ひとりごと
BACK NUMBER 9

 

2002年12月31日 火曜日

千葉からの帰りはせっかくなので東京湾横断道路、通称アクアラインを通ってみようということに。

4,000円弱のバカ高い通行料を払ってガラ空きのアクアラインを走る。

海ホタル(サービスエリア)へ行くとココは結構混雑していた。

やたらと小さい子を連れた家族が多かった。

大晦日の観光地、アクアライン、海ホタル。

皆が幸せそうな顔をしていた。

街を歩けば不幸な人はいるだろうけれど、大晦日のこうした観光地に不幸な人はいないのだろうな。

ずっとまっすぐなアクアライン、帰り道も全く渋滞に遭うことなく帰ることが出来た。

昨年末とは全く違う大晦日。

普通に酒飲んで普通にTVとか見て普通に年越し蕎麦食って普通に新年を迎えた。

 

2002年12月30日 月曜日

弟が年末でこっちに帰ってきているので、家族で旅行に行くことになっていた。

家族旅行が嬉しい年頃ではないが、そうあることではないので行くことに。

千葉の房総へ、2年前の8月に大学の友人と行って以来だ。

年末だから道が混むかと思いきや逆に空いていた。

道中全く渋滞ナシ、こういうこともあるんだな。

家族旅行といっても何をするでもなく、まぁ美味いモン食ったというところだ。

千葉で1泊して翌日帰る予定。

泊まるホテルの辺りがどうも見覚えがあると思っていたら、大学時代に来ていたからだ。

大学の時に泊まった所が天津小湊、今回泊まったのは安房小湊、すぐ近くだった。

 

2002年12月27日 金曜日

普段はスーツで行く仕事だが、この日は大掃除なので私服出勤。

9時始業でいきなり掃除。

基本的に拭き掃除がメイン。

蛍光灯や、壁、ロッカーなど。

結構人数も多かったのでやることを探すのが大変だった。

何もしていないとサボっているみたいだし。

昼には大掃除が終わり、事務の方々が何やら寿司やら缶ビールやらを用意する。

大掃除後に納会をやるとは聞いていたが、こんなに早くやるとは思わなかった。

12時過ぎから本社で納会。

寿司にピザ(どんな組合せだ)になんといってもビール。

本社での納会で周りは先輩やら上司やらばかりだったけど、ある酒は飲むのが私のモットー(?)である。

13時にはほろ酔い気分になっていた。

専務や偉い人の簡単な挨拶があって14時には自然解散。

昼過ぎに既にほろ酔いで帰路につけるなんて凄いな。

だいぶ早く終わったのであることを実行に移すことにした。

前日に元バイト先の面々と飲んでいて、私がバイト在籍時に世話になった社員の近況を聞いたのだ。

すると私がバイト当時に1番世話になった人が現在は新橋の店で店長をやっているという。

私がバイトを始めた頃からずーっと世話になったが、3年目くらいで異動して他店に行ってしまった人。

私がバイトをしていた頃その人は店長の下の下の役職だったので出世している。

私がバイトを卒業した時に挨拶に行きたかったのだが、引越やらでバタバタしていて挨拶が出来ずにいた。

せっかく時間があるので挨拶に行くことにした。

渋谷から新橋ならそう遠くはない、ほろ酔い気分も手伝って新橋へ。

店へ行ってみるとその人はすぐに分かった、3,4年ぶりくらいの再会。

その人は全然変わってなくて嬉しかった。

近況を報告するよりも先に「会社辞めたんだって?」と聞かれた。

大学を卒業してどこに就職するかも言っていなかったのに、既にそこを辞めたことまで知っていた。

年末で忙しいと思ったので、それほど長居はせずに店を出た。

世話になったのにずっと挨拶が出来ずにいた人なので、どこか引っ掛かっていた胸のつかえが取れた感じだ。

その後、他にもバイト時代に世話になった人がいたのでその人にも挨拶をして地元に戻った。

地元へもかなり早い時間に帰ることが出来たので、元バイト先の店舗に寄った。

ここにも世話になった人がいるのだが、平日しか出勤していないので挨拶をする機会がなかったのだ。

前夜に元バイト仲間の面々と飲んだのでその頃の懐かしいメンツと会いたくなったというのが大きい。

今年最後の締めに片っ端からアルバイト当時の懐かしい人達に会った。

驚いたのがその誰もが私が会社を辞めたことを知っていた。

現在もアルバイトをしている連中と少し付き合いがあって、その連中には会社を辞めたことを言ってあった。

だからその連中から情報が洩れているのだろう。

不思議と悪い気はしなかった。

辞めて2年近く経つのに私の話題がほんの少しでも残っているというのが嬉しかった。

辞めても笑顔で挨拶に行けるような職場って良いな。

前職の店などへ笑顔で挨拶はチョット難しい、気分的に。

現職はたとえ辞めたとしてもそれが出来るようにしたいけど、オフィス勤務だから難しいか。

そういう意味では小売店勤務っていつでも店がそこにあるから行き易い。

いつまでもそこにあってほしいものだ、1人でも当時の人が残っていれば。

あの頃を思い出し、懐かしさと感傷にチョット浸る機会があれば。

 

2002年12月26日 木曜日

どうやら先日の3連休を境に仕事が落ちついたらしい。

休み明けから殆ど忙しくなくなった。

特にやることがなく、自分から進んで何が出来るわけでもないのでただただ暇だった。

この日の昼過ぎに業務は終了した。

予想以上に早く終わり、翌日は本社で大掃除の後に納会だという。

つまり実質的に仕事はこの日までだ。

飲みに行きたい気分だったので、飲めそうな友人知人に連絡してみた。

すると、大学時代のバイト先の連中が飲みに行けるという。

元バイト先の連中と飲んでいると、あの頃を思い出す。

それは元バイト先の連中との会話が殆どあの頃のままだからだ。

相変わらずだなと昔を懐かしみながら(と言うほど昔でもないけど)、飲むのが心地良い。

 

2002年12月23日 月曜日

やはり仕事を始めるとHP更新が滞る。

どうにか仙台社会人一人旅の12月分は更新したが、1月分を更新できるのはいつになることやら。

仙台記を読んでいるとあの頃は我ながらよくやっていたと思う。

上と下に挟まれつつ、休みも時間外(休日)手当もなしでよくあんだけ働いていたわ。

アレに比べれば現在はだいぶ楽だ。

京都の大学に通っている弟が年末ってことで帰ってきた。

そうか、今年もあと少しか。

今年の年末年始はしっかり休める、昨年に比べれば…。

 

2002年12月22日 日曜日

長らくウチのTVは衛星放送が映らなかった。

そのうちBSのアンテナを付けようと思いつつも、やっていなかった。

それがこの度、特に何がキッカケというのではないが、BSアンテナをつけることにした。

アンテナそのものは1万円未満で買える。

しかし取り付け費用に1万円以上かかるという。

電気屋の店員に聞くと、中には持って帰って自分でやる人もいるという。

それならばと奮起した。

BSアンテナ本体と室内に線を引き込むための窓のサッシを通す線を購入した。

原理はなんとなく理解できたが、作業がかなり面倒臭かった。

ベランダにアンテナを取り付けて、アンテナコードを引っ張って切って繋いで切って繋いで…

やはり1万円超の作業を自力でやるのは大変だ。

無事に接続は完了したのだが、何が悪いのか映らない。

階下の両親と電話で連絡を取り合いながらアンテナの位置を調整する。

するとココだ!という場所が分かった。

アンテナの方角が少しずれただけで映りが全然違ったらしい。

スッキリと映るBSを見たときはチョットした感動があった。

初めて自分でホームページを作ってネット上に公開した時に似た小さな感動。

自分の成果がハッキリと確認出来るというのは良いものだ。

電気屋に頼めば1万円以上する作業だ、どうだ見たか、ザマー見ろ電気屋(?)

 

2002年12月20日 金曜日

12月9日から12連続出勤、仕事のメドがついてきたらしくようやく休みが取れる。

しかもカレンダー通りの3連休、嬉しい限りだ。

1週間ほど同じ職場にいるとさすがにようやく少し慣れてきた。

仕事を終えて帰る頃の時間(21時とか22時過ぎ)は街に大勢の酔っ払いがいる。

電車の中は酒クサイ奴らがいっぱいいて腹が立つ。

若者が酔って楽しそうに騒いでいるのを、冷めた目で見つめながらも、数年前の自分を重ねて羨ましくなる。

 

2002年12月15日 日曜日

10時からの仕事で解放されたのは22時近く。

もう1度確認しておこう、私は入社して2週間足らずだ。

研修すら始めたばかり、それでイキナリなんなんだコレは。

私の友人で似たような職に就いている友人がいる。

彼の苛酷な労働状況は聞いていたし、私もいずれそうなるだろうという覚悟も出来ていたつもりだ。

しかし入って2週間で仕事も判らないのにそうなるのはきつい。

肉体的にきつくはないが、仕事がよく判らないのに仕事場にいるのが精神的にきつい。

まぁこの土日2日分は丸々休日出勤手当が出るからそれは嬉しいけど。

 

2002年12月14日 土曜日

急遽入った仕事。

職場に赴くも、何をしたら良いか判らない。

指示を仰ぎながら言われたことだけをやる。

まだ自主的に何を出来るようなレベルではないのだ。

言われたことすらよく判っていないレベルだし。

土曜日ってことで13時頃からの仕事だったが、終わったのは22時過ぎ。

うーん、この仕事の雲行きが怪しくなってきたぞ。

 

2002年12月13日 金曜日

1週間本社を離れての研修、ようやく週末を迎えた。

この日は忘年会もあるというので参加させてもらうことにもした。

翌日は休みだと思っていたのだが、昼過ぎに本社の方から電話がかかってきた。

急遽人が必要になって、私でも恐らく出来る仕事だから翌日からそっちへ行って欲しい、と。

え?!翌日って土曜日なんですけど…

というわけで急遽、土日の出勤が決まった。

その夜の忘年会には参加したが、翌日も仕事と思うと全然気持ちが乗らなかった。

入社して2週間足らずの私でも出来る仕事って…本当に大丈夫なのかよ。

 

2002年12月11日 水曜日

朝一で本社に来てくれと言われて行った。

何事かと思ったらボーナスならぬ寸志を頂いた。

入社して10日ほどしか経っていないのに…この時期に入社して良かった。

「社長にお礼の電話をしておくように。」

なんてコトは勿論言われなかった。

 

2002年12月9日 月曜日

本社を離れての研修初日にして雪、電車が大きく遅れた。

雪によるポイント故障や線路上への落下物とかでアチコチ止まった。

朝のその電車は高校生が多く乗っていた。

何が楽しいんだか女子高生、「雪によるポイント故障のため、しばらく停止致します。」のアナウンスが流れる度に大笑いしていた。

箸が転がってもおかしい世代ってヤツだな、満員電車の中で意味もなく笑われるとなんかイラついた。

結局1時間遅れで出勤、遅延証明を貰って1軒落着。

 

仕事後に友人から電話があった「仕事どうだ?」と。

「ボチボチだな」というような話をしていた。

友.「給料はどのくらい?」

私.「うーん、まだよく判らんけど、○●円くらいじゃないかな?」

友.「まぁまぁ良いな、それで残業代も出るんだろ?」

私.「そうそう、そこがポイントだよ。残業代出るなんて至れり尽せりだ。」

友.「残業ならお前は得意だもんな。」

私.「まぁな、俺の特技は残業だからな。」

特技は残業、自分で言っておかしかった。

前職では手当も出ないのにひたすらやってたもんな、特技は残業って言っても良いくらいだわな。

 

2002年12月8日 日曜日

再就職から1週間、最初の1週間は実に長かった(詳細は日々是ネタ也参照)。

殆ど座ってばかりで、労働時間も前職と比べると各段に短い。

それなのに1週間の疲労度は相当なものだった。

慣れない環境や緊張感からくる気疲れだろう。

本社の雰囲気に少し慣れてきたと思ったら、次週からは違う所で研修という。

今年いっぱいかけて慣れていければ良いかな。

 

2002年12月1日 日曜日

いよいよ再就職の時が来てしまった。

5月半ばに退職してから6ヶ月半。

サッカーワールドカップも見たし、旅にも出たし、結構飲みにも行った。

年内再就職という目標もまぁ達成できたわけだ。

それでもやはり翌日から仕事、と思うとこれまでの生活が恋しくなる。

そんな生活をずっと続けるわけにはいかないというのは判ってはいたけれど。

これまでのダラケきった生活から一変した生活になる。

大丈夫だろうかとも思うが、前職に就いた時もそうだった。

ダラケきった大学生活から一変した生活をしかも1人暮しの生活をしっかり送れていたのだ。

そう、私には前職での経験がある。

今度の職はあれよりはマシだろうと思える。

そういう意味でも前職の経験が役に立つと言えるのかもしれない。

あの生活を1年以上続けられたのだ、自分はやれるはずだ。

再び私の社会人生活がスタートする。

 

2002年11月30日 土曜日

中学時代からの友人と地元で飲みに行った。

市街ではなく、友人宅近くのローカルな飲み屋へ行くことにした。

すぐ近くに中学時代によく遊んでいた友人の家があるので行ってみることにした。

事前に電話をかけてみたのだが、既に番号が変わっているらしく繋がらなかった。

家の前まで行って表札が変わっていないことを確認するも、呼び鈴を押すのは躊躇われた。

何せ大学時代に1度一緒に飲んだだけでここ5年くらいは連絡すらとっていなかった友人なのだ。

携帯の番号が変わっていても連絡がこないような仲になっていた友人なのだ。

友人宅の前でどうしようかとウロウロしていたらその友人の親父さんらしき人が外から帰ってきたところだった。

「僕達○●君の中学時代の同級生なんですけど…。」と話しかけてみた。

すると「あぁ、○●は今いないんですよ。仕事で千葉の方に居てね。」とのことだった。

そうなのか、まぁ5年も連絡をとっていなかったし連絡なくても仕方ないか…

中学時代は仲良かったんだけどなぁ…。

飲みに入ったのはローカルな居酒屋。

地元の工事現場で働いてますっていうようないわゆる現場のオッサンがいっぱいいた。

我々以外の平均年齢は50歳くらいで中年のオッサンオバサンばかりだった。

飲み過ぎないように適度に飲んで会計。

すると会計をした店員の兄ちゃんに声をかけられた。

何かと思うとなんと中学時代のクラスメイトだったのだ。

「おぉ!?久しぶりー。」

中学時代はそれほど仲良くはなかったが、久々に会うと妙に懐かしく嬉しくなった。

その居酒屋は我々の母校である中学から徒歩5分くらいの所。

だからこそこんな出会いがあったのかな。

色々な懐かしさを感じた夜だった。

 

2002年11月28日 木曜日

再就職に際して用意しなければいけない諸書類がある。

その中の1つに健康診断書というのがある。

大学在学中は学校が毎年行なってくれていたので、大学に申請するだけで良かった。

ところが、今回はもう大学時代の健康診断書は使えない。

地元の病院に電話して健康診断を実施している所を調べて行った。

その健康診断結果でショックな項目があった。

視力が両目とも1.0しかなかった、正確には右0.9・左1.0。

これまで私はいかなる視力検査でも両目ともに1.5を下回ったことはなかった。

それが今回は1.0前後、しかも1.0を切るという大台を記録してしまった。

これはかなりショックだった、目が良いことは私の小さな自慢でもあったのだが…。

以前よりも視力が落ちたという自覚症状は全くない。

ただ今回の検査時に調子が悪かっただけだろうか。

それともパソコン等の使用により蓄積された視力悪化の原因が表に出たのか。

健康診断実施料金7,000円よりも遙にショックだった。

しかし身長は私の認識(171cmだと思っていた)よりも高かった(172.6cm)、伸びたのかな。

体重も標準体重=(身長-100)×0.9より少なかった、安心。

 

2002年11月26日 火曜日

高校時代の友人どもと飲みに行った。

名目は私の再就職記念。

私が再就職したら飲みに集まるのは少し困難になるだろう。

新宿で平日はサービスで料理全品280円という居酒屋に入った。

出てきたお通しの値段を聞くと300円だと言う…。

2軒目はドリンク全品99円という居酒屋。

1軒目では食ったので、2軒目では飲むという作戦だ。

就職した友人は飲んでいる時にも仕事の電話がかかってきていた。

自分も前職ではそうだったけど、今度のはどうなるかな。

未だ大学生の友人が現在映画を作っているという。

やりたいことやってるんだなーと羨ましかった。

2軒合わせて生中に換算して10杯くらいだろうか、いつもの調子だ。

だけどこれくらい飲むと翌日に残る可能性がある、就職したら酒量も計算しないとな…。

 

2002年11月25日 月曜日

先日採用の連絡を貰った企業へ行くことにした。

少し迷うこともあったが、その迷いの殆どは"もしかしたらもっと良い企業があるかも"ということだった。

しかしそれを言い出したらキリがない。

仮にもっと良い企業が出てきても、それがいつかは分からないし、採用されるかも分からない。

大学時代の就活と違って、今回の再就活では始めから業界をかなり絞った。

片っ端から様々な業界の企業を受けるのではなく、受けに行く企業はかなり絞っていた。

選考を受ける時点で自分の中での企業の選考基準をクリアして厳選した所のみを受けていた。

それだからあるとも知れぬもっと良い企業を待つよりは採用してくれた企業へ行こう、そう決めた。

12月から勤めることになった、ちょうど1週間後。

半年にも及ぶ気楽な生活もこれまでか。

 

2002年11月23日 土曜日

気がつくとこのホームページも開設から丸4年が経過、現在5年目。

数々の旅、大学卒業、就職、社会人の日々、退職、再就職。

このホームページは色々見続けている、そしてこれからも見続けるだろう。

しかし再就職すると更新ペースは一気に落ちるだろうな。

 

2002年11月22日 金曜日

最近一連の再就活で、履歴書が尽きた。

さし当たって次に受ける企業が決まっているわけではないが、用意しておいた方が良い。

買物ついでに履歴書も買って帰った。

いくつか形式がある履歴書だが、私は履歴書を買う時に注意している部分がある。

志望動機や自己PRを書く欄が少ない履歴書を買うようにしている。

出来るだけそうしたことを記入する欄が少ない履歴書だ。

何故ならば毎回それらを考えて書くのに苦労するからだ。

言葉では説明できても、文章にしにくい。

それが私の場合だと履歴書の志望動機や自己PRにあたる。

出来るだけそこは簡潔に書いて、面接でその内容を修飾して言えるようにと思っている。

そんなわけで今回も売っていた幾つかの履歴書から最もそれらが少ないのを選んで購入した。

その数時間後、見知らぬ番号から携帯に電話があった。

出ると一昨日に面接を受けた企業。

「先日の面接の結果をお報せしたいのですが宜しいでしょうか?」

そう言われてピンと来た、電話で結果を報せるということはOKだろう。

すると予想通りだった「当社としては是非おこし頂きたく思っております。紘之さんのお気持ちは如何ですか。」

あまりにも早い展開に驚いた、先日の筆記試験と面接で選考は終了だったのだ。

しかも結果は1週間くらいと言っていたのに2日後に来た。

即答出来なくて「少し待って頂けますか。」と1週間ほどの猶予を貰って電話を切った。

急展開だ、さっきまでは他社を受けるときの為に履歴書を購入していたのに。

さて、どうしたものか、こんなにも早く結果が判るとは…。

私が前職で店長時代に面接者に結果を報せる時に、早く結果を報せるのは採用者だけ。

採用者に早く結果を報せる理由は2つあった。

その2つの理由は互いにリンクしている部分もあるが、

1つは面接時点ですぐにでも採用したい、他の面接を受けさせまい、と考えた時。

もう1つは現在あまりにも人がいなくて良いと思った人は出来るだけ早く来てほしい、と考えた時。

今回面接から2日後に私に採用の電話が来たのもそれらの理由が当てはまるのだろうか。

最初の理由だけなら良いが、2つ目の理由だったらチョット厳しい職場になるかもしれない。

でもこっちは全くの未経験だということを面接でもアピールしてあるから向こうもそれは判っている。

つまり即戦力にならないことは判って採用を決めてもらっている。

そう考えると大丈夫かなとも思える、仕事を早く覚えるように凄い勢いで詰め込まれるかもしれないが…

条件面では決して悪くない、給与は前職より落ちるが時間外手当は出るし完全週休2日でもある。

その業界の仕事は厳しいが(面接でしっかり聞いた)、前職と比べればそれは耐えられると思っている。

それでは何が自分を躊躇わせているのか。

明確な何というのは思いつかないが、漠然とした"それで良いのか?"という問いだ。

こういう選択肢にぶち当たった時にいつも思い出すのはあの詩である。

迷わず行けよ、行けば分かるさ

 

2002年11月20日 水曜日

今回行った企業は、求職者を集めての説明会みたいなものは開かなかった。

企業に行き、筆記試験を受けた後でそのまま面接をするという形だった。

今回の筆記は国語系の問題が多くて、これまでの2社よりは遙に良く出来た。

筆記試験を終えるとそのまま面接。

私1人ではなく、もう1人男性が一緒で、企業側も採用担当者が2人。

一連の再就職活動で面接を受けるのは今回が初めてだった。

「では自己PRからお願いします。」

うわぁ、そういやそんなのあったなー、全く考えていなかった。

志望動機や前職の退職理由はそれなりに答えを考えていた。

だが自己PRというのはスッカリ頭から外れていた、そういやそんなのあったわ。

しかし我ながらたいしたもんだと思えたのはスラスラとそれが言えたということ。

大学卒業して就職し、入社半年で店長やって約15人のスタッフを統括して…ってなことをアピールした。

そしてお決まりの質問、「前職を辞めた理由は何ですか?」

半端でない労働時間、週に1度取れれば良い休み、それを美徳とするような会社の体質云々。

それらを織り交ぜて説明した、核となるのは超過労働ということだ。

本当は会社の体質や考え方に対する違和感が1番の理由だが、それを他人に説明するのは容易ではない。

社長崇高から企業理念などアレコレ説明しなければならないのでややこしい。

これまでのように説明会がなく、いきなり筆記試験・面接だったので、面接で仕事内容の詳細も聞く。

勿論こちらからも仕事内容や研修、待遇についての質問もする。

そうなると必然的に聞く一方、答える一方の面接ではなく、対話する面接になる。

それだからか、面接に対する手応えはそれなりにあった、好印象は与えただろうなという。

一緒に面接を受けた某T大4年男子があまりパッとしなかったことからも私が引き立ったかもしれない。

何せ話の中で、「引越バイトは辛くて3日で辞めちゃいました。」だの、

この業界を志望した理由を聞かれると、「興味があったからです。」だけ。

アンタそりゃあまりにも正直過ぎるし簡単過ぎるよ…と横で聞いていて思った。

考えてみれば私は前職で対象はアルバイトとはいえ、合計で50人以上の面接をしてきた。

だから面接でどういう受け答えをすれば相手が喜ぶのかをなんとなく判っているのではないだろうか。

自分でもそうなのかは判らないが、久々に受けた面接で思ったより手応えがあったのでそんなことを感じた。

結果はやはり1週間後くらいらしい。

 

2002年11月19日 火曜日

先日1次試験を受けた企業から郵送で返答があった。

慎重に詮議を重ねました結果、遺憾ながら採用をご辞退申し上げることに結論をみましたので、ご通知申し上げます。

これで2社連続1次試験(筆記)でアウト、今回のは前回よりは手応えがあったのだが…。

しかも郵送でハッキリと私の名前入りで通知されると、やはり少々ショックだ。

世の中には"試験通過者にのみ連絡"という企業が多い。

たとえそれで連絡がなくても"もしかしたら私への連絡を忘れたのかも"というかなり淡い期待が持てる。

しかしハッキリと郵送で氏名まで明記で通知されたんじゃ否定しようがない。

どっちも落ちたということに変わりはないが、受けるショックは少し違うな。

ネタ的に落ちたコトは少々ショックだったが、実はちょうど良かったとも思える面もある。

この翌日に先日新聞で求人を見て応募した他社の採用試験と面接を控えていたのだ。

気兼ねなく次の企業の採用試験を受けられると思えばグッドタイミングだったというわけだ(半分負け惜しみ)。

 

2002年11月17日 日曜日

日曜日は新聞に求人が多く載る。

何か良いのがないものか毎週探している。

ドライブをしながら音楽を聴いていると少し昔の曲が流れた。

やりたくないことばかりが次々と見つかるけれど
消去法でイケることもあるらしい
そのうちまぁ、なんとかなる…ヘイ、そうだろう

深く共感してしまった。

 

2002年11月15日 金曜日

前日の会社説明会・筆記試験時に、既卒者は履歴書の他に卒業証明書も持って来いという。

卒業式の時に卒業証明書を貰っていたので、それをコピーして持っていこうとした。

コンビニでコピーをすると、出てきた紙には数学の問題がコピーされていた。

何だこりゃ?、前にコピー使った人が忘れていたのか?と思ってコピー機を見るも私の卒業証明書しかない。

変だなと思いもう1度コピーするも出てきたのはさっきと同じ数学の問題。

本格的に変だと思い、卒業証明書を見ると"この紙には偽造防止処置が施されています。"と書かれていた。

それで理解が出来た、コピーが出来ない仕組みになっていたのだ。

しかし卒業証明書をどう透かして見ても、コピーされて出てきた数学の問題は見えない。

まるで手品のようだった、大層な技術を使っている。

しっかりとした公的書類だからそうした処置が施されているのだろう。

そうだろうな、"私は大卒です"って証明だもんな、簡単に偽造されちゃたまらん。

卒業証明書を提出する必要がある事態は今回で最後にしたいものだ。

 

2002年11月14日 木曜日

新聞の求人を見て、会社説明会に行った。

説明会の後に筆記試験も行なうという。

前回(10/23)も会社説明会〜筆記試験の流れだったが、38度の熱があり燦々たる結果だった。

もっとも熱が無くてもアレは通らなかったと思うが…(難しかった)。

今回はそのようなことがないように、体調万全で向かった。

1時間30分の説明の後、休憩を挟んで筆記試験。

まずは英語の問題、英文和訳と英作文。

そんなもの大学の英語の授業を最後にやっていない。

久しぶりに脳内の英語という引き出しを開けた。

単語力などは多少蟲に食われていた部分もあったが、まぁなんとかなったように思う。

英作文など「コンピュータに関連ある文章を、50語(WORD)以上使って書け」などというもの。

書こうと思っても単語のスペルが出てこなかったりでかなり苦労した。

英語が終わると次に出てきたのは、国語や数学、言語・非言語のSPIというヤツだ。

これまた暫く使っていなかった引き出しを開けなければならなかった。

大学の時に就職活動支援講座とやらでSPIの模試を受けたことがある。

結果はちょうど平均点だったのだが、言語が高得点で、非言語がダメだったのを覚えている。

今回もそれと同じ結果になりそうだ。

国語的問題はだいたい理解できたが、数学的問題はサッパリだった。

それでも前回(10/23)よりはまだ希望が持てる出来だった。

1週間後くらいで結果に関わらず郵送で報せてくれるという。

その封を開ける時はドキドキだろうな。

それが通っていたとしても面接があと2回、キツイなー。

 

2002年11月10日 日曜日

先日、TV番組で私が辞めた会社の特集をしていた。

辞めた会社とはいえやはり気になったので見てしまった。

その番組内で会議の様子が映り、当時の上司や先輩社員らの様子が少しだけ映った。

そんなに時は経っていないのに妙に懐かしい感じがした。

あぁ相変わらずやってんだなーって、見た感じは変わらず元気そうだなーって。

当時に戻りたいとは思わなかったが、その懐かしさはどこか心地良かった。

働く所があるというのはそれなりに充実した何かがあったのだろう。

次のその場所を早く見つけたいな。

 

2002年11月5日 火曜日

前夜は久々に勢いよく飲んだので二日酔い。

でもその二日酔い加減は昔(学生時代)よりもだいぶマシだった。

つまりそれだけ酒量が減ったということ。

あるいは考えて飲むようになっているということ。

チョットは成長しちゃったか、少し寂しくもあるな。

 

2002年11月4日 月曜日

大学時代のアルバイト先で、私も知っているアルバイトの送別会があった。

その辞めるアルバイトとは特別親しかったわけではないが、誘われたので行くことにした。

送別会はきっかけ、要は懐かしいメンツと飲みたいだけだ。

 1年半ぶりに多くのバイト仲間や社員らと飲んだ。

私のように既に辞めた人たちも来ていて、懐かしいメンツがいっぱいいた。

あの頃は楽しかったなーとしみじみ飲んだ。

当時と変わっていない人、職に就いて違う道を歩いている人。

色々な人がいたが飲んでいると当時の気持ちが甦ってきた。

そして懐かしさと同時に、自分もしっかりしなきゃなという決意も新たになった。

次に飲む時は、その時の自分を誇れるように。

 

2002年11月1日 金曜日

そうこう(どう?)しているうちに、11月になってしまった。

タイ旅から帰ってきて、しっかり職を探そうと思い始めてから1ヶ月半。

コレという企業になかなか出会えない。

ハローワーク、求人誌の立読み、インターネット。

しっくりくるのは僅かだ。

これまでに2社ほどネット上などでアプローチをかけたが、反応はなかった。

求人は沢山あるので就職難とは思わないが、就職できない。

理由はしっくり来る企業がない。

何を持ってしっくり来るのかは説明しにくいが…。

こちらから少し妥協をして探さざるを得ないのか。

 

2002年10月30日 水曜日

38度の熱を圧して受けに行った某企業の入社1次試験。

選考通過者には1週間後に電話で連絡をするという。

その1週間が過ぎた、電話を待つも電話は来なかった。

確かにあの試験は全く出来なかったからな…。

それでもどこか期待してしまっている自分がいた。

期待は脆くも崩れ去ったが…。

さて、また1からやり直しか。

 

2002年10月28日 月曜日

どうやら風邪は峠を越えたらしい。

残っているのは多少の倦怠感と、喉の痛み、そして寝すぎて寝違えた首の痛みくらいだ。

熱は下がったのでまぁ大丈夫だろう。

別に誰に対して遅れをとっているわけではないが、この遅れを取り戻さなければならない。

再就職活動である。

冗談で年内には…なんて言っていたのが冗談ではなくなってきた、もう11月も近い。

先週の水曜に38度の熱をおして行った会社の返事が良ければ御の字だが、あの適性検査は難しかった。

全く自信がないし、仮に通っていたとしても後2回面接があると言う。

会社に入るのって大変なんだな。

 

2002年10月25日 金曜日

熱の日々が続く。

そういえば会社を辞めてから健康保険の加入もなくなった。

親の扶養下にも入っていないので、現在私が病院に行くと保険が適用されない。

親には「病気になる前に就職するさ」なんて言っていたのに…

病院行かずに治さなければいけないのか。

 

2002年10月24日 木曜日

風邪なので暖かく、ということで布団をたくさんかけて眠る。

すると暑い、熱い、厚い。

布団が多いので暑くなり、体が熱くなり、布団の厚みで体が重くなる。

体の節々は痛いし、暑くて汗かいて気持ち悪く寝苦しい。

起きるとフラフラして頭はズキズキ痛むし最悪である。

1日中寝ていた…というか寝る事しか出来なかった。

なのに熱は下がらず38度代を順調にキープ…。

 

2002年10月23日 水曜日

眠りながらも熱による体の節々の痛みでかなり寝苦しかった。

起きてみると、結構辛いがなんとかもちそうな気もした。

熱を計ると気が萎えそうだったので、そのままスーツを着て家を出た。

会社説明会は秋葉原、電車でおよそ1時間。

電車の中はけっこうきつかった、頭がクラクラした。

秋葉原に着くと一直線に会社を目指す。

早めについたので説明会の会場には1人しかまだ来ていなかった。

本当は机に突っ伏して眠りたかったのだが、会社説明会会場でそれをやるわけにはいかない。

体の節々の痛みや、頭痛と戦いながら時を過ごす。

その説明会は大学4年も対象にしているらしく、会場の雰囲気はまさに就職活動の会社説明会だった。

最初にアンケートに答えたのだが設問が"今まで何社訪問しましたか"や"大学の単位は全て取りましたか"など、

明らかに大学4年生向けの設問が目立った。

なんだか肩身が狭かったが、考えてみれば私も年齢的には大学4年といっても充分通用するんだった。

1時間ほど会社説明を聞く、説明を聞くと言うより自分の体調との戦いだった。

そして適性検査、コンディションが良い時に受けたかった…と思っていたのだが、これが難しい。

体調が良かろうと悪かろうと関係なかった、そもそも判らん。

コンピューター関連の企業だったので、適性検査に数式みたいなものが出てきた。

サッパリ判らん、数式なんて何年ぶりに見ただろうか。

そういえばシャープペンを使ったのも大学以来のような気がする。

痛い頭を余計痛くして考えるも、サッパリ判らなかった。

冒頭の基礎的な問題は答えられたが、後半になると徐々に専門的になってきて全然ダメだった。

結果は1週間後だというが、これはダメかもしれん。

2時間ほどの説明会と適性検査を終え、帰路につく。

秋葉原まで行ったのだから元気な私ならば電気屋にでも寄って帰るのだが、そんなことする気力なし。

一直線に家に帰った、自分でも体が重い、熱が上がっているだろうというのがわかる。

帰宅して熱を計ると38.6度、かなり上がっている。

この日の外出がトドメをさしたな、さらには知恵熱も加わったか。

 

2002年10月22日 火曜日

新聞の求人でなかなか良さそうなのを見つけたので、説明会に行く事にした。

早い方が良いと思ったので、翌日の説明会を予約した。

すると写真を貼った履歴書と適性検査を行なうので筆記用具を持って来いと言う。

写真を貼った履歴書…写真?!スーツ着た写真なんかないかも。

慌ててスーツを着て証明写真を撮りに出かけた。

さらに適性検査、会社説明会で適性検査までやるのか、本格的だな。

昼飯食ってしばらくするとどうも体が熱い、熱っぽい。

そして徐々にだるくなっていった。

これは風邪か?!熱を計ると37.9度。

なんと、熱があるではないか。

恐らく一昨日の飲んだ帰り、雨に濡れながら帰ったのがまずかったのだろう。

前日も体調が良くなかったのだが、それは二日酔いだとばかり思っていたが風邪だったのか。

熱が38度近くあることが判ると急にだるくなってくる。

しかし翌日には会社説明会を予約してしまった。

しかもその会社説明会では適性検査までやるという。

こんな体調で大丈夫だろうか…。

 

2002年10月20日 日曜日

前日の夜に電話があり、高校時代の友人と飲むことになった。

1人はタイ旅行の相方で学生、もう1人はヨーロッパ旅行の相方で社会人。

社会人の都合がなかなか合わずに、延ばし延ばしになっていた飲み会だ。

タイ旅行の相方と会うのも2ヶ月ぶりで帰国後初、社会人の方も数ヶ月ぶりだ。

どんなに会うのが久しぶりでも、いつも会っているかのように話せる相手というのは良い、酒も会話も弾む。

友人の1人がちょうど誕生日で、某居酒屋で誕生日に来店するとでっかいパフェを無料で食えるという。

せっかくだからと行ってみた。

友人が誕生日だということを告げ、「45分くらい待ちますが…」と言われたが飲みながら待つ。

そして来た、花瓶のようなでっかいガラス容器に特盛りのパフェ、それに花火が刺さってパチパチ言っている。

さらに沢山の店員が「お誕生日おめでとうございまーす!」とクラッカーをパンパン鳴らして拍手する。

周りの客も何事かとこっちを見ていて、つられて拍手する。

…恥ずかしい、なんだか苦笑い。

あれはカップルとかでやるもんだな、男3人だとかなり恥ずかしい。

それでもカプサイシン入りという少しピリッとした不思議な味のパフェを3人で完食した。

また誰かの誕生日の時には行こう…かな。

社会人の友人が、23時までに電車に乗らないと明日の仕事が…ってことでお開きになった。

翌日を気にして飲むようになっちゃったんだな。

帰り道、雨に濡れながら帰宅。

 

2002年10月17日 木曜日

高校時代の友人から何ヶ月ぶりかで電話があった。

その友人は高校卒業して専門学校を中退してブラブラしていた印象があったが、就職して働いているという。

そのうち飲もうなと言って電話を切るも、そのうちはいつなのだろう…。

私が会社を辞めて実家に帰ってきた時も電話で話してそのうち飲もうと言った友人がいた。

でもそのうちの数人とは結局時間を合わせられずにいる。

私のほうはいつでもOKなのだが、仕事をしている相手を考えるとなかなか巧くいかない。

ましてや違う会社に勤めている数人と日程を合わせるなどは。

私も再就職が決まったら今のように自由の身ではなくなるだろう。

こうして益々付き合いが薄れていくのは嫌だな。

まぁ頻繁に会わずとも、その程度で切れる仲ではないと信じているが…。

 

2002年10月10日 木曜日

ハローワークへ行った帰りにいつも家電量販店へ寄っている。

昼頃にその家電量販店に行くといつも空いている。

その店には無料のインターネットコーナーがある。

そこがガラガラなので、そのインターネットコーナーで再び職探しをするのだ。

ここにも何度も記しているように、再就職活動もネットを活用した方がやり易い。

その家電量販店のネットコーナーはADSLだから早いし、空いている時間なので人もいない最適な環境。

この日もハローワークの帰りにその店に行ってみた。

すると営業していない、入口に貼り紙。

「10月8,9,10日は社員研修のためお休みさせて頂きます。」

結構大きな家電量販店で、関東にかなりのチェーン店がある店だ。

その店が社員研修の為に3日間も店を閉めるとは…

なんだか信じられなかった。

普通ディスカウント系の家電量販店は年中無休で営業しているものだと思っていた。

その社員研修とやらは丸3日間も店を休みにしてまでやる必要があるものだったのだろうか。

それは社員全員が同じ日程でやる必要のあるものだったのだろうか。

その期間中に店を訪れた客はどうなるんだ…。

たとえば突然家電が壊れてその量販店で買ったお客が来店したらどうなるんだ…。

重たい思いをして大きな家電を修理してほしくて持ってきたお客なんかがいたら…。

社員研修の為に3日間店を休みにする。

それはお客ではなく、社員主体の考え方だ。

少しではあるが小売業に携わっていた者として"何か間違っている"と思ってしまった。

 

2002年10月8日 火曜日

先日CDコンポのアンプが壊れて音が出なくなった。

修理に出しているのだが、その最中に今度はビデオデッキが壊れた。

デッキの中にテープがつまって出てこなくなった。

ビデオデッキを分解してテープは救出、そのまま自力でデッキを修理しようと試みる。

分解してみて故障箇所の仕組みはなんとなく判ったのだが、何故ちゃんと動かないのかが判らない。

健闘虚しく治らない、結局修理に出さざるを得ないことに。

こうも立て続けに家電が壊れるとは。

修理代がかさむ、金がかかる、先日住民税払ったばかりなのに。

早く就職しろという暗示なのか…

 

2002年10月7日 月曜日

ハローワークへ行くと、仕事検索用のパソコン台数が1.5倍くらいに増えていて驚いた。

そのおかげなのか、待ち時間ナシで利用出来るようになった。

パソコンが増えているということはそれだけ需要が多いということ。

ハローワークの需要が多いということは失業者も多いということか。

パソコンを増やすのも良いが、もっと諸条件を絞り込んで検索出来るようにして欲しい。

民間がやっているネット上の転職情報検索ページなどではかなり諸条件を絞り込める。

ハローワークもより細かく検索出来るようになればもっと利用するのだが。

あまりにも条件にヒットする企業が多すぎて、逆に探しづらいのだ。

 

2002年10月2日 水曜日

以前住んでいた仙台市から住民税を払えとの通知が来ていた。

無視し続けていたら督促状が届いてしまった。

10日以内に払わないと追徴課税(?)されます…のようなことが書いてあった。

仙台市に世話になった覚えは殆ど無いのに。

17,000円強払ったさ、無職の身には痛い出費だ。

 

2002年9月28日 土曜日

週末になるとよく中学時代の友人と深夜にドライブへ行く。

深夜の峠道を走りに行くのだ。

ガラの悪い走り屋の車がたくさん。

山道特有のカーブが続く峠なので、かなりスリリング。

怪我は無かったけどガードレールにぶつかったこともある。

それでも懲りずに走りに行く。

走るスリルが楽しいというよりも、走っている時の友人との会話が楽しい。

最近はもっぱら私の人生(?)相談、何の仕事しようか…って。

この日の夜は峠を降りてから、帰り道とは逆の道へ行ってみた。

「この道を行けば、どうなるものか…」と。

迷わずにアクセルを踏み込んでその道を進んでいくとなんと山中湖まで行ってしまった。

神奈川県を突っ切って山梨・静岡県まで来てしまっていたのだ。

深夜3時頃に山中湖、「何やってるんだろうな、俺達。」友人とお互いに笑った、何だか愉快だった。

迷わず行けよ、行けば分かるさ…か。

 

2002年9月25日 水曜日

再就職活動をしている。

大学時代の就活ではインターネットを使ったが、今回も同様。

ネット上の転職サイトに登録をし、企業検索もしている。

ネットだとハローワークよりも諸条件を絞れるのが良い。

未経験歓迎とか、会社の規模とか、フレックスの有無とか他にも細かい部分まで色々。

検索の段階でかなり諸条件を絞れるのだ。

ハローワークだと膨大な数の求人の中からそれらの諸条件を確認しなければいけない。

明確に何をしたいのか分かっていない私のような人間だとネットで諸条件を絞ってから選ぶのもアリだろう。

だがいつまでも何がしたいのか分からずに就活が出来ないでいるわけにはいかない。

何がしたいのかではなく、何がしたくないのかを基準にまずは探している。

消去法、したくないことはない(ややこしいな…)という仕事。

以前にも記したが、これまでにやったことがないことがしたい。

それだけは分かっている。

 

2002年9月18日 水曜日

ハローワークへ行ったり、転職雑誌を立読みしたり。

確実に再就職活動を始めている。

でもそれらを始める前に考えなければいけない問題がある。

"自分は何がしたいのか"ということだ。

仕事をするうえでの大前提だと思うのだが、それがよく判らない。

求人誌を眺めて、ハローワークで求人情報を見て、ピンとくるこれといった職がない。

"で?お前は何がしたいの?"

聞こえてくる心の声…

答えられない。

 

2002年9月15日 日曜日

これまで避けてきた再就職活動を始めた。

短期のアルバイトを探す為に求人誌を立読みすることはあったが、転職誌を読むことはなかった。

だがいつまでもNoNoとしているわけにはいかない。

本屋で転職雑誌を立読み。

あれだけ色々な職と求人があると、いつもの楽観癖が出て"どっかは行けんだろ"と思える。

どっかは行けるだろうけれど、どこでも良いという訳ではない。

これまで私はアルバイトも含めていわゆる一般消費者と対峙する仕事しかしていなかった。

だから次はそうでない仕事をしてみたいと思っている。

小売とか接客とかではない仕事。

まずはそれを前提にして探そうと思っている。

 

2002年9月12日 木曜日

タイ旅日記を完成させた。

帰国してから、思い出が新鮮なうちに書き上げたので、かなりの大作になった。

あれも書きたい、これも書こう…という感じで。

タイへの旅も終わった、旅日記も書いた。

いい加減そろそろ動き出さねばなるまい。

重たい腰をあげる時が来たようだ。

 

2002年9月11日 水曜日

図書館へ借りていた本を返しに行った。

ついでに何か借りようと思ってハッと気がついた。

財布に図書館の利用カードが入っていない。

いつも海外から帰ってきたら必ずやる失敗。

海外へ行く前は財布の中に入っている海外では使わないカードなどは全て財布から出していく。

小売店のポイントカードや図書館の利用カードなどだ。

そして帰国してからもつい忘れていて、カード類を財布にいれ忘れる。

そして出先でそれらが財布に入っていないことに気がつく。

海外旅行から帰ってきても気を抜かないように。

 

2002年9月6日 金曜日

タイより無事帰国。

タイを旅するはずが、気がつくとマレー半島3カ国をも旅していた。

帰国早々旅日記製作に着手。

目標は1週間以内の完成・公開。

 

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