ひとりごと
BACK NUMBER 12

 

2004年11月21日 日曜日

中学時代の友人が会社でプロレスの招待券貰ったから行かないか、との連絡。

勿論断わる理由などなく2つ返事でOK。

過去最も観に行っていた団体である全日本プロレス。

そして会場は後楽園ホール。

全日本プロレスを観に行くのは4年以上振り。

さらに後楽園ホールとなると1996年以来8年振りにもなった。

招待券だったのでかなり良い席でリング真正面。

それでなくても狭い後楽園ホール、間近で迫力を味わえた。

東京ドームや日本武道館での大試合も良い。

しかし試合自体は注目度が低くても近くで生の迫力を味わえる狭い会場も良いものだ。

「あ、やっぱ俺プロレス好きだなー」

なんか改めて感じることが出来た後楽園ホールでの全日本プロレス観戦だった。

 

2004年11月20日 土曜日

パソコンを物色しに秋葉原へ…行く途中に寄る所があった。

大学時代のアルバイト先の店舗が新橋にもある。

そこに世話になった社員さんがいるのだが、今月で退職して東北の実家に帰るという。

それならば挨拶をしておかねば、ということで新橋経由で秋葉原へ行くことに。

挨拶を済ませて一通りの近況報告や雑談。

新橋の土曜日昼間というのは暇な時間で(平日の方が混むらしい)ゆっくり話が出来た。

別れを済ませてから最近ハヤリの(?)汐留でも見てみるかとブラブラ歩いてみた。

すると突然「オイ」と声をかけられた。

なんとそこにはこれまた元アルバイト先でお世話になった当時のアルバイトの大先輩。

今は自ら会社を興して代表取締役をやっているという。

私がバイトを辞めて以来だから3年以上ぶりに会ったことになる。

ブラブラ適当に歩いていた新橋の路上で偶然会うとは思わなかった。

しかも私は元バイト先の社員さんに会った直後。

こういう偶然ってあるもんだなー、何か運命的なものを感じた。

 

2004年11月17日 水曜日

消化試合ながらサッカーワールドカップ1次予選の日本-シンガポール。

どうせ仕事は暇で定退出来るだろうから見ようと思っていた。

すると夕方頃に焼肉食いに行こう、というお誘い。

10月にやっていて私も少しお手伝いをした仕事が一段落したのだという。

それの記念に、ということでチームリーダーが奢ってくれると言う。

消化試合のサッカー日本代表戦vs奢ってもらえる焼肉。

当然焼肉を選んだ。

家に帰ってネットで結果を見ると格下と思われる相手に1-0の辛勝。

焼肉選んで正解だった。

 

2004年11月7日 日曜日

忙しくなると言われて入った現在の職場。

全然忙しくならない…。

当初予定していた仕事の予定が大幅に減ったためだという。

暫く定時退社を繰返している。

定退も良いんだけどそれだと残業代が出ないのが痛い。

ところが忙しくなると一気に忙しくなるような仕事。

適度な残業と適度な定退。

そう巧くは行かないものだ。

 

2004年10月31日 日曜日

民事再生法適用で事実上倒産した私の元アルバイト先。

そこで私が働いていた以前から社員でお世話になっていた人が退職するという。

その送別会に呼ばれた。

未だに3年以上前に辞めたバイトの公式(?)飲み会に呼ばれるのはとりあえず嬉しいことかな。

店の営業があるので日曜の遅い時間スタートの飲み会。

さすがに2次会は翌日の仕事に備えてキャンセル。

ここら辺がもう私はバイトじゃない…ってところだろうな。

 

2004年10月30日 土曜日

高校時代の友人から連絡があり、急遽サッカーを観に行った。

味の素スタジアムで東京V-ジュビロ磐田戦。

小雨が降る中だったので寒い。

それでも1万人くらいのお客は入っていたんだから物好きが多いと言うかなんというか。

2-1で終わった試合の全ゴールは私がいた席と反対側のゴールで起こった。

16歳森本がゴールを決めたけど全然見えねぇ…

まぁこういう日もあるさ。

 

2004年10月23日 土曜日

新潟で大きな地震。

なんか今年は記録的猛暑やら台風やら地震やらで日本列島はどうしたんだ?

オリンピックでのメダル数。

イチローの大リーグ安打新記録。

連続真夏日の最高記録。

上陸した台風の数と死者の数。

そして地震…

実に記録ずくめの1年になっているな。

 

2004年10月17日 日曜日

とある資格試験を友人と受けに行った。

前日に半日漬けの勉強をして臨んだが…

とりあえず試験が終わって友人とお互い開口一番「次回もヨロシク」と言ったので結果は…。

 

2004年10月13日 水曜日

サッカーW杯アジア1次予選の日本-オマーン。

負ければ予選突破は絶望的と見られたこの試合。

前半0-0から後半1-0の辛勝。

早い時間に2点目入っていれば酒も進んだのだが、ハラハラして1本しか飲めず。

終わってみれば1次予選2試合とアジアカップで共にオマーンを無失点に抑えた。

しかしその殆どが相手が勝手に枠を外してくれていただけのような…

 

2004年10月5日 火曜日

生まれて初めての経験、金縛りにあった。

布団の中で眠りかけた頃に胸が重くなった。

ウチの猫が乗ってきたのかと思って軽く目を開けてもそこに猫はいない。

今は視界に入っていない部分に何かがいそうな気がしてしっかり目を開けるのが恐かった。

手も動かそうとしたが筋肉が固まってしまったようで動かない。

声も出してみたが声帯が震えていない、声も出ない。

そんな状況下でもどこか冷静に考えている自分もいた。

"あぁコレは眠りかけた頃だから夢と現実の間にいるのだろう"、と

脳と身体が一致していないと感じた。

夢の中の脳が現実の身体に指令を送っている。

もしくは現実の脳が指令を送っているが自分が今感じているこの身体は夢のものだ。

そんなことを考えていた。

完全に目を醒ませばこの金縛りは収まる。

そう意識して目を醒ましたら何事もなく起きることが出来て、足元に猫が寝ていた。

それにしても不思議な体験だった。

自分の身体なのに動かすことが出来ない。

胸が重かったが苦しかったわけでもない。

トリップするというのはあぁいう感覚のことを言うのだろうか。

 

2004年10月1日 金曜日

珍しいから、と父が買ってきたドリアンを初めて食った。

フルーツの王様と称さながらすさまじい悪臭を放つドリアン。

腐ったような臭いを放ち、身がドロッとしている。

少しだけ皿に取ってもらい、いざ食する。

口に入れるとその悪臭が口から鼻につきぬけてムッとなる。

熟れすぎた果実を食っている感じで甘味は確かにある、しかし鼻に抜ける臭いが凄い。

マズイ!というものでもないが、少なくとも私はもう食べることは無いだろう。

以前ドリアンを食った友人から体験談を聞かされたことがある。

ドリアンを食ったら1日中ゲップがドリアンの味だった、と。

その言葉に偽り無し。

さらに翌朝の大便までドリアン臭かった。

恐るべし、ドリアン。

 

2004年9月26日 日曜日

敬老の日や秋分の日が入った変則休日週間(?)が終了。

次の1週間は長く感じそうだ。

9月からは毎月確実に祝日があって良い。

10月は1日だけだが、11月は2日、12月は年末年始休暇がある。

前職を退職して2年以上経過したが、まだ普通に休めるありがたみを感じる。

 

2004年9月23日 木曜日

初サッカー観戦のため国立競技場へ。

下北沢から友人のバイクに2人乗り。

バイクの後ろに乗ったのはタイ以来だ(あの時は3人乗りだったが…)。

下北沢から渋谷を通って国立競技場のある千駄ヶ谷へ。

風が心地良くかなり爽快。

バイク乗りの気持ちが少し分かったような気がする。

免許を取る気まではしなかったが原チャリはチョット欲しくなった。

サッカー見終えた後は新宿で友人と合流して飲み。

18時〜22時30分頃まで計4軒、ピッチャー×3に生中3,4杯くらいか。

翌日仕事だった…

 

 2004年9月22日 水曜日

先日事実上倒産した元バイト先のメンツと緊急飲み会。

倒産記念(?)営業存続祈念飲み会。

未だ現役のスタッフもいたが、やはり話しにリアリティがある。

問屋への料金が未払いのため新しい商品の仕入れが出来ない。

会社が事実上倒産している今なら自主退職をしても失業保険をすぐに貰える。
(本来なら自主退職をすると失業保険を貰うまでに受給制限期間がある)

現役スタッフである後輩の言葉、「逆に今のこの状況を楽しまないと」。

バイトだからこそかもしれないけれど、良い心掛けだろう。

確かに勤務先が倒産なんて滅多にないだろうから貴重な経験になるだろう。

…滅多にないよな。

 

2004年9月20日 月曜日

元バイト先が倒産してからどうにも店の前を通りにくくなった。

店は仕事の行き帰りは必ず通る道にある。

帰り道などは営業していたらいつも何となく店内を一瞥していたが、それが出来なくなった。

もし見知った社員と目が合ったらどんな顔して良いか分からん。

まぁ考え過ぎかな。

 

2004年9月16日 木曜日

朝、いつものように職場へ向かっていると職場の最寄駅で見たことのある顔が…

相手も気が付いたらしく「おぉ!」と挨拶。

先週倒産した元アルバイト先でバイトをしていた先輩だった。

先輩は私の職場の最寄駅に住んでいて職場が私の地元だという、代わって欲しいな…。

お互い出勤中だからあまり話は出来ず、倒産話も出来なかった。

それにしても…

倒産前日には偶然後輩に会い、倒産後に偶然先輩に会う。

なんらかの縁を感じざるを得ないような状況だ。

 

2004年9月13日 月曜日

前日の日曜日に地元をウロウロしていたら、元バイト先の後輩に会った。

現在でも時々飲みに行く仲だったが街でバッタリ会ったのは初めてだった。

適度な近況報告の後に近々飲みにでも、とお決まりの挨拶で別れたその翌日…元バイト先が倒産。

前日に偶然会ったのは何かの予兆だったのだろうか…。

その夜、その後輩が運営しているチャットへ顔を出す。

いつもは誰もいないチャットなのにこの夜は元バイト先の関係者が現役も含めて計4人。

当然話は倒産でもちきりだった。

不況ってのはまだ続いているのかな…

 

2004年9月7日 火曜日

この日は現在の職場で私の歓迎会。

これで飲み会3連続タダ酒、なんか恐縮。

まだそれほど見知った仲ではない人々と火曜日の飲み会なんで無難にまぁ。

 

2004年9月3日 金曜日

現職場で定時まで勤務した後に隣の駅の前職場の仲間内で飲み会。

職場を離れる訳ではないので送別会ではなく壮行会という名目らしい。

今週は月・金にともに飲み、月は公・金は私に近い飲み会だな。

いずれにせよどちらもタダ酒、ゴチソウサマです。

 

2004年9月1日 水曜日

さすがに新職場初日なのでいつもは着ないスーツの上着を持って出勤。

こういう時に限って暑い日でやんの…。

もはや慣れたもんの最初の挨拶、適度に社交的になるのはまぁ得意だ。

勤務先の建物がかなり大きくなったのと比例して人も増えた。

社員食堂もかなり混んでいてスムーズに座れることがあまりない。

とりあえずその辺が難点かな、仕事に関してはまだなんとも…。

 

2004年8月31日 火曜日

月末最終日ということに加え、私はそこでの仕事も最終日。

仕事しているフロア以外は殆ど行った事が無かったので昼休みにはビル内を散策。

最上階からの眺めの良さや屋上のテニスコートやチョットした休憩室などを最終日にして発見。

仕事は殆どせずに引越準備と身辺整理。

少しでも仕事で関わった人達にはとりあえず挨拶。

勤務先が変わるものの所属が変わるわけではないので感慨はさほどない。

次の職場と今の職場が内線電話で繋がっているくらいだし。

まぁとりあえずお世話になりました、またお世話になるかしれません、という感じかな。

 

2004年8月30日 月曜日

私と同じように8月で職場を離れる人が多いのでこの日は全体での送別会。

総勢50人程が参加。

月曜日というのと人数が多すぎて焦点が定まらず無難に落ち着いた飲み。

タダで飲めた代わりに飲み会中に皆の前で挨拶。

「まぁ隣の駅にいるんで何かあったらヨロシク」

程度の簡単な挨拶をしておいた。

 

2004年8月26日 木曜日

仕事中にウエの人に呼ばれて行くともっとウエの人が待っていた。

何事かと思ったら異動の話だった。

やることは基本的に同じだが、勤務地と所属が変わる。

しかも忙しい所らしい(忙しいから増員するわけだし)。

基本的に私には断わる権利が無いので承知する。

まぁ今の仕事も落ち着いてきていたし、異動がイヤだってわけでもない。

駅も1つ遠くなるだけだし、家も今までより5分早く出れば良いだけ。

ネックなのはどの程度忙しいのか。

適度に残業代が稼げるくらいなら良いのだが…

 

2004年8月25日 水曜日

今年度の社員旅行がマカオに決まったという。

海外なのは嬉しいが何故にマカオなんてマイナーな地へ。

しかも調べるとマカオへの直行便は無いらしく香港や台湾を経由して入るのが一般的だとか。

それだったら香港や台湾の方がよほどメジャーだと思うのだが…。

まぁ行った事の無い所だからそれは楽しみ。

私がマカオに持つイメージと言えば「深夜特急」でのギャンブル。

作者の沢木耕太郎がマカオでギャンブルにはまってあわや…というシーンがあったのだ。

そうか、韓国・ソウルへの社員旅行ではカジノ付きのホテルだった。

それで美味しい思いをしたウエの方の人が「次はマカオだ」ってなったのかな。

マカオでも味を占めて次はラスベガスやモナコなんてことにならないかな。

 

2004年8月22日 日曜日

アテネオリンピックが非常に盛り上っている。

こうまでメダルを取りまくるかってほどのメダルラッシュ。

まぁ次回大会は北京、先のサッカーアジアカップを見ていると大変なことになりそうだ。

4年後の分も含めてアテネでいっぱい取っとかないと。

柔道は金メダルラッシュだったが最も万全と見られていた井上康生がまさかの連続1本負けで敗退。

五輪3連覇した野村の凄さが改めてわかった。

野村、1番凄いと思うのだが不幸なのは五輪での出場試合がいつも谷(田村)亮子と同じ日。

お互い最軽量級だからどうしても同じ日の試合になってしまう。

メダル取っても翌日は殆ど持っていかれちゃうんだよな。

 

2004年8月16日 月曜日

実に久々の仕事に加え、前夜に五輪サッカーvsイタリアを見てしまったのでコンディションは最悪。

眠いし頭はボーっとするし職場も人が少なくてどことなくだらけた感じだった。

忙しさも一段落した感があって早々に定時退社、この1週間は長そうだ。

 

2004年8月15日 日曜日

会社から許可されている夏休み3日間に有給(or残業代休)2日で計5日の休み。

前後の土日とあわせて9連休、とうとう終わってしまった。

しかしこの日の新聞、でかでかと五輪柔道、野村・谷のW金メダルが1面。

社会面も殆どがそれに関連した記事。

8月15日なんだよなぁ、もうチョット何かあるだろ、と。

 

2004年8月14日 土曜日

北海道滞在中に東京では連続真夏日の新記録達成、いーぞ。

行きも帰りも渋滞が殆ど無く、天気が崩れることも無く、非常に良い夏休みを過ごせた。

良い夏休みを過ごせば過ごすほど、帰りたくなくなる。

そして帰ってくると案の定の猛暑。

エアコン効かせて家でゴロゴロ、最後にまったりしておかねば…。

 

2004年8月13日 金曜日

五輪がうるさい季節になってきた(結構好きだけど…)。

チーム競技でやたら耳につく呼称が○○JAPANというもの。

長嶋JAPAN
山本JAPAN
柳本JAPAN
宇津木JAPAN

その中で、なでしこJAPAN。

上田監督なんか可哀相だな…

 

2004年8月7日 土曜日

アジアカップ決勝戦、日本vs中国は北海道へ向かう途中の八戸で見ることになった。

事前にしっかりビールを飲んでおいていざ観戦。

あれほどまでの圧倒的アウェーは今後無いであろう。

普通のアウェーなら単に観客は自国を応援するだけのアウェー。

しかし今回は自国の応援に加え、日本憎しという思いが強く混じったアウェー。

いわばプラスとマイナスの双方の力が加わったと言える。

そんな中、ロスタイムにダメ押しゴールを決めての3-1で勝利。

予選から1度も負けずに決勝で中国を叩いての優勝、これほど気持ちの良いことは無い。

翌日のニュースではまた不快なものを見させられるのだろうけど…

ところで連中が日本を揶揄する時に使う「小日本」という言葉。

そりゃそちらの国に比べれば日本が領土も人口も小さいのは明らか。

そんな彼らが敢えて「小日本」ということは日本が大国であることを認めてくれているってことだな。

ともかく、実に良い気分で北海道に向かえるわけだ。

 

2004年8月6日 金曜日

翌日から夏休みに入る。

前日までに敢えて残業をして仕事をほぼ確実に終わらせておいた。

よってこの日は詰めの仕事が少々残っているだけ。

あれだけキッチリ仕事が無くなったのは初めてのような気がする。

このまま辞めても誰も困らないほどに区切り良く夏休みを迎えられる。

 

2004年8月3日 火曜日

翌週は丸々夏休みを取っているので手持ちの仕事は今週中に片付けないといけない。

この夜はサッカーアジアカップの準決勝バーレーン戦があったのだが、仕事で帰ることが出来なかった。

そんな時に限って試合は延長戦までもつれての劇的な勝利、見たかったなぁ…

中国で行なわれているアジアカップでは中国人の反日感情大爆発。

日本戦がある翌日はいつも嫌なニュースを見させられる。

そうしたニュースで日本の国旗を燃やす輩をTVで映しているが疑問に思うことがある。

あの日本国旗を燃やしている連中は日本の国旗を買っているのだろうか?

そしたら中国での国旗の売上は日本がダントツのトップかな。

あるいは燃やす為に日本の国旗を作っているのだろうか?

そうだとしたら燃やす為に日本の国旗を作っている姿は滑稽だろうな。

まぁ白地に赤丸だけで作れちゃう日本国旗は作るのも楽か。

もっとチョット複雑なデザインにすれば良かったのに…

お隣の韓国国旗なんか簡単そうに見えるけどちゃんと知っている日本人は殆どいないだろうな。

ちなみに…外務省ホームページ→世界の国旗

 

2004年8月1日 日曜日

法事の為に行った京都、東京へ帰る前に少々京都観光。

改めて思うのだが京都というのは本当に凄いなぁ、と。

"街是全部観光地也"といった感じで観光客だらけで外人も多く街の至る所に観光スポット。

パリやローマへも行った私だが観光地度(?)だったら京都の上のような気がした。

そんな私が京都市街へ行くとまず寄る所が霊山護国神社と霊山歴史館。

霊山護国神社には坂本龍馬や中岡慎太郎、木戸孝允(桂小五郎)ら幕末志士の墓がある。

そして霊山歴史館は日本で唯一の幕末歴史資料館である。

幕末史好きにはたまらない観光スポットで私自身3,4度目くらいの来訪。

大河ドラマで新選組をやっていることもあって館内では案の定新選組展をやっていた。

鬱陶しい一見さん観光客がいっぱいかと思ったがそんなことはなかった。

ゴールデンウィークの高知での坂本龍馬像に群がる連中を見ていたので身構えていたのだが…

観光地では料金を徴収すべきだなと思った。

無料だったら「チョット行ってみっか、タダだし」という感じでたいして興味も無いのに観光客が集まってしまう。

料金を取ればある程度は本当に見たい人しか来なくなる。

歴史館見学と龍馬らの墓参りを終えて今回の京滞在の目的達成。

土日を利用しての法事と観光にしては上出来かな。

 

2004年7月31日 土曜日

昨年他界した祖父の法事のために京都へ。

1週間後には北海道の祖父母宅へ向かう。

一夏に両祖父母宅へ行くなんて10年以上振りだろう。

神道の1年祭なる法事は滞りなく終了。

法事が終わってしまうと特にすることがない。

聞くと祖父母宅の近くに光明寺という寺があるという。

そのお寺の長い階段が大河ドラマ「新選組!」のオープニングで使われているという。

…というわけで行ってみた。

雨が降りそうだったので傘を持って光明寺までブラブラ散歩。

18時頃だったので他に人はいなかった。

境内のどこにも新選組で使われたとの宣伝も形跡も無かった。

噂の階段を見ると「あぁ、そうかな?」という感じ。

しかし後でHPで調べたら確かにそこが新選組!のオープニングで使われた階段だった。

史実では新選組と全く関係は無いらしいが…

オープニングで隊士達が駆け上がって行く階段がそれだ。

とりあえず私も階段を下から上まで駆けあがってみた。

雨が降った後なので滑りそうで恐かったが全力疾走。

ただ新選組隊士と違うのは彼らが持っていたのが刀で私が持っていたのは傘だったってところだな。

 

2004年7月24日 土曜日

2週間後には夏休みで北海道へ向かう。

北海道への経路は車で東京〜八戸、そこからフェリーで北海道。

かなりの長距離ドライブになるので車のオイル交換ついでに点検してもらった。

するとバッテリーがかなり劣化しているという。

考えてみれば購入して(2001年10月)から1度も交換していない。

8月の炎天下の高速でバッテリー上がって立ち往生したらシャレにならん。

ということでバッテリーも交換。

ワイパーゴムもだいぶ劣化していたので購入。

なんだかんだで合計3万円程の出費、消耗品かつ必要経費だから仕方ないか…

 

2004年7月20日 火曜日

この日は観測史上最高の暑さ(39℃)を記録したらしい。

確かに暑かったが、それでも耐えられた(?)のだから今夏は大丈夫だろう。

もっとも現在の私の仕事は殆ど室内にいる仕事だけど…

 

2004年7月19日 月曜日

結局は3連休を殆ど自宅療養に費やしてしまった。

一時は37.6まで熱が上がってビール飲んだだけで頭痛がしたが、どうやら持ち直したようだ。

家でゴロゴロしている時に先日放送され、ビデオに録っておいたアニメ映画「AKIRA」を見た。

多分何度か見て、より面白くなっていく映画だと思う。

初見ではちと小難しい部分あるし。

かなりコアなファンがついていて海外でも評価されているアニメ映画だが、なるほどそれも頷けた。

エヴァンゲリオンなんかもかなり影響を受けていそうな内容だった。

アレを1988年に公開したのだからたいしたもの、古さは全く感じなかった。

 

2004年7月17日 土曜日

3連休なのだが、どうも前日からの体調不良を引きずって1日家で寝ていた。

友人から飲みの誘いがあるも「大宮まで来い」とのことで断わった。

8月の第2週に丸々休みを取って北海道の祖父母宅へ行く予定になっている。

だからそれ以外の日にたとえ体調不良でも仕事を休むのは何となく気が引ける。

そう考えると3連休でしっかり体調を直せれば良し、とすべきだろう。

 

2004年7月11日 日曜日

参議院議員選挙、3年前は仙台だったのをふと思い出した。

今回の選挙では民主が躍進しつつも自民もそれなりの健闘を見せ、まぁ予想通りの結果なのか?

この日は仕事だったという友人からの電話、

「俺は今夜ビールを飲みながら開票速報を眺めるのが楽しみで先輩の飲みの誘いを断わったよ。」

私も開票速報を眺めるのは結構好きだ。

なんとなくスポーツ見ている感覚に近いかも。

与党が何点(何議席)、野党が何点…って。

候補者の一喜一憂、政党代表の弁明。

「声は確実に伝わったと思います」

イヤイヤ、伝わってたらその結果にはなってないでしょ。

 

2004年7月10日 土曜日

約4年ぶりのプロレス観戦。

三沢と武藤の初遭遇を見られて大満足だったが、試合中にはやはり老いも見られてしまった。

技と技の流れの微妙な間の中に全盛期では無いものを感じてしまった。

そしてそれと同時にショックだったのが私の目。

先日の健康診断で史上最低の0.8を記録してしまった目が4年ぶりのプロレス観戦に響いた。

東京ドームでの観戦だったのでリングからはかなり遠いのだが、オーロラビジョンはかなり見易い席だった。

にも関わらずオーロラビジョンをハッキリと見ることが出来なかった。

武藤や三沢と共にやはり自分も老いたのか、と感じた4年ぶりの観戦だった(大袈裟)。

 

2004年7月7日 水曜日

21時まで残業した帰路でも昼間の暑さが残っていた1日。

今夏初クーラーを起動した。

あと2ヶ月ほどはこうかな…。

 

2004年7月3日 土曜日

電気屋のチラシ見ていたら在庫限りの型落ちPCでかなり惹かれるものがあった。

実際店行って店員の説明を受けたら思わず衝動買いしそうになった。

なんとか自制したが、PCを衝動買いしそうになるとは自分も偉くなったもんだと変な所に感心した。

衝動買いとは別にして今年中には新たなPCを買いたいと思ってはいる。

1999年購入の現PCでも不便な点は特に無いのだが、新PCの便利な点を使いたい。

何よりもDVD録画がしたい。

家にある大量のプロレス・TM・ダウンタウンのビデオをDVDにコピーしたい。

そうすれば映像も劣化しないし、場所も取らない。

さらにはディスプレイも現在のは17型CRTで場所を取って仕方ないのでこれも液晶TFTにしたい。

目指すは前回衝動買いしそうになった基準以上(かつ値段以下)のもの

CPU=PEN4-2.8G、HDD=160G、MEM=512M、17inchTFT・TV付き、DVD±R付き、税込17万

ちなみに上記はS○NYのVAI○、現状ではメーカーにはそれほどこだわっていない。

PC事情詳しい人、情報ヨロシク。

 

2004年6月28日 月曜日

ほぼ1年前と同じく、この日は健康診断。

今1番気になるのは視力。

今回の検査では0.8、遂にここまで落ちたか…という感じだ。

一応昨年の検査ではまだ1.2はあった筈なのだが…。

昔は見えていたはずの距離のものが確実に見えなくなっているという実感がある。

メガネの先輩社員曰く「メガネかけるとそれに頼っちゃうからますます裸眼の視力は悪くなる」らしい。

どうすりゃいいのかね…

 

2004年6月26日 土曜日

深夜にソファで横になりながらTVを眺めていると腕枕していた手の肘あたりにモゾモゾと感触が。

フッと横を見ると出たぁ!!ムカデ!!!

ウォッー!と飛び起きた瞬間に左足だけが先に着地したため変な力がかかり左足付け根に痛みが。

しかし今はそれどころではないと慌てて殺虫スプレーを掴みこれでもかと噴射。

ゴキブリならまだしもムカデが殺虫スプレーでもだえ苦しむ姿は見ているこっちも気持ち悪い。

身体をクネクネさせてひっくり返り大量の足がピクピク。

思い出すだけで気持ち悪いし、これ書いている時点でも何か周囲を気にしてしまう。

左足の痛みも2,3日引かなかったし、私が夏を嫌いな1番の理由はなんつってもコレだな、虫。

 

2004年6月18日 金曜日

現在一緒に仕事をしていて今月でこの職場を離れる人の送別会をすることになった。

参加メンツの中では私が1番下っ端だったので必然的に幹事をすることに。

本来なら金曜夜の飲み会ってのが良いのだろうが、皆の予定を考慮すると水曜日しか空いていなかった。

参加予定者が11人に対して、送別する人が3人。

送別する人に金を払わせるわけにはいかないので8人で11人分の料金を負担しなければならない。

というわけで1番安いコースを求めて職場近くの居酒屋を回った。

どこも予定金額をオーバーする。

そこで店員と交渉開始。

料理を減らしてくれても良いので予定金額でやってほしい、と。

ところがどの居酒屋の店員も融通がきかず、「イヤぁ、それは…」とお茶を濁す。

週末でもない平日夜に10人超の宴会を確保できるのだから多少の融通利かせてくれても良さそうなもの。

全くどーしょーもねーバイト店員ばかりだ。

学生時代の私ならもっと強気にガンガン交渉したかもしれない。

しかしさすがに社会人となるとあまりガメツクやると卑しい目で見られそうで出来なかった。

結局回った中で1番安い所に落ち着いた。

 

2004年6月5日 土曜日

小学校と同じ期間だけ大学へ行っていた友人がこの春ようやく卒業・就職した。

こちらが社会人で友人が学生だった頃に飲み代を奢ってやった借りを返すという名目の飲み会。

今日は俺の奢りだ!と威勢が良かった割りに入ったのは食べ物飲み物全品300円均一の安居酒屋。

今日は友人の奢りだ、「この店で1番高いモノから順に持ってきてくれ!!」

全品300円均一だって…

 

2004年6月2日 水曜日

最近巷で話題の年金未納問題。

実は私も前職を退職してから現職に就くまで国民年金未加入期間がある。

某首相と違って私の場合は国民年金加入が法律で義務付けた後のことなで年金未納である。

将来私が選挙に立候補した時のことを考えて未納分をしっかり収めておいた。

半年以上分、10万以上になってしまった。

6月の賞与(まぁ実際は寸志…)が殆ど吹っ飛んだ…。

40年後しっかり返せよ、国。

 

2004年5月30日 日曜日

何気なく過去のホームページを見ていて気が付いた。

今年に入って2回も39度を越える熱を出した。

その時に39度以上の熱について"近年記憶に無い"と書いていた。

しかし1999年11月3日の当ページ

帰って熱を測るとなんと39.2℃、そりゃダルいわ。
39℃台の熱が出たのは近年記憶にないくらいだ。

その時にも近年記憶に無かったらしい、これじゃ他にもやってそうだな。

記憶なんて曖昧なもんだ。

まぁ39度も熱があるんだから記憶も無くなるか。

 

2004年5月29日 土曜日

現在の職場になって初めての土曜日出勤。

現在の私の仕事は1人でやっているものなので好きな時間に行って好きな時間に帰って良かった。

朝はゆっくり寝坊して、敢えて車で職場へ向かう。

平日のいつもの仕事へ行くのと雰囲気を変えたかったのだ。

実は私の家から職場までは車で行った方が早いことが分かった。

家から地元駅、地元駅から職場最寄り駅、職場最寄り駅から職場

それよりも家から職場まで車で一直線の方が早かった。

平日もそうしたいところだが、車通勤は禁止されている。

駐車場も職場の横の公園にある無料Pが空いていたのが良かった。

そして土曜日出勤も悪くない。

人が殆どいないので仕事に集中できる、電話もまず鳴らない、目を気にしなければなら無い人もいない。

普段の職場での非日常、というのはなかなか良いものだ。

家で何もせずにゴロゴロしているよりも好きな時間に行って帰れる土曜日出勤。

休日出勤代も出るし仕事がたまっている時は良いかも。

普通に8時間労働した後の残業よりも、まっさらな土曜日出勤の方が仕事の効率も良さそうだ。

 

2004年5月27日 木曜日

何やら仕事が忙しい。

手持ちの仕事が終わらぬうちに次々に仕事がやってくる。

1週間ほど続けて22時くらいまで労働。

この日は職場飲み会もあった。

飲み会があったので仕事を切り上げて飲みへ。

職場飲みだったのでそうそう飲みまくるわけにも行かず1次会で解散・帰宅。

仕事をしている日より飲み会の日の方が早く帰れるってのも皮肉なもんだ。

 

2004年5月14日 金曜日

通勤時に読んでいる椎名誠の本。

その中で椎名誠が中国・北京のホテルに泊まる部分がある。

そのホテルの名前が「民族飯店」。

私が中国・北京へ行った時に泊まったホテルと同じ名前なのだ。

今から20年以上前に書かれた本ではある、民族飯店なんて結構ありきたりな名前ではある。

それでもその民族飯店が同じホテルだったとしたらなんか嬉しいな。

 

2004年5月6日 木曜日

ゴールデンウィーク明けの仕事。

大型連休だった今年は職場の人間もアチコチ行っていたようで、色々なお土産が回ってきた。

私も高知へ行ったのだが特に土産などは買ってこなかった。

有給使って行ったのならまだしも、皆が休みの大型連休だし別にいっか…という感じだった。

でも高知に行ったことが判ると対外的に面倒そうなので黙っていることにした。

「ゴールデンウィークどっか行きました?」

「まぁ飲みに行ったくらいですよ(高知まで)」

ウソはついてないよな…

 

2004年4月28日 水曜日

この日は夜にサッカー日本代表対チェコ代表の試合が行なわれた。

ちょうど飲み会の日だったので、飲み後にサッカーを放送しているバーへ行ってみた。

あまり映りは良くない大画面でサッカー観戦。

23時過ぎという時間もあってか店内は6,7割くらいの入りで画面間近の席に座って見ることが出来た。

親善試合ということもあるので皆でワーッとなったのは久保のゴールが決まった時くらい。

あとは要所々々でオーだのアーだの感嘆の声があがるくらい。

なんかやたらと外国人の客が多かった。

1-0で日本が快挙といえる勝利を収めた試合。

これが約1ヶ月後のイングランド戦だったら店内の外国人客はどうなっていたことやら。

 

2004年4月16日 金曜日

前夜に職場での飲み会があった。

意外にも楽しくて例によってよく飲んだ。

そしてこの日は強度の二日酔い。

社会人の常識として職場飲み翌日に休む訳にはいかない。

相当無理をして職場へ、電車の揺れで吐きそうになったくらいだ。

仕事中も殆ど仕事にならず、トイレに行っては吐いてばかりいた。

翌日も仕事の日は職場飲みでの酒量は控えようと思った、切に。

 

2004年4月11日 日曜日

某吉○家で巷で話題の豚丼を食ってみた。

牛丼と同じように七味唐辛子かけて紅生姜のせて。

味に違和感無し、普通にイケル。

牛丼屋が相次いで投入する新商品。

そのどれもが牛肉が手に入らなくなって仕方なく急遽投入したまさに苦肉の策の商品。

無難な平均点にはなっているだろうが、あくまでも平均点止まりだろう。

近い将来また米国産牛肉が手に入ったとして現在の苦肉の策メニューはどうなるのだろうか。

 

2004年4月8日 木曜日

イラクで日本人が人質となった事件が発生してニュースはそれ1色。

こうした臨時ニュースが入るたびに思うのだが、そればかり報道するのはどうにかならないものか。

繰り返します…と全く同じ内容を延々と。

いつ新しい情報が入るか判らないからそれをやるしか仕方ないのだろうが、どうも何かなぁ…

 

2004年4月7日 水曜日

私の職場にも新規参入者(新人ではない)が入ってきた。

30分程度の講習、ということで仕事の進め方などを私が教えることになった。

前職やアルバイト時代にも仕事を教えることは多々あった。

教えるのは苦手ではないはずだと思っていたが誤算だった。

これまでの私の職種は全て小売だった。

よって何かを教える時も売場で実際に作業をしながら教えるOJT(On the Job Training)が殆ど。

ところが今回は紙とペンを持って机上で行なう講習。

実際に作業をしないで、作業を紙に書いたり口で説明すると言うのは想像以上に難しかった。

なかなか巧くいかないもんだというのを実感した。

 

2004年4月1日 木曜日

大学を6年かかって卒業した友人からメールが届いた。

"今日から社会人だ"

返事を出しておいた

"冗談だろ?"

 

2004年3月31日 水曜日

サッカーワールドカップアジア1次予選の対シンガポール。

明らかに格下相手に1-0、1-1、2-1で辛勝。

五輪を目指した23歳以下代表には「頑張れ!!」と思うがフル代表は不甲斐無さにイライラさせられる。

結果が第1の予選だから勝ちは最高の結果ではあるのだが…

昨夏のコンフェデレーションズカップ、昨冬の東アジア選手権、今回のワールドカップアジア1次予選。

なんか近頃のフル代表にはため息ばかりつかされているような…

 

2004年3月27日 土曜日

大学時代のアルバイト先のバイト仲間と久々に飲んだ。

実に5,6年振りに会っての飲み会だった。

飲みながら妙な感覚に襲われた。

現在の自分は25で職にも就いた生活を送っている。

しかし今飲んでいるメンツと前回飲んでいた時は20歳前後の学生でアルバイトをしていた。

雰囲気は当時と変わらない飲み会にどうも頭と体のバランスが取れなかったというか…

気持ちは5,6年前ながら今は今。

ま、難しく考えずに楽しかったから良しとするか。

次はまた懐かしいメンツ集めて…という話にもなっているし。

大学の4年間と並行していたバイトだから私にとってはまさに同窓会感覚。

 

2004年3月21日 日曜日

通勤電車内読書で現在は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいる。

主に日露戦争を描いたこの作品は文庫本全8巻の超大作。

これまでに読んだ全8巻の小説は、「龍馬がゆく」(司馬遼太郎)、「宮本武蔵」「三国志」(吉川英治)

いずれも古本屋で全巻まとめて買ってから読み始めた。

ところが今回は図書館で借りて読み始めたので、通読に苦労した。

途中で次の巻が図書館に無いことがある。

リクエストしようにも、いつ来るか分からない。

文庫版から、単行本版に移行して読み進めた時期もあった。

これの問題点は文庫が全8巻完結なのに対して単行が全6巻で完結。

進み具合が単行本の方が早くて、話が進んでいることがある。

それで主要人物がいなくなっていることがあって、先に読み進めながら後で前のを読み返したことも。

まるで日露戦争のように紆余曲折を経て、ようやく文庫の最終8巻に到達した。

奇しくも今年で日露戦争開戦から100年、妙な因縁を感じるな。

 

2004年3月20日 土曜日

普通の土曜日かと思いきや、そうではない。

春分の日で祝日の土曜日。

土曜日が祝日だと振替休日が適用されない、休み1日損した。

ハッピーマンデー法案(第○月曜日を祝日にして土日月の3連休にするという法案)。

私は週の途中での祝日の利点も考えて反対だが、こういう事態(土曜と祝日が被る)は無くなるわけか。

 

2004年3月18日 木曜日

アテネ五輪サッカー・アジア最終予選の最終日。

日本は勝てば対象国の得点にもよるがほぼ五輪出場が決まる。

私の今週の仕事はサッカー仕様。

サッカーのある火・木に定時で帰れるように月・水で残業。

それが報われた。

最終戦は3-0の完勝、結局はしっかりと五輪出場を決めてくれた。

しかし某TV局のサッカー中継キャッチフレーズ

「絶対に負けられない戦いがそこにはある」

…って言っているが、最後の2試合は

「絶対に勝たなければいけない戦いがそこにはある」

だな。

 

2004年3月14日 日曜日

アテネ五輪サッカー・アジア最終予選。

その最後の3試合が日本で中1日の日程で行なわれる。

この日はバーレーン相手にまさかの0-1敗退、チョット厳しくなった。

そして厳しいのは彼らだけではない。

こっちも仕事を定時で切り上げて帰らなければいけない。

今週はサッカーウィークだ。

 

2004年3月12日 金曜日

25の誕生日を迎えた。

3月生まれは同級生の中でも年を取るのが遅い。

友人が25になる度に「四捨五入でミソヂだな」と言い続けてきたのが自分にも…

この日は仕事を定時で切り上げて、友人と飲み。

私の誕生日もあるが、友人の6年越し大学卒業祝賀会でもある。

小学校と同じ期間も大学へ行けるとは…羨ましい(?)。

3人で生ビール24杯12,000円、豪快だ。

しかし仕事後の飲み会だと時間が足りない感がある。

まぁそのくらいがちょうど良いのかもしれないが…

 

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