えると朝から歩き通すのは辛いかもしれない。

両親も弟もメトロポリタン美術館へ行くつもりだというので一緒に地下鉄で行くことにした。

到着初日以来の地下鉄に乗ってメトロポリタン美術館へ。

通称MET
メトロポリタンミュージアム

セントラルパークを背に立つメトロポリタン美術館は大勢の観光客で賑わっていた。

入口で両親と弟と別れて単独自由行動に。

日本語のパンフレットを貰い、CityPassを入場バッチ(つけなくても分からないくらい小さい)と引き換え館内に入る。

入口やロビーには大勢の人がいたが、展示室に入ると広い館内で人もバラけるので窮屈な感じはしない。

1日で展示品を全て見るのは不可能なので、見たいものを絞って見るべきとガイドブックには記載されている。

とはいえ私にとって特に何が見たい!というのは無い。

とりあえず有名ドコロは見ておくか、くらいのミーハーな気持ち。

そんなわけでガイドブックとパンフレットに載っている有名ドコロを片っ端から攻めることに。

フラッシュを焚かなければ写真撮影OKだというのは太っ腹。

ハイライトとなるのは欧州有名画家のコーナー。

ゴッゴー
ゴッホやゴーギャンなど

ルーブルにあるモナリザやヴァチカンにある最後の審判のようにメトロポリタンと言えばコレ!というような超有名美術品は無い。
(実際にはあるんだろうが少なくとも私の乏しい美術観においてはという意味で)

その代わり、見たことあるぞ…という絵や、聞いたことあるぞ…という画家の絵が沢山。

有名画家の貴重な絵なのにガラスケースに収められているわけでもなく、柵があるわけでもなく直に展示されている。

頭のおかしい客がいてその気になれば名画を台無しにすることも容易な展示。

画集や教科書等では味わえず、生で絵を見るときに分かるのは油絵の場合は特にその質感。

近くで見ると塗り固まっている感じがよく分かる。

そして作品の大きさも生で見て初めて分かることの1つ。

フェルメールがあんなに小さいものだとは、生で見なければ分からなかっただろう。

ちゃんと見たければググってください
意外に小さいフェルメール

絵画の部屋を回りながらさっきもココ来なかったか?という迷路のような館内。

エジプト神殿やアメリカ騎士の鎧兜、ギリシャ彫刻、アジア美術などをあてもなくウロウロ。

建物内建物
エジプト神殿の再現!?

とりあえず主要なところは回ったかなと判断してメトロポリタンを後にする。

滞在は約2時間、どうせ全部見て回ることは出来ないのだ。

メトロポリタンを出て5番街を少し北に歩くとグッゲンハイム美術館に着く。

ぐるぐると渦を巻いた外観が印象的な美術館。

ココもCityPassに入場券が付いていたので入ってみる。

渦巻きが吹き抜けになった印象的な館内の写真を撮ろうとしたら係員が「No photo」と言ってきた。

メトロポリタンは展示品ですら撮影OKだったのに、グッゲンハイムは館内ですら撮影不可なのか。

この美術館では上階の展示品から鑑賞し、らせん状の回廊を下りつつ各階の展示品を見ていくのが順路らしい。

手順に沿って上階から攻めていく。

1階ずつらせん状の回廊を下りていくのだが、殺風景な回廊にも何か展示すれば良い気がした。

誰もが知っている有名画家の絵画は殆ど1フロアーにのみ展示されていた。

メトロポリタン美術館に比べると格段に小さかったので30分ほどで見終えてしまった。

グッゲンハイムを後にして5番街を南下して歩きミッドタウンへ。

途中で何か昼飯を…と思ったがセントラルパークに面した5番街の通りには飲食店が見当たらない。

たまに露店でホットドックやプレッツェルやキャバブなどを売っていたが路上や公園で食べるには寒すぎる。

セントラルパークの南端から5番街が一気に賑やかになる。

天下のNY5番街でランチだ!と意気込んだが、服飾品店ばかりで飲食店が見当たらない。

5番街を1つ曲がったところにカフェがあったのでそこに入る。

豊富にあるサンドイッチを選んだらその場で焼いてくれた。

ローストビーフサンドが7ドル(≒644円)弱って高いけれど量を考えれば妥当な値段か。

サンドイッチ1つのくせに凄いボリュームで充分にお腹がいっぱいになる。

この日の美術館巡り最後の目的地はニューヨーク近代美術館、通称MoMA(Museum of Modern Art)。

マンハッタンのミッドタウン中心部に位置している。

モマ
都心の真ん中、MoMA

近代美術館というだけあってか館内も清潔感溢れる建物でエスカレーターまである。

展示品もその名に恥じぬほど多岐に渡っている。

あれだけ美術品があると中にはわけのわからないものも多数。

ひたすらグッチャグチャの絵を集めたような部屋。

お?これは何だと思って近づいてみたら単なる壁のしみだったなんてことも。

美術館にあればそれだけで美術品に見える不思議。

Wall彫る
アンディ・ウォーホル

閉館時間間際に入った特別展ではティム・バートン特集を開催していた。

直筆のイラストや脚本、映画に登場したキャラクターの模型などが沢山。

バットマンやシザーハンズ、ナイトメア・ビフォア・クリスマス、チャーリーとチョコレート工場等々。

他のどの展示室よりもココが賑わっていた気がする。

MoMAはメトロポリタンのように広すぎることもなく、グッゲンハイムのようにアッサリしすぎてもいない。

奇を衒った展示が多いのかと思いきや正統派絵画(?)も多数展示されていた。

適度な館内の大きさと絵画だけではないバラエティに富んだ展示品は3館の中で1番バランスが取れていたかも。

館内のカフェでビールが飲めて休憩できたのも個人的にはポイント高し。

但しサービス料も含めると9ドル(≒828円)くらい取られて値段も高し。

閉館の17:30にMoMAを後にする。

さすがに1日3館目ともなると疲れも出てくる。

3館通して感じたのはピカソの凄さ。

いずれの美術館にも展示されていて質量ともに圧倒的。

え?コレもピカソなの?という絵が沢山。

私のような者にとっては1枚の絵を見ても何が凄いのかは分からない。

しかしあれだけ変化に富んだ作品をあれだけ後世に残して評価されているとはそれだけで凄いことのように思う。

天才と呼ばれた人物の一端を垣間見たような気がする。

モマピカソ
MoMAのコレ全てピカソ

晩飯は家族一緒に食べようというのが今回の旅行の数少ない決まりごと。

両親は日中のメトロポリタン美術館巡りで疲れたとのことでホテルのすぐ横にある前日昼にも行ったレストランへ。

昼飯がローストビーフサンドだったので、夜はサーモンを注文。

日本の鮭よりも肉厚なサーモンが出てきて付け合せのポテトフライもボリュームたっぷり。

ことアメリカにおいては何を注文しても似たような結果になることが分かった気がする。

晩飯後は恒例となりつつあるタイムズスクエア付近の散歩。

主要通りを歩いている限り明るいし人もいるし不安は無い。

MoMAから出てきたのか?
バッタモンバットマン?

晩飯時の酒の酔いを醒ましつつ、帰り際にビールを買って帰る。

旅行中の1日の最後にはビールを飲まないとどうにも締まらない。

合間にマンハッタンの街を歩いたものの、殆ど1日を美術館巡りに費やした。

教科書何冊分くらいの美術品を目にしたのだろうという1日だった。

 

 

2010年3月1日 月曜日

翌朝には日本行きの飛行機に乗るのでこの日が実質最終日。

前日はNYの美術館巡りだったので、この日はNYの定番観光地巡り。

まずはアメリカの象徴、NYの定番、自由の女神。

弟も一緒に行くと言うので、この旅始まって以来初めての弟との2人行動。

8:00にはホテルを出てマンハッタンの南端にあるバッテリーパークを目指す。

この日は最初から広範囲に渡って行動する予定だったので地下鉄の1日乗車券を購入。

1日乗車券は8.25ドル(≒759円)なので、4回乗れば元が取れる計算(地下鉄は1回2.25ドル≒207円)。

数ある地下鉄路線の1つの終点であるSouth Ferry駅を降りて地上に出るとそこはバッテリーパーク。

そこから川(というよりも大西洋へ向かう湾)の先に自由の女神のあるリバティ島が見える。

見えてはいるものの、そこへ行くには船に乗らなければいけない。

船のチケット売り場らしき所があり、そこでCityPassを見せるとチケットが貰えた。

乗船場は既に何人もの人が並んでいる。

川沿いなので風が強く、とても寒い。

フェリーの始発は8:30との情報だったがなかなか船が来ない。

ようやく船が来たのが9:00頃、後で調べたら冬場のフェリー始発は9:00とのことだった。

乗船するためには空港ばりのセキュリティチェックがあり、やたらと時間がかかる。

ようやく乗船でき、折角なので見晴らしの良いフェリーの一番上に行ったら吹きさらしでかなり寒い。

船に乗るために待たされ、出発するために待たされ、結局出発したのは9:30すぎ。

フェリーは自由の女神の目の前を通り過ぎ、乗客の誰もが写真を撮るために船の片側(進行方向の右側)に集まってくる。

あれだけ皆が片側に集まったら船が傾くんじゃないかと不安になる。

自由の女神はフランスから贈られたため、フランスの方を向いているらしい。

NYから見てフランスの方角、つまり東を向いている。

午前だったので太陽が東側にあり、しかも快晴で自由の女神が綺麗に太陽を浴びて美しい。

昔はツインタワーも見えた
船上から望む自由の女神とマンハッタンビル群

乗船時間は15分ほどで自由の女神のあるリバティ島へ到着。

始発の船だったので島には係員がいるだけで他に誰もいない。

本日の観光客第一陣の到着、人々は三々五々散らばって行く。

乗船場を降りてすぐの所に「CROWN TICKET」と書かれた建物があり、何人かがそこに並んでいる。

同時多発テロ以来閉鎖されていた自由の女神の王冠部への立ち入りが最近解禁されたらしい。

折角なので行ってみようと列に並んだが我々の持っているチケットではダメだと言われた。

どうやら事前予約が必要で、人数も限定されていてかなりの人気らしい。

我々の持っているチケットは自由の女神の台座部分まで登れるものだったので、そちらへ行くことに。

ここでも列に並ばされ、ようやく入れるかと思いきや荷物をロッカーに預けろと言われる。

指紋認証つきのハイテクロッカー(1ドル≒92円)に荷物を預けて台座入口へ。

ここでもまた列に並ばされ、この列がなかなか進まない。

何でこんなに列の進みが遅いのかと思っていたら、奥へ進むとまたもやセキュリティチェックがある。

この島に来る船に乗るときにも受けているのにまたかよ、とうんざり。

普通のセキュリティチェックに加え、左右から風を吹き付けられる妙なゲートに入らされた。

あれで何をチェックしたのかよく分からないが、この島へ来る船に乗るときよりも厳しいセキュリティチェックだった。

やはり同時多発テロ以降はかなりナーバスになっているのだろう。

アメリカの象徴である自由の女神でテロでも起こされたらたまらん!ということなのだろう。

リバティ島自体も同時多発テロ以降は24時間体制で警備されているらしい。

それにしても乗船時から台座に入るところまで色々と待たされすぎ。

シーズンオフと思われる時期の始発フェリーでこれだから夏のピーク時なんか凄いことになりそうだ。

諸手続きを経てようやく自由の女神内部に入ることが出来た。

台座部分は博物館のようになっていて、自由の女神の松明や顔の実物大模型が展示されている。

他にも自由の女神の成り立ちのようなものが紹介されているが英語なのであまり真面目に読まずに流す。

博物館を過ぎて台座の上へ向かうにはさらに登る必要がある。

無機質な台座内部、エレベーターは使えないらしく、100段以上もの階段をひたすら登る。

女神の内臓
自由の女神内部

ようやく到着した台座上。

見晴らしが良く、川の向こうにマンハッタンのビル群がよく見える。

足元にいるから当然だが、自由の女神は下から見上げる格好となるため全容は殆ど見えない。

自由の女神の台座は自由の女神を見るためではなく周囲の景色を眺めるための場所だ。

台座を一周するとリバティ島を簡単に見渡せる。

リバティ島は自由の女神と土産物屋・レストランくらいしかない小さな島。

歩いても10数分で1周出来る島で、まさに自由の女神の自由の女神による自由の女神のための島。

ちなみに自由の女神は英語では"Statue of liberty"という表記。

直訳すると「自由の像」であり、女神というフレーズはどこにも無い。

日本人の意訳なのだろうが、「自由の像」より「自由の女神」の方が響きが良い。

台座を下りて島の外周を歩き自由の女神の周囲を一周。

誰もが写真を撮るポイントで典型的NY記念写真を1枚。

ツーショット
This is NY.

一通り自由の女神を堪能したらあとは戻るだけ。

戻りのフェリーはアメリカの移民博物館があるエリス島を経由する。

降りて移民博物館に行くことも出来たのだが、後の予定を考えてスルーした。

バッテリーパークに戻ってきたのは昼の12時前くらい。

往復で3時間くらいだが、そのうち半分くらいが待ち時間だったんじゃないかというくらいアレコレ待たされた気がする。

バッテリーパークで弟とは別れて行動をすることに。

私はバッテリーパークから徒歩10分くらいの所にあるウォール街へ行ってみることに。

世界金融経済の中心地というやつを見てみようと思って歩く。

到着したウォール街、え?コレが世界金融経済の中心地??と目を疑うような光景。

僅かにトリニティ教会が見える
壁通

Wall St.の表示が無ければそれとは気付かないような通り。

なんか狭いしビルに挟まれてあまり日が差さずに薄暗いし。

この薄暗さは現在の世界経済情勢の暗喩とか無いよな…。

とりあえずウォール街を歩いてみるがその範囲も狭く、すぐに端から端まで歩けてしまった。

唯一盛り上がりを見せたというか観光客がいっぱいいたのがNY証券取引所とフェデラルホール・ナショナルメモリアル。

ウォール街の2大観光名所は斜向かいに立っていて、こんなに近いのかと思わされる。

いずれもニュースや映画などで見かけたことがあるような気がする建物と光景。

その一角にだけ観光客が集まっていたのですぐにそれと分かる。

ウォール街をアッサリと歩ききってから昼飯を食べる場所を探す。

時間はちょうど12時過ぎの昼飯時。

平日の昼飯時なのでこの辺でスーツ着ている連中はウォール街で働いているビジネスマンと思われる。

とはいえあのウォール街を見た後だと、その肩書き?から連想するやり手ビジネスマン風には見えなかったが。

ワゴン車を露店にしたテイクアウト料理はいっぱいあったが、路上で食べるには寒い。

適当な飲食店に目をつけて入ってみる。

店内は結構混雑していて、ショーケースの中に色々な食べ物が並んでいる。

どうやらそれらを注文するらしいのだが、メニューも値札も無くシステムがよく分からない。

次々と地元民が並んでいる中を不慣れな観光客が並んで列を停滞させるのも悪い気がした。

ウォール街のビジネスマンの昼飯の停滞は世界経済の停滞に繋がるかもしれないわけで…

と、言い訳しつつ店を出て安易なバーガーキングに入ってしまった。

ココならシステムは簡単、セットメニューに番号も書いてある。

アメリカの飯は何を頼んでも量が多いことは分かっていたので小さめのサイズのセット(6ドル≒552円弱)を注文。

予想通りその小さめサイズのセットで充分な量だった。

お腹もいっぱいになったところで観光再開。

ウォール街から歩いてすぐ近くにあった連邦準備銀行へ行ってみる。

日本でいうと日本銀行にあたるのが連邦準備銀行。

よくニュースで連邦準備銀行とかFRB(Federal Reserve Bank)と言っているのはココのことだったのか。

およそ銀行らしからぬ外観で、観光客がいるわけでもなくただそこにある大きな建物という以外の感慨は無く。

事前に申し込んでおけば行内見学ツアーというものあったらしい。

さしたる収穫も無くFRBを後にし、これまた歩いてすぐのワールドトレードセンター(WTC)跡地へ。

言わずと知れた同時多発テロで崩壊したツインタワーのあった場所。

ウォール街からも歩いてすぐの所にあり、本当にアメリカ経済の中心でテロが起きたのだと実感。

今では巨大な工事現場だという事前の情報通り、大きなフェンスに覆われた巨大な敷地内に何台ものクレーン車。

後のフリーダムタワーである
工事中

トラックの出入り口やフェンスの隙間などから中を覗けたが、単なる工事現場でテロを思わせるものは無い。

しかし周囲を歩くと工事現場の前の建物にTribute WTC visitor Centerという一角があった。

その建物の壁にはMAY WE NEVER FORGETの文字と共に消防隊員を描いた壁画。

真新しいと見られる花束も添えられており、唯一テロの痕跡を見つけた気がした。

WTC跡地をウロウロし、時間的にそろそろミッドタウンに戻る必要があった。

実は今回の旅の隠れた目的の1つに設定していたことがある。

職場でブームになったニンテンドウDSのゲームソフト、ドラゴンクエスト9(以降ドラクエ9)。

ニンテンドウDSはお互いが本体を持って通信モードにしているとゲーム情報の受け渡しが出来る。

いわゆる「すれちがい通信」というもので、ドラクエ9が爆発的に売れた要因ともなったシステム。

ドラクエ9全盛期には都心に行くと何十人もと「すれちがい通信」が出来た。

日本人も多いであろうNYに行くので「すれちがい通信」が出来ないものかと考えた。

ただ、日本でもドラクエ9のブームはそろそろ下火。

普通に「すれちがい通信」をNYでやってもダメだろう。

そこで旅の1ヶ月くらい前に「2月27日〜3月1日までNYにいるのですれちがい通信しませんか?」とネットで呼びかけてみた。

暫く反応は無かったが、1週間後くらいに現地在住の日本人という方から反応があった。

ドラクエ9をやっているがアメリカに住んでいるので全然すれちがい通信をしたことが無いという人。

まさか本当に反応があると思わなかった。

そのままネット上のやり取りで空いている日を確認しあい、待ち合わせに設定したのがこの日の13:30。

待ち合わせ場所は分かり易いようにと相手が指定したブックオフNY店。

待ち合わせ用にお互いの背格好は伝え合ったが、それだけ。

携帯番号もメールアドレスも知らないし、ネットで2,3回やり取りをしただけ。

当日までに現地で何かあっても連絡の取りようが無い。

相手が本当に来るのかも分からない、こんなアナログな待ち合わせは近年記憶に無い。

その待ち合わせの時間も迫っていたのでミッドタウンへ戻ることにする。

しかし地下鉄の駅を探すも、乗ろうとしていた路線とは違う。

地図を見誤ったようで見当違いの方へ向かっていた。

ロウアー・マンハッタン(マンハッタンの南)は道が入り組んでいて分かりにくい。

慌てて引き返してようやくミッドタウンへ向かう地下鉄の駅を見つけた。

地下鉄がなかなか来ないこともあって待ち合わせのブックオフNY店に着いたのは15分遅れの13:45だった。

店内での待ち合わせだったのでとりあえず店に入ってみる。

日本のブックオフに洋書が加わったという感じで、基本的には日本のと同じような店内。

対象としている客も日本人が多いようで店員も日本人、店内放送も日本語、扱っている本も日本のものが殆ど。

店内の客も半分以上が日本人のようだった。

その客の中から事前に知らされていた背格好の人を探すもそれらしき人はいない。

15分遅れてしまったから帰ってしまったのだろうか。

最初のやり取りではお互い14時くらいまでは待ち合わせに設定していたので14時まで待つことにする。

しかし14時を過ぎてもそれらしき人は現れない。

私も15分遅れたし、最後に15分だけ待つことにする。

14:15になりダメかなと思って店の外へ出るのとほぼ入れ違いで慌てた様子で店に入っていった人。

事前に聞いていた背格好と同じ、そして何よりもニンテンドウDSを手に持っている。

間違いない!すぐに店に戻り話しかける「あの、ドラクエの…?」「あぁ!そうです。スミマセン遅れてしまって。」

当たりだ!頭の中でドラクエで仲間が増えたときのテーマ曲が鳴り響く。

最初から時間通りに来て待っていたらそれ以上待つ気にはならなかっただろう。

私が最初に15分遅れたからこそ、もう15分待とうという気になった。

そしてその最後の15分が経って諦めかけたところでギリギリの遭遇。

ネットで数回やり取りをしただけの2人がNYで初めて会う。

それもお互いの遅刻という偶然が重なった運命的なものを感じる出会い。

これで相手が女性なら文句無しなのだが、さすがにそこまで巧くはいかなかったようだ。

立ち話もなんなんで…というわけで日本でもお馴染みのサブウェイに入る。

ジュースを奢ってもらい、喋りながら「すれちがい通信」開始。

―――――以下、ドラクエ9を知っている人なら分かるネタ―――――

NYだと全然すれちがう機会が無く、初めてのすれちがいだと言うのでやり方を1から教える。

すれちがいキャッチ&リリースを繰り返し、私の持っている有名な地図を片っ端から差し上げた。

でもすれちがった情報を見たら私よりもプレイ時間が上だった。

すれちがった彼は当然ロイヤルルームへご案内。

―――――以上、ドラクエ9を知っている人なら分かるネタ―――――

20代中盤という彼はニュージャージーに住んでいて大学に通っていると言う。

今日は大学の講義が長引いたので遅れてしまったとのこと。

現在はニュージャージーに住んでいるという点もどこか私と被る部分があって不思議な縁を感じる。

初対面なのに色々と身の上話をしてくれて、変な堅苦しさは無く会話が続けられた。

日米両方の国籍を持っていて殆どアメリカでの生活らしいが日本語は流暢だった。

会話の端々に出てくるカタカナの発音が完全にネイティブアメリカンの英語の発音だったのは流石。

最後にお互いメールアドレスを交換して別れる。

こういうときにメールアドレスは気楽に交換できて良い。

住所や電話番号だとなんだか重い感じだし。

3〜40分くらいの時間だったが、貴重な一期一会だった。

現実に戻って次に向かった観光地はエンパイアステートビル。

WTCのツインタワー崩壊により、NYで最も高い建物に返り咲いたNYのランドマーク的タワービル。
(2012年にWTC跡地に完成予定のフリーダムタワーに高さは抜かれるらしいが…)

5番街を歩いて南下して到着。

1931年に完成したというビルは年期を感じさせる外観。

ここの入場券もCityPassに付いている。

これでCityPass全ての観光地を消化したことになる。

79ドル(≒7,268円)分の元は充分に取っただろう。

中に入るとここでも空港ばりのセキュリティチェック。

主要観光地はどこも厳しいなと思うも、前日の美術館では何も無かったな。

高速エレベータで展望台のある86階へ。

高所だけに風が物凄く強くて寒い。

天気が良く、セントラルパークも自由の女神も川の向こうのニュージャージー州も綺麗に見渡せる。

エンパイアの影とマンハッタンの高層ビル群
高層ビルの競演

鏡越しに景色と2ショットが定番!?
マンハッタンと鏡演?

追加料金を払えばさらに上階の102階まで登れたらしいが、86階でも充分な展望だった。

ちなみに展望台へ向かうエレベータに乗る前に記念撮影をされて番号札を渡されていた。

展望台から降りたところでその番号札と引き換えに入口で撮られた写真とCD-ROMを渡される。

エンパイアを背景にした合成写真だった。

勿論無料ではなく、結構な料金(20ドルだったか30ドルだったか)を提示されたので当然お断り。

下手なアジアなら写真撮られた時点で強引に請求してくるだろうが、さすがアメリカは大人の対応。

エンパイアを出たところで弟と会った。

同じようにNYの観光地をうろついている身とはいえ、なかなかの偶然。

弟はこれからエンパイアに入るところだったので挨拶だけ交わした。

歩いていて1つ思い出した。

NYに行く際に職場の同僚からNYのdocomoショップに行くとNY限定のドコモダケグッズが貰えるという。

折角NYにいるのだし、ついでなので貰っていくことに。

紀伊国屋書店の地下にあるというdocomoショップ。

店内に入るとブックオフと同じように殆ど日本人向けの店。

書店の一角にカウンターが設けられていてそこがdocomoショップ。

店員も日本人、docomoショップNY店をどこで知りましたか?などの簡単なアンケートに答えただけですぐに貰えた。

自由の女神をモチーフにしたドコモダケ、そのまま職場の同僚への土産にする。

次はマンハッタン北部にあるハーレムへ行くために地下鉄に乗ることにする。

すぐ近くにも地下鉄駅はあったが、敢えてペンシルバニア駅まで歩いた。

ペンシルバニア駅と一体化するような形でマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)が建っている。

NBAやプロレスやコンサートや共産党党大会まで様々なイベントが行われる巨大ホール。

プロレス好きだった私にとって、なんとなく見ておきたかったMSG。

父に聞くとアメリカ在住時代に大相撲のNY公演があり、私もMSGで相撲を見たことがあったという。
(帰国後に調べたら1985年6月)

しかも時の大横綱、千代の富士を生で見ているはずなのに覚えてないのが惜しすぎる。

それにしてもマンハッタンのど真ん中とも言える場所に大きなホールをよく作ったものだ。

ペンシルバニア駅から地下鉄に乗ってハーレムへ向かう。

朝から精力的に行動していたので地下鉄内で座っていると結構な眠気に襲われる。

治安が良くなったとはいえココはNYの地下鉄。

寝たら死ぬぞ!と冗談めかしつつ自分に言い聞かせて必死に眠気をこらえた。

地下鉄の125St.駅で降りて地上に出るとそこはハーレムのメインストリート。

ハーレムはその語感から想像するような甘い所ではなく、マンハッタンの北部に位置する黒人街。

道行く人も明らかに黒人が増えてミッドタウンとは一味違った雰囲気を見せる。

ハーレムで最も有名な場所はアポロシアターという劇場。

多くの黒人ミュージシャンがココから巣立った、NYの黒人文化の象徴とも言われている場所。

昨年のマイケル・ジャクソン死去の際には追悼集会も開かれた。

メインストリートである125St.でも最も栄えている場所にあるアポロ・シアター。

事前に想像していたよりも遥かに小さく、古びた感じ。

殿堂
ブラックミュージックの殿堂

その名前から想像する割には意外なほど貧相な外観だった。

マンハッタンのミッドタウンで巨大なものを見すぎてしまったから感覚が麻痺してしまったのかもしれない。

アポロシアター以外は特に何の目当てで来たわけでもないハーレムを適当に歩き回る。

最近は治安も良くなってきているとはいえ、他の場所に比べると犯罪発生率は高いとの情報もある。

偏見かもしれないがあれだけ黒人が大勢いるとやはり何ともいえない威圧感がある。

でかい声で言い争いをしているかと思いきや急に大笑いしたり。

なんか急に叫んだと思ったら通りの向こうにいる人と会話していたり。

とにかくやたらに身体も声もテンションも大きな印象。

夕方になり陽もそれなりに傾いてきたし、暗くならないうちにミッドタウンに戻ることにする。

来たときと逆の地下鉄でミッドタウンに戻った頃にはすっかり暗くなっていた。

そういえばNYにある国連本部に行ってなかったことを思い出し、既に暗かったが行ってみることに。

グランドセントラル駅から東に歩き、ついでにクライスラー・ビルの前を通る。

NYではエンパイアと並ぶランドマーク、うろこ状の尖塔が有名なクライスラー・ビル。

クライスラーの本社があったから名付けられた名前だが、現在クライスラーの本社はココには無いとか。

NYでは以前そうだったから今もその名前、という有名な箇所がいくつかある。

タイムズ・スクエアは昔NYタイムズの本社があった場所だからつけられた名前。

マディソン・スクエア・ガーデンは昔マディソン通りにあったからつけられた名前。

昔の名前がそのまま残っていると言うのは、それだけ愛着があったということだろうか、名前変えるのが面倒だっただけか。

どちらにせよ企業名がついているというのはそれだけでかなり宣伝効果あるような気がする。

そのクライスラービルは有名な場所ながら観光地ではない。

タワービルなのに観光客が上れるような展望台は無く、観光客は1階のロビーまでしか入れない。

クライスラービルは登って周囲を見渡すよりも、他の高所からクライスラービルを眺める方が合っているのだろう。

そこから歩いてすぐの所にある国連本部。

時刻は18:30を回り、敷地内は暗い。

ニュースでよく見る各国国旗がはためくお馴染みの威容は見られず。

建物自体には灯りのついている窓がいくつもあったので国連職員が残業でもしていたのだろう。

ただ国連本部に行った、という事実だけが残った感じだった。

この日の最後の予定としてロックフェラーセンターにある展望台トップ・オブ・ザ・ロックに登ろうと思っていた。

トップ・オブ・ザ・ロックはエンパイアと並ぶNYの2大展望台だ。

そこから夜景を眺めてNYを〆るつもりだったが、これまで行動してきた疲れでその気が無くなってきていた。

CityPassに入場券が付いていれば行っただろうが、CityPassにトップ・オブ・ザ・ロックは含まれていない。

…ところが帰国後に調べたらちょうど2010年3月からCityPassにトップ・オブ・ザ・ロックも含まれるようになったとか。

グッゲンハイム美術館orトップ・オブ・ザ・ロックが選べるようになったらしい。

あと数日遅くNYに来ていればグッゲンハイム美術館ではなく、トップ・オブ・ザ・ロックにしていたのに…

今夜の晩飯はホテルの上層階にある回転展望レストランへ行く予定だったのでNYの夜景はそれで代替することにした。

タイムズスクエアまで戻り、この日の終わりすなわちこの旅の終わりが近付く。

チョコレートで有名なハーシーズのタイムズスクエア店で職場への土産にチョコの詰め合わせを購入。

個包装されていて量が多くて「TIMES SQUARE」と印字された容器に入って値段も手頃、重さ以外は文句無しの土産だ。

土産を買うと旅の終わりを実感して寂しい気分になる。

ホテルに戻って最後の晩餐は上層階にある回転展望レストランへ。

高級ホテルにあるレストランは落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりと回転してマンハッタンの夜景が見渡せる。

ライトアップされたエンパイアやクライスラービルも見える。

しかし全体的に高い建物ばかりのマンハッタン・ミッドタウン。

360度絶景というわけにもいかず、高いビルに遮られる箇所も。

もっともそれを差し引いたとしても美しい夜景を眺めつつ、コース料理のディナーとワイン。

結婚式やらのイベント以外でこういうしっかりとしたコース料理を食べた記憶は近年無い。

その舞台が家族でNY最後の晩餐だとは何とも贅沢なシチュエーション。

食事を終え、時刻は23時近かったが名残惜しきNY。

最後にタイムズスクエア周辺を散歩する。

タイムズスクエアはこんな時間でも大勢の人で賑わっている。

ブロードウェイの当日格安チケットを販売するtkts窓口の上に作られた観光名所としての階段。

2008年に完成された比較的新しい観光名所。

NYに着いた初日は雪解け水で滑るからか登れないように閉鎖されていた。

2日目以降は開放されていて、ローマのスペイン階段か?というくらい人が登っていた。

高くなった所からタイムズスクエアが見渡せてなかなか良い。

ホテルへ戻る際にはそこを通るので、とりあえず私も毎回意味も無く登っていた。

タイムズスクエアのイルミネーションは秒単位で変わるので、その都度違った光景を見せてくれる。

この景色もとりあえずは今日まで。

レッドステアーズ
This is NY part 2.

最後にいつもの24h営業のスーパーでビールを買ってホテルに戻る。

1日の〆は変わらない。

 

 

2010年3月2日 火曜日

帰国の朝。

折角良いホテルの良いベッドで眠っているのに前日も今朝も「早く行動しなきゃ!」と焦った気分での起床が残念。

ゆっくり行動するとその分だけ回れるところは減ってしまうし、短い滞在の旅の葛藤の1つだ。

この日の「早く行動しなきゃ!」は帰国の飛行機に影響するだけに疎かに出来ない。

6時には起きて最後の荷造りである着替えの圧縮袋詰め作業などを行う。

全ての帰り支度を終えてホテルのレストランで朝食。

前夜のワインと寝酒ビールも残っていたので食欲はそれほどでもなく、軽めにシリアルにしておいた。

7:30すぎには両親に見送られてホテルを出る。

いつも一人旅では旅の終わりの寂しさの中に帰国することに対する一抹の安堵感がある。

しかし今回は両親をNYに残したまま、兄弟だけ先に帰国。

最後かもしれない家族旅行が終わってしまうという実感も合わさって帰国に対する安堵感が全く無かった。

あーぁ、終わっちまうなーという切ない感情だけが残った。

弟との数少ない2ショット
I'll be back.

そうは言っても帰国は帰国。

着いたときと逆のパターン、地下鉄でペンシルバニア駅まで行ってNJトランジットでニューアーク国際空港を目指す。

往路は敢えて父に全て任せていたので、帰りのことを意識していなかった。

巨大なペンシルバニア駅はその大きさだけで迷いそうになったので、迷わず駅員に道を聞く。

終わってみればアッサリとNJトランジット(15ドル≒1,380円)に乗れて、ニューアーク国際空港に到着。

殆どコンチネンタル航空だけのようなニューアーク国際空港。

チェックインも迷うことなく終え、荷物も預ける。

セキュリティチェックでは金属探知機ゲートをくぐって靴を脱がされたうえにボディチェックまで受けるほど厳重。

逆に出国審査はいつしたの?というくらいアッサリしていた。

セキュリティチェック前にパスポートと搭乗券をチラ見したアレがセキュリティチェックだったのだろうか。

出国スタンプすら押されていない気がする。

入国審査は厳しいけど出国審査は緩いってまぁ当然といえば当然か。

空港で免税店を冷やかしつつ時間を潰す。

10:20搭乗開始、当たり前だが日本人だらけの機内で雰囲気は既に日本。

NYという定番観光地と3月という時節柄か、卒業旅行です!と顔に書いてあるような学生風旅行者が大勢。

満席の機内で弟とは席も離れた。

行きの機内はテンション最高潮だが、帰りの機内はテンション上がる要素が何1つ無い。

せめてもの慰めに5ドル(≒460円)のビールを飲み、映画を眺め音楽を垂れ流して時間が過ぎていく。

 

 

2010年3月3日 水曜日

2度の機内食と1度ずつの軽食とスナックを経てNY時間AM1時・日本時間15時頃に成田着。

窓にはシェードが下りていたがずっと明るかったのではないかと思われる。

職場の人への土産として免税店で煙草を買うつもりだった。

ニューアーク国際空港の免税店にはセブンスターが売ってなかったので帰りに成田で買おうと思っていた。

しかし帰国した到着ロビーには免税店が無さそう。

空港の人に聞いてみると到着ロビーに免税店は無いとのことだった。

後で調べてみると免税店で買った物はその国で使わない前提だから税を免除しているのだという。

日本の帰国時に買ったものは確実に日本国内で使うわけで、免税店の趣旨に反する。

故に帰国時に免税店は無いとのこと。

考えてみれば実にその通りの分かり易い理由。

免税店で買い物をしたければ出発前の成田空港か、帰国前の海外の空港か、飛行機の免税品販売しか手段は無い。

だからといって今から成田を出発して海外だ!という時に早くも帰国のこと考えて免税店で買い物というのはどうなのだろう。

買い物がメインの旅行者には良いのかもしれないが、荷物にもなるし順序が違う気がする。

ここら辺は人によって旅の仕方も違うだろうから、深くは突っ込まないことにする。

そんなわけで煙草は買えないまま無事帰国。

往路と同じく地元までのバスに乗る。

バスに乗る人は当然だが海外旅行からの帰国者。

旅行が終わったなー、疲れたなーというドヨーンとした空気が車内全体を包む。

あの独特のけだるい雰囲気と地元へ向かう2時間でジワジワと夢から醒めて現実に戻される。

日本時間18時前に帰宅、NYなら未だ1日が始まってもいない時間だ。

 

 

総評

今回は私の旅ではなく、家族の旅だった。

自分以外を対象にここまで旅のプランを練ったのは初めてだった。

両親は全部任せて悪いね、というようなことを言っていた。

でも私からすれば旅の一番面白いところ(計画を練る)を全部やらせてもらって悪いね、という感じだった。

何年ぶりかの家族旅行、最初で最後かもしれない海外家族旅行。

そのメインテーマが20数年前に暮らした場所への再訪。

家族全員が揃ってそこへ行けただけで旅の目的は充分に達した。

総評では旅のおまけとして実施したNY観光について感じたことを列挙するにとどめよう。

・これまでアジア諸国ばかり行ってきた身からすると物価は高い。チップにサービス料含めるとちゃんとした店でビール飲んだだけで10ドル(≒920円)近く取られる。

・逆に航空券はNY便の数が多いからか距離を考えると断然安い。ここ数年の私の旅の中では最も安かった。

・上記理由からか、これまで訪れたアジア諸国に比べると日本人観光客率が高かった。アジア諸国では東洋系の観光客は中韓が多かったが、NYでは日本人が最も目立った気がする(卒業旅行シーズンという時期的なものもあるか?)。

・「地球の歩き方」はNY一都市がネパール一国よりも分厚い。

・日本で事前に両替したところ1ドル≒92円だったが、NYの両替商を覗いたら1ドル100円超の値をつけているところも。どの両替商でも日本の銀行の両 替レートより悪かった。

・さらにクレジットカードで現地払いして後日請求書を見ると92円よりもっと安いレートで換算されていた。カード払いが最も効率良さそう。

・食べ物は基本的にどこへ行っても大量に出てくる。物価は高い印象だったが量を考えると妥当かも。

・スターバックスは日本のドトールばりにNYのアチコチにあった。

・ブロードウェイというのはミュージカルの劇場街を指すものだと思っていたが、マンハッタンを南北に貫く主要な道路でかなり長いことを知った。

・マンハッタンの主要道路は碁盤の目のように分かりやすいなか、ブロードウェイだけが碁盤の目を無視して斜めに走っている。エンパイアからマンハッタンの街並みを見下ろしてブロードウェイだけはそれとハッキリ分かる。

・バドワイザーもミラーもアメリカの代表的なビールは薄い。現地で飲んでもそれは同じだった。

・毎度のことだが、自分への形に残る土産は何1つ買わなかった。この旅の記憶と記録が何よりの土産。

旅行代理店などで扱っているNYツアーの最短期間は5日。

うち2日半ほどが移動に費やされ、実質行動できるのは2日半。

ピークシーズンを外せばホテル・航空券込みで10万未満がざらにある。

短い期間しかいられないが、その気になればNYでも意外とすぐに行けることが分かった。

今回あまり行けなかったロウアー・マンハッタン、ダウンタウンの雑然街やブルックリン橋など他にも行きたい所はある。

その気になれば、いつでもまた行こう。

全て現地調達品
NY諸々

 

 

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