ひとりごと
BACK NUMBER 8

 

2002年8月28日 水曜日

仙台社会人一人旅の8月分が完成した。

退職後1ヶ月経った6月末から書き始めた。

書き始め当初の目的は記録の内容が"早く1年前に追いつく"ということ。

8月末にしてようやく1年前に追いつくことが出来た。

記録を読めば分かるが、1年前の8月は本当に忙しい月だった。

ようやく1年前に追いついてあとは1年前をどんどん追い抜いていくだけだ。

ところが今日、私はタイへ行く。

タイから帰国したら何をするか。

そう、旅日記である。

すると必然的に仙台記を書くのが遅れてしまう、順調には行かないものだ。

とにかく、タイへ行ってくる。

帰国したらどうするのかって?

だから旅日記を書くってば。

その後はどうするのかって?

分かっちゃいるけれど、今は考えたくないな…。

 

2002年8月27日 火曜日

京都の大学に通っている弟が、京都に帰った(帰ったっていうのは違和感あるな…)。

大学生の夏休みは長く9月いっぱいも休みだというのだが、部活の合宿があると早々に帰って行った。

そして私は明日からタイへ行く。

実家は両親2人だけ、少しの間は静かになるわけだ。

 

2002年8月26日 月曜日

新聞の折込み広告である企業が9月半ばに3日間だけの短期アルバイトを募集していた。

その募集先に電話をかけてみた。

すると名前・年齢・現職の有無、それだけを聞かれた。

履歴書送付も面接も一切なし。

採用の場合には今週中に電話をします、とのことだった。

そんなのでいいんかね。

ところが今週、私はタイへ行く。

その旨を話すと、「それならばご自宅の留守番電話に入れておきます。」と言われた。

だがよく考えてみると、私が採用側なら今回の私のような人物は採用しない。

履歴書も面接もないというのなら学歴・職歴や人柄等はどうでも良いということ。

とにかく人員が集まれば良いという考えだろう。

だとしたら募集定員に達したら敢えて連絡を取るのが面倒な私のような者を採用するとは考えにくい。

こりゃ不採用かな、別にいいけど。

 

2002年8月22日 木曜日

午前中に街でもブラブラしようと思い出かける準備をした。

服を着替えてさて家を出る直前に携帯電話の電池が切れていることが判った。

別に持っていなくても良いのだが、何だか気になってケータイを充電。

ボーっと充電を待っていたら何だか途端に出かける気が失せた。

出かけるってどこへ?何をしに??

突然全てが面倒臭くなった。

結局1日家にいた、特に何もせず。

そんな1日もある。

 

2002年8月20日 火曜日

8月末にタイへ行く、往復の行程は1人だが現地では1人ではない。

タイでこっちの友人と合流して行動を共にする予定だ。

それの打ち合せと称して飲みに行った。

バーみたいな所でカクテルを1杯飲んでから安居酒屋で生中を5杯。

その店を出て90分777円飲み放題って所でまた3,4杯。

翌日の二日酔いは全くなかった、まだまだ飲めるなと実感。

タイ旅行の概要。

往復37,500円の格安航空券で台北経由バンコク行きで1週間程の滞在。

バンコクでは適当に市内観光、そしてマレー鉄道に乗りマレーシアを目指す。

ペナン島を経由してクアラルンプールへ。

クアラルンプールから飛行機でバンコクへ戻る。

バンコク郊外のアユタヤと映画「戦場に架ける橋」の舞台・カンチャナブリーへ行く。

結構綿密に計画しているが、ツアーなどではない。

今回は相方がタイ通だから何とかなるだろうという計画だ。

タイ旅行が終わったら?…今は考えたくないな。

 

2002年8月18日 日曜日

TVを見るとお盆を帰省先で過ごした人のUターンラッシュがピークをむかえているとのニュース。

1,2日遅ければこっちも大渋滞に巻き込まれていたわけだ。

紙一重の差で全く渋滞がなかった、なんだかとても得した気分。

ところで渋滞を報じるTVでは「お父さん運転お疲れ様です。」などと言うがあれって一種の男女差別だと思う。

なんで"運転=お父さん"なのか。

お母さんだって運転するだろうし、ウチの場合は息子さんが殆ど運転してたっていうのに。

そういう報道にはどうにも違和感を覚える。

 

2002年8月16日 金曜日

4時過ぎに八戸港に到着し、まだ暗い中を走る。

早朝の東北道は空いていて常時100km超で走れた。

宇都宮を越えた辺りで渋滞が発生すると予想していたが、なんと渋滞は一切なかった。

八戸から川口まで実にスムーズに走れたのだ。

Uターンラッシュ渋滞に巻き込まれるかと思ったが、どうやらそれが発生する前に帰って来られたらしい。

下道は多少渋滞したが、それでも15時には帰ってきた。

結局、途中1時間弱ほど父に運転を代わってもらったがそれ以外は全て私が運転した。

 

2002年8月15日 木曜日

早いもんで東京に帰る日。

夜に苫小牧を出るフェリーに乗って翌朝八戸に到着する。

夕方までは暇なので倶知安の町をブラブラ歩いた。

細かい変化はあるのかもしれないが、昔からそれほど倶知安の街並みは変わらない。

いつ来ても変わっていないというのもなかなか良いな。

夕方、祖父母宅を出る時が来た。

祖父はしきりに「元気な姿を見るのはこれで最後かな…」と言っていたが、そうならないように祈りたい。

まだ充分元気で大丈夫なような気はしたけどな。

倶知安から苫小牧へ、相変わらず道路はスイスイ。

前も後ろも車がない道をスイスイ走っていると対向車のトラックがパッシングしてきた。

その後に来た車も同様にパッシングをする。

こっちはライトつけっ放しではなかったし、最初はパッシングの意味がわからなかった。

すると父が、「あれはこの先で取締りをやっているという意味だ。」と教えてくれた。

そして少し進むとパトカー、そして捕まっている車がいた。

なるほど、対向車は取締りをやっているから気をつけろと教えてくれたのだ、助かった。

ドライバー間の取締りに抵抗する小さな連携だな。

帰りのフェリーも大広間雑魚寝。

今回は21時過ぎに出航し到着が翌朝4時なので寝ないわけにはいかない。

幸いにして足を伸ばして横になれるだけのスペースは確保できた。

しかしそれが確保できない人は通路で横になって寝ていて、まさに災害の避難所みたいになっていた。

22時には消灯されすぐに眠りに着いたが横で寝ていた中学生くらいのガキの寝返りで何度も膝があたりその度に目が覚めた。

思いっきり手で押して向こうに追いやったがそれでも起きる気配すらなかった、恐るべきガキ。

 

2002年8月14日 水曜日

特に予定はなかったが、母が札幌に住む友人に会いに行くと言うので車で送りがてら札幌へ行くことに。

中山峠・定山渓を越えて札幌へ。

どこへ行くにしろ、倶知安からだと何かしらの峠を越えなければならない。

母を友人宅で降ろして私は1人で札幌駅周辺へ。

これまで散々北海道へは来ていたが、今回初めて札幌時計台を見た。

別に見ようと思っていたわけではなく、駐車場のすぐ近くにあったのだ。

大通りを1つそれたビルの中に佇んでいた。

写真などではなんとなく広い敷地に青い空・時計台というイメージがあったが全然違った。

建物の一角に時計台、それほど大きくもなかった。

へぇー、こんなもんだったんだというのが感想、観光客は結構いた。

札幌に来たら必ずどこかでラーメンを食っている。

適当な本屋に入り、そこでラーメンを紹介している本を読み、美味そうなラーメンを探す。

どこへ行っても本屋には必ず美味いラーメンを紹介する本が並んでいる。

ところが本を読んでもそそられるのがそれほどなかった。

そのラーメン屋の場所もいまいち判らなかったので、自分の足で適当なラーメン屋を探すことにした。

狸小路なるアーケード商店街を歩くといくらでも美味そうなラーメン屋がある。

14時になっていたが、混雑しているラーメン屋を見つけてそこへ入った。

そこそこの味だった、店内は14時を過ぎても席を待っている人がいたので有名な店だったのかな。

祖父母宅へ帰る、ちょうどその日は私のイトコのイトコにあたる親戚一家も祖父母宅へ来ていた。

北海道の札比内という所で農業を営んでいる一家。

10数年くらい前に1度祖父母宅で会ったのを覚えていた。

イトコのイトコも2人兄弟で私より2,3つ上で当時一緒に遊んだのを覚えていたが、10数年経った今はろくな会話をしなかった。

晩飯時に寿司食って酒の注ぎ合いをしたくらい、何を話せばよいか判らん。

親戚等に久々に会うと「今何をしているの?」という話しにどうしてもなる。

その時はどうも居心地が悪い…「いやぁ、何もしてません(苦笑)」となってしまう。

相手が友人などなら「会社辞めてプーだよ。」と軽く言えるが、親戚等が相手だとどうにも…。

次に会う時はしっかり職に就いてよ。

 

2002年8月13日 火曜日

午前、婆ちゃんと家族4人で近くにある先祖の墓参りに。

小高い丘の上にある墓地はお盆と言うことでそこそこ人がいた。

天気が曇りだったこともあり、Tシャツ短パンで行ったら涼しいを通り越して寒いくらいだった。

墓参りを済ませ、父がネットで調べた北海道で美味い生うに丼を食わせるという店へ行くことになった。

積丹半島の日司という地にあるという漁師が経営する海鮮丼屋らしい。

実に2時間近くも車を走らせた。

峠を越えて山の中も走ったし、海沿いも走った。

峠の道ではキツネにも遭遇した。

前を行く車が大きく右に避けて走るから何かと思ったらそこをキツネが歩いていたのだ。

13時頃にその店に到着。

その店を含めて2,3軒の料理屋に民家がポツポツという海沿いの実に田舎な場所。

だが、その店の駐車場は混んでいてレンタカーも目立った。

食った生ウニ丼は確かに美味かった。

回転寿司などのウニに見られるクセのある脂っぽさがなく、あぁ本物のウニってのはこういうもんかと感心する味。

ただ1食2,300円、そうそう食えるもんじゃないな。

飯を食い終え、積丹半島を回るようにして帰路につく。

それほど天気は良くなかったが、海岸沿いの道はかなり気持ちが良かった。

観光スポットである神威岬にも寄った。

海が見渡せる高台からの景色は抜群(海しかないけど…)。

特に曇りだったのに海が綺麗な緑色に透き通っているのが見えたのにはチョットした感動も覚えた。

これで晴れていたらどれだけ良い景色だったんだろうか(海しかないけど…)。

前日はカニ、この日はウニ…良いもんばっか食ってるな。

 

2002年8月12日 月曜日

7時、ホテルのバイキングで朝食を済ませる。

8時、八戸港へ、フェリーの乗船手続きを済ませる。

9時前、車でフェリーに乗りこみ出航。

16時前に北海道・苫小牧に到着するまで1番安い2等船室で過ごす。

船室とは名ばかりで実際は大広間で雑魚寝である。

災害被害があった時にTVでよく見る体育館の避難所を連想させる。

大広間に大きく寝そべって場所を取る、タオルや寝袋・毛布等を敷いて場所を確保したりするのだ。

場所が取れなかった人は食堂の席を占拠したりしていた。

船内では読書か寝ることくらいしかすることがない。

本読んでは寝、起きては本読んで…という。

大広間には多くの人がいる、なかでもやはり子供のうるささが目(耳?)についた。

16時前、北海道の苫小牧に到着。

北海道でも雨、寒い…。

支笏湖畔の道を走り、峠を越えて祖父母のいる倶知安町を目指す。

北海道を走っているとその道や道沿いにどことなく北海道っぽさがある。

巧く説明できないが、家の形や家と家との間隔の広さや緑、車の少なさなどからそれを感じるのだと思う。

90分ほど走って羊蹄山の麓の町、倶知安に到着。

倶知安の駅前に祖父母宅がある。

爺ちゃんも婆ちゃんも元気そうだった。

爺ちゃんは足が弱っていて歩行器がないと歩けないようだが、それ以外は元気そうだった。

さすがに90を越えると色々な病気にかかっているそうだが、それを感じさせないくらい元気に見えた。

婆ちゃんも80歳くらいのはずだが、実に元気でしっかりしていた。

なんだか安心した、良かった。

晩飯はかなり豪華に立派なカニが出た。

こんなカニは滅多に食えないぞ、というくらいの立派な毛蟹だとのこと。

あまりカニの価値は判らない私だが、身がギッシリ詰まっていて美味かったし、カニ味噌も美味かった。

発泡酒ではなくビールも久々に飲んだ。

 

2002年8月11日 日曜日

父方の祖父母のいる北海道へ一家4人で行く。

北海道へは車とフェリーを使って行く。

北海道行きのフェリーは色々な所から発着しているが、今回採用したのは青森・八戸発北海道・苫小牧行き。

東京の家から青森・八戸まで車で行き、そこからフェリーに乗り込み北海道上陸である。

お盆のこの時期は当然どの交通手段も激混みである。

ましてや高速道路など最も混雑する交通手段とも言える。

なるべく渋滞を避けるのが望ましいと判断し、早朝の出発。

朝の5時過ぎに家を出て、所沢辺りまでは下道でスイスイ進んだ。

朝食は途中のコンビニで購入したオニギリなどを運転しながら食う。

外環道を経て川口から東北自動車道に入る。

陽射しが強くなってくる頃に渋滞発生。

埼玉から栃木間では20kmという渋滞にぶつかる、他にちょこちょこ細かい渋滞も。

車がなかなか進まないと車内エアコンのかかりも悪くなるので暑かった。

渋滞の原因が事故だったりすると腹が立つ。

ったく、こんな時にこんな所で事故おこすなよ…って。

だけどクソ暑い中で事故車の前で呆然と立っている人を見たらなんだか哀れに思えた。

福島を越えた辺りから渋滞は緩和されてきた。

仙台手前のSAで昼飯を食って懐かしの(?)仙台を越えるともうスイスイ。

岩手に入ると雨が結構降り出してきた。

前日にロングドライブに備えてカー用品店でエンジンオイル等を交換するついでに車の点検もしてもらった。

その際に「タイヤがかなり擦り減っているので早く交換した方が良い」と言われた。

見てみると実際もう殆どタイヤの溝がない状態だった。

そんなタイヤの状態を思い出したので急に雨の路面が滑り易く感じられて恐くなった。

そんな中を無事に青森・八戸まで東北自動車道を走破。

18時過ぎに目的地の八戸に到着、実に13時間かかった。

途中の休憩は合計でも1時間そこらだろう、およそ12時間ずっと私が運転した。

不思議とそう眠くはならなかった。

八戸では厚生年金の施設に宿泊して翌朝フェリーに乗り北海道・苫小牧を目指す。

ホテルは温泉で多種の入浴施設が備わっており、実に快適だった。

 

2002年8月6日 火曜日

京都の大学に通っている弟が夏休みということで帰って来た。

数ヶ月ぶりに一家4人(と一匹)が揃った。

数ヶ月前に一家4人が揃った時に私はまだ社会人だったので数時間しか一家で過ごす時間はなかった。

一家4人で何日も過ごすのは私が就職で家を出る前以来だから1年5ヶ月ぶりだ。

そしてこの週末には一家4人で北海道にある祖父母宅へ行く。

4人揃ってどこか、しかも祖父母宅へ行くなどいつ以来かかなり記憶を辿る必要がある。

北海道の祖父は明治生まれで90を越える高齢。

一家4人で祖父に会う機会は…と思うと少し寂しくもある。

大事にしなければいけない時間だろう。

 

2002年8月3日 土曜日

渋谷にあり若いコらによく知られているファッションビルが先月末地元にオープンした。

おおよそファッションなどに興味はない私だが、すぐ側を通ったのでどんなもんか入ってみることにした。

夏休みで土曜日ということもあったが午前中だったので大混雑という程ではなかったが混んでいた。

そして本当に若いコ、女のコばっかりだった。

チョットしたカルチャーショックを受けた、これが現在の若者なのか(別に批判するとかではなく)…。

夏ということもあって、若い女のコばっかりの店内では目のやり場に少々困った、エスカレーターとか。

なんかオッサンみたいだな…

 

2002年7月31日 水曜日

先日の短期アルバイトの給料日。

手渡しで給料を貰うのは初めてだ。

事前に計算していた金額よりも多く、嬉しい誤算だった。

やはり手渡しで直接貰うと働いた実感がある。

使ってしまいそうで恐かったのですぐに端数を除いて銀行に預けた。

 

2002年7月28日 日曜日

短期バイトの最終日を迎えた。

僅か1ヶ月程度なので感慨はなかった。

バイト先の社員から冬になったらまた募集すると思うんで暇だったら頼むよ、みたいに言われた。

さすがにそれまでには定職に就いているかな(希望)。

 

地元に帰ってきてから、中学時代の友人との関係が復活した。

就職している友人なのだが、時々会う。

最近はその友人と夜に車で走って峠へ行く。

山道独特のクネクネ道を車で疾走するのだ。

ガラの悪い車に乗ったいわゆる走り屋さんがいる道である。

山道のガードレールはぼこぼこである、恐い恐い。

その峠へドライブがてら行くのだ。

なかなかスリリングで面白い。

ガス代だけだから飲みに行くより経済的だし、ドライブ半分・お喋り半分といったところだ。

まだ事故ったことはないけれど、それにだけは気をつけないと。

 

2002年7月26日 金曜日

仕事をすると暑くて汗をかく、そして疲れる。

晩飯を食った後、耐えられずにそのまま眠ってしまった。

だが翌朝、暑さと自分の汗臭さと頭・身体の痒さで目が覚めた。

慌ててシャワーを浴びた。

やはり夏に風呂入らんっていうのはキツイ。

仙台では冬でも全く湯船に浸からなかった。

風呂桶に湯をはったのは最初の数ヶ月だけだった。

夏を境にシャワーになった、冬でもずっとシャワー。

なんだか自分一人が一回入るためだけに湯を張るのがものすごく勿体無く感じたのだ。

だから実家に帰ってきて湯船に浸かったのは凄く久しぶりだった。

もっとも、今は暑いので敢えて湯船には浸からずシャワーだけだが。

 

2002年7月22日 月曜日

トップページをリニューアルした。

1998年のHP開設からコンテンツこそ増えても一貫して変えなかったトップページのデザインを変えた。

スクロールさせずに全画面に収まることを第一に考えた。

遠い昔に「トップページが長すぎる。」と言われた記憶があったし。

スッキリさせてみた感じは如何でしょうか。

来訪する時間帯によって背景色が変わるJAVAなども使用してみた。

別に大したことではないが、数時間後に来たら背景色が変わっているはずです、多分…。

 

2002年7月17日 火曜日

旅を計画していた。

また就職をしたら旅などしている暇はないだろう。

再就職前にどっか行っておきたい。

漠然と車で北海道一周を考えていた。

その頃友人がタイへ行くとの話を聞いた。

タイ(not魚)好きの友人が、8月後半から9月前半にかけてタイに滞在するという。

暇なら現地で合流しないか、というのだ。

その友人と飲みに行き、話に乗ることにした。

漠然と車で北海道よりも、ハッキリとタイの方が良い。

私はタイは初めてだが、その友人は何度も行っているので心強い。

私が滞在する間は、友人が同じホテルに泊まることにしてくれたので滞在費も÷2で安く済む。

私の中で"アジア"というと中国・香港・韓国・台湾、そしてタイとなんとなくイメージしていた。

タイ以外のそれらの国へは行った。

他にはアジアと言うとシンガポール・マレーシア・ベトナム・フィリピン…といった所が連想される。

しかしシンガポールはアジアっぽいというよりも西洋っぽいというイメージがある。

マレーシア以下はどうもマイナーなイメージだ(ゴメンナサイ)。

あくまでもイメージとしてだが、タイは私の中で残された最後のアジア、という感じだ。

行ったことがない国だし、その友人と2人というのも初めて。

今から楽しみである、ただクソ暑そうだな…。

 

2002年7月1日 月曜日

退職報告をしてから何人もの友人・知人から連絡があった。

仙台では殆ど友人らと連絡を取ることがなかったので一気に旧友復活!!という感じで嬉しかった。

大半が飲みに行こう、という誘いだったので無職の身としては飲み代は少し恐いものがあるが(笑)

久々に飲みに行った旧友の言葉。

「ホームページ、特に我思ふ…が更新されていないと紘之らしい生活を送っていないんだなーって思えた。」

自分らしいってのが何なのか、少しだけ感じることが出来た。

 

さてワールドカップも終わった今、私は何をしているのか。

とりあえず短期の仕事をしている、7月末まで仕事はあるだろう。

これまでとはうって変わって人とも殆ど接しない自分の時間ばかりの気楽な仕事。

やることさえやればケータイで喋ろうが寝ようが何しようがお構いなし、お咎めなし。

慣れていないというのもあって稼ぎは少ないけど…。

問題はその短期の仕事を終えてからどうするかだ。

いつまでもモラトリアムとは言っていられないし、職探しをするつもり。

前の会社では社内の雰囲気についていけない部分があったから、次を選ぶのはかなり慎重になりそう。

でも会社の雰囲気は入ってみない限りなんとも言えないと思うし、難しいな。

就職するかどうかはともかく、以前よりもしっかりと就職活動をしないといけないな。

 

仙台での日々をホームページ公開用にまとめている。

とりあえず最初の約1ヶ月を公開、思ったよりも書くことが多い。

ありのままを書いているので、途中で「こりゃ公開できねーや」って内容が出てきてお蔵入りになる可能性もある。

実際に書いていかないとどうなるかは判らないが…。

そして何よりも1年1ヶ月分を書くわけだから相当な手間もかかるので完成はいつになることやら。

本来ならリアルタイムで仙台の日々を残しておければ良かったのだが、

ご存知のようにそんな余裕のある生活を送っていなかったもので…。

 

2002年6月17日 月曜日

遂に会社を辞めた。

1年チョイしか勤めてはいないが"遂に"という感じだ。

ちょうど1ヶ月前の5月17日にとりあえず実家に戻ってきた。

1ヶ月ほど暇な期間があったにも関わらずHPの更新はサボってしまっていた。

さてこの1ヶ月間何をしていたかというと何もしていない。

これまでの仕事漬けの日々を取り戻すかのように何もしていない。

強いて挙げればワールドカップを見ている。

日本戦を含むその他主要試合を全てリアルタイムで見られる。

仕事していたら考えられなかった。

日本戦は特に盛り上がったし、見られて良かった。

これら見られただけでも会社辞めた甲斐があったわ(笑)。

熱狂的サッカーファンではないが、外国同士の試合でも見てしまうし結構面白い。

辞めた時期がこの時期で良かったのかも…

今は実家にいるけれど、落ち着き次第また出るかもしれない。

もっとも今後何をするか、何をしたいかなどは一切固まっていない。

再就職も勿論考えているが今は正社員ってヤツにはチョット抵抗を感じる。

今はとりあえず充電期間、放電しないように気をつけないと…

 

2002年3月12日 火曜日

気が付くと年も明けて既に3月。

そして気が付くと誕生日、23歳。

この間ずーっとホームページはほったらかしにしていた。

いつのまにかホームページ開局3周年も迎えていたし、それすら忘れていた。

9月1日付けで店長になって前回の更新の10月以降、相変わらずの忙しい日々。

11月〜2月は常に月3日の休み、1日の労働時間も平均12時間以上。

休みの日でもほぼ必ず仕事絡みの電話が入るし、休みでも店に行くこともあった。

もうじき入社してから1年、チョットやばいなって思う時がある。

絶対長くは続けられない仕事だなーって。

自分の時間ってナニ?って感じである。

店長は四六時中店の事を考えていなければならない。

店長は人(スタッフ)と棚(売場)と数字(売上)を見ていかなければならない。

自分にそこまで出来ているだろうかと問われれば答えは否である。

売上も実際に前年と比べると落ちているし…店長って難しい。

自分は何がしたくてこの仕事しているのだろうかって真剣に考える。

真剣に考えれば考えるほど結論はマイナスの方向に向かってしまう。

何よりも就職した1番の理由が「モラトリアムが終わったから」だと自分で思っているし。

正直長くないかもしれない…

 

あまりにも更新が滞っていたので書き損じていたことが1つ。

昨年10月半ばに車を購入した。

諸費用消費税全て込みで60万円強を現金一括で購入。

もっともドライブを楽しむ余裕と暇なんてないけど。

 

2001年10月10日 水曜日

2ヶ月以上も更新が滞ったのは初めてだ。

なにせ8,9月ととてつもない忙しさだった。

前述の駅前1等地の店のオープン準備から、実際のオープンまで。

オープンしてからも店の手伝いに駆り出された。

8月の後半にようやく落ち着いてくるかと思ったら、突然の人事異動。

私がいる店の店長で、自分の育成担当者だった人の異動が決まった。

それによって自分がそのまま引継ぎでその店の店長になることが決まったのだ。

…というわけで9月1日付で突然自分が店長になってしまった。

こんなにも早く店長になるとは思っていなかったので嬉しさよりも戸惑いの方が大きかった。

果たして自分に店長なる物が務まるのかどうか。

店長になるとこうも忙しいものかと思った。

アルバイトの採用面接や業者交渉、宣伝広告の計画、売上・利益等の数字の把握…

イッパイイッパイの日々が続いた。

結局9月の休みは実質1日だけだった。

やるべきことが多すぎて休むに休めないというような状況だった。

ようやく10月になって少しだけ落ち着いてきたのでこうして更新も出来たわけだ。

本当に8,9月はとてつもない忙しさだった。

恐らく私の人生の中で最も忙しかった2ヶ月だったと思う。

駆け抜けて終わったという感じだ。

気が付いたらもう10月、そうか入社して半年が経ったのか。

 

2001年08月02日 木曜日

一応新聞は取っているがそれでも時事ネタには疎くなった。

朝の20数分くらいしか新聞を読む時間がない。

帰ってからでは読む元気があまりない。

政治の世界はかなり面白そうなのに…

先日の参院選の投票も前夜に新聞を読んで一夜漬けで投票へ行った。

こんなんじゃいけないんだけどな。

今は結構仕事が忙しくなりつつある。

仙台の駅前の1等地に新しく支店がオープンするのだ。

東北の基幹となる店舗なのでかなり会社としても力を入れている。

私もオープンの手伝いに参加させてもらっている。

約50人採用するアルバイトの面接手伝いや雑務など。

これから商品の搬入作業や売場作りなども徐々に始まって行くだろう。

お店を1から作る作業ってなんだか楽しそう。

遂に同期で同じエリア内から1人でお店を持つ奴が出てきた。

おめでとうという気持ちと悔しいなという両方の微妙な気分だ。

とりあえずまだまだ頑張れそうだ。

 

2001年07月16日 月曜日

特別忙しいというわけでもないのだが、更新する余裕がないな。

前回の更新から1ヶ月以上経ったが、まぁそれなりに色々あった。

新入社員全員と1泊2日の親睦旅行みたいなのにも行った。

結構大きな病気にかかって入院している父の見舞いをすることもできた。

社会人になって初めて、短い時間だったが高校時代の友人と飲むことも出来た。

会議の後に実家に寄ったらたまたま来ていた祖父母に会うことも出来た。

新聞も取って朝の10分くらいは目を通すようにした。

当たり前だが仕事にも慣れたし、それなりの生活を送っている。

しかし、何かが違う、物足りない。

その辺りのコトは今年に入って初めて更新した我思ふ…に掲載した。

会社の先輩や同僚が見たら「なに甘ったれてんだ」と思うような内容かもしれない。

でも正直な気持ちだから仕方ない。

「だったら辞めちゃえよ」と思う人もいるかもしれない。

でもそれはしたくない。

何の結果も残していないのに辞めてたまるかよっていう想いがある。

我思ふ…に掲載したことを上回るくらいの仕事の楽しみをこれから見つけられるかもしれないし。

学生時代の友人はどんな気持ちで仕事してんのかな。

 

2001年06月04日 月曜日

またもや1ヶ月以上も更新が止まっていた。

休日があるにはあったが、HPを更新する余裕がなかった。

HPを更新するよりも身体を休めなきゃ、という状況。

それにしても更新できるのが日々是ネタ也しかないとは…

新社会人の日々なんかは書けそうなことが多々あるはず。

だが、あまりにも色々ありすぎてどうまとめたら良いのかが判らない。

落ち着いたら書こうと思いつつも落ち着く暇がない、こりゃ書けず仕舞かな。

我思ふ…を書こうにも現在は新聞を取っていないので時事問題が全く判らない。

現在の私の情報源は携帯電話に配信されてくる時事ニュースのみ。

わずか数10文字の情報のみだ。

首相が変わったのを知ったのもそれだし。

なんだか政治の世界も変わってきそうでかなり面白そう。

なんだか情報があまり入ってこないというのは嫌だ。

世間から置いて行かれているような感じがする。

ここにきて生活のリズムが掴めてきたので家で新聞を取ることにした。

朝の20分ほどの時間を新聞を眺める時間に充てることにするのだ。

じっくり読む時間はないかもしれないけれど世の中の動きは常に把握しておきたい。

ちなみに敢えて実家で取っている新聞とは反対の方向の新聞を取ってみることにした。

でも我思ふ…を書く暇があるかなー。

次の更新はいつだろ…

 

話しは変わるが、今になって韓国旅行記の後日談が出てきた。

韓国旅行記を読んでくれた見知らぬ人からのメールで教えられたことが多数あった。

メール内容がかなり勉強になったので、許可を貰ってそのメールを掲載した。

韓国旅行記の最後に掲載したので是非読んでみて欲しい。

 

2001年04月25日 水曜日

1ヶ月以上も更新が止まっていた。

あまりにも色々なことがありすぎて更新どころではなかった。

ようやく取れた休みの日にどうにかこれまでの分を更新。

とりあえず今月中の更新に間に合ったことは良かった。

これまでのことは日々是ネタ也に書いた。

しかしあれにはとても書き切れない様々な経験をこの1ヶ月でしているだろう。

これまでの私の人生で最も忙しい1ヶ月かもしれない。

初めてのことが多すぎる。

とりあえず仙台に来ても元気でやっているのでご心配なく。

寂しさをそれほど感じる暇もなく働いている。

ネットに繋ぐとこれまでと全く変わらずに情報を得られ、メールでコミュニケーションも取れる。

それほど仙台と東京の距離は感じないな。

生活リズムが掴めてきたらもう少しマメに更新したいなと思う。

桜はもう散ったらしいが、仙台ではまだ朝晩はストーブが必要なくらい寒い時もある。

やはり東北だわ。

 

2001年03月16日 金曜日

引越が目前に迫ってきた。

引越しをした2,3日後には卒業式と入社式の為に一旦コッチへ戻ってくる。

入社式を終えてまた向こうへ行くという慌しい日程。

引越は勿論、日常生活品も揃えなきゃいけないし、住民票やらの事務手続きも大変そう。

もちろん仕事も早く覚えなきゃいけないし…

しばらくはホームページ更新どころではないかもしれないので悪しからず。

 

2001年03月13日 火曜日

大学から手紙が来た。

卒業を認める、という旨の内容。

前回取った授業はどうやら全て単位を取ることが出来て見事に卒業認定単位数に達したらしい。

蓋をあけてみると念の為に取っておいた6単位が全て取れていた。

結局4単位オーバーで卒業認定。

まじめに大学行けば単位は取れるんだ。

卒論も無事に通っていた。

どうも卒論で色々突っ込まれたりするのは教授先生が我々に与えた試練だったように思う。

よほどおかしな論文でない限りは通すのだが、敢えて試練を与える。

どんなに素晴らしい論文を書いても恐らくはダメ出しをされただろう。

ダメ出しを与えて極限まで悩ませながら考えさせ、書かせることによって成長させる。

卒論とはそういうものだったのではないだろうか。

今頃気付くなって?

 

2001年03月12日 月曜日

22歳の誕生日、自立を目前にした誕生日。

着々と引越しの準備を…大して進んでない。

いまいち実感が湧かないから何をしたら良いのか判らない。

とりあえずは必要なものとそうでないものとを分ける作業なのかな。

これまで22年間、引越しは結構人並み以上にしていると思う。

でも自分の自分による自分のための引越しってしたことがないな。

この1〜2週間は慌しくなりそうだ。

 

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