日々是ネタ也
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第100回 ライブ初参加 (2011/08/02)

2011年6月12日東京ドーム「KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”」氷室京介が震災復興支援チャリティとして全てBOΦWYの楽曲でライブを行うと発表した。オークションではチケットに数倍もの値段がついたプレミアムライブ。開催の2日前に急遽お誘いを受けて行くことになった。歌番組の公開収録に参加したことはあれど、特定のミュージシャンのライブへは行ったことがない。どんな風にすれば良いのか戸惑っていたが相手はBOΦWY。最近がどうかは知らないが、私がティーンエイジャーだった頃には聴かなかった人はいないんじゃなかろうか。既に解散はしていたにもかかわらず男子なら誰もが1度は聴いたであろう伝説のバンド、BOΦWY。その楽曲をライブで聴けることになるとは。1曲目のイントロが流れ、それまで座っていた観客が総立ちになって大合唱を始めた。「初めてのライブでどうすれば良いか分からない?」そんなのは愚問だった。

01. DREAMIN'
最初の曲は何だろう?と話題にしながらワクワクドキドキしながら開演を待ち流れたイントロでウォー! ライブ参加が初めてでどういうノリをすれば良いのか分からなかったが、周りに合わせてノリノリで大合唱すれば良いのだと分かった。 まさか初っ端にDREAMIN'とは予想していなかった。 最初に夢を見てるヤツに贈るぜ!…とは言わなかったが。

02. RUNAWAY TRAIN
1曲目でテンション上がりすぎて2曲目で「?」となった。アレ?聴いたことあるけどタイトルも歌詞も出てこない!? BOΦWYブランクが露呈してしまう。2曲目でコレだと今後大丈夫か?とかなり不安になった。

03. BLUE VACATION
04. ROUDE OF GRAY
3,4曲目は普通に知っている曲だったので唄えた。 やっぱり2曲目が分からなかったのが特殊だったんだよな、と自分に言い聞かせる。 とはいえどちらの曲もDREAMIN'ほどアップテンポな曲でもないのでやや停滞気味…イヤ、充電と言った方が正しいか。

05. ハイウェイに乗る前に
思い出せなかった2曲目と地味めな3,4曲目で少し停滞していた気分を一気に盛り上げてくれたアップテンポな曲。

06. BABY ACTION
07. JUSTY
前曲からのノリが続いていたので問題なく燃やせ燃やせ燃やせbaby!(学生時代、歌詞を見るまで間違ってこう覚えていたなーなんてことを思い出した) ノリが続けば最初からBaby it's alright!

08. WELCOME TO THE TWILIGHT
2曲目に続いて聴いたことがあるんだけどタイトルと歌詞が出てこなくてモヤモヤしたまま終わってしまった曲。 でもバラードだったのでしんみり聴いていればOKだった。

09. BAD FEELING
イントロの最初の音だけで誰もが分かり盛り上がる代表曲。Get Out!のshoutがカッコ良すぎる。

10. "16"
この曲の後のMCで「曲を作った頃はシクスティーンに近かったけれど、今はシクスティーの方が近くなっちゃって」というまさかの自虐ネタで会場大うけ。 「このまま何も出来ないで歳を取っていくのはゴメンさ」という歌詞が響く。シクスティーンはとっくに過ぎてしまったがシクスティーまでは猶予があるな。

11. LONGER THAN FOREVER
この曲に入る前のMCで「BOΦWYはロック調の曲が有名だけど個人的にはバラード調のこんな曲も好きで」(意訳)と言って何を唄うんだろうと期待したら、個人的にBOΦWYの好きな曲ベスト5に入るこの曲だったので凄く感動した。

12. MEMORY
前曲からの流れでまたまた個人的にBOΦWYの好きな曲ベスト5に入るこの曲の連投でコレはオレのための選曲じゃないか?と妄想を抱いた。

13. B・E・L・I・E・V・E
バラード系を締めくくったB・E・L・I・E・V・E、この曲辺りで東京ドームカラオケ大会が1時的に納まってしんみり聴いていた気がする。

14. 季節が君だけを変える
バラード系とは言えないかもしれないがこの曲が1つの転換となった。

15. B・BLUE
そしてイントロだけでこれまた大盛り上がりのこの曲へ。現場にいたときは思わなかったが改めて曲を並べると巧く配置されているなと思う。

16. MARIONETTE
その流れで最も有名な曲へ。しかし会場に来ているのは恐らくコアなファンばかり。最も有名な曲だから最も盛り上がるわけではないんだなーというのを実感。

17. PLASTIC BOMB
恐らく最も盛り上がったのがこの曲。今にして思うとB・BLUE〜マリオネットとメジャー曲で繋いだのも良かったんだろう。5万5千人の大合唱によるLet's Go!は人の声だけで東京ドームが震えるのが実感できた。

18. DOWN TOWN SHUFFLE
19. BEAT SWEET
20. RENDEZ-VOUS
PLASTIC BOMBからの怒涛の流れでどちらかといえばマイナーと思える曲の連続ながら熱くなり過ぎた会場はそんなこと気にせず大合唱。 あぁオレこの曲好きだったなーというのを思い出させてくれながら一緒に唄う。

21. ONLY YOU
現場にいたら時間を忘れて分からなかったけれど確実に終わりへのカウントダウンだった代表曲。

22. IMAGE DOWN
説明不要のライブ定番曲。少し期待していたがさすがに「ライブハウス東京ドームへようこそ」のMCは無かった。

<アンコール>
23. ON MY BEAT
IMAGE DOWNでアレ?終わったの??と不完全燃焼だった中でアンコールでこの曲。 再び火がついてビッビッビッビッの大合唱。

24. ホンキー・トンキー・クレイジー
少し休憩といわんばかりのミディアムテンポなこれまた代表曲。

25. NO. NEW YORK
MCの「ノー!」でテンションMAX。 最初にこの曲を聴いたときはライブバージョンで凄く良いと思ったが、アルバムでオリジナルを聴いて少しガッカリしたのを覚えている。 BOΦWYの曲はライブで聴いてこそ映えるというのをまざまざと見せ付けられた。 そして今回は単なるライブバージョンではなく、自分もその場にいるリアルライブバージョン。 盛り上がらないわけが無い。 終わってみてコレが終わりだったんだと気付かされた。

NO.NEW YORKが終わり、会場に設けられたスクリーンからエンディングテーマとスタッフロールが流れる。え?これでもう終わっちゃうの?と思ったが時計を見ると開演から2時間が経過していた。2時間がアッという間に感じた。東京ドームが巨大な豪華すぎるカラオケBOXだった2時間。2時間8千円です、の請求が安く感じる。ただ唄うだけでなく立ちっぱなしで腕は振り上げるし身体は揺するし時には飛ぶし。一種のトランス状態に陥っていたような気がした。BOΦWYの曲は10年以上も聴いていなかった気がするが殆どの曲をほぼ全て唄えた。10代の頃に聴いていた音楽はいつまでも覚えているものなんだと感心した。また行きたいと思いつつも、伝説のままでもうやらないで欲しいと思う自分もいる。贅沢な葛藤に苛まれながら、贅沢な夜が終わった。

 

第99回 データで振り返るフルマラソン (2011/04/02)

先日のフルマラソンの各種データが出揃った(湘南国際マラソン公式サイト等より)。

・気象条件
スタート時刻(9:00)、天候:晴れ、気温5℃、湿度62%
正午、天候:晴れ時々くもり、気温9℃、湿度54%

まさに真冬の寒さと言えるだろうが、走っているときは勿論のこと、スタート前もテンションが上がっていたからか寒いと感じることは殆ど無かった。それでも給水所の水やスポーツドリンクが冷やしている形跡も無いのに冷え冷えだったのでやはり外気は相当寒かったのだろう。

・フルマラソンデータ
定員:18,000人
エントリー数:男14,964人、女3,036人、計18,000人
出走者数:男12,948人、女2,526人、計15,474人
完走者数:男11,913人、女2,159人、計14,072人
完走率:男92.0%、女85.5%、計90.9%

さすがにフルマラソンにエントリーしようと思うだけあって、結構な完走率だと思える。

・個人的データ(後日、個人宛に郵送された内容)
公式記録(9時の号砲からゴールラインまで):4時間58分49秒
ネットタイム(スタートラインからゴールラインまで):4時間43分21秒
号砲からスタートラインまで:15分28秒
10km:1時間22分05秒(実質1時間6分37秒)
20km:2時間28分46秒(実質2時間13分18秒)
30km:3時間37分15秒(実質3時間21分47秒)
40km:4時間46分16秒(実質4時間30分48秒)
42.195km:4時間58分49秒(実質4時間43分21秒)

スタートラインまで約15分のロスを引いた実質タイムを算出。さらに10km毎のラップタイムと時速、1km毎のペースを算出してみた。
0〜10km:1時間6分37秒、時速9.01km、1km6分40秒ペース
10〜20km:1時間6分41秒、時速9.00km、1km6分40秒ペース
20〜30km:1時間8分29秒、時速8.76km、1km6分51秒ペース
30〜40km:1時間9分01秒、時速8.69km、1km6分54秒ペース
40〜42.195km:0時間12分33秒、時速10.49km、1km5分43秒ペース

順調に走れていたと自覚できていた20kmまでは殆ど変わらず時速9kmペースだったのは驚いた。明確に辛さを実感してきた20km以降はジワジワと落ちてきているのも予想通り。それでも初めてにしては大きく崩れることなくそれなりのペースを保てていたような気がする。そして何よりも驚いたのが40kmを過ぎてからのラストスパート。確かに最後は公式タイムで5時間切り!の目標を打ち立てて飛ばしたつもりではあった。それにしても僅か2km強とはいえ最後の最後にこれまでの最速ペースで時速10km越え。これまで練習でもジムでも殆ど走っていなかった時速10kmというスピードを本番の最後に発揮できたポテンシャルに我ながら驚いた。ラストスパートだからこそ出る力というのを感じさせられたデータだ。そして全工程を通しての実質データは以下。
0〜42.195km:4時間43分21秒・時速8.93km、1km6分43秒ペース
次があるなら平均時速9kmを維持し続けることが現実的な目標な気がする。僅か時速0.07kmのペースを上げるだけだが、フルマラソンの過程の中ではたったそれだけが相当に大変なことを今は身をもって知っている。やはり焦らずマイペースが良いかな。

 

第98回 フルマラソン (2011/02/13)

2011年1月23日・日曜日、第5回湘南国際マラソン。初めてのフルマラソンに挑んだ。

・前日
本番へ向けた最終準備に充てた1日。前日の準備はただ1つ、万全の状態で当日を迎えられるようにすること。当日は一緒に参加する職場の仲間と朝7時過ぎに会場に近い東海道線二宮駅に集合の予定。時間を調べると朝の5時30分過ぎには自宅を出ていないと間に合わない。出発時間から逆算して4時30分には起きることを考えると前夜の就寝は早い方が良い。21時30分には布団に入っていることを想定して行動する。完全休養するよりも少し身体を動かしておいた方が良いと判断して夕方からスポーツジムへ。いつもよりも軽めの運動をし、ゆっくり風呂に浸かって帰宅。晩飯はいずれもスーパーで買ってきた出来合いのフライドチキンと春雨スープ。寝つきを良くするため…と言い訳しつつビールを1缶とウィスキーをロックで軽く1杯。事前の予定通り21時30分には布団に入る。フルマラソン前夜の期待と不安はありつつも、適度な運動と適度な酔いが適度に回ったらしくすぐに寝付けた。

・朝
予定通り4時30分に起床。早い時間ではあったが、数時間後には未曾有の大運動をしていることを考えると朝食は必須。少し量が多いとは思いつつも前日に買っておいたオニギリ2つとお茶、アンパン1つと牛乳を朝食とする。5時30分過ぎに家を出るも辺りは真っ暗。最寄り駅で電車を待っていると早くもそれと分かるような格好をした人がチラホラ。乗り換え駅で東海道線のホームへ行くと様子が一変。土曜朝の6時台だというのにホームには大勢の人。そして到着した東海道線は平日朝の通勤電車もビックリなラッシュ状態。当然座れるはずも無く、ギューギューに詰め込まれた電車内。二宮駅に到着しても降りる人が多すぎてホームからなかなか脱出できない。スタート前に早くも疲労しつつ、改札を出て職場の仲間と合流。そこからマラソンのメイン会場となる大磯プリンスホテルへ向かう臨時直通バスに乗る(バスに乗るのも行列)。メイン会場は大磯プリンスホテルの広場。既に大勢の人が集まっていて、ステージでは主催者のような人達やゲストランナーが挨拶をしていたり、大会グッズ等の売店があったりとお祭り騒ぎで次第にテンションも上がっていく。会場には参加者だけが入れる一角があり、そこで着替えたり荷物を預けたり最終準備を行う。更衣室代わりの簡易テントはあったが、男は殆ど外で平然と着替えている。私も躊躇せず外で着替え。上半身はピチッとしたドライ素材のスポーツ用長袖Tシャツの上に半袖のTシャツ(前後にゼッケンを付ける)とランニング用グローブと腕時計。下半身はランニング用ロングスパッツの上にハーフパンツ。足はランニング用ソックスとランニング用シューズ(事前に送付されていたタイム計測用のタグを付ける)。荷物は大きな袋を渡されていたのでそれに自分のゼッケン番号が書かれたシールを貼り付ける。それを簡易テントの中に預けるのだが、基本的に誰でも入れそうな所へ無造作に置いておくだけ。いくらでも置き引きされそうだったが、大量の荷物が置いてある状況はそんな気も起きなさそう。スタート前にトイレに行っておいた方が良いかとも思ったが、会場に設置されたトイレは大行列だったので断念。スタートの2時間前に集合と聞いたときは早すぎるんじゃないかと思ったが、実際には会場に着くまでの時間や着替えや準備の時間を考えたらそれでも足りないくらいだった。

・スタート
スタート時間である9時の5分前くらいからスタートを待つ人ごみに紛れる。フルマラソンの定員は1万8千人(実際に出走したのは約1万5千人)。スタート地点は事前に申請していたタイム順(私の場合は最も遅い5時間30分)に割り振られているらしいが、人が沢山いすぎてどこが自分の正規のスタート地点なのかさっぱり分からない。そうこうしているうちにスタート時間の9時を過ぎていたが、号砲も聞こえず人ごみは相変わらずでスタートどころか前に進む気配も無い。少しするとじわじわと歩き出し、次第に走れるようになってくる。お、イヨイヨ始まったか…と思ったらまた渋滞で歩き出す。するとようやく前方にスタートゲートが見えてきた。ゲートの高いところから司会者が「ココがスタートです、皆さんお待たせしましたー」とマイクで喋っている。傍らには大会実行委員長の国会議員とゲストランナーが手を振っている。じりじりとスタートゲートへ近付いていき、ゲートを越えると一気に皆走り出す。9時15分、ようやく本当のスタートを迎えた。沿道の大会ボランティアに「絶対戻ってくるぞー!」と威勢の良い声をかけている人もいてこちらも身が引き締まる。最初は職場の仲間と一緒だったがスタート前の渋滞ゴタゴタで1人はぐれ、スタート直後のバタバタでまた1人はぐれ…で結局1人で走ることに。大勢の人が一斉に走り出しているのでとりあえずその流れに乗って一緒に走る。人が多すぎて自分のペースなんて全く分からずただただ走る。沿道には素人ばかりの大会なのに何でこんなに?と思うくらいの観客。誰に対して応援しているのか分からないが、「頑張れー」と言われると我がことのように嬉しい。何だか早くも自分が凄く頑張っている気になってくる。快晴の空の下、まずは順調に走り出す。

・序盤〜中盤
マラソンのコースは大磯プリンスホテルをスタートして西湘バイパス・国道134号線を東へ向かう。箱根駅伝往路の3区と4区(復路の7区と8区)辺りのコースと被っている海沿いの道。何も考えずに走っていれば良いわけではなく、一定距離毎に関門がある。制限時間までに関門を通過しないと失格となる。第一関門は10.8km地点でスタートから1時間41分後の10:41までに通過しなければならない。スタート地点に到達したのが号砲から15分後だったからといって制限時間が15分延長されるわけではない。これまでの練習で走ったペースから考えたら間に合うだろうとは思っていたが、実際に通過するまでは不安に駆られながら走る。結果、15分ほどの余裕を持って第一関門を通過。とりあえず安心はしたが、序盤で15分の余裕しか持てていないのは後半にペースが落ちることを考えたら危険なのかとも思う。しかし無理にペースを上げるのも本末転倒なので相変わらず周囲の適度なペースに合わせて黙々と走る。しばらく走っていると後ろから職場の後輩に追いつかれた。とはいえ追い抜かれることは無く、同じようなペースだったので並走。富士山も一緒に登った仲だし、職場でも席が隣なのでアレコレ喋りながら走る。喋れるということはまだ余裕がある証拠だし、喋っていると気が紛れて疲れもあまり感じない気がした。そうこうしているうちに折り返し地点の江ノ島に到着。そして19.2km地点の第二関門。スタートから2時間46分後の11:46に設定されていた第二関門は第一関門よりも余裕を持って突破。相変わらず職場の後輩と走っていると前方にも富士山を一緒に登った仲間が走っているのが見えた。ペースもそんなに変わらなかったので合流し、しばらく3人で並走。しかし24km辺りの給水所で水分補給等をしている混雑の中で仲間とはぐれて再び1人で走ることに。走行距離も25kmを越え、これまで走った最長距離を突破。ここから先は経験の無い距離で、身体にどんな異変が起きるか想像が出来ない。脚もかなり痛くなっており、いつかピキッとくるんじゃないかと不安になる。1人になって未知の領域を走った25〜30km辺りが肉体的にも精神的にも最も辛かった気がする。

・終盤
関門は全部で5つあったがスタートから3時間53分後の12:53に設定された約28.3km地点の第三関門からは既に時間を気にするまでも無く、余裕で越えられていた。30kmを越えた辺りからか、走っていて不意に強烈な感情の波がやってくることがあり、何故だか感極まって涙しそうになった。不思議な感覚だったあれがランナーズ・ハイという状態だったのだろうか。残り10kmを切ったところで「あと皇居2周分なら行ける」と完走が現実のものとして見えてきた。時間は13時前、もうすぐスタートから4時間になるところ。残り10kmを1時間5〜10分程で走れれば5時間を切るタイムでゴールすることが出来る。完走が見えてきたので、どうせならタイムも狙ってやろうと欲が出てくる。気合を入れなおしてペースを上げたつもりだったが、実際にペースが上がっているのかどうかは分からない。コース(車道)上の白線ですら段差で辛く感じるほど敏感になっている脚。この辺りまで来ると歩いている人もかなり目立つ。走っている途中で打ち立てた目標、14時までにゴールして5時間切り。脚の痛みと疲労で何度も諦めかける。スタート時間からスタート地点まで15分のロスがあったから14時に間に合わなくても実質5時間は切れているし…と甘えそうになる心。そんな中、目に付いたのは今大会の参加者全員に配られた大会公式Tシャツ。多くの人がそれを着て走っていたが、そのTシャツの背中にはランナーに向けたメッセージが書いてある。幾つかあるメッセージの中で最も印象に残ったのが「苦しさはやがて消える。あきらめた事実は永遠に残る。」というもの。そのメッセージを見つけてもう1度自分を奮い立たせる。たとえ目標が達成できなくても、諦めて達成できないのと、やるだけやって達成できないのとでは雲泥の差がある。少なくとも気持ちだけは諦めないように心に誓う。気力で走る、というのはまさにこういう状態なんだというのを実感。そして残り1km、メイン会場の脇を走る。会場からは司会者のアナウンスが聞こえてくる。「会場の皆さん、今この瞬間にもゴールを目指して走っている人達がいます!その方たちに力を与える拍手を!」という声と共に聞こえてきた拍手と沿道の声援。応援はこんなにも力を与えてくれるのかと感動し、ラストスパート。メイン会場へ向かう最後に待っているのは急な上り坂。その坂の上にあるのはフィニッシュゲート。そしてゲートに表示されたタイムは4:58、ギリギリ5時間切り。ラスト10kmで少しでも諦めていたら切れなかったであろうタイムだっただけに想いは格別。両腕を突き上げてゴール。42.195km、完走。

・ゴール後
ゴールした瞬間、これまであんなに走っていたのに歩くことすらままならなくなった。ゴール直後のスペースで大会運営の人に完走のメダルを首にかけてもらう。私の人生でメダルを貰ったのは初めてな気がする。脚を引きずりつつもスタート前に荷物を預けた一角へ行くと、既に走り終えていた仲間が数人。最終的に今回一緒に参加した11人のうち9人が完走。やりましたね、とお互い声を掛け合う。疲れきってまともに歩くことが出来ないような状態ながら、充実感は物凄い。初回だからというのもあるだろうが富士登頂よりも大きな達成感。無謀な挑戦かと思えたフルマラソンを完走。「凄く楽しい42.195kmでした」とまでは言えないが、「自分で自分を褒めたいです」くらいは言っても良いだろう。

・帰路
帰りもまた行列に並んでバスに乗る。大磯駅へ向かう無料のシャトルバスが何台も行き来していて、座っていけるのが良かった。しかし一旦座ったが最後、立ち上がるのには相当な決心が必要だった。大磯駅にはそれほど飲食店が無かったので、乗り換え駅で途中下車して打ち上げ。走っている最中に給水所でパンやおにぎりやバナナ等で栄養補給はしたが、食べ易いようにいずれも手のひらサイズなので空腹を満たせるようなものではない。朝食以来久しぶりの食事に加えて充実感と達成感もあり、最高に美味しい酒と肴だった。あんなにも身体と心に沁みたビールは初めてだっただろう。皆疲れていたので長居はせず、数杯しか飲んでいないのに異常に酔いが回った気がした。座って飲み食いしているときには忘れているが、いざ立ち上がろうとすると脚が悲鳴を上げる。帰りの電車は敢えて各駅停車で座っていく。帰宅後はすぐにシャワーを浴び、風呂上りに最後の祝杯。長い長い距離を走った長い長い1日が終わりを告げた。

・翌日
一緒に走った職場の仲間と「完走した翌日に仕事に行くまでがフルマラソンだよな。」と冗談で話していた。そしてフルマラソン翌日の月曜日。脚の裏から腿は勿論のこと、わき腹まで含めて筋肉痛。起き上がるのすら辛い状況は初めて富士山に登った13年前を髣髴とさせる。階段は1段1段確かめるように昇降し、駅ではエスカレータやエレベータを躊躇せずに使う。下半身のほぼ全ての部位が筋肉痛だったが、どこか誇らしい痛みでもある。最後の筋肉痛までもがフルマラソンの充実感。1日の仕事を終え、一緒に走った同僚と晩飯がてら軽く1杯。次も確実にありそうな雰囲気を残したまま、初めてのフルマラソンを走り切った。

 

第97回 皇居ランナー (2010/11/23)

職場の回覧で始まったフルマラソン挑戦への道。その発起人が第1回の合同練習を呼びかけた。市民ランナーのメッカとも言われる(?)皇居周辺を走ろうというもの。皆で日程を合わせた日曜日、朝の10:30に日比谷駅に集合。ランニング用品店兼貸しロッカー&シャワー屋で荷物を預けて着替えを済ます(利用料約500円)。東京のど真ん中をTシャツにジャージなどという格好で歩くことになるとは。スタート地点は桜田門の周辺。桜田門外の変として名前は有名だが現在も本当に桜田門があるとは知らなかった。さらに桜田門の目の前にはニュース等で目にする警視庁のビル。警察小説を読むと警視庁のことを隠語で桜田門と呼んでいるのも頷ける。その桜田門周辺は広場になっていて多くの市民ランナーがいる。何かの大会をやっているのかゼッケンをつけて走っていたり、それをカメラに収めている人がいたり、インストラクターがランニングの指導をしていたり、そうではなくても普通の観光客がいたり。老若男女に観光客から観光外国人まで様々な人が入り乱れて賑やか。適度に準備運動をし、1時間30分後に桜田門に集合ということで各自ランニング開始。

ランニングする人の流れが出来ている方向(反時計回り)へ走り始める。周囲は高い建物に囲まれている皇居周辺だが皇居周辺だけは大きな公園のようで穏やか。日本武道館へは何度も行ったことがあったが、皇居へ来たのは初めて。目に映る景色が全て新鮮で走っていても飽きない。一緒に走っている仲間もいるので話しつつ気楽に走る。走りつつも次第にそれぞれのペースから差が出て来る。1人になって黙々と走って気が付くと1周目が終わっていた。2周目になるとある程度距離感がつかめてきて走るのが楽になる。1周目の方が新鮮な気持ちは強かったが初めての景色で色々な情報を頭にインプットしていたから感じる時間も長くて疲れもあった気がする。皇居周辺は適度な坂もありながら信号が無いので走るのには向いているのかもしれない。2周を走り終えたところで1時間チョットが経過。3周目に突入すると予定時間の1時間30分をオーバーしそうだったので大事をとってやめておいた。1度走り始めると1周するまで止められないのが辛いところか。ランニングを終えてシャワーを浴びた後はランチを兼ねて昼間からビール。個人的にはこちらがメインでも良いくらい。

帰ってからジョギングシミュレータで走ったコースと距離を計測。皇居1周でおよそ5km弱、その2周を1時間強で走ったので時速は10km弱。普段1人で走っているときの平均時速は8km台だし、ジムのランニングマシンでも8〜9kmくらいで走ることが多い。それに比べればだいぶ速いペースで走っていたことになる。周囲に多くのランナーがいて視界には常に誰かが走っている状態。抜きつ抜かれつを繰り返していたので自然とペースが上がっていったのだろう。恐らくはあんなペースで本番を走ったら途中でバテると思われる。今回感じたのは体力の持続よりも足の痛みの方が深刻なこと。体力的にはまだ走れそうな気がしたが、足が痛くて走るのに苦労させられた。ジムのランニングマシンでは味わえないアスファルトの硬さを実感。基礎体力向上もそうだが、痛みにくい足(?)を作ることも重要そうだ。

職場の連中との合同練習だったので、普段の仕事ぶりから運動なんてしないように見えた人でも意外に速かったのを見せつけられた。参加者の中でも私は下から数えた方が近い位置だということが判明したので少し危機感を覚える。皆で走ったことにより(皆で走ったのは最初の一瞬だけだったが)、フルマラソンが現実のものとして少し見えてきた。目標も現実的に、タイムではなくまずは何よりも完走すること。

 

第96回 フルマラソンへの道 (2010/06/06)

「フルマラソンを走りませんか」職場で回ってきた回覧。昨年一緒に富士山を登った同僚が「今度はコレに挑戦しましょう!」と妙に乗り気。見ると既に同僚数人がエントリーを予定している。自分より年上の人もいたし、喫煙者もいたし、女性もいたし…よしやってみるかと半分ノリも手伝ってエントリーすることにした。まがりなりにも1年以上・平均すると恐らく週2回くらいのペースではスポーツジムに通っているわけだし、その何かしらの成果を発揮するにはこのうえない舞台な気もした。

目指すは2011年1月の湘南国際マラソン。10kmやハーフの部門もあるが折角走るならとフルマラソンにエントリー(職場でエントリーしていた全員がフルマラソン挑戦)。だけど果たして走りの素人がいきなりフルマラソンに挑戦して大丈夫なものだろうか。ネットを少し検索するだけでサイトがたくさん出てきて、初心者がフルマラソンに挑戦するまでを紹介するものも多数。いくつかのサイトを見たが、平均するとおおよそ半年は準備期間が必要そう。来年1月が本番なので準備期間としてはなんとかなりそうな気配。スポーツジムでは筋トレ後に1時間ほどランニングマシンかクロストレーナーで有酸素運動を行っている。ランニングマシンを使う場合、時速8km程度で1時間が普段こなしている運動量。しかし42.195kmとなるとそれの約5倍。さらにジムで少しは運動をしているつもりではいるが所詮は全てジム内運動のいわば温室育ち。一度も外をランニングしたことは無い。ランニングマシンだと足を浮かせさえすれば前へ進んだとカウントされるため、走るときに重要とされる踏み出して蹴りだして前に進むという行為がどうしても疎かになってしまうという。スポーツジムだけではなく実道での実戦練習も欠かせないだろう。

マラソンに挑戦するにあたり何をおいても用意しなければならないのがシューズ。初心者なら多少は値が張ってもクッション性の高いちゃんとしたランニングシューズを買うべきらしい。シューズの選び方1つで足や膝にかかる負担が変わってくるため、初心者だからこそ良いものを買うべきとの情報。そんなわけでスポーツショップへ行って店員さんのアドバイスを聞きつつ、ランニング用と銘打って並んでいる中から初心者向きで最も高いランクのランニングシューズを購入。良い靴も買ったわけだし簡単に止めるわけにはいかないぞという自分への戒めも込めて。

初の実戦デビューは距離を考えずマイペースで1時間ほど走ることに。1時間なら普段ジムで走っている時間だし、水分補給無しでもなんとかなるような気がした。ランニングのコースはウチから徒歩10秒にある川沿いのサイクリングロード。車もバイクも来ないランニングに最適の道。サイクリングロードをひたすら走って30分に近くなった適当なところで折り返して戻ってくる。ジムでのランニングマシンと違い、景色が変わるし何より風が気持ち良い。ジムだと20分も走ると汗だくになるのに外を走ると風で汗が適度に乾いて快適に走れる。ウォーミングアップとクールダウンを合わせて往復55分ほど。自分が走った距離を測れないものかネットで調べると、地図をクリックしただけでその距離を計測してくれるサイトを見つけた。ランニングだけでなく普段通っている道がどのくらいの距離なのか測ったり、海外の地図まで計測できて暇つぶしで使っても面白い。一方で地元から新宿まで直線距離でも20kmほどだということを知り、それの倍以上を走らなければいけないフルマラソンはやはり洒落にならない距離だということを実感しもしたが…。このサイトを参考に走る距離を調整して行こうと思う。

初ランニングで走った距離を計測してみると7.2kmだった。時速換算すると7.9km。約10分ほどのウォーキング時間も入っているので実際の時速は8kmチョットといったところか。それだと普段ジムで設定している速度と殆ど変わらない。マイペースで走った時速がジムと同じだったということは、しっかりと身体が覚えているということだろうか。初回だから無理せず1時間弱で終わらせたが、正直言って疲れや足の痛みは殆ど無くもっと走れそうな気がした。もっとも先は長いのでここでは無理をせず、トレーニングもマイペースをこころがけよう。今はスタートラインすら見えないが、数ヵ月後に見えてくるであろう42.195kmのゴールを目指して。

 

第95回 仙台ノスタルジー1人旅 (2009/03/29)

僅か1年強しかいなかったにも関わらず、私の中で強烈なインパクトを残している地・仙台。30代を迎えた記念に、20代の思い出の地への一人旅を敢行した。

仙台行きの夜行バスは0時に新宿を出て翌5:30頃に仙台着。街が目覚める前の時間、24時間営業のマックは夜通し遊んだ人なのか終電を逃した人なのか水商売の人なのかとにかく若者で満席。この時間に開いている店は殆ど無いから必然か。街が動き出すまですることもないので、駅から歩いてすぐの所にある仙台時代の心の遺産の1つである仙台駅前の店へ。建物自体が施錠されていて入れないが、早朝の店の前に立つとまたココで1日の営業が始まるんだなと思った当時の記憶が蘇る。商店街をしばらくウロウロした後に仙台駅構内で休んで時間を潰す。

朝の7時になり事前に予約をしていたレンタカー屋も開店。私の仙台遺産巡りをするのに車は欠かせない。この時間ではまだ開店してないがまずは何よりも元自分の店へ車を走らせる。数年前は何度も通った道なのに最初は思い出せず、カーナビに住所を入れてルートを眺めていて次第に思い出す。店へ向かう途中で新しい道路や建物が出来ていて驚き、それでいながら元自分の店は相変わらずそこにあった。1台も止まっていない駐車場に車を入れ、開店前の真っ暗な店内を外から覗き見る。傍から見たら完全な不審者だ。 レジや棚の位置など変わっていなさそうでなんだか嬉しく懐かしくなる。私の住んでいたアパートも相変わらず店から見える位置にあったが明らかに色が違う。行ってみるとアパートの名前は変わっていないが外壁を塗りなおしたらしく綺麗になっている。私がいた頃にはなかったカメラ付きのインターホンも付いていて時の流れを実感。私の住んでいた部屋は現在空き部屋らしく、ドアノブに電気会社やガス会社からの入居者へのお知らせがぶら下がっていた。不動産屋へ行って内見させてもらおうかという考えが浮かんだがさすがに自粛。

まだ朝飯を食べていなかったので、仙台時代にはかなり世話になった24時間営業の大衆食堂へ行ってみる。途中の道では諸々の発見が。今も使っているコタツを買った家電量販店が潰れてるなとか、ココのラーメン屋はまだ健在だったかとか、ココに元自分の会社の系列店出来てるのかとか。見るもの全てが懐かしかったり新鮮だったり。大衆食堂は変わらずそこにあり、天ぷらそばとおにぎりの朝食で253円、安さも味も変わらない。夜行バスで早朝に仙台に着いてそのまま行動していたので駐車場で仮眠。起きた頃には10時を過ぎていて私のいた店の開店時間。私が辞めてから約7年、よもや知っている人はいまいと思いつつもどこか緊張しながら店内へ。マニュアル通り「いらっしゃいませ」の声がかかり、店員を見てみるが知らない顔。7年ぶりの店内は私のいた頃よりも棚が高くなり、窮屈な感じ。それでも店全体の構成は私がいたときのまま。棚を眺めながら聞こえてくる有線放送に当時の思いが重なり、仙台時代の大半をココで過ごしたんだなーと感慨にふける。一通り店内をぶらつき、一通りの店員の顔は見たが知っている人はいない。 車で近郊の店舗を全部回ってみたがどこの店へ行っても知っている顔に会うことはなかった。最も多くのスタッフがいる東北地方の拠点となる駅前店ですら状況は同じだった。さすがに7年の歳月は大きい。どこかホッとしている自分もいたが、それ以上になんだか寂しくもなった。同じ系列の直営店や近くにあった競合店では閉店している所もあったので、自分がいた店が残っているだけでも上出来なのかもしれない。

7年前より周囲も変わっていて、当時はまだ珍しかった24時間営業のスーパーが増えていたり、家の近くにラーメン屋が出来ていたりと以前よりも暮らし易そうだった。昼は元自分の店の隣にある焼肉屋でランチ。夜は当時仕事が終わった23時過ぎくらいによく通ったラーメン屋まで車を走らせる。夜に仙台の道を車で走っているだけで懐かしい気分になる。どんな観光案内にも載らない、私の私による私のためだけのどんな観光地よりも心に残る仙台一人旅。次の人生の節目にまた訪れることがあるだろうか。

 

第94回 ホームページ10周年 (2008/11/23)

1998年11月13日の金曜日と言う縁起の良い日に作り始めたホームページを初めて公開したのが1998年11月23日。その日から丸10年を迎えた。10年間というと私の人生の3分の1以上を占める。その記録のほとんどがココに残っていると考えると感慨深い。10年前の私は大学生。家族共有のWindows95を使い、ワープロソフトのWORDをHTML形式で保存してホームページを作成したのが全ての始まり。初めてリンクが飛んだ時、YahooでHITしたとき、海外旅行先でインターネットカフェからアクセスできたとき…諸々の感動は今でも覚えている。

当時から今に至るまで基本形式は変わらない。現在で言うブログ的なことを10年前からずっと続けてきただけだ。今でこそ老いも若きも男も女も猫も杓子もブログを書ける時代になっているが、当時はブログなんていう言葉すら無かった(純粋な意味でのウェブログならあっただろうが)。個人的な意地というか、流されてなるものかという頑固オヤジのような古風な考え方と言おうか。完全に時代遅れになっているのは分かっているつもりだが、掲示板形式でポンポン書き込めてしまうブログよりも、ある程度文章を推敲して公開したいと思っている。なので更新はテキストをHTML形式で保存してFTPで転送する昔ながらの方法を今でも採用している。友人に「自分で自分に語り掛けるような文体」と評された私のホームページ。10年後の自分も見てますか?

10年前に公開したときからアドレスは変わっていないので、もしかしたら懐かしい人が不意に思い出してココを見てくれて、さらに掲示板への書き込みやメールが来ることをいつでも心の片隅で期待しています。

 

第93回 スポーツクラブ入会 (2008/10/13)

1人暮らしを始めたウチから徒歩3分の所にスポーツクラブがある。もともと運動音痴なうえにデスクワークで運動など殆どしていない現状。三十路も近いし、最近は体調不良が治りにくいことも多し。抵抗力をつけるためにも身体を動かした方が良さそう。折角近くにあるのだからいつか行ってみようと思っていた。そしてそこがキャンペーン中で2ヶ月分の月会費が半額ということで行ってみることにした。

正式な入会をする前に体験をした方が良いと思いまずは施設体験コースへ。最初はジムで体重計を進化させたような身体測定器で体組織を測る。計測の結果、身長に対して体重がやや足りなく、体脂肪は標準だが筋力が足りないという結果。典型的な運動不足の症状らしい。計測結果を踏まえて身体のどの部分が気になりますか?みたいな問診をもとにインストラクターが筋力トレーニングメニューを作ってくれる。まずは全身の筋力アップとビールで膨らみつつあるお腹周りのシェイプアップを中心としたメニューを作成してもらう。1つ1つのマシンの使い方を教えてもらって筋トレ開始。押したり引いたり捻ったり起き上がったり。単純に腕立て伏せや腹筋を自分でやるのとは違い、マシンを使うのでそれだけでなんだか新鮮。10回ワンセットを2,3回、思っていたほど息が上がらない。有酸素運動のマシンにも挑戦。単純に走るだけのヤツでは面白みがないので、足を上げ下げしながら腕も振る機械(クロストレーナーとか言うらしい)に挑戦。単に走るだけより上半身も使うので一石二鳥な気がする。15分ほど続けると汗ダク、TVが付いているので眺めながら黙々と運動出来て良い。 一通りのマシンを体験し終わると後半はプールへ。1年ぶりくらいの水泳だが特段問題は無く。平泳ぎでダラダラと25mを何往復かして終了。最後は風呂に入って〆。ウチにいるときはシャワーだけの毎日なので風呂だけでも来る意味がありそうだ。文句のつけようが無く体験コースを終えてそのまま入会。運動をすると気持ち良いんだなーというのを久しぶりに感じた気がする。そして帰って飲んだビールの美味しいこと美味しいこと。なんか本末転倒な気がするけどイヤイヤ、これからもビールをしっかり飲めるようにスポーツクラブに行くことにしたのだと思えば良い。私が好きな村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」という小説の中にこんな一節があったのを思い出した。【「35を過ぎたらビールを飲む習慣は無くした方がいい。ビールなんてものは学生か肉体労働者の飲むもんだ。腹も出るし、品性がない。ある程度の年になると、ワインとかブランディーとかが体に良いんだ。小便の出すぎるやつは体の代謝機能を損なう。よした方がいい。」私は肯いてビールを飲んだ。余計なお世話だ。 好きなだけビールを飲むために、私はプールに通ったりランニングをしたりして腹の肉をそぎおとしているのだ。】(要約)…私もそうありたいものだ。

予想はしていたが翌日は結構な筋肉痛。暫く使っていなかった筋肉を一気に使ったわけだから仕方ない。続けることによって解消していくだろう。最近は仕事がそれほど忙しくないので仕事が終わって一旦帰宅してからスポーツクラブへ行く日々が続いている。夜は23時30分まで開いているので仕事帰りでも充分利用できる。当初は風呂だけの利用でもイイやなんて思っていたが貧乏性なもんで行ってしまうとジムやプールに行かないと勿体無いと思ってしまい結局一通りのトレーニングをこなす。トレーニングのローテーションも出来てきて5〜10分ほど有酸素運動をして身体を温めてから一連の筋トレをこなして最後に30〜40分ほど有酸素運動。筋トレの後に有酸素運動をすることによって脂肪が燃焼されて筋肉に変わるのだとか。そして時間が余っていればプールに入って適当に泳いで終了。土日は夕方くらいから行って運動をした後で帰ってビールと晩飯が日課。何もない土日の午後は昼寝ばかりしていた気がするが今やスポーツクラブ通い。我ながらココまで熱心に通うようになるとは思わなかった。 1つの要因は「高い金(月1万円弱)払ってるんだから使わなきゃ勿体無い」という貧乏根性だが、その結果健康体に近付いて暇も潰せればこんなに良いことはない。食生活以外は実家暮らしの頃よりも健康的な生活を送っているような気がする。これで後は目に見える変化が身体に訪れてきたら嬉しい。

 

第92回 1人暮らし開始 (2008/07/21)

今後の人生の中期的計画の一環として考えていた1人暮らしを実行に移した。仕事の忙しさとベトナム・カンボジア旅行で中断していた部屋探しを3月に再開。3月は最も物件が動く時期ではあるが、良い物件があればすぐに決まってしまう。1箇所条件に合致する物件があったが、物件内部が見られるのは4月になるという。4月を待っているうちに「見なくても良いから」という人が先に契約してしまったと言う。供給が多い3月は当然需要も多いのでこういうこともありうる。地元の物件を中心に探していたので立地も含めて情報がありすぎて逆に決められないという状況も。地元を離れた駅の物件もいくつか探してみたが、地元並みの規模の街となると家賃も必然的に高くなる。2,3の街を回ったが結局やはり地元に落ち着いてしまった。

4月になって物件が落ち着いてきた頃だが、どの不動産屋へ足を運んでも同じ所しか出てこなくなった。不動産屋の人は口々に「3月ならもっと豊富だったんですが」と言う。そんなこと分かっちゃいるけど3月だとじっくり選んでいる暇も無いでしょうに。ネットで引っかかるのも似たようなところばかりになってきた頃に部屋のサイズを1つ落として検索したらおっ?と思う物件が引っかかった。1Kの部屋はそれほど広くないが築4年程度の鉄筋コンクリート造3階建て3階角部屋、駅徒歩10分未満、BT別、独立洗面台付、浴室乾燥付、敷金1ヶ月、礼金0。おまけに家賃もこれまで見てきた物件よりも安い。ネットによくある客寄せ用の釣り物件だろうと思って不動産屋に問い合わせてみると空いていると言う。早速その週の土曜日に内見の申し込み。ネットの情報だけを見れば殆どそれで決めても良いと思えるくらいの内容だった。

実際に内見して建物と部屋内部に問題は無い。しかし設備にしては安い一番の要因と思われるものが建物の斜め前に。建物の倍以上の高さがある鉄塔がそびえ立っていた。鉄塔の下だと電磁波の影響で云々というのはどこかで聞いたことのある話。だけど実際は科学的根拠に基づくものではないらしい。日々パソコンを使う仕事をしているわけだし気にしていたら仕方ない。その鉄塔があるおかげでそこに他のマンションが建つことはありえないとポジティブに考える。鉄塔の真横にもマンション建っているし、普通に一戸建ての家もあるし、気にしていたらキリが無い。それ以外の難点は線路に近くて電車が通る音がよく聞こえるくらいだが、実家はまさに家のすぐ後ろが線路だったのでそれに比べればマシな方。家賃と設備と立地を総合的に判断するとこれまで見たどの物件よりも結果的に良かった。内見しつつそれらのことを頭の中でグルグル考えて決断。「じゃ、ココでお願いします。」その一言で最初の不動産屋巡りから半年以上かかった部屋探しが幕を降ろした。

その後の流れはトントン拍子。内見をしたその場で仮契約書類への記入を終える。隠居している父に代わり、現役で働いている母に連帯保証人になってもらうとその翌日にはもう審査が通って晴れて本契約へ。その週末には不動産屋へ赴いて本契約。契約はキリ良く6月からとしたが、5月の終盤にはもう入居しても構わないとのこと。鍵も貰っていたので何度か足を運んで部屋の寸法計ったりバルサン炊いたりなど事前準備も済ませた。部屋は実家から自転車で15〜20分程の距離だったが引越しは業者を頼むことにした。ネットで見積もりをしたら3万程度でいけそうだったので、レンタカー借りて自分でやるよりも依頼した方が楽だと思った。時間未定で3万強+税と言う見積もりを午前便指定の税込み3万に負けてもらい成約。5月ともなれば多少の融通は利くらしい(3月は繁忙期なので値下げは殆ど無理だとか)。引越しを終え、役所関係の住所変更手続きを終え、晴れて1人暮らしの身に。平日は働きながら土曜日にじわじわと生活の場を作っていく。実家で暮らしていた頃と同レベルの部屋の水準まで持っていくのに約2週間かかった。 さらに2週間後の引越から1ヶ月ほどでようやく部屋になったような気がする。

仙台の時は1人暮らしをしていたというよりも必然的にせざるを得なかった状況だった。今回は自ら望んだ1人暮らし。心意気が違うし精神的余裕も違う。まずはココを中期的計画の第一歩として次の目的に向けて進もうと思う。

 

第91回 不動産屋巡り (2008/02/11)

中期的計画の一環として、1人暮らしに向けた情報収集。仙台時代に1人暮らしは経験しているが、部屋は会社が決めたものだったので最初から自分でやる1人暮らしは初めて。まずはネットで候補となる最寄り駅、条件を決める。基準となるのは仙台時代の部屋。あまり部屋にいない日々だったが当時の生活を思い出して不満だった部分を補う部屋を探したいと思っている。仙台時代は2階建てのアパート1階でベランダは無く日当たりも良くなかった→今回は2階以上で出来ればマンションタイプ、ベランダ有りで日当たりも良い部屋を選びたい。仙台時代は洗面所が無かったので朝の洗顔や髭剃りに不自由した→今回は出来れば独立洗面台がある部屋を選びたい。加えて仙台時代と同条件としてバス・トイレ別や室内洗濯機置場など基本的な条件も。最後は今の実家が主要駅まで自転車で10分かかるので駅徒歩10分程度の立地にしたい。数週間はネットで情報収集。おおよその家賃相場や物件を選ぶ際のポイントや不動産屋での対応など諸々を頭に入れてから街へ出て不動産屋デビュー。

住みたい候補となる街へ行き、駅前の目に付いた不動産屋に飛び込む。不動産屋をいくつか巡って場所によって色々あることが分かった。店に入ってカウンターで相談すると分厚いファイルを渡されて「その中から気に入ったのがあったら教えてください」と言われて完全に放置する所。次から次へとどこかへ電話をかけて片っ端から資料を取り寄せて次々と突きつけてくる所。暇なのか2,3人の店員が「ココは良いですよ」と入れ替わり立ち代わり薦めてくる所。聞いてもいないのに物件の悪い所まで指摘してくれる所。1日で4,5件回っただけでクタクタになった。実際に良いかなと思う街をぶらついてみはしたが、総合的に判断した結果地元が1番良いのではないかという結論に達しつつある。家賃相場も回った中では1番安いし何よりも街を知っているのでどこに何があるのか一目瞭然。物件の場所が分かれば自分で行って下見も出来る。次第に地元の不動産屋をメインに探し回るようになってきた。地元の不動産屋を何件も回るうちに出てくる物件が大体どこへ行っても一緒なことにも気がつく。そして自分の条件に合致する物件に関しては不動産屋よりも詳しくなっていく。 「あぁ、そこは先日他社で拝見しました」「その物件はさっき問い合わせたら全て決まったって言ってましたよ」と。恐らくは地元の地理も含めて下手な不動産屋よりも詳しいんじゃないかと思える。「お客さん、ウチの営業になれるよ」と冗談めかして言われたこともあった。

いくつか良さそうな物件を実際に見させてもらい、OKかなと思える物件が無かったわけではない。しかしココで決めてしまって良いのか?と考えると最後の一歩が踏み出せなかった。折りしも仕事が忙しくなってきて土曜日出勤もするようになってきていた。さらには2月末にはベトナム/カンボジア旅行も控えていたのでそちらに力を入れたいという思いもあった。敢えて今決断する必要も無いと判断して第1弾の不動産屋巡りは一旦凍結することにした。「よし!1人暮らしするぞ!!」と勢いで突っ走って色々見てきたが一呼吸置いて改めて見つめなおす機会を作ることにした。

3月にかけて不動産が大きく動くシーズンだが、3月はどこの物件もすぐに決まってしまうらしい。4月以降に残った物件の中から掘り出し物を探してみようかと思う。その時期になると家賃交渉も出来るかもしれないというネット上での情報もある。切羽詰っての1人暮らし開始ではなく、実家に住みながらの部屋探しなので変に妥協する必要はない。とりあえずは地道に探していこうと思っている。

 

第90回 中期的計画 (2007/11/23)

ホームページ9周年。三十路を控えたここ1,2年の中期的計画を立てている。まずは1人暮らし。仙台時代にも経験しているが、あれは1人暮らしをしていたというよりもさせられていた感が強い。家賃は全部会社持ち、職場まで徒歩30秒の立地、忙しすぎて殆ど寝に帰るだけだった部屋。今は仕事も落ち着き、実家暮らしでそれなりに貯えも出来た。いつまでも親元にいるというのもどこか引っかかる。年齢的にも節目を迎えるし、実家もリフォームするとかできっかけとしては丁度良い。今まで漠然としか考えていなかった1人暮らしを実行に移そうと考えている。幸いにして仙台時代に使っていた1人暮らしグッズは一通り揃ってる。ただ問題は5年も電気すら通していない冷蔵庫や洗濯機がまだ使えるのかどうか。

1人暮らしと並行しつつ考えているのが転職。前職を辞して今の仕事に就いて5年ほど。今は職場でもそれなりに信頼も得ているだろうし、きちんと仕事をこなしている自信もある。だけど正直に分かり易い言葉で言うと飽きてきた。どことなく今の仕事の限界が見えてきた。数年後に仕事を続けていても程度の差こそあれ同じようなことをしている気がする。仮にもう少し上の地位に就いても、仕事の内容は職場にいる上の人を見れば見えてくる。職場には40代の人もいて、私と似たような仕事をしている。今の所に居続けて仕事をしようと思えば出来なくはないだろう。それどころか続ければ続けるほど経験もつくので仕事的には楽になるような気がする。だけどそれでは面白くない。一般的に転職は2回まで、30歳までと言われているらしい。三十路を前にした今、もう1度何か新しいことを始めたい気になっている。

さしあたって今はインターネットの転職支援サイトの幾つかに登録を済ませた段階。働きながら家にいながらにして職探し。大学時代や無職時代のさっさと決めちゃいたいというような焦りは全く無い。特にコレという職種は無いので消去法で現職と前職の業界以外であればとりあえずOK。数ある求人の中からマイペースでじっくりと興味がありそうなのを選ぼうと思っている。この転職に対しては最低限の保険もかけている。もしも転職が失敗しても今の仕事になら戻れる気がしている。それなりにこれまでやってきた成果もあるし、周りにも30代でブランクがありながら同じ業界に戻ってきた人もいる。同じ会社に戻るかはともかく、同じ業界になら戻ってこられるだろう。

1人暮らしと転職を考えた際にどちらを先にするのかが迷いどころ。今の仕事をしつつ1人暮らしを始め、ある程度の生活リズムを作り、落ち着いてから本格的な転職活動の方が良いような気がしている。しかし転職してからの勤務先がどこになるか分からないのに住む場所を決めるのも抵抗がある。かといってコレという求人がいつまでも出てこなければズルズルと実家にいつくことになってしまう。転職して落ち着いてから1人暮らし、となるとだいぶ先の話になるような気もする。アッチを立てればコッチが立たない状態。とりあえず現在の職場や都心へのアクセスが良い沿線の駅を中心に1人暮らしの家探し中。1人暮らしは半年から1年以内、転職は1,2年以内を考えている。勿論どちらもコレは!というのがあれば早まるけど。さて、ホームページ10周年はどこでどうして迎えることか。

 

第89回 トイレを探しに (2007/05/04)

家のトイレにウォシュレットを取り付けることになった。今や何かを買おうと思ったらネットで調べてから探すのが当たり前になってきている。どんな種類のものがあるのか、評判はどうか、値段の相場は云々。調べて分かったのはウォシュレットというのはT○T○社の商品に対する名称だってこと。S○NYのウォークマンみたいなものか。アレコレ調べていて分かったのがウォシュレットの進化。今や蓋が自動で開き、その瞬間に便座が温まり、コトが終わると脱臭機能が働き、立ち上がると自動で水が流れ、蓋が自動で閉まるという。そのうちに座るだけで自動でウンコを吸い出してくれるような機種も登場するんじゃないかと…。

商品には大きく分けて2つのタイプがある。貯湯式と瞬間式。貯湯式はその名の通りお湯を貯めておくもの。瞬間式は使用するときだけ熱を通して瞬間的に温かくするというもの。貯湯式の方が本体価格が安いが常に保温させておく必要があるために電気代は高くつく。瞬間式は本体価格は高いが使用するときにのみ熱を発するので電気代は安くなる。水勢や洗い心地は貯湯式の方が良いらしいが、ずっと湯を貯めてあるので細菌が繁殖するなどの情報も。情報を取捨選択した上で本体価格が多少高くても維持費が安く済む瞬間式を購入することに。

コレという商品を決めてネットや近郊の家電量販店を見てみるが、明らかにネットに掲載されているほうが安い。軽く1万円以上の開きがある。ネットに情報を掲載している店が秋葉原にあるというので休日を利用して久々に秋葉原へ。秋葉原の大手家電量販店でも値段はネットよりずっと高い。それならばネットに情報を掲載していた店はどんな所なんだ?と思って行ってみると店舗と呼べるようなものは無かった。商品が陳列されているわけでもなく、狭いスペースにダンボールが所狭しと積まれている。店内(?)に入ると店員が「何をお探しですか?」と。商品名を言うとパソコンを叩いて「在庫があるので取ってきます、お待ちください」と言う。「イヤイヤ、参考に見に来ただけなんで」と慌てて店を出た。商品を見て買う、という店ではなく「コレを買いにきた」という店なのだということが分かった。だからこその値段の安さでもあるのだろう。商品を沢山陳列して商品知識を持った店員が接客をしてくれて色々と相談して買うのではなく、そうした経費を一切排除してただ商品だけを売る。店舗で買うよりもネットで買った方がはるかに安く付くことを確認できただけで良しとしよう。

それから日々ネットで目指す商品の価格を見ていたが価格はまるで株価のように日々変動する。どこかで見切りをつけないとどうしようもないと思ったので自分の中でこの価格を切ったら購入という線を決めて数日後に購入。購入してから2日後には到着した。結局大手家電量販店で買うよりも2万円以上安い価格で購入できた。商品を買っただけなので取り付けは別途必要。ネットの情報だと自力でも設置出来る程度のものらしいが、水周りのことなので万全を期して業者に頼むことに。こちらはタウンページや折込チラシで業者に電話をかけて設置を依頼した。インターネットで購入したものをタウンページを使って調べた業者に取り付けてもらう。デジタルとアナログを巧く使い分けて温水洗浄便座の取り付けが完了。でも家で大をするのって休日くらいだな…

 

第88回 パソコン故障 (2006/11/23)

いつものようにパソコンを起動。メールへの返信を打っていたら何の前触れも無く画面が真っ青になって英語でなにやら書かれたメッセージ。再起動してセーフモードでパソコンを立ち上げてどうにかしろ、というようなことが書いてあった。強制終了キーは効かなかったので、電源長押しで無理やりパソコンの電源を落とす。そして再度パソコンの電源を入れるとファンが回る音がするが一向に起動しない。ずーっとファンが回る音が響くだけ。起動画面すら現れないのでセーフモードで起動すら出来ない。電源が入らないことにはどうにも対処のしようがない。現在のパソコンに買い替えてから2年弱、壊れるには早すぎるだろう。

サービスセンターに電話をしようにも夜遅い時間だったので時間外。携帯電話に番号をメモしておいて翌日の昼間にかけてみる。「お客様のおかけになった電話番号は携帯電話からは繋がりません」。仕方なく帰宅後に家の固定電話からかけてみる。「この電話は只今混みあっております。このまま暫くお待ちいただくか、時間をおいてかけ直してください」のアナウンスが鳴り響くこと数十分、ようやく電話が繋がる。いきなり「どんだけ待たせんだコノヤロー」的な文句を言ってやろうかと思ったが、最初は穏便に冷静に入った方が後々の話がし易いだろうとの判断から大人の対応を心掛ける。

起動しなくなった経緯を細かく説明する。結局全く起動しないので修理センターに送ってもらってみないことには分からない、との結論。そして保証期間の1年を過ぎているので有償修理になり、総計約15,000円かかるという。確かに購入してから1年は経過している。しかし2年は経っていない、そんな状況の中で故障して有償修理というのは納得いかない。以前使っていた某大手メーカーのパソコンは購入してから7年以上が経過しているが1度も壊れたことが無く現在も動いている。どうしようも無いとは分かっていつつも愚痴の1つでも言いたくなるような状況。2年も経たずに壊れて修理に1万5千円も取られてその修理の電話もなかなか繋がらねぇし…と気に入らないことは多々あったがどちらにせよ治してもらわないことには始まらない。その場で修理の手続きをし、宅配便の着払いで修理センターまで送付。数日後に連絡があり、メモリの接触不良による不具合だったことが判明。内部クリーニングと念のために新しいメモリへの交換もしてくれたらしい。新しいメモリというだけで修理代金の元は取れている筈なのでとりあえずは納得。でもうがった見方をすると新しいメモリに交換すると言うことは古いメモリに実は何らかの瑕疵があったのではないかなどとも思えてしまう。

メーカーとのやり取りの中で知った情報で、1年間の保証期間を過ぎてもメーカーの有料保守サービスに加入して年間3000円強を納めていれば購入してから5年間までは修理代金がかからずに治してもらえるという。パソコンを購入した時はそうそう故障しないだろうと思って入っていなかったが、今回の件で考え直した。1度の修理で15,000円取られるくらいなら保守サービスに加入しておいて年間3000円で安心を買っておいたほうが良い。完全にメーカーの思う壺のような気がして腹が立つ。そして保守サービスに加入した途端に全く壊れなくなるんだろうな。

 

第87回 さよなら、車 (2006/08/27)

仙台・1人暮らし時代の遺物、車。実家に戻ってきてからは乗る機会がメッキリ減ってきた。実家にも車があり、しかも最近買い替えてカーナビも付いていることもあってますます出番が無くなる自分の車。使用するしないに関わらず自動車税・駐車場代・保険代・車検代は減って行き、使用すればするほど燃料代も減っていく。弟が社会人になって地方へ1人暮らしするようなことになったら譲ろうと思っていたが東京勤務になったのでそれも不要。このまま乗らずに持ち続けているよりも車検も残っている今のうちに手放した方が自分にとっても車にとっても最上の選択だと判断。しかし年式は10年前でしかも関東近郊では走れなくなりつつあるディーゼルエンジン車。果たして引き取り手があるのだろうか。

ネットの車売買サイトに一括登録、その日のうちに某大手中古車買取店から連絡があった。地方ではディーゼル車の需要はそれなりにあるのでとりあえず店頭までお持ちください、ということで予約。久々に乗ろうと思った車。改めてみるとボンネットの塗装は剥げて錆びてボロボロ。スモークも所々削れてるし全体的に埃っぽく猫の足跡も。最初はいくつかの店舗で見積もりを…なんて思っていたがこんな状態の車を店にもって行って査定してもらうなんてあつかましい。むしろこちらが金を払わずに持っていってくれるだけで満足なような気がした。某大手中古車買取店へ持って行き、査定をしてもらっている間に担当者と話をする。ダメ元で来てるんでダメならダメで良いですよー、みたいな軽いノリで行き、結果は予想通りのゼロ査定。ただ廃車になるのは免れたらしく、車検も残っているので整備してオークションに出すとか。さらに廃車になるわけではないので前回の車検時に支払ったリサイクル税が戻ってくるらしく結局1万円強のバック。マイナスにならなかっただけで満足。そして廃車にならないということで車に対する後ろめたさも消えた。 少なくとも自分の手で車の生涯を終わらせるようなことにはならなかったわけだ。

諸書類を用意するための執行猶予期間を頂く。社会人一年目の仙台でイキナリ現金一括購入し、1人暮らしの行動範囲を実に大きく広げてくれた。それまでは買い置きのカップラーメンばかりだった晩飯だが、夜遅くまでやっている定食屋まで食べに行けた。今でも夜に1人でドライブをすると仙台時代を思い出す。数本ずつしか購入できなかったビールもケースで買うことが出来た。思い立って松島までドライブもした。仕事を辞めて仙台から東京へ戻る際にも使用。無職時代の小遣い稼ぎのお中元配達アルバイトでも使用。京都の祖父が亡くなったときは京都まで走った。北海道の祖父母宅へ遊びに行った際にも東北自動車道を八戸まで行き、そこからフェリーで北海道へ上陸後も札幌・小樽・旭川・富良野と走った。深夜のヤビツ峠へ走りに行ったことも数知れず、初めて事故を起こしたのもヤビツでvsガードレールだった(今のところ最初で最後の事故)。あんなことやこんなことが走馬灯のように駆け巡る。充分頑張ってくれただろう。

引渡し前夜、仕事後に敢えて車に乗る。晩飯を仙台時代によく行ったチェーンのラーメン屋で食べる。しかし仙台時代によく食べていたメニューは無くなっていた。引渡し当日には中元配達バイト時代によく行ったファミレスで昼飯。その頃にいつも座っていた禁煙席は喫煙席になっていて代わりに禁煙席が増えていた。時は確実に流れていることを実感。引渡し現場へ向かい燃料も残り少なくなった最後、道が空いた瞬間を見計らって一気に加速、最後の無茶をして中古車買取屋へ。事前に取得してあった住民票や印鑑証明、そして諸書類に実印を押して手続き終了。こちらの感慨をよそにごくごく事務的にアッサリと手続き終了。めでたく次のオーナーが見つかったら、ディーゼル特有の黒煙排気ガスとエンジン音を撒き散らして走ってくれ。いつの日か街で地方ナンバーのプレートを付けて走っているコイツとすれちがうことがあったとして、私は気付くことができるだろうか。

 

第86回 ドイツワールドカップ (2006/08/27)

4年に1度、サッカーの祭典ワールドカップ。前回のワールドカップは日韓の共催。しかも私はちょうど前職をやめた直後で時間はいくらでもあった。友人には後付の理由として「ワールドカップを見るために辞めたんだ」というようなことを話した。あれから4年、ドイツで開催されるワールドカップは仕事をしながら迎える初めてのワールドカップ。幸いなことにドイツと日本の時差の関係で仕事中に試合があるという事態は免れた。平日に仕事から帰って一息ついた22時頃にちょうど試合が始まることが多かったのでほぼ毎日何らかの試合は見ることが出来た。

やはり圧巻だったのは日本の初戦。22時キックオフの試合は仕事の関係で地元の駅に着いたのが21時頃。地元のスポーツバーの回りは既に真っ青。店内から溢れ出したかのように店の周りに日本代表ユニフォームを着た人が多数。街を歩いても青装束の連中を見る度にヨシヨシヨシやってやんぞ、と自分も無意味にアドレナリン放出。プロレスを生で観に行ってメインイベントが始まる直前に会場全体から待ち切れずにオォォーと地響きのような大歓声が沸き立つ際に感じる高揚感。この感じは久しぶりだ。車の交通量も明らかに減っていた。そういえば前回の日韓ワールドカップで私はニートかつ引き篭もりで殆ど外に出ずに家の中でTV見てばかりだったからこうした街の雰囲気を味わうことは無かった。スーパーで日本代表応援缶と銘打った発泡酒を買って帰る。さっさと飯を済ませてキックオフと同時に発泡酒を開栓。結果はご存知の通り。残り時間僅かでの3失点と意味不明の選手交代。試合が終わると同時に日本代表応援缶を全て捻り潰していた。クロアチア戦では川口に感激し柳沢に失望。ブラジル戦では10数分だけ奇跡を信じ、すぐに厳しい現実を思い知らされた。 終わってみれば初戦が全てだった。4年後、Go for 南アフリカ…なんか冴えないキャッチフレーズだな。

日本が負けたことによって残るのは本当にサッカーが好きな連中。実際に日本が負けてから本屋のスポーツ雑誌のコーナーの立ち読みがし易くなったという声も。大番狂わせが殆どなかった(チェコ予選敗退くらいか)大会だけにベスト16も強豪揃いで休む暇が無い。おまけに決勝トーナメントに入ってからは試合開始が0時以降が全て。大会も佳境に入り、観戦も佳境に入ってきた。最終的な結果もご存知の通り、優勝したイタリアよりもジダンの頭突きで終わった大会だった。

ワールドカップ期間の約1ヶ月、近年無いペースで飲みに行った。スポーツバーで観戦しながら飲むこともあれば、TVがある普通のバーでサッカーを映してもらって見たり、日本が敗退してからは反省会と称して飲みに行ったり…。何かと理由をつけてはサッカーをネタに飲みに行った。ほぼ毎日サッカーをつまみに酒を飲む、充実していた。さぁ、次は4年後の南アフリカ。時差はドイツと変わらないという、また今回のような日々か。そして4年後の自分は何をしているか、現役を引退して自分探しの旅だな…。

 

第85回 結婚式結婚式 (2006/05/28)

これまでの人生で結婚式というやつには参列したことが無かったのだが、今回初めてしかも2週連続で参列することになった。同じ歳の従姉が結婚式を挙げるその前の週には同じ歳の会社の同僚が結婚式。そもそも結婚式はどんな服装で行けば良いのだろう。ネットで色々調べると無難なのは当然黒の礼服。ネクタイは白だ、いや最近はシルバーでも良い、カラーシャツやボタンダウンシャツはダメ、裾はシングル、靴はストレートチップ、ポケットにチーフ、ベスト、サスペンダー…あれやこれやと情報が散乱。基本的に葬儀では礼服に黒ネクタイしか意識していなかったし、そもそも急に訪れる葬式だと事前に下調べなどする暇が無い。ところが明確にいつ行われるかがわかっている結婚式だと調べる時間があるだけに色々と見てしまう。結局礼服用のスーツに白シャツ、シルバー地のネクタイ、チーフ無し、ストレートチップの靴。チーフ無しとシルバー地のネクタイにしたことでガチガチの結婚式スタイルを避けた(つもり)。

同僚の結婚式。5月のゴールデンウィーク後の土曜というのはかなり人気の日取りらしい。式場を見ると同日に数組の予定が入っている。一番早い組だと9時前から挙式だ。待合室で会社の先輩らと合流。色々調べていただけに周りの男子の格好が気になったが、カラーシャツもいるしネクタイも色々、チーフしてない人もいるし靴にいたってはストレートチップ履いている人など殆どいなかった。若い女子の格好は殆どが肩を出したドレスにヒラヒラの布(?)をまとっていた(ような気がする)。チャペルに案内され牧師と新郎が登場して式のスタート。テレビで見るそのまんまというかイメージしていた通りというか、本当にこういうことやるんだーという感じ。バージンロードを歩いて新婦の入場、汝は〜誓いますかのセリフ、パイプオルガンに賛美歌(しかも事前に楽譜を渡されて参列者もご一緒に、と)、両サイドに参列客が並んでのフラワーシャワー。(敢えて?)一般人も見えるところで拍手と「おめでとー」の嵐。挙式が終わると披露宴、受付で祝儀を渡す。これもネットで調べると袱紗で包んで持っていくのが正式、とあったのでそうしたのだが周りを見ると包んでいる人の方が少ないくらい。 それ以前に受付が混雑しているから正式に袱紗から出して…などの手順をやっていると後がつかえる。受付にいるのも手伝いを頼まれたと思われる同年代の連中だし、そこまで正式にやる必要も無いような気がした。披露宴会場、会社関係で参列しているので席は新郎新婦の目の前。新郎新婦が音楽に乗って入場、祝辞からケーキカット、シャンパンで乾杯。新郎新婦の目の前の席なのは良いが、ケーキカットで「カメラをお持ちの皆様はどうぞ前へ」と大勢の人が前に押し寄せてくるので目の前の席だと邪魔がられる…。料理はフランス料理と思われ、美味しかったのは勿論次から次へと酒が出てくるのが良い。シャンパンに始まりビール、シェリー酒、魚には白ワイン、肉には赤ワイン、少なくなるとボーイが勝手に注いでくれるし至れり尽くせりだった。ケーキカットでのケーキが出され、その他にデザートも充実していた。二次会は辞退して帰ったが、夕方なのにだいぶ酔っ払っているのは不思議な感覚だった。

その翌週に行われた従姉妹の結婚式・披露宴。ディズニーランドの近くのホテル、土曜日の舞浜駅はガキが大勢。ディズニーランドの近くでの挙式は大人気らしく(分からない感覚だ)、先週の結婚式よりも多くの結婚式が予定されていた。前回と違うのは親戚として参加していること。親戚控え室なる所で親戚紹介なるイベント(相手方の親戚なんざ全く覚えちゃいねぇ)を経てスタジオで記念撮影。両家の親戚を合わせても数十人いるわけだから親戚紹介も写真撮影もゴタゴタバタバタ。まだ式が始まってもいないのに疲れた。チャペルでの挙式は基本的に先週見たものとスタイルは変わらず。専属の外国人歌手がAmazing GraceやHONESTYやOH HAPPY DAYSやらを唄って盛り上げていた。チャペルの階段の上からブーケ投げたり新郎新婦2人で備え付けの鐘鳴らしたり…。舞台や細かい部分は違っても大筋でやることは変わらない。式を終え(…終えるってダメなんだっけ)披露宴前に早くも2杯ほどアルコールを注入。披露宴では両家の祝辞が長く(お互い親族が祝辞だったので祝辞というよりも親戚紹介だった)、ケーキカットを終えて乾杯かと思ったら乾杯の挨拶も長い長い(太平洋戦争の話から始まった…)。 我々参列者はともかく真面目に聞いていないといけない新郎新婦が大変だと思った。前回は無かった結婚式定番のてんとう虫のサンバやTSUNAMIのカラオケ。新郎がやや特殊な職業の人だったのでそれの催し物があったりなんだでワイワイ。料理がビュッフェ形式だったので酒飲みながらどんどん食って気が付いたらデザートに行くタイミングを逸してしまった。コースの方がその辺りのメリハリがしっかりしていて良かったかも。酒と食べ物があると私はひたすら飲んでしまうので…。

どちらの披露宴でも最後は定番の両親への手紙から花束贈呈、でお開き。最初から最後まで頭の中に漠然と抱いていた「結婚式」のイメージそのままだった。初体験だった結婚式への参列は典型的な観光地で典型的な観光名所を見た感じ。新郎の同僚、新婦の親戚と全く異なる立場で参列。残るは友人としての立場、そして主役?!

 

第84回 車を買いに (2005/11/23)

家の車を買い替えることになった。だいぶ前に父が知人から10万円で譲り受けた平成2年式の車。今年が車検だったのだが、10万円で買った15年前の年式の車に対してかなりガタが来ているので確実に10万円以上するであろう車検代を通すのはもう限界…との判断から買い替えることになった。母の要望を受け入れて購入するのは今流行のコンパクトカーということになった。

新車を買ってしまったら気を遣って仕方ないので最初から中古車狙い。休日を利用してアチコチの中古車屋を回る。車を買うための中古車屋巡りは仙台で私が初めての車を購入して以来。仙台ではとりあえずステーションワゴン型、ということしか決めずに中古車屋を回っていた。今回もとりあえずコンパクトカー、ということしか決めていなかった。中古車屋へ行き実際に見るとコンパクトと言っても1000ccだとどうも小さい、せめて1300ccは欲しい。いくつかの店を経て欲しい車種が固まった。仙台時代は仕事もかなり忙しい日々だったので1日だけで決めた。だが今回は家の車だし、休みも時間も仙台時代よりたくさんある。1日中古車屋を回ってインターネットでも情報収集。ネットでアレコレ見ていると私が仙台時代に車を買った時は殆ど何も考えずに買っていたんだなということを実感させられた。車体に傷は無いか、タイヤは磨り減っていないか、エンジンはかけてみろ、アクセルをふかしてみろ、ボンネットを開けてみろ、車を正面から見て車体が歪んでいないか…色々なことが書いてある。仙台時代は何一つせずに買っていたような気がする。

ネットで集めた情報を元に決めるつもりで2度目の中古車屋巡り。車種は固まって後はどの店でどれを買うか、ということになってきた。中古車なので同じ車種でも年式や走行距離や型など1つとして同じ物は無い。やってどうなるのか分からないがネットの情報通りにエンジンかけてアクセルふかしてボンネットも開けてみた。とりあえず店員に「しっかり見てるぞ!」というアピールくらいにしかなっていないような気がするが。結局メーカー直営の中古車屋で購入。平成13年式で走行距離が1万km未満というのはあまりにも少なくて逆に怪しかったが、そこを疑い出したらキリが無い。車種も色も値段も良かったので決めた。買うことに決めてからもネットで得た情報(まずは値引交渉!小さな傷なら直してもらえ!最後にはガソリンを入れてもらえ!)をフル活用。メーカー直営なので値引きは難しいかと思ったが金額を提示されて「で、ココからいくらなら引けます?」と聞くとアッサリ端数分の数千円は引いてもらえるようになった。さらに車体にあった小さな錆も目ざとく見つけたので、納車時には補修してくれることに。さらに図々しくも車の本体カバーも付けてくれとお願いしたらそれも通った。 ガソリンも入れてもらえることになり、至れり尽くせり。メーカー直営じゃない普通の中古車屋ではこう巧くはいかなかったかも。仙台で私が買った時の中古車屋は63万50円の50円すら負けなかったというのに。

実家の車庫なので早々に車庫証明やその他諸手続きを済ませて約2週間後に納車。現金一括でどーんと支払いを済ませる。メーカー直営の中古車屋だったので最後まで色々とアフターサービスやら何やらの説明をしてくれた。これも仙台で買った時の中古車屋には無かったことだ。どことなく新品の匂いのする車内。以前の車よりも走り出しがスムーズでハンドルも軽い。カーナビも付けたので全ての面で私の持っている仙台時代の車を越えてしまった。物珍しさもあるので暫くは実家の車に乗ってしまいそう。今年車検の更新をした私の車、ますます出番が減ってしまいそうだ。

 

第83回 機種変更 (2005/10/23)

現在使っている携帯電話は大学を卒業した年(2001年)に購入したもの。通常の家電製品なら4年前のものでもそれほど古くは感じないだろう。だが携帯電話となると話はだいぶ違う。友人知人に携帯電話を見せる度に「古いの使ってるね」と感心、もしくは笑われる。折り畳みでなく、液晶もギリギリでカラー256色(ちなみに最近のは何万色)、当然カメラもついていない。機種変更しようにも現行機種でそれほど不便を感じていたわけではないのでなんとなくそのままにしていた。

ある日街をフラフラ歩いていて何気なく入ったDoCoMoショップ。何となく最新の携帯電話というのを眺めてみるか程度の軽い気持ちだった。とりあえず声をかけてきた店員と話す。現在使っている携帯電話を見せると「随分長くお使いですね。今売っているどの機種に変更されてもきっと驚かれると思いますよ。」…って完全に田舎者扱い。最初はその気は無かったのだが、色々な最新携帯を見ているうちに機種変更しちゃえ、という気になってきた。しかし大量に居並ぶ最新機種の中から何を選べばよいか分からない。先ほどの店員ではないが、何にしても今の機種よりは格段に性能が上がるだろうから何でも良かった。結局店員に1万円以下で機種変更できるものを全部見せて、と大胆な選択方法に出た。その中からメーカーと形と重さと色で選んだ。カメラも動画撮影もTV電話も電子マネーもついている。もはや携帯電話ではないような…

私の性格上、電化製品を買う時は値段やスペックを吟味して買うことが多い。しかし今回の携帯電話はそうしたことを殆ど考えずに「もうイイや、変えちゃえ」といった感じ。衝動買いならぬ衝動変え。そうでもしないと機種変更するきっかけが無いような気がした。次の機種変更はまた4年後か。その頃には今の携帯も骨董・化石扱いされるのだろうか。どんどん進化していって様々な機能がつきすぎているので故障も早いような気がする。さて、早速購入した携帯電話を携帯カメラで撮影してHPにアップ…って鏡に映さなきゃ出来ねぇや。

 

第82回 今年2度目の北海道 (2005/10/22)

北海道に住む大叔父(私から見ると祖母の弟)が亡くなったとのことで私が葬儀に参加することになった。本来なら故人の甥にあたる父が参加すべきなのだが体調不良とのことで代役が私に回ってきた。土日だったし北海道へ行くことになるので月曜日に休む良い理由も出来た。いずれにせよ今年の初めには祖父の葬儀で行った北海道に似たような状況でまた行くことになるとは。

飛行機乗ってどこか行くというだけで少しワクワク。機内では例の如くビール飲んで寝ているも東京-新千歳間は意外にも近くて(1時間強)なんだか物足りない。ただ北海道に着いてから大叔父宅のある町まで行くのが遠い。飛行機に乗っていた倍以上の時間をかけて飛行機で移動した距離の何十分の一かを移動する。1月の祖父の葬儀と同じ会場だったので駅から歩いて向かったが、前回来たときは一面の雪景色。景色が違って道がよく分からず結局交番で聞いてどうにか辿りついた。どこかで見た顔の親戚だらけだが、私個人が積極的に話せるほど親しい親戚はあまりいない。とりあえず同じ年の従姉妹がいたのが救い。これに会うのも1月以来。お互い東京近郊に住んでいるのに北海道でしか会わない…。

基本的に滞りなく式は終了し、通夜の後は例の如くひたすら飲んでいた。年配が多い親戚筋、「若い人は飲みっぷりが良くていいねぇ」と。飲んで褒められるとは思わなかった。親戚の中学生・小学生の子供とトランプ。年配の親戚連中と飲みながら話すよりもまだ子供とトランプの方がいいな。酔っ払っていたので子供相手に負けまくり。そういや子供の頃にこういった親戚が集まる席では適度な年齢の兄ちゃんがいて構ってくれていたような気がする。今は自分がその兄ちゃんの立場か。以前見たときは凄く小さかった親戚の子供が中学生になっていたり、同じ年の従姉妹が結婚するかもという話を聞いたり、こうした葬儀の席が増えたり、時の流れを実感する。

 

第81回 雨漏り発生 (2005/9/18)

台風が迫り大雨が降った日、我が家で大雨漏り。1階のガラス戸際からポタポタなどという生易しいレベルではなくあちらこちらから雨漏り。まるでそこだけ家の中でも雨が降っているかのようだった。2階は影響が無く、雨漏りは1階のガラス戸部分のみ。どうも2階のベランダ下から漏れてきているらしい。とりあえず雨漏りをしている部分の下にバケツを用意するも、あちこち雨漏りしているのでバケツが足りない。そこで思い出しのが仙台時代に店で雨漏りをしたときのこと。あの時はバケツが足りなくてダンボール箱の中にビニール袋を敷いて雨受けにした。今回も同様に箱を用意してそれに大き目のビニールを敷いて雨受け。こういう時に仙台時代の経験が役に立つとは。

雨受けは出来たものの、根本的な解決にはならない。雨漏りをしている部分がベランダ下なので恐らく原因はベランダの何かだろう。しかしベランダへ出てみるも夜だしそもそも大雨だしどうしようもない。時刻は22時を過ぎていたので業者もやっていない。しかしこの事態を打開するために何かせねば。インターネットで雨漏りで検索するも緊急対処法のようなものはすぐにヒットしない。それならばと日本一の巨大掲示板で現状を報告して情報を求めた。すると数分後に「ベランダにブルーシート敷いてみれば?」とのレス。何もしないよりはマシだろうということで近くのド○.キホーテへ車を走らせた。こういう時に深夜遅くまでやっているド○.キホーテのありがたみが分かるな。ブルーシートは思ったよりも安く約3m×5mで500円ほど。それを4枚購入して家へ。幸い雨は小降りになっていたのでブルーシートをベランダに取り付け。ベランダに雨が溜まらないように、屋根にブルーシートを紐でくくりつけてベランダの外へシートを垂らす。ブルーシートでベランダを覆うような形になった。 その間にもネットではいくつかの書込みがあり、ベランダの排水溝にゴミが溜まっているのでは?とのレス。私もそれが怪しいと思っていた。先述の仙台時代の雨漏りも屋根の上の雪が融けずに固まってしまい、本来雨水が流れる道を塞ぎ、それが逆流して雨漏り…ということだった。恐らく今回もそれと似たようなものでベランダの排水溝にゴミが溜まって雨水が流れずそれが逆流して雨漏り…だろう。恐らくの原因が判っても真夜中の時点ではどうしようもない。幸い雨が小降りになった影響か家の中の雨漏りも落ち着いてきた。翌日に朝一で屋根業者に連絡して見てもらうことにしてその日はとりあえず落ち着いた。

業者に見てもらった雨漏りは予想通りベランダの床板下にゴミが溜まったことによるもの。その後、ゴミを取り除くにはベランダの床板全部を剥がす必要があるとのことで結局ベランダの床板を全とっかえ。まぁ必要経費か。それにしてもウチがこういう形で台風の被害に遭うとは思わなかった。よく台風のニュースで「屋根を補強しようとして屋根に上った○○歳の男性が転落して重傷」などとやっているのを見て「何でわざわざ台風の日にそんなことを…」と思ったが私の行動も似たようなものだったか。何にせよあれからベランダを補修するまでの間に雨が降っても雨漏りをしなくなったのはブルーシートのおかげだろうか。そうだとしたらネットの匿名の誰かに感謝だ。

 

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