ひとりごと
BACK NUMBER 11

 

2004年3月1日 月曜日

3月初日の月曜日から夜はサッカー。

アテネオリンピックアジア最終予選がスタート。

前半はUAEでの開催なので放送は22時30分〜、定時を気にすることなく仕事が出来る。

キツイのが中1日、月水金での試合ということ。

選手も大変だが、見る方も大変だ。

そして試合は0-0のスコアレスドロー。

単純なパスミスが多くて実にイライラさせられた試合だった。

 

2004年2月29日 日曜日

4年に1度の2月29日だが、特に何もなく終わった。

強いて挙げれば、銀行で金を卸したことやPCのデータをセーブしたくらい。

日付が2.29で付く…ってなんか虚しいなぁ。

 

2004年2月18日 水曜日

サッカーワールドカップアジア1次予選が日本で始まった。

今の職場は周りにサッカー好きが多いので、サッカーのある日は定時で帰り易い。

朝一で「今日は定時ですよね。」とお互いに定時帰りを予約(?)しておく。

試合は同点の場面で後半ロスタイムに劇的な決勝ゴールで辛勝。

これが親善試合なら不甲斐なさにイライラしながら見ていただろう。

真剣試合なのでおいおい大丈夫かよとハラハラしながら見た。

それが親善試合では味わえないサッカーの醍醐味ではあるが…

 

2004年2月15日 日曜日

ADSLが開通して困ったことが1点。

ダラダラとネットを眺めることが多くなってしまった。

PCの電源を入れるだけで接続されているので、なんとなくネットもしてしまう。

それによって余計な時間が消費されてしまう。

TVの深夜番組なんかをダラダラ見てしまう感覚に似ている。

ネットの問題は深夜番組よりも遙にチャンネルが多くて何かしら見てしまうというところか。

 

2004年2月8日 日曜日

1週間を風邪との戦いに費やしているうちにADSLが開通。

ADSLでは最も遅い1Mではあるが、これまでのダイアルアップから比べると脅威的な速さ。

ネットよりもIEが立ち上がるのが1番遅いという状況だ。

上りは遅いといわれるADSLでもHPのアップロードもアッという間。

これがスーパーコンピュータか、と思えるほどのレスポンスの速さ。

こんなに違うのならばもっと早くからADSL化していれば良かった。

将来的に光ケーブルなんかになったらどうなるんだ。

 

2004年2月1日 日曜日

この日は家のPCをADSLに対応させるための作業に時間を費やした。

LAN差込み口などないウチのPCにLANボードを挿入。

スプリッタにモデムを繋いでルータだハブだなんだとよく判らない…

とにかくLANケーブルを分割させて家の中を張り巡らせてPCに繋ぐ。

無線LAN使って云々させたかったが、費用対効果を考えると有線LANを使った方が良かった。

これでADSL受け入れの準備は整った。

あとは繋がるだけだ。

 

2004年1月24日 土曜日

これまで頑なに(?)ダイアルアップでインターネットをやっていた我が家もADSLを導入することに。

メールやHPのアドレスの関係があるので既存のプロバイダからADSLに乗り換えたかった。

資料は無いのかとプロバイダに問い合わせると、紙媒体での資料は用意していないという。

全てネット上のホームページを見てくれ、とのことだった。

それでHPを見てADSLを比較検討したのだが…

これからADSLにしようって人はダイアルアップ回線で接続している人が殆どだと思う。

その人達が見るHPに判り易くするためとはいえ画像をイッパイつけてアチコチにリンク飛ばしている。

そのつど電話料金は取られるわけだし、真に顧客の事を考えるとどうなんだろ…

 

2004年1月17日 土曜日

朝の7時にカラオケを出て帰路に。

やはり病み上がりのオール飲みは身体に堪えたらしい、全身がダルイ。

土曜の朝、ガラガラの電車に乗って思った。

体調不良と二日酔いと合わさって体調は最悪。

だけどついさっきまで高校時代の友人とワイワイ楽しく飲んでいた。

体調と気分は悪いが、家に帰れば今日1日さらには明日も眠っていられる。

"あ、なんか今の自分って幸せだなぁ"と眠気に薄れ行く意識の中でしみじみ感じた。

 

2004年1月16日 金曜日

前夜に38度の熱があったがよく眠ったからか身体はだいぶ楽になった。

栄養ドリンクを飲んで仕事へ。

幸い現在は仕事が落ちついているのでさほど頭を使うことなく定時にさっさと帰宅。

今夜は夜通し飲む予定だったので集合時間は21時。

前夜は風呂にも入らずに眠ったので一旦帰宅して風呂に入る。

体調は万全には程遠かったが、飲めるくらいまでには回復していた。

飲みの席で「仕事中によく眠ってたから回復したよ」と話すと「どこまで冗談なのか判らん」と言われた。

21時過ぎに既に飲み始めていた友人と合流。

結局その店では3人でビール21本、病み上がりにしては上々だ。

その後はオールナイトフリータイム飲み放題のカラオケに流れる。

さすがに3時4時になると飲みのペースも衰えて気が付くとソフトドリンクを飲んでいる。

このソフトドリンクというあたりが衰えか…イヤイヤ、病み上がりだからと自分にいい訳。

結局朝の7時まで眠ることなくフリータイムを完遂した。

 

2004年1月15日 木曜日

前夜に職場での新年会があって少々の二日酔い。

さすがに職場での飲み会で大掛かりな二日酔いにはならなかった。

昼食も普通に取れたが、夕方を過ぎても身体のだるさが取れない。

仕事も落ちついたんで定時後早々に帰宅。

熱を計ると38度ある、身体のだるさは二日酔いではなかったのか…

翌日は高校時代の友人との飲み会を予定。

年末に不完全燃焼で終わった飲み会、先週は参加出来なかった飲み会。

しかも今回は友人の希望で久々に朝まで飲もう、という企画。

果たして大丈夫か…。

 

2004年1月9日 金曜日

仕事中に高校時代の友人から飲みの誘い。

仕事の状況次第では参加したかったが、仕事がなかなか終わらずに不参加。

仕事が原因で飲み会に参加できず、寂しいもんだ。

 

2004年1月5日 月曜日

前夜の焼酎が明らかに身体に残っていてかなりムカムカ。

二日酔いのダルさを抱えたまま仕事へ。

年末にやっていたことなど綺麗にサッパリ忘れていた。

こうまで忘れるものかと思うほど忘れていた(次第に思い出していったが)。

まぁ二日酔いで気だるいなか、居眠りもせずにやれたのでとりあえず良しとするか。

 

2004年1月4日 日曜日

特に何をしたわけでもなく過ぎていった年末年始休み。

長い連休の最後が日曜日と言うのは嫌だ、これから1週間キッチリあるということではないか。

晩飯中に携帯が鳴り、地元の友人から。

そういえば毎年末年始には飲みに行っていたが今年は音沙汰無かったなと思っていたら飲みの誘い。

しかし何でまた連休最終日に…と思ったら友人は三が日とも仕事だったらしい。

ビールを数杯に、2人で焼酎をロックでボトル半分程。

せめてあと1日早ければな…

 

2004年1月2日 金曜日

同じ日に今の会社に入社して、今は辞めて他の事をしている友人と半年ぶりくらいに再会。

昼間っからビールを飲んで、正月の街をブラブラしてお互いの近況報告。

地元の1○9ビルの前には店に入るためだけに長蛇の列が出来ていた。

そして建物の周りには地面に座って福袋の中身を見せ合う若い女子が多数。

あんなもんTVで見る光景だと思っていたが身近にあるんだな。

 

2004年1月1日 木曜日

年明けの実感もあまりないまま迎えた新年初日。

昨年は入社して1ヶ月ということで少しは新年に対する新鮮さがあったような気がする。

今年はそれすら一切無い。

家でひたすら前日の格闘技ビデオを見ていた。

それにしても「間もなく試合が始まります」と言ってから実際に試合が始まるまでが長い長い。

途中で流れる煽りのVTRもくどい。

全部ビデオに録って正解だった、リアルタイムで見ていたら苛々して仕方なかっただろう。

 

2003年12月31日 水曜日

大晦日、夜のTVは格闘技ばかり。

昔からのプロレス・格闘技ファンとして胸中は複雑だ。

なんでわざわざ選手を分散させるようなことをするのか。

分散すればそれだけ個の力は落ちるわけだし、

各会場の選手を全部一堂に会してやればもっと凄い試合が組めるはずなのに…

ただTV局の思惑に乗せられての格闘技、という思いがしてならない。

そんな私も家にあるビデオデッキをフル稼動させて全てをビデオに収めたのだが…。

 

2003年12月29日 月曜日

今年最後の飲みは高校時代の友人と。

高校時代の友人との飲みが恐らく飲酒量が最も増える飲み会だ。

ところがこの日ばかりはそれほど飲まずに流れた。

1人が体調不良であまり飲めず、もう1人も早々に眠くなる始末。

2次会へ行く勢いが全く無く、2003年最後の飲み会は不完全燃焼に終わった。

まぁ本厄年最後の飲み会ってことで…。

 

2003年12月26日 金曜日

仕事納め、午後から大掃除して解散。

そんなこともあって午前中でも仕事は全くやる気が起きなくて帰ることばかり考えていた。

大掃除と言っても机の上と中を整理するだけ、簡単なものだし疲れもしない。

15時には全てが終了した。

夜には大学時代のアルバイト先の連中と飲み。

私より年下の女子を筆頭に、元アルバイト先では結婚(を予定)している人が増えていて驚いた。

友人・知人が結婚していく年齢になってきたということか。

 

2003年12月25日 木曜日

今年最後の給料日。

給与明細を見ると残業代の割には支給額がいつもより少ない。

何故だろうと給与明細を見ていたらすぐに判った、交通費だ。

先月までと比べて職場が家から近くなったので交通費も安くなったのだ。

実質変わらないんだけど、振込額が少ないと何か損したような気分。

 

2003年12月21日 日曜日

久しぶりに旅歴書を更新、先日の韓国社員旅行を掲載した。

当初は旅日記にするつもりは無かったのだが、今回の旅行が3年前と色々リンクしたので旅日記にした。

このホームページを見てくれた会社の同期に韓国で言われて気がついたことがある。

今回韓国へ行った事で大学時代の1998年から今年まで毎年海外へ行っていることになる。

全然意識していなかったが、言われてみればそうだった。

1998年・香港
1999年・中国、台湾
2000年・韓国
2001年・ヨーロッパ
2002年・タイ
2003年・韓国

再就職した今年こそ無理だと思われたが大穴の社員旅行で滑り込みセーフ。

出来れば連続海外記録を伸ばしたいけど、社会人になると難しいな。

 

2003年12月19日 金曜日

職場での忘年会。

70人近くが参加し、金曜夜だというのに地ビールホールみたいなところを貸し切っての大忘年会。

私は現在の職場に来てまだ3週間なので、それほど大胆に飲むことはできなかった。

まぁ会社に関連した飲み会ではそう大胆にはなれないか。

 

2003年12月17日 木曜日

この日、会社の先輩に長女が生まれた。

先輩に言わせるとこの業界の人で生まれる子供には女が多いらしい。

日々パソコンに囲まれて仕事をしているので、電磁波の影響があるのだろうか。

電磁波によって染色体に何らかの変化が生じて女児が生まれやすくなるとか…

そういえば職場の女性は電磁波防止エプロンなるものを着用している人が多い。

正確なところはよく判らないが、何か恐い感じがするな。

 

2003年12月12日 金曜日

金曜の夜、時期的なこともあるだろうが早く帰る人が多数。

気がつくと周りは殆ど帰っていた。

周りの人が少なくなると急にこっちも帰りたくなってくる。

私は1人残って何をやっているのか…という気分になる。

そして逆に定時過ぎても皆が残って仕事しているなかだと帰り辛い。

私は1人さっさと帰って大丈夫だろうか…という気分になる。

あまりにもさっさと帰りすぎると余裕があるなと思われて仕事が増えるような気もする。

複雑なところだ、どのタイミングで帰るのが理想なのだろうか。

 

2003年12月9日 火曜日

社員旅行から戻るとどっと仕事が増えていた、容赦無いなぁ…。

完成期限に余裕があるとはいえ、仕事がたまっているとそれだけで焦ってしまう。

余裕持って仕事を進めているつもりでもどこで何があるか分からないし。

それに何よりも慣れていないというのが1番大きい。

前回の職場のやり方でなら数時間で出来ることを最初のうちは1日かかってしまう。

まぁ皆こうして経験を積んでいくんだろうな。

 

2003年12月5日 金曜日

疲労も蓄積してようやく迎えた金曜日。

普段なら明日から休みだと思えるのだが今週はそうはいかない。

土日月と2泊3日で韓国への社員旅行だ。

仕事をしないという点では休みだが、身体を休める休みにはなりそうに無い。

しかも気の合う友達だけと行くのではなく、社員旅行なのである程度の緊張も強いられるだろう。

せめてもう少し生活のリズムを掴んで安定してきた頃に社員旅行があれば良かったな。

 

2003年12月2日 火曜日

慣れない環境での仕事は精神的にも疲れる。

疲労に追い討ちをかけるのが、職場での席。

以前の職場で私の席は壁際の隅っこだったので前方と片側は壁だった。

だから気を抜くと居眠りをすることが出来た。

しかし今回の職場では私の前に座っている人がいる。

しかもお互いノートパソコンを使っているので顔は丸見え。

それに加えて通路側の席でもあるので人の往来も激しい。

とても居眠りなど出来る状況ではない。

その分仕事に集中せざるを得なくなって良いのかもしれないが…

 

2003年12月1日 月曜日

入社して1年になる節目の日、新たな職場での初日。

同日デビューが私だけでは無かったので少し気は楽だった。

パソコンの状態とか仕事の進め方とか慣れるまで少し時間がかかりそう。

今回の職場ではフロアーの部屋に入るのにも出るのにも社員証が必要になる。

社員証をカードリーダーに通さないと部屋に入る事は勿論、出ることさえ出来ないのだ。

なんか監禁されているみたいだな…。

 

2003年11月28日 金曜日

2月から勤務している職場の最終日。

いつも通りに仕事をこなし、最後はお世話になった人らに片っ端から挨拶。

そして問題になるのがお世話になっていない人への挨拶。

同じ業務をした事もなく、挨拶しか交わさない人へは何と言えば良いのか。

世話になっていないのにお世話になりましたっていうのも何だか変だ。

「私、今日で最後なんで…また仕事をする機会がありましたらその時はゴニョゴニョ…」

と適当に誤魔化しておいた。

仕事後に同じ職場にいた同期と飲みに行った。

気兼ねなく話せる同期がいるというのは良いことだ。

 

2003年11月23日 日曜日

当ホームページが5周年を迎えた。

これを機に、携帯サイトの方へ過去にこっちに掲載した"我思ふ…"や"日々是ネタ也"を大量移行。

昔の文をただコピーしただけ。

新曲を出さずに過去の曲を集めたベスト盤ばっかり出しているミュージシャンのようだ…。

 

2003年11月17日 月曜日

今の職場での仕事が11月末までとなっていたが、12月から新しい職場へ行くことが決まった。

その職場が家からぐっと近くなる。

これまでは7時20分頃に家を出ていたのが、恐らく8時過ぎに出ても余裕で間に合う。

使う電車も変わり、色々と腹の立つことが多かったT急D線を使わなくて済む。

さらに電車に乗っている時間も15分ほどになるのでその分イライラも減るだろう。

職場は近いに限る。

しかしそうなると逆にまた遠い職場になったときのリバウンドが恐いな。

 

2003年11月15日 土曜日

携帯用サイトに韓国旅行を転載。

この時期に転載した理由は2つある。

1つはホームページ開設から5周年を迎えるということ。

そしてもう1つは来月の社員旅行の行き先がソウルであるということ。

当時を思い出す為にも改めて読み直しつつ転載した。

流石に社員旅行じゃ飲みまくり〜ボッタクられ…なんてことはないかな。

今の会社に入ってからは初めての社員旅行。

でも先輩の話を聞く限り、

自分はこういう思いで社員旅行へ行きますと決意表明をさせられたり、

行った先でもハメを外すのではなく他の社員とコミュニケーションが取れる1分1秒を大切にし、

夜な夜なホテルの部屋で長々と語りあい、

帰ってきたら自分は今回何を得たかとレポートを書かせられる、

というようなことは一切無いと知って一安心。

 

2003年11月9日 日曜日

どうもパッとしない天気の中、総選挙の投票へ行く。

私は選挙権を持ってから全ての選挙において皆勤賞である。

あの仙台時代ですら選挙へ行っていたのだ。

今回は投票所へ行くとかなりの行列になっていて20分も待たされた、こんなのは初めてだ。

友人には不在者投票で済ませちゃえば並ばなくて良いよというのもいる。

しかし投票当日に投票所へ行って投票するというのが1番臨場感を味わえて良いと私は思う。

臨場感なんていっても全然たいしたことないけど…。

私の地元の投票所はかなり並んでいて投票率に期待していたが、結果は前回をも下回ったらしい。

夜にはどのTV局も選挙速報。

どうも投票権を持つ前からあの選挙速報番組と言うのを眺めるのが好きだった。

候補者の一喜一憂か、勝負の世界の面白さか、政治への興味か…

何が理由かはハッキリしないがとにかく無駄にダラダラと眺めてしまうことが多い。

それにしても開票開始から僅か1分程で当選確実の報が出る。

開票率が0%なのに、出口調査の結果とやらで既に当選確実とされるのだ。

何だかそのうち選挙なんかしなくても全ての当選が決まりそうだな…。

 

2003年11月3日 月曜日

月曜が祝日で3連休だった。

3連休前の金曜夜に飲みに行っていたのでその翌土曜は軽い二日酔いだった。

そして日曜は友人の父親の通夜に参列してその後に一緒に行った友人と飲みに行った。

そしてこの日は軽い二日酔い。

この3連休は飲みと二日酔いを繰り返して終わってしまった。

 

2003年11月2日 日曜日

先日の飲み会中に知った高校時代の友人の親父さんの死去。

この日が通夜だと知ったので友人と共に出かけた。

かなり人が通夜に参列していたので流れ作業のように香典を納め、焼香をして終了。

友人は長男だったのでずっと向こう側にいて話すことは出来なかった。

別室に用意されていたお清めの料理を軽く食って早々に退室。

一緒に行った友人と居酒屋に入って4時間近く飲んでた。

高校時代の友人、つまり自分と同じ歳の友人の父親が亡くなる。

数ヶ月前には私の祖父が亡くなった。

そろそろ死というのが身近な人に起こり始める、起こりうる年齢に私もなってきたということか…。

 

2003年10月31日 金曜日

翌日から3連休という最高のコンディションの中、高校時代の友人と不定期恒例飲み会。

キンコンダッシュで職場を抜け出して渋谷へ。

4人で2リットルのピッチャーを3つほど飲み干す。

思うのは仕事が終わる時間に集まって飲み始めたのでは時間が足りない気がするということ。

仕事が終わって集まると飲み始めはだいたい19時頃になる。

それから遠方からの友人もいるので終電の時間を気にすると23時ごろがタイムリミット。

端から見ると4時間もあれば充分のような気もするが、ご存知のように楽しい時間はあっという間に過ぎる。

まぁ集まって飲める時間があるというだけで良しとすべきかな。

2次会の店で今回は参加しなかった高校時代の友人に電話をしてみた。

するとちょうどその日、彼の父親が亡くなったと言う。

高校の頃にその友人の家に遊びに行ってお父さんに会ったのも微かに覚えている。

その頃から体調は良くないと聞いてはいたが…

たまたまその友人に電話した時にその日に親父さんが亡くなったのも何かの縁。

通夜の日程を聞いて飲み会に参加していたメンツで参列出来る人と通夜に顔を出すことにした。

1年に2度も葬式に出ることになるとは思わなかった(2度で済めよ…)。

 

2003年10月28日 火曜日

総選挙が告示され、選挙戦に突入した。

またあのうるさい名前連呼を聞かされるのかとウンザリ。

先日も何か妙に気に障る出来事が。

残業を終えて駅へ向かうと街頭にハッキリそれと判る選挙の運動員がいて道行く人に頭を下げている。

満面の笑みで「お疲れ様でした。」と皆に言っているのだ。

当然私も言われたが、なんか妙な違和感。

"なんで見ず知らずのアンタにお疲れ様を言われなきゃいけねーんだよ…"

朝に"おはようございます"と言われるのならまだ良いが、帰り際に"お疲れ様でした"は違うような気が。

アンタのために働いている訳でもアンタと一緒に働いている訳でもない。

いずれにせよあの挨拶にいかほどの意味があるのだろうか…。

 

2003年10月18日 土曜日

両親無事帰国、駅まで迎えに行った。

どうやら欧州旅行を充分満喫してきたらしいので良かった。

ただ序盤の天気は悪かったとか、私の欧州旅行でも序盤は天気が悪かった。

それによって私のプチ1人暮らしも終了。

来るべく本当の1人暮らしの為にこの期間中は家計簿を付けていた。

計15日間で約22,500円、1日平均が見事に1,500円。

ちなみに内訳は…
昼飯8,000円(1日平均533円)
晩飯6,500円(433円)
酒とツマミ3,000円(200円)
生活食(野菜ジュースや牛乳)3,000円(200円)
他2,000円(133円)

高い?安い?標準?どうでしょう、リアル1人暮らし中の方。

 

2003年10月17日 金曜日

最近大学時代のアルバイト先での同僚がチャットページを開設した。

そこへ行ってみると結構人が集まっていて、懐かしいメンツがいっぱいいた。

OB・OGや現在は他の店にいる社員なども集まっての盛況ぶり。

私が(を)知っている人ばかりだったってのもやりやすかった。

1人で飲みながらチャットやってると何だか飲み会みたいだった。

でもこうしてちょくちょくチャットやっていたら久々に会った時の新鮮さが無くなるかな。

話すこと無かったりして…

 

2003年10月12日 日曜日

カレンダー通りの職場に勤める私は3連休。

3連休は金土日と土日月というのが一般的だが私は後者の方が好きだ。

金曜が休みでも月曜が休みでも実質的に3連休は同じなのだが、精神的に随分違う。

月曜日が休みだと、日曜夜の憂鬱感がない。

毎日曜の夜にダウンタウンのTV番組を見る時に感じる"明日から仕事か…"感がないのだ。

金曜が休みの3連休でも日曜夜の憂鬱感は変わらないが、月曜休みのこの精神的余裕(?)は大きい。

来月はその月曜休みの3連休が2回も、素晴らしい。

 

2003年10月3日 金曜日

仕事を終えて帰宅し、欧州旅行へ向かう両親を車で送って行った。

父の勤続何10周年とかでまとまった休みが貰えたので今回の欧州旅行となったそうだ。

それによって私はしばしの実家1人暮らし。

学生時代なら友人呼んで飲みまくっていたような気もするなぁ。

 

2003年10月1日 水曜日

私の職場の最寄駅には某女子大がある。

その大学では今日からが後期の開始らしい(イイ御身分だな)。

朝の駅は女子大生でウジャウジャだった。

昼食に入った定食屋でも普段は空いているのにその日は女子大生がウジャウジャ。

さながら学生食堂のようなうるささだった、ったく学食行けよな…。

女の子は好きだけど、集団(4人以上くらいか)になると途端にイヤになるな。

 

2003年9月26日 金曜日

今月末までと聞かされていた現在の職場での勤務が11月末までになった。

別に期間が長くなるのは良いのだが、正直気持ちが切れている部分がある。

あと数日勤めればココでの勤務は終わりだと思っていたのが2ヶ月の延長。

気持ちが切れるというのはこういうことを言うんだなーと思った。

前職の時は気持ちが切れる以前の問題だったからな…。

 

2003年9月25日 木曜日

雨が降りそうだったので傘を持ってチャリで家を出た。

チャリを止めてカギをかけるために傘を一旦チャリのハンドルにかけておいた。

"こんなところにかけておいたら忘れそうだな"と思ったら見事に傘を忘れた。

チャリのカギをかけるというその行動をしただけで忘れてしまった。

ただ忘れただけならまだしも3秒前に"忘れそうだ"と思っていたのに忘れたのだ。

ヤバイな…老化か?

 

2003年9月23日 火曜日

先月亡くなった祖父の50日祭(いわゆる49日・神道なので50日祭)の法事で京都へ行った。

祖父が亡くなってからこの日までは喪に服していなければならなかったのだ。

時々亡くなった祖父のことを思い出すことはあっても、喪に服すという意識は殆ど持っていなかった。

おまけに祖父が亡くなってからこの日までかなりハイペースで旧友と会って飲んでしまった…。

まぁ酒好きの爺ちゃんのことだから許してくれるだろう。

 

2003年9月22日 月曜日

いつも通りの仕事の帰り、乗換駅のホームへ行くと何だか見たことのある大きな人がいた。

"何か森嶋に似てんなぁ…って本人?!おまけに丸藤と杉浦も!!"

思わず我が目を疑った。

知る人ぞ知る(?)プロレスファンの私。

駅で見た3選手は私が1番好きな団体(プロレスリングNOAH)の所属プロレスラーだった。

丸藤・杉浦・森嶋、世間一般では無名だがプロレスファンなら誰もが知っているであろう選手。

こんな所で遭遇するとは思わなかった。

進行方向が一緒だったので敢えて同じ車両に乗った。

何か話しかけてみたいなとも思ったが、電車内はかなり混んでいたので何も出来なかった。

もっとも電車が空いていても話しかける勇気は無かったかもしれないが…。

私が真っ先に気がついた森嶋選手は190cm以上ある巨漢なので電車の中では際立っていた。

しかし周りの乗客は気がついているのか知らないふりをしているのか。

それにしてもいつも通勤に利用している日常の風景の中にプロレスラーが出てくるとは思わなかった。

電車を降りてもドキドキしている自分がいた。

 

2003年9月20日 土曜日

いつものダラダラした休日が過ぎようとしていた夜に大学時代の友人から電話があった。

埼玉に住んでいる友人なのだが、所用で近くに来ているとのことで合流して飲みに行った。

先々週に飲んだ大学の友人と同じで大学卒業以来の再会。

雨の土曜の夜だったが、街は人でいっぱいで満席の所が多くて居酒屋を探すのにも手間取った。

約2年半振り、その間お互い色々あってどこから話せば良かったのやら。

2年半の出来事を3時間の飲みで語り尽くすのは難しいわな。

 

2003年9月17日 水曜日

9月半ばまでと言われていた現在の職場での作業が9月いっぱいまで延期になった。

ただ、期間が短いので大きな仕事はなくて、細かい仕事をチマチマこなす。

残業のしようがないので、残業代が期待できないな…。

 

2003年9月15日 月曜日

プロ野球せ・リーグで阪神タイガースが18年ぶりの優勝で日本中、特に大阪は大盛り上りだった。

序盤からの快進撃が最後まで続いた形となった。

快進撃当初は、いつ失速するかということをスポーツニュースでも盛んに取り上げていた。

様々な過去のデータなどを引き合いに阪神が快進撃を続ける理由を詳細に解説。

そしてその後に阪神の快進撃が止まると予測するデータも詳細に解説。

そして最後に解説者が一言「まぁ今の阪神に過去のデータはあまり関係ありませんね。」

オイオイ、それじゃぁ今までのは何だったんだよ…。

 

2003年9月13日 土曜日

現在の職場での勤務が終わりに近づいている。

仕事も余裕のある楽なものばかりだし、残業をしようにもする理由が無い。

定時(18時)にさっさと帰れるのは魅力だが、残業代がつかないのはチト痛い。

初めていわゆるホワイトカラー・サラリーマン的職業に就いて知った言葉が2つある。

キンコンダッシュと生活残業。

キンコンダッシュ…定時を知らせるチャイムが鳴るとすぐにダッシュで帰ること。
生活残業…生活費の為にせざるをえない残業、お金が無いからする残業

広辞苑にも大辞林にもイミダスにも現代用語の基礎知識にも載っていないだろう。

 

2003年9月10日 水曜日

この日はサッカーの日本代表対セネガル代表の試合があったので仕事後はさっさと家に帰った。

先月は日本対ナイジェリアの試合があったのだが、その日は仕事が忙しくて見ることが出来なかった。

…と、その試合では3-0で快勝(相手はかなり弱かったらしいが)。

今回は仕事も無かったので早く帰ることが出来てキックオフからしっかり見られた。

…と、その試合では0-1で敗退(1点も取れないというのは見ていてかなりフラストレーションがたまる…)。

まぁ世の中そんなもんだよな…

 

2003年9月7日 日曜日

4週連続飲み=4週連続その翌日は二日酔い。

もっともいずれも軽度な二日酔いではあったが…。

 

2003年9月6日 土曜日

8月の半ばから週末は飲んでばかりいる。

8月半ばには高校時代の友人と飲み。

その翌週は中学のクラス会で飲み。

その翌週は大学時代のアルバイト先の仲間との飲み。

そしてこの日は大学時代の友人と飲み。

中・高・大・バイト、まとめて一気にタイムスリップだ。

今回大学時代の友人と会うのは卒業以来初めて。

私は卒業後すぐに仙台に行ったし、友人もそれぞれあっちこっち飛ばされた。

お互いの仕事の都合などでなかなか集まる機会が無かった。

今回も日程調整は巧く行かず、最少人数での飲み会。

皆それぞれ住んでいる県も仕事も職種も違うからそう簡単には集まれない。

しかしどれだけ期間が空いても高校・大学時代の友人とは問題なくいつでもあの頃のように話せると思う。

先日の中学のクラス会でさえそれが可能だったのだ。

中学時代よりもしっかり自分が確立された時に出来た友人を相手にそれが出来ないはずが無い。

その友人と飲んでいて、ある2つの曲の詞を思い出した。

3年ぶりに話したって違和感無いなんて 意外と僕らたいしたもんだ感心しちゃうよ

愉快な時だけ思い出して 涙におぼれるたまにはそれもいい
共に過ごした日々は僕らを強くしてくれるよ この胸を張ろう
絶対会いましょう いつかどこかで 忘れるわけ無いだろう…

 

2003年9月1日 月曜日

9月1日になっただけで、あんなにも電車が混むとは思わなかった。

学生がいかに多いのかを思い知らされた。

大学生は9月後半〜10月にかけて徐々に増えていくんだろうな。

夏休み長かったもんな、大学生。

 

 

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