甲斐駒ケ岳登山
2014年9月13,14日

昨年は悪天候で断念した登山。
1年越しのリベンジの舞台は同じ甲斐駒ケ岳。
日本に数ある「駒ケ岳」と名前が付く山の中で最高峰。
日本百名山著者の深田久弥をして「日本十名山にしても入れる」と言わしめたとされる山。

 

2014年9月13日 土曜日

同僚と酒席での戯言から始まった富士登山。

初回は普通に頂上まで。

2回目は日本最高峰の剣ヶ峰まで。

3回目は山頂御来光を目指すも雨天断念。

そして4回目で山頂御来光を果たした。

富士登山での目標を一通り達成したその翌年、富士山が世界遺産に登録された。

世界遺産になると登山客も更に増えるだろうし、丁度良いタイミングで富士山に一区切りがつけられた。

そんなわけで2013年は初めて富士山以外の山を登ることにした。

どの山を登ろうか会議…という名目の単なる飲み会を経て選ばれたのは甲斐駒ケ岳。

もはや何で甲斐駒ケ岳が選ばれたのか殆ど覚えていない。

登山メンバーの隊長が甲斐駒ケ岳を挙げたので乗っただけだったような気もする。

しかし登山予定日が近付くにつれ、雨の予報が明確になってきた。

富士登山時に同じように雨の予報ながらもとりあえず現地へ行き、折角だからと1時間程度で登れるという宝永山を登ったことで雨の登山の厳しさを知っていた。

だからこそ、雨の予報が出ていた前日時点で登山中止の決定が出来た。

現地にすら行かずに登山を断念したのは初めてだった。

そして2014年、再び甲斐駒ケ岳を目指す。

天気が微妙な週末が続いていて不安だったが、3連休はいずれも好天の予報。

今回の登山は1泊2日の予定。

初日は山小屋へ行くだけで終了し、本格的な登山は翌日から。

昨年のリベンジに相応しい好天の中、朝の10時にJR片倉駅に集合。

しかし早くも問題発生。

車担当のメンバーから渋滞で遅れるとの連絡。

喫茶店で時間でも潰そうかと思ったが片倉駅の周囲にはコンビニがあるくらいで時間が潰せそうな場所は見当たらない。

結局駅前で何するでもなく時間を潰していた。

ようやく車が到着し、コンビニで買い出しなどを済ませて出発できたのは予定より1時間遅れ。

いつも我々の登山の企画立案脚本監督を務める登山隊長によるとスケジュールには1時間の余裕を持たせて組んであるという。

その余裕が出発前にして早くも無くなる。

世間は3連休初日、しかも好天。

出発してからも混雑していてなかなか中央道に乗ることが出来ない。

ようやく中央道に乗っても事故渋滞でノロノロ。

この日は14時前には山梨県南アルプス市の芦安駐車場という所に着いていないと、その後のバスの乗り継ぎ等で山小屋に辿り着けないかもしれないとのこと。

カーナビの到着予想時刻を見るとかなりギリギリ。

天気は良いのに登山開始前で早くも雲行きが怪しくなる。

事故渋滞はバイクの炎上が原因とのことで、実際に黒焦げでフレームだけになった状態のバイクがいた。

3連休初日に迷惑この上ない。

バイク炎上させたヤツがツイッターでもやってツイートしたら文字通り炎上させられるであろうレベル。

その炎上したバイクを通り過ぎた途端に渋滞が解消してスムーズに走り出す。

時間が無いので昼飯も食わずに最初の目的地を目指す。

白根インターで高速を降りて田舎道(失礼)を走り、山道っぽい所を経由して芦安駐車場へ。

結構な車が止まっていて、駐車場の係員に聞くと第2駐車場に止めてください、とのこと。

僅かにあった空きに車を止める。

マイカー規制でここから先へは自家用車で進めないため、ここで登山装備に着替えて荷物も選別する。

周囲の登山者から漏れ聞こえてきた話だとココから先へ行くバスはもう無く、乗り合いタクシーを利用するしかないとか。

当初の予定ではバス利用だったが、乗り合いタクシーで行けるのならそれでも良い。

概ね準備が整ったところで乗り合いでは無く一般のタクシーの運転手に声をかけられる。

「お客さんたち、4人なら乗り合いタクシーと同じ料金で上まで行くよ」と。

海外なら向こうから声をかけてくるタクシー運転手など信用できないがココは日本。

乗り合いタクシーと同じ料金と言うのも嘘ではないだろう。

1人当たり1,200円(内100円は環境保護費みたいな名目)、後で調べたらちゃんと乗り合いタクシーと同じ料金だった。

多分我々が4人でタクシーに乗せられる最大人数だったから声をかけられたのだろう。

なんにせよちょうど出発しようと思っていたので即決。

1時間遅れで出発した時にはどうなることかと思ったが、どうにかなってくれそう。

タクシーは山道を進み、携帯の電波も入らなくなる。

途中には崩落があって先月まで通行止めだったという所も通る。

3〜40分かけて広河原という所に到着。

広河原は南アルプスの山々へ登るための中継地点のようになっている。

小奇麗なインフォメーションセンターがあり、バスや乗り合いタクシーの乗り場もある。

でも携帯の電波はやはり入らない。

我々は広河原からバスに乗って北沢峠を目指す。

バスの最終が15時発だったので、これに間に合わせるために時間に追われていたのだ。

幸い14時30分に到着したのでようやく時間に余裕を持つことが出来た。

北沢峠まで750円の切符を買い、バスを待つ。

好天の3連休の影響か、広河原には多くの登山者の姿が見られる。

バスが到着したとのアナウンスで行ってみると小型のマイクロバス。

次々と登山者を乗せ、明らかに全員は乗り切れ無さそう。

再びよぎる不安、まさかバスが無いなんてことは…

すると私たちの前に並んでいたグループが5人だったのに対し、バスの空席は補助椅子を使って残り4つとのこと。

我々は4人組だったので先に乗せてもらうことに成功した。

ココへ来るまでのタクシーと同様、結果的に良いタイミングで救われている。

繁忙期なのでバスはその後も来ていたようだったが、早く乗るにこしたことはない。

補助椅子も含めて満席の客を乗せてバスは出発。

これまた山道を登り、30分弱で北沢峠(標高2,030m)に到着。

ここから10分ほど歩いて本日の目的地の山小屋へ。

途中に大きな広場があり、そこには色とりどりの大量のテントが並び、なんだか異様な光景。

我々はテントでは無く、予約していた長衛小屋(旧・北沢駒仙小屋、標高1,980m)へ。

山小屋というと2年前の富士山頂の劣悪な環境を思い出す。

大勢の人を詰め込んで蒸し暑い部屋、どれだけ使い回されているのか分からない湿った布団、水洗設備があるはずもないトイレから漂う糞尿の臭い、それらの環境と高山病の症状。

日本一高い所にある宿泊施設だったが、インドの安宿の方がましだと思えるくらいだった。

しかし今回の長衛小屋は昨年リニューアルオープンしたとのことで、我々の持つ山小屋のイメージを一新させる。

2階建ての小奇麗な建物で、寝床は清潔そうな1人1つの敷掛布団があり、まだ新築っぽい木の匂いもする。

さらに缶ビールは勿論、ヱビスの生ビールまであるという。

長衛小屋
まともな山小屋

1泊2食付きで1人8,000円は山小屋価格なので仕方ないが、同じ値段の富士山頂と比べると月とスッポン。

ホテルが良いと旅のテンションも上がるが、山小屋が良いと登山のテンションも上がる。

おまけにこの日はココが最終目的地で、本格的な登山は翌日から。

終わってみるとこの日で最も過酷だったのは時間に間に合うのかと精神的に疲労した渋滞中だった気がする。

早速ビールでも飲みたかったが、この日は殆ど運動をしていない。

登山どころか北沢峠(標高2,030m)から長衛小屋(標高1,980m)の時点で下っているし。

そんなわけで山小屋の周囲を軽く散策。

当たり前だが周囲は登山道なので適当に登り、10分ほどで下りる。

ただビールを飲むためだけのウォーミングアップ。

ヱビスの生は中サイズで700円、大で900円、山小屋価格なのは当然。

大自然の中でこの日の目的(…って山小屋に着くことだけだが)を達成して飲むビールは格別。

17時に夕食とのことで山小屋のスタッフに呼ばれる。

早い時間の夕食だが、そもそも我々は到着するのに精一杯で昼飯を食べていなかったのでそんな時間でも大歓迎。

メニューは豚肉の炒め物をメインにロールキャベツとポテトサラダにデザートのヨーグルトまで付き、ご飯とみそ汁はお替わり自由。

ココでも富士山頂との違いが明確に出る。

小さな食堂で他の宿泊客と混ざって食べるのだが、隣に座った熟年夫婦がよく話しかけてくる。

「これまでどの辺りの山を登ってきたの?」なんて聞かれて「富士山と高尾山くらいしか登ったことありませんエヘヘ」とは言い辛い雰囲気。

幸いにして我々の中で最も登山経験がある登山隊長がソツなく受け答えしてくれたが、複数の山を登っている前提みたいな会話に、ココは富士山みたいにミーハー登山客が集まる場所では無いことを思い知らされる。

まぁ考えすぎだろうけれど。

夕食後、時間があるのでビールを飲みながらトランプに興じる。

携帯の電波も入らず(ちなみに山小屋内には衛星公衆電話がある)、TVもネットも無い空間でアナログな遊び。

特に大貧民はお互いのローカルルールを思い出しつつ、じわじわとルールを固めてゲームが白熱していく。

小学校や中学校の修学旅行の夜に遊んでいたような雰囲気が楽し懐かしい。

どんなに電子ゲーム機が発達しても普遍的な遊びが無くならない理由がここにある気がした。

…と思ったが今の世代の子供たちは修学旅行でもDSで通信プレイしたりスマホでゲームだったりするのだろうか。

なんて無粋なことを考えながらも時間は19時を回り、外は完全な闇に包まれる。

隣の席で談笑していたグループの1人が「外の星が凄い」と言うので我々も外へ。

満天の星空とはこのことか、というような星空。

富士山でも思ったが星が多すぎるとどれが星座なのかなんて全く分からない。

夜空に目が慣れてくると見える星の量も増え、天の川のような星の濁りも見える。

唯一の難点は寒くてあまり長時間見ていられないこと。

寝袋でもあれば寝っ転がったままずっと夜空を見ていたい気分。

山小屋の消灯は20時とのことだったのでそろそろ寝床へ。

既に寝ている人も多く、早くもイビキが耳障り。

こればかりは山小屋の環境が良くてもどうしようもない。

標高が2,000m程なので高山病も気にならず就寝。

山小屋2階
消灯前のベッドルーム

 

 

2014年9月14日 日曜日

朝の4時頃になると周囲がザワつき始めて必然的に起床。

富士山頂より遥かに快適とはいえ、山小屋は山小屋。

完全に熟睡は出来ず、所々で暑くて目が覚めたり、イビキがうるさくて寝付けず…みたいなことはあった。

朝食は山小屋が用意してくれた弁当(おにぎりと少しのおかず)で済ませる。

まだ夜が明けていない5時頃に外へ出ると月が綺麗に出ている。

月の明るさの影響で見える星の数は一気に減っているが、代わりにクッキリとオリオン座が見えた。

まだ夏と呼んでも良い時期にオリオン座がこんなに綺麗に見えるとは思わなかった。

それと同時に月明かりがありつつも見えるオリオン座は本当に明るい星座なんだということが分かった。

5時を過ぎると殆どの客が出発して山小屋内が快適になった頃に我々もトイレへ行くなど出発準備。

富士山と違って水が豊富にあり、水道水も飲めて冷たくて美味しいし、トイレも水洗。

ストレッチなど準備運動を済ませ、5時45分に登山開始。

朝だから肌寒いものの天気は良く、登っているうちに暑くなってきそう。

まずは樹林のような所を歩き、序盤は倒木をそのまま渡したような橋で沢を渡ったりもする。

登り始めて25分ほどで仙水小屋(標高2,130m)に到着。

早くもココがこのルートで甲斐駒ケ岳山頂へ向かう途中にある最後の山小屋だとか。

表には誰でも使えて飲める水が垂れ流しになっている。

恐らく自然の水が常に流れ続けているのだろう。

まさに南アルプスの天然水。

私は商品化されているそれを買って持ってきたのだが、甲斐駒ケ岳に関しては空のペットボトルさえ持っていればココでいくらでも補充できた。

その後もしばし樹林の中を登る。

樹林の中はいつぞやかの雨の名残で湿っているような所もあり、綺麗でいて怪しげなキノコが生えていたりもする。

樹林を抜けると足場が石や岩に変わり、「登り」感が強くなる。

逆光に向かう
朝日に向かって登山

出発から約1時間の6時50分頃に仙水峠(標高2,264m)に到着。

ココまで来ると景色が良く、目指す山頂も綺麗に見える。

案内図によると山頂までは3時間とのこと。

富士山でも昨年のマチュピチュ一人旅で登ったワイナピチュでもそうだったが、実際に山頂を見ると本当にあんな遠く高い所まで行けるのか?と思う。

目標地点
左(奥)が甲斐駒ケ岳頂上、右(手前)が摩利支天

まだ緑はあるものの、次第にその緑の背が低くなり、太陽が高くなるにつれて暑くなる。

見渡す景色はひたすら山で少しだけ街が見えるポイントも。

日本第2位の高さを誇る北岳や仙丈ケ岳など南アルプスを代表する山が分かり易く山頂まで綺麗に見える。

出発から約2時間半の8時20分頃に甲斐駒ケ岳6合目にあたる駒津峰(標高2,750m)に到着。

峰と言うだけあって簡単な頂上のようでもあり、休憩している登山者もこれまでで最多。

富士山との明らかな違いは、ミーハーっぽい軽薄そうな若者が圧倒的に少ないこと。

前夜の山小屋での会話もそうだったが、純粋な初心者が登るような山ではないということだろう。

駒津峰を過ぎると一旦下ってから登る、みたいにして進む。

急角度の岩場を下りないといけないような所もあり、富士山では体験できないようなコース。

急降下
登山なのに下りがキツイ

さらに進むと直登ルートと巻き道ルートの分岐がある。

直登の方が難易度は高いとのことだったので安全第一で巻き道ルートを採る。

頂上へ向かう途中に摩利支天と呼ばれるチョット隆起した場所がある。

摩利支天は甲斐駒ケ岳の従者のような感じで並んでいる(2つ前の写真参照)。

折角なので山頂へ行く前に寄っていくことに。

こちらへ来る登山客は少ないらしく、殆ど人がいない。

岩肌を進み、難なく摩利支天の頂上?に到着(標高2,820m)。

摩利支天とは仏教の守護神のことらしく、頂上にはそれっぽい像や刀を模したものなどが祀られていた。

頂上までの寄り道
摩利支天頂上、背後に見えるのが甲斐駒ケ岳頂上

ウィキペディアによると…

「日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、甲斐駒ヶ岳があげられる。」

…とのことだった。

摩利支天から直接甲斐駒ケ岳の頂上へは行けず、来たルートを戻って頂上を目指す。

あと一息
白く見えるのは雪では無く岩質

それほど厳しいルートは無く、後は頂上までひたすら登るだけ。

出発から約5時間が経過した10時50分、甲斐駒ケ岳の頂上に到着(標高2,967m)。

途中で摩利支天を経由したことを考えるとまぁ標準的なタイムなのではなかろうか。

それにしても登山中というのは下界とは全く違う時間が流れているように感じる。

休日に家にいたら寝て起きて街をブラブラして昼飯食べて部屋掃除してゴロゴロして…という時間が登山だと山小屋から山頂まで登る時間と同じ。

登山中は登山しかしていないのにも関わらず物凄く濃密な時間に感じる。

普段の生活では味わえないこの濃密な時間を体験することも登山の楽しみの1つかもしれない。

少々傷みが目立つ
定番の山頂碑

辿り着いた甲斐駒ケ岳の頂上にはお社と山頂碑があるくらいで、富士山のように山小屋やベンチなどがあって賑わっているわけではない。

狭くは無いが広々していると言うよりも岩でゴツゴツしている感じ。

落ち着いて座れそうなポイントを見つけ、そこで昼飯。

前日にコンビニで買っておいたオニギリとカップラーメン。

おにぎりは勿論、山頂で湯を沸かして作るカップラーメンが実に美味しい。

登山隊長が湯沸しグッズを買ってからの定番になっている。

食後のホットコーヒーも飲んでからボチボチ下山準備。

時刻はちょうど12時、下山開始。

一般的な下山時間は3時間との情報。

一方、下山してから最終バスの時間は15時30分なのであまり時間に余裕が無い。

それでも頂上のすぐ近くにお社みたいなものが見えたので下山のついでに寄ってみる。

「駒ケ嶽神社本社」という碑や神社の一部みたいなものが点在。

これも山岳信仰に関連するものなのだろう。

摩利支天、甲斐駒ケ岳頂上、駒ケ嶽神社本社と頂上に関連するものは全て制覇したと言って良いだろう。

これで心置きなく下山できる。

下山しようと思ったら雲行きが怪しくなり、全体的に曇りがちになる。

午前中は雲こそあったが基本的には晴れと言って良い天気だった。

富士山でもそう思ったが、午前中の方が好天の確率が高い気がする。

下りの途中までは登りのコースと同じ。

時間的な問題もあるのだろうが、登り客よりも下り客の方が多くてスムーズに下りられる。

登りの途中に下りがあったのとは逆に、下りの途中にも登りがある。

登りでも経由した駒津峰(標高2,750m)に到着すると、ここからは登りとは違うルートで下る。

「双児山を経て北沢峠」というルートへ。

看板によると所要時間は1時間50分(登ってきた仙水峠を経て北沢峠のルートだと2時間)との表示。

この時点で時刻は13時20分で、最終バスまで残り2時間10分。

20分の余裕はあるものの、何らかのアクシデントがあったら危険な時間帯。

前日も最終バスの時間に冷や冷やしながらの行動だったが、この日も同じことになりそう。

救いと言えば前日は渋滞という不可抗力の要素が大きかったが、今回は自分たちの足で進めるということか。

双児山ルート
下山時の景色を味わう余裕はあまり無く

焦って転んだりしては元も子も無いので、細心の注意を払いつつも心なしか急ぎつつ下る。

しかしその途中でまたしても登り道が現れる。

例えば登りの途中で同じ傾斜が出てきてもなんとも思わないだろうが、下りと思っている途中で登りが出てくると気分的には余計に辛くなる。

えぇー、また登らされるのかよ…と。

登り切ると双児山(2,643m)という看板が出ていた。

ココはココで1つの峰だか頂上だかになっているらしい。

結果的に駒津峰、摩利支天、甲斐駒ケ岳、双児山と4つの頂上を縦走したことになるのか?

勿論そんな立派なものではないだろうが、富士山では味わえないようなシチュエーションではあるだろう。

樹林帯に入るとひたすら似たような景色が続くもゴールはなかなか見えず。

コースは木に目印の赤いリボンが付いているので間違えることは無い。

15時を回るといよいよ本格的に焦り出す。

時間的にそろそろ着いていてもおかしくないのにゴールが見えない。

果たして大丈夫なんだろうかと思い始めた頃、最初に気が付いたのは耳だった。

明らかに人工物の音がする、これはバスのエンジン音では無いだろうか。

後は進めば進むほどに音が近付いてくる。

そして色とりどりの派手な登山ウェアの人影が見えてくることでようやくゴールを意識できた。

15時10分、北沢峠のバス停に到着。

時間的には駒津峰から1時間50分という所要時間通りの時間で到着したことになる。

帰ってから調べたところによると、あの所要時間は休憩なしで計算されているらしい。

我々は休憩も挟んでいたので、所要時間よりは早く進めていたことになる。

まぁ多少は焦っていたから当然か。

一連の登山を終え、富士山との違いを考える。

富士山と比べるとルートは厳しかったと思うが、高山病的な症状が出なかったので富士山よりも楽に感じた。

標高の違いもあるが、前夜に山小屋とはいえちゃんと眠っていた体調の違いもあるのかもしれない。

富士山の時は必然的にいつも弾丸登山っぽくなってしまうので。

一方で山小屋は序盤にしか無く、富士山のように何合目地点には必ず山小屋があるというような状況では無い。

そう考えると富士山の方が初心者向けのような気はするものの、標高3,000mを超える高地での登山を考えるとどっちもどっちかも。

個人的には総合すると富士山の方がきつかったと思う。

やはり高山病の症状が出てしまうとそれに全てを持って行かれるような気がする。

なにはともあれ無事に下山し、帰りは行きと反対のルートで広河原へ向かうバスを待つ。

バス待ちの行列はかなりの人数で、4台目位のバスでようやく乗ることが出来た。

行きと同じで補助椅子もフルに活用して満席。

その間にもバスの列に人は増えていき、どうやら最終の時間とされる15時30分を過ぎても大丈夫そう。

まぁ登山シーズンだしその時点でいる客は乗せないわけにいかないか。

満席のバスは20分ほどで広河原に到着し、ここでもバスを待つ人の行列。

一方で乗り合いタクシーの列にはそれほど人がいない。

登山隊長の判断で乗り合いタクシーの列に並ぶと、前に並んでいたグループが10人組らしく、乗り合いタクシーは1台に9人しか乗れないとのこと。

その10人が諦めたおかげで我々に順番が回ってきた。

バスの行列を尻目に早々と広河原を離れることが出来た。

瞬時の判断で乗り合いタクシーの列に並んだ我らが登山隊長の機転。

海外へ行くと妙な勘が働き、初めての土地でもなんとなく目指す方向が分かったりする。

とっさの機転で最適な方法を見つけ出す、そういう旅の勘と似たものを感じた。

17時にはスタート地点の芦安駐車場に戻ってこられた。

前日から同じ登山用の服装でシャワーも浴びずに1泊と登山をしたので色々と汗臭そうな身体と装備。

シャワーは無いのでボディペーパーで身体を拭き、登山装備を着替える。

これで心身共にようやく下界に戻った感じがする。

晩飯は焼き肉を食べようと下山中に話しており、下山の大きなモチベーションの1つが焼き肉だった。

電波が通るようになったスマホから甲府市内にある焼肉屋を探して予約。

折角なので東京にはない焼肉屋を選択。

到着した店は地元でチェーン展開をしているようなファミリー向け焼肉屋。

運転手のことを考えて全員アルコール抜き、注文は食べ放題メニューとドリンクバー。

ビール無しの焼き肉なんていつ以来だろう、ご飯と一緒に食べるお肉はやはり美味しいということを久々に感じた。

そして何より美味しく感じさせるのは登山を終えた心地良い疲労感と充実感で食べられるこの状況。

食後、19時30分過ぎに帰路に。

中央道が渋滞という情報は入ってきていたが、延々と下道を行くよりは高速に乗った方が良いだろうと判断。

甲府昭和インターから中央道に入るが、八王子までの所要時間は3時間以上との表示。

そしてすぐに発生する渋滞。

道路交通情報によると45kmの渋滞、八王子まで3時間以上というのも嘘では無さそう。

カーナビを見ても渋滞の線が長く続いている。

疲れている身体には堪えたが、なんだかんだと皆で喋っていたのでそう眠くはならなかった。

渋滞の原因と思われる事故車を過ぎてからは嘘のように道が流れ始める。

行きと同じく帰りの渋滞も事故車が影響していたらしい。

恐らく99%以上の車が何事も無く運転しているはずなのに、たった数台の車の事故や故障のために何百(何千?)台もの車が影響される渋滞になる。

渋滞の車の中には新宿行きの高速バスなんかもいた。

この調子で行くと新宿着は日付が変わるはず。

乗客の中には新宿から電車で移動する人もいただろうが、終電に間に合うのだろうかと余計な心配も。

また、渋滞の中には「わ」ナンバーも多く見かけたことから、レンタカーの時間延長という損害も発生してそう。

そんなことを考えると電車の人身事故のように事故を起こした車には何らかのペナルティを与えても良いんじゃないかと思った。

そして渋滞が何km以上続いた場合は高速料金も割引、とか。

八王子インターに着いたのは0時過ぎ、実に4時間以上かかった計算になる。

電車も無いだろうからと自宅まで送ってもらい、帰宅は1時前。

出発した時間から考えると甲斐駒ケ岳を登頂している時間だ。

なんだか渋滞に始まり渋滞に終わった甲斐駒ケ岳登山だった。

好天でコンディションは良く充実していたのでまぁそのくらいの代償は我慢しよう。

 

 

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