日々是ネタ也
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第114回 限界の尻尾、8度目のフルマラソン (2018/5/20)

2017年12月3日、第12回湘南国際マラソンに参加。前年の大会でそれまでの自己ベストを10分以上も更新したものの、結果は4時間31分という微妙に悔いの残るタイムだった。となると今回の目標はただ1つ、サブ4.5(4時間30分切り)。幸いにして今回も前回と同じレベルの練習量を保てた。それどころか本番前最後の練習で10km超を走ったことにより、過去最高の練習量になった。準備は万端だが、その分ダメだった時の言い訳も出来ない。

例年通りスタートラインを超えたのはスタートから約20分後。直後に同僚とはぐれて1人旅になるのも例年同様。序盤は順調に1km6分台を維持。そして早くも前年との違いを実感したのは20km手前。そこで大会が用意したサブ5(5時間切り)ペースランナーを見つける。前年このペースランナーに追いついたのは25km過ぎだった。ペースランナーのペースやスタートラインまでの時間が前年とは違うので単純比較はできないが、5km以上も早く前年の公式タイムに追いついた。20〜30kmになっても1km6分台を維持し、給水がある区間でも1km7分台。疲労や脚の痛みは勿論あるものの、いずれも想定内の状況。これは行けるかもしれない。

残り10kmを切る33km地点。前年同様、今回もその地点に来るまで敢えて累計タイムは見ないでいた。そして初めて確認する累計タイムは3時間33分。残り9.125kmを57分弱、フルマラソン終盤ということを考えると思ったほど余裕は無い。過去最高の練習量に加え、当日の調子も良いと思っていてもこのタイム。サブ4.5の壁も簡単ではない。ただ、次も同じ練習量や当日の調子で走ることができる保証はない。今サブ4.5を目指さないと次は無いかもしれない。敢えてもう一段階ギアを上げられるくらいの力が残っていた。当たり前だが辛い30km後半になっても1km6分台を維持出来ている。そして残り4km超で残り30分、相変わらず絶妙な残り時間。40kmを過ぎてからラストスパート、最後はタイムも見ずにひたすら走り続けてゴール。そして手元の時計は4時間28分39秒…超えた!

ゴール後、達成感と同時に限界も見えてしまった気がする。過去最高の練習量をもってしても4時間30分をギリギリ切るレベル。次の節目は市民ランナー憧れのサブ4(4時間切り)になるのだろうが、この状況であと30分も縮めるのは至難の業。ラストスパート並みのペースで全区間を走らなければならない。そこへ到達するには平日も含めた計画的かつ継続的な走り込みやスピード練習が必要そう。そこまで行くと私の中でファンランの域を超える気がした。そこで得られる達成感よりも、そこに至るまでの苦労や犠牲にするものの方が多そうだ。これが限界とは言わないまでも、サブ4.5が達成できたことにより、自己ベストを目指すフルマラソンには一区切り付ける頃合いなのかもしれない。

後日、正式な記録証が届き、途中経過の正式タイムも知る。過去のフルマラソンのタイムを記録しているExcelに入力していた気が付いた。前回のタイムと比べると0〜20kmまでは前回のタイムが良く、20km〜40kmは今回のタイムが良い。記録だけを見ると今回は前半を抑えた分だけ後半にタイムが伸びたと言えそうだが、一方で前半にもっとタイムを伸ばすことも出来たとも言えそう。前回の前半と今回の後半を合わせた走りが出来たら…。完走後の虚脱状態を過ぎて冷静になった今、改めて考える。フルマラソン直後に見えた気がした限界はまだ尻尾なのかもしれない。

 

第113回 スマホデビュー (2017/7/23)

ガラケーで特に不便を感じてはいなかった。周囲がスマホにしていく中、ガラケーを貫いていた。その理由の半分くらいは天邪鬼的な意地だったような気もする。しかし、周囲にいる友人知人は勿論、両親もガラケーからスマホに変更。友人知人からもケータイメールのやり取りが面倒だからスマホでLINEしろと急かされる。そうした状況ながらスマホ化に二の足を踏んでいた理由の1つが通信費。現在20年弱使っているガラケーは最大級の割引が適用されており、月々の料金は1,300円程。スマホにすると5〜6千円はかかるイメージがあった。

そんな中、別の1面を教えてくれた知人。ガラケーは保持したまま、格安SIMでスマホを持てば良いと言う。格安SIMを使えば選択次第で月々の料金は1,000円もしないという。なるほど2台持ちという選択肢があったか、と目から鱗。早速ネットで調べてみると月々1,000円未満で出るわ出るわ。ガラケーを維持する2台持ちを前提にすると電話機能は不要なデータSIMで良いのでさらに安くなる。これまでのガラケーの維持費と合わせても2,000円程度に収められる。気持ちは一気にスマホデビューに傾いた。

次に検討するのはスマホの機種、iPhoneかアンドロイドか。家電量販店で溢れているのはアンドロイド機種で種類も値段も豊富。私はスマホこそ持っていないが、主に旅行用として4年前からアンドロイドのタブレットPCを持っている。アンドロイド機を1つ持っているのでスマホは逆にiPhoneにしようと思った。アンドロイド機は複数のメーカーが様々な機種を出しているため、値段から大きさから性能から色々ありすぎて選ぶのが面倒。一方で現時点でのiPhoneは最新の7シリーズ、6シリーズ、SEと基本的に3種類しかない。ガラケーとの2台持ちを考えるとあまり大きいスマホは避けたいと考え、最もコンパクトなiPhoneSEが適任だとすぐに絞り込めた。初めて持つスマホなので他との使い勝手を比較するまでもないのが良い。ただ家電量販店に売っているのは大手通信会社への加入か機種変更を前提とした機種のみ。格安SIMでも使えるSIMフリー端末が買えるのは公式ショップだけ、というわけでネットのAppleストアでiPhoneSEを購入。税込で5万円弱したのはご愛敬(6や7だともっと高い)。考えてみると普通にノートPC買うようなものだわな。

格安SIMのキャリアは検討の末にLINEモバイルを選択。最安の1MBモデルで月々税込み670円。これまでのガラケーの使い方を考えるとスマホにしたからといって急にゲームを始めたり動画を見るようになるとは思えない。自宅で使う際にはWi-Fiがあるし、主にメール替わりにLINEを使うくらいだと思うとLINE使用は通信量に加算されないLINEモバイルが最適だと思えた。最安だと540円のデータSIM専用プランもあったが、iPhoneで使う場合はショートメールサービス(SMS)付きSIMの方が良いという意見がネットで多かったのでSMS付にしておく。SMS付の方が位置情報を取得する際にスムーズになるため、結果的に電池の持ちも良くなるとか。

スマホデビューと同時にiPhoneデビュー、そしてLINEデビュー。ガラケーから電話帳をコピーしてLINEの設定をすると一気に友人知人に繋がった。久しく連絡を取っていなかった友人知人からも連絡が来て新たな世界を垣間見る。ただ、久しぶりだから「久しぶり〜」という連絡はするもののそれ以降にはなかなか進展しない。まぁ私くらいの年齢になると人間関係はある程度落ち着いてきているという点もあるか。

スマホデビューから約2ヶ月、ガラケーと比較した使用頻度は8:2くらいでスマホの方が多くなった。スマホに全権委譲を考えても良いが、20年近く使い続けてきたガラケーキャリアを捨てるのが惜しいのと、全権を格安SIMに任せる不安も根強い。今のところガラケーと合わせたコストは約2,000円なので大したこと無い。格安SIMがより普及したら3大キャリアの通信費も安くなるかもしれない。まだ2台持ちで様子見をしておこう。

 

第112回 リベンジと壁、7度目のフルマラソン (2017/7/23)

2016年12月4日、第11回湘南国際マラソンに参加。遡ること2014年、その年の湘南国際マラソンの申し込みに失敗した代替で参加した富士山マラソン。そこで初回マラソン以来の自己ベストを達成した。湘南よりコースが厳しい富士山マラソンでの自己ベスト更新は大きな自信になった。その翌年、2015年は2年ぶりに帰ってきた湘南のコース。練習量もそれなりだったし、見知ったコースだけに2年連続自己ベスト更新を密かに狙っていたが結果は約5分足りなかった。ただ、完走後の脚の痛みや疲労を考えるともう少し出来た気がした。そして今回、練習量は昨年とほぼ同等。本番前に昨年の走りを振り返るためにココの「第110回 余力と悔い、6度目のフルマラソン」を読む。ポイントだったと感じたのは前半を抑え気味に行ったことと後半で様子見をした場面。どちらも抑えすぎないで走ることが重要だと思った。

大会参加人数は例年と変わらないはずだが、駅の混雑具合やスタートラインまで20分以上かかったことなど、例年よりも参加者が多く感じた。一緒に参加した同僚もスタート前に会えたのは一部。その同僚ともスタート後の給水所ではぐれてからは一人旅。昨年は敢えて抑えて走った前半だったが、今回は抑えも急ぎもせずにマイペースを心掛ける。10kmまで1kmを6分台前半で維持し、その状態のままで20kmを超えても脚への違和感があまり無く、今回は調子が良いのかもしれないと感じた。そして25kmすぎ、大会が用意したペースランナーの姿を見つける。「SUB 5:00」と書かれたゼッケンを着たペースランナー。走りながら話しかけてみる「スミマセン、サブ5時間というのは号砲が鳴った9時からの時間ですよね?」と確認すると「そうです、公式タイムです」とのこと。考えてみたらその時間以外の基準は無いから当たり前なのだが、25kmも走り続けていると思考力も低下している。ただ、このペースランナーより早ければ昨年は果たせなかった公式タイムで5時間切りを達成できることは分かった。さらに今回はスタートラインまで20分以上かかったことを考えるとネットタイム(スタートライン通過からゴールまでの時間)だと4時間40分以下になる計算。私の自己ベストは2年前に記録した4時間41分27秒、これまで超えられなかった4時間40分の壁を超えられるかもしれない。

それなりに順調に走り続けて残り10kmを切った33km地点、これまで敢えて見ずにいた手元の時計の累計タイムを確認すると3時間30分。自己ベストは勿論、4時間40分の壁を超えることもかなり現実的に見えてきた。さらに残り9.195kmを1時間弱で走ることが出来たら一気に4時間30分、サブ4.5が見えてくる。しかしいつも立ちはだかるのが35kmの壁。モチベーションは上がったはずなのにタイムが伸びず、1kmが7分台に落ちる。30km台後半になるとコース上には走るどころか歩けなくなっているランナーも見かける。車いすや救護車に乗せられる人、道の端で嘔吐している人も見かけた。何が起きてもおかしくないフルマラソン終盤、どうしても慎重にならざるをえない。ただ昨年は似たような状況で慎重な走りをしたことが完走後に味わった悔いに繋がった。まさに今が正念場との思いで前へ進む。そして40km地点、改めてタイムを確認すると4時間18分。残り2.195kmを12分弱でサブ4.5という絶妙すぎるタイム。最終盤に1km6分未満を求められるとは…。40kmを走った状態でそれを出すのはかなり厳しいことを自覚しつつもラストスパート。脚がガクガクするのを気力で堪えて走る。そして見えるフィニッシュゲート、公式タイムは4時間55分台後半、フルマラソン初年度しか達成していなかった湘南国際マラソンでの公式5時間切りを達成してゴール。そして手元の時計は4時間30分58秒…!届かなかった。

自己ベストを10分以上も更新という史上最高の結果の一方、僅か1分弱でサブ4.5に届かなかった悔しさも大きい。ただこれは昨年味わった余力がありつつ「もう少し出来たんじゃないか」という後悔とは違う悔しさ。力は出したけれどあと少し届かなかったという次回へ向けての大きなモチベーションとなる悔しさ。次はその1分を縮めたい。それにしても1分弱、42.195kmの.195の部分と言っても良いかもしれない。こんなにもフルマラソンの距離が絶妙だと感じたのは初めてだった7度目の完走。

 

第111回 PC故障騒動 (2016/8/21)

メインとして使っているデスクトップPCの電源が入らなくなった。前日までは普通に使えていたのに突然の出来事。最初は自分が電源ボタンを押し忘れたのかと思ったくらい。長押ししても反応せず、PC本体の背後を見ても何も光っていない。こういうときにサブでノートPCもあるので助かる。ネットを検索して電源が入らなくなった際の対処を探す。電源ケーブルを始め、USBなど本体に接続されている全てのケーブルを抜いて数分放置しろとのこと。それにより内部の電流を放電させ、改めて電源を入れてみると治ることがあるらしい。試してみるものの状況は変わらず。電源ケーブルの問題かもしれないということで以前使っていたデスクトップPCの電源ケーブルを挿してみるが反応なし。念のために今の電源ケーブルを以前のデスクトップPCで使ったらちゃんと動いたので電源ケーブルの問題でも無いだろう。素人が打てそうな手はここまで、これは故障と判断した。

不幸中の幸いは購入時に3年間の延長保証に申し込んでいたこと。消費税増税前の2014年3月に購入したPC、まだ保証期間内。しかし修理の際に必要となればハードディスク(HD)を初期化するかもしれないということ。メインPCのHDが初期化されるのはかなり困る。思い立ったタイミングで外付けHDにバックアップは取っているが、最近いつバックアップを取ったか記憶に無い。旅の資料や仕事関係の資料など最近更新した大事なデータが色々ある。以前実家のPCがダメになった時にPC内のHDをUSBに接続させて外付けHDとして使えるようにするケーブルを買っていたのでそれを使ってデータの救出を試みる。ネットでPCの分解方法を確認してHDを取り出す。最初こそ緊張して恐る恐る作業するも、次第に大胆になっていく。PCを分解してHDを取り出し、専用ケーブルに繋いでデータの抽出を試みているだけでなんだか専門的な技術者になった気分。HDにケーブルを繋いでノートPCに挿してみる。するとちゃんとHDを認識し、中のデータも無事。メインとなるデータをノートPCと外付けHDに退避し、最悪の事態は免れた。

サポートセンターに電話をすると某運送会社がPCを引き取りに来ると言う。土曜日の午前中を指定して依頼を終える。そして土曜日、昼を過ぎても音沙汰が無い。そもそも集荷の依頼は私が出したわけではなく、問い合わせをしたサポートセンターが出している。もしかしたら運送会社への伝達が巧く行っていないのかもしれない。何かあったらこちらに問い合わせを…と言われた番号に電話してみると土曜日は営業時間外との音声が流れる。肝心な時に使えない。一向に来ない集荷を待つのも嫌になり外出。夕方、帰宅後のポストには不在票が入っており「集荷に伺いましたが不在でした」と。集荷に訪れた日時を見ると17時過ぎ。それでもまだメーカーから運送会社への連絡が不十分だった可能性も考えられる。苛立ちを抑えて不在票の連絡先に電話。まずは普通に再集荷の依頼を済ませた後で「そもそも今日の午前中の集荷を依頼していたはずですが…」と切り出す。すると「申し訳ございません〜」とのお詫びから始まって何らかのトラブルで遅れてしまったと言う。イヤイヤイヤ、何らかのトラブルは仕方ないとはいえ、それで何の連絡も無いというのはどういうことだ?こっちは午前中に来ると思って外出もせずに待っていたというのに。しかも不在票を見るとウチに来たのが17時過ぎって時間指定とは何なのかというレベル。久しぶりにクレーマー心(?)に火が付いた。最悪、時間に間に合わなかったのは仕方ないが、連絡も無い上に来ていたのが17時過ぎとは職務怠慢も甚だしい。ドライバーに文句を言うだけでは腹の虫が収まらず、運送会社のお客様相談室に全力のクレームを送った。

一方、集荷されたPCは修理センターに送られ、後日担当者から電話があった。今回の故障は電源ユニットだけの問題だったため、電源部分を交換して修理完了とのこと。HDも初期化することなく無事だったとのことでこちらは一安心。引き渡してから1週間で修理が完了して無事に戻ってきた。今回はちゃんと指定した日時に届いた。なお、運送会社に送ったクレームへの反応は地元の営業所の担当者からのお詫びメール。定型と思われるお詫びの文言が並んでおり、ただ平謝りだけで済ませようという雰囲気。既にPCも戻ってきており、問題は解決していたのでこちらもそれ以上の攻め手が無い。まぁ一件落着としてやるか。

 

第110回 余力と悔い、6度目のフルマラソン (2016/5/1)

完走するよりも難しいとされる出場権獲得のエントリーを成功させ、2年ぶり5回目の湘南国際マラソンに参加。第10回記念大会、その半分に出場したと考えると感慨深い。前年に参加した富士山マラソンで初マラソン以来の自己ベストを更新。その時ほどの練習は出来なかったが、コースは湘南の方が平坦だし経験もあるため、それなりに良いタイムが出せるのではないかと臨む。

例年通り9時のスタートから約20分経過してスタートラインを超える。昨年の好タイムの要因は後半にペースが落ちなかったことだと思っている。一般的に素人ランナーのフルマラソンは疲れの無い前半に稼ぐよりも、疲れの来る後半でいかに落ちないかの方が大事と言われている。それが頭にあったので前半は意識的にペースを抑えて走る。20km過ぎまでほぼ変わらぬペースで脚の痛みもあまり無くて順調。30km前後になるとさすがに脚も痛むが、こればかりは避けられない。残り10kmの時点で時間は13時、公式タイムで5時間を切るのは難しいが、ネットタイムで5時間は大丈夫そう。残るは前年の自己ベストを超えられるかというところ。30km台後半になると脚にいつ何が起こるか分からないので怖くてペースが上げられない。もう大丈夫と思えたのは40kmを超えた時点。残り2.195kmなら脚に何かあって歩くことになってもゴール出来るだろう。ペースを上げると意外に調子が良く、最終盤なので歩いている人だらけの周囲をごぼう抜きしまくってゴール。フィニッシュゲートにあった公式タイムは5時間1分強、あれ…?9時スタートだと計算が合わない?翌日になって知ったことだが、実はフルマラソンのスタート前にコース上に不審車両がいるとのことでスタートが5分遅れていた。それによりハーフマラソンや10kmランはレースを一時中断させられたという。車両の中には自殺者がいたとかでニュースにもなっていた。それはそれで大事ではあるのだが、終わってみて悔いが残ったのは公式タイム5時間1分強というこの1分強。最終盤のラストスパートを考えると全体に平均すると1分くらいは縮められる余力があった気がする。完走後はいつものように打ち上げに行くのだが、その際の脚の痛みも例年ほどでは無い。特に顕著だったのが翌日以降の筋肉痛。痛みはあるものの、例年のように部屋から一歩も出たくないほどでは無く、普通に外出できた。1週間は引きずる筋肉痛も週の半ばくらいにはほぼ回復。そう考えると本番でもっと走ることが出来たのではないかという思いが一層強くなる。

振り返ってみると最初からほぼイーブンペースで走り続けた気がする。ではどこでギアを上げれば良かったのか。恐らくは30km台後半でビクビクしながら走っていたところが勝負の分かれ目だったような気がする。昨年は自己ベストが見えたことが後半にペースを上げるキッカケになった。今年は公式5時間切りが厳しく思えた時点で早々に淡々と走ることに終始してしまった。これまではタイムが良くない時でも良くない時なりに出し切って完走した思いがあった。今回も完走した時は勿論出し切った充実感はあったが、時間が経って考えると「もっと出来たはず」という思いが強くなった。6度目にして初めて少し悔いが残るフルマラソン完走になった。これを次回以降の大会に繋げていければと思う。

一方、地味に今大会で初めて達成した記録がある。過去5回のフルマラソンでは走る度に自己ワーストか自己ベストを更新し続けていた。初回のフルマラソンが最初の記録(自己ベスト)、2回目のフルマラソンは初回より悪い記録(自己ワースト)、3回目4回目とどんどん悪くなっていた(自己ワースト)、そして前回の5回目で一気に初回の記録を抜いて自己ベスト。そして今回、初めて自己ベストでもワーストでも無い平凡な記録。自己ベストと初回の記録(最初の自己ベスト)に続く私史上3位。6回走った中での3位という順位的にも非常に平凡。全体で見ると個人的には悪くない記録なのだが、その記録の背景を考えるともっと頑張る余地があった。次だな、次。

 

第109回 5度目にして初、5度目のフルマラソン (2015/5/2)

過去、4大会連続で参戦していた湘南国際マラソン。衰えを知らぬマラソンブームの影響で今回は定員オーバーでエントリーできなかった。毎年続けてきたフルマラソンの灯を絶やすわけにはいかないとエントリーしたのは2014年11月30日の富士山マラソン。富士山マラソンと銘打っているものの富士山を走るわけでは無く、富士山を見ながら河口湖畔を走るコースなので実態は河口湖マラソン。湘南マラソンよりも外国人ランナーが多く目に付いた気がしたが、これが「河口湖マラソン」だったらどの程度集まっただろうか。今回は過去最大の練習量で臨むことが出来た。練習量が増やせた最大の要因は過去2年よりも仕事が忙しくなかったこと。過去2年は大会直前の10月に残業や休日出勤が多くて満足な練習が出来ていなかった。今回は初めて事前に20km超を2回も走ることが出来たし、本番の2週間前にピークを持って行ってから本番に向けて徐々に距離を落とす練習も出来た。湘南以外では初めてのフルマラソンと少し高い標高にやや緊張しつつもスタートを待つ。

湘南マラソン以外を走ったことが無いのでどうしても湘南との比較になってしまう。参加者は湘南よりは少なく(それでも約1万3千人)、スタートも湘南なら15分以上はかかるのに、今回は5分強でスタート。富士山を見ながら走ることが出来たのは最初だけで、途中からは残念ながら雲に隠れて殆ど見られなかった。結局富士山が頂上まで綺麗に見渡せたのは河口湖駅に到着した早朝だけだった。湘南のように主要大通りを走るわけではないのでギャラリーは少な目。河口湖畔周辺の民家みたいなところを通るようなコースや、恐らくは距離を42.195kmにするためだけに設けられた細かい折り返しなどもある。給水所は唐突に現れる印象で(湘南の場合は給水所までの距離の表示があった)、補給食もチョコとバナナが主で少々飽きた。中盤以降は河口湖に隣接した西湖の湖畔を走るが、こちらには殆どギャラリーがいないために声援も無く、中盤以降ということもありランナーも疲れていて黙々淡々と進み、たまにあるトンネルの中では荒い息遣いと足音だけが響く一種異様な空間だった。総合的に見て湘南がコースもギャラリーも恵まれた大会なんだということを認識した。

序盤は様子を見ながら走り、10km辺りで脚の違和感が始まる。私の場合、脚の異変は違和感に始まり、疲労感を経て痛みに変わる。この過程が痛みになるまでにどれだけ距離を稼げるかが重要。直近2回のマラソンでは練習量が少なく、10km台で痛みが現れていた。今回は20kmを超えても痛みはそれほど無く、20km超の練習を2回実行した成果が実感できる。コースの半分を超えたあたりで急な上り坂が現れる。富士山マラソンでは1番の難所と言われているらしいところで、走る前の会場で経験者から漏れ聞こえてくる会話では歩いた方が良いとのこと。実際にその坂を目の当たりにして確かにこれは無理をせずに歩くのが得策だと思えたため、戦略的に歩いた。ここで無理をしたら後に響くと判断せざるを得ないほどの登り坂だった。

30kmを超えた時点でサブファイブ(5時間切り)が見えてきた。今回の最低限の目標は湘南以外のフルマラソンを完走すること、次が年々落ち続けている記録に歯止めをかけること、そしてその次がフルマラソン1年目にしか達成していないサブファイブだった。このままのペースで行けばそれらを一気に更新できる。でも焦りは禁物、30kmを超えるといつ脚がどうなるとも限らない。しかし幸いにして35km前後でいつも味わう35kmの壁とも言うべき強烈な痛みは無く、自分で計測していた1km毎のラップタイムも極端に落ちていることは無い。この辺りから初回のフルマラソンで記録した自己ベスト4:43が更新できる可能性を感じる。

そして残り5km強となった37km地点、4:43まで約35分という絶妙な残り時間。序盤の5kmなら大丈夫だろう。しかし37kmを走った状態での5km強を果たして35分で行けるかどうか。逡巡はあったものの、自分の中で思ったのは「ココまで順調にきたんだから挑戦しよう」ということ。どんなに事前練習を万全にしても本番で調子が上がらないことはあるだろうし、走っていて何らかのアクシデントが発生することもある (事実、今回一緒に走った同僚は過去の大会で私より好成績だったが、今回は脚に異変があったということで完走できなかった) 。次のフルマラソンに向けて今回以上の練習を積んだとしても本番で同じように走ることが出来る保証は無い。残り5kmの時点で自己ベストを狙えるのなら狙うべきだと身体は勿論、気持ちのギアも入れ直して走る。残り5kmと単純に思うのではなく、練習で走っているあのコースと同じ距離、と考える。普段の練習での5kmは平日の仕事終わりに走る最低レベルの距離。その程度の距離なんて余裕だろ、と自分に言い聞かせる。過去最大の練習を積んだ1番の成果は痛みが来るのが遅いことよりも、あれだけやったんだから行ける!と自分に思い込ませられたことのような気がする。

終盤は己を叱咤激励しながら気力で走り、ゴールしたときの手元の時計の時間は4:42弱。手元の時計なので正式タイムとの誤差があったとしても文句なしで自己ベスト更新。後日発表されたタイム詳細を確認すると4:41:27(スタート地点通過からゴールまでの時間、通称ネットタイム。スタートの号砲からゴールまでの公式タイムだと4:47:45)、自己ベストを2分弱更新。終盤に自己ベストを意識してからはタイムが落ちていないどころか、中盤よりも終盤のタイムが良かった。特に5km毎のタイムで最も早かったのが35km〜40kmのタイムだった。フルマラソンで好タイムを出すポイントは疲れの無い前半に飛ばすよりも、疲れがピークに達する後半をいかに落とさないか、と言われている。それを初めて実感できた気がする。過去最大の練習をしたとはいえ、31歳の私を上回るタイムで完走。練習量は嘘をつかないことを知ると同時に、まだ年齢は言い訳にできないことも知った。完走という最低限の目標から始まった大会だったが、自己ベストの更新という最高の結果で幕を閉じた。

 

第108回 増税前の駆け込み散財 (2014/5/12)

前回の消費税増税は3%から5%に上がった1998年。当時は小売店でバイトをしており、春休みで毎日のようにバイトに入っていた。4年間続けたバイトだったが、増税直前の数日が最も忙しかった。当時は供給側の忙しさだったが、今回は需要側の忙しさ。当時は学生の身分で「増税前にコレを買わなきゃ」という意思や物欲はそれほど無かった気がする。しかし今回は消費税増税にかこつけて必要なものは勿論のこと、「そのうち買おうと思っていたもの」を片っ端から購入した。買い物単価で言うと未だに私史上1位は10数年前の仙台時代の中古車現金一括買いだが、累計額でいうと今回はそれを上回った。折角なのでその記録を残しておく。

・航空券
増税前買い物の単価で最も高額な約12万円。海外航空券には消費税は適用されないので慌てて買う必要はそれほど無かったが、燃油サーチャージが消費税増税と同じタイミングで上がるという。というわけで休みの予定も早々に決めてしまい、早々に購入。

・パソコン
WindowsXPのサポート切れに伴い、必然的に買い替えを余儀なくされたパソコン本体。現行機は2004年に買ったものだったので約10年ぶり。デスクトップPCは約10万円、ノートPCは約4万円。その2つを足しても約10年前に買ったPCの値段より安いのに性能は格段に上。技術の進歩が感じられる。

・スポーツクラブの年会費
1人暮らしの運動不足解消に始めたスポーツクラブ通いだが、今や生活の1部になりつつある。会費は毎月クレジットカードから引き落としで払っていた。増税を機に会費も上がるので割引が効く年一括払いで10万円強の出費。もう4年以上も通い続けているので考えてみればもっと前からこうしていても良かったんだけど。

・定期券
6ヶ月分の定期券、5万円強。1月に定期が切れた時点で敢えて1ヶ月定期を2度更新して3月に照準を合わせて6ヶ月定期を購入した。

・革製品小物
財布、定期入れ、キーケース。いずれも10年以上前、学生時代から使い続けている代物。色々な箇所にガタが来ていたが、使えていたので買い替えるタイミングを逸していた。増税を機に一気に買い替え。仕事用、プライベート用などの使い分けも考慮してコレと思えるものは購入して5万円超の散財。学生時代に買ったそれほど高価ではないものでも10年以上使い続けているわけだし、30代中盤から持つものとしてはそれなりのモノを持とうという考え。10年以上使うと考えれば高い買い物ではないと思う。

・鞄
仕事用ビジネスバッグと旅行用バックパック。いずれも10年近く使ってくたびれていたので、どこかのタイミングで買い替えたいと思っていた。合わせて約3万円。

・靴
仕事用の革靴とスポーツクラブ用のスニーカー。ローテーションさせるために数足購入。合わせて約3万円。

・衣類
コートや下着類、スポーツウェアなどで約3万円。私服はコレというのが無くてパス。仕事用のワイシャツやネクタイなどは消耗品みたいなものだから適当に買っておけば良かったな。

・ポータブルオーディオ
スポーツジムで使っている防水型ウォークマンは故障により買い替え。運動用に音質は求めないため、最も安かったipodshuffleと防水型のイヤホンで合わせて約6千円。ついでにメインで使用しているポータブルオーディオも新しく購入。こちらは機種が壊れたわけではないが、10年前の機種でサイズが大きいのと電池の持ちが悪くなってきていたので最新機を2万円強で購入。パソコンと同じで10年前に購入したものより安く、保存容量は大きく、サイズは小さい。こちらも技術の進歩を感じる。

・酒
ビールのケース買いとウィスキーを数本で約1万円、夏頃まではもつかな。ついでに3月という時節柄、飲み会も多かった。1回の飲み会で2次会まで行くと平均5千円、週2回ペースで飲んでいたと仮定すれば週に1万円くらい飛んでいたのかも。

・クリーニング
時期的にもちょうど良かったのでスーツなど片っ端から出して約5千円。

買い溜めの定番みたいなトイレットペーパーなどの日用消耗品は殆ど買わず。何故なら例えばトイレットペーパーだと安ければ178円で売られているが、増税前の時期は軒並み198円。高いわけではないが最安ではない。恐らくそこまで安くしなくても駆け込み需要で売れるからだろう。178円に8%分の消費税を足しても192円、増税前の198円で買うよりも安い。日用消耗品はドラッグストアの店頭などで売られている特価品を狙って買えば増税分を補って余りあると判断した。この辺の節約知識は10数年前のバイト時代に得た感覚だと思う。家電製品も小売店やネット店舗の平均価格は1〜2月よりも3月の方が高かったとの情報も。増税直前ではなく、その少し前から価格推移を見守って動いておくのが賢い買い物だったのだろう。次は1年半後に予定されている10%への増税時だが、さすがに今回より散財は減るだろうな。

 

第107回 練習の成果、4度目のフルマラソン (2013/11/23)

2013年11月3日、第8回湘南国際マラソン。もはや11月の恒例行事、一緒に参加した職場仲間は「年末年始や夏休みよりコッチの方が年の節目を感じる」と言っていた。昨年が過去最低の練習で過去最低のタイムだった。今年はそれをさらに下回る練習量。昨年に引き続き仕事が忙しく、直前の10月は休日出勤が3日、残業も常時21〜22時までという状況に加えてペルー旅行もあり、殆ど練習が出来ていない。今回の練習で走った最長距離は11.5km。事前練習で20kmを走らなかったのは初めて。前回のマラソン後に「次の目標は自己ベスト更新ではなく、自己ワーストの更新を避けること」としたが事前の練習状況だとそれも難しいかもしれない。今回のテーマはいかに少ない練習量で完走できるか、というネガティブなものになりそうだ。

大会当日、これまでは小田急線で藤沢駅へ行き、そこから東海道線で二宮駅へ向かうルートを取っていた。しかしこれだと藤沢から二宮への東海道線が朝のピーク時の通勤電車並みの混雑になる。昨年も参加したメンバーから小田急線なら小田原から東海道線を使えば空いているとの情報を得る。小田原経由で行くためには20分ほど早く家を出ないといけないが、大混雑の電車に乗るよりは良いだろうと判断。初めて小田原回りのルートを使ってみる。すると確かに小田原までの電車は勿論、小田原から二宮までの東海道線でも空いていて座れる。時間と料金は余計にかかるが(+20分、+100円)、本番前に疲労する事態を避けられるという点ではこちらの方が良い。来年以降もこのルートだな。

今回も仲間内は10人を超える参加者。例によってスタートから20分ほど時間が経ってようやくスタートラインに辿り着く。序盤で仲間とはぐれて1人ランも昨年同様。しかし昨年と違うのは10kmを越えて早速脚の痛みに襲われたこと。オイオイ、痛みが来るの早過ぎだろう…と自分に突っ込みを入れるも、12kmを越えると1年前のフルマラソン以来の最長距離になるわけだから当然のことかもしれない。練習での最長距離を越えた時点で脚の痛みが来る辺り、身体は正直だ。今回初めての経験をしたのがラン中のトイレ。スタート時点から尿意が怪しかったが、どこのトイレも大行列。次のトイレが空いていたら行こう、と思っていたら26.7km地点まで走っていた。そこでも僅かながら待たされたが、そこまで行くと脚が休まる待ち時間がありがたい。トイレで2〜3分ロスしたが、トイレ後の1kmは一時的にタイムが上がったのは身体が軽くなったのと休憩のおかげだろう。どれだけ練習をしていても辛い30km過ぎではとうとう所々で歩くという失態も犯してしまった。そんな中で聞こえてきた沿道からの声「皆さん、頑張ってください。今大会の名前を思い出してください。湘南国際“マラソン”です。歩くために1万円払ったんですか?」というもの。無責任な沿道からの煽りだとは思わなかった、そうだよな!と思い再び走り出す。こういうのがあるから沿道からの声は侮れない。とはいえペースは全く上がらず、辛うじて走っている体勢にだけはなっているというレベル。39km〜40kmで手元の時計でスタート地点から5時間が経過し、過去最低タイムの更新が確定。後はただ自分との闘い、最低の練習でも最低限の結果を。過去最低記録を大きく更新する5時間19分でゴール。どんなにタイムが悪くてもゴールの瞬間は確実に嬉しい。完走の充実感ともう走らなくて良いという安堵感。

過去最低だった前回を下回る練習量で如実に表れた過去最低のタイム。タイムの落ち幅もこれまでで最低(最高と言うべきか…)。過去3回の完走からあわよくばそんなに練習しなくてもそれなりに走ることが出来るのではないかという過信もあったと思う。やはり練習の成果というものは存在することが確信できた。次は本番前に最低でも通して20kmは走っておきたい。問題はこの決心が1年後も持続しているのか?ということかもしれない。

 

第106回 謎の眩暈 (2013/03/10)

いつも通り迎えた休日の朝。午前中に人と会う予定があったので外出。座って話をしていると何だか頭がクラクラするなーと感じる瞬間があった。その時点ではあまり気にしていなかったが、話が終わって立ち上がった瞬間に立ちくらみ。おぉ!?なんだコレは、目が回るぞ。とりあえず歩き出すも地に足が着いていないようなフワフワとした感覚。初めて味わう感覚で、不意に意識が飛んで倒れるんじゃないかと不安になる。細心の注意を払って歩き、早々に帰宅。すぐにでも横になりたかったが、朝から好天だったので布団をベランダに干した状態だった。取り込む余裕すら無くコタツに潜り込んで就寝。1〜2時間して目が覚めたときは横になっていたので何も感じなかった。アレは夢だったんじゃないかと思って起き上がった瞬間に脳がグワンと揺れる感じで眩暈が襲ってくる。これは危ない、布団を取り込んでちゃんと寝ようと思って立ち上がると更に強い眩暈。一旦座って落ち着いてから布団を取り込む。1つ取り込んだだけで座って休まないと次の行動に移れないくらい激しい眩暈がする。ようやく布団を取り込み終えたら気が緩んだのか急に吐き気をもよおしトイレに駆け込んで嘔吐。何で急にこんなことになったのか全く心当たりが無い。この1週間は体調を崩すこともなく出勤できていたし、仕事にも支障は無かった。前日は休前日なので自宅で飲んだが普段の酒量からしたら微々たるもの。今朝も最初にクラッとした瞬間までは全く何とも無かった。眩暈がして吐いている時でさえ熱があるようには感じない。何の前触れも無く突然襲ってきた眩暈。ネットで調べたいと思ったものの、それをする気力すら起きなかった。食欲もなく、ひたすら眠って時間が経つのを待つ。幸いなのは動かなければ何も感じないこと。寝ていても風邪のときのように寝苦しさは無い。目が覚めるとなんとも無いんじゃないか?と思って起き上がってやっぱりフラフラ、というのを繰り返していた。

翌朝、眩暈が始まったのも突然だったし、コロッと治っていないかなと思って起床したがやはりダメだった。ただ前日よりは幾分楽になり、吐き気は無く、食欲も復活。ネットで調べる元気も出てきたので「めまい」で検索。これまで意識したことなど無かったが眩暈が起きた場合は耳鼻科が第1選択肢らしい。めまい専門医というのも耳鼻科医が多かった。眩暈の原因についても耳か脳の異常が主だとか。グルグル・フワフワ・クラクラ・ヨロヨロなどと表現される眩暈。それぞれ原因が違うらしいが、ヨロヨロ以外はどれにも当て嵌まっている気がする。ネットはあくまでも参考意見、やはりちゃんと医者に診てもらうべきだという当たり前の結論に達した。初めての眩暈で心当たりもなく突然発症したので何よりも脳の異常が怖い。脳検査もしてくれるような医院を探し、高性能のMRIを搭載しているとの触れ込みの所を予約した。日が経つにつれ症状は和らいでいき、平日の仕事も特に問題無くこなすことが出来た。どうしても外せない飲み会にも参加し、恐る恐る飲んでみたが大丈夫。むしろ酔いで感覚が麻痺するせいか、飲んだ方が眩暈は感じなくなった。放っておいても治るような気はしたが、何が原因なのか分からないと今後が不安だ。眩暈が良くなったとしても病院は行っておこうと思った。

初めてのめまい発症から1週間、ようやく病院へ。医師に症状を説明すると、簡単な検査をすると言う。医師が持つペンを私の目の前で左右にゆっくり振る。首を動かさずに目だけでペンを追ってくださいとのこと。言われた通りにすると「歩くときに右側に寄りませんか?」と聞かれる。あまり意識したことは無いと答えると、その場で立って足踏みをしてくださいとのこと…特に変化は無い。では次は目を閉じて足踏みを…と言うのでやってみる。この流れから行くと目を開けたときは右側に寄っているんだろうと思い、意識して右に寄らないようにその場にいるように足踏みをしていたつもりが目を開けたら見事に右側に寄っていた。まんまと術中にはまったようで悔しい。「恐らくは右耳奥から来る眩暈でしょう」とのことだったが「念のために脳検査もしてみましょう」ということで人生初のMRIへ。体重を申告し、ベルトや時計など身につけている金属製のものは全て外し、狭い所に10分〜15分入ることになるが閉所恐怖症は無いか、トイレは大丈夫か、骨折などでボルトが体内に無いか、コンタクトや刺青はしていないかなど色々聞かれた。それまで知らなかったがMRIは強烈な磁場を発生させたその反響?で撮影するらしく、磁気に反応するものを身につけているとダメらしい。いざMRI、なんとなくガソリンスタンドにある洗車の機械を思わせる。工事現場のような大きな音がするのでヘッドホンをします、と言われクラシックが流れるヘッドホンをつけられる。MRIに吸い込まれていき、狭く暗い中でただじっとしている。すると確かに巨大な音が周囲を襲う。ピーガラガラガラドーンドーンコツコツコツ。何をどうしたらこんな音が出るんだ?というような音。ヘッドホンで流れていたクラシックなんて聞こえやしない。最初こそ何がどうなるんだろうと興味深かったが5分もすると飽きる。音はうるさかったがやめてくれと思うほどでもなかったし、暗く狭い所も苦ではなかったので問題無く終了。撮影後、20分くらい待たされて再び医師の所へ。パソコンのモニターには鮮明な感じがする脳の画像。「これが貴方の脳です」と。肝心の結果については「脳に異常はなく、綺麗なものです。血管が詰まったりするような箇所も見受けられません。」とのこと。3Dで撮影しているらしく、様々な角度から脳や張り巡らされている血管を見せてくれた。「大丈夫」と言われてから見るとなるほど綺麗に見える気がする。となると眩暈の原因は?医師曰く「前庭神経炎」。耳の奥から脳に至る神経の1つが炎症を起こしていると思われるとのこと。突然の眩暈発症の10日ほど前に38℃超の熱を出していた、ペンを使った眼振検査やその場での足踏みをしたときに右側に症状が現れたことなどが決め手と言う。風邪を引いた際に、まれにウィルスが前庭神経まで感染してしまうことで発症すると言われているらしい。特に治療法は無いが、いわば耳の風邪みたいなものなので時間の経過と共に治る。前庭神経が完治するまでは数ヶ月かかるが、眩暈などの自覚症状は1〜2週間で治るし、若いので気にすることも無いでしょう、とのことだった。説明も納得できたし、MRIを撮って脳に異常無しというお墨付きも得られた。相変わらず少しフワフワする感覚はあるものの診察を受ける前よりも健康になった気分で病院を後にした。

眩暈が辛かったら飲んでくださいと渡された薬は市販もされている乗り物酔い止めの薬。前庭神経炎を直接治療する方法や薬は無いらしく、対症療法となると眩暈の症状も乗り物酔いの症状も同じ薬になるらしい。そう考えると最初に眩暈を発症したときの吐き気は乗り物酔い時の吐き気と同じだったということだろうか。帰宅後に改めて「前庭神経炎」をネットで検索。ものの見事に殆どの症状に当て嵌まっている。よく読むと未だ正式な原因は不明の病気だとか。世の中には色々な病気がある。突然の眩暈でどうなることかと思ったが、終わってみれば大したことはなくて良かった。眩暈について少しだけ詳しくなり、脳の健康については少し自信を深め、後は前庭神経の回復を待とう。

 

第105回 走るための力、3度目のフルマラソン (2012/11/23)

2012年11月3日、第7回湘南国際マラソン。第5回目から連続参加、通算3度目のフルマラソン。過去2回と違うのは明らかな練習不足。春先から仕事が忙しくなり、直前の10月は今の仕事に就いてから最長の勤務時間を記録した。練習量の少なさに完走を不安視するレベルだった。回を重ねるごとに職場のランナー仲間が増えていき、今回は過去最多の15人が参加。職場内の口コミで挑戦者が増えていく。まったくなんだってこんな辛いことをやろうと思うのだろうかと自分を棚に上げて思う。

例年より少し前の位置からスタートできたが、それでもスタート地点までは15分以上かかる。スタートしてから5kmくらいは例年よりも人が多い。思ったよりも全体のペースが遅く、渋滞の中を走っているようで走りにくい。前回のフルマラソンではそれなりに練習をしていたので前半は調子に乗って快調に飛ばしていた。今回は練習不足を自覚していたので前半はペースを上げないように心がけて走る。例年は20km辺りまで職場の仲間と一緒に走るのだが、今回はペースが合わず基本的に一人旅。10kmまでは余裕、15kmくらいで脚に違和感が出てくるが走るのに支障は無い。ただ足が重く感じてペースが上がらないし上げられない。脚の痛みが本格化してくる20kmを過ぎてからいよいよ本番。前半ペースを上げず、後半落ちないように…なんて思っていたが25kmを過ぎるとそんな作戦が無意味だと気付く。どう足掻いても後半の辛さからは逃げ切れない。25kmから35km辺りが最も辛い、分かっていても辛い、どうしようもなく辛い。前回は35kmすぎに脚が攣って一気にペースが落ちた。今回は足が攣る以前にペースが全く上がらない。脚が痛いのはいつものことなのだが、脚がまともに動かない感覚は初めて。給水所で完全に止まってストレッチや屈伸運動をするのも初めての経験。屈伸でしゃがんだ瞬間に2度と立ちたくなくなる。諸々の状況は練習不足の影響だと考えざるを得ない。逆の意味での練習の成果を実感した。

タイムを見るとネットタイム(スタート地点からゴール地点までのタイム)で5時間を切るのも難しそう。こうなったら最悪の状態でも完走することしかモチベーションが無い。辛い状況ながらも力になるのはやはり沿道の声援。見ず知らずのランナーに頑張れ頑張れと声援を送ってくれる人達は本当にありがたい。そしてもう1つ力になったのが音楽。沿道にラジカセを置いてサザンの曲(湘南国際マラソンだし)を流していた見物客。それ以外にも所々で元気が出そうなアップテンポの曲を流していた。ノリが良く知っている曲が流れていると元気が出てくる。音楽も人に力を与えるんだということを実感。イヤホンをして音楽を聞きながら走っている人が多いのも納得。次回は私も音楽を持ち込もうかとも思ったが、それだと沿道の声援が聞こえにくくなる。声援をとるか音楽をとるか、次回までの検討課題にしておこう。そして最後に力になったのは仲間の存在。湘南国際マラソンは2度の折り返し地点があり、2度目の折り返しはゴールまで残り3km程のところ。ココを折り返すと対面のコースで走っている人が見える。何人かの仲間の顔を見つけて声をかける。ココまで来るとお互いに完走は見えているので笑顔で挨拶できる。「お疲れ様です!もう少しです!頑張りましょう!」と声を掛け合うことで最後の力が生まれる。公式タイムで約5時間20分、ネットタイムで約5時間3分。初めて5時間オーバーという過去最低タイムながら、過去最少の練習でも完走はできた。

完走後、走り終えた仲間と健闘を称えあう。タイムは落ちたが参加した仲間の中では上位に入っていたのは経験者の面目躍如と言ったところか。フルマラソン後の帰路は脚が痛くてまともに歩けない状態になっている。しかし今回は例年ほどでは無い気がする。勿論痛みはあるが、まともに歩こうと思えば辛うじて歩けそうなレベル。そこで湧いた疑問、「もう少し頑張れたんじゃなかろうか…」。過去最低の練習量を自分の中の言い訳にしてしまった部分が無いだろうか。ネットタイムは手元の計測で5時間3分。およそ180秒、1kmあたり4〜5秒縮めていれば5時間を切れていた。比べるのもおこがましいが箱根駅伝の予選会で1秒の差に泣く学生を思い出した。次回の目標は2つ、自己ベストなどと偉そうなことは言わない。初回、2回目、3回目と回を重ねるごとに落ちているタイムに歯止めをかけること。そして5時間切りをもう1度。そのための力を、他力本願では無い力を身につけておきたい。

 

第104回 家賃値下げ交渉 (2012/6/23)

1人暮らしを始めて早4年。住居の2度目の更新を迎えた。前回の更新時には同条件だった部屋の家賃の方がウチより安かったのでそれを引き合いに出して家賃の値下げに成功していた。しかし今回は引き合いに出す同条件の部屋が埋まっているため、交渉材料が無い。この2年間で募集中になったことも無かったので、普通に言い値で更新せざるを得ないかなと思っていた。しかし更新に行こうと思っていたその週に同条件の部屋が入居者募集中になった。まるで私の更新を待っていたかのような絶妙なタイミング。これは活用せざるを得ない。

早速ネットで同条件の部屋の募集家賃を調べるとウチより4,000円も安い。1,000円程度なら目をつぶっても良かったが月4,000円はかなり大きい。というわけで不動産屋との交渉開始。全く同じ条件の部屋が4,000円も安く募集しているのだからウチも更新を機に下げて欲しい、と。4,000円の差で次の更新まで2年間と考えたら24ヶ月=96,000円もの差額になる。それほどの差になるのであれば一旦ウチを解約してそっちの部屋を契約した方が引越し代を考えても安くなる(敷金は1ヶ月分だったので更新料と同じ、礼金は無しだった)。でもそれをすると不動産屋も私もお互い手間になる。それよりはウチの家賃を下げた方がお互いにとって良い結果になるのでは?と理詰めの交渉。不動産屋経由で大家に意向を伝えてもらい、2,000円なら下げましょうとの返答。元を考えればそれでも悪くは無いのだが、4,000円を見せ付けられて半額の2,000円で引き下がるのも癪だった。その値段なら同条件の部屋に引っ越します、もう1,000円下がれば考えます、と食い下がる。正直、同条件の部屋に引っ越すにも再契約の仲介手数料や引越し代を考えると2,000円引きで充分だった(引っ越した方が余計にお金かかる)が、ダメ元でもう一押ししてみた。結果、3,000円の値下げに成功、充分な戦果と言えるだろう。

時間が経てば住居の資産価値も下がるわけで、今新規で入居する際の家賃は自分が契約した2年前より安くなるのが一般的だと思う。それなのに入居当初の家賃で更新し続けるのはよほどの人気物件でもない限りおかしい気がする。新聞は契約や更新の際に手土産を持ってくる、携帯電話は使い続けていれば長期割引がある。一方で住居は資産価値が下がっているのに同じ値段で更新させようとする上に更新料も取るとは虫が良すぎはしないか。今後もそんな状況に一石を投じられればと思う。最後に、私の中での交渉術のようなものを紹介。

・情報収集
同じ建物で空室が出た場合は家賃と募集状況をチェックする。なかなか埋まらないようだと人気物件では無いと考えられるため交渉の際には強気に出られるかも(時期にもよるが)。また、似たような立地や条件の別物件の家賃も知っておくことでリアルタイムの相場が分かる。いずれも交渉の際のカードとなるため、情報収集は必須。

・逃げ道の用意
交渉の際に「今のままなら他を探しますor移ります」と言っておくと相手にプレッシャーを与えられる。その際に情報収集をした具体的な物件を提示できればさらに強力。ある程度のハッタリは使って良いが、本当に逃げ道が無い場合は宿無しになるので注意。

・妥協点の設定
この値段なら良いかというのを設定しておく。でもすぐに妥協点に達した場合はもう少し交渉できるかも。

・丁寧な応対
クレームをつけるわけではないのと、今後も住み続けることを考えれば不動産屋や大家とは良好な関係を築いておくに越したことは無い。交渉の際はあくまでも丁寧に。その方が心象も良くなると思う。 絶対に値下げさせる!と思うのではなく、下がったら儲けモノと思っておくと気負わずに済む。不動産屋とのコミュニケーションと考えて楽しめる余裕があれば勝利は近付く。

2年も経てば住居の資産価値は基本的に下がる。そして交渉をしなければ絶対に下がらないであろう家賃。「更新を機に家賃安くなりませんか?」聞くは一時の恥、成功は二年の得。

 

第103回 山谷・吉原・浅草・上野 (2012/3/20)

行ったことのない近場の街へ行ってみよう、企画ということで行ってみた。インターネットで「東京のスラム街」と紹介されていた山谷地区。主に日雇い労働者向けの寝泊場所を提供する木賃宿が集まるドヤ街と呼ばれる場所。最近では安い宿泊費から外国人バックパッカーが集まるようにもなっているとかで興味があった。最寄り駅の東京メトロ日比谷線南千住駅は地上で、スカイツリーが綺麗に見える。泪橋交差点(昔は橋があったらしいが、今は単なる交差点)辺りが山谷地区と呼ばれていた所。現在、山谷という地名は残っていないらしい。適当に路地を入ってみると早速あった木賃宿と思われる建物。古い民家といった建物が並んでいるがいずれも宿泊施設。「冷暖房・カラーテレビ完備」という宣伝文句が時代を感じさせる。1泊の値段は2000円前後、休日の午前中だったからか人通りは殆ど無く、外国人バックパッカーの姿も見えない。近くにある玉姫公園はホームレスの溜まり場になっているらしく、テントやブルーシートが所狭しと並び、ホームレスが酒飲みながらマージャン?に興じていた。立派そうなマンションも立っている普通の住宅街の中に木賃宿やホームレスも混在し、すぐ近くにはスカイツリーが綺麗に見える。日本の頂点と底辺の微妙なコントラストを見た気がする。圧巻だったのは「いろは商店街」というアーケード通り。どこぞの地方都市の商店街も驚くであろうシャッター通り。僅かに開いている店も売り上げあるのか?と思うような店構え。シャッターの下りた店の前にはホームレスが寝転んでいたり酒を飲んでいたり。良い天気の1日だったがアーケードのお陰で薄暗くて不気味な雰囲気だった。

いろは商店街から徒歩数分の所にあるのが吉原。遊郭の名残にして日本一のソープランド街。この通りに入ると雰囲気は一変。ケバケバしい看板が通りを埋め、所々の建物の前にはダークスーツの呼び込みが立っている。昼前で人通りは少なく、私のような年齢の男が1人で歩いていると声をかけられる。そりゃ確実にその手の客に見えるわな。健康的な好天の休日昼間にケバケバしい風俗街はいかにも合わない。山谷地区とは違う負の空気みたいなものが感じられた。ホームレスが大量にいた山谷地区のすぐ近くに日本一のソープランド街があるというのも不思議な感じだ。「大阪のスラム」と称される西成地区のすぐ近くにも飛田新地というソープランド街があるらしい。あまり人の目に触れさせたくない、大っぴらに出来ないものは近くにまとめようというような意思の表れか。それは誰の意思なんだろうか。

東京の裏街を垣間見た後は少し歩いて浅草へ。なんか小汚いオッサンが増えてきたな、と思ったらWINS(場外馬券場)があり、いかにもなオッサンが沢山。その横には日本最古の遊園地といわれる花やしきがあり、いかにもな観光客が沢山。WINSのオッサンと花やしきの観光客、色々なコントラストを感じる日だ。花やしきからは浅草寺もすぐ近くで、気がついたら裏手から浅草寺に入っていた。休日で人がごった返している浅草寺の仲見世商店街。休日ということもあって京都もビックリの超観光地。裏から入ったので最後に雷門に到着。多種多様な観光客や人力車の呼び込みなど賑やか。浅草には神谷バーという日本最古のバーがある。電気ブランというカクテル?が飲めるというので行ってみたかった(電気ブランは居酒屋で飲んだことはあったが、神谷バーが元祖)。雷門から歩いて1分の所にあったが、休日だけに店内満席。少しブラブラしてからまた来ようと一旦退散。その場所から嫌でも目に入るのがアサヒビールの有名なビル。通称う○こビル、これも雷門から徒歩数分。アレはビールの泡を模していると聞いたことがあったが、ビールの泡(正確にはビールジョッキとそこから溢れる泡)を模しているのはその横のビル。う○こビルは情熱の炎?を模しているが都の条例か何かで尖ったオブジェを立てることが出来ないので横にしてあぁなったとか?真偽は不明だがそれならなんとなく納得できる。巧い角度を見つければう○こビルもスカイツリーも見える。ただでさえ観光客が集まるであろう浅草からスカイツリーまで見えるとあっては今後も客足は遠のかないか。折角なので真下まで行ったう○こビルの中はビアレストランのようになっているが、神谷バーに行きたかったので今回は眺めるだけにしておいた。14時過ぎくらいになってそろそろ空くだろうと思って神谷バーを再訪したが相変わらずの盛況ぶり。これだけ人が多いと入っても落ち着かない気がしたので諦めた。電気ブランは次に来る機会があったらにしよう。

最後は上野まで歩く。雷門横にある交番で聞くと、歩けない距離ではない。歩いている途中でかっぱ橋商店街にさしかかる。食器具や調理用品を中心に扱っている日本一の道具街。TVで見たことはあったがこんな所にあったのかと新鮮な気持ちになる。そして今回の旅の最終目的地に指定した上野に到着。アメ横は浅草寺と同じで歩くのにも渋滞する程の活気。やたらと「1000円でイイよ」というダミ声が鳴り響き、生臭さが鼻をつき、路上のジャンクフード屋からは良い匂いが漂う。東南アジアの活気ある市場をウロウロしているときに似た感覚。日本もアジアなんだなと実感できるような商店街の熱気だった。

ドヤ街、ソープ街、超観光地、アジア的商店街。ひたすら歩き回って半日で東京の色々な面が見られた。軽い旅をしたかのような興味深い1日だった。前半の2箇所が無ければ観光案内に載せても良いような旅だったかもしれない。でも前半の2つがあったからこそ浅草と上野にも行ってみようと思った。観光地的なものと非観光地的なもののコントラスト。この日のテーマは最後までそれだったのかもしれない。

 

第102回 震災後初仙台 (2011/11/23)

東日本大震災からの復興が落ち着いてきた感がある中、仙台へ行ってきた。ちょうど私が仙台へ行った年から10年、未曾有の大災害があった今年中に縁のある所へ行ってみたかった。ヤジ馬根性のような気持ちがあったのは否定しないが、僅かな期間とはいえ暮らした土地だけに単なるヤジ馬ではないつもりだ。

仙台への移動手段は高速バス。新幹線の方が早くて便利なのは分かっているが、コストの面でバスに軍配。新幹線片道の値段で高速バスなら往復してお釣りも来る。最安だと2,000円台からのバスもあるが、少し贅沢に5,000円ほどで3列シートのゆったりとしたバスにする。夜行バスなので早朝に仙台到着。駅の周囲は以前来たとき(2009年3月)と大差ないように見える。そして駅を出て目に付いた看板、駅前店が移転している…。10年前に私も開店に大きく関わった駅前店。より駅に近い大きなビルに移ったらしく、私が知っている駅前店があったビルへ行ってみるとそこは居酒屋になっていた。もう自分の知っている駅前店は無くなってしまったのだと思うと寂しくなった。レンタカー屋が開くのを待ってから車を借りて元私の店へ。道を殆ど忘れてしまっていてカーナビに案内されてようやく思い出せるレベル。駅前から車を走らせるも地震の痕跡は見られない。元私の店は相変わらず健在でいてくれて、私の住んでいたアパートも無事。開店直後の店に入ると私が店長時代にもよく来ていた少し知能に遅れが見られるお客さんがいた。執拗に意味不明な質問をしてきてよく困らせられたが、相変わらず店員を相手に意味不明な質問をしていた。お客さんなので無碍にするわけにもいかず、苦労している店員の姿が当時の自分と重なり、10年前と変わらないなーとしみじみ思った。一通り当時の生活圏内を車で流したが、私が住んでいた当時と比べて発展こそすれど地震の痕跡は見当たらなかった。仙台在住時に手伝いなどでよく行った同じ系列の店舗があった所も回ってみる。1つの店が仙台港の近くにあったので行ってみるがこちらも特に変化は見られない。確実に津波が押し寄せていたであろう場所だったが8ヶ月も経つとさすがに復興しているのか。ここまで来たので仙台港へ行ってみるとそこで初めて地震と津波の痕跡が見られた。倒壊した建物跡、1階部分が骨組みだけになっている倉庫、ひしゃげたフェンス、なぎ倒された木々など。異様にだだっ広く感じられたのも元はそこに何かがあったからなのかもしれない。結局今回の仙台旅で地震と津波のハッキリとした痕跡が見られたのは仙台港だけだったが、充分なインパクトがあった。それ以外だとカーナビの示す通りに行こうとしたが震災の影響で通行止めとなっている所がチラホラ。また、車の中ではラジオをつけていたが、仙台の放送局なのかどのMCも二言目には「あの震災があって〜」と地震をトークに絡めてくる。地震の日からずっとそんな調子だろうと考えると改めて地震の影響を思い知る。

夜は駅前のラーメン屋で晩飯を済ませる。それだけで終えるのは惜しかったので飲み屋が集まる国分町へ行き、1人で入れそうなショットバーを探す。1人でショットバーに入るのは少し抵抗があったが、海外で飲食店に入るのに比べればなんてことはない。数軒あったショットバーの中で店頭にメニューが掲げられてあり、カクテル1杯700円という手頃な値段の店に入ってみた。地下にカウンター10席ほどとテーブル2卓しかない狭い店。渋い中年男性が1人でマスターをやっているいかにもバーというイメージ通り。他に客がいないのは想定外だが雰囲気は当たりっぽい。まずはビールから始めて2杯目はギムレット。目の前でシェイカーをシャカシャカやって作ってくれる本格的なもので味も上々。やっぱりこういう店でマスターと1対1だったら会話するものだよな…と酔いも手伝って世間話。10年前に住んでいて震災以来初めて仙台に来たんですよ、と話すとその後は当然の如く震災の話になる。マスター曰く、海沿い以外は殆ど復興しているとのこと。地震当日は仙台中心部もライフラインが全て止まって地震や津波の全体像が分かったのは3日後くらいだったとのこと。地震があってからボランティアは基本的に仙台に集まるので復興特需とも呼べるくらいお客さんは増えたとのこと。ショットバーでマスターと世間話とか今更ながら1つ大人になった気分だった。1軒で長く飲むよりももう1軒行った方が総合的な評価が出来そうだったので、他のお客さんも入ってきたのを機に店を後にする。計3杯飲んでチャージ込み2,400円ほどだからまずまずの値段。 酔いに任せてもう1軒ショットバーへ入ってみる。1杯目のビール200円という看板に釣られて入った店で、ブラックミュージック(だと思う)が流れている。既に先客で水商売風の若いカップルが1組いて結構出来上がっている。マスターも私より年上に見えるがファッションが古い喩えだと渋谷のチーマー風。マスターと客を見て入る所を間違えたと思ったが、こちらも酔っ払っていたので腰をすえる。見た目はアレだったが話せば予想以上に気さくだったマスターとたまに横の若いカップルも交えてなんだかんだと話は出来た。ビールで始まり、マスターがお勧めするバーボンを2杯ほどロックで飲むとだいぶ回ってきた。渋いマスターがカクテル作る1軒目とチーマー風マスターが洋楽流す2軒目とタイプの違うバーに入ったのは経験値としては良かった気がする。地元でも1人では行かないショットバーの初体験を、社会人1年目として激動の時代を過ごした仙台で迎えられたのはどこかしら運命的なものを感じる。そんなことを思いながら良い気分で夜の仙台を歩いて宿泊先のビジネスホテルへ向かった。

翌朝は予想通りの二日酔い。バーを2軒ハシゴして計6杯を飲んだ挙句にコンビニでビールとチューハイ買って風呂上りに飲んでいるんだからそれもそのはず。チェックアウト時間ギリギリまでホテルの部屋でゴロゴロして出発。仙台に来たら縁起物、というわけで昼飯は牛タン。仙台には多数の牛タン店がある中で、大体いつも行くのは仙台在住時代に何度か訪れた店。元自分の店のスタッフに教えられた店なので愛着がある。二日酔いながら迎え酒ビールも注入して東京へ戻るバスに乗る。帰りの東北自動車道はまさに仙台から帰るときに使った道。行きは夜行バスでも帰りは敢えて日中のバス。流れる景色を見て最後のノスタルジーに浸りつつ今回の旅は幕を閉じた。今回訪れたことにより震災後という大義名分がなくなり、縁のある所ですら時間の流れと共に想いが薄れてしまっている気がする昨今。次に仙台を訪れるモチベーションが今は見つからない。それでもやはり仙台の地は胸の奥をくすぐられるような何かがある。仙台駅からの景色、元自分の店、周囲の雰囲気、全てが社会人1年目の「あの頃の気持ち」を思い出させてくれる。「あの頃」からどれだけ離れているか、自らの心の定点観測が出来る地なんだと思う。未曾有の大震災にも負けなかった仙台、いつまでも私にとっての特別な地であってほしい。

 

第101回 35kmの壁、2度目のフルマラソン (2011/11/23)

2011年11月3日、第6回湘南国際マラソンに参加。まさか1年に2度もフルマラソンを走ることになるとは数年前には想像すらしなかった。

前回と違うのは前日が仕事だということ。仕事を定時で終えて早々と帰路につく。炭水化物を多く摂った方が良いらしいので晩飯は定食屋でご飯を大盛り食べる。22時過ぎには就寝態勢に入るが、気が逸って眠れない。時計を見ると眠れないことに焦りそうだったので、時間を気にせずひたすら目を閉じていた。眠れなくても横になっているだけで身体は休まるから焦らなくて良いと何かで読んだのを思い出す。熟睡は出来ないままのような状態だったが既にアドレナリンが出ているのか寝不足を感じることも無く快適な目覚め。朝の4時過ぎに起きてオニギリとバナナを詰め込み、トイレでは大小を排出。入れるものを入れて出すものを出して準備万端、5時30分過ぎに家を出た。前回同様に朝の7時に東海道線二宮駅で職場のランナー仲間と待ち合わせ。東海道線に乗り換えてからの大混雑も前回同様。東海道線が最も混雑する1日なんじゃないかと思う。仲間と合流してバスでスタート地点の大磯プリンスホテルへ。前回よりもバスの本数が増えたのかスムーズに進んだ気がして、時間に余裕を持って大磯プリンスホテルに到着した。

参加者用の荷物置き場でランニング装備に着替えて準備運動をする。トイレに行きたい気もしたが、仮設トイレはどこも大行列。このくらいの尿意なら耐えられるだろうとトイレは諦めた。スタートの9時が近くなりスタート地点へ向かう。我々のスタート地点は正式なスタートラインの遥か後方。9時になっても号砲は聞こえず、司会者がアナウンスして盛り上げている声だけが会場内に響く。渋滞でスタートラインに辿り着けない我々は拍手をして気分を盛り上げる。前回はスタート15分後にはスタートラインを越えられていたが、今回は20分以上かかった。最初の時間のロスはそのまま第1関門の突破時間に影響するので少し焦る。前回はスタート直後に仲間とはぐれたが、今回はスタートから同じようなペースで一緒に走ることが出来た。案の定スタート直後は自分のペースなど殆ど意識できず周囲の走る流れに乗せられて走る。人生で最も長い約5時間の始まりだ。

今回のテーマは「楽しむこと」だったので、沿道で手を出している観客にハイタッチしたり、手を振ってくれている大会ボランティアに手を振り返したり、写真撮影をしてくれているカメラに応えたり「楽しむこと」を心掛けた。本当になんでこんな素人だらけの大会で熱心に応援してくれているのかと疑問に思いつつもそれ以上にその気持ちが嬉しくなる。今回はランニング用のストップウォッチを使って1km毎のタイムを計りながら走った。調子に乗って1kmを6分(≒時速10km)で走っていたこともあったが、序盤で早すぎると後半にバテそうだったので自制。概ね1kmを6分30〜40秒前後(≒時速9.2〜9.0km)が平均的なペースだったような気がする(給水所があるとプラス1分前後)。10kmまでは練習でも頻繁に走っている距離なので難なく走れる。そして10.8km地点の第1関門は制限時間の10分前に通過。スタートから20分のロスがあったのであまり余裕は無い。とはいえ距離を基に設定されている制限時間だろうから第2関門からはスタートのロスはあまり関係なくなる。前回も第1関門以外は問題なく通過できていたので大丈夫だろう。10km中盤にさしかかったところで足の裏に違和感。豆か何か出来た感覚だったが、とりあえず走り続けることに支障は無さそう。折り返し地点の江ノ島で応援に来ていた両親を見つけ少しだけ言葉を交わす。その頃には一緒に走っていた仲間ともはぐれて1人で走っていた。20kmを超えたあたりで足裏だけでなく脚全体に痛みが襲ってくる。しかしこの程度の痛みは想定の範囲内。時間を見ても1km6分30秒〜7分(≒時速9.2〜8.5km)は保てている。30km過ぎまでは「後はこの6〜7分を繰り返すだけだ」と冷静に考えながら走れていた。そして30kmを超えると前回も感じた不思議な感情の昂ぶりがあり、何故だか感極まりそうになる瞬間がある。あまり持続する感情ではないのだが、2度目の経験だし恐らくはランナーズ・ハイと呼べるものなのだろうと思う。

残り10km、前回はこの時点で14時まで残り1時間5〜10分ほどで、頑張れば14時までにゴールして公式タイムで5時間を切れる時間だった。しかし今回は既に13時過ぎ、残り1時間弱で10kmは即ち時速10km強で1時間。さすがに30km以上を走り続けた脚の状態でそれは難しい。スタート時間のロスがここで響いた。公式タイムで5時間切りは諦めてマイペースに専念する。そして35kmを超えたあたりで右モモ裏にこれまでに感じたことのない違和感。違和感がハリになり、アッという間に攣る感覚になった。走っていて脚が攣るというのを初めて体感した。サッカーの試合を見ていると後半になって脚が攣って走れなくなる選手を見ることがある。選手がやるように一時的に伸ばして応急処置が出来るのかもしれない。しかし自分の今の脚の状態を考えると下手なことをしたらプチンと筋肉の何かが切れそうな気がした。ただの痛みなら我慢して走り続けられるが、攣った状態だといつ何が起こるか分からない恐さがある。痛みよりもいつ爆発するか分からない爆弾を抱えながら走っているような感覚が恐い。すでに36.8km地点の最終関門は突破していて、後はゴールまで歩いても制限時間には間に合う所に来ていた。しかしここで「走る」という行為を止めたら再び走ることは出来ない気がした。残り10km地点で公式タイム5時間切りを早々に諦めて目標がなくなってしまった今、せめて「完走」だけは達成したい。頭に浮かんだのは村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」という本にあった言葉「少なくとも最後まで歩かなかった」。その言葉を胸に、右脚に極力負荷をかけないようにしつつも走ることだけは止めなかった。ラストスパートもままならない状態ながらも走り続けてゴール。タイムは5時間8分を指していた。

「35kmの壁」「マラソンは35kmを超えてからが本当に辛い」という言葉を実感できた2回目のフルマラソンだった。原因として考えられるのが長距離の走りこみ不足。本番前に1度も20kmを超える距離を走らなかった。20kmを過ぎてからの脚への異変に対する耐性が戻っていなかったのかもしれない。その無理が祟って表面化したのが35km過ぎの脚の攣りだったのだと思う。しかしその状態でも完走できたことは1つの自信になる。今回は若干タイムが落ちてしまったが、スタート地点からゴールまでのネットタイムだと5時間は切れている。当面の目標はどの位置からスタートしても公式タイムで5時間を切る。恐らくそのためには平均時速9kmが最低ラインだと思う。課題は見えた、3度目はタイム短縮を目指したい。

今回は前回に比べて仲間内の完走率も下がり、一部を除きタイムも揮わなかった。幸いにして陽が射すことはあまりなかったが平均気温は20℃くらい。暑さで体力を奪われたのもタイムが伸び悩んだ要因の1つかもしれない。なんにせよ終わってしまえば後は打ち上げが待っている。朝食以来まともなものを食べていない空腹+極限の疲労+達成感。苦しければ苦しかったほど報われるビールの美味さ。そして座っていると忘れているがトイレに立ち上がろうとした瞬間に脚が悲鳴を上げる。そして気が付いたのは家を出てから1度もトイレに行っていなかった事実。スタート前は少し尿意があったのに走っているうちにどこかへ消えてしまった。尿道からも汗が出ていたのだろうか。打ち上げを終えて帰宅し、シャワーを浴びて早々に就寝。前夜あんなに眠れなかったのが嘘のようにアッという間に眠りに落ちた。前回同様にフルマラソンのゴールは翌朝の職場。最後は足を引きずりながらもゴールすることが出来た。

 

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