マチュピチュ
2013年9月27日〜10月7日

最初がいつかは覚えていない。
だが海外旅行を趣味と呼べるようになってからずっと行きたかった場所。
旅の予定を考えるときに何度も候補に挙がっては値段や日程で諦めていた場所。
今、その機が熟した。
「念願だったあの場所へ、いつ行くの?」
「今でしょ!」
「どこを経由するの?」
「リマでしょ!」

 

目次
9/27・1日飛行機
9/28・リマ
9/29・クスコへ
9/30・マチュピチュへ
10/1・マチュピチュ
10/2・再びクスコへ
10/3・クスコ
10/4・再びリマへ
10/5・リマ
10/6・1日飛行機
10/7・帰国

準備

マチュピチュ、インカ文明の古代遺跡。

行ってみたい世界遺産ランキング、みたいな企画では常に上位に入る。

それもそのはず、標高2000メートル超の場所にあり、存在そのものが幻とすらされていた天空の遺跡。

おまけに場所は日本から見ると地球の裏側、南米大陸にあるペルー。

直行便も無く、気軽に行けるような場所では無い。

学生時代は時間こそあれど予算が無かった旅。

社会人になったら予算はあれど時間が無い旅。

南米大陸にあるペルーは予算も時間も使う旅になる。

幸いにして今の職場は長期休暇に寛容、これまでの旅で「私=休暇で海外」というイメージも付いた。

旅する環境も整い、気分的に後押ししたのがパスポートの更新。

2013年の夏で期限が切れるパスポート。

学生時代は未成年で取得した5年物のパスポートで各国を旅した。

社会人になって会社の景気が良かった頃に社員旅行が海外だったので初めて10年物のパスポートを取得した。

それから10年、初めての10年物のパスポートの更新時期。

新しい10年のパスポートで最初に行く所が念願のマチュピチュというのはシチュエーションとして良い。

これまでの10年とそれ以前の5年で旅の経験値はかなり積めていると思う。

これまでのパスポートでの旅の経験を基に、次の10年へ向かうべく新パスポート。

これは偶然ではなく必然、今年こそがその時だ。

旅の予定スケジュールの半年以上前から航空券を探し、これと思える航空券に目星を付け、長期休暇を申請。

もう後には引けない引かない引くわけが無い。

アメリカを経由してペルーの首都のリマ、そこから国内線でマチュピチュに近いクスコまでの航空券を購入。

過去に調べたときは30万円近かったと思う航空券だが、今年は20万円強。

昨年スペイン旅行をしたときと殆ど変わらない金額でいくつもの航空券がヒットする。

全ての状況がマチュピチュへの道を後押ししてくれていると感じる。

これで翼は確保、次はマチュピチュへの入場券と足。

マチュピチュは2011年から完全予約制になり、1日の入場者数が限定されている。

予約にはパスポート番号が必要とのことだったので、パスポートの期限切れを待つ前に更新手続き。

新しいパスポートを手にして、マチュピチュの公式サイトから予約手続き。

事前にネットの情報を見ると公式サイトの予約システムは不安定らしく、予約できない事象もチラホラあるという。

確実性を求めるならば旅行代理店に依頼するのが良いらしいが、まずは自力でやってみる。

スペイン語表記は分からないので英語表記にしてそれなりに進む。

しかしどうしても途中で画面がフリーズして先に進めなくなる。

ネットを見るとスペイン語表記のままだと巧くいったという情報も。

何度も英語サイトで失敗していたので、スペイン語でもなんとなく理解できる。

そのまま手続きを進めるとクレジットカードの認証画面まで辿り着いた。

クレジットカード番号を入れるとどうやら無事に予約が出来たようで入場券が発行された。

マチュピチュの入場券と、マチュピチュ背後にある山(ワイナピチュ)の入場券がセットで152ヌエボ・ソル(ペルー通貨、略号はs/.だが面倒なので以後はsで統一)。

手数料込みで158s、後のクレジットカードの請求を見ると日本円で6,092円(1s≒38.5円)。

これまでの世界遺産の入場額の最高を記録。

しかし競合他社などいるわけもないマチュピチュへの入場券。

言われた通り払うしかないというのは国家的な搾取のような気がする。

マチュピチュの入場券は手にしたが、マチュピチュへの足はまだ手にしていない。

マチュピチュへ向かうにはペルーの古都クスコから列車を使うのが一般的。

ペルーの国鉄であるペルーレイルの公式サイトから予約。

ビスタドームという中級クラスの列車(クスコの駅発、クスコ郊外の駅着)で往復143ドル(≒14,512円、1ドル約101円計算)。

こちらも高いが、マチュピチュへの足としては基本的に列車しかないので仕方ない。

値段に文句ばかり言っている気がするが旅の思い出はpriceless、それを補って余りある感動があると信じよう。

念願の目的地と新しい10年のパスポートで臨む今回の旅では新しい試みをする。

タブレットPCを持参して現地でリアルタイムのツイートをしようと思う。

ペルー各都市のホテルを予約する際の事前情報で、殆どのホテルでフリーWi-Fiを搭載していることを知る。

つまりそこからインターネットに繋がることが出来る。

これまでは旅先のインターネットカフェからログインしてツイートしていた。

今度からは自分のタブレットPCで日本にいるときと変わらずツイートできるはずだ。

次代の新しい旅、次の10年への布石ともなるであろう旅の形に出来るかもしれない。

その気になれば旅日記の更新も現地からリアルタイムで出来るのだろう。

しかしまずはツイートから、旅日記は帰国後に少し冷静になって振り返る意味でも精査をしたい。

いずれにせよ、これまでに無い新しい旅になるだろう。

 

 

2013年9月27日 金曜日 ↓次へ ↑↑トップへ

朝、出発までの時間に余裕はあるものの気が逸るため結局いつもと同じ時間に目覚める。

旅の最終準備を済ませるも、行く所は季節が反対の南半球かつ高地でもあるので防寒具がどの程度必要なのかが分からない。

ガイドブックやネットの情報で平均気温は分かるのだが、体感的にそれがどれくらいなのかイマイチ想像できない。

夏場に諸アジアや欧州に行くときよりは衣類の嵩が増えるので、必然的に荷物がやや多め。

いつもなら小型のショルダーバックもバックパックに収まるのだが、今回は別持ち。

そんなこんなで10時過ぎに家を出て、地元から成田空港直行のバスに乗り込む。

思えば昨年の海外旅行はいずれも羽田発の深夜便だったので、成田からの出発は2011年のロシア以来。

例によって殆ど寝ていた車内だが、出発から1時間くらい経ってもそれほど進んでいない。

なんとなく渋滞が多いなとは思っていたがどうも遅い気がする。

もともとだいぶ余裕を持って3時間以上前に空港に着くスケジュールにしていたので焦りはない。

結局、予定より30分遅れで成田空港着。

空港バスがここまで遅れるのは初めての経験。

時間には余裕を持っておいた方が良いことを改めて実感。

時期的な問題か、それほど混んでいるように感じない成田空港。

今回利用するユナイテッド航空のチェックインもスムーズに終了。

出発前の最も楽しい時間はいつも通りビールを飲んでゆっくり過ごす。

ビールを飲みながらタブレットPCとブルートゥースキーボードで初めての旅日記を執筆。

折り畳みの小型キーボードでもそれほどストレスなく入力できるが、膝の上で打つと狭苦しい感じは否めない。

これまで手書きでノートに書いていた旅日記と比べてのメリットは直にホームページ用の旅日記に転用出来るところ。

デメリットは書こうと思ってパッと書けるものではないところ。

手書きノートとタブレットPCを併用して様子を見ながら使っていくことになりそうだ。

操作に慣れるためにもアレコレやっていたら、とっくに搭乗時間になっていた。

旅の飛行機の席は景色を楽しむために窓側を指定することが多いが、今回の席は敢えて通路側を指定。

10時間以上のフライトになるため、窓側の景色よりも気兼ねせずにトイレに行ける気軽さを選んだ。

真ん中の並びの通路側という席だったが、真ん中の並びが3席しかない。

私ともう1つの通路側には人が座っているが、真ん中は誰も来ない。

考えてみれば真ん中の並びの真ん中の席なんて何1つメリットが無い席。

完全に満席でも無い限りそこを敢えて取ろうとする人はいないだろう。

その予想が当たり、結局私の隣(真ん中の並びの真ん中の席)には誰も来なかった。

これで誰にも気兼ねせずトイレに行けるどころか、隣のトイレに煩わされる必要もない。

真ん中の並びの通路側、これまでは見向きもしなかった席だが意外に良い。

飛行機は15時45分頃に動き出し、16時10分頃に離陸。

2013年現在、ペルーまでの直行便は無く、今回の飛行機はアメリカのテキサス州ヒューストンを経由する。

ヒューストンまでは10時間50分ほどのフライトを予定との機内アナウンス。

飛行機内の楽しみは殆どがビールに集約される。

今回の飛行機はユナイテッド航空、アメリカ系の航空会社。

アメリカ系の航空会社はアルコールが有料な所が多い。

ユナイテッドも基本的にアルコールは有料らしいが、幸いにも日米間の路線だとビールとワインは無料で提供している。

気兼ねせずにビールを飲め、気兼ねせずにトイレへも行け、旅の幸先は良い。

ビールはアサヒ、バドワイザー、ハイネケンと3銘柄あったので一通り飲んだが、アサヒが1番美味かったのはやはり私が日本人だからか。

約11時間のフライトでスナック菓子、夕食、軽食(サンドイッチ)、朝食と計4回のサービスがあった。

飛行機の中ですることといえば食って飲んで寝るだけって不健康きわまりない空間だ。

ウトウトしていた機内で「お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか」というアナウンスが聞こえた。

噂には聞いたことあったが、本当にそういう状況があるんだな。

ヒューストン空港に着いたときには「急病人を先に降ろすために少々お待ちください」とのアナウンスがあった。

姿を見ることは無かった病人は無事だったのだろうか。

ヒューストン空港に着陸したのは現地時間で昼の12時50分。

日本時間の16時頃に出発したはずなのに、ヒューストン空港に到着したら時間が戻っている。

結果的に10時間40分のフライト、日本時間だと翌日AM2時50分(26時50分、時差はマイナス14時間)。

ペルーの首都リマへ向かう次の飛行機は3時間後の出発。

旅程表だと2時間しか乗り換え時間が無かったが、予定より早く着いてくれたらしい。

ヒューストン空港は乗り換えに使うだけだが、入国書類を書いて入国審査に指紋採取と写真撮影もさせられた。

経由するだけなのにESTAも申請する必要がある。

さすがにセキュリティにはうるさいアメリカといったところか。

入国審査を無事に終え、再度のセキュリティチェックを受けて次の飛行機の搭乗口を把握。

時間が余ったのでヒューストン空港をウロウロする。

ヒューストン空港はユナイテッド航空のハブ空港として利用されているだけあって実に広大。

テキサス州出身のジョージ・ブッシュ元アメリカ大統領(9・11やイラク戦争で有名なブッシュ大統領の父)の名前を冠した空港。

空港内にはブッシュ元大統領の銅像と略歴が展示されているコーナーもあった。

一通りの空港散策を終えると後はリマ行きの飛行機の搭乗を待つ。

時間的には10数時間が経過しているが、出発時間は日本を出たときと同じ16時。

何度体感しても時差というのは不思議だ。

リマ行きの飛行機に乗り込み出発。

明らかに日本人が減り(…というか確認した範囲ではいなかった気がする)、機内アナウンスも英語とスペイン語に変わる。

飛行時間は6時間とのアナウンス、これまでの11時間と比べると短いとすら思える。

機内サービスはスナック、夕食、軽食のラインナップ。

日米間と北南米間の機内での大きな違いはアルコールが有料(7ドル≒707円、以降は1ドル101円換算)になること。

これまで散々飲んできたし、周囲に注文している人もいなさそうだったのでソフトドリンクにしておく。

そしてもう1つの違いが機内食に箸が付くか否か。

日米間では割り箸が付いていてそれだけで全てを食べることが出来た。

北南米間の機内食で何か足りないと思ったらビールもそうだが、箸だった。

箸があれば大概のものは巧く食べられるし、ナイフとフォークよりも繊細に食べられる。

もっと世界的に普及しても良いと思うのだが。

アルコールが入ることも無く、無難に時間が進みリマへ。

ヒューストンからは南に向かって飛ぶため、ヒューストンとリマの時差は無し。

現地時間22時25分頃に着陸、飛行時間は6時間強だった。

初めての南米上陸で時間は夜遅い、早くホテルに着いておきたいと入国審査へ急ぐがものすごい混雑。

夜遅いから入国審査官が少ないのか40分くらい待たされる。

昼間の時間ならそれほどでも無いが、夜の23時を過ぎて延々待たされるのは不満と不安がたまる。

いつまでも待たされることによる不満と、時間が深夜に近付くことによる不安。

ようやく順番が回ってきた入国審査は何事も無く数秒で終了。

こんなに簡単に終わるのになんでもっとサクサク進まないのだろうか。

23時30分頃にようやくペルーへの入国が完了。

遅い時間の到着なので初日はホテルを取らずに空港泊も考えていた。

しかしそれをすると翌日まで疲れを引きずってその結果が旅全体の計画にも支障を及ぼすかもしれない。

30代も中盤に差し掛かってくるとただ予算だけを考えた無茶な旅をするよりは分別も付いてくる。

ちゃんとホテルでしっかり休んでから旅を始めようと、初日からホテルを予約してあった。

そのホテルへ向かうには当然ながら足が必要、その足のためには現地の通貨が必要。

空港両替所のレートが良くないのは定説だが、最低限の両替は空港でせざるを得ない。

税関前に両替所があったので、市内までのタクシー代とレート感覚を養うために手始めに50ドル(≒5,050円)を両替。

南米の場合は日本円の両替をしている所は少なく、していてもレートが悪いためにドルからの両替が一般的らしい。

1ドルで2.585ヌエボソル(先述の通りペルー通貨、略号はs/.だが面倒なので以後はsで統一)。

1ドルが約101円なので、101円≒2.585s、39円≒1sで計算。

およそ130s(≒5,070円)あれば市内までのタクシーは大丈夫だろうと判断。

初めての国に夜に到着したときはバスではなくタクシーを使った方が無難なのは2010年のインドネシアで経験済み。

明るい内ならばバスで市内へ行って地図と照らし合わせてホテルを探し歩くことも可能。

しかし夜だと地図や目的となる建物も分かり辛く、何よりも周囲が見えない暗さが不安を増長させる。

見知らぬ街の夜到着はタクシーで直接ホテルへ行くのが良い。

先述の通り、予算だけを考えた無茶な旅よりも…という分別。

空港には公認のタクシーというタクシーグリーンなるものがあるという地球の歩き方情報。

その窓口が見つからないでウロウロしているとタクシーならこっちだと方々から声をかけられる。

どこの国でもあるこのパターン、タクシーグリーンか?と聞いても明確なことは言わないのでこれは白タクだろうと判断。

空港インフォメーションを見つけたのでそこでタクシーグリーンの場所を聞くと到着ゲートのすぐ近くにあった。

目立つ看板があるわけでもなく、簡単な立て札があるだけだったので見落としていた。

金額は地域ごとに定められた定額料金で事前支払い。

最初に空港内で定額料金を支払うため、到着時に料金を払う際のトラブルも無いだろう。

ホテルのあるミラフローレス地区まで45ソル(≒1,755円)、ホテル名と住所が載ったホテルバウチャーを提示する。

空港から外へ出てタクシーへ。

外は肌寒いものの、Tシャツとウィンドブレーカーという格好で問題なし。

ちょうど日本の今の時期と季節は違えど(夏から秋と冬から春)同じくらいの気候かもしれない。

時刻は現地時間で23時40分、公認タクシーとはいえ真っ暗な中を裏道のような殆ど車通りがない所を走られると少々不安も。

海沿いと思われる道を走り、30分弱でホテルまで無事到着。

時刻は0時を過ぎていたので入れなかったらどうしようかと思ったが、ドアマンもいて大丈夫だった。

無事にチェックインを済ませようやく落ち着けた。

部屋は少し古びているが日本円で1泊6千円程度という値段を考えれば可もなし不可もなし。

まずは初めての南米に無事に到着できただけで御の字。

ホテルの部屋ではWi-Fiが使え、フロントで聞いたパスワードでタブレットPCを接続してみる。

接続成功、タブレットPCがリマからインターネットに繋がった。

リマのホテルから日本語でリマ到着のツイート。

こんなことが簡単に出来る世の中になっているのが凄い。

バスタブ付きの部屋ながら湯をためるまで待っていられずシャワーを浴びたらもう1時55分。

既に日付は変わっているが実に長い1日だった。

時差も含めると38時間あった1日。

もしかしたら私が地球上で最も長い9月27日を体験した人かもしれない。

 

 

2013年9月28日 土曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

前夜は疲れているはずなのに時差ボケの影響かなかなか寝付けず、朝は7時前には目が覚めた。

(以後は全て現地時間、日本との時差はマイナス14時間、日本が昼の12時なら現地は前日の22時)

外はどんよりと曇ってイマイチな感じ。

折角の海外旅行初日で2度寝するのもなんだし、7時30分から朝食とのことだったので行ってみる。

品数は最低限の朝食ビュッフェだったが、味は悪くない。

朝の天気でちょっと落ち込んだ気分だが、飯を食うとよし行動しようと思える。

この日は時差調整や現地慣れのために特に目的も無く、ペルー首都のリマを1日ブラブラする予定。

雨さえ降らなければ行動に支障は無いだろうが、窓を開けてみて気になったのは寒さ。

前夜に到着したときよりも朝の方が寒い気がする。

ホテルで少々ダラダラしてからこの旅初めての、南米大陸初めての散策を始める。

ペルーの首都リマは旧市街と新市街とに分かれている。

歴史的建造物が並び世界遺産にも指定されているのは旧市街。

ただ、旧市街は治安が良くないらしくホテルを取るなら新市街の方が良いということで今回泊まっているホテルは新市街。

新市街のミラフローレス地区から今回の旅歩きをスタート。

リマの新市街は太平洋に面した地区を中心に広がっている。

まずは太平洋へ向かうメインストリートのラルコ通りを歩く。

車通りは多いものの、あまり観光地の賑やかな通りという雰囲気を感じないまま海まで出た。

見渡す海は太平洋、曇っているので見晴らしが良いとは言えない。

場所はラルコマルというリマでは最先端のショッピングモール。

まだ午前中だったので開いている店や人通りも少なくて活気はそれほどでも無い。

とりあえず新市街はこの辺で良いかなと思い、旧市街を目指すことにする。

新市街と旧市街へはメトロポリターノという路線バスを使う。

バスながら道路に専用レーンが設けられていて、電車とバスの中間のような乗り物。

乗車券はカードにチャージをする仕組みで、駅の窓口で「セントロ(旧市街)へ行きたい」と言うと10ソル(≒390円)出せみたいに言ってくる。

カード代5s(≒195円)と5s(≒195円)分の料金をチャージしてくれたらしい。

メトロポリターノの料金は一律1.5s(≒56円)、カードをかざすと通過できる自動改札を抜けると車道に設けられたプラットホームへ。

車道のド真ん中にある専用レーンを走る2両連結のバスが到着。

名前からして地下鉄+路面電車+バス、みたいな感じ。

旧市街(セントロ)の中心地近くの駅(Jiron de la Union)で降りる。

ここからは世界遺産にも指定されているリマの旧市街、中心の通りとなるラ・ウニオン通りを歩く。

歩行者天国で人通りも多く、まさに観光地のメインストリートを歩いているという感覚。

一昔前は治安が悪い通りだったらしいがそんな雰囲気は微塵も感じさせないほどの賑わいで周囲には店が並ぶ。

新市街の上品さよりもこっちの方が観光地の趣があって良い。

朝は曇天だった空も晴れてきて旅が良い方に向かっている予感。

数分歩くとリマ旧市街の中心地であるアルマス広場に到着。

ペルー政庁やカテドラルがあり、観光客も多数で賑わっている。

現状把握のために地球の歩き方を眺めているとペルー政庁では毎日12時に衛兵交代の儀があるという。

時間はちょうど12時の数分前で政庁の前には人が集まっている。

折角なので見て行こうと群衆に紛れる。

12時になると軍楽隊が演奏し、何十人もの兵隊が隊列をなして登場。

ただ衛兵役が交代して終わりだと思っていたがそうではないらしい。

音楽に合わせて銃剣を振り回してポーズを決め、掛け声を上げる。

一糸乱れぬ感じのそのパフォーマンスはなるほど日頃の訓練を思わせる。

結局その演舞?は20分くらい続いてようやく終了。

正直後半は見ている方も疲れてしまったが、途中で見るのをやめるのも失礼な気がして最後まで観賞。

アルマス広場周辺では土曜日だからなのかそもそも何かの記念日なのか民族衣装っぽいのをまとった集団がパレードをしている。

カーニバる?
何かの祭りか

何やら全体的にお祭り騒ぎの広場周辺をウロウロしてから昼飯。

旧市街で唯一、地球の歩き方に載っていたラ・ムラリャというレストラン。

ペルー伝統料理が中心ということで、ペルーの名物料理であるセビッチェを注文。

地球の歩き方によると白身魚やタコ、エビ、イカ、貝などをレモンで締めて紫タマネギと和えたマリネのような料理、とのこと。

まさにその喩え通りの料理が出てきて、味もその喩え通り。

日本のチョット小洒落たレストランで出てきてもおかしくない料理。

美味しくいただけたがホテルの朝食以外でのペルー初食事がナマモノ系って大丈夫だろうか。

セビッチェ27s(≒999円)、ビール6s(≒222円)×2で39s(≒1,443円)。

料金はクレジットカードで清算。

使えるところでは極力カードを使おうというのもこれまでの旅の教訓の1つ。

その日の現地レートで換算されるので、両替した金額に含まれているであろう手数料がかからなくて結果的に安くなることの方が多い。

その後、リマの旧市街をなんとなく散策。

旅の清算はクレジットカードを中心にしても細かいところでは現金も必要。

前日の空港でしてから両替をしていなかったので旧市街にあった両替所へ。

1ドルが2.75sと空港よりだいぶ良いレート。

1ドルが約101円なので、101円≒2.75s、以後は37円≒1sで計算することにする。

夕方前には再びメトロポリターノに乗って新市街のホテルに戻る。

この日の目的は時差慣れも含めて感覚を海外旅行モードに切り替えること、あまり派手な行動は慎もうと思っていた。

ホテルに戻ると時差の影響か眠気に襲われ、ウトウトしているうちに夜になっていた。

晩飯はホテルからも近かったのでグリル料理が有名(地球の歩き方情報)というパンチータなるレストランへ。

ここではアンティクーチョと総称されるペルーの串焼き料理を注文。

頼んだのは鶏のレバーのアンティクーチョだったらしく、味はまさに日本の焼き鳥レバー。

ただ日本の焼き鳥よりもサイズが大きく、1串だけでメイン料理として成立するレベル。

ビールと一緒に食するとスケールは違えど日本の居酒屋メニューそのもの。

昼のセビッチェといい、ペルーの食文化は日本人にも馴染み易いかもしれない。

翌日は午前中にクスコへ向かう飛行機に乗るため、この日はそれくらいで行動を切り上げる。

クスコはインカ帝国の首都だった街にしてマチュピチュ観光をする際には拠点となる場所でもある。

この旅の目的はなんといってもマチュピチュ。

マチュピチュに旅のピークを持っていくために旅程を組んだといっても過言ではない。

まずはリマで時差調整と現地通貨感覚を身につけてからクスコへ向かう手筈にしてある。

全てはマチュピチュのために。

 

 

2013年9月29日 日曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

朝、6時30分に携帯電話のアラーム機能で起床。

そういえば8年ぶりに機種変更して最新のガラケーで迎えた今回の旅はペルーに到着した夜に電源を入れただけで携帯電話が勝手に位置情報を取得して時間まで現地時間に自動的に修正された。

どういう仕組みなのかは分からないが、最新の技術はとんでもない。

普通に使うと電話やメールも勝手に現地の電波を拾って受信するらしい。

ただそれだと現地のパケット料が発生して高額になるので使いたくなければ携帯に入っているSIMカードを抜けば良いですと事前にdocomoショップの店員さんに教わっていた。

というわけで到着日の夜にはSIMカードを抜き、ただの機械と化した携帯電話。

それでもアラームやカメラとしては充分使える。

起床後、出発準備を整えてから朝食スタートと同時の7時に食堂へ。

旅程に移動が含まれるとその1日のリズムは大きく崩れる。

次にいつ食事が出来るか分からないのでビュッフェ形式の朝食をしっかり食べておく。

2泊したホテルをチェックアウトがてらフロントでタクシーを呼んでもらえるか聞く。

20ドル(≒2,020円)もしくは56ソル(≒2,072円)という。

空港からホテルまでのタクシーグリーン(45s≒1,665円)の方が安いのは納得いかないが、安全確実にと考えれば仕方ないか。

恐らく流しのタクシーに交渉すればもっと安くなるだろう。

ただ今回の旅の目的はマチュピチュ、タクシー代をケチって飛行機に乗り遅れたら元も子もない。

多少コストはかかってもホテルが斡旋する信頼できるであろうタクシーを使った方が良い。

というわけでホテルにタクシーを依頼。

数分後に到着したタクシーは運転手が英語を話せる時点でしっかりとしたタクシーなのだろう。

ただ運転手が英語でやたら話しかけてきて、目に付くものを片っ端からThis is何々(スペイン語)と教えてくれる。

フレンドリーで親切な運転手で悪い気はしないがいちいち相槌打たないといけないのも結構大変。

アレが何、コレが何と散々教えられたせいで結局何が何だか分からなくなってしまった。

40分ほどタクシーに乗り、出発約2時間前の9時頃には空港に到着。

リマからクスコまでの飛行機はペルーの主要航空会社であるラン(LAN)航空。

ラン航空のチェックインカウンターはかなりの行列。

ペルー到着時の入国審査の行列を考えて早めの行動を心がけて良かった。

チェックインとセキュリティチェックを済ませてクスコへ向かう飛行機の搭乗口へ。

搭乗口には同じ飛行機に乗ると思われる日本人団体ツアーと思われるご一行。

殆どが高齢者に片足を突っ込んだようなおじさんおばさん連中。

添乗員付きのツアーのようで、同じ日本人ながら旅の方法を考えると私とは違う人種に感じた。

10時55分発予定のラン航空機内はほぼ満席。

クスコまで1時間強のフライトでトイレを気にする必要も無いので景色が見たいと窓側を指定して席を取った。

しかし搭乗したら既に先客が窓側に座っている。

東洋人だが日本人では無いおばあさんとおばさん。

しかも窓側のおばあさんは足が悪いらしく、杖を持っている。

航空券だと私が窓側の席なので理屈的にはこちらに分があるが、人道的に窓側をよこせとは言い辛い。

結局、そのまま空いている通路側の席に座る。

局面は違えど昨年の旅でマドリードからロンドンへ移動する際の飛行機でもこういう局面があった。

こういうのを避けるためにも早めに搭乗する方が良い気がした。

離陸した飛行機は国内線で1時間程度のフライトながらスナック菓子の機内サービスがある。

アルコールは無かったのでソフトドリンクでペルー名物と言うインカコーラを注文。

ペルーで人気という黄色い炭酸飲料で味はメロンソーダのように甘ったるいがまぁ不味くはない。

敢えて買うほどのものではないのでコップ1杯の機内サービスが丁度良い。

離陸したと思った飛行機は機内サービス直後にすぐ着陸態勢。

窓から見える景色は山々が連なって壮観、やっぱり窓側が良かった。

飛行時間約1時間で12時過ぎにクスコに到着。

タラップから直接空港に降りるという状況はいかにも地方空港。

クスコは標高3,399メートルの高地だから涼しいかと思いきや、天気が良くて日差しが強くてむしろ暑い。

到着したばかりで酸素の薄さは感じられない。

空港を出ると予想通りタクシーの客引きに話しかけられる。

地球の歩き方によると空港の客引きタクシーは法外な料金を取るとの情報。

試しに値段を聞くと25ソル(≒925円)、明らかに高い気がするので無視。

この日はクスコに滞在予定だし、周囲も明るいので慌ててクスコ市街へ向かう必要は無い。

空港前の道には流しのタクシーが沢山いるのでそれを捕まえれば良い、というのも地球の歩き方情報。

試しに1台止めて声をかけてみると7ソル(≒259円)。

車はボロイが値段は格安、先ほどの客引きと比べると1/3以下。

言い値が7ソルなので交渉次第で安くできただろうが、ホテルの場所も分かるということなので乗ってしまう。

何度も言うようにマチュピチュに辿り着くまでは無難にことを進めたい。

20分ほどでクスコの中心地・アルマス広場すぐ近くのホテルに到着。

楽天トラベルで予約した5,000円程度のホテルだったが、予想以上に良い。

こじんまりした内装ながら清潔感もあり、最上階(3階)の部屋の窓からはアルマス広場は勿論、クスコの街を囲む山が綺麗に見渡せる。

部屋にはWi-Fiが通っていて、クスコ到着のツイートをしてから街へ出る。

半袖Tシャツ1枚で外へ出たが、風は意外に涼しくてすぐにウィンドブレーカーを着用。

クスコの中心であるアルマス広場から散策スタート。

クスコのクスコ
中心部ながらどこか長閑

街は高層ビルも無く、歴史を感じさせるような街並みが古都の雰囲気を醸し出している。

リマのような都会よりもこういう街の方が旅情をかきたてられる。

広場のすぐ近くにインカの石組みで有名な通りがある。

インカの石組みとはインカ文明の石材建築で、精密に積み上げられた石はカミソリの刃1枚すら通さない、とか。

その中でも特に有名な「12角の石」というのがある。

石を敢えて複雑な12角に削って使っていると思われるところが様々な憶測を呼び、インカ文明の技術の高さを証明しているとか。

しかし通ったタイミングが悪かったのか観光客がいなかったため、どれが12角の石なのか分からない。

似たような石組みが沢山あり、恐らくコレだろうというのは分かったが確証はもてなかった。

ただどれを見ても似たようなものということはどれも似たように価値があると思って良いのかな。

一方でカミソリの刃1枚通さないと言われつつも、場所によってはスカスカの所もちらほら。

カミソリの刃どころか普通に指が入るレベルの隙間もあり、技術も数百年の劣化には勝てないのか。

少し歩いていると、ポツポツと雨が降ってくる。

さっきまでは綺麗に晴れていたのに、やはり標高3,399メートル、山の天気は変わりやすいというやつか。

気にせずに歩いていると、雨がかなり激しくなり雷も鳴り出す。

屋根のある所に避難して10分ほど待つと小降りになり、さらに時間が経つとあがったのはやはり山の天気だからか。

到着した当初は意識していなかったが、少し歩くとすぐに息切れがするのはやはり高地の影響だろう。

あまり無理して動くことはせず、アルマス広場を見下ろすテラスがあるバーに入って休憩。

ペルー名物のピスコサワーなるカクテルがハッピーアワーで1杯頼めば1杯無料という。

ブドウの蒸留酒ピスコに卵の白身とレモンと砂糖を加えてシェイクしたカクテルだとか。

なるほどブドウとレモンの甘酸っぱさと卵のコクのようなものが感じられて美味しい。

でも高地であまり身体が慣れないうちからアルコールはあまり飲まない方が良さそう。

そう思いつつも1杯無料なのでついつい2杯飲んでしまう貧乏性。

2杯で25s(≒925円)、2杯の値段なら普通だがハッピーアワーじゃなくて1杯の値段だとしたら高い。

海外のハッピーアワーは普段の値段がよく分からないからお得なのかそうでないのか判断がしにくい。

高地の徒歩散策とアルコール摂取で少々疲れた気がするので一旦ホテルへ戻る。

例によってウトウトしていると時刻は18時過ぎで外は既に暗い。

起きると全身が重たい感じがして体調がイマイチ、機内食以来何も食べていないのに食欲も無い。

恐らくは高山病の症状、いきなりのアルコールもその一因かもしれない。

翌朝は早い時間からマチュピチュ村行きの列車に乗ることになっている。

食欲も無いのに無理して飯を食うよりも翌日に備えて早めに休んだ方が良いかもしれない。

何度も言うようにマチュピチュにピークを持っていくために無理な行動は避けるのが今回の旅の鉄則。

仮に高山病だとしてもマチュピチュの標高はクスコより1,000m程低い約2,400m。

クスコで高山病にかかってもマチュピチュでは回復する人が多いとの情報もある。

その情報を信じて就寝。

 

 

2013年9月30日 月曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

ずっと寝ていたせいで身体の節々が痛い。

寝ている間も軽い頭痛や全身のだるさで熟睡したとは言いがたい。

風邪と二日酔いが合わさったような症状は典型的な高山病の症状。

1年前の富士山頂の山小屋の辛さを思い出したが、あれに比べれば今回の方が環境は良い。

あまり動く気にならないが、寝たからといって症状が回復するわけではないのが高山病の辛いところ。

マチュピチュ行きの列車に乗るために朝の7時過ぎにはホテルを出ないといけない。

前日のクスコ行きの飛行機で食べた軽食以来何も食べていないので無理にでも何か食べておいた方が良い。

朝食ビュッフェは最低限のものを詰め込み、液体を多めに摂っておく。

7時前にホテルをチェックアウトし、マチュピチュ行きの列車が発着するポロイ駅へ。

クスコの中心からタクシーで25分という場所にある。

ホテルのフロントでタクシーを依頼すると35ソル(≒1,295円)と意外に高い。

これも流しのタクシーを使えばもっと安いのだろう。

しかし巧く捉まらなかったりして列車に乗り遅れたら元も子もない。

安全確実にマチュピチュを遂行するにはこれくらいの出費は惜しくない。

7時過ぎに迎えに来たタクシーはホテルがチャーターしたのだけあって立派。

ポロイ駅までの25分は思ったより長く、山道を進み標高も上がっているようで霧が周囲に立ちこめる。

この状況で流しのタクシーに乗っていたとしたらチョット不安だったかもしれない。

7時30分頃に到着したポロイ駅は街の郊外という感じで閑散とし、早朝と標高の高さもあってかなり寒い。

ポロイ駅の待合室で列車の到着を待っているとじわじわと集まり始める観光客。

クスコからマチュピチュへ向かう列車は3種類。

それぞれ松竹梅と呼べるサービスと値段。

松は1日1本のハイラムビンガム号という最高級列車。

マチュピチュの入場料やランチ代なんかもセットになって何百ドルもする高嶺の花。

竹が最も一般的なビスタドーム号で7〜80ドル程。

梅は最もシンプルなエクスペディション号で50ドル未満。

というわけで私が乗るのは最も一般的なビスタドーム号、往復143ドル(≒14,512円)。

復路はクスコではなく、その前のオリャンタイタンボという駅で降りる切符のため少し安い。

列車が到着し、事前にネットで購入してプリントアウトしておいたチケットとパスポートを見せて乗車。

席は間に机を挟んだ4人掛けの向かい合わせの席で、向かいは英国人老夫婦、簡単に挨拶を交わす。

同じ車両には明らかな日本人も6人ほど。

幸い私の隣には誰も座らないまま列車は出発。

世界遺産への列車
ペルーレイル

ゆっくり発車した列車はスピードを上げることなくゆっくり進む。

車内にはペルーの民族音楽が控えめにかかっている。

3時間30分程度の工程だが、スピードを出せばもっと早く着くだろうに…と思う。

しかし途中の線路を見てコレはスピード出せないわ、というようなシーンが沢山。

両側が切り立った山々だったり、崖スレスレのような所を走ったり、基本的に山間の道を進む。

雨季には土砂崩れで度々線路がふさがれるというのも納得。

途中で軽食のサービスがあり、小さいパンケーキ3つとフルーツ少々、コカの葉?を使った小さなパイみたいなもの。

未だに高山病の影響か、食欲は無かったが量も少なかったのでそれほど労せずに食べることができた。

クスコのポロイ駅を出てから2時間弱でオリャンタイタンボ駅に到着。

この駅は私が買った復路の切符では終点となる駅。

列車の窓から見る限り、田舎駅という雰囲気で復路はココからクスコまで行けるだろうかと少々不安になる。

オリャンタイタンボから乗る客もいるのでしばし停車。

すると私の隣にも客が来て見た目からして同年代の日本人っぽかったので声をかけてみる。

予想通り日本人で、話をするとポロイから乗っていたらしい。

会社の仲間4人と来ているが予約した席がバラバラで、先程までは一緒だったが乗客が増えたので正規の席に移動したとか。

日本企業のメキシコ現地法人に勤めていてメキシコに住んでいるという。

仕事で使うので英語もスペイン語もそれなりに話せるというハイレベルな人。

雑談の中で「インカ文明と(メキシコの)アステカ文明は似ていると思うんですよ。どちらもスペインに征服されて云々」みたいな発言。

同年代っぽく見えるのに賢そうで感心してしまう、前にいるイギリス人夫婦ともフレンドリーに英語で喋っている。

英語の会話で何を言っているのかは分かるけれど、話に入れるほど喋ることができないのが惜しい。

この辺りが最低限の旅行英会話しか使えない人間と、仕事と生活で外国語を使っている人間の差だろうか。

基本的には車窓の景色を眺めつつたまに雑談、みたいな感じで列車は進む。

クスコからオリャンタイタンボまでは進行方向右側の景色が良かったが、オリャンタイタンボから先は左側の景色が良くなった気がする。

座席は自動で割り当てられるらしいので選べないが、左右の景色のバランスは取れている気がした。

それにしてもこのビスタドームという車内、景色を見易くするために天井の一部もガラス張り。

この日は綺麗に晴れていたので直射日光がかなりきつくて暑い。

朝の寒さが嘘のような車内の暑さだった。

後半は殆ど山間の道を走り、マチュピチュ駅が近付くと遺跡ではないが段々畑の跡のような所もチラホラ。

よくもまぁこんな山の中に列車を通そうという気になったなと思う。

クスコから約3時間半、12時時過ぎにマチュピチュ駅に到着。

隣の彼とは「また縁があったら会いましょう、良い旅を」と声を掛け合ってお別れ。

明日マチュピチュに行くと言っていたので遺跡で会うかもしれない。

駅を出ると目の前に大きな山が鎮座し、周囲も山に囲まれたマチュピチュ駅。

駅のすぐ外は迷路のようになっている民芸品を売る一角で、そこを出ると川が流れている。

観光都市の空港や駅などのターミナルを出るとタクシーなどの客引きが多いのは定番だがマチュピチュ村はそれが無い。

「村」なので栄えている範囲が小さく、そもそもタクシーなど必要無さそうだった。

泊まるホテルはその川沿いで駅から徒歩数分ですぐに見つかる。

ホテルというよりもリゾート地にある大きめの別荘といった雰囲気。

12時を過ぎたばかりだったので少し待たされてチェックイン。

いわゆる一般的なホテルには無い手作り感とも呼ぶべき趣はあったが、ランク的にはこれまでのホテルで最低。

広さこそあれ部屋は最低限でバスタブも冷蔵庫もなく、テレビも何故か映らない。

値段を考えればリマやクスコのホテルの方が数段上。

完全に観光村なので観光客向けの物価が高いのは仕方ないのだろうけれど。

そんなホテルでもWi-Fiはバッチリ繋がった、それくらい当たり前の設備になっているということか。

標高がクスコから1,000mほど下がって高山病は控えめになるはずが、節々の痛みと全身のだるさが抜けない。

まさか風邪では無かろうかと疑う、翌日が一番大事な日なんだからやめてほしい。

時刻はまだ昼過ぎ、とりあえずマチュピチュ村を散策することに。

散策といってもマチュピチュ村はそれほど広くなく、メインストリートなど10分もせずに踏破。

基本的に坂が多いので歩くのに少々疲れる。

しかしクスコほどは標高が高くないので歩くたびに息が上がるということは無かった。

メインストリートには観光客向けのレストランやバーが沢山あるので飲み食いには困らなさそう。

ただやはり体調がイマイチでどの店にも入りかねた。

観光村
マチュピチュ村のメインストリート

マチュピチュ遺跡へ行くのは翌日だが、バスのチケットは前日でも買えるということで買っておく。

往復18.5ドル(≒1,869円)、競合他社がいないからやりたい放題の値段だ。

結局30分もかからずに村の栄えている所は一通り歩いた。

当たり前だが村の中は観光客だらけ、ココに来る観光客は100%マチュピチュ遺跡へ行くと思うと凄い。

マチュピチュ村の人口の殆どが観光産業に従事しているというのも当然か。

どうにも体調が優れないのでホテルに戻って休憩。

リマでもクスコでも疲れてホテルに戻って昼寝すると後はそのまま面倒になって何もしなくなるパターン。

さらに今回は体調イマイチというおまけつき。

とはいえ翌日はマチュピチュ遺跡へ行かないと旅の意味が無くなるといっても過言ではない。

全てマチュピチュに照準を合わせてきたのに今無理しないでいつ無理するの?という感じ。

その気持ちが幸いしたか、17時くらいまで寝ていたら体調も回復した模様。

翌日は早朝から行動を開始することを考えると早く晩飯を食って寝た方が良い。

そんなわけでメインストリートへ行き、昼の散策で良さそうだったレストランに入る。

マチュピチュ村は世界中の観光客が集まるだけにどこのレストランも入り易い。

英語メニューを読んで理解できた中で値段も普通だったチキングリルとビールを注文。

ビールを飲んで美味しかったということは体調が戻っているということだ。

チキンを食べていると外から野良っぽい子犬が店内に入ってきて私の横で物欲しげにこっちを見る。

あまりにも寂しそうな瞳で凝視されたので店員が近くにいない隙にチキンの切れ端をあげる。

すぐに肉を食べるが、店員が近付くと慌てて店の外へ逃げていく。

もっと餌をあげたい気もしたが、あまり餌付けすると店にも迷惑かもしれない。

あと犬って何を食べたらダメとか制約があった気もするので迂闊にあげられない。

晩飯を食べながら体調も回復していく感があり、ビールも控えめに小瓶にしていたが物足りなくて2本目を注文。

これはいよいよ大丈夫な気がする。

チキン38ソルとビール10ソル×2で58ソル(≒2,146円)、完全に観光地値段。

とりあえず体調が回復したようなのが救い。

翌日のマチュピチュは早朝から行く予定で、体調を万全にするためにも20時には就寝。

寝ていると何やら夢の中でホテルの階下がライブハウスになっていて騒音で目を覚ました。

起きると本当にロックバンドの音が外から聞こえてくる。

何やら外のどこかで野外ライブをやっているようで、ホテルの部屋にまで音が聞こえてくる。

ホテルが完全に密閉された建物でないのも音が入ってくる原因の1つ。

ボーカルはともかく、ベースとドラムの重低音が響いてきて1度気になると眠れない。

まぁ早い時間に就寝したから仕方ないと思って時計を見ると0時近い。

部屋を出てテラスから音源を探してみると川の向こう岸の方でサーチライトが照らされている。

どうやらそこで何かしらのライブをやっている模様。

0時すぎたら終わるかと思いきや終わらないし、ワーキャー言う声も聞こえてくるし、挙げ句には花火なのか爆発音も聞こえる。

これが何なのかいつ終わるのか分からないことがイライラを増長させるためフロントへ。

ホテルのスタッフにこのテリブルでクレイジーなサウンドは何だ?と聞く。

スタッフが言うには今日が何か(理解できず)のアニバーサリーのパーティーで何時に終わるのかは分からないとか。

何のパーティーか知らないがそれにしても0時すぎて村中に騒音まき散らしてまでやることかね。

村公認でやっているとしたら最悪、関係者全員処分しろって思った。

翌日のマチュピチュが良かったら水に流してやる。

 

 

2013年10月1日 火曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

騒音に悩まされながら目が覚めてはウトウトして…を繰り返す。

更に夜中には雨音が聞こえてくる。

ホテルが川沿いなので最初は川の流れる音だと思ったが雨が屋根をたたく音もする。

おまけに雷まで鳴り出し、環境は最悪ながらそれでも止まらない騒音。

もう音は許す、雨だけは本当に勘弁してくれ。

その思いも虚しく、音は延々鳴り続け、雨も止む気配がないまま朝を迎える。

結局騒音は5時頃まで続き、雨も相変わらず降っている最悪な状況。

なんだって旅のハイライトでこの仕打ちを受けにゃならんのだ。

もう晴れてくれとは言わない、せめて雨が降らなければ良い。

最後の望みは山の天気は気まぐれだろうということ。

そして不幸中の幸いは体調が回復していたこと。

5時すぎに朝食、食欲はそれほど無かったが長い1日になるだろうから少々無理して食べておく。

外を見ると傘を差している人もいて天気は回復していない模様。

それでも行くしかない、レインコートと折り畳み傘も持って出発準備完了。

5時40分頃にホテルを出ると小雨になっていて傘が無くても大丈夫なレベル。

このまま持つか回復してくれれば…という希望が少し見える。

マチュピチュ行きのバス乗り場まで徒歩数分。

バス乗り場は乗る人も乗せるバスも両方が行列を作っていた。

昨日買っておいたチケットで早々に乗車。

まさにピストン輸送という感じで満席になったらすぐに次のバス、を繰り返しているために行列でもすぐに乗車できた。

マチュピチュ発見者の名前にちなんだハイラムビンガムロードと呼ばれる道を進む。

ひたすらジグザグしている山道で周囲の山々が霧に包まれていたりと幻想的。

マチュピチュそのものもそうだが、到着までの鉄道やバスからの景色も良い。

村から25分ほどでマチュピチュ遺跡の入口に到着。

遺跡入口
遺跡入口

バスを降りると小雨は相変わらずだが、傘は不要なレベルも相変わらず。

入口前にはサンクチュアリロッジという遺跡内唯一のホテルがある。

宿泊費は最低でも約6万円という超高級ホテルだが、外観は意外にもこじんまり。

遺跡の中にあってマチュピチュが見えるのかと思ったが遺跡の入口前にあるだけで本当に遺跡の中ではない模様。

いずれにせよ一人旅で泊まるホテルでは無いことは確か。

逸る気持ちを抑え、印刷しておいたチケットとパスポートを見せて入場。

入ってすぐにあの景色が出てくるわけではなく、遊歩道のような所を歩く。

歩いているうちに雨が上がって雲の隙間から薄日が差してくる。

少し歩くとそれっぽい景色が見え、順路に沿って軽い山道を数分。

世界遺産への道
一寸先に…

山道の終わりが見えたな…と思って視界が開けた瞬間に登場。

マチュピチュと言われて誰もが思い描く、想像していた通りのあの景色が目の前に。

予想通りの光景を予想通り見ただけなのに予想以上の感動。

念願
そしてこの景色である

おまけに雨も上がっていて東の空には太陽の光も見える。

マチュピチュに辿り着いたことで全てが好転していると思えた。

四方を山に囲まれて圧倒的なスケールで見事な遺跡が眼下に広がる。

直前まで雨が降っていた影響で雲は多いが、その雲が遺跡の中を流れて刻一刻と景色が変わる。

テレビで見たような光景が本当にそこに。

いくら見ていても飽きない景色をしっかり目に焼き付け、続いては遺跡の中へ行くことに。

お馴染みの光景が見られる場所から降りていくと遺跡の入口に着く。

その頃には朝の雨などどこへやら、雲こそ多いが太陽も射して好天。

好天に好転
より近付く

マチュピチュの遺跡の中は様々なスポットがあるものの、地球の歩き方の解説を見ないと何が何だか理解するのは難しい。

迷路のようにいくつものルートがあってそのいちいちを写真に収めたくなる。

日差しは強い
遺跡の中から

マチュピチュのどこからでも見られるのがワイナピチュという山。

マチュピチュと言われて誰もが思い描く景色の背後に聳えている大きな山がワイナピチュ。

ちなみにワイナピチュとはケチュア語(インカ帝国の公用語)で「若い峰」という意味でマチュピチュは「老いた峰」という意味らしい。

そのワイナピチュに登ることが出来る。

登るためにはマチュピチュの入場券購入時にワイナピチュ登山も予約しなければいけない。

登れるのは7〜8時、10〜11時の各200人で1日限定400人。

折角マチュピチュに行くのであれば当然登っておきたい。

私は10時からの部を予約してあったので入山までには時間がある。

登山までの時間にマチュピチュの主要な部分はほぼ回ることが出来た。

しかしマチュピチュ遺跡内をウロウロしながらワイナピチュが見える度に本当にあんな角張った山に登れるのだろうかと思わされる。

ワイナピチュゲート
いざ登山

ワイナピチュ入山受付開始10時の20分前に行ってみると既に行列。

見ていると登山道入口の小屋でパスポートチェックと署名等もしないといけないらしく、なかなか列が進まない。

10分前くらいから受付はスタートしていたが、私の番が回ってきたのは10時15分ほどだった。

名前、国籍、署名、入山時間を受付で記入していざ出発。

今年は恒例の富士登山を世界遺産登録余波の混雑を避けるために回避し、代わりに予定していた登山も雨で中止になった。

というわけで恐らく今年最初で最後の登山になるであろうワイナピチュ登山。

ワイナピチュの横にある一回り小さな山(ウチュイワイナピチュ)へも行けるが、もちろん目指すはワイナピチュ。

平均で往復2時間程度のコースらしいので大丈夫だろうと登り始める。

写真で見るほどキツクは無い
写真右下から続く登山道

登山道はそれなりに整備されていて、他の登山客もいるので迷うことはない。

狭い登山道や岩場を登る局面が多く、一歩間違えば…というような場所もチラホラ。

富士山よりも傾斜は急だし、狭いので休憩する場所もままならず、下山客とすれ違う局面では必然的に譲り合うことになる。

それでも明らかに高年にさしかかっているであろう老夫婦がスニーカーで登ってもいたので、気をつければ大丈夫だろう。

登りながら背後を見ると全く違った角度からマチュピチュ遺跡を眺めることが出来る。

マチュピチュをウロウロしていた頃は晴れていた天気だが登り始めから雲行きが怪しくなり、途中で明らかな雨になった。

ウィンドブレーカーだけではショルダーバッグ内のタブレットPCが不安になってきたので、いつかの富士山用に買ってあった100均レインコート登場。

足元注意
急勾配

登山終盤はかなり巨大で急な岩場を登らなければならず、狭い岩場をくぐり抜ける必要もある。

普通なら約1時間で登頂可能なはずが、雨宿り休憩や慎重に行動した関係もあり、1時間10分ほどで登頂。

山の最頂部は完全な岩場で雨だと登るのも一苦労。

折角最頂部まで行ってもほぼ霧に覆われて周囲は殆ど何も見えず。

それでも雲や霧の流れが速く、たまに霧が晴れるとマチュピチュの全景が見られる。

山頂からマチュピチュ遺跡を見ると随分と遠くに感じる。

つい1時間程前まではあそこから今自分がいる場所を眺めて本当にあんな所まで登れるのかと思っていたのが不思議に感じる。

天気が良ければなぁ
山頂からのマチュピチュ

とりあえず登頂という結果は残せたので岩場を降りる。

山頂から下山道ではなく別の道に向かうと洞窟の中に作られた月の神殿と呼ばれる場所に行くことができる。

しかし山頂から月の神殿までは往復2時間くらいかかるとの情報。

山頂までも雨の中だとそれなりに苦労したのを更に往復2時間かけて月の神殿へ行くべきか悩んだ。

見る限りそちらへ向かっている人は誰もいなかった。

すると月の神殿の方向から1人の観光客がこちらに向かって歩いてくる。

目が合ったので挨拶し、洞窟へ行ったのか?と聞いてみると「Yes,but very dangerous」との答え。

それを聞いて行くのを自粛した。

早朝に好天下のマチュピチュを拝み、ワイナピチュも登頂したので目的は果たしたと判断して良いだろう。

もう無理をする段階ではなく、安全策を採ることにした。

月の神殿に行ったという彼はやたら人懐っこく、話をするとブラジル人だという。

いかにも陽気なブラジリアンといった様相。

とりあえずパッと浮かんだポルトガル語で「Obrigado(ありがとう)」と言うと向こうも嬉しそうに「Oh!サヨナラ」と返す。

全く会話になっていないがなんとなく楽しい雰囲気になれた。

その彼とは下山中や遺跡で3回ほど顔を合わせたが「Hey Japan!」「Oh Brazil!」とその都度声を掛け合った。

登山中や下山中は同じペースになる人がいるもので、他にも数人の登山客とはなんとなく挨拶する間柄になっていた。

その後に遺跡で会ったときも同様で、不思議な仲間意識が芽生えた。

ワイナピチュ登頂
こういう登頂碑は世界共通か

スタート地点に戻ると署名と下山時刻を記入。

もしも人数があわなかったら山狩りでもするのだろうか。

ワイナピチュの上だから降っているのかと思った雨だが、下山しても小雨程度にパラパラ。

登山道入口近くに屋根付きの休憩所のような所があるのでしばし小休止。

マチュピチュ内全域は食事禁止のはずが、おかしやサンドイッチを食べている人多数。

係員みたいな人も特に注意せず。

他の場所では何か食べて注意されている人もいたので、ココだけは特別なのかもしれない。

休憩していると雨もどうやら上がったらしいのでマチュピチュ散策を再開。

地球の歩き方に載っているポイントを片っ端から歩く。

居住区と呼ばれる辺りは似たような石造りの建物も多くて巨大迷路のよう。

コンドルの神殿とか、背後のワイナピチュと同じ角度で削られた石とかこじつけっぽい気もしなくもない。

主要所は一通り見て回り、後は気の向くまま歩き回る。

段々畑など殆ど観光客がいない場所でもその気になれば入れる。

チョット行ってみたら行き止まりだったり、思わぬ場所に出たりと先述の通り迷路のよう。

雰囲気は違えどトルコの地底都市を思い出した。

気分的に同じ道を引き返すのは嫌だったので結果的に随分と長い距離を歩いた。

マチュピチュの段々畑には数頭のリャマがいる。

いずれも耳にタグのようなものを付けていたのである程度管理されているのかもしれない。

これらのリャマ、観光客慣れしているのか全く人を恐れない。

平然と観光客用の通路を歩き、人がいてもお構いなし、進路上に人がいるとチッ邪魔だなというような仕草を見せる。

マチュピチュのリャマを奈良公園にいる鹿のよう、と評したのを聞いた覚えがあるがまさにそんな感じがした。

リャマ
リャマと世界遺産

そろそろ見る物も尽き、帰りのことを考え始める。

最後はテレビなんかでよくある、感動のシーンをもう1度のノリで最初と同じコースを歩いてマチュピチュを眺める。

例によって定番の景色を何気なく眺めていると周囲が霧に覆われて遺跡もワイナピチュも見えなくなる。

この日だけで何度か見たような光景だが、全体が殆ど霧に覆われたのは初めて。

これはシャッターチャンスではなく動画チャンス。

タブレットPCのカメラを動画機能に設定して撮影。

真っ白の画面からじわじわと遺跡と山が姿を現すシーンの撮影に成功。

大した偶然な気もするが、曇り気味のマチュピチュに小一時間もいれば撮影できそうな気もした。

だが、それを素人が狙ったわけでもなく撮影できたのだからまぁ大したものということにしておこう。

↓巧く表示されなかったらココをクリック。

マチュピチュから村へ戻るバスは17時頃が最終という情報。

終わりが近いと混むような気がしたので少し前の16時に村へ戻ることにする。

6時過ぎにマチュピチュへ来たことを考えると実に10時間近くもいたことになる。

ちなみに遺跡の中にトイレは無く、トイレへ行くには一旦遺跡を出ないといけない。

途中で水などを飲んでいたが歩いたり登山したりの汗で出たのか、1度も尿意はもよおさなかった。

朝は晴れ、昼前から雨が降り、午後は曇り。

晴れて気持ちの良い遺跡も見られたし、曇っていたからこその雲の流れも見られた。

全て快晴も気持ち良かっただろうが、結果的に1日でマチュピチュの全天候を体感したことになる。

それはそれで充分に良かったと思える。

唯一残念なのがワイナピチュ登山。

後半は雨で景色を楽しめなかったことと、月の神殿に行けなかったこと。

旅で果たせなかったことがある度に思うことだが、それは次への宿題としておこう。

今度こそマチュピチュに別れを告げ、来た時と同じ道を通って戻る。

戻りの道で気がついたのは、来たときも順路に沿って歩きつつ振り向けばマチュピチュの景色の一端が見えていたこと。

もしも往路で振り向いていたら感動が少しだけ薄れていたかもしれない。

マチュピチュはこの道を進んで本当に出てくるのか?と疑問に思い始めたタイミングで一気に視界が開けて登場するシチュエーションが良い。

これからマチュピチュに行く人はくれぐれも最初は後ろを振り向かない方が良いというアドバイスを贈りたい。

帰りのバスも相変わらずのピストン輸送で殆ど待たされることなく出発。

行きと同じ道を下りていくバスだが、僅かながら歩いて下山している観光客もいる。

登山道もそれなりに整備されているらしいが、さすがにそこまでする元気は無いわ。

マチュピチュ村に戻ってまずはホテルへ。

5時30分過ぎにホテルを出て、17時に戻ってきた。

実に11時間30分もマチュピチュ観光に費やしていた。

1つの観光地に充てた時間としては恐らくこれまでの旅の最長記録。

それだけの価値があったと信じて疑わない。

何時間も歩き回って山も登って雨にも降られて色々クタクタ。

そして結果的に思ったのはマチュピチュ村に2泊する選択は正解だったということ。

1泊だと到着初日にマチュピチュに向かうか、マチュピチュから戻ってすぐに戻りの列車に乗るかの2択になってしまう。

それだと慌しい印象を受けてしまい、十分にマチュピチュを堪能できない気がする。

前後1日の余裕を持つことで、中の1日を丸々マチュピチュ観光に充てることが出来た。

マチュピチュに満足できたことで自分の立てた旅程にも満足で自画自賛。

ホテルに戻ってシャワーを浴びてから村へ出てマチュピチュ村最後の晩餐と共にマチュピチュ観光成功の1人祝賀会。

ペルーに来たら食べておきたいと思った料理がアルパカとクイ。

ペルーではアルパカの毛を使った衣料品が有名だが、食材としても一般的に用いられているという。

クイというのはテンジクネズミの一種で、ペルーでは昔からの伝統食材とのこと。

マチュピチュは世界中からの観光客が集まる場所ということもあり、ペルーの伝統料理を提供する店も一通り揃っているはず。

村のメインストリートを歩けばアチコチのレストランから呼び込みの声がかかるのは前日にも経験済み。

あまりにも客がいない店はどうかと思ったので中途半端に客が入っている店の呼び込みに声をかける。

アルパカかクイはあるか?と聞くと1軒目にして早くもあるというのでメニューを見せてもらう。

さすがはペルーの名産と思いつつもクイは70ソル(≒2,590円)前後とかなり高い。

一方でアルパカは38ソル(≒1,406円)と通常の料理よりは高いがクイほどでは無い。

1軒目でいきなり決めて良いものか考えていると、もう一押しと思ったのか客引きがアルパカを10ソル(≒370円)安くしてくれると言う。

安くしてくれるならそれでイイやと決めてしまう。

超観光地のメインストリートのレストランなので正直それほど味や値段に差があるとは思えない。

まず私が欲しかったのは「アルパカを食べた」という事実なのだ。

しかし土産物屋やタクシーなどは交渉次第での値下げがあるのは身をもって知っていたが、観光客向けとはいえレストランで向こうから値下げを餌にしてくるとは思わなかった。

狙っていたわけではないが、悩んだ風を装うとチャンスなのかもしれないと今後の旅で使えるかもしれない技術を習得した気分。

ビールを飲みつつアルパカを待つ。

出てきたアルパカはビーフステーキのような外観。

まずは一口…第一印象、堅い。

味は牛ステーキとそれほど変わらないかな、と思ったが後半には少々クセのある臭みが残る。

雰囲気としてはラムっぽい。

毛が衣類に使われ、場合によっては食材になるという点でもアルパカと羊は似ている。

少し堅くてクセのあるビーフステーキといった感じ。

最も、堅いのは明らかに観光客向けの店のアルパカ肉だからと言うのもあるかもしれない。

結果としてアルパカ、ビール中瓶、ビール小瓶、サービス料で61ソル(≒2,257円)。

それなりの値段ではありつつも、マチュピチュ祝賀会かつ最後の晩餐だし悪くない。

昨日より体調も良いのと最後の夜なのでマチュピチュ村を夜の散策。

マチュピチュ村の公式観光案内所の前で気になるポスターを発見。

マチュピチュフェスティバル10月1日、みたいに書いてある。

これが昨夜の騒音の元凶だったのだろうか。

10月1日とはまさにこの日。

昨夜の騒々しさは前夜祭の盛り上がりだったのだろうか。

まだ公式案内所の窓口に人がいたので酔った勢いで聞いてみることに。

拙い英語で「昨夜のフェスティバルを今夜もやるのか?」と。

するとYESという答え、今夜もあの騒音に悩まされると思うとマチュピチュの感動も吹っ飛ぶ。

「昨夜はあの騒音に悩まされて眠れなかった。せめてボリュームを落としてくれ」というようなことを言ってみるが、フェスティバルなのでソーリーの一点張り。

観光案内所の窓口の人に言ってもどうにもならないことは分かっていつつも言わざるを得ない。

日本語ならいくらでも言いようがあるのだが、こういうときに英語の語彙力がないのが悔やまれる、

もっともいかに巧く言っても文化の違いもあるだろうから1人の旅行者の発言で改善されるとも思えない。

自分に非は何1つ無い観光案内所の職員が謝るだけでも誠意があったと思って良いのかもしれない。

仕方なく観光案内所からは退散し、最後の悪あがきということでホテルのフロントへ。

今夜もフェスティバルがあるらしいのでもっと静かな部屋は無いかと聞いてみるが、満室で代わりの部屋は無いとの答え。

こうなればどうしようも無いが、観光案内所とホテルで聞くだけのことは聞いた結果なので諦めもつく。

この日のマチュピチュ観光が成功したので大目に見てやろう。

シャワーを浴びて就寝する頃にはやはり部屋の中まで外の音が聞こえてくる。

昨夜と同じと考えるとこれがまた明け方まで続くのだろう。

やっぱりこれは許容できないなと思いつつも、10時間もマチュピチュを歩き回った疲労もあってすぐに眠りに落ちた。

 

 

2013年10月2日 水曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

幸か不幸か騒々しいフェスティバルも、マチュピチュ観光の疲労には敵わなかったようで前夜ほどはストレスも溜まらず。

それでも朝の5時過ぎまで何かしら聞こえてきていた。

いかにフェスティバルとはいえ、そんな時間まで野外で誰が何やってんだか。

前日のマチュピチュ観光が成功していなかったら村に損害賠償を請求するレベルだ…って英語で伝えられないだろうけれど。

そんな中、7時過ぎに起床すると軽い筋肉痛。

今年は毎夏恒例の登山が無かったため、今回が1年以上ぶりの登山。

そりゃ筋肉痛にもなるわな。

この日の予定はマチュピチュ村からクスコへ戻ること。

来たときと同じ列車を使うが、復路はクスコではなくその手前のオリャンタイタンボという駅までしか行かない。

クスコ行きの列車もあるのだが、いずれも夕方の発車でクスコ到着は夜。

恐らくはマチュピチュ観光をしたその日のうちにクスコへ戻る観光客のための時間帯なのだろう。

列車は10時55分発予定なので、午前中の時間に少しだけ村を歩く。

朝なので開いている店も少なくて静かな村。

唯一賑わっているのはマチュピチュへ向かうバス乗り場だった。

10時過ぎにホテルを出て駅へ向かう。

その途中に小さなサッカー場があり、どうやらそこで今朝までの騒音の元凶が行われていたようでステージなどの撤去作業をしていた。

川を挟むとはいえ直線距離だとホテルからも近い。

こんな場所で大音量出せばホテルまで聞こえてくるわな。

マチュピチュ駅の待合室でオリャンタイタンボ行きの列車を待つ。

少しすると日本人中高年団体ツアーご一行が登場。

1人だけ場違いな若い人がいるなと思ったら添乗員だった。

そういえばマチュピチュまでの列車で一緒になった日本人に会うことは無かった。

狭いマチュピチュ村でもタイミングが合わないとそんなものか。

オリャンタイタンボ行きの列車はクスコ−マチュピチュの列車よりも地味で1車両しかなく、席も狭い。

日本人団体のおかげで車内の3分の1くらいは日本人。

幸い?私の隣はシカゴから来たという西洋人高年男性。

車内には団体ツアーの他にもう1組の若い日本人男女。

そのうちの女の方が常に席の上に半立ちで窓からカメラを出してアチコチ写真を撮りまくり。

見ていて落ち着きがないこと甚だしく、オイオイやめろよと言いたくなる。

どうせどの景色も対して変わらないだろうに。

外国人がやっていたならそう不快には思わないだろうが、日本人だから嫌になるこの気分は何なんだろう。

例によってゆっくり走っている列車だが途中で駅でもないのに停車した。

何かあるのかと思ったら列車の外に物乞いの老婆が2人。

団体の日本人オバサンが窓からお金?を投げたらしく、何かを拾っている老婆。

すると添乗員が「スミマセンがやめてください、現地の子供が味を占めてしまうので」とのこと。

いずれにせよどちらもあまり見たくない光景だ。

一向に列車が発車しないと思ったら車内放送。

現地文化の紹介みたいなことを言っているっぽいなと思っていたら最後には日本語の放送まで。

すると何やらカラフルな衣装に鬼の面みたいなのをかぶった人が登場し、車内を練り歩く。

なんか音楽に合わせて踊り出し、乗客も誘って踊る。

ここぞとばかりにカメラを構える団体サン。

イヤ、そんなの良いから早く出発しろと。

さらにはアルパカ製品を使った衣類のファッションショーを行います、とのアナウンス。

そして案の定、その後はアルパカ製品を売りに来る。

商魂たくましいというか何というか。

イヤ、だから、そんなの良いから早く出発しろと。

私の席は1番後ろだったのでイベントに巻き込まれることは無く、ただ時間が過ぎるのを待つ。

いつまで止まっているのかと思っていたが数分後に対向列車が通った。

線路は単線だったため、どうやらそれの待ち時間に客を楽しませがてら商売もしていた模様。

なるほどそれならまぁ仕方ないか。

それにしてもペルーレイルの列車内で日本語のアナウンスまであったのは驚き。

常時やっていることなのか、日本人団体ツアーが乗車しているからこそなのか。

ようやく出発した列車は相変わらずスピードを上げずに走る。

景色は往路で見ていたので必然的に眠くなり、ウトウトしていたらオリャンタイタンボ到着。

さて、ここからクスコへ向かわなければならない。

どうしようかと思ったが駅を出るだけで大量の客引きがタクシー?コレクティーボ(乗り合いバス)?と聞いてくる。

とりあえず無視しつつ駅前を歩くも、特に何もなく面白味がない。

声をかけてきた客引きが「クスコ、コレクティーボ(乗り合いバス)15ソル(≒555円)」と言っていたのでそれで良いかなと思っていた。

決めかねて歩いていると西洋人の観光客オバサンがクスコに行くなら一緒に乗りましょう、オンリー10ソル(≒370円)と誘ってくる。

改めて客引きに「10ソル(≒370円)?」と確認するとOKと言うので決定。

10人強が乗車できる大き目のワゴン車という感じのコレクティーボ(乗り合いバス)。

客席にいるのは殆ど観光客で、明らかにマチュピチュから同じ列車に乗っていた人もいた。

1人でタクシーに乗るよりも観光客と一緒にバスに乗った方が何かあっても安心な気がするし何よりも安い。

クスコまではタクシーでも…と思っていたのが乗り合いバスで予想外に旅費が浮いた。

最初は6人で出発したが途中途中でクスコへ向かう現地人も拾って最終的には満席。

広大な大地と山道を走り、日差しが強くエアコンの無い満席の車内は結構暑い。

山間を縫って走る列車も良いが、山道を走る車もなかなか良い。

結局1時間30分ほどかけてクスコの中心部アルマス広場近くに到着。

これだけ長時間乗って10ソル(≒370円)で到着はやはり安い。

再び戻ってきた標高3,400mの世界、まずは予約済みのホテルにチェックイン。

クスコ到着初日のホテルよりも外観内装ともに立派。

部屋も広かったが、冷蔵庫が無いのはイマイチ。

だけど少なくとも騒音無く眠れそうというだけで充分だ。

問題は高山病が再発しないかどうか。

マチュピチュである程度の高度順応が出来ていると思いたい。

クスコ到着初日のことを思い出し、あまり無理な行動はしないことにする。

ホテルで少しゆっくりして夕方から行動開始。

現地通貨が寂しくなってきていたのでまずは両替。

メインストリートのエルソル通りに両替屋が沢山あったので片っ端から入ってみる。

リマと同じで1ドル=2.75sが最も高かったので100ドルを両替。

お金を手にしたら薬局へ行って携帯酸素を購入。

プラシーボかもしれないが、ネタにもなりそうだし高山病対策に買っておこうと思った。

小さい缶で25.5ソル(≒944円)と結構高い。

考えてみれば現地人には不要な物のわけで、完全に観光客用の値段設定なのだろう。

晩飯は地球の歩き方に載っていたプカラという店へ。

日本人が経営している店との紹介で、メニューには日本語もあった。

アンティクーチョ(串焼き)盛り合わせ36s(≒1,332円)とビール13s(≒481円)。

ビールはいつもならもう1本行くところだが、2日ぶりの3,400メートルの高地ということで控えておく。

飯は完食できてビールも全部飲めたが、体調はやはり心なしかイマイチ。

昨日の筋肉痛と今日の移動の疲れがでている気がする。

ホテルに戻り無料のコカ茶を飲み、部屋に戻って酸素吸引。

特にスッキリするわけでもないが、何よりもプラシーボ効果に期待。

高地順応が出来ているか否か、答えは明日分かるか。

 

 

2013年10月3日 木曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

高山病は酸素を巧く身体に取り込めないことが原因と言われる。

寝ている間は意識的な呼吸が出来ないのでより発症度が高まるとか。

予防には水分を多く摂ると良いとの情報も。

そんなわけで所々寝苦しくて起きては水と酸素を補給して寝るを繰り返して7時30分頃に起床。

思えばペルーに来てから1度も安眠と熟睡ができていない気がする。

初日は時差ボケの影響。

2日目はクスコへ向かう飛行機が午前中発の時間制限による影響。

3日目はクスコの高地の影響。

4,5日目はマチュピチュの騒音。

そして昨夜も高地の影響。

翌日も高地の影響とリマへの飛行機が午前中の時間制限で安眠できないだろう。

旅中にしっかり眠れないのは辛いところだ。

直接の影響は無くてもジワジワと身体に効いていくような気がする。

朝食ビュッフェでも例によってあまり食欲はなく、ジュースばかり飲んでいた。

朝食後、部屋でゴロゴロしていたらいつの間にか寝ていて12時過ぎだった。

こういう中途半端な睡眠でも体力が回復してくれていれば良いのだが。

だるくても流石にホテルで1日ゴロゴロは勿体無い。

昼過ぎにようやく外出することにして、クスコ初日にも行ったインカの石組みで有名な通りへ改めて行ってみる。

宗教博物館の壁
インカの石組み通り

有名な12角の石の前には人だかりが出来ていたので今度こそそれがどれなのか分かった。

でもその12角の石ですらもやはり隙間があって剃刀の刃なんて余裕で通りそう。

まぁその辺はあまり深く突っ込んだらいけないんだろうな。

西洋人団体ガイドが英語で話しているのが聞こえてきて、なんとなく付いていくとピューマと蛇の石組みも見られた。

石組の形がピューマと蛇に見えるというもの。

インカ文明は文字を持たない文明だったらしく、マチュピチュを始めとして何が何のために作られたのか正確には判明していない。

ピューマの石組みやマチュピチュにあったコンドルの神殿もそうだが、この形がそう見えるっていうのは後世のこじつけに思わないでもない。

その辺もあまり突っ込んではいけないところだろうか。

インカの石組みがある区画を離れ、エルソル通りというクスコのメインストリートを歩き、サントドミンゴ教会へ。

インカ帝国時代は太陽の神殿とされていた建物らしいが、外観を見るだけで中には入らず。

少し歩くだけでかなり疲れる気がして、所々にあるベンチで休憩しつつ散策。

歩いては休憩を繰り返すというのは富士登山のようだ。

少ししてお腹が空いてきたかなと思えるようになってきたので食事。

アルパカと並んでペルーに来たら食べたいと思っていたのがクイというテンジクネズミの一種。

そのクイ料理が有名でクスコの老舗的存在と地球の歩き方に紹介されていたキンタス・エウラリアという店へ。

アルマス広場から結構な階段を上り進み、少し町外れっぽい所にある。

クイ40ソル(≒1,480円)とビール7ソル(≒259円)を注文。

ビールが美味しく飲めたので体調はそう悪くはないのだろう。

出てきたクイは頭も四肢も尻尾も付いた少し大きめのネズミが素揚げのような状態で皿の上に置かれている。

クイ
食い…ますか?

見た目に少々引くが、食べたいと思ったのも注文したのも自分。

最も肉が分かり易い後ろ足のモモ肉辺りをナイフとフォークで解体して一口、うん、鶏肉。

肉の味はクセも無く、アッサリして鶏肉のよう。

揚げてあるのか焼いた結果か、パリパリの皮が美味でフライドチキンっぽい。

美味しかったが元がネズミだけに肉は少なく、ナイフとフォークで肉をほじくりながら食べるという感じ。

巧いこと肉だけ食べやすくしてくれれば良いのにと思う一方、姿焼きで食べてこその料理だろうな。

とりあえずこれでペルーに来たら食べたかったものは食べられた。

食後は一旦ホテルに戻り、小休止してから夜のクスコを少しだけ散策。

この日は行動するよりも休んでいる方が多かった1日。

旅程ではマチュピチュの疲れを癒しつつ軽くクスコを観光するつもりだったのでまぁ予定通りではある。

しかしクスコは疲れを癒すには標高が高すぎた。

富士登山で標高3,000メートル超は何度も経験していたが、こんなに長い時間いた経験は無い。

少し高地と高山病を甘く見ていたかもしれない。

クスコは都会化もしていなくて古都の雰囲気もあり良い街なのだがいかんせん標高が高すぎる。

同じく高地にあるボリビアという国の首都ラ・パス。

標高3,650メートルで世界最高地にある首都だという。

ラ・パスで行われるサッカー・ボリビア代表のホームゲームはブラジルやアルゼンチンなどの強豪国も苦戦する。

歩いただけでも疲れる状況でサッカーとか考えられない。

インカ帝国は何万人もの軍勢がいながら、数百人のスペイン軍に侵略されて滅亡したという。

数百人のスペイン軍は高山病にならなかったのかと不思議に思った。

地球の歩き方によると高山病予防には高地到着後1週間は過度な運動は避けましょうとあるが、1週間って…休み終わっちゃうよ。

 

 

2013年10月4日 金曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

高地にも慣れてきたのか、寝苦しくて起きる回数が前日より減った。

減ったというだけで、辛くて起きてしまうことには変わりないが、起床時の頭痛も明らかに前日までよりマシ。

ようやく慣れてきたと思ったが、この日はクスコを去る日。

慣れてきた頃にその場所を離れてしまうというのは旅の宿命みたいなものか。

現地の通貨感覚や町の雰囲気に慣れ、挨拶程度の軽い現地語が言えるようになった頃にそこを離れる。

そして次の国ではまた1からやり直し。

もっともそれこそが旅の醍醐味という側面でもあるが。

というわけでクスコからリマに戻る朝は6時30分頃に起きて朝食。

食欲の無さは相変わらずで例によって主に液体を多く注入する。

朝食を済ませると出発の準備をし、7時30分過ぎにはホテルをチェックアウト。

時間に余裕はあったし、マチュピチュ観光も済ませたので久々にタクシー乗車交渉をしてみることに。

ホテル前でタクシーを拾い、5ソル(≒185円)で空港までと言ってみると意外にもすんなりOK。

ところが乗ったら5ドル(≒505円)だと言い出すドライバー。

あまりに安すぎると思ったんだ、「5ドル?5ソルだろ!」と言ってみるが「No,5ドル」の1点張り。

それならいーよと車を降りるが引き止める気配が無い。

脈ありならココで引き止められるはずなのにそれが無いということは5ソルだと本当に安すぎなのかもしれない。

中心部のアルマス広場へ行けばタクシーには困らない。

ただ立っていればタクシーの方がこちらを見つけて止まってくれる。

次に来たのはトヨタ車のちゃんとしたタクシー。

「Airport5ソル(≒185円)?」と聞くと「No10ソル(≒370円)」と。

空港から街までがオンボロタクシーで7ソル(≒259円)だったから流石に5ソルは無いか。

6ソル9ソルなどの簡単な交渉の末、8ソル(≒296円)で決着。

粘ればもっと安くできただろうが、確実に空港へ行くにはそれくらいはなんてことない。

ホテルに依頼して頼むよりは遙かに安いはず。

無事に空港まで到着し、リマへ向かう飛行機は来たときと同じラン航空。

チェックインカウンターはそこそこの行列。

その行列の半分以上を日本人中高年団体ツアーが占めている。

添乗員付きの関西系ツアーで、中高年の関西弁の嵐はココが異国だということを忘れさせる。

辟易しつつも日本人団体で添乗員も付いているとなるとトラブルも少ないのかスムーズに列が進む。

さっさとセキュリティチェックを済ませて搭乗口へ行くが、思ったよりも狭くてベンチは空きを見つけるのが大変。

クスコはペルー第2の都市と思っていたが空港は意外に発展していない印象。

10時発の飛行機に20分前くらいに乗り込む。

予想通り機内では先ほどのチェックインで一緒だった関西人集団と一緒。

「1番後ろの席やから後ろに気ぃ遣わんでええなぁガハハハハ」って…気を遣う気があるなら海外の飛行機内でそんな大声出すなよ。

少々うんざりしたが見直した点もあった。

私の前の席にいた小さな子供が機内で落ち着き無くアッチ行ったりコッチ行ったり。

そこへ関西人のオバちゃんが折り紙?で鶴を折ってその子供に渡す。

すると子供が鶴を受け取って不思議そうに眺めては飛ばすマネなどをして遊び始めた。

子供の両親もオバちゃんにサンキューとか言いつつほのぼのとした空気が流れる。

言葉は分からずとも日本文化を交えた素晴らしいコミュニケーションだと思った。

今度機会があったら使わせてもらいたい。

飛行機は10時15分ころに離陸し、11時25分頃着陸。

ようやく低地に戻ってこられた。

リマ到着時は深夜だったのでタクシーを使ったが、今回は昼前なので安いであろうシャトルバスを使おうと券売り場を探す。

なにやら国際線ターミナルの方まで行かされて、話を聞くと飛行機到着時間の関係で次は1時間後だとか。

値段も20ドル(≒2,020円)と安く無いどころか、タクシーグリーンの方が安い。

そうなるとシャトルバスのメリットは何1つ無い。

結局初日同様にタクシーグリーンでホテルまで行くことに(45s≒1,665円)。

この日の夜がペルーでの最後の宿泊になるので良いホテルを予約しておいた。

世界に冠たるヒルトン、値段もこれまで泊まったホテルの約3倍。

新市街のミラフローレス地区にあるヒルトン、ロビーは思ったより狭いが高級感はある。

そして部屋、ドアを開けた途端にこれまでのホテルとレベルが全然違うことに驚く。

ダブルベッドが置かれてもなお広々とした清潔感溢れる部屋。

洗面所やトイレの壁も磨き上げられていて高級感たっぷり。

ただこれだけ素晴らしいのに何故かバスタブが無く、シャワーだけ。

さらにWi-Fiに繋ごうとしたらどうやら有料のようなメッセージが出てくる。

これまでの安ホテルでもバスタブ付きはあったし、Wi-Fiに至ってはホテルに限らず飲食店でも無料だった。

それなのにヒルトンには無いもしくは有料というはどうにも解せない。

高級ホテルでは些細なサービスも「買う」ものなのだろうか。

それ以外は完璧なのに惜しい。

もっともそれを差し引いても旅を締めくくるホテルとしては充分だろう。

いくらホテルが良くても部屋に引き篭もっているだけなのも勿体無いので外出。

旅の序盤のリマで旧市街は歩いていたので今回は新市街の散策。

高級商店街やホテルなどが並ぶとされている新市街だが、街歩きの面白みには少々欠ける気がする。

街歩きが楽しいのは雑多な歩行者天国など人が大勢いるところ。

新市街は整いすぎている気がした。

主要通りをブラブラ歩いてからは海沿いの道を歩く。

新市街は海沿いの高台にあるため、高い所から見下ろす海の景色はなかなか壮観。

その海沿いにある新市街随一のショッピングモールのラルコマルへ。

リマ初日にも来た所だが、今回は時間も夕方近くなので賑わっている。

中をうろついてみるとスーパーがあったので入ってみる。

職場へのばら撒き土産に最適と思えるマチュピチュの写真がパッケージになっているチョコレートがあった。

個包装もされているようで、値段も1箱14s(≒518円)と適当。

ばら撒き土産はチョットしたスーパーで探すのが1番良い気がする。

あまりにも地元民向けのスーパーだとお土産っぽいのは無いが、いかにもな土産物屋だと高くつく。

空港なんて値段を考えればもうそれは最後の手段。

デパートや今回のように少し高級感のあるショッピングモールに付属しているスーパーだと適当な価格で適当な品を手に入れられる。

とりあえず土産の心配はなくなったので、一休みするためにラルコマル内にあるレストランバーみたいな所へ。

ビール10s(≒370円)を飲みつつ休憩。

リマに戻ってきて良かったと感じるのはいくら歩いても疲れるのは足だけだということ。

クスコだったら心肺的に辛くなり頭痛やらにも苛まれただろう。

さらにその状態だとビールを飲む気にもなれない。

疲れて消耗して回復も出来ない状態だった。

歩き回った疲労をビールで回復するという私の旅本来のスタイルを取り戻した感じだ。

晩飯は歩き方に記載のペルー伝統料理の人気店と紹介されていたブルハス・デ・カチチェなる店へ。

しっかりとした店構えでメニューも結構お高い。

シーフードが人気とのことだったので、メニューの中でも安めだったシーフードウィズライスを注文。

前菜にオリーブの酢漬けみたいなのが出てくるあたりスペインっぽい。

そして出てきたシーフードウィズライスだが、見た目はパエリアっぽくてこれまたスペインを髣髴とさせる。

味はバターライスにエビイカ貝白身魚などが入り、実に美味い。

ペルーの伝統料理なのかは分からないが、この旅で1番美味い料理だった。

シーフードライス40s(≒1,480円)、ビール10s(≒370円)×2、サービス料12s(≒444円)で72s(≒2,664円)。

それなりの値段とサービス料だったが、アルパカやクイよりよっぽど美味しかったのでよし。

酒も入ったのでそのままお土産も買ってしまおうと思い、再度ラルコマルへ。

どうせ水やビールも欲しかったので一気に買ってしまうことにした。

ココでお土産を買っておけば明日は残金計算も含めて余計な心配をしなくて良くなる。

観光客も集まるショッピングセンター内のスーパーだからか、レジにはソルとドルが並んで表示されていた。

どちらで払っても良いと言うことだろうが、支払いはクレジットカードで済ませた。

お土産のチョコは結構かさばり、全てをバックパックに詰めるのは難しそう。

最終的にはお土産をビニール袋に入れた状態で帰国することになりそうだ。

次回以降は折り畳めるエコバッグみたいなものを持っていったほうが良いな。

ホテルに戻ってバーにでも行こうと思ったが、思ったよりも賑わっていたのでパス。

最後の夜ということを考えるともう少し静かな所で飲みたいと思った。

プールとフィットネスジムがあるという11階へ行ってみると半屋上のようになっている。

夜景もそれなりに綺麗なのに、何故ココにバーやレストランを作らなかったのだろう。

結局、静かに飲める最適な場所はホテルの部屋だった。

TVでサッカーを眺めつつ土産ついでに買ったビール。

ま、結局コレだな。

 

 

2013年10月5日 土曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

いよいよ最終日。

これまでは高山病や騒音以外でも空調の影響で暑くて起きる、なんてこともあって熟睡安眠できた日が1日も無かった。

しかし今回は1度も不快な症状で起きることなく朝まで熟睡できた。

適度なタイミングで空調がオンオフされているので気温や湿度も快適に保たれているのだろう。

昨夜シャワーを浴びた時も湿気が凄いはずなのに洗面所の大きな鏡は一切曇らなかった。

こういう細かいところに高級ホテルの高級ホテルたる由縁があるのだろう。

そんなわけで最終日はこれまでにない快調な目覚め。

朝食はバイキングかと思いきや意外にも注文方式。

座っていると店員が様々な種類の一口大パンやサンドイッチが載ったカートを持ってきてどれにしますか?と。

どうやらそれは食べ放題らしいのでとりあえず美味しそうなのを片っ端から指差し注文。

さらにテーブルの上にメイン料理のメニューがあり、卵とベーコン、オムレツ、パンケーキ、ワッフル、オートミール、フレンチトーストなどから1品を選ぶ方式らしい。

オムレツを注文するとフワフワの卵に野菜やハムソーセージなどが入って美味。

ビュッフェも良いが、この形式も悪くない。

食後、フロントでチェックアウトタイムを確認すると12時という。

飛行機は23時50分発で時間の余裕はだいぶあるので、午前中はホテルで可能な限りゆっくりすることに。

ホテルでゴロゴロダラダラ、帰国用の荷造りも済ませて準備万端。

この後は丸1日以上シャワーも浴びられないので最後にシャワーを浴び、11時50分にチェックアウト。

荷物は例によって預かってもらうが、バックパックにスーパーのポリ袋をくくりつけた荷物はヒルトンには似つかわしくないな。

なにはともあれ身軽になって最後の散策に出発。

リマ初日は旧市街、前日は新市街を散策したので今回は改めて両方へ。

好天の中、新市街のラルコマル。

天気が良いと景色も良い。

リマ
リマ新市街の海岸線

思えばリマの初日もココへ来るところから旅が始まった。

そして初日と同じくメトロポリターノで旧市街を目指す。

メトロポリターノに乗ろうとするが、カードにチャージされている金額は殆ど無い。

少なくともこの日の往復分はチャージする必要がある。

自動チャージ機があり、現地人がチャージする様子を見て同じようにやってみる。

カードをセットして小銭を入れてOKっぽいボタンを押す。

それだけなのにやってみると何故かエラー音が鳴り、お金が戻ってきてしまう。

係員のような警備員のような人が来てくれて、もう1度カードをセットしてもう1度やれみたいに言ってくる。

言われた通りにやってみると今度は巧く出来た。

どうやらカードのセッティング状態が良くなかったらしい。

何事もこうやって慣れていく…のはいつも旅の終盤。

昼過ぎのメトロポリターノは大混雑で、途中からは乗られない人も出るくらい。

旧市街のセントラル駅で降りてここからは歩くことにする。

セントラル駅にはシェラトンホテルがある。

ネットで調べたときに最終日のホテルはココでも良いなと思っていた所。

新市街のヒルトンか旧市街のシェラトンかで悩んだが、結局は新市街を選んだ。

折角近くまで来たのでシェラトンホテルにも入ってみる。

ヒルトンと比べてシェラトンの方がフロントやロビーは広かったが、建物はやや古びている。

ホテルの入口前がタクシー乗り場になっていて料金表がある。

空港まで100ソル(≒3,700円)、ミラフローレス地区まで45ソル(≒1,665円)って高っ!

高級ホテルでタクシーを頼むとそんなにするのかという値段。

シェラトンでコレだからヒルトンでも似たようなものだろう。

帰りは空港まで流しのタクシーを捕まえて料金交渉だろうなと思わされる。

帰りの足の方向性を決めたところで旧市街の中心地アルマス広場を目指して歩く。

初日にも通ったラウニオン通りはいかにもな歩行者天国で店や物乞いやパフォーマーなどで賑わっている。

やはりこれこそが求める外国のメインストリートだ。

現地人や多くの観光客が集まるこの猥雑な感じこそが海外の通りを歩いている実感がある。

新市街のミラフローレス地区は上品すぎてそこまで楽しめない。

アルマス広場は相変わらずの観光客と賑わいで、昼飯はこの辺りにしようと目ぼしいところを探す。

夜は空港で帰国便の待ちということを考えるとちゃんとした外食はこれが最後になる。

最後は地球の歩き方ではなく、基本に立ち返って自らの足で店を探す。

リマ旧市街随一の観光地であるアルマス広場周辺は当然のごとく観光客向けの店が多数ある。

西洋人観光客がそれなりに入っている店はそれなりに信用できるのと同時に外れも無い。

そうした店が集まっている一画があり、店員さんがメニューを見せて勧めてきたのでココで良いやと決断。

牛肉と野菜を細切りにして炒め、フライドポテトやライスと一緒に提供するペルーの国民食(by地球の歩き方)ロモサルタードがあったのでそれを注文。

見た目から想像した通りの味でビール2杯とともに44s(≒1,628円)、まぁ外れはない。

今まではカードで払える所は常にカード払いにしていたが、今回は敢えて現金払い。

最終日にいかに現金を巧く使い切ることが出来るかは旅の最後の力試しというか運試しというか。

食後、旧市街にいくつかある入場無料の教会に入ってみる。

入場料を払って入る教会だとそうでもないが、無料の教会に入ると厳かな気分になる。

入場無料イコール本当に信者のための教会という認識が働くからだろう。

この日に入った所も中でミサをやっていて、迂闊に観光できない雰囲気。

それが宗教施設の正しい在り方な気はするが。

初日はアルマス広場で何やらお祭りみたいなことをやっていたが、この日のアルマス広場も夕方から人が増えてきた。

やたらと紫色に身を包んだ人が多く、ステージ設営もしていたので、何かあるのだろう。

少し興味はあったがいつから何が始まるのかも分からない状態でただ待つような時間はない。

時間は17時を回り、日が傾き始めている。

リマの新市街は太平洋沿いにあり、西に太平洋が広がっている。

この天気だと太平洋に沈む夕日が見られるのではないかと思い、旧市街を後にして再び新市街へ。

恐らくメトロポリターノに乗るのもコレが最後、結局2s(≒74円)分のチャージが余る結果になった。

初回のカード購入は5ソル(≒185円)かかるのでこのカードを誰か日本人に託せると良いのだが、さすがに前回の旅のロンドンのように都合良く日本人がいるとは思えない。

というわけで1,2回分の乗車券しかチャージされていないけれど、欲しいと言う方がいたら無償でお譲りします。

その気があったらご連絡ください、但し使えなくてもノークレームノーリターンでお願いします。

そうこうしているうちに新市街に戻り、海沿いのショッピングセンターということで何度も来ているラルコマルに到着。

18時頃に到着するとちょうど西の海に太陽が沈む瞬間だった。

半分くらい沈んでいると思ったらアッと言う間に全部沈んだ。

僅か数秒の出来事、あんなに早くアッサリと日が沈むなんてことがあるとは。

いずれにせよ太平洋に沈む太陽は日本ではなかなか見られない光景だろう。

日が沈んでからもしばらくは明るく、なんとなく海を眺めたりして時間を過ごす。

この日のテーマはいかに飛行機までの時間を過ごすか…時間を潰すのではなく過ごす。

そんなわけでラルコマル内をブラブラ歩いたりベンチでボーっとしたり…ってやっぱり時間潰しているかも。

空港へは早く着いてもどうせ時間余るだろうからビールでも飲むだろうと前日も行ったスーパーでビールとスナックを購入。

周囲も完全に暗くなった19時頃、そろそろ潮時。

真っ暗になってからは散策にもリスクがあるし、疲労も蓄積されている。

ホテルに戻り、荷物を受け取り、ロビーで最後の身支度を整える。

昼にシェラトンでタクシー料金が高いのを見ていたのでホテルに依頼するのはやめる。

初心に返って流しのタクシー相手に交渉することにし、ホテルを出ると早速タクシーが走っていたので止める。

「Airport?」と聞くと交渉の余地すらなくノーと言われる。

遠くて行けないということだろうか。

次のタクシーを待とうと思っていたらホテルからボーイが出てきて「どこへ行くんだ?」と聞いてくる。

空港だと言うと、流しのタクシーはあまり空港に行かない、セーフティーなタクシーを呼んでやる、40ソルだと言う。

40ソル(≒1,480円)?ヒルトンでタクシー呼んで空港まで40ソルなんてありえるのか?

リマで最初に泊まった中級ホテルで呼んでもらったタクシーですら50ソル(≒1,850円)以上した。

タクシーが来たら呼んであげるからロビーで待てと言われ、再びホテル内に。

ロビーのソファで冷静になって考える。

ソルとドルは発音が似ている、40ソルじゃなくて40ドルの聞き間違えだろう。

まぁでも信頼できるであろうホテルのボーイさんが好意で呼んでくれるわけで、安全確実に空港まで行けると考えればこの際それでも良い。

数分後、ボーイさんに呼ばれて行くと待っていたのは普通車のタクシー。

改めてボーイさんが「40ソラース Ok?」と、ドラーではなくソラーとハッキリ言った。

本当に40ソルなのか?ヒルトンで呼んだのに。

空港公認のタクシーグリーン45sよりも初日のホテルで呼んだタクシー50sよりも安いとは。

残金がお札で50sと20sがあったので流しのタクシーの交渉では最悪70sまで払っても良いと思っていた。

それがまさかホテルに依頼して40sで済むとは。

高級車とは言えないタクシーだったので恐らくホテルがチャーターするタクシーにもレベルがあるのだろう。

なんとなくフロントで呼んだらもっと大層なタクシーが来た気がする。

そう考えるとボーイさんが気を利かせてそれなりの値段のタクシーを呼んでくれたとも思える。

これもヒルトンのサービスの一環なのかは知らないが、非常に良い気持ちでホテルを離れることが出来た。

最後までヒルトンは素晴らしかったということにしておこう。

無事に空港行きのタクシーに乗り出発。

所々で渋滞が起きているようでなかなか進まない。

通っている道も初回のリマ時とは違う気がする(暗くてよく分からないが)。

30分40分経っても空港に到着しなくてだんだん不安になってくる。

時間には充分に余裕があったが、果たしてコレはちゃんと空港に向かっているのだろうか。

安いタクシーには安いタクシーなりの理由があるのだろうか…なんて思い始めた頃、外に飛行機の音が聞こえてきたので安堵する。

結局1時間かかってようやく空港に到着。

空港から街まで来たときや、初回に街から空港まで行ったときは30分ほどだったことを考えるとかなり時間がかかった。

結果的に無事に到着したから良いか。

料金に50s(≒1,850円)札を出すとお釣りを渡そうとするドライバー、本当にちゃんと40sだった。

ペルー最終日だし、思ったより安く空港に来られたしということで50s札を「It's tip for you」と渡した。

運転中は無愛想で一言も喋らなかった運転手が最後に笑顔になってグラシアス、と。

これで最後まで気分良くリマ、ペルーを離れることが出来そうだ。

時刻は20時30分、ユナイテッドのカウンターでチェックイン。

23時50分発予定なので時間は充分にある。

フードコートコーナーみたいな所で持参したビールとスナック菓子というジャンクな軽食で休憩。

22時近くになり、そろそろ出国しておこうと場所を移動する。

そして、ある程度予想はしていたが出国審査の大行列。

入国時も相当待たされたが、出るときも同じか。

こればかりはただ待つしかなく、自分の列の奴がトラブらないことを願うだけ。

比較的スムーズに出国は済み、免税店などを冷やかしつつ搭乗開始を待つ。

最後のタクシーが予想以上に安く済んだのでペルー通貨は小銭も含めると30s(≒1,110円)くらい余った。

とはいえ土産物屋を冷やかしても今更特に欲しいものもない。

次にいつかペルーへ来るときのために取っておくことにしよう。

南米からアメリカ本土へ向かう飛行機のためか、セキュリティチェックは済んだのに、乗る直前に改めて手荷物をチェックされた。

人によっては鞄の中を全部出させられている人もいた。

飛行機の席は特にリクエストしたわけではないが窓側の1番後ろだった。

1番後ろは席を倒すのに気を遣わなくて良いと言っていた関西のおばちゃんを思い出した。

0時5分頃動きだし、0時15分頃に離陸。

真っ暗な窓の外を見ながらリマに着いたのも真夜中に近い時間だったなと1週間前に思いを馳せつつ帰途に。

 

 

2013年10月6日 日曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

リマからヒューストンへ向かうユナイテッド航空機。

離陸後に安定飛行に入ったら早速機内食が出てくる。

最後列は機内食が来るのも最後。

食べている途中で回収車が前から迫って来るので少々焦る。

北南米間はビールが無いので味気無い機内食を平らげると後は寝ているだけ。

数時間後、軽食サービスで起床し、それからすぐの6時25分頃にヒューストンに到着。

1番後ろの席は機内から出るのも1番最後、ヒューストンでの乗り継ぎは5時間くらい余裕があるので大丈夫。

そんなことを思って向かったアメリカの入国審査。

早朝で入国審査官が少ないからか物凄い行列で遅々として進まない。

ペルーの入出国の遅さなんて気にならないくらいの遅さ。

ペルーが地方遊園地ならヒューストンはディズニーのナンバー1アトラクションというような行列。

1人1人指紋認証や写真撮影をやらされるから必然的にそうなるのだろう。

イライラするがイライラしてもどうしようもない。

ただアメリカに入国する人と経由する人とで入国審査を分けても良いんじゃないかとは思った。

あまりにも遅すぎる、結局1時間40分くらい待たされてようやく突破。

今回は乗り継ぎまで5時間の余裕があったから大丈夫だったが往路の旅程上は2時間しか余裕が無かった(結果的に早く着いて3時間だったが)。

もしこれが往路だったら飛行機に乗り遅れていた可能性すらある。

往路は運が良かっただけなのか、復路は運が悪かっただけなのか。

いずれにせよ次にアメリカ経由でどこか行く機会がある場合は、この時間も勘定に入れておいた方が良さそうだ。

アメリカ入国?を済ませたら往路と同じ流れで税関?を通って乗り換えへ。

再びのセキュリティチェックを受けて、ようやく時間の心配がなくなった。

とりあえず成田行きの搭乗ゲートへ行くと2時間以上も前だが早くも日本人が目に付く。

空腹を感じてきたものの、乗ったらどうせ機内食と考えると少しの我慢。

ヒューストン空港内は往路で散策していたし、帰路だとそこまでの気力も湧かない。

ベンチで待っていたら搭乗便のアナウンスがあり、既に日本語でもアナウンスしてくれる。

搭乗前に全てのお客様のパスポートと搭乗券チェックをしますというのもアメリカならではのセキュリティチェックか。

成田行きの便はほぼ満席。

行きよりも混んでいる気がするのと、行きより人種が豊富な気もする。

今回も通路側の席ながら、窓側ブロックの通路側で隣に2人いるので何度かは隣のためにトイレ立ちしないといけなさそう。

今後は通路側を選ぶなら真ん中ブロックにするべきだな。

10時45分に動き出し、11時5分離陸、飛行時間は13時間2分とのこと。

いつものことながら帰りの機内ではガイドブックを読んでも無意味だし、ひたすら機内エンタテイメントを垂れ流すだけ。

こういうときはタブレットPCに暇潰し用のゲームをダウンロードしておけば良かったと思う。

今回の旅で非常に便利なツールだったタブレットPC。

現地からのツイートは勿論、各国語の辞書もダウンロードしておいたし、現地の詳細な地図を見たり情報収集にも使えた。

サイズも地球の歩き方1冊より小さくて軽い。

その気になればガイドブックを丸々1冊ダウンロードすることも容易。

これは旅の形を変えるツールだと思った。

そんなタブレットPCを持参した初めての旅だったが、便利ゆえに自分に課したチョットしたルール。

それはTwitterや旅に必要な情報収集にしか使わないこと。

ネットに繋がったからといって日本のニュースを見たら浮き世を離れて海外まで来た意味がない。

さらに暇潰しに動画を見たりネットサーフィンなどをしたら日本にいる時と何が違うの?という話。

海外では何気ない時間でも海外にいるという前提条件があって思考をしているはず。

そこで出てくる考えというのは大したことがないにせよ、海外という環境下にあるからこそ生まれるものだと思う。

その時間を普通にネットで埋めてしまったら日本にいるのと変わらない。

何も生まれないかもしれないが(実際は何も生まれないことばかりだろうが)、日本と同じような時間の潰し方はしたくない。

海外では無駄かもしれない時間も無駄では無いと思っていたい。

だからタブレットPCを持参しても最低限のツールとしてしか使わないようにした。

これからの旅においても自分へのルールとして適用していきたい。

なんて偉そうなことを考えているうちに飛行機は進む。

機内食前軽食でビール、機内食でビール、次の軽食でもビール、着陸1時間前の最後の機内食でもビール。

…と思ったら最後は「無料のアルコールは全部無くなってしまいました」と言われてしまった。

オイオイ誰だよそんなに飲んだのは。

しかし無料のアルコールが無くなったのはそちらの落ち度なわけで、有料のを無料にして提供するくらいのサービスがあっても良いんじゃないの?

その辺がなんとなくアメリカ系航空会社の融通の利かなさ、或いはサービスの限界か。

日本の航空会社ならそもそもビールを切らすことはないはず…という見方は日本贔屓すぎるかな。

ヒューストンとリマ時間で日付が変わる午前0時(24時)、成田に着陸。

飛行時間は13時間弱ながら、日本時間では14時、日付が変わって月曜日になったと思ったら一気に14時間進んだ。

行きの長い金曜日が帰りの短い月曜日に変化。

時差の倍返しだ!(←流行に乗ってみたかっただけ)。

 

 

2013年10月7日 月曜日 ↑前へ ↑↑トップへ

10月7日を迎えたと同時に14時になり、14時30分過ぎには入国審査と税関も終了。

やはり日本は早い…のは自分が日本人だからか。

地元へ向かう次のバスまで30分以上の時間があったので出発前と同じフードコートでビールを1杯。

機内で最後に飲めなかったビールの分だな。

同じビールのはずなのに出発前と帰国後でこうも味が違うとは。

イヤ、違うのは味ではなく私の気の持ち様なのは分かっている。

 

終わってみれば、というか始めからそのつもりだったがやはりマチュピチュ1本に絞られた旅だった。

先述の通り、マチュピチュは遺跡観光もそこまでの列車も予約制なので行き当たりバッタリが基本的には出来ない。

マチュピチュをこの日、と決めたらそこを基点に観光ルートを考えた。

全てマチュピチュを万全に迎えられるためのルート設計だった。

時差ボケや現地感覚に慣れるのと、いきなり高地に行くのを避けるためにも旅の序盤はリマでウォーミングアップ。

クスコからもすぐにマチュピチュに向かうのではなく、万が一の飛行機の遅れなどのリスク回避のために1日滞在期間を設けた。

マチュピチュでは丸1日遺跡を堪能できるように前後1泊ずつをマチュピチュ村での滞在に充てた。

リマ−クスコ−マチュピチュ−クスコ−リマと、マチュピチュを中心に均等な旅程が出来た。

ペルーにはマチュピチュのほかにもう1つ世界的に有名な観光地としてナスカの地上絵がある。

ナスカはリマからバスで片道6〜7時間なので必然的に1泊2日、スケジュールを詰めれば行けないことも無かった。

だが今回の旅は万全の状態で念願のマチュピチュに行くことが第一だった。

そんなこともあってナスカは行かなかった。

高校時代に何の授業のどんな流れでそうなったのかは覚えていないが、先生が自ら撮ったナスカの地上絵の写真を見せてくれたことがあった。

その写真の地上絵が車の轍だらけで荒れていたのを見て、子供心に失望したのを覚えている。

なんとなくそれが心のどこかに引っかかり、ナスカにそれほど魅力を感じなかったのかもしれない。

世界遺産に認定されているリマの旧市街やクスコの街。

クスコ郊外にある聖なる谷と呼ばれる遺跡群やインカの石組みに代表されるロストテクノロジー。

それらが束になってかかってもマチュピチュには敵わなかった(もっとも私は聖なる谷には行かなかったが)。

マチュピチュが良かっただけで今回の旅が成功だったと思える程のスケールがあった。

遺跡そのものもそうだが、行くまでの難易度(主に遠さと高山病)、そして遺跡だけでなく周囲の環境。

行ってみたい世界遺産ランキングで安定して上位にいるのも納得のクオリティ。

それだけのために旅をしても惜しく無いと思わせた世界遺産だった。

ちなみに最短でマチュピチュへ行く弾丸旅程を考えたら5日で行けそうだ。

1日目、日本から北米を経由してリマへ。そのままリマの空港泊。

2日目、リマから朝一番の飛行機でクスコへ行けば当日中にマチュピチュまで行って観光をしてクスコに戻ることが可能。クスコ泊。

3日目、午前中の飛行機でクスコからリマへ。リマ発の飛行機は夜遅いので半日程度はリマ観光も可。夜は飛行機で機内泊。

4日目、リマから北米への飛行機と北米から日本へ向かう飛行機で機内泊。

5日目、日本着。

2日目に飛行機や列車の遅れがあったら致命的ではあるが、現実的には可能な旅程だと思う。

もう1日あって2日目を分散すればマチュピチュ観光にも余裕が持てる。

体力はあるが時間は無く、なんとしてもマチュピチュが見たければ挑戦しても良いかも。

 

旅の費用

ペルー往復航空券(ユナイテッド航空・ラン航空、成田〜ヒューストン〜リマ〜クスコ)
145,000円

航空券関連諸税(空港使用料・保安料・保険料・サーチャージ・手数料)
65,020円

往復航空券代合計
210,020円

リマホテル2泊(ホテルステファノス、ウェブサイト経由予約、事前ネット支払い)
12,320円

クスコホテル1泊(ホテルデルプラドイン、ウェブサイト経由予約、事前ネット支払い)
5,300円

マチュピチュホテル2泊(テラザスデルインカ、ウェブサイト経由予約、現地払い)
130ドル(≒13,130円)

クスコホテル2泊(ロイヤルインカ、ウェブサイト経由予約、事前ネット支払い)
12,000円

リマホテル1泊(ヒルトン、ウェブサイト経由予約、事前ネット支払い)
15,283円

ホテル代合計
58,033円

ペルーレイル(クスコ〜マチュピチュ〜オリャンタイタンボ、ウェブサイトから直接予約、事前ネット支払い)
143ドル(≒14,512円)

マチュピチュ入場料(ワイナピチュ登山・手数料込み、ウェブサイトから直接予約、事前ネット支払い)
158.13s(≒6,092円)

マチュピチュ村〜遺跡往復バス
18.5ドル(≒1,869円)

観光費合計
22,473円

クレジットカード清算額(食費、スーパーでの買い物等)
10,659円

現地両替額(いずれもドルからソルへの両替)
350ドル(≒35,350円)

海外旅行保険料
3,840円

その他費用
49,849円


合計340,375円

金額的には僅かながら昨年のユーラシア大陸最西端に軍配。

この辺が1週間強の旅の上限額なのかもしれない。

 

 

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