三沢光晴・急逝
追悼なんかしたくない…

2009年6月13日、いつもの土曜日で終わるはずだった。23時過ぎにインターネットを覗くまでは。
飛び込んできたトピックス「三沢光晴 試合中に意識不明」。慌てて見てみると試合中に技を受けて意識不明となって病院に運ばれたとか。某巨大掲示板へ行くと様々な情報が飛び交っている。死亡した、意識は戻った、両極端の書き込みが交錯。新しい情報は無いかとあれほどまで頻繁に更新ボタンを連打したのは初めてだった。しかし次第に死亡したという書き込みが増えていき、主要ポータルサイトやスポーツ新聞のサイトに死亡記事が出たという情報。行ってみると先ほどまで「意識不明」となっていた記事が「死亡」に変わっていた。2009年6月13日午後10時10分永眠。頭が真っ白になった、信じられなかった。実感が全く無く、虚無感のような形容しがたいものが全身を支配。何をするでもなく秒単位で増えていく某巨大掲示板の書き込みを呆然と眺め続けるだけ。掲示板をひたすら更新しているものの自分が何を確認しようとしているのかも分からない。 近頃はめっきり見なくなってしまっていたプロレスだが、三沢は間違いなく私が1番好きなプロレスラー。実際に会場で観たのも彼の試合が1番多かっただろう。あの三沢が?リング上で?バックドロップを受けて?死亡?その全てのシチュエーションが何1つ信じられなかった。

翌日曜日、いてもたってもいられず朝からワイドショー的ニュース番組を見る。予想通りプロレスを、三沢の試合を数多く放送していた日本テレビの番組のトップで放送した。事故直後のリング上、心臓マッサージを受け、救急隊員にタンカで運ばれていく映像。TV画面からも伝わるただならぬ空気がコトの深刻さを物語る。見なければ良かったと思いつつも目を逸らしたらダメだとの思いも。映像を見て衝撃を受けつつも信じられない思いは消えない。前夜と同じようにネット上を放浪。いつも行くジムへも行かず、1日を無為に過ごす。夜になって地元のプロレス好きだった友人から電話があり急遽追悼飲み。悲しみを分かち合える友人がいるというのは不幸中の幸いだ。

三沢の最期の試合が掲載された週刊プロレスを買おうと思った。何年振りかも分からない週プロの購入。しかしどこの書店に行っても売り切れていた。現役プロレスファンだけでなく、私のような元プロレスファンがこぞって買いに走ったのは目に見えていた。書店やコンビニを数軒回って諦めた。それを買ってしまったら本当に終わってしまう気がした。その後に出た追悼の増刊号も買わないことにした。今更それを買っても仕方ない気がした。それでもファンが参加できる追悼イベントには行くことにした。今はプロレスから離れてしまったとはいえ、多感な学生時代に自分は確実に三沢の姿を見て成長してきた。自分の中での区切りをつけるためにも、このまま終わらせてはいけないと思った。

7月4日、ディファ有明。三沢光晴のお別れの会として献花式が営まれる。2000年8月に三沢はこの地でプロレスリング・ノアの旗揚げを行った。私も旗揚げ戦のチケットを買おうと奮闘はしたが、即日完売で買えなかったことを思い出す。旗揚げ戦を行い、事務所もすぐ近くに構えたことからプロレスリング・ノアの聖地とも言えるディファ有明。初めて訪れるディファ有明がこのような形になるのは非常に残念だが、今の自分にとってはこのような形じゃないと訪れなかった場所かもしれない。ゆりかもめの始発駅、豊洲で献花用の花を購入しようとするも花屋は既に行列。40分待たされてようやく献花用の花を購入し、ゆりかもめに乗ってディファ有明の最寄り駅「有明テニスの森」へ向かう。車内は花を持った人ばかり、皆目的は1つだ。有明テニスの森へ向かうゆりかもめ、外を眺めると長蛇の列が出来ている?我が目を疑った、コレ皆そうなのか?!1つ手前の駅で降りるも列の最後尾はそこから更に歩いて結局ゆりかもめ1駅分戻ることになった。曇り空で海が近かったので風は涼しかったがそれでも7月、かなり暑い。 私が並んだ後もどんどん後ろに人が並び、アッという間に後ろが見えなくなった。14時から一般受付開始のところへ15時過ぎから並び始め、17時過ぎになってようやくディファ有明の入口近くまで辿り着いた。暑い中2時間以上立ちっぱなしで疲労はピークに達していた頃にようやく会場に入れた。会場通路に三沢の生前の活躍を紹介したパネルが展示され、まずファンはそこを一通り眺める。そしてホール内に入るとファンの献花で埋め尽くされたリングとGHCヘビー級のベルトを巻いた巨大な遺影。会場内には三沢のテーマ曲・スパルタンXが控えめな音量で流されている。リングの前まで行き、花をリングに投げ入れて合掌。リング前に置かれた机上には大量の花の他に三沢が好きだったという酎ハイや焼酎、さらにはファンの手書きのメッセージボードや写真などが多数供えてある。それらを見ていて急激に三沢の死を実感してしまい涙がこみ上げてきた。これまで実感が伴わなかった三沢の死を初めて感じさせられた。出口付近ではプロレスリング・ノアの主要レスラーが揃ってファン1人1人にお礼を言っていた。久しぶりに見る生のプロレスラーはやはり大きかった。 あの頃夢中で見ていたのと変わらない大きさだった。ただそこに三沢がいないのが残念でならない。目は涙で曇ってレスラーを直視できなかった。

三沢光晴・享年46歳。逆算したら私がプロレスを見始めた頃の三沢の年齢を今の自分は越えていることになる。追悼番組で過去の映像を振り返ると、それこそ決死の大技が多数繰り広げられている。脳天から・首から落とす危険な技が頻発していた。それを否定していた人がいたのも事実。でもそれに興奮して声援を送っていたあの頃の自分は紛れも無い真実。あの頃のようにプロレスに夢中になれることはもう無いだろうが、あの頃プロレスに夢中になっていた自分を忘れることは無いだろう。声が嗄れるほど叫んだ三沢コールを、今万感の想いを込めて。

(2009/07/20)

 

 

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