ひとりごと
BACK NUMBER 17 

 

2009年11月22日 日曜日

前日に高校時代の友人と約1年ぶりくらいのメンツで飲み。

17時頃から飲み始めて3軒目行った辺りから記憶が曖昧に。

今日は22時半くらいで〆ような!なんて言って飲み始めたのはどこへやら。

電車で1時間以上かかる所で飲んでいたのに気が付けば無事に帰っていたらしい。

その反動でやってくる強烈な二日酔い。

楽しいひとときの数時間とセットでやってくる二日酔い。

酒量もある一定地点に達すると充分に楽しくなっている。

でもその一定地点を越えると歯止めが利かずに次々飲んでしまう。

いい加減にその境界値を覚えろよ、と思いつつ早10年以上。

 

2009年11月15日 日曜日

友人の誘いで天皇杯4回戦(横浜Fマリノス−川崎フロンターレ)を観に日産スタジアムへ。

ここ1ヶ月程の間に3回目のサッカー観戦。

先月行った日本代表戦、今月始めのナビスコカップ決勝。

いずれもほぼ満席で大観衆だった。

この日の天皇杯はJ1同士の対戦とはいえ、日本代表勢は海外遠征中なので主力がいない。

さらにJリーグの試合ではないので場内アナウンスもノリノリDJ風ではなく、淡々としたうぐいす嬢の声。

それでも1万人以上は観客が入っていたらしいが、6万人以上収容可能なスタジアムにかかると閑散。

今回は普段よくサッカーを観に行く友人ではなく、地元の飲み友達からの誘い。

案の定サッカーを観に行ったというよりも、サッカーを肴に飲みに行ったような印象。

天気が良い1日で、陽のあたる席は汗ばむくらい。

良く晴れた午後にサッカー観ながらビール、至福の一時。

結局自由席当日券(2,000円)の値段以上に酒ツマミ代金がかかった。

試合が終わって地元に帰って当然のように居酒屋へ。

昼過ぎから飲み続けた1日。

夜寝る前には早くも二日酔いっぽい頭痛が…

 

2009年11月10日 火曜日

TVでは指名手配されて2年以上逃亡を続けた死体遺棄容疑の男を逮捕、で持ち切り。

整形手術をした顔写真が公開されてそれほど日が経たないうちに逮捕。

最終的には顔写真を見て似てるなと思った人からの通報が決め手になったとか。

マスコミが大々的に報道したからという理由は大きいだろう。

しかし整形後の写真を入手するまで地道な捜査を続けていたのは当然警察だろう。

日本の警察の捜査能力はやはり大したものなんだと再認識した。

 

2009年11月7日 土曜日

日本シリーズで巨人が優勝。

原監督のインタビューを見ていて、そういえば今年はWBCから始まったなーということを思い出す。

そんなことを思うとWBCが見たくなり、ネットの動画サイトへ。

やはり決勝戦、イチローの神の一打が最高。

仕事中に会議室で音量絞ってコッソリ見ていて無言で最大限の喜びを同僚と分かち合った思い出が甦る。

アメリカではWBCのイチローに始まり、ワールドシリーズの松井MVPに終わる。

そして日本では原監督のための1年だった気がする。

来年はサッカーのワールドカップで楽しませて欲しいものだが。

 

2009年11月3日 火曜日

サッカーJリーグナビスコカップ決勝戦。

普段はあまり客が入らないのに、決勝戦だけは常に満員になる大会。

そのチケットを友人が入手したというので国立競技場へ行ってきた。

2,000円の自由席、試合開始の2時間以上前に会場入りしたが既に空席を探すのが難しいほどの混み様。

Jリーグの試合でこんな混雑は初めて。

根気良く探してそれなりに良席を確保。

FC東京vs川崎フロンターレの試合でチケットはFC東京側の自由席。

周りは赤青のFC東京カラーで溢れている。

下馬評では川崎フロンターレ有利だったので判官贔屓も手伝って何となくFC東京側に肩入れして観る。

周りに声を合わせて応援するようなことはなかったが、生の応援の迫力はやはり大したもの。

見易さでは断然TVだが、生観戦はそれを遥かに上回るものを身体全体で感じられる。

見事な秋晴れのもと、国立競技場から遠く富士山まで見渡せる。

試合も下馬評を覆してFC東京の2-0勝利。

周りが皆大喜びしているので、なんだかこちらまで嬉しくなってしまう。

14時過ぎに始まった試合だったので、帰路につく頃でも未だ明るい。

良い休日午後の一時を過ごしたなーというような1日だった。

 

2009年10月31日 土曜日

この日から始まった日本シリーズ(巨人vs日本ハム)を眺める。

巨人の攻撃中に客席から聞きなれた音楽が演奏されている。

え?コレってスパルタンXじゃないか。

何故巨人戦で三沢のテーマ曲のスパルタンXが?

原監督はプロレスファンで三沢とも親交があったからその縁か?

すぐにネット検索をすると巨人のチャンス時に演奏する北海道限定の応援歌だとか。

巨人に少し親しみを持ったが、あまり「巨人の応援歌」として定着して欲しくない気も。

スパルタンXにはやはり三沢コール。

 

2009年10月24日 土曜日

前夜に職場での飲み会があり、この日は朝から歯医者で定期健診と清掃日。

飲み会翌日の歯医者は酒臭そうで申し訳ない。

歯磨き時に痛みがあったところを申告すると、虫歯ではないが歯茎が落ちてきて神経が出てきて沁みるんだとか。

神経が出てきてとか…なにそれこわい。

 

2009年10月19日 月曜日

職場で前の席に座っているオジさんが息子を経由して新型インフルエンザ発症。

私の職場での第一号と思ったら目の前の席って…

これで私も濃厚接触者、大手を振って休めれば良いのだが"マスクをして仕事しろ"との指示。

職場によっては強制休暇取らされる所もあるらしい。

有休余ってるしそれでも全然良かったのだが。

 

2009年10月13日 火曜日

ダメ元で応募していた東京マラソンの抽選結果がメールで来た。

幾分ドキドキしながらメール開封。

予想通り落選、まぁ過去最高の倍率(8倍以上)だったらしいから仕方ない。

職場で同じように申し込んだメンツもいずれも外れていた。

いつかは走ってみたい…かな。

 

2009年10月10日 土曜日

友人に誘われてサッカーの日本代表戦を観に行くことに。

これまでJリーグは何度も観に行ったが代表戦は初めて。

横浜の日産スタジアムでのスコットランド戦。

待ち合わせの新横浜駅に行くと人の数が尋常でない。

やっぱ代表戦は違うなーなんて感心していたら横浜アリーナで某ジャニーズのコンサートがあるためらしい。

それでも日産スタジアムへ向かう道はスコットランドの民族衣装を着た集団や民族音楽演奏している集団など。

なんだか国際親善試合っぽい雰囲気を醸し出していて楽しい。

単なる親善試合でこれなのだから、2002年のワールドカップの時などはさぞかし凄かったのだろう。

会場ではこれまでTVでしか聞いたことの無かった代表の応援を生で聴く。

試合前の君が代も観客が一緒になって歌うのを聴くとそれだけで身震いする。

それにしても何で君が代をわざわざ歌手に独唱させるのか。

歌手によって変な間を作ったりして周りがスムーズに歌えていない局面が多数。

普通に録音しておいたものを流すだけで充分どころか、コストもそっちの方がよほど良い気がするのだが。

試合自体は森本の代表デビュー(実際1番歓声が大きかった)以外は大した見所の無い試合。

そんな何でもない親善試合でかなり熱くなって応援しているゴール裏のサポーター。

単なる親善試合でこれなのだから、ワールドカップ予選なんかはさぞかし凄かったのだろう。

TVで見たらなんてことはない試合だろうが生で観ていると一挙手一投足に歓声が挙がるため面白く感じる。

2-0で勝ったし、ゴールは座っていた側で決まったし、私の代表観戦デビューにしては合格点か。

 

2009年10月8日 木曜日

台風接近で予め休みにしたが、平日の朝なのでいつもの携帯電話アラームで一旦起床。

TVをつけると台風情報のニュースで電車も遅れや運休など。

しかし外の風雨は思ったほど酷くはない。

これは少し頑張れば出勤できたなと思いつつも、もう休みは確定なので2度寝。

昼過ぎになると風こそ強いものの晴れ間も出てきた。

こうなると外出しないのが勿体無い気がして街へ。

平日の台風一過の午後は閑散としていていつもと違う雰囲気。

観測史上最強が予想されていた台風の割には大したことがなかったような気がしていた。

でも街を見るとゴミが散乱していたり壊れた傘の残骸が所々に。

やはりそれなりの台風だったのだということを実感。

夕方からはジムへ行き、終わってみれば普通の休日の1日だった。

 

2009年10月7日 水曜日

台風が接近中で朝から雨の中を職場へ。

夕方になり、翌日にも台風が関東に最接近という情報。

職場では対策として翌日の出勤は状況を見て自己判断で…という話になった。

翌朝の天気を気にしつつ出勤するかどうか決めるのは面倒。

それならば最初から「自己判断」で翌日を休んでしまうことにした。

有休も余っているし、最初から休みにしておけば余計な気を遣わずに堂々と休める。

突発的に翌日が休みになると何だか凄く得した気持ち。

どうせ休みだしドーンと台風来てくれてもイイな。

 

2009年9月27日 日曜日

三沢の追悼興行を観に日本武道館へ。

調べたら9年以上ぶりの日本武道館でのプロレス観戦。

九段下の駅も9年ぶりのはずだが、駅周辺も含めてそれほど変化が見られない。

武道館でプロレス観るときにいつも行っていたコンビニも健在。

プロレス観戦全盛期には買わなかった缶ビールを買って武道館を眺めながら1杯。

強い思い入れを持ってプロレスを観るのはこれが最後かもしれないと思うと寂しさも。

追悼興行のラストは三沢のテーマ曲のスパルタンXで締め。

残念だったのはスパルタンXのアレンジが全盛期時代のものとは違っていたこと。

ややコールのタイミングに戸惑ってしまった。

何でも全盛期時代のアレンジは版権の関係で今は使えないという噂をネット上で見た。

こんな時くらいは融通利かせてくれても良かろうに。

 

2009年9月23日 水曜日

誰が名付けたかシルバーウィーク。

友人と飲みには行ったが、地元を出ることなく5連休が過ぎた。

シルバーウィークの成果はネパール記と富士登山記の完成。

ドラクエをやりつつも地道に書き進めていった。

2009年の夏は世界一高いエベレストをニアミスし、日本一高い富士山に登った。

山に縁があった夏だった。

 

2009年9月23日 水曜日

誰が名付けたかシルバーウィーク。

友人と飲みには行ったが、地元を出ることなく5連休が過ぎた。

シルバーウィークの成果はネパール記と富士登山記の完成。

ドラクエをやりつつも地道に書き進めていった。

2009年の夏は世界一高いエベレストをニアミスし、日本一高い富士山に登った。

山に縁があった夏だった。

 

2009年9月18日 金曜日

3週連続でドラクエ大会。

前々から予定していたわけではなく、帰り際に何ならやってきますか?と気楽に始まった。

3人だけで始めたが、誰々も呼んでみますか?と連絡したらあれよあれよと増えていった。

最終的に当初の人数の3倍くらいまで膨れ上がる。

マドハンドは仲間を呼んだ!状態。

いつまでブームが続くやら。

 

2009年9月11日 金曜日

先週の大人数ドラクエ大会から1週間、早くも第2回の開催。

前回はドラクエだけでなく、PSPのモンハンもやったので今回もPSP持参。

さらに念のために充電用コードも持っていくか、と仕事とは思えない持物で家を出る。

忘れ物無いよな、と思ったらゴミを出していくことを忘れていた。

何やってんだか…

 

2009年9月6日 日曜日

先日の大会でだいぶレベルが上がったのでドラクエ9をクリア。

とはいえ今回のドラクエはクリアが目的ではない。

むしろクリア後の方が楽しめる要素が強い。

強い武器を手に入れたり歴代のボス達と戦ったり。

さらにネット経由で毎週配信される新たなクエストも。

以前はクリア後の要素はほんの少しだったと思うのに、つくづく異色のドラクエだと思う。

いずれにせよクリア後も暫くは楽しめそうだ。

 

2009年9月3日 木曜日

職場のドラクエ9熱がピークに達しつつある。

そんな中、居酒屋の個室で大ドラクエ9大会。

総勢10人ほどが集まり、3パーティー組んでドラクエ祭り。

レベル上げに勤しむパーティー、レア武器集めに勤しむパーティー。

死んだー、逃げたー、会心の一撃!等々嬌声が響く個室内。

傍から見たらかなり異様な光景、個室で良かった。

2次会にまで発展し、ほぼ5時間ぶっ続けでドラクエ。

終わる頃にはニンテンドウDSの充電が切れかかっていた。

皆でやるドラクエがこんなに面白いものだとは思わなかった。

 

2009年8月31日 月曜日

富士山に登ったメンバーから「東京マラソンの申し込みはしましたか?」と聞かれた。

雑談の中で東京マラソンにチャレンジしてみませんか?という話になっていた。

フルマラソンなんか無理…と思いつつも1年のジム通いの成果としてコレ以上の舞台は無い気もした。

倍率高いだろうからダメ元で応募しても良いかもと思った。

その締め切りがこの日の17時までということで仕事中ではあったが慌ててネットで応募。

フルマラソン、どう考えても富士登山以上にキツイだろうし、全く未知の世界。

もし当たるようなことがあったら富士山ばりにノープランというわけにはいかないだろうな。

 

2009年8月30日 日曜日

前夜に富士登山から生還し、実に10時間くらい眠っていた。

そういえば富士登山中にドラクエ9をすれちがい通信モードにして登ってみた。

まさかとは思ったが1人だけ釣れた。

富士山登りながらドラクエ9とか何やってんだか…お互い。

予想された筋肉痛は記憶の中の11年前の筋肉痛より緩い気がした。

近頃のジム通い効果ではないかと思える。

しかし他の筋肉痛よりも酷かったのが階段を下りる時の足に響く筋肉痛。

恐らく階段を下りる時の筋肉というのはジムの筋トレでもあまり鍛えられない部分なのだろう。

あまり使わない筋肉というのがよく分かる筋肉痛だった。

そんな中、総選挙の投票に。

そして選挙結果は大方の予想通りに民主党の圧勝。

自民党からしてみれば完全に前回の郵政選挙のリバウンドか。

衆院だけ見れば2大政党制とは言い切れないほどの差が付いた気がする。

早くも次の総選挙では今回のリバウンドが来ると予想してみる。

 

2009年8月22日 土曜日

ドラクエばかりやって帰国後の旅行記が全然進んでいなかった。

子供の頃はゲームは1時間まで!とか親に決められていたが、今となっては無制限。

自分を戒めるためにも、ゲームやる時は必ず旅行記も書くようにと誓いを立てる。

そこは自分で締めないと旅行記が全然進まないような気がした。

翌週にはいつかの飲み屋での戯言だった富士登山が決行されることになった。

ということは富士登山記も発生するということ。

こりゃますますゲームばかりやっているわけにはいかない。

 

2009年8月19日 水曜日

すれちがいばかりやっていたドラクエ9で初のパーティープレイに挑戦。

複数人で集まって同じフィールドで遊べる。

既にクリアしている経験者の世界に旅立たせてもらい、未知のダンジョンへ行く。

そこは大量の経験値を持つメタルキングの巣。

2時間ほどのプレイ時間でありえないくらいレベルが上がる。

歴代ドラクエシリーズの醍醐味の一端は修行のようなレベル上げだったとも思える。

それが今回は熟練者とパーティープレイを行えばアッという間にレベルアップが出来る。

これまでのドラクエの概念やゲームのパワーバランスを崩しかねないシステムな気がした。

それでもいつも1人でやっていることを皆でやるだけで何故か妙に面白い。

中学生くらいの時に誰々君の家で皆でファミコンやスーファミやっていた感覚か。

 

2009年8月17日 月曜日

ドラクエ9をすれちがい通信モードに職場へ。

朝の駅で既に3人すれちがいに成功。

ニンテンドウDSの蓋を開いて誰かすれちがっているかなーと見るのは投網で釣果を確認する作業のようだ。

ちなみに網にかかる人数は3人が限度で、3人釣れると一旦リリースしないと次を釣ることはできない。

そのすれちがい通信が面白く、帰り道も敢えて人が多い通りを行くようになってしまった。

人込みを歩けばほぼ確実に3人が釣れる。

300万本突破とは聞いていたが本当に流行っているんだというのを実感。

 

2009年8月16日 日曜日

前日に買ったドラクエ9で話題のすれちがい通信が出来るところまでストーリーを進めた。

早速ドラクエ9をすれちがい通信モードにして地元の街を歩いてみる。

少し歩いてそーっとニンテンドウDSを開けてみると早速3人とすれちがえている。

私と同じようにすれちがい通信モードにして歩いていた3人がすぐ近くにいたということだ。

へぇー、本当にいるものなんだなーと感心。

それから更に街を歩くといるわいるわ、アッという間にすれちがい人数が増えていく。

飯を食べに入った定食屋の中でもすれちがえる。

こんなにも世の中というか私の地元だけでドラクエ9をやっている人がいるとは。

ドラクエなのか、そのシステムなのか、よく分からないがとにかく諸々凄いわ。

 

2009年8月15日 土曜日

先月発売されたドラクエ9が職場で流行中。

これまで正規のドラクエ(モンスターズ等の亜種は除く)は全シリーズやってきていた。

今回もやりたかったが、今回のドラクエはニンテンドウDSでの発売。

DSを持っていない私としてはいまいち踏ん切りがつかずにいた。

職場でやっている人の話を聞くと、ドラクエ9を持っている人同士で通信して楽しめるという。

しかも見ず知らずの人とすれちがうことによってお互いのプロフィール交換や宝の地図を貰えるとか。

さらにそのすれちがいは流行している今が1番熱いとのこと。

その言葉をキッカケにニンテンドウDSとドラクエ9を同時購入。

昨年の忘年会で貰ったPSP以来の新しいゲーム機。

カメラが付いて、音楽聞けて、ネット繋げて、もはやオモチャやゲームの枠組みを越えているような。

 

2009年8月11日 火曜日

早朝に地震があり(静岡で震度6弱)、東京でも震度3〜4だったとか。

朝5時過ぎだったが結構な揺れで、台所でガッシャーンと何かが落ちた物音。

見に行くと冷蔵庫の上に置いてある電子レンジの上に置いてあるオーブントースターが落下していた。

フローリングは傷つき、パン屑は散らばり、トレイはひん曲がり、熱を発する熱線は剥き出しに。

惨憺たる状況だったが、そんな状況でもパンは焼けた。

耐震滑り止めシートみたいなのを買った方が良さそうだ。

 

2009年8月9日 日曜日

前日に2週間ぶりくらいにジムで筋トレをしたら案の定筋肉痛になった。

ネパールでの日焼け痕の皮が剥け始めて痒い。

未だにシャワーはぬるま湯でないと浴びられない。

身体中に旅の副作用が起きているが、昨年みたいに体調不良になっていないのは幸い。

 

2009年8月6日 木曜日

帰国翌日に仕事というのはキツイが、休みの限界まで旅をしたいと考えると仕方ないか。

休み明け早々に職場のメンツと焼肉を食べに行く。

そういえば牛肉の食べられない国に行っていたんだっけ。

牛はヒンドゥー教の神様だからネパールでは牛を食べない。

それなのにbufという水牛の肉は実に沢山あった。

牛と水牛は違うということで良いのだろうか。

 

2009年8月5日 水曜日

早朝に日本帰国で9時30分には帰宅。

すぐにでもベッドで眠りたいところだが、翌日から仕事。

このまま寝てしまったら夜に眠れなくなるような気がした。

敢えて起きていることにし、シャワーを浴びたり旅装の洗濯をしたり。

海外から帰国して何よりも食べたくなるのはラーメン。

休日だと混雑するそこそこの人気店へ行き、奮発して1,000円を越えるトッピング全部載せを食す。

ネパールのラーメン風料理のトゥクパも悪くないが、やはり日本のラーメンが1番。

旅後の整理が一段落して久々にネットを眺めると押尾学の逮捕と酒井法子の失踪で大賑わい。

私が日本にいない間に何が?

 

2009年7月26日 日曜日

旅の準備を旅前最後の週末でほぼ済ませる。

何度やってもいつも何か忘れている気がしてしまう。

そして何を忘れているか気が付かないまま旅に出て、何を忘れているか気が付かないまま旅が終わる。

結局何も忘れていなかったんだ、ということを次の旅前では忘れていてまた何かを忘れた気が…

こんな馬鹿々々しい永久ループも旅の醍醐味?

 

2009年7月20日 月曜日

約4ヶ月も更新が止まっていた。

繁忙度合いが尋常じゃなかった仙台時代以来異例のこととも思える。

次の旅先のネタもあったし先月くらいには更新しようと思っていたが、衝撃のニュースでタイミングを逸した。

三沢光晴・急逝。

私にとってここまでの大事件をスルーするわけにはいかない。

かといって死後すぐに文章に出来るほど心の整理がついていなかった。

三沢への追悼文(と呼べるのかも分からないが)を書く中でココに掲載してある過去のプロレス文を振り返ってみた。

若かったなと苦笑しつつも、自分の中では三沢が絶対的なスターだったんだなと改めて思い知った。

 

月並みな言葉だとは思うが書かずにはいられない…

プロレスからは殆ど離れてしまった今だが、あの頃の三沢のプロレスは永遠に私の中で生き続ける。

某巨大掲示板で頻発されている顔文字をココで使うのは初めてだし、抵抗はある。

だけど今回だけは特別すぎる。

日本武道館で幾度と無く送った三沢コール。

それをネット上で一行で表現する方法。

( ;ω;)o彡°みっさっわ!みっさっわ!

 

2009年7月14日 火曜日

久しぶりに21時過ぎまで残業した帰路。

晩飯に何食おうかと歩いていると数日前にオープンしたばかりの吉野家。

キャンペーンでクーポン配布中というので入ってみた。

オープンしたばかりで綺麗な店内。

店員も新人ばかりなのだろう、明らかに手際が悪い。

私が席についても水すら持ってこない。

いつものように牛丼並と卵を注文しても水が無いことに気付かない。

ようやく注文が来て水を催促して初めて持ってくる(お詫びの言葉無し)。

私が食べ始めても隣の席の注文を間違えたりと実にバタバタ。

傍から見ていても注文が来る時間も遅く、そのうち客が怒り出すんじゃないかとこっちもヒヤヒヤ。

厨房からは「順番にお作りしておりますので少々お待ちください」なんて声が聞こえる。

よもやそんな言葉が吉野家店員の口から出るとは思わなかった。

なかなか減らない牛丼を食べていて気が付いた、量多くね?

見ると隣の客より丼が大きく、明らかに並盛りでは無い牛丼が来ている。

注文間違えやがったな…と思うも伝票には並と卵で430円となっている。

大盛り頼んで並が来たならともかく、逆だったら文句言うのも筋違い(おまけにもう喰ってるし)。

別に多く来た分にはイイけど正直22時過ぎに牛丼大盛りはキツイ。

それでも完食し430円払って店を出る。

手際の悪い吉野家、ある意味貴重かも。

 

2009年7月9日 木曜日

年に1度の健康診断。

今年から受診医院が変わったので検査項目も変わるのかと少しの期待と不安。

しかし結局昨年までと同様の検査に終わった。

ウチの会社は法律で?義務付けられている最低限レベルの検査しか行わない。

身長・体重・視力・血圧・尿検・聴診・問診・レントゲンのみ。

職場の先輩は「血液検査やってくれないから献血結果を注視している」と言っていた。

注射嫌いだから血液検査は無くても良いのだが、年齢的にそろそろ意識しないとまずいかな。

 

2009年7月5日 日曜日

前日は三沢の献花式に始まり、同窓会飲みから朝の5時までカラオケでオール。

眠気なのか二日酔いなのか両方だろうがとにかく夕方頃までひたすら睡眠。

実質2日分以上の活動を1日でしたわけだから、たまにはこんな休日があっても良いか。

 

2009年7月4日 土曜日

休日ながら実に忙しい1日。

有明で行われた三沢光晴のお別れ会・献花式。

最寄駅近くで献花用の花を買うのに40分並ぶ。

ゆりかもめに乗って会場であるディファ有明の最寄駅を目指すも、2つ手前の駅から既に見えてくる大行列。

結局会場に到達するまで2時間以上並んだ。

幸い曇り空だったから良かったものの、それでも7月の空は暑い。

もしも快晴だったら何人かは倒れていたんじゃないかと思わせる。

三沢のお別れ会であまり言いたくないが、1つ苦言を。

会場のディファ有明は入場制限をかけたらしく、2時間以上並んでようやく会場に入れた。

入口には三沢のこれまでの戦跡と栄光を紹介する数多くの写真パネル。

それがあるのでファンはゆっくり眺めてしまい列が殆ど動かず、会場入りしてもなかなか前へ進めない。

聞けば最終的には2万人以上が集まったらしい。

それだけの人数が来ているのだからスムーズに献花させるためにも、リングと献花台だけで良かった気がする。

写真は追悼雑誌などでいくらでも見られるのだから。

終わってみれば結果的に行って良かったとは思うが。

ディファ有明から帰ってきてその足で向かうは中学時代の同窓会。

遅れて会場入りしたが参加者の顔を見ただけですぐに分かった。

当時の担任も来ていて和気藹々。

プロレス友達だったヤツとひとしきり三沢追悼。

案の定2次会へ流れて日付変わって3次会カラオケ、〆た頃にはAM5時。

何年ぶりだ!?ってくらいのオール。

三沢の献花式でプロレスに熱かった頃を思い出し、返す刀で同窓会。

ノスタルジー溢れまくりの1日だった。

 

2009年7月3日 金曜日

ビール飲みつつだらだらとネットを巡回。

ささやかながら至福の金曜夜のひと時。

それを脅かす黒い影が足元に。

1人暮らしを始めて1年強、遂に出やがった。

文字にするのもおぞましい、G級の黒いヤツ。

慌てて緊急回避して殺虫剤を構えて一斉噴射。

噴霧剤にまみれて棚の下に逃げていったが、毒の蓄積により時間の問題だろう。

とりあえず一難は去ったが1匹出たら10匹はいると思えという言葉もあるし…

これだから夏は嫌いだ。

 

2009年6月30日 火曜日

やはり世界的スーパースターだったマイケル・ジャクソン。

連日TVでは在りし日の映像を流している。

死ぬと美化されるのは日本も世界も変わらないらしい。

そんな中、全盛時のマイケル・ジャクソンのライブ映像を見た若い女子アナのコメント。

「スキャンダラスな話題だけでなく、こうした映像を存命時にもっと見たかったです」

ってオマエらTVがスキャンダラスな話題しか放送しなかったんじゃねーのかよ、と。

 

2009年6月26日 金曜日

何やら訃報が続くのか、マイケル・ジャクソンが死去。

全盛期のマイケル・ジャクソンは知らないが、世界的なスーパースターだったことは知っている。

最近は奇行やスキャンダラスな話題ばかり取り沙汰されていたことも含めて世界的な有名人だろう。

世界レベルでこの人の死に匹敵するのはポール・マッカートニーくらいかななんて不謹慎なことを思った。

それでも私にとっては先日の三沢の死の方が何倍も重いが。

 

2009年6月14日 日曜日

いてもたってもいられず朝からワイドショー的ニュース番組を見る。

予想通りプロレスを、三沢の試合を数多く放送していた日本テレビの番組のトップで放送。

事故直後のリング上の映像が流れる。

TV画面からも伝わるただならぬ空気がコトの深刻さを物語る。

見なければ良かったと思いつつも目を逸らしたらダメだとの思いも。

夜になって地元のプロレス好きだった友人から電話があり急遽追悼飲み。

悲しみを分かち合える友人がいるというのは不幸中の幸い。

 

2009年6月13日 土曜日

何事も無く終わるはずの土曜日の最後に衝撃のニュース。

三沢光晴急逝。

ネットのニュースが「試合中に意識不明」から「死亡」に変わるまでずーっと更新して確認し続けた。

これまでで最も更新ボタンを押した1日だっただろう。

最近はプロレスから離れていた。

しかし私がプロレスに最も熱中していた時代の2大スターは全日の三沢、新日の武藤だった。

そんな中でも全日派だった私にとって三沢は特別だった。

その三沢が、受身の天才とまで言われた三沢が、リング上で技を受けて…

全ての状況が信じられなかった。

当時のプロレス仲間に連絡を…と思っても認めるのが恐くてメールを打つことが出来なかった。

信じられない、実感が湧かないというのはこういうことなのかと実感した。

 

2009年6月10日 水曜日

ワールドカップ出場を決めたので消化試合になったホーム最終戦。

カタール相手にオウンゴールの1得点とPKによる1失点で1-1ドロー。

先のウズベク戦ではW杯出場をかけた一戦だっただけにハラハラしたが今回はイライラのみ。

ジーコ時代に感じたのによく似たイライラ。

いくら連戦の疲れとはいえ、フィールドプレイヤー半分変えて…

いくら出場決まったとはいえ、ホーム最終戦で…

最終的にホームで1勝3分って何やってんだよ。

会場のサポーターもブーイングくらいしろよと思えてしまうほどの内容。

まぁこんな当たり外れも含めてサッカー。

 

2009年6月6日 土曜日

サッカーのワールドカップ出場をかけた一戦はAWAYのウズベキスタン戦。

前半序盤の1点を守りきって辛勝。

前半中盤から攻められっ放し、不可解な審判の判定も加わってハラハライライラ。

相手のウズベクも相当攻めているのに点が入らないからお互い見ていてイライラだっただろう。

それでもこれが最終予選の醍醐味でもある。

守り切って勝ったこと位しか収穫は無いが、何よりも勝つことが第一の試合。

これであと1年は楽しめるということで良しとしよう。

 

2009年6月1日 月曜日

結局1週間経っても体調不良は治らず。

喉がイガイガ、痰がゲホゲホ。

自分の身体ながらイライラして仕方ない。

喉中の痰を全部吸引してやりたくなる。

前回のインド帰りの体調不良といい、長く引きずることが多い気がする。

年齢の問題か、1人暮らしの問題か。

 

2009年5月26日 火曜日

体調悪いながらも本社へ行かなければならない予定が入っていたので無理して出勤。

定時後に本社へ行って、お偉いさんと諸々の話。

終わってようやく帰れるかと思いきや「飲みに行くぞ」と。

形だけでも付き合ったがビール1杯のみ。

薬も切れてきたのかどんどん体調が悪くなる。

そんななかお偉いさんは延々と独演会。

なんか前職を思い出してしまった。

 

2009年5月25日 月曜日

新型インフルの影響で38℃以上熱が出たら職場に来るなとのお達しが出ていた。

それがなくとも前日の38℃越えの時点でこの日仕事へ行くのは諦めていた。

昨年夏のインドから帰国後以来の体調不良休暇。

薬が効いているのかそれほど熱っぽくは無かった。

寝すぎて眠れなくなったのでいつかHDに録画した映画「ダヴィンチ・コード」を眺める。

体調不良でボーっとしている時に見る映画じゃないと実感。

キリスト教の知識が無いとよく分からない。

日本でもヒットしたらしいが本当に皆分かってたのかと疑いたくなる。

 

2009年5月24日 日曜日

朝起きると喉が痛く、身体の節々も痛い。

前日にジム行ったことによる筋肉痛かと思ったが、最近はジム行っても筋肉痛にはならない。

もしや風邪かと思って熱を測ってみたが平熱だった。

昼飯食ったり図書館行ったり街をウロウロして帰宅するもどうも本調子でない。

昼寝をして夕方に起きると状況が一変。

身体中が重く、頭痛と喉痛と節々の痛み。

熱を測ってみると38.6℃。

必然的に思い浮かべるのは新型インフルエンザ。

そういえば東京でも初の感染が確認されたばかり。

さらに金曜日にはその感染者が利用した駅で職場の人間と飲んでいた。

熱で弱っていることもあり、コレは完全にキタんじゃないかと被害妄想。

とりあえず対処をしなければと、ネットで地元の市のホームページへ。

新型インフル対策について、ということで日曜日でも受け付けている保健所の電話番号があった。

そこへ電話して症状を説明。

最近海外へ行ったか、関西へ行ったか、熱と症状を聞かれる。

多分新型インフルでは無いだろうという診断。

それでも日曜診療をしている救急病院を教えてもらう。

偶然にもウチから近く、お盆の時期に体調崩してお世話になった病院と同じ所だった。

フラフラしつつも病院へ、日曜日の緊急診療だが数人待ち。

鼻の奥に棒を突っ込まれて粘液採取で簡易インフルエンザの検査。

幸い結果は陰性で、普通の風邪だろうとのこと。

一時は新型インフルの新たな感染例報告!というニュースが脳裏を駆け巡った。

どうやら取り越し苦労だったようだ。

私と同じように緊急診療を受けていた人の殆どが鼻に棒を突っ込まれて粘膜採取させられていた。

これだけ世間が騒いでいれば仕方ないか。

 

2009年5月23日 土曜日

夏の旅行をネパールに決めて早速チケット探し。

色々あった中でタイのバンコク経由にした。

同じチケットでも総額で1番安かった代理店にお願いすることにした。

予約確認書と請求書のメールが来て内容を見ると、依頼した飛行機と違う時間で予約されていた。

さらに金額も見積もりで提示された金額よりも高くなっていた。

間違っている旨を指摘してメールを送り返した。

再度届いた予約確認書と請求書のメール。

定型文の予約確認書と請求書のメールだけで、間違えていたことに対するお詫びが一切無い。

それだけならギリギリ許せたが、金額は間違えたままだった。

ここで堪忍袋の緒が切れかけたが、最後のチャンスを与えることにした。

金額が間違っている旨と、間違っていたのにお詫びの文言が一切無いのは如何なものかとメールを送った。

再々度届いた予約確認書と請求書のメール。

今度はメールの冒頭にお詫びの文章が載っていた。

この度は〜云々みたいな内容。

そのお詫び文章の中で再度試算した金額は○●円です、という記載があった。

しかしお詫び文章の下に添付された定型文の請求書の金額とは違っていた。

呆れて言葉も出なかった。

オマエ何回間違えてんだと。

いくら安くてもこんないい加減な対応の代理店で買う気にはならない。

再度間違いを指摘してお断り申し上げた。

 

2009年5月16日 土曜日

ゴールデンウィーク後は時期的に夏の予定を立てる頃。

いつものように7月末から1週間ほどを予定。

昨夏にインドへ行ったことでアジアで行きたかった国へは一通り行ったことになる。

エジプトなど他に行きたい所もあったが今回は敢えてネパールを選択。

前回のインドは20代の旅の集大成みたいな内容だった。

事前予約は航空券のみ、飛び込みで宿泊、夜行列車2泊、全力で騙しにかかる(?)インド人等々…。

今回は少しマイナーなアジアへ行くことによってゆっくり旅が出来ればと思う。

ちゃんとホテルも予約してそこを拠点に街中を散策する。

30代になって初めての旅なので少しやり方を変えてみることにした。

ヒンドゥー国家という点ではインドとも接点があるし、何故か私はインドでネパール人に何度か間違えられた縁もある(?)

唯一の懸念点は新型インフルエンザの流行。

航空券買ったけど行けなかったなんてのは避けたい。

 

2009年5月4日 月曜日

ゴールデンウィークの数少ない予定の1つの高校友人と飲み。

前日の地元友人との飲みと合わせて2連続、しかもどちらも飲む量多し。

会場はお互いの居住地の間を取って表参道に。

折角なので表参道ヒルズで待ち合わせよう、ということに。

ゴールデンウィークの表参道、人人人。

豚インフル騒動で人が少ないかななんて思ったが全然そんなことは無く。

表参道に集合してとりあえず腹を埋めるか?ということで回転寿司へ。

そういえば学生時代は飲みに行く前に飯を食い、居酒屋での注文を減らす戦術?を取っていた。

回転する寿司には目もくれずテーブルの注文書に記載して片っ端から注文。

オイ、この金色の皿はなんだよ、360円のフォアグラ?!

一瞬引いたが冷静に考えてみる。

居酒屋へ行けば一握りの枝豆でそのくらいの値段だったりする。

そう考えるとかなり良心的な値段、脂が乗って美味かった。

腹も膨れたところで回転寿司を出て居酒屋を探す。

しかしココは表参道、オシャレなカフェ(苦笑)ばかりで居酒屋が見当たらない。

とりあえず原宿方面へ向かって歩いてみる。

と、ある建物の前で長蛇の列。

最近開店したフォーエバー21なる衣料品店らしく、整理券を配って入場制限をしている。

隣にあるH&Mとかいう店も整理券こそ無かったが店内はかなりの賑わい。

斜向かいのGAPですら大混雑。

流行のファッションやらには殆ど興味が無い私にとっては異次元。

大行列をなしてまで服買いたいのか?

皆ユニクロでイイじゃねぇかと。

その辺りまで行くと居酒屋っぽい店もあったのでようやく落ち着く。

ひとしきり他愛も無い会話を済ませて最後はラーメンで〆。

最初の寿司から数えて5,6時間飲み続け、楽しかった。

 

2009年5月3日 日曜日

ゴールデンウィークの数少ない予定の1つの地元友人と飲み。

焼酎好きな友人なので焼酎が多い店へ。

基本的に飲み屋ではビールばかりの私だが、このときばかりは焼酎も飲む。

選ぶのが面倒なので友人が頼むのに便乗して同じものをもう1品。

飲めば美味いのだが、ビールと同じ調子で飲んでしまうので杯が進む進む。

アルコール度数はビールの比じゃないので必然的に酔いも回る回る。

もう少し飲み方を考えたほうが良いな。

 

2009年4月30日 木曜日

何やら騒々しくなってきた豚インフルエンザ。

会社からわざわざ緊急連絡メールが回ってきて海外出張や旅行は自粛せよとのこと。

海外旅行はともかく、ウチの会社で海外出張なんか無いだろうに何を見得張ってんだか。

でも海外旅行自粛はチト困る。

ゴールデンウィークは予定が無かったので時期をずらして近場のアジアでも行こうかと思っていたのに。

この大型連休で日本中の人々がアチコチに行くことになるだろう。

言ってみれば日本中がかき混ざるわけで、ウィルスも相当拡散するような気がする。

何か起こるならゴールデンウィーク明けと予想。

 

2009年4月29日 水曜日

カレンダー通り、予定無しのゴールデンウィークに突入。

天気が良かったので冬物の布団やらを干して片っ端から圧縮袋へ。

しかしこの圧縮袋ってのを発明した人も大したものだ。

布団は勿論のこと衣類も圧縮したらだいぶスッキリするし、今では旅をする際の必需品でもある。

このゴールデンウィークで完全に冬物をしまって夏モードへ。

とかやってると梅雨寒とかいうのに見舞われたりとか。

 

2009年4月19日 日曜日

4月に入ってからジムに明らかに新顔が増えて混んできた。

いつものペースで筋トレマシンを回ってるのに埋まってて使えなかったり。

新顔が多いのは良いのだが厄介なのが2,3人1組みたいなグループの新顔が多いこと。

一緒になって行動しやがるから必然的にマシンが埋まる。

というかジムでのトレーニングくらい1人でやれよ、と。

一緒にやろーね、みたいな軽いノリが気に入らん。

ま、自分は一緒にやる人なんかいないんですが。

 

2009年4月8日 水曜日

自炊と呼べる代物ではないだろうが、インスタントラーメンレベルなら作る。

半熟ゆで卵の作り方はほぼマスター。

そして最近はインスタントラーメンにとろけるスライスチーズを乗せている。

どこぞのラーメン屋でトッピングにスライスチーズというのがあった。

友人がそれが美味くてオススメ!というので食べてみた。

ラーメンにチーズって…と思ったが意外に合って確かに美味い。

これなら家でも簡単に出来る、ということで家のインスタントラーメンにも入れてみた。

全く違和感無く美味い、こうした小さな発見がイイ。

 

2009年4月1日 水曜日

新年度ということで前日で職場を去った方々が沢山いて寂しくなった職場。

出勤するとパソコンに貼紙がしてある。

ネットワークがウィルス感染したのでパソコンを起動するなと。

ネットワークに接続出来ないだけでなく、パソコンの起動すらダメだという。

エイプリルフールの冗談かと思いきや事態は深刻らしく夕方になっても復旧しない。

結局当日中には復旧せず、普段より早く帰宅を許された。

パソコンが使えないと何も出来ない仕事。

先日の携帯電池切れ騒動といい、電子機器に依存した生活をしていることが浮き彫りに。

 

2009年3月30日 月曜日

携帯電話でメールを送ったら電池が1本の赤状態に。

これから待ち合わせで携帯で連絡を取り合うつもりだったのでピンチ。

いつ電池が無くなっても良いように相手の携帯番号をメモしとこう、と思ったが紙もペンも無い。

考えてみればメモも普段から携帯のテキストメモに入力していた。

携帯があれば事足りたあらゆることが電池が無くなるだけで出来なくなる。

連絡取る直前まで電源をOFFにして事なきを得たが、携帯依存症を感じさせられた出来事だった。

 

2009年3月29日 日曜日

最近サボり気味だったジム。

久々に行って有酸素運動のマシンに年齢を入力するところで30と入れるのに未だ少し抵抗が。

ジムに通い始めて半年以上が経過。

さすがに最初の頃の新鮮さは無く、現在は義務感で通っているのが半分くらい。

30を過ぎて自主的に運動しないと身も心もダレてしまいそう。

月に1万円近くもお金を払っているし、行かないと損。

結果的にジム行って運動して悪いことは無いだろうから動機はどうあれ行くことが重要。

これまでは久々にジムへ行くと翌日は結構な筋肉痛だった。

しかし最近は久々でもあまり翌日に残らない。

ようやく身体が馴染んできたか。

 

2009年3月28日 土曜日

WBCの影響で殆ど忘れかけられていたサッカーW杯アジア最終予選。

相手のバーレーンはW杯2次予選、W杯最終予選、アジア杯最終予選と近年対戦しまくっている相手。

ここ1年で2勝2敗で今回5度目の対戦とか、WBCの日韓戦みたいな状況。

バーレーンってあんなにでかい選手ばっかりだったっけと思ったらアフリカからの帰化選手だとか。

オイルマネーに物を言わせて有望な選手を帰化させる、中東ならではの強化方法。

相変わらずの決定力不足ではあったが、相変わらずのセットプレーで得点。

今回は内容はどうであれ勝つことが第一だったので1-0勝利で充分。

3位以下が潰しあっているため気がつけば残り3試合で1勝すればW杯出場決定とか。

チョットぬるい気がするなーというのは贅沢か。

 

2009年3月24日 火曜日

始まる前は決勝までいけるとは思っていなかったワールドベースボールクラシック(WBC)。

日本の試合の半分以上が日韓戦で決勝も日韓戦。

もうアジアベースボールクラシック(ABC)で良いんじゃないかと。

日本時間の昼前後にかけての試合だったので仕事中でも携帯やネットで確認している人が多数。

13時過ぎから会議だったのだが、TVのある会議室。

ここでチームリーダーが率先してTVのスイッチをオン。

隣では真面目な会議をやってそうだったので音は消して観戦。

数人で見たのだが、人によって見方が違うのが面白い。

ひたすら黙って見る人、ホームラン打たれたら終りだとネガティブなことばかり言う人、そんなこと言うなと怒る人…

9回裏に追いつかれたシーンでは意気消沈。

しかし10回表のイチローのシーンでは皆が一斉に盛り上がる。

が、隣の会議室を気にして声は出さずに沈黙で歓喜のハイタッチ。

そして10回裏の最後の三振で再び沈黙の歓喜。

職場の会議室でコッソリ見るという特異な状況も相まって楽しいラストだった。

不振から不要論まで出かけたイチローが最後に魅せてくれるドラマチックすぎる展開。

スーパースターというのはこういう人のことを言うんだなと思った。

全盛期の王・長嶋というのはあんな感じだったのだろうか。

帰ってから酒飲みながらWBC特番やスポーツニュースをハシゴ。

純粋なスポーツ以外の騒音も聞こえてくる国相手にしっかり勝ち越して文句無しの優勝。

実に気持ち良く飲める勝利の美酒。

家で1人飲んでて記憶なくなりかけたのは久しぶり。

 

2009年3月20日 金曜日

朝起きると海外旅行で時々おこるやや下り気味のお腹。

前日は下痢になりそうな物を食べた覚えは無い…と考えて分かった、就寝前のビール2本。

海外でも大抵風呂上りにビール1,2本飲んでそのまま眠ることが多い。

自宅の場合は飲んだ後も何だかんだしているのですぐ就寝するわけではない。

ところが旅先では飲んだらすぐ寝ちゃうことが多い。

ココへ来てようやく旅先での下痢の正体が分かった。

道理でビールを殆ど飲めなかったインドでは下痢をしなかったわけだ。

まさか仙台で旅先の下痢の正体が判明するとは思わなかった。

帰路につくこの日は定番の牛タン食べてビール飲んで夕方から高速バス。

夜行バスと違い夕方発のバスは車内もガラガラで外の景色も眺められて良かった。

1泊2日の仙台ノスタルジー旅行、人生の節目に来るのも悪くないと思えた。

 

2009年3月19日 木曜日

レンタカーで仙台遺産巡りをしつつ余った時間で寄り道も。

仙台郊外に最近完成したアウトレットモール。

東北最大規模との触れ込みだったが平日昼間なのでだいぶ閑散。

しかもアウトレットモールと言うと昨年行った御殿場のアウトレットモールを思い出す。

それと比較するとかなり小さくて「えっ?これだけ?」と思えてしまった。

しかし考えてみれば東日本最大規模を謳っている御殿場と比べるのは酷だったか。

もう1つ寄ったのが八木山動物園。

なんで仙台まで来て動物園?

先述した伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」の中で動物園のシーンが出てくる。

伊坂幸太郎は東北大学出身で仙台在住なためか小説の舞台は殆ど仙台。

映画化された「アヒルと〜」の動物園のシーンでは八木山動物園が使われていた。

村上春樹の小説でも動物園が描かれることが多く、物心ついてから行ってなかったので機会があれば行ってみたかった。

1人で平日午後の動物園というのも何か村上春樹小説のワンシーンのようで良いなと思ったので行ってみることにした。

まずは400円という入場料の安さに驚く。

村上春樹の小説ならここでビールでも飲みながら園内をぶらつくのだろうが、車で来ているので我慢。

動物園特有のニオイがなんとなく懐かしく感じられるのはヒトが動物であった遺伝子の記憶だろうか。

平日午後の動物園は小さい子供を連れた家族や僅かな若いカップルがいるくらい。

1人で歩いているのは私くらいだったが、特に誰の目を意識することも無い。

映画の中で出てきたのはココだなー、小説の中でレッサーパンダを盗もうとするシーンあるけどこれなら確かに…

など色々なことを考えながらブラブラ。

良い天気だったがあまり人がいない動物園はどこか寂しげ。

入場料400円であれだけの客入りであれだけの動物を養っていくなんて大丈夫なのかと不安になった。

一通りの仙台遺産巡りを終えてホテルへ戻る。

今回予約したホテルは通常時なら1万円以上かかるホテルをネット割引で予約。

高速バスで浮いた交通費をホテル代に充てた。

高いホテルは寝るのが勿体無いような、でもグッスリ寝ないと損なような妙な気持ち。

風呂上りにようやくビールで至福の一時。

朝から行動しっ放しだったのですぐに就寝。

 

2009年3月18日 水曜日

この日の夜行バスで仙台へ向かうというのにギリギリまで職場のゲーム仲間と居酒屋へ。

毎週1回は集まって居酒屋でゲームしている。

傍から見ると居酒屋の一角で一心不乱にゲームをしている一種異様な集団。

それでも飲み食いもしているし騒がしくしているわけでは無いので悪い客では無い…はず。

仙台行きの夜行バスの時間を考えて途中退席。

一旦家に帰ってシャワーを浴びて再度出発。

夜行バス発着場の新宿西口スバルビル前は日本各地へ向かう大量の夜行バスが出発を待っていた。

それに群がる大荷物を持った人達。

これから旅が始まるんだという高揚感が身を包む。

0時過ぎ出発のバスは満席。

事前に買っておいたビール飲んでたら車内放送で「喫煙・飲酒はご遠慮ください」と。

もう開けちゃってるし飲んじゃってるしゴメンナサイ。

 

2009年3月15日 日曜日

近頃やたらに映画化されている伊坂幸太郎の小説。

彼の小説の中でも好きな作品「アヒルと鴨のコインロッカー」の映画がTVで放送されたので見た。

ミステリに分類されるであろう本作品。

原作は既に2回読んでいて、映画化されると聞いた時にあのオチをどうやって映像化したのか興味があった。

実際に映画を見るとある程度予想はしていたがイマイチ。

物語の核となる過去と現在のリンクを表現できるのは文字だからこそだったか。

興味のあったオチの映像化もインパクト無し。

細かい部分を端折ってストーリーを繋げているので展開が急すぎる気がした。

伊坂幸太郎の最新の単行本「モダンタイムス」。

その作中で登場人物の井坂幸太郎という小説家が言う。

小説を映画化するとストーリーの肝となる部分以外は省いてしまう。

小説は肝となる部分だけではなく細かな部分の積み重ねがあるからこそ面白い。

映画化するとその細かな部分を殆ど端折ってしまうから小説の映画化は面白くない。

人生も同じで、人の年表を作ろうとしたときは卒業・就職・結婚など肝となる部分しか残らない。

だけど本当に人生を形成しているのは肝となる部分よりも何でもない日々の積み重ね。

だから人生は要約できない。

映画と人生をなぞってそんな内容が書かれていた。

これは自作の映画化に対しての本人からのアンチテーゼなのかなと思わせた。

小説は人物や舞台や場面を全て頭の中で読み手が想像する。

漫画なら絵である程度共通のイメージを持つことが出来るが、小説だとそのイメージは十人十色。

さらに基本的に全て同じ字体で描かれているため、人によってシーンの受け止め方が違う。

ある人にとっては読み飛ばすようなシーンでも、他の人にとっては印象的だったりする。

皆がそれぞれのイメージを持っているから小説の映画化は難しい。

これも何かで読んで感心した意見。

 

2009年3月13日 金曜日

職場をオメデタ退室した女性が無事出産ということで職場の人でカンパを募ってお祝いをすることに。

集めたお金でベビー用品等を買って、お宅にお邪魔することになった。

母子共に健康で生まれて2ヶ月にも満たない赤ちゃんは一挙手一投足が実にカワイイ。

これだけ小さい赤ちゃんを見るのは物心ついて初めてかもしれない。

形は人のミニチュアなのだが行動が動物的で、人でも動物でもない不思議な生き物に思えた。

抱いてみますか?と言われるも触れたら壊れそうで辞退。

職場の数人でお宅訪問をしたのだが、単純にカワイイ!と発言するのは独身子無し組。

既婚子有り組はただ見てる分にはカワイイんだけどねーと意味深な発言。

四六時中赤ちゃんに振り回されていると単純にカワイイだけでは済まないそうだ。

持っているものとそうでないものとが完全に分かれた瞬間だった。

お宅訪問の途中で予想もしていなかったサプライズ。

前日に三十路を迎えた私のために誕生日プレゼントも用意してくれていた。

全く予想もしていなかっただけに驚き、かなり嬉しかった。

血縁以外からまともに誕生日プレゼント貰ったのなんて何年ぶりだろうか。

 

2009年3月12日 木曜日

三十路記念日は普通に仕事。

仕事後は職場のゲーム仲間と共に居酒屋へ行ってPSPモンスターハンター。

30の誕生日に居酒屋でゲームすることになるとは1年前には想像もしていなかった。

漠然とした目標では30になるまでに新しい仕事を、と思っていたが果たせず。

世界的不況の昨今、時期が悪い…ってのは言い訳に過ぎないか。

この1年はもう少し真面目に探さないとこのままズルズル行ってしまいそう。

三十にして立つ、目指したいものだ。

 

2009年3月7日 土曜日

1日中家でスポーツを眺めていた。

昼から今シーズンのJリーグ開幕、夜はWBCの2次ラウンド進出を賭けた一戦。

WBCの相手は韓国。

北京五輪で完全に抑えられた投手が相手でどうなることやらとヒヤヒヤ。

しかし始まってみればイチローの先頭打者ヒットからあれよあれよと得点して最後はコールド勝ち。

これまでのグダグダ感はなんだったんだというような爽快な結果。

それにしてもJリーグも開幕の日程をもう少し考えれば良かったのに。

どう考えても全部野球に持っていかれる。

 

2009年3月5日 木曜日

ワールドベースボールクラシック(以降WBC)が始まった。

初戦は中国が相手なのでまぁ大丈夫だろうと。

結果的に勝ちはしたが内容はイマイチだった気がする。

直前の練習試合でもイマイチだったし、北京五輪から続く悪い流れが断ち切れていないのかなんなのか。

イチローが全打席凡退で1,2,3,遊とそれぞれに内野ゴロ。

さすがはイチロー、サイクルゴロだ、というネットの書き込みが秀逸だった。

 

2009年3月1日 日曜日

3月で有休がリセットされるので、余っているものは使ってしまうことに。

元々ある3連休に有休を加えて突発的海外も考えたが時期的に学生の春休みで高そう。

おまけに4月頃から燃料費値下げの影響でサーチャージが安くなるという情報も。

どうせ海外行くならそのときで良いかということで今回はパス。

代わりに思いついたのが思い出の地、仙台への一人旅。

三十路を迎えることだし節目の旅としてはちょうど良い。

周到な予定を立てなくても大丈夫だし、予算も大してかからない。

思い立ったが、ということで早速仙台行きの計画を練る。

移動手段は普通に考えれば新幹線だが、ネットを調べると高速バスが異常に安い。

普通のバスだと3000円台で行けてしまう。

あまり窮屈なのも嫌なので3列シートの広いバスにしておく。

それでも片道4000円と破格。

交通費が浮いた分を1泊のホテル代に回すことにし、1万円近いホテルを予約。

現地では当時勤めていた店巡りをするから車も必須、ということでレンタカーも予約。

全ての手続きがインターネットを使って数分で完了してしまう。

何度経験しても凄い世の中になったもんだと感心。

 

2009年2月28日 土曜日

毎週土曜は基本的に洗濯をしている。

ウチのベランダが東南を向いているので、午前中に洗濯物を干さないと乾きにくい。

なので確実に朝のうちに洗濯をしておきたい。

前夜に飲み会があったので朝の洗濯に自信が無かった。

ということで初めて使ってみたタイマー機能。

前夜の酔っ払った頭でセットしたが正常に作動したらしく、洗濯終了のブザーが目覚まし代わりになって起床。

起きたら洗濯も終わっていて後は干すだけの状態でかなり便利。

仙台での1人暮らし時代から使っている洗濯機だが初めて使ったタイマー機能。

もっと早くから使っていれば良かった。

 

2009年2月27日 金曜日

寒い寒いと思っていたら雪が降ってきた。

本格的に冬らしくなってきたと思ったらもう2月も終り。

暖冬っていうのは本当なのか。

2月の最終営業日ということで2月末で職場を去る人の送別会に呼ばれた。

それほど仕事で関わりがある人ではなかったが、昔から知っている仲ということで参加。

公式の送別会は開催済みなので最終日の内輪だけの送別会です、ということで参加してみたら約20名ほど。

大した内輪だ。

 

2009年2月22日 日曜日

映画スターウォーズのシリーズ最終作(エピソード3)がTVでやっていたので見た。

ようやくこれでスターウォーズシリーズ一式(エピソード1〜6)を見終えたことになる。

物語の時系列は1〜6。

でも映画の公開は4〜6、1〜3。

スターウォーズ知らない人には分かりにくそう。

個人的には子供の頃に見た4〜6が面白かったと思う。

大人になってから見た1〜3だとどうしてもケチを付ける部分が多くなってしまっている気がする。

純粋に映画を楽しめる子供の方が良いのかも。

以下、エピソード3のややネタバレあるので注意。

恐らくはエピソード1〜3での最大のクライマックスとなるアナキンが暗黒面に堕ちる部分。

それの説得力がイマイチだったのが惜しすぎる。

悪夢を見てパドメが死ぬと思い込み、それを救えるのは暗黒面の力だとか意味不明。

そのパドメも最後はあんなで、結局暗黒面ってなんだよ、と。

アクションやCGも良いが、肝となるストーリーをもっとしっかり練ってほしかった。

オマエがストーリー理解してないだけだよ!って方はご教示ください。

 

2009年2月21日 土曜日

実家の車を借りて買物へ。

買おうと思っていた品物の値札を見るとちょうど2時間の駐車場代が無料になる金額。

それならゆっくり出来るなと思ってゆっくり店内や店外をブラブラ。

さて買うもの買って帰るかと品物をレジに持っていくと値札よりもだいぶ安い。

その安い値段だと1時間しか駐車無料にならない。

かといって駐車場のために値札と違う!安すぎる!というのも馬鹿みたいだ。

値札よりも安いことによってこんなに戸惑ったのは初めてだ。
(幸いギリギリ1時間で大丈夫だった)

 

2009年2月11日 水曜日

サッカーW杯アジア最終予選のオーストラリア戦。

間違いなく最大の山場。

久しぶりに本気で熱くなれそうな試合。

祝日だということもあり、全てこの試合に照準を合わせて行動。

午前中に外出して買物などを済ませ、ジムは19時には帰ってこられるような時間配分で運動。

試合開始前に友人から電話で「どっかTVあるバーでオーストラリア戦見ないか?」とのお誘い。

そういう所で見ると往々にして評論化然として語りだすヤツがいる。

親善試合なら良いが、完全な真剣勝負だと聞いているこっちもイライラしそうだったので今回はパス。

家で1人ビールを飲みながら試合を眺める。

下馬評ではオーストラリアはだいぶ強そうだったが実際見てみると案外そうでもない。

これはいけるのでは?と思わせたが終わってみればスコアレスドロー。

決して悪くない結果ではあるが、あの状態のオーストラリア相手にホームなんだし勝ってほしかった。

グループ最弱と思われていたウズベキスタン、グループ最強と思われているオーストラリア。

共にホームでドローってのは如何なものか。

 

2009年2月4日 水曜日

翌週に控えたサッカーW杯アジア最終予選のオーストラリア戦。

仮想オーストラリアとしてフィンランド代表と親善試合。

ところが仮想と言えたのは身長くらいでそれ以外はザルもいいところのフィンランド代表。

5-1なんて日本らしからぬ大勝。

直前の親善試合で悪くない結果になって本番で大コケ、なんてよくありそうなことにはならないように。

 

2009年1月30日 金曜日

昨年末の忘年会ビンゴで携帯ゲーム機のPSPを頂いた。

手頃なソフトでもないかと薦められたのがモンスターハンター。

モンスターをひたすら狩っていくアクションゲーム。

このゲームの醍醐味は複数人で集まるとPSPの無線LANを使って皆で遊べるということ。

皆で協力してモンスターを倒すことができる。

周りで持っている人に声をかけてみたらなんと8人も集まることに。

そんなわけで居酒屋の個室を予約して皆でゲームを持ち寄って一風変わった飲み会のスタート。

個室の中で皆がそろってゲーム、ゲームの合間にビールを1杯。

いつも1人でやっていることを皆でやるというだけで面白い。

30を目前にしてまたゲームにはまることになるとは思わなかった。

 

2009年1月25日 日曜日

朝青龍が復帰して盛り上がっている大相撲。

世間はなんやかやと言うが朝青龍は確実に相撲界に必要な人材。

千秋楽本割と優勝決定戦で横綱同士の相撲が続いたこの日はジムで有酸素運動しながらTVを眺めていた。

ジムにいる人の約9割が相撲を見ていたように思う。

優勝決定の瞬間は控えめながらもオォッと声もあがった。

やはりどの世界にもヒールがいた方が盛り上がる。

 

2009年1月16日 金曜日

ここのところ朝が寒く、室内の温度計は10℃未満の日々が続く。

暖房による電気代高騰は嫌だが風邪をひいては元も子もない。

朝から躊躇せずにエアコンを入れている。

エアコン以外の暖房機器はコタツしかないが、それでもやっていけそう。

コンクリ造りの建物だからか実家にいた頃よりも部屋は暖かい。

独り身の寒さは感じるが。

 

2009年1月15日 木曜日

前夜に職場の飲み会。

二日酔いはそれほどでもないが、寒いしだるいしかなり休みたい。

だけど職場飲みの翌日に突発的に休むのは気が進まない。

飲み好きだからこそ、そこはキッチリしておかないといけない気がしている。

職場で飲み会の翌日の突発休暇率が高い人がいる。

悪い人じゃないし、飲みに行けば楽しいのだが、個人的にそれは認められない。

翌日休むくらいならそんなに飲むなよ、と。

もっとも時々私も陥る、二日酔いで午前中を殆ど何もしないで過ごすのと大差無いかもしれんが。

 

2009年1月11日 日曜日

スーパーで初めてセルフレジというものを体験した。

自分で商品をスキャナに通して、自販機みたいにお金入れて買物終了。

まだ慣れない人が多いのかセルフレジがある一角には店員が1人張り付いていてアチコチから呼ばれていた。

結局店員いるならセルフじゃねーな、と思ったがセルフレジ4台に対して店員1人だったから効率は悪くないか。

便利なシステムだと思うがその気になればスキャナ通さないで知らんぷりすることも可能なような。

防止策として買物前後の重さを量る機械が内蔵されているらしいが、精度は怪しいもの。

性善説に基づいたシステムな気がする。

 

2009年1月8日 木曜日

仕事で2009年度の方向性を決めるような会議に参加。

普段あまり揃うことのない「有識者」が一堂に会して会議。

1つの議題に対し、誰かが発言すると「では、貴方はこれの担当をお願いします」となる。

発言をすれば仕事が増えるおかしな会議。

必然的に沈黙が長くなる。

「コレは誰かやってくれないですか?名乗り出てくれないと先に進めません。」

沈黙に耐えられなかった人の負け。

 

2009年1月6日 火曜日

電気代の明細を見ると今月分が跳ね上がっていた。

これまでは真夏でも4千円前後だったのが一気に5千円台中盤に。

東京電力からの通知を見ると年末年始で家にいる機会が多い12〜1月は高くなる傾向だとか。

確かに在宅中は殆どエアコン稼動させていた。

寒いの我慢して風邪ひいたら本末転倒だから必要経費と諦めるしかないな。

 

2009年1月5日 月曜日

新年初仕事。

帰省していた人たちから方々の土産を貰う。

土産だけで1食分浮きそうなくらいのお菓子。

年末年始はどっか行ったっけ?とほんの少し考えたのも束の間、地元を一歩も出ていないことに気付いた。

移動手段も自転車にしか乗ってない。

 

2009年1月3日 土曜日

実家の住所から現在の住所へ郵便物の転送手続きはしておいた。

年賀状も転送されていたが、何枚かは転送されず実家の住所にも届いていたという。

年賀状の規模ともなると転送もちゃんと機能しなくなっちゃうか。

家にプリンターが無いので実家へ行って印刷。

こういう時はプリンターがあればと思うが、逆にこれくらいしかプリンターの必要性感じないか。

 

2009年1月2日 金曜日

今年も大晦日の格闘技は録画しておいて年明けに観戦。

昨年までの煽りVTRだけで何十分もかかるようなことは無く、試合の放送が多くて良し。

KO・ギブアップで決まる試合も多くて全体的に面白かった。

ただ興行的にはメインイベントだったはずの桜庭−田村が1番面白くなかったというのが複雑。

戦前から囁かれていた通り、完全に旬を逃した対決となってしまった。

 

2009年1月1日 木曜日

家で1人ゴロゴロする年始、実家にいてもいなくても殆ど変わらないいつもの正月。

天皇杯決勝眺めていたら地元の友人からの恒例の飲み会の誘い。

友人は3日から仕事とのことで1日から飲みに行くことに。

元旦だと未だ開いてない店も多く、歩く人も普段よりだいぶ少ない。

飲み屋もチェーン店系の居酒屋くらいしか開いていない。

それでも開いている店を探しつつ1〜3次会、今年も順調。

 

2008年12月31日 水曜日

1人で迎える年末だが、実家はすぐ近くなので帰省?

京都から祖母と伯父が来ていたので賑やか。

晩飯食って年越し蕎麦まで食ってくことになったが、TVは紅白でつまらないし退屈。

忘年会で手に入れたPSPが初めて携帯型ゲーム機としての本領を発揮した日かもしれない。

24時を越えて新年を迎えて帰宅。

帰路の途中にある神社は初詣客がたくさん。

ちなみに私は実家に向かう途中の31日夕方に誰もいない神社で久しぶりの終詣をしておいた。

 

2008年12月29日 月曜日

1人で迎える年末、世間に倣って大掃除?を。

普段は洗わない流し周りなどクレンザーで洗ったり、布団干してシーツも洗濯して。

ジムの最終営業日だったので普段よりも長い時間運動して泳ぎもしっかりと。

環境も自身もスッキリさせて年内の活動はほぼ終了。

 

2008年12月26日 金曜日

年内最終出勤日。

仕事してもどうせ年明けには忘れてるし…ってことで適度に力を抜いて。

最後に公式でない飲み会が企画されたので行ったら公式飲み会よりも大勢の参加者。

公式飲み会だと面倒な人なども来る可能性あるし、妥当な結果かも。

 

2008年12月21日 日曜日

年末恒例の漫才日本一を決めるM1グランプリ決勝。

ほぼ毎年見ているが今年はどうもインパクトに欠けたような気がする。

知らないコンビが多かったとはいえそれは昨年までとも同じこと。

昨年までは普通に楽しめていたことを考えると、自分の笑いの感性がズレて来たのだろうか。

 

2008年12月18日 木曜日

サッカーのクラブワールドカップ。

昨年は浦和レッズとACミラン、今年はガンバ大阪とマンチェスター・ユナイテッド。

昨年は守備的サッカー、今年は攻撃的サッカーの両チーム。

終わってみれば5-3でガンバ大阪の大敗だったが、内容的にはお互い攻めまくりの大味な展開で面白かった。

クリロナ・ルーニーのゴールに遠藤のPK、ボカスカ点が入る展開。

見たいものは全て見られたような贅沢な内容だった。

惜しかったポイントは3つ。

1-0で前半終了間際のコーナーキックからの失点、2-0から1点返した直後の失点、大勢が決した5-1からの2得点。

この辺りが世界との差なのだろうか。

 

2008年12月11日 木曜日

職場での忘年会。

最近の職場飲み会では恒例となっているのが0.5次会。

大人数の1次会よりも、酔って殆ど覚えていない2次会よりも、仲間内だけの0.5次会の方が楽しい気がする。

その0.5次会で2杯ほどひっかけてから本大会へ。

忘年会が普段の飲み会と違うのはビンゴ大会が開催されるということ。

そのために会費は普段よりも1.5倍ほど高めに設定されている。

私は忘年会皆勤賞だが、これまで1度も大物が当たったことが無かった。

残念賞だったり数百円程度の物だったり。

今回の忘年会も続々とリーチ・ビンゴが出る中で私は来ない。

ただ今回はビンゴしてもクジが引けるというだけで、最初にビンゴしたから良いものが当たるというわけではない。

全体の中盤くらいで私にもようやくビンゴ。

クジを引いてみると書いてある「TV」の文字。

ん?TV?…と思うと司会が「おめでとうございます、1等液晶TV出ましたー!」と。

え、マジで?!一瞬思考停止。

会場から湧き上がる歓声とブーイング。

チョット落ち着けお前ら…

初めてビンゴでまともなものが当たったと思ったら1等とは。

当たったのはお風呂やキッチンでも見られる小型防水液晶TVらしい。

しかし席に戻ってふと考える…コレ必要か?

結構高い代物らしいが、そもそも私は自宅ではシャワーで済ませるので風呂に湯を張ったことが無い(風呂はジムで入る)。

キッチンで水仕事なんて殆どしないし、これは宝の持ち腐れではなかろうか。

そんなことを話していたら近くにPSPを持っているのにPSPが当たった人がいた。

値段で言うと液晶TVの方が1.5倍くらい上だったらしいが宝の持ち腐れより実用的(?)なPSPの方が良い。

即時に交渉成立で液晶TVとPSPを交換。

最近出たばかりの最新型PSPだったので3年分以上の忘年会費を取り返した感じだ。

新しいゲーム機なんてプレステ2以来。

携帯型ゲーム機なんて初代ゲームボーイ(単3電池4本で動くやつ)以来。

少し早いクリスマスプレゼントになった。

 

2008年12月7日 日曜日

晩飯にレトルトもつ鍋を買ってきて、ついでに卵も入れようと思い半熟ゆで卵つくりに挑戦。

白身はゆで卵だけど黄身がトロリとした半熟ゆで卵。

とりあえず初めてのことをするときには必ずネット検索。

「半熟ゆで卵」のキーワードで出てくる出てくる。

その中からコレを参考にやったら初めてでも立派に半熟ゆで卵の完成。

これほどまでに簡単に出来て、これほどまでの些細なことで嬉しくなるとは。

料理の楽しみが垣間見られたか。

皮が剥きにくかったのが以降の反省点だな。

 

2008年12月5日 金曜日

職場で献血キャンペーンがあったので初めて参加してみることに。

注射が嫌で避け続けてきたが、もうじき30歳だしいつまでも注射が嫌だなんて言ってられない。

ただ学生時代のバイト時にカッターで指を切り、溢れる血を見て脳貧血になった記憶も蘇る。

一抹の不安を残しつつ献血の受付へ。

最初の質問事項(HIVやら肝炎やら輸血やらの経験)は全て該当無し。

質問事項のうち海外渡航歴は数え切れないくらいあったが医師との問診ではどの国もセーフ。

問診もクリアして血圧測定、これから初めての献血と注射が近付いていると思うと必要以上にドキドキ。

いつもジムで計測する血圧は下70弱・上130弱なのだが、上下共に20も上回っていた。

最初に左腕で検査採血したら問題なかったらしく400mlの本採血へ。

献血中は針が刺さった右腕はジンジン痛んだがもう刺さってるもんは仕方ない。

終了後に針を見てみるとシャーペンの先くらいの太さ、やる前に見なくて良かった。

献血後はいつフラつくか分からないから階段は気をつけろだのトイレは立ってするなだの脅し文句がいっぱい。

幸い献血直後でもフラつくことは無く、さらに夜は突発的に飲みに行ったけれど問題なし。

終わってみれば注射以外は大したことなかったが、その注射だけが大したことある。

献血はいくらしても良いと思うが、あの注射前の緊張感だけは嫌だ。

医療の進歩でそこが改善できれば随分献血率も上がると思うのだが。

 

2008年11月29日 土曜日

実家のPCが壊れそうで新PCを買ったのでデータ移行をして欲しいと頼まれた。

実家で使っているPCは私の初代マシンであるWindows98機。

約10年前のPCがよく今まで動いていたものだと感心。

データ移行は今のPCに切り替えた際に経験があった。

ネットで調べて2台のPCをLANで繋いで共有化させて云々。

今回もそんな調子で出来るだろうと思ったら意外に苦戦。

なにせネットを見てもWindows98からWindows Vista間のデータ移行なんてどこにも載っていない。

共有化させるための操作方法を試行錯誤してようやく成功。

ファイルを移行し終えてもメールやネットの設定も98→VISTAってだけでいちいち苦戦。

10年で色々変わり過ぎ。

 

2008年11月27日 木曜日

本社から上司が来て諸々のお話の後に皆で飲みに。

太っ腹な上司、8人分のお会計を全部持ってくれた。

今年入った新入社員がいたので「ちゃんと上司にお礼言っておきな」と先輩に言われ。

「○●さん、ゴチになりました!」

ってオイ!、ゴチって…

学生じゃねーんだよ!と総ツッコミを食らっていた。

 

2008年11月23日 日曜日

とうとう10周年。

特別企画として古いページレイアウトでのホームページを再現してみた。

Google2001で自分のページ見たら古いレイアウトが懐かしくなったので引っ張り出してきた。

そういえばGoogle2001もGoogleの10周年を記念した企画だとか。

Googleと同じ10周年。

いつの間にこんな差が開いてしまったのだろうか。

 

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