インド一人旅
2008年7月26日〜8月2日

何かで読んだかどこかで聞いたか…
インドへ行くと人生観が変わる
何度も行きたくなる人と二度と行きたくなくなる人とに分かれる
旅人はインドを目指す
…それらのフレーズからいつかはインドへ行きたいと思っていた。
インドへ行くなら旅の経験値を積んでレベルを上げてからでないとダメだ。
そんなおかしな信念からインドへ行けずにいた。
そして今回。
来年には三十路を迎える。
だからといって何が変わるとも思えないが20代のうちにインドへ行っておきたかった。
20代最後の年、機は熟した、いざインドへ。

 

準備

昨年7月のトルコ一人旅、今年2月のベトナム・カンボジア一人旅。

いずれの旅でも計画段階ではインドにしようかどうか迷っていた。

トルコとインドを比べた時には、トルコの方が遠いから行けるうちに行っておいたほうが良いとの判断でトルコ。

ベトカンとインドを比べた時には、旅行時の年齢は28歳で旅の翌月には29歳。

それならインドは20代最後の年に行きたいとの判断でベトカン。

今回晴れてインドだけの選択肢が残り、迷うことなくインドへの航空券を探し始めた。

昨年7月にトルコへ行った時はゴールデンウィーク明けに探し始めて既にキャンセル待ちだった。

今回はそれより更に1ヶ月早めて航空券を探す。

さすがにキャンセル待ちの所はなく、どこもまだ余っている。

直行便となると高いので、経由便を探す。

その中でも経由時間や経由の利便性を考えてアレコレ検索。

最終的に選択したのは香港経由でインドのデリー行きのキャセイパシフィック航空。

値段も安く、乗り継ぎの時間もそうかからない。

そして何よりも香港でストップオーバーが出来るというところに惹かれた。

今から約10年前、1998年に香港へ行ったのが私の初めての海外一人旅だった。

初の海外一人旅から節目の10年、その10年前と同じ地の香港へ行けることに運命的なものを感じた。

旅の最終日に香港で1泊するスケジュールで航空券を予約。

旅人に強烈な印象を与えるであろうインドから直に日本に帰国するのではなく、香港でワンクッションおく。

逆カルチャーショック防止のための措置だ(大袈裟)。

値段と乗り継ぎ時間、経由は文句無しだったが唯一とも言える難点がインドでの発着時間。

往路ではインドのデリー着が午前2時過ぎ。

午前2時にデリーに着いて眠るだけのホテルを初日に取るのもバカバカしい。

デリーの空港で夜明かしして街に出た方が結果的に良さそうだ。

復路はインドのデリー発が午前3時30分。

こちらも未明の時間、空港へ向かうのは夜遅くになってしまう。

実際にインドへ行ってみて街の雰囲気を味わわないとなんともいえないが夜遅い時間に空港へ向かうのは恐い気がする。

夜の空港への移動を安全に遂行しなければならない。

久しぶりにスリリングな旅にもなりそうだ。

もっともその発着時間のおかげで丸1日観光する余裕が出来たり宿泊代が浮く。

ものごとはポジティブに、特にインドへ行くのだからよりポジティブに。

香港でのホテルはこの旅の最終日ということでそれなりのホテルを日本から予約しておいた。

インドでも初日と最終日のホテルくらいは予約しようかとネットを検索。

しかしどうもピンと来る宿が無いしそもそもインドでの行動予定も殆ど決めていない。

何度かネットをぐるぐる回った後にインドでは一切宿を予約していかないことにした。

先ほどの空港への発着時間のくだり同様に今回はとことん現地で何とかしてやろうの精神で行くことにした。

インドで確実に行きたい所はアグラのタージマハル廟とヴァラナシ(ベナレス)のガンジス河。

そこへ行くルートも日程もホテルも何も決めず行き当たりバッタリの予定。

まずはインドへ、行ってどうするどうなるかは行ってから考える。

20代最後にこれまでに無い旅が出来ればと思う。

 

 

2008年7月26日 土曜日

考えてみれば1人暮らししてから初めての旅の始まり。

夕方発の飛行機だったため、午前中は家でゆっくり出来る。

前回のベトナム・カンボジア時には寒い日本から暑い海外への旅だった。

今回は暑い日本からさらに暑いと思われるインドへの旅。

衣類はTシャツだけで済むので、荷物はベトナム・カンボジア時よりも少なくてOK。

いつも荷物はバックパック1つだけ。

出発直前に地元で300米ドルを両替しておく、1米ドル≒110円。

時間に余裕があったので成田空港までは最安のルートを使用。

新宿〜日暮里〜成田空港。

日暮里からはビールを飲むためだけにスカイライナーに乗車。

ビール飲んでウトウトしているうちに到着。

インターネットでチェックインを済ませていたのでカウンターでは発券してもらうだけ。

空港内にあったタコ焼き屋で生ビールセット1,000円で休憩。

出国審査後の方が人が少なくて落ち着くのでさっさと出国審査を終えて搭乗開始待ち。

ネットで指定した今回の席は敢えて一番後ろの窓側席。

トルコへ行った時に前方の席を指定したら前の席にはベビーベッドがあるので子連れが座る可能性が高いことを学習した。

今回は後ろの席にして成功、特に急ぐ旅でもないし。

まずは経由地の香港へ向けて出発。

一番後ろの席にした難点が1つあった。

後ろが機内食などを用意する所らしくキャビンアテンダントの溜まり場みたいになっている。

機内食の時間には慌しくなるし、何も無い時間には談笑を始めるので思ったより結構うるさい。

それでも小さい子供のワーキャー泣き声よりはマシだが。

およそ4時間のフライトで香港到着。

飛行機乗り継ぎのため4時間ほどの待ち時間。

乗り継ぎ便はこれが面倒だが、私はそれほど嫌いではない。

目的地まで直行するのではなく、じわじわと目的地に近づく感じが好きなのだ。

乗り継ぎをするたびに機内の日本人率が低くなっているのを見て日本から離れているというのを実感できる。

街へ出るにはやや短い待ち時間だったので香港の空港内を一通り歩き回った。

成田空港よりも遥かに大きいと思われる香港の国際空港。

諸々のお店やフードコートも充実している。

香港も中国だなと実感させられたのは北京オリンピックの宣伝がアチコチに貼られていたこと。

北京オリンピックの公式グッズを扱う店も空港内にあった。

一通り空港内を散策し、出発便の案内を見るとデリー行き22:50のはずが「Est 23:30」となっている。

「Est」って何だよ、ちなみに漢字表記になると「預計」。

遅れなら「Delay」な気がするし、何だか分からないというのが1番気になる。

とりあえずさっさと搭乗ゲートへ行ってしまう。

搭乗ゲートへ行くと明らかにターバン巻いている人が増えたのでインド行きが一目瞭然。

搭乗開始時間になっても音沙汰無し。

ようやくアナウンスがあったと思ったら搭乗ゲート変更のお知らせ。

インドへ行く前に本やネットで調べた情報だとインドの列車は予定通り運行することが少ないとか。

それがインド流だからいちいち気にしていたら仕方が無い、とも。

やれやれ、インドに到着する前から飛行機でインド流を味わうことになるとは。

結局当初の予定より1時間近く遅れて搭乗開始。

今回も最後列の窓際席にしたが隣人が最悪。

シートにギリギリ収まる恰幅の良いデブインド人オッサン。

シートベルト締めるだけでフーフー言っている。

さも当然かのように真ん中の肘掛を占拠しやがる。

なんか独特のアジア臭みたいなの発散しているし。

こういうヤツはエコノミーシートに乗せちゃダメだろう、明らかに隣の迷惑だ。

或いは特別料金を徴収してそれを隣の客に還元しないと割が合わない。

遅れといい、隣のデブインド人といい、インドへ行く前から早くも色々な洗礼を浴びている気がする。

機内食では「ベジタリアンorノンベジタリアン?」との質問。

ノンベジと答えるとチキンとカレーみたいなのが出てきた、早速インド。

隣のデブインド人はベジタリアンを注文したくせにワインを2杯もお代わりしてやがった。

ベジタリアンでも酒は良いんだっけか?

5時間くらいの飛行の後にそろそろ着陸のアナウンス。

デリー時間だと深夜3時頃だが、思いのほか窓から眺めると電気の光で明るかった。

日本時間で6時30分、デリー時間だと3時にデリー到着。

香港との時差は2時間30分、日本との時差は3時間30分、時差が30分単位であるということを初めて知った。

入国審査は適当に記入した入国カードで何事も無くパス(泊まるホテルも決まってないし)。

深夜AM3時に到着した初体験の街へ繰り出す勇気は無い。

入国審査を済ませ、税関を通過する前、機内預け荷物が流れてくる広場にベンチが沢山。

中には寝ている人もいたので今宵の寝床はそこに決定。

入国審査は済ませたが税関カウンターを越えてはいないので、現地インド人は入ってこられないだろうと判断。

やや冷房が効きすぎて肌寒い中、ベンチに座って束の間の就寝。

 

 

2008年7月27日 日曜日

デリー時間6時頃に起床(以降の時間表記はデリー時間、日本との時差は3時間30分)

まずは安全確実に両替をするために、空港内にあった両替所へ。

1万円が3500ルピー、1ルピー≒2.85円、以降は1ルピー≒3円でレート計算、ルピーの表記はRs。

顔を見るだけで殆どスルーだった税関カウンターを越えると到着口。

こちらの方が冷房の効きが控えめ、こっちで寝れば良かった。

ただ空港の到着口は現地人でも入ってこられるのでやはり税関カウンター内の方が安全っぽい。

天気は薄曇り、インドは雨季なので心配していたが今のところは大丈夫そうだ。

ムッとする暑さだが思ったほどは蒸さない。

事前の情報だとデリーの空港を出た途端にインドの最初の洗礼を浴びることになるらしい。

タクシーやオートリキシャー(3輪の原付バイクみたいなので後部席が座席になっている)の客引きが凄いとか。

覚悟して外へ出たのだが1人兄ちゃんが「タクシー?」と近づいてきただけでNoNoを連呼して無視していたら引き下がった。

客引きは思ったほど大したことないのか?

この日の予定は未だ決めていなかったがニューデリーの鉄道駅へ向かう空港バスがあったのでそれに乗車。

50Rs(≒150円)でニューデリーまで。

揺れはあったが舗装された道をバスは進む。

3,40分ほど走ってバスの係員が「New Delhi station that way.」と言って降ろしてくれた。

バスを降りた所からまっすぐ進むとニューデリーの鉄道駅だという。

駅へ進む道は舗装もされていなく土埃が舞う道。

そこをオートリキシャーやバスが行き交うのでかなり空気が悪い。

汚い屋台が並び野良犬がウロウロ、とても首都の駅へ向かうとは思えない発展途上ぶり。

「Hello where are you going?」と現地人みたいなのに声をかけられる。

ニューデリー駅へ向かっていると言うと、駅はそっちじゃないコッチだと途中を曲がる。

私も駅に向かっているにしてはあまりのボロ道だと思っていたので言われた方に曲がってみる。

するとソイツが付いてきて親しげに英語で話しかけてくる。

こういうパターンはトルコでも経験した危険なサイン。

歩きながら話すとココを行った先にDTTDC(デリー観光開発公団)があるからそこで無料の地図を貰うと良い、と言う。

これはガイドブックにも載っていた典型的な詐欺パターン。

インドではDTTDC(デリー観光開発公団)の名前を騙る悪質旅行代理店が大量にあるとか。

自分からDTTDCの名前を出す奴はほぼ間違いなく正式なDTTDCでは無いという。

そこへ旅行者を連れ込んで高額なツアーを組ませたりするらしい。

薄々感づいてはいたが、やはりそうか。

私「DTTDC?駅はこっちじゃないのか?」
奴「駅はこっちじゃない、今から行くのはDTTDCだ」
私「No、オレは駅に行きたいんだ」
奴「駅へ行っても切符がないと意味が無い、DTTDCへ行って切符を買うんだ」
私「DTTDCなど行きたくない、オレはただ駅へ行きたいんだ!」

と強く言って来た道を引き返す。

後ろで奴が「ニューデリー駅はそっちじゃない、そっちはオールドデリー駅だ」と言っている声が聞こえる。
(デリーはニューデリーとオールドデリーという2つの駅がある、新市街と旧市街のようなもの)

私は奴の言うことは信じなくなっていたので最初にバスの係員が行った方向へ戻ることにする。

戻る道すがらまた話しかけて来る別の奴「Hello where are you going?」。

やれやれまたか。

「No problem.You can go.」と言って追い払う。

「オレはガイドじゃない、ただ喋りたいだけなんだ」と言って付いてくるが無視を決め込む。

こうした馴れ馴れしく話しかけて来る輩はこれまでにも経験していた。

だけど早くも分かったのはインド人のしつこさはこれまでの諸外国以上だということ。

歩いてもひたすら付いてくるので一旦立ち止まって無視し続けてようやくやり過ごす。

最初にバスの係員が言った行った方向へ歩いて行くと駅があった。

駅に向かっているとは思えない道だったが、ちゃんと最初っから駅へ向かっていたのだ。

バスの係員のように損得勘定関係ない人の言うことを信用するべきだった。

ついでに最初に話しかけてきた奴の言っていた「そっちはオールドデリー駅だ」というのはやはり嘘だったわけだ。

ニューデリー駅、外観はかなり汚い感じでボロイ(後から知ったが裏側だった)。

天下のIT大国の首都
ニューデリー駅の裏側

これがIT大国として発展途上国の上位を行く国の首都であるターミナル駅なのかと疑うほどの外観。

駅構内は人で溢れかえっていて、そのエネルギーは発展途上国っぽい。

階段を登ってみるとプラットホームだけでも10以上はある巨大駅をとにかく大量の人が行き交っている。

とりあえず駅構内を散策しようと歩き出すと改札みたいな金属探知機のゲートがある。

皆がそこを通っているわけではなく、無視して歩いている人もいたので私も無視して歩こうとする。

すると「Wait」と駅係員みたいなのに声をかけられる。

どこへ行く?と聞かれ、まだ何も考えていなかったので「I have no plan.」と答える。

今度はどこへ行きたいんだ?と聞かれた。

近いうちにはタージマハルを見に行くので「アグラ」(タージマハルのある町)と答える。

するとアグラへ行くなら切符を買わないといけないと話し始めた。

切符は外国人用のツーリストオフィスで買うことが出来るので案内してやると言われる。

駅構内のツーリストオフィスは改修工事中だからニューデリーの中心部であるコンノート・プレイスへ行く必要があると言う。

ニューデリー駅のオートリキシャー乗り場まで案内され、駅係員が1台のリキシャーに何やら一言。

「このリキシャーに乗っていけば外国人用ツーリストオフィスまで連れて行ってくれる、料金は10Rs(≒30円)だ。リキシャードライバーが30Rs(≒90円)と言おうと50Rs(≒150円)と言おうと10Rs(≒30円)しか払う必要が無いから安心しろ」と。

流れでリキシャーに乗ってしまったが途中で後悔。

あまりにも事が巧く運びすぎている、これは騙されるパターンな気がする。

10分ほど走ってリキシャーが辿り着いたのは「DTTDC」と書かれた建物の前。

どう見ても正式なDTTDCには見えない、これも悪徳旅行代理店っぽい。

何しろココまで連れてくる手口が鮮やか過ぎた。

不幸中の幸いはそのDTTDCに先客がいて中で少し待ち時間を与えられたこと。

待っている間に慌ててガイドブックを開く。

あった!「政府観光局(DTTDC)に騙されるツーリストが続出」の項目。

内容を見るとまさに私と似たような状況。

駅構内で駅員のような人に声をかけられてDTTDCを騙る店に連れて行かれて切符を買わさせられた人の被害談。

インドへ着いて間もない旅行者を騙して旅行代理店に連れ込むという。

そもそもDTTDCのような公的機関がリキシャーを手配して旅行者を連れて行くことなどありえないと断言までしている。

教科書に載っているような典型的なパターンに物の見事にはまるところだった…というか半分はまっている。

そうと決まれば長居は無用。

「I changed my mind.」(気が変わった)と言ってさっさと旅行代理店を出る。

「オイ、行っちまうのか」みたいなことを言われた気がしたが完全無視で乗ってきたリキシャーに乗って「ニューデリー駅へ」と告げる。

恐らくはこのリキシャーも私が旅行代理店で金を落とせばマージンが手に入ったのだろう。

渋々リキシャーは走り出したがすぐに止まり、今度は違うDTTDCと書かれた建物の前で止まった。

ガイドブックによるとデリーに正式なDTTDCは2軒しか無いらしい。

最初に声をかけてきたヤツと合わせて既に3軒目のDTTDCなんですが…。

早くもうんざりし始める。

私「オレはニューデリー駅へ、と言ったんだ」
リ「駅へ行っても切符がないとダメだ、切符はココで買え」
私「切符は要らない、ニューデリー駅へ戻れ」
リ「ニューデリー駅へ戻るなら30Rs(≒90円)必要だ」
私「ニューデリー駅からさっきの所まで10Rs(≒30円)だった、だから駅へ戻るのも10Rs(≒30円)だ」
リ「ココ(さっきとは違うDTTDCと書かれた建物)まで来たら駅へ戻るのは遠回りになる、30Rs(≒90円)だ」
私「オレは駅へ行けと言ったんだ、ココへは連れて来いとは頼んでいない!」

次第にイライラが募る。

この時点ではまだニューデリー駅からの往路のリキシャー代も払っていなかった。

私「今ココで降りて(往路の)10Rs(≒30円)か、ニューデリー駅まで戻って20Rs(≒60円)かどっちか選べ」
リ「今ココで降りて20Rs(≒60円)だ。」
私「ふざけんじゃねぇ!(←全て英語で喋っていたがココだけは日本語で怒鳴りつける)」

すぐに出せるように最初から用意していた10Rs(≒30円)札を1枚叩きつけてリキシャーを降りた。

追っかけて来ることはなかったのでこれで交渉成立?ということになる。

それにしてもしばらくイライラが収まらなかった。

インドに着いてからろくな奴に会っていない。

怒りに任せてリキシャーを降りたのでココがどこなのかハッキリ分からない。

走った距離から考えるとデリーの中心部であるコンノートプレイスから離れていないということは分かっていた。

適当に歩くとすぐに地下鉄の入口があった。

インドでも都市部では地下鉄が走っているのだ。

地下鉄の前にニューデリー駅をなんとかしろよと思うが。

地下鉄に乗るとニューデリー駅まで1駅。

歩けない距離でもなかったが6Rs(≒18円)と安かったので利用してみる。

改札前に金属探知機をくぐらされ、荷物の中身まで確認させられた。

地下鉄駅構内は地上のニューデリー駅とは比べ物にならないくらい近代的。

東京メトロの地下鉄駅と言われてもおかしくなく、すぐに来た地下鉄も東京のものと遜色なし。

発展途上国のまさに発展途上の様を見ることが出来た。

再び到着したニューデリー駅。

今度は話しかけてくる奴もなく、無事に正式な外国人用ツーリストオフィスに到着した。

こうなったら今日のうちにアグラへ行ってしまおうと思いアグラ行きの切符を買うことにする。

窓口で聞くと外国人用オフィスで買えるのは翌日以降の切符で、当日の切符は駅の窓口で直接買えとのこと。

仕方ないので駅の窓口へ。

どの窓口で買うのか辺りを見回していると「どこへ行きたいんだ?」の声。

「アグラ」と答えると「切符を買うならコッチだ」と連れて行かれそうになる。

もうその手には乗らない、自力で切符を買ってアグラへ行くのだ。

窓口前でキョロキョロしているだけで2,3人から同じように声をかけられて鬱陶しいことこのうえない。

とりあえず窓口に並んでしまい、窓口の係員に聞くのが1番懸命な気がした。

そして私の順番、一番早い列車でアグラへ行きたいと言うと54Rs(≒162円)と言われる。

言われるままに金を払うと切符をくれた。

なんともアッサリと切符購入に成功。

こんなに簡単だったのか。

これまでに話しかけてきた現地人どもめ、どうだ見たかバカヤロー。

そして改めて切符をよく確認するとどうも指定席では無いらしい。

号車や席番号の記述が全くない。

インドの列車で自由席か…。

発車は今から30分後となっている。

まだインドに着いて何も口にしていなかったのでとりあえず駅の売店で水1.5リットルを購入13Rs(≒39円)。

今度こそ本当の駅員のような人に切符を見せて何番のプラットフォームからの出発かを聞いてそこを目指す。

発車時間の10分ほど前に列車が到着。

持っている切符とホームに到着した列車が合っているのかどうか分からないのでホームにいる駅員(多分)に確認。

すると列車は合っているが号車が違うらしく後ろの方を指差される。

恐らくは自由席だろうと思われる車両に行くと既に列車のドアからはみ出るくらい人がギューギュー詰め。

どこの車両を見ても状況は変わらず大混雑。

えっ…コレに乗るんですか?

慌ててギューギュー詰めの車両に突っ込むインド人もいたので、出発時間前だけど列車が発車してしまうのかもしれない。

こちらも慌ててなんとか乗ることが出来そうなスペースを発見。

郷に入っては…と突入!通勤ラッシュが日常茶飯事な日本人なめんなよ!!

…と突入はしたが殆ど通勤ラッシュを味わっていない私の現状。

おまけにそこは朝の通勤ラッシュ以上の詰め込み具合。

さらにはエアコンも無い列車内、インド人も皆汗ダクで身体密着で蒸し蒸し。

バックパッカー風な旅行者は私だけ、インド人から奇異な目で見られる。

慌てて乗ったのに発車時間になっても動き出さず、その間にも後からどんどんインド人が乗ってきて圧迫感が増す。

10分遅れてようやく動き出す頃には既にこちらも汗ダククタクタ。

放っておいたら確実に脱水症状になるんじゃないかという車内、事前に売店で水買っておいて良かった。

列車が動き出してようやく窓とドア(ドアは閉まらない)から風が入ってくるが、ムワッとした風なので爽快とはいかず。

インドに到着して数時間しか経っていないが早くも2度とインドへ来たくなくなりつつあった。

なによりも辛いのがアグラへ到着するのが何時頃になるのかよく分からないこと。

ガイドブックではデリーからアグラまで約2時間と書いてあった気がするが、それは恐らく特急を使用した時間。

現在詰め込まれている列車は明らかに特急ではないだろうから少なくとも2時間以上はかかるはず。

いつまで我慢すれば良いのか分からない満員電車内はまるで拷問のようだった。

天下のIT大国の列車内
どうにか撮った1枚、写真で見るとそう酷く見えないのが残念

さらに信じられないことにその満員電車の中に物売りが現れる。

遠くの方から大きな声が段々近づいてきて籠の中に何か入れて売り歩いている。

そいつが人波を掻き分けて前へ進もうとするからどうにか落ち着いた体勢で立っていたのがまた乱される。

物売りは1人ではなく、定期的に別なヤツが違うものを売りに来るのでその度に細かな移動を強いられる。

足の踏み場もないので物売りは容赦なく人の足を踏みつけていく。

今回は暑い国へ行くことは確定していたので敢えてサンダルで旅に出た。

それでも海外では結構歩くのでスニーカーとサンダルの中間くらいの物を今回の旅用に購入した。

結果的にはそれが成功、爪先をちゃんと保護できるサンダルだったのだ。

それを履いていなかったら満員電車で容赦なくインド人に足を直に踏まれまくりだった。

満員の中でも我が身は守らなければいけなかった。

バックパックは背ではなく前で抱えるようにし、腰につけたデジカメやパスポート・財布の入ったポーチは完全ガード。

あの満員状態の中でスラれたらどうしようもなかっただろう。

もっとも、スル余裕もあまり無かったような気もするが。

前夜は空港で夜明かし、この日も朝から行動を開始して午前中で早くもクタクタ。

こんなことになるなら多少ボッタクラレても旅行代理店で指定席を買えば良かったと激しく後悔。

どこかの駅に止まるたびに何人かが降り、何人かが乗るを繰り返すが車内はなかなか空かない。

出発から3時間以上が経過した頃にこれまでで最も多くの人が降りる。

降りる乗客に「アグラ?」と聞くと「アグラ」と答える。

ホームに降りてもアグラの表記はどこにも無い。

駅員っぽいのに「アグラ?」と聞くと「Yes」と。

はぁー、本当に着いたのか。

デリーからアグラまでおよそ3時間20分。

エアコンも無いギューギュー詰めの暑い臭いムサイウザイ列車の中でよく耐えた。

それにしても到着したアグラの駅。

世界的観光地であるタージマハルがある町の中心駅にしては華が無い。

「ようこそ"タージマハルの玄関口"アグラへ」くらいのアピールがあっても良いではないか。

何はともあれアグラの中心駅アグラカント駅に到着。

駅構内から早くも「タージマハル?オートリキシャー?」と客引きが寄ってくる。

アグラカント駅からタージマハルまでは距離があったので素直にリキシャーを使うことにする。

リキシャーはチケット制になっているらしく、駅を出たところにある窓口でチケットを買う。

タージマハルまで50Rs(≒150円)。

10分ほど走って「ココをまっすぐ行くとタージマハルだ」という所で降りる。

これが世界的観光地のタージマハルに通じる道か?ってくらいしょぼい。

ともかく進んでいくと途中から列ができている。

先頭へ行ってみると予想はしていたがタージマハルへ入るための列だった。

タージへと続く列
行列の出来る観光地

初めて世界的観光地たる一面を見た。

結構な長蛇の列だったので一旦並ぶのはやめて、まずはこの日の宿を確保することにした。

ガイドブックにタージマハルが見える宿、と載っていたホテルへ。

アグラの町を歩いていると噂には聞いていたが牛が普通に道路を歩いたり寝そべっていたり。

インドでは牛は聖なる動物とされ、邪険に出来ないのだとか。

ヒンドゥー教のシヴァ神が牛に乗っているためらしい。

ちなみに恥ずかしながら今回初めて知ったのだがインドという国名はヒンドゥーから来ているとか。

インド国民の8割はヒンドゥー教徒らしいし、牛もそれを知ってか実に悠然と過ごしている。

牛を尻目に目指すホテルはすぐに見つかり1泊1260Rs(≒3780円)。

念のために部屋を見させてもらったが問題無さそうだったので即決。

疲れていたので余程のことがない限りそこで決めるつもりではあったが。

ホテルの庭は小高くなっていてタージマハルが望める。

遠くに眺めるタージ…徒歩10分くらい
遥かなるタージ

荷物を置いて身軽になったところで改めてタージマハルへ。

先ほどは正面の南門から入ろうとしたら長蛇の列だった。

泊まるホテルに近い東門は全く列が出来ていなくて実にスムーズに入場できた。

入場料は750Rs(≒2250円)、1つの施設としてはこれまで行ったどこ観光地の入場料よりも高いんじゃないだろうか。

隣にはインド人用チケットカウンターがあり、インド人の入場料は20Rs(≒60円)。

外国人料金はインド人料金の実に37.5倍!こりゃもう国家的なボッタクリのような。

入口では金属探知機ゲートをくぐらされ、兵士によるボディチェックも受けた。

敷地内に入り、タージマハルへ続く道の正面に門が。

入ってすぐにはタージマハル全貌を見せないところがアンコールワットのようなじらし方。

門の向こうに見えてくるタージマハル、ゆっくり歩いて出ましたお馴染みのタージマハル全貌。

想像以上でも以下でもなく思った通りのタージマハルがそこに。

タージマハル正面は記念撮影の観光客でいっぱい。

インドといえばタージマハル
説明不要のシンメトリー

「Do you need guide?」と話しかけてくる奴らを無視してタージマハル本体へ向かう。

高い入場料を払っているのでさっさと見終えるのが勿体無く、ゆっくり歩いて時間を使う。

タージマハルへは土足で上がることができない。

入口で靴を預けるか、靴にシートを被せないといけない。

預けて無くなったら困るのでシートを被せてタージマハル内部へ。

大理石の土台は炎天下で裸足だったら相当暑そう。

間近で見るタージマハルは思ったほど白くはなく、所々が傷んでいる。

完成したとされる1653年から350年以上も風雨に晒され続けていれば傷むのもやむなしか。

タージマハルは王妃の墓として作られた建造物。

大理石造りの建物だから内部は石造りでヒンヤリしているのかと思ったが人が多くて外よりも蒸し暑い。

暗い内部は中央に棺と思われるものがあり、周囲を歩くことが出来るだけ。

外から見るインパクトに比べると中は意外なほど拍子抜け。

川を背にして建っているタージマハル。

一説によると対岸に黒いタージマハルを作り、王妃の墓(白タージ)と王の墓(黒タージ)にしたかったとか。

だけど黒いタージを作る前に王が失脚してしまい、その夢は叶わなかった。

白黒タージがあったらそれは壮観だっただろう。

一通りタージマハルとその敷地内の公園を散策。

早朝から行動しっぱなしだったわけでそろそろ疲労もピーク。

タージには正門の南門の他に東西に門がある。

南門は最初に通り、私は東門から入場したので、出る時は通っていない西門から。

17時過ぎに西門から出たが、正門同様に大行列が出来ていた。

駅や主要な通りに近い西門だからこその混雑だろう。

私が入った東門では全く列が出来ていなかった。

多少歩いてでも東門から入った方が賢い気がする。

西門を出てすぐのところで目にしたタージレストランなる所に見つけたBEERの文字。

インドに到着してから先へ進むことばかりを考えていた。

とりあえずアグラへ行かねば、とりあえずホテルを探さねば、とりあえずタージマハルへ行かねば。

そんなわけで気が付けばインド入りしてからここまで食料を口にしていなかった。

我ながらよく持ったな、というわけで迷わずタージレストランに突入。

現地のビール「KING FISHER」120Rs(≒360円)、他の物価に比べれば高い感じ。

少し薄い感じはしたが普通にビールで問題なし。

ともかく必死に行動した後のビールなので不味いわけがない。

メニューは夕方のスナックタイムとのことで限定されていた。

インドっぽいメニューはなく、ポテトフライとチキンパカラなるものを注文。

チキンパカラは鶏に衣つけて揚げたもっぽく、どことなくタンドリーチキンっぽい味付け。

いずれもビールと良くあう。

ビール2本と合わせて会計は450Rs(≒1350円)。

ほろ酔い気分で夕暮れのアグラの町をホテルまで歩く。

途中でスコールのようなどしゃ降り。

インドは雨季なのだ。

慌てて軒下に避難したが数分で雨は上がる。

雨季の雨は予測できないから辛いところ。

ホテルへ戻ってシャワーを浴びようとしたがシャワーが全く出ない。

フロントに文句言うことも考えたが英語での会話と部屋を替えて云々を考えると面倒に。

結局疲れていたのでもうイイやと我慢。

持参していた洗顔用メントール入りウェットティッシュで身体中を拭いて終了。

寝る前にホテルの庭から夜のタージマハルを眺めてみることに。

ライトアップでもされているかと思ったが何も無し。

真っ暗な闇の中にタージマハルのシルエットが浮かんでいるだけだった。

インド初日にして勢いでタージマハルまで来てしまった。

翌日はガンジス河のある聖地ヴァラナシへ行こうと思う。

 

 

2008年7月28日 月曜日

7:30頃に起床すると外は明るい。

雨季のインドだが今のところ天気は大丈夫そうだ。

シャワーは出なかったがトイレは水洗で無事に稼動。

注目していた大はちゃんと固形物が出てくれた。

もっとも前日は結果として一食しかしていないのだが。

部屋にはインドの英字新聞が届けられていた。

見てみるとインドのどこかで車に爆弾が仕掛けられて爆発したというような記事。

インドの治安は不安定か?

朝食はホテルでオムレツとパンとチャイ(ミルクティー)。

ホテルの庭からは朝陽を浴びたタージマハルが綺麗に見える。

こりゃ慌てて前日行かなくても良かったかもしれないな。

安い入場料なら今日もまた行って見るかってなるのだが1回750Rs(≒2250円)はどう考えても高すぎる。

この日の第一の目的はガンジス河の町ヴァラナシへの列車の切符を取ること。

9時過ぎにホテルを出て、観光地のアグラ城の近くにあるアグラフォート駅を目指す。

煩わしく声をかけてくるリキシャードライバーを無視して徒歩。

ガイドブックを頼りにこっちの方向だろうなと見当をつけて歩く。

路地に入ると牛・犬・猿・羊・山羊・鶏と様々な動物がウロウロ。

小さい子供は「ハロー、ジャパニー」と愛想が良い。

30分近く歩いてなかなか到着せず、諦めてリキシャー捕まえた方が良いかなと思い始めた頃にアグラ城が見えてきた。

観光地の城へ行くより先にアグラフォート駅へ。

駅でヴァラナシへ行く列車があるかを聞くと21時発の夜行列車があるという。

早速切符の予約窓口へ行ってその切符を買おうとする。

切符購入用紙に行き先や列車番号、発車時間などを書いて提出する。

窓口のオッサンはそれを見るなり「No! Full full.」と。

満席?ヴァラナシ行きの夜行列車が?

ヴァラナシ行きの列車が満席なのか?と口頭で確認しても「Full」。

明日はどうだと聞いても「Full full all full」とロクに確認もせずにfullを連呼する。

本当に満席なのかもしれないが、どうも面倒でfullを連呼して追い払っているように感じられてしまった。

ここでは埒が明かないような気がして、前日に到着したアグラの中央駅であるアグラカント駅へ行ってみることに。

アグラフォート駅からアグラカント駅まではやや距離がある。

駅前で客待ちをしていたオートリキシャーに声をかける。

アグラカント駅までと言うと40Rs(≒120円)とのこと。

言い値で乗るのは馬鹿馬鹿しいので30Rs(≒90円)にしてくれと言う。

ダメだ40Rsだと言うので、それならイイよと他のオートリキシャーに向かおうとすると「分かった30Rsで良いよ」と。

案外素直に30RsでOKしたということはもっと安く出来た可能性が高いな。

アグラカント駅に到着し、切符を買う窓口があるので行ってみる。

外国人用窓口がありそこへ並んだが結構な列。

おまけにインド人は平気で列を無視していきなり先頭の横から窓口のオッサンに声をかけて直で切符を買ったりする。

窓口のオッサンも特に注意するでもなく発券しやがる。

ヴァラナシ行きはここでも明日の分も含めてFullだと言われる。

Really?と聞いてみると「見てみろ」とパソコンの端末を見させられたが正直よく分からない。

だけどそうまでするからには本当に満席なのだろう。

インドの列車の切符くらい当日にスッと買えると思っていたがどうやら見込みが甘かったらしい。

今日明日が満席で3日後の夜行列車ともなるとインドを出る日にデリーへ戻ってこられない恐れもある。

旅の第一目的のタージマハルは果たせたが、ガンジス河は黄色信号。

日程が短い中での無計画旅行はこうしたリスクをはらんでいたとは。

アグラからヴァラナシへの切符が取れないならアグラに留まっていても仕方がない。

首都デリーからならヴァラナシへの切符が取れるかもしれないとの期待を抱いてデリーへ戻ることにした。

というわけでアグラカントからデリーへの切符に変更。

行きの乗車券だけの切符で乗らされたギューギュー満員電車には懲りていたので指定席で行くことにする。

ところがこのデリー行きの切符を買うのに一苦労。

窓口へ行くとデリー行きはアッチの窓口だとオッサンが言う。

アッチの窓口へ行くとコッチじゃないと別のオッサンが言う。

結局最初の窓口で良かったらしく最初の窓口へ戻ってくる。

その度に列に並びなおすので徒に時間が過ぎていく。

そしてどこでも割り込んでくるインド人。

後半はこちらもイライラが募っていたので割り込もうとするヤツに「Wait wait!This is line! Go back!」と怒鳴る。

同じ列にバックパッカー風の旅行者が並んでいたので心強いから言えたことだけど。

インド人も注意されると苦笑いしてちゃんと列に並ぶ。

やはり主張すべきところは主張しないとダメだな。

ようやく正しいと思われる窓口で切符を買おうとしたが窓口のオッサンが実に偏屈なオヤジ。

私の書いた切符購入用紙に色々と難癖をつけてくる。

住所が書いていない、列車番号が書いていない、発車時間が書いていない、書き直しばかりで汚いから新しい用紙に書け…云々

これらの指摘を一気にするのではなく、1つ書き直して持っていくたびに新たな不備を指摘しやがる。

それ全部最初っから言えよ。

偏屈オヤジには私の前に並んでいた韓国人バックパッカー4人組も同じように苦労していた。

「この偏屈オヤジにはお互い大変だな」みたいにジェスチャーしたのをきっかけに英語で会話。

どうやら彼らは買った切符をキャンセルしたいらしいが、アレコレと難癖をつけられてはキャンセルできないらしい。

用紙に新しく記入する度に列に並びなおすので時間がかかる。

油断しているとインド人は割り込んでくるし、ここへ来るまでロクなインド人がいねぇ。

後半はこちらもだいぶイライラしてきて何度目かの再提出。

「(購入用紙の)ココに記載がない」とまた難癖。

何を書けば良いんだよ?と聞くとホニャララと言ってくるが何を言っているのか分からない。

頭に来て「You write!」と言ってペンを叩きつけると渋々ながらもオヤジが書いてくれた。

ってか最初っからそうしろよ!

デリー行きの切符を買うだけでなんだかんだ1時間以上も時間を使ってしまった。

今度こそちゃんと席番号も記載された指定席。

値段は76Rs(≒228円)、前日の自由席?だと54Rs(≒162円)、その程度しか変わらない値段だったのか。

列車は19時頃の発車でデリー着は22時の予定。

しかもニューデリー駅ではなく少し離れた郊外の駅。

そこからニューデリー駅まで行って、泊まることのできるホテルを探すことを考えると気が滅入る。

それでもデリーまで指定席がある列車はこれしかないらしい。

前日のギューギュー満員電車で戻ることを考えれば夜遅くのホテル探しの方がまだ耐えられそう。

覚悟を決めてまずは駅に隣接されていた食堂で昼飯。

残念ながらビールは置いていないようで、チキンカレーのようなものとスプライトで115Rs(≒345円)。

デリーへ戻る足は確保したのでそれまでの時間でアグラの観光。

タージマハルの次にアグラの観光地といえば先程も通ったアグラ城。

歩いて行くには距離がある、オートリキシャーで行くのが無難だ。

とはいえアグラカント駅から普通にオートリキシャーに乗ると前払いで50Rs(≒150円)かかる。

駅前で声をかけてくるリキシャードライバーを無視して少し歩き始める。

すると案の定後ろから来たリキシャードライバーが「どこまで行くんだ?」と。

先ほどこっちへ来た時は30Rs(≒90円)でアッサリ交渉成立した。

それならばもう少し吹っかけても大丈夫だろうと「アグラフォートまで20Rs(≒60円)で行くか?」と聞いてみる。

すると「No 30Rs(≒90円)」と。

イヤイヤ、20Rsだとゴネていると後ろから別のリキシャードライバーが「オレなら25Rs(≒75円)で行く」と。

イヤイヤ、20Rsだと粘ると最初の奴が「分かった20Rs(≒60円)だ」と折れて交渉成立。

これまでで最も安い値段で交渉成立したが、今回のリキシャーは途中で現地人を乗せた。

最終的に1台のオートリキシャーの前の席にドライバー含めて3人、後ろの席に私と現地人との計5人乗り。

別に不快ではなかったが、リキシャードライバーもなかなか抜け目ないな。

アグラ城前に到着、どうせ時間を潰さないといけないので露店で水を購入。

1.5リットルの水を買おうとすると「20Rs(≒60円)」。

駅の売店では12Rs(≒36円)程度だった。

他にも売店はあるので「高いからイイ」と言うと「OK、15Rs(≒45円)」と値下げ。

ついでなんで「No 10Rs(≒30円)」と言うと「OK」と交渉成立。

まったく、水買うのにすら交渉が必要なのかよ(まぁ後半は自分が勝手にやったってのもあるが)。

アグラ城の入場料は300Rs(≒900円)、こればかりは値切れないし結構高い。

ココもやはりインド人は20Rs(≒60円)。

一通り中を見ると長閑な庭園があるお城という感じ。

敷地内はリスがかけまわり、鳥がピャーピャー鳴いている。

中世インドを支配したムガール帝国の城。

この城でも1番の見所はやはりタージマハルが見える所。

城の展望台のような所から見るとタージマハルが川沿いに綺麗に見える。

観光客もそこに一手に集まっており、1人でボーっとしていると何人もから「Picture please.」と頼まれた。

アグラ城でもタージマハル
インドの子供たちの集合写真、後ろに微かに見えるのがタージマハル

タージマハルでもそうだったが、観光地には「Drinking Water」なるコーナーがあり、蛇口から冷たい水が出る。

見ると横に大きな浄水器みたいな巨大な機械があり、そこで飲料水を作っているらしい。

現地人はグビグビとそれを飲んでいたが、さすがに恐くて飲めない。

でも水は冷たかったので、それを空きボトルに入れて、そいつで足を洗う。

水が冷たくて気持ち良い、サンダルで良かったと思える瞬間。

アグラの主要観光スポットはタージマハルとアグラ城。

タージマハルはそれ自体しか無いが、アグラ城は広くて人も分散しているので時間の潰し甲斐がある。

列車の時間が近くなるまでゆっくりと城内や庭園を散策。

夕方近くになってアグラカント駅へ戻ることに。

例によってオートリキシャーを捕まえて交渉。

ここへ来るまで20Rs(≒60円)まで値が下がったので最後は強気に10Rs(≒30円)から交渉してみる。

すると何人目かのリキシャードライバーが割りとアッサリと10Rs(≒30円)でOKだと。

10Rs(≒30円)で良い代わりに土産物屋へ寄れ、と言い出した。

これも結構な常套パターン。

見るだけで良いと言いつつも土産物屋へ連れられると実際には何か買わないとダメなように軟禁されるとか。

土産物屋へ行くならリキシャーは要らないと突っぱねる。

何人かに10Rsで、と交渉をするがいずれも「10Rs、2shop」と店に寄るのを条件にさせられる。

仕方ないので10Rsは諦めて場所を替えて20Rsで交渉。

ところが20Rsでも芳しくなく、結局25Rs(≒75円)で交渉成立。

スムーズに交渉が行く時とそうでない時がある。

今回のリキシャーも途中で同じ方向へ行く客を次々と乗せて最終的にはドライバー含めて7人乗り(前に4人、後ろに3人)。

暑い中を狭いリキシャーでインド人と密着。

50Rsや30Rs払っていた頃は同乗者はいなかったのに、安くするとそれなりのデメリットもあるようだ。

ちなみに途中で降りた現地人がドライバーに払っていた金額はコイン(5Rs以下)。

当たり前だがどんなに粘り強く交渉しても観光客は相当ボラレているんだろうな。

アグラカント駅に着き、列車の出発までは時間がある。

どこかで夕飯を、と思い歩くアグラカント駅前。

小汚い屋台風食堂が並んでいる所へ適当に入る。

英語メニューもあり、インド風定食と言われている「ターリー」を注文。

メニューにビールは無かったのでコーラを注文。

ターリーはお盆のようなプレートにご飯、ナン、小さい器に4種のカレーが入ったメニュー。

ご飯とナンを4種のカレーにつけて食べる。

カレーはやや香辛料のクセが強い気はするが基本的には日本のそれと遜色ない。

全体的に可も無く不可も無しといった感じ。

ご飯とナンで結構お腹いっぱいになり、駅に戻って列車の到着を待つ。

通称タージエキスプレスなんていうから僅かながら期待していたが、登場したのはオンボロ車両。

指定された号車に乗り、指定された席へ。

エアコンの無い車内、1列3人がけの席で幸い窓側だった。

すぐ横に小さい子供を連れた夫婦が座ったので荷物は常に膝の上で持っていることになってしまった。

盗られるのを警戒して網棚には置けず、足元に置くスペースも無かった。

それでも指定席なだけ来たときの何倍もマシ。

19時頃に発車したが、ゆっくり動き出す車両に駆け込んで乗ってくる人が多数(ドアは開いたまま発車している)。

中年のオジサンが駆け込んできたが、後についてきた子供を抱いた爺さんが追いつけずにホームに置いていかれた。

駆け込んだオジサンは列車のEMERGENCYと書かれた緊急停止と思われる紐を何度も力強く引っ張る。

列車は急には止まれないらしく数分後にジワジワと止まる。

そして車掌らしき人物が現れてオジサンと口論をしている。

恐らくオジサンは「乗り遅れたから引き返せ」的なことを言っているものと思われる。

恐らく車掌は「そんなこと出来るか」的なことを言っているものと思われる。

オイオイまさか引き返しはしないだろうな、勘弁してくれよ。

何両も連結して長いインドの列車、だいぶ進み始めていたし今から反対方向に戻るのは結構大変そう。

ただでさえニューデリー到着が22時と遅い時間なのにこれ以上遅らせないでくれ。

他の客までアレコレ口を出しているようで何人かでオジサンを取り囲んで口論。

恐らくは車掌を含めて他の客は「戻れるわけないだろう」的なことを言っているものと思われる。

数分後に結局オジサンが1人で降りて行き、事なきを得た。

私は一部始終を見ていたから事情は分かったが、それ以外の車両の乗客は何が起きたのか分からなかっただろう。

再びジワジワ走り出し、ノンストップではなく所々の駅に停車しながらデリーを目指す。

エアコンは無い車内だったが、夜風が入って暑くない。

隣に座った若夫婦と赤ちゃん。

ワーキャー泣き喚いたら嫌だなと思ったがキャッキャと元気なだけで不快ではなかった(何度も蹴られたが)。

お母さんがインド式の子守唄みたいなのを唄い、赤ちゃんよりも先にお父さんが眠っていてなんだかホノボノ。

車内では物売りがひっきりなしに何かを売りに来る。

時々身体の不自由な物乞いが乗ってきて喜捨を求める。

基本的に私はずっとインドの車窓から夜のインドを眺める。

外は真っ暗なところもあれば、パーっと明るくなる所もあり、何でこんな所に人影が?なんて所も。

時間的にそろそろデリーだろうなという所へ来るとさすがに周囲は明るさが増した。

到着予定の22時を20分ほど遅れてデリー近郊のハザラト・ニッザムッディン駅に到着。

車内アナウンスなど無く、続々と人が降り始めたので理解した。

この日のホテルは全く決めていなかったが、列車の中でガイドブックを読んで目星はつけておいた。

安すぎず、適度な値段のホテルを2,3軒ピックアップしておいた。

ただそれらのホテルはいずれもニューデリー駅前、そこまで移動しなければならない。

この時間でもリキシャーは捕まるかどうか一抹の不安はすぐに払拭。

駅を出ると例によってワラワラとリキシャードライバーが寄ってくる。

時間も遅く、疲労もあり、ホテル探しの労力を考えるとあまりリキシャーとの料金交渉をする余裕は無く。

ニューデリー駅前のメインバザールまでいくらからを聞いてみると夜も遅いから150Rs(≒450円)と。

料金交渉する余裕は無くとも言い値では乗りたくない。

かといって強気な交渉をすると時間も過ぎていくしどうなるか分からない。

そんなわけでこちらは緩めの100Rs(≒300円)から始めて結局120Rs(≒360円)で落ち着いた。

出発するとどうも運転がぎこちない。

途中でガソリンスタンドへ寄ってタイヤに空気を入れている。

再び走り出して大丈夫かなーと思っていたらガコン!ガガガガガという震動と共にタイヤがパンクしたらしい。

路肩に止まるオートリキシャー。

タイヤをチェックして、スペアタイアを取り出す。

「手伝おうか?」と声をかけると「大丈夫だから乗っていろ」と。

しかし数分後に「手伝ってくれ」と。

リキシャードライバーのオジサンがリキシャーを持ち上げている間に私がクイを挟んで前輪を持ち上げる。

前輪が持ち上がっている間にオジサンがタイヤを交換し、私はリキシャーが倒れないように支える。

まさかインドでこんなことをするとは思わなかった。

タイヤ交換を終えて再び出発。

一気にスピードを出すので日本ほど整備されていないインドの道路では結構揺れる。

だからそんな無茶な走りをするからタイヤがパンクするんじゃないか。

ようやくニューデリー駅前のパハールガンジ・通称メインバザールに到着。

パンク修理の手伝いまでさせられたから日本なら料金負けろ、なケースだが今はそんなことをしている暇は無い。

とりあえずは泊まるホテルを探さなければいけない。

23時を過ぎたメインバザールだったが、露店の食堂街は営業中で呼び込みも多く熱気がある。

この小汚さや雑然さはまさにアジア的。

初日にニューデリー駅に着いた時はメインバザールとは反対側から駅に入ったのでココには気が付かなかった。

最初からこちらに来ていればインドの第一印象が違ったかもしれない。

駅前に面した通りは活気があったがメインバザールの通りに入ると開いている商店以外の灯りは殆ど無くて真っ暗に近い。

初めて通る所で深夜に真っ暗はかなり恐い。

何人かホテルの客引きに声をかけられたから宿無しという最悪の事態は避けられそう。

だが単純にホテルの客引きに付いていくのも恐いのでまずはガイドブックに載っていたホテルを探す。

いかにも安宿という所へは泊まりたくなかったので1000Rs(≒3000円)〜2000Rs(≒6000円)くらいなら妥当だろうと考えていた。

最初に飛び込んだホテルは客引きも無く外観もそれなりで1泊1500Rs(≒4500円)。

疲れていたのでもう充分です、と即決。

部屋は前日のホテルより良く、シャワーもちゃんと出た。

前日はシャワーを浴びられなかったので、日本以来のシャワー。

ホテルでようやく落ち着くことが出来て考えるのはこれからの予定。

ここまでたった2日だけど相当疲れたインド。

当分はインドへ来なくても良いように今回の旅の目的は果たしておきたい。

目的はタージマハルとガンジス河なので、ガンジス河のヴァラナシへはどうしても行きたい。

残り日数は約3日。

デリーからだとアグラ以上に遠いヴァラナシ、行くだけで半日かかりそう。

最良の策は往復で夜行列車。

移動と宿泊が1つになっているので時間も金も有効に使うことが出来る。

ただしアグラからの夜行列車が満員ということを考えるとデリーからのも楽観はできない。

いざとなったら飛行機を使ってでも目的を果たす覚悟を決めてこの日は就寝。

 

 

2008年7月29日 火曜日

前日より高いホテルだったせいか、前日よりもよく眠れた気がして8時頃に起床。

ヴァラナシまでの移動手段をいくつか考えた末に、旅行代理店へ行ってしまうことにした。

駅へ行って自力で切符を買うことも出来なくはないが、前日の窓口でのやりとりを思い出すとかなり面倒に。

1枚の切符を買うのに延々列に並びなおさせられ書類を書き直させられ。

前日が特別だったのかもしれないが、旅行代理店で手数料を払って全部やってもらえるのならそちらの方が良い。

これまでのインドの洗礼でだいぶ面倒になっている自分がいた。

町が動き出すであろう9時頃までゆっくりしてから町へ出た。

前日は夜に到着したので真っ暗だったメインバザール。

前夜は街灯も殆ど無く何が出るか分からない恐い雰囲気だったのに明るいだけでこうも違うとは。

バックパッカー御用達のメインバザール
メインバザール(パハールガンジ)入口付近

少し歩くと両替商があったので100米ドル(≒11,000円)を両替して4050Rs(≒12,150円)に。

ドルからルピーに両替した方が若干レートが良いようだ。

ガイドブックに載っていたまともそうな旅行代理店へ行ってみる。

今日の夜行でヴァラナシへ行き、明日の夜行でデリーへ戻ってくることが出来るかを聞いてみる。

すぐにネットで調べてくれて幸いどちらも空きがあるという。

両方とも2等寝台列車が取れるという。

往復列車代金が手数料込みで3,228Rs(≒9,684円)。

結構な値段になったが、2泊分と移動がセットになったと考えれば悪くない。

そして何よりもこれで旅の目的を果たせそうな目星がついたことが大きい。

完全に自力ではなく旅行代理店を介したのはチョット負けた感もあるが、手間と時間をお金で買うのも旅の1つの形ということで。

旅の道筋が完全に決まってご機嫌。

相変わらず鬱陶しく話しかけて来るリキシャーにも笑顔で「No」と言える心の余裕。

一息つくためにインドへ来たら飲みたいと思っていたラッシー(飲むヨーグルト)に挑戦。

ハエの飛び交う街角の露店でバナナラッシー15Rs(≒45円)。

ヨーグルトを泡立ててフワフワな感じにしてヨーグルトの膜みたいなものが浮いている。

つけおきしてあるバケツで洗った決して清潔とはいえない金属製のコップに入ったラッシー。

飲んでみるとちゃんと冷えていて美味しい。

まさに甘ーい飲むヨーグルトだが、シェイクのような感覚でもある。

暑い国で甘い飲むヨーグルトが意外なほど美味しかった。

勢いに乗ってメインバザールの別の屋台でももう1杯今度は普通のラッシー12Rs(≒36円)。

こちらは純粋な飲むヨーグルトという感じでこれまた美味。

調子乗りすぎて2杯、お腹のこと考えてなかった。

メインバザールを歩いていると「What's time?」と話しかけて来るヤツ。

はいはい、お決まりの手口。

無視しても良かったが目的が決まってラッシーも美味くて上機嫌だったので少し相手をしてみる。

例によって英語でアレコレ会話。

どこから来た、どこへ行く、インドは何回目だ、どれくらい滞在する…

インド滞在中は何度もこの手で離しかけられた。

旅行代理店に誘いたいのか仲良くなって睡眠薬強盗を狙っているのか。

そのときに「Are you form Nepal?」と聞かれたことが多々あった。

日本から来たのか?よりもネパールから来たのか?と聞かれることの方が多かった。

「You look like Nepalese」とも言われた。

どうやら私はネパール人顔らしい。

そのままネパール人で通そうかと思ったこともあったが、ネパール語で話しかけられたら困ってしまう。

いずれにせよなんだかネパールへ行ってみたくなってきた。

今回のソイツも「どこへ行く?」と聞いて付いてきた。

十字路に差し掛かるときに「君はどっちへ行くんだ?」と逆に質問。

ソイツが「Straight」と言ったので「So,I go right,bye.」と答えながら敢えて左に曲がってやった。

まったくもって面倒くさい。

まだホテルをチェックアウトしていなかったので、一旦ホテルに戻ってシャワーを浴びる。

これから2日間連続で夜行列車泊になるからしばらくシャワーは浴びられない。

チェックアウト時間ギリギリまでゆっくりしてからホテルをチェックアウト。

列車の時間まで旅行代理店で荷物を預かってくれると言うので、着替えの類の嵩張る荷物は全部置いておいた。

時刻は昼過ぎ、昼飯も考えてニューデリーの中心であるコンノートプレイスへ。

円状になったコンノートプレイスはデリーの中でも最も都会っぽい所かもしれない。

マクドナルドやケンタッキーなど日本でもお馴染みのファストフードもある。

牛を神と崇めるヒンドゥー教の国のマクドナルドに興味があった。

しかし昼飯時なので店内はだいぶ混雑していたので今回はパス。

ガイドブックに載っていたインド料理店へ。

こちらも混雑していたが相席で座れ、エアコンも効いて涼しい店内。

ガイドブックに載っている店だからビールがあるかと思ったがメニューに無し。

ヒンドゥー教で飲酒は好ましくないらしく、なかなかビールがある店に当たらない。

仕方なくコーラ20Rs(≒60円)を注文し、食べ物はインド風定食のターリー90Rs(≒270円)。

ターリーは前日もアグラカント駅前で食べたが、こちらの方が本格的なターリーが出てきそう。

もう1つの理由はメニューを見てもターリーくらいしか意味が分からなかったというのもある。

これ頼んでおけば大丈夫だろうみたいな感覚で注文。

前日のより小皿に盛られたカレーの種類が多く、ヨーグルトやサワークリームのようなものも。

ナンもいわゆる普通のナンと煎餅みたいに薄くパリパリになったものもついてきた、それにご飯。

カレーカレーカレー
インドの定食ターリー

当たり前だがどのカレーも普通にカレー。

ただ小皿を全部食べると相当お腹にもたれそうだし、結構辛いので食べ過ぎると下痢も心配。

ナンとご飯が無くなった頃合でやめておいた。

ところでインド人は右手だけで食事をする、みたいなことを聞いたことがあったが周りを見るとそうでもない。

確かに右手でご飯とカレーをグチャグチャに混ぜてそのまま手で食べている人もいる。

だけどその人もナンを千切るときには左手も使うし、普通にスプーンを使って食べている人も。

皿が下げられると口直しに氷砂糖を細かく砕いたものと干草?のようなものが出てくる。

辛いものばかり食べた後の氷砂糖は美味しい。

レストランを出てコンノートプレイスの脇にある地下街・パリカバザールへ行ってみる。

入口では金属探知機をくぐって軽く荷物チェックをされる。

地下街は思いのほか広くてエアコンも効いていて様々な店がひしめきあっている。

どこを歩いていても「見ていってよ」みたいに声をかけてくるが、あまり強引さは感じられない。

電気屋みたいな店の前ではTVで日本の古いファミコンソフトのデモ画面が流れていた。

それなりに雑然、それなりに整然として悪くない雰囲気だった。

パリカバザールを出てラールキラー(通称レッドフォート)へ行くことに。

ムガール帝国の城で、デリーの旧市街(オールドデリー)の中心にある観光地。

デリーの日中のリキシャー相場が分からないので50Rs(≒150円)くらいかと予想する。

リキシャードライバーに声をかけてラールキラーまで幾らかを聞くと150Rs(≒450円)。

いくら私がデリーの相場を知らないとはいえそれはありえない。

前夜は23時頃にもっと遠い距離を走っても120Rs(≒360円)だったってのに。

ありえねーという顔をしてNoと言うと100Rs(≒300円)まで下がった。

初めてこちらから額を提示することにして50Rs(≒150円)!というと相手が60Rs(≒180円)。

随分アッサリ下げてくる。

50Rs(≒150円)じゃなきゃイイよ、と言って別のリキシャーに歩いていこうとするとOKOKと。

随分アッサリ折れたと言うことはもっと低い提示額でも充分だったということか。

ラールキラーは通称レッドフォート(赤い城)というだけあってレンガ造りの赤茶けた砦のような建物。

入場料は250Rs(≒750円)、やはりインド人は20Rs(≒60円)。

他の物価に比べるとやはり観光地の入場料は高い。

入場口前は列が出来ていて、直射日光をもろに受けて暑い。

どうやら入口で金属探知機を通ってボディチェックもやっているから時間がかかっているらしい。

クソ暑い中を並んで待つ。

後ろのインド人が早く前に行きたくて仕方ないのか少し列が進むたびに必ず後ろに接触してくる。

ただでさえ暑くてイライラしてるのに逐一接触してくるんじゃねーよ。

そいつだけなのかと思ったら列が2列になった別のインド人も同様。

ったくコイツらは…。

ようやく入場できたラールキラー、広い庭園の中に建築物が並ぶ。

アグラでもそうだったが、観光地の城はそれ自体が広いので良い時間潰しになる。

タージマハルのように「コレ!」という明確な目標が無いのでダラダラとブラブラ。

正直ヴァラナシ行きの夜行列車までの時間潰しだった。

16時過ぎになりそろそろメインバザールへ戻ることにする。

デリーの下町というチャンドニーチョウク通りをメインバザール方面へ向けて歩き出す。

時間はあったので声をかけてくるリキシャーには強気に10Rs(≒30円)なら行くよと言っていたら予想通り皆NG。

なら歩くから良いよ、としばし歩くが西日が強烈で体力は消耗し早くも疲れてきた。

何人かのリキシャーにこちらから声をかけたが「メインバザールへは行かない」という奴らが2,3人続いた。

どうも縄張りが違うのだろうか。

リキシャーが捕まらないと余計に疲れる。

持っていた水はお湯となり、正しい方向へ歩いているのかも不安になり始めた頃に見えた希望の看板。

幸いにも地下鉄の駅があった。

調べるとニューデリーまで1駅の所まで来ていた。

これまで歩いてきた距離を考えると歩けない距離ではなかったが疲労が勝ったので迷わず地下鉄を選択。

エアコンの効いた地下鉄でスムーズにニューデリー駅からメインバザールへ。

昨夜と今朝の少しの時間だけしか滞在していないメインバザールなのに「戻ってこられたー」とホッとしてしまった。

旅行代理店へ行くとちゃんとヴァラナシへの往復寝台特急券を渡してくれた。

これで今度こそようやく一安心。

旅行代理店のオジサンからは「駅でチケットを見せろと言ってくる人がいても絶対にチケットを見せてはいけない」と。

チケットを見せるのは列車内で車掌にだけだと強く念を押された。

ガイドブックにも載っているが駅構内で駅員のフリをして「このチケットでは乗れない」という詐欺を働く輩が多いと言う。

そして改めてお金を払わされてチケットを再発行させられるらしい。

私が初日に会ったのもそうした輩の1人だったのだろう。

無事にチケットを受け取り、ニューデリー駅へ向かう。

列車の発車まで1時間ほど時間があったので駅前の露店に寄ってみる。

ビールの看板が出ていたのを思い出し、暑い中歩き回ったしこれからヴァラナシということで景気づけ。

瓶ビールが1本40Rs(≒120円)。

売店のオジサンに注文すると中身の見えないビニール袋にくるむ。

栓抜きを持っていない私は「今飲んじゃうから開けてくれ」と頼む。

するとオジサンは「No. That's problem.」と。

飲酒が好ましくないヒンドゥー教、その一端を垣間見た気がする。

「それなら要らない」というとオジサンが「チョット待て」と。

ペプシの紙コップを2つ持ってきて瓶ビールを開けて一気にドボドボと移し替える。

溢れそうな2つの紙コップを持たされて早く飲め、と急かすような雰囲気。

暑い中歩き続けて喉も渇いていた、よっしゃ望むところだ!と1杯目を一気に飲み干す。

ところが苦味が殆ど無くほんのり甘いビールでしかも冷えていなくてヌルイ。

正直あまり美味しくない…。

2杯目も少し息つきながらも飲み干したがアルコール入ってるのか?というくらい張り合いが無い。

空きっ腹に一気にビール流し込んだ時のクラクラっとくる感覚が全く無い。

ビールテイスト飲料を飲み干したようで無駄に腹が膨れてゲップだけ立て続けに出る。

銘柄は分からず仕舞いだったがこのインドのビールは外れだった(アグラでのキングフィッシャーは悪くなかった)。

夜行列車の予定では12時間超の長旅。

それに備えて露店で2リットルの水ペットボトルを買っておく20Rs(≒60円)。

駅へ行くと「チケットを見せろ」と言ってくる輩もおらず、スムーズにホームへ(チョットつまらない)。

発車の30分前だったが既に列車は止まって待っていた。

「NEW DELHI⇔VARANASI」と書かれた通称ガンガーエキスプレス(ガンジス河は現地語でガンガー)。

号車とシートを確認して乗り込む2等寝台車。

私の席は寝台の下段。

可も無し不可も無し
今夜の寝床

狭い寝台だったがマレー半島を縦断したマレー鉄道の寝台車もこんな感じだったので問題無し。

出発前に警察みたいなのが乗ってきて英語で書かれた紙を読まされ、サインをするように求められた。

どうもその紙には「見知らぬ人から物を貰うな」や「荷物は自分で守れ」みたいなことが書いてあった。

自分1人だけ署名させられるなら警戒していたが、西洋人バックパッカーも同様にサインしていたので大丈夫なんだろう。

定刻の18:30に発車した列車。

履いてきたサンダルを脱ぎ、念のためにビニール袋に入れて荷物と共に寝台の足元に置く。

サンダルで歩き回っていたので足がそこらのインド人より酷いんじゃないかと思えるほど汚くなっていた。

持参した洗顔用メントール入りウェットティッシュで念入りに拭く。

エアコンの効いた寝台車でベッドに足を伸ばして車窓を眺める。

初日はデリーからアグラへのギュウギュウ詰め立ちっ放し。

次はアグラからデリーへの指定席だけど3人がけの狭い席でエアコンなしの車内。

日に日に列車環境は良くなっていくな。

どうやらヴァラナシまでノンストップで行くらしく、途中の駅に止まる形跡は無い。

だけど割と頻繁に物売りが車内を往復する。

前日の列車と違うのは物乞いが乗っていないことか。

途中で係員が「Dinner?」と聞いてきたので「Yes」と答える。

ベジorノンベジ?とのことだったのでノンベジ。

注文してからだいぶたった頃に運ばれてきたのは簡易式のターリー。

3種のカレーとご飯・ナン、またまたカレーか。

どうやら乗客全員に配られているわけではないところを見ると別料金のようだ(後で請求されて80Rs≒240円)。

寝台の上で食べなければならないので、こぼさず食べるのが大変。

ご飯とナンは完食できるがカレーはどうしても余ってしまう。

日本なら全部食べるだろうが、インドだと下痢が恐くて食べ尽くせない。

食べ終わったお盆と器を寝台の下に置いておき、そろそろ就寝の準備。

各寝台に配られたそれなりに綺麗なシーツと毛布をセッティング。

予想はしていたが、ずっと車内にいると冷房の効きすぎで若干寒くなってくる。

寝台のカーテンを閉め、荷物は寝転がった足の下において更にその上から毛布をかける。

おやすみなさい
就寝準備

それでも寝てしまうと置き引きの不安はある。

ワイヤーロックを持ってきておけば良かったと思った。

真っ暗な車窓を眺めるのにも飽きてきて就寝。

 

 

2008年7月30日 水曜日

ずっと横になっていると腰が痛くなってくる寝台。

眠りながらもエアコンの冷気が毛布の下から入り込んで寒く、結局毛布にくるまって眠っていた。

6時過ぎに店内を行き来する物売りの「coffee coffee」の声で目が覚めた。

起きると喉がやたら痛い。

エアコンの乾燥でやられたか、まさか風邪は勘弁してほしい。

ちょうどチャイ(ミルクティー)売りが通ったので1杯貰う、5Rs(≒15円)。

甘い温かいチャイはエアコンで冷えた朝の身体に美味しかった。

外は好天、6時過ぎだが平地に家が点在するインドの大地には早くも人がチラホラ。

朝のインドの車窓から眺める景色はなかなか面白く、噂には聞いていたが野糞をしている姿も散見された。

列車のほうを向いてやっていたり、列車にケツ向けてやっていたり。

野糞よりも興味深かったのが担架を豪華に飾りつけてお祭りのように練り歩いていた集団がいたこと。

担架の膨らみからすると恐らくは葬列と思われる。

アグラでも1度このような光景を見たが、どちらも賑やかにワイワイやっていた印象。

輪廻が信じられているインドでは葬列は湿っぽい儀式では無さそうだ。

定刻の7:30に列車が駅に着いた。

インドの列車は遅れるものだと思っていたので本当にヴァラナシなのか信用できなかった。

隣の乗客に聞いてみると確かにヴァラナシだという。

ヒンドゥー教徒が目指す聖地ヴァラナシ。

そもそも何故ヴァラナシがヒンドゥーの聖地なのか。

まずはガンジス河がヒンドゥー教徒にとって聖なる河として崇められている。

日本人にとっての富士山のようなものらしく、それ自体が信仰の対象となっている。

そのガンジス河で沐浴をすれば罪が全て洗い流されて正しい輪廻が出来ると信じられているという。

そしてその長大なガンジス河がヴァラナシでは南から北へ流れている。

それが「天に昇る」ということと繋がり、ヴァラナシが聖地とされる所以だとか。

インドといえばガンジス河、ということで少しだけ勉強して得たにわか知識。

ともかく到着したヒンドゥーの聖地、「ようこそ!"ヒンドゥーの聖地"ヴァラナシへ!」みたいなアピールがあっても…

もしかしたらヒンドゥー語ではあったのかもしれないが。

相変わらず駅構内でもリキシャーがアレコレ話しかけてくるがまずはトイレに行きたかった。

入口でお金を払うヴァラナシ駅のトイレ。

相場が分からなかったので黙って5Rs(≒15円)出したら何も言われなかったので問題ないのだろう。

有料とは思えない汚さのトイレ。

和式風のトイレの個室、さっさとやってさっさと出ることしか考えられない。

心配していた大はやや軟ではあったがしっかりと排泄。

逆に日本にいたときよりも量が多く、健康的にモリモリと出た。

紙は当然置いてなく、日本なら紙がある位置にチョロチョロと水が出ている。

インド式トイレの処理方法はそのチョロチョロ水を使って左手で。

さすがにそこまでやる度胸はなく、日本から持参した紙を使ってしまった私はインドに染まることが出来ないだろう。

一通りの処理を終えて出ようと思ったが、トイレのどこにも流す仕組みが無い。

便器の中は常に少量の水が流れているが、私の屈強な大は頑として流れようとしない。

チョロチョロ出ている水を手ですくってかけて流そうと試みるが焼け石に水。

このまま大を放置して行くわけにもいかない。

目に付いたのは飲料用の水が入ったペットボトル。

2リットルの半分以上がまだ入っている。

背に腹はかえられぬ、勢いよくペットボトルの水をぶっ放したら一応大は見えなくなった。

このタイミングしかない!後は知らない!ゴメンナサイ!

ドアを開けると待っていた現地人がいて、すぐに私の後に入っていった。

やべっ!慌てて逃走。

マレー鉄道縦断の旅でもシンガポールのトイレで大が流れずに同じようなことをしたのを覚えている。

どうも旅先での大には因縁があるようだ。

なるべくトイレから離れようとさっさと駅の外に出る。

なるべく駅からも離れた方が良さそうだ。

最初に声をかけてきたリキシャードライバーと交渉。

ガンジス河まで70Rs(≒210円)と言うところを60Rs(≒180円)にしてもらい出発。

交渉して安くするよりもとにかく駅から離れることが最優先だった。

ガンジス河と言っても大きいのでどこへ行く?と聞かれたのでとりあえず大きなガートへと答える。

ガートとは河沿いに設けられた階段のようなもの。

ガンジス沿いにはこのガートが沢山あって皆そこで沐浴をする。

デコボコでガタガタの道路をリキシャーは走る。

15分ほど走ってリキシャーがようやく通れるほどの裏道のようなところへ入る。

辿り着いたのは何故か小さなゲストハウスの前。

中からオジサンが出てきて、リキシャードライバーは「ここへ泊まると良い」と言う。

リキシャーに乗ったらドライバーが懇意にしているゲストハウスに連れて行かれるのはよくあるパターン。

「No, I just want to go Ganga!」と強く言うと案外あっさり引き下がった。

ガンジス河は現地ではガンガーと呼ばれる、以後の表記も現地に倣ってガンガーとする。

目指すガンガーはそのゲストハウスのすぐ裏にあった。

タージマハルのように行くぞ行くぞと気持ちを昂ぶらせる暇もなくいきなり目の前に現れたガンガー。

あぁこれが目指していたガンガーかーと無理やり感慨にふける。

インドといえばガンガー
広大なガンガー

予想していた通り大きく透明度0%の濁流で、やはり雨季だからか水嵩は多いように思えた。

階段が河の中まで続いているガート。

全身泡だらけになって身体を洗っている男がいたり、頭まで河に浸かって沐浴をしている人もいる。

しかし観光客の姿は皆無、どう考えてもちっぽけなガートだ。

何故か後ろに付いてきたリキシャードライバー。

ココは有名なガートなのか?と聞くとココがメインガートだと言う。

イヤ、そんなはずは無い。

ガンガーはイメージ通りだがガートはもっと広くて人が大勢いるイメージだ。

何か証拠になりそうな物を探すとガートの名前が壁に書いてあり、ご丁寧に英語での記載も。

「Jain Ghat」、ガイドブックと照らし合わせると最も有名なダシャーシュワメードガートからは離れている。

オマエ、全然違うじゃないか。

腹が立ったが、こちらもダシャーシュワメードガートへ行ってくれと言ったわけではない。

ダシャーシュワメードガートへ行くのか?と乗せたそうなリキシャードライバーを追い払う。

これでリキシャーに乗ったら追加料金取られるだろうしドライバーの思う壺だ。

地図を見ると歩けない距離では無いし、まだ朝の8時30分過ぎで時間も充分ある。

朝のヴァラナシを歩くことにした。

路地裏と思われる道には噂に聞いた通り普通に牛がウロウロしている。

ヴァラナシ路地裏1
生牛乳

ヒンドゥーで聖なる動物とされる牛はヒンドゥーの聖地では更に聖なる動物とされているとか。

道の真ん中で寝ている牛もいたが、ある現地人がその牛の頭を触って拝む仕種をした。

初めて牛が聖なる動物たる扱いを受けているのを見た瞬間だった。

聖なる動物が普通に徘徊しているので、道には巨大な糞がたくさん。

前を歩いていた牛が立ち止まったかと思ったらその場でボタボタと、なんてシーンもあった。

ヴァラナシは牛と糞だらけという話も聞いていたがあながち間違いでもない。

ヴァラナシ路地裏2
そこのけそこのけお牛が通る

歩いているとココでも声をかけてくる現地人。

ガイドじゃないと言いつつ並んで歩き勝手に喋りだす。

あの建物のあの彫刻はサンスクリットのホニャララで〜。

話を聞いてしまうとその気がなくてもガイドされたことになってしまいそう。

説明はいいから先へ行ってくれと促してようやく解放される。

一大観光地であるヴァラナシはこうして声をかけてくる連中も沢山いる。

前から歩いてきた若者がこちらへ寄ってきて声を潜めて言う、「マリファナ?ハッシシ?」

今はどの程度盛んなのかは知らないがヴァラナシはドラッグでも有名な場所。

観光客や他の現地人も歩いている場所なので恐怖は無かったが、そんなところで普通に声をかけてくるとは。

オランダのアムステルダム駅構内で同様に声をかけられたことを思い出した。

ガンガーに沿った建物沿いの小路を北上する。

開けた所に出たのでガンガーへ向かって歩く。

河へ近づくと一気に観光客の数が増えた。

ガートには物乞いが段々に座ってひたすら手を出してアピール。

日本語で話しかけて来るガイドもどきも登場。

調べるとどうやらここが最も有名なダシャーシュワメードガートらしい。

ガンガート
ガートに集う人々

河では大勢の人がちゃんと(?)沐浴していたり、ただ水浴びに見えたり、身体洗っていたり、子供ははしゃいで泳いでいたり。

とにかく人でごった返していて「ヒンドゥーの聖地で沐浴」たる神聖なイメージは全く感じられなかった。

早朝の昇ってくる朝日に向かっての沐浴が最も神聖らしいので、そのタイミングで見ていれば違っただろうか。

ガンガーといえば沐浴
神聖なる沐浴?

とりあえず私もガートの下まで降りてみる。

可能であれば沐浴してみたいなとは思っていた。

しかし透明度0%の濁流に全身浸かり、老若男女国籍不明の人々でごった返している中で服を脱いで、どこぞのガイドもどきに荷物を預けてまで沐浴する度胸はなく。

かといってココまで来て全く浸からないのも勿体無い。

というわけでサンダルを履いたまま足をガンガーに浸けようとする。

すると日本語で「ダメダメ、ガンガーは神様だから」とガイドもどきの兄ちゃんに怒られた。

でも現地人っぽいオッサンは明らかに私より小汚い靴で河に浸かってるんだが…。

仕方なくガートの隅っこへ行き、サンダルを脱いでガンガーに入ってみる。

雨季で水が増えていて水の中でもまだ階段は続いているよう。

2,3段降りて水が膝まで浸かるくらい。

膝下までのハーフパンツの先が濡れたが構いやしない。

思ったよりヒンヤリして気持ちよかったガンガー。

だけどゴミかコケかヌルヌルしたものが足に絡まって気持ち悪い。

透明度0%
プチ沐浴

ガイドブックによると汚く見えるガンガーだが、"聖地"を立証するデータもあるという。

真水だと24時間生きられるコレラ菌がガンガーだと数時間しか生きられないとか。

情報の真偽はともかくとして、単にコレラ菌よりも強烈な菌がガンガーにいるからだとしか思えない水の汚さ。

いずれにせよこれで足だけは罪が全て洗い流されて正しい輪廻が迎えられることでしょう。

観光客が大勢いるガートだったがボートは出ていない模様。

ボートに乗って河の上から沐浴している人を眺めるのが定番の観光コースらしいのだが。

勝手に説明しだしたガイドによると雨季で水位が上がっているからボートは出ていないと言う。

河の向こう側は不浄の地とされているらしく、確かに建物もあまり目に付かない。

たまに死体が流れているという話を聞いていたが、河自体が大きく流れも早いので確認は出来ず。

足だけではあるがガンガーに浸かるという目的を着いて早々に果たしてしまった。

あとはガンガー沿いにあるという火葬場を見ることくらい。

火葬場であるマニカルニカーガートを目指して歩く。

ところがガンガーの傍の道はだいぶ入り組んでいてどうも曲がるタイミングを間違えたらしい。

なかなか火葬場に辿り着かず、結局大きな通りに出てしまった。

朝飯も食べていなかったことを思い出し、小休止がてら開いていたレストラン?に入る。

朝っぱらからカレーは勘弁…だったのでチーズオムレツとマンゴーラッシーで70Rs(≒210円)。

腹も満たして再び火葬場を目指して歩く。

この辺かなという所へ来るとガイドもどきの若者が「カソーバ、コッチ」と案内を始める。

案の定途中でゲストハウスの前を通り「泊まるならココだ」と言われたが無視。

入り組んだ路地を歩くと河沿いに薪が積み上げられている一角に出た、火葬場だ。

火葬場へ近づけるのは近親者のみらしく、観光客は物見台のような建物から火葬場を眺める。

物見台に登るとそこには老婆が点在して座っている。

事前に調べた情報だと、来たるべき死に備えて自分を火葬するための薪代を喜捨で集めているとか。

老婆とガイドもどきの若者が数人いる物見台。

そこから見える火葬場は5,6つくらいの薪の山があり、2つほどから黒煙が上がっている。

私の横について英語でアレコレ説明し始めるガイドに静かにしてくれと言って火葬場を眺める。

まさに今、飾り付けられた担架に乗せられて運ばれてくるモノも。

薪の上にセッティングされたそれは布に包まれているが完全に人の形をしている。

目の前での火葬に衝撃を受けるかと思ったが、特別な感慨は抱かなかった。

作業員?も淡々とやっていたし、どうもそこで繰り広げられている光景が「死」と結びつかない。

火葬が特別なことではなく当たり前に行われている。

下の方では骨っぽいものをガンガーに放り投げている人。

そのすぐ近くではガンガーで沐浴をする人や、水遊びをする子供。

「生けるモノの沐浴」と「死せるモノの火葬」、ガンガーではその両方が日常として行われていた。

…ように感じた、ガンガーの日常なんて知らないが。

物見台を出ようとするとガイドもどきが老婆に薪代を払っていけと言う。

強要されている感じが嫌だったがまぁ礼儀だろうと思い10Rs(≒30円)札を渡す。

するとガイドもどきが「少ない!」と喚く。

無視して歩き去る背中に何かゴチャゴチャ言ってきたが勿論振り返りはせず。

何で喜捨に文句をつけられなきゃならんのだ、最後は嫌な気持ちになり火葬場を後にする。

ガンガーに浸かって火葬場を眺めたことでガンガーでの目的は全て果たしてしまった。

することが無くなり適当なガートに座ってガンガーを眺める。

静かにガンガーでも眺めようかと思っていたがそうもいかない。

どこからか現れる現地人が話しかけてくる。

ガイドもどきか土産物屋か旅行代理店の回し者か。

10Rs(≒30円)でマッサージをしてやるなんてオッサンも現れる。

陽が高くなり、暑くなって木の下に避難。

そしたら晴天なのに雨が降ってきた、と思ったらすぐ止んだ。

何だったのだろうと木を見上げる。

「あぁ、猿のオシッコ」と饒舌な日本語で現地人の若者が話しかけてくる。

「猿はインドで神様だからインド人は猿にオシッコかけられて喜ぶ」

猿がハマヌーンと呼ばれる神であることは知っていた。

だけどさすがにオシッコかけられて喜びはしない(というかインド人が喜ぶって本当かよ)。

ガンガーに浸かった後で猿に小便をひっかけられるとは、とことんインドの洗礼を浴びているようだ。

日向にいれば暑いし、木の下にいれば猿に小便をかけられる、そしてどこにいても話しかけて来る現地人。

朝から行動していた疲労も重なって色々面倒になってエアコンの効いたカフェに避難。

当然?ビールはなく、コーラ20Rs(≒60円)で喉を潤す。

だいぶ涼めたので少し元気になり再び行動開始。

黄金寺院の異名を持つヴィシュワナート寺院がすぐ近くにありそうだったので行ってみる。

入口が商店や土産物屋が立ち並ぶ細い路地で分かりにくかったがどうにか到着。

到着はしたものの人が多くて入場のためのセキュリティチェックも面倒そう。

というかそれ以前にガイドブックを見るとヒンドゥー教徒しか入れない所だったらしい。

結局やることがなくなり、手頃なガートに座ってガンガーを眺めるくらい。

ビールでも飲みながら河を眺められれば最高なんだが。

本当は火葬場を延々眺めていたかったが、行くのが大変だし行ってからも現地人が面倒なんでやめた。

座っているとやはり話しかけて鬱陶しい現地人。

いつもは無視を決め込むのだがそれでも話しかけてくるのでハッキリと「I don't want to talk with you.」と言ってやった。

観光客が集まる所にはこうした輩も集まってくる。

期待が大きかったヴァラナシだけにあまりにも観光地化しているガンガーにはやや失望。

時間的には早かったが飯食って早めに駅まで行ってしまうことにした。

陽射しと暑さが強烈だったのでエアコンが付いていそうなそれなりのレストランへ。

16時前という中途半端な時間だったので誰もいない店内。

カレー以外のものを注文したかったが時間が中途半端だからかターリーしかないと言う。

結局ここでもターリーを食べることになる。

またもやビールは無くてコーラで我慢。

これで3日連続でターリーとコーラのコンボを食べたことになる。

相変わらず米・ナン・ナン煎餅とボリュームがあるターリー。

カレーが余っても充分に腹が膨れる、今夜は車内食不要だな。

ガンガー近くの大通りゴードウリヤー交差点でリキシャーを拾うことに。

オートリキシャー相手に50Rs(≒150円)でヴァラナシ駅までと言っても皆70Rs(≒210円)〜80Rs(≒240円)を請求してくる。

そんな中で昔ながらの自転車型リキシャードライバーに話してみたら50Rs(≒150円)で1発OK。

バイクを使ったオートリキシャーの方が早いしガソリンも使うから高いのは当然かもしれない。

だけど自転車型のサイクルリキシャーの方が自力で漕がなければいけないから大変だろう。

かなり疲れた感じのリキシャーでシートも硬くて乗り心地は良くない。

道も悪くガタガタしてケツが痛く、スピードも殆ど出ない。

列車の時間まではだいぶ余裕があったのでゆっくり行くのも悪くない。

悪路では殆ど前に進まない中を必死になって立ち漕ぎ。

ようやく駅に着いた頃にはゼーゼーハーハー言っていたリキシャードライバーのオジサン。

支払いで50Rs(≒150円)札を出すとオジサンは済まなそうに「10」と言う。

こちらも50Rs(≒150円)だと気分的に安すぎる気がしたので躊躇せずに10Rs(≒30円)札を渡す。

オジサンは当然のように受け取るわけでなく、両手で受け取って手を合わせて「Thank you」と。

そうしてくれるとこちらとしても+10Rs(≒30円)した甲斐があるというもの。

ロクな奴がいないと思っていたヴァラナシの現地人だったが最後に少しだけ気分が晴れた。

それがオジサンの戦略なのかもしれないが日本人相手には有効な気がする。

中途半端に交渉するよりも日本人相手なら情に訴えた方が遥かに稼げると思う。

必死にサイクルリキシャーを漕いでいる姿を見させられたら尚更だ。

列車の出発の2時間前には駅に到着するなんて空港のようだ。

疲れていたので駅のベンチで列車が来るのを待つ。

駅のホームでも牛が平然と歩いている。

ヴァラナシ駅のホームですが、なにか?
いたるところにいる牛

待っている間に何度も断続的な停電が起こる。

全ての電気が消えて空調設備(巨大な扇風機)も止まって静かになる。

数秒後には電力が復旧、そんなことが何度も繰り返し行われた。

電力事情は不安定なようだ。

列車は出発の1時間前にはホーム到着。

デリーに戻る席は寝台の上段。

置き引きのリスクが減るからか下段よりも値段が15Rs(≒45円)程高い。

だけど上段は窓が無いのでつまらない、15Rs(≒45円)払うから下段にしてくれと思えてしまうくらい。

定刻通りに出発した列車。

今回は車内食も食べる気は無かったのでシーツと毛布が配られたらさっさとベッドメイク。

インドの車窓からを眺めることも出来ないので早々に就寝準備。

諸々を済ませて落ち着いてみるとどうも何か臭う。

臭いの元を辿るとどうやら私の足とハーフパンツがドブ臭い。

心当たりは1つだけ、ガンガーで妙なお土産を貰ったみたいだ。

 

 

2008年7月31日 木曜日

2泊連続の寝台列車。

適度な寝返りを打つことで腰の痛みが和らぐことが判明。

前日同様に6時過ぎに物売りの声で起きる。

やはり喉が痛く身体が重い。

前日のヴァラナシで行動が鈍ったのは蓄積された疲れよりも体調不良が原因だったか。

列車は40分遅れの8:10過ぎにニューデリー駅に到着。

この日の深夜というよりも翌日未明の飛行機で香港へ向かう。

これから12時間以上はデリーに滞在することになる。

泊まりはしないが荷物を預けるために24時間営業の安宿へ行ってみることにした。

ニューデリー駅からすぐのメインバザールにある安宿街へ。

ガイドブックに載っていた安宿へ行って24時くらいまでの滞在の値段を聞くと150Rs(≒450円)。

殆どロッカー代くらいにしか考えていなかったのでそれで充分。

建物はかなり古く、いかにも安宿という感じ。

ドアが少し開いている部屋をチラ見したら狭い部屋にアラブ系の男が4人くらい詰めていてなんだか恐い。

部屋は個室でダブルベッドサイズなのは立派。

安宿の中では良いほうなのか?
私の旅史上最安のホテル

壁には何かのシミが沢山ついている。

当然エアコンは無く、窓も無く、天井をファンが回っているだけでムワッと蒸し暑い。

これまでの旅を通しても初めて安宿という所に入った。

さすがにこれまで泊まったホテルの1/10程度の値段、まぁこんなもんなんだろうなと思った。

いかにも安宿然とした部屋で少し嬉しくなったくらい。

長居をしようとは全く思わなかったが。

シャワーは無かったが水道から水が出たのでドブ臭い足とハーフパンツのガンガーに浸かった部分を水洗い。

貴重品以外の荷物(殆ど着替えだけ)を部屋に置いて外出。

部屋の鍵はフロントで南京錠を借りて閉めた。

この日最初の予定はインターネットカフェ。

香港行きの飛行機のインターネットチェックインを済ませたかった。

メインバザールは外国人が多く集う通りなので日本語のインターネットが出来る所もすぐに見つかった。

入口でパスポートを預けさせられてインターネット。

ちゃんと日本語入力も出来て実にスムーズにネットチェックインが出来た。

ついでにネットサーフィンをしていたらインドのトピックスがYah○○のトップページに。

インドで31日、首都の市場で爆破テロ予告のメール。

31日って…今日じゃん!インドの首都って…ココじゃん!!

オイオイオイと慌てて詳細を確認。

31日にインドの首都デリーで市場を爆破するという予告メールがインド治安当局に届いた。

日本大使館は31日は全ての営業を停止し、大使館を閉鎖して在留邦人にも注意を呼びかける事態になっている。

オイオイ在留邦旅人はどうなるんだ?なんの情報も知らされていないぞ。

幸いにもインドの首都デリーも広いので予告された市場は聞いたことの無い地名だった。

ものはついでと28日にアグラで見た英字新聞の記事も載っていた。

「このところインドではテロが多発していて特に首都のデリーでは警戒を強めている」

なんて記事で〆られていた。

それにしても余計なニュースを見てしまったばかりにかなり不安になってしまった。

何も知らなければ穏やかに過ごせていたかもしれないのに。

デリーやアグラの様々な場所で荷物チェックやボディチェックをされたのはそれも一因なのかもしれない。

ネットカフェは1時間弱で20Rs(≒60円)。

今にも雨が降りそうな曇り空の中をデリーの中心地・コンノートプレイスまで歩く。

この日はマクドナルドで食事の予定。

カレー続きで辟易していたというのもあったし、牛が神聖化されているインドでハンバーガーがあるのかも興味があった。

一昨日は昼飯時で混んでいて入れなかったが、今回は10時過ぎなので店内も空いている。

見たところメニューにハンバーガーは無い。

ベジタリアンとノンベジに分かれているのがインドらしい。

ノンベジのメニューを見ると肉類は全てチキンを使用しているらしい。

噂では羊肉を使用したハンバーガーもあるらしかったが、どうやら見当たらなかった。

日本ではビッグマックにあたるであろうマハラジャチキンマックというのも面白そうだった。

しかし、ここはより珍しいものをということでベジタリアンメニューのマックベジバーガーのセットを注文。

マックベジバーガーとポテトとコーラで109Rs(≒327円)。

万国共通のコーラ、少ししなびたポテトも味は万国共通。

そしてマックベジバーガー、メインはコロッケのような揚げ物の中に豆やニンジン・ピーマン。

そのコロッケにレタスとチーズにタルタルソース状のものがかかっている。

やや淡白な味ながら悪くない、カレーばっか食べていたので余計にそう感じるのかもしれない。

マクドナルドで食事中に突然停電、数秒後には復旧したが首都でもこれですか。

食後、外へ出てみると雨が降っている。

雨具は持っていなかったので屋根のあるコンノートプレイスをうろうろ。

雨は止むどころか次第に強くなっている感すらある。

ガンジー博物館やインド門、フマユーン廟(タージマハルのモデルとなった世界遺産)など行きたい所がいくつかあった。

しかしそれも断念せざるを得ないと思えてしまうような降雨。

雨季なのに殆ど雨が降らないと思っていたが最後にこれか。

おまけにヴァラナシに到着した辺りから気になっていた体調が怪しくもなってきた。

この雨だと行動も出来そうにないのでひとまずは宿に引き上げることにした。

地下鉄駅を見つけたので濡れながら走って向かう。

ニューデリー駅まで1駅6Rs(≒18円)。

ニューデリー駅でも大雨で雨宿りのために屋根のある所は大混雑。

地下鉄の入口からメインバザール側へ抜ける歩道橋は物凄い人でギュウギュウ。

朝のラッシュアワーもびっくりの大根雑。

メインバザール側に抜けたら少し小降りになっていたので宿へ避難。

荷物を置いておくだけのつもりだった安宿だがあって良かった。

万全とはいえない体調で雨の中を歩いたからか身体中がだるくなってきた。

全身のダルさと雨で集中が切れてもうデリーは良いかなーと半ば諦めモード。

体調が少しでも良くなればと眠ることにした。

考えてみれば2日連続寝台車泊だった。

もっとも安宿のベッド(シーツが1枚だけ、掛けるものは無し)なので寝台車と比べても大差ない。

寝台車ではエアコン効きすぎて起きた時には身体がだるかった。

安宿ではエアコンも窓も無いジメッと蒸し暑い部屋で昼寝。

どっちもどっち、こんな所で寝たら余計に体調悪くなるのではないかと思える環境。

夕方の16時過ぎに目が覚める、幸い体調は悪くない。

どんな環境であれ睡眠は大切だ。

外へ出てみると雨は上がっていて青空すら覗いている。

少し時間は早かったがインド最後の食事を取ることにした。

ガイドブックに「欧米人に人気の店」と書いてあったレストラン。

名物のタンドリーチキンもそうだが、何よりも紹介文によるとビールがあるという。

辿り着いたのはホテルの上にあるレストランでオープンテラス。

そこでようやくありつけたビール、アグラで飲んだのと同じキングフィッシャー。

ちゃんとビールが飲めたのはインド初日のアグラ以来。

インド最後の締めとなるビールだ。

料理はタンドリーチキン。

壷に入って鉄製の串に刺さって見た目にも美味しそう。

カレーじゃないインド
最後の晩餐

酸味と辛味が効いたチキン、ガーリックナンと一緒に頂き実に美味。

冷えたビールと合わせてインド最終日にしてようやくカレー以外の料理とビールにありつけた。

体調を考慮して控えめにビール2本とタンドリーチキン、ガーリックナンで460Rs(≒1380円)。

ビールが1本100Rs(≒300円)、やはり嗜好品は高い。

レストランを出て路上でデザート代わりのマンゴーラッシー30Rs(≒90円)を飲みながら通りを眺める。

ここでも当たり前のように牛がウロウロしている。

インドのことを牛とコンピュータの国と表現しているのを見たことがある。

確かにそう言っても過言ではないほど牛だらけ。

だけどコンピュータの国というのを実感させられる場面は殆ど無かった。

ヴァラナシ行きの夜行列車の空席照会がすぐに済んだ時と、ネットカフェで日本語入力が出来た時くらいか。

コンピュータの国はどうやらごく一部なのかもしれない。

もう雨の降りそうな気配は無かったが、19時を過ぎて辺りは暗くなってきた。

満腹になってビールも飲んで体調は回復した感はあるが、この時間から行動する元気は無い。

インドを無事に脱出することを第一と考え、メインバザール周辺をうろうろするくらいにしておいた。

宿に戻って荷物をまとめるとやるべきことは全て終了。

飛行機の出発はAM3:30だったが、深夜遅くに空港へ行くのもなんだか恐い。

体調が万全ではないことも考慮してかなり早い時間でも空港へ行ってしまうことにした。

最後にメインバザールを一通り歩いてデリーに別れを告げる。

ニューデリー駅前からプリペイドリキシャーに乗ることが出来る。

チケットカウンターで料金先払いで国際線空港までリキシャーで連れて行ってくれる。

煩わしい料金交渉をしなくても良い。

時刻は21時過ぎだったが、国際線空港まで130Rs(≒390円)。

空港まで正式な料金でもこの程度ならこれまで乗っていたリキシャーではかなりぼられていたような気がする。

最後の最後にして悟ることが出来るとは。

これはまたインドへ来いとの思し召しか。

最後のオートリキシャーに乗り、国際線空港を目指す。

デリー中心部から空港へは地下鉄を通そうと大規模な工事が行われているらしい。

空港へ向かう道の様々なところで地下鉄工事中のような看板を見た。

もしも地下鉄が開通したらリキシャードライバーの多くが失業するのだろうか。

そう思ってしまうほどデリーの街はリキシャーだらけだった。

22時過ぎに空港に到着。

空港に入るために早くも航空券が必要で、入口で係員がチェックをしている。

この辺りもテロへの警戒強化なのだろうか。

そういえば午前中にネットカフェで見たテロ予告はどうなったのだろうと今更ながらに思い出す。
(帰国後に気になって調べてみたら精神障害者の狂言メールとのことで不問に付されたらしい)

到着ロビーよりも綺麗な出発ロビー。

飛行機の出発時刻まで5時間くらいの空きだったが、時間を潰せそうな所が空港内に無い。

落ち着いた所で仮眠でも取ろうと早々に出国審査を済ませて搭乗口へ。

空いているベンチを見つけて寝ることにしたが、エアコンが効きすぎて寒い。

どこの国の空港へ行っても必要以上にエアコンが効いているような気がする。

出来るだけエアコンの効いていない、人がいないベンチを探して落ち着く。

しかし寒さに耐え切れずにバックパックの奥底に詰めてあった衣類圧縮袋から長袖シャツを出す。

使うことは無いと思っていたが、最後の最後に使うことになるとは。

深夜1時を過ぎてもデリーの空港はアチコチへと飛行機が飛んでいる。

眠らない空港で仮眠。

長袖シャツを着て出来るだけ寒くないように身体を縮こませて眠ったがそれでも寒い。

もともと体調が怪しかった身体には堪えたらしく、身体が重くて危険な感じの咳が出る。

AM3時前に搭乗が開始され、さっさと乗り込む。

早々に毛布を貰い、ヘッドホンで耳を塞ぎ、肩から毛布をかぶって出発前に就寝。

いつ動き出したのか、いつ離陸したのかも分からないまま。

機内食の配膳にすら気付かずに眠り続けたのは初めてかも。

気が付かないままインドを後にしていた。

最終日はどうにも締まらなかったインド。

やはりこれはまたインドへ来いとの思し召しなのかもしれない。

 

 

2008年8月1日 金曜日

機内での9割以上を睡眠に費やし、日付が変わって国が変わって香港に到着。

ずっと寝ていたせいか体調はそれほど悪くない。

デリー時間では9:18、香港時間では11:48、日本時間では12:48。

デリーの空港に比べると大きさも綺麗さも香港が圧倒。

入国審査は長蛇の列、空港の規模の大きさの割に配置されている人員が追いついていないような気がする。

何事も無く香港に入国完了。

香港は2005年の社員旅行以来だが、プライベートな旅だと初海外一人旅だった1998年以来。

あの時と同じようにバスで九龍島の繁華街である尖沙咀(チムサチョイ)を目指す。

最終日の香港なので日本から1万円以上するホテルを予約しておいた。

九龍島の海沿いにあるそれなりの規模のホテル。

3度目の香港なのである程度勝手は分かっていて、地図を見なくても辿り着けるくらい。

1998年の残りか2005年の残りかとりあえず持参していた香港ドルを利用。

尖沙咀までバスで33HK$(528円、レートは1HK$≒16円)。

小奇麗でエアコンの効いた2階建てバス。

綺麗に整備された高速道路を走り、郊外には高層マンションが立ち並ぶ。

デリーから来ると香港が物凄く都会に見える。

看板乱立でお馴染みのネイザンロードにさしかかってあぁ香港に来たなーという実感。

九龍島・ネイザンロードの南端、香港島とを結ぶ海の近くでバスを降りる。

機内食を食べ損ねていたのでお腹が空いている。

この辺に大衆食堂集まってたよなーという記憶を頼りに歩くとあった。

たまたま入った大衆食堂はメニューに覚束ない日本語表記もあった。

そしてインドと決定的に違うのは普通にビールがメニューにあること。

大衆食堂のような所でもエアコンがしっかり効いているのもインドとの違いか。

ビール40HK$(≒640円)と肉団子スープヌードル38HK$(≒608円)を注文。

さすがに値段もインドとは違う。

ビールは600ml以上の大瓶が出てきた。

よく冷えた飲んでいるうちにあまり体調が良くなかったことを思い出す。

後半は少しビールを飲むのがきつかったくらい。

腹も満ち足りた所でホテルへ向かう。

地下街のショッピングセンターを通ってホテルへ。

インドで泊まった全ホテル代を合計しても足りない香港のホテル、インド最後の宿から比べると30倍近い値段。

5つ星の高級ホテルではなく、中の上級くらいのホテルなのだがインドとの格差が激しいので高級ホテルのよう。

部屋にチェックインするなりまずは風呂へ。

バスタブもあり湯を張って湯船に浸かる。

インドの最後は夜行列車2連泊、機内1泊だったので4日ぶりの風呂。

さらに1人暮らしを始めてからはシャワーばかりだったので数ヶ月ぶりの湯船。

風呂に入るとサッパリするというのをこれでもかと感じた瞬間だった。

落ち着いたところで改めて香港の街へ出てみることに。

今回の香港滞在の目的は折角経由するので1泊してインドの毒気を抜くこと。

インドから直接日本に帰ると逆カルチャーショックを味わいそうだったので一旦香港で小休止。

なのであまり派手に行動せずに街をブラブラ歩くことくらいしか考えていなかった。

ホテルを出て香港島を見渡す海沿いのスターアベニューをブラブラ。

広場には北京五輪特集のようなイベントが開かれていて中国の一部を感じさせる。

その一方では「香港の選手頑張れ!」みたいな横断幕も出ている。

中国なのか香港なのかどっちだよ、と。

香港で最も有名かもしれない雑居ビルの重慶大厦へ。

ビル内にインターネットカフェがあったので帰りの航空券のネットチェックイン。

インターネットは30分で10HK$(≒160円)だった。

持参してきた香港ドルが少なくなってきたのでビル内の両替商でインドルピーを香港ドルに両替。

1,000Rs(≒3000円)が175HK$(≒2800円)、1Rsは実質2.8円くらいだったので1HK$は16円ほどか。

香港滞在は翌日の昼過ぎまでなので後は考えて両替をしていかないといけない。

持っている日本円や米ドルを検討して残り幾ら両替すれば効率が良いかを一旦ホテルに戻って検討することに。

ところが歩いているとビールの酔いが回ってきたのか逆に酔いが醒めてきたのか頭痛がして身体が重い。

歩いているうちにどんどん身体がだるくなってきて歩くのが辛いほどになってきた。

完全に熱があるときの体調になっている。

ホテルの部屋に戻ると文字通りベッドに倒れこんでそのまま就寝。

寝ていて身体の節々の痛みで寝苦しいくらい。

近年引いていなかった風邪をまさか香港で。

思えばヴァラナシに到着した時の夜行列車から怪しかった。

ヴァラナシ往復夜行列車のエアコンにやられて最終日の雨に打たれたのも良くなかった。

さらに最後にエアコン効きすぎの空港がとどめをさしたような気がする。

こうなるとちゃんとしたホテルを予約しておいて正解だった。

ある意味もっともホテルの恩恵を受けているとも言え、ただただ眠るしかない。

22時頃になり空腹で起きる。

久しぶりにしっかりとしたベッドで眠れたせいか体調はだいぶマシになった気がする。

部屋で安静にしているという選択肢もあったが、お腹が空いているのでなにか食べた方が良いだろう。

それに何よりも香港へ来たのに部屋で安静にしているだけだと勿体無いという貧乏根性。

少なくとも街を歩いていて見たマクドナルドは24時間営業だった。

この時間でもどこか空いている食堂はあるだろうということで外へ出る。

22時過ぎのスターアベニュー、香港島の夜景が実に綺麗。

こんな時間でも観光客がいっぱい、街を歩いている人も少なくない。

夜景の煌びやかさも含めてインドでは考えにくい光景。

インドとは雲泥の差
九龍島側から眺める香港島

普通に開いていた大衆食堂で飯。

さすがにビールは遠慮してカタ焼きソバみたいなのとスープを注文。

焼きソバは脂っこくて後半は食べきるのに苦労したがちゃんと完食。

しっかり飯も食べられたので気分的に回復した気になって街を少しブラブラ歩けるくらいにはなった。

やはり香港はインドと比べてだいぶ洗練されている。

アスファルトは整備され車道でも車やバスが圧倒的に多い。

無闇やたらにクラクションを鳴らすような混沌とした道路状況でもない。

道を歩いていて面倒くさい輩に声をかけられることもない。

最近の旅ではシンガポール経由トルコ、ベトナム経由カンボジアを経験したが、ここまで街の落差を感じることは無かった。

恐るべしインドと言うべきか、恐るべし香港と言うべきか。

元気ならバーで1杯、とかやりたかったがさすがに自粛。

 

 

2008年8月2日 土曜日

とうとう帰国の日。

前夜にぶっ倒れて寝ていたときはちゃんと帰国できるのかと不安になっていたが、どうやらそれは大丈夫な模様。

飛行機の出発は16時過ぎなので、昼過ぎに空港へ向かえば間に合う時間。

回復傾向にはあるが万全とはいえない体調だったのでチェックアウトの12時ギリギリまでホテルでゆっくり。

朝風呂に入って二度寝してゆっくり帰り支度して。

命の宿
この旅で1番世話になったといっても良いホテルの部屋

12時前にチェックアウト、天気は良い。

結局天気が崩れたのはインド最終日だけだったか。

香港での最後の食事と帰国した時の職場への土産購入代金用に香港ドルを両替。

だいぶ余っていたので米ドルから香港ドルに両替した。

1米ドル110円で換算すると、1HK$が14円程度。

インドルピーを日本円に換算すると、1HK$が16円程度だった。

日本円を直接HK$に両替すると、1HK$が16円程度。

単純に考えると米ドルからHK$に両替をするのが一番良い。

日本円をそのまま持っていくよりも米ドルにして行った方がレートが良い。

その時々の日本円と米ドルの力関係にも因るだろうから一概には言えないが、米ドルは強いというのを直に感じた。

最後の香港ドルを手にすると後は食事をして土産を購入したら終了。

土産を買う前にまずは昼飯と言うことで大衆食堂へ。

大事を取ってビールは控えてエビチャーハン。

前日もそうだったがどうも大衆食堂の炒め物系の食事は脂っこい。

最初は美味しいのだが、後半にもたれてくる。

それでもしっかり完食。

体調が万全でなくてもしっかり食事を食べられるというのは良いことだ。

食事が終了すると残すは土産購入のみ。

職場への土産は本当ならインドで怪しげなものを買って行きたかった。

しかしインド最終日は雨と体調不良で殆ど行動が出来なかった。

というわけで香港で土産を買うことになった。

香港なら何でも揃うだろうが、有名どころの定番と言うことでペニンシュラホテルのお菓子。

ペニンシュラ、沢木耕太郎の深夜特急にも登場する、香港のみならずアジアを代表する超一流ホテル。

そこで売られているチョコレートやクッキーは香港土産の定番。

土産を買う、というよりもペニンシュラホテルに堂々と入る口実が欲しかった。

高級ホテルにありがちな様々なブティックが併設されたホテル内。

効きすぎなくらいにエアコンが効いて寒い。

建物正面入口から入ったすぐにあるロビーは喫茶室のようになっていて優雅にクラシックが流れる。

結構な人でごった返していて、Tシャツとハーフパンツで入ったバックパッカー然の私も特に違和感なさそう。

お菓子などが売っているブティックにいた数人の客はどう見ても日本人だけ。

チョコレートは溶けるのが心配だったので缶入りのクッキー詰め合わせを購入。

高級ホテルとはいえやたら高いわけではなかったが、私がこれまで買った土産の中では最も高いかも。

空港までのバス代33HK$(≒528円)を除けば残りの香港ドルは10HK$(≒160円)強。

通貨は使い切らずに次回また来るために願をかけて取っておくにちょうど良いくらいの金額。

香港での両替は実に巧いこといった。

空港へ向かう2階建てバスに乗り香港を後にする。

今回は香港では殆ど何も出来なかったが、香港ならその気になればすぐにでも来ることができる。

スターフェリー乗って香港島行ったり、市場巡ったりとやりたかったことはまたいつかの香港で。

香港から成田へ向かう飛行機は香港時間の16時過ぎ出発。

機内食では迷った末にビールを注文。

美味しく飲めたということは体調も回復気味ということだろう。

香港時間20:30過ぎ、日本時間21:30すぎに成田到着。

色々あったが無事に帰国できた。

入国審査の前に気になる看板。

「旅行中に体調を崩した方はこちらへ」と健康相談所の看板。

これも経験の1つだと思い、初めてその門を叩く。

小さい病院の待合室みたいな所、時間も遅いからか他に人はいない。

医師が出てきて熱を測りながら問診。

帰国して初めて喋った日本語の相手が健康相談所の医師。

症状、どこへ行った、いつから体調悪い、1人で行動したか、下痢したか、動物には触ったか、薬服んだかetc.

熱は37.4℃って普通にあるじゃないか。

この日の体調で37.4℃だったら動くのもしんどかった前日は38℃越えていたんじゃないかと。

問診の結果は恐らく普通の風邪、健康相談所は病院ではないから薬は出せないと言う(ちなみに問診は無料)。

念のために連絡先を記入させられ、数日しても治らず病院へ行く際に提出する紙片を渡される。

「このカードを提示した方は、海外で感染症に罹患している可能性があります」なんて書いてある。

健康相談所を出ると入国審査だが、問診の間に他の乗客は全員終わったらしく誰一人並んでいなかった。

何事も無く入国審査と税関を通過して22時過ぎ。

いつも使っている地元行きのバスは既に終了していた。

仕方なく京成線のスカイライナーで行こうと思ったらそれも終了。

結局1番早い電車は各駅停車の上野行き。

体調悪い中を鈍行に揺られて帰路。

最終的に地元へ向かう列車は日付が変わって終電だった。

終電だからか車内はギューギュー。

空調が効いている分インドに比べれば数倍マシ。

さらに途中で車内で体調を崩されたお客様が〜とのことで20分の遅れ。

ギューギュー車内と列車の遅れ、どうやら私がインドから持って帰ってきてしまったか。

成田から自宅まで3時間半、チョットした飛行時間並み。

これからは到着時間もあまり遅くなりすぎないように考慮して航空券を買おうと思った。

 

 

総評

20代最後の歳にしてこれまでの旅の集大成と位置づけた今回のインド一人旅。

そのテーマに恥じぬ内容になったのではないかと思う。

往復航空券だけ取って後は全て現地で自力。

メインテーマであったタージマハルもガンガーも拝むことが出来た。

・往復航空券だけの取得
・現地で列車のチケットを取得
・ホテルに飛び込み宿泊
・思うように列車が取れなくても臨機応変に対応
・夜行寝台列車での移動
・観光客を騙そうとする輩をやりすごす
・その他諸々

全てこれまでの旅で培ってきた経験が活きたと言える。

さらに今回学んだことは1週間弱の旅だったらある程度は予定を立てておいた方が良いということ。

今回は幸いにして大丈夫だったが、もしもヴァラナシ行きのチケットが取れなかったら旅の目的が1つ果たせなかった。

日程に余裕があれば数日後のチケットを取って待つことが出来るが1週間弱だと1,2日のロスが死活問題。

今後の旅はその辺りも考慮した方が良さそうだ。

もう金が無くて時間はある学生じゃなくて、時間が無くて金はある社会人なのだ、と。

インドの全体を通して思ったのはこれが成長著しいIT大国なのかと思ってしまうほどの発展途上ぶり。

ニューデリーの駅の汚さ、駅前の雑然さ、無法のようにも思えるオートリキシャーの洪水、そこら中にいる牛。

人の多さからエネルギーは感じたが、IT大国を感じる一面は殆ど無かった。

食事は本当にカレーばかり。

しょっちゅう食べた数種カレー定食とも言うべきターリーを筆頭に、それ以外でもカレー味のものばかり。

日本での多くの料理に醤油を使うようにインドではカレーの元となるマサラを使うからそうなるんだとか。

日本のカレーを少し油っぽくしてサラサラして香草の草臭さを混ぜたようなものが多かった気がする。

決して不味くは無かったがずっとカレーばかりだったので飽きは来た。

そんな中で食べたデリー最終日でのマクドナルドは美味しかった。

奇跡的に1度も下痢はしなかった。

危ないと思う前に持参した水無しで服める下痢止めを常時服んだ効果か。

出されたカレーを無理して全部食べなかった効果か。

それともビールになかなか出会えなかったので必然的に飲みすぎることが無かったからか。

いずれにせよインド旅行の定番ともいえる下痢にならなかったのは大きい。

最後にインドへ行った人への定番の質問を。

インドへ行って人生観が変わったか?

インドでもデリー・アグラ・ヴァラナシの有名観光地しか行っていないので人生観が変わるような大袈裟なことは無かった。

ネットで様々な情報が得られる今はいずれも想定の範囲内。

初海外でインドだったら少しは違っていたかもしれない。

ではインドへまた行きたいか?2度と行きたくないか?

初日のギューギュー満員電車や列車のチケットを取るまでのインド人とのやり取り。

路上で鬱陶しく話しかけてくるレベルも他の外国よりも酷い。

ビールになかなか出会えなかったこともマイナスポイントの1つ。

最初のうちはもうインドはイイと思っていた。

しかし帰国して数日経つともっと巧くやれたんじゃないか、二度と行きたくないって程じゃないなと思い始めてきた。

とある本によると、そう思ってしまう時点でインドの魅力に嵌っているのだとか。

そしてインドに誘き寄せられて、2度と行かねーと思って帰国して、数日経って…という無限ループ。

私の旅史上初めて風邪を引いて終了というおまけもついて集大成のインド一人旅が終了。

さぁ次はどこへ行こう。

30代最初の旅先はどこになるか、どんでん返しで20代最後があるかどうか。

 

 

旅の費用

往復航空券(キャセイパシフィック航空45日FIX、成田−香港−デリー)
67,000円

諸税(空港使用税、現地諸税、サーチャージ)
22,440円

インド通貨(ルピー)両替
10,000円、200米ドル(≒22,000円)

香港通貨(香港ドル)両替
50米ドル(≒5,500円)

ホテル代、香港12,500円…日本からネット予約

海外旅行保険、2,800円


合計142,240円

計算してみて我ながら安さに驚いた。

何よりも宿泊費が安く付いたのが大きいだろう。

空港泊1日・ホテル泊3日・列車内泊2日・機内泊1日

ホテルよりもそれ以外に泊まった日数の方が多い。

そりゃ安くなるわ。

 

 

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