ラオス一人旅
2016年8月27日〜9月4日

恒例の旅先を決定する要素の1つとなるのが本屋。
海外旅行ガイドブックコーナーの背表紙を眺めて検討することが多い。
今回は旅行コーナーではなく、文芸コーナーの平積みを見て決定。
私の旅歴の中でも最も地味な国かもしれない。

 

目次
8/27・遠いハノイ
8/28・ハロン湾ツアー
8/29・駆け足ハノイ
8/30・まったりルアンプラバン
8/31・猿を探して
9/1・川と祭り
9/2・首都
9/3・最終日
9/4・帰国

 

準備

ここのホームページが今よりも盛況だった頃、見ず知らずの人が掲示板に「ラオスが良かった」みたいなことを書き込んでくれたのがずっと頭の片隅に残っていた。

いつか行ってみたいと思いつつも、それ以前に行きたい場所が多すぎて後回しになっていた国。

そして常に感じていたのは「で、ラオスに何があるの?」ということ。

その思いを代弁したかのような村上春樹の新作紀行文「ラオスにいったい何があるというんですか?」

本屋で平積みされているのを見た瞬間に次の旅先が決まった。

興味がない作家の本だったら別だが、村上春樹の新作がこのタイトル、これはラオスへ行くしかないだろう。

ラオス行きを決め、地球の歩き方を眺めても正直コレといったインパクトのある何かは見当たらない。

町全体が世界遺産に認定されており、村上春樹の紀行文でも舞台になっているルアンパバーン(ルアンプラバン)が旅のメインにはなるだろう。

それでも恐らくこれまでに訪れた世界遺産よりはスケールの小さい旅になりそうな予感はしている。

面白いもので友人や同僚との会話で「次(の海外)はどこへ?」と聞かれて「ラオス」と答えると、返されるのは主に「どこ?」と「何があるの?」という2つ。

果たしてラオスに何があるのか…

村上春樹は著作の中で書いている「そもそもそれを見つけるのが旅行というものだろう」、と。

その気持ちを持って私も旅に出よう。

 

 

 

2016年8月27日 土曜日 ↓次へ ↑↑トップへ

出発の朝、5時過ぎに家を出て5時20分のバスで成田へ。

早朝なので道も空いていたのだろう、予定より早く7時5分に空港到着。

2013年にペルーへ行った時以来なので3年ぶりの成田空港。

ラオスまでの直行便は無いため、タイのバンコク、ベトナムのハノイかホーチミン経由が一般的だという。

その3都市で唯一行ったことが無かったハノイを経由地に選択。

そんなわけで今回はベトナム航空を利用、初日の目的地はハノイ。

前夜のうちにネットチェックインはしてあったが、発券はしていなかったのでカウンターへ。

朝の7時過ぎ、ベトナム航空のカウンターはまだ開いていないが早くも結構な列。

そして出発案内表示を見るとハノイ行きは10時発の予定が12時35分になっている。

えっ?2時間半の遅れ!?

にわかには信じがたかったがカウンターも開いてないのでまずは朝飯を食べることにする。

この時間に開いていて手頃なのはお馴染みのマックくらい。

100円マックで朝食を済ませ、カウンターが開いたであろう8時過ぎに再度行ってみると先程よりも長蛇の列。

列の整理をしていた職員に聞くと現地の気象条件で日本への到着便が遅れているとのこと。

私が乗るハノイ行きだけでなく、ホーチミン行きも遅れているらしく、そちらは5時間近くの遅れだとか。

それに比べればまだマシとはいえ、2時間30分の遅れもかなりのもの。

昨年のギリシャからの帰国時は到着便が遅れて終電を逃したし、何か昨年からの悪い流れを引きずっているような。

この日の目的地はハノイなので遅れても大丈夫だが、もしもこの日のうちに乗り継ぎが発生する状況だったらどうなったんだろうか。

どうせ遅れているからチェックインも後で良いだろうと思って8時を過ぎると開いてくる成田空港のお店を冷やかすが、やはりどうにも落ち着かないのでやっぱり行列に並ぶ。

コレは最初から並んでいれば良かったってオチだな。

40分近く並んで待つが、まだ時間がかかりそう。

ハノイ行きに加えてホーチミン行きも遅れているので対応が2倍になっているのだろう。

近くに手持ち無沙汰にしている係員がいたので「ネットでチェックインして預ける荷物も無いんですけど…」と聞いてみるとすぐに別のカウンターに案内される。

誰もいないカウンター、アッという間に手続き終了。

最初っからこうしていたら良かった、今回は私の選択が色々と後手に回っている気がする。

遅れのお詫びとして貰ったのは空港内の施設で使える食事券2,000円分。

2時間半で2,000円、時給換算で800円が妥当な金額なのかは分からないが、まぁ良いだろう。

使えるのはこの日だけということなので出発までに使い切らないといけない。

空港内の飲食店なら基本的にどこでも使えるということなので2,000円分の飲み食いが出来る。

出発までの時間に1人で2,000円分の飲食をするには酒の力を借りざるを得ない。

第1ターミナルはここまでの待ち時間でウロウロしていたので、巡回バスに乗って第2ターミナルへ。

第2ターミナルには成田から出発時によく行くたこ焼きをツマミに飲める店がある。

この後は機内食も出るであろうことを考えると、無料の食事券とはいえここで満腹になるのは避けたい。

そんなわけでたこ焼きをツマミにビールってのが丁度良いと判断。

食事券だとお釣りは出ません…とのことだったが、どうせタダで貰った券なので良し。

いつもよりもチョット良い(高い)生ビール(ブラウマイスター)を注文。

ビール2杯とたこ焼きで約1,800円強とほぼ予算内に収めることが出来た。

足が出て現金を払うよりも良いだろう。

飲食を終えてもまだ時間があったので第2ターミナルの店も冷やかす。

本屋にはこの旅のきっかけになった村上春樹の本があったのでラオスの章だけ改めて立ち読み。

もっとも、今の状況はラオスへ行く前のベトナムになかなか辿り着けていないのだが。

適度な時間を過ごしてから第1ターミナルに戻り、セキュリティチェックと出国審査。

絶対数が多いからか時間の関係か羽田よりも長蛇の列に思えた出国審査。

それでも自動化ゲートはガラガラだったのでそっちから通過。

そういえば成田(…というより羽田以外)の自動化ゲートを通ったのは初めてだ。

出国後の恒例行事、免税店を冷やかすとジョニーウォーカー青の試飲をやっていたのでコップに数ミリながら頂く。

正月に続いてのジョニ青、あの程度の量だとあまり美味しさが分からない…以前に既にビール2杯飲んでいたっけ。

11時45分には搭乗口にいるようにとのことだったが、11時30分過ぎに行っても飛行機すら到着していない。

12時くらいのアナウンスで「飛行機は5分前に到着し、今から燃料補給と清掃と機内食の詰め込み等の準備」と言っていたのでもう少し時間がかかりそう。

そもそも到着の遅れが現地の天候のせいみたいなことを言っていた気がするのも不安。

台風が近付いているという話もあるし、現地に着いたら大荒れなんてことが無ければ良いが。

無事に到着できるのか、到着したとして観光する余裕があるのか。

結局10時発の予定が遅れで12時35分発になったが、搭乗開始が12時35分だった。

席はネットチェックインの座席指定では機内の中ほどながら足元に余裕がある最前列を指定したはずが、実際の席はその1列後ろだった。

ネットチェックインの座席指定っていつも微妙に狂う気がする。

でも3席あるうちの窓側席で真ん中には誰も来なかったので悪くはない。

動き出したのは13時前で離陸は13時20分とほぼ3時間の遅れ。

これはお食事券2,000円じゃ足りなかったんじゃないか?

飛行時間は4時間30分とアナウンスされたが果たしてどうなるか。

機内音楽はろくなのがなかったので、映画を見る。

昨年公開のスターウォーズ最新作(エピソード7)。

まぁ普通に面白く見られたし、懐かしいキャラが老いて出てくるのも感慨深かった。

ただストーリーはなんとなく旧1,2作(エピソード4,5)を足して2で割ったような展開だった気がする。

その間にウェルカムドリンク的なものと機内食でビール2缶、回ってきたので白ワインもいただく。

この日はここまでタダ酒しか飲んでない贅沢な1日。

飛行時間はほぼ予定通りで日本時間17時45分、現地時間15時45分に着陸。

天気も悪くなく無事に到着し、後は飛行機を降りるだけの状態。

そんな中、機内で初老に近い日本人のオジサンがキャビンアテンダント(CA)に何かを言っている。

ただオジサンが何を言おうとしているのかよく分からず、CAも「Can you speak English?」と聞いている。

オジサンは「a little」と答えているが会話がどうにも噛み合っていない。

するとオジサンの近くにいた学生風の若い日本人女性が通訳を買って出た。

オジサンがその女性に日本語で言うにはホーチミン経由でシェムリアップ(アンコールワットの玄関口になるカンボジアの空港)へ行く予定だった。

だが、ホーチミン行きの飛行機が遅れたからハノイ経由でシェムリアップへ行くように成田空港でベトナム航空の職員に案内されたらしい。

その状態でハノイに到着したが、この後をどうすれば良いかをCAに聞きたかったらしい。

通訳を買って出た女性はさすがにそれなりの英語でCAに事情を説明している。

そこまでは普通にありがちな光景だったのが、その後で信じがたい光景が。

オジサンの奥さんが通訳に対してかCAに対してか何かしらを言いかけた途端にオジサンが「お前が何か言うと余計に分かりにくくなるだろう!」と一喝した。

イヤイヤイヤ、相手が奥さんとはいえその態度は無いでしょ。

しかも自分が会話をしているならまだしも、その会話すら他の人に任せているのに。

自力で出来ないのはまだ許せるにせよ、何か言おうとした奥さんに対して八つ当たりみたいな態度。

分かり易いネタとして「最近の若いもんは…」というのはあるが、あのシーンを見る限り「これだから古いもんは…」と思わざるを得なかった。

自力でトラブルに対処できる自信が無いのなら素直にパッケージツアーを使えよ、と思った。

私はそのやり取りを横目にさっさと降りたが、降りた所ではベトナム航空の職員が待っていてそれこそシェムリアップ行きや他の経由地への案内をしていた。

彼らが無事にシェムリアップに辿り着けたかは知る由も無い。

そんなことがありつつも辿り着いたベトナムの首都ハノイ。

懸念していた天気は晴れていて蒸し暑い。

ベトナムは8年前に訪れたホーチミン以来。

何事も無く入国を済ませ、まず空港で3千円を両替すると62万7千ドン。

日本円換算が非常に分かりにくいが、以後はこのレートに基づき1ドン≒0.004785円の計算で表記する。

参考までに8年前の旅記を見ると、8年前も同じように最初は空港で3千円を両替しているが当時は43万5千ドンだった。

当時に比べると随分と円が強いのはアベノミクスの影響か。

ハノイの街へ向かうローカルバスを探すも乗り場がよく分からず、そうこうしていたら大きめのバスが市街まで2米ドル(≒205円、米ドルは直前に日本で両替したレートの1ドル≒102.6円で計算)と言うのでこれで良いやと乗る。

ある程度客を乗せないと発車しないらしく、10分くらい待たされて出発。

出発してくれたと思いきや国内線の第1ターミナルへ行ってまた待たされる。

ようやく出発するが、結構荒い運転のバス。

派手にクラクション鳴らしたり追い抜きをしたりと忙しない。

そういえば前回ベトナムに来たときもクラクションの五月蠅さに閉口したのを思い出した。

この辺りは8年経っても進化が見られないようだ。

結局待ち時間も含めると1時間10分くらいでハノイの街の中心部に到着。

降りる前からタブレットPC(以降、タブPC)を起動しておき、GPS地図で現在地を取得しておく。

ここ数年の旅では欠かせなくなったタブPC。

何が凄いって地図を表示させておけばGPSと連動して自分がどこにいるかは勿論のこと、動けば自分がどの方向に進んでいるのかも分かる。

これまでの海外旅行で初めての街に着いたときの不安要素は地球の歩き方を見て自分がどの辺りにいるかは分かっても、歩いている方向が正しいのかが分からないこと。

それがGPS付のタブPCの地図があれば、進む方向がバッチリ分かる。

おかげで降りてからも迷うことなく歩き始めることが出来た。

今回はホテルへ行くより前に行っておきたい場所があった。

事前に日本からネットで予約していたハロン湾ツアーの旅行代理店。

ネットで決済まで済ませていたが、前日までにオフィスに来て手続きをしろとのことだった。

代理店はシン・ツーリストというベトナムで最も有名と言われる旅行代理店。

ベトナム1と言われている旅行代理店だからこそネット手続きなんかも出来たのだと思う。

しかし有名店だからこそパクりが横行し、ハノイの旅行代理店は「シンツーリスト」やその前身の「シンカフェ」を名乗る旅行代理店ばかりだとか。

そして繁華街を歩いてまさにその通りだと知る。

ハノイに正式なシンツーリストは2店舗だけらしいのに旅行代理店はシンなんちゃらって店だらけ。

事前に日本で地図を確認しておいてココだろうという所は分かったが、近くに同名店舗が数店舗あってわけが分からない。

ベトナム語で「シン〜」ってのは旅行代理店という意味なのだと思わせるくらいの数。

結局、ココだろうと思った所へ入り、ネット決済の完了画面を見せたら正解だったらしく、無事に手続き完了。

しかし本物のシンツーリストよりも偽物の方が小綺麗で広かったりするから一見さんは騙されるだろう。

まぁその全てが悪徳代理店ってわけでもないんだろうけど。

本物のシンツーリストで手続きを完了し、翌朝の8時から8時30分の間にツアーコンダクターがホテルのロビーまで迎えに来てくれると言う。

次に目指すは今夜のホテル。

泊まるホテルはシンツーリストから徒歩圏内。

ホテルに着く頃には陽も落ちて薄暗くなっていた。

小〜中規模のホテルだったので期待はしていなかったがネットで見た口コミ通りフロントの対応が良い。

愛想も良いし、ウェルカムドリンクで西瓜ジュースが出てくる。

部屋への案内が来るまでにフロントで観光地図を元に街の見所を教えてくれる。

案内された部屋は少しくたびれた感じはありつつもまぁ清潔感ある普通の部屋。

バスタブもあって冷蔵庫ミニバー、金庫、無料のミネラルウォーター2本、それに何故かPC本体も部屋にある(OSがこのご時世にXPなのに加えてネットは遅くて使い物にならなかったが)。

それだけ揃いつつ値段は日本からのネット予約で1泊3,200円強だった。

この値段でこのレベルの部屋でこのサービス、立地もハノイ旧市街中心部。

これはコスパを考えると私の旅史上で上位を争えるレベル。

強いて難点を挙げるなら窓が殆どない(高いところに小窓がある程度)部屋だったことくらいか。

でもそれを補って余りある全体のレベルだった。

バックパックを置き、ショルダーバックに最低限のモノだけ詰めて外出。

やはりベトナム最初の飯はフォーだろう。

ハノイでは2泊3日の予定、そのうちの1日はハロン湾へのツアーだったので今回は荷物が増えるのを嫌って地球の歩き方を持ってこなかった。

そのために目ぼしいところは事前に調べてメモしておいた。

その中からハノイで最も歴史があるらしいザーチュエンという(現地では)有名店(らしい)へ。

店の前へ行くと19時過ぎのピークタイムのようで地元客も観光客も行列を作っていた。

店は客席がプラスティックの椅子で歩道にも溢れているような地元民の小汚い食堂風。

近くには似たような店がいくつかあったがどこも混んでいる。

時間帯が悪かったなと思い、ブラブラしながら良さそうな所があったら入ることにする。

土曜の夜はナイトマーケットがあるというホテルのフロント情報があったのでそこを冷やかすことに。

ハノイの中心部に当たるホアンキエム湖から続く通りがナイトマーケットのスタートだった。

ホーチミンが都会なのは8年前に来た時に知っていたが、ホアンキエム湖に来るとハノイも都会だということが実感できる。

様々な西洋系っぽい飲食店がひしめいて車も人もそして原チャも多い。

主要通りを歩行者天国で塞いで沢山のテント風屋台が並ぶナイトマーケットは土産物屋や服飾品が多い印象。

タイのパッポン通りほどのゴミゴミ感はないが、あれに近い雰囲気。

前回来たときも思ったが、ベトナムとタイは雰囲気が似ていると思う。

ナイトマーケットを冷やかしていたらポツポツと雨。

到着した時は夕焼けも見えたから傘もウィンドブレイカーも持たずに街の散策に出てしまった。

怪しいなと思ったら雷と共にゲリラ的に来た。

これはヤバイと思い、近くに見つけたカフェに避難してサイゴンビール2万ドン(≒96円)を注文。

ベトナムで最初に口にしたものがビールなのは予想通りだが、シチュエーションは予想外になった。

スコールだからすぐ止むだろうと思ったが雨は激しさを増し、ドーンと雷が落ちたような音も。

晩飯がてらに街をブラブラするだけの予定だったのでタブPCしか持ってきていなかった。

雨が長引きそうだったのでタブPCで店のWI-FIに接続。

旅のツールとしてタブPCを手に入れてから、街中でWI-FIが繋がらなかった場所は無い。

これがあれば地球の歩き方も不要なくらいの状況。

旅路での恒例になっているツイッターへの投稿に対して反応が来ていたので返信。

これまでは旅中のツイートに反応してくれた人がいても基本的に旅中には返信していなかった。

旅中は俗世間と離れたい気持ちがあったからだったが、ツイートしている時点で「繋がり」を求めているわけで、随分と驕った考えだと思うようになった。

そんなわけで今回からは現地から返信するように心掛ける。

21時前にようやく雨が上がり、カフェを出る。

数分前までの土砂降りが嘘のように穏やかな夜になった。

カフェはビール1本2万ドン(≒96円)でずいぶん粘らせて貰った。

さて、改めて晩飯をどうしようかと思い、最初に行ったフォーの店へ行くと21時過ぎでもまだ開いている。

人も減って列は無かったので牛フォー5万ドン(≒239円)を注文。

米麺のフォーとあっさり牛骨(?)スープにパクチーの香り。

前回ベトナムで食べたときも思ったが本当に飲み後の〆として最高に思える一品。

ラーメンのようにくどく無いし、うどんや蕎麦のようにアッサリし過ぎているわけでもない。

米と麺という時点で日本人が大好きな組み合わせだからもっと日本で流行っても良いように思う。

なんとなく今の日本だとフォーは女子のヘルシー料理、みたいな雰囲気だが現地では生活に根ざしている土着料理という感じ。

それこそラーメンやうどんや蕎麦のような。

今回の店にしても外観から内装までオシャレとはほど遠い。

まぁなんにせよ美味く、全食フォーでも行けそう。

またいつ雨が降ってくるかも分からないし、この日は長かったし、翌日はハロン湾へのツアーもあるし…というわけで撤収。

途中のコンビニ(サークルK)でハノイビール1万2千ドン(≒57円)、スナック菓子5千ドン(≒24円)を購入。

改めて日本円に直すと異常に安い。

ベトナムの物価ってこんなに安かったっけ。

ホテルへ戻り、風呂上りにビール。

長かった1日、成田での想定外の遅れの時にはどうなるかと思った。

だがシンツーリストに無事に到着、思いがけずレベルの高いホテル、ゲリラ豪雨に遭遇しつつも間一髪難を逃れた…後半は良い流れでこられたと思う。

この調子で翌日は今回のベトナムでは最大のハイライトになるであろうハロン湾。

 

 

 

2016年8月28日 日曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

夢も見ず、ホテルに置いてある目覚まし時計(モーニングコールですらなく、ジリリリ鳴る目覚まし時計が置いてあった)で起こされるほどよく眠った。

窓が近くに無いので分からなかったがどうやら外は雨のよう、しかも雷っぽい音も聞こえる。

朝食のために部屋を出て外を見るとしっかり降っている。

旅先で初めて迎える朝の雨はかなり気勢を削がれる。

この日の目的はハロン湾。

地球の歩き方によるとハノイを訪れた観光客の殆どが行くというベトナムを代表する世界遺産。

ハロン湾は文字通り海で、岩肌むき出しの大小様々な島が点在し、その景観は海の桂林(中国の世界遺産)と呼ばれているとか…ってそもそもの桂林をよく知らないんだけど。

今回の旅の計画時、ハノイは1泊だけにしてラオスへ向かおうかとも思っていた。

しかし地球の歩き方を見ると、ハノイからハロン湾まで日帰りのツアーもあるという。

それならばハロン湾へ行ってみたいと思った。

つまりハロン湾は今回の旅でハノイを経由する最大の目的と言っても良い。

ネットで調べると個人手配でも行けるが、公共バスの時間や移動があり、さらに現地で船のチャーターや乗り合いを募集しないといけないらしくハードルが高そう。

一方で旅行代理店に依頼すると専用バスでホテルまで送迎してくれて船もツアー用に貸し切りとなる。

ネットや地球の歩き方に信頼できる代理店と紹介されていたシンツーリストのホームページを見るとネットで予約が出来て値段も70万ドン(≒3,350円)弱とそれほど高くない。

基本的には自力での観光をモットーとしている私だが、今回に限っては旅行代理店に依頼した方が遙かにメリットがあると判断した。

そもそも自力だと公共バスの時間の都合で日帰りが出来なさそう。

そんなわけで旅行代理店に全権委任したハロン湾ツアー。

8時から8時30分の間に旅行代理店の担当者が迎えに来るとのことだったので、準備を済ませてホテルロビーで待つ。

ロビーには日本の旅雑誌「るるぶ」(2014年版だった)があったので、それを読みつつ待つこと25分。

なかなか来ないことを心配したのかホテルのスタッフが旅行代理店に電話しましょうか、と声をかけてきたそのタイミングでちょうどツアーコンダクターが登場。

まだ雨が止まない中をホテルの前に止まった中型バスに乗り込む。

バス車内はほぼ満席、その後にもホテルと旅行代理店に1軒ずつ寄って客を乗せると車内は満席。

私の隣には家族で来た韓国人と思われる若い女性。

バスは本格的に出発し、車内で回ってきた名簿に名前と国籍を記載する。

マイクを持って英語で説明したツアコン(ベトナム人の20代くらいに見える若い兄ちゃん)によると参加者はベトナム人、韓国人、日本人、インド人、イタリア人の総勢28人だとか。

何やら英語で色々説明していたが途中からヒアリング能力が追い付かずに聞き流す。

窓の外を見ると止まない雨の中、バスは走る。

所々で土砂降りっぽくなり、この状態でハロン湾に着いて大丈夫なのかと思わされる。

10時30分過ぎにサービスエリアのような所に止まって休憩。

日本のサービスエリアと違うのは明らかに外国人観光客しか相手にしていなさそうな点。

彫刻、絵画、装飾品、飲食物の様々な土産物からレストランまであり、店の内外は同じようなバスと同じような観光客が沢山。

結局4〜50分ほど待たされてから再度出発。

窓の外は時々雨が弱くなる局面はあれど、基本的にはずっと降っている。

前夜のようにスコール的な雨だとそのうち止むだろうと思えるが、今回みたいに朝からずっと降り続いているとタチが悪い。

そんな状態の中、ツアコンが「右側がハロン湾だ」と教えてくれたが雨でよく見えない。

12時30分過ぎに到着、バスを降りて港の待合所みたいな場所へ。

そこでは多くの似たような観光客が集まっている。

数分待たされ(ツアコンがチケットを買っていたと思われる)、沢山の船が並んでいる中で1つの船に乗る。

6人掛けのテーブルが10個配置された船内。

ツアーの料金にはランチも含まれており、船内で食事をするのが定番。

それぞれテーブルについて食事をするのだが、問題なのは席。

誰かと来ている人はその人と一緒だから良いが、私は1人。

適当に座っていたらツアコンが他のツアー客の様子を見て貴方はココ、みたいに割り振る。

船内と席の配置でツアーに参加している日本人は全員把握できた。

40代以上オバサン2人組、OL風20代後半くらいの女性2人組、OLか学生の20代前半女性2人組、学生風女性1人。

日本人で男は私だけというある意味では理想的な展開。

それ以外の客層は韓国人4人家族2組、ベトナム人ファミリー、ベトナム人個人旅行?、西洋人カップル。

私の座らされた席は西洋人カップルと残りは日本人。

日本人はOL風20代後半くらいの女性2人、学生風女性1人。

なんとなく皆が無言なのはイマイチな天気が影響している気がする。

西洋人以外は明らかに日本人だと分かったので「日本の方ですよね」と声をかける。

2人組だったOL風の女性は会話してくれたが、学生風の女子は1人旅だからか曖昧な笑顔を浮かべて頷くだけ。

天気残念ですね、ずっとこんなんなんですかね、いつからベトナムにいるんですか、みたいな当たり障りのない会話。

西洋人の年齢が不詳だが、日本人を見る限りでは私が1番年上だと思えたのでとりあえず何か喋った方が良いかなという変な意識。

日本人だけ日本語で喋っているのもどうかと思ったので西洋人カップルに「Where are you from?」と定番の質問をすると、イタリアだとのこと。

何か返さないと…と咄嗟に出たのが数日前にイタリアで起きた地震。

「Big earthquake are you ok?」(大きな地震があったけれど大丈夫でしたか?…のつもり)と聞いてみたが、挨拶の二言目が地震ネタって不謹慎というか無神経だったかもしれないと気付いたのは発言した後。

相手は別に気を悪くした様子もなく、「日本は地震が多くて準備ができているんだろうけどイタリアは準備ができていないから大変だ」みたいなことを言っていた。

カップルはシシリー出身というところまでは分かったが、それ以上は話が広げられなかった。

周囲の日本人も会話に乗ってきてくれると良かったのだが無言。

なんだか1人で空回りしている感があったのでそれ以後はおとなしくしておく。

料理が来る前にドリンクが来るが、これはツアー料金に含まれず別料金。

日本人女子ばかりのテーブルでビールはどうかと思ったが、イタリア人の男性が注文してくれたのでこちらも気兼ねせずに頼めた。

とはいえ缶ビール1本2ドル(≒205円)は現地では立派な観光地価格。

女子連中は何も注文しなかったので乾杯も無いまま勝手にビールを飲んでいると料理登場。

料理があるととりあえずはその場が持つから良い。

揚げ春巻き、茹でエビ、サラダ、肉野菜炒め、貝のスープ、でかい焼き魚、米など。

6人掛けのテーブルで初対面の人たちと一緒に食事、しかも大皿に載った料理をシェアする居酒屋方式。

取り分けるための箸などあるはずもなく、漬けダレですら1つしかない。

私は全然気にしないが、文化が違うであろうイタリア人と性別が違う女子、果たしてどこまでオープンにして良いのか。

結局のところ誰も気にしてないように見えた。

料理は女子率高めのテーブルでは食べ切れないくらい出てきた。

特別美味くも不味くもない、こういう見た目の料理ならこういう味がするよね、と思うそのまま。

焼き魚には醤油が欲しかったくらい。

「コレ、醤油欲しいですね」というのは日本人が全員同意、日本人あるあるネタだな。

食事中も船はハロン湾をクルーズ。

雨と霧
雨のハロン湾

刻一刻と変わる景観は確かに見応えはあるのだが、いかんせんの雨。

晴れの観光地はガイドブックや旅行番組などで見られるが、雨の観光地というのは行った人でないと味わえない…というのは観光地で雨が降った時に自分に言い聞かせる言葉。

…それでもやっぱり晴れが良いよな。

ただ海は全く荒れておらず、それほど大きくない船なのに揺れることもなく快調。

ハロン湾は大小さまざまな島が入り組んでいる地形から波は穏やかなのだろうか。

一通り食事を終えた14時過ぎ、海上にある簡易的な港に到着。

ここからカヤックかボートに乗り換えてハロン湾の奇岩間近まで近づける。

とりあえず周囲が皆船を降りたので私も行ってみたが別料金だし、外は相変わらずの雨なので船内に戻る。

船内待機組は私を含めて5人。

ハロン湾にまた来る機会があり、その時に晴れていたら次は私も。

それにしてもハロン湾ツアーも中盤に来て相変わらずの雨。

私の海外旅でこんなに1日中雨なんて記憶にないくらい。

これまでの旅を振り返ると私の旅天気運はかなり良い方だと思っていたが、これを機に悪い方に転じなければ良いが。

30分位してボート観光組が戻ってくる。

食事で一緒のテーブルだった1人旅学生風姉ちゃんの話によるとレインコートを着てカヌーに乗ったらしく、岩の間近まで行けてなかなか迫力があったとのこと。

全員が船に戻ったところで再出発。

バスでサービスエリアに寄ったときもそうだったが、自由行動後に集合した後は必ず点呼を取る。

ただ既にバスなり船なりが出発した後で点呼を取っているため、いなかったらどうするんだという思いも。

ハロン湾ツアーの次の目的地は洞窟。

大きめの島に上陸でき、そこが鍾乳洞のような洞窟になっている。

こちらは元々のツアー料金に含まれているため、私も参加。

相変わらずの雨の中、ウィンドブレーカーでショルダーバックまで覆って島に上陸して洞窟へ。

洞窟内は色付きの光でライトアップされ、なんだか演出がすぎる雰囲気。

それでもなかなかのスケールの洞窟。

所々にこれはライオンの形、これは象の形、これはマッシュルームと、随分無理がありそうな喩えを持ち出して説明していた。

洞窟の中は雨が降らないから良い
チョット演出が過ぎる洞窟内

洞窟観光を終えると船はスタート地点に戻る。

船に乗っていたのは合計で3時間30分ほどだったが、結局その全行程が雨だった。

晴れていれば、せめて降っていなければ船内の屋上にあたる2階部分へも登れて展望も楽しめたと思うのだが残念。

ちゃんと行動したのは洞窟を歩いたときくらいで、それ以外は基本的に座っていたのだが妙に疲れた。

それは周囲も同じようで帰りのバスでは殆どの人が寝ていた。

そして何の因果か、ハロン湾を離れて少しすると雨が上がり、晴れ間も出てくる。

どうせなら1日中降ってくれたら諦めもつくのに、帰りに晴れてくるなんて。

ハロン湾ツアーを終えた帰路のバスの中、世界遺産を観光した後なのにこれまでの旅と比べて何かが足りない感じがし、それが充実感だと気付く。

勿論雨が降っていたということも大きいが、そもそも今回のようにバッチリ全てが予定されたツアーに参加するのは1999年に行った中国の万里の長城以来。

私の中で旅歴黎明期だったあの頃はそれで満足だったが、今となってはそれだと物足りなさを感じてしまうのか。

玄人ぶった考えではあるが、そう思った。

ある程度は自力で頑張ってこそ旅に出た価値があるというもの。

思えば今回の1日雨という結果も「まだ怠けるには早いぞ」という旅の神様みたいな何かからの思し召しなのかもしれない。

そんなことを考えながらハノイへ向けて走るバス。

郊外の道は夜になるとかなり暗く、外灯はあるが点いていないところが多い。

こういう辺りのインフラが先進国との違いかもしれない。

ハノイに到着したのは20時30分すぎ、丁度12時間の日帰り旅行だった。

バスは基本的に好きな所で降ろしてもらえるので、私はナイトマーケットの辺りで降りる。

昨夜は突然の雨もあってちゃんと見られなかった夜市。

この日は雨用の屋根もかかっておらず、昨夜よりも賑やかな印象。

旧市街の中心部へ行ってみると所狭しと飲食店が並び観光客や呼び込みがひしめき合うアジアの雑然さを感じられる。

その中で混みすぎず、空きすぎず、西洋人観光客もいる適当な店を選んで入る。

生ビールが1万5千ドン(≒72円)、揚げ春巻き(生だと思ったら違った)5万ドン(≒239円)、シーフードフライドヌードル6万ドン(≒287円)。

ビール2杯飲んで合計14万ドン(≒670円)なので安い。

ハノイ最後の夜なのでバーにでも寄ろうかと思ったが、疲労と残金を考えて自粛。

コンビニで缶ビール1万ドン(≒48円)を購入してホテルに戻る。

ハノイは初日に両替した3千円=62万7千ドンで乗り切れるか。

翌日の昼飯と空港までの交通費なのでなんとかなりそうな気がしている。

 

 

 

2016年8月29日 月曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

前日はハロン湾ツアーがあった関係で目覚まし時計に起こされる朝を余儀なくされた。

この日は朝の予定が無いので気にせずに寝ていられたが、何も無くても普通に7時に起床。

でも日本の平日朝は6時頃に目が覚めることを考えると、まだ時差に慣れていないのかも…と思ったが普通に前日の疲労だろうな。

旅先で朝起きると真っ先にするのは天気チェック。

外を見ると天気は曇っているが雨は降っていない。

せめて前日もこのレベルだったら良かったのだが。

朝食で注文したフォーは街角のそれよりもクセが無くアッサリした作りなのはやはり旅行者を対象としたホテルだからこそだろう。

ホテルの従業員は相変わらず愛想が良く、これがベトナム人気質なのかホテルの教育なのかは分からないが大したものだと思う。

この日の予定は18時50分発の飛行機で今回の旅のメインとなるラオスのルアンプラバンを目指す。

ルアンプラバンはルアンパバーンとも呼ばれ、今はルアンパバーンの方が一般的になってきているらしい。

地球の歩き方にもルアンパバーンとして紹介されている。

ただ今回の旅のきっかけになった村上春樹の紀行文ではルアンプラバンとなっているので、私もそれに倣ってルアンプラバンと表記する。

なお、2016年10月時点のgoogleで検索をかけるとルアンプラバンで約331,000件、ルアンパバーンだと約304,000件のヒットと拮抗している。

ともかくルアンプラバン行きの飛行機に乗るために2時間前に空降着を逆算すると16時50分にはハノイの空港に着きたい。

その辺りを計算しつつ、昼過ぎまではハノイ市内を適当にブラブラする予定。

ホテルを出たのは9時、荷物を預けて散策開始。

思えばハノイの街を明るいうちに散策するのはこの日が初めて。

初日は旅行代理店のシンツーリストを探すのに必死だったので散策をする余裕はあまり無かった。

ハノイ市街の主要観光地の2トップはホーチミン廟と世界遺産のタンロン遺跡だろう。

事前に調べた情報だとどちらも月曜日が休み。

正直、それほど思い入れがあるわけでは無いので外観だけ見られたら良いかなという程度の気持ち。

タンロン遺跡は月曜が休みだと思っていたが、何やらお祭りみたいなものが催されているようで敷地内に入ることが出来た。

中心部にはステージが作られており、周囲には出店もある。

ただ午前中だからか準備中のような雰囲気。

それでも入口付近に係員のような人がいても咎められなかったところを見ると中に入るのは自由そう。

遺跡の内部へは別の窓口でチケットを購入する必要がありそうだったが、まぁそこまでは行かなくて良いかなと思えるレベル。

結局、「これぞタンロン遺跡!」というのがなんなのかはよく分からないまま終わった。

一応は世界遺産のはずなんだけど…

地球の歩き方を持ってきていないのでその場ですぐに調べられないもどかしさ。

そのまま次に目指すは近くにあるホーチミン廟。

ホーチミンってのは都市名でもあり、人名でもあるからややこしい。

ハノイのホーチミン廟は人物の方のホーチミン氏の遺体が保存・安置されている場所。

開館日に訪れることが出来たら遺体も見ることが出来るとか。

モスクワのレーニン廟もそうだったが、社会主義国家というのは国の指導者の遺体を保存・安置・崇める習慣があるのか。

内部見学は休みながらホーチミン廟のある場所は広場かつ観光地のため、観光客はそれなりにいる。

この日は休みのはずだが廟の前には衛兵が常に立っている。

一定の線から先へ進むと注意されている人がいた。

ホーチミン廟
霊廟なんだけどみんな楽しそう

ホーチミン廟の外観だけ眺めてから歩き出したら向こう側からコッチを見て「Hi」と挨拶してくる西洋人。

「Oh」とこちらも応えて手を振る。

前日のハロン湾ツアーで一緒だったイタリア人カップルだった。

お互いに観光客、行こうとする場所は一緒のようだ。

前日と違って天気も悪くないからか笑顔で手を振ってすれ違う。

この調子で前日の日本人女子にも会える縁が無いだろうか。

ホーチミン廟から歩いて向かったのは孔子を祀った孔子廟。

こちらは開いていたものの、そもそもの由来もよく知らないので外観だけ写真撮って終了。

その足でハノイ中央駅まで歩く。

首都の名が付いた駅、日本でいう東京駅にあたるが、まぁ東京駅と比べるのは酷だわな。

前日、4トラベルでレストランを検索した際に口コミ1位になっていたQUAN an NGONという店が駅からすぐだったので昼飯というよりも休憩目的で来店。

昼飯は前日から決めている店があるが、人気店で混むらしいので少し時間をずらして行くつもり。

その前の軽食と休憩ビール。

店は現地人向けというよりも観光客向けのため、値段もそれなり。

サイゴンビールが3万3千ドン(≒158円)、他のビールもそれくらいする中でタイガービールは3万ドン(≒144円)。

何故自国のビールよりも外国のビールの方が安いのか(タイガービールはシンガポールのビール)。

注文したのは生春巻き。

軽食にちょうど良いし、今回はまだ食べていなかったベトナムを代表する料理。

生春巻きは香草の独特な味に「らしさ」があるのが良い。

そんなわけで1本2万ドン(≒96円)と1万6千(≒77円)の生春巻きにサイゴンビール3万3千ドン(≒158円)。

観光客向けの店でそれなりの値段とはいえたかが知れている。

店内も混んできた12時、店を出てハノイ大教会へと歩く。

それほど広いわけではない道沿いに急に現れる教会。

意識して見るからかやはりフランス、ノートルダム風。

中へは入らず…というか入り口がどこなのかよく分からなかったので素通り。

そのままハノイの中心部にあるホアンキエム湖へ。

湖畔が遊歩道になっていて、こういう場所へ来ると1周したくなる。

後で調べると1周約1.5kmと散歩に丁度良い。

日本なら確実にランナーがいそうだが、ハノイでは観光客と現地人がブラブラ歩いて平和な雰囲気。

湖畔にオープンテラスカフェなんかもあり、旧市街中心部に近づくと土産物売りもいる。

湖の中程にある島には寺院があり、3万ドン(≒144円)で中に入れる。

これも特に思い入れは無いので入らず。

湖の始点というか終点ともいえる所はナイトマーケットの入り口に当たる通り。

恐らくはハノイで最も賑わっている場所。

西洋風の建物と飲食店が入るビルで一際目を引いたのが「LEGEND BEER」と書かれている店。

行ってみるとバーレストランみたいな感じで2階のベランダ席からは湖が見渡せる。

折角なので入り、レジェンドビールM(500ml)を注文。

6万ドン(≒287円)はハノイで飲んだビールで最高値だが、しっかりとした生ビールで美味しかった。

完全に観光客向けの店なのだろう、客も西洋人ばかり。

こうしてビールだけ飲んで小休止できる店があるのは良い。

朝から結構歩いたので休憩ビールが美味い。

前日に得られなかった充実感ってコレだなと思う。

バスと船に乗っていたら自動的に観光させてくれるツアーとは違う。

自分の足で歩いて疲れた身体で飲むビールが最高なんだと当たり前のことに気付く。

少し遅めの時間になって昼飯。

ブンチャーという「ベトナム版つけ麺」と称されているもの。

その有名店として地球の歩き方にも4travelにも紹介されていた店がダックキムという。

同じくブンチャーを扱う別の店が隣にあり、どちらも西洋人観光客も含めて客入りは同じくらい。

なんだか京都たかばしの有名ラーメン店、新福菜館と第一旭を思い出した。

初日の夜に行ったフォーの店と同じで現地人向けの小汚い店でプラスティックのイスに座って食べる。

ブンチャー6万ドン(≒287円)とビール2万ドン(≒96円)。

ハンバーグと肉団子を足して2で割ったような肉が沢山入った漬けダレと野菜の入った漬けダレ、それにパクチー的な生野菜がどっさり。

麺は米麺なのでビーフン、まぁ春雨みたいなもの。

やや乾燥した麺をタレに浸して戻して食べるみたいな感覚。

最初はどれに漬けて食べればよいか分からず、現地人のを真似して食べる。

少し甘みのある肉の漬けダレと共に食すが、「ふーん、こんな感じか」程度の感想。

正直4travelや歩き方で評判良いのがあまり分からなかった。

別に不味くはないし、量も豊富でリーズナブルではあるのだが、そこまで特筆すべきでもないかな、と。

生野菜は怖くてあまり食べられなかった、というか元々全部は食べきれないくらいの量。

現地人も観光客も残すのが基本らしい。

そしてどうやら残した生野菜はそのまま次の客に提供されているようだったのもこうした店の特徴。

外に面した場所で食事をしていたが、店の前に黒塗りのいかにも高級そうな車が止まった。

車から降りたのは極東系の顔立ちの中年男性2人で共に襟付きのシャツを着ている。

「こちらがそのお店です、隣じゃなくてコッチです」と日本語で喋って店に入ってきた。

見たところ、ハノイに駐在している日本人が本社から来たお偉いさんを案内しているという雰囲気だった。

そのまま店の2階へ上がっていったのでその後の動向は分からず。

ただココは運転手付きの黒塗りの車で横付けして入るような店じゃないよなーとなんか白けた。

食事を終えたことでこの日の予定は全て終了。

最後に旧市街で最も栄えている通りを歩いてホテルへ。

夜以外でちゃんと歩いたのは初めて、やはり昼だと少し違う顔を見せる。

ホテルへ戻って荷物を受け取ると14時40分とほぼ予定通り。

最後までフレンドリーだったスタッフに別れを告げてホテルから近いロンビエンバスターミナルまで歩く。

いくつかの停留所がある中、86番の空港行き急行バスの乗り場を現地人に聞いて待機。

17番のローカルバスだと4分の1以下の値段で行けるらしいが、時間もかかるというので素直に旅行客用の空港バスを使う。

料金は3万ドン(≒144円)、空港と市内を結ぶバスだけに普通のローカルバスよりも綺麗。

空港までは所要1時間弱、15時発だったので少し早いが余裕を持つのは良いことだ。

空港へ向かう途中の高速道路で原チャリが複数台止まっている車線があり、何事かと思って見たらその中央に倒れた原チャリと血を流して倒れている人がいた。

見えたのは一瞬だったが、頭の周囲に血だまりが出来て倒れている人の姿は結構なインパクト。

そういえばこの日は朝の路上で魚を捌いているシーンを見た。

その後に歩いたハノイ駅の周辺では尾頭付きで串刺しにされた子豚を炙り焼きにしているシーンを見た。

それからアヒルだと思う鳥の首を切って血抜きしているシーンも見た。

リアリティが増していき最後は人間ってなんだか怖い。

そんなハプニングもありつつ空港に到着したのは15時40分、予定より大幅に早く到着した。

道がそんなに混んでいなかったことと、所要の1時間弱というのは始発のハノイ駅から空港までの時間で、ロンビエンバスターミナルからだと少し早いのだろう。

到着時は遅れもあったので早く街へ出る一心で散策していなかった空港だが、改めて見る国際線の出発ターミナルはなかなか立派で綺麗。

帰国時はこの場所で数時間の乗り継ぎ待ちがあるけれど耐えられそうだ。

案内板を見る限りルアンプラバン行きの飛行機に遅延はない模様。

ルアンプラバンまではラオスの航空会社のラオエアーを使用。

早い時間だからか数人が並んでいるだけでスムーズにチェックイン完了。

航空券を手に入れてからも3時間近くの待ち時間。

一方、残金は15万ドン(≒718円)ほどある。

結局、初日の3千円ですら結構余らせる結果になった。

こういうときの待ち時間と残金消化は飲むことくらいしか思いつかない。

空港のレストラン街の店に入りハノイビールを注文。

3万1千ドン(≒148円)はさすがの空港価格。

もっとも、日本円に換算するとそれでも安い部類だけど。

ただ普通に缶ビールで出てきたのがイマイチ。

ここは生とは行かないまでも瓶の方が良かった。

瓶でも缶でも中身は同じなのだが、なんとなく缶だと安っぽく感じてしまう。

数時間後にはラオスにいるわけだが、何が良いって地球の歩き方ラオスを持ってきたこと。

地球の歩き方ベトナムは荷物が増えるのが嫌なので敢えて置いてきた。

無くて困ることは無かったが、あると何かの拍子にパラパラして旅の次のプランを考えられる。

タブPCだと「コレを探す」というのには便利だが、本のように何となくパラパラというのには向かない。

紙媒体の本にもそれなりの利点がある。

カフェでビールを飲みつつこれまでの旅記を書き、地球の歩き方をパラパラしながら時間を過ごす。

出国審査後のハノイ空港の店はそこそこ充実しているが、時間帯的に便が少ないのかベンチなどを含めてどこも閑散としていた。

ただ、それっぽいお菓子の土産はあったのでラオスでめぼしいモノがなかったら最後にハノイで買えば良いという保険に出来そう。

帰国時は今よりも時間が遅いのでどこまで売店が営業しているかは疑問だが。

時間が余っていたので結局出発ゲートの端から端まで踏破した。

同じ空港内売店でも値段に差があることも分かった。

一方の店だと缶ビールが1ドルなのに、別の店だと2ドルとか。

値段表記がドンじゃなくてドルなのが既に出国している感が出る。

空港内も踏破したので後は搭乗口前で待つのみ。

こういうときに地球の歩き方が助かるのは先述の通り。

色々読んでいるだけで予期しなかった情報収集になったりする。

基本的に搭乗時間が近づくに連れて人がワラワラと増えてきて搭乗開始と共に行列になるのだが、今回は行列というほどではない。

実際の搭乗もバスで近くまで行って地面から階段を上って直接搭乗するパターン。

ここまでは予想していたが、予想外だったのは飛行機。

ラオエアーの機体はまさかのプロペラ機。

このご時世に国際線でプロペラ機ってまだあったのか。

機内の2席×2列シートはまぁ予想通り、列は20も無いくらいだが機内は殆ど埋まっていた。

みんなラオスへ何をしに行くんだろうか。

飛行機は定刻18時50分を5分ほど遅れて動き出し、19時15分に離陸。

プロペラ機に乗ったのがいつ以来かは思い出せないが、プロペラ機だからといって離陸時に心細さを感じることはなかった。

ヘリならともかく飛行機のプロペラって何の意味があるのだろうか。

あのプロペラだけでは飛ぶための浮力は出せないだろうから離陸時は結局ジェットエンジンの力を借りているだろうし。

まあともかく無事に離陸。

飛行予定時間は1時間とはいえ、この機内でも何かしらサービスあるのかなと思ったらサンドイッチ的な軽食が配られる。

続けてきたのがドリンクの配給。

問題はアルコールがあるかどうかだったが、先に配っている前方から缶を開けるプシュというお馴染みの音。

そして近付いてくると前の席でビールを注文している人が。

迷わず注文して出てきたのはラオスの国産ビール、ビアラオ。

これから数日間お世話になります、と心の中で挨拶してから飲む。

まぁ普通にビール、海外ビールは現地で飲むと何でも美味しい。

空腹と海外は最上のソース。

飛行予定時間1時間での食事サービスは実に慌ただしく、食事の最中にラオスの入国カードが配られる。

それらを記入して食事のゴミなどを片付けていたらもう着陸準備。

予想通り暗い眼下、アレ着陸?と思ったらもう着陸していた。

飛行時間は1時間5分、現地時間20時20分に着陸(ベトナムとラオスに時差はない)。

降り立った場所は空港とは思えない暗さ。

到着後も階段で直接地面に降りるのは勿論、預けた荷物もその場でポイポイ渡している。

到着ターミナルへも各自勝手に歩いていけ、という感じで係員もいない。

闇に紛れて入国審査をせずにいなくなることも可能に思えた。

とはいえそんなことをしても意味は無いので普通に入国審査。

コレと言って何事もなく20時30分にはラオス入国。

誰もいない税関を出て空港内を見ると何も無い。

空港内の両替所ですら閉まっている。

ラオスでは米ドルも普通に使えるらしいが、それでも現地通貨がないのは少々不安。

そして何よりも町への交通手段をどうするか。

歩き方には乗り合いバスのチケットがカウンターで売っていると書いてあるが、あるのはタクシーチケットのカウンターだけ。

そのタクシーチケットカウンターのおっちゃんが町へ行くなら両替してタクシーだ、と言う。

その隣にもカウンターがあり、そこで両替してくれるという。

しかしレートが分からない、とはいえ両替所は閉まっているので必然的にそこしかない。

どう考えても足元を見られそうな気がした。

当初はハノイ到着時と同じ3千円を両替しようと思っていたが、町までのタクシーと少し残ればと考えて2千円にしておく。

貰った現地通貨は12万キープ(キープ…略称はk、この時点では1円…60kで計算)。

事前に地球の歩き方で見たレートと比べて計算してみようとタブPCを取り出したら電源が入らない。

電源長押ししても入らない、ここへ来てまさかの故障!?

とりあえず計算は一旦諦め、タクシーカウンターでホテル名を言うと5万k(≒833円)とのこと。

今両替したお金で行けるので支払うとすぐに案内される。

あれ?乗り合いタクシーじゃないのか。

外へ出ると空港周辺とは思えない暗さ、空港自体も暗い。

勿論道も暗く、車も少なく、そのおかげで暗さと静けさが際だつ。

事前にグーグルマップで見ていたら空港から町中までは近くに思えたが、車で15分ほどかかった。

しかしタブPCの電源が入らない今、乗り合いバスみたいなので町の中心部に降ろされたら暗い中をGPS地図なしで歩かないといけないところだった。

結果的に直接ホテル前まで届けてくれるタクシーで良かった。

ホテルはルアンプラバンでは高級ホテルに分類される所だが、7千円程度だったのでココに3泊。

案内された部屋はなるほどそれなりに立派。

ハノイのホテルと比べると広さや開放感や高級感はこちらの方が上。

昨年のギリシャは勿論、それ以前の旅でも7千円だったらもっとショボい所が殆ど。

そう考えるとこの値段でこのホテルはなかなか良い。

ただ、ハノイのホテルが3千円強で良かったので、それの倍の価値があるかと考えると微妙。

ホテルに着いてから改めてタブPCの電源を入れたら今度はちゃんと動いた。

電池切れかと思ったが、残量はあったし一時的な故障だったのだろうか。

タブPCが突然故障することも想定しておいた方が良いのは勉強になった。

少し落ち着いて時刻は21時20分。

晩飯が機内食のサンドイッチだけだとお腹が空きそうだったので散策がてら町へ出てみる。

ホテルの前の通りはメインストリートのはずなのに真っ暗に近く、車も殆ど通っていない。

ある程度は予想していたが街というより町、暗く静かすぎて驚き。

車にせよバイクにせよトゥクトゥクにせよ、エンジンを積んだ乗り物が少ないのだろう。

ハノイでは鳴り止むことの無かったクラクションを殆ど聞かない。

これまでの旅で町の規模の落差を感じたのは8年前、同じベトナムからカンボジアへ行った時だった。

大都会のベトナムのホーチミン(サイゴン)から移動した先がカンボジアのシェムリアップ。

カンボジアを代表する世界遺産アンコールワットを擁する1大観光都市ながら町の規模はかなり控えめだった。

今回はラオスを代表する世界遺産の町であるルアンプラバンだが、カンボジアのシェムリアップよりも更に田舎な感じ。

私がこれまでに外国で訪れた町の中では最も静かな町かもしれない。

中心部へ向けて歩くと毎日開催されているというナイトマーケットに到着。

これもハノイのに比べるとスケールも小さいし活気もない。

時間が22時に近いこともあり、テントを畳んで閉店準備をしている店が多かったのも寂しさを感じさせる一因かもしれない。

そんな時間ということもあり、開いている店は少なかったい中で両替商が1つ開いていた。

レートを見てみるとJPY(日本円)…76kとある。

空港の両替は2千円で12万kだったのでレートはJPY…60k。

予想通り空港ではかなり足元を見て適当なレートを掴ませてやがったなと思う。

旅の1つの教訓になると共に、怪しいと思って最小限の金額にした私の機転を自画自賛。

その国での初両替に関してはある程度の最低額を頭に入れておいた方が良さそうだ。

明るくなったら開く両替屋も増えるだろうし、ラオスは滞在日数も長いので両替は翌日に改めてすることに。

とりあえず今夜は晩飯がてらの軽食とホテルで飲むビールさえ手に入れば良いので、残金で何とかなるだろう。

飯はどうしようかと思ったが、ナイトマーケット周辺はチラホラと開いている飲食店もあった。

その中で店頭にメニューを掲げており、内容を見ると残金でいけそうだった店に入る。

ビアラオ大瓶1万5千k(≒250円)とラープというラオスの名物料理3万k(≒500円)を注文。

ビールはこの日だけで6本目(昼前軽食、昼休憩、昼飯、空港、機内、今回)。

ラープは肉(今回食べたのは鶏肉)をミンチ状にして香草でピリ辛に味付けしたもの。

ビールとよく合い、ガッツリな量でも無く、中途半端な時間にサンドイッチを食べたお腹にちょうど良い感じだった。

帰りにコンビニとは呼べない地元の商店みたいな所に寄ってペットボトルの水3千k(≒50円)とビアラオの缶8千k(≒133円)を購入。

水はホテルのサービスでミネラルウォーターが部屋に3本あるのだが、高級ホテルだからかガラスのボトルに入った洒落たミネラルウォーターで、町歩きに持って行くには重すぎる代物。

そこはオシャレ感なんて不要で普通のペットボトルで良かったんだけど。

そんなわけで水を買ったのは持ち運び用のペットボトルが欲しかったから。

あとはそのボトルに継ぎ足していけば良いだろうという考え。

ベトナムはハノイに始まり、ラオスのルアンプラバンで終わる1日。

なかなか味わえないであろうコラボ。

 

 

 

2016年8月30日 火曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

結局前夜は買ってきたビールを飲むこともなく、風呂上がりにそのまま就寝していた。

アレコレ移動した上に国境越えというのは予想以上に体力を消耗しているらしい…って当たり前か。

朝の起床はアラーム無しで自然と6時30分、次第に現地時間に慣れてきた感覚。

ラオス…というかルアンプラバンで有名なのが早朝の托鉢。

無数にある寺院の僧侶が喜捨を求めて早朝の町を練り歩く。

この時間でもやっているのだろうかと外へ出てみた。

ホテルの目の前にあるサッカリン通りは町のメインストリートであると同時に、托鉢の順路でもあるという地球の歩き方情報。

しかし行ってみたらその気配はなかった。

喜捨をしそうな現地人も、それを見物しそうな観光客もいなかった。

改めて地球の歩き方を見ると托鉢の時間は5時30分から1時間くらいとのこと。

翌日は早起きして見ようと思った。

ホテルの朝食はそのサッカリン通りを見下ろせるテラス席。

この日は空いているのか7時30分過ぎに行ったら先客ゼロだった。

ネットの口コミではテラス席では朝食を食べながら托鉢が見られると書いてあったが、朝食の時間は6時30分からだったので時間的に難しい気がした。

もっとも、季節や日の出の時間によって変動はあるのかもしれないが。

ルアンプラバンの滞在予定は3泊4日なので時間はある。

この日の目的はブラブラしながら町の雰囲気を確認しつつ、両替をして現金を得ること。

そして次の目的地であり最終目的地にもなるラオスの首都ビエンチャンまでのバスを予約すること。

朝の天気は曇り、雨季とされるこの時期はこういうものか。

ベトナムのハロン湾を思うとこの旅は雨さえ降らなければ良いくらいのレベルで考えよう。

9時過ぎにホテルを出て町の散策開始。

前日は夜の到着だったので暗い印象だったが、明るい時間だと車やバイクやトゥクトゥクも通る。

とはいえ、それでもその数は大したことないしクラクションなんか殆ど鳴らない。

恐らくクラクションを鳴らすほどの交通量では無いのだろう。

町を歩いているのは半分以上が観光客に見える。

所々で待機しているトゥクトゥクのドライバーが声をかけてくるものの、しつこさが無いのでこちらも笑顔で受け流せる。

歩くとすぐに出てくるのがメコン川。

メコン川、小学校か中学か高校か…どこかの勉強で少なくとも耳にはしたことのある川の名前。

見る限りその全てが茶色く濁っている。

川岸まで降りて行ける所があったので行ってみる。

現地人と思われる数人がボートの傍でオール持っていたり、若者が集まって気勢を上げていたりする。

何かのボートレースの練習前のように見えた。

川のすぐ近くまで行って見てもやはり茶色く濁っている。

こういうのは間近で見たら透明な場所もあると思うのだが一切無しで完全なる濁流。

ここまでの濁流はインドのヴァラナシで見たガンジス河を思い出させた。

メインストリートへ戻り、町の中心部を歩く。

午前中ながら開いている店も沢山あり、前夜の到着時には暗くて不安になった要素が薄れていく。

メインストリート沿いに並ぶ店は基本的に観光客向けの店に見える。

両替を謳っている店もいくつもあったので、レートをチェックしながらメインストリートの栄えている部分を端から端まで歩く。

見た中でJPY(日本円)を掲げている両替商の平均レートは75〜76あたり。

そう考えるとますます前夜の空港での両替1円≒60kに腹が立ってくる。

一通り見てから最高値を掲げていた77.47の両替商で両替。

今回は事前にタブPCで計算して1万円を両替し、レート通りの77万4千5百kを手に入れた。

正確には77万4千7百kになるのだが、500k単位で切り捨てられるのがラオス流らしい。

そもそもラオスの通貨であるキープには硬貨が無く、お札の最小単位が500kだとか。

改めて町の両替レートで換算したので以後は1円≒77.45kの記載にする。

1万円分もの現地通貨を手にすると気も大きくなる。

思えば昨年はギリシャでユーロが使えたので全て日本から両替して行き、現地両替をすることはなかった。

一昨年のスリランカも空港での両替以外はクレジットカードで乗り切った。

海外で現地通貨に沢山両替した直後の「これだけあれば何だって出来る」という全能感を味わうのは久しぶり。

これも旅の醍醐味の1つだったなと思い出す。

メインストリートを歩きながらも左右に時々出てくる寺院。

無料で入れる所が多く、フラっと入って咎められることもない。

寺院内にはオレンジの袈裟を着た僧侶がいるのだが、ボーッとしていたりスマホをいじっていたりで高尚な感じは無い。

なんとなく町全体が穏やかな雰囲気。

両替を終えた次の目的はビエンチャンまでのバスを予約すること。

地球の歩き方を見ると旅行代理店で予約するのがベターとのこと。

メインストリートを歩くだけで沢山の旅行代理店があり、HISの現地オフィスがあったのには驚いた。

旅行代理店の店頭に掲げられた看板を見るとどこでもビエンチャン行きのバスチケットは買えそう。

いくつかメインストリート沿いを歩いて旅行代理店を物色。

1番信頼できそうなのはHISだが、ここで日本の旅行代理店に行ったらなんだか負けた気がする。

メインストリートでそれなりに大きな店を構えている代理店なら大丈夫だろうと入る。

夜行バスにも種類があり、普通のバス以外の選択肢はスリーピングバスと表記された寝台バス。

文字通り寝台(ベッド)があるバスだという地球の歩き方情報、折角なのでそれに乗りたい。

旅行代理店の窓口で「Can I have sleeping bus to Vientiane day after tomorrow?」(明後日のビエンチャン行きの寝台バスはあるか?)と聞く。

料金は16万k(≒2,066円)、今回の旅で初めて目にするケタの金額だったので一瞬躊躇したが冷静に考えると日本円で2千円強。

特別高くもないし、旅行代理店ならどこでも大差ないだろうと即決。

さらにホテルからバスターミナルまでトゥクトゥクで送ってもらうのは別料金で4万k(≒516円)とのこと。

流しのトゥクトゥク使えばもっと安く行けるのだろうが、高い買い物をするとそのついでの安い買い物はどうでも良くなる心理でそれも付けて合計20万k(≒2,582円)。

この旅で1番の出費だが、旅は確実に遂行するのが第1。

昨年のギリシャ旅でのフェリーと同じで、移動と1泊がセットになったと考えたら充分に安い。

この日の目的だった両替とビエンチャンまでの足を確保したので後は純粋に観光をするだけになった。

朝は曇りだったので雨が不安だったが、時間が経つにつれて青空も出てきて陽射しも強くなる。

ハノイでは全く出番が無かった日焼け止めをこの旅で初めて使う。

そして向かったのはルアンプラバンで最も有名な寺院であるワット・シェントーン。

拝観料は2万k(≒258円)、ルアンプラバンを代表する寺院だけに観光客もそこそこ。

とはいえこれまでに訪れた世界各国の世界遺産と比べたら閑散と言っても良いレベル。

そのおかげで慌ただしさは無く、落ち着いて色々と見て回ることが出来る。

…と言っても本堂といくつかのお堂がある程度。

ワット・シェントーン
世界遺産の町の象徴的寺院

西洋人観光客もそれなりにいたが、彼らからすると我々が教会を観光するのと似たような感覚だろうか。

昨年のギリシャ(主にメテオラ)は教会ばかりだったが今回は寺院がメイン。

教会よりもこうした寺院の方が親近感がある。

この辺りの感覚は冠婚葬祭などで子供の頃からは勿論、それ以前から身体や精神の奥底に馴染んでいるであろう見えない何かの影響なのかもしれない。

昼飯は地球の歩き方に載っているラオス料理の店へ。

ルアンプラバンオリジナルフィッシュなんちゃらと記載された6万5千k(≒839円)の料理とビアラオ大瓶1万5千k(≒194円)。

注文した料理はスープの中に魚と野菜がごった煮されたような料理。

ピリ辛のスープでビールが進む。

ビール2本と共に合計9万5千k(≒1,227円)はそこそこ高い。

ちゃんと両替をしてから改めてレート計算をして思ったのはルアンプラバンの物価が安くないこと。

完全なる観光都市だから観光客向けの物価は必然的にこうなるのだろう。

この旅で最初に訪れたベトナムのハノイは一般的なアジアの都会だったから現地人と観光客の境が曖昧というか、現地人が入るような店に観光客も気軽に入ることが出来て色々と安く済んだ気がする。

ところがルアンプラバンで外食しようとするといかにも外国人向けのレストランしか見当たらない。

少なくとも観光客が気軽に入れる店は外国人向けの所くらい。

この辺りが言葉は悪いが世界遺産だけを売りにしている町たる所以か(決して非難しているわけではない)。

昼食後もブラブラと歩くも、昼過ぎになり時間的に暑さのピーク。

雲こそ多いが夏の陽射しが痛いレベル。

あまりの暑さに一旦休憩するためにインディゴホテルという所へ。

この町で泊まる候補にも挙げていたホテルで、ルアンプラバンで最も高い建物だという。

ルアンプラバンでは世界遺産認定されてから高い建物の建造が制限されたらしく、このホテルはその制限前からあったので必然的に1番高い建物になったんだとか。

ホテルの前を通ったらルーフトップテラスで飲食が出来ると書いてあった。

1階のカフェバーで注文をして、ドリンクを受け取ってから上へ行くスタイル。

気取ってカクテルでも頼もうかと思ったが、ビアラオ大瓶1万5千k(≒194円)の倍以上したので結局ビール。

シンプルイズベストということで。

目指すルーフトップテラスは最上階とはいえエレベーターは無くて階段を使う。

この町で最も高い建物にエレベーターが無いのだとしたら、この町にエレベーターというものは存在しないのではないか。

ルーフトップテラスでも実質的には4階なので大したことではない。

屋上とはいえ屋根があったので陽射しもなく、風は心地良くてまぁまぁ快適。

メインストリートは綺麗に見渡せるが、メコン川は他の建物や木々に遮られて見えない。

ルアンプラバンで最も高い建造物とはいえ、正直展望がそれほど良いわけでは無い。

しかし客は私とほぼ入れ違いでいなくなり、店員すらいないので居心地は悪くない。

↓巧く表示されなかったらココをクリック。

WI-FIも繋がるのでそんな中でココまでの旅記を書いたりツイートしつつ休憩。

しっかり汗が引き、ビールも飲んだところで次に向かったのはプーシーの丘。

その小高い丘からはメコン川を始め、ルアンプラバンの町全体が見渡せるという。

メインストリート沿いから入口(階段)へ行ける。

プーシーの丘の入場料は2万k(≒258円)。

思ったよりも急な階段で、ビールを飲んだ直後なので息切れする。

地球の歩き方によると328段の階段ということで、これはチョット気合い入れないといけないな、と思ったらすぐ頂上に到着。

スタートから10分もしないうちに到着してしまった。

下から見たときは距離がありそうに思えたが、登ってみたら意外と大したこと無かった。

頂上からはメコン川は勿論、ルアンプラバンの町が360度一望できる。

…と思ったのも束の間、見える景色の先には明らかに雨雲がある。

そして頂上から町を見ると雲の下にだけ雨が降っているのが分かる。

見える景色の右側は雨なのに左側は晴れているという雨の境目が見られるのもなかなか貴重。

そしてその数分後にこっちにもパラパラ来たと思ったら一気に大粒の雨に。

幸いプーシーの丘の頂上には寺院のような建物があり、靴を脱いで中に入ることが出来る。

スコールの途端に観光客が大慌てで逃げ込む様は山小屋の緊急避難所のような雰囲気。

それほど大きくない建物内ながら、観光客自体もそれほど多くないので混雑することなく入ることが出来た。

ハノイで突発的な雨に遭遇した時はゲリラ豪雨という感じだったが、今回はスコールっぽい雰囲気。

近くに見える空の下は晴れているので、この雨もすぐに上がるだろうと予想。

そしてその通り、10分もしないうちに雨は上がって晴れ間が射す。

旅先の雨ってのは本来こうあるべきなんだ!と数日前のハロン湾に伝えてやりたい。

改めて景色を眺めているとなにやら周囲の観光客がざわつく。

何かと思ってその方向を見ると雨上がりの空に虹が架かっていた。

綺麗なアーチではなかったが、写真にも収まるくらいハッキリとした虹。

雨上がり
歓迎の虹に思えた

スコールに耐えたご褒美のように思えた虹は、ハロン湾でケチが付きかけた旅を好転させる架け橋なのかもしれない。

そしてそれはルアンプラバンに沢山いるであろう人智を超えた「何か」がもたらしてくれたのだと思う。

プーシーの丘から見る夕陽が綺麗だとの情報で夕方に登ってみたものの、現在の太陽の位置を考えると夕陽まで時間がかかりそう。

そもそもプーシーの丘が18時に閉まるらしいので夕陽の時間には間に合わない気がした。

そんなわけでこれ以上敢えて丘の上に留まる必要も無いと判断。

夕陽よりも美しいしレアであろう虹が見られたので満足。

下山は同じルートを通ったのではつまらないので、メインストリートではなく丘の反対側に出るルートを通る。

するとこちらのルートだと途中に色々な仏像があり、小さな洞窟寺院があり、ブッダの足跡という巨大な洞穴があったりで見所が満載。

メインストリート側から登ったときは何も無くてひたすら階段を登るだけだったが、反対側は色々充実しているし景色も良い。

もしもプーシーの丘に登ることがあるのなら、登りと下りは別のルートを通ることをお勧めする。

プーシーの丘を下り、メインストリートの裏通りみたいな道を歩きつつ再びメインストリートに戻る。

時間は18時でちょうどナイトマーケットが始まる時間帯らしく、開店準備をしている。

このナイトマーケット、町のメインストリートを車が通れないように封鎖して毎晩開催するというのが凄い。

この日はメインストリートを中心にルアンプラバンをウロウロ歩いて町の規模は分かった。

だからこそであろう、前夜に感じたナイトマーケットの暗い雰囲気は全く感じなかった。

前夜に見たのは閉店間際の時間で、今回は始まりの時間なので活気が違うのはあるだろう。

ただ、それよりも前夜はまだ身体と頭がハノイモードだったので切り替えられていなかったのだと思う。

1日町を歩いてこの町の規模や雰囲気が分かりかけたことで町の見方も変わったのだろう。

ルアンプラバンでは日本人観光客もハノイ以上に見た気がした。

そもそも人の絶対数が少ないから必然的に観光客が目立つ。

この町では観光客とそれを相手にする現地人と僧侶しか見える範囲にいなかった。

ハノイでは観光業以外に従事している普通の人もいたが、ルアンプラバンではそれが殆ど表に出てこない気がした。

なので必然的に観光客が目に付き、極東アジア系なら大体が日本人か韓国人だったと思う。

他の外国と比べて圧倒的に中国系の観光客が少ない気がした。

これは推察だが、まだ中国人は海外旅行でラオスにまで到達していないんじゃないかと思う。

かの国で海外旅行が一般的になったのは近年のことだろうし、まだラオス以外に行きたい国が沢山あるということだと思う。

当たらずとも遠からずな推論だと思うがいかに。

晩飯は地球の歩き方に載っているレストランへ。

ビール1万2千k(≒155円)、名物というバッファローソーセージ4万6千k(≒594円)。

もう1品軽くツマメそうなもの、とメニューを見ると「Mekong river weed」との記載が。

weedって確か海苔みたいな意味だっけ?とタブPCで翻訳にかけると「weed=雑草」…って間違っちゃいないんだろうけどなんだかなー。

そんなわけでメコン川海苔1万8千k(≒232円)も注文。

韓国海苔からピリ辛要素を抜いた感じでおつまみと箸休めに丁度良かった。

ビール2杯と合わせて8万8千k(≒1,136円)、やはり観光客向けの料金。

この店はカードが使えたのでこの旅で初の現地カード払い。

食後、酔い覚ましもかねて改めてナイトマーケットを往復して冷やかす。

ハノイ程の活気は無いがアットホームな感じがしてこれはこれで良い雰囲気。

ハノイのナイトマーケットは週末だけの開催だが、ルアンプラバンは毎晩開催されている。

毎晩時間になるとテント設営して商品並べて売っているわけだが、多数の店がひしめき合い、似たような商品を売る店も沢山。

そんな中で1日にどれほどの売り上げがあるものか。

それは毎晩テントを出して商売することでペイ出来るレベルなのか。

余計なお世話ながら気になってしまった。

そしてナイトマーケットを出てホテルへ向かう道の暗さは前夜と同じ。

賑わっているナイトマーケットを見た後だけに余計に暗く感じる。

ホテルに戻り、Tシャツとパンツを洗濯。

前夜は疲れて出来なかったのでこの日の分も含めて一気に3日分。

1日しっかり行動した後の洗濯は疲れるが、洗濯サービスを使うのも気が引ける程度の量だから困る。

この後の1泊は寝台バスで費やすのでこれで旅の洗濯は全て終了で良いかもしれない。

風呂に入ると首筋を中心に全体的にヒリヒリするのは日焼けだろう。

午後は日焼け止めを塗ったが、午前中の陽射しにやられたか。

翌朝は早起きしてこの町の名物の托鉢を眺める予定。

 

 

 

2016年8月31日 水曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

ルアンプラバンの町で最も有名なのは寺院ではなく早朝の托鉢ではないかと思う。

僧侶が喜捨を求めて早朝の町を歩く行事はラオス全土で行われているとか。

その托鉢が最も盛んなのがルアンプラバンということだ。

托鉢は朝の5時30分くらいからという情報だったので5時に起床。

さすがにまだ暗い外、托鉢はホテル前のメインストリートで見られるらしい。

それを見るだけなので準備も特に必要なく、カメラと貴重品とタブPCだけ持って外出。

ホテルを出るとオバサンが托鉢に捧げる食料を買わないかと声をかけてくる。

もち米やら何やらがセットになって4万k(≒516円)とのこと。

意外に高いし、この日は見るだけにしようと思っていたのでやんわりと断る。

5時30分過ぎの路上、薄明るくなってきて観光客も目に付く。

托鉢がどこから始まるのかよく分からないが、歩道には喜捨する町民が座るためであろうプラスティック椅子などが並べられている。

5時40分頃にどこかから太鼓の音が聞こえ、5分後くらいに角から僧侶の集団が現れた。

そしておもむろに列をなして歩き始める。

並んで座っている現地人の前を歩き、現地人は喜捨をし、観光客は一斉に写真を撮る。

最初の集団が呼び水になったのか、次から次へとオレンジ色の袈裟を来た僧侶の集団が現れる。

歩道に一列になる僧侶、先頭は偉い僧らしく、後半は小さな子供。

ルアンプラバン名物
行列の出来る托鉢

皆が肩から坪のような容器を持っており、町民がそこに喜捨の物を入れる。

僧侶は喜捨の物を貰っても観光客にバシバシ写真を撮られてもどこ吹く風。

表情を変えず神妙な面持ちで歩いていく。

見ていると喜捨として捧げているものは定番のもち米の他、お菓子や紙パックのジュース、果てはお金を入れている人もいる。

そして僧侶の何人かは貰ったお菓子を道端にある回収箱みたいなところに入れている。

恐らく自分の容器がいっぱいにならないように調整しているのだろうが、傍から見ると捨てているようにも見える。

大勢の僧侶が列をなして肩や腰に掲げた容器の中に町民が喜捨として捧げものを入れていく様を見ていて何かに似ているなと思う。

やがて思い付いたのが、ハロウィン。

今の日本では街を練り歩く仮装大会みたいなイベントになっている感があるハロウィン。

ただ、私がアメリカに在住していた約30年前、私は現地でハロウィンに参加していた。

その内容は仮装をして町の家々を訪ねて「Trick or Treat?」(魔法をかけられたいか?施しをするか?)と問いかけてお菓子を貰うというイベントだった。

その際に利用したのがジャック・オー・ランタンを模したオレンジ色のカボチャ型の入れ物。

容器がいっぱいになるほどお菓子を貰った記憶がある。

このご時世のアメリカでも未だにそれが行われているかは分からないが、子供心にも楽しいイベントだったことをおぼろげに覚えている。

そしてルアンプラバンで見た喜捨がそれを思い出させた。

僧侶の法衣もオレンジだし、持っている容器にお菓子などを沢山詰めていく様などハロウィンとの共通点が多い。

無言で町を歩いて喜捨を求める東洋の托鉢、積極的に家々を訪ねて「Trick or Treat?」と施しを求める西洋のハロウィン。

控え目な東洋と、イケイケな西洋との文化や価値観の違いなんかも垣間見える気がして興味深い。

罰当たりな感想だったらスミマセン。

ただ国の伝統や文化的な行事という点では私の抱いた感想もあながち的外れでは無いのではないかと推測する。

この旅のきっかけになった村上春樹の紀行文では托鉢をやる機会があればやった方が良い、真似事でも何か違うものが感じられるみたいに書いていた。

しかし傍から見ている限りの托鉢は流れ作業という感じがしたし、観光客も沢山だったので神聖的な何かは感じられず。

一方で老人や小さな子供が一人で座って喜捨しつつ手を合わせて丁寧に祈っているシーンなどもあり、そういうのを見ると何かしら感じるところはあった。

それが何かと問われても困ってしまうのだが。

結局30分ほどで概ね終了なのか、車両進入禁止になっていた柵が取り払われ、歩道の椅子も撤去作業をしている。

早朝のひと時、それなりに興味深い光景ではあった。

そしてこの時間に起きる人々や観光客が多いだろうからこの町は朝が早く夜も早いのかもしれないとも思った。

部屋に戻るとまだ6時30分だったので2度寝。

次に起きたのは8時だったが外を見ると雨が降っている。

托鉢の時は雲こそ多かったがぼんやりと太陽も見えたのに。

ただ、朝食を食べているうちに小雨になっていき、この日の観光をスタートする頃には完全に上がっていた。

この日の予定はレンタサイクルを使って少し郊外を含めたアチコチの寺院を回ること。

そのためもあって前日は敢えてメインストリート周辺しか歩かなかった。

レンタサイクルと掲げているメインストリート沿いの旅行代理店へ行くと1日2万k(≒258円)とのこと。

地球の歩き方にも相場は2万kだと書いてあったのでボッタクリは無いだろう。

タイヤの空気圧とブレーキの効き、鍵の動きを簡単に確認して大丈夫だと判断して借りる。

自転車があると歩くよりも楽だし行動範囲が飛躍的に広がる。

海外で自転車に乗るのはネパールのカトマンズ以来。

カトマンズよりも道は整備されているうえに、カトマンズよりも車の交通量が少ないので走り易い。

ルアンプラバンの町には信号が1つも無いらしいが(実際、見なかった)、車も整然と走っている。

車両の絶対数が少ないからこそできる芸当か。

新たな足を手に入れてまず向かったのは寺院ではなくホテル。

村上春樹がルアンプラバン滞在中に泊まったと紀行文に書いていたアマンタカというホテル。

地球の歩き方を見たところ、全室スイートの超高級ホテルで1泊の値段は900〜2,600ドル。

9万k(≒1,162円)でも90万k(≒11,620円)でもない、900ドル(≒92,340円)〜2,600ドル(≒266,750円)。

私のこの旅の全ホテル代を合計しても最安値の部屋の半額にすら満たないどころか、最高値だと今回の旅を丸2回してもお釣りがくる。

普通の高級ホテルなら「オレは外国人旅行者だ」の図々しさで入ってみるのだが、入口と思われる門には必ず誰かしらがいた。

警備員というよりも現地の掃除のオッチャンみたいな雰囲気の人ながら超高級ホテルという先入観が入るのを躊躇わせた。

そんなわけでホテルの敷居は跨げず、図々しい外国人旅行者にはなれなかった。

改めてこの日の目的はあくまでも寺院巡り。

自転車で適当に走るだけで寺院が見つかるのでとりあえず寄ってみるという行動パターン。

地球の歩き方に説明文付きで載っている寺院から、地図上に名前だけが載っている寺院、果ては地図にも載っていない寺院まで。

その中で見つかれば良いなと思っていたのが村上春樹が紀行文で書いていた、「猿が高僧にバナナを差し出す像」がある寺院。

著作の中では寺院名の記載も無く、「横道に入った小さな寺院」という手掛かりしかない。

敢えて本に取り上げるのだから有名な寺院とは思えない、見つけられたらラッキーという思いで寺院を巡る。

そんな中、「見ざる聞かざる言わざる」の3猿の像がある寺院を見つけた。

見ざる聞かざる言わざる
ラオス版3猿

地球の歩き方の地図にも載っていない寺院だったのでココか!?と思って境内を探したが「猿が高僧にバナナを差し出す像」は見当たらなかった。

うーん、ニアミス…なのか?

でも見ざる聞かざる言わざるって日本だけの物では無かったということか。

猿と掛け合わせた語呂といい、日本独自のもだと思っていた。

帰国して改めて調べてみると起源については諸説あり、日本発祥なんてとんでもないということは分かった。

ただそう考えると猿と掛け合わせた言葉は偶然とはいえ実に巧く日本語にハマったんだな。

そんな寺院を経つつ、少なくとも地球の歩き方に説明文付きで載っている寺院は全て踏破。

寺院はいずれも外観だけなら料金はかからず。

本堂の中に入るときに拝観料が必要な寺院もあるが、それは地球の歩き方に載っているような有名寺院だけ。

それ以外の寺院は来るもの拒まず、といった雰囲気。

世界遺産の観光都市とはいえ、こうした点が地域に根差しているようで好感が持てる。

それぞれに特徴が?
訪れた寺院アレコレ

地球の歩き方の地図を眺めつつ、次に向かったのがルアンプラバンの主要市場であるタラート・ポーシーという所。

ここも恐らく村上春樹の紀行文で書かれていた場所だと思われる。

ここで売っている魚を見て「ルアンプラバンでは今までコレを食べていたのか」と愕然とした、みたいな描写があった。

町の中心部からは少し離れるからか観光客らしき姿は見られず、本当に庶民の市場のよう。

様々なモノを売る一画がありながら、生の肉や魚を売っているエリアは生臭さ満載。

ただ、村上春樹の紀行文で描かれていたほど魚売り場にインパクトは感じなかった。

むしろ数々の魚がバケツや水槽に生きたまま売られていて新鮮そうだった。

逆に肉コーナーの方がインパクトを感じた。

豚の頭そのままだったり、レバーなのか内蔵系だったり、血だまりに漬けられた何かだったりと見た目もグロイし、小蠅も飛び交っているような状況。

後は食用と思われる蛙が生きたまま大量にバケツに入っている様や、ドジョウみたいなウネウネした生物の印象が強い。

勿論何を買うわけでもなく、社会科見学みたいな感じで市場を後にする。

町の中心部に戻り、地球の歩き方に載っていた店で昼飯とビール。

ビアラオ大瓶1万5千k(≒194円)を2本、料理はラオスローカル料理とメニューに書いてあったfishなんちゃら(値段失念)。

魚とエノキとナスがシチュー状でトロトロに煮込まれてピリ辛。

オコワみたいなのに入ったもち米と一緒に食べて美味しい。

料理名は分からないが、これまでルアンプラバンで食べた中では1番美味しかった。

食事を終えて再び自転車で走る。

これまでに行っていなかった場所で、川を越えて空港の近くまで行ってみる。

外はすっかり晴れてかなり暑く、すぐに汗が噴き出す。

ビール大瓶2本(つまり1リットル以上)を飲んでの飲酒運転だが、アルコールが体内に吸収される前に全部汗で出ていく気分。

途中の橋は車が通れず、バイクと自転車しか走れない幅。

板張りで結構ガタつき、かなり注意深く運転しないと転びそう。

恐る恐る橋を渡り終えたら後ろからバイクがここぞとばかりに追い抜いていく。

私が橋で道を詰まらせていたんだろう、申し訳ない。

ただ、今回もそうだったが自転車で走っていて思ったのはルアンプラバンの人は殆どクラクションを鳴らさない。

ハノイなんか酷いもんだったし、以前に自転車で走ったカトマンズも相当うるさかった。

穏やかな国民性のためか、観光客に寛容なのか、そもそもクラクションを鳴らすほど多くの車が走っていないということもあるか。

ただそれだけでルアンプラバンの町の好感度はかなり上がった。

メコン川の支流にあたるナムコーン川を越えた地点は今回初めて来たところ。

相変わらず適当に走り、寺院の看板があったら入ってみる。

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村上春樹が行った寺院に遭遇することを期待しているが、アマンタカホテルに泊まっていたことを考えるとこの辺りでは無い気もする。

この日だけで確実に10を超える寺院へ行ったがそれらしい寺院は見当たらず。

そもそも本当にそんな寺院があったのかすら怪しく思えてきた。

相手は小説家、それくらいのエピソードを作り上げるのは朝飯前だろう。

小説ながら「風の歌を聴け」のデレク・ハートフィールドは実在の人物だと思わされたし。

疑心を抱きつつ名も無き…いや、勿論名前はあるんだろうけど地球の歩き方の地図にも載っていないような寺院を回り、気が付くと空港の近くにいる。

ここまできたら折角なので空港まで行ってみようと自転車を走らせる。

舗装されている長い一本道で迷うことはないが強い陽射しがキツく、オレは何でこんなことをしているんだろうと疑問に思う。

しばし走ると空港のターミナルビルが現れたが入口は封鎖されていていかにも古びている。

え?まさかこれ?

2日前に到着した場所がココだったと言われたら狐につままれたような感覚。

イヤイヤ、いくら夜に到着したとはいえココではなかった気がする。

そこから少し進むとそれっぽい建物が見えてきた、確かにコレだ。

それにしてもまさか町の中心部から国際空港まで自転車で行けてしまうとは。

休憩がてら空港の敷地内に自転車を止めて空港内へ。

丁度何かの便が到着したらしく、そこそこ人がいる。

私が到着したときには開いていなかった両替屋も開いており、見ると1円=75k程度のレート。

前日に町で私が両替したレートが1円=77.47kだったのでそれほどかけ離れてもいない。

そう考えるとますます初日の1円=60kで両替させられたカウンターにいた奴に腹が立つ。

あの時にレシートでも貰うか、それなりにちゃんとレートを把握していたら何らかの抗議をしたのだが。

まぁ今後の旅に対する勉強代だな。

空港内はクーラーも効いていたので座って休憩。

町の中でちゃんとクーラーが効いていたのはホテルか空港くらいしかなかった気がする。

レストランですら大体が入口開けっぴろげ、店内もクーラーではなく扇風機だった。

改めて空港を出発し、町へ戻る。

この日だけで結構な距離を走っている自転車のタイヤがガタガタ言い出す。

最初は大丈夫だったが空気圧が低くなってきたのか。

この状態でパンクしたら怖いというか、炎天下の中でチャリ押しながら歩くのは相当辛そうだったので必然的にゆっくり安全運転。

ルアンプラバンに到着した時はタクシーで15分ほどかかった道、自転車だと25分ほどで町の中心部まで来られた。

車が通れない橋を自転車だと渡ることが出来るのがショートカットになる。

ゆっくり走って25分だからちゃんとした自転車でしっかりスピード出せば20分かからないと思う。

いずれにせよ町の中心部から空港までが自転車圏内だということは確か。

一旦宿泊しているホテルに戻り、ホテル前にある売店でラオスビール8千k(≒103円)を2缶購入。

部屋に戻ってエアコン効かせてビール飲みつつここまでの旅記を書きながら小休止。

夕方になり、自転車の返却と晩飯のために再び外出。

18時が近くなるとお祈りの時間になるのか、様々な寺院から読響の声が聞こえ、覗くと僧侶が複数人で祈ってる。

地球の歩き方を見ると寺院の閉館時間は大体17〜18時。

恐らくそれ以降の時間はお祈り等の時間なのだろう。

ただ、その時間でも門は開かれているので入ることが出来る。

昼間の拝観時には開いていなかった本堂(どの本堂にも大きな仏像があった)が開いていたりしてなんだか得した気分。

自転車を返却した後は徒歩で町をブラブラ。

メコン川沿いの道を歩くと夕陽が見られる。

厳密には川ではなく、遠くの山に沈んでいく形ではあるものの、夕陽が川に反射してそれはそれでなかなかの景色。

後は晩飯を食べたらこの日の予定はすべて終了。

翌日の夜行バスでルアンプラバンを離れることを考えるとゆっくり出来るのはこの夜が最後。

すぐにメインストリーに戻るのが惜しく、なんとなく横道に逸れたりする。

そこで目に付いた寺院、ここでも本堂から読響が聞こえる。

町中にありながら初見の寺院だったので入ってみる。

ルアンプラバンの寺院は首が沢山ある龍が本堂の正面入口脇に守り神のようにいることが多いが、この寺院は中華系っぽい人物の像が入口脇を固めている。

どことなく三国志の関羽のよう。

なんとなくこれまでの寺院とは少し雰囲気が違うなと思って寺院の庭に目をやる。

すると庭の隅に座って向き合った2対の仏像がある。

1体は普通より小さな仏像で、正面に座った仏像に何かを捧げているようなシーン。

近付いて見るとその小さい仏像には尻尾がある、これは人ではなく猿!?

それに気付いた時の驚きは形容しがたい。

これこそ恐らく私が探していた村上春樹の紀行文に出てきた「猿が高僧にバナナを差し出す像」だろう。

猿が掲げているのはバナナには見えなかったが何か食べ物のよう。

そしてどことなく満足気な顔で差し出している猿の顔に愛嬌がある。

一方で高僧は微妙な表情をしている。

これぞまさに村上春樹が紀行文で描いていたシーンそのものではないか。

この像は村上春樹の紀行文によると…

悟りを啓くために断食中の高僧に対して、断食の意味など分からない猿が「偉いお坊さんがお腹を空かせて可哀想だ」と食べ物を差し出している。

…ということらしい。

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これまでルアンプラバンの寺院で探していたこの像が何の気に無しにフラリと立ち寄った寺院で見つかるとは。

実はWi-Fiが繋がる場所での休憩中に「村上春樹 ラオス 猿 仏像」などのキーワードで検索してみたがそれと分かるような情報は引っかからなくて半ば諦めていた。

そんな状況で、この日最後の散策をしている局面で見つける。

これだけの寺院がひしめく町で、同じ所を探し出せるとは思わなかった。

意識せずに辿り着いた寺院だったが、ココへ来られたのは昼過ぎから夕方にかけて色々な寺院を回ったり、空港まで行ってみたり、様々な要素が絡まってそうなったのではないかと思う。

偶然に見えて全てが繋がっていた必然だったのかもしれない。

やはりこの町には「何か」があるのかもしれないと、神…もとい仏の存在を意識した。

この僥倖だけで私にとってのラオスにおける「何か」はあった気がする。

数時間前に「フィクションじゃねーの?」と思ってしまって村上春樹さんには申し訳ない。

そんなわけでテンションが上がったまま晩飯のレストランへ。

いつものビアラオ大瓶1万5千k(≒194円)とルアンプラバンの名物料理でありながら今まで食べていなかったカオソーイ2万8千k(≒362円)という麺料理を注文。

カオソーイは地球の歩き方に「担々麺風きしめん」とあったまさにその通りのもの。

暑い中だけどスムーズに食べられた。

もっと辛いかと思ったがそれほどでもなく、ビール2本と共に完食。

食事を終えると酔い醒ましにナイトマーケットを冷やかすのが定番になってきた。

時間は19時30分頃だったため、昨夜よりは遅い時間で客数も落ち着いていた。

ルアンプラバン初日の夜は閉店間際で閑散、前夜は開店間際の賑わい、この日は真ん中の時間の落ち着き。

3夜3様ともいえるシーンを見ることが出来た。

まだ酔いと仏像発見の余韻が残っていたのでもう1度その寺院へ行ってみる。

既に周囲は真っ暗ながら寺院の門は開いていて中に入れる。

夜にフラッシュ焚いてその仏像を写真に撮っているのは私くらいのものだろう。

村上春樹の本が有名になればこの寺院の隅にあるこの像だけは日本人に人気、みたいなことになって地球の歩き方にも載るかもしれない。

それよりも前に見つけることが、来ることが出来て良かった。

 

 

 

2016年9月1日 木曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

ルアンプラバン最終日なので2日連続ながら早朝托鉢を見ることに。

現地時間に馴染んできたのかアラーム無しでも5時に起きられた。

前日はメインストリートで見たが、この日はそこから1本通りを入った所へ行ってみる。

メインストリートよりも道が狭いので間近で見られる。

前日よりも托鉢僧が多く、6時30分過ぎまで長い列が出来ていた。

或いはメインストリートでは無い道だからこそ長かったのかもしれない(托鉢の時間は道路を封鎖しているのでメインストリートは早く引き上げるのかも)。

2日目なので初日の神秘性は薄れ、より現実的に眺めることが出来る。

喜捨を見ているともち米は生の米ではなく、炊いたモノをそのままひとつまみ握って入れているよう。

お菓子は個包装のまま入れているが、喜捨をする現地人の列の途中に袋やバケツを持った子供たちがいて、多くなったであろう菓子はそこで回収している。

それがそのまま次の托鉢に回るのか、子供たちが食べるのか。

その様は前日も思ったがまさにハロウィン。

一方で托鉢僧の中には喜捨用の容器の他に手提げ袋を持っている人がいる。

いくつかのお菓子は自らの手提げ袋に入れ、いくつかは回収袋に入れている。

本当に欲しいものを選別しているのだろう。

なんだか色々とシステマティックに出来ている模様。

日本からうまい棒でも持って行ったら珍しくて捨てられないだろうか、なんてことを考えた。

ホテルへ戻り、朝食後にチェックアウト。

荷物はフロントで預かってもらい、この日の予定はメコン川を船で北上して郊外にあるパークウー洞窟という所へ行く。

洞窟よりもメコン川を船で移動したいという方が目的としては大きい。

メコン川クルーズで洞窟へ行くのはルアンプラバンの定番観光ルートなので旅行代理店のツアーに申し込むのが堅実という地球の歩き方情報。

ただ、ツアーはこの旅序盤でハロン湾の苦い思い出がある。

あれはツアーが悪かったわけでは無いが、自力でやらなかった結果があの雨に繋がったのではないかという思いがある。

メコン川沿いに行くとボートの持ち主なのか個人の斡旋業なのか知らないが、洞窟までの客引きをしているオッチャンが沢山いる。

彼らと直接交渉も出来るとのことだったので今回はそっちにしてみる。

話をすると10万k(≒1,291円)とのこと。

そんなこともあろうかと前日に自転車を借りた旅行代理店で参考までに洞窟まで行くツアー料金を聞いていた。

その旅行代理店では8万k(≒1,032円)とのことだった。

旅行代理店だと8万k(≒1,032円)って言っていたぞ、と言うとじゃぁ8万kで良い、と。

アッサリ下げたからもっと下げられるだろうと思って交渉するも8万kからは下がらず。

それならイイよ戦法を採ろうかと思ったが、それで代理店へ行っても安くなるわけでもなく、日程的にこの日しか残されていないことを考えたらまぁ良いかという結論に。

地球の歩き方によると相場は9万k(≒1,162円)とのことだったので8万kでも充分だろう。

そもそも1万kを負けさせたとしても約129円だし。

そんなわけで船を待ち、8時40分頃に船が到着。

メコン川クルーズ
オンボロボート

細長くてボロい木造船で先客は6名。

当たり前だが全員観光客で、西洋系2名×2組と韓国人と思われる2名。

この船着き場から乗るのは私とベトナム人(挨拶を交わしたので分かった)の若者カップル。

総勢9人の客、あと2,3人乗るだけで満席の状態だが幸いそれ以上増えることは無かった。

屋根はあるが窓はなく、手を伸ばせばすぐに川面に手が付くような狭く小さな船内。

けたたましいエンジン音を響かせて出発すると水しぶきが船内までかかる。

派手に水が入ってくるようなことはないが、大きく揺れるとそれが不安になるレベル。

昨年のエーゲ海クルーズとは正反対の状況のメコン川クルーズ。

紺碧の海を進み、快適な船内にはバーまであったカーフェリーでのエーゲ海クルーズ。

濁流の川を進み、窓も無い定員10数人のオンボロ木造船でのメコン川クルーズ。

もう1度乗るなら間違いなく前者。

どこまで行っても透明度ゼロのメコン川、流れに逆らって進んでいるからか基本的に岸に近いところを進む。

それが進み易いからなのか、何か(事故的な…)があったときのための保険なのか分からずやや不安。

途中で船のガソリンスタンドという珍しい所に寄って給油をし、ルアンプラバンを出てから1時間ほどでバーンサーンハイという村に立ち寄る。

メコン川クルーズでは必ずと言って良いほど寄る村で、ラオ・ラーオというラオスの蒸留酒を作っている…という地球の歩き方情報。

船着き場で船頭が「15分で戻ってくるように」と言う。

15分ってアッという間じゃないか、と思ったが村の規模を考えたらそれで充分だった。

酒造りが盛んな村とのことだったが、そこで作ったと思われる酒を売っていたのは1軒だけ。

そもそもどこで酒を作っているのかもよく分からなかった。

そのお酒、ラオ・ラーオを試飲させて貰ったが、蒸留酒だけにウィスキーや焼酎っぽい味とアルコールの強さ。

小瓶(200mlくらいか?)が1本1万k(≒129円)と言っていたので安かったが、荷物にもなるので買わず。

村には寺院もあったので寄ってみる。

こんな小さな村にも寺院があるあたりがこの国らしい。

とはいえ見所はそれくらい、15分のタイムリミットもあるので落ち着いてゆっくりとは行動できず。

私はキッチリ15分後に戻ったが、船内にいたのは韓国人カップルのみ。

他の旅行客は平然と5分くらい遅れてきたし、船頭も何も言わない。

この辺はお国柄が出るのか。

再出発した船は目的地のパークウー洞窟へ向かう。

たまに川岸に現地人がいて、子供はこちらを見ると手を振ってくれて微笑ましい。

綺麗とはとても思えない濁流を泳いでいる子供たちもいてタフだなと思う。

村を出てから20分くらいでパークウー洞窟に到着。

メコン川観光の目玉となる場所なので他にも船が停泊している。

同じようなボロ船から、しっかりしたテーブルと椅子を備えて食事まで出てきそうな船まで色々。

今回は35分の観光時間を与えられた。

短い気はしたが、先程の村でも時間を余らせたくらいなので妥当な時間なのだろう。

先程の村もそうだったがツアコンがいるわけではなく自由行動。

入場料2万k(≒258円)は皆が払っていたようなので旅行代理店のツアーで申し込んでも同じだったんだろう。

洞窟の中に無数の仏像が納められているという情報に期待していたが、実際は洞窟と言うよりも崖の側面を削って少し奥まっているだけという感じ。

無数の仏像も多くはお土産物屋にあるような小振りの仏像がこれでもか、と並べてある(それなりに大きな仏像もあったが)。

うーん、これだけのために約1時間30分の船旅だったと思うと正直イマイチ。

大小様々
パークウー洞窟

しかし洞窟はそれの他に、そこから5分ほど階段を登った所にもう1つあるという。

こちらはちゃんとした洞窟らしく、中は真っ暗。

入口で懐中電灯のレンタルをしていたが有料らしいのと、洞窟内には懐中電灯を持った先客もいたので借りずにそのまま入る。

しかし中は予想以上に真っ暗で何も分からない。

近くにいる懐中電灯を持っている人の灯りを頼りにし、たまにデジカメのフラッシュを焚いて洞窟内の概要を浮かび上がらせて歩く。

奥深い洞窟ならどうしようかと思ったがそれほど入り組んではないので懐中電灯無しでもなんとかなった。

観光客が撮る写真のフラッシュに浮かび上がる仏像はなかなか幻想的。

仏像がハッキリ見えないだけに最初の洞窟よりも雰囲気はあった。

恐らくココはその気になれば電気を通せるが、雰囲気作りのために敢えてやっていないような気がした。

小洒落た居酒屋が照明を敢えて暗くしているような手法。

2つの洞窟を合わせるとまぁ悪くない所だったと思う。

そもそも今回の目的は洞窟というよりもメコン川クルーズだったし。

今回も滞在は35分と言われたが、時間通りに戻っている人はおらず。

日本の常識は世界の非常識と馬鹿にされようともこうして時間を守ることは日本が誇って良いことだと思う。

それで他の人よりも観光時間が少なくて損をしていたとしても。

町へ戻る船は下流に向かうからか行きよりも早く感じる。

しかしこの日ここまで行動した時間は僅かながら疲労があるのだろうウトウトしつつ到着。

往路は1時間20分程かかったのが復路は1時間弱。

往復ともにそこそこ揺れているボートのはずだが船酔いなどは無かった。

天気は終始曇っていたが、あの船で雨が降ったら辛かっただろう。

これが旅行代理店で依頼していたらハロン湾の時と同じく雨が降っていたのではないかと思う。

結果的に私の選択は正しかったということにしておく。

ルアンプラバン中心部に戻ってきたのは12時過ぎ。

この日はフェスティバルでボートレースがある、と降りるときに船頭が教えてくれた。

確かにメコン川の支流にあたるナムコーン川沿いに屋台が大量に出ていて、観光客や現地人が大勢。

川には揃いのユニフォームを着た人が漕ぐボートが行き交っている。

川沿いには見物人が沢山いて日本のお祭りと似た雰囲気。

「世界の果てまでイッテQ」のお祭り企画に出てきそう。

あの番組に登場する東南アジアのローカルなお祭りの雰囲気だ。

前日まで川でボートの練習をしているのを見たが、これのためだったのだろう。

祭り会場には「boat racing festival」との看板があった。

祭りの熱気に押されて私も燃料補給がてら昼飯、適当な店に入ろうとナムコーン川沿いの観光客向けっぽい所へ。

これまで行った店よりも料理は高い。

そして出てきたローカル料理もそこまで美味しくなく、お替わりのビールが来るのも遅くて店のレベルとしてはイマイチ。

適当に入った地球の歩き方に載っていない店だったが相対的には外れ。

前日までに行った店で地球の歩き方に載っていた店に外れは無かった。

やはり日本のガイドブックに載るにはそれなりの基準があるんじゃないかと思った。

この日は夜行バスに乗るため風呂もシャワーも浴びられない。

あまり汗をかきたくないから行動を控えるつもりだったが、少し動くだけで汗だくになるラオスの夏。

こればかりはどうしようもないか。

この後は汗をかかなくて済むであろうルアンプラバンの国立博物館へ行くことにする。

相変わらず縁日のような雰囲気の中、博物館へ向けて歩いていて気付いたのはアマンタカホテルがすぐそこにあること。

前日は前を通っただけで敷居を跨げなかった超高級ホテル。

ビール大瓶を2本空けて酔った勢いの今なら行ける!

敷地の門には掃除員みたいなおっちゃんがいたが、堂々としてりゃいいんだ、と普通に通ったらやはり何も言われない。

そして建物に足を踏み入れるとほぼ同時にニコヤカに話しかけてくるボーイ。

「サバーイディー(ラオス語でこんにちは)、ハロー、メイアイヘルプユー?」と。

は、早い…しかも追い出す感じではなくメイアイヘルプユー?とくるとは。

予想外の展開に戸惑いつつ1リットル以上のビールを飲んだ直後だったので「Restroom、toilet?」と聞くと案内してくれる。

そして驚いたのがトイレのドアを開けた瞬間がとても涼しいこと。

ホテルのロビーと思われる所はドアが全部開け放たれて外気が入るようになっていた。

しかし密閉されたトイレだからだろう、しっかりクーラーが効いていた。

トイレですらこのクーラーの効きよう、そりゃ世界のセレブが選ぶというホテルだわ。

この旅で最も良いトイレで小用をし、トイレから出るとまたニコヤカに待っている先ほどのボーイ。

トイレを借りたお礼に「Thank you」と言うと屈託無く「You are welcome」と。

なんというか万全で隙が無い。

こちらとしてはホテルの敷地内をウロウロしてバーか何かそれっぽい所があれば入ろうかなと思っていた。

しかしそれを認めないわけではないけれど目的も無くウロウロするのはダメだよみたいなのを高圧的ではなくフレンドリーに無言で伝えてくる感じ。

このクラスのホテルのボーイともなると見ただけで客質が分かるのだろう「コイツは宿泊者ではない」と。

…もっとも、コッチの被害妄想感もだいぶあると思うが。

でもトイレを借りただけの私に対しても気持ちの良い笑顔の応対は流石。

普通の高級ホテルではなく、超高級ホテルはレベルが違うと思う一方、そんなホテルがこの町にあるのも驚き。

海外で普通の高級ホテルはそこそこ普通に入ることが出来るが、超高級ホテルはそう簡単ではないことが分かった。

ただ、負け惜しみでは無いけれど値段を考えるとココに1泊するよりも今のホテルに10泊以上したい…やることなくなりそうだけど。

なにはともあれ、酔って寄った勢いで貴重な体験が出来たことは事実。

ホテルを後にし、ルアンプラバンの国立博物館へ行くと正門が閉まっている。

先ほど通った時も閉まっていたが、それは昼休みの時間帯だからだろうと思っていた。

しかし昼休みが終わった時間でも閉まっているのは何故だ。

地球の歩き方を見ると昼休みの時間は書いてあるが、休日は無しとも書いてある。

正門が開いていないから可能性は低いだろうが、脇に門でもないかと行ってみるがそこも閉まっている。

すぐ近くにはHISの現地オフィスがある…しかしコレも閉まっている。

旅行代理店が閉まっている?

ただHISの前には張り紙がしてあり日本語で「9月1日はラオスの祝日のためお休みします」との記載。

コレか…だからこそ博物館も閉まってたのか。

メコン川クルーズを終えた時に船頭から言われた言葉を思い出し、ようやく全てが繋がった。

改めて地球の歩き方を見ると雨期明けにボートレースがラオス各地で開催されるとの記載がある。

この日は9月1日、雨期明けなのかは分からないが節目の日ではある。

地球の歩き方を見ると雨期は〜10月となっていたので、雨期明けのお祭りではないのかもしれないが、いずれにせよこの日が祝日なのは変わらない。

こんな予想外の事態で博物館に行けなくなるとは思わなかった。

とはいえ元々それほど博物館へ行きたいと思っていたわけではなく、汗をかかずに観光できる場所としてラインナップしていただけなので残念感はあまり無い。

しかしこの暑い時間帯を過ごす計画が狂った。

雨期明けかもしれない祝日を祝ってか午前中は曇っていた空も太陽が照りつけて暑い。

少し歩いて目に付いたカフェにアイスクリームの文字。

店内はそこそこの観光客で、店頭のメニューを見ると値段も普通だったのでとりあえず入る。

アイスクリーム1万k(≒129円)とビアラオ小瓶1万k(≒129円)。

ビールとアイスの組み合わせって…と思いつつもここに入った目的は暑さを避けるため。

アイスも無難だったし、まぁ悪くない選択。

休憩をしたところで再度動き出す。

改めて川沿いの道、お祭りのメインストリートへ。

出店では射的や紐引きみたいな店あったり、軽食を売る店やビールを売る店、酔っぱらいのオヤジや若者。

川ではボートレースが開かれているが、そっちのけで盛り上がっている人がいたり様々。

この祝日のお陰で博物館が見られなかったが、それよりも面白いものが見られた気がする。

↓巧く表示されなかったらココをクリック。
 (周囲が騒々しくて画面の近くで喋ったせいで急に音が大きくなるので音量注意)

この日この後は夜行バスでの移動なのであまり汗をかかないように行動しようと思っていたが、博物館が閉まっていて祭りの人混みを歩いて汗だくになってもうどうでも良くなった。

色々とうろつきつつ、散策初日にも行ったルアンプラバンの代表的寺院ワット・シェントーンへ。

思えばこの寺院だけが境内に入るのにも入場料を2万k(≒258円)取っていた。

他の寺院は殆どが無料、有料なのも本堂の拝観だけというところばかりだった。

やはり世界遺産の町の象徴的寺院だけに格が違うのか。

もしかしたらこの寺院にいる僧侶は同じ僧侶の中でもエリートなのかもしれない。

僧侶にそうした格付けがあるのであればだが。

17時を過ぎていたからか、祭りで祝日のためかチケットチェックがおらず、普通に入ることが出来た。

本堂や他のお堂の扉は閉ざされていたので寺院内を見ることは出来なかったが、外観はちゃんと見られた。

お祭りの日だけの特別サービスだろうか、何にせよチョット得した気分。

ルアンプラバン最後の晩餐はちゃんと地球の歩き方に載っている店へ。

17時30分前という早い時間に訪れたから客がゼロで不安だったが、恒例のラオビール大瓶1万5千k(≒194円)と共に頼んだチキンのレモングラスのなんとかといった料理5万k(≒646円)弱を注文。

料理は野菜豊富な鶏肉炒めといった感じ、ウェイターの若者も一生懸命な感じの英語で好感が持てたし、クレジットカードが使えたのも良い。

この後はラオスの首都ビエンチャンへ向かうバスに乗るためにバスターミナルへ行く。

19時に迎えのトゥクトゥクがホテルまで来る予定になっている。

ただどうせ時間通りには来ないだろう…と思っていても時間通りの19時にホテルにいるのが日本人。

預けていた荷物を受け取りロビーで待つ。

19時10分を過ぎてもトゥクトゥクドライバーは来ない。

すると異変を察知したのかフロントにいたホテルマンが…
「貴方が来る直前にトゥクトゥクが1台迎えに来たがドライバーが告げた部屋番号が違っていたので系列のもう1つのホテルへ向かった。もしかしたらそれが貴方のトゥクトゥクだったのかもしれない。」
…と衝撃発言。

どうせ時間通りに来ないだろうと思っていたのに、何でこういうときに限って時間通りどころか時間よりも早く来たんだか。

私が旅行代理店で告げたホテルの部屋番号が巧く伝わっていなかったのか、何らかの連携ミスが発生したのかもしれない。

幸いホテルマンが親切だったので私の持っているバスのチケットを見て旅行代理店に問い合わせてくれた。

すると「残念だが手配したトゥクトゥクは来ない、料金は代理店が払うようにしてもらったからその辺のトゥクトゥクを捕まえよう」と言うホテルマンと外へ出る。

にわかに雲行きが怪しくなってきた。

そして明るいうちはしょっちゅう声をかけてくるトゥクトゥクがこういう時に限って見当たらない。

1台のトゥクトゥクを見つけ、ホテルの人が事情を説明してくれる。

納得したように見えて出発したものの、少し走ったら別のトゥクトゥクドライバーと何やら相談しだす。

この時点でホテルから離れていたので事情を理解して現地語で説明してくれるホテルマンはいない。

私の拙い英語でこの状況を全て説明できるだろうか。

いざとなったら自腹でバスターミナルまで行ってもらうことになるだろう。

結局もう1台のトゥクトゥクに乗るように言われたのでそっちに乗る。

ただそのトゥクトゥクも少し走っただけで旅行代理店の前で止まる。

どうやら私がチケットを買った旅行代理店に寄って改めて内容を確認しようとしている模様。

時間は事前に指定されたバスのチェックイン時刻と記された19時30分を回っている。

私からも「チケットを買ったのはそこの旅行代理店だから早く言って聞いてきてくれ!」と伝えた(…つもり)。

旅行代理店内でトゥクトゥクドライバーと店員が話しており、数分後にようやくドライバーが納得してくれた模様。

やっとまともに走り出してくれた。

時間が過ぎているから急いでくれよと思うが、途中の交差点でトゥクトゥクがエンストを起こした時はもう笑うしかなかった。

急いでいる時に限ってトラブルが発生するコントのような展開。

幸いにしてすぐに回復して出発。

このまま無事にバスターミナルに到着したとして、目的のバスがすぐに見つかるだろうかとか色々考える。

そして町中から10分ほどでバスターミナルに到着。

トゥクトゥクに乗っている時間よりもトラブっている時間の方が長かった気がする。

到着した時間はバスの発車予定時刻の10分前。

目指すバスが見つかるかと思った心配は杞憂、そもそも止まっているバスは1台だけだった。

どうなることかと思ったけれど無事に間に合った。

しかし実は途中から焦りつつも恐らく大丈夫だろうとは思っていた。

これまでの旅の経験から、この程度のハプニングなら何とかなるだろうと思った…というか何とかなると知っていた…と済んだことだから悟った風に振り返ることが出来る。

バスの前では係員がチケットのチェックをしている。

旅行代理店で貰った引換券を渡し、バスのチケットを受け取る。

チケットに印字されていた料金は14万k(≒1,808円)、旅行代理店で買った料金は16万k(≒2,066円)、つまり2万k(≒258円)は手数料ということだろう。

いわゆる搭乗手続きを済ませたのは出発10分前を切っていた。

私の旅の移動でここまでギリギリなことは珍しい。

ただココまでのハプニングで気も大きくなっていたのだろう、搭乗手続きを終えてもすぐにバスに乗らず、バスターミナルのトイレで小用も済ませる。

結局バスに乗り込んだのは出発予定時間の5分前。

バスの車内へは靴を脱いで上がるという珍しい形式。

車内は絨毯が敷かれ、靴(サンダル)はビニール袋に入れて持って行く。

独立3列シートで上下2段の椅子を極限までリクライニングさせてベッド状になっている。

私の席は窓側の上段。

ハシゴで上がった寝台席は足もギリギリ伸ばせるレベルで枕と毛布がある。

ただバックパックとショルダーバッグも持って上がったので置き場が微妙。

とはいえ今からバスの外へ出て荷物を預けるのも面倒だし不安。

足下のスペースに荷物を押し込むようにし、足で挟むような形でバッグを配置。

水とお菓子と何かの食料が入った弁当箱みたいなのが席の前の簡易テーブルに用意されている。

晩飯は済ませていたし、狭い中で食べるのもどうかと思ったので弁当箱には手をつけず。

席イコールベッドなので、必然的に殆ど寝転がった体勢になるので楽といえば楽。

ただ2段ベッドの上なので下手に寝返りすると怖いのでしっかりシートベルトは締めておく。

なお、車内は満席で、前方の席には日本人カップルも乗っていた(関西弁で喋っていたのですぐに分かった)。

こんな所にも日本人がいるとは驚き。

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横になって身体を落ち着けるポジションを取ったところでバスは時間通りの20時に出発。

少し走ると外の灯りも殆ど無くなり、その状態で空を見ると星が無数に見える。

登山時とまでは行かないが、それに近いくらいの星の数に思えた。

1日の疲れからすぐに眠る。

バスは時々どこかしらに止まってトイレ休憩か何かを取っているようだった。

貰ったバスのチケットにはFood couponという半券がついていて、恐らく途中のバスターミナルかサービスエリアで一食と交換できるものだったのだと思う(バスのチケット購入時にもinclude dinnerと言われていた)。

ただ、どこがそのターミナルだったのかも分からないままひたすら寝ていた。

これが普通の座席の夜行バスだったらここまでずって眠ってはいられなかっただろうなと思う。

昨年のギリシャの夜行フェリーもそうだったが、夏場の宿泊を伴う移動はどうしてもその移動機関でのクーラーが効きすぎる。

今回も例外では無く、クーラー効きすぎで寒い。

席に備え付けられていた毛布にくるまるようにして就寝。

毛布はちゃんとビニールに入って用意されていたので清潔には思えた。

そんな中で清潔とは思えなかったのは自分。

寝ていながら自ら汗臭いと感じる局面がチラホラあったが、これこそまさに身から出た錆なので仕方ない。

夜行2段寝台バスという私の旅でも例を見ない移動でこの旅最後の目的地ビエンチャンを目指す。

 

 

 

2016年9月2日 金曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

寝ていると少々喉が痛い。

クーラーが効きすぎているからだと思いたい。

5時30分頃にバスが止まり、車内がガヤガヤし始める。

これまでも途中のサービスエリアで止まると似たような雰囲気だったので気にせず寝ている。

するとザワザワした言葉の中にビエンチャンという単語が聞こえた。

隣にいた西洋人に聞いてみると到着したと言う。

いつの間にか到着していたらしいが、着いたなら着いたでバスの運転手が教えてくれたら良いのに。

前日までの2日間も托鉢を見るために早起きしたので結果的に3日連続で5時台の起床。

こんな状況は日本でもなかなかない。

外は夜明けの薄暗さというか薄明るさというべきか。

バスターミナルに到着しているのは我々が乗ってきたバスだけの模様。

バスを降りてからの移動はどうしようかと思っていたが、降りた途端にトゥクトゥクドライバーが「どこどこ行くよー」みたいな感じで客引きをしている。

シティセンターまで2万k(≒258円)というオッチャンのトゥクトゥクに乗車。

地球の歩き方を見るとバスターミナルから街の中心部までの相場は6万k(≒775円)との記載がある。

そしてこのトゥクトゥクに乗ったのが私と西洋人中年カップルだけ。

予想外に安い言い値と少ない乗客で不安になる。

他にも中心部へ行くトゥクトゥクがあったのか、単純に目指す場所が違うだけなのか、これは本当に街の中心部へ行ってくれるのか。

1人だったらもっと不安だっただろうが、一応は明らかな観光客が一緒なのでまぁなんとかなるだろう。

トゥクトゥクは明るくなりだした朝の街を走る。

その途中では数人ではあるが托鉢僧とそれに喜捨する地元民を見ることが出来た。

ルアンプラバンの托鉢はあまりにも僧侶と観光客が多くて観光地化している気がした。

ビエンチャン郊外で見たこちらの方が地元に根差した本物っぽい雰囲気だった。

バスターミナルから20分ほど走って街の中心部に到着。

トゥクトゥクを降りた所でタブPCを使って現在地を確認するとちゃんと街の中心部にいる。

幸いにも泊まる予定のホテルまで歩いて数分と思われる所。

早朝なのでチェックインできないまでもホテルへ行って荷物を預けてトイレにも行きたい。

前夜は移動と宿泊がセットになった夜行バスのため、1泊分の料金が浮いている。

さらにこの1泊がラオス最後になるため、奮発してビエンチャンで最も有名であろう高級ホテルを予約した。

辿り着いたラオプラザホテルはさすがにビエンチャン1とも言われる高級ホテルで見た目からして格が違う。

ルアンプラバンでは見られなかった大きな建物、正面には各国の旗がはためき、入り口はタクシーや高級車用と思われるロータリー。

入口では荷物を赤外線チェックにかけられ、セキュリティゲートも通らされた(それほど熱心にチェックはされなかったが)。

時刻は早朝6時20分、ロビーに客はいない。

フロントの人に今夜泊まる旨を伝え、バックパックを預ける。

そのままロビーにあるトイレへ行って出すモノを出す。

トイレから出るとフロントに声をかけられ、「部屋の準備ができた」と。

昨年のアテネでもそうだったが、早朝の到着でアーリーチェックインをさせてくれた。

早朝のチェックインだから事実上1.5泊くらいになるんじゃないかと思う。

部屋も当然ながらしっかりとした高級ホテル。

この旅のホテルはハノイ、ルアンプラバン、ビエンチャンとホテルの金額は倍々で上がっていった。

最後は値段に見合う文句のつけようのないレベルのホテルに達した。

早朝チェックインで嬉しいのは風呂に入れること。

昨夜のバスの中でも我ながら汗臭いと思っていたし、バスタブに湯を張って気持ちよく汗を流せた。

風呂を上がっても時刻はまだ8時過ぎ。

やはり夜行での早朝到着は1日を長く使えるから良い。

このまま朝食もしれっとホテルのレストランで食べられそうな気もしたが、さすがにそれは自粛。

9時前に外出し、街の南西部分を中心に適当に歩く。

ビエンチャンはさすがに首都だけあって車や建物の多さはルアンプラバンとは比べ物にならない。

とはいえ今回の旅で訪れた同じ首都のハノイに比べるとかなり控えめ。

街を歩いて気になったのが妙に警官や軍人と思われる姿が目に付くこと。

何かあるのかと思ったら街の通りに掲げられたノボリのようなものにASEAN首脳会談が9月6〜8日まで開催、と書いてあった。

恐らくはコレが原因だろう。

そういえばホテルを出るとき、ロビーでキッチリとワイシャツを着た人が明確な日本語で「外務省が〜」みたいなことを言っていた。

日本の政府関係者か何かが先入りしていたのだろう。

街を歩いて目に付いた寺院があったら入ってみるのはルアンプラバンと同じ。

少し歩くだけで大きめの寺院が5つ。

ワット・ミーサイ、ワット・ハーイソーク、ワット・オントゥ、ワット・インペン、ワット・チャンタブリー…これだけ並ぶと気付くだろうが「ワット」は寺院という意味。

ただルアンプラバンと違うのは、ルアンプラバンは寺院の中に町がある感じだったが、ビエンチャンは街の中に寺院がある感じ。

これが世界遺産の古都と、一国の首都の違いだろうか。

ルアンプラバンと同じなのは街の中心部から徒歩圏内にメコン川が流れていること。

ルアンプラバンよりも下流にあたるが、こちらも完全なる濁流。

川沿いは遊歩道のようになっており、広場もある。

各国の旗が翻っている中には日本の旗もあった。

恐らくはASEANの首脳会談に参加する国の旗だろう。

この日も朝から暑く、少し歩くだけで汗だくになり、身体もダルイ。

単純に疲れのせいなのか、前夜の移動でクーラーに当たりすぎた体調不良か。

本当はぶっ通しでブラブラする予定だったが一旦ホテルに戻って小休止。

ホテルで小休止は良いんだけど毎回入口でセキュリティチェックを通るのが少々面倒。

1時間程仮眠をとると回復してきた模様、やはりただの疲れだったか。

ラオス滞在は残り1泊2日ながらラオス通貨であるキープの残量が怪しくなってきたので両替をしたい。

午前中にもいくつか両替商を見て大体のレートを頭に入れておいた。

両替兼街歩きということで午前中には歩かなかった街の北東方面へ。

こちらにはパリの凱旋門を模したパトゥーサイというビエンチャンを代表する観光地がある。

その途中にはタラート・サオという大きなショッピングモールがあり、その近くには両替屋も多いと地球の歩き方に書いてある。

改めて街歩きに出発し、陽射しも強くて暑い中を歩いてタラート・サオに到着。

ショッピングモールには見覚えのない日本企業の店舗が入っている。

メイソウという名前でダイソーや無印良品みたいな雑貨店で雰囲気はフライングタイガーにも近い。

バッタ物の日本企業風の店かと思って中に入ってみると店内では日本の音楽が流れている(最近の歌なのか歌手は分からず)。

商品のパッケージは日本語表記で、製造者の欄に東京都中央区の住所が記されていた。

これまで日本は勿論、他のアジアで見たことも聞いたことも無い店がビエンチャンに?

にわかには信じがたかったが、現時点で真偽を確かめる術はない。

アレはなんだったんだろうと帰国して調べたところによると名創優品という中国系の企業らしく、色々といわくつきのようだ。

日本製の威を借る中国製、みたいな。

商品のパッケージに記されていた東京都中央区の住所も実在しないとか。

でも今では逆輸入(?)されて日本にも店舗があるというからよく分からん。

ただビエンチャンの人々にとってはこれが日本製だと思われるのだろう。

日本のイメージを下げるようなことはしないでほしいと思った。

タラート・サオが建つ通りはビエンチャンの主要通り。

その先にパトゥーサイという1大観光地がある。

パトゥーサイまで歩く途中に両替商が数軒並んでいる所があり、そこを見ると1ドルが8,150kとこれまでで最も良いレート。

日本で両替した際に1ドルが102.6円で1ドルが8,150kということは102.6円≒8,150k。

そのレートで計算すると1円≒79.4kなのでルアンプラバンで両替した77.45kよりも良いレート。

ドルから両替した方が結果的に得だったようだ。

そんなわけで50ドル(≒5,130円)両替し、ついでに余っていたベトナムドンの中から旅の記念にする綺麗なお札を抜いた1万1千500ドンも両替。

0.36のレートで4万1,400kだが、これはもはや計算するのも面倒なので貰った額を素直に受け取っておく。

残り1泊2日でこれだけあればこの旅のお金は大丈夫だろう。

これで後は心置きなくビエンチャンの観光が出来る。

そんなわけでメインストリートを歩いてパトゥーサイへ。

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パリの凱旋門を模して造られたというだけあって、まさにラオス版の凱旋門といった雰囲気。

メインストリートの中心に建っているところもパリのシャンゼリゼ通りに建つ凱旋門を連想させる。

フランス植民地だったこの国の歴史を思わせるパトゥーサイ。

ただパリの凱旋門との大きな違いはそれが建てられた経緯。

パリにある凱旋門は文字通りの戦勝を記念した凱旋門だが、パトゥーサイは戦死者を慰霊するための門だとか。

どことなくアジア人や仏教国の奥ゆかしさが感じられるエピソードだと思う。

ただ帰国してウィキペディアを見ると内戦の終結による勝利を記念した門だと書いてあるので真偽が分からない。

地球の歩き方には戦没者慰霊塔だと書いてある。

しかし考えてみたらどちらも紙一重、勝利を祝いつつ戦没者を悼む門ということにしておこう。

パトゥーサイは中に入り、上に登ることがでる。

窓口で渡された切符には2,000k(≒26円)の文字。

随分と安い、ルアンプラバンの寺院や洞窟だと2万k(≒258円)だったのに。

2千k札を出すとノーノーみたいに言ってくる。

やっぱそうだよな、2万kの間違いだよなと思って2万k札を出す。

そのまま入ろうとすると「wait」と呼び止められる。

まだ何かあるのか?と思ったらお釣りを渡される。

見ると渡されたのは1万7千k、お釣りがこんなに?

つまり入場料は3千k(≒39円)ということか?と不思議に思っていると窓口のおばちゃんが「oh!」と言って最初に差し出した切符を引っ込めて新しい切符を出した。

そこには3,000kの表示、どうやらラオス人用と外国人用の切符を間違えて出したらしい。

それで全ての謎が解けたが、外国人価格でも3千k(≒39円)って観光地の入場料としては安い。

ルアンプラバンとは違い、世界遺産の観光都市ではないからだろうか。

ただ窓口のおばちゃんが素直に間違いを認めつつ苦笑いして新しいチケットとお釣りをくれたところに好感を持った。

したたかな人なら「何も知らない観光客が沢山お金を払って行ったぜシメシメ」と思いそうなのに…と考えてしまうのは私の偏見か。

まぁ何にせよ無事に中へ。

上まではエレベーターがあるわけではなく階段を登る。

途中のフロアーにはお土産物屋が並んでいる所もあって驚く。

高い所からの眺めはまぁ予想通り。

しかし本当にシャンゼリゼ通りみたいにまっすぐ道が続いているなーと思って気付いた。

そもそも私はパリで凱旋門へ行って、それを見たけれど登っていなかった。

それですら15年前の話だからシャンゼリゼ通りがどんなだったかもおぼろげな記憶だった。

ビエンチャンを代表する観光地のはずだが、ラオスだからか平日だからかそれほど観光客でひしめいているわけではなく、どちらかというと閑散としている。

午前中は怪しくて少し不安だった体調も暑い中歩いて大丈夫。

ただ、パトゥーサイ前にある公園に売店があり、そこで一休みするために飲み物を買おうと思ったがいつものビールよりもコーラが飲みたくなってペプシコーラ6千k(≒77円)を買う。

恐らく身体が糖分を欲したのだろう、いずれにせよ私にしては珍しい選択はやはり本調子でないことを示唆していたのか。

そこから更に歩くとこの街のもう1つのシンボルであるタート・ルアンという寺院に行けたが敢えてこの日は行かず。

ここまでよりも長い距離を歩かないと行けないことと、どこかで昼飯を食べたいと思ったことが原因。

タート・ルアンへは翌日にでもトゥクトゥクで行こうと思う。

この日は街の中心部の散策中心で充分だろう。

そもそもビエンチャンで行くべきめぼしい観光スポットはパトゥーサイとタート・ルアンといくつかの寺院くらい。

夜行バスで到着して翌日の飛行機で街を離れる1泊2日で丁度良い規模かもしれない。

再び歩いて街の中心部に戻る。

途中でアメリカ大使館がある場所を通り、写真を撮ろうとカメラを構えたら警備員に「no photo」と言われた。

素直にカメラをしまったが大使館の外観に撮影禁止とする程の機密があるとは思えなかったのだが。

昼飯は地球の歩き方に載っていた店へ。

ラオスでは残り数食しか食べられないので、必然的に狙いを絞る必要がある。

当たりを狙うのではなく、外れを引かないために重要なのが地球の歩き方。

入った店もまぁ無難な感じ。

ラオスの食事時には常に飲んでいたビールがビアラオ。

このレストランではビアラオのプレミアム版であるビアラオゴールドが置いてあった。

小瓶で1万9千k(≒245円)する。

折角なので注文するが正直味の違いはよく分からない。

普通のビアラオが大瓶で1万7千k(≒219円)だったので2杯目からはそっち。

ルアンプラバンの飲食店だとビアラオ大は軒並み1万5千k(≒194円)だった。

観光地の値段や飲食店の値段の基準が曖昧だ。

料理はメコンリバーフィッシュと書かれていた5万k(≒646円)を注文。

グリルかフライかと聞かれ、グリルは20分くらいかかる、フライの方が早い…と言われたらそりゃフライを頼むわな。

魚のフライは川魚らしく鮎っぽい淡泊な味。

フライだから骨ごと行けるかと思ったがそこまででは無かった。

しかし総じてアッサリして美味、漬けダレのピリ辛の蓼酢みたいなものやポン酢っぽいものも日本人の味覚に合う。

そして添えられたパリパリに揚がったガーリックも美味しかった。

そこそこ当たりの店に入って良かったと思うと同時に、ちゃんとビールを2本飲めるほどに体調が回復しているのも良かった。

この日の残りは歩いて寺院巡り。

パトゥーサイから続くシャンゼリゼ通りにあたるのが先程も歩いたラーンサーン通り。

そのスタート地点には迎賓館があり、これはこれで綺麗な建物。

そこのすぐ隣にあるのが、ワット・シーサケートとワット・ホーパケオ。

いずれも拝観料が5千k(≒65円)でルアンプラバンに比べるとやはり安い。

先程も思ったが、これが世界遺産の町の寺院と、そうでない寺院の違いだろうか。

とはいえこの数日だけで何軒もの寺院を訪れた身からするとここまで来るとどれも似たようなもの…といったら失礼か。

ルアンプラバンの途中から寺院へ行くとちゃんとお祈りをするようにした。

旅の安全と健康、その他諸々、果たして御利益があるだろうか。

そこから少し歩いたワット・シームアンというところがこの日最後の目的地。

そこへ向かうまでにも地球の歩き方に載っていない寺院が2つほど。

寺院があるととりあえず中へは入り、本堂に対してお参りと写真は納めておく。

後から写真を見ても明確にあそこだ!と思い出すのは難しいだろうな。

到着したワット・シームアンは女性に縁がある寺院らしく、そう意識して見るからか他の寺院よりもカラフルな作りが目立った。

ココは入場無料、この日最後と位置づけていたので少し長めに参拝。

基本的にどこの寺院へ行っても閑散としているのでゆっくり出来る。

そこからはホテルへ戻りがてら途中のコンビニ風の商店で今夜のビールを購入。

土産になりそうなお菓子も探してみたが、「これぞラオス」的な物は見つからない。

個包装のお菓子が詰まったパックみたいなのはあるのだが、表示を見ると外国産っぽく(タイが目立った)、ラオス産とハッキリ分かるものが無い。

うーん、旅の最後の悩みは土産だな。

ホテルへ戻り、歩き回って汗だくになったのでこの日2回目のシャワー。

18時過ぎにホテルを出てメコン川に向けて歩く。

メコン川に沿った歩行者用の遊歩道は朝も歩いたが、夕方になると川沿いに服飾品などを売る市場が開かれている。

ルアンプラバンのナイトマーケットよりは開放的、川沿いだけでやっているので通りの妨げにもならない。

そして夕陽がメコン川(正確にはその向こうの陸地ではあるが)に沈もうとしている。

3年前はペルーで太平洋、2年前はスリランカでインド洋、昨年はギリシャでエーゲ海。

それぞれで沈む夕陽を見てきたが、どれもなかなかの美しさ。

さて、来年はどこでどんな夕陽が見られるだろうか。

川沿いは夕陽を見る人だったり観光客や現地人なのか色々な人々が歩いている。

広場では複数人がインストラクターに合わせて踊っている一画があり、何だかジムのエアロビクスの青空版みたいな感じ。

見ると4千k(≒52円)と看板が出ていたが果たして高いのか安いのか。

金を払わなくても普通に混ざることが出来そうだったが。

↓巧く表示されなかったらココをクリック。

メコン川沿いをウロウロしながら晩飯用のレストランを探す。

地球の歩き方に載っていてココにしようと思っていた店は正確には川から1本道を挟んだ川沿い。

とはいえ夕陽も沈んだし、下手な店に入って外すよりはココで良いだろうと思った。

店員がオススメと言った鮭っぽい魚料理5万5千k(≒710円)とビールはビアラオではなくてNAMKHONGという見慣れない銘柄のがあった。

NAMKHONG(ナムコーン)と言えばルアンプラバンでボートレースが行われていたメコン川の支流の川。

念のため店員にNAMKHONGはラオスのビールか?と聞くとそうだと言うので注文。

値段も大瓶1万5千k(≒194円)でビアラオと変わらず。

とはいえビアラオとの違いと言われても分からん。

いつもなら2本行くところだが、この日はラオス最後の夜でバーへ行きたかったし、ホテルにも2本控えているので晩飯時は1本だけにしておく。

最後の晩餐の魚(恐らく鮭)は普通に美味しかったが、食後に川沿いを歩いていたら賑わっている店がいっぱいあってコッチでも良かったなと思った。

街の中心部へ戻る際には大通りを歩いたが、車は多いけれど人は殆どいなくて暗いし寂しげ。

これなら川沿いを歩いた方が賑わって楽しめたかもしれない。

首都の中心部に戻ってきても繁華街とは思えないのがラオスというお国柄か。

どこにもチラホラと観光客はいるが、いずれもチラホラという感じ。

最後の夜なのでバーへ行くつもりで、カクテルを出す店として地球の歩き方に載っていた所へ。

無難にジントニでも飲むかと思ったが、オリジナルカクテルとメニューに記載があったサバーイディービエンチャンってのが3万9千k(≒504円)。

ラオス語でサバーイディーとは「こんにちは」のこと。

サバーイディービエンチャンは直訳すると「こんにちはビエンチャン」。

ただ私は翌日にさようならになっちゃうんだけど。

出てきたカクテルは赤色が鮮やかでウォッカベース(多分)で柑橘系フルーツのサッパリした味で甘ったるくもなくて美味しかった。

2杯目を注文しようかと思ったが、ちゃんとしたカクテルだけに1杯目の時点でそこそこ回っているのが自覚できたので自粛。

ちゃんとした店のカクテルは甘くても甘く見たらいけない、ホテルに戻ったらまだビールがあるし。

お会計をしてもらい、伝票も見ずに5万k札を出したらお釣りが2万5千k(≒328円)だった。

店を出てアレ?なんか安い?と思って改めて店を見ると看板にハッピーアワーの表記。

安かったんならもう1杯頼めば良かったな。

とはいえ改めて入り直すほどカクテルを飲みたいわけでもない。

ホテルへ戻り、後は部屋での最後の晩餐…というかビール。

普通のビアラオは散々飲んでいたので、ホテル最後の晩餐としてコンビニ風の商店で事前に買っておいたのはビアラオのブラックとゴールド。

どちらも瓶ビールを購入。

店では同じビアラオでも缶より瓶の方が少し安かった。

イメージとしては瓶の方が高そうだが、リサイクルの難しさから缶の方が高いのだろうか。

そういえばネパールへ行った時に現地のエベレストビールが瓶しか無かったことを思い出した。

缶ビールを作るというのはそれなりに技術が必要なのかもしれない。

ラオス最後の夜に思うことはビールのことって…

 

 

 

2016年9月3日 土曜日 ↓次へ ↑前へ ↑↑トップへ

早朝の托鉢を気にすることもなく、寝心地の良いベッドで目覚め。

この旅で1番しっかり寝られたと思う。

起きて外を見ると窓に水滴がビッシリ、最終日にして雨かと思ったが外を見ると雨は降っていない。

どうやら水滴は外の暑さと室内の涼しさによる結露らしいことが分かった。

このままこの日も何事もなく終わったとするならば、本当にハロン湾の時だけがピンポイントで雨だったことになる。

そうなるとますますツアーと私の旅の相性を疑いたくなる。

高級ホテルの1番の醍醐味は朝食にあると言っても過言ではない、というわけで朝飯。

入口で部屋番号を確認されたので、前日ドサクサに紛れて来なくて良かった。

当たり前だがこの旅1番の朝食となる正統派ビュッフェ。

色々食べて勿論無難に全て美味しかった。

だが改めて今回の旅の朝食で1番美味しかったのはルアンプラバンのホテルでオーダーして作ってもらうフォーだったと思う。

ゆっくりと朝食を終えて9時過ぎ、チェックアウトまで約3時間。

帰国便はこの日の夜、まだ半日の時間がある。

この日の目的は最後に残ったビエンチャンの観光スポットであるタート・ルアン。

タートル・アンではなく、タート・ルアンと区切る。

ビエンチャンの街のシンボルとされ、仏舎利(仏陀の骨)が納められている仏塔。

その気になれば前日に行くことも出来たが敢えて最終日に取っておいた。

時間を考えるとトゥクトゥクを使えばタート・ルアンまで行って戻ってきてもチェックアウトの12時には間に合う。

そうしようかとも思ったが戻りの時間を気にして慌てて観光するよりも、ゆっくりとホテルで午前中の時間を過ごしてから最後の観光へ行く方が良いだろうと判断。

ホテルの部屋でゆっくりといっても意外とすぐに時間が過ぎる。

やはり最終日の寂しさと焦燥感がそれの原因か。

なんとなく最後にまた風呂に入る。

1泊2日ながらシャワーを含めると4回も風呂に入った。

前日の早朝にチェックインし、チェックアウト時間のほぼギリギリまで在室。

ここまで部屋を使い倒したのも珍しい。

お礼の気持ちを込めて枕銭は1ドル(≒103円)置いてきた。

1万k(≒129円)でも良いのだが残りの現地通貨を考えると極力使いたくないというのと、1万kよりは1ドルの方が安いというセコイ考えも。

12時前にホテルをチェックインしつつ例によって荷物は預かってもらう。

ホテルを出た主要通りですぐにトゥクトゥクがいたので止め、タート・ルアンまでと言うと5万k(≒646円)と言う。

さすがに言い値では乗らない、4万k(≒516円)でどうだ?と聞くと素直にOK、と。

予想以上にアッサリ交渉成立、ということはもっと落とせたか。

走り出したトゥクトゥクだが途中で現地人が2人乗ってくる。

初老にさしかかったと見られるオジサン、しかし少し走っただけで降りる。

オジサンは1万k(≒129円)札を出したが、お釣りが無いと(多分)言っているトゥクトゥクドライバー。

だがオジサンも何事か言い返し、トゥクトゥクドライバーは仕方なさそうに両替のためにその辺の商店に入っていった。

これは相手が観光客だったら両替に行かず「釣りは無い」の一点張りだったんだろうなと思う。

どうやらオジサンの料金は5千k(≒65円)だったらしく、無事に釣りを渡して終了。

若干の寄り道を経たが無事にタート・ルアンまで到着。

途中でオッチャンを乗せて遠回りしたのも含めてホテルから20分くらい、歩くには少々辛かったかな。

到着したタート・ルアン、周辺が公園と寺院になっていて開放感がある。

拝観料は5千k(≒65円)、やはりルアンプラバンと比べると安い。

タート・ルアンは仏舎利を納めた仏塔がメイン。

金色に塗られた仏塔はラオス版の金閣寺と言っても良いかもしれない。

仏塔なので建物の中に入ることは出来ず、基本的には外周をぐるぐるして外観を眺めるだけ。

前日のパトゥーサイでも思ったし、今回のタート・ルアンもそうなのだが、一大観光地ながら観光客が少なく、どちらかというと閑散としていてそれが心地良い。

世界遺産の町ルアンプラバンも観光客は沢山目に付いたが、個々の寺院へ行くと驚くほど少なかった気がする。

この辺りがラオスの観光地としての発展途上さなのかもしれないし、その辺りが控え目で良い。

タート・ルアンをバックに写真を撮ってもらうようお願いした現地人?が快く引き受けてくれた後で「俺も撮ってくれ」みたいなことを言う。

当然イイよと応じてカメラを受け取ろうとしたら違う違うとカメラを友人に渡して何故か私とツーショットで撮影。

外国でたまにあるこういうシーン。

外国人と写真を撮るというのも現地人にしてみたら1つの思い出なのだろうか。

相手が若い女性なら私にも良い思い出になるのだが。

これはセルフタイマー
ラオス版金閣寺

この日は夜通し飛行機に乗るのであまり汗をかきたくない。

そのために控え目な行動を心掛けようと思っていたが、トゥクトゥクに乗った時点で目論見が崩れる。

私は一切動いていないし風はそれなりに心地良いのに外気の暑さで汗がダラダラ。

さらにタート・ルアンの周りを歩いただけでもう汗だく。

もう清潔に飛行機に乗るのは諦めた、隣席の人はゴメンナサイ。

覚悟を決めたらあとはいつもの旅通りに行動するのみ。

前日の一瞬体調不良かと思ったのはどこへやら。

タート・ルアン周辺にある寺院をブラブラと歩いてから前日も通ったパトゥーサイまで歩く。

意外に距離はあったが万全の調子の私からすると余裕で徒歩圏内。

つまりコレ、元気だったら前日にもパトゥーサイからタート・ルアンまで行けたってことだな。

前日にタート・ルアンへ行っていたらこの日はビエンチャン郊外にあるブッダパークという観光地にも行けたんだと思うと少し心残り。

こういうことがあると毎回心に思う「何か1つやり残しておいた方が次に来るモチベーションになる」ということ。

いわば私の旅の願掛け、今回はそれがブッダパークということにしておこう。

パトゥーサイまで到着したら、前日はペプシを飲んだ売店で今度は正しくビアラオ8千k(≒103円)を購入して休憩。

やはり歩いて疲れてビールを飲んで回復するのが私の旅の王道。

パトゥーサイは前日に登っていたのでこの日は外観だけ。

そろそろ行こうかと思ったときに「Picture please」と東洋系の若い女性2人に声をかけられる。

「Sure」と応じ、スマホを渡され「Push here」と言われて見た画面にはカタカナで「カメラ」の文字。

「あれ?日本の方ですか?」「え?あ、そうです。」

これも海外ではたまにあるパターン、外国人だと思って話しかけたら日本人だった。

そんあわけで普通に「行きまーす」と声をかけて撮影。

「ありがとうございましたー」「いえいえ」とお別れ。

ハロン湾以来、久々に日本語で会話をした気がする。

この後は前日にも行ったショッピングモールのタラート・サオで土産を物色しようかと思ったが、行こうと思っていたレストランの昼の時間〜15時が近づいていた。

予定を変更して先にレストランへ行く。

高級ホテルで朝食ビュッフェを食べているとデザートまでしっかり食べるからなかなかお腹が空かない。

昼飯はメコン川沿いに近く、伝統的なラオス料理を出しつつ蛙や小鳥などの珍味もあると地球の歩き方に紹介されていた場所。

辿り着いた店はパッと見たところ客がいなくて不安だったが、客はクーラーが効いている室内にいた。

写真付きのメニューでラオススタイルビーフシチュー3万k(≒387円)と蛙の素揚げっぽいの2万k(≒258円)を注文、勿論ビアラオ1万k(≒129円)も。

小鳥とやらも頼みたかったのだが、写真と英語を見てもどれがそれなのかが分からず。

ビーフシチューはピリ辛で野菜多め、トロミと香草の癖がある牛肉の煮込み。

これがラオスでの最後のちゃんとした食事だと思うが、総じて肉料理よりも魚料理の方が美味しかった気がする。

今回の料理が不味かったわけではないが、肉よりも魚がメインの食文化なのだろうなと思った。

そして問題の蛙、そういえばルアンプラバンの市場で生きた蛙を売っていたのを思い出した。

皮の素揚げみたいな感じで、色も深緑なので少々抵抗も。

ただ、食べようとフォークで突き刺すとパリパリしていて煎餅のよう。

食べてみてもカリッカリの油揚げを食べているようで蛙感(?)はゼロ。

これは普通にスナック、しかもかなり脂っこい。

まぁこれで蛙を食べたということにしておこう。

旅の終了へのカウントダウンが近づくなか、残すは土産の購入くらい。

ここまでビール買いがてらコンビニのようなミニマートで土産になりそうなものを探してはいたが、なかなか見つからない。

もう少し規模の大きなスーパーみたいな所があると良いのだが、外国人御用達と地球の歩き方に紹介されていたスーパーは改装中なのか営業していなかった。

最後の砦が前日にも行ったタラート・サオ。

ビエンチャン最大級の市場で生鮮食料品以外の全てが揃う、と地球の歩き方に載っていた。

前日は表面の散策しかしなかったが、この日は内部をブラブラ。

タラート・サオはそこそこ近代的な外観の2つのビルから構成されているが、中はいかにもアジア的な雑然さ。

そして中を一通り冷やかすもお菓子のようなお土産は無い。

小振りの仏像や置物を売るような土産店はあるのだが、職場に配るようなバラマキ系の消え物が無い。

この辺がまだまだ観光都市として甘いな…なんて偉そうに思ってみる。

こうなったら土産は帰国の経由地ベトナム・ハノイの空港で良いやと割り切る。

ハノイの空港にはそれっぽいお菓子が売っていたのはラオスへ来る際に見ていたし。

早々に見切りを付けて残りの時間は飲んで過ごすことに。

地球の歩き方を見て昼からやっているバーを探す。

カクテルが売りというジャズバーは店に入ったが真っ暗。

奥から出てきたオッチャンが「Not open」と。

地球の歩き方に記載の営業時間と違うじゃないかと思いつつも別に無理してそこへ行きたかったわけでもない。

次に向かった店はワインバー、外から見ると明らかな西洋人観光客が飲んでいる。

ここなら大丈夫だろうと入り、メニューにはワイン以外もあったのでカクテルを注文。

注文したのはメニューの中で唯一初めて目にしたOld Fashioned、5万5千k(≒710円)。

メニューの説明文を見るとジャックダニエル+シュガーアンドビターと説明がある。

来たドリンクはウィスキーグラスに入って強め。

ジャックダニエルのバーボン系の味、まぁまぁ悪くない。

つまみのピーナッツと共にチビチビいただく。

2杯目を注文したかったが、カクテルの値段は軒並み5万k(≒646円)オーバー。

そろそろ残金を気にする必要がある。

メニューを見るとドラフトビールはタイガービールの1万5千k(≒194円)。

ビアラオの瓶も1万5千k(≒194円)。

同じ値段ならドラフトビールを注文。

ただ、他国産のタイガービールはドラフトがあり、自国産のビアラオに無いというのはどうなんだろう。

恐らくビアラオは直接サーバーから注いで飲むビールを作っていないのではないかと思う。

暑い国なんだしプレミアムなビアラオゴールドを作るより前にそっちを作った方が良いのでは…と思ったが店でビールを飲む習慣があまり無さそうな国だから需要が無いんだろうなとも思った。

もしかしたら存在はしていて私が行った店には無かっただけかもしれないが。

会計はチャージ料を取られるかと思ったがシンプルに7万k(≒904円)。

それを払った時点で残金は5万k(≒646円)札と細かいのが3万6〜7千kほど。

この残金で空港まで行くことになるので、トゥクトゥクの値段交渉の目安にする。

3万k(≒387円)ではさすがに行かないだろうから5万k(≒646円)が目標か。

最後にいかに現地通貨を残さないかが旅慣れ度の見せ所…って誰に見せるでも無いんだけど。

ホテルに戻り、少しロビーなどをブラブラ。

結婚式の披露宴会場になりそうな大広間があり、そこではASEANの会議の準備みたいなことをしていた。

見るとこの日にもASEANの会合のようなものが開かれるらしい。

本番は9月6日からだったはずなので、事前の担当者間会議みたいなものだろうか。

その他にはホテルに来賓が訪れた際の写真が掲載されたギャラリーみたいな所があり、見ると日本の皇太子、秋篠宮殿下、安倍首相の写真がそれぞれあった。

ホテル内の散策も終え、荷物を受け取ってホテルを後にする。

ホテルを出ると走っているトゥクトゥクがいたので声をかける。

既に先客が乗っていたが、普通に止まってくれたので交渉。

「To Airport?」と聞くと「6万5千k(≒839円)」と言われる。

目標価格は5万(≒646円)だったので「5万?」と言うとアッサリ交渉成立。

昼間のタート・ルアンまでのトゥクトゥク同様にこちらの言い値で一発OK。

こちらの言い値で充分ということなんだろうが、諸外国ほどがっついていないという面もありそう。

そして今回良かったような気がしたのは相乗りだったこと。

先客として乗っていたのは韓国人と思われる若い女子3人。

彼女らは空港へ行くわけではなく、途中で降りたが明らかに観光客だし例によって観光客用の値段で乗っているのだろう。

それに加えて空港までという長距離の客が来たわけだからこちらの言い値で良いという心理が働いたのではないかと思われる。

そもそも空港より遠いはずのバスターミナルから市街地までが2万k(≒258円)だったことを考えると市街から空港まで5万k(≒646円)でも充分なのだろう。

まぁこちらは残金の関係で5万か3万の選択肢しかなかったんだけど。

17時30分過ぎにホテルを出て17時50分頃には空港着。

首都の空港だけあってルアンプラバンの空港より立派。

早々にベトナム航空にチェックイン。

ハノイ→ルアンプラバンはラオエアーだったが、ビエンチャン→ハノイはベトナム航空。

さて、ここで2時間超の待ち時間。

最後の望みをかけて空港の土産物屋を覗いてみるがやはりパッとする物は無し。

もうベトナムに託してしまうしかない。

残金は3万k強、とりあえず売店を回ってビールの相場を見るがいやはや大したもの。

空港価格というのはラオスでも変わらないらしい。

缶ビール小が2万k(≒258円)、大で2万5千k(≒323円)と街のレストランやバーで飲むよりも高い。

空港内なので均一価格と思いきや、1店舗だけ大が2万4千k(≒310円)の店がある。

しかも缶500mlと大瓶640mlが同じ値段。

そりゃ安い店で買うでしょ、そりゃ大瓶買うでしょ。

約2時間後にはラオスを離れるのに1000k(≒13円)安く買ってどうするんだと思いつつも、どうしても安い方で買ってしまう性分。

そして残ったのは1万k(≒129円)強。

空港の両替所を見ると1ドルが8,000k強。

僅か1ドルとはいえ戻しておこうと1万k札を出したら1ドルと1千k札が戻ってきた。

9千k分が1ドルになり、余った1千kがお釣りということだろうが、その1千k札って別にいらないんだけど…

律儀なラオス人に好感を持ったが、それと同時に初日のルアンプラバンでのボッタクリ両替もまた思い出してしまった。

空港の端っこにあるベンチでこの旅最後のビアラオ大瓶を飲む。

こういうときのためにバックパックには栓抜きにもなるカラビナフックを持っているのはネパールへ行った時に瓶ビールしか無くて自力で開けるのに苦労したから。

ここまでの旅記を書いているうちに時間が過ぎ、そうこうしているうちに搭乗開始ではなくセキュリティチェックと出国審査をして良いよというアナウンスが流れる。

搭乗開始のアナウンスは普通だが、出国審査開始のアナウンスは初めてかもしれない。

そもそも空港の発着便が少ないのだろう、動き出したのは皆同じ便に乗る人。

さすがに日本人も少々目に付く。

セキュリティは無事に通過し、残るは出国審査。

いつものように何事も無いだろうと思ったら「ビエンチャンではどこに泊まった?」と聞かれた。

出国審査で質問されるのは意外だったのでパッと答えが出ず、一瞬遅れて「ラオプラザ」と答えたらそれだけで何事もなく終わった。

入国がルアンプラバンで出国がビエンチャンだったから一応の確認だったのだろうか。

それにしても出国審査で話しかけられたのは初めてだった気がする。

出国審査後のスペースはそう広くない。

そんな中でも免税店はあったので寄ってみる。

時間が余っていたから寄っただけだったがそこで目に付いたDAOコーヒーなるモノ。

個包装のインスタントコーヒーが30パック入って3ドル(≒308円)。

あれ、コレ良いんじゃね?

店員に「Is this made in Laos?」と聞くとYesと言う。

お菓子ではないが個包装のスティックタイプのインスタントコーヒーで職場に配るには最適。

ラオス産、出国直前の免税店で発見というシチュエーション、1袋30パック入りで3ドルという安さ、もうこれしかないだろと2パック6ドルを購入。

最後に満足な買い物ができたが、惜しむらくは最初からこれに照準を絞ってスーパーで探していたらもっと安かったのだろうということ。

お菓子ではなくコーヒーの個包装がお土産になる発想が無かった。

次回以降の旅土産の参考になる。

ラオスの最後の最後でこういうのを見つける辺り、やはり今回の旅には「何か」があったんだと思う。

この数日、無数の寺院で無数の神様もとい仏様に接したからだろうか。

お土産を抱えてハノイ行きの飛行機への搭乗開始。

ビエンチャンからハノイまではベトナム航空の機体でさすがにプロペラ機ではなかった。

機体へもちゃんと接続通路を通って搭乗。

飛行機の絶対数が少ないから待つこともないのか、ほぼ時間通りに搭乗が始まるのも他の国ではあまり見られない光景。

出発予定時刻の20分前なのにもう客が入ることもなく機内は落ち着きモード。

3席×2列、窓側の私の横には誰もいないし、前の3席にも誰もいない。

機内も全体的に7割くらいの入り。

そのまま席は埋まらず、出発予定時刻の20時より5分ほど早く動き出す。

20時5分には離陸してアッという間にラオスを離れてしまった印象。

機内アナウンスでは50分のフライトとのこと。

この状態で機内サービスのビールはあるのだろうかと思っていたらドリンクサービス登場。

私の席はエコノミーの中では前から3列目かつ前に座っている人もいなかったのですぐに来る。

見た感じだとワゴンにアルコールは無さそう。

ダメ元で聞いてみる「Can I have beer?」「ビア?」「Yes,beer」というやり取り。

相手が聞き返した言葉が怪しいなと思ったら、何かを紙コップに入れて渡してきた。

アレ?ビールに紙コップって今までにないパターン。

渡された紙コップを見ると白い液体、飲むとまさかの牛乳…

ビアがミルクに聞こえたということか。

ビアとミルク、確かにそれっぽく発音をしてみたら似ていないとは言い切れない…か?

ビア→ビァ→ミァ→ミゥ→ミゥク→ミルク…うーん、そうか?

そもそもの選択肢にビールが無かったからCAも聞き間違えたんだろう。

その後も缶を開けるプシュという音が機内に聞こえなかったことからもビールはなかった模様。

それにしても飛行機の中で牛乳を飲むなんて初めての経験。

日本では普段から飲んでいるが旅中は一切飲んでいなかったから久々に飲んだ。

仕方ない、この後に備えて胃に膜を作っておこう。

ハノイからルアンプラバンは軽食も出たが、ビエンチャンからハノイは飲み物だけ。

しかもビールも無いとなるとサービスはプロペラ機のラオエアーの方が良かったということになる。

飛行機は予定通りの50分後に着陸。

先入観を持って見ているということもあるが、窓からの夜景はベトナムの方がはるかに明るく見えた。

ベトナム入国はせずにトランジット用のゲートへ向かい、再びのセキュリティチェックを経て数日前にも来た出国審査後エリアに到着。

行きと違って時間通りに到着してくれたのでこの時点で3時間30分の待ち時間。

時刻は21時過ぎだったがお土産物や売店は思ったよりも開いている。

さすがに30パック3ドルのコーヒーだけだと申し訳ないかなと思っていくつかの店を冷やかす。

するとさすがはベトナム、高いチョコレートなんかもあるが安い個包装のお菓子も色々ある。

そして店員もこちらが日本人と察すると日本語で話しかけてくるから驚き。

やはり日本人はそこそこいるんだろうな。

片言の日本語で話しかけられつつもこちらは所々の英語と日本語を織り交ぜて返すという変な会話。

どうもこちらの言う日本語を全て理解しているとは思えなかったので。

いくつか見た土産物の中では3.5〜4ドルで個包装が最安値っぽい。

そして量を考えて4ドル(≒410円)で個包装された小さな焼き菓子が沢山入ったパックを2つ購入。

正直高級感はないが、職場への土産は質より量、そして個包装。

今回はラオスのコーヒーにベトナムのお菓子という合わせ技。

というわけで最後の憂いだった土産物もほぼ完全な形で終了。

まぁコレも街中で買えば…なんだけどラオスでコーヒー3ドル×2とベトナムでお菓子4ドル×2で合計14ドル(≒1,436円)。

多分昨年のギリシャよりも安く済んでいるし充分でしょう。

満足したので後はビールを飲んで搭乗を待つのみ。

今回のベトナムで唯一忘れていたのがベトナムの333ビール(バーバーバービール)。

8年前のホーチミンではサイゴンビールと双璧をなすくらい飲んだのだが、今回はあまりお目にかからなかった。

その333ビールが1ドル(≒103円)という空港内の店をルアンプラバンへ行く時の待ち時間で見つけていたのでその店で購入。

他の店だとビールは軒並み2ドルなのに、その店だけは何故か333とハノイビールが1ドルだった。

数日前に下見をしておいた成果が出た。

結局1ドルのビールを2本ばかり飲んで搭乗時間が近付く。

空港内の土産物屋や免税店は0時になっても開いている所がチラホラ。

ハノイの空港もずいぶんと国際的だ。

成田行きの飛行機が0時5分発と私の乗る0時35分発の2便あり、どちらもJALとベトナム航空のコードシェア便だから案内アナウンスが分かりにくい。

それにしても30分後に同じ航空会社の便が出るということはそこまでニーズあるということか。

日付が変わった頃に機内へ。

 

 

 

2016年9月4日 日曜日 ↑前へ ↑↑トップへ

最後の飛行機、今回の席は敢えて最後尾に近い窓側にした。

成田に到着するのは朝だし、昨年のギリシャ旅行の帰国便と違って急いで飛行機から出る必要も無い。

前日にタブPCを使ってネットチェックインをした時は殆ど埋まっていなかった後方の席だが、実際に乗り込むとほぼ満席に近い。

考えてみれば皆が皆ネットチェックインするわけではないもんな。

予約した後方の席に近付くと日本の大学生っぽい若者が集団で固まっている。

何かコレは嫌な予感がする…

そして予感は的中、私は窓側の席だったがその隣2つは見事に大学生っぽい集団の一部。

私の隣と通路側が大学生の男女になる模様。

女子の方が後輩らしく「私が真ん中で良いですよ」と言っていた。

隣が男だったら無視しようと思ったが、女子だったので折角だから話しかけてみるオッサン(私のこと)。

「皆さんは何の集まりなんですか?」と聞くと大学のゼミの一環でベトナムに9日間いたとか。

JICAとかそれ関係の…とのことで恐れ入りました。

大学生っぽい集団という雰囲気だけでお遊び旅行かと思った。

気さくに話してくれる女子で、私がベトナム航空の機内誌を流し読みしていたら、そこにベトナムを紹介する本の書評が載っており「その本を書いた人が私たちの引率の先生なんですよ」と教えてくれた。

在ベトナム大使を何年か務めたという人だった。

「あそこにいますよ」と教えてもらった初老のオジサンは同じ機内の同じエコノミー席に座っていた。

ベトナム大使時代にはエコノミーなんかに乗らなかっただろうな。

その大学が学生時代のバイト仲間が通っていた大学だった。

その頃の記憶が蘇り、隣の大学生と被ってなんだかノスタルジックな気分になる。

そういえば大学生の女子とちゃんと会話したことなんて近年記憶に無い。

若い女子と話すだけで何か楽しいのは確実にオッサン化しているな。

しかし女子を差し置いて通路側に座った男子はさっさと寝てしまっていたが、男女がいて窓側に知らないオッサン(私のこと)が座っていたら普通は気を利かせて男が真ん中に座るもんだろう。

まぁその気の利かなさのおかげで女子とお喋り出来たので私としては良かったんだけど。

とはいえ会話はそこそこにこれまでの疲労で出発前から既にウトウト。

気付くと離陸していたのは現地時間0時45分。

次に目が覚めたときはドリンクサービスでこの旅最後のビール。

最後のビールはベトナムのHALIDAだった。

映画を見る気力も無く、音楽もPINK FLOYDくらいしか馴染みが無かったのでそれをリピートしつつ寝る。

次に起きたのは朝飯。

さすがにビールを注文する気にもなれず、無難に食す。

5時間弱のフライトで成田到着は5時35分、日本時間7時35分。

この時間に急ぐこともあるまいとゆっくり飛行機を降りる。

チョットだけ仲良くなった気になった隣の女子は挨拶も無しにさっさと行ってしまった。

まぁ、そんなもんだよな。

入国審査前の健康検査所で東南アジアはジカウィルスが発生しているため〜みたいなアナウンスをしていた。

そういえば旅中に「ベトナムからの帰国者がジカウィルスに感染」というニュースがあったらしいことを友人からのツイートで知った。

ベトナムでもラオスでも恐らく蚊に食われたと思うけれど大丈夫だろうか。

入国審査は朝だから窓口が少ないのか結構並んでいる。

その状態ながら自動化ゲートはいつものように誰も並んでいない。

自動化ゲートの存在は意外に知られていないんじゃないかと思うくらい、いつも並んでいない。

入国スタンプを別途押してもらい、何事もなく税関を通って8時には入国完了。

地元へ帰るバスを手配するために窓口へ行くと5分前に出たばかりなので次は約1時間後とのこと。

出発時に往復券を買っていたし、急ぐ理由も無いので必然的に待つことに。

今回の旅は往復共に成田空港で待たされる宿命にあるようだ。

 

今回の旅はベトナム経由。

前回訪れた2008年はカンボジアのアンコールワットへの経由地としてだった。

そして今回はラオスへの経由地としての訪越(ベトナムは漢字で越南)。

どちらも数泊したものの経由地として寄るだけでメインは別にあった。

ハロン湾ツアーが終日雨だったのは中途半端にしかベトナムを訪れない私に対するベトナムの怒りが表れたのかも。

ベトナムは物価も安く、アジア的雑然さや熱気溢れる国だと再認識。

帰国後に沢木耕太郎の「一号線を北上せよ」という紀行文を読んだ。

深夜特急の縮小版のような感じでベトナムをバスで縦断する話。

ベトナムをメインにした旅も充分に検討の余地がある。

機会があれば、また。

そして今回のメインと位置付けたラオス。

「ラオスにいったい何があるというんですか?」

村上春樹の著作から始まった今回の旅。

私の旅歴でも上位に入るであろう地味な国への旅だったが、結果的にはいつもの旅とそう変わらず充実していた。

特に「コレが見たい!」といったものが無くても旅は充分に楽しめることが分かった。

「何か」が無かったとしても、異国に身を置いているというだけで充分に楽しい。

旅の原点とはそういうものなのかもしれない。

 

 

旅の費用

ラオス往復航空券(ベトナム航空、成田〜ハノイ〜ルアンプラバン、ビエンチャン〜ハノイ〜成田)
43,200円

航空券関連諸税(空港使用料・現地税・サーチャージ・手数料)
13,410円

往復航空券代合計
56,610円

ホテル
ハノイ2泊(Charming 2 Hotel)
6,484円(1泊3,242円)

ルアンプラバン3泊(Villa Santi Hotel)
21,599円(1泊7,200円)

ビエンチャン1泊(Lao Plaza Hotel)
14,200円

現地両替
ハノイ3,000円
ルアンプラバン12,000円
ビエンチャン50ドル(≒5,130円)

クレジットカード清算
ルアンプラバンのレストラン1,147円、1,246円

ハロン湾ツアー
68万5,897ドン=3,166円(予約時のクレジットカード請求レート)

空港で土産
14ドル(≒1,436円)

海外旅行保険
2,500円

合計
128,518円

何か間違っているんじゃないかと思って2度計算したが、確かに13万弱だった。

社会人になってからの旅では最安。

何を切り詰めたわけでも無いのにこの値段、これぞアジア旅の醍醐味か。

 

 

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