ひとりごと
BACK NUMBER 5

 

2000年06月22日 木曜日

バナーというやつを作ってみた。

前々から作りたいとは思っていたが良いアイディア、デザインが浮かばなかった。

友人に相談すると「適当に文字並べときゃ良いんだよ」、とのこと。

先日、暇な授業中にノートの片隅に草案を落書き。

こんな感じで良いかなー、最初だし。

草案をもとに四苦八苦してPhotoshopで作成してみた。

友人曰く「フォトショップはプロ向きだからなかなか使いこなせないよ」

確かにそう思ったがそれでもなんとかそれらしいものが出来た。

このページのとTMページとの2種類を作ってみた。

どっちも基本的なデザインは全く同じ、でもこっちページのは少しカッコつけてみた。

 

リンクを貼って頂いている皆様でバナーOKの方は是非とも貼っておいて下さい。

 

2000年06月20日 火曜日

バイト先で新しい店長とご対面。

とりあえず挨拶はすべきかなと思い、暇を見て挨拶。

「アルバイトの紘之(もちろん苗字ね)と申します。宜しくお願い致します。」

「あ、アルバイトなんだ。そう、よろしく。」

終了…

その日店長とはそれ以後目立った会話はしなかった。

もうチョットなんかあっても良いんじゃないのか。

どうやら薬局系の店舗をやったことのない店長だという。

前の店長が詳しい人だったので張り合いがないな。

楽になったと思えば良いか。

 

2000年06月19日 月曜日

先週の火曜日からこの日、月曜日まで1日おきに飲み会があった。

先週の火曜日は高校時代の友人と。

木曜日にはバイト仲間と。

土曜日には中学時代の友人と。

そしてこの日月曜日は大学の友人と。

久しぶりに飲みまくりウィークだった。

金と体がよくまぁ持ったわ。

ちなみに計4回の飲みで二日酔いは2回、その内ゲロは1回。

 

2000年06月17日 土曜日

プロバイダーの料金プランを変えた。

それによってアクセスポイントやIDを変更せざるを得なくなった。

それにしても未だにこういった変更というのがよく分からない。

IDを変えてアクセスポイントを変更しても次の接続の時には何故か前のに戻っていたりする。

とりあえず1回繋ぐことには成功したが、次からも大丈夫だろうか…。

設定を変えるというのは面倒臭いね。

新しいプランは時間制限が無いやつなのでこれまで以上にネットがし易くなった。

これでテレホに入っていれば言うこと無しなんだがな。

 

2000年06月15日 木曜日

いつもながら人事異動というのは突然だ。

この日バイトへ行くと店長の異動が発表になっていた。

私がバイト在籍中だけでも店長の異動は既に3回目だ。

そんなもんなのかな?

バイト後にバイト仲間と飲みに行った。

昔よりバイトが楽しくない、辞めたい云々の話しを聞かされた。

バイトが昔より楽しくないというのは私も感じている。

同期のバイト仲間ともよく話していた。

昔は良かったよなー、って。

 

2000年06月14日 水曜日

インターネットでプロレス掲示板を見ていて愕然とした。

詳細は新規更新したプロレスのページに書いたがかなりショックだった。

この先どうなるかは分からないが大きな動きがあることだけは確かだ。

 

2000年06月13日 火曜日

先日のひとりごとで6月は学校とバイトの連続で休みがないと書いた。

その矢先に6月後半のバイトの予定が明かになった。

それによると後半は予定を入れていたバイトが結構削られて必然的に休みが増えた。

久々の休みになったこの日は友人と飲み。

ドリンク100円の店へ行った後に500円チューハイ飲み放題の店へハシゴ。

折角の飲み放題だったが2件目はチューハイの飲み放題。

既に前の店でいくらか飲んだ後でもあったし、チューハイは甘ったるくてあまり飲めなかった。

500円で飲み放題だったからまぁ2杯飲めばもとをとれるから、安いもんだけど。

 

2000年06月12日 月曜日

ゼミへ行くと新たに数人の友人が内定を貰っていた。

本当に就職難なのか?

ウチのゼミで私が知っているだけでも5,6人は決まっている。

よほど高い理想や目的を持っているやつ以外は意外と簡単に決まるのでは?

 

2000年06月11日 日曜日

2日前に梅雨入りしてずっと雨が続いていた。

この日も雨、雨でバイト。日曜日に雨だと客足は遠のく。

暇な1日だった。

とくにすることもなく、暇を持て余すのに忙しかった(笑)

 

2000年06月07日 水曜日

5月末から休みが1日もない状態が続いている。

週3日間の学校、そして学校のない日には必ずバイトが入っているのだ。

バイトの予定は少しくらい削られるだろうと思って多目に入れておいた。

そしたら意に反して予定を入れた日が全て入っていた。

その結果、月曜から学校→バイト→学校→バイト→学校→バイト→バイトの1週間。

少なくとも6月半ばまではこんな生活が続く。

たまには良いけどね、給料も入るし。

 

2000年06月05日 月曜日

某友人のホームページで日記を掲示板形式で書いているのを見た。

書いたらすぐにアップロード、それならば簡単にアップができて良い。

しかしその代わり毎日書くのは面倒臭い。

私の場合は一括まとめ書き。

何かあった日の分だけ書いて適度な所でまとめて一括送信。

どっちが便利かな?

 

2000年06月02日 金曜日

友人と飲んでいて話しが次の総選挙の話題になった。

その友人が某宗教団体に属する人でしきりと某党を推してきた。

その話しがあまりにも主観的すぎて段々腹が立ってきた。

酒のせいもあって結構激しい議論をしてしまった。

あまり気分の良いものではなかった。

どちらかというと嫌な気分になった。

坂本龍馬は議論に勝つことには重きをおいていなかった。

たとえ議論で相手を打ち負かしたとしても相手側には敗北感が残る。

そうなることは後のためにあまり良くないと考えていた、という。

今回の我々の議論に勝ち負けはなかったがその通りかもしれない。

少なくとも私はあまり良い気がしなかった、これならば普通に飲んでいれば良かった。

どうやら私はまだ坂本龍馬にはほど遠いようだ…(当たり前か)

 

2000年05月29日 月曜日

ゼミ論の最終草稿を提出した。

これでようやく3年から続けてきた作業が終わった。

今度こそ本当にこれで通るのかな。

同じゼミ生で就職活動で同じ企業を受けていた人がいた。

彼は内定を貰って私は貰えなかった。

何だか複雑な心境だった。

 

2000年05月28日 日曜日

いよいよゼミ論の最終詰め作業を終えた。

あとは提出するだけ。

参考文献の添付と引用箇所のチェック等々。

何度目の"最終提出"だろうか。

こんどこそ本当に最終だろうか…

 

2000年05月23日 火曜日

バイト先に中途で社員の人が入っていた。

某ドラッグストアーの店長をやっていたとかいう経歴の人。

その人が入ったら店頭の一部がその人の指示により配置替えされた。

元店長とかいう人が入ってすぐに配置替えをしちゃえるようなウチの店って一体…

元々いる社員はもっと自分の仕事に自信を持って欲しい。

ウチではこうやっている、これで成果を出してきている(出してんのかな?)、と。

成果が出てないんじゃしょうがないけど。

 

2000年05月22日 月曜日

先日、久しくしてなかった机の引き出し整理などをしてみた。

そしたら出てくる出てくる、お金がいっぱい出てきた。

親戚関係からの大学入学祝や成人式祝などのお金である。

そういった類のものは立派な袋に入ったりしていて安易に開け辛い。

それが引き出しの中でたまりたまっていたのだ。

全部数えてみたら嬉しいことに10万円もあった、たいしたものである。

タンス貯金ならぬ引き出し貯金だ。

さて、こんなにもの大金をどうしよう。

やはり祝い金として貰ったもの、安易に使って飲み代その他に消えて行くのは申し訳ない。

と、いうことで貯金をすることにした。

きりの良い数と言うことで10万円持って郵便局へ。

半年経てば引き出し自由という定額貯金にしておいた。

利率が0.20%、10万円で200円。

なんだかなー(笑)、まぁ家にあるよりはましか…

 

2000年05月20日 土曜日

先日受けた某企業の最終役員面接をもって一連の就職活動を終了した。

あと1社だけ選考が残っていた企業があったのだが辞退の旨を電話で伝えた。

これでもう選考が残っている企業はない。

あとは先日の面接の結果を待って考えるだけだ。

実は最初の内定が出たときから殆ど決めていたのだが…

 

2000年05月17日 水曜日

ジャンボ鶴田死去報道から一夜。

スポーツ新聞の一面見出しは殆どが鶴田死去。

…こんな日に巨人勝利を一面で報じているスポーツ新聞には軽い怒りを感じた。

そしてこの日は某企業の最終役員面接。

1対1の役員面接で聞かれた。「趣味はなんですか?」

勿論第1にこう答えた「プロレス観戦です」

そしたら「あぁ、ジャンボ鶴田さんが亡くなりましたねぇ」、と言われた。

プロレスの話題はその後続かなかったから役員の人がプロレスファンだったわけではないだろう。

鶴田は一般的にも有名だったんだなと改めて感じた。

 

プロレスのページを開設した。

これまでの観戦歴等をアップ、分かる人にしか分からない内容。

今後は観戦記等もアップしていきたい。

振りかえってみるとジャンボ鶴田の引退式も観に行っていたんだなー…

 

2000年05月16日 火曜日

先日小渕前首相がなくなったのよりも遥かにショックな訃報が私に訪れた。

ジャンボ鶴田死去。

それを知ったのはバイト中。

バイト先の隣のビルにその日のニュースが流れる電光掲示板があるのだ。

それを何気なく見ていたら「元プロレスラーの〜」と字幕が流れる。

おっ?!なんだ、と思ってみていると

「ジャンボ鶴田さん死去、49歳」と続いた。

絶句、唖然。しばらくその場に立ち尽くしてしまった。

ショックで言葉が出ないという感じだった。

実は前夜にインターネットを見ていて鶴田死去の情報が流れた。

情報源が明記されていなかったのでネットによくあるガセネタだと思っていた。

しかし頭の片隅にその嫌なネタはあったのだろう。

電光掲示板の「元プロレスラーの〜」が流れた時に嫌な予感がしたのを覚えている。

そして予感が的中してしまった。

帰って新聞の夕刊に掲載されているのを見てまたショックだった。

NHKのニュースのスポーツコーナーでも報じられていた。

悲しいというよりも何だか寂しい、残念だ。

こういう時は巧く言葉で表現できないものだ。

 

2000年05月14日 日曜日

バイトから帰ってTVをつけると小渕前首相が亡くなったニュースを放送していた。

ヤバイ病気だろうなとは思っていたがまさか死ぬとは思っていなかったので驚いた。

マスコミも早々に小渕追悼のコーナー等を作って放送している。

在りし日の小渕前首相の映像が多々流れる。

「株上がれー」や大リーグでの始球式、体操する小渕さん等々

映像を見ていて「死」っていうのはアッという間に人を過去のモノにしてしまうのだという印象を受けた。

 

2000年05月13日 土曜日

先日の「日々是ネタ也」で運動不足をテーマにした。

この日は運動不足もそうだが体力の低下を感じた。

前日にバイト連中と焼肉を食いに行き、酒も当然飲んだ。

その後に電車がなくなって帰れなくなった面々とカラオケへ行った。

とても久々の朝までカラオケである。

ほんの2,3年ほど前には朝までカラオケ行ってその後にバイトなんていうのも出来た。

しかしこの日は朝までカラオケの後は家でずーっと寝ていた。

とてもじゃないがその後にバイトなど出来るような体の状態ではなかった。

まだ体力の衰えを感じるには早すぎると思うのだが…

 

2000年05月10日 水曜日

今期は授業が週2回しかない。

そして幸運にも内定を得て就職活動も一段落している。

大学生活はあと1年を切っている。

何かしよう、と思いたった。

このまま大学生活を終えるのはなんだか物足りない。

そこで目に付いたのが学校が企画した宅建の資格取得講座。

それを受講してみることにした。

これから就くであろう仕事には全く関係がない資格だ。

別に宅建でなくても良かった、要するにどんな資格でも良かったのだ。

なにか大学生活で形になるものを残せれば。

受講したから合格できるというわけではないがとりあえずやってみる。

10月の宅建試験までの講座、夏休み中も授業はある。

その夏休みにもしっかりと通いつづけられるかが今から不安だ。

 

2000年05月08日 月曜日

この日は久しぶりのゼミ。

第1回、卒論テーマ発表会。

私は漠然と選挙制度についてやろうかなーと思っている。

他の面々も漠然としか考えていないようだった。

それよりもゼミ論、前期にやっていたこれがまだ片付いていないのだ。

参考文献の掲載と細かいまとめくらいで完成。

そういえば昨年の5月には当時の4年生と合同飲み会があったな。

ってことは我々4年と3年生の合同飲み会もあるのかな。

でも全くそれらしいものが企画されている気配がないな。

次の卒論指導は29日だし、それまでみんな集まらないし。

 

2000年05月07日 日曜日

巷では大型連休最終日。

昨年のゴールデンウィークは一人旅をしていたな、そういえば。

今年は1日に格闘技観戦した以外は特筆すべきことはなかったな。

その格闘技観戦が素晴らしかったからそれだけで充分だけど。

 

2000年05月04日 木曜日

ゴールデンウィークである。

私の大学では4月29日から5月5日まで休みになるのでいわゆる大型連休になる。

来年になれば社会人だ、大型連休など取れるだろうか…

5月病になっていなければ良いけれど(笑)

 

2000年05月01日 月曜日

プロレスファンにとってはたまらない1日だった。

東京ドームで行なわれた格闘技トーナメント、PRIDE GRAND-PRIX。

そこでプロレスラーが大勝利を収めたのだ。

グレイシー柔術というのを聞いたことがあるだろうか。

総合格闘技系の各大会で無敗神話を作ったグレイシー一家。

その彼らのベースとなるものがグレイシー柔術という独自の柔術スタイル。

日本人も何度かグレイシーに挑んだが勝てない時期が続いた。

そしてこの日の試合

グレイシー神話の火付け役となったホイス・グレイシー

その彼と対戦するのはプロレスラー桜庭和志

桜庭は前年にグレイシー一族のホイラー・グレイシーに完勝している。

期待は高まった、久しぶりに生観戦をしていて本当に熱くなった。

1ラウンド15分、無制限ラウンドで行なわれた試合。

なんと6ラウンド、合計で90分間も戦い続けた。

そして7ラウンド目のゴングがなることなくグレイシー側からタオル投入。

桜庭のTKO勝ちである。

タオル投入の瞬間は東京ドームの全員が立ち上がり大歓声。

あの瞬間に自分もドームにいたことを嬉しく思う。

あそこまで興奮し、熱くなったのは実に久しぶりだった。

グレイシー柔術の象徴でもあるホイス・グレイシーにプロレスラーである桜庭が勝ったのだ。

一部のプロレス系掲示板でひねくれた輩が言っていた。

プロレスラーが強かったというのではない、桜庭個人が強かっただけだ、と。

そうかもしれないが強かった桜庭個人がプロレスラーだというのが何よりも嬉しいではないか。

 

2000年04月27日 木曜日

某企業の1次試験があったのだが初めて予約していたのに行かなかった。

内定が出る直前に1次試験の予約していた企業だったのだ。

その1次試験は面接と筆記試験。経験として1次試験だけ受けようかな、とも思った。

しかし仮にその企業の内定を貰っても私に行く気はあまりない。

筆記だけならまだしも面接もあるのでそんな気持ちで1次選考を受けるのはどうかと思った。

面倒臭かったというも勿論あるけど…

でもしっかりと(?)辞退の旨を電話した。

「ご丁寧にありがとうございます」と言われて少し気分が良かった。

 

2000年04月25日 火曜日

そういえば連絡がないなー、と思っていた某企業。

面接の際に1週間から10日で合格者のみに電話をすると言っていた。

面接から2週間以上も経過していた。

それなのに電話がない。落ちたのだと判るまでにそう時間はかからなかった。

うーん、1次で落ちるのは初めて(NHKを除く)だが結構イヤな感じだな。

4月7日に受けた企業。

まぁその日のひとりごとを読めば落ちるのも当然か(笑)

詳しくは下記(4月7日の欄)参照。

 

2000年04月22日 土曜日

就職活動に関連してコラムを開設。

就職活動をしていて思うところはかなりいっぱいある。

いろいろな事を考える。それを巧く文にすることが出来ない。

就職活動記、就職戦線戦況報告、就活コラム

私はこのホームページで以上3つの就職活動に関連したページを創っている。

でも何だか私自身どれも中途半端な感じがする。

ハッキリと色分けが出来ていない。内容が被っている部分も多々ある。

それにもっと云いたい、思っていることがあるのだがそれを巧く文章で表現できない。

漠然としたイメージでパソコンに向かってキーボードを打っても思うような文章にならない。

気が付くとまったく論点がずれていることもある。

そんな自分自身にもどかしく思う。

 

2000年04月21日 金曜日

今期は週に2回しか学校へ行かないから何か変な感じである。

春休みがずっと続いていて時々学校へ行くという感じだ。

学校へ行く日よりも休みの日の方が多い。

良いご身分だ。

 

2000年04月19日 水曜日

新しい飲み方を覚えてしまった。

大学1年の頃には週4日くらいのペースで一緒に飲みまくっていた中学時代の友人がいる。

その彼と久々に飲んだときに教わった(?)

焼酎をボトルで注文。それを氷で割ってチビチビやるのだ。

焼酎のボトルは安いのだと1本1,000円もしない。

それをチビチビやるのだから必然的にかなり安上がりになる。

3人で飲んでいてボトルを1本開けたが翌朝の二日酔いもなかったし。

新発見である。

違う友人からは「ますますオヤジ化していくな」と突っ込まれたが(笑)…

 

2000年04月17日 月曜日

やっと前期の成績表を貰うことが出来た。

見事に全単位を取ることが出来ていた。

これによって今期は学校へ行くのは週2回でOKになった。

 

この日は夜にバイト先の社員さんの送別会が開催された。

しかしその前に友人から飲みの誘いがあった。

バイト先の送別会まで2時間以上時間があったのでまず友人と飲みに行ってしまった。

完全にできあがった状態で社員さんの送別会に行ったものだからなんだか損した。

会費はしっかり取られたのにあまり飲めなかった。

おまけに友人との飲み会では就職活動に関連した話題が多かったので色々と思うところもあった。

バイト先での飲み会でも色々と考えてしまって必然的に盛り上がりに欠けてしまった。

飲み会の場は盛り上がっているのだが一緒に浮かれる気分にはあまりなれなかった。

 

2000年04月14日 金曜日

ようやく今期初めて大学へ行った。

「新入生です!」っていうオーラを出している学生があちこちにいる。

この新学期のなんとも言えない爽やかな雰囲気がなかなかよい。

心地良い春風と桜の花びら、春の匂い。

それを味わえるのも今年が最後だなと思うと感慨深くもあった。

 

2000年04月13日 木曜日

前日に引き続きこの日も某企業で2次グループ面接。

先にも記したように内定が出ているので緊張は殆どしなかった。

面接官1対学生3の面接。

ただこの面接で気になったのは面接官が煙草を吸ったこと。

私があまり煙草を好きでないと言うのもあるがあれは気に入らなかった。

灰皿を見ると吸殻がそこそこ溜まっていた。

我々の前のグループ面接でも吸っていたのだろうか…

よくあることなのだろうか?

少なくとも私が受けた面接では初めてだったが…

 

2000年04月12日 水曜日

既に学校は始まっているのだが説明会等でまだ学校へは行っていない。

この日も某企業での2次グループ面接。

内定が出ていたこともあってかなりリラックスして受けられた。

そのグループ面接もあまり堅苦しくなかったのでまぁ巧くいったのではないだろうか?

 

更にこの日は内定が出た企業へ行って正式に内定通知書を受け取った。

それと一緒に入社承諾書も受け取った。

それにサイン捺印して卒業見込証明書、健康診断書と提出すればもう決定である。

まだ入社承諾書の提出は待ってくれると言うので保留にしてある。

でも行く所があるというのは良い。

心にかなりの余裕が出来る。

 

そしてこの日は高校時代の友人と久々に飲んだ。

卒業式以来会っていない友人等もいて懐かしく、楽しかった飲み会であった。

 

2000年04月11日 火曜日

なんと内定が出た。

もちろん先日社長面接を受けたところだ。

こんなに早く内定が出るとは思っていなかったので驚いた。

電話で「是非とも内定を出させていただきたいと思います。」

と言われた時も「はぁ…あ、ありがとうございます。」という感じだった。

あまりにも呆気ないと言うかトントン拍子で進みすぎてしまった。

最初のグループ面接からほぼ1ヶ月で内定である。

嬉しいと言うよりもホッとした。

とりあえず一段落という感じである。(早過ぎるって?)

 

2000年04月10日 月曜日

一連の就職活動をページにしてみた。

これから不定期連載が始まる。

果たしていつまで続くだろうか?

夏休み前には最終回を掲載できれば嬉しいのだが。

来年になってもまだ終わってなかったりして…。

これから就職活動をする人、現在進行中の人。

まぁ私はこんな感じで活動しているよ、ということで。

4大生の立場で書いているからそれを前提に読みましょう。

 

それからもう1つ、「われ、おもう」のタイトルを変えた。

当初のテーマは「我思ふ…」より軽く「ひとりごと」より重く、だった。

しかし一部からは「ひとりごと」よりも軽いじゃないかとの声があった。

どこが「われ、おもう」なのだ?特に思ってないじゃないかとの声もあった。

更に、(殆どないが)会話に上ったときに「我思ふ…」と音が一緒だから分かり辛い。

確かに考えてみればそうかもしれない、そうだろう。

…というわけでタイトル変更。

「日々是ネタ也」

まぁ日々のネタをエッセーチックに掲載しているということでこれなら文句はないだろう。

内容はこれまでとまったく変わらず、今後変えるつもりも今のところはなし。

意見・感想・批判・ネタ提供等は常時募集中、今後とも宜しく。

 

2000年04月08日 土曜日

バイト先の友人で同じ歳の大学生がいる。

その彼に久々にバイトで会った。

お互い就職活動をしているのでなかなかバイトで会う機会がなかったのだ。

結構早くから就職活動をしていた人なので話しはそれなりに参考になった。

彼はたとえば待遇であったり、仕事内容であったり色々と考えていた。

私は最低限のラインさえいっていれば何処でも良いかなという考えがある。

どちらが良いとかいう問題ではなく就職に対する考え方、基準をどこにおくかの違いを感じた。

 

2000年04月07日 金曜日

前夜の飲み会が多少こたえたがなんとか朝起きることが出来た。

軽い二日酔いで朝飯を食べずに某企業グループ面接へ。

二日酔いで都心へ向かうラッシュの電車はきつかった。

某企業の支社で行なわれた面接。

時間の20分ほど前に到着、待合所で待たされた。

既に一人待っている女性がいたが黙々と会社案内を読んでいる。

ピーンと張り詰めた雰囲気。

しかし私はというと二日酔いであまり気分が良くない、顔には出ていなかったと思うが…

目を閉じてうつむいていたらハッとした、思わず眠ってしまった。

頭がフラフラ、カックンという感じで。

危ない危ない。

面接の方はどうだろうか?手応えはこれといって感じなかった。

1次選考だから大丈夫だとは思うが…

その面接での出来事。

この日は数年振りにゴールデンタイムでプロレスの生中継が放送されるのだ。

企業に提出した書類の趣味の欄に私はプロレス観戦と書いた。

そしたら聞かれた。

面接官「プロレス観戦がお好きなんですか?」

私「ハイ」

面接官「最近は多いみたいですね、好きな人」

私「ハイ、今日は生中継があるんですよ!」(どうしてもコレが言いたかった)

面接官「あぁ、そうですか。(もう1人の面接官に)知ってた?」(苦笑)

もう1人の面接官「イヤ…」(苦笑)

この話題終了。

まったくなんのために聞いたんだか…中途半端な会話になってしまった。

なんだよ、もっとふって来いよ…

 

2000年04月06日 木曜日

翌日に某企業のグループ面接が控えているというのにこの日は飲み会だった。

さすがにいつもよりは飲む量を控えた。

酒ではなくソフトドリンクなども飲んでしまった。

いつもの私からは考えられない行動である。

帰りもきわめて冷静な行動で(?)翌朝の二日酔いのためにスポーツドリンクまで買って帰った。

 

2000年04月04日 火曜日

3月29日に受けた企業の1次選考試験が通っていた。

試験は全然出来なくて手応えを全く感じていなかった所だけに驚いた。

自分でも絶対出来は良くなかった試験だけに逆に不安もある。

あんな試験の結果で通してもらっちゃって良いのだろうか、という。

 

2000年04月03日 月曜日

一連の就職活動における最初の最大の山場と言って良いだろう。

某企業の社長面接である。

社長面接という響きだけでかなりビビった。

いざ、面接室へ。

てっきり社長と個人面接だと思っていたらなんと向こう側には4人もいた。

社長と重役っぽい男性、若い男性と女性。

4対1である。

おいおい、ある意味圧迫面接だぞ、緊張はピークへ

前日に企業の資料や情報等に目を通したり面接のイメージトレーニング等もしておいた。

しかし例えば面接の定番とも言える「志望の動機」など聞かれなかった。

想像していたようなことは殆ど聞かれなかったように記憶している。

個人的なことを多く聞かれた。

友達からはどんな風に見られていると思うかや、自分は父親に似ていると思うか

バイトをしていてきつかったこと、友達とは何をするか等々

社長を含めた4人の面接官から続けて色々と聞かれて面接終了。

就職に対する意気込みを見ていたというよりも私という人を見られたという感じがした。

手応えは感じられなかった。というよりもそれ感じるような面接ではなかった。

面接室を出ると一気に気が抜けた、ハァーって。

そしてなんと今回は交通費が支給されるという。

就職活動で交通費の支給があったのは初めてだ。

結果は1週間後くらいに電話であるという。

やはり社長を交えた面接だったからこれが最終段階だったのだろうか?

だとしたら結果は内定か否かということになるのだろうか?

たとえ通ってなかったとしても確実に良い経験にはなった。

これからの面接の参考にもなったし。

 

2000年04月02日 日曜日

翌日に緊張の社長面接が予定されていた。

そしてこの日はバイト先で社員さんの送別会が予定されていた。

しかし主役の社員さんの都合でこの日の送別会は延期された。

飲み会がなくなってこんなにホッとしたのは初めてだった。

 

2000年04月01日 土曜日

4月になってしまった。

形式的にはもう大学4年生になってしまったのだ。

今月からは大学も始まる、就職活動も本格化だ。

4つほど面接の日程が決まっている。

考えてみればこんなに面接を受けることなんてそうはないよな。

今年1年間でこれまでの人生で受けた面接の半分以上を受けるんじゃないかなー。

 

2000年03月31日 金曜日

今月の頭にNHKにエントリーシート(1次選考用書類)を提出していた。

それが通っていれば3月30,31日に電話があるはずだった。

しかしその電話は無常にもなかった。

書類に書いた内容は「自己アピール」「NHKについて思うこと」

「最近印象に残った出来事」「時代というテーマで好きなように表現」などなど。

結構熟考して書いたつもりだったのだがそれが通らなかったのは結構ショックだった。

やはりNHK、そんなに甘くはなかったということか。

北海道の有珠山噴火でNHKも忙しいだろうから連絡が遅れているのだ。

などとあるはずもないことを想像している(笑)。

その代わりといってはなんだが、22日に受けたグループ面接が通っていた。

 

2000年03月30日 木曜日

えらいことになった。

今月の14日に受けた某企業のグループ面接。

1週間程で結果の電話があるはずだったのだがそれが全くなかった。

そこそこ巧くいったと思っていたのだが落ちてしまったものだと思った。

ところがところが、この夜に電話があった。

その内容に驚き。

「先日のグループ面接の結果ですが本来ならば次は個人面接に進んで頂くのですが、

グループ面接において面接官の推薦がありましたので直接社長面接に進んで頂くことになりました」

とのことだったのだ。

社長面接の日程が決まらなかったので連絡が遅れていたと言う。

これには心底驚いた。

面接官の推薦?社長面接??しばし呆然としていた。

電話を切ってからもしばらく1人で社長面接をイメージして緊張していた。

それが決まれば内定?逆に言うとそれで落ちればもうアウトだ。

前回のグループ面接では極力自然体で臨んだ。

それで面接官への印象も良かったのではないかと思っている。

それで推薦されたと言うのなら今回も深く考えずに自然体で臨めば良い。

…分かってはいるのだがやはり社長面接、言葉の響きが違う。

しかも悪いことに(?)その社長面接実施日の前日にバイトがある。

そのバイト後になんと異動になる社員さんの送別会が予定されているのだ。

お世話になった社員さんだから参加しないわけにはいかないしなによりも参加したい。

しかしそんな状況ではあまり飲めない。

少なくとも翌日に残るような失態を演じてはいけない。

飲み会で好きなだけ自由に飲めずに酒量を控える。

うーん、なんか辛いなー。

でも社会人はそれが出来ないといけないのかなー。

 

2000年03月29日 水曜日

この日も某企業の1次試験を受けてきた。

これまで2社の1次試験を受けてきた、どれも可もなし不可もなしといったところだった。

その内の1社の1次試験は通った。

しかし今回ばかりはサッパリ出来なかった。

試験内容は筆記試験と作文。

筆記試験は数学の問題が多くてどれも問題見ただけで嫌になってしまった。

典型的な数学アレルギーの症状だ。数学を飛ばして国語と時事の問題へ。

ところがこの時事の問題も経済・金融関係の問題が多かった。

マークシートだったので半分以上適当にやってしまった。

次の作文で盛り返そうと思ったらこれもキツかった。

受けた企業が不動産業だったのだがテーマが

「不動産業界における私の役割と未来について」

である。

そんなの知るかよー…ってのが第1印象。

その企業も説明会を1度聞いただけで1次試験。

「なんとなく」受けた企業の1つなのである。

不動産業界だって詳しくは知らないしその中での自分の役割なんか問われても困ってしまう。

本当に不動産業に行きたい人は業界研究とかやっていて自分なりの意見が書けるのかなー?

とりあえず当たり障りのないことを書いてしまった。

「高齢化社会に向けた住宅設計などを発想していきたい」

みたいな感じで…なんか自分でも嫌だ、いかにも「教科書通り」みたいで。

結果はどうなるかなー?

あの程度で通っていたら逆に不安かもしれない。

いいの?あの程度で1次試験通しちゃって??って。

 

2000年03月28日 火曜日

16日に受けた某企業の1次試験に合格した。

1次試験は大体通るものだと思いながらもやはり合格と言うのは嬉しい。

次はグループ面接だという。

言葉は悪いがある種「とりあえず」受けた企業での面接である。

しかも1次試験を通っての面接だ。

その門が広かったのか狭かったのかは分からないが1次試験である程度選考されての面接なのだ。

やはりそれなりの覚悟がないとマズイだろうか?

もちろんその仕事に興味がないわけではないがこれといった強い希望もない。

悩むなー、今から面接に向けて緊張しちゃうよ。

 

2000年03月27日 月曜日

某企業の1次試験を受けた。

適性検査と一般常識と作文。

一般常識は数学以外だったらどうにかなった自信がある。

作文のテーマは「友達」、800字以内。

そんな漠然としたテーマで…っていうのが第1の感想。

どう攻めれば良いのか悩んだ。

「やっぱり友達は素晴らしい」みたいなことは書きたくないし…

自分の友達を書いてもなぁ…

なんだかクサイ文章になりそうだし。

結局「友達って?」みたいな感じでまとめることにした。

私は文章を書くときになんとなく文章全体のイメージや方向付けが出来たらあとはスラスラ書ける。

自分ではチョットした特技だと思っている。

しかしもう1度同じ文章を書けと言われても恐らく書けないだろう。

その時の閃きで書いてしまう節があるのだ。

今回のはパーッと書いたにしては良い出来だったような気がする。

「友達は選ぶものだよ」っていう感じの文章になった。

あぁ、なんか読み返してみたくなってきた。

 

2000年03月26日 日曜日

日光の方へ行っていた。

なんだオイ?こんな時期に旅行か…って感じだ。

実は既に何年ぶりかも分からないくらいの一家4人揃っての家族旅行だったのだ。

宿泊券が当たったとか何とかで行くことになった。

今更家族旅行なんて…とも思ったがまぁそこそこの息抜きになった。

もしかしたら最後の家族旅行かもしれないんだよなってフと思った。

1年後には(順調ならば)私は就職してしまうわけだし…

そんなことを思うと少し寂しくもあった。

ちなみに日光は寒かった、雪がチラついていた。

日光へは小学校6年の修学旅行で行ったが懐かしさはあまりなかった。

いや、懐かしいと思うほど記憶に残っていなかったといった方が正確だろう。

車でいろは坂を運転したがかなり恐かった。

幸い他の車は殆どなかったので良かったがあれは恐い、クネクネ上り坂クネクネ下り坂。

 

2000年03月22日 水曜日

この時期では遅すぎるのかもしれないが初めて説明会のハシゴをしたよ。

14時から16時まで新宿で、そして18時から21時までは渋谷で説明会。

渋谷での説明会では説明の後いきなりグループ面接。

まったく寝耳に水。

部屋の中が「聞いてないよー」という無言の雰囲気に包まれた。

説明会が終わって自分の番が近づいてくるとやはり緊張する。

14日にもグループ面接を受けている(下記参照)が、それよりもなんだか厳しかった。

2人の面接官にこちら側は6人、しかし質問する面接官は1人だけ。

もう1人はジーっと厳しい(少なくとも私には厳しくみえた)目でこちらを見てメモをしている。

恐らく面接項目のチェックだろうがいかにも「選んでます」って感じがして嫌だった。

しかし時間の都合で1回だけの質問で終わってしまった。

これだけで決められたらたまらんなー、さすがにそれはないとは思うが。

 

2000年03月21日 火曜日

某企業の説明会が渋谷で行なわれた。

葉書についていた地図を頼りにこの辺りだろうと思って適当に歩いていた。

JR渋谷駅から徒歩5分だからそう遠くはない…のにいつまでたってもそれらしきものはない。

もう1回やりなおしだと思い、渋谷駅へ引き返す。

と、そこに見覚えのある2人が…大学の友人だった。

しかも2人ともスーツ、私もスーツ。

彼らも説明会だという、私と同じ所ではなかったが…

しかし丁度良かった、彼らに地図を見せて場所を聞くことが出来た。

そしたら「何、コレ?全然違うよ?」とのことだった。

言われたとおりに行ってみるとその場所はすぐに見つかった。

私は方向音痴ではないつもりでいたのだが…

それにしても偶然、しかも渋谷で数少ない大学の友人に会うとは、お互いスーツだったし。

 

2000年03月20日 月曜日

3月に入って2度目のバイトにして3月最後のバイトである。

なんと月に2回である、こりゃぁ来月の給料は期待できないね。

しかもバイト後に飲みに行ってしまった(笑)

今回は冷静に飲みました、翌日に説明会も控えていたもので…

この夜の飲みは適度な酔い具合で気分が良かった。

いつもこうなら良いのだが。

 

2000年03月19日 日曜日

3月に入って初めてのバイトである。

就職活動が本格化(?)してから初めてのバイトでもある。

そのせいもあるかもしれないがなんとなくいつものバイトとは違う感覚だった。

うまく表現できないが「仕事」なんだという意識が強くなったというか…

以前までは「バイト」だという意識があったがそれに変化があったような。

その変化を感じられたのは嬉しかった。

これも就職活動の産物だ。

 

2000年03月17日 金曜日

この日も就職活動。

地元で日経の就職フォーラムが開催されたのだ。

あまり行く気はなかったのだが友人に誘われて行くことにした。

行ったには行ったが何も聞かずに出た。

そんなに会場が大きくなくてめぼしい企業もなかった。

それにしても今週はとうとうスーツを着た日の方が多くなってしまったよ。

これから増えていくんだろうなそういう週が…

 

2000年03月16日 木曜日

前日が今週に入って初めての就職活動休日。

だが逆にこの日は忙しかったー。

朝の10時から13日に説明会に行った企業の1次試験を受けた。

試験内容は論文で800文字以内で時事問題について書かせるというもの。

テーマは得意分野ではなかったがそれらしいことを書いて無事に終わらせることが出来た。

最初にテーマを見たときはヤバイなぁって思ったがキッチリまとめることが出来た。

思ったよりうまくいったつもりだけどどうかなー、なんとなく書いてしまったからな。

試験を終えるとそのまま大学へ向かった。

大学の学内合同就職セミナーに参加した。

時間のある限り目に付いた企業へ行って説明を聞いてきた。

我ながらかなり積極的に動いたと思う。

友人に会い、その友人は東京ビックサイトで行なわれたリクルートの合同セミナーにも行ったという。

新聞にも載っていたがもの凄い人だったらしい。

人気企業では説明を聞くために物凄い行列ができていたという。

学内セミナーでも終了の16時まで目に付いた企業の説明を聞いた。

その後は学内のPC室でネットをやった。

18時頃に一旦帰宅、スーツから普段着に着替えて新宿へ。

そう、夜には飲み会もあったのだ。

新宿でいつもの輩と飲み会。

潰れることもなく無事に飲み会は終了。

しかし酔っ払ってかなり気分と気前が良くなっていたらしい。

新宿に居たストリートミュージシャンに1000円もあげてしまった。

こればっかりは翌日になって勿体無いことをしたと思ってしまった。

100円くらいで良かったのに…

まぁ、とにかく忙しい1日だった。

 

2000年03月14日 火曜日

誕生日の翌々日のこの日は某企業でグループ面接が実施された。

一連の就職活動で初めて受ける面接だ。

待合室で待たされている時が一番緊張した。

グループ面接だから同じように待っている人が数人いる。

その部屋はかなりの緊張感に包まれていた。

かなりピリピリした感じの空気と静寂。

 

実際の面接はこちら側が5人で面接官2人。

私は特になんの答えも用意して行かずにぶっつけ本番的に挑んだ。

グループ面接の場合は最初に当てられない限り他の人が言ったことを参考に出来るから良い。

でも他の人と同じ事を考えていて先にそれを言われるとキツイというのもある。

一緒に面接を受けた他の4人を観察する余裕もあった。

やたら声が小さくてやる気があるんだかないんだか分からない女子。

やたら椅子に深く腰掛けて堂々としていた隣の男子。

明らかに用意してきたと思われる答えを早口でまくし立てていた女子。

全然印象に残らなかった女子。

それに私。

まぁ極力自然体でうまくいったつもり。

さて結果はどうなるかな。

まぁ1次面接くらいは通っていると思うけど、落ちたらかなりショックだな。

結果は1週間後くらいにお電話だそうだ。

 

2000年03月13日 月曜日

誕生日の翌日から早速会社説明会に参加。

その説明会の最後で早速1次試験の案内をされた。

そういえば前回説明会に参加した某企業でも既に1次試験の案内をしていた。

私の周りでも既に1次試験を受けている人たちもいる。

だったら私も1度は受けてみようと思って1次試験の予約もしておいた。

もし1次通って面接も通ったらどうしよう。

こういうのを取らぬ狸の皮算用って言うんだよな。

いや、通らぬ試験の皮算用か。

 

2000年03月12日 日曜日

21歳になりました。

忙しい21歳の1年になりそうだ。

誕生日の翌日から説明会が入っている。

あ、誕生日プレゼントは年中無休で受けつけておりますのでご安心を。

 

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