最後の三沢コール
2009年9月27日 プロレスリングNOAH日本武道館大会

5年ぶりのプロレス観戦、9年ぶりの日本武道館。三沢光晴の追悼大会と銘打たれた会場は超満員。入場ゲートの上にはベルトを巻いた三沢の巨大な遺影が武道館のリングを見おろす。全日本プロレスと新日本プロレスがプロレス界の2大メジャー団体と言われていた90年代。東京で大規模な興行を行う場合、全日本プロレスは日本武道館、新日本プロレスは両国国技館で開催することが多かった。私が最も多く観に行った団体が全日本プロレス。最も多く観に行った会場が日本武道館。そして私が最も多く観ていた時代の全日本プロレスの中心は三沢光晴だった。日本武道館のメインイベントのリングには常に三沢が立っていた印象がある。三沢の追悼会場として武道館以上に相応しい場所は無い。

5年ぶりのプロレス観戦となる私にとって、1/4ほどが知らない選手だった。それとも未だ3/4もの選手を知っていたと表現した方が良いだろうか。残念ながら試合の印象はそれほど強く残っていない。最も感じてしまったのが三沢の全盛期に同じように活躍していた選手たちの動きの衰え。自分が10代の頃に見ていた選手たち。あの頃の動きを期待する方が酷というもの。そりゃオレも30を越えるわけだと時の流れの無常を感じる。それでも一時代を築いたプロレスラーは入場するだけで、リングに立つだけで、対峙するだけで観客の心を掴む。一流のプロレスラーは入場だけで金を取れると言う。プロレスの持つ、格闘技には無い魅力的な要素は健在だった。

メインイベントは三沢の最後の対戦相手と三沢の最後のタッグパートナーが対決するシングルマッチ。三沢の遺志を継いだ最後のタッグパートナーが三沢の技を合間に絡めつつ勝利するというまさにプロレス的展開で終了。今日ばかりはこれで良い、これが良い。メインイベントが終わっても席を立つ者はいない。本当のメインイベントはここから始まる。恐らく会場の誰もがそのために日本武道館へ来場した。プロレスリングNOAHの全選手がリングサイドに集まり、追悼の10カウントゴングが鳴らされる。そして鳴り響く三沢のテーマ曲。タイガーマスク時代の曲に始まりスパルタンXへ。感情の切り替えが難しく、会場もやや戸惑いを見せながらの感があった三沢コール。数々のプロレスラーのテーマの中でも曲と選手のコール、観客のノリと合わせ方、総合的に見て完成度では1,2を争うであろうスパルタンX。何度この曲に合わせて三沢コールをしたことか。今や三沢コールすらテーマ曲の一部だ。 テーマ曲の終了と同時にリングアナウンサーが最後の選手紹介「赤コーナー、GHCヘビー級選手権者、255ポンド、三沢ー光晴ー!」一斉にリングに投げ込まれる緑の紙テープが霞んで見えない。

これから先、他人の名前をあれほどの思いを込めて、あれほどの大きな声で叫ぶことは無いであろう。私が観た武道館の中心、プロレスの中心にはいつも三沢がいた。「ありがとう」でも「さようなら」でもない、三沢コールで送りたい。

(2009/11/23)

 

 

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