ひとりごと
BACK NUMBER 16 

 

2008年11月22日 土曜日

今年結婚した高校時代の友人に会いに片道1.5時間近くかけて茨城へ。

日暮里から常磐線のグリーン車に乗る。

普通の電車にグリーン車両がくっついていて車内販売もある。

ビール飲んでも違和感なし、チョットした旅行気分。

友人の新居、愛の巣へ。

「友人の奥さん」という立場の人と会うのは初めてかもしれない。

昼過ぎからビール飲んで奥様の手料理をご馳走になる。

普段見られない友人の亭主関白っぷり?なんかも拝めて楽しかった。

お2人を見ていると結婚ってイイな、と思ってしまった。

 

2008年11月19日 水曜日

深夜にサッカーW杯最終予選のカタール戦。

1度も勝った事無いカタールが相手、会場がドーハ、主力の離脱、怪我など不安要素満載。

日付変わって1:30にキックオフした試合は序盤こそ攻められたものの先制点から流れが一変。

終わってみれば3-0と久々の完勝。

3点目が入った時点で祝杯をあげようかと思ったが時刻はAM3時。

翌日の仕事も考えてさすがに自粛。

 

2008年11月12日 水曜日

アジアチャンピオンズリーグの決勝第2戦。

オーストラリアでの試合なため、日本での放送は18時から。

定時後にすぐ帰ってTVをつけると前半終了で既に2-0でガンバ大阪のリード。

AWAYで2得点、この時点でトータルスコアは5-0。

後半にまさかの6失点しない限りは優勝という余裕すぎる展開。

解説の某M木Y太郎氏は半笑いで喋っている始末。

結局後半に点は動かず、そのまま2-0で試合終了。

試合終了の笛と同時に訪れる歓喜の瞬間もあまりに余裕すぎたのとAWAYだったので盛り上がりがイマイチ。

ガンバ大阪にしてみれば決勝戦が1番楽だったのでは?

 

2008年11月8日 土曜日

上京していた祖母が北海道へ帰るというので羽田空港まで見送り。

見送りだけで行く空港というのは味気ない。

空港の案内ボードを眺めていると旅欲がふつふつと沸いてくる。

20代の旅はインドで打ち止めと思っていたが、3,4日くらい近場のアジアへ行くのも悪くない。

 

2008年11月5日 水曜日

サッカーのアジアチャンピオンズリーグ。

アジアサッカー協会に所属するクラブチームのトップを決める大会。

その決勝戦にガンバ大阪が進出したというのに地上波でのTV放送は無し。

同時期にやっている野球の日本シリーズは野球の日本一を決める大会。

アジアチャンピオンズリーグはサッカーのアジア一を決める大会。

日本代表以外では未だにサッカーよりも野球の国だと言うことを実感。

地上波での放送は無かったがBSデジタル放送では決勝の試合を生中継。

初めてBSデジタルが映る良さを実感。

どこかの代表チームに見習わせたい華麗な攻撃サッカーでオーストラリアのチーム相手に3-0快勝。

翌週のアウェイで4点差で負けなければ優勝というかなり緩い状況になった。

油断さえなければまず問題なく優勝できそう。

欲を言えば緊張感には欠けそうだが。

 

2008年11月3日 月曜日

じわじわと寒くなってきたので薄手の掛け布団を1枚追加。

コタツ布団も出してコタツのセッティングも完了。

1人での冬は仙台でも経験しているので問題ないだろう。

仙台では部屋に備え付けのガスストーブが活躍した。

現在の暖房器具はエアコンのみ。

エアコンの電気代が不安ではある。

様子を見つつヒーターなどの購入も考えるか。

 

2008年10月28日 火曜日

久しぶりに本社へ行ったので帰り際に同僚と新宿で飲み。

どの店行くかウロウロしてたら客引きが食べ物20%OFFですと言うので付いていった。

付いていった店の外観はバーのようで高そう、ヤバイかも。

案の定バーのような店内でドリンクメニュー開くとビール1杯800円。

高っ!と思いつつもすぐ出るのも気が引けて800円ビールと料理2品を注文。

ビールもジョッキじゃなくてグラスで出てくるしどんだけお高くとまってやがるんだ。

ビール1杯ずつと料理2品で4000円越え。

気分的にはプチボッタクリ、迂闊に客引きに付いて行っちゃいけないな。

早々に退散して次は大衆居酒屋チェーンへ。

ドリンク3杯ずつと料理3品でモバイル割引クーポン使って会計は4000円強。

大衆居酒屋チェーンで充分です。

 

2008年10月27日 月曜日

最新の液晶TVとHDレコーダーを買ってから4ヶ月強。

地デジが見られないことを知って建物の管理会社に問い合わせたらケーブルTVを引いてくれることになった。

手続きだ何だでやたら長い時間かかったがようやく建物にケーブルが引かれたと言う。

何らかの機器を設置しに来ると言うので有休を取って待つ。

ケーブルTVの営業マンが来て有料チャンネルを勧めてくる。

有料チャンネルは不要と断るとアッサリ「そうですか、じゃぁ失礼します」と。

チョット待って…ケーブルTVで地デジ見られるようになるんじゃないんですか?

すると営業マン、不思議そうに「お客様のはチューナー内蔵されているTVなんでもう普通に映りますよ」と。

営業マンが慣れた手つきでリモコンを操作してチャンネル設定をするとアラ本当。

今の今までケーブルTVというのはアンテナ線とは違うケーブルをTVに挿し込むものだとばかり思っていた。

さらに今の今まで地デジってのは新しいチャンネルだとばかり思っていた。

普通に地上アナログでやっているTV番組をデジタルで放送しているだけだったとは。

それでも液晶TVで見るからかアナログ放送とデジタル放送では明らかに画質が違う。

デジタルになるだけで綺麗になるもんだとは驚き。

営業マンはさらに畳みかけ「この建物はBSも繋がっているのでBSデジタルも見られます。」と。

え、BS繋がってたの?

アンテナ繋げてみたらBSデジタルがしっかり映る。

さらにCS放送まで映るようになった。

契約もしてないのにスカパーが映ると思ったら勝手に無料体験期間になっているとか。

地デジに加えてBSデジタルにCS放送、見られるチャンネルが一気に何倍にも増えた。

ようやく最新の液晶TVとHDレコーダーの本領発揮。

チャンネル多すぎて目移りしてしまう。

 

2008年10月26日 日曜日

箱根まで来ているので少し足を伸ばして御殿場まで。

御殿場に父方の曾祖母のお墓があるのでお墓参り。

シーズンで無いからか空いている広大な霊園。

生憎の曇り空で頂上までクッキリではなかったが富士山が綺麗、晴れていれば雄大だったろう。

墓参りを済ませ、御殿場まで来たので御殿場プレミアムアウトレットへ行ってみる。

近くまでは実にスムーズにいけたが、駐車場へ続く道は大渋滞。

遠方の駐車場に止めてそこから無料のシャトルバスでアウトレットへ。

会場内も凄い人でウワーッという感じ。

スポーツクラブ用のウェアなど欲しかったが凄い人であまり長居する気になれず。

普通の日曜日にあの大混雑だったら連休やバーゲンなんてどうなるのだろう。

 

2008年10月25日 土曜日

北海道にいる父方の祖母が米寿を迎えたので親戚でお祝いをという話になった。

こちらとしてはこの機会に北海道へ!と行きたかったが、北海道在住の親戚はこの機会に内地へ!と思っていた。

結局祖母を含む北海道の親戚一同が上京して箱根の温泉宿で1泊2日。

親戚一同が集まったのは数年前の従姉妹の結婚式以来っぽい。

そこでふと気が付くと参加者の中で私が未婚最年長だった。

宴席で出かけた「結婚」の話題を華麗にスルー。

祖母の卆寿…はすぐのような気がするから白寿までには…してるかな。

少なくともそれまで長生きしてください、ということで。

 

2008年10月20日 月曜日

特別な日だったのでいつもより1時間早く仕事に行き1時間早く上がる。

17時前に仕事を終えて、同じように早出した連中と居酒屋直行。

職場の近くに19時まで生ビール1杯250円の居酒屋があるのだ。

17時チョット前に到着したので開店前。

月曜から居酒屋の開店待ってる我々。

月曜だから「軽く」21時くらいでお開き…っても4時間飲んでたのか。

 

2008年10月16日 木曜日

平日は仕事帰りに外食して帰ることが殆ど。

ジムへ通うようになってから晩飯の食生活が変わった。

これから運動することを考えるとしっかり食べようという気になる。

蕎麦やうどんなどのアッサリ系は避けてラーメンやご飯は大盛りにしたり。

一連のトレーニングを終えて疲れて帰ってきてダラダラしていると腹が減ってくる。

後は寝るだけの状況で食べてしまうと運動した意味がなくなりそうな気がする。

しかし一方で運動後に食べることでそれがエネルギーに変わるとかいう説も。

食べるべきか食べざるべきか。

それ以前にすぐに食べられそうな物が酒のツマミくらいしか無かった。

 

2008年10月15日 水曜日

サッカーW杯最終予選のウズベキスタン戦。

ほぼワンチャンスを決められて幾度もあったチャンスを決めきれず。

追いついてのドローだったので最悪の展開ではないが、ホームでこの結果はいただけない。

本番だと緊張感がある分だけ、ダメだったときのフラストレーションも溜まる。

 

2008年10月13日 月曜日

インド記を公開。

帰国後に早い段階で書き始めていたが、体調不良が重なってなかなか完成できずにいた。

1人暮らしをしているとそれだけやってるわけにもいかないし。

何よりも自分の思い出を再構築するための旅日記。

いつからか旅をしても自分用のお土産を買うことはしなくなっていた。

帰国後に書く旅日記が自分への最大のお土産だ。

 

2008年10月12日 日曜日

前夜の代償で二日酔い。

昼過ぎくらいまでずっとダウンしていた。

大掛かりな飲み会だと翌日分のスケジュールも空けておかないといけないな。

 

2008年10月11日 土曜日

学生時代のアルバイト仲間が集まって飲み会。

当時社員で今は東北の実家に帰った人が久々に上京するから飲もうというのが発端。

当時の社員、現在の社員、当時のアルバイトなど入れ替わり立ち替わりで20人くらいにはなったか。

私は呼ばれた側なので当日まで誰が来るのか分からず。

さながら同窓会のような雰囲気で誰かが来る度におぉーっ!久しぶりー!と。

17:30くらいから日付が変わるまで1〜3次会で飲みまくり。

当時学生だった皆も今では社会人やら専業主婦やらお父さんやらお母さんやら。

飲み会でフッと辺りを見渡すと10年ほど前の当時に戻ったかのような錯覚。

あの頃は楽しかったなーとしみじみ思った。

 

2008年10月9日 木曜日

先日職場の後輩からGoogle2001でココを探り当てられたのをきっかけにGoogleに意見を送ってみた。

別にココを探り当てられたのが不快だったわけではない。

天下のGoogleに物申したらどういう反応を示すのか興味本位が殆ど。

「現在はサイトから削除している本名でGoogle2001にHITしてしまうのをなんとかしてくれ」と。

すると深夜2:00頃にメールが来ていた。

情報を削除するにはこのフォームに入力してください、と。

英語のフォームだったがURLとメールアドレスと削除理由を記入すれば良いらしい。

削除理由は「For individual information」(個人情報のため)と記入して送信。

その翌日には私の名前で検索してもHITすることは無かった。

英語のフォームだけ無造作に送られてきたときは腹が立ったが対応は早かった。

流石は天下のGoogle。

 

2008年10月8日 水曜日

近頃全く本社に帰ってなかったら会社のお偉いさんがわざわざ職場までやってきた。

「あまりに帰ってこないからコッチから来ちゃったよ」と。

職場の先輩らと数人で飲みュニケーション。

「普段あまり話す機会が無いから今日は君たちの話を聞きに来た」

…とのことだったが話すのは専らお偉いさん。

金を使う必要は無かったがそれ以上に気を遣った飲み会だった。

 

2008年10月7日 火曜日

職場の後輩が近寄ってきて「ホームページ見つけちゃいました」と囁いた。

以前「昔はグーグルでフルネーム入れたらオレのページがHITした」と言ったことを覚えていたらしい。

その情報を元にGoogle2001使って辿り着いたとか。

こちらからアドレスを教えずに辿り着いた身近な人間は初めてかもしれない。

思わず"職場的にヤバイこと書いてないよな…"と一瞬にして頭の中にホームページの概要が浮かんだ。

別に隠しているわけではないので構わないが、職場の自分とは違う自分がココにはいると思っている。

プライベートを垣間見られたような気恥ずかしさ。

イヤ、まぁホームページ公開している時点でその辺は了承済みだが。

どうせ来たなら掲示板に何か書くか、PCの方にメールでもくださいな。

 

2008年10月5日 日曜日

いつも朝食は牛乳とお菓子風の栄養補助食品とバナナとヨーグルト。

ところがこのバナナが手に入りにくい状況が続いている。

何も知らずにスーパーに行ったら「TV報道の影響でバナナが品薄〜お1人様1房まで〜」なる貼紙。

幸いまだ余っていたがいつも70〜80円で買えていたバナナ1房が100円。

またどっかのTVが変な特集しておかしなことになっているわけだ。

チョットTVで報道しただけでこんな反響とはネット全盛と思われる現代でもTVの影響力は未だ根強い。

いつぞやの納豆騒動といい、本当に日本人はダイエットが好きな人種だ。

そんなに痩せたいと思うだろうか。

ちなみにインドでは太っている方がカッコイイ、みたいな価値観があるとか。

太っている→食べることに困らない(良いもの食べてる)→お金持ち→カッコイイ…という連鎖

貧富の格差が激しい国ならではの価値観かも。

 

2008年10月2日 木曜日

スポーツクラブ通いを始めた私を待っていたかのように地元のデパートでスポーツウェアバーゲンを開催。

形から入るのもアリだなーと思ってスポーツクラブ用のハーフパンツやTシャツなどを探しに行ってみることに。

会場はデパートの上にある催事場。

これでもか!ってくらいオッサンオバサン向けと思われるものばかり。

結局欲しいと思えるようなものは何も無かった。

 

2008年10月1日 水曜日

大手検索サイトのGoogleが開設10周年らしく、Google2001なる臨時サイトを公開している。

2001年当時の検索結果を表示し、サイトによっては当時の状況を再現して表示してくれる。

アクセスしてみると当時の垢抜けないトップページ。

試しに自分の本名をフルネームで検索してみたら見事にココがHITした。
(ちなみに今は本名は全て削っているのでHITすることは無い)

おまけにココの旧バージョンまで閲覧できる。

読み返してみると懐かしいやら恥ずかしいやら。

凄いなーと思いつつも、自分の知らないところで情報が残っているのは恐いなーという気持ちも。

 

2008年9月21日 日曜日

スーパーに行くとイカスミパスタソースが売っていた。

以前地中海料理屋で食べたイカスミスパゲティが美味しかったのを思い出して購入。

スパゲティ茹でてイカスミソースをかけてあえる。

予想以上に真っ黒、黒光りするくらい真っ黒、もはや黒いを通り越してグロい。

味は可も無く不可も無くだったが、口の周りも歯も皿も口つけたコップも何もかも黒々。

翌日の大も真っ黒でイカスミ臭い。

恐るべし、イカスミ。

 

2008年9月13日 土曜日

耳は治ってきている感もあったが完全ではないので再び耳鼻科へ。

今行っているところは小さい子供を連れた親が目に付く。

待合室の一角にはプレイスペースみたいな所もあり、子供がワーキャー。

元気にはしゃいでいた子供だが、診察室へ入った数秒後には必ず泣き声に変わる。

そのギャップが面白く、どんなにはしゃいでウルサイ子供でも大目に見てあげられる。

診察室へ入った小児の泣き率は100%、恐るべし耳鼻科。

鼻の中に管突っ込まれて脳をグリグリやられるような感覚は大人でも嫌だから仕方ないだろう。

 

2008年9月11日 木曜日

9月から職場に配属された人の歓迎会。

20人近く来ることが分かっていたので仲の良い内輪だけで1次会前に0.5次会。

歓迎会が予定されている店へ行き、別料金で良いのでと早めに席について飲み。

これから1次会で飲み放題なのにわざわざ金払って飲む酒好き。

でも公の歓迎会では話せないようなことも話せてむしろ1次会より楽しく。

結局2次会まで行ったので案の定飲みすぎ。

 

2008年9月6日 土曜日

土曜深夜、というか日曜未明にサッカーW杯最終予選初戦vsバーレーン。

親善試合でウルグアイに完敗したり、大学生のチームに負けたりと散々な岡田ジャパン。

アウェーのバーレーン戦は相当危ないかもと思っていたが前半終わって2-0。

後半で3-0になって楽勝ムードかと思いきや残り10分足らずで立て続けに2失点。

おまけに両失点とも確実にミスが原因の失点。

なにも無理に最終予選らしくハラハラさせる演出をしなくても良いのに。

結果として勝てたから良かったものの、自作自演の初戦だった。

 

2008年9月3日 水曜日

帰国から1ヶ月以上経ってもどこか万全でない体調。

自分の身体ながらイライラして仕方ない。

ったくテメーはいつまで調子悪いんだよ!と鼻と喉に毒づきたくなる。

ここまで長期治らない理由として1人暮らしというのもあるのではと思い始めてきた。

食事は外食メインだし、どうしても野菜が足りなくなるし、栄養バランスも偏っていそう。

なるべく意識しようとはしているつもりだが。

 

2008年9月2日 火曜日

月曜か火曜日に来いと言われたので休みを取って耳鼻科へ。

遅刻すれば仕事に行けたが、折角休みを取る口実があるので休むことにした。

受付まで済ませて待合室で待っていたのに、医師が急用だとかで突然休診に。

こっちは仕事休んで来ているってのに。

このままだと何のために休んだのか分からなくなる。

それに耳の詰まりも相変わらずなんで診てもらえないと普通に困る。

そんなわけで駅前の比較的最近出来た耳鼻科に駆け込み診療。

これまで行っていた耳鼻科は昔からある昔ながらの耳鼻科。

医師もこの道何十年なんていうベテランのおじぃさん。

今回飛び込んだ耳鼻科は新しいだけあって建物も綺麗だし設備も充実。

医師も3〜40代だろうと思えるくらいの若さ。

耳の中に細い管を入れると目の前のPCの画面に耳の中の様子が映し出されている。

「この部分に気泡があるんですよ」と実際の画像を見ながら説明してくれる。

こんな機能は昔ながらの耳鼻科じゃありえない気がする。

文明の進歩は素晴らしい。

では試しに耳抜きをしてみましょう、ということで鼻と耳に管をつけられる。

鼻から空気が送られる感じがして耳から抜ける感じがする。

数秒後にバリッ!!と耳の中から大きな音が。

痛みは無かったがそんな音が自分の耳からするとは思わなかったので驚き。

だけど残念ながらそれでも通りが良くなることは無く、詰まった感じはそのまま。

それでも現状だと鼓膜を破いて溜まっている水を出す必要は無さそう。

様子を見ていれば自然と溜まっている水が喉が鼻に落ちていくはずだとという。

痰や鼻水など粘液が出易くなる薬を処方されて終了。

新しい耳鼻科を発掘できただけで良しとするか。

 

2008年9月1日 月曜日

9月に入ったので心機一転、家計簿をつけ始めることにした。

6月は引越し直後で何かと物入り。

7,8月はインド旅行を挟んだので正確な金額が割り出せ無さそう。

ということで1人暮らしも落ち着いてきたと思われる9月から開始。

ネット上でEXCELで出来る家計簿のフリーソフトをダウンロード。

項目に入力するだけで円グラフが出来てなんだか楽しい。

早く次の日を入力したく、色々な種類の金額を入力したくなってしまう。

これで出費増えたら本末転倒。

 

2008年8月31日 日曜日

体調不良ネタばかりから閑話休題。

最近ウチの近所に割りと新しくできたスーパーを発見した。

距離にして10mくらいの所にスーパーが2軒あってどちらも競合店として張り合っている。

だから驚くくらいに安い。

牛乳1リットルは150円を切るし、有名メーカー品のヨーグルト4パック100円切る。

缶チューハイも100円のが常に置いてあり、国産枝豆1パック100円などツマミも充実。

2軒あるので今日はコッチ、次はアッチと使い分けられるし飽きが来にくい。

仙台時代に行ったことのないスーパーを開拓したときのような新鮮な気持ち。

20年近く住んでいる街だが、まだまだ発見があるようだ。

 

2008年8月30日 土曜日

一向に治らなかった耳詰まりを解消すべく耳鼻科へ。

検査をしてもらうと耳の圧が水深200mmの所にいるような感覚らしい。

200mm!と一瞬ギョッとしたが冷静になって考えると20cmじゃねーか。

パッと治るものかと期待していたが、鼻水の詰まりが内側から影響しているらしくすぐには治らない。

鼻の奥から耳へ抜ける感じで細長い棒を突っ込まれてグリグリ。

脳をくすぐられているようで実に気持ち悪い。

結局スッキリはしないまま、また月曜か火曜にでも来てくださいとのこと。

8月は成田空港の健康相談所、歯医者で定期検査、風邪で内科×2回、そして今回の耳鼻科。

通院月間と呼んでも良いくらい毎週末なんらかの病院に行っていた。

あぁもうイヤだ。

 

2008年8月27日 水曜日

放っておけば抜けるだろうと思っていた耳の詰まり。

放っておいても抜けず、右耳は難聴のように明らかに聞こえが悪い。

頭を下げて逆さにすると抜けそうな張った感覚があるけれどダメ。

角度によってはキーンと痛みまである始末。

ネットで耳詰まりを調べて耳抜きとか試してみたけれどいずれも効果なし。

こりゃ耳鼻科行かないとダメそうだ。

 

2008年8月26日 火曜日

体調不良の影響で鼻水が溢れるのでズズーっと思いっきりすすったら耳がボワーンと。

プールで耳に水が入った時のような、飛行機の離陸時のような、電車でトンネル入った時のような。

右耳がそんな感覚で詰まった。

「あぁー」と声を出しても、唾飲み込んでも、頭をトントンしても抜けない。

常に右耳がぼやけているような状態。

オイオイ勘弁してくれよ、喉鼻に続いて耳まで詰まるなんて。

近頃の身体はどうにかしちまっている。

ホントにインドで何か貰ってきちゃったんじゃないかと思えるほどおかしい。

 

2008年8月23日 土曜日

先日の体調不良から引き継がれている鼻づまりと喉の不調。

巧く呼吸が出来ず、タンが絡まって「んがぁあ゙〜」ってやってもスッキリせずに自分に対してイライラ。

熱は無いのだがいつまでも症状がひかない。

まだ完治していないのだろうと再び病院へ。

予想通りまだ喉が荒れているらしく、薬を出してもらう。

1人暮らしだと自分の身は自分で守らなければならない。

実家にいたら寝ているだけで飯も出てきたし、回復することだけに専念すれば良かった。

今は日々の生活をしつつ体調を回復させなければならない。

健康じゃない時にこそ実家のありがたみを感じる。

 

2008年8月22日 金曜日

北京五輪。

日韓戦で敗退して3位決定戦に回った不甲斐ない野球の直後に4×100メートルリレー決勝。

予選で強豪国のバトンミスが相次いだ幸運もあったが日本チームが銅メダル。

1人でTVを見ていて思わず「おぉ!」と声が出てしまった。

銅メダルではあるが、北京五輪の中で個人的に1番印象的。

トラック種目でのメダルは80年ぶりだとか。

もしかしたら私が見た生涯最初で最後の陸上短距離でのメダルになるかもしれないわけか。

 

2008年8月19日 火曜日

全身のだるさと喉の痛みは無くなってきた。

代わりに今度は咳痰鼻水鼻づまりが台頭。

咳は発作のようにくることがあり、突然ゲホゲホが襲ってくる。

電車の中で発作が起こり、前のオッサンに露骨に背を向けられた、ゴメンナサイ。

インドから帰国して体調万全だった日が1日も無いような気がする。

 

2008年8月16日 土曜日

歯医者で2ヶ月に1度の定期洗浄日。

体調は万全ではなかったが歯医者は問題なし(歯垢や歯石取るだけだし)。

あまり体調が良くないからと家でゴロゴロ。

普段の休日とそう変わらない。

 

2008年8月15日 金曜日

体調悪い真夏の夜はどうやって眠れば良いか分からない。

クーラーつけずに眠ったら寝苦しすぎてまともに眠れない。

クーラーつけたら冷えて身体に悪そう。

結局クーラーをつけてしっかりタオルケットをかけて眠ることにした。

起床すると全身だるいのは変わらなかったが出勤に支障は無さそう。

夏休みを取ったばかりでさらに休むのも気まずかったので出勤。

病み上がり(病み中)の金曜日でもあったのでちんたら仕事をしつつ定時で帰宅。

帰りに職場の人と晩飯食いながらビールも飲めたので回復しつつあるのだろう。

1杯しか飲めなかったので回復途上なのだろう。

 

2008年8月14日 木曜日

朝起きた時点でダメだと判断して出勤を早々に諦め。

熱を測ると37.7℃、職場に休みの電話を入れ、病院を探そうとして気が付いた。

お盆じゃねーか。

ネットで病院を探すがこの時期は休診の所が多すぎる。

ようやく見つけた開いていた病院は自転車で5分程度の所で助かった。

お盆だからか殆ど患者もいなくてすぐに診察。

2週間前にインドで体調悪くなって…と成田空港の健康相談所で貰った紙片を渡す。
(この人は海外で感染症に罹患してるかもしれませんみたいなことが書いてある)

診察の結果、インドは関係なくただの風邪だろうとのこと。

とりあえず最悪の事態はひとまず避けられたか。

処方箋を出してもらい病院を後にする。

外へ出ると暑さと熱でクラクラ。

帰ってTVつけるとちょうど水泳200m平泳ぎ決勝のレース。

体調不良のお陰で北島2冠の瞬間を生で見られた。

TV付けたまま眠りに付いたので体操の内村銀なんかも朦朧とする記憶の中。

 

2008年8月13日 水曜日

朝起きると喉がつまるように痛くて痰もガラガラ。

インド風邪は治った気がしていたが潜伏していたのだろうか。

とりあえず仕事は行ってみたがあまり積極的に行動できる状態ではなく。

夜に消化試合ながら五輪サッカーvsオランダがあるからという理由ではなく体調不良で定時退社。

全身だるい中をだるくなる試合を眺めて0-1敗退。

結局最後まで見せ場が無いまま終わった感じだ。

 

2008年8月12日 火曜日

仕事後に帰宅するとなんとなくTVをつけてなんとなく五輪を眺める日々。

ちょうどTVをつけると女子柔道で谷本の試合をずっと放送している。

結果を知らずに見て準々決勝、準決勝と勝ち上がり。

おぉ、決勝どうなるんだ?と思ったら突然画面がスタジオに切り替わる。

「今スタジオに谷本選手がいらしてくださいました。それでは喜びの声を…」

って結果バラすなよ!

 

2008年8月10日 日曜日

五輪サッカーの2戦目vsナイジェリア。

1-2、アッサリ2連敗で予選敗退決定。

「谷底の世代」と揶揄され、殆ど期待されていなかった北京世代の五輪代表。

唯一期待通りだったのがアッサリ予選敗退するんだろうなーという負の期待。

直後にチャンネル変えたら柔道の内柴が2大会連続金メダルで救われた感。

 

2008年8月9日 土曜日

前日に北京五輪が開幕したので家にいるときはTVが殆どついた状態に。

旅後恒例の旅日記を執筆しつつ五輪も眺める。

柔道初日は最軽量級の試合。

男子の平岡も女子の谷もあまり覇気が感じられずお互いに指導によるポイント負けで敗退。

平岡なんかは4連覇のかかった野村を差し置いて出てきたのに初戦敗退とは酷すぎる。

こういうのを見させられると選考会で負けた選手が経験で選ばれる、というのもあながち間違いではないのかも。

同じく選考会で負けた谷でも一応しっかりと銅メダルは取っているわけだし。

TVが付いているとどうしても注目してしまい旅日記執筆は殆ど進まず。

 

2008年8月7日 木曜日

下痢と腹痛は治まったが、喉の違和感と咳痰が治まらない。

相変わらず仕事は溜まっているがこの日は北京五輪のサッカーvsアメリカがあるので早々に帰宅。

日本時間だと18時キックオフなので最速で帰宅して18:30頃からTV観戦。

悪くない内容ながら不意の失点食らって0-1敗戦。

アレを外してアレを決められちゃ勝てないわな。

相手はアメリカ・ナイジェリア・オランダ。

最初良ければなんとかなるか?と思っていたのが早くも望み薄。

体調も考慮して2本しかビールも飲まず試合と共に消化不良。

 

2008年8月5日 火曜日

休み明けの仕事。

前日に食った日本のカレーがインド慣れした身体に合わなかったのか朝からお腹が痛い。

インド滞在中は大丈夫だったくせに帰国してから下痢になるとは。

そういえばインド出発前日にも下していたような。

もしかして自分はインド人体質なのでは…。

1週間以上休めば仕事もそれなりに溜まっているが、体調も悪かったので定時で帰らせてもらう。

インドから帰ってきて体調不良なんで必要以上に心配される。

 

2008年8月4日 月曜日

海外帰りの休み明けでイキナリ1週間働くのは大変だということで敢えて月曜も休み。

体調も万全ではなかったので正しい選択だった。

インドから帰ってきて日本のカレーが食べたくなって昼飯はカレー。

やはり日本のカレーライスが日本人には合う。

 

2008年8月3日 日曜日

体調悪化こそあったが無事に帰国。

熱を測ると36.3℃と落ち着いてきている。

天気が良かったので旅装を洗濯。

旅前の洗濯物も溜まっていたので2回の洗濯機稼動。

実家にいたときには無かった旅後の行動。

 

2008年7月25日 金曜日

翌日からインドへ出発。

その前夜に飲みに行って、帰宅後はクーラーつけっ放しで眠ってしまった。

酒のせいかエアコンのせいか、起きると下り気味の腹。

インドへの出発前日に腹を下すことになるとは。

身の入らない仕事を定時で終える。

1週間家を空けるのでゴミを出せない。

家では何も飲み食いしないために外で飯もビールも済ませてから帰宅。

1人暮らししての旅行は今回が初めてだな。

 

2008年7月21日 月曜日

1人暮らしを始めたら自炊するかなーと思ったがなかなかそうもいかない。

ならばせめてスーパーで惣菜を買って家で食べるかなーとも思ったがなかなかそうもいかない。

まず何よりも駅前に飲食店が充実している。

敢えて家で作って食べたり、家で持って帰って食べる必然性を感じない。

洗い物の必要も無いしゴミも出ない。

作ったり食ったりすると必ずゴミが出る。

ただゴミよりも嫌なのが時期的にそれに付随してきそうな虫。

この季節だとチョット生ゴミを放置しておいたら虫を呼び寄せそうだ。

何よりも虫が嫌いな自分にとっては死活問題。

なので(まだ数えるほどしかないが)家で晩飯を食べるのは基本的に燃えるゴミの日の前夜。

では秋口になったら自炊するだろうか。

んー、何だかんだ理由つけてやらなさそう。

 

2008年7月17日 木曜日

夜、帰宅してポストを覗いたらビックリ。

ニュースでしか見たことの無かった一通の封筒、「ねんきん特別便」

学生〜社会人〜無職〜社会人、国民年金と厚生年金を渡り歩いて来たから漏れの可能性があるということか?

どこか少しだけワクワクしながら開封。

自分は選ばれた人間なのかと思いきや、同封の書類を見ると年金加入者には全員に送付する仕組みになっているらしい。

幸か不幸か国民年金と厚生年金の加入時期と期間は恐らく一致。

「もれ」や「間違い」が無くても必ず回答して返送しろと書いてある。

しかし伝えられている社保庁の体質だとどうも100%信用できない。

「間違いありません」と返送してしまうと後で間違いが見つかっても「貴方は確かに間違いありませんと返送しています」なんて突っぱねられそう。

 

2008年7月11日 金曜日

インド旅行の予習としてインドの旅行記を読んでいる。

帰りの電車で読んでいたら無性にカレーが食べたくなってカレー屋に突入。

噂によるといわゆる日本のカレーとインドにあるカレーは別物だとか。

中国で食べる中華そばと日本のラーメンが別物なのと似たようなものだろうか。

いずれにせよその辺も体験してきたいものだ。

 

2008年7月9日 水曜日

職場近くの居酒屋で生ビール1時間980円飲み放題フェアを開催。

ビールはア○ヒ・キ○ン・ヱ○スの3種が飲み放題。

これは行かない手は無いでしょう!と職場のビール党を集めて1時間1本勝負。

3種飲み放題と言うことで順番に3種飲み干した後はやはり原価が高いであろうヱビ○を立て続けに。

結局1時間5杯、1杯辺り200円だった。

その店では生ビール1杯450円、○ビスなら1杯500円だから充分に元は取った。

これでも充分安いが次があれば1杯200円の壁を突破したい。

その気になればイケた気がする。

 

2008年7月4日 金曜日

ようやく待ちに待ったネットの開通。

開通作業は立会いが必要とのことで午前休暇を取って開線作業に立会い。

別に何の工事をするわけでもなく、電話線をモジュラージャックに挿してそれをルータ?に繋ぐ。

その後で作業員が何やらPC使って回線状況を確認しただけで終了。

アッサリしたもんだった。

作業員が帰った後でPCを立ち上げて初期設定をおこなう。

プロバイダから届いたユーザIDやらパスワードやら諸々を入力してインターネットエクスプローラを起動。

そして1ヶ月ぶりのネット開通。

思わず懐かしいと思えてしまうくらい現代のネット社会の速度の中では1ヶ月のブランクは大きい(大袈裟)。

メールも起動したかったが受信に何分かかるか想像付かなかったのでまずはネット開通だけを確認して仕事へ。

仕事もさっさと切り上げて帰宅後にメールに接続。

メール受信中…なんと件数は5,000件弱。

受信だけで10分以上かかった。

おまけにそのうち90%以上がいわゆる迷惑メール。

よくもまぁこれだけ溜めておいてサーバーが溢れなかったものだ。

片っ端から迷惑メールを削除していてその中にインド旅行のメールが混ざっていることに気がついた。

e-チケット航空券の予約番号を知らせるメールだった。

危うくまとめて削除するところだった。

もしも5月後半から7月前半に私のPC宛にメールをくださった方がいたらご連絡ください。

勢い余って削除してしまったかもしれません。

 

2008年7月2日 水曜日

仕事帰りに吉○家で晩飯。

いつものように並と卵を注文。

ふと斜め前の席を見るとオジサンが何も注文せずに座っている。

5分くらい経つと突然「ココはいつまで客を待たせるんだ!」と怒鳴った。

店員が慌てて飛んできて「申し訳ございません。」と。

怒りが収まらないオジサン…

「いつ気付くかと思って黙って座ってりゃいつまでも気付かない!」
「オレが座ってから他に何人客来たよ!」
「アンタ(店員)が客だとしてこれだけ待たされたら嫌だろ!」

気持ちは分かるけどオジサンよ。

一言「スミマセン」って店員を呼べば済む話だったんじゃないのか?

注文した品が来ないならまだしも、店員だって来店に気付かないことはあるだろう。

それなのに黙ってずーっと座っていて突然大声を張り上げるとはオトナゲない。

ひとしきり喚き散らした後で「もうイイよ!うなてい(鰻定食)!」

って食うのかよ!

おまけに「うなてい」って略語使うくらい通ってんのか?

オジサンの帰り際に何らかのサービスがあったのか気になったが私が牛丼食べ終わる方が早かった。

 

2008年6月30日 月曜日

未明にサッカーEURO2008決勝のドイツ−スペイン。

3:30からの試合で目が覚めたのはハーフタイムだった。

そのときには既に1点入っていて試合はそのまま1-0でスペイン優勝。

凄く損した気分で試合終了と同時に不貞寝。

でもその1時間半後には起床して仕事へ。

 

2008年6月28日 土曜日

ようやく建物に光が開通したとの連絡。

その一報を聞いてすぐに家電量販店へ向かい光導入の手続き。

光導入に関してはどこへ行っても何かしらのキャンペーンをやっている。

私の場合は工事費無料+プロバイダ2ヶ月無料+20,000円分の商品券プレゼントだった。

結果的にタダよりも安い。

とりあえず加入者増やせ増やせのばら撒きキャンペーンのようだ。

なにはともあれ契約成立で翌週には開通工事。

当初の予定通りほぼ1ヶ月での開通。

長いようで短いようで…なネット無しの1ヶ月。

分かったことはネットが無くてもなんかなる、ということ。

だけど新聞も取っていない、ニュースもそう見ない生活だったので世間の情報に疎くなった気がする。

まぁそれもこれも解消だ。

 

2008年6月26日 木曜日

来月のインド旅行へ向けてビザを取得しなければいけない。

旅行代理店に頼むことも出来るのだが、折角なので自力で取りに行きたいということで有休。

いつもならネットでちゃっちゃと調べられるがネットが使えない現状。

本屋で旅のガイドブックを立ち読みしてアナログな情報収集。

インド大使館へ行くのかと思ったがビザ取得センターみたいな所があるらしい。

場所は「茗荷谷駅から徒歩5分」と書いてある。

茗荷谷…ナガヤ?ナニヤ??ナガタニ???読めない。

東京の地図を立ち読みして読み方を知る。

ミョウガダニ、言われてみれば読めるし聞いたこともあるような地名。

そんなわけで辿り着いた茗荷谷のビザ取得センター、お茶ノ水女子大の目の前にあった。

運転免許の更新所みたいな殺風景な室内。

そこは半分インド、窓口の係員も恐らくインド人。

必要書類に記入をしてパスポートと顔写真と手数料2,000円弱と一緒に提出。

午後の提出だと受け取れるのは翌日以降になる。

しかも平日しか受け取れないらしい。

仕方ないので郵送してもらうことにしたが手数料が+1,000円。

その辺のやり取りを片言の英語で、早くも外国気分。

手数料と交通費と手間を考えたら旅行代理店に代行してもらった方がお得。

でもここからが旅の一歩だと考えたら惜しくは無い。

2度目のインドがあったらそのときは代行してもらおう。

 

2008年6月25日 水曜日

今年になって初めて本社へ。

定時後にあまり意味の無い会議に参加し、帰りに同僚と飲みに行くことに。

本社は渋谷にあるが飲みは新宿の方が良い、ということで渋谷から新宿へ。

いつもは山手線を使うが折角なので最近開通したばかりの東京メトロ副都心線を使うことに。

渋谷は始発駅とはいえ、20時過ぎの電車内はガラガラ。

我々は新宿3丁目で降りたが、それほど大勢の客が乗ってくることは無かった。

大丈夫か?副都心線。

しかし、渋谷・新宿・池袋を繋いでおきながら「副」都心線とは。

どんだけスケールでかいんだよ、東京。

 

2008年6月20日 金曜日

3月まで同じ職場だった同僚と飲みに行った。

1つ上の人ながら微妙に気が合い度々飲みに行っていた。

私が1人暮らしを始めた頃、彼は中古のマンションを購入だとか。

私も検討対象として中古マンションもあった。

まぁでも最初は賃貸で様子を見るかという結論に落ち着いた。

賃貸の今の部屋を見つけるまでに半年近くかかった私。

中古マンション買うなんていったらどんだけかかることか。

 

2008年6月14日 土曜日

13日の深夜からサッカーEUROの試合が立て続け。

イタリア−ルーマニアに始まりフランス−オランダ。

ウツラウツラしながら眺め朝の5:30頃にようやくちゃんと眠れる。

だけど土曜日が午前中に洗濯しちゃいたいので9:00過ぎには起きて洗濯。

歯医者もあったので11:00前には外出。

1人暮らししてから暇だー、という時間は明らかに減った。

片付けがまともに終わっていない現状なら尚更。

 

2008年6月9日 月曜日

1人暮らしを始めてから1週間強。

仕事は普段どおり順調だが、生活に関してはまだ片付いていない状態。

やはり仕事をしながら片付けというのはなかなか大変…というのは言い訳か。

仕事終わりで帰っても1日1片付けを目標に何かしら部屋を片付けることに。

「今日はこの箱」「今日は台所周り」「今日はCDの整理」などなど。

自分から動かないとなにも片付かないので。

 

2008年6月6日 金曜日

残業中に地元の友人から電話があり、地元で飲みに。

1人暮らしの報告をしていなかったので丁度良かった。

ある程度予想はしていたが、実家があるのに1人暮らしは勿体無いなーと言われた。

確かに金銭的なことを考えると勿体無いのかもしれない。

だけど勿体無い以上の諸々があると思う(具体的にコレ!というのはパッと出てこないが)。

とりあえず私の中では今後の人生の中期的プランの第一歩が1人暮らしだ。

 

2008年6月3日 火曜日

1人暮らし後の初出勤。

実家にいた頃と同じ時間に家を出て徒歩で駅へ(実家の時は自転車)。

結果的に実家にいたときよりも早い時間に駅に着いた。

駅が近くなったことを実感。

まだ完全に部屋が片付いていない状態なので食事は外食。

仙台時代と違って食べる所には困らないのが良い。

仙台では車がないと外食はできないような状態だったので。

 

2008年6月2日 月曜日

引越後の事務手続きを行うために有休を取っておいた。

市役所、郵便局、警察署、銀行などへ行き諸々の住所変更の手続き。

これでライフラインや公的手続きは一通り終わったことになる。

しかし唯一にして最大の懸念事項がネット。

1人暮らし先では光が導入されるまでに1ヶ月ほど時間がかかると言う。

一時的にモバイルなどの使用も検討したが初期費用も含めると数万かかる。

それならば1ヶ月我慢することに。

迷惑メールが大量に来るフリーメールの容量が溢れなければ良いが。

 

2008年6月1日 日曜日

引越に合わせてブラウン管TVを液晶に、ビデオをハードディスクレコーダーに買い替え。

TVクラスの大物になるとネットの見知らぬ店舗で購入するのはやや躊躇。

そんなわけで家電店巡り。

大型家電店を巡っておおまかな相場をチェック。

液晶TVは売り場で縦横斜めと色々な角度を見比べて購入対象を決定。

HDレコーダーも同時購入予定なので、素直にコレとコレくださいでは芸が無い。

レジ行って「スミマセン、ご相談が」と。

コレとコレが欲しいんですが、このHDレコーダーはドコドコでいくらだったんですけど…

両方同時に買うんで…等々の交渉の結果、値引きとポイント還元でグッと安く。

合計で16万円ほどの買い物をポーンと。

ポイント還元だけでも数万円。

即日配達で夜からは液晶TVが到着。

これで地上デジタル放送が見られると思ったら建物のアンテナが地デジ対応していなかった。

結局普通のアナログ放送。

 

2008年5月31日 土曜日

引越当日、落ち着かず早々に目が覚める。

午前中に引越屋が来て手際よく荷物を運び出す。

仙台からこっちに帰ってきて以来なので6年ぶりくらいの引越。

市内移動なので作業は全部合わせても3時間もしないで終了。

引越作業員が出て行くと遂に正式な1人暮らしのスタート。

当たり前だが自分が動かないと事態は全く進まない。

まずは事前にシミュレーションしていた配置を元に実際に動かしてみる。

ほぼ想定通りの配置になり満足。

電気と水道は事前に手配してあったし、暗くなる前に部屋のライトも届いた。

立会いが必要なガスの開栓も無事に終了。

仙台以来開けていなかった段ボール箱を開けたり、冷蔵庫や洗濯機が日の目を見たり。

6年ぶりに電源を入れた冷蔵庫は正常に作動。

日本のメーカー、大したもんだ。

引越し後の作業をアレコレ実施、久しぶりに肉体的に働いたなーという1日。

 

2008年5月27日 火曜日

サッカーのキリンカップvsパラグアイがあったので多少無理をして帰宅。

頑張って帰って見た試合はスコアレスドロー。

往々にしてそんなもんだ。

 

2008年5月25日 日曜日

前日は昼過ぎからずーっと飲んでいたというのに不思議と二日酔いが殆ど無し。

前半飛ばして後半は必然的にペースが落ちていたから残らなかったのだろうか。

次の土曜には引越しなのでその前に準備をすることが色々。

部屋で必要となるライトやガステーブルをネットで検索。

ネットで買って引越し当日に届くように手配をする。

さらに事前に鍵を貰っておいたので部屋へ行ってバルサンを焚く。

初めてバルサンというものを使ってみたが思った以上に煙が出て焦った。

コレ使ってものの配置考えたり。

今が1番楽しい時期なのかもしれない。

旅と同じで計画を練っている時が1番。

 

2008年5月24日 土曜日

職場結婚した同僚の結婚記念パーティー。

披露宴と2次会の中間くらいの位置づけで、レストラン借り切って立食式のパーティー。

当日は平服で〜だったがまぁ無難にスーツで向かう。

会場のレストラン近くには人だかりが出来ている。

えっ?そんな人だかりが出来るほど大掛かりなパーティーだったっけ?

と思ったらそれは別の人だかりだった。

サッカーJリーグ横浜Fマリノスの練習場があるマリノスタウン内のレストラン。

ちょうど隣にカフェがオープンだとかで横浜Fマリノスの選手がオープニングイベントに来るとか。

時間があったので寄ってみるとちょうどイベントが始まる時間。

横浜Fマリノスの監督と選手数人。

横浜には日本代表のメンバーもいるが、日本代表は名古屋で代表戦がある日だった。

というわけで横浜の普通の選手たち。

だけど2002年日韓W杯のときのレギュラーだった松田が見られたからミーハー的には良し。

本題の結婚記念パーティーでは今や職場を離れた人なども集まりさながら同窓会。

総勢80〜90人くらいの参加者らしい。

若手社員による学芸会の台詞回しのような司会などご愛嬌。

新郎新婦クイズやらチョットしたゲームだのシラフだと恥ずかしいものばかり。

とりあえずビールを片っ端から飲んでいった。

14時過ぎから始まった会で夕方頃に終了。

当然それで終わるわけはなく2次会は普通に居酒屋へ。

それでも50人くらいはいたらしく、大勢でワイワイガヤガヤ。

3次会になって20人程度になってようやく主役とまともに話せる状況になった。

ただし3次会ともなると記憶がかなり曖昧…。

 

2008年5月19日 月曜日

一緒に仕事をしていた女性から妊娠したので休職する、と話を聞かされた。

つい数日前に高校来の友人が結婚するという話を聞いたばかり。

おまけに今週末には職場結婚を果たした同僚の結婚記念パーティー。

なんだか今年はオメデタイ話が続く。

何年か前にも職場の同期の結婚式と従兄弟の結婚式が連続してあった。

オメデタイ話には相乗効果があるものなのか。

 

2008年5月17日 土曜日

高校時代の友人から電話があり「結婚する」と。

以前からそんな話はしていたので、電話がかかってきた時にそうかなーとはなんとなく思っていた。

私の中で最も身近な友人の1人。

これまで私の周りにも結婚したりしてたりって人はいた。

だけど長期間仲が良くて現在も付き合いが継続している友人の中では初めてだと思う。

遂に自分の周りでも動き出しやがったのかー、と。

 

2008年5月11日 日曜日

1人暮らしの部屋が決まったので諸々の手続き。

住民票や保証人(親)の印鑑証明、引越しの準備など。

そうこうしているうちに不動産屋から電話があり「審査に通りました」と。

早っ!昨日の今日なんですが…。

契約上の入居日は6月からにしてもらったがサービスで5月末から入って良いという。

少し時間的に余裕もあるので良かった。

 

2008年5月10日 土曜日

昨年末くらいから動き始めていた部屋探しが遂に決着。

累計で数十件の部屋を見てきて、当たり前だが100%希望の部屋は無いことは分かっていた。

いくつかの妥協点とそれを補う点を合計して合格を出す。

しばし部屋を眺めた後で心は決まった。

この一言を言えば決まるんだなーと思い「じゃ、ココでお願いします。」

終わってみればアッサリしたもんだった。

 

2008年5月7日 水曜日

休み明け、名古屋土産のういろうを持っていく。

ういろうってのはやたらに重い。

職場の人数分が小分けにされたパックだったが結構な重さ。

是非業者には軽量ういろうの開発を望む。

イメージとしてはカルメ焼きみたいになるのだろうか、軽め焼き…。

 

2008年5月5日 月曜日

1泊3日の食い倒れ弾丸ツアーが終了。

名古屋は食の宝庫だった、おまけに人もいっぱい。

これも旅日記に加えねば、ベトナム・カンボジア旅記すらまだ完成していないのに。

 

2008年5月2日 金曜日

翌日から本格的なゴールデンウィーク。

職場の同僚と2年ぶりの食い倒れツアー。

車は良いけど大型連休は渋滞が酷い。

おまけに移動中に酒が飲めない。

でも4人で行くこと考えるとガソリン代高騰とはいえ電車より安そうだ。

 

2008年4月28日 月曜日

ゴールデンウィーク中日に学生時代のアルバイト仲間との飲み会。

先日のアルバイト先閉店に伴い久々にメールしてみたのがきっかけ。

仲が良かった5,6人で集まってのプチ同窓会。

当時はハタチ前後だった皆が今やミソジ前後に…。

前回集まって飲んだのは4年前。

そのときに「次のオリンピックイヤーにまた飲もう」と宣言してお開きにしたのを覚えている。

本当に「次のオリンピックイヤー」で飲むことになるとは思わなかった。

思い出を肴に飲んだ〆は「じゃぁやっぱり次のオリンピックイヤーにまた」

店は閉店してもこちらは閉店しません。

 

2008年4月19日 土曜日

ベトナム・カンボジアの旅記が完成する前から次の旅の予定。

次は7月、場所はインド。

インドへ行くと人生観が変わる。
旅人はインドを目指す。

誰から聞いたかどこかで読んだか定かではないがずっと心に残っている言葉。

旅好きとしては是非行ってみたい地だった。

そして何が変わるわけでもないが行くなら20代のうちにインド!と決めていた。

学生時代から行きたかった国だが旅の経験値を積んでから、と妙な遠慮をしていた。

先日のベトナム・カンボジアの予定をインドにすることも出来た。

ただベトナム・カンボジアの時に私は28歳。

ここまできたら20代最後の年にインドへ行きたかった。

7月のインドは雨期で観光には不向きらしいが、都合良く休みが取れそうな時期が7月。

雨期とはいえ毎日大雨ってわけでもないだろう。

まずは何よりもインドへ行く!ってのが第一目的だ。

というわけでインド行きの航空券探し。

幸いこの時期だとまだキャンセル待ちにはなっていない。

部屋探しとか航空券探しとかベトナムカンボジアの旅記作成とか。

色々と慌しくなってきた。

 

2008年4月16日 水曜日

昼に無性につけ麺が食べたくなって昼はつけ麺を出す居酒屋へ。

結構混んでいた店内だがすぐに席に案内されてつけ麺を注文。

しかし待てども待てども出てこない。

周りのテーブルの様子を見てもかなり待たされているよう。

おまけに他で注文違いがあったらしく店員はかなり慌ててバタバタ。

時計も携帯も持ってきていなく、時間は分からなかったがあまりにも遅すぎる。

我慢の限界を超えて席を立つ。

1人店員を捕まえて「あまりにも遅すぎるんでもうイイです。」と言って店を出る。

すると店員「あ、はーい。ありがとうございましたー」と。

向こうもテンパッてたんだろうけどありがとうございましたは無いだろう。

申し訳ありませんくらい言えってんだ。

腹も減っていたので改めてクレームつける気力も無く退散。

職場の席に戻ると昼休み終了時間から10分は経っていた。

計算すると30分以上待たされていたことになる。

昼飯抜きでイライラの午後だった。

 

2008年4月13日 日曜日

職場の後輩やら元先輩やら元後輩やらとゴールデンウィーク食い倒れツアーが決定。

一昨年は東北、今年は名古屋だ。

気がついたらトントン拍子に話が進んでいた。

GWの予定は何も無かったからちょうど良い。

 

2008年4月10日 木曜日

迷惑メールだらけのPCメールのタイトルに「仙台社会人一人旅について」というのがあった。

宛先に見覚えはないけれど、迷惑メールではないだろうと思って開いてみた。

フリーメールを使い、名乗りはしていなかったが福島県在住の公務員と称する方からだった。

「仙台」のキーワードで検索してヒットして私のHPに辿り着いたらしい。

現在就活中の息子がいて、仙台の小売店に就職したいと言っているとか。

それで私の「仙台社会人一人旅」を読んでそんな激務の所には勤めさせたくない。

HPを読んだだけでは業種や企業名には触れていないのでどんな仕事か分からない。

ひいては私が勤めていた社名を教えてくれないか?という内容のものだった。

そんな経路と理由から直接私にメールが来るとは驚きだった。

ただ、見ず知らずの人がフリーメールを使って名乗りもしていない。

何者かも分からない人に安易に企業名を出すことは憚られる。

結局企業名は出さず、

「ご子息が仙台の小売店に就職されるおつもりなら私のいた企業ではないはずなのでご安心を」

といったメールを返しておいた。

(私のいた当時のままなら本社一括採用のはずなので)

気になって「仙台」で検索かけてみたが膨大な数がヒット(当たり前か)。

ところが「仙台社会人」にすると私のページがかなり上位に出てきた。

某有名検索サイトに至ってはトップで表示された(ミラーページではあったが)。

いつ何時誰が来るとも限らないわけだ。

私のページは関係者が見ればすぐに特定できる内容で溢れている。

読み返して際どい内容が無いかどうか調べてしまった私は小心者。

 

2008年4月5日 土曜日

3月が終わったので不動産屋も落ち着く頃かと思い本格的な部屋探しを再開。

3月に良いかなと思えたところがあったが内見出来るのが4月になってからだった。

ところが内見しようと思ったらもう他の人に決まってしまったという。

内見しなくても良いという人がアッサリ決めてしまったらしい。

3月は1番物件が動く時期だからすぐに取らないと埋まってしまうというのを実感。

 

2008年3月26日 水曜日

時期的に職場を抜ける人が多数。

同じチームだったり世話になったりな人もいなくなるので送別会が次々と。

1次会〜2次会を経たが辛うじて正気を保っていたらしく、深夜のサッカーを見るために帰宅。

W杯予選でアウェイのバーレーン戦。

飲み会の酒が抜けずにボーっとしたまま観戦。

アレ?と点を入れられてそのまま0-1敗戦。

おいおいチャンス作ったか?っていうくらい内容も悪い。

酔いも醒める試合だった。

 

2008年3月12日 水曜日

三十路まで1年となった。

特に何が起こるわけでもなく淡々と仕事。

帰ってPCのメールを開くといくつか登録してある転職情報サイトからのメール。

今日という日にコレは!という企業があったら運命的だ!とドキドキしながらメールを開くも目ぼしいのは無し。

ま、そんなもんでしょ。

 

2008年3月8日 土曜日

父が部屋を整理していたら出てきたと言うブランデー、ナポレオン。

相当良い酒だぞ、ということで少し頂く。

ウィスキーなどの蒸留酒系特有のカッと熱くなる舌触り。

良い酒なのだろうが、あまり味が分からない。

ワインを蒸留したらブランデーということらしいが、ワインよりも同じ蒸留酒のウィスキーに近い味。

どうもウィスキーにはトラウマがある。

学生時代に友人と2人でウィスキー1本空けた翌朝は酷いことに。

社員旅行で社長と一緒に良いウィスキーを調子に乗って飲みすぎて翌朝は酷いことに。

…単に飲み方が酷いだけっぽい。

 

2008年3月1日 土曜日

何気なくネットをやっていたら、ん?という情報。

私が大学時代にバイトをしていた地元の店が閉店したという。

詳細を見ると「2月27日を持って閉店」と書いてある。

2月27日といえば私がカンボジアから帰国をした日。

その日にちょうど店の前を通ったら開店準備をしていた。

開店準備をする10時前に店の前を通ることなど近年なかった。

あぁ、開店準備か懐かしいなーなんて思ったのを覚えている。

今にして思えばそれが最後の開店準備だったということになる。

私は最後の開店準備の日にたまたま通りかかったことになる。

少しだけ運命的なものを感じてしまった。

私が4年間バイトしていた店というだけでなく、30年近く地元に根ざした店だった。

思い入れは人一倍だったと思う。

最近は知っている人がいるわけもないので全く寄り付かなくなっていた。

それでも無くなってしまうと寂しいものだ。

自分の母校が無くなってしまうなんてのも同じ感慨なのだろうか。

 

2008年2月28日 木曜日

帰国翌日にはもう仕事。

しかも結構諸々と溜まっていて気がつけばしっかり残業までしていた。

リハビリする間もなく一気に現実。

週末に近いというのが救いか。

 

2008年2月27日 水曜日

気温が30度を超える国から帰国したら気温が4度。

カンボジアと同じものとは思えない寒い太陽。

朝に到着した飛行機、地元に着いたのがちょうど街が動き出した頃。

海外旅行から帰っての定番ともいえるラーメンを食って帰宅。

デジカメで撮った画像を1人試写会していたらだいぶ時間がかかった。

以前は36枚撮りのフィルムを何本持っていくかで悩んだものだ。

今やデジカメ1つで何百枚何千枚も溜めることができる。

改めて文明の利器の凄さを感じる。

 

2008年2月17日 日曜日

旅前最後の休日なので旅の準備を殆ど済ませた。

準備段階で最も悩んだのがどういう格好をして行こうかということ。

ベトナムとカンボジアは乾期のベストシーズン。

とはいえ気温は30度近く、日本で言うと夏日か真夏日かといったところ。

日本の2月と言えば乾期…ではなく寒気。

成田空港まで寒い思いをして行くか、しっかり上着て現地で重い思いをするか。

 

2008年2月11日 月曜日

年始に地元の友人と飲んだ時にベトナム&カンボジアへ行く話をした。

すると同じ時期に友人も仕事仲間でベトナムへ旅行の予定があるという。

後に正式な日程を教えてもらったらちょうど私がホーチミンにいる時期と被っていた。

こんな偶然、これは合流しない手は無い。

これまでの旅で、先に現地入りしている友人と合流することはあった。

だけどたまたま同じ時期に同じ国へ行くなんてシチュエーションは初めてだ。

思わぬおまけが付く1人旅になりそうだ。

唯一の不安は巧く現地で合流できるかということ。

最近の携帯電話は海外でも使えるらしいが、あいにく私の携帯は最近のではない。

携帯を使わないアナログな待ち合わせをホーチミンですることになるのか。

とりあえず打ち合わせと称した飲みに。

 

2008年2月9日 土曜日

昨年一通りのプロセスが終了した虫歯治療。

経過観察と定期的口内ケアということで2ヶ月ぶりに歯医者へ。

機械使って汚れ落としたり虫歯チェックしたりなんだかんだ。

今回からは虫歯の「治療」ではなく「予防」。

ゆえに保険が効かないという話は聞いていた。

しかし会計を言われて驚き「8,400円です。」

えぇっ、そんなに!?

これまでは2〜3千円程度だったのに。

必要経費だから仕方ないとはいえ、これなら虫歯になってた方が良いんじゃないかとすら。

 

2008年2月6日 水曜日

ワールドカップアジア予選の初戦vsタイ。

いよいよ「本番」の初戦、仕事は勿論定時で即帰宅。

しっかり雪が降ってタイ人は寒くて動けないんじゃないかと。

先制して一安心と思いきやアッという間に同点にされる。

これがW杯予選の難しさ…と思っていたが後半に3点入れて結果的には快勝。

終わってみれば過去の初戦と振り返っても文句のつけようのない結果。

大丈夫とは分かっていても1点差だとまだ不安感。

これぞW杯予選といったところか。

次の日本代表戦は東アジア選手権。

開催地が中国の重慶で相手が中国・韓国・北朝鮮。

罰ゲーム以外のなにものでもないような気がする。

 

2008年2月3日 日曜日

昨年は暖冬とかで全く雪が降らなかったのに今年は昨年分も降っている感じ。

朝起きて外が一面真っ白。

いつもの景色が違って見える、意味も無くワクワクできる。

まだ私も老け込んじゃいないか。

但し、純粋にワクワク出来るのは外出する必然性が無い休日に限るが。

 

2008年1月30日 水曜日

ハンドボール五輪出場決定戦の日韓戦。

同時刻にサッカーの親善試合ボスニア戦。

話題的にも真剣度合いから言ってもここはハンドボールが優勢か。

折角なので最初はハンドボールを見てみる。

スピーディーな展開でポンポン点が入る。

バスケットとサッカーを足して2で割ったような内容。

2分間退場なんてのはホッケーの要素も入っているか。

序盤はハンドとサッカーをザッピングしながら眺める。

ハンドボールの後でサッカーを見るとサッカーが遅い遅い。

しかし次第にサッカー比率が高くなる。

ハンドボールは見ていて途中から「あぁ、こりゃ勝てそうに無い」と思えてきた。

明らかに韓国の方がアッサリと点を取る。

日本はパスは回すけどシュートになかなか行けない…ってサッカーと似たような症状。

後半は殆どサッカーを眺めて、サッカーの試合中にニュース速報で「ハンドボール敗退」と。

折角ここまで盛り上がっておいて男女共に韓国に敗退とは。

後でスポーツニュースで見た試合後の観客へのインタビュー。

「初めて観ました。面白かったです。選手の皆さんを褒めたいです。」

初めて観たヤツが「選手を褒めたい」とは偉そうに…

 

2008年1月23日 水曜日

仕事中に「チョットいい?」と呼ばれて行くと同じチームで働いている2人が並んで座っている。

1人は一昨年の新入社員の男性、もう1人はベテランの域に達しつつある女性。

何事かと思ったら「結婚します。」と。

以前から仲が良さそうだった2人だったんで薄々なにかを感じてはいた。

交際宣言くらいかと思っていたら一気に結婚発表。

男性の方は私の弟と同じ歳で新入社員の頃から知っているがそれが一気に結婚まで決断。

へぇー、ほぉーとただ感嘆するばかり。

だけど2人を見ていると素直に「おめでとう」と言える。

職場結婚を間近で見るのは初めてだ。

 

2008年1月18日 金曜日

仕事仲間との飲み会で以前一緒に働いていたOB4人を交えて新宿まで遠征して飲み。

おぉー、久しぶりー、と同窓会のような雰囲気。

惜しいのは人数が多すぎてワーッと飲みになってしまってあまり個人的に話す時間が無かったこと。

2次会は昨年転職した人の家へ。

年収が1.5倍になったと豪語していただけに部屋も立派だった。

一緒に働いていた頃は1Kのアパートだったらしいが、現在は3DKのマンション。

1年と経っていないのに変われば変わるもんだ。

 

2008年1月12日 土曜日

両親とも出かけたために晩飯を1人で食うことに。

スーパー行ったら冷凍サンマが1匹60円と激安。

魚なんて焼いたこと無かったがものは試しと買ってみた。

こんなときはネットで検索。

出るわ出るわサンマの焼き方アレコレ。

見るサイトによって書いてあることが違うので混乱。

塩は高い所から振れ、塩水で洗え、尻尾にアルミを巻け、網には油を塗れ…アレコレ

サイトの情報を総合判断してサンマの塩焼きに挑戦。

塩振ってグリルで片面5分×2。

グツグツジュージュー言って見た目はしっかり焼きサンマ。

食べてみてやや塩気が少なかったが、身離れも良く味もちゃんと焼きサンマ。

ワタがやや生っぽかったのでもう少し焼いても良かったのかもしれない。

後で母にサンマの焼き時間を聞いてみると「様子を見つつ適当」との答え。

結局慣れか。

 

2008年1月7日 月曜日

本格的な仕事始め。

この日から出勤する人が多数で仕事後に「軽く行きますか?」とまた飲み。

予想はしていたが「軽く」は無く、2次会まで行っていた。

1年始まったばかり、1月始まったばかり、1週間始まったばかり。

2008年は出勤2日で飲み率100%。

 

2008年1月4日 金曜日

前夜の酒が残りこれまた恒例のやや二日酔い出勤。

仕事始めながらこの日を休むと大型連休のため出勤する人は少数。

電車もガラガラ、職場は土曜日出勤したかのような人の入り。

あそこまで人数が少ないと一人ずつに「あけましておめでとうございます今年も〜」の挨拶が出来る。

仕事始めの終業後に早くも飲みに行く。

焼酎ボトル2本目あたりから記憶が怪しく。

 

2008年1月3日 木曜日

地元の友人と恒例の新年会。

翌日が仕事始めなので早めに飲もうということで17:00集合。

しかし予想はしていたが早く飲み始めたから早く飲み終わるわけではなく。

案の定日付が変わる頃まで手を替え店を替えて飲み続け。

最後にラーメンで〆る王道コース。

 

2008年1月1日 火曜日

明けても暮れても特に変化は無く。

朝から日本酒、昼にはビールで天皇杯、夕方にウトウト、夜も飲み。

毎年恒例典型的寝正月。

年賀状は5枚出して来たのは3枚、予想外の相手からの年賀状は無し。

これも毎年恒例。

 

2007年12月31日 月曜日

京都から祖母と伯父が上京(って言うのか?)したので車で迎えに行く。

年末休暇の初外出になった。

とりあえず外出用の格好をしたので街をブラブラ。

特に何するでも無かったが、暮れの街の雰囲気は好きだ。

学生時代のバイトで12月31日は大掃除した後で職場で酒を飲んでいた。

そしてそのまま居酒屋へ突入して二日酔いで新年を迎えるのが恒例。

懐かしい時代だ。

今年の大晦日のTVは格闘技とダウンタウンをビデオに録ってハッスルを眺める。

真面目にハッスルを見たのは初めてだったが川田…なにやってんだよ。

ゆく年くる年を眺めつつ年越し蕎麦を食べ、半分寝ながらビデオに録った格闘技を眺める。

ここ数年の変わらぬ展開

 

2007年12月29日 土曜日

年末休暇初日。

天気も雨だったので1日中家でゴロゴロ。

昼から夕方までサッカー天皇杯準決勝をひたすら眺めてた。

毎年こんな感じなような気がする。

 

2007年12月28日 金曜日

気付けば年内最終出勤日。

最終日なのにきっちり仕事があって普通に20時頃まで残業。

終業後は今年最後の忘年会に遅れて参加。

最後の忘年会だからか普段はあまり飲みに参加しない人達も沢山。

年内に仕上げる仕事は一通り終了させての飲み。

シチュエーションは完璧、楽しく美味しく今年最後の飲み会。

 

2007年12月24日 月曜日

この3連休で作らないと元旦に間に合わないだろうということで年賀状作成。

出さなければ来ないのが年賀状。

毎年着実に減っていき今年は会社への義理年賀状も含めて5枚。

ネットで干支にちなんだイラストなど探してきて加工。

自分のPCで作ったのがプリンタが繋がっている家族共用PCと相性が悪いのか巧く印刷できなかった。

結局サイズを変更したり微調整してようやく5枚の印刷が完了。

5枚のための作業にしてはかなりコストパフォーマンスが悪い。

 

2007年12月23日 日曜日

高校時代の友人と恒例の忘年会。

18:00スタートで23:00過ぎまで転々と飲み。

いつものように昔話と近況話に花が咲く。

恒例のメンバーは4,5人なのだが近頃は誰かしら欠けて結局3人で飲むことが多い。

1年に1回くらいは皆で集まりたいものだ。

 

2007年12月21日 金曜日

2週連続で土曜日出勤だったが幸い3週連続にはならずに済んだ。

残業しての帰路、晩飯はラーメンでも食って帰るかと店を覗くと0時近いのに混雑。

翌日から3連休、1番の忘年会日和だったから「飲んだ後のラーメン」か。

混んでいたのでラーメンはやめて99ショップで惣菜類やスナックと酒も買って600円弱。

お酒も付いてラーメンより安い…けど1人暮らしを始めたら危ない食生活だな。

 

2007年12月15日 土曜日

前夜の酒が残りやや二日酔い。

でも仕事溜まってるし…と身体を奮い立たせて出勤。

15:00から出勤なんて土曜日じゃなきゃ出来ない。

二日酔いっぽいだるさもあって何かダラダラダレダレ。

22:00頃まで働いたがあまり土曜日出勤の充実感は無し。

飲み会出たけどちゃんと土曜出勤して仕事したよってアリバイ作り。

 

2007年12月14日 金曜日

職場での忘年会。

前日がサッカー、この日が忘年会と2日連続で定時退社なので仕事が溜まっていた。

しかし土曜日出勤してもサッカーは見たいし飲み会は行きたい。

というわけで翌日出勤覚悟で忘年会参加。

近頃仕事が忙しかったのでウサ晴らしのためにも飲む飲む。

60人くらいでの1次会、40人くらいか2次会、終電無いぞ3次会。

次第に記憶も曖昧になってくる。

明日が出勤という理性は辛うじて残っていたらしく、2時か3時過ぎにタクシーで帰宅。

 

2007年12月13日 木曜日

サッカーのクラブワールドカップで浦和レッズがACミランと対戦。

欧州のトップチームと親善試合ではなく公式戦でやれる貴重な機会。

結果だけ見れば0-1で浦和の惜敗だったが内容は完敗。

ここまで何も出来ないのかっていう負け方。

2006W杯での日本-ブラジルではコテンパンにやられて(1-4)世界との差を見せ付けられた。

今回はそれとは違う形で世界との差を見せ付けられた感じ。

天皇杯でJリーグチームが学生やアマチュアと試合する以上の力の差。

世界は遠し。

 

2007年12月8日 土曜日

9月から続いていた歯医者での治療が一段落。

喫緊の虫歯は治したが、歯周病治療のためには定期的に通うことが必要だとか。

長い付き合いにならざるをえないんだろうな。

 

2007年12月1日 土曜日

Jリーグの最終節が行われた。

アジア王者にして首位の浦和が断トツ最下位で降格が決まっている横浜FCとの試合に勝てば優勝。

どう考えても浦和の優勝が見えていたので見なくてもいいやと外出。

ところが帰って結果を見ると浦和が横浜FCに負けて鹿島が逆転優勝。

文字通り「サッカーは何が起こるか分からない」を体現した試合。

見ときゃ良かった。

 

2007年11月23日 金曜日

ホームページ9周年。

もう10周年は目と鼻の先だ。

今の仕事が一段落する2月後半に再び海外行きを計画している。

今回の候補地はエジプト・インド・ベトナム&カンボジア。

エジプトはピラミッド、インドはタージマハル、カンボジアではアンコールワット。

いくつか検討した結果、2月後半は夏休みほど長くは休めなさそう。

というわけでエジプトは遠いのでパス。

するとインドかベトナム&カンボジア。

2月後半というと卒業旅行シーズンとも被る。

それならばインドよりもベトナム・カンボジアの方がまだ日本人が少ないような気がする。

距離も近いし、今回はベトナム・カンボジアへ行こうかと思っている。

主目的はカンボジアのアンコールワット。

だがカンボジアだけでは何だか味気ない。

というわけでもう1カ国プラスでベトナム。

最近はただ現地に行くだけの旅では飽き足らず、旅の中に旅を組み込みたい。

欧州周遊しかり、マレー鉄道縦断しかり、トルコのカッパドキアしかり。

 

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