ひとりごと
BACK NUMBER 19 

 

2011年11月22日 火曜日

先日の仙台旅で初めて1人でショットバーへ入ってみたら意外に良かったので地元でも行こう思った。

ネットで検索して小手調べに値段も手頃そうな所へ入ってみる。

休前日とはいえ19時台という早い時間に入ったからかお客さんがゼロ。

ちゃんとカクテルも作ってくれてドリンクも概ね1杯5〜600円と良心的。

恐らく私より若い店長と気さくに喋ることが出来て悪くない店だった。

時間が経つにつれて客が増え、常連っぽい客は見るからに若者。

年配の1人客もいたが若い常連客がワイワイやっている声が大きい。

不快ではなかったがもう少し落ち着いた店でも良いなと思った。

値段が客層を反映すると考えると1杯5〜600円なら仕方なしかもしれない。

客が少ない早い時間に来る店として押さえておくには良さそうだ。

こうして飲みの裾野を広げて大人に近付いていきたい…ってミソジ超えて今更だが。

 

2011年11月15日 火曜日

有休も余っていたのに加えてサッカーW杯3次予選のアウェイ北朝鮮戦があったので休みにした1日。

日本時間16時からの試合開始は仕事を休まないと見られない。

この試合を待たずして日本が3次予選突破を決め、北朝鮮は敗退したために結果的に消化試合になった。

それでもアウェイ平壌での日本代表の試合は20数年ぶりかつサポーターの入国制限など注目点は多数。

試合前の君が代も観客のブーイング(…というよりも空気を読まない声援?)にかき消される状況。

試合中も大したことない展開ながら北朝鮮が攻めていると異常な大歓声。

これを黙らせたらさぞ爽快と思うも、消化試合でスタメンを半分以上入れ替えた日本は基本的に押される状況。

呆気ない感じで失点したと思ったら、大したチャンスも作れずに0-1で敗戦。

サッカーを見る眼力が備わっていないような客だからこその異常な一体感。

そしてアウェイだとその異常さが相手チームの力になるのを見せ付けられた。

日本ホームだとしても日本人にはあの応援は出来ないだろうし、マスゲームの異様な力を見せ付けられた。

消化試合で飛車角どころか金銀も落とした感じとはいえあの状況での敗戦は実に悔しい。

アウェイでの貴重な試金石だったと今後に活かしていただきたいものだ。

 

2011年11月11日 金曜日

W杯3次予選のタジキスタン戦が日本時間の18時キックオフ。

仕事を定時で終えても間に合わない時間。

前回は8-0で大勝しているし途中からで良いだろうと試合開始からの観戦を諦める。

17時45分に仕事の定時を迎えて瞬時に帰路につく。

帰宅時間は18時30分を少し回ったところ、あとチョットで18時30分を切れていた。

幸い帰宅時には前半30分前で0-0のままだった。

フルマラソンのゴールに目標タイムがあるように、定時後帰宅にも目標が出来た。

18時30分切り、次の機会に自己ベストを目指そう。

 

2011年11月9日 水曜日

フルマラソンから1週間弱、ようやく脚の痛みが違和感に替わっていく時期。

前回も結局1週間くらいは引きずった気がするので回復に必要な期間なのだろう。

完走後の痛みに慣れないのが素人市民ランナーの証しな気がする。

逆に慣れてしまったら醍醐味が1つ減ってしまうような。

フルマラソン後の1週間の痛みまで含めてがフルマラソンだ。

 

2011年11月6日 日曜日

フルマラソンからの疲れをようやく癒せる日になった。

あまり気にならなくなってきた脚の痛みだが、階段を下りるときは別。

全体重が脚にかかるのが実感できる。

高齢者が階段は上りよりも下りが辛いというのが分かる気がする。

こういう状況になって初めて普段の生活で脚のどこを使っているのかが分かるようになる。

いつもは何気なくやっていることでも身体は大変なことをしている。

 

2011年11月5日 土曜日

6月に引き続き職場の同僚とビール工場経由競馬場行き・通称「大人の遠足」。

フルマラソンの脚の痛みが癒えぬ中、ビール工場を40分ほど歩かされる。

しかし歩いた後は極上のビールでアルコール消毒。

痛みを麻痺させてから競馬場へ。

前回の大人の遠足での反省点は「競馬場内の飲食は高い」ということ。

学習能力を活かして今回はコンビニでビールとツマミを購入して持ち込み。

天気が良かったので競馬場の中庭にレジャーシート敷いてピクニックのような状態に。

前回10年以上ぶりの競馬では色々な仕組みを聞いて買ったけれどよく分からず当たりはしたものの総額で負け越し。

今回は脚も痛くて馬券を買いに行くのも億劫だったのでシンプルに単勝のみ狙い。

難しく考えても分からないので某スポーツ誌の競馬コーナーにある馬の能力を数値化した情報だけを信じた。

単純に上位3頭にそれぞれ単勝100円ずつ計300円を3レースで900円。

深く考えずに買ったのが良かったらしく3レースで2勝1敗。

1000円以上の払い戻しもあり、収支も完全にプラス。

数千円当てた同僚もいて、競馬後は府中の居酒屋で祝勝会。

予想通り朝から晩まで飲むことになった。

フルマラソンの打ち上げから3日連続飲み。

フルマラソンが終わった途端にこれだ。

 

2011年11月4日 金曜日

フルマラソン翌日の目覚めは痛みと共に。

目が覚めて半身は起こせてもなかなか立ち上がれない。

足の裏に出来た水ぶくれが酷くて歩きにくい。

絆創膏とガーゼで応急処置をしたが焼け石に水。

いつもより5分以上早く家を出てゆっくり歩いて出勤。

職場まで到達できれば半分くらい仕事は終わったも同然。

足を引きずっているマラソン仲間と走った人にしか分からないアイコンタクト。

金曜日だし程々の加減で仕事をして定時退社。

地元友人から飲みの誘いがあったので足を引きずりながら飲みに行った。

フルマラソンが終わった途端にこれだ。

 

2011年10月31日 月曜日

フルマラソン直前のストイック月間と銘打った10月。

結果的にジムとランを合わせると全部で17回、2日に1回以上は運動していた計算だ。

本番前の一夜漬け的な感じがしなくも無いが、後は結果がどう出るか。

1度完走したからといって次も大丈夫だという保証は無い。

少しは精神的余裕があるだけでいつ脚に異変が起きるかは分からない。

特に今回は本番前の練習で20km以上を通して走っていないのが1番の不安材料。

最後に20km以上を走ったのは前回のフルマラソンのとき。

20kmを超えたあたりで襲ってくる脚の痛みへの耐性が残っているかどうか。

そんな中でまもなく迎える本番。

第1の目標は勿論完走、第2はタイム短縮ではなく楽しむこと。

前回は走りきれるだろうかという不安の方が大きく、楽しむところまでは気が回らなかった。

今回は多少リラックスして沿道の声援を感じたり、給水所でのグルメ?も楽しみたい。

それでタイムが縮まってくれていれば言うことなしだ。

そしてストイック月間の陰に隠れてロシア記が完成。

練習に重点を置いたので公開が遅くなってしまった…というのは言い訳。

 

2011年10月30日 日曜日

本番に合わせて朝の9時から走った。

直前なので軽めの調整で約11kmをゆっくりしたペースで走る。

ストレッチやウォーミングアップはしたが、朝一で走ると身体が未だ目覚めていない感がアリアリ。

本番は現地までの移動時間等もあるからちゃんと身体も目覚めていると信じよう。

朝から走ったご褒美に昼からビール。

1杯しか飲んでいないが疲労と酔いで心地良い昼寝。

それでも夕方からはジムへ行って軽めの有酸素運動。

朝走って昼寝して夕方はジムでトレーニング。

どこのアスリートだ?という感じの1日。

ま、昼も夜も飲んでいるんだが…

 

2011年10月23日 日曜日

ジムにおいてある雑誌にランニング特集号があった。

読むと「フルマラソンへ向けて」のような記事が。

本番2週間前くらいからは過度の走りこみはせず慣らしに入った方が良いとか。

なるほどと思うもそもそも過度の走りこみなんて殆どしていない。

慣らしといわれても慣らすほどのことをしているだろうかと疑問に思った。

普段から走り込みを欠かさないマジメなランナー用の心得のような気がした。

 

2011年10月21日 金曜日

翌日にフルマラソンに向けた合同練習日で皇居ランを予定していたが雨の予報。

先週も合同練習予定日だったが朝から雨だったので断念。

今回は3,4回の合同練習があったが、都合が合わなかったり天気が合わなかったりで1度も参加できないまま。

どうやらこのまま本番を迎えてしまいそうだ。

前回の合同練習はいずれも好天だったのに今回はどうも天気に恵まれない。

最悪本番さえ天気が悪くなければ良しとするか。

 

2011年10月11日 火曜日

この日のサッカーはW杯予選のタジキスタン戦。

先週の金曜日と違って公式戦なので何があっても定時で帰る意気込みで仕事する。

幸い何事も無く定時退社。

試合は結果も内容も圧倒して8-0と近年稀に見る大勝。

相手のレベルの差もあったのだろうが、先週金曜日の体たらくはなんだったんだと思わせる。

あまりにも点が入るのでこちらの酒量も増えてしまい終了時には6本。

日本代表8-6私、の結果でこちらは善戦か?

酔っ払った状態でPCのメールを見たら東京マラソン抽選結果のお知らせが。

こちらは残念ながら落選、9倍以上の壁には勝てなかった。

落選メールの中に「チャリティランナー募集」との文面が。

10万円以上の募金をした先着3,000名は東京マラソンを走れるという。

約10倍の抽選に落ちても参加費の10倍を払えば走れる。

チョットあくどいやりかたに思えたが、救済策の1つとしてアリなんじゃないかとも思える。

マラソンを引退するので花道は東京マラソンで飾りたい人や何かの記念で絶対に走りたい人など。

そういう人達が確実に走れるための救済策としては悪くも無いのかな、と。

まぁ純粋にチャリティだけの気持ちで走る人はそういない気はするが。

 

2011年10月10日 月曜日

部屋の片づけをして扇風機をしまった。

今シーズンの扇風機は大車輪の活躍で文字通りいつもより多く回っていた。

終わってみればクーラーを使用したのは来客があった7月の1日だけだった。

節電+猛暑を殆ど扇風機だけで凌いだのは我ながら大したもの。

それでいて体調を崩すことも無かった。

来年以降もクーラー不要か?

 

2011年10月7日 金曜日

夜にサッカー日本代表戦あったのでいつものように定時後はさっさと帰るつもりだった。

ところが帰る間際に電話がかかって至急の調査依頼。

電話のやり取りをしないと終われないような内容で一筋縄ではいかない。

一通りの仕事が終わったのは19時30分すぎで帰っても試合開始からは見られない時間。

まぁ親善試合だし相手はベトナムだしイイや、飲みに行こうぜ!と声かけたら3人ほど釣れた。

そんなわけで飲んで帰る。

帰って酔った状態のままHDに録ったサッカー眺めたら格下相手に決定機を決められず1-0。

飲んで帰って正解だったな。

 

2011年10月3日 月曜日

10月に入って2日連続でランとジムをこなした。

3日目のこの日は月曜日だし休養に充てようかなと思った。

しかし帰り際に隣の席の人から「今日も走るんですか?」と聞かれて見栄もあって思わず「もちろん」と答えてしまった。

答えたからには…というわけで帰宅後ジムへ。

10月はストイック月間、最低でも週に3日はジムかランに勤しもう。

 

2011年10月1日 土曜日

今年2回目にして人生で2回目でもあるフルマラソンまで1ヶ月強。

1度完走出来た精神的余裕はあるが、それが過信になってそれほど練習をしていない気がする。

10月に入ったからには週末だけではなく、平日にもそこそこ練習をしようと思う。

1度フルマラソンを完走できたからってイイ気になるなよと自分の身体と心に言い聞かせねば。

そんな中で村上春樹の「走ることについて語るときにぼくの語ること」という本を読んだ。

タイトル通り走ることについてのエッセーみたいなもので、走るためのモチベーションを高めてくれる1冊だった。

その本を読んで改めて感じた村上春樹の凄さ。

フルマラソンで普通に4時間切りのタイムとか運動のバックボーンが無ければ出来ないと思う。

おまけに100kmウルトラマラソンやトライアスロンも完走。

50を過ぎてもなお、1年に1度はフルマラソンを走っているとか。

それでも走ることはあくまでも小説を書く基礎体力を維持するため、みたいなことを語っている。

全く持ってこの人には敵わないと感じてしまった(別に同じ土俵で争ってはいないけど)。

私が唯一勝てたのは最初にフルマラソンを走った年齢だけだった。

 

2011年9月25日 日曜日

ロシアへ行ってきたと言うと何人かは「チェルノブイリ行った?」と冗談めかして聞いてくる。

確かにこのご時世、そう聞いてくるのも分かる。

だがこれには誤解が含まれている。

チェルノブイリがあるのはロシアではなくウクライナ。

原発事故当時は旧ソ連だったが、現在の国だとウクライナにあたる。

かくいう私もロシア旅行が決まって少し調べた過程で初めて知った。

予備知識のあまり無い人がチェルノブイリ=ソ連=ロシアと思うのも無理はない。

そう考えると原発事故の影響で日本に来る外国人観光客が減っているというニュースも頷ける。

東京は福島から約200km離れているといっても外国人からしてみたら実感できないだろう。

我々がチェルノブイリ=ロシアと思ってしまうように福島=日本=危険という図式が成り立ってしまうのだろう。

福島=日本は間違いではないが、=危険が付いて外国人観光客が避けるのも仕方なしか。

とはいえ200km離れていても=安全とは言えなくなってきた感もある昨今の関東地方。

結果が分かるのは数十年後か?

 

2011年9月21日 水曜日

台風が関東に接近ということで職場でも昼過ぎに帰れる人は帰って良いとの指令が出た。

ところがその頃には電車が軒並み運転を見合わせる時間帯。

結局、職場の最寄り駅の電車は全て見合せとなって帰るに帰れない状況になった。

東日本大震災時に続いてまさか1年に2度も電車運休で帰れないとは。

こういう状況になったらやることはただ1つ、電車動くまで飲むか!

地震の時と違うのは台風なので時間が経てば必ず復旧するのが分かっていること。

そんなわけで突発飲み会が開催。

台風の影響か閑散とした店内の中、空気を読まずに呑んだくれる我々。

電車の情報は逐一スマホで仕入れる万全の状態。

予想通り時間が経つと次第に動き出す各路線。

それでも動き出した直後はダイヤも乱れて混雑してるよなーと言い訳して飲み続ける我々。

案の定普通の飲み会同じように飲んだくれる。

店を出て色々なものが吹き飛ばされた台風の爪痕を見て事態の深刻さを知る。

でも当日中に無事に帰れたのは救い。

帰りの電車内で「台風の影響で電車が遅れて申し訳ございません」のアナウンス。

わざわざ謝らなくても良いと思うが。

 

2011年9月16日 金曜日

実家の両親が共に同じタイミングで帰省するというので実家の猫の面倒を見るために私が実家に帰省。

親子がそれぞれ帰省してバラバラになるという変な事態に。

何も無い実家にいても暇だろうからノートPCを持って猫しかいない実家へ。

数年前まで一緒に暮らした私を覚えているのか、腹が減っているだけなのか久々に懐いてくる猫。

まぁ考えてみれば私が実家にいた頃も腹が減っているときくらいしか愛想振りまかなかった気はするな。

いずれにせよ猫に餌を与えたら私の仕事は終わり。

ノートPCでダラダラとネットサーフィンする時点でウチにいるときとなんら変わらない。

 

2011年9月15日 木曜日

久しぶりに数年前の職場メンツで集まってのプチ同窓会。

集まった半数以上は一緒に働いていた頃とは違う場所で働いている。

そんな中で私は変わらぬ職場で立場は少し変われど大筋では相変わらずの仕事をしている。

何が良い悪いの判断は出来ないが、変わった面子を見ると変わらない自分にそれで良いのか自問自答。

結局答えが出るわけは無く、まぁその時の飲み会が楽しければ良いのかな。

 

2011年9月8日 木曜日

サッカーのなでしこJAPANがロンドン五輪出場決定。

W杯優勝で世間的にに大注目されてそのプレッシャーが仇になって全然ダメ…みたいな事態も想像していた。

W杯で優勝候補のドイツに勝った後も燃え尽き症候群でダメになるんじゃないかと思っていた。

スウェーデンに勝って決勝進出したときにも同じようなことを思った。

しかしそれらを跳ね除けてW杯優勝という結果。

そして今回もアジアで2枠という狭き門を無敗で突破しての五輪出場。

男なら女なら…という論調は嫌いだが、男子だとどこかでダメになりそうなイメージ。

女子の方がこうした場合のメンタリティーは強いのだろうか。

そんなことを感じさせた結果だった。

 

2011年9月6日 火曜日

夜遅くにサッカーのvsウズベキスタン戦。

サッカー見ながら酒は縁起物なのでとりあえず飲んでおく。

ロシアから帰国したばっかりだしウチにあったウォッカをストレートで飲んでみる。

薬用アルコールみたいな強烈なキツサがあって飲めたものじゃない。

ロシアで飲んだウォッカも強いだけで特別美味しくはなかったが、普通に飲むことが出来ただけマシだったのだと実感。

日本に帰国して初めてロシアウォッカの実力を知った気がする。

もっともウチにあったウォッカは基本的に割るための1本1000円もしないものなんだけど。

 

2011年9月5日 月曜日

前日は買い物もせず、冷蔵庫の中は旅前と同じ状態で酒以外は殆ど入っていない。

牛乳もパンも無かったので富士登山用に買ったけど結局食べなかったバランス食で朝飯。

仕事は案の定眠い1日で、土産配った後は慣らし作業。

晩飯は無性に食べたくなったカレー。

海外から帰国後はベタなものが食べたくなる。

 

2011年9月4日 日曜日

ロシアから帰国。

朝の帰国便だったので、午前中のうちに帰宅できた。

前々日にサッカーW杯予選をやっていたのでHDに録っていた。

結果を知らなかったので帰宅後はそれを眺めつつ昼からビール。

北朝鮮を相手に攻めても点が取れない事態で試合が進み後半ロスタイム。

起死回生の決勝ゴールは録画ながら興奮してしまった。

W杯予選+初戦+埼玉スタジアムってのは劇的になる仕様なのか。

昼から3本くらい飲んでしまったので帰国の疲れもあって昼寝してしまった。

帰国日に昼寝してしまうと夜に寝付きにくくなるので避けたかったのだが酒と疲れには勝てなかった。

翌日は月曜日から出勤、長い1週間になりそうだ。

 

2011年8月24日 水曜日

富士登山が1泊2日で土日が潰れるのでロシア旅行前の準備をする暇が無い。

それを見越して休みを取った1日だったが、富士登山が予定変更日帰りになって日曜日に普通に休めてしまった。

でも事前に休みは申告していたので休むことに。

ロシア旅が終わったらそっちに付きっ切りになりそうなので早々に富士登山記を書き上げた。

幸か不幸か今回は登山工程も短かったのでアッサリと書き上げられてしまった。

こんなに早い段階で旅記を書き上げられたのは学生時代にも無かった気がする。

さてロシア記が完成するのはいつ頃になるだろうか。

 

2011年8月21日 日曜日

当初の富士登山の予定だと日曜に山頂で御来光を拝んで下山だった。

天候の悪化でそれが無くなって土曜日中に下山したので、いつも通りの日曜日。

宝永山は登ったが登山距離自体は大したことなかったので筋肉痛も殆ど無い。

天気が悪かったせいで日焼けも無く、登山翌日としては物足りないくらい普通の状態。

富士登山前日の大雨を境に気温も一気に下がって涼しくなった。

どうせなら涼しいロシアに行くまでは暑い日が続いてくれても良いのだが。

 

2011年8月20日 土曜日

予想通り天気は悪く、3年連続富士登山にして初めての富士断念。

仮に登頂したとしても翌朝に山頂から御来光が拝めなかったら今回のテーマは果たせない。

但し、ただ断念するだけだと悔しいので近場の宝永山を登頂してきた。

これだけで充実感がだいぶ違う。

富士山ではないが、一応は登頂を果たして無事に下山。

終わってみれば19時前には家に帰っていた。

ビール飲んでTV眺めて山で食べる予定だったオニギリ食べて…。

もうこうなったら普通の土曜日と同じだ。

 

2011年8月19日 金曜日

富士登山を翌日に控えたが天気予報によると曇〜雨が濃厚。

一緒に登る1人は「明日のためにコンディションを合わせたんだから登りたい」とアスリートみたいなことを言う。

気持ちは分からないでもないが、悪条件で登るのは危険だ。

数時間に及ぶ登山は勢いで登りきれるほど甘いものではないだろう。

退く勇気というものを試される時かもしれない。

 

2011年8月13日 土曜日

折角の休日で寝坊が出来ると思っても暑くて目が覚めてしまう。

まぁ無駄に寝ても時間を浪費するだけだと思うとそれはそれで悪くないのかも。

お盆の時期でジムが休みなので、夕方から外をジョギングした。

翌週の富士登山に備えてフルマラソン以来初めてランニング用スパッツ・ソックス・シューズの本気装備で挑む。

しかし夕方とはいえまだ暑さの残る中だったのであまり期待できなかった。

それでも終わってみれば約11kmを平均時速9kmとフルマラソン時のタイムとほぼ同等。

近頃はジムのランニングマシンでも時速9kmほどで走っている成果が出たのか。

真夏のこの時期にこのタイムは我ながら驚いた。

 

2011年8月10日 水曜日

サッカーW杯アジア3次予選を前にした親善試合の日韓戦。

日韓戦となると親善試合とはいえ雑音が聞こえてきてあまり好きではない。

とはいえ見ないわけにもいかないので、仕事を定時で切り上げてTV観戦モード。

前半に先制すると後半は内容でも圧倒して3-0の完勝。

日韓戦でこんな完勝記憶に無いぞ、と思ったら3点差以上での勝ちは1974年以来だとか。

私の生前、そりゃ記憶にあるわけ無い。

 

2011年8月8日 月曜日

職場のマラソン仲間と雑談していて東京マラソン2012年のエントリーが始まっていることを知る。

倍率は年々増加しているので、今回も10倍を越えるだろう。

とりあえず1度は走りたいと思っているのでエントリー。

エントリーの際にフルマラソンの実績タイムを入力する欄がある。

フルマラソン歴無しではなく、ちゃんとタイムを入れられる瞬間が少し誇らしい。

 

2011年8月4日 木曜日

職場メンツと飲んで帰ってニュース見たらサッカー元日本代表の松田直樹が死去との報。

数年前に同僚の結婚祝パーティーが横浜のマリノスタウン近くのレストランで開かれた。

その日がマリノスタウンにあるカフェの開店日か何かで横浜Fマリノスの選手が挨拶に来ていた。

たまたまその場面に遭遇して松田を至近距離で見た。

思えば初めて間近で見たプロサッカー選手だったかもしれない。

あの時と2002年の日韓W杯での姿は忘れない。

 

2011年8月2日 火曜日

ツイッターを始めてから、基本的に1日1ツイートはするようにしている。

そんなわけで本業たるこっちの更新が気持ち疎かになっている。

少しでも更新している感を出そうと、トップページにツイッターの窓口を貼ってみた。

それに伴い、久しぶりにHTMLタグに手を入れた。

右に表示してあるものを左に移動するだけなのに、テーブルタグを忘れていて予想以上に苦労した。

試行錯誤しつつも巧くいったときの達成感はホームページ作りに夢中だった学生時代を思い出した。

トップページのレイアウト変更は調べてみると2002年以来9年ぶり。

我ながら歴史あるページだと再認識。

 

2011年7月30日 土曜日

今年も計画されている富士登山はこれで3年連続。

1年目は普通に登頂、2年目は日本最高峰の剣ヶ峰登頂。

そして3年目の今回のテーマは山頂での御来光。

着実に年々レベルアップしている。

1泊2日で山頂の山小屋に宿泊して翌朝の御来光を拝む。

これまでの富士登山の集大成となるであろう。

唯一の懸念は天気だが、こればかりは富士に祈るしかない。

富士登山の翌週はロシア一人旅。

日本一高い所へ登った後は世界一でかい国へ行く。

 

2011年7月18日 月曜日

未明に女子W杯の決勝vsアメリカ。

世界ランク1位で、これまで1度も勝ったことが無く、直前の親善試合でも完敗していた相手。

正直勝てる要素が見当たらず、試合開始早々の猛攻でますます悲壮感が強くなる。

前半を0-0で終わったのが信じられないくらい攻められた。

後半に先制されてもうダメか…と思わせれる。

ここまでの試合展開考えると1点返すのは厳しいだろうな…と思ったら相手のミスもありながら同点ゴール。

そして延長に突入し、これまで抑えてきた相手エースに決められる。

体力的にも厳しい延長で、しかも相手のエースに決められる精神的なショックも含めて今度こそダメか…と思わせる。

しかしそれでも延長後半終了間際にまたもや同点ゴール。

漫画でもあり得ないような劇的な展開過ぎるままPK戦に突入。

W杯決勝のPK戦ってこれ以上に緊張するシチュエーションあるのか?という状況で見事に勝利。

こんな劇的な試合が…しかもワールドカップ決勝で…勝って優勝したのが日本。

神懸り的な奇跡的な、なんとでも形容したくなる。

女子とはいえワールドカップ優勝ってとんでもない事態。

これまでを振り返ると、予選最終戦でイングランドに負けた結果、決勝トーナメント初戦の相手がドイツ。

1度も勝ったことが無い上に相手はW杯2連覇中の開催国。

試合展開も一方的だったらしいが耐えに耐えて殆どワンチャンスで決めた。

なんとかドイツに勝ったが次は今回のW杯で全勝無敗のスウェーデンが相手。

ドイツ戦で力を使い切っちゃってダメかもと思ったスウェーデン戦だったが予想外の快勝。

とはいえ決勝は最後の大ボス、世界ランク1位のアメリカだとさすがにダメだろうと思ったらこの結果。

まさかまさかと思いつつ、本当に優勝してしまった。

毎試合ヒロインが誕生する展開や、決勝トーナメントで次々と強い相手と当たる展開。

そして劇的な優勝という結果は今年の男子アジアカップも髣髴とさせた。

勝利が決まった瞬間からビールを出し、TVとネットを梯子しながら朝6時からの1人酒盛り。

昨年の男子ワールドカップのデンマーク戦後のような高揚感。

気付くと朝から空き缶が4つ転がっていた。

朝から飲んだ勢いで1日生活のリズムはグダグダ。

だがそれでいいそれがいい。

もし今日仕事があったとしても飲んでいっても許されるくらいの快挙(なんだそりゃ)。

しかし女子の優勝でこんなに盛り上がるんだったら男子だとどうなってしまうのか。

ただ男子のワールドカップ優勝。

こればかりは本当に「自分が生きているうちにあるか」というくらいのレベルだと思う。

さらに今回の澤のようにW杯優勝&得点王&MVPなんて奇跡でも起こらない限り考えにくい。

でも諦めないことの素晴らしさを今回なでしこJAPANが示してくれた。

だから男子もいつか…ってまぁ私は見ているだけだけど。

 

2011年7月17日 日曜日

趣味でキックボクシングをやっている友人の第2戦目。

スポーツジムのワンフロアーが会場。

空調は効いているのだろうが、それを遥かに上回る熱気でムワッとする室内。

沢山の人がいる中で熱戦が繰り広げられているわけで暑くなるのも仕方ない。

前回KO負けした友人だったが、今回は判定負け。

素人目に見てもデビュー戦よりはリラックスしているようだった。

少しずつ結果を残していければ良いなと思う。

試合直後の友人と話したが、2分2ラウンドとは思えないくらい異常な汗をかいていた。

熱気の中で照明も当たるリング上で殴り合い蹴り合いすればそうもなるか。

1試合しただけでだいぶ減量になりそうだ。

 

2011年7月14日 木曜日

熱帯夜が続くので夜でも暑くて目が覚めること多々。

今回はその特性を利用して4時ごろに目が覚めてそのまま女子W杯の準決勝vsスウェーデンを見た。

TV付けたら前半1-1の状態。

点が入らないと眠気が襲ってくるが後半の逆転ゴールで目が覚め、ダメ押しゴールで覚醒。

終わってみれば3-1の快勝で初の決勝進出。

朝からテンション上がってそのままTVで各チャンネルの朝のニュースを梯子。

この後仕事が無ければ確実に飲んでいたところだ。

 

2011年7月10日 日曜日

女子サッカーのW杯を開催している。

この日の未明に決勝トーナメント初戦でドイツとの対戦だった。

相手は2連覇中、しかも開催国、しかもしかも過去日本代表は1度も勝ったことが無い。

こりゃ勝てるわけ無いと、見るのを諦めてしまった。

しかし朝TVをつけると「ドイツを破って準決勝進出」との報。

耐えに耐えて延長後半に1点とって1-0勝ちだとか。

見ていれば良かった。

 

2011年7月9日 土曜日

スーパーをウロウロしていて素麺を見つけた。

夏だし素麺も良いなと買ってみた。

最初は分量が分からず、こんなもんかと適当に入れたら一気に広がって焦った。

茹でると縮小する野菜と違って(野菜なんて殆ど茹でたこと無いが…)、素麺は茹でると膨張する感じだ。

細いからすぐ茹で上がるし、アッサリしてスルスルと食べられるので良い。

夏の定番にしても良いけど、茹でているときが暑すぎる。

 

2011年7月2日 土曜日

友人からタダ券を貰って味の素スタジアムでJ2観戦。

今シーズンからJ2に落ちたFC東京の試合だが、会場は結構な客入り。

試合前に場内アナウンスで「今日はイタリアからゲストが来ています」と紹介。

昨シーズンまでFC東京に在籍していた長友が試合観戦に来ていた。

方やJ2に落ち、方やイタリア最高峰のクラブへ移籍。

なんだこの差は…

試合よりも長友が紹介された時の方が盛り上がった気がした。

この日は何かのイベントと合わさってハーフタイムに多数の打ち上げ花火が催された。

「花火はホーム側ゴール裏から打ち上げられます!」とのこと。

その花火がスタジアム内で恐らく最もよく見えたのは反対のアウェイ側の席の人たち。

大勢いるホーム側の観客は一旦スタジアムの外へ出ないと花火が見えない。

誰のための花火だ?

 

2011年7月1日 金曜日

職場飲みからの派生で終電なくなって帰れなくなった元同僚をウチに招いて夜明かし飲み。

今シーズンは未だエアコンを稼動していなかったが客人が来ると別。

1人なら扇風機でも耐えられるが、人が来るとそれだけで熱が上がる。

36℃くらいの熱を持った物体があるわけだから暑くなるのも当然か。

 

2011年6月28日 火曜日

節電の夏、ということでエアコンの設定温度が高めになっている職場。

人によっては自席に卓上扇風機を置いている人もいる。

しかし節電の夏、個人の卓上扇風機はダメとのお達しが。

電池式なら良いのか?USB式なら良いのか?という問いにも「誤解を生むからダメ」とのこと。

私は使っていなかったので被害は無いが、使っていた人にとっては大打撃。

震災直後に室内の電気を消して仕事をさせられたときにも思ったが、それで生産性が落ちたら本末転倒な気がする。

 

2011年6月27日 月曜日

年に1度の健康診断。

直前4日間でジムを3回、ジョギングを1回。

その成果か、体重は学生時代の水準。

昨年は高いと言われた血圧も標準域だった。

ただ年々下がり続ける視力だけは右0.4左0.7と危険水域。

こればかりは努力ではどうにもならんのかな。

 

2011年6月24日 金曜日

前夜にサッカー五輪2次予選があったのでこの日は休みにした。

結果はクウェート相手にアウェイで1-2敗戦。

初戦を3-1で勝っていたので得失点差で辛うじての最終予選進出。

アウェイとはいえ2次予選でギリギリ突破とか先が思いやられる。

この日はジムが定休日だったので、約3ヶ月ぶりに外を走った。

夕方でもかなり暑く、熱だけで体力を消耗するのが実感できる。

前夜に40℃近いアウェイでサッカーしていたU22代表、負けたのも仕方なしか。

 

2011年6月20日 月曜日

職場で定期的に宝くじを共同購入している。

有志を募って1口3000円で宝くじを何百枚かまとめて購入。

1人で宝くじを3000円分(10枚)買っても当たるのは殆どが最低額(下1桁当たり)の300円。

しかし大口購入をすると中には3000円や10000円の当たりが混ざることもある。

結果的に購入人数分で割ると最低額が500円前後になる。

そんな特性を活かした宝くじの共同購入。

私は個人的に宝くじを買うことは殆ど無いが、職場の企画なので毎回参加している。

いつもは500円前後のキャッシュバックが殆どで1000円も返ってきたら良い方だった。

その宝くじで100万円の当選。

仕事中だったがそのニュースが職場を伝わり、次第にそれはどよめきに変わった。

ざわざわざわ…おぉおぉぉ!という感じながら仕事中なので少し控えめ。

中にはついてない人もいるもので、今回だけ買わなかった!と嘆く人も。

全部で30数口の参加だったので1人当たり3万強が返ってくることになった。

数年前から続いている宝くじ共同購入企画。

累計を計算してみたらまだ購入額の方が大きかったのは忘れよう。

プライスレスなのは職場で喜びを分かち合う瞬間。

次は1000万、そして1億行きましょう。

 

2011年6月18日 土曜日

前夜に先日の氷室京介ライブがTV放送されるというので翌日休みだし夜更かしして見た。

あの時の興奮が蘇ってきてTV終わっても妙に目が冴えて眠れない。

今週は仕事中もずっと頭の中でBOΦWYの曲が流れ続けていた。

改めてちゃんと聴きたくなって探したら出てきたのはカセットテープ。

まだちゃんと聴けるだろうかとコンポのカセットデッキにセット。

再生ボタンを押すもウンともスンとも言わない。

もう10年以上も使っていなかったカセットデッキ、壊れていても仕方なしか。

 

2011年6月13日 月曜日

前日に今年11月に開催される次の湘南国際マラソンのエントリーが始まった。

今回も職場の回覧で迷わず参加を選択。

幹事さんが全員分のエントリーをしてくれたらしいが、1日で定員が埋まったらしい。

市民ランナーのマラソンブームは本物か。

職場でも前回を越える人数がエントリー。

経験者として無様な走りは見せられないなと1回走っただけなのに偉そうなことを考える。

少しずつモチベーションを上げていこうと思う。

 

2011年6月12日 日曜日

金曜日に急遽お誘いを受けて行くことになった東京ドームの氷室京介ライブ。

それなのに前日は朝から晩まで殆どぶっ通しで飲んでいた。

当然この日は猛烈な二日酔いで起きるのもしんどい。

しかしライブへ行かねば!と起きて強引にシャワーを浴びて気力を回復。

ドリンク胃腸薬と栄養ドリンクのダブルドーピングで体力を回復。

昼過ぎに待ち合わせの新宿駅へ。

とりあえずライブに向けてガソリン入れましょう!ということで昼からやっているバーへ。

ビール入れて大丈夫かと不安になったが、ドーピング効果か問題なし。

2杯ほど注入してから水道橋へ。

いつかプロレスを観に来て以来な気がする東京ドーム。

ダフ屋とか久しぶりに見た。

1部のオークションでは数万円の値がついたらしいこの日のチケット。

客層は今年50歳だという氷室やBOΦWY全盛期(80年代)を考えるとやはり高め。

男女比は6:4〜7:3くらいだっただろうか。

ドームに入ってからも開演までビールを飲めたくらいなのですっかり回復した。

本格的なライブに行くのは初めてだったので始まるまではどうすれば良いのか分からなかった。

だけど1曲目のイントロが流れた瞬間に今まで座っていた人達が総立ちして一緒に唄い出す。

あ、コレでイイのか、と私も回りに合わせて唄う。

語弊はあるかもしれないが喩えるなら物凄く贅沢な大カラオケ祭り。

常時立ちっ放しでリズム取りつつ唄うと、スポーツをしているかのように汗が止まらない。

それでも疲れを感じないままアッという間の2時間だった。

余韻が冷めぬまま帰りも飲み。

前日の大人の遠足といい、近年稀に見るくらい贅沢な土日の過ごし方だった。

 

2011年6月11日 土曜日

職場の同僚と「大人の遠足」と銘打った企画。

土曜の朝、分倍河原駅に集合。

大人の遠足の最初はサントリーのビール工場へ。

10年位前の学生時代以来のビール工場見学。

当時よりも洗練された感じのする工場見学を終えるとお待ちかねの試飲タイム。

プレミアムモルツが3杯まで飲めておつまみ付き。

至れり尽くせりで全部無料という太っ腹(ビールっ腹?)が信じられない。

ビール工場を後にして向かうは府中競馬場。

歩いて数分で到着し、土曜競馬を眺めながらビールを飲む大人の遠足。

これまた私は10年以上前の学生時代以来の競馬。

当時よりもかなり綺麗で小洒落た雰囲気になった競馬場内。

10年も経つと色々と変わるものだ。

競馬場内でファストフードとビールを買って競馬観戦。

ビールは勿論プレミアムモルツ、少しは売り上げに貢献しないと悪い気がした。

程よく酔いも回ってきたところで賭けも始めてみる。

競馬は10年以上前に2回やっただけなので仕組みが思い出せない。

競馬熟練の同僚にレクチャーを受け、スポーツ新聞の情報を元に適当に購入。

最低単位の100円を3〜5口くらいというのを数レース繰り返す。

やはり金がかかっているからか、レースのゴール間近の歓声は凄い。

サッカーや格闘技などを観る際の歓声とは違う独特な雰囲気が漂う歓声だった。

私を始め、同僚の賭けた馬もことごとく外れる。

ようやく当たったと思っても数百円返ってくるだけとか…。

10年以上前の過去2回の競馬では最終的には必ず収支はプラスだったのが今回は明らかなマイナス。

まぁ大人の遠足はお小遣いを気にしなくて良いので問題無しとしよう。

夕方に競馬を終え、〆は居酒屋で普通の飲み会。

朝はビール工場、昼は競馬、夜は居酒屋と朝から晩まで飲み続けた大人の遠足。

家に帰るまでが遠足のはずだったが、どうやって家に帰ったのか記憶無し。

 

2011年6月10日 金曜日

同僚から唐突なお誘いメールで「日曜日空いてる?BOΦWYって興味ある?」と。

氷室京介が全てBOΦWYの楽曲を唄う東日本大震災復興チャリティライブが土日に東京ドームで開催される。

そのチケットが余っていて行く人を探しているという。

実はこのライブ、高校時代の友人と「行きたいね」と話していたライブだった。

でも絶対チケット取れないよなーと諦めていた。

そのライブにまさか突然こんな形で行けるようになるとは思わず二つ返事で承諾。

BOΦWY、私が物心ついて音楽を聴きだした頃には既に解散していた伝説のバンド。

私も学生時代は殆どのアルバムを聴いていたはずだが、社会人になってから全く聴いていなかった。

惜しむらくは2日後のライブということで予習をする時間が全く無いこと。

いやむしろ新鮮な気持ちで聴くためにも予習しない方が良いのかもしれない。

 

2011年6月5日 日曜日

前々から少し考えていた「近場で行ったことない街へ行ってみよう」企画をスタート。

近いが故に行ったことのない街(駅)へ行ってブラブラしてみるだけの企画。

第1回は吉祥寺。

小中学生時代に好きだったジャンプの漫画「ろくでなしBLUES」。

その主人公が通う高校が吉祥寺で漫画内でもよく出てきた。

高校時代は吉祥寺まで電車で1本という所にいたので、行こうと思いつつ1度も行っていなかった街。

駅に着くなり「あぁこの駅の描写は漫画であったな」と早速懐かしい感情が。

特にどこへ行くでもなく外へ出ると意外にゴミゴミしている。

駅を1周するように歩くと商店街側に出てこちらの方が活気ある。

大規模商業施設も点在していて私の地元よりも都会な印象。

昼飯は居酒屋ランチの店へ入りビールを飲む。

知らない街で昼からビールを飲んでいると1人旅をしているのと似た気分になれる。

しばらくあてもなくブラブラ歩き、井の頭公園へ。

吉祥寺駅からすぐの所にあって驚いた。

休日の井の頭公園は家族連れやカップルなど人がいっぱい。

「ろくでなしBLUES」ではココで葛西の正道館と決闘していたなー、なんて考えていたのは私だけだろう。

昼過ぎの長閑な公園内を井の頭公園駅まで歩いてから帰宅。

駅周囲の発展具合とアクセスの良さ、駅近くながら長閑な公園や住宅地。

住みたい街ナンバー1というのも頷けた。

 

2011年6月1日 水曜日

サッカー日本代表のペルー戦。

新しいシステムや選手を試したからだろう、久々に面白みに欠ける不甲斐ない試合。

でもよく考えてみれば日本のサッカーってこんなのも多かった。

先日のアジアカップがあまりにも劇的過ぎたから忘れかけていた。

これぞ日本らしいサッカー…

 

2011年5月31日 火曜日

入梅してから先週末の土日がどちらも雨で、洗濯や買い物が出来なかった。

この日は朝の天気予報で「洗濯するなら今日」と言っていたので平日ながら洗濯。

定時で帰宅後は洗濯物を取り込んでからスーパーへ買い物。

いつも土日の昼頃に行っているスーパーだが、平日の夜だとこんなにも客が少ないのかと驚いた。

仙台時代に夜遅く仕事が終わってから閑散とした深夜営業のスーパーで買い物をしていた頃の気持ちが蘇った。

戻りたいとは思わないがどこか懐かしさを感じさせてくれる。

 

2011年5月19日 木曜日

以前から少し欲しいなーと思っていたスポーツ仕様の防水ウォークマンを買った。

イヤホンと本体が一体型なので無駄なコードが無くて良い。

防水で汗をかいても大丈夫なのでジムでの運動用にしようと思う。

これまでジムで使っていた数年前のモデルのMP3プレイヤーの調子が悪くなっていた。

そんなこともあって、期間限定でポイント増量との店頭広告にも負けて半衝動買い。

1万円しない代物ではあるが、こういうのをパッと買えちゃうところが私の思う大人買い。

 

2011年5月15日 日曜日

前日は昼前から夜までずーっと飲み続けていたといっても過言ではない。

それにも関わらず二日酔いは殆ど無かった。

式の前にはヘパリーゼドリンク、2次会前にはうこんドリンクのダブルドーピングが効いたのか。

それでも前日にワーッと楽しく盛り上がっていたのでこの日はその反動でなんかイマイチ。

なんとなくダラーっとしてしまい、ジムへも行かず無為に1日を過ごした。

 

2011年5月14日 土曜日

高校時代の友人の結婚式に参列。

仕事では着ない良いスーツに身を包み出発。

天気が良いのは良いが、スーツを着込んでいるので暑い。

一緒に参列する友人と途中で合流。

会場のホテルには予想より早く到着し、どこか飲む所ないかな…と探してしまうのはもうどうしょうもない。

ホテル内の喫茶店にはビールが無さそうだったので結局ロビー脇で座って待つ。

すると式の最終リハーサル?か何かで新郎新婦が登場。

式前の僅かな時間ではあったが主役と個人的に話す機会があって良かった。

滞りなく式がお開きになり、披露宴までの間に高校時代の友人と合流。

結婚式とは…みたいな話になり、

「高級な同窓会だ!」と言ったのは既婚の友人。

「高級な合コンだ!」と言ったのは独身の友人。

お互いの立場が明確になった分かりやすい喩えだった。

披露宴では余興を頼まれていたが丁重にお断りした。

その余興を行ったのが友人の小中時代の同級生というハーフ?の男性。

披露宴前に共通の知人を介して少し話をした、スラっと背が高く爽やかな感じの好青年。

しかもこの日のために台湾から来日したという。

おまけに挨拶も笑いを交えつつ嫌味が無く、最後にピアノ演奏をして余興を〆た。

オイオイ、こんなのに勝てるわけが無い。

迂闊に余興を引き受けなくて良かったと思わされた。

滞りなく披露宴がお開きになり、2次会までにはまだ時間がある。

そんなわけでバーに入って軽く飲んで時間を潰す。

職場結婚だったので、披露宴も2次会も会社の仲間が輪の中心。

同級生としてはあまり話す機会が無くて残念。

だからこそ余計に式前のリラックスした時間に少しでも話せたのが良かったなと改めて思った。

3次会は高校時代の友人と独自に行った。

結局知らない人とは一切喋らなかった気がする。

「高級な同窓会」の目的は大いに果たせたが「高級な合コン」はどこにあったんだろう。

 

2011年5月7日 土曜日

某焼肉屋のユッケ食中毒問題でGWの客入りを見込んでいた他の焼肉屋は大打撃だろう。

客に焼肉食わせるはずが、同業者にとばっちり食らわせられたとか。

そんな中、地元友人との飲みで桜肉料理屋へ。

肉のメニューは全て馬肉という専門店。

例の食中毒問題で初めて知ったが、生食として認められている肉は馬肉とレバ刺しだけだという。

どちらも大好物だ。

というわけで1皿1,000円以上する馬刺しを食べる。

居酒屋の安い馬刺しとは違って舌触りが良く柔らかい。

だけどメンチカツやチョリソーなんかは敢えて馬肉で作らんでも…というような味わい。

2次会は普通の安居酒屋。

こっちの方が落ち着いて遠慮せず飲み食いできちゃうところが我ながら小さい。

 

2011年5月5日 木曜日

マチュピチュのあるペルーへ行くための航空券を真面目に探し始めた。

色々調べた結果、ANAの正規割引航空券が条件が良い。

問い合わせるとアメリカ〜ペルーの空きはあるが、日本〜アメリカの空きが軒並み無い状態だとか。

夏の旅行シーズンなだけにアメリカ行きは人気でキャンセル待ちも出来ないらしい。

他にも航空会社はあったが、ANAよりも条件が良くない。

高い金を払って日系航空会社にするならともかく、逆にするのは抵抗がある。

そんなわけで今回のマチュピチュはパスすることに。

100年のメモリアルイヤーだから観光客多いかもしれないし、と自分を納得させる。

そんなわけで次の候補地を検討することに。

最近はアジアばかりでネタが尽きてきた感がある。

未だアジアでも行きたい所はあるが、この辺で少しアジアを離れてみようと思った。

そんなわけで欧州解禁、これで旅の候補地が一気に広がる。

スペイン・ギリシア・ロシア辺りを考えたが、その3国だとロシアが難易度高そう。

難しい国は早いうちに…ということで今回はロシア。

目的地はモスクワとサンクトペテルブルグ。

モスクワでは赤の広場とクレムリン、サンクトペテルブルグはエルミタージュ美術館。

2都市行ける航空券を探すとJALの正規割引航空券の条件が良く空きがある。

モスクワまで直行便だったし、このご時勢だし日本の航空会社を使いたい。

さぁ、後は休みを申告するだけだ。

 

2011年5月3日 火曜日

予定の無いゴールデンウィークは夏休みの旅予定を考えることにした。

漠然とそろそろ良いかなーと思っていたのがペルーのマチュピチュ。

いつかは必ず行きたい候補地のベスト3に入る地。

試しに航空券を検索してみたらそれだけで軽く20万を越えていた。

チョットこれは…と思ったが今年はマチュピチュ遺跡発見から100年のメモリアルイヤーらしい。

さらにペルーへ行くにはアメリカ大陸を経由するルートが一般的。

昨年NY旅行の際に取得したESTAの有効期限が残っている。

条件が揃った今年はマチュピチュ行きの良いチャンスなのではなかろうか。

その方向で検討を開始、既に旅は始まっている。

 

2011年4月29日 金曜日

ゴールデンウィーク初日は天気も良かったので洗濯や布団干しと共に整理整頓掃除片付け。

冬物衣類を片付けたり、不要なものを処分したり何だかんだしてクローゼットもスッキリ。

流しや洗面台も磨き洗い。

年末の寒い時期に大掃除するよりもGWの暖かくなる時期に大掃除した方が絶対に効率が良い。

大掃除はGWに!ってキャンペーン打って掃除用品売れないかな。

 

2011年4月28日 木曜日

翌日からゴールデンウィークに入ると思うと仕事にもあまり身が入らない。

打ち合わせをしていても「ま、それは連休明けで」とどこかだらけた空気に。

今年のGWはカレンダー通りなら3休〜1出〜3休〜1出〜2休と2日間休むだけで10連休になる配置。

特に予定は無いのでカレンダー通りの休みにする。

連休の中日は職場も人が少ないので悠々と仕事が出来るので割と好きだ。

特に予定ない人は普通に働けば良いのに…と思っていたが、周囲が休むから休み易いというのもあるんだろうな。

 

2011年4月24日 日曜日

近頃電波時計が全然電波を受信しないと思ったら原発の影響で福島にある基地局が止まっているらしい。

日本の標準時刻を発信しているのは福島と九州のどこか。

そのうちの福島が止まっているので九州の電波を受信しないといけない。

自動で受信してくれる設定になっているが、九州の電波はなかなか受信できないらしくエラーばかり。

そこで腕時計を持って大規模店舗の屋上駐車場へ行ってみた。

周囲にあまり遮るものが無い状態で天気も良かったので見事に九州からの電波を受信できた。

もっとも、数秒の狂いが直っただけではあるが。

 

2011年4月23日 土曜日

休日で1日雨だったので引きこもっていた。

TVを見ると再開したサッカーJリーグでは仙台が川崎に逆転勝ち。

その後でプロ野球を見ると楽天が日ハムにサヨナラ勝ち。

なんだか仙台な1日だった。

 

2011年4月22日 金曜日

前夜の飲みが効いて起床は7時過ぎ。

いつもの起床よりも約30分の遅れ。

オマケに前夜は風呂にも入らずに寝てしまっていたので、まずはシャワーを浴びなければならない。

朝食を食べられるような体調的精神的余裕は無かったので温牛乳だけ飲む。

シャワー歯磨き髭剃り洗顔に着替えを急いで済ませてみればいつも家を出る時間と変わらず。

いつも1時間近くかけてダラダラやっている朝の準備だが、その気になると30分足らずで出来ることが分かった。

 

2011年4月21日 木曜日

3月11日に予定していたが地震で延期になった飲み会を開催。

前回の開催予定が3月11日だっただけに、この日も何かあるんじゃないかと思ったが幸い何もなし。

今の職場のメンツと、以前まで職場にいたメンツとの飲み会。

その気になればそれなりの人数を集められただろうが敢えて7人に留めておいた。

あまり人数が多すぎるとグループが2,3に割れて個々とそんなに話せなくなるような気がした。

でも7人で飲んだ今回でも結果はそう変わらず結局4:3くらいに分かれてしまう。

全員で1つの話題を共有しながら飲んでお喋りできるのは5,6人が限度かもしれない。

それを超えて結局話題が分散するのなら、もっと人数集めても良かった。

次への教訓にしよう。

 

2011年4月18日 月曜日

毎年3月を境に上限を超えた部分はリセットされてしまう有給休暇。

今年こそ計画的に消化しよう、と特に予定も無いけど休日にした。

折角の平日休みに地元に引き篭もっているのも勿体無い。

電車の中吊り広告で少し興味持った国立新美術館のシュルレアリスム展へ行ってみることにした。

地下鉄の乃木坂駅に直結している国立新美術館。

いきなり展示を見るよりまずは飯を食おうと近くの六本木ヒルズまで歩いて行ってみる。

巨大なビルが迷路のようになり、お洒落を絵に描いたような空間はもはや異世界。

その中で1000円を越えるイタリアンランチビュッフェの店に入り、昼からビールを飲む贅沢なひと時。

見知らぬ地で昼から酒を飲むのは、旅のときと同じ感覚を味わう儀式のようなものだ。

慣れないながらも酒が入ると心地良い昼食を済ませて改めて美術館へ。

シュルレアリスムって要はわけわからない感じのもの、という程度のイメージしかなかった。

恥ずかしながらアンドレ・ブルトンなんて今回初めて知ったし。

その辺りがよく分からなくても、今回のように美術館に行きたくなることがたまにある。

美術館のなんともいえない独特の雰囲気が好きだ。

美術品を傷めないために程よく空調の効いた館内でゆっくりとした時間を過ごす。

展示を眺めるだけでなく全身でその空気を感じるのもまた美術館をライブで味わう醍醐味だと思う。

気がつくと平気で2時間くらいが過ぎている。

映画やサッカーを生で見たりするのと同じ時間。

1000円強の入場料でも悪くない。

帰宅後にネットでシュルレアリスムを検索して復習してみた。

やっぱりよく分からない。

 

2011年4月12日 火曜日

最近の携帯電話は緊急地震速報が標準で流れるようになっているらしい。

しかもマナーモードでもお構いなしに鳴るとか。

出勤の電車内でアチコチから緊急地震速報のサイレンのような呼び出し音が鳴った。

地震そのものよりもまずはその音の大きさに驚く。

数秒後に地震が来ると分かる技術の進歩は凄いが、心臓には良くなさそうだ。

もっとも私の携帯は古すぎて緊急地震速報を受信できないのだが。

 

2011年4月4日 月曜日

地震による原発の影響で節電が騒がれている昨今。

ウチでも意識して節電した結果、3月〜4月の電気代が過去最低だった。

電気の明るさを1ランク下げたり、外からの光でも充分だったので切れた風呂場の電球を交換しなかったり。

前者はともかく、後者はだいぶ貧乏臭いな。

それでも目に見える形で成果が現れるとやりがいがある。

来月以降は暖かくもなってくるだろうし、もっと抑えられそうだ。

 

2011年4月2日 土曜日

地震発生時に携帯電話やメールは軒並み機能しなくなった。

そんな状況下で力を発揮したのがインターネット。

インターネットはこれまでにも大量アクセスに耐えてきた実績があるからこの災害時にも耐えられたのだとか。

そんな中でもツイッターでの情報収集が特に力を発揮したらしい。

その話を聞いて職場の仲間内でツイッターのアカウントを取る人がチラホラ。

その流れに乗って私もツイッターを始めてしまった。

ブログとかmixiとかネットの流行には背を向けていたが、とうとう迎合してしまった。

あまり深く考えず「今なにしてる」ってのを数行書いて投稿。

酔った勢いで書いたものがそのまま載ってしまうのは少し怖いし、読み返して恥ずかしくもなる(削除は出来るが)。

ノリと勢いで呟くのもアリな気がするので、ホームページとは違う形で何かを発信できればと思う。

ツイッターの売りの1つは携帯などから「今ココでナニしてる」みたいなリアルタイムの情報の送受信が出来ること。

ところが私の場合は持っている携帯がそこまで対応していない。

イヤ、対応はしているのだろうが、パケット定額プランに入っていないために通信費が怖くて手が出せない。

結局家のPCからしかツイートしていない日々。

いつでも「自宅なう」。

 

2011年3月29日 火曜日

サッカーのチャリティーマッチ、日本代表vsJリーグ選抜。

Jリーグ選抜が殆ど元日本代表メンバーだったのでチャリティーマッチとはいえ意外に面白そうだった。

試合前の国歌は独唱で歌手が唄ったのだが、これは演奏にするべきだった。

皆で1つになって復興を!と力を合わせるこういうときこそ観客全員で国歌を唄うに相応しい。

歌手が独唱すると、歌手のペースでタメや間を作るので観客が1つになって唄えない。

復興支援の国歌という意味ではイマイチだった。

試合自体はアジアカップ優勝メンバーを揃えた前半の日本代表が流石の貫禄。

Jリーグ選抜も個々の力では劣らないはずが、いかんせん寄せ集めのチーム。

選手を並べただけでは勝てないというのを改めて認識させられた。

後半に入ると代表もJもメンバーを一変。

チャリティーマッチという性質上、殆どのメンバーが試合に出るような計らいになっているらしい。

なので選手交代も一気に何人も変えてしまう。

そうなると選手が退くところも入るところも雑な印象を受ける。

中村俊輔や三浦カズなど過去の代表の功労者がその他大勢の流れで交代して入るのは勿体無い。

サッカーでゴールと並んで盛り上がるのは期待の選手が投入される瞬間。

それがあまり味わえなかったという点で、交代のタイミングはイマイチだった。

後半になると日本代表も控え組みが中心となったため、試合的には凡戦。

まぁこんなもんだよな…と思ったところでカズのゴール。

まるで絵に描いたような内容だが、打ち合わせしてもあんな綺麗なゴールは出来るものじゃない。

客寄せパンダだと思っていたカズの見事なゴールは不覚にも涙しそうになった。

結果は2-1で日本代表が勝利したが、全てを持っていったのはカズ。

「スターは何か持っている」っていうのは本当にあるんだな。

 

2011年3月26日 土曜日

友人から来た結婚式の招待状。

事前に送ることは知らされていたので特に驚くことも無い。

ところが開封してみて驚いた。

「当日披露宴で余興をお願い申し上げます」との紙片が同封されていた。

え?ナニコレ…

一緒に参列する予定の友人に確認するとそんなものは入っていなかったと言う。

仕方ないので結婚する本人に電話して真意を尋ねてみる。

「無理にとは言わないが、なんかあったら余興やってくれ」みたいな軽いノリだったらしい。

スピーチならまだしも、余興とはハードル高すぎる。

電話で話していたので無碍に断るわけにもいかず、考えさせてくれと回答を保留。

出来るものなら何かしてあげたい気もするけど何も浮かばない。

ネットを検索すると沢山ヒットする余興も自分に置き換えたら全て寒気がする。

友人に相談すると「誰も得しなさそうだから断れば?」という至極全うなお言葉。

それが無難か。

 

2011年3月24日 木曜日

地震以来、節電の関係もあって自粛していたモンハン飲みを再開。

居酒屋はいつものように混雑していた。

こうして通常の生活に戻って経済を回すのも我々の仕事だ!というのは方便。

 

2011年3月22日 火曜日

未だに1日1回は余震が起きている気がする。

もはや震度3くらいではビクともしないというか、ハイハイまたかよ…と食傷気味。

だいぶ感覚がマヒしている。

そういえば今回の一連の地震騒動でTVを付けているとリアルタイムで緊急地震速報に遭遇することが多々あった。

そして緊急地震速報が流れた後はほぼ確実に地震が来る。

その精度の高さに技術力の凄さを見た。

 

2011年3月20日 日曜日

3連休とはいえ特に予定は無く、ジムも計画停電の影響で時間を区切って開館している。

そんな状態だったのでフルマラソン以来初めて外を走ってみることにした。

2ヶ月ぶりの実戦とはいえ42.195km走った身からすれば軽く10kmくらい走ってやるかと気楽に走り始める。

ところが少し走っただけで異常に身体が重い。

自分でもイヤになるくらい体が鈍っている。

こんなはずじゃない…と思いつつ10km走るつもりがさっさと折り返して7km程度しか走れず。

おまけにタイムとしても酔った勢いで走ったタイムと同等という最低レベル。

こんなにも体が鈍っていたのかとショックを受けた。

でもよく考えると前日に400mlの血液を抜いたばかりだった。

献血のせいにしておこう。

 

2011年3月19日 土曜日

地震当日に飲みに行ったり、大停電が予想された日に飲みに行ったり。

何だか不謹慎なことばかりしている気がして、罪滅ぼしの気持ちも込めて献血へ行って来た。

職場に来る献血キャンペーン以外で献血に行くのは初めて。

地元の献血センターに行くと予想外に小奇麗な空間。

問診表もタッチパネルで出てくるし、自動販売機は無料でドリンクは飲み放題、お菓子も食べ放題。

献血用のベッドには1人1台の液晶TVまで付いている。

いつも職場でやっている簡易献血と違い、至れり尽くせりな設備。

事前の検査で特に問題も無く400ml献血をすることになり、献血ベッドに横になる。

すると隣のベッドから声をかけられた。

見ると隣では中学時代の同級生が献血をしていた。

まさかこんな所でこんな状況でいつかのクラス会以来何年ぶりかの再会を果たすとは。

相手は女子だしこれは何らかの運命的なものなのか?とか考えているうちに向こうが先に終了。

こっちが終わる頃、待合室に彼女の姿は見えなかった。

どうやら運命的なものではなかったらしい。

帰り際には震災義援金を募る赤十字の募金箱があったので500円を投入。

僅かな金額と僅かな血だけど役に立ってくれれば良いと思う。

献血が終わって色々な案内等を見ていると気になる貼り紙が。

現在は皆が献血に来ているらしく、それなりに血は足りている状況だとか。

血はナマモノなので、今急に大勢の人が来るのではなくてある程度時間を置いてから来て欲しいとのこと。

なるほどこの震災で急に献血供給者が増えたということだろう…私もその1人だが。

一過性のブームに乗ったわけじゃないという証明のためにも、待機期間が終わったらまた行こうと思った。

 

2011年3月17日 木曜日

今月で退職をする同僚がいたので送別会が企画されていた。

ところが例の地震によってそれがお流れになった。

このまま送別会も無しじゃ可哀想だから有志で集まって飲みに行くか、とのことに。

この日も計画停電が予想され、さらに寒い日だったので想定外の電力需要で急遽大停電が起こるかもとの噂。

そんな状況だけどとりあえず飲みに行ってみるか、とお気楽な感じで居酒屋へ。

「本日の停電状況によっては途中で営業を見合わせる可能性があります」

そんな貼り紙がしてあったがとりあえず入店。

有志だけで集まりましょう、と当日急に声をかけたのに集まったのは20人以上という大所帯。

居酒屋内は停電を恐れてか他の客は1組いるだけ。

殆ど貸切のような状態で大宴会。

あの日の居酒屋の売り上げは我々だけで持っていたと言えよう。

結局停電することは無く、2次会までしっかりと。

帰りの電車も何事も無く。

未だに1度も停電に遭っていない。

 

2011年3月16日 水曜日

結局1度も停電をされることが無いまま計画停電3日目。

私の住んでいる地区は第5グループらしいが、今朝のTVで「現在第5グループの1部が停電中」とのニュース。

それをTVで見ている私は第5グループなのかどうなのか相変わらず分からない。

とはいえこの日は停電が実施されようが電車が止まっていようが自転車出勤なので関係なし。

8時30分到着を目標に7時30分に家を出る。

職場までの道は前日に調べておいたし、分かりやすい道ばかりだったので迷うことも無い。

少し冷えるが天気の良い爽やかな朝を自転車で走る。

快調に走って、これなら普段から自転車通勤も悪くないなと思う。

しかし30分くらい走ったところで状況が変わる。

緩やかな上り坂が続き、これまで快調に飛ばしていた分だけ疲労が溜まる。

思えばこれまで快調に飛ばせていたのは緩やかな下り坂が続いていたからだと気付く。

空気は爽やかだが、身体は熱く汗が気持ち悪い。

事前の予定通りちょうど1時間で職場に付いたがもうクタクタ。

とてもこれから仕事をする気にならないような状態。

とはいえ地震明けで初めての職場。

上の方のお偉いさんから何か指示でも出ているのかと思いきや「進められる仕事は進めましょう」とのこと。

節電対策とやらで職場の電気を消しての仕事。

外から光が入ってくるとはいえ、窓から遠い席は結構暗い。

おまけに暗い中でPC画面を見るので目にも悪い。

こんな環境下で仕事させるくらいならいっそのこと休みにしろよと文句言いたくなる…というか言った。

実作業に影響出るような電気を消してまで仕事をするのは節電の域を越えているだろう。

そんな中、定時まで仕事をして帰りも勿論自転車。

行きで苦しんだ上り坂が下り坂に、行きで楽をした下り坂が上り坂に変わる。

往復共にかかった時間は1時間。

上り坂と下り坂がほぼ同距離だったということだろうか。

職場まで自転車という貴重な体験をしたが、2度とやろうとは思わないだろう。

 

2011年3月15日 火曜日

ささやかながら節電を、というわけで早寝を心がけた結果、早く起床。

まずTVとネットをチェック、電車が動いていないことを望んでいる自分がいる。

うわ、電車動いている…でもよく見ると動いているけど昼からは止まるらしいとの情報。

これなら出勤しても帰れない可能性あるなー、というわけでお休みすることに。

前日の事態で職場や本社からも無理な出勤はしなくて良いとお達しが出ていたので遠慮せずに休むことが出来る。

TVを見ると前日もこの日もそうだったが、凄くがんばって職場へ向かおうとする人が大勢いる。

そこまでして職場に向かわなければならないような仕事をしている人がそんなにいるのかと疑問に思った。

全く予期せぬ4連休。

家にいても悲しいかなモンハンかネットくらいしかやることがない。

とはいえ節電が叫ばれている中でゲームやネットで暇潰しはやや気が引ける。

ジムが開いていれば良かったのだが計画停電と節電の影響で数日は臨時休業。

普通に4連休だったらどこか行きそうだが、こういう状況の4連休だと何も出来ない。

翌日も電車が動かなかったら、そろそろ休むことにすら飽きてきた。

それならば1度実行してみたかった自転車通勤をしてみようかと思い立った。

フルマラソンに備えてジョギングを始めた頃に家から職場までの距離をネットの地図で測ったことがあった。

それによると10km強だったので走れないことも無いな、と思ったのを覚えている。

さすがに走って職場へ行って仕事をするのは辛いが自転車なら何とかなるだろう。

改めてネットでルートを調べると12km程だということが分かった。

一般的な自転車の時速は10〜15kmらしいので約1時間で行けそうな計算。

天気予報も晴れだったので、翌日は自転車で出勤することにした。

まぁ私も「そこまでして職場に向かわなければならないような仕事」をしているわけではないのだが…。

 

2011年3月14日 月曜日

朝、いつもより早く起きてTVとネットを見る。

計画停電実施の影響で最寄り駅を発車する電車は全ての路線で運休。

非常事態ながらどこか喜んでいる自分、コレは仕事休みだろ!

一方で計画停電が実施されると冷蔵庫、特に冷凍庫がまずい。

とりあえず食っとかないと!と朝からアイスを食べたらそれが見事に腹を直撃。

朝一でアイスなんて食べるもんじゃない、下っ腹がキュルキュル言う状況に追い込まれた。

職場の同僚と携帯で連絡を取り合って「行けないから仕方ない」との結論でお休みに。

とりあえずお腹が痛かったので2度寝。

いつ停電が起きるか分からないし、情報も不足しているのでTVはNHKにつけたまま寝る。

停電は起きないまま昼過ぎに起床。

腹は少し回復していたので停電に備えた物資補給と街がどうなっているか見たくて外出。

完全にシャッターが下りた駅を見たのは初めてな気がする。

懐中電灯用の電池を買っておこうとヨドバシカメラへ行ったが、節電のためと店を閉めていた。

仕方なく食料買出しも含めてドンキホーテへ。

カップラーメンは軒並み売り切れ。

非常時でも何とか食べられそうなスパゲティが余っていたので購入。

電池も僅かに残っていた単3電池を購入して懐中電灯用の電源は確保できた。

停電になってもガスは動くだろうからどうにかなるだろうと心のゆとりが出来た。

店も半分くらい閉まっているし、開いていても節電で薄暗い中営業している所が多々。

街の状況を見て、本当に非常時なんだということを実感。

夕方になっても停電が起こらず、いつやるんだ?とヤキモキする状況。

私の住む市は5つに分けられたグループの3つが被っていて自分がどこなのかハッキリしない。

ネットの情報を見る限り第5グループなのだが、1度も停電が行われないので確証がもてない。

夜に停電来るかも!との情報で冷凍庫の冷凍食品を食べる。

朝から停電に備えて冷凍庫の食品しか食べていない。

水が出なくなるかも…という情報でやかんや鍋には水道水溜めているし。

結局1部地域で計画停電が実施されたものの、私のところでは1度もなし。

計画停電に振り回された1日だった。

 

2011年3月13日 日曜日

TVは災害報道一辺倒で、日に日に死者の数が増える惨状は阪神大震災を思い出させる。

阪神のときは高速道路が完全崩壊したり各地に火の手が上がっている映像が印象的だった。

しかし今回は津波の映像が最も印象的。

まさに町を全て飲み込む自然の猛威を象徴するようなシーン。

高機能携帯電話の普及により、一般人でも動画撮影できるようになった現代。

衝撃的な映像がアチコチで公開されていた。

アメリカの9.11の映像もそうだったか、近いうちに一部は放送禁止になる気がする。

被害が大きかった地域の1つに仙台がある。

仙台といえば私も僅かな期間ではあったが忘れられない時を過ごした地でもある。

馴染みのある地名が沢山TVから聞こえてきて、いたたまれない気分になる。

今となっては会う術も無いだろうが、当時の知人が無事であることを願う。

ニュースはともかく生活の変化は特段無く、図書館行ってスーパー行って普段通りの日常。

二日酔いも回復したので、地震で散乱したモノの片付けついでに掃除。

ところがTVを見ていて東京電力が計画停電を始めるかも、というニュースで状況一変。

原発がヤバイというのは散々報じられていたが、正直未だある程度は対岸の火事だと思っていた。

ニュースやネットで情報を集めると、ウチの地域は朝一で停電が起きるかもしれない。

電車が動かないのは勿論のこと、冷蔵庫も動かなくなるし、場所によっては水も出ないかもとか。

一気に我々の生活にまで直結する事態になった。

 

2011年3月12日 土曜日

32回目の誕生日の朝はえらい二日酔いで起床。

思えば前夜は18時から飲み屋が閉店してからも職場で飲んでいたわけだ。

とりあえずTVをつけると震災のより詳しい情報が入っており、惨状が激しさを増している。

そんな状況でありながら私は二日酔いで、TVを見るのもダルイ状況。

何だか申し訳ないと思いつつも、各所からの安否確認のメールへの反応以外はただただ寝ていた。

ある意味、忘れられない誕生日だ。

 

2011年3月11日 金曜日

昼過ぎ、いつものように打ち合わせをしていてそれは起こった。

「アレ、地震?」「確かに揺れてますね」「大きくないですか?」「ヤバイヤバイ」

これまでに感じたことの無い強烈な揺れで職場も騒然。

1階の出口から外へ出ようとすると警備員が止めている。

職場の建物は外へ出ても天井が雨よけのガラス張りになっている。

そのガラスが結構な勢いで揺れているので外へ出ない方が良いらしい。

そんなわけでどうすることも出来ないまま時が過ぎるのをただただ待つ。

ようやく地震が収まり、一息つく。

アッという間に携帯電話が繋がらなくなった。

ネットの情報だと東北地方でかなりの震度、電車も軒並み運転を見合わせているとか。

少し落ち着いて職場の自席に戻っても時々起こる余震。

地震なのか自分の感覚がおかしいのか分からない状態。

帰れる人は帰って良いとの指令が出るも、そもそも電車が動いていないので帰れない。

家族持ちの人などは果敢にタクシーで帰宅していたが、タクシーの待ち行列も凄かったらしい。

改めて仕事をする気にもならず、職場でひたすら雑談して定時を待つ。

定時を過ぎても電車が動いたという情報が無い。

「いっそのこと電車動くまで飲みに行こうぜ!」って軽いノリで職場のメンツ集めて飲みに行くことに。

総勢7,8人で18時前から飲み始めるも話のネタは地震のことばかり。

相変わらず携帯は繋がらない中、一部の同僚はひたすらスマートフォンで情報を集めている。

どうやら想像以上にヤバイ事態になっているようだったが、相変わらず電車が動かず携帯繋がらずだと何も出来ない。

我々に出来るのは飲み続けることのみ!なんて普通にワイワイ飲んでいた。

暫くするとバスと徒歩を使って帰った近場の同僚が車で現れた。

送っていきますよ!という男気溢れる一言。

しかし住んでいる所もバラバラな全員を送るのは無理だろう。

とりあえず女子供(子供はいないけど…)は帰った方が良いだろうとの判断で、女性陣優先で送ってもらうことに。

男はひたすら飲んでりゃイイんだ。

飲み屋には他チームのメンツや他社のメンツなど見知った顔がいっぱい。

地震の影響で営業していない居酒屋もあるので皆が同じ所に集まってくる。

さながら緊急避難所のような様相を呈してきた居酒屋。

お互い電車が動かず帰れないので妙な連帯感が生まれていた気がする。

お店の閉店時間になっても電車は動かず、駅のタクシー乗り場へ行っても長蛇の列。

最後まで残った面子は私含めて4人、コレはもう諦めて職場で夜を明かそうということに。

こんな時でないと職場で酒飲めないな…ということでコンビニでビールを購入する超不届きモノ集団。

深夜0時を過ぎても入れる職場、電気もエアコンも付いて快適。

他社の人間が数人いるだけでビール飲んでもお咎めなし。

そういや会議室にTVあったな、と会議室へ行ってみる。

会議室でTV見るのは内緒でコッソリ見た2009年のWBC決勝以来だ。

TVでは東北の惨状をこれでもか!と流している。

これまで散々飲んでテンション上がっていたのに、画面に流れる惨状を目にして軽口が叩けなくなってくる。

これは本当にとんでもない事態なんだということを初めて実感した。

ネットの文字情報だけでは伝わらないものがTV画像を見ると瞬時に伝わる。

百聞(百読?)は一見にしかず、改めて感じた。

暫くすると一緒にいた同僚のお姉さんが車で迎えに来てくれるという。

帰宅する方向が一緒だったので皆まとめて同乗させていただくことになった。

男4人で後部座席、1人はトランク代わりのハッチへ。

帰れるのだから贅沢は言わない。

地震の影響で渋滞もある中をどうにか地元まで帰ってこられた。

同僚のお姉さんにひたすらお礼を言ってお別れ。

恐る恐る家に帰ってまず心配だったのが冷蔵庫の上の電子レンジの上のオーブントースター。

いつかの地震で落ちてフローリングに傷をつけて以来、滑り止めを敷いていた。

それが幸いしたのか今回は無傷だった。

部屋に入るとスピーカーがありえない位置に吹っ飛んでいて小物が散乱。

しかし高額のPCやTVは見たところ問題ない。

あれだけの地震だった割には被害は少ない気がした。

一安心してとりあえず寝ることに。

長い1日が終わる頃には誕生日を迎えていた。

 

2011年3月7日 月曜日

朝起きると妙に身体が重く、節々が痛い。

あぁコレは体調不良の兆候が出ているな…と思うも歯磨き髭剃りなど出勤の準備を整える。

出勤の準備をしながら改めて認識する体調不良。

有休余ってるしどうせ今月で繰り越し分以外はリセットされるし休もうかとの思いが頭を過ぎる。

でもこの程度の体調不良だったら出勤できるし仕事へも支障ないのは今までの経験で分かっている。

でもでも今は幸いそれほど忙しくないし休んでも支障ないよな…

色々な思いが交錯したが最終的に決断したのは窓の外を見たとき。

結構な雪が降っている、ハイ、休み決定。

結局有休にしたは良いが、雪で外出する気にもならず1日中家に引きこもっていた。

 

2011年3月5日 土曜日

昼食の時間帯、某とんこつラーメン屋の前を通ったら「替え玉いくつでも無料キャンペーン」をやっていた。

夕方はジムへ行くつもりだったので昼飯はたくさん食べようと思っていた。

替え玉無料なら昼飯はココで良いやと入る。

普段は普通のラーメンに替え玉1つで充分なのだが、折角無料なので2つ目の替え玉に挑戦。

さすがに2つ目の替え玉ともなると麺がだいぶ吸い込むのか、スープの量が減る。

さらに少なくなったスープも麺を吸うのかドロドロになっている。

最後の方はラーメンとはいえない別の物を食べている気分だった。

不味くはないのだが、替え玉は1つくらいが丁度良いというのを認識させられた。

 

2011年2月27日 日曜日

日本最大にしてアジアでも最大の規模という東京マラソン。

TVでも生中継があり、規模も注目度も先日私が完走した湘南国際マラソンとは桁違い。

走るコースは東京の名所ばかりで、TVを見ていると走りたくなってくる。

フルマラソンを完走できる自信はついたのでいつか東京マラソンも走りたい。
(設定されたタイムリミットも湘南の6時間に比べて東京は7時間とより初心者向き)

ところが湘南国際マラソンは先着順なので早く申し込めば走れるが、東京マラソンは当選しないと走れない。

おまけに当選倍率は10倍以上で、年々注目度と共に倍率も上がっているとか。

来年からとりあえず申し込もうと思っているが、倍率10倍と考えても10回申し込んで1回当たるか否か。

10年後に当たったとしてまだ走れるだろうか…

 

2011年2月21日 月曜日

昨年妙に流行した食べるラー油。

先日職場の同僚からどこかへ行ったお土産として貰った。

お初の食べるラー油はご飯と食べるとそれだけで酒の肴になって美味な逸品。

何にでも合うのかな、と思って朝食のトーストで実験してみることに。

いつもの朝食はトーストの上にハムとスライスチーズを載せている。

今回はハムとスライスチーズの間に食べるラー油をトッピングしてみた。

そのままトースターで3分、チリドッグのようなものになるかと期待していたが…

まず臭いがヤバイ、熱したことによって充満するラー油臭。

そして見た目がヤバイ、染み出したラー油がトーストをオレンジ色に染めている。

さらに味がヤバイ、どの食材とも合わずそれぞれがマイナスの相乗効果を醸し出しているかのよう。

最後に食後もヤバイ、胃の中のラー油が午前中ずっともたれていた。

自分で作った責任から食べ切ったが、数日は食べるラー油自体避けたくなったくらい。

食べるラー油バーガーなんてのも売ってたからパンと合わないってことは無いはずなのだが…。

とはいえ、再チャレンジする気には到底なれない。

結論としてはご飯が最高、ということで。

 

2011年2月13日 日曜日

初めてのフルマラソン記をアップ。

その質と量を考えたら旅歴書にアップしても良いような気さえした。

およそ5時間の長い旅だったと考えられなくも無い。

フルマラソン記の本文にも書いたが、長いフルマラソン中に励まされた大会公式Tシャツの応援メッセージ。

汚れなのかデザインなのか分からなくて評判が悪かった今大会の公式Tシャツ。

そのTシャツの背中にプリントされているランナーへの応援メッセージ。

印象的なメッセージが多かったので、後日ネットで検索してその全10パターンを見つけたので紹介。


「印象的」シリーズ3パターン…

「苦しさはやがて消える。あきらめた事実は永遠に残る。」
最も印象に残りつつ力を貰ったメッセージ、今になって思うと諦めさせないための恐喝とも取れる

「42キロ、人生のたった数時間。」
人生で1番長い数時間だった気がする

「気力に限界はない。」
脚全体が痛くても気力で走ることが出来るということを知った


「ジブン」シリーズ2パターン…

「今のジブンを追い越せ。」
フルマラソン後のジブンは確実にフルマラソン前のジブンを追い越したと言える

「ジブンのすべてをコースに刻め。」
後半は脚の痛みからコースがジブンに刻まれている感じだった


「ゴール」シリーズ4パターン…

「ゴールは必ずくる。」
とにかく走り続けようと思わせた

「休むのはゴールしてからでいい。」
休んだら二度と走れなくなりそうで休む精神的余裕すら無かった

「ゴールの先に何が見えるか。」
最高に美味いビールが見える

「下を向いたらゴールは見えない。」
アジア杯で日本が失点したシーンで解説が「下を向くな」と言っていてこの言葉を思い出した


オチ…

「とりあえずお先にどうぞ。」
これだけは力を貰うというより力が抜ける異色のメッセージだった


どれも文字にするとありきたりかもしれないが、走っているときに見ると本当に力を貰った。

これらのメッセージを考えたnike(公式Tシャツのメーカー)に感謝したい。

 

2011年2月11日 金曜日

朝から雪が降り続く休日。

そんな状況では外へ出るのも億劫で、1日家にいてモンハンばかりやっていた。

何もしていなくても腹は減る。

しかし部屋にある食料はスパゲティか冷凍食品のうどんくらい。

後は酒のつまみ用のスナック菓子。

悪天候の日には部屋に篭っていることを考えると、もう少し食糧の備蓄があっても良さそうだ。

 

2011年2月6日 日曜日

中学時代の友人で現在も飲み仲間の1人が趣味でキックボクシングのジムに通っている。

その友人がアマチュアの試合に出るというので、同じ飲み仲間と一緒に観に行った。

スポーツジムのワンフロアーにリングが置かれている会場で入場料も500円と安い。

アマチュアの試合なので1分〜2分で2ラウンド制という設定。

中には子供の喧嘩のような殴り合いもあったりしたが、生観戦はそれだけで迫力が違う。

最初は冷やかし半分で観ていたが、後半の試合になると見た目にも技術が上がっている。

友人と「オイオイ、アイツ本当にこんなレベルの試合に出られるのか?」と不安になる。

友人の試合はウェルター級(-67kg)で2分2ラウンド制。

結果は2ラウンド目にKO負け(アマの試合なのでレフェリーが割りと早い段階で止める)。

残念ながら負けてしまったが、ヘッドギア無しで殴り合い蹴り合いやれるだけで凄い。

10年以上の付き合いの友人を見直した瞬間だった。

試合後、地元に帰って試合後の友人も交えて飲み。

未だアドレナリンが抜けきっていないのか、相当なペースで何杯も飲んでいた。

とりあえず怪我することも無く試合を終えられたから御の字。

次があるならまずは判定まで耐えること、その次に勝利かな。

でも相手がいる競技だし、そう簡単にことは運ばないだろう。

こりゃフルマラソン走る方がだいぶ楽だわ。

 

2011年2月5日 土曜日

最近は活動も無いので更新も無いTMのホームページ。

それでも掲示板にはたまに誰かしら書き込みがある。

一方で定期的にスパム的な書き込みも行われる。

出会い系のようなサイトの宣伝だったり、ひたすら英語が羅列された意味不明の書き込みだったり。

自動書き込みプログラムのようなものが動いているのか、定期的に書き込まれる状況にうんざりしていた。

毎回書き込みを削除してはまた書き込まれ…のイタチゴッコ。

もう耐え切れなくなり、書き込む際には画像認証が必要なレンタル掲示板を新たに設置した。

プロバイダが提供しているものではない無料レンタル掲示板は宣伝が入るので避けてきたが背に腹は変えられぬ。

これで掲示板管理が楽になった。

…とはいえ書き込みが殆ど無い寂しい現状。

 

2011年1月29日 土曜日

アジア杯は準々決勝で小ボスのカタール、準決勝で中ボスの韓国と倒して、決勝は大ボスのオーストラリア。

これまでの劇的な展開を考えると、流れは完全に日本に来ているはず。

しかし試合が始まると殆ど防戦一方でヒヤヒヤする場面多数。

スコアレスのまま、大きな大会の決勝にありがちな地味な展開で90分を終えた気がする。

延長後半に入り、李の完璧なボレーシュートで先制。

そしてその1点を守りきって優勝。

初戦(ヨルダン)ではロスタイムのゴールで辛くも引き分け。

2戦目(シリア)では10人にされて追いつかれるもなんとか勝ち越し。

3戦目(サウジアラビア)ではやる気の無い相手に5-0完勝。

準々決勝(カタール)では10人にされて常に先手を取られるも後半終了間際に逆転勝利。

準決勝(韓国)では延長後半ロスタイムに追いつかれるもPK戦では完勝。

決勝(オーストラリア)ではこれまで失点続きだった守備陣も奮闘してゼロ封で優勝。

1戦1戦着実に成長していって最後に優勝という最高の結果を残す。

W杯で最高の結果を残しつつも悔しい思いをしたメンバーが多いだけに、優勝して喜んでいる姿を見るとこちらも嬉しくなる。

対戦相手の質やドラマティックさを考えると2004年中国大会の優勝を超えたと言っても過言ではない。

試合後の優勝セレモニーまで延々眺めつつ、TVが終わるとネットに移行。

早くもアップされている決勝ゴールの動画を肴にいつまでも酒を飲む。

フルマラソン完走といい、非常に充実した1月だった。

 

2011年1月27日 木曜日

脚の痛みも回復してきて、ようやく普通に歩ける程度になった。

1日1日ジワジワと脚の痛みが回復していく様が実感できたここ数日だった。

フルマラソンを走ったことにより、なんとなく公私共に気が抜けた感じ。

今のところ今年最大の目標を早々に達成してしまったことによる燃え尽き症候群。

 

2011年1月25日 火曜日

アジアカップ準決勝は日韓戦。

脚の痛みが残る中、「オレもフルマラソン走ったから日本もガンバレ」と妙な応援をする。

緊張感溢れる試合だったが微妙な判定でPK献上。

何だよ、この試合もまた審判に壊されるのか…と急激に醒める。

しかしその後に流れるような崩しから同点に追いついて再び火がつく。

延長戦になってこれまた微妙な帳尻判定のPKをきっかけに勝ち越しに成功。

勝ったと思った延長後半にパワープレイでまさかの土壇場で同点にされる。

PK戦になるとW杯のパラグアイ戦や、前回のアジア杯3位決定戦の日韓戦が思い出されてしまう。

しかも土壇場で追いついた韓国に流れが行っている気もする。

フルマラソン走ったときよりもドキドキした気がするPK戦。

結果はキーパー川島が2本止めてトータル3-0の完勝。

2004年アジア杯中国大会の川口が川島に乗り移ったかのような気迫。

劇的な試合が多かった中国大会の再現かのような今大会。

決勝の相手はオーストラリア。

ホームのカタール、ライバル韓国と倒して最後はオーストラリア。

まるで漫画かゲームのように次々と強いボスが出てくる展開。

 

2011年1月24日 月曜日

前日からの筋肉痛で出勤時間も少し早めてゆっくり歩く。

一緒に走った職場の連中は軒並み脚を引きずっていた。

一旦席に座ると立つのすら辛かったので職場では殆ど座っていた。

トイレくらいは行くよな…と思ったが朝家を出るときに行って以来、尿意も便意も不思議と無かった。

そういえばフルマラソン中もトイレへは行かなかった。

富士登山でもそうだったが、水分は全部汗で出たのだろう。

新陳代謝のバランスが崩れていたのかこの日は結局職場でトイレへ行くことは無かった。

 

2011年1月23日 日曜日

フルマラソンのためだけにあった1日。

時間的には富士登山の方が長かったが、運動量ではフルマラソンに軍配。

学生時代に体育は苦手だったのに、アラサーにして富士登山とかフルマラソンとか我ながらよくやる。

いずれも続けていれば必ず結果が出るものだから良いのかもしれない。

走っていて思ったのは疲労や心肺機能よりも脚の痛みの方が上だということ。

富士山のときでも一番辛かったのは脚の痛みだった。

痛みを克服できれば大概のことは出来るのかもしれないと思った。

 

2011年1月22日 土曜日

フルマラソン前日の行動は全て翌日のフルマラソンのために。

翌日の集合時間から逆算して何時に起きるためには何時に寝て…と綿密なシミュレーション。

翌日は何も出来ないので、洗濯や掃除や買い物など週末にこなすことを1日で済ます。

ジムで軽く運動もして、寝つきをよくするために晩飯時には軽く酒も飲んで。

それが奏功したか緊張で眠れないなんてことは無かった。

 

2011年1月21日 金曜日

仕事後は例によって皆でモンハン飲み。

しかし今回は22時からアジアカップの準々決勝カタール戦があったので途中離脱。

開催国相手だったので完全アウェイの状況。

先制されて追いつくも、後半に1人退場となった挙句に勝ち越される苦しい展開。

そんな中、10人で追いついて終了間際には逆転。

完全アウェイで審判も相手寄りだったので逆転の3点目には家にいながらにして思わず叫んでしまった。

2日後に迫ったフルマラソンへ向けて、諦めない気持ちを貰ったような日本代表の勝利。

改めて気を引き締めた。

 

2011年1月18日 火曜日

無事に北海道から戻ってきて普通に出勤。

先の土日は全国的に雪が多かったらしく、戻ってこられないのでは?と職場では少し話題になっていたとか。

倶知安の雪の状況なんて誰も分からないだろうから「雪の影響で戻れませんでした」って言えばもう1日休めたな。

 

2011年1月17日 月曜日

2泊3日だとアッという間で早くも東京へ戻る日。

冬場はスキー客用に千歳空港までの直通バスが出ているという。

電車で乗り換え等の手間がかからないので、そっちの方が楽だ。

バス停でバスを待つが予定時間を過ぎても来ない。

倶知安在住の叔父叔母は雪の影響で絶対遅れる、とは言っていたがやはり不安になる。

予定時間を20分遅れてようやくバスが到着。

東京の時間感覚だとついていけないかも。

海外で本当にバスは来るんだろうか?とやきもきしながら待っているような状況だった。

 

2011年1月16日 日曜日

法事の本番で雪の中をタクシーに乗ってお寺へ。

車はどこを見ても同じ景色の真っ白な雪の中を走る。

どこを走っているのかさっぱり分からず、運転手も目印のバス停が雪に埋まっていて道を間違えていた。

法事は滞りなく終了し、親戚一同で昼飯。

親戚の中に入ると若い部類の私や弟には祖母などが食べない料理が回ってくる。

もう30越えてるし、若いんだから食え食え的な雰囲気はそろそろ卒業したいのだが…

 

2011年1月15日 土曜日

祖父の何回忌だかの法事で北海道へ。

寒い所へ行くので荷物も必然的に多くなる。

2泊しかしないのに荷物の嵩だけ考えたら夏場に1週間海外へ行くよりも多い。

雪の影響が心配されたが、無事に出発&到着。

札幌のビアホールでビールとジンギスカンを食う。

祖父母宅のある倶知安へ向かう電車までは時間があったので札幌市内を少しブラブラ。

大通公園では雪祭りの準備をしていた。

外は寒いが、地下街などは暖房が効きすぎて暑いくらい。

冬場の北国は温度調整が難しそうだ。

電車は小樽を経由して倶知安へ。

倶知安へ近付くたびに雪の量が増えてきて、札幌とは桁違いの雪量。

祖父母宅での晩飯は寿司・蟹・カラスミという贅沢三昧。

ビールは外に積もっている雪の中にケースごと突っ込んであって飲み放題。

この2,3日で太りそうだ。

 

2011年1月13日 木曜日

サッカーアジアカップ2戦目の相手はシリア。

平日の深夜1時から試合というのは見る方にはキツイ。

良い形で先制しつつも後半に微妙すぎるジャッジでキーパー退場とPKという展開。

その後で帳尻合わせのPK貰ってなんとか2-1で勝ち越すも薄氷勝利。

レベルの低い審判も含めてこれぞアジアカップというような内容。

TVは民放で見ているが、裏でやっているNHK-BSもハードディスクに録画している。

後で見返したのは試合の一番の山場だったキーパー退場とPKの場面。

民放は実況と解説含めて大騒ぎだったが、NHKの方では冷静に実況と解説をしていた。

さすがNHKと思わざるを得なかった。

 

2011年1月9日 日曜日

地元の友人と飲みに行き、2次会はスポーツバーへ。

サッカーアジアカップの初戦vsヨルダンが行われるのだ。

これまで日本代表の親善試合やワールドカップの日本戦以外ならスポーツバーで見たことがあった。

しかし日本代表の真剣勝負の公式戦は未だスポーツバーでは見たことが無い。

今回初めて公式大会の日本戦を見ることになる。

予約が無いと入れないかと思ったが、22時過ぎという時間だったからか予約無しでも入れた。

やはり公式戦は緊張感が違い、店内で君が代を一緒に歌うとかテンションも上がる。

そんな中、前半終了間際にアクシデント的に先制される。

後半攻めるもドン引きの相手を崩せず敗色濃厚なまま後半ロスタイム。

不運な形ではあったが失点のきっかけになった吉田が起死回生の同点ゴール。

劇的なロスタイム同点ゴールにスポーツバーの店内が揺れた。

諸々楽しかったが、飲みながらワイワイ見ているので試合内容は殆ど覚えていない。

 

2011年1月8日 土曜日

フルマラソン本番を2週間後に控えた最後の皇居合同練習。

本番1週間前は法事で北海道へ行くために、本番前に実道を走るのも最後かもしれない。

今回はこれまでの最長距離である5周25kmが目標。

天気は良いがかなりの冷え込みで、皇居のお堀には氷が張っていた。

3回目ともなればもはや慣れた道を走る。

ここでもランニング用ロングスパッツの効果は絶大。

前回の4周20kmでかなり脚に来た痛みがだいぶ軽減されていた。

2時間50分弱で5周25kmを走った。

自己最長距離にしてフルマラソンの半分以上走ることが出来た。

最後の練習にしては上々か。

ラン後は前回同様に1時間1000円飲み放題の店でランチ。

1周走るごとにビールが美味くなる気がする。

 

2011年1月4日 火曜日

正月休み明け初日。

電車がかなり空いていて、日付を間違えたのかと思った。

職場に併設されている食堂もコンビニも休み。

周囲もなんとなく休みボケが残ったような状態。

初出勤日っていつもこんな雰囲気。

 

2011年1月2日 日曜日

正月の風物詩、箱根駅伝を眺める。

毎年なんとなく眺めていることが多い中、今年は違う思いが。

湘南国際マラソンのコースは箱根駅伝の3〜4区のコースと被っている。

3週間後には自分も走っていると思うと人事とは思えない。

正月で酒ばっか飲んでいるわけにはいかないな。

 

2011年1月1日 土曜日

実家に泊まり、朝から酒飲んで御節料理食って…の正月。

昼過ぎからサッカーの天皇杯決勝を眺めるのも例年通り。

夕方からは高校時代の友人と新宿で飲み。

年末年始はいつも予定合わせて飲んでいたが、今回は元日飲みの新年会になった。

天下の新宿でも元日だとさすがに人通りも少なめ。

歌舞伎町でも開いていない店も多く、平日昼間くらいの賑わいだった気がする。

18時〜22時くらいまで飲み、朝から考えたらずっと飲んでるな…

 

2010年12月31日 金曜日

大晦日なので実家に1泊の予定。

実家とはいえ自転車で20分弱の距離なのであまり感慨も無い。

以前、同僚と「帰省するときって手土産持っていく?」みたいな話をしていた。

その時はただの雑談だったが、年末だし実家に日本酒でも買って行くかと思い立った。

日本酒なんて銘柄も値段もピンキリでよく分からない。

そんなわけで適度な値段で有名銘柄の1升瓶をネットで購入。

送料込みでも地元のスーパーや酒屋で売っているのよりも安かったので上出来。

日本酒を手土産に自転車で20分弱のところへ帰省。

北海道の祖母から送られてきた蟹を肴に日本酒を飲む。

例によってTVで紅白は付いていたが殆ど観ることも無く。

紅白〜ゆくとしくるとしを眺めていつの間にか寝ていたという例年通りの大晦日だった。

 

2010年12月30日 木曜日

先日ネットで買って以来、未だ使っていなかったランニング用ロングスパッツ。

ジムで履くのはいかにもやる気満々アピールみたいで避けていた。

ジムが年末年始休暇に入ったので、初めてロングスパッツを履いて外を走ることに。

今年最後の走りになるので、皇居以外ではこれまでに最長の17.5kmを走った。

皇居を4周20km走ったときは15kmを越えた4周目からは脚がパンパンで走っていても痛くて仕方なかった。

しかし今回は明らかに脚が楽で、ランニング後の痛みもあまり無い。

脚を引き締めることで筋肉の余計なブレを軽減して痛みが減っているのだと思う。

気休め程度かと思っていたロングスパッツの機能だが、予想以上に効果的だった。

 

2010年12月28日 火曜日

年内の仕事納め。

当然仕事に身が入るでもなく、来年でイイな…と切り捨てる仕事多数。

定時でさっさと仕事を切り上げて、都合の付くメンバーと内輪納会。

「いやぁ今年の仕事終わったけど、1週間後にはまた普通に仕事なんだよな。」

…って萎えるからそういうこと言うんじゃないよ。

毎年恒例の内輪納会を済ませると2次会では最近恒例のモンハン飲み。

最終的にはいつものモンハン飲みで〆たのであまり納会っぽさは感じないまま仕事納め。

 

2010年12月25日 土曜日

世間はクリスマス。

そんな中、普通の休日を体現して夕方からジムへ。

年末年始はジムも休みになるので今のうちに通っておかねば。

ジムではランニングマシンで走りながら備え付けのTVで天皇杯サッカーを眺める。

後半終了の時間に合わせてランニングマシンのタイマーをセット。

ようやく終わりと思いきや、後半ロスタイムにまさかの同点ゴール。

サッカーが延長になると同時に、私のランニングも延長。

普段より30分も長く走ってしまった。

 

2010年12月24日 金曜日

世間はクリスマスイブ。

おまけにこの日を休みにすれば4連休になる。

そんな中、普通に出勤。

仕事後は職場のゲーム仲間と居酒屋でモンハン。

え?クリスマスの予定?

狩りだよ、狩り、サンタ狩り。

 

2010年12月19日 日曜日

職場のマラソン仲間と皇居を走った際に、ランニング用ロングスパッツの着用率が高かった。

テーピングをしているのと同じような効果で筋肉を引き締めたりしてくれるらしい。

着用してどんな感じか聞いてみると、ランニング中や翌日の脚の痛みは軽減されるという。

先日、皇居4周20kmを走ったときの脚の痛みや筋肉痛を思い出し、私も欲しくなった。

スポーツ用品店へ行くと数あるロングスパッツは値段もピンキリ。

色々と効能が書いてあるなかで、最も良さそうなのは最も高く定価16,800円。

値段に尻込みして買うまでには至らず。

ところが家に帰ってネットショップを眺めていたら同品がネット価格12,000円弱で売っている。

飲みながらネットしていたというのもあって思わず購入ボタンをクリック。

元々欲しいとは思っていたのが安かったので勢いで買ってしまった。

ネットでクリックするだけで買い物できてしまうのは凄い反面、安易に買えてしまって怖い。

カード破産はこういう延長線上にあるのかもしれない。

 

2010年12月18日 土曜日

いつものようにジムへ行って運動。

この季節は運動後にジムの大きな風呂にゆっくり浸かるのが魅力。

この日もそんな感じで風呂に入っていたが、誰かが倒れたらしく風呂内がチョットした騒ぎに。

その瞬間は見ていなかったが、中年のオジさんが倒れていて同じく中年のオジさんが集まって介抱している。

「スタッフの人呼んで」「横になっていた方が良い」「頭冷やして足上げろ」等々皆が皆好き勝手に喋っている。

どうやら普通にのぼせただけのようで事なきを得ていた。

大事には至らなかったからこそ思えたこと…

裸のオジサンが何人も集まってアレコレごちゃごちゃ言っている様は不謹慎ながら少々滑稽だった。

 

2010年12月15日 水曜日

職場の忘年会では毎年ビンゴ大会が開かれる。

一昨年は1等が当たり、景品の小型液晶TVは要らなかったので、PSP本体が当たった人と交換した。

昨年も何か当たったがそれほど魅力的なものでもなかったので、酔った勢いで同僚に進呈。

今年もとりあえず期待してビンゴに挑む。

序盤でリーチが来るこれまでに無い好展開も、トリプルリーチが来てもなお当たらない。

最後までビンゴしなかった人でも参加賞でスクラッチ宝くじが貰えるという。

ビンゴの景品もイマイチになってきたので、ビンゴが来ても申告せずにスクラッチで一発逆転を狙うことにする。

…なんて作戦を練っていたが結局本当に最後までビンゴが来なかった。

そしてスクラッチも案の定…今年はツキが無かったようだ。

 

2010年12月12日 日曜日

フルマラソン本番が近付いているため、ジムではなく外も走るように心がけている。

ところが12月ともなるとTシャツとハーフパンツでは寒くてまともに走れない。

走っても走っても身体が暖まる感じがせず、寒さを和らげるために体力を使ってしまっている感覚。

予定していたコースより短めで断念してしまった。

真冬のランニングは防寒も重要だ。

 

2010年12月8日 水曜日

職場の主要メンツがモンハン3を手に入れたので第1回の合同狩猟会。

まだ発売して1週間なので、皆の進捗もそれほどではなく低レベルの争い。

それでも飲みながら皆でワイワイとゲームが出来るのは楽しい。

モンハン2G、ドラクエ9、モンハン3と年々着々脈々と受け継がれているな。

 

2010年12月5日 日曜日

これまでで最長距離の約20kmを走った翌日は強烈な筋肉痛。

歳をとると筋肉痛は遅れてくるというが、今回の筋肉痛は前日に走っているときからの脚の痛み。

それをずーっと引きずったまま翌日の筋肉痛と同化した感覚。

当然ジムなどは行けるわけも無く、筋肉痛を言い訳にして前日買ったモンハンに費やす。

自分が走るより、ゲームのキャラクターを走らせるほうが遥かに楽だ。

 

2010年12月4日 土曜日

職場のマラソン仲間による第2回目の皇居合同練習。

1回目の2周10kmの倍、4周20kmが今回の目標。

午前中の10時30分頃から走り始めて3周目までは比較的スムーズに走れる。

しかし4周目に入り、15km超という未知の領域に入ってくると状況が変わる。

これまで感じなかった緩やかな上り坂が辛く感じる。

最後の1周は脚も痛く、腕も痛く、お腹も空いて散々だった。

2時間10分ほどで4周約20kmを走り終えたが脚はパンパン。

本番ではこれの倍以上の距離とか、やはりフルマラソンはただ事ではない。

最早メインイベントとも言えるラン後のランチは日比谷で見つけたランチタイム1時間1000円飲み放題の店。

皇居4周を走り終えた後のビールはまた格別。

帰り際に折角都心に来たし…ということでモンハン3を探しに有楽町のビックカメラに行ってみる。

すると「モンハン3、緊急入荷しました!」と店員が叫んでいる。

絶妙のタイミングで買うことが出来た。

20km走ったご褒美を貰った感じだ。

もっとも走った疲れと昼からのビールでゲームやる暇も無く帰ったら寝ていたが。

 

2010年12月2日 木曜日

前日がPSPのゲーム「モンスターハンターポータブル3rd」の発売日。

このゲームの前作では職場の仲間内で集まって居酒屋で飲みながら遊んだ。

今作でも当然のように皆でやる雰囲気になっている。

発売日当日は飲み会だったので買えず、翌日の仕事帰りにゲーム売り場に寄ってみたら完売とのこと。

予約しなくてもなんとかなるんじゃね?と思っていたが考えが甘かった。

伊達に前作300万本以上売れていたわけじゃないってか。

 

2010年12月1日 水曜日

1年に1回かもしれない、明確な「人のためになる良いこと」である献血を実施。

職場で献血キャンペーンがある時にしか献血しないのはご愛嬌。

何回やっても注射前の緊張感は変わらず。

献血中のじりじりするような痛みも変わらず。

昨年も言われた気がするが、どうやら私は腕の血管が細いらしく献血時の勢いが弱いとか。

先日の健康診断で血圧が高めだと言われたが、それとこれとは別問題か。

そんなこんなで3年連続3回目の献血終了。

夜は職場の飲み会だったが、昨年も献血後は飲み会だったな…

 

2010年11月28日 日曜日

親戚の結婚式が明治神宮であるというので北海道から上京している祖母を車で送って行った。

明治神宮境内も「結婚式なんで」と言えば駐車許可証をくれて通してくれる。

車で明治神宮境内を走ることができるなんて贅沢。

駐車場に車を止め、祖母と親戚を結婚式控え室の客殿まで送り届ける。

明治神宮に来たのは記憶にある限り初めてだったので折角なので少しブラブラしてみる。

するとちょうど別件の結婚式で新郎新婦が登場、というシーンにでくわした。

よく晴れた日曜日、観光客で沢山の明治神宮境内。

そんな中、神主さんを先頭に和装の新郎新婦と参列客が静々と境内の中心を歩いていく。

明らかに新郎新婦とは関係ない大勢の観光客がそれを眺め、容赦なく写真を撮っている。

言い方は悪いが完全に見世物になっているように思えた。

 

夜、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の最終回。

1年間1話も欠かさず見た大河ドラマは初めてだった。

序盤はイマイチだったが後半に行くにしたがって面白くなっていった。

龍馬とそれに絡む登場人物の熱さ、男臭さが目立った大河だったと思う。

序盤は龍馬と武市、後半は龍馬と後藤象二郎の絡みが良かった。

特に後藤象二郎は敵対しつつも次第に認め合っていく過程が熱かった。

終わって寂しくなると同時に、これで日曜夜に解放されると思うと少しホッとした面も。

何年か前の「新選組!」と今回の「龍馬伝」、次に見る大河もきっと幕末物なんだろうと思う。

 

2010年11月25日 木曜日

中国で開催されているアジア大会。

尖閣諸島問題でゴタゴタが続く中国での開催なので、サッカーの日本戦は予想通りのブーイング。

ロンドン五輪世代(U21)の控え選手中心のチームだったが、初戦でホームの中国に完勝すると波に乗った。

以後、ブーイングを浴びながらも決勝進出。

決勝戦も押されながらも1点を守りきってアジア大会としては初優勝。

どこの国と試合をしても完全アウェイになる中国でブーイングを浴び続けながらも全勝優勝。

2004年のアジアカップ優勝といい、中国のブーイングは日本の力になるようだ。

中国さん、毎試合ありがとうございました。

 

2010年11月23日 火曜日

ホームページ開設12年を突破。

干支も一回り、生まれた子供が小学校を卒業する歳だ。

20世紀の終わり、90年代に誕生したページがゼロ年代を越えて10年代に入った。

本質的には12年前と全く変わっていない気はするがどうだろうか。

節目にはいつも書いている気がする文言。

これからも続けよう。

 

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