くにさき写真館

国東の由来

初めて「くにさき」の名前が出てくるのは豊後風土記である。景行天皇が筑紫に下った時に、「彼の見ゆるは、若し、国の埼(さき)ならむ」と言ったのが始まりと言われている。これが国前となり、豊後の東端にあたるところから国東と「東」をあてたのであろう。



大分県の東部、周防灘にこぶのように突き出た半島、これが国東半島である。九州の中で一番早く仏教文化が伝わり、多くの石造美術が残っている。京都、奈良のような派手さはないが、庶民の生活に密着した信仰と共に発展してきた。今回ここに掲載する写真はすべて昭和45〜49年頃に撮影したものである。時の移り変わりと共に現在の姿と異にしているものもあるかもしれないがご容赦願いたい。


姫島 田染地区
真玉地区 国見地区
国東地区 大田村
夷地区
御仏の里国東半島
2010年2月19日〜2月21日