思ツタコト No.34

何が書かれていないか


歴史の史料を見る上で、そこに何が書かれているか、というのと同等以上に、そこに何がかかれていないか、という観点から調べることが重要だ、という話を聞いたことがあります。私は歴史は素人なので、その是非はわかりませんが、でも納得できる話ではあります。当然書かれていて然るべき事件が、ある史料に残っていなかったとしたら、それは、それを書かなかった(書けなかった)然るべき理由があると考えるのが、妥当です。
鎌倉幕府の公式の歴史書に「吾妻鏡」というのがあります。この「吾妻鏡」には、鎌倉幕府の創始者である源頼朝の死の前後の何年かの記述が欠落しているそうです。鎌倉幕府にとって、頼朝の死は、当然書かれて然るべき事件、であるはずなのにその記述が無い。
その前後の部分も無くなっていることから、紛失してしまったのだろう、それも徳川家康が……という説もあるそうですが、もともとその部分は書かれなかったのでは無いか、という説もあるそうです。書かれていないとすれば、書かれていないだけの理由があったはずです。
「吾妻鏡」は、源氏の嫡流が滅亡した後に、幕府の権力を握った執権北条氏の手によるものなわけですが、北条氏にとって、頼朝の死の経緯は、隠しておかなければいけない何かがあったのかも知れません。というか、頼朝の死に、北条氏がなんらかの関わり合いがあったのかも、などと考えることも可能では無いでしょうか。

なにやら堅苦しい話になってしまいましたが、ここでは別に歴史の話をするのが目的ではありません。というか、私のような素人がそんなこと出来るはずもありません。
最近では、沢山の人たちが個人でwebページを作っています。まあ、このページもその同類なわけですが、私もいくつかのページはよく見に行っています。基本的に私は、読み物が好きなので、文章主体のページが好みで、そういったところによく行きます。
まあ、個人のページの読み物と言うと、日記がかなりの割合を占めているようですが、私自身、日記なるものは、おばあちゃんの遺言で書いてはいけないことになっている(嘘)ので、未だかつて書いたことがありません。そんなわけで、知り合いの日記ならともかく、それ以外の人の日記はあまり読みませんです。
それ以外の読み物系のページ(雑文と呼んでもいいのかな?)はよく行くのですが、ここで、そのページの作者のことを知る上で、この「何が書かれていないか」という考察がたいへんよく役に立ちます。
例えば……いやいや、具体名はいろいろ差し障りがあるので止めておきますが……30代の某氏(ちなみに独身男)の文章には、何故か本人をめぐる女性関係が出てこない、他人の女性関係は出てくるけど、本人をめぐる話は、現在に限らず過去についても、そういう話が一切無いんですねえ、これはいったい、とか
それから、やはり30代の某氏(もちろん独身男)の場合、以前は「お嫁さん募集中」とかよく書いていたのに、最近は何故か言わなくなった。これは「(1)お嫁さんが見つかった」「(2)もう諦めた」のどっちなんだろう、とか
はたまた、30代の某氏(既婚女性)の場合、お子さんの話はよく出てくるのに、なぜかダンナの話は全然出てこないのは何故か、とか。

そんなわけで、個人のwebページも、こんな観点で見てみると、それはそれで面白かったりします。しかしこんなことを考えながら、職場で仕事をサボってwebなんか見ていていいんかいな。それに墓穴を掘ったような気もするし……

警告!!
この「何が書かれていないか」という手法を、私のページに適用することは固く禁止いたします。
ダメったらダメ!

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