日々是ネタ也
日常全てが題材(ネタ)
祖父の死
ネタ…というのは不謹慎だが、母方の祖父が亡くなった。
仕事をしていると実家の京都を訪れていた母から電話があって危ないという話を聞いた。
その電話から数時間後に逝ってしまった。
さすがにショックで仕事は手につかなかった。
私は24になるが、これまで父方母方ともに祖父母は健在だった。
その一角が遂に崩れてしまった。
私は京都で生まれ、そこで一緒に住んでいたこともあった。
祖父にとっても私が初孫だったので随分と可愛がってもらった。
その祖父が亡くなった。
大正生まれで年齢も80代後半に突入していたし、あちこちに病気も持っていた。
もうそれほど長くはないと分かってはいたが、やはり来るべき時が来ると切ないものだ。
亡くなったことは大きなショックだが、良かったなと思える部分もあった。
最早元気な姿ではなかったが、私は6月に土日を利用して京都へ祖父に会いに行って会話も出来たということ。
そして今回たまたま母が関西に用事があって実家に帰っていて、その時に祖父が亡くなったので母は死に目に会えたこと。
そうしたことを考えないとどうにも死というのはやりきれない。
金曜日に亡くなったので、土日で通夜・告別式。
父と急遽京都へ向かった。
6月に会った時にも思ったが、眠りについた祖父はより小さく見えた。
葬儀ホールのような所を借りてそこで通夜・告別式が行われた。
前日に亡くなったばかりだが、早々とこうした所が用意されて遺影や花までもがしっかりと飾られていたのには驚きと少々の違和感。
その夜私は葬儀ホールに泊まったのだが、夜遅くになってから弔問に訪れる人もいた。
深夜、誰もいなくなったホールで1人暫く祖父と対面していた。
何をしたわけでもないが、なかなかそこを離れられなかった。
翌日の告別式。
祖父は某銀行の東京支店長を務めたり、某商事会社の会長を務めたりかなり立派な経歴を持っていた人なので、告別式に来る人も多かった(…どれくらいの人で多いのかは分からないが)。
一連の進行の中で最後に棺桶の中に花やら思い出の品やらを入れるシーンが1番こたえた。
祖母や母などが涙ぐむ姿を見てしまうと余計にこたえたので出来るだけ周りを見ないようにしていた。
火葬場で最期の別れ。
寂しさ・哀しさ・切なさ…あの感情は何なのだろうか。
約1時間後に採骨。
思ったよりもしっかりと骨の形をなしていた。
足の骨から順に骨壷に入れていく、骨壷の中で生前同様に立った姿にするためだそうだ。
一連の行事を終えてホールで食事、やはり故人の話しに花が咲く。
こんな人だったんだよ、こんなところがあったんだよ。
私の知らなかった祖父の1面も知ることが出来た。
金曜日に逝去の連絡を受けてから翌日通夜、その翌日に告別式。
数日前には想像すらしていなかった出来事が慌しく過ぎ去った。
何だか祖父の死同様にアッサリ終わったなという印象を持った。
祖父の死から1週間以上が経過したが、やはり心のどこかに引っかかりがある。
普段から頻繁に会っていた訳ではなく、1年に1回会うかどうかという状態だったが、何気ない瞬間にフッと思い出して"もうこの世にはいないんだな"と寂しく感じることがある。
この感情は暫く続くだろう。
こうしたことを乗り越えて人は成長していくのだろうか。