ひとりごと
BACK NUMBER 10

 

2003年8月30日 土曜日

大学時代のアルバイト先の仲間と飲みに行った。

私が在籍していた頃から働いていて現在も働いている。

年齢も殆ど同じなので、当時からよく飲みに行っていた。

今回飲みに行った連中はもう5年近くは働いているだろうか。

未だにフリーターで働きながら、将来をどうするか考えていた。

私がいた頃からずっとそんな話をしていたような気もするが…。

 

2003年8月25日 月曜日

職場が落ち着いてきた感があり、以前ほど残業の必要が無くなってきた。

…と思っていたら、現在の職場での勤務は来月半ばまでということになった。

そのうちまた新しいどこかへ行く事になるのだろうが、そうしたらまた勉強のし直しにもなる。

いささか面倒ではあるが、そうして経験を積んでいくのが現在の私の仕事だ。

 

2003年8月18日 月曜日

3日あった夏休みを全て月曜日に充てたこの日が最終日。

先々週はパスポートの申請に行き、友人と飲み潰れた。

先週は祖父の葬式関連で過ぎた。

そして今週はパスポートの受取と今月末に迫った車検を済ませた。

ダラダラ何もせず休むのではなく、しっかりやることがあって充実していたと言えるだろう。

そしてカレンダーを見て次の祝日を探している自分がいる。

9月15日月曜日、良し良し。

 

2003年8月17日 日曜日

高校時代の友人が急に私の地元に来ると言うので急遽飲みに行った。

前日は中学時代の友人と会って、翌週は中学のクラス会。

それでこの日は高校時代の友人と飲み。

そういえば8月4日にも記憶が無くなるくらい飲んだ。

今月は元バイト先の仲間との飲み会も予定されているし、来月頭には大学時代の友人と飲む。

旧友と会うのは楽しくて良いけど、出費がかさむな…

 

2003年8月16日 土曜日

中学時代の友人と飯を食っていてその席でクラス会が開かれることを知った。

積極的に参加したいとは思わなかったが、その場で幹事に電話をされて直接話すとどうも断わりにくい。

先生も来ると言うので参加することにした。

このクラス会が実は2年の時のクラスでのクラス会。

何となくクラス会というと卒業した3年時のものを想像するのだが…。

不思議とこの2年のクラス会というのが多くて、大学時代にも私は1回参加した。

仙台にいた頃にも誘いの電話があった。

正直それほど仲が良くて結束したクラスだったという印象はないのだが…(勿論悪くはなかったけど)

 

2003年8月14日 木曜日

9時間近く眠ったせいで体調は思ったより悪くなかった。

残業代休も取れるし、休もうかなとも思った。

しかし今週に続いて来週も月曜日に夏休みを充てて休みを取っている。

なんかそれだと休み辛い。

職場まで到達できればあとは座っているだけなので、行こうと決心した。

前日の帰りに薬局で買っておいた栄養ドリンクを飲んで仕事。

昼飯後にも再度ドーピングをして1日を乗り切った。

前夜9時間睡眠の成果かドーピングの効果か眠くもならず仕事もそれなりにはかどった。

結局気がつくと残業ができるまでに回復していた。

前夜寝ているときは絶対今日はダメだと思っていたのに。

こういうことがあると自分はまだまだ若いぞ!と思えるな。

 

2003年8月13日 水曜日

この日の早朝に、父と弟が父方の実家である北海道へ行った。

母は祖父の死の関係で今週いっぱい京都に滞在、私は家で1人となった。

ところが仕事中に次第に身体がだるくなっていった。

ここ数日の疲れが出たのだろう、1人になった途端に体調を崩すとは。

仕事はキリを良くして定時過ぎにあがって帰宅。

確実に熱があると思われたが、計っても意味がないので計らずに早々と寝た。

眠りながらも身体の節々の痛みで度々目が覚めて翌日はダメだろうと思った。

 

2003年8月12 火曜日

やはり疲れは抜け切らず、かなり眠い中出勤。

お盆ということで電車が空いていたのが良かった。

普段よりも2本早い電車でも悠々座れた。

敢えて盆からずらして休みを取るとこういう利点もあるな。

仕事は頭をあまり使わなくて済むものだったので度々眠ってしまった。

しかし夕方になって急遽1発頭を使う仕事が入ってくると途端に目が冴えた。

眠気に関与するのは疲れもあるだろうけど1番は仕事内容かもしれないな。

 

2003年8月11日 月曜日

京都から東京までの帰路。

所々渋滞はあったものの、比較的スムーズに車は流れた。

祖父は金曜日に亡くなったので土日で通夜・告別式。

私は月曜日に夏休みを充てていたので、丁度良かった。

私の会社は祖父母の死だと弔休は出ないのだ(ケチ)。

 

2003年8月9日 土曜日

京都の祖父の死を受けて急遽京都へ行くことになった。

喪服やら何やら荷物も多いし時期的に新幹線は難しいと思ったので車で行った。

朝早く(4時過ぎ)に京都へ向けて出発。

ところが巨大な台風が来ていてもろに台風の中を突っ込んでいく格好に。

物凄い大雨で前が見えずセンターラインすら見えずに時速50kmくらいで運転、かなり恐かった。

渋滞は殆どなく、8時間くらいかけて京都に到着した。

 

2003年8月5日 火曜日

奇跡的に6時に目が覚めるも二日酔いと暑さでダルイダルイ。

何度も休もうかと思ったが、前日夏休みを充てて休んでいるのでどうも休み辛い。

通勤電車で座っていても揺れが気持ち悪くて何度も吐きそうになった。

おまけに休み明けで仕事はたまって最悪の状態だった。

昼飯食って暫く経つとようやく楽になってきた。

やはり仕事の前日は飲みすぎるもんじゃないな。

 

2003年8月4日 月曜日

3日間取れる夏休みはいずれも月曜日に充てて、この日がその第1日目。

私のパスポートの有効期限は今年の9月までで、今年末の社員旅行は韓国だという。

というわけで新たにパスポートをつくるために都庁の旅券課へ行った。

前回作った時は未成年だったので5年用しか作れなかった。

今回は20歳を越えているので10年用を申請した。

しかし期間が倍になっても、これから訪問できる国は倍どころか半分も行くかどうか。

香港・中国・台湾・韓国・イギリス・フランス・オランダ・ドイツ・ポーランド・チェコ・オーストリア・イタリア・タイ・マレーシア・シンガポール。

学生時代・無職時代に行ったこれらの国々を越えることは難しい。

それこそ会社を辞めてまた無職にならなければ行けないだろう。

より多く使う機会があると良いけど、パスポート。

パスポートの申請に新宿へ行ったついでに新宿在住の友人に電話してみた。

丁度バイトが終わって暇だったそうで、時間は14時だったが休みで気分も良いのでビアホールへ。

すると「生ビールの日」と銘打って生ビール全品半額セールをやっていた。

何でも大正何年かに銀座に日本初のビアホールが出来たのがこの日だとか。

早い時間だったが半額ということもあって大ジョッキを飲む。

飲みながら埼玉在住の友人に電話してみると仕事が休みで暇だというので急遽呼び出した。

18時に友人と合流するまでに半額ビアホールで大ジョッキを3,4杯。

外に出てたこ焼屋でグラスビールを1杯。

18時に友人と合流すると先ほど電話をかけたが繋がらなかった目黒在住の友人から電話があった。

彼も20時に合流することになり、それまでの間に我々は3人でタイ料理屋へ。

タイ料理と共にタイのビールを瓶で3,4本。

20時に友人と合流してどこかの居酒屋に入りやはりビールを…

タイ料理後半辺りから記憶は曖昧で、帰宅時間も不明。

翌日は仕事なので本当は新宿在住の友人と軽く飲んで夕方には家に帰るつもりだった。

ところが次から次へと連絡する友人が暇だったので次から次へと飲みに行ってしまった。

昼の14時から推定22時頃まで殆ど飲みっ放し。

我ながら相変わらずよくやるわ。

 

2003年7月27日 日曜日

最近は私服を着て出かける回数がめっきり減った。

しかし大学時代から履いていたGパンが限界を訴えたので数年ぶりにGパンを買いに行った。

ショックだったのはそのサイズ。

大学時代は30を履いていたはずなのだが、30を試着しても入るには入ったが腰とモモがパンパン。

31でもダメ、32でようやくシックリ来たがゆったりめが良かったので結局33を購入。

毎晩のビール(発泡酒)がネックなんだろうな…。

 

2003年7月22日 火曜日

携帯用ホームページを開設。

掲示板への最初の書き込みは予想通りの友人で「やっぱりな」と苦笑しつつも嬉しかった。

といって今や大学時代の様に頻繁に更新できる身でもない。

何とか月1ペースでは更新出来るように心掛けていきたい。

 

2003年7月21日 月曜日

この3連休、家ではずっと携帯用ホームページ作りに励んでいた。

苦労したのは旅日記を1日単位にまとめること。

携帯電話で表示できるサイズを越えずにまとめていかなければならない。

文章のどこの部分を削るかでだいぶ考えた。

まぁそれなりに巧くまとめることが出来たと思う。

これが出来たということは、本家の旅日記もその気になればかなり小さくまとめられるということ。

削った部分全てが無駄な部分とは思わないが、チョット複雑だな。

 

2003年7月19日 土曜日

散々待たされた車の修理が完了した。

最後までクレームはつけずにフレンドリーに対応した。

その結果当初の見積もりよりも部品代等が多くかかったらしいが、当初の見積もり通りにしてくれた。

伝票を見ると計8万近く安くなっている。

これもフレンドリーに対応した賜物か。

でも修理の代金ってのは「技術料」なる正確には計れない金額が含まれているからなんとも言えないな。

とりあえず無事に返って来たので良しとするか。

 

2003年7月18日 金曜日

通勤電車で読む本は土日に図書館で借りている。

1週間で読み終えられそうなものを借りて行くのだが、今回は木曜日で読み終えてしまった。

電車の中は本に集中しないとイライラすることが多いので、何か持っていかなければ。

とっさに本棚から取り出したのはいつぞやかに買った携帯用ホームページを作るための本。

漠然と読んでいて、急速に携帯用HPを作りたい欲求が増えていった。

仕事しながらもHPのことをモヤモヤ考え、レンタル掲示板を申し込む。

仕事しろよ…

 

2003年7月6日 日曜日

現在の私の就職先で与えられた夏休みは3日。

7月半ば〜8月半ばまでで3日間取って良いという。

通常の土日休みと続けて取れば最大5日の連休が取れる。

しかし特に予定のない私は一気に5連休を取るよりも、3日を1日ずつ月曜日に振り分けて土日月の3連休を3回取りたい。

月曜日が休みだと、1週間に4回出勤すれば良い。

それが3週も続くなんて素晴らしいではないか。

前回の就職先で夏休みと言う名の休みが取れたのは10月だった。

日数は同じ3日だったが、そのうち1日は仕事が入って潰れた。

それでも非完全週休2日(週休2日など絶対に取れない)だった当時では凄いことだったなぁ…。

 

2003年7月4日 金曜日

この日は職場の都合でいつもよりも30分遅れての出勤。

30分遅いだけで電車や駅がだいぶ空いている。

私の現在の職場は朝礼やっている訳でもないのだから、フレックスにしても良いのにな。

 

2003年6月27日 金曜日

この日は健康診断を受けることにしていた。

本社に帰社してその足で健康診断を実施している診療所へ行ってそのまま帰宅することに。

同じ職場の先輩と同期と申し合わせて、早めに職場を切り上げて本社と健康診断へ行ってしまうことに。

14時すぎには職場を上がって、まずは本社へ。

本社に帰るのは2月末以来実に4ヶ月ぶりだ。

たいがい上司に近況などを報告するのだが、幸い(?)上司が不在。

本社に提出する書類だけを事務の人に渡して本社滞在は僅か3分ほど。

診療所へ行くとこちらもガラガラで、健康診断も10分程で終了。

気になる視力は前回(0.9)よりは持ち直して1.2だったが、全盛期(2.0)には遠く及ばなかった。

15時過ぎにはこの日の予定全てが終わっていた。

あとは帰るだけである、こんなに明るいうちから帰れるなんて素晴らしい。

いつもはギュウギュウの帰りの電車もガラガラで座ることが出来た。

見渡すと学生の姿が目立ち、サラリーマンが殆どいない。

いつもはいかに多くのサラリーマンが乗っているかだな。

少し街をブラブラして帰ったのだが、それでも17時前には家に着いていた。

夕方に家に帰ってくるという状況が学生時代を思い出させた。

気分が良かったので帰宅早々ビールを飲んだ。

これも健康診断があったおかげだ、毎月でもやってくれないかな。

 

2003年6月23日 月曜日

早朝4時からサッカー日本対コロンビア。

月曜日の早朝に放送とは酷な話しだ。

しかも0-1で負け、日本はコンフェデレーションズカップ予選敗退、散々だ…。

だけどこれで深夜早朝に起きる必要がなくなったわけだ。

良かったんだか悪かったんだか。

 

2003年6月22日 日曜日

京都では1泊して帰宅。

祖父は最後までベッドの上だった。

"次"があってほしいと強く思った。

東京と京都、新幹線を使えば時間的にはかなり近くなった。

しかし往復で2万以上かかると考えるとやはり遠いのかな。

 

2003年6月21日 土曜日

早朝、4時に起きてサッカー日本対フランスを見る。

1-2で負けはしたが善戦でなかなか面白かった。

朝飯を食べて京都へ向かった。

何故に突然京都か。

京都には祖父母と下宿中の弟がいるのだが、祖父の身体の調子がだいぶ悪いらしい。

殆ど寝たきりで飯もあまり食わない。

80を過ぎた高齢なので、いつ何があるか判らない。

暇を見つけて見舞いがてら会いに行くことになったのだ。

7時過ぎに家を出て、10時過ぎには京都に着いていた、こんなに早いとは。

朝の京都駅、駅構内に団体の修学旅行生が大勢並んで先生の話を聞いていた。

その光景を写真に撮っていた外国人観光客。

私が京都へ来るのは2000年8月以来。

久しぶりに会った祖父はだいぶやつれていて小さかった。

少なからずショックだった、あまり長くは無さそうだと思わざるを得ない。

まぁ会えて話が出来ただけでも良しだろう。

東京と京都は思っていたよりもずっと近かったし、これからも顔を出しておきたいと思った。

 

2003年6月19日 木曜日

サッカーのコンフェデレーションズカップが始まった。

フランスで開催されているためにTV放送は深夜や早朝。

前夜に日本の緒戦、対ニュージーランドがあって1時〜3時まで見ていた。

さすがに午前中は眠くて殆ど仕事にならなかった。

深夜TVにも慣れていかないと、来年にはアテネオリンピックがあるしな…。

 

2003年6月16日 月曜日

今週から夏用のスーツを着て行くことにした。

しかし夏用のスーツでも暑い。

今からコレだと7月8月が思いやられるわ…。

 

2003年6月13日 金曜日

前日に突然のメールで、この日飲みに行く事になった。

高校時代の友人なのだが、時々飲んでいた友人の他に数年ぶりに会う友人も来るという。

今週2度目になるが、仕事を定時で切り上げて新宿へ向かう。

高校時代の友人との飲みといえば、だいたいがいつも新宿だった。

高校を卒業してストレートで大学へ行ってストレートで就職して現在まで勤めている者。

高校を卒業してストレートで大学へ行ってストレートで就職したが退職して現在は再就職している者。

高校を卒業して一浪して大学行って数回留年して現在も大学生の者。

高校を卒業して一浪して大学行って就職したが退職して現在はフリーターの者。

高校を卒業してから6年以上。

高校で過ごした年月の倍以上をもう過ごして来たのだが、そんな時の流れは微塵も感じなかった。

皆それぞれ違う道を歩んでいるが、飲んで話していると変わってないなーとシミジミ思う。

2次会、3次会と流れて終電ギリギリで帰る。

気分の良い飲み会だった。

 

2003年6月11日 水曜日

夜にサッカー日本代表の試合(vsパラグアイ)があったので、早めに仕事を切り上げた。

定時(18時)に誰も帰らないような職場なので早く帰るのはどうも気が引ける。

そうして帰って前半途中から試合を見ることが出来たのだが、結果は0-0のスコアレスドロー。

…どうも巧くいってないよな、日本代表。

これでジーコが監督に就任してからの通算成績は7戦1勝3敗3分。

この成績は前任者のトルシエが監督に就任してから7戦のものと同一らしい。

しかしトルシエの時はこれからチームを作っていく、という段階での成績。

一方のジーコはワールドカップベスト16という過去最高の実績を誇る日本代表を引き継いでの成績。

同列に並べられるものではないと思うのだが…。

 

2003年6月6日 金曜日

21時30分頃まで働いて、23時前に家に帰った。

スーツを脱いで晩飯を食うかってところで地元の友人から電話があって飲みに行く事に。

居酒屋ではなくてチョット高そうなバーみたいな所へ。

メニューには見たことのない名前のカクテルが沢山。

その殆どが700円〜1,000円。

料理も500円未満のものなど殆ど無かった。

一応社会人になったとは言え、そうした店で値段を気にせずに飲めるほどの器量はまだ持てないな。

抑えて飲んでしまった、まだ私は居酒屋レベルだな。

 

2003年6月3日 火曜日

通勤のために2本の電車を使っている。

朝、家から最寄駅へ行くとホームが大混雑。

これは何かあったなと直感、何かのトラブルで全線大きく遅れているという。

最初にきた電車はもうこれ以上乗れない、というほど人が乗っていてとても乗れなかった。

次のには何としても乗り込んで、乗換駅へ。

すると何と乗り換える電車の路線も信号機トラブルとかで大幅に遅れているという。

2路線の電車が同時にトラブルで遅れるなんてことがあるのか…。

幸いにして遅刻はしなかったが、朝からギュウギュウの満員電車、やる気は一気に喪失だ。

 

2003年5月26日 月曜日

仕事中の夕方に結構大きな地震。

東北で震度6を記録していた地震で、東京でも3くらい揺れた。

私の職場は18階建てくらいのビルの4階だが、結構揺れた。

ビル内だからなのか揺れがゆったり感じられてなんだか酔うような気持ち悪い揺れだった。

東北での地震、と聞いて前職の店のことを考えてしまった。

棚から商品落ちたりしたかな…と。

そういえば私が仙台にいた頃にも地震があったのを思い出した。

商品が棚から落ちるほどではなかったが、スタッフやお客が騒ぐくらいの地震だった。

地震の直後に他店の店長から「大丈夫だったか」って電話がかかってきたていたな。

そろそろ思い出に変わりつつあるな。

 

2003年5月25日 日曜日

給料日後はいつも銀行へ行ってまとまった金額を卸す。

その金額で次の給料日までを過ごす。

ただ今月は自動車税を払わされる月なのでいつもより多め。

週に1回使うか使わないかになっちゃってるけどな、車…。

 

2003年5月16日 金曜日

仕事が終わる定時に近づく17時30分。

職場のパソコンの回線がおかしくなったらしくて、仕事が出来なくなった。

定時(18時)をすぎても復旧の様子がなかったので帰ることになった。

誰に気兼ねすることもなく定時に帰れるというのは良いな。

 

2003年5月8日 木曜日

満員電車の中というのは何かとイライラすることが多い。

先日は満員電車の中ですぐ前にいたバカップル。

駅構内での全面禁煙を知らせるアナウンスが車内に流れた。

そのバカップルの男が煙草を吸うらしく、女は吸わないらしい。

「やったぁ、駅構内全面禁煙だってさ。」と女が男へのあてつけのように大きな声で言う。

「だいたいタバコ吸う人ってさ、周りの迷惑考えないよねー。人がいても平気で吸うしさー。」

満員電車で彼氏にだけ聞かせれば良い話を周りの迷惑も考えずに大声で喋っているアンタがよく言うわ…。

 

2003年5月4日 日曜日

仙台社会人一人旅を書き終えた。

目標としていた退職から1年以内での完成となった。

2,3月などはだいぶ前に書き上がっていたのだが、敢えて全部まとめての公開とした。

内容を見れば分かるが2月からは本当に墜ちていく一方だった。

それだけを単独で公開したら内容的にかなり暗いなと思ったので一気にまとめて公開することにしたのだ。

曜日の配列が最悪と言われているゴールデンウィークだが、昨年に比べれば何だって祝日は最高だ。

 

2003年4月28日 月曜日

友人と久々に飲みに行った。

土日が過ぎて、翌日もまた祝日で休みという中日の月曜日。

渋谷で入った飲み屋は満員ではなかったがそこそこの混み具合。

しかし客数に対して明らかに店員の数が少ない。

スイマセン、と呼びとめても少々お待ち下さいと言われ、その店員が来る事は2度とない…。

確かにどの店員も忙しそうにしていたが、完全無視とはいかがなものか。

間違えた注文を持ってきて、正しいのが来るまでにも30分以上かかった(それも催促しなければいけなかった)。

あまりにも対応が悪いので文句を言うと、フロアの責任者みたいなのが来て「何か不手際がありましたか?」と。

注文が来なかったり、少々お待ち下さいといって無視されたり…ツラツラと発言した。

神妙に聞いていたフロア責任者。

「私、この辺りの担当ですので、注文は私にお申し付け下さい。」と。

「イヤイヤ、アンタ何か一言抜けてるでしょ。」、「ハイ?」

「申し訳ありませんの一言がなかったんだけど、まずそれを言うべきなんじゃないの?」

「あぁ、申し訳ございません。」

まったく、接客業としてどうかしてるよ…。

そこの店、サワー全品半額とのことだったので普段はビールをよく飲むのだが、この日はサワーをメインに。

大ジョッキ(1リットル)が800円、それが更に半額だったので3,4杯は飲んだ。

それだけで3,4リットル、冷静に考えると凄ぇな。

後日、友人がその居酒屋のHPから今回の対応についてのクレームをメールで送ったと言う。

するとその地区担当のマネージャーからお詫びの言葉と共に、サービス券をくれると言う。

それでまた悪いサービスを受けろってか?

 

2003年4月27日 日曜日

深夜にサッカーをやっていた、日本代表の中田と中村が所属するチームの直接対決。

翌日は仕事だったが、その翌日は休みだったので夜更かししてみることにした。

しかし内容はたいして面白くなく、しかも結果は0-0の引き分けで終了。

睡眠時間返せ。

 

2003年4月24日 木曜日

仕事にだいぶ慣れて来てある法則を発見した。

"前夜の睡眠時間と、仕事中の眠気は必ずしも反比例しない"

つまり、前夜に沢山寝たからといって、仕事中に眠くならないとは限らない。

前夜にあまり寝ていないからといって、仕事中に眠くなるとは限らない。

それでは何が眠気と関係あるのかと言うと、仕事内容である。

頭を活性化させるような仕事、自力で考えて解決への道が見つけられる仕事をしていると眠くならない。

逆に単調な仕事や、幾ら考えても分かりそうにない仕事をしていると眠くなる。

そんな仰々しく発表するまでもないことかな…

 

2003年4月21日 月曜日

最近は仕事の進め方がだいぶ分かるようになってきて、帰りの時間を調整することが出来るようになってきた。

ここまで進めたらもう帰ろう、キリが良いからチョット早いけれど帰ろう…と自分で決められるようになってきた。

これまでは仕事が出来ない引け目から早く帰り辛かったが、そんなこともなくなってきた。

残業代稼ぐためにチョット遅くまでやっていくか…とかも。

 

2003年4月16日 水曜日

夜にサッカーの日韓戦があったので仕事を早く切り上げて帰宅。

前半の途中から見ることが出来たが、結果は0-0のまま後半ロスタイム残り10秒で日本が劇的決勝ゴール。

つまり最後の10秒だけ見ていれば良かったわけか…。

 

2003年4月13日 日曜日

この日は東京都知事選挙の日。

イラク戦争に話題を持っていかれて殆ど騒がれなかった。

まぁイラク戦争同様に結果が殆ど見えている選挙戦ではあるが…。

投票所は私が卒業した小学校。

もう卒業して10年以上経った、感慨深い。

我々の代が作った卒業製作がまだ残っていた。

校庭を眺めながら少しだけ懐かしさを噛み締める、そんな自分がチョット好き。

投票所はジーさんバーさんが実に多かった。

 

2003年4月6日 日曜日

後半の記憶がない久々の飲みの翌朝。

これまた久々の強度の2日酔い。

起きて水を飲んでしばらくするとその水が全て吐き出された。

それ以降も目が覚めるたびに、嘔吐を繰り返した。

胃の中には何も入っていないので苦い黄色っぽい液体が出てくる。

これが苦しくて苦しくて仕方ない。

水やスポーツドリンクを飲んでもそれらが全てそのまま吐き出されてまるで意味がなかった。

15時頃になってようやく回復、日曜が休みで良かった。

その夜、この日は仕事だった友人から電話があった。

友人は健気に出勤して、出勤途中でも吐いて散々な1日だったらしい。

「こっちが2日酔いで仕事している間お前はのーのーと寝ていたわけだ。」と言われたので、

「こっちは2日酔いで大切な日曜日が台無しになっちまったよ」と言ってやった。

まぁ、どっちもどっちだな(?)。

 

2003年4月5日 土曜日

1週間が日曜日から始まるとするならば、今週は飲みで始まって飲みで終わった。

高校時代の友人と今年に入って初めて飲みに行った。

友人は土日が休みではない仕事をしているので、休みがあわずなかなか飲みに行けなかったのだ。

今回はその友人の休みが土曜日だったので、飲むことになった。

翌日も仕事だという友人のために早い時間から飲むことにして15時に待ち合わせた。

ところが我々は自分達の性質を忘れていた。

早い時間から飲むので早い時間に終わるというわけではないのだ。

早い時間から飲むのでそれだけ長い時間飲むということになってしまう。

そりゃ飲み始めた頃は早い時間に終わることを考えている。

しかし酒が進むと「もっと行こう、どんどん行こう」ということになってくる。

結局気が付くと記憶がなく、23時過ぎまでは飲んでいた。

最初の店でビールを3杯、次の店では大ジョッキを3,4杯くらいまでは記憶がある。

それ以降は…

記憶無し飲みも久々だな、まだまだやれるじゃないか。

 

2003年4月1日 火曜日

世に新入社員が増える1日。

意識するからか、新入社員っぽいのがいっぱいいた。

青いヤツらがいっぱいいるぜ、と思いながらもふと考えた。

下手したら自分も新入社員に見られているかな。

それだったらチョット嬉しいような、なめられているような(誰に?)複雑な気分だ。

 

2003年3月31日 月曜日

久々に3時頃まで飲んで、翌朝(?)は仕事…。

2日酔いと言うよりも極度の寝不足で体調不良。

午前中は全く仕事にならず、机に向かってはいるが殆ど意識がない状態だった。

こんな形で1週間が始まるのはキツイな。

 

2003年3月30日 日曜日

大学時代のアルバイト先でおおがかりな送別会が開催された。

私がアルバイトを始めた当時から店にいた社員や、私も世話になった人らが異動になると言う。

せっかく誘われたので、行くことにした。

昨年11月にも、アルバイトの送別会に参加させてもらった。

今回は店長、副店長、主要社員の異動なので参加人数が前回よりも多かった。

そして参加人数が増えた分、私の知らない人が増えていた。

私が辞めてから2年、もはや知らない顔の方が多そうだった。

しかもその飲み会の雰囲気が私のいた頃とだいぶ変わっていて、ついて行けなかった。

ただその中でも、私のバイト当時からいた人と話が出来たのは収穫だった。

バイト当時は売場も違ってほとんど話をしなかった人なのだが、私のHPを知って見てくれていたのだ。

それで話しが弾んで、大勢の連中が2次会でカラオケに流れるのを抜け出して飲みに行った。

既に0時を回っていて、翌日の仕事が気になったがそれでも構わなかった。

2,3人ではあったがカラオケからコッチに少し顔を出しに来てくれた人もいてそれも嬉しかった。

大学時代のアルバイト先、全体の送別会参加はもう控えたいと思ったけれど、個人的に少しでもつながりを持っていたいと思える人はまだいる、捨てたもんじゃない。

結局3時近くまで飲んでいただろうか、翌日…いやこの日は仕事なのだが。

 

2003年3月21日 金曜日

昨年12月より滞っていた仙台社会人一人旅を久々に更新した。

当初の予想通り、再就職後は更新が一気に滞った。

残すはあと3ヶ月半、目標は退職してから丸1年経つ5月中には完成させたい。

1月のを読んでもらえば分かるが、段々と辞める方に気持ちが傾いて行っている。

前職の会社の異常性もこれまでの月で書き尽くしてきた感があったので、書く量も減ってきている。

あとは5月の退職に向けて一直線に下っていくだけだ。

当時を思えば、現在の生活のいかに楽なことか。

それを再確認するためにも書いているような部分が自分の中にあることに気がついた。

つくづくあれが最初に就いた仕事で良かったと思う。

あれに1年以上耐えたのだから、そんじょそこらじゃ潰れないという自信になっている。

ところが、最近気が付いた意外な事実。

あんな生活を送っていた当時と現在の1日単位の睡眠時間を比べると当時の方が長かったのだ。

現在は1時近くに寝て、6時過ぎには起きるという生活を送っている。

当時は眠るのは2時や3時過ぎだったが、出勤場所が家から徒歩30秒だったので起床は9時頃だった。

つまり現在の睡眠時間は5時間ほどだが、当時は6,7時間眠れていたのだ。

この事実に気が付いた時はチョットした衝撃だった。

もっともこれは1日単位の睡眠時間での話しだ。

1週間単位になると完全週休2日の現在と、1日休みが取れれば上々の当時とでは大きな差になる。

また実働時間も当時の方が遙に多かった。

では現在の生活の何がそんなに時間を取っているのか。

通勤時間である、往復で考えると約2時間半だ。

まぁどう転んでも現在の方が良いという結論に落ち着くのだが。

 

2003年3月18日 火曜日

アメリカのイラク攻撃に関する国連決議を巡ってアメリカとフランスが対抗している。

戦争をしたいアメリカと、それを阻止したいフランス。

各国で反戦デモが行なわれている模様が連日TVで流されている。

その一方、アメリカで戦争に賛成する市民団体がフランス大使館前で抗議をしていた。

フランス製品の不買運動を謳い、フランス製のワインを道路にぶちまけている様子がTVで放送された。

素朴な疑問が生じた、そのフランス製のワインは買ったものなのだろうか…

 

2003年3月12日 水曜日

24の誕生日、昨年同様誕生日は仕事だった。

ただ昨年と違うのは仕事の内容。

昨年と比べれば今の状況は随分楽だ。

ハタチを越えると早いというけれど、果たしてどうなのか。

確実に昔よりは時の流れが早くなっているような気はするな。

この日の朝、京都の大学へ行っているので祖父母宅に下宿している弟が帰ってきた。

私もつい先日まで大学生だったような気がする。

やはり時の流れを早く感じるようになっているな。

 

2003年3月8日 土曜日

晩飯に宅配ピザを頼むことになった。

土曜日の夜ということで混雑する時間帯だ。

いつもなら30分以内にお届けを売りにしている店が「5,60分かかりますが宜しいですか?」と言ってきた。

別に構わなかったので了承した。

ところが1時間20分、80分以上経ってもピザは届かない。

私の中のクレーマーの血が騒ぎ始めたのでそのピザ屋に電話した。

「5,60分って言われたピザがまだ来ないんですけど…」

電話口の兄ちゃんが確認に行ったらしい、少しすると

「申し訳ありません、只今確認を取りまして、あと10分程でお届けできると思います。」

「あと10分?何時にそっちを出たの?」

「イエ、今焼きあがってこれからお届けするところで…」

「今焼きあがったって?!5,60分で届くって言われて待っていて80分経った今から届けるっておかしいだろ?」

「申し訳ございません、ピザの生地に何とかが入っているのが発覚致しまして…」

「そんなのオタクの都合なんか知ったことかよ、こっちは5,60分って言われて待ってんだよ。」

…と、正当なクレームをつけたら、今回のお代は結構ですということになった。

そりゃ少しは代金を安くさせるつもりもあって電話したのだが、タダになるとは思わなかった。

届けに来た金髪の兄ちゃんは特に何も聞いていないのか普通に

「お待たせ致しました。今回お代は結構って聞いておりますので。」

といつも通りと思われる接客をした、まぁ無料だから別にイイけど。

もっと高いの頼んでおけば良かったな。

 

2003年3月6日 木曜日

現在の仕事はその殆どがパソコンの前に座っている仕事。

必然的に眠くなる時間帯がある。

そうしたことを避けるために、仕事中にジュースを飲んだりガムやミントタブレットを食べたりする。

定時後に残業している時はお菓子などをつまみながら仕事をすることもある。

そこで恐ろしいことが頭をよぎった。

このままずっと座ったままの仕事で、何か食いながら続けていたらどうなるか。

確実に太っていくだろう、殆ど運動などしない生活なのだ。

せめて仕事中に飲むのはお茶にして、間食でお菓子を食うのは出来るだけ控えよう思った。

 

2003年3月2日 日曜日

私と同じような仕事をしている友人がいる。

私より遙に忙しい生活を送っている彼。

帰宅は0時を超えることがザラで、翌朝もいつも通り出勤している。

その彼がいつも帰宅後に敢えてTVゲームをしていると言う。

「1日のうちに少しでも自分の時間を持たないと、仕事だけに生きているような気がして…」

という理由らしい。

なるほど、分かるような気がする。

だけど現在の自分は、まだそこまではやれない。

翌日の事を考えると早く寝ようと思えてしまう。

 

2003年2月28日 金曜日

就職してからは1ヶ月が早い、もう月末だ。

前職では月末の度に棚卸をやっていた。

毎月ごとに損益計画と実際の数字を比較分析。

翌月の計画を立てる、本部に送る書類等をまとめる。

それがために月末月初はかなり忙しかった。

だから月末は憂鬱だったけれど、現在そのようなことがなくて実に良い。

スムーズに月末が過ぎていく。

 

2003年2月23日 日曜日

友人が車を買った。

中古車だが車検等全て込みで150万円程したと言う。

それを現金一括で購入したと言うから驚き。

私も車を買ったときは現金一括で買ったけれど、値段は60万強だった。

私はどうもローンやカードというヤツが嫌いで、物を買うなら現金一括と決めている。

しかし車を持っている今、車よりも高い買物と言ったら家くらいしか思い浮かばない。

家を買うのがいつになるか(その日が来るのか)は分からないが、さすがに現金一括では難しいかな。

 

2003年2月17日 月曜日

仕事中に必ずと言っていいほど眠くなる時間帯がある。

午前中、昼過ぎ、夕方頃の3回がピーク。

空調の効いた室内でずっと座っているのでそれも無理はない。

前職が売場に出る仕事、基本的に立って動いている仕事だったから尚更である。

この眠気も仕事に慣れてくれば克服できるものなのかな。

難しいような気がするな…。

 

2003年2月10日 月曜日

現在の職場の定時は18時までなのだが、殆どの人がそれ以降も仕事をしている。

定時で帰りたいなーと思いつつも、何だかそれをするには気が引けるような状況なのだ。

別に残業を強要されているわけではないが、なんとなく20時頃まで仕事をしてしまう。

20時頃になるともういいかなぁ…という感じで帰るのだ。

ま、それで残業代が付くのでこっちとしても嬉しいけど。

 

2003年2月3日 月曜日

この日から研修ではなく、正式に仕事を与えられた。

その職場へ行くために使う電車がある。

その電車はちょうど私が乗る駅が始発駅になる。

だから2本ほど電車をやりすごして並んで待っていれば確実に座れるのだ。

その気になれば朝に家を出るのがあと30分程遅くても会社には間に合う。

だが私は30分早く出て、始発列車待ちの列に並び、座って会社へ向かう。

会社の最寄駅までの乗車時間は35分ほど。

30分家を早く出ることにより、満員電車の中で35分間座って寝ていられるのだ。

私はそっちを選ぶ。

 

2003年2月2日 日曜日

実に不思議な出来事だった。

昨年末に乗って以来久々に自分の車に乗って出かけた。

適度にドライブして買物などをし、さて帰ろうかと車に乗った時に気が付いた。

車に付いている小銭を収納する所にあったはずの1,500円ほどの小銭がなくなっていた。

アレ、おかしいな、荒い運転をして落ちたにしても気が付かないはずがない。

車内を探してみるも出てこない。

マサカと思って車のダッシュボードの中も調べてみた。

車のダッシュボード内にもお金を入れていたのだ。

仙台にいて店長をしていた時に、休日に釣り銭用の小銭が足りなくなったら困るので予備の棒金を自腹で両替して持っていた。

小銭が50枚で1本になって包まれているアレが棒金である。

その棒金を仙台からこっちに帰ってくる時に車のダッシュボードに入れたままにしておいたのだ。

その棒金を調べると1円玉の棒金(50円)が4本あるだけだった。

10円玉棒金(500円)とたしか100円玉棒金(5,000円)も入れておいたはずである。

100円棒金が入っていたかの記憶は曖昧だが、10円棒金は絶対に入れていたと思う。

それらの棒金が1円玉棒金4本を残してなくなっていた。

すぐに思いついたのは車上荒らしである。

1ヶ月以上車に乗っていなかったのでその間にやられたのだろうか。

しかしそれならば何故に1円玉棒金は残していったのか。

1円玉棒金なんかいらないと判断したのだろうか?

しかし1円玉棒金も4本あったのでそれで200円。

せっかく車上荒らしをしたのならば少しでも多くの金を取っていくと思うのだが…。

それにそれ以外の被害、車検証や、車に積んでいる何枚ものCDなどは無事だった。

さらにこの日車に乗ったときに鍵が開いているなどの異変も見られなかった。

私がそのお金を使ってしまったのを忘れているという線も考えられるが、思い当たる節がない。

なんとも不思議な感じだ。

しかし不思議とはいえ、いくらかの金が車内からなくなっているのは事実である。

数千円のことではあるが、それはやはり解せないし惜しい。

今後、車内に金を置くのはやめておこうと思った。

 

2003年1月30日 木曜日

2月からどうやら正式に仕事が与えられることになった。

本社で研修をしていて、初めて社長と会って話しをした。

チラリと見たことはあっても話をするのは初めてだった。

すると定時後に皆で飯でも食いに行こう、と社長の鶴の一声。

17時45分が定時なのだが、17時30分にはもう「オイ、もう行くぞ」と上がらされた。

社長・専務・取引先の人・課長・先輩社員…

焼肉屋に行って、上が付く肉を食い、ビールもそこそこ飲んだが全然酔えない。

そら気ぃ使うわ、幸いにしてそうした場での気の使い方は前職で多少の心得があった。

無事に無難にこなせたと思う。

 

2003年1月24日 金曜日

働きながら風邪はどうにか治ったようだ。

土日が休み、休みの日が決まっているというのは良い。

"あと何日だ頑張ろう"と思える。

前職はそれがなかった。

あったのは"次の休みは果たしていつ取れるのだろうか"だったからな。

 

2003年1月22日 水曜日

体調の悪さは持続し、仕事から帰って熱を計ると37.6℃。

なんか身体弱くなったなぁ…。

 

2003年1月19日 日曜日

近頃TVの映りが悪く、どうやらアンテナのせいらしいことが分かった。

BSアンテナの取りつけは電気屋に依頼せずとも自力で出来た。

しかし屋根の上のアンテナを修理するのは自力では難しそうだったので電気屋に来てもらうことにした。

電気屋に電話をして、住所と電話番号を知らせると、翌日に来ることになった。

午前中に電気屋から電話がかかってきて家に来る時間を教えてくれると言う。

ところが当日の昼間になっても電気屋からの連絡がない。

不審に思ってこっちから電気屋にかけてみた。

すると、こっちが教えた電話番号を相手が書き間違えたか聞き間違えたかで連絡が出来なかった、と言う。

そういうことならば…とまぁ納得してアンテナの修理も終わった。

それにしても、である。

電話番号を書き間違えたり、聞き間違えたりしたのは単純なミスなのでそれを責める気はない。

しかしその後の対応は如何なものだろうか。

電話番号が分からないのだから、連絡は出来ない、確かにそうである。

しかしこっちは氏名と住所まで相手に教えてあったのだ。

電話帳を調べるなり104で聞くなり、こっちの電話番号を知る方法はいくらでもあったはずだ。

それなのに、"電話番号を聞き間違えていて連絡できませんでした"はないだろう。

客商売としてそれはどうかと思うね…。

 

2003年1月14日 火曜日

3連休明け、前日の風邪を引きずって体調が悪い。

朝起きて、明らかに熱があると思われたが、仕事へ行けないほどでは無さそうだ。

前職では会社にタイムカードというものが存在しなかった。

その為に何時間働こうと残業代も休日出勤手当も付かない最悪な状況だった。

しかしタイムカードがない利点もあった。

それは休んでも給料に変わりはないということだ。

だから前職ではいくら風邪を引いて休んでも大丈夫だった。
(しかし現実には少々の風邪なら店が気になるし、他の社員の目も気になるので出勤していた)

今回の職場は普通の職場なので、風邪で休んだら欠勤になってしまう。

そしてそれらは(私は未だ有給を取得していないので)給料から引かれてしまう。

現在の私は研修中の身で、任されている仕事があるわけではない。

だから無理な仕事などはなく、マイペースで研修をしていれば良い。

それならば多少無理をしても仕事へ行った方が得策に思えた。

熱はあったはずだが、敢えて計らずに仕事へ行った。

通勤電車は多少辛かった(しかも電車遅れたし…)が、無事に職場に着いた。

そしてそのまま仕事…というか研修、勉強。

すると不思議なことに帰る頃には朝よりも体調が良くなっていた。

これまでの私の仕事といえばアルバイトも含めて小売だったので、仕事中は殆ど立ちっぱなしだった。

おまけに客商売なので外気の影響も受けるし、風邪を引いていたらなかなか務まりそうにない仕事だった。

ところが現在の仕事はデスクワークが主で殆ど座っているだけ。

しかも現在はマイペースで研修・勉強を続けているだけ。

そうしたことが原因で体調が回復してきたのだろう。

そう考えると、小売業の人ってのは身体がいわゆるホワイトカラーの人々よりも丈夫なのだろうか。

私もそのうち身体がデスクワークに慣れていってしまえば、弱くなっていくのかな。

 

2003年1月13日 月曜日

正月休明け3連休、その最終日に体調を崩した。

熱を計るとなんと38℃近くまであった。

翌日からまた仕事だっていうのに…。

 

2003年1月11日 土曜日

暦と言うのは巧く出来ている。

正月休みが終わって1週間勤めたら3連休。

徐々に身体を馴らしていけよ…ということだろう。

カレンダー通りの職場って良いなー。

 

2003年1月10日 金曜日

翌日から3連休なので、仕事終わりに同期と飲みに行った。

週末の仕事帰りにスーツ着て飲みに行くなんて別の世界の出来事だと思っていたなぁ…。

 

2003年1月6日 月曜日

新年初仕事、年始って面倒臭い。

一応皆に「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」を言わなければいけない。

とりあえず研修中の身なので、年が明けても研修というか勉強、何が変わるわけでもない。

いつものように時が流れる。

 

2003年1月5日 日曜日

9連休最後の1日といっても特に何もなく過ぎていく。

そういえば今年の干支は未、そして私は未年。

さらにどうやら私は厄年らしい、しかも本厄。

だからナニという感じもするが、あまり気分のいいものではない。

お祓い?お参り?した方が良いのかな。

 

2003年1月3日 金曜日

高校時代からの飲み友達と新年初飲み会。

イングリッシュバーで一杯飲んで、美味いと評判らしいタコ焼屋でタコ焼きつまみながらビールを一杯。

そして2時間800円飲み放題居酒屋で2時間しっかり飲む。

飲んでいる最中にここ数年会っていない高校時代の友人に電話したら暇なので飲みに来ると言う。

数年ぶりにその友人と再会して、店を変えて飲み直し。

そして2時間980円飲み放題居酒屋で2時間しっかり飲む。

飲んでいる最中に地元の友人から電話があり、カラオケでも行こうと言う。

高校時代の友人と別れ、終電間際に駆け込んで地元に戻って朝までカラオケコース。

フリータイム1,880円(だったかな?記憶が曖昧)飲み放題カラオケで時間も覚えていないほどしっかり飲む。

飲み飲み飲み、新年から調子イイな。

 

2003年1月2日 木曜日

正月3が日の街へ行ってみた。

年末の街の雰囲気も良いけど、正月の雰囲気も良いな。

色々な店が正月で活気付いていて、街を歩く人も皆どこか楽しげで。

昨年までの私は正月というとアッチ側の人間だった。

いらっしゃいませを言って新年の客を迎える側の。

コッチ側で迎える正月も高校以来だ。

 

2003年1月1日 水曜日

2003年を迎えた。

それにしても年末年始の休みは長くて良い。

今年は曜日の配列も良いので特別ではあるが、9連休だ。

私の会社は夏休みは3日、それの3倍。

そういえばまるっきり働かない年末年始は高校生以来だ。

大学時代は年末年始にもアルバイトをしていたし、昨年はご存知の通り。

こうして段々と普通の会社員っぽくなっていくのかな。

 

 

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