三沢のいない全日本
2000年7月23日 全日本プロレス日本武道館大会観戦記

 

あの事件、三沢をはじめとした選手の大量離脱後初めての全日本プロレス日本武道館大会。全日本に残った選手は川田と渕の2人のみ。あとは外国人選手だけ。あの騒動の後に全日本に参戦を希望するインディー(小さな団体)の選手が多く現れてなんとかシリーズをやっていくことが出来た。そしてあの男も全日本のリングへ…

10年前にも全日本プロレスは選手の大量離脱による団体の危機があった。その時に離脱したのが天龍源一郎。当時のエースであったジャンボ鶴田と数々の名勝負を繰り広げていた全日本のナンバー2であった。その天龍をはじめとして大量の選手が新興団体であるSWSへの移籍を表明。バックに付いているスポンサーの強力な資本力を持つSWSへの移籍はマスコミ等で「金目当てで全日本を裏切った」と当時は酷評された。天龍をはじめとした主力選手の大量離脱でまさに全日本は崩壊の危機を迎えた。その時に全日本の危機を救ったのが三沢光晴であった。当時ではまだ力の差が歴然としていた鶴田に果敢にも挑んで行き、鶴田もそれを迎え撃ち名勝負を繰り広げた。それがファンの共感を得てファンは全日本から離れなかった。

そして今回、皮肉にも以前の選手大量離脱の時に全日本の危機を救った三沢が大量に選手を引き連れて全日本を離脱。そしてまた運命の皮肉か、今回の日本武道館大会メインイベントのリングに上がるのは10年前に全日本を離脱した天龍源一郎である。

その日の全日本プロレスの武道館大会はいつもと違っていた。それまでには見たこともないインディー所属選手らの試合。私が見ていた全日本プロレスにはいつも三沢や小橋、秋山の「激しい」プロレスがあり、第3試合あたりではラッシャー木村や永源、渕らの「明るく楽しい」プロレスが繰り広げられてきた。私が知っている全日本プロレスではなくなったのだと改めて感じさせられた。

メインイベント。これからの全日本のエースとなるべく川田が10年ぶりに戻ってきた師匠の天龍とタッグを結成。対するは天龍とも川田とも過去に名勝負を繰り広げたスタン・ハンセンがマウナケア・モスマンを率いてタッグを結成。さすがに天龍は凄まじい人気、リング上でハンセンと鋭い睨み合い。凄いことなのだ、天龍が10年ぶりに全日本のリングに戻ってきて川田とタッグを組み、ハンセンと対戦する。凄いこと、それは分かっているつもりだ。しかし実感が湧かない、無理もない。私がプロレスを見始めた頃には既に全日本に天龍はいなかった。だからプロレスの歴史としては知っているが実際に天龍、川田組や天龍とハンセンの対決はビデオ等でしか見た事がないのだ。もう1つ凄いという実感が湧かなかった理由として、天龍の全日本登場がどうしても「苦肉の策」に思えて仕方なかったというのもある。選手の大量離脱で武道館大会の目玉がどうしてもない。ネームバリューもある天龍をリングに上げれば…という考えが見えてしまうのだ。馬場さんが存命の頃には決して全日本のリングには上がれなかっただろう天龍(馬場さんは基本的に1度全日本のリングを出ていった人を再びリングに上げることはしなかった)がこういうときにすんなりと全日本のリングに上がれてしまうというのも釈然としなかった。だから頭では凄いことだとは分かっていながらもそれを充分に実感できていない自分がいた。

試合は大方の予想通りに川田がモスマンをパワーボムで下して勝利。しかし試合後に川田や天龍から何のアクションもなし。2人ともさっさとリングを降りていってしまった。リング上では倒れているモスマンを全日本外国人勢が介抱、外国人勢がなかなかリングを降りなかったため何かあるのかと思ったが結局何もなし。どことなく物足りなさが残った。試合はそれなりに面白かった、しかし何かが足りなかった。これから全日本はどうするのか、どうなるのかというものが明確に伝わってこなかった。今後エースとなる川田の闘いからも見えてこなかった。それが足りない所だった。今のままだとただダラダラとインディーの選手を使って延命処置を行なっているだけにしか思えない。

いつも全日本の武道館大会の日には次回の武道館大会の先行発売チケットを買っている。しかし今回は次回のチケットを買わなかった。今の全日本は私の観てきた全日本ではなくなっている。私が観てきたのは、私が好きだったのはやはり三沢のいた全日本だったのだ。この後、全日本プロレスはどこへ向かおうとしているのか…

(2000/07/24)

 

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