日々是ネタ也
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第50回 TV出演依頼? (2002/11/05)

私が作成しているTM NETWORKのホームページを見た、という人からメールがあった。TV番組のリサーチ業務を行なっているという人。近々某TV曲の歌番組にTM NETWORKが出演する予定だという。その番組内の企画で、TMのファンの人に来てもらう予定だという。特に、メンバーの誰かになりきっている(コスプレなど)、人に誇れるコレクションをしている、親子でファン、お年寄りのファン、外国人のファン(国内在住)、とにかく詳しい、理屈ぬきで好き…といった人を捜しているのだという。そこで私のホームページを見て、私の身近にそういう人がいないか、いたら紹介して欲しい。あるいは私自身も興味があったら電話で話しをしたいという内容だった。

そうした人の目に私のホームページが目に止まったというのは嬉しかった。その某TV局の歌番組は知っていたし、ファンが集まるという番組内の企画も知っていた。しかしTVで見るとそこに出てくるファンというのは強烈な個性を持った人たちばかり。私はTMを"理屈ぬきで好き"で少しは"人に誇れるコレクション"も持っていると思う。しかしかのTV番組に出てインパクトを残せるほどのものを持ち合わせているとは思えない。それでも良いというのであれば…とメールを返信したら、興味を持ってくれただけで充分、是非とも話をしたいとメールが返って来たので、携帯の電話番号を教えた。携帯の番号をメールした翌日にはその人から電話がかかってきた。いくつか質問をさせて頂いて宜しいですか、と。どのような経緯でTMを好きになったか、TMのどこが好きか、誰が好きか、コンサートなどは観に行ったことがあるか、曲に思い入れはあるか、どのようなグッズを持っているか、ホームページはいつから作っているのか…色々と質問をされた。10分以上もそうした話しをした後、担当のディレクターと会って話をして欲しいということになった。私はそのTVに出たとしても恐らくインパクトを残せるようなことは出来ないと思うということも言った。しかし担当者によるとそれでも構わないと言う。実際にTVで放送されるのはインパクトのあるファンになるが、現場には多数のファンがいる。その中の1人になるという形でも充分良いという。それならばと、いうことでOKした。番組担当のディレクターに会うだけで出演すると決まったわけではないが、良いネタにもなりそうだったし。

某TV局前で待ち合わせ。待っているとスタッフの人が迎えに来て、「稽古場入講証」というものを渡されてスタッフに付いて行く。これでTV局に関係者ヅラして入れるのか、と思うと連れて行かれたのはTV局の横にある建物だった。そこの警備員に入講証を見せてそこに入る。稽古場というだけあって、ダンスレッスンをするようなチョットしたホールみたいな所。待合所でソファに座って待つ。どうやら私1人ではなく、女性が1人一緒だ(ちなみにTM NETWORKのファンは圧倒的に女性が多い)。待合所で画用紙に名前や職業・年齢などを大きく書いて待てと言われる。2,3分待つと、稽古場内に案内された。こっちは私とその女性の2人、面接相手は5人。長机を挟んで、会社のグループ面接みたいだ。ただ違うのは、相手方のど真ん中にカメラが設置されていたということ。待合所で書いた自分の名前を大きく書いた画用紙を持って座って下さいと言われる。名前が書かれた画用紙を持たされたのは、カメラで撮っているので後で審査する時に見て誰が誰か判るようにするためだろう。相手方の5人は"いかにもTV業界人です"というようないでたち。中年なのだが茶髪で革のパンツをはいたオジさんがメインとなって質問をしてくる。他の4人は相槌を打ったり何やらメモしたりしている。TMファンとなったきっかけ、ファン歴、思い入れ…色々と質問された。どれも事前に電話で担当者に話したような内容だった。「カラオケでTMの曲も唄いますか?」「はぁ、そうですね。歌詞を見ないでも殆どの曲を唄えると思います。」「へぇー、凄いねー。じゃぁ早速唄って頂きましょう(笑)。」と冗談交じりに言われた。「マジっすかー?」とこっちも笑って返したが、その後にチョットした沈黙の間があった。恐らく相手は私が唄い出すかをチョット期待していたのではないだろうか。もしもあそこで物怖じせずに唄い出すことが出来れば出演決定だったんだろうな、判っていても出来なかっただろうけど。

「何か自慢できる品でも…」と言われて、家から持参したものを見せる。私の持っているTM関連の品は殆ど引越した時のダンボールに詰めたままだった。それを前日に開けてめぼしい物を持ってきたのだ。これまでにリリースされたTMの全てのCDシングル(36枚)、アルバム(26枚)、ビデオ(16本)は持っている(おまけに保存用と称して数枚持っているのもある)。しかしそれでは芸がないし、それら全て持っていくと相当な重さになる。厳選して私が持っていったのは…絶版となっている本(STAR CAMP TOKYO)、ツアーパンフレット(CAROLツアー)、抽選でしか手に入らなかったビデオ(Fanks the live 4)、香港で買った海賊盤CD、昔懐かしいカセットテープ、関係者にしか配られないプロモーション用カセットテープ、店頭プロモーション用ビデオ、TMの前身バンド(SPEED WAY)のCD、初回限定盤のCD数枚、見本盤のレコード数枚…などである。1つ1つのアイテムを説明していく。「これはこういうもので、コレコレこういう経緯で手に入れました。」、「ココが貴重な部分なんです。」等々、なんだか楽しかった。特にレコードは普通に売っているものではなくて、プロモーション用の見本盤レコードだったので向こうも興味を持ってくれたようで、それらのグッズを見てはカメラに収めていた。持っていったグッズのプレゼンテーション(?)をして、私への質問は終了。一緒だった女性に質問の対象が移っていった。彼女は20代後半の会社員でヴォーカルの宇都宮隆ファンだと言う(女性は殆どが宇都宮隆ファンだろう…)。コンサートに行った話や、コンサートではどんな曲が1番ノレルかなど質問されていた。持ってきていたグッズは、ファンクラブ限定の品や会報、雑誌の切りぬきや直筆サインなど。ファンクラブ限定の会報はチョット羨ましかったな。30分弱で面接(?)は終了。出演してもらう人にだけ後日連絡をするという、そのあたりも会社の面接と同じだな。

全面的にTVに出演したり、前に出たりはしたくないが、大勢のファンのなかに紛れてTVの隅っこに映るのなら良いなーと思っている。何よりも良いネタになりそうで興味深い。そのコーナーに出ればTMの3人と話す機会もあるのだろうが、いざそうなってもなに話して良いか判らないし緊張しっ放しだろうな。何はともあれ、向こうからの連絡待ち。会社の入社試験の結果を待つよりは大分気が楽だな。

 

第49回 自動車保険比較 (2002/10/28)

今月末に自動車保険の更新を迎える。車購入、保険加入時は職に就いていて店長ということもあってゆっくりと自動車保険を比較検討する暇がなく、会社が加入している保険に加入した。加入の手続きはしてもらえるし、団体割引はあったし、保険料も給料天引きだったので楽だった。ところが今回の更新で再び同じ所に加入するのは気が引けた。既に辞めた会社に更新手続きをするのが嫌だったし(もう関わりを持ちたくなかった)、せっかくだから各社比較検討しようと思った。

これまで加入していた条件を元にしてインターネットのホームページ上で一括見積もり請求。車の形式、登録年度、使用目的、年間走行距離、年齢、免許取得日、事故歴、保険請求歴、ABSやSRSの有無、等級…それぞれを入力していく。それだけで10社程度の見積もりが出来る。そして入力した数分後にはメールで早々と見積もり試算額が提示されるのだ。さらにその2数日後には封書でしっかりとしたパンフレットと見積もり書、申し込み用紙一式が届く。対人賠償保障や対物賠償保障、搭乗者傷害、人身傷害などの大きな枠では、どこも保険金額は同じなのだが、算出された保険料は6万円程度から10万円以上までとかなりの差が出た。同じような保障内容でもこちらが提示した最低限のプランから、保険会社が薦めるプランなども掲載されている。何が違うのかと見るとどこも色々なサービスが付いている。キー閉じ込みやバッテリー上がり等の処置無料という定番のサービスからレッカー移動、さらには車を降りてからの事故や盗難、怪我などまでが保障されるものなど多数。ただ保険料金だけではなく、そうしたサービスの部分まで比較検討の対象になる。今やいかにより良いサービスをつけるかで決まるのかもしれない。

保険会社に見積もりを請求する中で入力した項目で1番引っ掛かったのは"年間走行距離"という項目。1年間にだいたいどのくらいの距離を車で走るかというのを入力するのだ。しかし1年にどれくらい走るかなんて判らない。ネットに載っていた年間走行距離の目安という項目を参考にして8,000kmくらいにしておいた。8,000kmと入力して届いた見積もりは"10,000km未満"と上限を設けているものや"5,000km〜10,000km"と下限と上限を設けていたりと、各社によって様々な区分に設定されていた。勿論年間走行距離は少なければ少ないほど保険料も安くなる。それならばなるべく年間走行距離は少ない方が良い。しかしもしオーバーしたら…。入力した年間走行距離を越えてしまったらどうなるのだろう。疑問に思い、保険会社に問い合わせてみた。するとそれに対する回答も各保険会社で違っていた。年間走行距離をオーバーする前に保険会社に連絡をすれば、残りの保険契約月数分の保険料だけを追加して払えばOKという所。オーバーしたらオーバーした区分での追加保険料を1年分払う必要があるというところ。オーバーしても追加の保険料は取らないが、次回更新する時は必ずワンランク上の年間走行距離で契約しなければならないというところ。いずれにせよ、年間走行距離をオーバーしそうな場合は必ず保険会社に連絡をしなければならない義務があるらしい。年間走行距離がオーバーした場合は以上のようなことになるが、それでは例えば"5,000km〜10,000km"と契約をしたとして、年間走行距離に達しなかった(この例の場合は5,000km)場合はどうなるのだろう、ためしにそれも聞いてみた。殆どの会社が年間走行距離に達しなかった場合でも保険料はそのままということだったが、1社だけは違った。その1社は年間走行距離に達しなかった場合は、その分の差額を返金してくれるというのだ。それを聞いてさらに質問してみた「どうやって証明するんですか。」「お客様の申告制となっております。」「でもそれって、嘘つけますよね?」。すると「そうですね、こちらもメーターを調べたりはしないのでそれは可能ですが、そこはお客様との信頼関係ですので…」とのことだった。差額分を返金してくれるとは、その答えは予想していなかった。

結局私が選んだのは年間走行距離を厳密に入力する必要のない保険会社。"日常的に通勤に使用"や"レジャー・買物に使用"というアバウトな設定をしているところにした。その保険会社に問合せたら"レジャー・買物に使用"で契約をしていて例えばたまたま出勤に使ったとしても大丈夫と言われた。事前に年間走行距離を決めるとそれが気になって気楽に車を使えなくなるかなとも思った。もちろん値段やサービスも考慮しての決定。これまで加入していた前の会社の保険と比べると数万円も安くなったので御の字だ。しかし保険料で1番のネックは年齢制限。無制限、21歳以上、26歳以上、30歳以上と運転者の年齢が上になるにつれて保険料は安くなる。私はまだ下から2番目の21歳以上、これでかなり保険料は高くなっている。それだけは早く30歳になりたいな、それだけは。

それにしても、インターネットで各保険会社の見積もりを一括請求してから、各社からのダイレクトメールがバンバン届くようになった。最初は見積もりとパンフレットだけだったのだが、数日後には"是非とも当社にお決め下さい"というような手紙。さらには"パンフレットは届きましたか"という電話も。そして更新日が近くなると"もうすぐ更新ですがお決めになられましたか、まだでしたら当社を是非"という封書。その営業努力には感服するわ。この分だと1年後には頼みもしないのに同じような手紙がバンバン届くのだろうか…。

 

第48回 ハローワーク体験記 (2002/9/18)

公共職業安定所、通称ハローワーク。失業保険受給の手続きや職探しをする人など多種多様の人が集まる。そろそろ本格的に再就職活動を始めようと思い、ハローワークに行ってみた。社会人時代にハローワークに求人情報を出したことはあった。求人誌に掲載すると代金がかかるが、ハローワークに求人情報を出すのは無料なのだ。そのハローワークをこういう形で利用することになるとは当時は思っていなかったな。

ハローワークへ行こうとした当日の天気は雨。かなり行くのを躊躇した。それでもこういう日に敢えて行くからこそ、自分の再就職への気持ちを確認できる。こういう日だからこそ行かなければと思い、自分の車に乗って家を出た。ハローワークへ着くと、なんと駐車場に入れるために渋滞が出来ていた。駐車場は満車なので、空くのをただ待つという状態。10分近く待ってようやく駐車場(無料)に車を止めて中へ。午前中の時間に行ったというのに中は結構混んでいる。何するでもなく立っている人達がたくさん、何をしているのか。受付へ行き、お姉さんに「パソコンを使いたいんですけど」(ハローワークではパソコンを使って求人情報を検索する)と言うと「13人待ちになります、こちらの番号札を持ってお待ち下さい。」と銀行によくある番号札を渡された。そうか先ほど何するでもなく立っていた人はパソコンの利用順番を待っていた人達だったのか。それにしても13人待ちとは…。

15分ほど待ってパソコンが空いて使えるようになった。パソコンは全部で50台くらいあったかな。「14番をお使い下さい。」と言われてそこのパソコンへ。タッチパネル式のパソコンで、画面に触って様々な情報を入力していく。年齢・性別・希望給与・週休2日希望の有無・勤務地・職種・業種…それらを全て入力し終えると検索結果一覧が表示される。一覧の中から興味があるのがあれば、それの詳細(求人を出した企業が書いた求人票)を見ることが出来るし印刷をすることも出来る。各パソコンに1台ずつプリンターまで付いているのだ。しかし明確に"この業種・職種へ行きたい"と決まっていない私、業種や職種で"こだわらない"を選択すると莫大な数が検索されてしまう(何千という単位)。といって業種や職種を絞れるほどの志望がこっちにあるわけではない。消去法でこれは避けようという業職種を削って行っても結構な数の求人が検索される。検索結果一覧(社名や給与・年齢制限・福利厚生・業種・職種・勤務地などが掲載されている)を流し読みして、少しでも"ん、これは?"と引っ掛かるのがあると、それの詳細を見てみた。それでも印刷してまで見てみようと思えるような企業はなかった。

室内やパソコンは常に満員だった。私のような若者から中年、定年間近にも見える人もいた。自分も含めてあれの全員が失業者だと思うと日本の失業率は上がっているのかなとも思える(短絡的だが)。あれだけ膨大な求人が検索されてもあれだけの人がハローワークに来ているというのも妙な感じだ。企業も求職者もみんな条件が合わないんだろうな…。1時間近く利用したが、ハッキリとした成果は得られなかった。「多くの人が利用出来るように利用時間は30分ほどで」とパソコンに時々メッセージが流れてきたが、1時間利用していても何も言われなかった。ハローワークを利用してみて思ったのは、ある程度業種や職種が絞れていないと、漠然と膨大な企業の中から探さなければいけないので疲れる。それから少し惹かれるのがあって詳細を見ても再就職者をターゲットにしているからだろうが"実務経験何年以上"云々などの制約も多く見られた。その気になれば若さをアピールして未経験でも採用してもらえそうな気もするが、その気になりそうな企業はなかった。これといった業職種が定まらずにハローワークを利用するのはそれなりに大変だ。いや、ハローワークに限らず就職活動全般に言えることだが…。

 

第47回 ファミレスで一服 (2002/7/22)

短期のアルバイトをしている。完全出来高制で、時給にするとかなり安い。だが自由な時間が与えられているのでその点が良い。仕事は完全に1人の時間が与えられ、社内の人間と接することは無く、殆どが外での仕事。仕事はいつやっても良いので暑ーい時間帯には昼食がてらファミレスに入る。ファミリーレストラン、最近のお気に入りである。

13時30分を過ぎたあたりからファミレスは空いてくるのでその時間を狙って行く。1冊の本を持って、ドリンクバーがあるファミレスへ。適当な料理とドリンクバーを注文する。料理を食べ終わってからが本番だ。ドリンクバーでひたすら粘りながらゆっくりと読書をする。その時間がなんとも心地良い。ゆっくり読書なら家でも出来そうなものだが、敢えてファミレスなのだ。家にいると、読書も出来るが他にTVもあればPCもゲームもベッドもある。読書をするよりも楽なTVとか昼寝をしてしまうのだ。ゆえにファミレスである。ランチとドリンクバーを頼んで平均600円前後、それで2時間くらい店内にいる。ファストフードやラーメン屋並の値段だし、空いている時間に行くので混雑も無いし店員の目も気にならない。涼しい店内でホットコーヒーなどを飲みながらゆっくりと読書をする。なんだかそれだけでとっても贅沢で優雅な気分になれる。ポイントは禁煙席。ここだとガラの悪い兄ちゃん姉ちゃんがいることが少ないし、私が嫌いなタバコの煙も気にならない。それにファミレスでは禁煙席の方が喫煙席より少ないことが多いので静かであることが多い。

だが禁煙席でも運が悪いと近くの席に中年お喋りババァがいることがある。それが2,3人ならばお喋りマダムでまだ良いのだが、お喋りマダムも4人を越えたあたりでお喋りババァに豹変する。お喋りババァにあたると最悪である。その声がでかいし、ゲラゲラ笑う。ヤツらに遭遇すると頑張って本に入り込まないと、意識をヤツらに奪われてしまう。先日は「ウチの旦那のお父さんがこのあいだ倒れて救急車で運ばれてCIAに入ったのよ。」「あらー、大変だったわねー。」、オイオイオイ、アメリカ中央情報局に入ったんかい…ICUの間違いだろ。まぁ、どっちに入っても大変そうだが…。まるでネタのような話しだ…。お喋りババァが5人を越えるとテーブルをくっつけて更に大きな軍団になっていることもある。6人を越えるとテーブルはくっついているが、その中で2つのグループに分かれて喋っていることもある。だからますます声が交錯してウルサク聞こえる。フッと見ると何も喋らずつまらなさそうにしている人もいる。見ていると"あの人は早く帰りたいんだろうなー"なんて思ってしまう。つまらなさそうにしているのはお友達ではなく近所付き合いだからなんだろうなー…なんて勘ぐってしまう。いずれにせよ、なかなか本に集中できないのだ。

最近は近くの色々なファミレスを回って大体の客層が掴めてきた。お喋りババァが集まる店が判ってきたのだ。総合的なファミレスはお喋りババァ多し。イタリアンや和食、中華といったようなメニューが偏っている店はそれほどでもないようだ。最初はファミレスに1人で入るのには少し抵抗があったが、入ってみると1人で来ている人もそれなりにいた。若い女性、中年女性、年配の男性…、私くらいの年代の男性が1人で来ているのは殆ど見なかったが、それがまた良い。外回りの営業中です、という感じのサラリーマンも時々見かけた。夜に行くとまた違った顔を見せるであろうファミレスだが、昼すぎから夕方にかけてのファミレスは良い。600円前後でチョット贅沢で優雅な気分になれる。

 

第46回 ミーハー的ワールドカップTV観戦記 (2002/7/15)

会社を退職して実家に帰ってきた2週間後、サッカーの祭典ワールドカップが開催された。日本で開催されるということもあり、TVはワールドカップ関連のものが非常に目立った。フーリガン騒ぎ、中津江村のカメルーン騒動、ベッカム様のベッカムヘアー、純粋なサッカーの試合以外にも様々な話題を残してワールドカップが過ぎ去っていった。

私はもともとスポーツは全般的に見る方だと思う(やるのはからきしダメだが)。オリンピックも好きだ。サッカーに関してはいつ頃から見始めただろうか。小学校の休み時間になると皆でサッカーをやっていた思い出がある。Jリーグの開幕戦、横浜マリノス-ヴェルディ川崎(当時)もTVでだがリアルタイムで見た記憶がある。ドーハの悲劇は生でTV観戦はしていなかったが、学校で話題になったのを覚えている。前回のフランスワールドカップに出場を決めた劇的な試合は生でTVを見ていた。深夜に某TV局でやっているセリエAダイジェストという番組は結構好きだ(特に仕事をしていた時は家に帰るとそれがやっている時間帯ということが多かった)。とにかく、今回のワールドカップからのにわかファンではない、ということだけは言っておきたい。もっともサッカーの技術論や戦術、ヨーロッパでは誰が素晴らしいプレイヤーだとか、そういったことはサッパリ判らないが…。

今回のワールドカップではTVでも多数の試合を放送した。衛星放送では全試合放送を謳っていたが、ウチにそんな高価な代物はないので地上波のみでのTV観戦。ちょうど会社を退職して、アルバイトもなにもしていない暇な暇な状況だったのでワールドカップは渡りに船。日本戦全戦は勿論のこと、メキシコ-エクアドルなどというマニアックな試合(?)までTV観戦した。飲みに行っていて見ることが出来なかったセネガル-トルコ戦以外の地上波で放送した全ての試合を見ていた、相当な暇人である。そんな私のワールドカップ観戦記。文脈など殆ど考えず、印象に残ったことを適当に羅列。

日本のゴールで1番良かったのはベルギー戦、今大会の日本初ゴールをあげた鈴木。1点を取られたすぐ後の得点というのが良かった。そしてシュートやパス等の技術云々は判らんが、点を入れた後で何やら吠えているのがとても格好良かった。喜びを爆発させるのではなく「ウォー!!見たかコノヤロー!!」みたいな気合を感じさせてくれるのが非常に良かった。外国人ではドイツのゴールキーパー、オリバー・カーン。こちらも強烈な気合を感じさせてくれた。決勝前のインタビューで「ブラジルの3R(ロナウド・リバウド・ロナウジーニョ)が世界最高だと証明する為には私との対決に勝たねばならない。」と言っていたのは非常にカッコ良かった(結果は敗退してしまったが…)。チームではアイルランドが印象的、「全員一丸です!!」って感じが伝わってきた。ドイツ戦、スペイン戦で共に1点リードされた状態でも最後まで諦めずに攻め続けて終了間際に同点に追いつくという劇的な試合。アイリッシュ魂なんていう言葉も使われていた。そして日本のエース、中田英寿。ベルギー戦翌日にインタビューを受けてその最初の質問。「昨日の試合はどうでしたか?」、という質問に対して「もっと具体的な質問をして下さい。」…実に中田らしくて面白かった。それから実は強かったトルコ。某TV番組で次期日本代表監督が「16強の中でトルコが1番弱い。」だから今回16強進出を逃した日本は惜しいチャンスを失った、とハッキリ発言していた。そんな監督の元で大丈夫だろうか2006年…。それにしても特に民放のTV番組ではどうして下らないタレントが番組に登場するのか…。試合が始まる前のスタジオでの無駄なトーク。そして前後半のハーフタイムでの無駄なトーク。前半が終わってハーフタイム中のトークは殆どの場合「いやぁー…」からコメントが始まる(笑)。そして何が起こっても「これがワールドカップです。」というコメント。そしてまたサッカー解説者ってのはこんなにいるんだ、というくらい聞いた事もないようなサッカー解説者が多数出てきた。次に彼らが活躍するのは4年後なのか…普段ああいう人たちは何をしているのだろう。

1ヶ月間サッカー一色、ワールドカップ一色だったが、閉幕後すでにワールドカップは過去のものとなりつつある。やはり何も変わらない日常が始まっている。次期日本代表監督云々や、鈴木がベルギーに移籍など少しは話題になるが、時間の問題かもしれない。そもそもこれだけサッカーワールドカップが盛り上がったのに、Jリーグが再開された7月13日(土)には地上波のTVではJリーグの放送は一切ナシ。やはりワールドカップという一時のお祭り騒ぎだったのだろうか。年末には「そういえばワールドカップ、盛り上がりましたねー。」と遠い昔のことのように語られるのだろう。それはそれで何か寂しい気もする。果たして2006年に選手、監督(笑)、そして我々ファン、どれだけの人が生き残っているだろうか…。

 

第45回 退職 (2002/6/17)

会社を辞めた。入社してから1年1ヶ月ほど勤めたが、遂に耐えきれずに退職となった。まずは経緯から。新入社員として入社してから1年が経とうとしていた3月の半ばになって人事があり、私のいる店で私の上に先輩社員が異動してきてその人が店長になった。つまりそれまで店長だった私はその店で副店長となった。給料は変わらなかったが、降格だ。私のいるエリアを仕切るエリアマネージャーは「お前がもう1度勉強しなおす良いチャンス」みたいなコトを言ったが、その裏には口にこそ出さなかったが"売上が落ちている"という大きな事実があったからなのは間違い無いだろう。例えば他の店へ異動するのを機に誰かの下について副店長というのならまだ良かったが、自分がそれまで店長をやっていた店で新たに来た先輩社員の下に付いて副店長になる、というのはかなり複雑だった。自分が出来ていないからだと判っていても正直言って屈辱だった。

退職を決意する要因として人事が引き金になったのは間違い無い。ただ、それ以前から辞めるコトは考えていた。判り易い理由としてまずは何よりも労働時間の長さとそれに対する報酬の無さ。店に社員は1人だけ(=店長)で私も自分の店に社員は私だけ、あとは全員アルバイトだった。必然的に社員の仕事というのは私にしか出来なかった。そういう現状もあり、休みは基本的に週1回取れれば良い方。勤務時間は10時開店22時閉店の為、朝は9時30分までには出勤し、夜は23時を越えるし、帰宅は0時を越える日の方が多かったくらい。営業時間中に休憩は合計で1時間30分〜2時間くらいだったので単純に営業時間合計(12時間)から休憩時間(多くて2時間)を引いても1日10時間は働いていた計算になる。そんな労働時間だったが、それに対する報酬(残業手当や休日出勤、深夜手当)があればまだ良かった。しかし店長という役職は、労働者を管理する立場にある"労働監督者"というものになる。この労働監督者は労働基準法による労働時間、休憩及び休日に関する規定を適用除外されている。労働監督者が時間外や休日に労働した場合でも割増賃金を支払う必要は無いのだ。だからいくら労働時間が長かろうが、休みがなかろうが関係無い立場なのだ。それに加えて私がいた会社では社員に対してタイムカードが存在しなかった。故に何時に出勤し、退出したかという記録は一切残っていない。入社当時からその辺りのコトについては釈然としない部分があった。もっとも逆に考えると、いくら遅刻しても早退しても休んでも判らないとは言えるが、他の店長や社員と話していても殆どの人が休みは週に1回だし、店にはフルタイムでいるし、全社的に「休むのは悪」みたいな体質を感じた。エリアマネージャーや先輩社員は「休むのは悪じゃない」とか「休むことも必要」だとは言っているのだが、その当人が殆ど休んでいない。全社員が集まる会議等で上の人が壇上で「今日は会議なので私は休日を使って参加しています。」と言ってのけたり、「一生の内に死ぬ気で働く時があってもいいんじゃないか」みたいなコトを言う。週休2日取るなんてとてもじゃないけれど出来ない環境だった。あってないようなもんの就業規則には月に7日の休みと書いてあったが1年以上勤めて月7日休めた月は1度もなかった。休みの日でも携帯電話には容赦なく仕事絡みの電話がかかってきていたし、なんだか監視されているような気さえしたこともあった。

以上のような理由は世間一般の人でも判り易い退職理由だが、もう1つの理由が会社の雰囲気と自分とのギャップだ。少し前でも触れているが、「休むのは悪」みたいな体質。休むのは悪というよりも社員は皆「仕事大好き」という感じである。仕事というのは店で売上を上げ、利益を得ることは勿論だが、そこに人の成長がなければいけないという考え。店長が店をどうしたいのかという強い目標と意志を持ち、それを働くスタッフ(アルバイト)に伝え、皆がその目標に向かって一丸となって一生懸命努力する。そこには人の成長が必ずある…というような考え方。仕事は仕事と思ってやるものではなく楽しくやるもので、自分の目標に向かって仕事をすることは苦痛ではない。会議の後で飲み屋で懇親会があるのだが、そういった場でもいわゆるバカ話しは厳禁。他の店長や社員と会えるそういう場を大切にして意味のあるものにしなければならない(懇親会費用は自腹)。会議の後でホテルに泊まったりするときも1つの部屋に沢山の社員が集まって店のコト、仕事のコト、スタッフのコトを延々話し合う。会社や仕事の愚痴などは厳禁…というかそれが出る雰囲気すらなかった。私は仕事がつまらなくて仕方ないとは思わなかったが、それほど楽しいとも思わなかった。やはりいつでも「仕事は仕事」と思っていた。入社当時から労働時間の長さや休日の無さには疑問を持っていた。だけどそういった考えを他の社員の前で口に出すコトはできなかった。そういうコトを言わさない雰囲気というか、そういったものを排他する雰囲気があった。入社当時の懇親会で同期の1人が「(他の会社に就職した)友人にウチの会社の話をすると労働基準法違反だって言われる」みたいな事を話したら先輩社員の1人が「そんなレベルの低い話しをしてるのか。」と言った(最低限の権利だと思うのだが…)。そういう雰囲気から私は他の社員と接するのは苦手になっていった。全社員が集まる月に1回の会議も行くのが辛くなっていった。そうしたことから辞めたいという考えは入社したその年に既にあった。だけどその考えを口に出すことがなかなか出来なかった。まずは何よりも入社して1年も経たないのに辞めるというのは自分に対して納得いかなかったし、世間体も勿論気になった。そして店長になってからは自分の店を放って辞めたいなどと軽々とは口に出来なくなった。もう1つは辞めたいなんて言った途端にエリアマネージャーや先輩社員が飛んできて「何言ってるんだお前!!」と説教されるような気がして言えなかったというのがある。

人事異動により私が店長から副店長になり、私の上に先輩社員が店長として付いた。そのことにより仕事はかなり楽になった。これまで1人でやっていた店長(社員)の仕事を2人で出来るようになったのだから。月に3回が平均になりつつあった休みも週に1回取れるようになったし、特にする事が無ければ早く帰るということも出来るようになった。そしてその店長と色々と話す時間も出来た。辞めたいという意志を口に出せたのもその店長と色々話す機会があったからだ。エリアマネージャーには恐くてそんなこと言えなかったけれど、私の上についたその店長は私と学年は1つしか違わなかったし、話し易かった。辞めたいと表明してからはその店長だったり、同じエリアの他の社員だったり、色々な人から色々なことを言われた。当初予想していた「何言ってるんだお前!!」と説教される感じではなかった。それよりも一緒にやっていこうよ、頑張ってみようよ、といった励ましが多かった。私にはそれが逆に苦痛だった。皆はそう言ってくれているが私は会社の雰囲気そのものに違和感を覚えていたのだから。励まされれば励まされるほど「勘弁してくれ」という感じだった。辞めたいと表明してもなかなか辞められなかった。私も「辞めてやる」って啖呵切って辞める程の気持ちはなかったのだ。副店長になったとはいえ、私は入社した時から約1年間ずっと同じ店にいる。私が採用をしたアルバイトも沢山いる。彼・彼女らを放って辞められない、辞めにくいし何よりも自分の店やスタッフは好きだったというのが第1。それから辞めることが他の社員に対して申し訳ないというのもあった。それに加えて、社員2人体制になったことで仕事内容も楽になったというのもあった。そんなこんなで辞めたいと表明してからも2ヶ月ほど騙し騙し仕事を続けてきた。辞めたいとは思ってはいるが、辞めてやるとまでは思っていなく、きっかけが無いような状況だった。

そのきっかけとなる出来事があった。6月の半ばに全社員参加の海外ロサンゼルス研修が実施される。全社員が集まる5月の会議の時にその海外研修に参加する為に「自分はこういう気持ちで参加します。」みたいな決意表明を書かされることになった。単純にロスへ観光に行くだけなら私も行きたかったが海外"研修"である。会社の経費を使って全社員参加の"研修"である。当然参加するにはそれ相応の決意をして行かなければならない。そう考えると行きたくなかった、行けなかった。これがきっかけだ、と思った。決意表明の用紙には「自分には行く資格がない。」と書いた。後日、店長から飯を食いに行こうと誘われた。これは何かあるなと思った。研修参加云々の話しなどから辞めるかどうするかなどの話し、そして店長から「辞めたいと言ってから2ヶ月くらい経ったけど、店のことや他の社員とのコトなどのしがらみを一切抜きにしてお前はどうしたい?」と聞かれた。辞めるか続けるか、その決断を迫る質問だった。「辞めたいです。」「そうか、辞めるか。」「辞めます。」意外なほどアッサリと終わった。そしてその数時間後に店長から大きな人事異動の話を聞いた。エリア全体での大きな人事異動で私の上の店長も異動してきてから2ヶ月しか経たないのに他の店に異動、私の店の店長も変わることになった。それでなんとなく判った。店長が辞めるか辞めないかの決断を私に迫ったのはその人事異動が裏にあったからなのだろう。恐らく私が辞めないで続けると選択していたら私も異動だったのだろう。ここからは憶測に過ぎないが、続けていれば秋田辺りに異動だったような気がする。今となってはどうでも良いことだが。

退職が決まってからは早かった。仕事の引継ぎといっても店長ならまだしも副店長だったのでそれほど引き継ぐこともなかった。私が住んでいたアパートは会社が借りているもの。人事異動があり、私のいる店の店長も変わるので、アパートには新しい店長が入居することになる。だから引越も急がなければいけない、とりあえず実家に帰ることになった。電話帳片手に引越屋に電話して見積もりを取ってもらい、1番安いところに決定。5月だから引越閑散期らしく、かなり大幅に値引きしてもらった。正式に辞めることを表明してからちょうど1週間後に引越。就職して1年と1ヶ月チョット、仙台への一人旅を終えた。1台の車と少しの貯金、多くの経験を得て…

 

第44回 やっぱ不況? (2002/3/12)

1月の終わりにアルバイト時代に仲の良く、今もそのアルバイトを続けている後輩からメールがあった。結構衝撃的な内容だった。私がバイトをしていた店は地元に2店舗あって私はその1号店で働いていたのだが、2号店の方が業績悪化から閉店することになったという。幸いにして(?)閉店するのは私がバイトをしていた方ではなかったが、閉店することによって2号店で働いていた社員が殆ど1号店に異動してくるという。そのことにより、1号店では人が溢れるので1号店のアルバイトは殆どがクビを切られるということになったらしい。

学生バイトは全員がクビ、フリーターでも一部はクビで残った連中もいつクビを切られるか…という状況らしく、休憩所で公然と求人情報を読むほど士気は下がっているという(そりゃそうだろうけど)。私がそのアルバイトを円満退社をしてからほぼ1年、予想だにしなかった変わりようだ。私がバイトをしていた時期にそういうことがあったら私も真っ先に首を切られていたのかな。それにしても寂しい。学生バイト全員がクビでフリーターも殆どクビあるいはいつ切られるかというような状況、今私が元バイト先の店にふらっと遊びに行っても知っているのは一部の社員だけ、私の大学生活と共にあったバイト先の大きな変化ってのは寂しいな。まぁその情報が私に入ってきただけでも良かったのかな。ふらっと遊びに行ったらそんな状況だったっていうよりはマシか。

アルバイトが殆どクビという事態にも驚いたが、私のバイト先だった店の2号店が閉店という事実にも驚いた。全国的には有名ではないが、結構地元ではよく知られている店で私も小学生くらいの時からよく利用していた。2号店がオープンした日にもお客さんとして来店したのも覚えている。地元では安泰だと思われていた2号店が閉店とは…。原因と思われるコトは私でも容易に想像できる部分でも沢山ある。立地的には問題がない所に建っている店だったので原因は競合店だろう。扱っている商材をことごとく他店に食われたってところだろう。ディスカウントショップとして手広く色々扱っていたが、どれも中途半端に終わってしまったといったところなのかな、詳しくはよく判らんが。

やはり世の中は不況なのか。こころなしかウチの店のバイト募集に集まる人にも高い年齢の人が増えたような気がする。私が働いている店の客層や従業員の年齢などから、バイト募集で集まるのは20歳前後の人が多いのだが、前回の募集の時は応募者の半数が20代後半の男性(フリーター)だった。その前の応募では30代中盤のフリーター男性。年齢的に社員として雇ってくれる所がなかなかなくアルバイトでも何でも良いから働きたい、と言っていた。高校生の就職内定率が過去最悪の何%だとかってこともそういえば新聞で見た。世の中は不況でやはり厳しいのか。私の実感としてはそれほどないけれども、話しを聞いているとそうなのかって思うな。

 

第43回 面接 (2001/10/10)

つい1年半くらい前までは就職活動で面接を受ける側だった私が、9月1日付で店長になったので自分の店のアルバイトを採用する為の面接を行うことになった。地元最大の求人情報誌に求人広告を掲載。ページの1/4を使って週2回の掲載で掲載料は5万円強、なかなかの高値。

その週2回の求人情報誌掲載で約25人もの人から面接を受けたいとの反響があった。約1週間は面接しっぱなしというような状況になった。休憩中以外は面接…という感じだ。これまで面接などやったことがなかったので、何を聞いたら良いのかもよく判らない。とりあえず志望動機や過去の職歴やら色々と聞いた。とりあえず来て頂いた全員に仕事内容等の説明をしなければいけないので何度も同じことを言わなければいけない、喉も乾く。中には社会保険には入れるのかどうかなど、こっちが答えられないような質問をしてくる人もいて困った。

面接に来るのはだいたい20歳前後の男女が多いのだが、中には30代の人や40代の主婦まで来たのでさすがにやり辛かった。やたらと自分の知識をひけらかす人や、気弱そうにこっちの目を見ずにボソボソ喋る人、高校を中退して夢を追って諦めて進路変更の末に大検を受けて専門学校に行きたいという人、いわゆるリストラされた人、親が病気で自分が学費を稼がなければいけないという学生など本当に色々な人が来た。20分ほどの面接の中で相手の人生を少し垣間見て、その面接の結果によってはその人の人生を多少なりとも変えるかもしれないんだと思うと、責任重大だ。

25人もの面接を行なった中で採用したのは4人。採用の基準なども自分ではよくわからないので、とりあえず一緒に働きたいなと思った人を採用させて頂いた。仕事が出来そうな人やこっちが望む時間帯に働くことが出来そうな人よりも一緒に働きたいなと思った人を選んだ。20分ほどの面接の内容だけで内に秘めた輝くものを持っている人を見抜くような力が私にはないので、人当たりの良さそうな人ばかりを採用してしまった。採用してからもうすぐ1ヶ月が経過するが、誰一人辞めることなく頑張ってくれているので良しとするか。

 

第42回 防火管理者です。 (2001/08/02)

先日、甲種防火管理者講習なるものを受講してきた。店舗や建築物などにおける防火管理に関する様々なことを任せられる資格。店舗や建物に1人はその資格を持っている人がいなければいけないらしい。将来的に1人でお店を任せられることになったら必要になる資格らしい。受講料が6,500円、まぁお店の経費で落ちたけど。

2日間の講習で朝の9時から始まり、終わるのは16時30分の予定。少しの休憩を挟んでその間ずっと講習を受けなければならない。高校生みたいな授業スケジュールだ。講習は大きなホールみたいな所で受講。100人以上はいた、中年サラリーマンから女性、我々のような若者まで色々いた。さすがに高校生みたいなのはいなかった。大きなホールで私の席はかなり後ろの方、そして講習前日も12時間は働いていたので、確実に講習中に眠る自信があった。講習開始前に講師が「2日目の最後に効果測定の試験があります、これで7割取らないと補講を受けてもらうことになります。」と。7割は厳しいなと思いながらも見事に眠りに落ちた。午前中の講習は9割以上寝ていた。昼飯を食って午後の講習、お腹もいっぱいになったことでますます熟睡に磨きがかかる。気持ち良く眠っている所にジリリリリリリーと大音響、ハッと起きると講師が「これが非常ベルです。皆さん目が覚めましたか?」と、なかなかやってくれます。

2日目の講習でも殆ど眠っていた。確実に講習の半分は寝ていた。隣の席の中年サラリーマン風の人が熱心に講習を聞いてノートなども取っていたのでなんだかずっと眠っていて悪い気がした。そのうち「真面目に受ける気がないなら出て行け」みたいに言われるような気がしてちょっと恐かった。そしていざ効果測定、講習前の話だと7割取らなければいけないという。問題は5択で10問、勉強?もちろんしていない。たまに目が覚めて「ここは重要だぞ」と言われていた所に線を引いたくらい、ノートなんて持っては行ったが使わなかったし。ところがこの効果測定試験、思ったよりも出来た。なんとなく常識問題っぽかった。常識で考えるとこれだろうなーという答えを選択した。思ったより出来たんじゃないかな、と思いながら効果測定を終えた。

効果測定が終わると講師が「皆さん出来ましたか?まぁ4割とれば合格ですからね」。4割だって?7割じゃないのかよ。どうやら講習前に言った7割というのは我々を吹っかける手段だったらしいな。結局私は8問正解して無事に合格、晴れて甲種防火管理者の資格を取得した。ところがその修了証の名前が「絋之」になっていて再発行となった。まったくいつものこととはいえ…。それにしても講習の半分以上を眠っていた私にそんな資格を与えて良いのだろうか。ところで防火管理者って何するんだ??

 

第41回 名前について (2001/07/16)

私の本名を知っている方なら知っているだろうが、私の苗字は非常に読み辛い。漢字そのものは決して難しくないのだが、読み方が判り辛い。初対面の人は100%に近い確率で読み間違える。ネット上では一応苗字は公開していないので苗字のコトはここまでにしておこう。今回の本題は名前の方である。

紘之、一般的な漢字力を持っている方ならこれをヒロユキと読むことはできる。しかしこの漢字、人に説明するのが面倒臭い字なのだ。「糸偏に広いじゃないか?」と思ったらそうではないのである。よく見て欲しい、糸偏に広いではないのだ。絋ではなく紘なのである、実に判り辛い。私の知り合いや友人でも間違えて絋之と書いてくる人がいる、もはや慣れてしまったがあまり気分の良いものではない。この字を電話口などで人に説明するのが一苦労である。
「お名前は?」
「ヒロユキです、糸偏に広いみたいな字なんですけど、広いではなくて…」
という風に説明しなければならない。時々電話口の相手を試すように「八紘一宇のコウです」なんて言ってみる事もあるが、それで判る人は殆どいない。そりゃそうだ、私も大学に入ってから知った言葉だし。しかし最近になって少しだけ紘の字を説明するのが楽になった。少し前に世間を騒がせた人が同じ紘の字を使っているのだ。加藤の乱で有名(?)な政治家の加藤紘一氏である。あの加藤の乱により加藤紘一の知名度も上がったものと思われる。最近では私のヒロの字を説明する時に「政治家の加藤紘一のコウです。」と説明することにしている。

ところが先日、1人暮しを始めて生活のリズムが掴めてきたのでいよいよ新聞を取ろうと思って新聞の営業所に電話した。一通りの購買受付を済ませた後
「お名前は?」
「ヒロユキです。ヒロの字は政治家の加藤紘一のコウの字です。」
「…判らないんですけど。」
取る新聞を間違えたなと思った、まぁ営業所の人間だから仕方ないかとは思いつつも…。加藤氏がもうちょっとあの乱で頑張ってくれていれば。首相にならないと無理かな。

加藤紘一のコウでも伝わらない場合は基本的にこう言っている。
「糸偏に広いみたいな字なんですけど、広いではなくて、カタカナのナの右下にムを小さくかいた字です。」
…って説明したにも関わらずその相手からの書類や郵便物等の字が絋だったりすることもある。これから先ずーっとこの問答を続けて行かなければならないんだな、嫌になる。でも紘の字自体は自分では結構気に入っていたりもする。ヒロユキという名前は多いかもしれないが、紘之と書かせるのはあまりいない。周りとはチョット違うぞという妙な優越感。インターネットのハンドル名でも本名をそのまま使えるし。これからも宜しく、紘之。

 

 

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