一寸記
2009年6月30日 火曜日
やはり世界的スーパースターだったマイケル・ジャクソン。
連日TVでは在りし日の映像を流している。
死ぬと美化されるのは日本も世界も変わらないらしい。
そんな中、全盛時のマイケル・ジャクソンのライブ映像を見た若い女子アナのコメント。
「スキャンダラスな話題だけでなく、こうした映像を存命時にもっと見たかったです」
ってオマエらTVがスキャンダラスな話題しか放送しなかったんじゃねーのかよ、と。
2009年6月26日 金曜日
何やら訃報が続くのか、マイケル・ジャクソンが死去。
全盛期のマイケル・ジャクソンは知らないが、世界的なスーパースターだったことは知っている。
最近は奇行やスキャンダラスな話題ばかり取り沙汰されていたことも含めて世界的な有名人だろう。
世界レベルでこの人の死に匹敵するのはポール・マッカートニーくらいかななんて不謹慎なことを思った。
それでも私にとっては先日の三沢の死の方が何倍も重いが。
2009年6月14日 日曜日
いてもたってもいられず朝からワイドショー的ニュース番組を見る。
予想通りプロレスを、三沢の試合を数多く放送していた日本テレビの番組のトップで放送。
事故直後のリング上の映像が流れる。
TV画面からも伝わるただならぬ空気がコトの深刻さを物語る。
見なければ良かったと思いつつも目を逸らしたらダメだとの思いも。
夜になって地元のプロレス好きだった友人から電話があり急遽追悼飲み。
悲しみを分かち合える友人がいるというのは不幸中の幸い。
2009年6月13日 土曜日
何事も無く終わるはずの土曜日の最後に衝撃のニュース。
三沢光晴急逝。
ネットのニュースが「試合中に意識不明」から「死亡」に変わるまでずーっと更新して確認し続けた。
これまでで最も更新ボタンを押した1日だっただろう。
最近はプロレスから離れていた。
しかし私がプロレスに最も熱中していた時代の2大スターは全日の三沢、新日の武藤だった。
そんな中でも全日派だった私にとって三沢は特別だった。
その三沢が、受身の天才とまで言われた三沢が、リング上で技を受けて…
全ての状況が信じられなかった。
当時のプロレス仲間に連絡を…と思っても認めるのが恐くてメールを打つことが出来なかった。
信じられない、実感が湧かないというのはこういうことなのかと実感した。
2009年6月10日 水曜日
ワールドカップ出場を決めたので消化試合になったホーム最終戦。
カタール相手にオウンゴールの1得点とPKによる1失点で1-1ドロー。
先のウズベク戦ではW杯出場をかけた一戦だっただけにハラハラしたが今回はイライラのみ。
ジーコ時代に感じたのによく似たイライラ。
いくら連戦の疲れとはいえ、フィールドプレイヤー半分変えて…
いくら出場決まったとはいえ、ホーム最終戦で…
最終的にホームで1勝3分って何やってんだよ。
会場のサポーターもブーイングくらいしろよと思えてしまうほどの内容。
まぁこんな当たり外れも含めてサッカー。
2009年6月6日 土曜日
サッカーのワールドカップ出場をかけた一戦はAWAYのウズベキスタン戦。
前半序盤の1点を守りきって辛勝。
前半中盤から攻められっ放し、不可解な審判の判定も加わってハラハライライラ。
相手のウズベクも相当攻めているのに点が入らないからお互い見ていてイライラだっただろう。
それでもこれが最終予選の醍醐味でもある。
守り切って勝ったこと位しか収穫は無いが、何よりも勝つことが第一の試合。
これであと1年は楽しめるということで良しとしよう。
2009年6月1日 月曜日
結局1週間経っても体調不良は治らず。
喉がイガイガ、痰がゲホゲホ。
自分の身体ながらイライラして仕方ない。
喉中の痰を全部吸引してやりたくなる。
前回のインド帰りの体調不良といい、長く引きずることが多い気がする。
年齢の問題か、1人暮らしの問題か。