インドネシア一人旅
2010年9月29日〜10月5日
30を越えて旅も新たなステージへ
初めて赤道を越えて南半球へ
旅の内容自体はそう変わらない
準備
インドネシアは複数の島国が集まった群島国家。
有名なリゾートのバリ島もインドネシアの島の1つ。
世界遺産を紹介する番組でボロブドゥール遺跡を見てからいつか行きたいと思っていたインドネシア。
ボロブドゥール遺跡はインドネシアのジャワ島中部のジョグジャカルタという所から行けるらしい。
飛行機を調べると成田からジョグジャカルタへの直行便は無さそう。
首都ジャカルタを経由してジョグジャカルタへ行くガルーダ・インドネシア航空が最も時間的にも都合が良さそう。
安い航空券なら他にもあったが、社会人の今は安さよりも効率的に時間を使える航空券を選ぶ。
折角ジャカルタを経由するのでジャカルタでの途中降機も含めた。
時期が9〜10月だったので労せずに航空券が取れた。
ホテルは今回も事前に日本で予約。
現地飛び込みは20代で卒業したつもり。
そこに労力を費やすよりは現地での観光に労力を費やしたい30代。
2010年9月29日 水曜日
飛行機は12時発のガルーダ・インドネシア航空。
念には念を入れて9時過ぎには成田に着くバスに乗るために起床は6時。
家を出るときの装備はTシャツとハーフパンツ。
日本は記録的猛暑がようやく過ぎ去って秋の気配漂う朝。
やや肌寒かったが、これから行くインドネシアのジャワ島は赤道直下なのでこの装備で我慢。
成田空港に着いたのは予定通り9時過ぎ。
これから海外と考えると出発前のわくわく感は出来るだけ長く味わっていたい。
そんなことを考えていたら今回乗る飛行機の出発が1時間の遅れとか。
結果的に4時間近くも待ち時間が発生してしまった。
ガルーダ航空のカウンターでチェックインを済ませる。
その場でインドネシア入国のビザ代25米ドル(≒2,175円・1ドル87円換算)を支払う。
チェックインを済ませても3時間以上の待ち時間。
第2ターミナルにある出発前によく行くたこ焼き屋でたこ焼きとビール。
家を出たのが早朝だったのでこれまで何も口にしていなかった。
この旅で最初に口にしたものがビールとは…この旅の行く末を暗示しているのか。
朝飯前
ビールとたこ焼きという何ともいえない朝食を終えても有り余る時間。
暇つぶしにターミナル連絡バス(無料)に乗って第1ターミナルまで行ってみる。
一通り空港のショップをうろついてからコンビニで缶ビール買って展望台で飲みながら時間潰し。
午前中にして既に2杯目のビール。
程よく酔いも回ったところで第2ターミナルに戻って出国手続きを済ます。
出国手続き後の方が人も減るからか落ち着いた雰囲気。
2月にNYへ行ったときに「免税店でタバコを買ってきてくれ」と職場の人に頼まれていた。
当時は帰国時に買えば良いと思っていたが、帰国時には免税店が無かった。
今回は10月からタバコ税が上がることもあって「今回は絶対ヨロシク」と強く頼まれていた。
出発時に買うのは荷物になって嫌なのだが、前回の負い目もあったので今回は出発時に買っていくことにした。
免税店でも10月の増税に合わせてタバコ販売を強化しているようでどの店でも表示価格からさらに5%オフとしていた。
1カートン1,900円、増税後の値段と比べると半額以下だ。
初めて免税店で煙草を買ったがレシートを見ると…
「この商品は輸出用なので航空機搭乗まで開封したり他人に譲渡してはいけません」
…なる記載が。
どうやらそういうものらしい。
免税店を一通り冷やかして搭乗を待つ。
ジャカルタ行きのガルーダ航空は半分程度の入りで空いている。
隣席に誰も来なかったので広々使えて良い。
1人1台モニターも付いているし機内設備もまずまず。
7時間の飛行中は例によって睡眠とビールとガイドブックを読んでの予習に費やす。
到着前には飛行機内を入国管理官が回って入国審査が完了。
これまで色々な国へ行ってきたが、機内で入国審査をするのは初体験だった。
着陸に近付くと既に暗くなったジャカルタの夜景が見渡せる。
飛行機から見る夜景の光量でその街の発展度がある程度分かる気がする。
それでいくとジャカルタはさすがインドネシアの首都、といえる光量だった。
日本時間20:30、ジャカルタ時間18:30にスカルノハッタ国際空港に到着。
日本とジャカルタの時差は-2時間、日本が12時ならジャカルタは10時、以降はインドネシア時間で表記。
入国審査は機内で済んでいたので、そのまま荷物受け取りカウンターへ。
基本的に旅の荷物は全て機内持込にしている。
しかし今回は成田での待ち時間が長かったのと、直行便でロストバゲージの確率も低いだろうと荷物を機内預けにした。
そんなわけでいつもは横目で通り過ぎる荷物待ちベルトコンベアに私も並ぶ。
折角機内で入国審査が済んで早く入国できると思ったのが、結局荷物待ちでプラマイゼロな気が。
それにしてもなかなか自分のバッグが出てこないときの不安感はたまらない。
幸いやや遅めだったが私の荷物も出てきてくれた。
入国審査は機内で簡単にやったくせに、税関では荷物をX線検査機に通された。
入国が甘いんだか厳しいんだかよく分からない国だ。
荷物待ちが長かったのでインドネシアに入れたのは現地時刻19時過ぎ。
まずは空港内で最低限の両替をする。
いくつかの両替屋を回ったが日本円のレートはいずれも103とある。
3,000円を両替すると5,000円未満のレートは101な、と言われる。
まずはインドネシアルピアが無ければ街へも出られないので承諾して両替してもらう。
3,000円で30万強ルピア、1円で100ルピア。
ルピアからゼロを2つ取ればほぼ日本円と考えると計算がし易い(以降ルピアの表記はRp、1円=100Rpで計算)。
空港を出ると身体にまとわり付くムワッとした熱気。
コレコレ、これこそが東南アジアへ来たという感覚。
個人旅行で海外へ着いた第1歩はいかに街の中心部まで行くかということ。
殆どの海外で街の中心部への最安の移動手段はバス。
そんなわけでタクシーの客引きを振り切ってバス乗り場へ向かう。
目指すはジャカルタ中心部にあるガンビル駅までのバス。
チケット売り場でバス乗車券20,000Rp(≒200円)を購入。
バスが来るたびに係員に「これはガンビル行きか?」と聞いてバスを待つ。
19時30分過ぎにガンビル行きバスが到着。
少し走っただけでジャカルタが都会であることが分かる。
道も整備されているし、所々で巨大なホテルやショッピングモールのような建物もある。
さすがは東南アジアの大国インドネシアの首都だけのことはある。
1時間弱ほど走ってガンビル駅に到着。
時刻は20時30分に近かったので周囲は真っ暗。
駅だというのにそれほど明るくなく不安になってくる。
バスを降りると群がってくるのはココでもタクシーの客引き。
事前に地図を見た感じだとガンビル駅からホテルのあるジャラン・ジャクサ地区までは歩いて行ける距離。
タクシーの客引きに「歩いて行くからイイんだ」と断ると「ジャクサならアッチだ」と教えてくれる。
しかしそっち方面に歩いていくと別のタクシー客引きが「ジャクサはアッチだぞ」と完全に逆方向を指差す。
オイオイどっちだよ…コッチが金にならないから嫌がらせして適当に教えてんのか。
周囲を見回すと駅の入口辺りにセキュリティチェックをしている警官みたいなのがいた。
タクシーの客引きなどではなく、利害関係の無い人に聞いた方が確実だろう。
警官にジャラン・ジャクサの方向を聞く。
ちなみにジャランとは「〜通り」を意味するインドネシア語。
ジャラン・ジャクサとはジャクサ通りのこと(例えば竹下通りならジャラン・竹下)。
さらに余談でジャランジャランと繰り返すとインドネシア語で散歩する・ブラブラするという意味になるとか。
さらにさらに余談で旅行雑誌の「じゃらん」はこの言葉から来ているらしい。
閑話休題。
ようやくジャラン・ジャクサの正しいと思われる方向を聞いたのでそちらへ向けて歩き出す。
歩き出したのは良いもの、車の通行量は多いが人通りが殆ど無い道。
歩いていると次第に不安になってくる。
ようやくいた通行人にジャラン・ジャクサはコッチで良いのかを聞いてみる。
すると何やらとても丁寧な人で、拙い英語で一生懸命に行き方を説明してくれる。
コチラは大体の方向だけ教えてくれれば良かったのに、アレコレ言うから何を言っているのかよく分からない。
ただ一生懸命に説明してくれているのは伝わったので丁重にお礼を言って別れる。
なんとなく方向は合っている気はしたが、相変わらず増えない人通り。
明るければ太陽の位置や建物の配置、道の名前などで方向の見当をつけることが出来る。
しかし夜だと手がかりが乏しいし、何よりも闇が不安を増幅させる。
何かの建物の前に警備員のような人がいたので今度はその人に聞いてみる。
すると「歩いて行くには遠いぜ、5kmはあるよ」とのこと。
なんだって…
地図を見た感じだとそんなに離れているはずが無いのだが、もしかしたら逆方向に歩いていたのかもしれない。
しかしそれだと歩いてきた方向が間違っていたことになる。
途中で道を聞いた通行人の話でも方向は間違っていなかったと思う。
色々な考えが頭をよぎるが時間も21時に近付き、今から反対方向へ歩く気力も尽きていた。
初めての国で初めての夜、こうなったら安全確実にタクシーに乗った方が良いと判断。
今からガンビル駅に戻ってタクシー捕まえるか…と思っていたが目の前の通りは人通りこそ少ないが車通りは多い。
通りを物欲しげに眺めていると勝手にタクシーが止まってくれた。
目的地を告げると「それって結構近いぜ」とのこと。
え、近いの?
じゃぁさっきの警備員が言った遠いってのは何だったんだ。
私の英語が拙かったか、向こうが何か勘違いしたか、或いは考えたくないが単純に騙されたのか。
利害関係無いから騙すメリットもあまり無いような気がするから単にからかわれただけか。
いずれにせよタクシーの運転手に近いと言われても今からまた歩き気力は無くなっていた。
近くても良いから行ってくれとお願いする。
すると確かに5分も走らないうちに「ココがジャラン・ジャクサだ」と教えてくれる。
確かに近かった…だけど外国人旅行者が集まる安宿通りだという情報のジャラン・ジャクサ。
もっと活気のある通りだと思っていたが意外に薄暗くて「外国人旅行者が集まる安宿通り」というイメージではない。
これだったら歩いていても見落としそう、もしくは本当にコレがそうなのかと不安に駆られていそうだった。
結局私の泊まるホテル前までは初乗り料金の6,000Rp(≒60円)で到着。
到着してみれば確かに歩ける距離ではあったが、まぁタクシーを使って正解だっただろう。
ようやくホテルにチェックインできて一安心。
今回のホテルは日本から予約していった1泊4,000円程度で可も無し不可も無しの中級ホテル。
時間は21時過ぎ、ホテルの部屋で荷解きをしてから晩飯を食うために外出。
到着初日だし時間も少々遅かったのであまり遠出はしないようにホテル前の通りで食事を済ませることにする。
幸い何件も飲食店が並ぶ中、店の前にメニュー掲げていたレストランに入る。
入ってメニューを開いて失敗、ビールが無い。
店員にも確認してみたがアルコールは置いていないとのこと。
インドネシアはイスラム教が殆どで場所によってはアルコールを置いていないとはガイドブック情報。
仕方なくビールは抜きで、ご飯とチキンと付け合せの野菜や豆などが1皿にまとめられた定食のようなものを注文。
1皿15,000Rp(≒150円)と安い。
チキンがピリ辛でビールに合いそうだったのに惜しい。
飯だけ食ってホテルへ戻る道すがら、ホテルのすぐ横にあった24時間営業のコンビニ(サークルK)へ。
そこで晩飯時には飲み損ねた缶ビール14,500Rp(≒145円)を購入。
空港からのバス代20,000Rp(≒200円)・タクシー代6,000Rp(≒60円)・晩飯代15,000Rp(≒150円)はいずれもアジアらしく安い。
それと比べるとビール代14,500Rp(≒145円)だけは妙に現実的な値段だ。
ビールはインドネシア産のビンタンビール。
昨年ネパールへ行ったときの現地ビールは瓶ビールしかなかった。
故にホテルの部屋で飲むときはフロントに頼んで栓抜きを借りるという面倒なことをしていた。
今回はそれを避けるために折り畳める小型栓抜きを持ってきた。
それなのにビンタンビールは缶がある。
おまけに缶の方が安かったので栓抜きの出番は無し。
事前にちゃんと用意しておくとこういう結果になるってことか。
まぁ落ち着いてビールが飲めればそれで良し。
殆ど到着だけで終わった初日、ビールに始まりビールに終了。
2010年9月30日 木曜日
ホテルの朝食はビュッフェ形式。
1人暮らしをしてから平日の朝食はハムチーズトースト、休日は朝食無しの日々が続いている。
そんな生活から比べるとホテルのビュッフェ朝食は贅沢の極み。
豊富な種類のおかずを少量ずつ沢山食べてヨーグルトやフルーツのデザートまで。
さらに食後のコーヒーをゆっくり飲む。
こんな些細な朝食ですら非日常が旅の醍醐味。
朝食を済ませてこの日の予定はジャカルタ市内観光。
まずは街のランドマークともなっている独立記念広場の独立記念塔を目指す。
独立記念広場の東側には昨夜空港からのバスを降りたガンビル駅がある。
翌日には再びガンビル駅から空港へのバスに乗ることになる。
昨夜は途中で徒歩を断念してタクシーを使ってしまったが、ガンビル駅まで歩く距離感を知っておきたかった。
日中なので地図と照らし合わせると向かうべき方角はすぐに分かる。
つい12時間ほど前を考えると同じ通りとは思えない。
明るいだけでこれだけ安心感があるとは。
夜の闇というものが心理的に与えていたプレッシャーがいかに大きかったのかが分かる。
方角も道も分かってガンビル駅まで歩いてみたが、タクシーだったらすぐの距離でも歩くと20分ほどかかった。
昨夜は荷物もあったしタクシーを捕まえた選択は間違ってなかったと改めて思った。
独立記念広場やガンビル駅の周囲は何車線もある車道。
ジャカルタの街を少し歩いた感覚だと人よりも車やバイクの方が多く走っている印象。
駅にほぼ隣接している形の独立記念広場へ入る。
午前中だからか人もまばらで閑散としている広場の中央に聳え立っているのが独立記念塔。
MONUMEN NASIONAL(現地表記)を略してMONASと呼ばれている。
MONAS
塔に入るには一旦地下に降りて、広場の地下通路から塔の入り口に出るという妙に凝ったつくり。
塔への入場料は2,500Rp(≒25円)と非常に安い。
と、思ったら塔へは入れるが展望台まで登るにはプラス7,500Rp(≒75円)という二重課金制。
なんかイヤらしい料金体系だと思いつつ、合計でも10,000Rp(≒100円)と安いことに変わりは無い。
エレベーターで展望台に登ると意外に狭い。
観光客も少ないであろう平日午前中だから良いものの、休日などで混んでいたら大変そう。
高い所から眺めるジャカルタの街は高層ビルが乱立している地域などもあって大都会。
MONASからジャカルタ市街を望む
ガイドブックの地図と照らし合わせながら、これからあの道を南下して〜と特に考えていなかったプランを練る。
展望台を降りると今度は塔の台座にあたる内部へ行ってみる。
石造りの内部のためかヒンヤリした空気が心地良い。
台座部分は博物館のようになっていて、インドネシアの歴史を紹介するジオラマが年代毎に作られている。
第2次大戦辺りでは日本軍による強制労働?の様子などもあり、英語の解説文には頻繁にJAPANの文字が出てくる。
日本が加害者的立場となっている展示を見るのは複雑な気分だ。
周囲に自分が日本人だと悟られたくないような気がしたが、そもそも周囲に人など殆どいなかった。
一通りの展示を見終えると時間は昼すぎ。
暑い中を歩き回っていたのでビールと共に昼飯を食うためにガイドブックに載っていて確実にビールがありそうな店に入る。
サテと言うインドネシア版の串焼きをメインに出す店。
注文したラム肉のサテは日本で言う焼き鳥のラム版。
甘辛いタレまでが焼き鳥そっくりでビールに合う、合いすぎる。
一緒に頼んだジャワ風なんとか麺というのも日本で言う焼きソバのようで美味。
ラムサテ32,000Rp(≒320円)、麺29,000Rp(≒290円)、大瓶ビール27,000Rp(≒270円)×2。
味も値段も満足。
昼飯を食べたレストランのすぐ脇が旅行者が集まるというジャラン・ジャクサ。
前夜は暗かったので寂しい通りだと思ったが、明るいうちに来ると印象が違う。
西洋人の姿を見かけ、レストランにも旅行者が目立つ。
海外の主要都市には必ずこうした旅行者が集う地区というものがある。
こうした所を1つ知っておくと、食事をするにも大きく外れは無いだろうしビールもあるだろう。
もしも旅で何かあったときでも日本人、或いは英語が通じる誰かはいるだろうという安心感もある。
そんなジャラン・ジャクサを経由してからジャカルタ1番の大通りというジャラン・タムリンを南下する。
ジャカルタ1番の大通りだが、人はあまり歩いていなくて多いのは車ばかり。
何車線もの道路に車がたくさん走っている。
商店街があるわけでもなく、街歩きというには面白みが無い。
ロータリーとなった交差点に着くと巨大ショッピングモールがどーんと立つ。
ジャカルタのメインストリート
ニッコーホテル・ジャカルタやグランドハイアット、マンダリンなど高級ホテルも周囲にある。
暑い中を歩いてきたので涼をとる意味も含めて巨大ショッピングモールのプラザ・インドネシアに入る。
入口ではセキュリティゲートをくぐらされたが、形式だけのような感じでノーチェック。
ショッピングモールの中は日本のデパートの規模を更に大きくしたような感じ。
高級ブランド店からスーパー、家電屋、飲食店、さらには小型遊園地のようなゲームセンターまで。
何から何まで見境無く入っている。
全く持って東南アジア的な要素が無い、そこだけ見たら先進国のショッピングモールと同じ。
一方でその近代的大型ショッピングモールの外の道路脇には何をするでもない地元民が道端に座っていたりする。
浮浪者というわけではないがお世辞にも綺麗な格好とは言いがたい人達が沢山。
ショッピングモール入口ではどこもセキュリティチェックをしていたが、そうした人達を排除しているようにも見えた。
(そうした人達はショッピングモールに入ろうとすらしていないようだが)
格差社会はどこにでもあるのだろうが、途上国の方がその格差が激しいような気がした。
ショッピングモールのフロアーの一角にATMが集まっているところがあった。
手持ちのインドネシアルピアは前夜に空港で両替した3,000円(≒300,000Rp)分しかなかった。
ジャラン・ジャクサ周辺にある両替屋を幾つか覗いてレートを聞いたがどこも日本円は103だと言う。
空港と同じレートなので特別良いというわけではないだろう。
それならばATMでクレジットカードのキャッシングをした方が良さそうだった。
過去に何度か海外でクレジットカードを使ったが、いずれも現地で両替をするよりもレートが良かった。
そんなわけで今後のために1,000,000Rp(≒10,000円)をATMで引き出した。
帰国後に調べたら金利込みで換算後104だったので街の両替屋とそう変わらなかった。
それでも僅かでも得だし、時々あるという両替屋で金額を誤魔化されるようなことも無くて良い。
とはいえ機械相手だから金額が少なく出てくるトラブルなんかあったときの対処は対人よりも面倒そうではある。
何事も一長一短か。
なにはともあれまとまったお金を手にすると気分も大きくなる。
ショッピングモール内の完全に西洋風な喫茶店でビールではなくアイスコーヒーを飲みつつ今後の行動を検討。
南へ行けばブロックMという繁華街がある。
北へ行けばオランダ統治時代に建てられたという欧風の建物や、チャイナタウンがある。
どちらへ行くにも歩くには遠く、かといってタクシーを使って行くほどの興味も無かった。
最初からジャカルタは経由するなら折角だから寄って行こう程度で来た街だし。
そんなわけで新たな場所へ行くのはやめにして、すぐ隣にあるもう1つの巨大ショッピングモールへ行くことに。
グランド・インドネシアなるショッピングモールはさきほど入ったプラザ・インドネシアに勝るとも劣らない規模。
そこをアチコチ歩き回っているだけで普通に街歩きをしている気分。
ショッピングモールの中で何もかもが揃う、それだけで1つの街を形成しているようだった。
特に何も買い物をせずにショッピングモールを出て、来た道を戻る。
すると左側の建物に見慣れた国旗が。
そこは日本大使館だった。
海外で日本大使館を見たのは初めてかもしれない。
プラザ・インドネシアのすぐ隣、ニッコーホテルの斜向かい。
こんなジャカルタの一等地にあるとは。
特に大使館に用があるわけでは無く、むしろ旅中はお世話にならないのが1番の大使館。
でも日本大使館がある、というだけで心強くなれた。
日本大使館を後にしてホテルのあるジャラン・ジャクサ方面へ戻りがてら寄ったのがサリナ・デパート。
さっきまでのショッピングモールのように高級志向ではない、どちらかというと地元民向けっぽいデパート。
少しくたびれた内装に古い型のエスカレーター。
コチラの方が肩肘張っていなくてバックパッカー風旅行者でも気軽に冷やかせる。
同じ建物内にマンチェスターユナイテッドカフェ・バーがあった。
なぜジャカルタにイングランドのマンチェスターユナイテッド?とは思ったが確実にビールがありそうだったので入店。
夕方17:30という微妙な時間帯のため、客は殆どいない。
さらにハッピーアワーなのでビール1杯の値段で2杯飲めるとのこと。
ということで全くジャカルタらしくない店内でビール。
店内の大型スクリーンではサッカーを放送(でもマンUの試合ではないという…)していたので飲みながら眺める。
サッカー眺めながらビールってシチュエーションは日本と変わらんな。
ハッピーアワーで生大2杯にサービス料込みで約65,000Rp(≒650円)。
1杯なら高い、2杯なら安いという値段設定。
ほろ酔いで一旦ホテルに戻って小休止の後に晩飯へ。
昼飯のサテが美味かったので露店のようなところで煙を上げながらサテを焼いている店に入りたかった。
しかし残念ながらどう見てもそこにはビールが無かった。
ジャカルタ最後の晩飯にビールが無いのでは締まらない。
結局、ガイドブックに載っていたレストランへ。
インドネシアの郷土料理店とのこと。
しっかりした店構えで、席へ案内される際に喫煙の有無を聞かれて禁煙席に案内されるなどしっかりした店。
肉料理と野菜料理と思われるものを適当に注文。
肉はビーフがオススメとガイドブックに書いてあったので素直に注文。
野菜は数種類から選べるらしいが店員が英語で言う野菜の単語が分からず。
「What's your special?」と聞き、とりあえず言われたものを頼んでおいた。
肉は予想以上に辛く、翌朝の下痢が心配になった。
野菜は空芯菜(恐らく…)を中心とした炒め物で油とニンニクが効いて美味。
肉が予想以上に辛かったので野菜の中に入っている真っ赤な物体を食べるのが怖かった。
一口齧ってみて赤ピーマンと分かって安堵。
異国で真っ赤な色の食べ物を食べるのには抵抗が。
昔はトマトに毒があると信じられていて、初めて食べた人が英雄になったという噂話を思い出した。
肉と野菜と瓶ビールにサービス料で約145,000Rp(≒1,450円)。
やはりしっかりした店は値段もしっかりしていた。
最後の夜なのでジャラン・ジャクサの周辺をジャランジャラン(散歩)。
外国人旅行者が集うジャラン・ジャクサよりも、1つ大通り寄りのジャラン・アグス・サリムの方が通りも大きく明るい。
屋台レストランなども並んでいて(歩道に客席を出しているので邪魔だが)、外国人よりも地元民っぽい人達で活気がある。
巨大なショッピングモールでは感じられなかったアジア的雰囲気がそこにはあった。
2010年10月1日 金曜日
この日は国内線の飛行機でジョグジャカルタへ。
14時発の飛行機だが、海外という慣れない地だし念を入れて2時間前には空港に着いていたい。
そう考えると午前中のうちには空港へ向かっていなければならない。
ジャカルタ安宿街の周辺
ホテルをチェックアウトして前日同様にガンビル駅まで歩き、空港行きのバス20000Rp(≒200円)に乗る。
ジャカルタに到着したときには夜だったのであまり見えなかった景色が見える。
高速道路を走って車窓を眺めると家々が密集して所々に高いビルも見える。
結局ジャカルタは普通の都市、というくらいの印象しか持てなかった。
行動範囲が狭かったというのもあるが雑然アジア感はあまり感じられず。
もっとも今回の旅のメインはこれからだ。
空港に到着してチケットを発券してもらう。
念には念を入れて早く着きすぎて出発まで2時間以上。
空港の売店でビールを買い、空港の食堂でミーバッソなる肉団子入りスープヌードルを食う。
一通り空港の売店などを冷やかすもそれほど間が持たない。
暫く経ってようやくジョグジャカルタ行きの飛行機に搭乗。
成田−ジャカルタの機内よりも明らかに混雑している。
それでも日本人は私だけのように思えた。
これまでのところ空港以外で見た日本人はMONASで2組の中高年男性を見たくらいだった。
離陸するとすぐに軽食(パンとスナック、ビールは無し)が出てくる。
食べ終わって片付けられたらすぐに着陸態勢に入る慌しさ。
結局1時間ほどでジョグジャカルタの空港に到着。
地方空港にしてはそこそこちゃんとした空港。
ジョグジャカルタはインドネシアのジャワ島中部の古都。
ボロブドゥールやプランバナンなどの世界遺産にも近く、インドネシアを代表する観光地。
日本で言うと東京がジャカルタ、京都がジョグジャカルタみたいな感覚か。
現地人も当地のことを略してジョグジャと呼ぶので本文中でも基本的に表記はジョグジャで統一。
それほど五月蝿くないタクシーの客引きを無視してトランスジョグジャという路線バス乗り場へ。
トランスジョグジャはジョグジャ市内を巡回している路線バス。
まさに庶民の乗り物らしく、料金も一律3,000Rp(≒30円)と格安。
それでもそれなりに綺麗な車体でクーラーも効いてしっかりした乗り物。
ジョグジャの中心部であるジャラン・マリオボロへ行くトランスジョグジャに乗る。
現地人ばかりの車内、初めての街でバスや電車に乗っているとどこで降りるのか分からずに不安になる。
ガイドブックによるとジョグジャの空港から市内まで30分ほどとのことだったのでその時間を目安にする。
幸いにして外は明るいのでジャカルタに到着した初日のような暗くて不安な想いはしなくて済みそう。
少し渋滞もあり、40分ほど走ったところで賑わった通りに出る。
乗務員(といっても普通のオッサン)にマリオボロかを確認して降りる。
ジョグジャのメインストリートであるジャラン・マリオボロ。
マリオボロモールという大きなショッピングセンターもありつつ露店も出て人も多い。
栄えていながら車道を車が埋め尽くすでもなく、自転車タクシーや馬車や人などがわらわらと行き来する。
通りに活気があり商店があって…というこの雰囲気こそがアジアっぽくて良い。
ジャカルタはあまりに都会だったので味気なかったが、ジョグジャは望んでいたような所だ。
ジョグジャのメインストリート
ジョグジャで予約していたホテルはジャラン・マリオボロから歩いて数分。
この旅のメインはジョグジャなので日本からそれなりに良いホテルを予約していた。
現地では高級ホテルに分類されるが、ホテル予約サイトを通して日本円で1泊6,400円だったので過度な期待はしていなかった。
しかし到着したホテルは見事な高級ホテル。
24時間営業のレストランがありカフェがありバーがあり中庭にプールがありスパがあり。
部屋もダブルベッドにソファ・ローテーブル・デスクがあってなお広々とした作り。
横になれるくらいの大きなバスタブもあり、アメニティグッズも充実。
これまで海外で数多くのホテルに泊まってきたが、その中でも屈指のレベルの高さ。
値段が1泊6,400円ということを考えれば費用対効果では間違いなくナンバーワン。
ホテルが良いと旅のテンションも上がる。
メリア・プロサニホテル、またジョグジャに来ることがあったらもう1度泊まりたいと早くも思った。
ジョグジャのホテル
チェックイン時に渡されたウェルカムドリンク券を使ってバーでトロピカルカクテル的な物を飲む。
この旅でビール以外のアルコールを口にしたのは初めてだ。
プールで泳いでいる人もいたホテルの中庭をジャランジャランしてからジョグジャの街へ。
初日なのでメインストリートのジャラン・マリオボロを簡単に歩くのみ。
晩飯はガイドブックに載っていたレストランへ行ってみるが客は1組しかいない。
不安になりつつもビンタンビールと共にナシゴレン(インドネシア風チャーハン)とチキンなんちゃらを注文。
それほど高くなかったので2品注文したが、出てきた料理はいずれも1人ではもてあますほどの結構な量。
インドネシア風チャーハンと鶏のから揚げ、みたいな感じでどちらもビールに良く合って美味。
ゆっくり食事をしているとどうやら他の客は帰ったらしく1人になっていた。
かと思うと店員が店内の椅子や机の配置換えをしてなにやら慌しい。
気が付くと店内はいくつもの机がくっついて大きな宅が出来ていた。
これから大人数で宴会でもあるのだろうか。
2〜3人で食べるような量をとても1人では食べきれずにお会計。
たビンタンビール2本とナシゴレンとチキンで117,500Rp(≒1,175円)、量を考えたら充分安い。
店の外へ出るとドアにはすでにCLOSEDの札が。
どうやら貸切で宴会でもやりそうな勢いだった。
満腹感と酔いを醒ますために夜のジャラン・マリオボロを歩く。
夜でも人と活気がある通りでジャカルタには無かった熱気がある。
ジャラン・マリオボロの中心にあるマリオボロ・モールというショッピングセンターに入ってみる。
マクドナルドを始め多くのテナントが入り、中心部が大きな吹き抜けになった近代的なショッピングセンター。
ジャカルタの高級ショッピングセンターのように肩肘張っているわけではなく現地人も気軽に入っているようだ。
スーパーマーケットも併設されていたのでビールとツマミを買ってホテルに帰る。
ホテルではバスタブに湯を張って入浴しつつそのままTシャツや下着を自力で洗濯。
高級ホテルなんだしランドリーサービス使っても良い気がしたが、この辺を妙にケチってしまうのが私の長所なのか短所なのか。
入浴と洗濯を全て終えて風呂の栓を抜く。
吸水口に吸い込まれていく水を見ていると次第に渦が出来てくる。
北半球と南半球では自転の影響で(?)出来る渦が右回り・左回りと逆になるというのをどこかで聞いた。
風呂で出来た渦は左回り。
確かに逆のような気がする…と思ったがそもそも日本でどっち向きに渦が出来ているかなんてあまり意識してなかった。
帰国後に調べたら「コリオリの力」とかいう作用らしく小難しい解説がいっぱい。
しかしその「コリオリの力」が作用するのは台風クラスの巨大なものだけ。
風呂の吸水口程度だったら風呂のつくりとかその時の水流とかその他の作用で右回りにも左回りにもなるとのこと。
しかも北半球は左回り、南半球は右回りになるとか。
今回発生した渦は左回り、つまり結局は北半球の渦。
ジョグジャのホテルで1人味わっていた小さな感動は何だったんだ…
2010年10月2日 土曜日
高級ホテルは朝食バイキングも高級。
肉・魚・野菜・米・麺・パン・チーズ・ハム・フルーツ・ヨーグルト等々なんでもあり。
確実にこの旅の全ての食事の中でも最も豪華。
これにビールでもあればそれだけで食事の全てが賄えそう。
食事を済ませてこの日はこの旅のメインテーマのボロブドゥールへ行くことにする。
ツアーでは無いのでいつ行っても良いのだが、目的地へは行けるうちに行っておいた方が良い。
例えば翌日に天気が大崩れして全く行けないなんてことも可能性としてはあるし。
そんなわけで午前中にホテルを出てボロブドゥールを目指す。
最初に向かうのはジョグジャから郊外へ向かうバスが発着するギワガン・バスターミナル。
ジャラン・マリオボロから路線バスのトランスジョグジャ3,000Rp(≒30円)に乗る。
30分ほどでギワガン・バスターミナルに到着。
ボロブドゥール行きのバス乗り場を確認してバスを待つ。
世界遺産にしてインドネシアを代表する観光地であるはずのボロブドゥール。
しかしそこへ向かうバスを待っているのに観光客(外国人)らしいのは私だけ。
それどころかバスターミナル自体も閑散としていて現地人もあまりいない。
土曜日の午前中というのはこんなものなのか?
10分ほど待っているとバスが到着して我が目を疑う。
世界遺産にしてインドネシアを代表する観光地であるはずのボロブドゥールへ向かうバスだというのに見事にオンボロのバス。
エアコン無し、シートはボロボロ、乗り込んだのは現地人だけ。
バスターミナルに来るまでに乗ってきた路線バスのトランスジョグジャの方が何倍も立派な作り。
バスターミナルにいた係員?客?に「ボロブドゥール行きか?」と確認すると「そうだ」と言う。
チケットは?と聞いても「イイから乗れ」とのこと。
観光客が誰もいなく、果たして本当にこれで良いのかと不安が増長したままバスは出発。
世界遺産へのバス
少し走ると運転手のほかにもう1人乗っているバスの係員(といっても普通のオッサン)が乗車賃を集める。
ガイドブックには10,000Rp(≒100円)と書いてあったが20,000Rp(≒200円)札を出しても釣りが来なかった。
バスが値上がりしたのか明らかな観光客(しかも私1人)だから軽くボラれたか。
とはいえ10,000Rp(≒100円)じゃないのか?とか確認する気力もあまり無かった。
何はともあれボロブドゥールにちゃんと着いてくれという気持ちの方が勝った。
バスは結構なスピードでどんどん進んでいく。
明確なバス停というものは存在しないらしく、客が係員に合図をすると何も無いところで降ろしてくれるらしい。
乗るときも人が固まってバス待ちをしているなーと思うとバスは走りながらスピードを落とす。
徐行になったところで係員が大声で「ボロブドゥール!」と叫ぶ。
バス待ちの人が誰も反応しないとバスはそのまま走り抜けていく。
反応する人がいるとバスが止まって客を乗せ、すぐにまた走り出す。
バス待ちの客がいる度に係員は「ボロブドゥール」と叫ぶのでなんとかボロブドゥールへは行くのだろうとは思った。
しかし相変わらず観光客は1人もいなくて現地人だけ。
ボロブドゥールとは言うものの世界遺産のボロブドゥールではなく違うボロブドゥールがあるのではないかと勘繰りたくなる。
2度ほどバスターミナルに止まって運転手の小休止みたいな時間がある。
その間に物売りが乗ってきて何やら売り歩いている。
ギターを抱えた青年が乗ってきて勝手に演奏を始めて唄いだす。
その後に物を売っているのかチップを要求しているのか席をウロウロする。
逃げ場の無いバスの中で勝手に演奏してチップを要求するとは巧いこと考えたものだ。
なんてことを思ったが現地人でも普通に無視している人もいたのでそれなりの苦労もありそうだ。
とはいえ目を合わせたらチップを要求されそうな気がしたのでひたすら外を眺めてやり過ごす。
ガイドブックにはジョグジャからボロブドゥールまでは約90分との記載があった。
窓の外を眺めるとどんどん田舎になって行くのが分かる。
ジョグジャからこんなに離れてちゃんと戻ってこられるのかと不安になってくる。
そうこうしているうちにバスがターミナルっぽい所に止まり次々と乗客が降りていく。
バスの係員が「ボロブドゥール」と教えてくれる。
ここまでの田舎道と比べれば少し栄えているが、ド田舎が田舎になった程度。
相変わらず観光客っぽい姿は見えずに本当にコレがボロブドゥールか?と思う。
しかしバスを降りると自転車に人が座れる荷台をつけたベチャという自転車タクシーの客引きがすぐに声をかけてくる。
客引きがいるイコール観光地、ということでようやく安心できた。
地図を見るとボロブドゥールのバスターミナルからボロブドゥールまでは充分に歩ける距離。
客引きを断ってボロブドゥール方面へ歩く。
それにしても相変わらず周囲に観光客らしき人がいない。
世界遺産へ向かう道がこんなに閑散としているのは初めてな気がする。
世界遺産への道
数分歩くと広場に屋台風のレストランや土産物屋が沢山並んでいる。
レストランと土産物屋イコール観光地、ということで到着したボロブドゥール史跡公園。
駐車場には大型バスが数台止まっている。
どうやらボロブドゥールは大型バスで直接乗りつけるような観光地なわけか。
道理でココへ来るまで全然他の観光客を見なかったわけだ。
公園に入りチケット売り場へ。
インドネシア人は外の窓口でチケットを買うのに対して、外国人はエアコンの効いた建物の中にチケット売り場がある。
もっとも外国人料金として現地人より遥かに高い金額なのだろうが。
入場料は15ドル(≒1,305円)。
世界遺産の入場料としてはなかなか高額の部類。
ちなみにこれまでの入場料最高額はインドのタージマハルで当時の日本円にして約2,250円。
それに比べればまだ良心的か。
綺麗に整備された緑イッパイの公園の舗道を歩いていると出た、ボロブドゥール。
タージマハルやアンコールワットは来るぞ来るぞと思わせておいてキター!!と満を持して視界に入ってきた。
一方でボロブドゥールは公園の道を曲がった途端にドン、という感じで急に視界に入ってくる。
小高い所に位置するボロブドゥールへの緩やかな坂を登って入り口に到達。
世界遺産・ボロブドゥール
さすがにココまで来ると観光客もそれなりにいる。
それでもこれまで見てきた世界遺産よりは観光客少な目。
階段状でピラミッドのような作りのボロブドゥールは世界最大級の仏教遺跡。
作られたのは8〜9世紀頃とされているが、発見されたのは1000年以上も後の19世紀。
それまでジャングルや火山灰などに覆われてその存在は伝説化していたとか。
壁面に仏陀の生涯を描いた壮大なレリーフがあることから仏教遺跡であることは分かっている。
しかしボロブドゥールがなんのために作られたものなのかは今でも正確には解明されていないらしい。
1000年以上も眠っていた巨大な謎の遺跡というフレーズだけで何かテンションが上がる。
遺跡内はそれぞれの階層で壁面に仏陀の生涯がレリーフとして描かれている。
ガイドブックには詳細にココに描かれているコレが云々との紹介があった。
しかし実際に見るとどこもかしこもレリーフだらけで何が何やらサッパリ。
壁イッパイにあるレリーフとそのストーリー性という意味ではアンコールワットに似ている。
周囲が森に囲まれた状況、石造りの遺跡、そしてレリーフ。
改めて考えると全体的にアンコールワットとよく似た遺跡であることに気付く。
よく分からないながらも全ての階層でレリーフを眺めてじわじわと頂上に近付く。
頂上から眺める景色はやはりアンコールワットの高い位置から眺めた景色に似ていた気がする。
世界遺産・ボロブドゥールの頂上
ボロブドゥールの頂上には釣鐘のような形をしたモノが沢山ある。
それぞれに細かな窓が付いていて、中には仏像が安置されている。
外からその窓に手を入れて仏像に触れることが出来ると願いが叶うという言い伝えがあるとかないとか。
仏像に手を伸ばす観光客を眺めつつ頂上付近をウロウロしていると現地の中高生なのか揃いの制服を着た女学生が数人。
観光客に話しかけて何やらメモを取っている。
その中の1人が私に近寄ってきて、英語は話せますか?と英語で聞いてきた。
少しなら…と答えると学校の課題で外国人に話を聞いているので答えてくれるか?(…というようなことを言っていたと思う)と。
どう見ても10代の女学生だし、他にも同じ制服来た人達が観光客に話しかけていたし怪しい者では無いだろう。
快諾すると名前を聞かれる。
ヒロユキと答えるとそれをノートに書こうとするがどうも巧く伝わってないらしい。
ハ行で始まる言葉はハッキリと発音しにくいから伝えるのが難しいのだということを感じた。
こちらがノートにHiroyukiと書いてあげる。
次にどこから来たのかを聞かれたのでジャパンと答える。
こちらはすぐに分かったらしく、ノートにJapanと書き留めていた。
イントロダクション的な質問が終わり、これからが本題かと思ったらサンキューベリーマッチと言われ質問終了。
え?終わり?!
何だ何だ?ただ何人の観光客に話しかけられるかというだけの課題だったのか?
まぁ終わりと言われれば別にこちらから何をするわけでもないので話は終了。
少しは異文化コミュニケーションが出来るかと思ったらすぐに終わってしまった。
入場料15ドルも払っているから時間を潰さないと損な気分でゆっくりしてから遺跡を下りる。
途中でスコールのような雨が降ってきた。
公園内の軒下で雨宿りをするもなかなかやむ様子が無い。
念のために持参した折り畳み傘が役に立った。
朝食バイキングからだいぶ時間も経って腹が減ってきたので昼飯を食うことに。
遺跡前の土産物屋エリアでは飯が食えそうな所もあったがビールは無さそうだった。
出来ればボロブドゥールを眺めつつビールが飲みたいと思っていた。
ガイドブックを見ると史跡公園内に唯一あるホテルにレストランがあるというのでそこへ行ってみることにした。
一旦史跡公園内を出てから案内板にしたがってボロブドゥール史跡公園内唯一のホテルであるマノハラ・ホテルへ。
高い建物のホテルではなく、バンガロー形式っぽい平屋がいくつか点在したようなホテル。
レストランと書かれた方へ向かうと入り口で「ボロブドゥールへ行くか?」と聞かれる。
もう行ってきた、と答えるとそのまま素通りさせられてボロブドゥール遺跡が見える屋外屋根つきのレストランへ。
他に客はいなくて貸し切り状態。
ボロブドゥールが見える席に座ってビールとミーゴレン(インドネシア風ヤキソバ)を注文。
外は雨、傘を差しながらボロブドゥールを観光している人が見える。
雨のお陰で空気が涼しく感じられる。
そんな中、ビールを飲みつつボロブドゥールを眺めるのはなんとも贅沢な感じ。
世界遺産を眺めつつビール
ホテル内レストラン料金のビンタンビール大小とミーゴレンで99,000Rp(≒990円)。
食事を終えた頃には雨も上がっていた。
やはりスコールのような一時的な雨だったらしい。
史跡公園内にあるホテルとレストランなので遺跡への出入り口がある。
店員に遺跡の方から帰っても良いのかを聞くと大丈夫だと言う。
そんなわけでもう1度遺跡に行くことが出来た。
特にチケットをチェックされたわけでもなく、最初からこのレストランに来ていればタダで遺跡に行ける気がした。
実際、ホテル宿泊者は遺跡の入場が自由だという。
もっともホテル宿泊代に遺跡入場料が含まれているのかもしれないが。
昼食を終え、遺跡も2度堪能した。
ボロブドゥールから2〜3kmくらいのところには2つほど寺院があるらしい。
でもそこそこ距離があったし、徒歩は勿論レンタサイクルを借りていくのも疲れて面倒になっていた。
旅のメインテーマのボロブドゥールを果たせたからもうイイかという気になってジョグジャに戻ることに。
バスターミナルに戻るとちょうどジョグジャ行きのバスが来ていたようで慌てて乗り込みすぐに発車。
相変わらずのオンボロバスで観光客はゼロ。
おまけに発車直前に駆け込み乗車したので混雑していて座れない。
車内にはボロブドゥールの頂上で見たような同じ制服を着た女学生がいっぱい乗っていた。
その中の1人が明らかに乗客の中で浮いている私に席を譲ってくれようとする。
イヤイヤ女子供に席を譲られるほど老いちゃいないので1度は断る。
すると周囲のオバちゃんが「イイから座ってくれ」というような雰囲気で話してくる。
なんだろう、外国人観光客を立たせておくのが忍びないのだろうか。
いずれにせよ座れと言われたというよりも座ってくれと頼まれたような感じだったのでおとなしく座る。
行きと同じように帰りも現地人満載のバスで現地人の乗り降りも激しい。
邪魔にならないように気を遣って座らせてくれたのかもしれない。
バスの係員が料金を回収に来たが行きと同じ20,000Rp(≒200円)だった。
そろそろ疲れも出ていたがさすがに現地バスの中で眠るほどの度胸は無い。
バスに揺られていると外はまた雨が降り出してきた。
渋滞もあったせいで1時間45分近く経ってジョグジャのギワガン・バスターミナルに戻ってきた。
外は相変わらずの雨、ココから路線バスのトランスジョグジャに乗ればジャラン・マリオボロに戻れる。
トランスジョグジャのバス停で待っていると雨と風が強くなってくる。
幸いにしてバス停は屋根があったので濡れることは無かったが東南アジア的スコールのような強烈な雨。
ボロブドゥールからはクーラー無しの現地バス、雨が降っているとはいえ蒸し暑かった外。
クーラーが効いたトランスジョグジャのバスに乗ってようやく一息つけた。
後は乗っていればジャラン・マリオボロまで連れて行ってくれるだろう。
降っている雨もスコールと考えればそう長く降り続くことも無いだろう。
バスに乗っている間に雨が上がってくれればイイやくらいの気持ちだった。
そんなこんなでバスに乗っていたが30分経っても40分経っても1時間経ってもジャラン・マリオボロに着かない。
行きの時間を考えたらバスターミナルからジャラン・マリオボロまでは30分もあれば着くはず。
雨は上がったが逆に外は暗くなってくる。
暗くなると不安が増すのはインドネシア到着初日と同じ状況。
いつジャラン・マリオボロに着くんだ?とハラハラし始める。
バスターミナルを出て1時間半経っても着かないことで不安がピークに達する。
しかし他にも客は乗っているし、乗るときにもこのバスがジャラン・マリオボロへ行くかとちゃんと確認もした。
大丈夫だ、大丈夫だと自分に言い聞かせてバスに身を委ねる。
既に辺りは真っ暗、眠くなる余裕なんて無い。
まさかジョグジャに戻ってからこんな不安になるとは思っても見なかった。
そろそろバスに乗っている係員に改めてマリオボロへ行くのか聞いてみようと思っていたら外の景色が賑やかになってきた。
見たことの無い景色ではあったが「HOTEL」という看板と安宿のような建物がいっぱい。
HOTELという看板+安宿っぽい建物イコール外国人バックパッカー用イコール観光客が集まる場所イコール繁華街。
これはメインストリートのジャラン・マリオボロは近いのでは?という予想的中。
ようやくジャラン・マリオボロに戻ってきた。
本当に「戻ってきた」というニュアンスがピッタリな感じ。
完全に日は落ちていたが、見知った道なら何も不安は無い。
それにしてもジョグジャからボロブドゥールへ行くまでにかかった時間以上にトランスジョグジャに乗ることになるとは。
遠回りしているトランスジョグジャの路線に乗ってしまったのかもしれない。
バスを降りたところは旅行者が集まる一角のソスロウィジャヤン地区。
そのままその地区のレストランで晩飯を食うことにした。
ガイドブックにいくつか載っている店の中で実際に覗いてみて一番繁盛している店に入る。
ようやく心から落ち着いてビールが飲めた。
一息ついたところで聞き覚えのある言葉…ネイティブな日本語だ。
どうやら柱を1つ隔てた向こう側に日本人旅行者がいるようだ。
話を聞いていると(聞き耳を立てなくても日本語なので自然に耳に入ってくる)、向こうは男1人女1人。
知り合いのような雰囲気ではなく、旅先で知り合って一緒に飯を食いながらお互いの旅話をしている模様。
その中で気になる言葉が…
「インドネシアのボロブドゥール、カンボジアのアンコールワット、ミャンマーのバガンが世界3大仏教遺跡」
…との発言。
そうなのか?でもアンコールワットってヒンドゥー教遺跡のような気が。
帰国してから調べたところによると当初はヒンドゥー寺院だったが後の王が仏教寺院に改修したらしい。
気付かぬうちに私もあと1つで世界3大仏教寺院を制覇。
最後はミャンマー…危なそうなイメージがあるなと思っていると聞こえてくる話の続き。
「ミャンマーって軍事政権のイメージが強くて怖い印象あるけど、実際行ってみると普通に良い所ですよね。」
なるほど、私も近いうちに行ってみたいと思った。
旅先で将来の旅候補地を見つける。
こうして旅の輪を繋げていけると良い。
彼らの話に入ろうかなーとも思ったが旅話の内容が結構なハイレベル。
ミャンマーに行くような連中なら旅のレベルも高いか。
ボロブドゥール往復の疲れもあって結局そのまま食事して店を出た。
帰りにスーパーでビールを買ってホテルの部屋で改めて飲み直し。
とりあえず旅のメインテーマは無事に果たせた祝杯。
2010年10月3日 日曜日
丸1日行動できるのはこの日が最後。
今朝も豪華な朝食バイキングから1日が始まる。
この日はジョグジャ近郊にあるもう1つの世界遺産であるプランバナン遺跡へ。
ボロブドゥールが仏教寺院なのに対してプランバナンはヒンドゥー教寺院。
ヒンドゥー教寺院としてはインドネシア最大のプランバナン。
ボロブドゥールとプランバナンは宗派の異なる2つの王朝によってほぼ同時期に作られたという。
インドネシアが世界に誇る世界遺産がいずれもジョグジャ近郊にある。
しかし片や仏教遺跡のボロブドゥール、片やヒンドゥー教遺跡のプランバナン。
インドネシアは国民の9割以上がイスラム教徒。
インドネシア人の大多数にとっては異教の遺跡が国を代表する世界遺産となっているというのはどういう気分なのだろう。
以前、当時の大統領が「ボロブドゥールは国民的な宗教遺産」という趣旨の発言をしたら、イスラム過激派が怒って遺跡の一部を破壊する行為に出たという事件もあるらしい。
なお、インドネシア国民は必ずイスラム教・キリスト教・ヒンドゥー教・仏教のいずれかを信仰しなければならないという。
あまり宗教に馴染みが無い日本人にはよく分からない。
そのプランバナン遺跡はボロブドゥールほど遠くなく、ジョグジャを巡回しているトランスジョグジャに乗っていれば着く。
前日のように行き先に不安を覚えるようなオンボロバスに乗る必要が無いのは気分的に楽。
ジャラン・マリオボロからトランスジョグジャに乗って50分ほど。
前日にボロブドゥールへ行ったときもそうだったが、世界遺産たる観光地へ向かうのに観光客の姿が見えない。
純然たる観光客がいれば観光地に向かっているのだという安心感があるのだが。
乗ったトランスジョグジャの終点がプランバナンらしく、他の乗客も皆降りた。
片側3車線くらいある大きな車道やバスターミナルに隣接する商店。
ボロブドゥールの周辺よりはかなり栄えている。
バスを降りたところから10分ほど歩くとプランバナンがある公園の入り口。
プランバナンは広い公園の中に寺院跡が点在している。
ボロブドゥールと同じで現地人と外国人観光客では入り口が違う。
外国人観光客用の建物の中ではウェルカムドリンク(水かコーヒーか紅茶)まで出された。
その分お値段もそれなりで近郊にあるボコの丘という所への入場料とセットになった券で20ドル(≒1,740円)。
こちらもボロブドゥール同様に案外高い。
プランバナン遺跡の中心は大きな尖塔が印象的な神殿を誇るロロ・ジョングラン寺院。
こちらも前日のボロブドゥールと同じで歩いていると急に視界に入ってくる感じ。
ロロ・ジョングラン寺院
それぞれの神殿内にはシヴァ・ブラフマ・ヴィシュヌ神が祀られている。
その向かいにはそれぞれの神が乗るシヴァ=牡牛、ブラフマ=白馬、ヴィシュヌ=ガルーダが祀られている。
…のだが、2006年のジャワ島地震で脆くなっているのか中に入れるのは一部だけ。
その中に入っても狭い部屋に石像が安置されているだけ。
そしてガルーダがいるはずの神殿の中には何も無い。
ガルーダは神鳥なので上にいるのかと見上げても何も無い。
何かがあるべきはずの神殿の小部屋に何も無いのは不思議な感じ。
鳥だけに飛んでどこかへ行ったのかもしれない。
ロロ・ジョングラン寺院以外にも広い公園内には寺院が点在している。
綺麗に整備された公園を歩いて寺院を回る。
ロロ・ジョングラン寺院には観光客もそれなりにいたが、その他の寺院に殆ど観光客はいない。
それもそのはず、2006年のジャワ島地震で崩れたまま放置されているような寺院が多い。
殆ど建物の形を成していなく、瓦礫の山のようになっているものも。
そりゃ観光客もあまり来ないわな。
でも人の少なさと廃墟のようになった寺院跡、それはそれで何か良い雰囲気を醸し出していた。
一通り公園内を散策してからボコの丘という高台へ行くことに。
プランバナン遺跡公園内から無料のバスが出ているのでそれに乗る。
バスといっても普通のワゴン車で現地人っぽい観光客と一緒に10分ほど車に揺られて到着。
丘の上に寺院があったと思われる跡が点在している。
頂上付近からはプランバナンを始め、景色が綺麗に見渡せる。
正面にはムラピ山というインドネシア屈指の活火山がある。
単独で聳えるムラピ山はどこか富士山を思わせる佇まい。
(ちなみにこの数週後の10月26日に大噴火を起こして現在までに100人以上の死亡が確認されているとか)
後に大噴火するムラピ山
丘の上は観光客も多くなく、寺院があったと思われる跡などは点在しているが基本的には長閑な広場という感じ。
プランバナン史跡公園でもボコの丘でも南半球の太陽の下を歩いていたのでそれなりに疲れていた。
休憩がてら丘の遺跡への入口脇のレストランに入ってみるが客も店員もいない。
ビールも無さそうな雰囲気だったので早々に引き返すことに。
行きと同じバスとは名ばかりの普通のワゴン車に乗ってプランバナン遺跡に戻る。
元気なら最後にまたロロ・ジョングラン寺院を眺めていただろうが、疲れからなんとなく体調不良。
ボロブドゥールとプランバナンという2つの世界遺産を制覇したことで完全に今回の旅の目的は達した。
体調が怪しいのでとりあえずジョグジャに戻っておく方が賢明と判断して帰りのトランスジョグジャに乗る。
前日のようにバスが予想外の遠回り(?)をして遅くなることもなく、無事にジャラン・マリオボロへ戻ってきた。
トランスジョグジャに乗って3度目のジャラン・マリオボロでの降車。
無事にホームに戻って来られたと思える程度には愛着も湧いてきた。
降りたのは前夜と同じで旅行者が集まる一角のソスロウィジャヤン地区。
旅行者が集まる一角には当然ホテルやレストランが揃っている。
昼飯を食っていなかったので前夜と同じようにガイドブックに載っている店の中で一番繁盛している店に入る。
店内は明らかに旅行者と見られる西洋人が数組。
旅行者が集まる地区+旅行者がいるレストラン≒ビールがある。
というわけで入ったレストランのメニューにはこれまで飲んできたビンタンビール以外にバリハイという銘柄が。
名前からバリのビールだろうと思って注文したが「今はビンタンビールしか置いてない」とつれない返事。
結局いつものビンタンビールと、どこで食べてもこれまで外れが無かったミーゴレン(インドネシア風ヤキソバ)を注文。
普通にビールも飲め、普通に美味しくミーゴレンも完食できたがやはりどこか体調不良。
時間はまだ15時過ぎ、実質最終日と思うとこれで終わるのは惜しい。
一旦ホテルで小休止してから最後の晩餐に備えることに。
ホテルへ戻る前にホテル近くにブリンハルジョ市場という地元民が集まる所があるらしいので行ってみる。
これまで見てきたショッピングセンターとは違い、小汚い巨大な体育館のような建物にひしめき合う屋台のような商店が多数。
これぞ発展途上アジアの市場、という雰囲気。
何も買うつもりが無くブラブラ冷やかしているだけでもアジアの雰囲気と熱気が感じられて良い。
写真だとそこそこ綺麗に見える
そんな市場だったが、疲れと体調不良であまり散策することも出来ず。
ホテルへ戻ると落ち着いたからか疲れが一気にドッと来た。
疲れと思っていたがこれはどうやら普通に体調悪いのではないかと思い始める。
ここは仮眠を取っておこうと横になる。
仮眠のつもりが本眠のようになり、寝ながら体調が悪いのを実感していく良くない傾向。
インド旅行で最後に香港に寄ったときの体調不良と似たような感覚、高級ホテルで体調不良。
夜になって目が覚めるが体調不良は変わらず。
食欲も無く当然酒欲も無く、これから外に出て飯食って酒を飲もうという気持ちにはなれない。
最終日はホテルのバーでカクテルでも飲もうと思っていたのだが、全くそれどころではない。
昼間の行動で汗はかいていたので風呂には入っておきたかった。
熱いお湯をバスタブにため、ゆっくりと風呂に浸かる。
最後の晩餐を取ることも出来ず、最後の夜にビールを飲むことも出来ず。
今回の旅の目的は全て果たしたとはいえ、最後はイマイチ締まらない夜だった。
2010年10月4日 月曜日
夜にはジャカルタ経由で帰国の途に着く。
前日の夕方から風呂を挟んでひたすら眠っていたおかげか体調も若干回復。
この旅で最も豪華かつ最も栄養がつけられるであろうホテルのバイキング朝食。
それほど食欲は無かったが、栄養をつけておいたほうが良いと思って少し無理しても沢山食べた。
しっかり食べられたので体調もそれなりに回復しているのだろう。
少し熱っぽさは残っていたので、念のために持参した解熱鎮痛剤を服用しておく。
さらに念を入れて、チェックアウトの時間ギリギリまでホテルの部屋でゆっくりして仮眠する。
最悪の場合は追加料金を払ってチェックアウト時間を伸ばそうかと思ったがそこまでしなくても大丈夫な程度には回復した。
3泊4日を過ごさせてもらった高級ホテルをチェックアウト。
残金を計算したところ食費や交通費や土産代を考えると微妙に足りない気がした。
残金を気にして切り詰めるよりも少し余裕があったほうが精神的にも良い。
とはいえ5,000円や10,000円を両替するほどでもない。
両替は基本的に紙幣しか出来ないので、こんなときに便利なのがドル紙幣。
日本円なら1,000円からしか両替できないが、米ドルなら1ドル単位で両替が出来る。
1,000円じゃ心許ないが、2,000円じゃ多いと思ったので15ドルを両替した。
細かい両替が出来て便利だが、日本円から考えると2重両替になるのでレートがピンと来ない。
15ドルで手にしたインドネシアルピアは132,375Rp
1ドル87円と考えると15ドル≒1,305円≒132,375Rp
当ページでは面倒なのでこれまで100Rp≒1円で換算していたが、現地でよく見たレートは1円≒103Rpだった。
より正確なレートで換算すると132,375Rp≒1,285円。
つまり日本円なら1,285円で手に出来る132,375Rpが米ドルを経由したため15ドル≒1,305円かかったということ。
約20円、充分に誤差の範囲内とはいえ日本円から両替した方がレートが良かった。
2年前に香港で両替したときはドルの方が強かった。
円高ドル安を海外で改めて実感した。
面倒な計算はさておき、当初の予定では最終日にジョグジャの街中にある王宮や市場などへ行くつもりだった。
とりあえず歩いていける距離の王宮へ行ってみるかと歩き始める。
王宮に入れるのは昼過ぎまでだったので、今から行ってもそれほど観光する時間は無い。
それでも時間は余っていたし、体調がどの程度回復しているかを確認する意味でも歩いてみることに。
あまり長い距離を歩くのは得策ではないと思ったが、歩いていると意外に大丈夫。
気が付くと王宮まで普通に歩いて来られていた。
王宮手前で現地人が声をかけてくる。
「小学校の教師をしているんだが午後からは休みなんだ」みたいなことを英語で言いつつ付いてくる。
観光地でフレンドリーに話しかけてくる輩は基本的に怪しい。
そうは思っていたが、こちらも体調不良が回復しているのを実感していたので少し相手にして喋る。
とりあえずフレンドリーに会話は出来た。
しかしこちらが王宮に入らずに歩き始めると付いてこなくなった。
案の定、ガイドもどきだったようだ。
王宮近くにガスン市場という鳥やペットを扱う店が多い市場があるらしい。
そこへ行ってみようと歩を進める。
歩いていると後ろから来たバイクの兄ちゃんが並走して話しかけてくる、「どこへ行くんだ?」
やれやれ、また似非ガイドかバイクタクシーか…
邪険にするのもなんだったんで「ガスン市場へ」と答える。
「ガスン市場は少し前に場所が変わった、ココからだと遠いぜ」と言う。
典型的な客引きの言葉だなー思い「ノープロブレム」と返して放置しているといなくなった。
道端で鳥篭に入った鳥を売っている店がいくつかあって、ガスン市場が近付いているのを感じる。
しかし地図上でココがガスン市場と思われるところは柵で囲まれていて中には入れない。
アレ?まさかさっきのバイクの兄ちゃんが言ったように本当にガスン市場の場所が変わっていたのか?
今となってはその真偽を確かめる方法は無いが、地図上の場所にガスン市場と思われるところが無いのは確か。
所詮は時間潰しのために行こうと思っていた市場。
改めて行く必然性は感じず、方向を変えてプロウィロタマン地区へ。
ジョグジャで旅行者が集まる安宿街があるのは主に2箇所。
北部のソロウィジャヤン地区と南部のプロウィロタマン地区。
北部へは2日連続で行っていたが、南部へは1度も行っていなかった。
本当は前夜の最後の晩餐で行くつもりだったが、体調不良で寝たままだった。
ある程度回復したので、この旅最後の目的地はプロウィロタマン地区に決定。
バティックなるインドネシア特産の染物を売る店が軒を連ねる通りを歩いてプロウィロタマン地区へ。
休憩がてらガイドブックに載っていたレストランに入る。
ビールを飲もうと思うくらいには回復していたので大丈夫だろう。
これまでミーゴレンやナシゴレンなどヤキソバかヤキメシばかりだったので今回はスープヌードルを注文。
気候的には暑かったが、カレー風味で米麺を使ったような熱いスープヌードルは美味かった。
特に病み上がりには熱いものの方が美味しく感じる。
もっともビールで中和しながら食していたのだが。
周囲は安宿街なので通りにはベチャと呼ばれる前面に荷台を付けた自転車タクシーが沢山止まっている。
旅の記念と病み上がりであまり歩き回るのも控えた方が良いだろうという実益も兼ねて乗ってみることに。
ガイドブックによると1〜2kmの相場は5,000〜8,000Rp(≒50円〜80円)とのこと。
目的地のジャラン・マリオボロまでは2km以上はありそうだったので10,000Rp(≒100円)くらいかなと見当をつける。
放っておいても声をかけてくるベチャの運転手。
「どこ行くんだ?」「マリオボロモールまで」「25,000Rp(≒250円)」
ノー、ありえない、という表情をして歩き出すと「待て待て、幾らだ?」と聞いてくる。
10,000Rp(≒100円)と言うと最初は渋って20,000Rpだの15,000Rpだのジワジワ下げてくる。
下げ幅から察するに10,000Rpで行けると思ったので10,000Rpじゃなきゃイイよ、と去ろうとすると交渉成立。
自転車の前に付いた荷台に乗ってジャラン・マリオボロを目指す。
10,000Rp(≒100円)で交渉成立していい気になっていたが、考えてみればジャカルタのタクシー初乗り料金が6,000Rp(≒60円)だった。
恐らくは普通にタクシー乗った方が安い。
まぁ観光地の風情を楽しむということで良しとするか。
結構年配の運転手で、走りながらゲホゲホと怪しい咳をする。
こちらは客なので気を遣う必要は無いのだが、なんだか少し申し訳なくなってくる。
目的地に到着したときは気持ちでプラス1,000Rp(≒10円)を上乗せしておいた。
ジャラン・マリオボロに着くとあとは空港へ向かうバスに乗るだけ。
時間はあったのでマリオボロモール内をブラブラ。
最上階にはゲームセンターがある。
日本のゲームセンターにもあるゲームが沢山置いてある。
遊ぶお金は当然現地通貨だが、やっている人を覗き見すると画面表示もゲーム内の声も全部日本語。
日本にあるものをそのまま輸入しているように見えた。
街ではごくたまにドラえもんやポケモンのTシャツを着ている人も見かけた。
ゲームやアニメってのはやはり日本が世界に誇れるものの1つだと実感。
最後にモール内にあるスーパーで職場への土産を物色。
インドネシアといえばコレ!というような菓子類が思い浮かばず、これまで旅していてもソレっぽいのは何も無く。
結局インドネシアのメーカーが作っている箱入りのチョコレートを購入。
スーパーなので少し高級感がある箱入りチョコもあったのだが、メーカーを見ると欧州産が殆ど。
ココはインドネシア産を買っていかなければ意味が無いと思ったのでインドネシア国産のチョコを購入。
インドネシア国産の方が遥かに安かったのは職場には内緒だ。
外へ出るとスコール的な雨。
時間に余裕はあったが、雨も降っているし、どんなハプニングがあるかも分からないので早々に空港へ向かうことに。
ジョグジャで最後のトランスジョグジャに乗って空港まで。
トランスジョグジャはどの距離でも3,000Rp(≒30円)なのでジョグジャではだいぶ世話になった。
ジョグジャのアディスチプト空港に到着してガルーダ・インドネシア航空のカウンターへ。
チェックイン手続きをすると事前に予約していた飛行機の1本前の便も空いているとのこと。
時間を潰せそうな場所も殆ど無いジョグジャの空港にいるより、ジャカルタの空港へ行っておいた方が良さそう。
何があるかも分からないし少しでも帰国に近付いていたほうが良いとも判断して便を変更してもらう。
頭の片隅に「これで飛行機が堕ちたら今が運命の分かれ道なんだな」なんてことが一瞬過ぎる。
変更した飛行機は30分も待たずに搭乗開始。
海外で空港に着いたその足ですぐに飛行機に乗り込むようなことになるとは。
未だ少し雨が残る中、飛行機は何事も無く離陸。
1時間弱のフライトの後に、飛行機は何事も無くジャカルタのスカルノハッタ空港に到着。
早い便に乗ったことで早くジャカルタに到着した。
成田行きの飛行機が出るまで5時間近く時間に余裕がある。
元気なら市街に出て飯でも食って帰ってくることも考えただろうが、一応は病み上がりの身。
おとなしく空港で待っていた方が賢明だと判断。
帰国便の搭乗手続きをして、出国審査を済ませてから免税店を冷やかしたり休憩したりを繰り返して時間を潰す。
空港内をウロウロしていると時々聞こえてくる出発便の空港内アナウンス。
基本的に現地語と英語だけのアナウンスが、日本行きの便の場合は日本語のアナウンスも追加されていた。
結構な量の日本人が利用するのだろうなということを感じさせられた。
出国審査後にある売店のビールは外国人価格か出国審査前よりは高額。
免税だから安くなると言うような発想は無いらしい。
最後に残ったインドネシアルピアでビールとポテトチップスを買って空港で最後の晩餐。
現地時間23時を過ぎると免税店も殆ど閉まって空港内も寂しくなる。
ようやく帰国便のゲートが開放されて後は搭乗を待つだけ。
搭乗前の待合室に行くとさすがに日本人だらけ。
バリ島のデンパサールからジャカルタ経由で帰る人も多いらしい。
明らかにリゾート帰りのカップルなどチャラチャラした雰囲気の日本人が増えた。
機内も行きの成田→ジャカルタ便と違ってほぼ満席。
この旅の飛行機で初めて隣席が埋まった。
とはいえ現地時間0時過ぎの離陸で機内食は出なかったが、ハンバーガー1つだけの軽食が出た。
残念ながらビールも無く、ハンバーガーを食べたらあとはただ眠るのみ。
2010年10月5日 火曜日
インドネシア時間で朝4時すぎ、外は次第に日が昇り始めて朝焼けの様相。
恐らくはもう日本領、時間も朝4時というよりは日本時間で6時と言った方が良いだろう。
機内食の朝食をたいらげてなんとなく外を眺めていると雲海の上に薄っすらと見える三角形のシルエット。
その部分だけ明らかに雲の影とは違う三角形。
雲海の上に見える三角形なんて富士山くらいしか想像できない。
1ヶ月前に到達したあの場所をまさか飛行機から見ることが出来るとは思わなかった。
奥にうっすらと見える黒い影が恐らく富士山
なんだか少し得した気分になり、インドネシア時間7時40分(日本時間9時40分)過ぎに日本へ帰国。
腕時計とデジカメを日本時間に合わせて旅の終了。
一時体調不良にもなったので念のために2年ぶり2度目の健康相談所へ寄る。
2年前と同様に熱を測り、いくつかの問診を受ける。
熱は36.7℃だったのでひとまずは安心。
今はほぼ回復していることや、問診の結果から恐らくは普通の風邪。
しかし現地で蚊に刺されているので、最悪の場合はマラリアやデング熱などが潜伏している危険性もあるとか。
潜伏期間は1ヶ月ほどなのでその間に高熱が出るようなことがあったらすぐに病院へ行くようにと指示される。
健康相談所で問診を受けている間に同じ便の客は入国審査を済ませたようでゲートはガラガラだった。
何事も無く入国と税関を済ませて正式に帰国完了。
1週間ぶりに携帯のメールを受信。
その中に「ジャカルタで列車事故があったが大丈夫か」とのメール。
何だその情報は?
どうやら10月2日未明にジャカルタ発の列車が衝突事故を起こして数十人が死亡したとか。
事故を起こしたジャカルタ発の列車は私も利用したガンビル駅から出ていたらしい。
10月2日はジョグジャにいたし、そもそも列車を使う予定は無かったのでニアミスとも言い難い。
それでも日本でニュースになるような大きな列車事故が起きていたとは。
そして前の方にも書いてあるが帰国から数週後にジョグジャ近郊のムラピ山が大噴火を起こし100人を超える死者。
火山灰の影響でジョグジャの空港が一時閉鎖されるほどの事態になり、ボロブドゥールでも火山灰が観測されたとか。
今回の旅は私の行った先々で何か惨事が起こっているような…
少し旅を控えたほうが良いのだろうか?
今回は旅先体調不良もあったし、無事に帰国できて何よりだったということを改めて感じた。
〆
今回も無事に遂行できた一人旅。
バックパックを背負って旅をしつつもホテルはちゃんとした所に泊まる。
ガイドブック片手に観光地へ行き、ガイドブックに載っているレストランで食事をしてビールも飲む。
バックパッカー的でありながら典型的な観光客でもある。
そんな旅のスタイルが完全に確立されてきた気がする。
無計画で行くには時間が無さ過ぎる。
全てが計画されたツアーは味気無さ過ぎる。
元気なうちはこんな旅を続けていきたいと思う。
2年前のインドでは空港1泊や夜行列車2泊など強行軍の旅だったから体調を崩したのもどこか頷ける。
しかし今回は結構余裕を持って旅したつもりだったにも関わらず体調が崩れたのが自分でも悔しい。
まだ老け込むには早いよな。
ジョグジャのレストランで聞こえてきた日本人の旅行者の言葉。
「ヨーロッパって行ったことあります?」
「まだ無いですし今はアジアが良いです。ヨーロッパならある程度の年齢になっても行けそうだから。」
私も常々似たようなことを思っていた。
アジアのような発展途上の熱気を感じつつ、それにやられないように気を張って旅が出来ること。
或いはそうした熱気に対する耐性を身に着けておくこと。
それが出来るのはある程度若いうち。
いつまで若いと思うかはその人次第だが。
…と同じようなことを昨年のネパール記の総評でも書いていた。
まだまだ旅は終わらない。
旅の費用
往復航空券(ガルーダ・インドネシア航空22日FIX、成田−ジャカルタ−ジョグジャカルタ)
71,000円
航空券関連諸税(空港使用税・保安料・保険料・サーチャージ)
14,600円
インドネシア両替
現地3,000円+キャッシングサービス(手数料込)9,620円
12,620円
米ドル支払い各種(ビザ・観光施設入場料・両替)
インドネシアビザ25ドル+ボロブドゥール15ドル+プランバナン20ドル+両替15ドル
75ドル≒6,525円
ジャカルタホテル代(2泊3日)
9,334円
ジョグジャカルタホテル代(3泊4日)
19,200円
海外旅行保険
2,420円
合計135,699円
改めて費用を計算してみたらここ最近の一人旅では最安だった。
これまでの旅と比べてそれほど安くなる要素は無かったはずだが。
強いて挙げれば1ヶ国滞在で余計な両替をする必要が無かったということか。