実録連載

「アウターリミッツ結成前夜」
杉本正


序章 「メビウス」から「アウターリミッツ」へ

「アウターリミッツ」の前身が、塚本(Kb)、桜井(Dr)、藤井(Bs)によって結成された「メビウス」という高校生バンドであることは、あまりに有名である。しかしオリジナル曲中心の本格的プログレッシヴ・ロックバンド「アウターリミッツ」が誕生するのは、塚本のM音楽大学進学後の杉本、川口との出会いを待たなければならない。「メビウス」の活動の詳細に関しては、現在まで全く明らかにされていない。筆者自身も、「メビウス」に関しては、名前以外ほとんど何も知らないに等しい状態である。クリムゾンあたりのコピーをしていたようだが、唯一知っているのは「僕の宇宙船」とかいうポエジーなタイトル曲があったらしいということくらいである。また、「アウターリミッツ」のデビュー曲「ランニング・アウェイ」がメビウス時代の曲だったという話を聞いたような気もするが、これも定かではない。「メビウス」での活動が「アウターリミッツ」の音楽にどのような意味を持つのかについては、現在のメンバーでも塚本と桜井以外に詳細を知る者がいない。彼らがメビウス時代について語る意志があれば、詳細はその機会に譲るとして、この話では特に触れない。

さて、塚本、川口、杉本、この3人が、共にM音大に在籍していたことは広く知られているが、実は同級生ではなく、3人ともそれぞれ順に3年、2年、1年と学年が違っていたことはご存じだろうか。加えて学年は、塚本、川口、杉本の順なのだが、年齢では杉本が入学以前に美術系専門学校に通っていた関係で塚本と同じ歳だ。このことは、バンド内の人間関係に少なからず影響している。結成当時のメンバーでは、塚本、桜井、藤井は高校の同級生、大学では後輩の杉本も同年齢ということで、ひとり年少の川口は非常に微妙な立場になっている。それは、川口のメンバーに対する敬称の付け方に顕著に現れている。塚本には「さんづけ」で藤井と、桜井には「君づけ」、杉本には「呼び捨て」という器用な呼び分けをする事になって現在に至っている。当初のこうした緊張感のある関係も、後にさらに年少の上野、荒牧などが加入してくると次第に薄まり、大学の先輩と後輩に挟まれた川口にとってはだんだん楽な状況になってきたようだ。まあ、塚本は三人の音大生の中では学年が一番上の先輩とはいっても、単位を落とすなどして、授業によっては川口の学年や、あきれたことに杉本の学年の授業までも受けていたので、非常に親しみやすい先輩であった。

さて、三人の出会いに話を元に戻そう。学年が違えば同じM音大在籍というだけの共通点では、講義などで出会うという機会はなかったはずである。ましてM音大といえば音楽大学の中ではマスプロ校ともいえる学生数を誇り、いくら音楽大学に男子学生が少ないといっても、学年が違えばサークルにでも入らない限り接点は皆無といえた。まずはその3人がどのような過程で知り合ったかということから話を始めよう。

そして、K沢大学に通いながら、ジョージ川口に教えを受けていたという以外ほとんど謎に包まれていた桜井、M学院大学に籍を置きながら、ネギの臭いのする西武池袋線沿線の一戸建てに一人閑居し、何もしないで一年を過ごしていた藤井という個性的なメンバーについても、当時の逸話のなかで順を追って登場させよう。

では塚本、桜井、藤井の3人に、杉本、川口が合流して「アウターリミッツ」というバンドが生まれ、次第にその姿を世間に現していくまでの道のりを検証してみよう。

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