グレイシー神話の崩壊と…

 

1993年、アメリカにて衝撃的な大会が開催された。後のアメリカではあまりにも凄惨なシーンが多いということで大会自体が行なわれなくなったというアルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、通称アルティメット大会である。フェンスで仕切られた八角形のオクタゴンというリングの中で噛み付き、目潰し以外は何でもありというルールの中で闘う大会。第1回のこの大会において優勝したのがホイス・グレイシー。ホイス・グレイシーの父であるエリオ・グレイシーによってグレイシー柔術という独自に体系化された柔術を使い、第1回大会で優勝した。この大会をきっかけに「何でもあり」と言われる試合形式が日本でも一躍注目を集め、そういった大会の中で無類の強さを誇ったグレイシー柔術というものが神格化されていった。現在の総合格闘技ブームの原点は1993年のアルティメット大会にあるといってもよい。

日本でも総合格闘技の波が押し寄せて、いつしか日本では「打倒グレイシー」というものが総合格闘技のテーマになってきた。そう思わせるほどにグレイシー一族、グレイシー柔術は強かった。グレイシー神話を作ったホイス・グレイシーが「私の10倍強い」と発言したことで注目を集めたホイスの兄、ヒクソン・グレイシー。その強さは想像通りで数々の日本人選手を破っていった。日本人選手はグレイシーに勝てなかった。その度にグレイシー神話と呼ばれるものがどんどん大きくなっていった。そのグレイシー神話に待ったをかけたのが桜庭和志。日本で行なわれたアルティメット大会ジャパンで優勝、「プロレスラーは本当は強いんです。」という歴史的名言を残した男である。UWFインターナショナルと言う格闘技色の強いプロレス団体でデビューしたがその団体や次に所属したキングダムという団体でもそれほど目立った選手ではなかったのだがアルティメット大会ジャパンで優勝したことで一躍総合格闘技系の大会で注目を集める選手となった。

その桜庭が1999年10月、遂にグレイシー柔術を相手に歴史的な勝利を収める。PRIDEと銘打たれたその大会で桜庭はグレイシー一族のホイラー・グレイシーを見事に破ったのだ。桜庭が決めたチキンウィングアームロックがホイラーに決まり、どう考えても逃れられない状況。それでもギブアップしないホイラーに対してレフェリーが試合をストップ、レフェリーストップで桜庭の勝ちとなった。グレイシーサイドはギブアップしていないとその裁定を不服としたが誰が見てもどちらの勝利かは明らかだった。

そして遂にグレイシー柔術の神話を作った男、ホイス・グレイシーと桜庭の試合が決まった。PRIDEグランプリトーナメントという総合格闘技で誰が1番強いのかを決める大会。1回戦を勝ち進んだ桜庭とホイス。2回戦の組み合わせはファン投票で決定される。そのファン投票でダントツの1位を獲得した組み合わせが桜庭和志とホイス・グレイシーの1戦だった。本来そのPRIDEという大会では15分1ラウンドで勝敗が決しない場合は判定ということになる。しかしグレイシー側は15分無制限ラウンドでレフェリーストップなしの完全決着ルールを要求してきた。桜庭とホイラー・グレイシーとの試合の際のレフェリーストップを不服としてのルール変更だった。桜庭はその要求を飲み遂に東京ドームにおいて世紀の1戦のゴングが鳴った。

試合は、6ラウンド(90分)を闘った末にグレイシー側のタオル投入により桜庭のTKO勝ち。その90分間は見ているほうも緊張しっぱなしだった。いつ決まるかが分からないのだ。膠着状態からいつ試合が動き、決まってしまうのか。あれほどまでに緊迫した試合は実に久しぶりに見た。一挙手一投足を見逃すことが出来なかった。その攻防の末にタオル投入によりホイス・グレイシーが破れたのだ、グレイシー神話の原点ともいうべき男が…。それもセコンドによる、グレイシー一族による協議の末でのタオル投入。セコンドにはグレイシー柔術創始者のエリオ・グレイシーもいたのだ。これはグレイシー一族に勝利したと言っても過言ではないだろう。ホイス・グレイシーが第1回アルティメット大会に優勝してグレイシーブームを巻き起こしたのが1993年、その時から続いてきたグレイシー神話を崩壊させた桜庭がUWFインターナショナルという団体でデビューしたのも同じ1993年だった。

桜庭がホイラー・グレイシーに続き、グレイシー神話の原点とも言うべきホイス・グレイシーを破った。そして後日、別の総合格闘技大会ではグレイシー一族のヘンゾ・グレイシーが日本の田村潔に敗れている。しかし、グレイシー一族には最後の砦があった。ホイスにして「私の10倍強い」と言わしめたヒクソン・グレイシー。桜庭がホイスに勝利した数週間後、同じ東京ドームでヒクソン・グレイシーの試合が行なわれた。相手は船木誠勝、アルティメット大会開催当初から総合格闘技の闘い方の研究を続けてきたと言われる。その船木が満を持してヒクソン・グレイシーと対戦する。これで船木が勝利すれば完全にグレイシー神話を崩壊させることができる。しかし…ヒクソンは別格の強さを誇った。船木も善戦し、ヒクソンを眼底骨折に追いやるなどもしたが最後はマウントポジションからパンチの連打、船木が嫌がって体をうつ伏せにした所へ完璧にチョークスリーパーが入った。強い…その言葉しか出てこなかった。試合を見た直後では誰もヒクソンには勝てないのではないかと思えるほどの強さを感じた。

そのヒクソン・グレイシー、既に年齢は40を越えている。あとどのくらい総合格闘技の大会に参戦するかは分からない。落ち目のヒクソンに勝っても仕方がない、早く誰かが対戦しなければ。日本人の打倒ヒクソン最有力候補は桜庭和志、そして小川直也。しかしスポンサーの問題などで桜庭との対戦は現在のところ微妙。小川の方はあまりにも体重差(小川は100kg台・ヒクソンは80kg台)がありすぎるためにヒクソンが受けないのではないかという憶測。それ以前にヒクソンが次に試合をする話しすらまだ出てこない。いつの日かヒクソンの破れる日、グレイシー神話が完全に崩壊する日が来るのだろうか?いや、既にグレイシー神話はホイスの負けと共に崩壊したと言って良いだろう。今や残っているのはヒクソン神話だ、それを崩壊させてくれる日本人、プロレスラーは現れるだろうか…

 

 

プロレスコラム一覧へ/プロレストップページに戻る/最初のページに戻る