海水と陸地の接する“へぢ”


 「おへんろさん」という四国一周の海岸を巡礼する信仰を遡れば、弥生
中期までは遺跡等で追跡できるといわれている。

 古代日本の誕生する遥か昔、雑密や仏教等が渡来する以前から我々の
祖先たちが歩き続けてきた信仰の道だ。「四国のヘヂ」を、島である四
国の周囲を、海水と陸地の接する辺地を、‥‥黒潮から打ち寄せる高い

白波の飛沫に濡れた岩場を這い、松の根にすがり伝い、巡った辺地。生
命の誕生した海から陸地に登った遺伝子に刻まれた過去への巡礼だった
のか。そして生命の再生を願ったのでしょうか。このヘヂは、中央の仏

教インテリがインドから遙か離れた僻地という意味で使ったヘヂとは違
います。

 空海も青年時代に、都から帰り自らの道を求めてこの道を辿った。そし
て海と陸の接点である土佐の東端、室戸岬の洞窟に篭もった。ある未明、
洞口に迫っていた波頭は凪、海空が二分された洞口の外界の彼方から明

けの明星が飛来して体内に。後に彼は遣唐使船にて入唐し、高僧・恵果
から密教を学び持ち帰った。天皇の許しを得て奈良県南部の吉野の八葉
山に巨大宗教都市を築いて、真言宗を起こした。潅頂名・金剛遍照。

 もう一つ、日本には特別に高い山を拝し、高山に宿る神と一体となる
信仰もある。いわゆる山岳信仰。四国では石鎚山への登拝。こちらから
は旧祭式に密教様式がミックスされて修験道が生まれた。一方、「辺地

巡礼・おへんろ」は仏教と習合、とくに江戸時代中期以降は土地柄、空
海・弘法大師の信仰と結びついて今日に至っている。このため、仏教・
空海・真言宗と思われがちだが、札所寺院は真言宗ばかりではない。

しかも、各国毎の一宮参拝や始めと終わりの氏神さま詣りをみても仏教だ
けではなかったことが現代にもしっかりと受け継がれている。

広報・「なんこく」1998.10 NO.669から


メタセコイアに出会う

高木義博(大埆甲)
南国市のウォーキングガイドマップの中で、私の最も好
きなコースはやまももコースである。県道土居〜五台山線
の土電バス間田停留所のところを左に折れて山道に入り、
途中でこのコースに入り、女躰神社を経て十市支所に至る
道である。出会う車も少なく、南国市には珍しいひなびた
山道である。バイクで徐行しながらこの道を走るのが私の
楽しみである。
ことしの8月9日、この道の最終点の新宮神社にいつも
のようにお参りすると、神社の境内の樹木に名札がつけら
れていた。当然のこととはいえ、学校とは全く異なった種
類の樹木がある。ツブラジイ。ミミズバイカクレミノそれ
にツクバネガシの大木などがある。神社の樹木に名札をつ
けてあるのは全国的にも珍らしい。神社をおりて十市支所
まで来ると、そこにメタセコイアの名札のある木があつた。
翌日双眼鏡を持って行き、葉をよく観察するとまさしくメ
タセコイアである。
メタセコイアは従来化石の中にしか見られなかったので
あるが、1945年、中国の四川省山奥で生きている木が発見
された。生ける化石として有名になった木である。
私はこれを高知で探していたが、牧野植物園。龍河洞で
は見つからず、南国市のある小学校でメタセコイアの名札
のある木を観察すると、これとよく似たラクウショウの誤
りであつた。
十市の道端に私が探し求めていたメタセコイアが無造作
に立つているのに驚いた。
十市の神社の樹木およびメタセコイアに名札をつけてく
ださった篤志の人に心から感謝するとともに、メタセコイ
アについて、どなたが苗をどのようにして手に入れ、いつ
植えられたのか御存知の人はご一報していただきたいと念
願します。
なお、後日念のため牧野植物園の黒岩先生に伺うと、メ
タセコイアは高知県では、高知城。越知の自然科学博物館
にもあるとのことである。
十市の路傍にあるメタセコイアは珍しい木として参道の
入口の目印のために植えられたものであろう。

(C)当掲載データの一部または全部の複写・複製・改編・転載使用を厳禁します。
(C)Copyright 1996 Aicon-m Corporation.All Right Reserved.


Name:Singujinja Guji
E-mail:aicon-m@amy.hi-ho.ne.jp